例えば、深夜の自室に毎日女の子が来るとしよう。
とても可愛い女の子だ。
その子が無防備に自室で何度も寝顔をさらし、寝てるを見て正常な男としてどう思うか。
俺の場合は…。
一人悶々としていた。
エルが寝ているのを見るのはこれで何回目だろうか。俺はこの子に男をして意識されていない気がする。そうでなければ、こうも無防備に寝顔をさらさないだろう。
普段は無表情なエルだが、寝ている姿を見ると、とても微笑ましい。衝動的に抱きしめたくなるのだ。
…これも性欲に入るのだろうか。
抱きしめてからそこから先に…、という感情はあまりない。どちらかと言うと、寝ている猫を見たときの感覚に似ている。
──頭を冷やそう。
エルは俺がそういうことをする人間ではないと、信じてくれてるのだ。
外に出てしばらくすれば、その内この衝動も収まるだろう。宿屋の主人に軽く散歩してくると告げ、外に出る。
建物の外に並べて置いてある木箱を軽く押してみて、強度を確認してから座る。
そのまま月を見上げてぼーっとした。
綺麗な満月だ。
見ていると吸い込まれそうな気がしてくる。こういう風に月を眺めたのはいつ以来だろうか。
この世界に来る前はゆっくり月を眺めるなんてこと、した覚えさえない。
友人と遊ぶ、テレビを見る、ゲームをする、パソコンをする、そして仕事。その頃を思い返し、今の自分の現状とのあまりの差に思わず苦笑が漏れる。俺の家族や友人、職場の同僚達は、今の俺が化け物と戦って生計を立てていると知ったら、どんな顔をするだろうか。
一人になったときに、自分がこの世界で異質な存在だということを思い出す。
家族にも会えない。
なんとなく一人寂しくなったときに、遊びに誘える友人も居ない。考えると気が滅入ってくる。
…どうしたんだろう。
どうも考えが暗い方向へいってしまう。これでは何のために気分転換に出てきたのか分からない。
扉の開く音に視線を送ると、エルが本を抱えてこちらに歩いてきた。
そのまま横の木箱に腰をかける。
話す言葉も思いつかず、再び月を見上げる。横でエルも同じように見上げる気配がした。
「…なぁ、なんでエルは冒険者になったんだ?」
この子がこの若さで危険な職業に着いている理由が分からない。家族は何も言わないのだろうか?
静かな空気が流れる。
「──私は、旅に出たい」
エルが、小さいがハッキリとした声でそう答えた。
「旅に?」
エルに視線を送る。
エルもこちらを見つめており、こくりと頷いた。
「…この世界は広い。本で見た風景や空気、それをいつか、この身で感じたい。」
「それで…、冒険者か?」
再びエルが頷いた。
「今の私では旅に出たところで、魔物に殺されてしまう。旅の資金と、旅に必要な知識、力を身につける為に冒険者になった」
「そっか…」
旅。
華奢なこの子にしては似つかわしく言葉だと一瞬思ったが、この子の好奇心の強さを考えると、そう考えてもおかしくないか…と、思い直す。
「いつか、その夢が叶うといいな」
再び月を見上げる。
俺の夢はなんだったんだろう。昔は何を願って生きていたんだろうか。何も思い出せない。
「貴方は…、どこから来たの?」
エルの言葉に少し返事を躊躇う。
「──サクソン村で村長に聞いた。あなたはふらりとおじいさんに連れられて現れ、そして村で生活するようになったと」
サクソン村に着いた日に、村長の家で食事か何かのときに聞いた様だ。恐らくはアレスやトーマス君、サイも聞いているのかもしれない。
「魔物の本のことも多分嘘。あなたの顔を見ていれば分かる。…あなたは何者なの?」
騙し通せていると思っていたのだが、少し認識が甘かったようだ。
…下手な嘘をついてもバレるだろう。
それに、これ以上嘘を塗り固めたくもない。
「…遠い遠い国から来たんだ」
「どのくらい?」
「遠くさ、地図にも載ってないくらい遠く遠く、ずっと遠く。魔物の本っていうのは嘘だ。でも、本当のことは言えない…ごめんな」
エルがこちらを見つめている。
せめてこちらの誠意が伝わるようにと、見つめ返す。
「あなたは、不思議な人だと思う。妙に常識を知らないかと思ったら、普通の人ではありえないことをやってのける。…本当に、不思議な人だと思う」
そう言ってエルが立ち上がった。
そのままこちらに背を向け、歩き去っていく。
「──いつか、あなたの国のことを聞かせて欲しい」
そんな呟き風に乗ってが聞こえた気がした。
「君達はゲームの世界の住人で、俺はそれで遊んだことがあるんだ…か。言える訳がないだろ…」
吸い込まれそうな月明かりの中、いつまでも月を眺めていた。
眩しい太陽の日差しを感じながら歩く。
今日は予定を入れていない。とりあえず宿を出てぶらぶらと歩いている。
火炎斬りの練習はしたし(結局前回と同じ結果になったが)、明日のパーティに必要そうなものは、すでに揃えてある。
…また図書館にでも行こうか。
だが図書館にはエルが居るかもしれない。昨日の今日で少しエルに顔を合わせずらい気がする。こんなときに自分の交友関係の少なさを実感する。
まぁ、やることないしな…。
──結局図書館に行くことにした。
木や埃の匂いが混じる中、辺りを見渡すがエルは居ないようだ。
…今日は何読むかな。
勇者シリーズの本棚に近づく。勇者○○といった感じの本は意外と多い。
以前読んだ『勇者アーネスト伝記』も、勇者が魔王を倒す、といった内容ではなく、武術に優れた男が、魔物に襲われていた村人を救った等の、偉業を成し遂げていく様が書かれている。
いわゆる、英雄というやつだ。
この世界では戦いで高く功績を上げたものが、勇者と呼ばれている様だ。
俺の、 勇者=世界を救う といった認識は少しずれているのかもしれない。とりあえず以前読んでた続きから読んでいくことにする。もしかしたら、俺の知っているドラクエの主人公のことが書いてあるかもしれない。
今日はここまでにしよう。
本を閉じ、軽く伸びをする。もう辺りは薄暗い。
──結局俺の記憶にある勇者の話は見当たらなかった。
ロト、という単語も見当たらない。
この世界はゲームのドラクエ以前なのか、それとも逆に遥か未来の世界なのか。まったく関係の無い世界なのかも知れない。いずれにせよ、今起こっている魔物の動きに関して手がかりになる何かが欲しい。
またここにくる必要があるのかも知れない。そう思いながら図書館を後にした。
ベッドに横になり、目を閉じる。
明日のことを考えると緊張している自分に気づく。
東門は以前殺されかかった場所だ。明日の戦いで自分がどれだけ成長したのか、ある程度分かるかもしれない。
それに…明日はルイとマリィさんを固定パーティに誘うつもりだ。どちらかというと、こちらの方が緊張してくる。断られたらどうしよう、という不安が付き纏う。
…これ以上考えるのは止めよう。考え込む込むのは悪い癖だ。
男は度胸、どーんとぶつかりゃいいのさ…。
そう自分に言い聞かせて眠りについた。