一章 六話 新米魔王船旅中
「帰る?」
「ええ。三日後には出発する予定です」
クウと共に帰って、一週間ほど経った夜のこと。買ってきた夕食を小教会で取っている最中に、ロドリーが話を切り出した。
「あぁ、そっか。そういや持ち回りなんだよな?」
「はい。二日後には交代の神官が来ますから、引き継ぎをして次の日に」
「なるほどな……」
呟いて、ハルはちらりと視線を動かす。
「クウ、こっちのも食べてみる?」
「クゥ? クウ!」
「ああほら、そんな慌てなくてもあげるから」
「クウウ♪」
視線の先には、仲良く食事をしている一人と一匹の姿があった。たかだか一週間の付き合いであるが、その様子はまるで兄弟のようである。
「……心配、ですかな?」
「ん? ああいや、寂しがるだろうなとは思うがな。仕方ないだろ。まあ、クウが普通に出られるのはここか宿の部屋ぐらいだからな。その一つが無くなるとなると少しばかり窮屈になるなと」
「いくら子供といえど、魔物ですからな。町の人間に見られる訳にはいきますまい。私も、あの光景が見られなくなるのは残念でなりません」
二人の様子を見ながら、ロドリーは優しく微笑む。
「あれこそ、この世界の可能性ではありませんか。魔物と人間が仲睦まじく暮らすなど、命を奪い合わなくていいなど、なんと素晴らしいことでしょう。私たちは魔物と戦わねばなりません。それは自分の大切なものを守るために。自分の命を守るために。誰かを守るために。自然の摂理の中で、それは仕方のないことかもしれません」
人が他の生き物の命を奪い生きていくように、魔物とて何かを奪わなければ生きていけない。人は魔物の肉を喰らうし、魔物は人の肉を喰らう。それぞれが死して相手の糧となり、またその相手が死して何かの糧となり、世界は回っていく。それが自然のサイクルなのだ。
「ですが、今の世は魔物はただ凶暴化し、喰らう必要のない者を殺し、人はただ相手が魔物であるならば殺します。神の創られた世界は、そのような血で血を洗うような地獄では無い筈なのです。そう、たとえば今のエベットとクウのように、認め合い共に生きていく事ができる筈なのです」
「…………」
ヒミコは、ヤマタノオロチとして何人もの人間を殺しただろう。それは、互いに憎しみあっていた訳でなく、ただの魔物と人として。
彼女がそのことを悔やんでいることはないと思う。襲われたのならば、互いの尊厳を守るためならば、必要な戦いであったのだろうから。
ヒミコとて、誇りを持って、または大切なものを守るために戦いに挑んだ人間を殺して、哀れだと思うことはないだろう。哀れに思うのは、その人間の思いを汚すことだからだ。
ただ彼女が悲しむのは、必要のない命が奪われること。尊厳を尽く汚し、悲しみを生み出す為だけに殺される者が、哀れでならないのだろう。それは、その者の存在を否定することである故に。
「いつか、この世界が平和になったなら。あの二人のように生きていけたら、神もきっとお喜びになるに違いありません。願わくば、そんな世の中が訪れるようにと、思わずにはいられないのです」
「…………そうだな」
ハルは、この二人に会えたことが幸運であったと思う。
ここに可能性が見えたから。
ヒミコが悲しまずに住む世界の光景が、少しだけ見えたから。
悲観的な思いなど持つ必要は決してないと、確信できたから。
エベットだけではない。魔物を意味もなく敵対視しない、このロドリーという男と出会えたのもハルにとって大きい収穫であった。
これであの暑苦しい祈りと、同じく暑苦しい慈悲の心がなかったら、まさしく完璧なのだが……世の中、ままならぬものである。
一つ苦笑し、いつまでも湿っぽく話していても仕方ないと、ハルは適当に話題を変えることにした。
「そういや、特に聞いたこと無かったがどこに帰るんだ?」
「アリアハンですよ」
「…………………………………………………………マジで?」
事も無げに返ってきた答えに、思わずハルは問い返してしまった。いくら何でも、そんな都合のいいことがあるものなのか。何だ、これがご都合主義とかいうやつか。
「どうかしましたか?」
「いや……あー、ちょっと待ってくれ……」
ハルは少しばかり混乱してしまった頭を冷やす。
ご都合主義だろうが何だろうが、別に構わない。今重要なのは、アリアハンに、勇者の元に行ける手段が目の前にあることだ。
迷う必要など、どこにもないだろう。
「なぁ、俺も一緒に行って構わないか?」
***
「アリアハンにねぇ……ま、元々転職した始めの内だけ面倒見るのが普通だし、Lv10越えても残ってたのがおかしいぐらいだったからね。しっかしホント、あんたみたいに生き急いでる人ってなかなかいないよ?」
宿に帰り、ロゼッタに出て行く旨を告げたところ、彼女は呆れたように笑いながら言った。
「性分だからな。今更変えようがないさ。まあ、目標を達成して嫁でも貰えば落ち着くんじゃないか?」
「あはははは、あんたの嫁になるような人は大変だねぇ。いい嫁さん貰うためにも、精進すればいいさね」
世話になった分、急に出て行くことに少しばかり罪悪感があったのだが、まるで気にしていないサバサバした彼女の性格をハルはありがたいと思う。
また次に来ることがあれば、利用させて貰うとしよう。
部屋に入ったところで、大きい物に買い換えた荷物袋の封を開ける。町中で窮屈な思いをしているせいか、こうするといつもクウが飛び出してくるのだ。
「クウ!」
「ん、お疲れさん。これから部屋片付けるから、ちょっとその辺で遊んでていいぞ」
「クウゥー♪」
許可を出されたクウが、部屋の隅に置かれたボールに飛びついた。しっぽ(体?)の先でコロコロ転がしながら、動くボールを追いかけている。
町中では動かしてやれないので、2Gで買った物なのだが存外にお気に入りのようだ。
ああしているとまるっきり犬か何かに見えるよなぁと思いながら、ハルは荷物の整理をし始めた。
整理といっても、ハルは殆ど物を買っていない。日中はほぼ外にいるし、必要な物以外を買う事なんて無いので、あるのは精々装備の手入れ道具ぐらいだ。今日も今日とて、戦ってきた装備の傷みをできる限りとってやる。剣の刃の調子を調べ、攻撃を受けた鎧の裏側に緩衝材を張り、傷の様子を見る。さすがに何日かに一度は武具屋に見て貰っているが、自分にできることは自分でやるのがハルの流儀だ。
一通り装備の手入れを終わらせたら、荷物袋に物を詰めていく。ものの10分ほどで整理は終わり、軽く部屋の掃除をして、ベッドに腰を下ろした。
「…………この世界で最も神の力が強い地域。精霊の加護を持つ勇者が生まれた場所か」
なぜ、圧倒的な力を持つ魔王が、未だに人間を滅ぼせていないのか。
バラモス、ボストロール、そしてヤマタノオロチ。これらは、単騎でも一国を滅ぼせるほどの力がある者達だ。
Lvが低い人間の攻撃など、紙で顔を撫でるほどにも感じない。その手の一振りで十数単位の人間を殺害できる。相手になるのは、国でもトップレベルの数人のみで、それすら大人と子供の戦いだ。
しかし、彼らは決してその力を持って国に攻め入ることを許されない。それぞれの国に、神の結界が存在しているが故に。
神の結界内では、闇に由来する力を持つ者は尽く封じられる。力が強い者ほど結界は強く作用し、その力を削ぎ落とす。
ゾーマがこの世界とアレフガルドを繋いだとき、強大な力によって無理矢理結界はこじ開けられた。故にギアガの大穴の周辺、ネクロゴンド一帯の結界の力はほぼ無いに等しい。
結界とは網のようなもの。結界の力が弱いところほど網の目は大きく、力ある魔物が通ることができる。ゾーマがこちらの世界に来ることができないのも、ギアガの大穴に開いた穴を通ることができないからだ。
さらに、バラモスは上の世界に来たときゾーマを裏切った。崩壊寸前の結界を、自らの魔力で補強したのである。なぜバラモスがゾーマを裏切ったのかはヒミコ達も知らないそうだが、バラモスの結界が無ければ今頃ゾーマがこちらに来ていてもおかしくなかったらしい。
神の結界の力を保つのは、人々の希望や夢など、陽の力である。故に、ヒミコやボストロールは、限界までその力を封印し、自身を弱小まで追い詰めて各国のトップと成り代わった。じわりじわりと、人の心を絶望に満たすために。
ボストロールは圧政、ヒミコは自身に生け贄を捧げさせることによって、それぞれの国の結界の力はもうかなり弱くなっているらしい。
そして、アリアハン周辺に強い魔物が出ないのは、勇者の存在によって人々の心の希望が大きいからだという。
見れば、未だにクウはボールで遊んでいた。
本来ならば、魔物であるクウは町に入れない筈である。特に、ここはダーマ。世界で唯一転職を可能とする始祖信仰の聖地と呼ばれる場所だ。地域の結界の力は多少弱体化しているとはいえ、町自体に掛かっている力は、アリアハンに勝るとも劣らない。
クウがなぜ町の中に入ることができたのか。生まれたばかりで闇の力が浸透していないからか。それとも単純に力が弱すぎるせいなのか。一応結界を通るときに魔力を分析しようとしているのだが、まだ分からない。
「勇者のことも気にはなるが……世界で最も強い結界が残る大陸……何か掴めればいいがな……」
一寸先は闇。まだ、ハルは何も為していない。どうすれば魔王になれるのか。どうすればヒミコを救えるのか。
何もない空間に向かって、見えないものを掴むように、ハルは手を伸ばした。
****
ルーラという魔法は、一度訪れた事のある町へと飛ぶ呪文である。ゲームをやってるときは便利な魔法だなという程度の認識しかなかったが、実際にあるともはや便利程度の言葉の範疇には到底収まらない。
ゲームでは戦闘込みでたかだか十分そこそこの距離が、実際に歩くと一週間以上掛かるのだ。それがルーラを使えばものの五分で着くとなれば、どんな魔法よりも優れているんじゃないのかと思わずにはいられない。
しかしながら、やはり使うには色々と制約があった。
まず、この魔法は一度訪れた町へ移動するものではない。ルーラには対になる魔法【トーチ】が存在し、それによって“目印”を設定しなければならない。
ようは、磁石のような魔法なのである。ルーラが受け持つのは、使用者が望んだ範囲に空気の層を作り物体の重みを無くし浮力場を生み出し、さらに風圧に対する壁を作ることと、あらかじめ決めておいたアンカーを作動させること。信号を受け、設置されたトーチの魔法が作動し、あたかも磁石のように使用者を引き寄せる。これがルーラの全貌だった。
つまりは、思い描いた場所に飛ぶような曖昧で便利な使い方はできないし、戦闘中にルーラを使って敵の後ろに移動なんて行為は実質不可能なのである(数あるトーチを選んでいる内に行動した方がよほどいい)。
確かにトーチの設置さえすればどこへでも飛べるのだが、ジパングへの移動ができると思っていたハルにとっては、少々落胆せざるを得なかった。
そんなこんなで、以前使った波止場まで行くのには、再び馬車で移動しなければならなかったのである。途中で魔物に襲われることが殆どなかったために、10日掛かった行程が7日で済んだのは助かったが。
波止場には、ロドリーの交代の神官を乗せてきた大型の船が停留していた。教会に雇われている彼らは元々アリアハンの出身で、ロドリー達を乗せて帰り休暇に入るらしい。
波止場の入口にトーチを使い、ハルは船に乗り込んだ。これから約二週間ほどは、船上の人となる。
「クウー」
「クウ、不安? 初めて遠くに行くんだもんね。でもほら、ハルさんもいるし、僕もいるし、これから行くところは他と比べても平和だから安心していいよ?」
「クウ!」
クウとエベットが船内の部屋で話をしている。生まれて間もないクウは、やることなすこと初めてのことばかりだろうが、やはり誰かと一緒だと落ち着くらしい。
ハルも客人扱いとされ、エベットと同室を割り当てられた。ロドリーはさすがに別だ。
「……船旅っつっても、やることなくて暇だよな」
「まぁ、魔物が出ても大抵船乗りの方々が退治してしまいますしね。よほど大量の魔物が出たりしない限りは手伝いも必要ありませんから。というか、ハルさん魔力いじるの止めてくださいよ」
話している間、コロコロと手の中に魔力を作り出していたハルに、エベットが文句を言う。
「ん? おお、いやこれ最近できるようになったんだよ。今更ながらにランドってすげーわ。普段あんな冴えない顔してんのになぁ」
「え? いやまぁ、ランド様は教会でも三本の指に入るほどの魔法の使い手ですから……むしろ魔法使いになって四ヶ月経ってないハルさんが同じことする方が常識外れだと思います……それより、僕の言葉ナチュラルにスルーしましたね……」
ハルが行ったのは、一番最初にランドに見せられた純魔力の多重凝固である。いとも簡単にランドは行っていたが、これがなかなか難しい。
そも魔力というのは拡散する性質がある。放出した魔力を一つの塊にするのは誰でもできるが、それを二個・三個と分けて塊にするのは極端に難易度が上がる。分けることもさながら、分けられても一個を凝固させている間に他のものが霧散してしまうのだ。
よって、全てを同時に制御しなければならない。魔力の制御を集中しなくても行えるのが最低条件だ。手を動かすように、物を見るように、肉体を動かすのと同じレベルで魔力を扱えなければ不可能なのである。
ハルが現在できるのは二個の多重凝固まで。同時に入式することはまだできない。この辺りの技術はLvと関係無いため、もし数多くの魔法を同時発動させられたなら、ハルも高位の存在と渡り合えるのではないかと考えていた。
「そういや、教会で三本の指に入るって、ランド以外の二人って有名なのか?」
未だに魔力を練り合わせて遊びながら、ハルはエベットに質問した。自分の抗議が無視されたことにため息を吐きながら、エベットはそれに答える。
「有名ですよ? というか、ハルさんも会ったじゃないですか。フォーテ大神官がその内の一人です。上級魔法も使えると聞いてます」
「ほー、さすがは大神官ってとこか」
ハルは別に先達を敬っていない訳ではない。先達が築いてきたものがあるから今があるのであって、フォーテを始め、ロドリーらには一応の敬意を払っている。普段の態度が態度だけに、あまりそう思われていないかもしれないが。
「後の一人はランシールの聖女様ですね」
「聖女?」
「はい。僕はお会いしたことはないんですが、まだお若いのに凄い回復魔法の使い手だそうです。とても美しく慈悲深い方で、ランシールの方々から聖女と呼ばれてるんだとか。エルミナ様と仰るそうです」
「ふーん」
「なんて興味のなさそうな返事……聞いたのハルさんのくせに……」
落胆したようなエベットに、ハルは肩を竦める。実際に興味のないものはどうしようもない。いずれは会うこともあるかもしれないが、今のところは接触する必要も感じない。聞いておいて損はしないであろうが。
「クウ」
「ん? 腹減ったか? なんかあったかなぁ?」
「もう……適当にパンと果物貰ってきます。クウも、それでいいよね?」
「クウ♪」
クウの返事を受けて、エベットが部屋を出て行く。
船旅は順調。アリアハンへは何の問題もなく着けそうであった。
***
それは、瞬間的に訪れたものではなかった。
船が出て10日。いつも通り、ハル達は食事をし、部屋の中で思い思いに過ごしていた。
最初に気付いたのはハル。なにやら甲板の方に妙な気配を感じ、上を見上げる。
「…………魔物か?」
「え? 何か聞こえました?」
「クウ?」
続いて、クウとエベットが騒がしい音に身を緊張させた。
「いつものかもしれませんが……一応準備はしておいた方が良さそうですね」
「だな。ちょっとばかし体動かしとけ。急だと思ったように動かんからな」
「クゥゥ」
動き始めたハルとエベットに、クウが不安そうな声を上げる。親が死んだときの事を思い出したのだろうか。
そんなクウの頭を、ポンとハルは叩き、エベットは笑いかける。
「心配するな。大人しく待ってろ」
「大丈夫だよクウ。ハルさん悪運ばっかり強いんだから。僕も、ロドリー様もいるしね」
「クウゥ」
クウはまだ戦闘行動が取れるほど成長しておらず、他の人目がある中では出させられない。未だにどことなく不安げではあるが、これ以上は実際に帰ってくることぐらいしかやれることはなかった。
と、部屋がノックされ、返事を返す前に扉が開けられる。
「ハル殿、エベット。上が危険な状態のようです。準備は……よろしいようですね」
同じく戦闘の用意を調えてきたロドリーに、二人は頷いて返した。
未だ戦闘の音が鳴りやまない甲板へと、三人で駆け上がる。
「大丈夫ですか!?」
「っ!? ロドリー様! だいおうイカです!!」
ロドリーの掛けた声に、焦燥した様子で船乗りが叫ぶ。
言葉通り、そこには胴だけで5メートルはありそうな巨体のイカ……だいおうイカが存在した。
船乗り達は決して弱くない。しびれクラゲやマリンスライム、マーマンも2~3匹程度なら相手にできる。だいおうイカも他の魔物と共に出てきた一匹程度なら何とか倒せるだろう。
ただ、ハル達の目の前にいるだいおうイカは三匹。他にもしびれクラゲなどの姿も見え、船乗り達の中には負傷者も多い。
「これまた、大賑わいだな!」
「負傷者の治療に当たります! その前に……【ピオリム】!」
駆け出す前にエベットが補助魔法を掛ける。スッと、身が軽くなるのを感じた直後、ハルとロドリーはだいおうイカに向かって走り出していた。
「ハル殿、左側のものをお願いします! 私はこちらを!」
「了解っと! 気をつけろよ神官殿! 【スカラ】!」
「かたじけない!」
双方に別れながら、ハルはロドリーにスカラを使い、ロドリーは普通の物よりも一回り以上巨大なモーニングスターを手に右手に向かう。
ハルはそれを見届けることもせず、その場から飛び退いた。ハルの走っていた方向に伸びるのは、今から相手をするだいおうイカの足だ。
「歓迎してくれるって? ありがたいねぇ! 【イオ】!」
こちらから寄るよりも先にハルに狙いをつけただいおうイカに向かって、爆発魔法を飛ばす。周りにいたしびれクラゲもそれによって吹き飛ばされ、だいおうイカも幾ばくかのダメージを受けた。
「でかいってのはホントやっかいだな!」
思った以上に効果を上げなかった魔法に舌打ちしつつ、ハルはナイフを抜く。小型の魔物ならば剣を使うのだが、今のハルの力では大型の魔物に対して剣では牽制にも役に立たず、むしろ抜くだけ動きの邪魔になる。
ハルはナイフでだいおうイカの足を切りつけながら、そのまま後ろへと走り抜ける。
「【スカラ】」
攻撃の手が止んだ瞬間に、ハルは自身にスカラを使う。衝撃を吸収する青い光が、ハルの周囲へと張られた。
周りを見れば、大方優勢である。負傷者はエベットが回復し、何人かは戦闘にも復帰しており、ロドリーにモーニングスターを叩き付けられただいおうイカは、甲板でのたうち回っていた。もう一匹は船乗り達の総攻撃を受けている。
振り向いただいおうイカが叩き付ける足を、ハルは衝撃を和らげながら手を交差させ受け止め、いったん距離を取った。見れば、先ほど飛ばされたしびれクラゲたちがまた寄ってきている。
「遅ぇよ! 【イオ】!」
囲まれるより前に、ハルの放ったイオが再びクラゲ達とだいおうイカに襲いかかる。既にダメージを受けていたクラゲ達は、その殆どが完全に動きを止めた。だいおうイカは、傷つきながらも未だ健在である。
「あーくそっ! しぶといっての! これだからでかいのは!」
悪態を吐きながらも、ハルはだいおうイカの側面に走り込んでいた。そろそろピオリムの効果も薄くなってきている。早急に決着をつける必要があった。
走りながらナイフを仕舞ったハルは、両手に魔力を凝固させた。同時に入式はできずとも、これで魔法の間隔はかなり縮まる。
「焼かれろ軟体動物! 【メラ】!【メラ】!【メラ】!【メラ】!!」
間髪入れず発射された火球は、全て違わずだいおうイカへと命中し、その身を盛大に燃やした。引きつる様な音は、だいおうイカの断末魔か。完全に身を焼かれ、だいおうイカは沈黙した。
巨体が倒れるのを見届け、ハルはホッと息を吐く。防いだとはいえ、だいおうイカの攻撃を受けた手は若干痺れている。スカラがなかったら、腕が折られていたのではなかろうか。
「ま、大体これで―――――――っ!?」
突如、背中に悪寒が走り、ハルは甲板を転がるようにしてその場から退いた。直後、ハルのいた位置に巨大なイカの足が叩き付けられる。
「っ!! …………おいおい、マジかよ……」
船の側舷にいたのは、だいおうイカに似た、しかしそれよりも一回り大きい黄色がかった体躯。想像していたのと、実物とはこれ程までに違うものなのか。
名を、テンタクルス。上の世界においては、海の魔物でもトップクラスの危険度を誇る存在がそこにいた。
「ハルさん!」「ハル殿!」
この場においてはハルに追随する戦闘巧者二人の焦燥した声。横目で見れば、新たなだいおうイカが三匹出現していた。
テンタクルスと合わせ、さらに先ほど倒したものを入れるとこれで七匹の大型の魔物が現れたことになる。
「…………イカの巣でも突っついたのかよ……テンタクルスなんてこの辺に出る奴じゃないだろうに」
ツッと汗を伝わせながら、ハルはジリジリと後ずさっていた。一人で相手をするには、荷が勝ちすぎる敵である。
だが、後ろに行けばロドリー達がさらなる危険にさらされる。テンタクルス一匹で、この場のパワーバランスを崩すことなど容易だった。
ウゾウゾと体を動かしながら、テンタクルスが身を起こし、完全に甲板へと姿を現す。
上がってみれば、想像よりもさらに巨大に感じた。それと目が合った瞬間、ハルは覚悟を決める。
「【スカラ】」
解けかかっていた防護の魔法を掛け直す。スッと、ナイフを取り出し構えたところで、テンタクルスの足が襲いかかってきた。
「―――っ!」
巨大でありながら、その速度はだいおうイカを遙かに上回る。まともに受ければただでは済まないと、ハルはまた甲板へと身を転がし足から逃れた。そのまま手をついて体制を整え、甲板を蹴る。
「【ギラ】!」
タイミングを合わせ、飛んだハル目掛けてきた足に炎を放射する。確実に命中した魔法は、しかし、その勢いを殺ぎこそすれ止めることは叶わず、足は強かにハルの胴を打った。
「ぐっ、がぁ!」
吹き飛ばされながらも、止まることなくハルは駆け出した。少しでも止まれば、テンタクルスの攻撃を受けることになる。
襲いかかる足を必死にかい潜りながら、ハルは立て続けにヒャドを飛ばす。テンタクルスに幾つもの氷の刃が突き刺さり、少しずつダメージを蓄積させる。テンタクルスの周りには、吹き飛ばされた氷の刃が突き刺さっていた。
「はっ、はっ、はっ」
息が荒れる。もとより、魔法使いはそれほど体力があるわけではない。ハルは転職した上でLvもそこそこ高いので、その辺りの冒険者程度には負けないが、戦闘における体力消費は激しい。前衛として攻撃もこなしているのでなおさらだ。
テンタクルスの足の動きを見極め、次に来る攻撃を予測し、それでも尚攻撃が掠っていく。スカラを重ね掛けしようにも、攻撃の手を休めた瞬間にテンタクルスの攻撃は倍加する。
エベットとロドリーが何とかハルに加勢しようとしているが、だいおうイカを相手取る二人が抜ければ戦線が崩壊する。
細い細い糸の上を渡る綱渡り。切れるのは、実にあっさりだった。
もはや何度目になるか、ハルがヒャドを飛ばす。小さな氷の刃がテンタクルスに刺さり、その体がグラリと傾いだ。
いけるかと、そう思ったのが間違いだったか。気が緩んだわけではない。またその足をかいくぐろうとした瞬間、ハルは目の前に迫るテンタクルスの足に気が付いた。
「――――っ!?」
一撃ではなかった。二撃でもなかった。
三撃目。今まで存在しなかった筈の攻撃だ。もはや、躱すのは不可能な距離。
「ごぼっ!!」
腹を強打され、吹き飛ばされた。接地することなく、船体の縁へ体が激突する。
「がっ!」
激痛は、一歩遅れて。頭でもぶつけたか、目の前が赤く染まる。確実にあばらは何本か折れた。口から血が逆流してきたのは、内臓に傷が付いたか。
動けないハルに向け、さらにテンタクルスの足が伸ばされる。ぐるりと体に足が巻き付き、宙へと持ち上げられた。
「がっあぁっ……」
ギリギリと締め付けられる。どこかで自分を呼ぶ声は、エベットとロドリーか。
死ぬ。死にかけたことは何度もあるが、ここまで絶望的なものはなかった。
脳裏に浮かんだのは、初めて潜ったオロチの洞窟。ヒミコに救われなければ、完全に終わっていた。差し迫る気配は、あの時に通ずるものがある。
目の前がだんだん暗くなる。意識が落ちかけているのか。
こんな所で終わるのか。結局、何も掴めないままに。
「~~~!!」
高い音。耳元で何か鳴っている。聞いたことのある音だ。
「~~ウ!!」
何を鳴く。終わる自分を嘆いているのか。そんな声を出すことはないのに。
「クウウゥゥゥウウウウウウ!!!!」
それは、自分が助けたはずの命の声。魔王となる自分の、初めての配下。
目が開いた。遠のいた意識が、返ってくる。
「ク……ウ……?」
「クウウウウウ!!!」
見れば、小さな体で、テンタクルスに飛びかかっているクウがいた。
そちらに気を取られているせいか、締め付ける力が若干緩んでいる。
「っ!!」
何を思った? 何を考えた? 終わる? ヒミコに手を伸ばせないままに?
「ふざ……けるな!!!」
動かない体を、ハルは叱咤した。この程度で諦めては、魔王に届かない。この程度で死んでは、勇者に敵うわけがない。
放出。凝固。圧縮。
魔法使いになってから、暇を見つけてはずっと練り続けた魔力。もはや、感じる必要すらない。
手の中で生み出された魔力を、力ずくで押さえつけた。グルグルと逃げ場を求める魔力が、手の中で荒れ狂う。
そして、入式。
「【イオォォ】!!!」
通常のイオの威力を越えた一撃は、自分を掴んでいた足を砕き、ハル自身も吹き飛ばした。
甲板の上をゴロゴロと転がるが、グッと歯を噛みしめて立ち上がる。
「クウウ!!」
「ハルさん!」
立ち上がったハルの姿に、クウとエベットが歓喜の声を上げる。
目の前は未だにはっきりと見えているわけではない。少しでも動けば体に激痛が走る。
コンディションは最悪だ。しかし、随分と頭は冴えていた。
「……魔法使いってのは、Lvが上がった瞬間が分かりやすくていい」
呟いたハルの手の中には、既に魔力が生み出されていた。よもや、仕留めかけたはずの獲物に足を吹き飛ばされるとは思ってもいなかったのか、テンタクルスが戸惑いながらも猛っている気配を感じる。
「【スカラ】」
左手に集まった過剰魔力で、スカラを唱える。右手には、未だに放出され肥大化する魔力の塊があった。
テンタクルスの足が迫る。しかし、その動きは最初の頃と比べ遅くなっていた。
イカという生物は、温度変化に弱い生き物だ。水温の変化で、簡単に死んでしまう。
魔物であるだけにその生命力は段違いだが、それでも飛ばされ続けていたヒャドの冷気に体を鈍らせていたのだ。ハルの狙い通りではあるが、効果が出るのが少しばかり遅かったらしい。
倒れ込むように、迫る足を躱す。いくら気合いを入れても、ボロボロの体が同じように動く訳がない。這うように移動しながら、再び立ち上がる。
「【スカラ】」
左手でまた過剰魔法によるスカラを唱える。今攻撃の手が少ないのは、クウがテンタクルスの気を散らしているお陰だろう。
「【スカラ】」
これで三度。今のハルの防御を越えるには、魔法か相当に高い攻撃力が必要だ。
「クウ! もういい! 離れてろ!」
「クウウ!」
ハルの言葉を受けて、クウがテンタクルスから遠くへ逃れる。ギロリと、テンタクルスの意識が完全にハルへと向いた。
先ほどまで右手で放出されていた魔力は、既に圧縮の段階に入っている。ハルは左手を魔力に添え、さらに圧縮の速度を速めた。
テンタクルスの足が一斉にハルに襲いかかる。動けないハルはそれを受けて、吹き飛ばされ、再び船の縁へと叩き付けられた。
「クウウ!?」
クウが声を上げるが、ハルにダメージは殆ど無い。掛かった衝撃は、防護の膜がほぼ吸収してくれたからだ。
もう、立つ必要すらない。
「知ってるか? 灼熱の閃光を」
テンタクルスがハルを押しつぶそうと迫る中、ハルはゆっくりと両手を掲げた。
「【ベギ……ラマァァ】!!」
それは、光線だった。過剰に供給された魔力を受け、圧縮され、極限まで昇華された一撃。
閃光の中にテンタクルスが取り込まれる。冷気を受け、体温が下がっていたところで熱線に晒された魔物は、内外より全細胞を破壊された。
閃光が去った後に残されたのは、もはや動くことのない巨体のみ。
「はっ、焼けても大味過ぎて食えやしないっての」
船乗り達の歓声と、ハルを呼ぶクウとエベットの声を遠くに、ハルは悪態を吐きながら気を失った。
******************
六話更新です。一章の山場的話にしたかったのですが、上手くできてるかな?
一応予定では後二話で一章が終わります。それからスクエニ板に移る予定ですので、移ってからもどうかお願いします。
残りの裏話は記録の方で