…寒い。
なんだこの寒さは。
余りの寒さに震えつつ目を覚ますと見慣れたテーブルが目に入った。
…あぁ、そういえばサクソンに帰ってきてたんだっけ。
昨日は、そう寒くないし大丈夫だろうと、毛布も何もなしで寝たのだが、早朝の冷え込みを甘く見すぎていたようだ。
寒さに震えつつ暖炉にメラで火をつける。
メラによる疲労を感じつつ、あることに思い立つ。
そういえば、俺以外の人って魔法唱えるときに魔法名を唱えてるよな…。
何か理由があるのだろうか。初めてメラを覚えた頃は魔法名を唱えていたのだが、魔法名を唱えずとも出ることが判って以来、一度も名前を唱えたことはない。後でルイかエル辺りに聞いてみよう。
昨日エルが読んでいた本を手に取る。
『ラーの鏡にまつわる伝承』
ラーの鏡、ドラクエの世界ではお馴染みのイベントアイテムだ。
真実を映し出すと言われており、ゲームの中では人間に化けている魔物の正体を見破るのに使われていた。もしこの鏡を使うことが出来てたなら、ボッコの正体も見破ることが出来たのだろう。
本を読む限り、ラーの鏡については様々な逸話がある様だ。
どれも共通点があり、それは魔物が人に成り代わっていた、というものだ。
見たところ似た様なものはあるが、ドラクエシリーズのどれかに該当するものはなさそうだ。
本の最後に著者の言葉で、
「ラーの鏡の行方については誰も分からない。人から人へ渡り、今も存在しているのかも定かではないのだ。一番新しく目撃されたとされているのが二百年以上も前の話になる。もしかしたら、最後に目撃されたルネージュ城に今も眠っているのかもしれない」
と、締めくくっている。
一番最後に使われたのが二百年以上前…。
アレスは魔物が人語を解し、人に化けることを御伽噺の様だと言っていた。恐らくは二百年近くその様な魔物は姿を見せていないことになる。
一度歴史の舞台から消えた高度な知能を持つ魔物達が、何故今になって現れるようになったのか。あのレッサーデーモンの言っていた『上司』という存在。余り良い想像は浮かんでこない。
家のドアをノックする音がする。
こんな朝早くから誰だろう?
「はいはい?」
ドアを開けるとトーマス君が立っていた。
「おはようございます、シュウイチさん」
「おはよ、こんなに早くからどうしたの?…まさかもう出発だったり?」
いかん、なんの準備もしていない。
「いえ、そうではなくてですね、昨日からサイとエルが帰ってこなかったんですよ。二人ともシュウイチさんのところに行くと言っていたので、こちらにお邪魔してるのではないかな、と思いまして」
心配して様子を見に来たらしい。
エルは確かに居るのだがサイは…。
どうやらあのままミランダさんの家に泊まったらしい。大人の関係というやつだ。これでミランダさん一筋になり、サイの女癖が改善されるといいのだが…。
「あぁ、エルは俺の部屋で寝てるよ。サイは…ほら、俺が紹介するって言ってた女の人のところにさ…。」
それで俺の言いたいことを察してくれた様だ。トーマス君は苦笑いしながら、
「それならいいんです、出発は昼前の予定ですので、昼前になったら村の入り口に集合してください」
そう言って戻っていった。
とりあえず朝食をどうするかな…。
この家には食料を一切置いてないし。たびたび頼って申し訳ないけど、ローズおばさんに相談してみよう。
そう思いながら椅子に座ってボーっとする。
…しばらく経ってローズおばさんの家に行った。
ローズおばさんは快く朝食の用意を引き受けてくれた。
申し訳ないのであるだけの薬草を置いていくことにする。この村の基本は物々交換だ。
「すいません、後、今日はもう一人女の子が増えると思います」
「構わないよ、それにあれだけ薬草もらえりゃ十分さ。あんたが居なくなってから、薬草を取ってくる人も居なくなったしねぇ」
もう一度おばさんに頭をさげ、じいさんの家に戻る。
家に戻るとルイが起きていた。
「おはようございます、シュウイチさん」
「おはよ、今日の昼前に村を出るってさ。悪いんだけど、俺の部屋行ってエル起こしてきてくれないか?ローズおばさんが朝食用意してくれてるからさ」
そう言ってルイの方を見るが何故かルイが固まって動かない。
「どした?」
「どうしたって…シュウイチさん、あんた旅先で一体何やってんですか!?」
「何って、何が??」
「いや、何って…そんなこと言わせないでくださいっ!」
ルイの頬が真っ赤に染まっている。
自分の姿を見下ろし、何かおかしな所がないか探す。
……あぁ。
自分の格好ではなく発言に問題があったことに気付く。
「何か勘違いしてるっぽいけど、俺は昨日ここで寝たぞ」
「え?」
「エルが昨日あのままここで寝ちまってさ。風引くと悪いかなーって、俺の部屋に寝かせたんだけど…」
こいつは俺をどういう目で見てるのだろう。
とりあえずルイを半眼で睨む。
「…あ、そうですよね。シュウイチさんがそんなことする筈ないですよね!あはは……、エルさん起こしてきまーーす」
こちらが文句を言う前に、ルイは笑って誤魔化しながら逃げて行った。
昨日は一緒に寝ません?とか人をからかったくせに、意外とそういうことには弱いらしい。そういえばトーマス君にも勘違いされたかもしれない。後で訂正しておこう。
馬車がサクソン村から離れていく。
村の入り口で見送ってくれた人達に手を振る。
「サイさーん、またいらっしゃってーー」
あれはミランダさんだ。
「サイ、手を振り返してあげなくていいのか?」
サイはずっと俯いたまま動こうとしない。
「なぁ、サイってば」
「うるせぇ、俺に触るな!お前のせいで俺は、俺はなぁ…っ」
俯いて肩を震わせている。ひょっとして泣いているのだろうか。
「そう落ち込むなって、また会えるさ」
肩に手をポンと置く。だが、サイは乱暴に手を振り払った。
…機嫌悪いのかな、そっとしておこう。
少しするとロンゲ…もといアレスが俺に話しかけてきた。
「夕方までにはお前の言ってた洞窟に着く。雇い主も寄ることに了承してくれたしな」
「…そっか」
再びあの光景をみるのは勘弁願いたいとこだが、そうもいかないだろう。
馬車の中は退屈なのでルイやトーマス君と一緒に色々と話す。
「そういえばトーマス君達って、いつからこんな感じで固定のパーティ組んでるの?」
「もう組んでから一年くらいになりますか…、元々アレスと僕は小さい頃からの幼馴染で、冒険者になるのも一緒だったんです」
「へぇー」
こいつと幼い頃から一緒だったのか。我関せず、といった感じでそっぽを向いてるアレスの方を見る。
…小さい頃から大変だったんだろうな。
「それからある日、サイに固定でパーティを組まないかと持ちかけられて、それから数日後にサイがエルを勧誘してきましたね」
「ほうほう」
サイの方に視線を送るが、相変わらず俯いたままだ。エルはじいさんの家で読みきれなかった本を何冊か持ってきて読んでいる。勝手に持ち出して良いものかと少し悩んだが、必要としてる人に使ってもらった方がじいさんも喜ぶだろう。
「固定パーティかぁ」
確かにある程度パーティを固定した方が色々有利な面が多い。以前のトムみたいなやつと組む羽目になることもあるし、戦いのときの連携も見知ったメンバーならやりやすいだろう。
カナンに戻ったら少し考えてみよう。
「シュウイチさんシュウイチさん」
「ん?」
ルイに視線をやる。
「そういえば、以前あの洞窟で化け物に止め刺す時に、なんかすごいの出してませんでした?」
火炎斬りのことか。
「あぁ、アレのことか。あれは剣にメラの熱を通しただけだよ」
「それって、だけってレベルじゃない気がするんですけど…」
ルイが呆れたような視線をこちらに送っている。
「そんなにすごいことなんですか?」
トーマス君がルイに質問した。トーマス君にも分からないらしい。彼は僧侶であって、魔法使いの魔法は専門外なだけかも知れないが。
「普通、攻撃魔法は唱えた瞬間相手に飛んでいきますからね。熱だけ剣に伝えるなんて真似、聞いたこともないですよ…」
「──そういえば、シュウイチさんは以前メラを唱えてたときに詠唱もしてなかったですね」
トーマス君が思い出す様に言ってくる。
「あ、そういえばあの洞窟のときも詠唱なんてしてなかったですよね」
これはルイだ。
「普通詠唱しないと魔法って出来ないものなのか?」
「そんなわけじゃないですけど、魔法の名前にはその言葉自体に力がありますからね。発動しやすくする為に名前を唱えるのが一般的です」
ルイの説明を聞いて納得する。
なるほど、今まで俺はやりにくい方法でメラを出していたらしい。…名前を唱えなくても、やりにくいと感じたことはないのだが。
「恐らく、シュウイチさんは魔法を唱えるときの集中力がすごいのではないですか?攻撃魔法のことはイマイチ分かりませんが…」
そうなのだろうか。
トーマス君の言うとおりなら、俺は魔法使いの方が向いていたのかもしれない。
転職誤ったかなぁ…。
そう思っていると後ろから肩をつんつんと突付かれた。振り向くとエルの顔がすごく近くにある。
「うわっ?!」
驚いて思いっきり仰け反る。
…以前にもこんなことがあった様な気がする。
「見せて欲しい」
俺に気にした様子もなくエルが話しかけてくる。火炎斬りのことだろうか。
「火炎斬りのこと?」
「名前は知らないけど、そうだと思う」
「いや、あれは…」
使っただけでふらふらになってしまう。いつ魔物が出るかも分からないこの状況で、意味なく使うわけにもいかないだろう。
「是非、見せて欲しい」
そう言って、仰け反った俺に再び近づいてくる。無表情のままだが、何故か妙な迫力がある。
「いや、アレ使うとすぐに体がまともに動かなくなっちまうんだ。こんなところで使うわけにもいかないよ」
エルがじっとこちらを見つめてくる。なんだか怖い。
「分かった…」
しばらくこちらを見つめた後、そう言うとエルは視線を外して離れていった。何故だかその姿は寂しそうだ。昨日といい、この子は見た目によらず好奇心に溢れているらしい。
「ごめんな、カナンに戻って冒険に出ない日なら見せてあげるからさ」
そう言って慰めておく。
その後もルイにどうやったらそんなことが出来るのか?と、延々と質問攻めを受けた。
以前レッサーデーモンを倒した洞窟の中、アレスとトーマス君と一緒に洞窟を進んでいく。
女の子にあの光景を見せるものではないだろうと、ルイとエル、そして何故か落ち込んだままのサイは依頼主の護衛も兼ねて馬車で待機してもらった。
松明を持ち、二人を先導して歩く。
「こっちだ」
分かれ道を左に進み、更に進む。
少し開けた空間にでる。照らされた空間はあのときのまま、凄惨な様子を見せていた。
「これは…ひどいな」
アレスが呟く。
「あちらの方がそのとき組んでいた僧侶ですか?」
トーマス君がロランの遺体の方を見て言う。
「…あぁ、そうだよ」
遺体はあのときと変わらないままそこに横たわっている。
レッサーデーモンの死体は残っていない。この世界では魔物の死体はすぐに消滅してしまう。
「おい、もういいだろう!確認は取れたんだ、何時までもこんなとこ居ないで出るぞ!」
アレスがそういって引き返し始める。慌ててそれに着いて行った。
トーマス君は跪いて両手を合わせ、何かを呟いてからこちらを追ってきた。祈りの言葉だろうか。
こうして俺達は洞窟を後にした。
…洞窟を出るとき、残された死者達の無念の声が聞こえたような気がした。