「お久しぶりです、ゼノス団長」
ドレスの裾を掴み、ペコリと淑女の礼を。その堂に入った動作はとてもではないが、彼女を傭兵とは思わせない。
「おお、エリザか。久しぶりだな。フィオナは健勝か?」
久しく見ていなかった知人に、ゼノスの強面も若干綻ぶというものだ。なんせ美人であるし。
しかしゼノスの挨拶に思うところがあったのか、エリザの表情は優れなかった。というか泣きそうだった。
「ゼノス団長……折り入ってお話があります」
泣きそうな自分を戒め、エリザは背筋を伸ばし堂々と言った。これから話すことはそれだけ大事なのだ。
ゼノスは神妙に頷き、エリザを砦へと迎え入れたのだった。
第21話 「救援要請」
「そんな、フィオナが……」
声を出したのはフラウだった。拳を震わせ、信じられないと俯く。いや、信じたくないが正解だろう。
「……」
ゼノスは何も言わなかった。ただ強く目を閉じて、かの人を想う。
エリザの話は、ゼノスたちにとって酷く衝撃的だった。
「フィオナ団長が……戦死いたしました」
何故とか、どういった状況でとか、聞きたいことはたくさんある。フィオナは女だてらに傭兵団の団長を勤めるほどの猛者だ。そう簡単にくたばるとは思えない。
だが逆に、納得もしていた。いくら強くても人は結構あっさりと死ぬ。それは同じ傭兵であるゼノス達には嫌というほど理解できていたのだ。
だから、今は何も言わずに黙祷を。この時ばかりは普段やかましいロイや、すぐにちゃちゃを入れるヴァンも静かに死者に祈りを捧げていた。
キアはフィオナという人物を知らない。正直悲しみなんて全然襲ってこないし、全然死という現実感などなかった。
だがこの悲しみに満ちた静粛な空気に、キアも自然と黙祷を捧げていたのだ。
生きていればいずれは会ったかもしれない、仲良くなれたかもしれない女性に対して、自分が出来る精一杯の祈りを。
どうか、安らかに眠ってください、と。
何分立ったのか時間の感覚があいまいになる頃、ゼノスが最初に沈黙を破った。
「エリザ。わざわざ教えに来てくれてありがとう。辛かっただろう」
「ゼノス団長……」
エリザの瞳からは押さえきれない涙がポタポタと零れていた。
「エリザ、お前は俺たちに何か頼みがあって来たとカイルから聞いている。出来うる限り力になろう。何でも言ってくれ」
「――ふぅっ、うぁぁぁああああぁぁあああんんんんん!!」
ゼノスの優しい微笑と言葉に、耐えていたものがプツリと切れたのだろう。エリザは両手で顔を覆い、子供のように声を上げて泣き出した。
「エリザさん……」
凄く痛ましかった。あの一歩間違ったらただの痴女になりそうなエリザのこの猛烈すぎるギャップ。
キアは思う。もしも弟や両親が殺されていたら……実際起こりそうだった現実も相まって、自分まで貰い泣きしそうだ。
「エリザ」
そのギャップを一番肌で感じているだろうロイが、ふいにエリザを抱きしめた。
小さい子を慰めるように優しく背中を叩く。エリザも縋るようにロイの衣服を握り締めた。
ああ、やっぱりあんなにエリザを嫌がって見せてたのは、ただ照れていただけなんだなぁ。思春期の男の子ってのは照れ屋でカッコつけなもんだから。ロイはちょっと思春期っちゅーより青年期に入るだろう年齢ではあるが。まぁでもロイだし、思春期が遅れていても可笑しいとは思わない。
青春してる二人に対して、妙に生暖かい目になるキアだった。
ロイがエリザを抱きしめたのはほとんど無意識というか体が勝手に動いたというか。普段のロイであればまず絶対にエリザを抱きしめるなんて自傷行動は取らないだろう。
ロイは泣いている子に弱かった。それは彼の性格もさることながら、やはり一番の原因は"お兄ちゃん"であるからだ。ロイは団員の中で一番面倒見がよかった。意外かどうかは意見の分かれる所である。
そんなわけで無心でエリザを慰めていたロイであったが、ふと違和感を覚えた。正気に返ったとも言うかもしれない。
いつの間にやらエリザの両手が、衣服からロイの背中へと移動していた。まぁそれはこの際いいとしよう。いやよくはないが、いいとしよう。先に抱きしめたのは自分だし、この状況はなにも不自然なことではない。
だが抱きつく力がなんかやけに強くないかコレ?
そういえばいつのまにやら泣き声が止んでいる。ヤな予感がビンビンする。エリザの顔を覗き込んで確認すんのもちょっと躊躇してしまうくらいには。
なので視線を彼方にやりながら、そーっとエリザを離そうとする。するのだが、これがぴくりともしない。もうウンともスンとも。
もうちょっと力を込めてみる。もうちょっとといいつつ段々全力になりつつあったり。でもやっぱりウンともスンとも。
つぅーっと額を流れる一筋の汗。
「あ、あのぉー……エリザさん?」
恐る恐るそっと視線を下にやる。するとそこには、
「――ふんふんふんふん」
一心不乱にロイの体臭を嗅ぎまくって悦入った表情をなさっているエリザさんが。
とたんに寒気というには冷たすぎるナニかが背筋をゾゾっと。
「離れろコノやろぉぉおおおおおおおおおおおおおお!!」
叫んだロイはきっと悪くない。さっきまでの殊勝な姿はいったい何処へ消えうせたキサマ。
猛烈な詐欺にあった気分だった。
「エリザ、フィオナはどうして亡くなったんだ? 辛いだろうが、よければ教えて欲しい」
このままでは話が進まないと思ったのか、ゼノスがエリザに声を掛けた。けっしてロイを助ける意図があったわけではない。
エリザもさすがにふざけるのは止めて、ロイから離れる。決して本気でロイの体臭を嗅いで悦に浸っていたわけではない。あれはエリザなりの気持ちの切り替えだったのだ。嘘はついてない。本当だってば。
フィオナが亡くなった時の事を思い出し、唇をかみ締める。
「お話します。どうしてフィオナ団長が亡くなったのか。そして私達がゼノス傭兵団を頼らざるを得なくなったのかを」
エリザは震える声色でぽつりぽつりと語りだした。
フィオナ傭兵団は総勢20人ほどの傭兵団だ。傭兵団としてこの人数は平均的な数値である。
呪文使いが2人。武術使いが6人。他はまだ武術使いとして半人前だったり、非戦闘員だったりする。
正直に言って、保有する戦力はゼノス傭兵団よりも高いだろう。しかし実際に任務を、とりわけ危険度の高い討伐系や探索系の依頼の成功率、いや生還率はゼノス傭兵団のほうが圧倒的に上だった。
ゼノス傭兵団が少数ながら上位クラスの傭兵団と言われる所以。それは偏に団長とヴァンの能力にある。
あのバケモノじみた"気配感知"と"遠目"の能力は、それだけの力があるのだ。不意を突かれない、またつねに先手を取ることのできるこれらの能力は、純粋な戦闘能力などよりよほど重要な要素なのである。
今回の件も、フィオナ傭兵団に索敵系の能力に秀でた人物がいれば防げたかもしれない。いや、居るには居たのだ。ただ残念なことにその能力が発揮できない状況下であっただけで。
フィオナが死んだのは、任務の途中の出来事だった。
メタルスライムの死骸の採取。それが今回フィオナ傭兵団の受けた任務だった。
メタルスライムは全身が特殊な金属で出来たモンスターである。生態は明かされていないが、メタルスライムの死骸から作った武具は他の金属で作ったものより非常に強いものが出来上がる。
しかしメタルスライムは非常に生息数が少ない。しかも発見された場所が森の奥だったり、川辺だったり、平野だったりと一貫性がない。見かけることすら非常に稀なモンスターなわけだ。
しかもメタルスライムというモンスター。こいつは非常に臆病で、恐ろしく素早い。こちらを発見したとたん逃げるのなんてザラなのだ。
これらの要素から、メタルスライム製の武具は目ン玉飛び出る価格になる。メタルスライム一匹で一生遊んでくらせるだけの額がポンと入ってくるのだ。
フィオナ傭兵団にこの依頼が舞い込んだ際、フィオナ傭兵団のほとんどが浮かれまくった。そりゃそうだ、メタルスライムが絡む以上、報酬もすげぇ額が提示されたわけだし。
しかし、フィオナを初めとする古参のメンバー。ようするにベテランの人達はさすがに冷静であった。
契約内容を見てみると、提示された金額はあくまで成功報酬。失敗した時は前金分だけしか支払われないとされていた。
さすがに約20人を抱える傭兵団なだけあって、前金だけの報酬では赤字もいいところだった。かわりに成功したときの報酬は破格ではあるのだが。
まず第一に、本当にメタルスライムがいるのか。いたとして見つけられるのか。仮に見つけたとして仕留められるのか。
正直言って分の悪い賭けだった。
しかもだ、今回は傭兵団がメタルスライムを持ち逃げしないように依頼主が寄越した見張りを連れて行かなければいけない。ぶっちゃけて言ってしまえば足手まといを抱えていかなければいけないのだ。
フィオナは正直この依頼を蹴ってしまいたかった。悪条件が重なりすぎてるし、なによりイヤな予感がしたからだ。
しかし二つの理由でそれは出来なかった。一つはすでに団員の半数以上が超ヤル気マンマンになっていて、ここで「イヤな予感がするからこの依頼は受けません」なんて言った日には暴動が起きそうだからだ。
二つ目、正直こっちがメインの理由であるわけだが……
依頼主が貴族だったのだ。
正直、断ったらこの先この地方に怖くて足を運べなくなる。それだけならいざ知らず、変に恨まれでもしたら大変なことに。
そんなわけで、フィオナはこの依頼を受けざるを得なかったわけだ。
そして、そのイヤな予感は的中してしまう。よりにもよって自分の死という最悪の形で。
また死んだ原因も最悪だった。見張りとして送られた男がやはりというか足をひっぱり、それを庇う形で致命傷を負ってしまったのだ。
そこからの展開も最悪だった。
庇われた男は結局脚に深い怪我を負い、満足に歩けなくなったのだ。よりにもよってその貴族の息子だったものだから、さぁ大変。
依頼主の貴族としては、不甲斐ない自分の息子のいい経験になれば程度に思っていたのだろう。それが帰ってきたら脚に障害が残るほどの大怪我。
そりゃ激怒するわけだ。
いくら団長であるフィオナが命を賭して庇ったとはいえ、そんなことは貴族の男には関係がない。
問答無用で団員全員が死罪にされそうなところを、エリザを初め団員達が、なにより庇われた貴族の息子が必死に懇願して、以下の条件をつけることでなんとかその場を収めたのだ。
その条件が、無償でメタルスライムを持ってくること。ただし退治に行けるのは一人だけで、それ以外は皆人質として屋敷に監禁。期限は一ヶ月。それを過ぎた場合、団員全員が奴隷の身分に落とされるということになっている。
酷い条件ではあるが、これでも貴族の男としてはかなり譲歩したほうだ。貴族の息子に大怪我を追わせたというのは、それだけで問答無用で死罪なのが当然の世の中なのだから。
それでも譲歩したのは、息子を見張りにしたのが他でもない自分であったこと。傭兵団の団長が命を落としてまで庇ったということ。なにより怪我をした張本人である息子が懇願したためである。
この貴族の男を人でなしと罵るか、慈悲深いと取るか。それは判断する第三者の立場によって変わるだろう。
フィオナ傭兵団の団員達は話し合った結果、懇意にしていたゼノス傭兵団に助けを求めることにした。
そこで実力があり、ゼノスと面識があるエリザが貴族の屋敷から解放されることになったのだ。
そしてエリザは一心不乱にゼノス傭兵団の砦まで走り、先日ようやくカールビに到着したのだ。
そしてゼノスに面会するために街で身だしなみを整え、さぁこれから砦へ行こうとしていた矢先にロイたちを見つけ今に至るわけである。
「……」
開いた口が塞がらなかった。なんつーヘビーな話なのか。
「メタルスライムは、神威の祠といわれる場所に居ます。私一人ではそこまでたどり着くことすら危ういのに、そこにはあのフィオナ団長すら殺した、恐ろしく強い鉄の魔物までいました。お願いしますゼノス団長。私に力を貸してください」
そういって深々と頭を下げるエリザ。ゼノスからしたら話を聞く前から力になると言っているのだ。こんな話を聞いた後ではなおさら断るという選択肢なんて存在しなかった。
「顔を上げろエリザ。言っただろう? 力になると」
ゼノスの力強い声に、エリザはまた涙が滲み出してきた。話を聞いてどれだけ危険なことかは分かっているハズなのに、満足な報酬も払えない自分にここまで言ってくれる。嬉しいやら申し訳ないやら、でもやっぱり嬉しくて、感動して。だからエリザはさらに深々と頭を下げるのだ。
「ありがとう……ございます」
涙で震えそうな声で、でもはっきりとエリザは感謝の言葉を述べたのだった。