階段を上がったとたん、剣士らしき人物に出くわすマリアとリュー。
「塔の外壁の通路を歩く時は、足元に気をつけろよ」
「はい」
「なかなか素直なヤツだな。さてはもう足を踏み外して落ちた事があるのだろう」
「いえ、今二階に上がって来たばっかりですよ!」
今、マリアとリューは、リューがラーの鏡を探していた当時に見かけたという塔。
風の塔に挑んでいた。
「あの人の言葉、今なら分かります」
手すりもない回廊。
踏み外せば落下という状況で、足が震えるマリア。
「リューさんは大丈夫なんですか? 猫さんは高い所から落ちても大丈夫だと聞きましたが」
「犬はダメだな。高い所から落ちたら怪我する」
「なら、どうしてリューさんはそんなにすたすたと歩けるんです」
「そりゃあ、高い所は経験があるから」
リューは元の世界では、雪の無い時期にスキーのジャンプ台に登った事や、学生時代の会社見学で、電気通信会社の支店ビルのてっぺんにそびえ立つ鉄塔に登った事がある。
どちらも、グレーチングと呼ばれる金網のような足場になっており、数十メートルの下が足元に透けて見えるのだ。
それに比べれば、この程度の高さの塔など、何ともない。
「足さえ踏み外さなければ、どうってこと無いだろ。慣れだよ慣れ」
「そういうものでしょうか……」
納得できない顔で、マリアはリューの後を追う。
「っと、敵だぞ」
「はい!」
ごそごそと現れたのは、鎧ムカデ。
大ムカデ以上に手強い相手だ。
「俺が楯になる、新しく使えるようになった魔法で蹴散らしてやれ!」
リューが前に出て時間を稼いでくれている間に、マリアは精神を集中し、魔力を引き出す。
「風よ、今こそ集い舞い狂え!」
マリアが新たに習得した風の魔法が、鎧ムカデ達の身体を紙のように切り裂いて行く。
後には輪切りになった鎧ムカデの死体。
そしてこのムカデの犠牲者の物だろう、いくばくかの貨幣が落ちていた。
「凄い魔法だな」
感心するリュー。
これまでの旅で心身が鍛えられた結果、マリアはこの魔法を習得するまで成長を遂げていた。
「いいえ、まだまだです。父には遠く及びません」
ふと、今は亡き父の事を思い出して表情を陰らせるマリアだったが、リューは敢えて気付かぬ振りをして、あっさりと言葉を口にした。
「目標があるってことはいいことだ。それは成長につながる」
「リューさん……」
「行くぞ」
「はいっ!」
こうして、塔の外縁を伝って、最上階までたどり着くリューとマリア。
「ようやく、壁がありますー」
壁に囲まれたフロアに、マリアは安堵の声を洩らす。
「宝箱があるな」
リューは、フロアの中ほどに置かれた宝箱を調べる。
問題ない事を確かめ、マリアに開けさせる。
中には、指輪が入っていた。
「これは、祈りの指輪ですね」
「祈りの?」
「はい、これに向かって祈ると、精神力がいくらか回復するんです」
「なら、これはマリアにだな。精神力が尽きた時にでも、これを使えばまた魔法が使えるようになるんだろ」
また特別な意味に取られてはたまらないと、理由を挙げて、マリアに指輪を押し付けるリュー。
「はい……」
しかし、マリアは複雑そうにそれを見つめるだけで、身に付けようとはしなかった。
それを訝しく思い、リューは訊ねる。
「どうしたんだ?」
「いえ、せっかくリューさんが下さった指輪なので嬉しいこと嬉しいんですが、この指輪、何回か力を引き出すと壊れちゃうんです」
「それが?」
「女の子にとって、好きな人からの贈り物、特に指輪って言うのは大切な意味を持つものなんですよ。それが失われちゃうなんて、怖くて使えないな、と」
いや、別にそう言う意味で指輪を贈った訳じゃないから、とリューは思ったが、それよりも言いたい事があった。
「祖母は言っていたよ。大切なもらい物が失くなった時は、その物が身代りにお前を助けてくれたんだって思えって」
祖父の形見の時計を失くしてしまった時に、祖母がかけてくれた言葉だった。
「リューさん……」
マリアは大切そうに祈りの指輪を胸の前で握りしめて言う。
「分かりました、リューさんが守ってくれていると思って、この指輪を使うようにします」
「ん、ああ」
柄でもない事を口にしたと思っていたリューは、マリアが素直に自分の言葉を受け入れてくれた事で、気分が楽になった。
しかし、マリアの言葉の裏にある、恋慕の念を知っていたら、そんな風に安心することなどできなかっただろうが。
「さぁ、もうひと踏ん張りだ」
「はい」
来た道を引き返し、途中にあったもう一つの階段を確かめに向かう。
「この煙の化け物、本気でうざいな!」
他の敵はマリアの魔法に任せ、スモークと言うらしい雲状の化け物に牙を立てるリュー。
手応えが無くて、中々倒せないのがいらつく。
「魔法や魔導師の杖の火炎が効きませんからね」
動く死体を風の魔法で切り刻みながら言うマリア。
こちらも、完全に破壊しない限り動き回るしぶとい相手だけに、一撃でという訳には行かない。
「風よ、今こそ集い舞い狂え!」
三発目で、ようやく倒し切る。
リューの方も、同様だった。
「ふぅ、苦戦したな」
「でも、リューさんがスモークを倒して下さって助かりました」
「その辺は分担だろ。しかし、俺が楯になれなかった分、そちらにも攻撃が行ったな。どれ、傷を見せてみろ」
「ええっ!?」
「何故そんなに驚く?」
不思議がるリューだったが、次の瞬間、理解した。
マリアはおずおずとスカートの裾を上げ始めたのだ。
白い素足が見え……
慌てて眼を逸らそうとするリューの目に、青痣が映った。
白い肌にそれは痛々しく、リューは状況を忘れて鼻面を痣に近づけた。
「やはり痛むか?」
「は、はい……」
間近に感じるリューの息使いに、スカートを握ったマリアの手が震える。
顔は羞恥で真っ赤だった。
しかし、リューは真剣な様子で痣を見て、そしてそれを癒すようにペロリと舐め上げた。
「はぅっ」
ぴちゃぴちゃと、湿った音が、フロアーに響く。
好きな相手が、自分の足に口付けているというだけでも気が狂いそうなのに、その舌がゆっくり優しく、痣ををなぞって。
がくがくと腰が砕けそうになりながらも耐えるマリア。
そして、永劫にも感じられた自制の時の後、
「少しは良くなったか?」
舐めるのを止めたリューの声。
……終わった、の?
詰めていた息を、ようやくつくマリア。
「は、はい、だいぶ楽になりました」
「そうか」
そして、リューにしてみれば仕上げの、マリアにしてみれば、不意打ちの、そして止めの一舐め。
限界を超えたマリアの腰が、かくん、と砕けた。
「わぷっ?」
しかし、へたり込んだ場所が悪かった。
マリアはリューの頭の上にスカートを押えて座り込んだのだ。
両腿の間には、リューの頭が。
そして、その鼻面からかかる息は……
「ひうっ!」
びくん、と細腰が跳ねた。
「リューさんそこは!」
「分かったから抑え込むな、益々押し付けられて……」
「はぅっ、しゃ、しゃべらないで下さい!」
「いいから手をどけろー!」
ドタバタの末、マリアがか細い声を上げて半分失神した事で、ようやくリューはマリアのスカートの中から抜け出したのだった。
「絶対、責任とって下さいね」
「………」
涙目でこちらを見るマリアに、かける言葉もないリューは、黙って塔の中を先導する。
そして、たどり着いた先にあった宝箱の中から出て来たのは、鳥の翼を模した様なマントだった。
非常に軽く、かつ丈夫な生地を使って、風をはらみやすい形に仕上げてある。
リューは、ムーンペタの街で、ある男がしていた話を思い出した。
「どこかの塔の中に、空を飛べるマントがあるらしいぜっ。そのマントを付けていると、高い所から落ちた時、少しだけ空を飛べるんだとよ」
すると、これが風のマントというものだろうか。
「試してみるか」
「はい?」
「わ、私がやるんですか?」
「仕方ないだろ、犬にマントは着れない」
マリアに風のマントを着せ、自分を胸前にくくりつけてもらう。
不格好だが、これでテストの準備は万端だ。
「ほ、本当にこれで飛べるんでしょうか?」
「だから、失敗しても大丈夫な二階まで降りて来たんだろ」
及び腰になるマリアを強引に促す。
「わ、分かりました」
両手を水平に伸ばし、マントを広げるマリア。
えいとばかりに宙に飛び出し……
そして、わずかな滑空の後、ふうわりと地上に舞い降りた。
「成功、だな」
「凄いです。本当に空を飛べるんですね」
こうして二人は、風のマントを手に入れたのだった。