俺は目覚めは悪い方だ。
寝起きは大抵しばらくの間ぼーっとしないと動く気がおきないし、脳も働かない。特に安心して眠れる自室などでは、気が抜けているせいか尚更目覚めが悪い。
だから目が覚めて、真正面からエルに見つめられてることに気付いても動じなかった。動じなかったと言うよりは、単に脳が状況を把握してなかっただけだろうが…。
そのまま無言でエルを見ながらぼーっとする。エルも何も言わず無表情にこちらを見つめている。熱く見詰め合ってるわけでもなく、至近距離でただ無表情に見詰め合ってる男女。傍から見ると異様な光景に見えるに違いない。
…何分程経っただろうか、
ようやく自分の置かれている状況を脳が認識した。
「あぁ、おはようエル」
とりあえず挨拶しておく。エルが僅かに頷いた。
「なにも半日以上待たなくても、日を改めて来ればいいだろう」
苦笑しながら言う。
「どうしても見せて欲しかった」
この子の好奇心はとても強い。冒険者、というよりは学者などをした方が向いていそうだ。…この世界に学者という職業が成り立っているのかは分からないが。
とりあえずこれだけの執念を見せているエルには申し訳ないのだが、今日は火炎斬りを発動して見せる訳にもいかない。これから魔物退治に行く予定なのだ。
…ん、魔物退治?
あることに気付く。窓から覗く外の強い日差しは朝…といった感じには見えない。
「なぁエル、今もしかして、昼過ぎてる…?」
エルが頷く。
その瞬間、まだ少し寝ぼけていた脳がハッキリと目覚めた。
…やばい!
軽く二度寝するつもりが思いっきり寝てしまった。
急いで立ち上がり支度を整える。
「あれ?鎧は?鎧はどこいった??」
鎧が見当たらず、おろおろする。エルはそんな俺の様子をきょとんと見ていた。
「あぁそっか、修理に出してたんだ!」
ということは先に武具屋に行かなければいけない。
ルイの怒っている姿が頭に浮かぶ。もはや一刻の猶予もない。
「悪いエル、今日はちょっと魔物退治の約束があって見せてやれないんだ!又今度埋め合わせするからさ!!」
そう一方的に捲くし立てるとエルの返事を待たずに部屋から飛び出した。
宿から飛び出し、武具屋に向かって走る。
「よぅ、シュウイチ」
ゾルムさんの声が聞こえた気がするが、聞こえなかったことにする。
今はそんな余裕はない。
武具屋の中に駆け込み、カウンターにもたれかかり眠そうにしているオヤジに慌てて声をかける。
「昨日の鎧を受け取りにきました!」
オヤジは俺の様子を気にした風もなく、のんびりとした口調で、
「あいよ、ちょっと待っててくんな」
といい、裏方の方へ入っていった。
早くして欲しい。意味も無く足踏みをする。
オヤジが青銅の鎧を持って出てきた。
「見ての通りバッチリ元通りだ。大した…」
「すいません。ちょっと今急いでるんで!」
そう言ってオヤジの言葉を遮り、巾着袋から80Gをカウンターに叩きつけるように置く。
オヤジ一瞬ムっとした顔をしたが、黙って鎧を差し出してきた。
それを受け取り店の外へ走り出す。
「毎度ありー」
背後からオヤジのやる気の無い声が聞こえた。
店から出ると正面から歩いて来ていた人にぶつかりそうになった。
「すいません!」
そういって横をすり抜けようとすると、
「シュウイチ君…?」
聞き覚えのある声が聞こえ、思わず立ち止まった。
「マリィさん?」
振り向くと見覚えのある女性が立っていた。
黒髪のセミショート、凛とした顔立ちをしており、女性にしてはやや背が高く、服の上からでもプロポーションの良さが伺える。
「久しぶりだね…、元気だった?」
少し顔を曇らせながらマリィさんが言う。
今はのんびりと話をしている暇はない。急がなければ…!だがマリィさんの表情がそのまま走り去るのを躊躇わせる。
ここで 「今急いでますので。」 と言って走り去ってしまうと、自分がどうしようもなく非情な人間に思えてくる。
先程ゾルムさんをスルーしたことは考えない。
「会えて良かった…。一度キミ達に謝りたかったんだ」
そういってマリィさんはにかんだ笑顔を見せる。
割と深刻な話の様だ。ますます立ち去れる空気では無くなった。
「私さ…」
そう言って話し出そうとするマリィさんの手を掴む。
「すいません、お話は後で伺うので着いて来て下さい」
「ちょ、ちょっとシュウイチ君?」
そのまま彼女の手を引っ張って南門の方へ走り出した。
結局何を言っても無駄だと悟ったのか、マリィさんは俺に引かれるままに着いて来る。
南門の下でルイが立っているのが見えた。俯いていて表情は見えない。
…良かった、まだ待っていてくれた。
嬉しさが沸くのと同時に、ここまで待たせてしまったことへ罪悪感が沸いてくる。駆け寄ってくる俺に気付いたのかルイが顔を上げた。最初は安堵した様な表情をしていたのが、段々ルイの表情が険しくなっていく。
「悪い、遅れた!」
そう言ってルイの前に立ち止まる。
「シュウイチ君、ちょっと恥ずかしいんだけど…」
「あ、すいません」
マリィさんの声で手をつないだままだったのを思い出し、慌てて手を離した。
「シュウイチさん」
ルイの声に、再びルイの方へ向き直る。時たま見せる、鋭い考えをする時の様な真剣な表情をしている。
「…ほんとに悪いと思ってます?」
「あぁ、すまなかった。ついつい寝坊しちゃってさ」
長い間待たせたのだ、怒られても当然だろう。
「…どうして寝坊した人間が、女性同伴で手をつないでやってくるんですか」
ルイの言葉は感情の起伏が感じられず、それが逆に妙な迫力を感じさせる。
「こっちはもしかして、シュウイチさんの身に何かあったんじゃないか?とか、嫌われる様なことしちゃったかな?、とか一人で悩んでたのに…。貴方は女性を引き連れて、『いやー、夕べは頑張り過ぎて寝坊しちゃったよ。』ですか」
そこまでは言っていない。
「あの、さっき私が急いでるシュウイチ君呼び止めちゃったから…。ごめんね、邪魔をして…」
マリィさんが申し訳なさそうに後ろから声をかけてきた。
ルイはそれを見て少し口を尖らせ、
「別にいいんですけど…、シュウイチさんはもう少しデリカシーを持って欲しいです」
とそっぽを向いた。
なんとかルイをなだめ、改めてマリィさんの話を聞くことにする。
「すいません、待たせちゃって…。さっきの話の続き聞かせてください」
マリィさんは律儀に俺達の話が終わるまで待ってくれていた。
「なんか、毒気抜かれちゃったな。すっごく悩んでた私が馬鹿みたい」
マリィさんは少し呆れたような顔で微笑んだ。
「…私さ、あれからずっと落ち込んでたんだ。誰も助けられない癖に、皆辛かった筈なのに、一人だけ我侭言って、皆を責めて…」
彼女の顔が歪む。
「もう冒険者なんて辞めてしまおうかなーって思った。私には向いてないんだ、忘れよう。他にも選べる道はいくらでもある…って」
そこで彼女が一息つく。
「でもさ、どうしても頭から離れないんだ。あのときの村の光景と…キミの悔しそうな叫び声が。このままでいいのかな…って。このまま何もかも忘れたことにしていいのかなって」
…彼女も一人で悩んでいたのだ。目を逸らすことも出来ず、一人で抱え込んで。
「だからさ、強くなることにしたんだ。自分が納得できるまで。…もう何も出来ずに後悔しなくて済むように」
そう言って彼女は少し照れた様に微笑んだ。
「だから、もうしばらく冒険者として頑張るつもり。…これからもよろしくね!」
そう言って曇りの無い笑顔を見せ、手を差し出してくる。
彼女には明るい笑顔の方がとてもよく似合う。
「こちらこそ」
そう言って少し頬が赤くなるのを感じながら手を差し出したのだが、俺よりも先に横から伸びてきた手がマリィさんの手をしっかりと握った。
「…ルイ?」
ルイは両手でマリィさんの手を握り、少し困惑した様子の彼女を見上げている。
「私、すっっごく感動しました!マリィお姉さんって呼んでもいいですか?」
どことなく目がキラキラと輝いている気がする。どうやら彼女をいたく気に入ったようだ。
「え、えぇ…」
マリィさんは若干引いている。
「もし良かったら、これから魔物退治行くんですけどご一緒しません?お姉さんが一緒に居てくれると心強いです」
ルイの誘いに少し考えた様子を見せたが、
「うん、一緒にいこうかなっ」
マリィさんは快く了承してくれた。
「それじゃ早速行きますか」
そう言って二人を南門の外へ促す。
早くここから離れたい。
二人は気付いてない様だが、何人かが立ち止まってギャラリーが出来てしまっている。門の衛兵も苦笑いしている。
門から出るときに、背後からおばあさんの 「青春だねぇ…」 という言葉が聞こえた瞬間、顔から火が出そうな位恥ずかしくなった。