一章 二話 新米魔王研修中
スッと、ハルは銅の剣を青眼に構えた。
対峙するのは、皺の寄った一頭身の魔物きめんどうし。大体ハルの腹ほどの大きさの魔物は、ハルに得物である杖を向け、ハルの動きに対応しようと身構えている。
「…………シッ!」
短く息を切り、ハルは真正面からきめんどうしに突撃した。上段に剣を振りかぶったまま走るその姿は、隙だらけである。
その突撃を奇妙に思ったのだろう。きめんどうしは一瞬躊躇するように杖を震わせた。
魔法を使おうとしている。そう判断を下すと同時、ハルは振りかぶっていた剣をきめんどうしに向け投擲した。
「っ!?」
よもや得物を手放すと思っていなかったのか、きめんどうしは魔法を発動させず杖で剣を弾く。その意識が剣に向かった瞬間に、ハルはきめんどうしの側面へと回り込んだ。
いつの間に抜いたのか、手にせいなるナイフが握られている。逆手に持ったそれを、未だハルを見失っているきめんどうしに向け振り抜いた。
「だっ!!」
ガッと、ハルの手に何か堅い物を叩いた感触。きめんどうしは、完全に不意を打ったはずの攻撃を、杖で防いでいた。ハルより勝る力を持って、そのままナイフごと腕をを巻き込もうとしてくる。
バランスを崩される前に、ハルはナイフを手放していた。しかし、これで完全に徒手空拳である。きめんどうしはこれで終わったと思っただろう。
ハルが、銅の剣を横薙ぎにしようとしているのを見るまでは。
「!!??」
ハルはナイフを繰り出す前に、後ろ足で銅の剣を浮かせ掴んでいた。こちらこそが、ハルの本命である。
「貰った!!」
振るわれる銅の剣に、きめんどうしは反応しきれない。剣の軌跡はその胴に向かい、たたき込まれた。
ハルの腕に、鈍い感触が走る。確かな手応えを感じた直後、ハルの体は横に吹き飛ばされていた。
「ごっ!?」
無論、ハルを吹き飛ばした物の正体はきめんどうしの杖である。ハルの攻撃では、きめんどうしに致命的なダメージを与えるに至らなかったのだ。
地面を二転三転し、俯せる。すぐに立とうと思えど、脇腹に強い痛みを覚え動くことができない。おそらく、骨が折れているのだろう。
動けないハルに、きめんどうしが近づく。その頭に向けて、杖が振り下ろされ――――。
「――――そこまで!」
声によって、ピタリと止められた。
「ごほっ! ごほっ! あ"ーぐそ、めっさ痛ぇ」
むせ込んだ後ごろりと仰向けになり、ハルはズキズキと痛む体に顔を顰めた。
ハルがいるのは30m四方程の広間の中だ。この場には、ハルの他に三人。ヒミコと、先ほど戦ったきめんどうし、そして――――。
「ハル様!」
黒髪の、ハルとさほど年齢が変わらない娘が駆けてくる。
「大丈夫ですか!?」
心配そうにこちらを覗き込んでくる少女に、ハルは「あ"ー」とうめき声だけ返した。正直、喋ったり動いたりすると酷く痛いので何もしたくないのだ。
「今治しますから!」
言って、少女はハルに向けて手をかざす。
「【ホイミ】」
唱えると同時、少女の手が光を帯びた。そこから発せられる光に当てられるだけで、先ほどまであれほど強かった痛みが殆ど消えた。
「んー、よし。ほぼ完治したわ。ありがとなイヨ」
少女―――――イヨに礼を言い、むくりと起き上がりながらハルは改めて魔法の凄さを実感する。現代社会ではどう考えても不可能な高速治療。この世界だからこそ存在する神秘の術。これがあるからこそ、ハルも無茶ができるのだ。
「全く、イヨは甘いのう。ゴウルの力はそれほど強くないのだから、多少の怪我ぐらい放っておけばよいのに」
「ダメですよ! ヒミコ様達と違って人間はそんなに頑丈じゃないんですから!」
「……じゃからといって儂を放っておくのはいかなもんじゃろうか? ほれ、いくら刃引きをしておるとはいえ、剣を叩き付けられたわけじゃし」
拗ねたようなきめんどうし―――――ゴウルの言葉に、イヨは慌ててホイミを掛けた。
「ゴウルの爺さんが拗ねたって可愛くないぞー? 第一、俺の攻撃なんて子供に殴られた程度のもんだろうに」
「ほほ、回復魔法というのは気持ちいいもんじゃからの。儂らの中じゃイヨしか使えんし」
「エロじじいかおのれは」
名前通りの奇妙な顔で笑うゴウルに突っ込みを入れながら、ハルは取り落とした銅の剣とせいなるナイフを拾いに行く。多少は慣れたといえ、まだまだ武器にはズシリと重みを感じた。
軽く銅の剣を素振りしながら、ハルはため息を一つ吐く。
「あーあ、初めてクリーンヒットしたってのになぁ。全然効いてねえでやんの」
「地力が足りんな。まだまだ精進しろと言うことじゃろ。まあ以前見た時からは見違えたがの」
ハルの嘆きにヒミコは面白そうに笑う。彼女に見違えたと言われれば確かに多少嬉しいものの、どうにも締まりがつかない。ハルにも、少しばかりいいところを見せたいという気持ちがあるのだ。
「まあ剣を投げてからの一連の動作は悪く無かったのう。よもや本命が剣での一撃とは思いもよらなんだ。しかし、博打要素が大きすぎじゃ。儂が剣をもっと遠くに飛ばしておれば、全部意味のない行動になったじゃろうが」
「そうなったらそうなったで別の手を考えてたさ。あれぐらいしなきゃ一撃も当てられねえし」
「でも凄いですよハル様! ゴウル様に有効打を当てたんですから! 一ヶ月でLv6までなんてなかなか上がらないですよ? あ、今日調べて上がってたらLv7ですね!」
ゴウルの評価の後に、イヨが手を叩いて喜ぶ。
そんなもんかねと頭を掻きながら、ハルは銅の剣を鞘に戻した。
***
今度はヒミコに連れられて、ハルは再びオロチの洞窟へと踏み入れていた。
ハルの格好は急ごしらえながらも一通り揃えられ、以前よりも多少マシに洞窟内を歩けている。靴一つ違うだけでずいぶんと差があるものだ。
屋敷から旅の扉を使い、奥の生け贄の祭壇へと向かう。人骨が山と置かれた、酷く不気味な祭壇がそこにあった。
「あんまり人の骨ってのは見る機会が無かったんだが、さすがにこんだけあれば気味が悪いな。これって、本当にお前が食ったのか?」
ガラガラと転がる骨を退けながら祭壇を上がるヒミコに尋ねると、肩越しにハルの方へと視線をよこす。
「だとすればどうする? 恐ろしゅうなったかえ?」
「んー、さあ? 本当なら怖かったかなと思わなくもないが、分からんね。違うっていう前提で確認程度に聞いただけだしな」
「何故そう思う?」
問われて、ハルは適当に足下の骨を拾い上げる。革手袋を着けているというのに、洞窟の熱の所為でずいぶんと熱くなっているのが分かった。
その骨を軽くこすり、汚れを落としながらハルは答えを返す。
「骨が綺麗すぎる。砕けたりどころか、囓られた後すらないってのはおかしいだろ。丸呑みにしてたら骨なんて出てこんだろうし、まさか飴みたいに舐めて溶かしてるなんてことはありえん。別の所から持ってきた物ってのが妥当だろうな」
「…………ほんに、無駄によい観察眼じゃな。昔、北の地方に川で水葬を行う部族がおっての。川の流れの関係で、その死体がある洞窟に集まっておったのじゃ。肉体は殆ど朽ちて流されておったのも好都合じゃったな」
言いつつ、ヒミコは祭壇の一角から骨を退け、石の一つを踏む。すると、祭壇の側面が開き、下へ続く階段が現れた。
「何というか……こういうところはほんとドラクエって感じだよな」
「何を言っておる? 早く来ぬか」
仕掛けの"らしさ"に苦笑し呟いているハルを、先に階段を下りていたヒミコが急かす。はいはいと返事をしつつ階段を数段下りた途端、空気が変わった。
後ろから来る熱気は相変わらずだが、前からはひんやりとした涼しげな空気が漂ってきている。しかし寒いというわけでなく、対比的に冷ややかに感じるものの、少し慣れてみれば非常に過ごしやすい気温だった。とても同じ洞窟内とは思えない。
「氷結魔法の応用じゃて。階層の間にヒャド系の魔法を使い、溶岩の熱気が下りてこぬようにしておる。その所為でずいぶん深くまで掘ることにはなったがの」
ヒミコの説明を聞きつつ、長い階段を下りていくと、先の方に光が見えた。どうやら、石扉の向こうから漏れ出しているらしい。
重そうな石扉をさも当然とばかりに片手で開けていく姿は、やはり彼女が人外であると思わせる。
扉の向こうに在ったのは、20m四方ほどの空間だった。三方向に通路が延びていて、正面方向には大きな食堂らしき場所が見える。
中には幾人かの人間の姿も見えた。それぞれ、十代前半から後半ぐらいの若い娘達である。まず間違いなく、ヤマタノオロチに生け贄に捧げられた者たちだろう。
「ここは……」
「贄を飼うための場所じゃ。こうしておけばこ奴らの絶望も据えるし、いざというときの人質にもなる。まぁ、妾がおってそんな時が来るとは思えんがの」
くっくと自信気に笑いながらヒミコが中に踏み入れると、彼女たちは怯えた表情で平伏していった。ヒミコの気分一つで命を失うかもしれないのだから、それも仕方のない反応かもしれないが。
自分に言い聞かせるように、言い訳をするようにヒミコは言う。殺す気なんて、微塵もないくせに。それほど魔王の存在が大きいということだろう。
「ヒミ「ヒミコ様!!」」
いたたまれずに掛けようとした声が、誰かに遮られる。見れば、驚いた表情の娘が一人、こちらに向かって駆けてきていた。
「まだ生け贄の時期ではありませんが、どうして下りてこられたんですか? あ……そちらの方は……」
「所用じゃ。お前も来い。奥で話す。ここは……どうも煩わしいからの」
問いかける娘を制しながら、ヒミコは周りで平伏する娘達を見る。視線を投げかけられたのを感じているのか、娘達はガタガタと震えながら、しかし決して顔を上げようとはしない。
「わかりました」
「うむ」
短く答えて、ヒミコは歩き出す。そのすぐ後ろにハルが続き、娘は侍女のように自然と一番後ろへと下がった。
ヒミコが向かったのは、正面から左手の通路である。先には、最初の広間よりも広い空間があった。
大体30m四方ぐらいだろうか。何もなく、ただ広い場所である。壁に幾つか扉があるが、扉の大きさ的に先にある部屋はさほど広くなさそうだ。
と、三人が広間に入った直ぐに、扉の一つが開いた。中から現れたのは、えんじ色の体に顔が付いた魔物。きめんどうしである。
「これはこれはヒミコ様。お出迎え出来ず申し訳ございません。空気の流れを調整しておりましたので……」
「よい。そなた一人でここの維持を任せておるのだから仕方あるまい。それよりも、少し込み入った話があって参った。そなたの書室に通せ」
「はっ、ではどうぞこちらへ」
答えるときめんどうしは先ほどと違う扉へ向かって歩き出す。通されたのは、本棚が二つと机とだけが置かれた簡素な部屋だ。
今まで後ろに控えていた娘が、座布団を三枚用意する。ヒミコの座る場所にはわざわざ敷台まで用意し、なんというか、変なところが日本仕様で微妙な印象をハルは受けた。
そんなハルの心境とは関係なく、ヒミコときめんどうしは座布団へと座り、ハルも又娘に促されて二人に続く。娘は扉の傍へ控え、まるで本当に侍女のようだ。
「さて、その男は何者ですかな? 昨日外へと放り出した者のようですが」
「何者……か。そう言われればまだ名しか聞いておらなんだな。かなりの大馬鹿者であるのは確かじゃが。ハル、何故そなたは妾の事を知っておった?」
ヒミコの暢気な言葉にきめんどうしは顔を顰める。素性のしれない男を、魔王ですら知らないこの場所へと通すようなこと、普段のヒミコならばありえないからだ。
「ん、何というのか……説明しにくいが…………そうだな、この世界における可能性の一つを知っているというのが一番正しいか」
「……それは未来を知っておるということかえ?」
問われてハルは首を振る。
「ある意味あってるんだが、ちょい違う。あくまで可能性であって、本当に起こるかどうか分からない。しかも、細部まで知ってるわけじゃないしな」
「では、どんな事を知っておる?」
剣呑とした空気を醸しながら言うきめんどうし。ハルのことを随分と警戒しているらしい。当然といえば当然のことであるが。
「勇者の存在と、それが旅をする過程を」
「勇者……じゃと……?」
「……………………それは、オルテガとかいう男のことかえ? もう何年も前に死んだと聞いておるが」
魔王軍にとっては天敵ともいえる単語にきめんどうしは瞠目し、ヒミコは眉を顰めた。
「それの子供だ。男か女かは知らんが、そいつが世界を旅し、魔王を倒すまでの過程を知っている。…………バラモスではなく、大魔王ゾーマまで倒す過程をな」
「「なっ!?」」
現段階で人間が知っている筈のない存在のことを聞かされ、今度こそ二人は絶句した。
彼の大魔王はこの世界には存在しない。この世界とは別の、闇に包まれたアレフガルドにこそ大魔王は座している。
「何度も言うが可能性の話であって訪れるであろう未来の話じゃない。だが、その中でヒミコとして動いていたヤマタノオロチも出てきたし、この分だとサマンオサの王にボストロールが化けているのも同じじゃないか?」
「…………なるほどのう。確かにボストロールは以前よりサマンオサの王に扮しておる。ゾーマ様の事を知っておっただけでも十分じゃが、信ずるべき価値はあるの。それとて、ほんにそなたは何者じゃ? 可能性とはいえ未来を幻視するとは、精霊の呼び子かえ?」
面白そうに聞いてくるヒミコに、ハルは軽く肩を竦めた。きっと、彼女はハルがどう答えるか想像が付いているのだろう。
「人間だよ。今は何の力もなくて、そこのきめんどうしにすらあっさり殺されるようなただの人間だ。もうそんな映像を見ることもないだろうしな」
「……確かに貴様には殆ど力を感じん。それこそ、並の人間か下手をすればそれ以下じゃ。じゃが、貴様が我らの敵である可能性は「あり得ない」…………何じゃと?」
言い終える前に否定され、きめんどうしは困惑する。ハルはじっと、きめんどうしの方を見ながら、口を開いた。
「俺がヒミコの敵になるなんてあり得ない。自分の命がどうなろうが、世界がどうなろうが、俺はヒミコの味方だ。ヒミコの敵になった者の敵だ。それがたとえ勇者だったとしても、魔王だったとしても、ヒミコの敵に味方することはあり得ない」
言い切るハルを、きめんどうしはポカンとした表情で見る。それは、後ろに控えていた娘も同様だった。ハル以外の三人の中で、ヒミコだけがただ面白そうに笑っていた。
「ゴウル、こ奴を推し量るのはかなり難しいと思うぞ? 何せ、妾と結婚するために魔王になるとか言いよった、見たことのない程の大馬鹿者じゃからな」
「ま、魔王にですと!?」
「け、結婚ですか!?」
ヒミコの言葉に、ガタリと二人が驚きを見せる。それぞれに一番気になった部分は違うようであるが。
娘の方は、思わず口から出てしまった言葉に、慌てて口元を抑え、頭を下げる。
「も、申し訳ございません。失礼を致しました」
恐縮し下がる娘を見て、きめんどうしはため息を吐き、ヒミコに向き直った。そしてじっと、推し量るようにヒミコの顔を見つめる。
「ヒミコ様。魔王様に反旗を翻すと?」
主の真意を問うきめんどうしに、ヒミコはそっと目を閉じた。
「それは分からぬ」
「分からないと? 魔王様を弑してその立場に立とうという者を見逃すとは、そう取られても仕方ありませぬぞ?」
「確かにそうじゃ。じゃが……本当に分からぬのじゃよ。妾は、魔王様の悲願には興味はない。別に人間が勝とうが、魔王様が勝とうが、どちらでもよい。じゃから、これはただの道楽に過ぎぬ」
言って、ヒミコはハルへ視線を投げかけた。
「見てみたいとは思わぬかえ? 妾と結婚するためだけに、世界を敵に回すと宣言したこ奴の行く末を。人の身でありながら、魔族である妾の為に全てを捨てる大馬鹿者の行動を。妾が思うのはそれだけじゃ。故に、これは道楽と言うほかあるまい」
自身の存在すら危うくしかねないことを、しかしヒミコは実に楽しげに言った。その様子を見て、きめんどうしも決断するように目を閉じる。
「…………分かりました。ヒミコ様がそう仰るなら、もはや止めますまい」
「すまぬなゴウル。苦労をかける」
「元より、この身はヒミコ様の為に存在しておりますが故に」
主従。この二人の間を表すに、これ以上の言葉は存在しないだろう。ハルは両者の間にある信頼を羨ましい、とは思わない。おそらく、儚い彼女を支えていたのは、このきめんどうしだったのだから。
「ハル。そなたがここを好きに使うことを許そう。そうでもなければ、あっさりと死んでしまうじゃろうしな。少しでも長く、妾を楽しませるがよい。ここにおるゴウルが、実質的なこの地の管理者じゃ。何かあれば頼るとよかろう」
言われて、きめんどうしがトンと手に持った杖で自分の存在を示す。
埴輪型でえんじ色をした胴体。大きさはだいたいハルの腹ぐらいか。思っていたよりも大きく、現実空間で見ると、どことなく置物や着ぐるみくさい印象を受ける。
「先ほどから呼ばれておるが、きめんどうしのゴウルじゃ。ヒミコ様の最も古き部下であり、現在ではここの管理を任されておる。こうなったからにはお主も一蓮托生の身じゃ。もし、お主の存在がヒミコ様にとって悪しきものとなるのならば、即刻処断する故承知しておれ」
「……ま、そうならないように頑張るさ。俺はハルだ。これからよろしく頼む」
釘を刺してくるゴウルに向かって、軽く肩を竦めながらハルは名乗る。彼の立場からすれば、ハルにいい感情を覚えないのも仕方ないことだ。
「あとは……イヨ」
「は、はい!」
ヒミコに呼ばれ、後ろにいた娘が返事を返す。
整った顔に色白の肌。セミロング程度の髪を後ろで束ねている。清楚な雰囲気を持った、男性ならば保護欲をかき立てられるような娘である。
「こ奴の面倒を任せる。適当に世話をしてやってくれ」
「はい。承りました」
恭しく娘が一礼をする。
「初めましてハル様。イヨと申します。この場所では一番古い人間ですので、何かあれば申しつけ下さい。一応、巫女をやらせて頂いています」
「巫女?」
「はい。基本的には神を身に降ろして神託を聞く者のことですが……私はできたことがありませんので一応です。後、簡単な回復呪文とLvの確認ぐらいならできます」
「……なるほど」
要するに、神官と王様を足して二で割ったような職業なのだろう。しかしまた、ヒミコとイヨとは、面白い関係性の名前だ。一番古い人間とは一番最初の生け贄だということ。おそらくは、元のヒミコにより捧げられた娘か。見る限りでは今のヒミコのことをよく知っているようであるし、信頼もありそうだ。きっと、初めて出会ったときに色々あったのだろう。
そして、何よりも気になったのはLvの存在だ。もしこれが、ゲームのものと同じであれば、ハルにとってかなりの朗報である。
Lvさえ上がれば、魔王を打倒する可能性が上がるということなのだから。
「よろしく頼むなイヨ。まぁできれば様付けってのは止めてもらいたいんだが……」
「そんな! ヒミコ様の客人に対してそのように無礼な真似はできません!」
被せるように全力で否定してきたイヨに、ハルは軽く頭をかいた。後ろではヒミコが「別にもっとぞんざいに扱っても構わんじゃろうに」などと呟いているが、イヨにはどうにも無理らしい。
「……だよな。いや、あんたの態度からは想像はしてたが。ま、いいや。いずれ慣れるだろ。後は……Lvの確認ってすぐできるのか?」
「え? はい、私の場合こちらの勾玉を手に祈りを捧げれば脳裏に浮かんできますから、それほどお手間は掛かりませんが」
「なら、ちょっと俺を見てくれないか? 結果はだいたい分かるんだが、見てもらったこ とがないんでね」
ハルに言われて、イヨはヒミコ達を仰ぎ見る。この場で始めても構わないかという確認であったが、ヒミコが頷いて返したので、イヨも了承した。
「分かりました。では、ハル様。お気を楽に座っていて下さい」
と、イヨは両手で勾玉を包み込み目を閉じた。集中しているのか、そのまま少しの間じっと動かず、やがてゆっくりと目を開ける。完全に開くのではなく、うっすらと半眼でハルの方を見ているが、その焦点はハルの姿を捉えているようで、その実、全く違うものを視ているようだった。
「ハル様の現在のLvは……え? 嘘……?」
「どうかしたのかえ?」
当惑して呟くイヨに、ヒミコが声を掛ける。
「い、いえ……ハル様の現在のLvは1。次のLvまではさほど遠くないようです……」
Lv1。ハルとしてはまぁ妥当なところだ。別段鍛えていた訳ではないし、スタートするのは当然Lv1からだと考えていた。
しかし、他の面々を見ていれば、皆一様に唖然としている。
「れ……Lv1って……そなたは生まれたての赤子か!?」
「まさかそこらの子供以下とは……よく今まで生きてこられたのう……」
「え? 何その反応? すっげぇ意外なんだけど……」
若干哀れみさえ籠もった目で見られて、さしものハルも動揺を見せた。イヨが非常に言いにくそうにしながら、そんなハルの疑問に答える。
「その……戦わない一般人のLvが成人でだいたい5ぐらいなんです。一般的な兵士のLvで8前後で……小さな子供だと2か3が普通でしょうか……」
「あー……小さな子供って何歳ぐらい?」
「………………………………二歳から四歳ぐらいです。Lv1というのは乳児かダーマ神殿で転職したばかりの方ぐらいしかおりません。それに、転職したばかりの方は元々の強さが違うのですぐLvも上がりますから、ハル様ほどの年齢の方では…………」
考えてもみれば当たり前の話である。勇者がLv1スタートあくまでゲーム的処理なのであって、いくら何でもそんな弱い人間に希望を抱くのは不可能というものだろう。そうすればハルのLv1というのは驚かれても仕方ないのかもしれない。
さすがに少しばかり気落ちもしたが、今の情報はかなり重要性が高い。
ダーマ神殿の存在。やはり転職はあるようだが、転職のシステムはドラクエ3の仕様らしい。特技と能力が変わる6や7の仕様ではないようだ。イヨの話を聞く限りではほぼゲーム通り、能力が+された状態からのLv1スタート。凡庸の存在が勇者を超える可能性は十分にある。
「その体で大見得きったものじゃな……そなた、本当に戦えるのかえ?」
「さて……自分ではどこまでやれるのか分からんからなぁ」
「…………………………そなた、考えなしにも程があるのではないか? 仕方ないのう。ゴウル、少しこ奴と戦ってみよ。ハルも、それでよいな?」
「…………………………正直不安で仕方ないのですが……分かりました」
「いいぞ? 俺も知っておくべきことだしな」
両人が了解し、ヒミコが頷く。二人が戦う場所は、部屋を出た広間であった。
***
「………………………………ヒミコ様。無かったことにした方がよいかと思いますが?」
「っ!! っ!! わっ、妾もっ、じゃっ、かんっ、そうっ、思わなくもっ、ない!!」
背中を丸め込んで引きつけを起こしたようになっているヒミコにため息を吐いて、ゴウルは遠くで倒れているハルを見る。
俯せになり気を失っているハルの横では、イヨが呼びかけながら必死にホイミを掛けていた。
「まっ、まさかっ! 素手っ! 素手一撃とはっ!」
「………………………………とりあえず、落ち着きなされ。笑われすぎですじゃ」
そもそも、身体能力が違いすぎた。
銅の剣を手に、ゴウルに何かを仕掛けようとはしていたようだが、結局剣を一度振っただけ。何もできないままにゴウルに殴られて吹き飛ばされたのである。
よもや格闘能力が低いきめんどうしに、しかも軽く打ち出された素手の攻撃でKOされるとは予想外にも程がありすぎた。完全にツボに入ったヒミコは普段の面影などすっかり無い状態で笑っている。
しばらくの後、気がついたものの仰向けに寝転がったままのハルの元に、ようやく笑いの収まったヒミコが近づいた。
「……き、気分はどうじゃ?」
「…………まぁ、弱いのは自覚してた。まさかきめんどうしに殴られてやられるなんて夢にも思わなかったが。後、無理に笑い止めなくていいからな」
「いや、散々笑ったからの。ほんに、色々と笑わせてくれる男じゃて…………しかし、まだ考えは変わらんかえ?」
ヒミコはハルの聡さを理解した上で問う。きめんどうしにすら到底敵わない者が、遙かに強い魔王を倒せるのかと。意地の悪い質問だ。そのくせ、ハルに求めている答えは一つだけなのだから。
だが、それに応えぬハルではない。
「当たり前だ。見てろ、今に強くなってやるから」
答えを聞いたヒミコは、それまでの引きずり出された笑いと違い、本当に楽しそうに笑った。
「ふふ……まあ、期待せずに待っておいてやろう」