≪魔鈴≫
横島さんの使い魔、ユリンが分裂して飛び立ったことには驚きました。
あれほど強い力を持つ使い魔なんて神代の魔法使いでさえ使役できなかったでしょう。
ユリンちゃんはすぐに魔力を感知して、私たちは全員でその地点に移動します。
果たしてそこにいたのはぐったりと倒れている雪之丞君とそれを押えつける魔族でした。
私も、西条先輩も、鬼道君も雪之丞君の救出に動こうとして、
動けませんでした。
「人の弟子に何してやがる。」
静かな声と共に横島さんの背中から立ち上る怒気、殺気、そういったものが私たちから動く力を奪っていた。
いいえ。
動くことを許してくれなかった。
私たちの前にビー玉のような珠が5つ現れます。
【防】【守】【遮】【隔】【賽】それぞれに文字が浮かび上がり、強力な結界が私たちと横島さんを分け隔てました。
横島さんから出ていた圧力がそれと共に消えます。
いいえ、この結界が私たちを守ってくれているのでしょう。
「横島君。きみ、」
「霊波刀定型式壱の型、恐怖の腕(かいな)。」
横島さんの左腕が霊波に包み込まれてまるで巨大な爪を持つ爬虫類のそれのように変わります。
これほどまでに強力な結界に守られてなお、先ほど以上の衝撃が私の心に襲い掛かってきました。
理由もなく、とにかく怖いのです。
こんなものを直接浴びせられたら。
「メアリー!」
人間がいました。魔族が人間の女性を恐怖から守るように翼を広げて包み込みます。
横島さんもすぐさまに腕を引っ込めました。
圧力がすぐに退いていきます。
魔族に守られていた女性は気を失ってしまいました。
「お前たちはその人間の知り合いか?私にその人間に危害を加える意思はない。この場は納めてもらえないか?」
「魔族にそう言われてハイそうですかなどとすぐには信じられんのう。じゃが、おぬしの行動に不可解な点があるのもまた事実じゃ。事情を聞かせてもらえるかの?横島。お前も一度引け。どうも雰囲気が雪之丞に危害を加えていたようには思えん。」
先ほどまでの圧力の中でも平然としていたように見えるドクター・カオスが交渉に入る。ヨーロッパの魔王の名前は伊達ではないということですか。
「しかし。」
「わし以外のものは見てもわかる通り東洋人じゃし、わし自身は無宗教じゃからのう。おぬしと共にいたという理由だけでそちらのお嬢さんに危害を加えたりはせん。それにおぬしが関わっておるかどうかはわからんが、雪之丞の状態を見る限りわしらが追っている事件と無関係とも思えん。素直についてきてくれればこちらとしてもありがたいんじゃがの。」
雪之丞君の姿をよく見ると脚に蛇か何かに咬まれた後があった。
一瞬でそこまで観察していたの?
「・・・わかった。」
「・・・これを彼女に。今のままではトラウマを残してしまうだろうから。」
横島さんが魔族に【忘】という文字の入った珠を魔族に渡した。
「文珠か。すまない。」
「いや、怒りに我を忘れて周囲が目に入っていなかった俺の落ち度だ。すまなかった。」
「とりあえず交渉の席には着いてくれるようじゃの。」
「あぁ。」
「横島。あまり人目につきたくはない。文珠でわしの隠れ家まで運んでくれんか?」
「わかった。」
横島さんが【転】【移】という珠を出し、それが光ると一瞬のうちに知らない部屋に立っていました。
瞬間移動。
これは失われた魔法?
「さて、自己紹介からいこうかの?わしはドクター・カオス。こっちは助手のマリアじゃ。」
ドクターにならって自己紹介を始めていきます。
魔族あいてに自己紹介をすることになるとは思いもよりませんでした。
私は魔女だからまだいいですけど、西条先輩なんかは複雑な心境でしょう。
「俺の名前はアモン。こっちは私の娘のメアリーだ。人間だが俺の娘であることは間違いない。」
「アモン?ソロモン72柱の魔神、【はかりしれぬ者】アモンか?」
「その通りだ。」
アモンは肌の青い男性の姿をとります。
エジプトのファラオのような姿です。
「何でそんな大物が人界にいるんだ?」
「メアリーを迎えに来るためだ。」
「横島君。情けない話なんやけど、ボク魔族についてはあんま詳しくないんや。少し説明してくれんやろか?」
「アモンは【炎の侯爵】の異名を持つ大悪魔で、【魔王】アシュタロスの部下でもある。出自はエジプトの古代神アメン。元々は風の息吹に秘められた生命力の神格化といわれているが【はかりしれぬ者】の名前が指し示すとおり、その性格は白紙に近いほど特異な性格を持っていなかったと伝えられる。そのために他の神をドンドン吸収していって、海の神、創造神、とも言われるようになり、豊穣神ミンを吸収してアメン・ミンに、太陽神ラーを吸収してエジプトの最高神アメン・ラーとなったと伝えられる。」
「概ねその通りだな。そして唯一神教の台頭によって魔に堕とされたのがこの私だ。」
「いずれにせよ、魔界でもお前みたいに強力な悪魔を人界にやることはないはずだ!」
「その通りだが、今回は神魔界の許可は取ってある。無闇に人界を荒らさないことと魔界正規軍に編入することを条件にな。」
「魔王の側近の地位を捨ててか?何故それほどまでして。」
「俺にとってメアリーはそれだけの価値があった。それだけのことだ。」
「・・・わかった。事情を説明してもらおうか。」
「仕方あるまいな。俺は今言ったとおり、神魔界の許可を得て人界に来ているのだが、俺を追って魔族がひとりやってきてしまったのだ。その少年はメアリーを庇って戦ってくれたのだが、奴の眷属にかまれてしまった。」
「するとその魔族が事件の真犯人というわけか。その魔族は何者なんだ?」
「奴の名前はアポピス。俺と因縁深い魔族だ。」
「【太陽を食らう蛇】アポピス・・・エジプト神話最大クラスの魔物か。」
「その通り。彼はメアリーを守ってくれたのだがその折に奴の眷属にかまれてしまった。今は彼とかりそめの契約を結んで毒の進行を抑えている。」
「誤解とはいえすまなかった。」
横島さんがアモンに深く頭を下げます。
「かまわない。元々は俺が人界を巻き込んでしまったのだ。すまなかった。」
驚いたことにアモンまでもがこちらに頭を下げました。
「魔族っていうんはこういうもんなんか?なんだかイメージとちがうんやけど。」
「彼の方が特別なのよ。キリスト教によって魔に堕とされた神はかなりの数に上るわ。その中には決して邪悪ではない神も多くいたはずよ。まして人間を創造したなんて神話が残っているような神ならなおさら。そういう意味では私たち魔女と同じかもしれません。白魔女の多くはキリスト教以前の信仰を捨てなかったり、民間療法や土着の療法を駆使したヒーラーだったり、キリスト教徒は相容れない秘術を継承しただけの善良な人間だったはずですから。」
「横島。悪いがこのメモに書いた材料を集めてきてくれ。毒の解析と解毒剤の生成をするからのう。」
「わかった。」
そういって横島さんは部屋から出て行きました。
「さて、おぬし達。横島について聞きたいことがあるんじゃろう?答えてやるから言ってみい。」
「・・・いったい何から聞いたものやら。ただ、先生が彼を敵に回すなと忠告してくれた意味がよくわかりましたよ。彼の力ははっきり言って異質だ。」
「恐らくおぬしはその言葉の意味を半分ほども理解しておらんと思うがのう。少なくともあやつは敵じゃない。おかしな真似はするなよ?」
「先ほどのビー玉みたいのはなんなのです?それからさっきの力は。」
「あれは文珠じゃの。霊力を凝縮してキーワードで一定の特性を持たせて一気に開放する技じゃ。一部の神族の神器であり、込めるキーワードによって能力の質が変化するから能力のあり方は多様。半ば奇跡といってもいいくらいの代物じゃ。人間であれを作り出せるのはわしが知る限りの歴史においても横島ただ一人じゃ。そしてさっきの腕はあいつが内側に抱える恐怖を霊力の核に自分の霊力で無理やり押えつけたようなものでのう。霊力そのものが恐怖という属性を帯びておる上に本来は人間が持つ許容量を遥かに超える恐怖を意識下で制御せねばならん。理論上は人間であれば得られる能力ではあるのだが、横島と同じくらい心が強くなければ破滅をするだけじゃな。少なくともわしはごめんじゃ。」
「ごっついなぁ。横島君は。あんなんに教えてもろてたら、そら冥子はんもつようなるわけや。」
鬼道君?
「ほう、おぬしは横島を怖がってないようじゃのう?」
怖がってる?
あぁそうね。私は横島さんのことを怖がっているんだわ。
「まぁ、さっきのは確かに怖かったんやけどな。でもな、相手のことを傷つけたり、利用したり、陥れたりして何の罪悪感をもたんやつの方が断然怖いわ。まぁ、ボクの父さんのことなんやけどな。アモンはんに謝ってる横島君見ていたらそう思ったんや。」
「なかなか貴重な才能じゃのう。本質を見抜く目を持っておる。おぬしは教職なんぞについたら才能を発揮できるタイプかも知れんぞ?」
「それもいいかもしれへんな。」
私は横島さんの本質を知らずに怖がっている。
それは中世魔女狩りで善良な人々を虐殺していた蒙昧な人間や、
魔女ということで私のことを白眼視してきた人たちと同じじゃない。
大きく深呼吸。
知らないなら知ればいい。
「ドクター。先ほど人間の許容量を超える恐怖を核にと、おっしゃいましたがそれでは横島さんの霊的バランスが崩れるんじゃありませんか?いえ、それどころか横島さんの歪みは周囲を汚染してしまうのではないでしょうか?」
「それは前提条件から間違っておるよ。霊的バランスが崩れなかったからこそ今の横島がおるわけじゃし、周囲を汚染しておるんじゃない。むしろ世界が横島に歪みを押し付けたようなもんじゃ。」
それはどういうこと?
「ですが、陰気を溜めバランスを崩してしまえば霊的な健康が損なわれてしまいます。不浄なものが傍にあれば霊的な汚染が進行してしまうはずです。」
「理論的にはそうなんじゃが、おぬし少し視野狭窄におちいっとらんか?世界は陽気だけで構成できるわけではない。陰陽思想にあるとおり陰と陽、善と悪、浄と不浄が混在し、流転するからこそ世界のバランスが取れるんじゃ。お主みたいに陽一辺倒じゃとかえってバランスが取れていないことになる。温室で育てられた花は外気に触れれば簡単に枯れてしまう。人間もまた同じじゃ。歪みを無理に修正をしようとすれば人間が本来持つ霊的抵抗力を奪いかえって不健康な状態を作りかねんぞ?」
そうか。私の考えてたバランスは狭い範囲のものでしかなかったのね。
「横島の中にあるものはそれこそ猛毒も猛毒じゃが、あ奴にはそれすら薬に変える力があるからの。とはいえ、今日のあれは老骨にはきつすぎるわい。何か対策を考えておかんとのう。」
・・・そうね。横島さんが悪い人ではないのは短い付き合いだけど知っていたはずよね。
それに横島さんは神代の魔法使いの持つ以上の使い魔を操り、
文珠という奇跡を作りだし、
あれ程の恐怖をを内包して、理性を失わず、雪之丞君のために怒り、私たちに被害が及ばないように文珠を使って、メアリーさんのために怒りを抑えて見せた。
ううん。それ以上に魔女であることで私のことを変な目で見なかったし、
メアリーさんの心に傷がつかないように気遣いをして、
鬼道君の恩人で、
ヨーロッパの魔王が友と呼び、信頼を置く相手か。
困ったわね。
私は横島さんのことをあまり知らないかったのですが、
少し、興味がでてしまいました。