乱れた呼吸を整え、辺りに散らばったゴールドを拾う。
「結構疲れたね、汗かいちゃったし…」
マリィが胸元にパタパタと風を送りこんでいる。
…ついつい視線がその一点に吸い寄せられてしまう。
「そういえばもう夏ですねー」
ルイがポコっと俺の頭を杖で叩きながら感慨深そうに呟いている。
「ん?もうそんな季節なのか」
確かに若干暑いことは暑いが、どうにも実感沸かないのは何故だろう。
「おーい、金拾ったんならさっさと戻ってこい! 出発すんぞ!」
「おっと」
「今いきまーす!」
慌てて馬車へ駆け込む。
道中の雑魚といえる魔物は訓練も兼ねて経験の浅い俺がやれと言われていたのだが、ルイとマリィさんもやりたいと言ってくれたので基本的に三人で戦うようになっている。
「よ、お疲れさん」
サイが上機嫌、といった感じで声をかけてくる。
山賊の奪っていた物資を商人に換金してもらったお陰で、俺達のパーティはかなり財政が潤っていた。サイの上機嫌な理由もそこにある。
手に入った三万ゴールドは俺達パーティのそれぞれに三千ゴールド、そして残り六千ゴールドは皆の宿代等、共用の資金として扱うことになった。これで俺も装備が新調出来る。
「これなら満足して帰れそうだなぁおい!」
「いや、満足して帰っちゃ駄目だろう…」
「完全に目的を見失ってますね」
俺達の非難にサイが顔を顰める。
「そうは言ってもよぉ、そのなんたらの鏡を手に入れるのは流石に無理があるんじゃねえか?」
「…ラーの鏡がもし入手不可であろうと、ガーブルほどの規模の城下町であれば何か有効な手段が得られるかもしれない、だから行くんだろ」
アレスが口を挟む。
「僕はしばらく教会で情報を集めようと思います、聖水について少しでも情報を獲たいですし…正直ガーブルの教会の現状をこの目で確かめたい」
トーマス君の表情は固い。
敬虔な僧侶として、教会上層部が腐敗していることが許せないのだろう。
ふと視線を感じ横を見るとエルが本から顔をあげ、こちらを見ていた。
「ん、どうした?」
「ここ、読んで」
エルに指し示された部分を読む。
――異界より悪魔を呼び寄せる儀。
「これが?」
「もしかすると、貴方はこれで呼び出されたのかもしれない」
俺は悪魔か。
挿絵が載っており、いかにもといった感じの禍々しい悪魔が魔方陣の中心に立っている。…どうにも胡散臭い。
「これって作り話の類だろ?」
「そうかもしれない」
周囲の人間に聞こえないように囁いた俺の言葉を、あっさりエルは認めてみせた。
そしてまた視線を本に戻す――どうやら読書に戻ったようだ。
手持ち無沙汰にり、馬車からの景色を眺める。
…あぁ、そうか。
何故夏の実感が沸かないのか、ようやく気付いた。
―――この世界では蝉の鳴き声が無いんだ。
タボの村着いた俺達は村人達に大いに歓迎された。
山賊の姦計により自分達が騙されていたこと、助け出した村娘達が俺達を命の恩人として紹介してくれたからだ。
そして村長の家で俺達はもてなされる運びとなった。
大きな会食用のテーブルに所狭しと様々な料理が並んでいる。
「思えば冒険者やっていてここまで感謝されたのって初めてだな…」
「命からがら生き延びても、報酬どころか魔物扱いされかかったり…ろくな目に遭ってませんでしたね」
ルイが幸せそうに料理を頬張っている。楽しそうでなによりだ。
「アレス様は貴族のお方ってお話は本当ですかぁ?」
「アレス様のお話、もっと聞きたいです!」
「あ、あぁ…」
アレスは助けた村娘達に挟まれてやりづらそうにしている。
彼女達からすればアレスは自分達を助けにきた勇者様に見えてるに違いない。アレスを見上げる目が輝いているのが傍目からでも見て取れる。それを横目にサイが、俺も助けたじゃねぇか…と、ブツブツと不満を口にしている。
「本当に皆さんには感謝しております、以前にも山賊が出没したことがありましたが、その時は甚大な被害を被ってしまいました…。殺されてしまった冒険者や商人の方々には申し訳ないが、彼女達が無事で本当に良かった…!」
「――ほう、以前にも山賊の被害にあったことが? その当時のことを伺ってもよろしいかな?」
アーヴィスが村長と何やら話しこんでいる。
あの男も得体が知れない。ただの商人ではなさそうだが…。
「おい、シュウイチ!」
ゾルムさんの呼びかけで思考を打ち切られた。
「明日は出発より一時間前に宿の前に出てこい」
「ん、なんでですか?」
「来れば分かる、今日は夜更かしすんなよ」
そう言ってゾルムさんは村長の家を出て行った。
「そういえばルイさ」
「ふぁい? なんですか??」
「あぁ、口の中の物食べ終わってからでいいからさ…」
ルイが食べ終わるの見ながらと待っていると、咎める様な目線を返された。
「食べるとこジッと見ないでくださいよ、恥ずかしいなぁ、もぅ…。で、話って何ですか?」
「いや、お前もいつの間にかギラとか使えるようになってたのな」
「あ、やっと気付いてくれました? 私も日々進歩してるんですよ」
えっへんとルイが胸を張って見せた。
「そっか、そうだよな」
俺は本当に成長出来てるのだろうか。
先日、山賊相手に見せてしまった無様な醜態、あれが未だに心に引っかかっている。
「…シュウイチさんも強くなってますよ。少しは自信を持っていいと思います」
…少し前までは自信がついてきてたんだけど、な。
前途は多難だ。
早朝、まだ日が昇り始めて間もない時間帯。
宿を出ると既にゾルムさんが立っており、その横には何故かアレスも居た。
「よう、おはよーさん」
「おはようございます、ゾルムさんに…アレス?」
「なんで俺まで叩き起こされなきゃならんのだ…」
アレスが面倒そうに文句を垂れている。
「シュウイチ、お前は人間を相手に戦ったことがないだろ? まずは木剣でアレスとやり合ってみな」
木で出来た剣をこちらに放ってきたので、それを手に取る。
思ったよりもズッシリとしており、固い材木で出来ているようだ。
「なるほど…俺はシュウイチの相手役か」
アレスが木剣を構えて対峙する位置に立つ。
「さっさと構えろよ、始めるぞ」
アレスに急かされて木剣を構える。
――と、その瞬間。
「いくぞっ」
アレスがこちらに突っ込んできた。
距離を一瞬で詰め、突きを繰り出してくる――速い!
「くそ…!」
後ろへ下がり体制を整えようとするが、アレスはそれを許そうとせずそのままこちらへ詰めてくる。
咄嗟に木剣で切っ先を逸らし、アレスに蹴りを入れる。
「ちっ」
ここしかない…!
アレスが怯んだところに渾身の力を込めて切りかかる。
これで決まる。そう確信していたが、アレスがスッとこちらの斬撃をギリギリの位置でかわし、そのままこちらの頭に打ち込んできた。
――ここで俺の意識は途絶えた。
「……!? ぶわっっ、何だ!??」
得たいの知れない感触に思わず飛び起きた。
頭を冷たいなにかがポタポタと滴っている…どうやら水のようだ。
「こりゃまたいいのをもらっちまったな」
ゾルムさんが桶を片手に笑っている。アレスも腕を組んでこちらを見ていた。
あぁ、そういえば俺はさっきアレスと戦って…。
「途中までは良かったんだがなぁ…。――シュウイチ、お前はさっきなんで自分が負けたか分かるか?」
「上手くかわされました、勝負を決めようと焦ってたのか―」
「そうじゃない」
アレスが俺の言葉を遮る。
「あれは俺が上手くかわしたんじゃない。咄嗟に少し身体を捻ることしか出来なかったが、外れた。かわしたんじゃなくて、外れたんだ」
「ま、そういうこった」
ゾルムさんが俺の頭に手をポンっと置く。
「途中までの動きも判断も悪くなかった。だが最後の最後、俺に打ち込むときに腰が引けていた。あれじゃ届く物も届かない」
アレスの言葉にゾルムさんも頷いてみせる。
「俺はお前の度胸も判断力も買っている。そのせいか成長も今まで見た奴らの中じゃダントツだ。…だが、お前にゃ経験が足りない。お前は今まで人とこんな風に稽古したことはないだろう?」
「えぇ、確かにもっぱら素振りとか、魔物相手に実戦ばかりしてました」
「だからだな。対人には対人なりの基礎ってもんがある。まず剣を振るときに切っ先で切ろうと思うな、柄の部分で切りつけるつもりで踏み込め」
「踏み込み…ですか」
「そうだ、兎角、剣を扱いたての頃は本人は精一杯踏み込んでるつもりでも剣が届かない。恐怖心が間合いを遠のかせるんだ……お前の場合は魔物のときは問題なかったようだし、恐怖心と言っても真逆の恐怖を抱えてそうだがな」
アレスが引き継いで答えてくれた。
真逆の恐怖。
つまり斬られるのが怖いのではなく、斬るのが怖いのだ。――それを見抜かれている。
「それもこうやって人と打ち合ってりゃその内慣れるだろう。アレスの一族は貴族と言っても武勲を立てて成り上がったことで名を馳せてるからな。剣技の稽古ならお家柄何度もやっているだろ…対人って意味じゃ俺よりも上手かもしれねぇ。こいつにしばらく稽古つけてもらうんだな」
さっきは逆に経験が仇になって蹴りに反応が遅れたみたいだけどな、とゾルムさんは付け加えた。
アレスは少し考えるそぶりを見せたが、軽く息を吐き、了承の意を表した。
「まぁいいだろう。俺も腕を訛らせたくないし、さっきので俺より上だと思われちゃ堪らないからな」
「悪いな、助かるよ」
俺達のやり取りを見て満足ようにゾルムさんは頷いた。
「さてと、出発までもうちょい時間があるな。汗でも流してきたらどうだ?」
「そうします、それじゃまた後で」
馬車の中でシュウイチさん、汗臭いです。なんて言われてはたまらない。
急いで宿の中へ引き返した。
シュウイチが宿に戻ったのを見てからアレスが口を開く。
「ゾルムの旦那、勝手に人に面倒を押し付けないでくれ」
「ガッハッハ、そう言うなよ。お前だって内心冷や冷やしてたんだろう?」
「旦那には敵わないな…」
そんなアレスを見てニヤリとゾルムは笑ってみせた。
「最初は見込みがあるかもしれん、程度だったんだがなぁ…まさかあそこまで伸びるのが早いとはな」
「こっちは兄貴を見てるような気分にさせられちまう」
渋面をしてみせるアレス。
「俺はな、冒険者にずっと憧れていたんだ」
「…旦那?」
「頭も悪りぃ、要領も良くねぇ、そんな俺でも腕っ節だけはあった。ガキの頃に寝物語に聞かされた冒険者の話に憧れて村から飛び出て冒険者になったんだがな、現実は物語のようにはいかねぇ、人を救うどころか金を稼ぐことと陥れるのにやっきになってる連中ばかりで嫌気が差してたんだ、一人でそんな連中とは一緒にやれねぇって突っ張って、意地張って、気付きゃこの歳になっても仲間って呼べる奴は居ない。いつも一人で酒を飲んでは考えてたよ…俺が夢に見ていたのはこんなものなのか? 俺じゃ物語の主役にはなれないのか? どうして俺じゃ駄目なんだ!? …ってな」
自分で語る口調が熱くなっていたのに気付いたかのように少し照れた笑いを見せ、ゾルムはトーンを落とした。
「そんなときにシュウイチに会った。始めは気まぐれだったんだがな…、あいつを見てると最近思うようになったんだ。俺が物語の主役にならなくてもいい。誰かが意志を受け継いで、進んでくれるなら、それはそれで満足出来るかもしれねぇ」
詰まらねぇこと聞かせちまったな、とゾルムは歩き出した。
その背中に呼びかける。
「なんで俺にそんな話を聞かせたんだ?」
「……なんとなく急に話したくなったんだよ。本人に話したら照れくせぇだろ? それに、お前にも期待してるんだよ俺は」
「俺はついでかよ」
「ま、気にするな。冒険者としちゃまだまだお前が上なんだ。気を抜かずにお前も精進しな」
ゾルムはそのまま笑いながら宿に戻っていく。
――その後ろ姿は何故かアレスの心に強く焼きついた。
村を出発し、ある場所を通りかかったところでそれは起こった。
突如道の前方に大勢の人間が現れ、武器を構えている。
馬車が失速していく。
「山賊!?」
「あれで全部じゃなかったのかよ!!」
――その数は前回よりも更に多い。二十人近くは居そうだ。
「ご丁寧に同じような地形でもう一回待ち伏せか、しつこいにも程があるぜ…っ」
軽口を叩くアレスの表情も青ざめている。
「幸い後ろは塞がれてねぇようだがここの道は狭すぎる、反転なんて出来ないぜ…。馬車を捨てて逃げようにもあの人数相手じゃ逃げ切れねえか」
サイの呟きに全員の顔に絶望的な色が浮かんだ。
「――おいアレス、幸いまだ馬車は攻撃されてねえんだ、俺が隙を作るからそのまま通り抜けろ。俺は商人の馬車に飛び乗る」
ゾルムさんがそう捲くし立てて馬車を飛び降りる。
「ゾルムさん、俺も!」
「お前達じゃ通り抜ける隙作る前に死んじまうだろうが。心配すんな、これぐらいなんでもねぇよ」
言い終わると同時にゾルムさんが雄叫びを上げながら敵に突っ込んでいく。道を塞ごうとする山賊を切りつけ、弾き飛ばし、強引に道を切り開いていく。
山賊の一人の斧が脇腹を掠め、ゾルムさんの顔が一瞬歪む。
「うぉおおおおおおお!」
だがその程度では怯まない。
尚も突進し、敵を薙ぎ払い、突き進む。そんなとき、横合いから素早く黒い影が躍りだしてきた。
見覚えのある長身痩躯の身体に、顔着けられた異様な仮面。山賊の頭領だ。
「邪魔だ、どけぇえええ!」
ゾルムさんの振るった剣をかわし、仮面の男が剣でトンッとこちらにまで音が聞こえてきそうなぐらい軽く、ゾルムさんの胸を突いた。
「―――ッ!?」
『ゾルムさん!!』
馬車の中の皆が身を乗り出す。
「来るんじゃねえ!!!!」
叫んだまま大きく剣を振る。仮面の男が大きく飛びのいた。
そのまま再び道を塞いでる山賊に切りかかり、――ついに前方の包囲が崩れた。
「今だアレスッッ!!!」
アレスが慌てて馬車を走り出させる。何人かの山賊が馬車を止めようと近づくがゾルムさんがそれを阻む。
俺達の馬車が通り抜け、アーヴィスの馬車が通り抜けようとしているが――ゾルムさんはその場に仁王立ちしたまま動かない。
「なんでだよっ!! アーヴィスの馬車に飛び乗る手はずだろ!??」
「――元々その気なんてなかったんだよ旦那は。誰かが足止めでもしない限り、まだ馬を使われたら追いつかれちまうからな…畜生がっ!」
アレスが鬼気迫る表情で馬車を操っている。
「ふざけんな! こんな…、こんなの認められるか!!!」
馬車から身を乗り出そうとる俺を皆が無理やり押し止める。
押さえつけられ、上げた視線の先。
アーヴィスの馬車越しにゾルムさんが山賊に囲まれ、斬りつけられるのが見える。
血まみれになりながらも雄叫びを上げ、剣を振り続ける姿。
「よくもこんな…、俺の目の前でこんなことをよくも……っっ!――殺してやる、あいつら絶対に殺してやる!!!!」
…頭の中が真っ白になり、気が狂いそうな怒りに身を焦がしながら、その光景が見えなくなるまで叫び続けた。
辺りにはゾルムが切り捨てた山賊達。
残る山賊もゾルムの気迫に押され、止めを刺しきれずにいる。
「……おら、どう…した? たった…一人も殺れ……ねぇで山賊気取ってん……のか」
体が思うように動かず、震えが止まらない…血を流しすぎたようだ。
辺りが急激に暗くなってくる。
視界の端に仮面の男が近づいてくるのが映った。
その瞬間、様々な光景が脳裏に浮かぶ。
冒険者を夢見て、こっそり村を抜け出したときのこと。
カナンで出会った様々な冒険者。
そして自分が逃がした仲間達。
最後に浮かんだのは行きつけの酒場の女主人の顔だった。
「…ルイーダ、俺は…意志を残すことが、出来たかな……」
――肉を絶つ鈍い音が響いた。