リアです。
思いっきり叫んだらスッキリしました。
「………………」
ユートがわたしの下でうつ伏せで眠っています。
まぁ、気絶している、とも言うかもしれませんが。
時々苦しそうに呻いています。
さすがにやりすぎてしまったでしょうか。
……いえ、そんなことはないですよね。
すぐにGモシャスを使って隠したとはいえ、あんな破廉恥な服を着たところをしっかりと見られてしまいましたし…!
当然の報いです。
今思い出すだけでも、恥ずかしくて死んでしまいそうです…。
確かにチャイナ服を着てた時に、ユートをからかって遊んだので、ほんのちょっとだけ見えちゃったりもしたかもしれませんが、見せるのと見られるのでは大違いなのです。
スライムと人面蝶くらいの差があるんです!!
……ああもうっ、わけがわかりませんっ!!!
もしもわたしにも女王様のように過去に戻る力があるのなら、今すぐ戻ってあのジジィのヒゲを全部引っこ抜いてやる所ですよ。
私がスカートの裾を握り締めて憤っていると、少し遠くで草木を踏み分ける音と、鎧が擦れる音がします。
……どうやらキンパツが帰ってきたようですね。
危ないところです。
もう少し戻ってくるのが早かったら、キンパツにまで見られる所でした。
「ん…、う…うぅ…ん」
ユートが呻きながら目を擦っています。
そろそろ目が覚めそうですね。
少しだけ膨らんだユートの後頭部を見ると、少しだけ、ほんっ…とうに少しだけですが、やっぱり罪悪感を感じます。
今回のはユートだけのせい、というわけでもありませんしね…。
……仕方ありませんね。
わたしはユートの介抱はキンパツに任せることにして、森に入ることにしました。
俺はここで生きていく
~ 序章 第九話 ~
――…にぃ……ん!
…ん…んぁ?
遠くの方で何かが俺に呼びかけているのが聞こえる。
――…に…ちゃん!…きてっ…ば!!
ぅ…ん…うるさいなぁ…。
昨日飲みすぎて頭が痛いんだって。
もう少し寝かせてくれよ…。
俺はせめてもの抵抗を、と体を丸める。
――起きてってばっ!
大分はっきりと声が聞こえてしまっている。
…むぅ、まだ寝ていたいのに、このままじゃ目が覚めちまうなぁ…。
仕方ない、最終奥義っ!
俺は丸めた体に頭を深く埋め、ついでに耳をふさいだ。
ククク…これなら起こせまいっ!
…こんなことやってる時点で大分目が覚めているのは自分でもわかってはいるのだが、その辺は気にしてはいけない。
と、俺を起こそうと躍起になっていた気配が急に静かになった。
……諦めたのか?
これでようやく眠れ…る……な………ぐぅ。
と、耳をふさいだ手を緩めた瞬間、ソイツが息を大きく吸い込む音が聞こえた。
「……お・き・ろっ!! って言ってんでしょっ! こんの、バカあにきぃいいいいいいいいいっ!!」
「ぐふっ」
耳がキーンと痛くなる程の大声と共に、丸まって横になっていた俺の脇腹にかなり大きな衝撃が降ってきた。
どうやら、勢いよく俺の上に飛び乗ってきたらしい。
しかも、あろうことか、わざわざ肘が柔らかい腹に突き刺さるように体制を整えて…。
所謂ジャンピングエルボーだった。
「がはっ……、お……おま、…こ…これ…は洒落に…ならん…って」
俺は息も絶え絶えに言う。
正直、呼吸するのもきつい。
「あはは、目は覚めたでしょ?」
蛍光灯を背負っているため逆光になっていて表情はわかりにくいが、全く悪びれずに笑っているのは声からわかる。
…コイツ、覚えてろよ。
今度、寝顔にキンキンに冷やしたコンニャクを落としてやる…
この間やった、寝ているときに胸元に氷を入れる、っていうのはかなりヤバかったからな、色々な意味で。
くくく、コンニャクなら大丈夫だろう。
暗い復讐を胸に誓いながら、なんとか呼吸を整えようとするが、なかなかうまくいかない。
それどころか、だんだん視界が暗くなっていく。
表情がわからなかったのは逆光だからというだけではなかったらしい。
ってか、ちょっとやばくないか?
アイツの顔も良く見えず、輪郭の部分だけがボンヤリと白く見えた。
「今日はいっし…に買い…に行……束してた…しょ! ほ…、バカ…貴、さっ…と…きてっ!」
ぼやけた声が大きくなったり小さくなったりする。
「ねえ……ら! ちょ…と……どう……よ?」
だんだん焦った顔に変わっていくのを、俺はどこか他人事のように見つめていた。
なんだか、ぬるま湯に浸かって漂っているような、変な気分だ。
「冗………めて……ば! ね………おに………ん!!」
必死で何かを叫んでいるが、所々途切れててよくわからなかった。
そんな悲しそうな顔するなって。
「………! …………………、…………………!!」
…まったく、――は心配性なんだよ。
心配すんな、すぐ戻るからさ。
そこまで考えた所で、俺の視界は完全に暗転した。
「…んっ……んぁ?」
なんか枕が固い……。
意識が少しづつ覚醒して一番最初に浮かんだ感想がそれだった。
俺は暖かな日差しを受けながらまどろむ。
目を閉じながら、だんだんと意識を浮上させていくと、涼やかな風がどこか懐かしい香りを運んできた。
どこで嗅いだんだっけ、これ。
「…ふぁ……んん」
欠伸をしながら目を開けると、間近で逆さに覗き込むセディと目が合い、驚いて口をあけたまま固まってしまった。
傍から見たら、今の俺、間抜けな顔してるだろうな…。
ぼーっとそんな事を考える。
……って、セディ!?
完全に目が覚め、飛び起きる。
「おっ、と! 危ないな、ぶつかるところだったよ」
思わず勢いよく起きすぎたが、なんとかセディが反応して避けてくれたおかげでぶつからずにすんだ。
「あ、あぁ、悪りぃ。……って、違うだろっ!」
セディの落ち着いた声に思わず謝ってしまったが、そういう問題じゃないだろう。
俺はさっきまで俺が寝ていた所を見る。
そこには、セディの膝、正確には太ももの部分があった。
「…なぁ、違うとは思うが…念のために確認していいか?」
眉間を指で揉みながら俺はセディに聞く。
「うん?」
不思議そうな顔でこっちを見つめるセディに俺は正直諦めの気持ちを抱きながら聞く。
「なぁ、まさかとは思うけど……俺が気絶している間、何……やってたんだ?」
一縷の希望を胸に恐る恐る聞くが、セディはあっさりと言ってのけた。
「何……って、膝枕?」
やっぱりか、ちくしょおおおおおおおおっ!!
生まれて初めての膝枕がなんで男!?
初めての膝枕は可愛い女の子って決めてたのにっ!!
抑えきれないパトスを拳で地面にぶつける。
柔らかい太ももの感触で目が覚めて、二人の目が合って、そして………ポッ!なんていう甘いストロベリった物を夢見てたのにっ!!
途中まで経験しちまったじゃないかああああ!
「何がかなしゅーて男の、しかもかったい鎧の感触を感じにゃならんのだっ!!」
「いや、なんか苦しそうだったからね」
思いのたけをぶつけるが、セディには全く届いてなかった。
おもわず俺の両目から熱い汗が流れ落ちる。
セディはそんな俺の様子を苦笑しながら見ていたが、ふいにニヤリ、と笑みの質を変えるとさらに付け加えた。
「男は膝枕って好きだろう? ユート君も膝枕してあげたら結構気持ち良さそうに寝てたよ」
やめてくれえええええっ……。
男の膝枕なんかで気持ちよく寝てたなんて……。
俺の夢をこれ以上壊さないでくれ………ぐすっ。
「……そ、そんなにショックだったのかい」
俺の目の端に滲む本気の涙を見るとさすがに心が痛んだのか、同情の視線を向けてきた。
決してあきれ果てた視線ではないと思う、思いたい。
んぐっ、んぐっ、んぐっ………ぷはぁっ。
「ふーっ、生き返えったわ。水うまかった、サンキューな」
セディにもらった水は、冷たくとても美味しかった。
体全体に染み渡り、まだ少しぼーっとしていた意識を覚醒させてくれる。
さっきの件は、ノーカウントにする、ということで自分の中で決着がついた。
あまり引きずるのも男らしくないからな。
決して一考に悪びれないセディに毒気を抜かれたわけじゃない。
「元気になった? さっきは酷くうなされていたみたいだったからさ」
空になった俺のコップに水を注ぎながら心配そうに聞いてくる。
……いいヤツなんだよなぁ、やっぱし。
あの行動は好意しかなかったはず……だしな?
……ニヤリと笑うセディの顔が浮かんできたが、頭を振って消し去った。
「夢見でも悪かったのかい?」
そう言われて考え込む。
確かに、何か夢を見てたような気がするけど……さっぱり思い出せないな。
よく夢を手のひらから零れ落ちる砂に例えるけど、正にそんな感覚だ。
「ん~、何か変な夢見てた気がする……けど、覚えてないな。まぁ、覚えていないんだから、そう大した夢でもなかったんだろ」
引っかからないわけでもなかったが、考えても仕方ないし、忘れることにした。
「でも、途中からいい夢になったんじゃないかな。僕が膝枕してあげた途端に穏やかな寝息になったし」
と、イイ笑顔でにっこり笑う。
……いいヤツ、なんだよなぁ?
俺は手の中にあったコップをあおって、水と一緒に言葉を飲み込んだ。
飲み終わったコップを返す時、セディの髪からふわりと石鹸のいい香りを感じた。
あぁ、さっきの匂いはこれだったのか。
よく見ると、綺麗な金髪はまだ少し濡れていて、太陽の光によって鈍く光っていた。
戦闘と塔のせいで少し埃っぽかったはずの顔もすっかり綺麗になっている。
「あぁ、実は荷物を隠していた場所の近くに泉が沸いているのを見つけてね。待たせて悪いとは思ったんだけど、少し汗を流させてもらったんだよ」
俺の視線に気づいて髪をいじりながら話す。
なるほど、それで帰ってくるの遅かったのか。
セディの髪を整える仕草には、妙な色気があった。
水もしたたるいい男、ってやつか?
どうしてこうもカミサマってやつは不公平なのかね。
永遠の命題だな、これは。
「んじゃ、俺も後で汗流してこようかな。モンスターの大群から逃げ回っていたときに転んだりしたからあちこち埃っぽいし…」
そういえば、服も洗いたかったんだよな。
もう手遅れかもしれないけど、オオアリクイの血を洗い流さないと……って、あれ?
確かに結構な量の血を被ったはずなのに、服には赤い染みなどどこにもない。
一瞬光の加減かとも思ったが、その程度で見えなくなるほど被った血は少なくなかったはず。
「どうかしたかい?」
そんな俺の様子を不思議に思ったのか、隣に座りながら聞いてくる。
「いや、さっき俺オオアリクイの血を思い切り頭から被ったよな、って思ってさ。でも、全く跡がないだろ?」
俺が袖を見せると、セディは納得した表情で頷いた。
「ああ、気づいてなかったんだね。“浄化”するとモンスターの死体だけじゃなくて、飛び散った血も消えてしまうんだ。そしてなぜかモンスター達の装備していた武器防具までも、ね。だから服にも血の跡は残ってなかったんだよ」
浄化をすると、モンスターのいたという痕跡が全て消えてしまって、残るはゴールドのみ…か。
ある意味、ゴールドがそのモンスターがいたという証そのもの、というわけ…か。
ポケットに入れていた、日本の硬貨と比べると大分重い銅貨が、心なしかさらに重く、そして冷たくなった気がした。
それにしても、血が染みにならなくて本当に良かったわ。
向こうの世界との繋がりを示す大事な物だからな。
気づいた今となっては、なんで血が消えたことに気づかなかった、と自分を問い詰めたいくらいだが、冒険者の証のインパクトにやられてたんだから仕方ないよな。
ただ注意力がないだけでしょう、とどこからか毒っぽい台詞が聞こえた気がしたが気のせいだろう。
「そういえば、リアはどこ行ったんだ?」
周りを見渡しても見つからない。
まさかとは思うけど、さっきの事で怒ってどこかへ行っちゃったのか?
不安が胸をよぎる。
「さっき僕と入れ違いで森に飛んでいくのが見えたよ。……なにかあったのかい?」
その言葉に少し青くなったのがわかったのだろう。
心配そうな表情をしている。
「わたしならここにいますよ」
突然、探していた声が聞こえた。
俺はほっとしながら声の主を探すが、周囲には見つからない。
と、目の端に木の葉のひらりと落ちるのが写った。
上かっ!
勢いよく上を見上げると、視界一杯に赤いものが広がる。
「なんだとっ!? ………ぶっ」
反応する暇もなく、顔面に軽い衝撃が走る。
「何やってるんですか、アナタは……」
実際に見なくてもわかる。
絶対にため息ついてるよ、アイツ…。
セディもくっくっ、と小さく笑っている。
…これはかなり恥ずかしいな。
なんていうか、一人で鏡の前で格好つけたポーズを取っていたところを見られたくらいに。
俺は、頭を掻きながら顔にぶつかって落ちたモノ、赤くて丸くて美味しそうなソレを拾い上げる。
「これは…リンゴか?」
少し小さいが間違いない。
へぇ、こっちにもリンゴあるんだな。
「ユートの世界にもあったのですか? こっちではリンゴではなくギンロの実、と呼ばれてますけど」
その声に顔をあげると、大きい葉を袋代わりにリンゴを二つぶら下げて、よろよろと飛んでいるリアの姿があった。
「まさか、それってあの……!」
セディがなぜか目の色を変えてリアの持つリンゴを見つめている。
「ギンロの実ねぇ…。これ、どうしたんだ?」
問いかけると、表情は変わらないが、羽が一瞬でリンゴ色に染まる。
……どうしたんだ?
「いえ、お腹が空いたので森に分けてもらったんです。三つもらえたので、仕方ないからユート達にも分けてあげます。………それと、さっきは少しやりすぎました、すいません」
少し早口で慌てたようにそう言うと、すぐに身を翻してセディへと近づく。
手の中にあるリンゴをいじる。
…なるほど、さっきのお詫びって所かな。
可愛いとこあるじゃん、アイツ。
「サンキューな、リア」
その後ろ姿に声を掛けると、一層羽の色が濃くなる。
照れているのか妙に羽ばたきの回数が多いリアを見ているとにやけてしまう。
「はい、どうぞ。ついでですがキンパツにも分けてあげます」
そんな俺の視線を無視してセディにリンゴを渡す。
「僕もいいのかい!? ありがとう! 頂くよ」
セディは声を弾ませて喜ぶ。
「………うん、美味しい! こんなに美味しいギンロの実は初めてだよ!! ……あの本、実は正しかったんだね」
セディは一口齧ると、満面の笑顔で頷いている。
「本…ですか? ジジィの古文書にこんな事まで書いてあったんですか?」
興味を惹かれたのか、詰め寄って聞くリア。
「あぁ、あれとは別の本だよ。一応冒険者に対しての教科書……のようなものなんだけど、内容が……その、荒唐無稽なものが多くてね。書き方も気さく過ぎるから、誰かがシャレで書いた冗談の本なんじゃないか、って思われてたんだよ。でも、妖精のギンロの実は本当にあったし、他の内容も全部が冗談というわけじゃなかったのかもしれないね」
リアはその言葉に興味深そうに頷くと、腕を組んで首をかしげる。
「へぇ、わたし以外にも人間にこのギンロの実をあげた人がいたんですね……。そこにはなんて書かれていたんですか?」
しかし、セディは困ったように笑うと申し訳なさそうに話す。
「僕もただの冗談だと思ってたからね…。流して読んでいたから詳しいところまでは覚えてないんだ。ただ、妖精からもらったギンロの実はこの世の物とは思えない程美味しかった、って類の事が書いてあったよ。……僕は甘い物が好きでね、それで覚えていたんだよ」
セディは話をする間も、リンゴを食べる手を止めなかった。
言葉の通りすごく幸せそうな表情をしている。
そんなに旨いのか…。
話の内容にも興味があったが、なぜかさっきから手の中のリンゴが気になって仕方がない。
俺も一口齧る。
瞬間、口の中に甘い果汁が一杯に広がる。
頭の芯まで幸福感で痺れるようだ。
…あぁ、こりゃ確かにうまいわ。
見た目は小さいだけで普通のリンゴなんだが、向こうで食べた物よりも甘みが強く、そして何より、みずみずしかった。
「すごいな、これ。めちゃくちゃ美味いよ!」
俺の言葉を受けてようやくこっちを向いた。
「当然ですよ! 森に一番美味しいところをわけてもらいましたから」
微笑んで少し誇らしげに言う。
「あぁ、さすが妖精、ってとこだな!」
ふふふ、と得意そうに笑うと、リアは最後の一つを取り出して自分も口をつけた。
小さいとはいえ、リンゴは大体10cmくらいはあるだろう。
そんな、自分の体の三分の一程のリンゴを、美味しそうに食べるリアには、どこか小動物を思わせた。
「……あまりジロジロ見ないで下さい。失礼ですよ」
少し頬を染めて目を伏せて言う様子に慌てて目をそらす。
「わ、悪りぃ」
手に持ったリンゴを齧る。
うん、美味いな、やっぱり。
よく味わって食べてはいたが、通常のリンゴよりも小さいせいか、それとも美味しさから気づかずに食べる速度があがっていたのか、思いの外すぐに食べ終わってしまった。
……食い足りないな。
また取ってきてもらおうかな、と、リアに頼もうとした振り返った瞬間、少し遠いが、木にリンゴがなっているのが見えた。
お、あんな所にもあるんじゃ~ん。
思わず口の中に広がる甘い果汁を想像して涎が出てくる。
リアはリンゴを食べるのに忙しそうだし、セディはリンゴの美味さに浸っているのか、ぼーっとしている。
俺はリアに頼むのをやめ、自分で取りに行くことにした。
見えるくらいだから、すぐにたどり着くと思ったが、意外と時間がかかる。
距離感を間違えていたというのもあるが、人の手の入っていない森というのはとにかく歩きにくい。
なぜか木は一本一本が離れて生えているため、見通しはよかったが、それでも何度か木の根に足を取られながらも、少しづつ目的の物に近づいていく。
へぇ、こいつは大物だな。
色艶は鮮やかな赤で、見栄えは良い。
こいつもさっきのリンゴ同様、美味そうだな~!
歩くたびに少しづつ近づいて大きくなってくるリンゴを見ると胸が躍る。
そうそう、リンゴは色が良くついたものほど甘みが強くて味も濃いらしい。
母さんがそういった豆知識を教えるテレビ番組にはまっていたせいで、そういう知識は嫌でも入ってきたのだ。
…まぁ、それはさておき。
どこまで信じていいかよくわからない豆知識によると、あれは確実に美味いはず!
「ふん、ふん、ふーふふ~ん」
鼻歌が零れ、歩く早さがあがるのも無理はないだろう。
しかし、ずいぶん遠くにあったんだな。
ようやくリンゴから数メートルの位置にたどり着いて立ち止まる。
「ってか、よく見なくても……でかすぎねぇか?あれ」
リンゴの鮮やかな赤に目を奪われていたせいで、気づかなかったが、直径がそばの大木の太さくらいある。
……うん、1m前後といった所か。
明らかにおかしいよね。
…ってか気づけよ、俺!!
自分で自分に物理的に突っ込みを入れる。
痛てて、ちょっと強く叩きすぎたな…。
と、ここで遅巻きながら我にかえる。
えっと……あれ?
なんだったんだ、一体!?
自分を叩いた瞬間、いきなり思考がまともに戻った。
今なら、さっきまでの俺は普通の状態じゃなかった事がわかる。
自分の意思の方向が生ぬるい何かで軌道修正されているような…いや、今はそれどころじゃないな。
さっきから頭の奥で警鐘がガンガン鳴っている。
リンゴから目を離さずに警戒しつつじりじりと下がると……リンゴと目があった。
いや、何言ってるのかわからないだろうけど、気がおかしくなったとかじゃないって!
ほら、にや~って、すごく嫌な笑顔浮かべてるしっ!!
「エ………」
一歩下がる。
リンゴが木から飛び降りる。
「エビ………」
二歩下がる。
リンゴは不敵な笑みを浮かべてこちらを見ている。
三歩さがる。
まずいまずいまずいまずい!
リンゴが笑みを浮かべたまま身構えた。
リンゴの体に一つしかない目玉。
大きな口に生えそろう牙と、あのにやけた不気味な表情…。
間違いないっ!
「エビルアップルだああああああああああぁぁぁっ!!??」
俺が叫んで後ろを向いて駆け出すのと、リンゴが飛び掛ってくるのは同時だった。
「うわあああああああああああぁぁぁっっっ!!」
怖い怖い怖い怖い怖いこわいってーの!!
一つ目のリンゴが不気味な笑顔でジャンプしながら追いかけてくるのは軽くホラーだった。
速いしキモいって、あれ!!
なんであんなんであんなに速く走れるんだ??
ちらりと振り返るとヤツがジャンプするたびに顔がドアップになって、圧迫感がすごい。
全力疾走で逃げているが、追いつかれそうだ。
って、おわっ、服齧るんじゃねぇっ!!
「ハァッ、ハァッ…あ、あそこまで逃げれば!」
遠くの方で俺の様子に気づいたセディが大剣をひっさげて走ってくるのが見える。
な、なんとかあそこまでっ!
あらためて両足に気合を入れるが、回復したとはいえ、やはり疲労は残っていたのだろう。
すぐにまた足がガクガクしてきた。
も、もうちょいっ!
すでにセディはお互いの顔がわかる位置まで近づいてきている。
よし、後ちょっとだっ!
ほんの僅かに気が抜けた瞬間、足に限界が来て、もつれて盛大に転んでしまった。
「いでででででっ!」
勢いがついていたため、手で庇う暇もなく、少し顔面で地面を削ってしまった。
痛い……が、そんな痛みにあえいでいる暇はない。
首だけで後ろを振り向くと、もうすぐそばまでリンゴが来ていた。
何とか立ち上がろうとするが、一向に足に力が入らない。
今日はもう走りすぎだ、速く寝たい……。
「ユートっっ!!」
一瞬飛びかけた意識がリアの悲痛な叫び声に引き戻される。
そうだった、まだだ、まだ諦めねーぞっ!
足に力が入らないので、腕に力を入れて横に転がり、リンゴを正面に睨む。
……飛んで来た瞬間に横っ面ぶん殴ってやる。
決死のタイミングを計ろうとしたその時!
「伏せてっ、ユートッ!!!」
セディの声が聞こえた瞬間、俺は体に力を入れるのをやめて仰向けに倒れる。
倒れこむ俺のすぐ真上を、風を切り裂きながら大剣が回転しながら飛んでいった。
どうやら間に合わないと悟ったセディが大剣をリンゴに投げつけたらしい。
か、髪の毛掠った…。
ハラハラと切れた髪が目の前を落ちる。
もうほんの少し下だったら……。
ハ…ハハ……、す、少しちびったかも……。
「無茶するなぁ、まったく……」
青ざめながらセディを見ると、遠心力を使ってかなり無理やり投げ飛ばしたのだろう。
体制を崩して転んでいる姿が目に映った。
「ユートっ、まだです、気をつけてっ!」
リアの焦った声にリンゴを見ると、少し震えているが、しっかりと立ち上がってこちらを睨んでいる。
ま、まずいな……。
どうやらセディの大剣の攻撃では止めを刺すまではいかなかったらしい。
リンゴの右下の部分がゴッソリ切れ落ちているが、まだ余裕がありそうだ。
かなりのダメージは受けているようだが、ジリジリとしか動けない俺よりは早く動けるだろう。
距離はすでに1mくらいしかない。
心待ちにしている救援はまだ50m以上離れている。
数秒で来れる距離だが、その数秒が今は遠すぎた。
セディにはもう投げられる武器はない。
リアにも助けは期待できない。
こうなったら覚悟を決めるしか……
俺が残った力をかき集めて拳を握ると、後ろで何か光った瞬間、俺の横を火の玉が通り過ぎてリンゴに突き刺さった。
「わはははははっ、焼きリンゴ一丁あがりってか?」
野太い笑い声を聞いただけですぐにわかった。
どうやら塔の調査はもう終わったみたいだな。
……はぁ、また助けられちまったか。
辺りにはリンゴが焼けた甘い匂いが漂っている。
うまそうだけど、さすがにあれを食う気はしないなぁ。
「よっ! …っと。こうして助けるのは二度目だな、少年っ! いいか、街に戻ったらしっかりオラの事を皆に知らせるんだぞ? わははははっ、や~ぼう~にっ、まーたい~っぽ、ちーかづいた~ぁ、っと! がははははっ!」
バカ笑いをしながら機嫌良さそうに歌うイナカ…じゃなくてカッペに手を貸されて立ち上がる。
「そうだな、助かったよ。何をすりゃいいのかよくわからないけど、お前の事はきちんとみんなに話すさ。それよりも……」
そう、それよりも。
「その少年、ってのはやめてくれないか? 俺はもうそんな年でもないし、第一お前だって俺とそう大した年の差はないだろ?」
高校を卒業している身で少年、って連呼されるのは何だか辛いものがある。
「あ~………。えっと、ニートだったっけか?」
「ユートだっ、バカ野郎っ!!!」
コイツは命の恩人だが、礼儀なんて必要ないな、今決定した!
「何そんなに怒ってやがるんだ? 自分の身も守れないうちは少年で十分だろ。オラに名前を呼んで欲しかったらもっとがんばるんだな、わははははっ」
豪快に笑いながら皆の元へと歩いていく。
ぐっ……痛いところつきやがる。
確かに俺には何も力がない。
しかも、ただ無力なだけならまだしも、今回のは明らかに失態だ。
俺が一人でフラフラとリンゴに引き寄せられなければこんなことにはならなかった。
危機に陥ったのが自分だけ、というのが唯一の救いだろう。
……ってか、なんで俺はあんなのに引き寄せられたんだろう。
あのリンゴから目が離せなくて、我に返ったときにはもうすでにエビルアップルの前に立っていた。
確かにリンゴは美味かったけど、俺ってそんなに食い意地はってたっけ……?
……いや、何を言っても言い訳にしかならないな。
「…大丈夫かい?」
いつの間にか横にセディが来ていた。
そんなことにも気づかない程考え込んでいたらしい。
「あ、あぁ。セディもありがとな。その……また助けられちまった」
悔しかった。
あれだけ一瞬の油断が命取りだと忠告されたというのに…俺は。
「その気持ちを忘れなければ大丈夫だよ。…それに、今回は僕でもちょっと危なかったしね」
と、セディが小さくつぶやく。
「え?」
俺が顔を上げると、あぁ、うん、と曖昧な表情で頷いた後、苦笑を浮かべた。
「さっき、本で読んだ内容を思い出したんだ。おチビさんのくれたギンロの実には食べた者を魅了する魔力がかかっているかもしれない、っていう内容が書いてあったのを」
言われてさっきの自分の状態を思い出す。
…確かに、さっきの俺は普通じゃなかったな。
あのリンゴをもう一度食べることだけしか考えられないような…。
「だからユート君。あまり気に病む事はないよ。冒険者としてユート君よりも慣れてる僕だって少しの間ぼぅっとしてしまったのだからね」
セディが慰めてくれるが、それでも…。
確かに何かの魔法にかかっていたのかもしれない。
でも、何が原因かなんて、正直どうでもいい。
問題なのは、俺が起こした行動が起こした結果……。
そこまで考えたとき、セディが俺の肩に手を置いた。
「君が今しなければならないのはなんだい? 失敗したことを後悔することじゃないだろう? 自分にできることとやりたいこと。そして、そのためにやらなくてはならないことは何かを考えないと」
セディの静かに落ち着いた言葉を聞くと、頭の中の靄が晴れたようにスッキリしてくる。
……そうだよな、失敗をウジウジ考えていても仕方がない!
次は失敗しない、とは言えない。
すでにもう二度も失敗してしまったのだから、またあるかもしれない。
でも、限りなくその失敗を減らせるように、失敗しても切り抜けることができるだけの力をっ!
そのために、まずはできることから始めないとな。
「ありがとな、セディ! …俺、間違ってた。俺にもできる事をやらないとな」
俺がしたい事のために何をすべきかはもうわかっている。
……だけど、アイツに頼み事かぁ…正直気は進まないが…。
目を向けると、少し離れた場所で性懲りもなく言い争うリアとカッペ、そして、そんな二人をニコニコ見つめるラマダがいる。
聞き取りにくいが、服だとかセンスだとかの声が断片的に聞こえる。
それだけでなにが原因で言い争っているのかわかるな…。
俺は少し頭が痛くなったが、ここで頭を抱えてても仕方ない。
「んじゃ、気は進まないけど早速行ってくるわ」
なんだか今すぐ取り掛かりたい気分だしな。
この気持ちのまま突っ走ってみよう!
早足で三人の方へと向かうユートを、セディは眩しく見つめた。
(自分にできることとやりたいこと……ね。それを見失っているボクが言えた物じゃないよね。ボクには一体何ができるんだろう。そして、ボクは一体何をしたいんだろう……)
常に自問自答している問いに、未だ答えは出せそうにない。
(何かが変わるかなって思ってこの任務に志願したけど…カッペ君は本物じゃないようだし。ユート君っていう変わった存在とは出会えたけど…)
いつかこの答えが見つかる日が来るのだろうか。
自分の放った言葉にすぐに答えを出せるユートを好ましく思いつつも、羨望とほんの少しの嫉妬を抑えることができない。
「お、そうだった!」
と、突然前を歩いていたユートが振り向く。
僕は慌てて表情を取り繕う。
…変に思われなかっただろうか。
「ん、なんだい? ユート君」
動揺を抑えて聞き返すと、ユート君は少し難しい顔で僕に指を突き出す。
「そう、それ! ユート君じゃなくて、ユートでいいって。さっき助けてくれた時は呼び捨てで呼んでくれただろ? それに近い年のやつに君付けで呼ばれるのって、どうも…ね」
ユート君は頭をかきながらこっちを見ている。
僕は呼び捨てで呼んでただろうか…、夢中だったから覚えていない…。
「それにさ、俺達もう友達だろ?」
僕が困惑していると、ユート君は、男くさいが何処か愛嬌のある顔で照れくさそうに笑った。
思考が一瞬止まった。
トモダチ……か。
生まれて初めて言われた言葉に、心が温かくなる。
さっきまでの暗い感情が消えていくのがわかる。
ユート君は……いや、ユートは。
何かを待ち望んでいる顔をしている。
僕はクスリと、少しだけいつもと違う笑いを零す。
「そうだね……。よろしく、ユート」
そう言うと、表情が一瞬で明るい物に変わる。
「あぁ! よろしくな、セディ!」
この新しく得た友人といれば何か見つかるだろうか。
嬉しそうに笑って指し出された手を、僕は期待を込めて握り返した。
~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~
――― エビルアップル ―――
旅人をその魅力的な姿で惑わすけしからん奴じゃ。
普段はギンロの実に擬態しており、その姿に惹かれてきた獲物が近づくと正体を現し襲い掛かってきおる。
なに? ギンロの実なんかで惹かれる奴はおらんじゃと!?
バカモン!
それは本当のギンロの実を食べたことがないから言えるのじゃ。
妖精達によってもたらされる最高級のギンロの実。
その実は非常に美味しく、一度食べると病みつきになってしまう。
ある意味麻薬よりも性質が悪いのじゃ。
もしかしたらそういう魔力が備わっておったのかもしれんが……それでもあの味なら納得じゃな。
ワシも食べられなくなってから数年はつらい日々が続いたものじゃ……。
ほれ、こうして思い出すだけで涎が……。
うぉっほん!
……話がずれたようじゃの。
このエビルアップルというモンスター。
植物系のモンスターだけに火には弱いが、他の植物系のモンスターと比べるといくらか耐性があるので要注意じゃ。
最も、大して強くないモンスターじゃから、それなりのレベルの冒険者にとってはいい金稼ぎの的じゃろう。
じゃが、コヤツらはたまに群れで現れる事がある。
その時は気をつけるのじゃ。
いくら弱いといえど、数が増えると厄介じゃからのぅ。
もしもこれを読んどるお主が、森の中でたくさんの鮮やかなギンロの実をつけた木を見つけたときは、注意をするのじゃぞ。
もしかしたらコヤツが擬態しておるやもしれんからの。
……ちなみに、コイツはギンロの実とは違ってまずいぞぃ。
美味しそうじゃからといって、倒した後に食べんようにな。
腹も下してしまうからの。
*注 このページの執筆者は依然として不明である。また、このページの内容の真偽は確認が取れなかったので、冒険者諸氏は自身で判断をするように願いたい。
――― 冒険者の友 大地の章 樹の項 15ページより抜粋