≪リリシア≫
来ないかも知れないと思ったけど忠夫は約束どおりやってきた。
忠夫はおかしな人間だ。
捕らえられるなんて思ってもいなかったが、捕らえられたときにはさすがに不味いと思っていた。
私に人間を殺す意思はなかったとはいえ、人間にとっては私が魔族だということだけで殺す理由にはなる。
こちらも本気を出していなかったとはいえ、忠夫もまだ本気ではなかったように思われる。
何より私の魔眼を防げる人間がいるとは思えなかった。
長いこと淫魔、夢魔をやってきたからこそわかることだが、忠夫の心はひどく歪なのだと思う。
詳しく調べたわけではない。いや、調べないほうが良いと私の感が告げているから調べていない。
ただ、魔族が嫌いと言い放ちながら忠夫が私を見る眼には嫌悪はなかった。
幽霊であるシルビアからの依頼も躊躇わなかった。
私に魅入られていたわけでもない。(それはそれで淫魔としてのプライドを傷つけられたのだが。)
魔族としてではなくリリシアとして私を見てくれている。そんな瞳だ。
魔界でも私をそんな眼で見てくれる者はいない。シルビアだけだった。
だからこそ、奇妙ではあるが心地よかった。
おそらく、忠夫にとっては全てが個なのだろう。
個として区別はしても、差別はしない。
とどのつまりは広義な部分で平等なのだろうと思う。
あの雪之丞という少年の目にも嫌な光はなかったし、西条の瞳に宿る嫌な光も次第に薄れていくのが判った。
忠夫に引っ張られた形なのだと思う。
やっぱり忠夫はおかしな人間だ。
忠夫は騎士剣を持ってやってきた。そして正式な騎士の礼を持ってリエルグとの勝負を受ける。
あのおかしいくらいに形を変える霊波刀は用いずに、あくまで騎士として勝負をするつもりらしい。
それだけで、それだけであの禍々しい気を放っていたリエルグの瘴気が晴れていった。
剣がぶつかり合う。
リエルグはその武勇が広まったとおり達人の腕を持つ。
忠夫はそれにひけを取らない剣技、西洋剣術の動きではなく、とても流麗で、流れるような動作の剣技でもってリエルグと相対していた。
忠夫は長い時間生きて様々な男から精を吸ってきた私から見てそれほどいい男というわけではない。
顔立ちで言えばもっと整った顔立ちの男はたくさんいる。
だが、今この瞬間の忠夫はこれまで見たどの男よりも美しく見えた。
舞を舞っているような無駄のない動き。
今にも爆発してしまいそうなほどの力を秘めた鍛え上げられた肉体。
全身から立ち上る穢れなき闘気。
人間のものとは思えないほど強い霊気。
見たことも無いような暗い空虚な瞳と、その中にあってなお消えることの無い優しい光。
魅入らせることが本分のこの私が、魅入られるかのように惹きつけられる。
剣を合わせるごとに、時を重ねるごとにあれほど周囲に渦巻いていたリエルグの瘴気が消えていった。
無念と憎悪に歪められていた顔からそれが消え、戦いに喜びを見出す騎士の顔となっていた。
もはやリエルグは悪霊と呼ばれるような存在ではなくなっている。
そしてリエルグが渾身の一撃を放つより速く、忠夫の剣がリエルグを貫いていた。
「・・・ありが・・・とう。」
リエルグが淡い光を放つと屋敷のほうからシルビアも同様に淡い光を放ちながらこちらに向かって飛んできた。
「ありがとうございました横島様。これで私も天に召されることができます。さようなら、リリシア。貴女と知り合えて400年間、とても楽しかった。」
「私もよ、シルビア。もう会うことも無いでしょうけどさようなら。」
シルビアとリエルグは手を取り合い、一際大きな光を放つとそのまま掻き消えるように姿を消した。
横島がハンカチをこちらに渡してきた。
気がついたら私は涙を流していたらしい。
「人間の霊のために涙を流す・・・か。」
「悪いかしら?」
「いや。ただ魔族にしては珍しいと思っただけだ。魔族のほとんどは人間を取るに足らないものと見ているからな。」
「シルビアは友達だった。・・・それに私は最初のリリムよ。」
「アダムの娘か。」
「そういうこと。・・・お礼を言うわ。シルビアを助けてくれてありがとう。」
人間は腹違いの弟や妹たちの子孫だからなのだろう。
私が人間に嫌悪感を抱かないのは。
「いや。」
私は横島の頬に軽く唇で触れる。
「仮契約よ。お礼代わりのね。貴方の支配下に置かれるわけじゃないけど私の名前を呼べば駆けつけてあげる。」
「わかった。お前が人間を無闇に傷つけない限り来訪を歓迎しよう。」
「リリシアよ。」
「わかったよ、リリシア。人界に来ることがあったら遊びに来るといい。」
「・・・やっぱり貴方変わっているわ。それじゃあね、忠夫。」
私はふわりと舞い上がると魔界へと帰っていく。
今日は貴方に魅入られてしまいましたけど、いつか貴方を魅入らせて見せるからね。
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≪西条≫
「どうした?西条。」
リリシアを見送った後、僕たちはホテルに戻る。
そして横島君を自分の部屋に誘ってルームサービスにスコッチをボトルで頼んだ。
スコッチを3杯、ストレートで立て続けにあけた。紳士的な飲み方ではないが、たまにはそういうのみ方をしたい夜もある。
「君にいくつか聴きたいことがあったんだ。・・・横島君。君は何者なんだい?君とリエルグの戦いを見させてもらった。僕も剣術を収めているからわかるが君の剣技の腕前は僕より遥かな高みにある。そしてあれだけの霊力、とてもじゃないけど20歳そこそこで修められるものではないよ。どれほど良い先生に巡り合い、才能があったとしてもだ。君は強すぎる。」
「・・・強すぎる・・・か。」
横島君はまるで自嘲するような笑みを漏らす。
そして杯をあおる。
「必要だった。だから強くなった。すまないが今はそれしか答えられない。」
必要だったから、か。当然だろうな。ただ漠然と強くなろうとしているだけではとてもじゃないがあんな高みにたどり着くことはできない。
そしてあれほどの高みに行かなくては成せないこと・・・想像もつかないな。
杯をあおる。
「・・・そうか。すまなかったな。立ち入ったことを聞いてしまったようだ。」
「いや、かまわない。・・・他にも何かあるんだろう?」
かなわないな。
杯をあおる。
僕も横島君も相当無茶なペースで飲んでいる。当然酔いがまわるのも早かった。
「僕はこれまで魔族は悪だと思ってこの仕事をしてきた。悪霊もだ。だからこそ正義の信念を持って戦ってこれた。だが今回のあれは何だ?リリシアは邪悪には見えなかった。リエルグも哀れな騎士の魂に過ぎなかった。過去にあの二人が何をしてきたかはわからない。でも今日に限って言えばあの2人は悪ではなかった。」
酒によっての愚痴だ。
八つ当たりかもしれない。
みっともない。
が、横島君もかなり酔っ払っているらしかった。
「逆に問うぞ?正義というのは何だ?悪というのは何だ?・・・俺には正義という言葉は自分のエゴを通すための言い訳としか思えない。」
杯をあおる。
「世界を守ることが善なのか?最愛の人を守ることが善なのか?その両方を天秤にかけられたとき俺はどちらを選ぶべきだったんだ?」
あおる。
あおる。
あおる。
「神族だって魔族にだって言い分はあるさ。悪霊にだって。でも自分のエゴを押し通すためにはそれらを押し潰していかなくちゃならないこともあるんだ。・・・だから俺は潰さずに済むエゴはせめて潰さずにいたい。」
それがあの契約の理由だというのか?
「神族だから、魔族だから、人間だから、妖怪だから、幽霊だから。そんなことは関係ないだろ?自分のエゴを押し通すために敵か、そうでないか。それしかないんだ。」
あおる。
あおる。
あおる。
「・・・誰もが君のように強いわけではない。誰もが正しく判断できるわけじゃない。」
「俺が強い?俺の判断が正しい?それこそ冗談だ。守りたいものを何一つ守れず、助けたい人をこの手で殺し、残ったものは後悔だけ。そんな人間のどこが強いよ?どこが正しいよ?・・・それでも、それでも嫌なんだ。勝手な都合で押し潰されるのも、勝手な都合で他の存在を押し潰すのも・・・。」
「横島君?」
「俺だってさ。誰もがそんなことできるなんて思っちゃいない。しろとも言わない。戦いの場で迷うことは死につながりかねないからな。でもな、西条。お前なら、お前なら戦う前に何が正しくて何が間違えているか考えることくらいできるんじゃないか?」
・・・僕ならできる、か。
横島君にそういわれるとその気になってしまう。
強すぎると思っていた横島君の弱さも知ることができた。
なんだかひどく気分がいい。
横島君に対する蟠りがスーッとひいていくようだった。
・・・成るほど。先生が気をつけろと言うわけだ。
横島君は、大した【人たらし】だ。
僕にも相当酔いが回ってる。
横島君が先に寝たのか、僕が先に寝たのかもわからない。
ただいい気持ちで、意識を手放した。
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≪横島≫
痛っ!
目覚めたら頭が痛い。
二日酔いだ。
周りを見回すとスコッチのボトルが5本転がっていた。
美神さんほどではないがさすがに飲みすぎだ。
酒によって昨日は相当やばいことを口走った気がする。
・・・気がとがめたが【忘】の文珠で西条が眠っている隙に昨日の会話内容を忘れてもらった。
「西条。もう起きろ。」
「ん、もう朝か。・・・痛っ!」
西条に【醒】の文珠を渡す。
「君ね、貴重な文珠を二日酔いの治療なんかに使うのか?」
「俺はともかく西条は今日もGメンに出頭して事後処理をしなくちゃなんないんだろう?」
「・・・もらっておこう。」
西条は不意に微笑んだ。
「ん?」
「いや、二日酔いでむかむかしてるんだけど・・・ひどく気分が良いんだ。・・・昨晩僕たちは何を話したんだ?なんだかとても大切なことを話していたような気がするんだが、忘れてしまった。」
「俺も覚えていないな。・・・部屋に戻るわ。」
「あぁ、横島君つき合わせてしまって悪かったね。」
「たまには酒飲んではめをはずすのみ良いさ。」
「僕はシャワーを浴びてGメンに向かうよ。ここで分かれよう。雪之丞君にもよろしく伝えておいてくれ。」
「あぁ。じゃあな、西条。」
いい機会だったさ。俺がもう一度、何をしたいのか?
俺のエゴがどんなものだったかを見つめなおすのに・・・。