雨の日の雰囲気は好きだ。
いつも見慣れて退屈な風景も、雨の日になると少し違った顔を見せる。……だから好きなのだ。
俺がそう言うと先輩はくすりと笑い、
「君は詩人だな」
と、からかわれたのを思い出す。何年も昔、俺がまだ学生だった頃の思い出だ。
雨を眺めていると、なんとなくそのことを思い出した。あの人は今、何をしているだろうか。
アレスの話しによると、間もなくマリアンの村に着くらしい。
昨日は雨のせいで外で野宿、という訳にもいかず、全員が馬車の中で窮屈な姿勢で寝る羽目になった。マリアンの村で一泊する予定なので、今日はまともな布団で眠れるのかもしれない。
ルイの方に視線を送る。
ルイは昨日からずっと馬車の後方の隅におり、昨日から口を利いていない。一晩経ったら機嫌を直してくれてるのではないかと期待したのだが、今朝からずっと黙りこんだままだ。……思ったよりも根が深いのかもしれない。
なんにせよ、マリアンに着いたらルイを連れ出してどこかで話をしよう。
ルイに嫌われたままでいたくはないし、こんな雰囲気に皆をつき合わせるのは申し訳ない。
それに考えてみれば、ゾルムさんやマリィさんにも自分がガーブル出身ではないことを話しておかないといけない。ガーブルに着いてしまったら俺があの街の出身でない事はいずれ露見するだろうし、それまで黙っておくのも誠意がなさすぎる。
マリアンの村はサクソンの村より若干大きい村といった程度で、一目で村の全貌を見渡す事が出来る。雨で村人が外に出てきてないせいだろうが、さほど活気があるように見えなかった。
「ほい、ご到着だ」
ゾルムさんが村の中で一番大きな建物前で馬車を止めた。
「ここが宿ですか?」
看板らしき物も見当たらないので思わず聞いてしまう。
「あぁ? 見りゃ判んだろ」
当然、といったゾルムさんの口調にますます訳が分からなくなった。
見れば判るというが、俺からするとさっぱりだ。
不意に服を引っ張られる感触に気付き、左隣のエルの方を向く。
エルは俺の耳に顔を寄せてきて、
「……後で教える」
と、囁くように言った。
「俺は厩舎に馬車を入れてくるから、お前らで先に受付済ませといてくれ。俺の分の部屋も取るのを忘れねぇでくれよ」
特に俺達の様子に気にしたそぶりをみせず、ゾルムさんは皆に馬車から降りるように促した。
自分の荷物を持って馬車を降り、皆に続いて宿の中に入った。
「部屋はあるか?」
「はいはい、ございますとも。……七名様ですかな?」
アレスの問いかけに宿屋の主人は笑顔を崩さずに人数の確認を取ってくる。
「いや、八人だ。厩舎に一人馬車を入れに行ってる」
「そうですか、ではこちらに代表の方のサインを──」
二人のやり取りを見ながらトーマス君に話しかける。
「この村の規模にしちゃ結構でかい宿屋だけど、そんなにここに客が来るのかな?」
「ここはガーブルとカナンを結ぶ行路にある村の一つですからね、旅人は必ずここに立ち寄りますし、客に困ることはないと思いますよ」
「あー、そういうことか」
高速道路の途中にあるパーキングエリアの店の様なものか。確かに利用者に困ることはなさそうだ。
宿帳の記入が終わったらしく、アレスが皆に鍵を渡してきた。俺も鍵を受け取る。これが俺の泊まる部屋の鍵なのだろう。
──鍵に紐で括り付けられてる小さな木の板。そこに部屋の番号が書かれていた。
「明日の早朝に出発するぞ、それまでは好きに過ごしてくれ」
アレスの呼びかけを聞いた後、各々自分の部屋に入っていく。俺もとりあえず自分の部屋に荷物を置くことにした。
荷物を置き終わり、ベットに腰を掛ける。
……さて、まず何からするべきか。
エルに宿屋の見分け方を聞きに行くか、ルイと話しに行くか、ゾルムさんとマリィさんにガーブル出身ではないことを打ち明けに行くか。
そんなことを考えていると、部屋のドアをノックする音が聞こえた。
「開いてるよ」
俺の言葉が聞こえたのだろう。ドアがゆっくり開けられ、エルが顔を出した。早速先程のことを教えてくれに来たようだ。
エルが部屋に入り、後ろ手に鍵をかけてからこちらに歩いてくる。そのまま隣に来て、俺と同じようにベットに腰をかけた。
……この子の距離感は少し無防備すぎるな。今に始まったことじゃないんだけど……。
もしエルが他の男性の部屋に行く機会があった際、同じような行動をして襲われてしまわないか、と心配してしまう。追々その辺りの男の心境について教えておくべきかもしれない。
「鍵をかけたってことは、聞かれるとまずい話なのか?」
エルがこくりと頷いた。
「先程の貴方の発言は非常に危ういものだった。この世界では宿屋の軒先にベルを吊るしてあるのが常識」
つまり、この宿の軒先にもベルが吊るしてあったのだ。
確かにそんなものがあった様な気がする。目には入っていた筈だが、まったく気にしていなかった。
「ってことは、俺のさっきの発言って……」
「貴方が一般的な常識すら知らない環境で育ったと公言しているようなもの。その上貴方は、普通の人が知らない魔物の知識を皆に聞かせてしまっている。……これでは貴方が得体の知れない存在に見えてしまう」
迂闊だった。
皆の視点からすると、俺は訳の分からない存在だろう。
唯一理解出来るのは、エルとルイだけだ。
「じゃあ、ゾルムさんとマリィさんは俺がガーブル出身じゃないって気付いちまったかな?」
王都で貴族として育った人間が一般教養を知らない、では流石におかしいだろう。貴族の馬鹿息子だからそんなことも知らなかった、という言い訳も一瞬考えたが、ガーブルからカナンまで家出してきたことになっているのだ。流石にそこまで旅をしておいて知らない筈はないだろう。
「それは昨日の時点で気付いていると思う」
「へ?」
思わず間抜けな声が出てしまった。
「カナンから出発するとき、貴方は『ガーブルはどこにあるのか?』と聞いてしまった」
「……あっ!」
ガーブルから家出してきた人間が、「ガーブルってどこにあるのかなー」はないだろう。
間抜けにも程がある。
あのときアレスが当たりの様に返事をしてきたから、自分の発言のまずさにも気付きもしなかった。
アレスは俺がガーブル出身ではないことは知っているのだ。アレスも特に気にせず答えたに違いない。
「やっちまった……っ」
頭を抱える。
俺はどこまで抜けてるんだろう。自分がここまで馬鹿だとは思わなかった……。
「何か疑問を感じることがあったとしても、まず発言する前にその発言が問題ないかをよく考えて。私が近くにいたら、まず私に質問して欲しい」
エルが俺の目を見ながら、ゆっくりと言い聞かせてくる。これではどちらが年上なのか分からない。
「分かったよ。ごめんな、色々気を使わせちゃって……」
「構わない、私もその分の見返りを要求するから」
……あれっ?
少し予想外の返事が返ってきた。エルはそういう発言するタイプにあまり見えないのだが。
「見返りって?」
「貴方の世界の話、貴方の持つ知識」
「あぁ、そういうことか」
自分の好奇心を満たしてもらう代わりに、ということか……律儀な子だ。
「今なら邪魔が入らないから……」
エルが期待に目を輝かせているのが分かる。
早速聞かせろということらしい。
「ちょっと待った、先にルイがなんであんなに不機嫌になったか話してこないといけないし、ゾルムさんとマリィさんにも俺がガーブルの人間じゃないって改めて打ち明けてくるよ」
まだ夕方にもなっていない、時間はいくらでもあるだろう。
エルは少し間を置いてから頷いてくれた。そのまま立ち上がり、ドアの方に歩いていく。
「……また後で」
こちらをちらりと見た後、エルは部屋を出て行った。
ドアが閉まった音を聞き、少し溜息をつく。
ルイとゾルムさんとマリィさん。
誰から話しに行くにしても、重い話になるだろう。……少し気が重い。
とりあえず部屋の外に出よう。
考えてみれば、誰がどの部屋に泊まったのか詳しく覚えていない。
──並ぶドアの前で一人立ち尽くす。
こんなことならエルに聞いておけば良かった。
途方に暮れていると一つのドアが開き、そこからサイが顔を出した。
「お、シュウイチ。そんなとこで何してんだ?」
廊下の真ん中で突っ立っている俺を不思議に思ったようだ。
「いや、誰がどの部屋に居るか分からなくてさ……サイは覚えてるか?」
「マリィちゃんの部屋だけなら覚えてるぜ。これから部屋に行くつもりだからな!」
サイの顔がだらしなく緩む。
「……へー、マリィさんの部屋はどこなんだ?」
サイが廊下の奥に視線を送った。
「一番奥の右手の部屋だよ。……いいか、これから俺達はちょいと大人の時間を過ごすから、邪魔すんじゃねぇぞ!」
この男、どうしてくれよう。
なんとか追い払わねば……!
「あ、そうだサイ。さっき村の女の人がお前と話がしたいって探してたぞ」
「ど、どんな女だ? 美人かっ!?」
信じるのかよ。
思わず心の中でツッコミを入れてしまった。
「すっごい美人だったよ。さっき外に居たから、探せば会えるんじゃないか?」
「外だな!? くぅ〜、待っててくれよ、俺の女神様!」
サイがものすごい勢いで外に出て行く。
──さぁ、サイが嘘に気付く前にマリィさんの部屋に行こう。
「あ、シュウイチくん。どうしたの?」
ドアをノックをしてから少し間を置いて、マリィさんが顔を出した。
「少し話したいことがありまして……」
俺の様子を見て何かを察したのか、マリィさんは頷いてみせた。
「じゃあ部屋の中で話そっか」
ドアを大きく開き、俺に部屋の中に入るように促す。
マリィさんの部屋も俺の部屋と同じ造りをしており、椅子が見当たらない。
マリィさんもそのことに気付いたようで、少し困ったような顔をしていた。
「そっか、椅子がなかったんだよね……シュウイチくんもベットに──」
「あ、いや、自分床に座りますんでお気遣いなく!」
彼女の言おうとしていることを察して、咄嗟にマリィさんの言葉を遮り、どかっと床に腰を下ろす。
「そっか、じゃあ私もっ」
マリィさんも俺と向かい合う様に床にぺたんと腰を下ろし、微笑んだ。
なんだか少し、気恥ずかしい。
「それで話って何かな?」
「えっと、実はですね…」
続きを言うのを躊躇う。
この笑顔が曇るのを見たくない。
マリィさんは俺が話し出すのを黙って待っている。
「俺、ガーブル出身の貴族なんて出鱈目で、ほんとはガーブルなんて行ったこともないんです」
言葉を切り、マリィさんの表情を伺う。
マリィさんは少し困ったように笑った。
「うん、そうだよね……やっと話してくれたんだ」
やはり気付いていた。
「──今のパーティで、私以外に知らなかった人はいるの?」
「後はゾルムさんだけです。この後ゾルムさんにも話しに行くつもりですが……」
「そっか……」
マリィさんが俯く。
……やはり悲しませてしまった。
「教えるのが遅くなってすいませんでした……!」
勢いよく頭を下げる。
──雨音が耳につく。
雨はまだ止みそうにない。
「敬語……」
マリィさんがポツリと呟いた。
「え?」
頭を上げ、思わず聞き返す。
「私に敬語を使わなくなったら許してあげる」
マリィさんはそう言って悪戯っぽく微笑んでいた。
「許してくれるんですか?」
「敬語! 今使っちゃ駄目って言ったでしょ!」
マリィさんが少し怒った顔をしている。
「はい……いや、うん。分かったよマリィさん」
「さん付けもダメ!」
「分かったよ──マリィ」
「うん、よろしい!」
少し威張った口調で胸を張ってマリィさん──マリィが笑ってみせた。
おかしくなって俺も釣られて笑ってしまう。
少しの間、二人の笑い声だけが室内に響いた。
「──ほんとはね、シュウイチくんが言ってきてくれたら、すぐに許してあげようと思ってたの」
二人が笑い止んだ後、マリィが呟くように口を開いた。
「でも、私を泣かせないように必死に気を使ってる姿を見ちゃうと、なんだか意地悪したくなっちゃって……ごめんね」
「いや、いいさ。もっと怒られるのを覚悟してきてたから」
「なら、もうちょっと怒っても良かったかな?」
マリィが首を傾げて笑う。
「それは……」
俺が言葉に詰まったとき、背後からドアをノックする音が聞こえた。
「はーい!」
マリィが返事をし立ち上がろうとしたが、来訪者はマリィがドアを開けるのを待たず、そのままドアノブを回しドアを開けてきた。
「いやー、マリィちゃん俺とちょっと……って、シュウイチ! てめぇどこにも居ねぇと思ったら抜け駆けしてやがったな! 俺を探してる美人なんてどこにもいねーじゃねぇかよ!!」
そういえばこの男の存在を忘れていた。
「ごめんマリィ、邪魔が入ったし、ゾルムさんにも話してくるよ」
「うん、そうだね。また今度話そ!」
「お、おい。なんで呼び捨てでマリィちゃんの名前呼んでるんだよ! ありえねーーーー!!」
入り口に立ってゴチャゴチャと叫んでるサイを部屋の外へ押し戻し、軽く手を振ってから部屋を出た。
──さて、ゾルムさんの部屋に行く前にこの男をどうしよう。