闇の中を松明の明かりだけを頼りに進んでいく。洞窟に入ってからまだボッコとロランのどちらとも遭遇していない。
「シュウイチさん先に言っておきますが…」
ルイが声を潜めて話しかけてくる。
「ボッコはもちろんのことですが、ロランさんに出会っても、いきなり不用意に近づかないで下さい」
…分かった」
「──ロランさんが居た場合、私が軽く彼に質問をします。それで黒だった場合は会話の中でさり気無く、『シュウイチさんは私にラブラブでした』というので、距離をなるべく取ってから逃げましょう」
「その不自然な言葉が出てる時点でさり気無くないだろ…」
この子はどこまで本気なのか分からない。
しばらく歩くと先程の別れ道に差し掛かった。
「やはりすごい血の臭いですね…」
ルイが顔をしかめている。俺には何も感じることができない。
左の道を見ながら言う。
「やっぱり先にこっちに行くのか?」
「気が進みませんけど、そうしましょう。これだけ音が反響してるとなると、向こうからも私達の存在が丸分かりなので、十分注意して進んでください」
窮屈だった道も少し歩くと天井が高くなり、普通に歩けるようになった。少しずつ進むにつれ、錆びた鉄の様な臭いが俺にも嗅ぎ取れるようになってきた。
そして奥のほうから、クチャ…クチャ…と何かを咀嚼するような音や、何かを引きちぎる様な音が聞こえる。
なるべく足音を立てないようにゆっくりと進む。進むにつれ、血の臭いがますます濃くなってくる。
急に道が広くなり、そのまま少し空間が開けた場所に出た。
──松明の明かりに照らされた空間は、正視に堪えない有様になっていた。
地面の所々を染めているドス黒い染み、そして所々に転がる、辛うじて人の一部分だったと判る足や指等の肉片。
恐らく冒険者の物だろう、鎧の破片や剣等も散乱している。
そして松明の明かりが届ききらずにぼんやりと照らされている奥まった場所で、人影が屈んでいるのが見える。
その人影は両手にある何かを咀嚼しているようで、人影の頭部が揺れるたびにクチャ…クチュ… と、湿った様な音がする。
ごくりと唾を飲み込み少し前に出る。照らし出された後姿はボッコのものだった。明かりに気付いてる筈だがボッコは何かを咀嚼する動きを止めない。
「シュウイチさんあれは…っ!」
揺らめく松明の光が屈んだボッコの先にあるものを微かに照らす。
それは仰向けに倒れている人の様だった。
倒れている人影のズボンや、僅かにボッコの影から見える上着に見覚えがある。
……あれはロランのものだ!
ルイの言葉に反応したのだろう、ボッコの動きがぴたりと止まる。
「……いやぁ、遅かったですねお二人とも。ルイさんはなかなか鋭そうなので、てっきり逃げ出されたのかと思っていましたよ」
こちらに背を向けたままボッコが言う。この状況でも変わらぬ口調が逆に恐ろしい。
「何やってんだお前は…それにソレは……!」
声が震えているのに気付く、今すぐにでもここから走り出して逃げてしまいたい。
「あぁ、これですか?」
俺の言葉にボッコが何でもないことの様な口調で答える。
「上司からは冒険者の芽を潰せ、と言われただけなのですが、食うな…とも言われてませんからね」
…上司?
「さて、今はお腹も満たされているわけですが、このまま帰すわけにもいきませんからね」
そういってボッコがゆっくりと立ち上がり振り返る。
隣でルイが息を呑む気配がする。
「……ッ!?」
ボッコの口の周辺はドス黒く染まっていた。
ところどころに肉片らしきものがこびり付いている。
「おっと、これは失礼。女性の前で見せるものではありませんでしたね」
ボッコはそういって右手で口を拭っている。
なんなんだこいつは…。
俺の知っているドラクエの世界でこんな存在は居ただろうか?少なくとも人間ではない筈だ。
「お待たせしました。それでは死んでください」
ボッコがそのままこちらにスタスタと歩いてくる。手には何も持っていない。
銅の剣を構えたが、ボッコの見た目が人に見える為、一瞬躊躇ってしまう。
ボッコが無造作にこちらの頭部に目掛けて手を伸ばしてくる。余り予備動作を感じさせない不自然な動きだが、早い。
辛うじてかわしたものの、体制を崩してしまった。
再びこちらに手を伸ばしてくるボッコ。
「メラッ!」
ルイのメラがボッコの頭部に直撃する。
ボッコ頭部が燃え上がり、よろめいてる内に後ろへ下がり体制を整える。
「シュウイチさん、アレはどう見ても普通の人間ではありません。躊躇っているとこちらがやられてしまいますよ!」
ルイの叱咤に頷く。
「ルイ、松明を持っていてくれ」
左手に持っていた松明をルイに渡す。
「酷いですねルイさん、私じゃなければ死んでいましたよ」
そう言ってボッコが顔を覆っていた手を下ろす。
その顔は焼け爛れており、細い目の部分だけが赤く輝いている。
明らかに人ではない。
…もう躊躇わない!
剣を構えてボッコに向かって駆ける。
無造作に伸ばしてきた右手の肘から下を切り落とし、こちらを捕まえようとする左手も切り落とす。
そしてそのままよろめいているボッコの体に剣を突き立てた。ボッコの体を蹴り飛ばしながらその反動で剣を引き抜く。
「メラッ!」
ルイの生み出した火球がボッコの体に当たり燃え上がる。
ボッコはそのまま仰向けに倒れていった。
「ふぅ…」
燃えているボッコの体を横目に辺りを見渡す。照らし出された凄惨な空間に顔を顰めた。ロランも一目で生きては居ないと判る。
「何者だったんでしょうね、この人は」
ルイが燃えているボッコの体に目を向ける。
「分からない、とりあえずここから出よう」
「そうですね…」
ルイがロランの遺体の方をちらっと見る。彼を置いていったことを気に病んでるのだろう。
「お前はやれるだけのことはやったんだ。誰も責めたりしないさ」
ルイの頭に手を置く、ルイがこちらを見上げている。
「──それに、お前が俺を連れ出してくれてなかったら、俺も多分生きちゃいなかっただろうしな……ありがとう、ルイ」
ルイの目が潤んでいき、ルイが慌てて下を向く。
「ありがとうございます…シュウイチさん、少しだけ気が楽になりました」
「ん、気にするな。それじゃとりあえずここから出よう」
そう言って来た道を引き返そうとする。
「どちらに行かれるのですか?まだこちらの用件は済んでいませんよ」
慌てて振り返ると、燃え上がったままのボッコの体が起き上がる。
右腕が生え、左腕も同じように生えていく。
ボッコの体が盛上がっていき、ボッコの体を燃やしていた炎が消えていく。
頭も見る見る内に歪んでいき、頭部からは角の様な大きな触覚が後方に二本流れるように生えていった。
全身が赤く染まり、尻尾が生え、最後に背中から翼が生えてくる。
もはや最初の人間だった頃の面影は欠片も無い。
『この体に戻ると、言葉を話すのが不便で仕方ありませんね。』
ひび割れたような言葉が目の前の魔物の口から聞こえてくる。
あの姿には見覚えがある、
「レッサーデーモン…」
『…ほう、私の存在を知っているとは中々博識でいらっしゃる』
俺の呟きを聞き、目の前の魔物の言葉に、少し面白がるような気配が混ざる。
『今度は先程の様にはいきませんよ。改めて死んでください』
「メラっ!」
レッサーデーモンが言い終えるとほぼ同時にルイがメラを放つ。
燃え上がる炎を物ともせず、レッサーデーモンが獣の様に四つん這いになってこちらに突っ込んでくる。
突っ込んでくるレッサーデーモンの頭部に目掛けて銅の剣を振り下ろすが、横に素早く避けられてしまった。
その大きな巨体からは想像も尽かないほど素早い。するどいツメが振り下ろされ、腕を掠める。
腕に走る痛みに顔をしかめつつ剣を振り下ろすが、レッサーデーモンの右腕を浅く切っただけだ。かなりまともに当てたつもりだが相手にあまりダメージを与えられていない。
再び腕が振り下ろされてくる。銅の剣で受け止め、そのままジリジリと押し返そうとする。すると銅の剣が ボキッ と音を立てて折れてしまった。慌ててレッサーデーモンを思いっきり蹴り飛ばす。
「ルイ、ヒャドは使えるか!?」
「はい、一応使えます」
「こいつにはメラはあまり効かない、ヒャドならダメージを与えられる筈だ」
そう言いながら腰に差してあった聖なるナイフを抜く。 先程まで使っていた銅の剣と比べ、リーチがかなり心許ない。
俺の言葉を聞いて相手もルイの方を警戒した様だ。標的をルイに変えて突っ込んできた。
ルイの前に立ちふさがり、体当たり気味に密着してレッサーデーモンの右腕を左手で押さえつけ、頭部にナイフを突き立てる。
……駄目だ、このナイフでも浅く傷をつける程度のことしかできない。
レッサーデーモンが左肩に噛み付いてきた。青銅の鎧の左肩の部分が噛み砕かれ、左肩に激痛が走る。
「くそっ…放せ!!」
右腕でレッサーデーモンの首に何度もナイフを突き立てようとするが、
硬い感触が返ってくるばかりでレッサーデーモンの噛み付く力は緩まない。
「ヒャド!!」
ルイの焦った声色でヒャドが放たれる。
レッサーデーモンの体に氷柱が突き刺さり、肩に噛み付かれている力が少し緩む。その隙に再びレッサーデーモンを蹴り飛ばし距離を取る。
再びルイがヒャドを唱え、レッサーデーモンに氷柱が突き刺さる。
『ギャアアアアァッ!』
レッサーデーモンが先程までの紳士ぶった口調ではなく、獣の様な苦悶の叫び声を上げる。
その様子を見ながら体の様子を確かめる。
左肩の感覚がない、かなり血が流れてるようだ。左の手反応も鈍い。
こりゃ左手は使い物にならないか…。
「シュウイチさんもう魔力がありません!」
ルイが絶望的な叫びを上げる。
こりゃお手上げかな…。
心の中で軽く呟く。
俺のナイフでは奴にまともに傷をつけることはできない。
……いや、自信はないが一つだけまだ試していない方法がある。
『人間如キガァァ!』
レッサーデーモンが怒りの表情でルイに突っ込んでくる。それを先程の様に体当たりの要領で強引に止める。
再び左肩に噛み付かれ、一気に意識が遠くなる。
「シュウイチさんっ!」
ルイの叫びに意識が引き戻される。
──ここで意識を失ったら全てが終わる。
飛んでいきそうになる意識を繋ぎ止め、意識を集中させる。
熱が頭から右肩、右腕に伝わり、そしてナイフに流れるイメージ。
「…くたばれ、このエセ紳士が」
そのままレッサーデーモンの首にナイフを突きたてる。すんなりと突き刺さる感触を手に感じ、そのままレッサーデーモンの首を切り落とす。
レッサーデーモンは断末魔の叫び声を上げる間もなくその場に崩れ落ちた。
「シュウイチさん大丈夫ですか!?」
駆け寄ってくるルイに軽く返事を返す。
「…いや、余り大丈夫じゃないかな…。悪いけど、俺の袋の中から薬草取り出してくれ」
ルイが放り出してた俺の袋を拾い、ゴソゴソと中を漁っている。
「うわっ、何ですかコレ。袋の中ほとんど薬草ばかりじゃないですか」
「趣味なんだよ薬草採取が…」
確か、袋の中には松明を持つのに邪魔だから入れた皮の盾と干し肉、それと水筒とお金以外には薬草の類しか入れていない。
「へぇー、変わった趣味ですね…」
感心したのか呆れたのか分からない声をルイが出す。
「いや、それはいいから早く薬草を渡してくれ…」
左肩の傷を見るのも怖い。
とりあえず出血を抑えないと…。
「あわわ、動かないでくださいよ。私がやりますって!」
ルイが慌ててこちらに駆け寄ってくる。
俺の左肩の傷口に薬草を塗りこむように当てながら、ルイがこちらを見上げてくる。
「……痛いですか?」
「実は、痛いのを通り越して感覚が無かったりする」
「そんな…。これ以上はカナンに戻らないと手の施しようがありません」
この後のことを想像し、溜息をつく。
「そうなんだよなぁ、これから帰らなきゃいけないんだよな…」
どうやって帰ろう。
ルイの魔力が尽き、俺の銅の剣も折れた今となっては、魔物に襲われて逃げ切れなければ即アウトだ。
ナイフ一本でやっていける自信はない。
「とりあえずここから出よう、松明が消えたらどうしようもないしな」
それに周りの光景や臭いも耐え切れないしな…。
心の中でそう呟く。
「そうですね、シュウイチさん…立てますか?」
「ん、別に足はやられてないからな。大丈夫さ」
そう言って立ち上がったが眩暈を感じ、よろめいてしまう。
あぁ、そういえば魔力も使ってしまったっけ…。
道理で意識が時折飛びそうになるわけだ。
血の流しすぎも影響しているのかもしれない。
ふと足元にある剣に目が留まる。
ここでやられてしまった冒険者の物だろう。折れてしまった銅の剣の代わりにこれを持って行くことにする。
「人の遺品を持っていくのはいい気はしないけど…。命には代えられないしな」
恐らく鋼の剣だろう、刀身は鉄の輝きを発している。
「シュウイチさん?」
「あぁ、なんでもないよ。さっさと出ようか」
ここで殺された名も知らぬ冒険者達や、ロランの冥福を祈りつつ洞窟を後にした。