体中に響く痛みを無視して動けるのは一度だけ、あと一回の攻防で勝負が決まらなければ、俺は負ける。
俺たちが勝っても、俺が負けては、俺の中では意味がない。
そんな形でマールを助けられたとしても、どうやって顔を合わせればいいか分からない。……どう戦うか……
思考を重ね、一つ、策ともいえない策を思いつく。悪ガキの発想に毛が生えたような策。それでも無手で挑むよりはマシだ。
「ルッカ! あれを返してくれ!」
戦闘中のルッカに声を掛ける。
ルッカは戦闘の最中でありながら、すぐに背中に付けてあった物を投げ渡してくれた。
「……刀ですか」
王妃が確認するように言う。
俺がルッカに渡してもらったのは鋼鉄の刀を手に入れたときから、後援のルッカに預けておいた青銅の刀だ。
身軽でないといけないスピードタイプの俺は前衛の俺たちよりも比較的安全な位置にいるルッカに持たせておいたのである。
「二刀流だ。問題ないだろ?」
「構いませんよ。二刀でも私に当てることは無理でしょうし」
「分かってねえな。俺は宮本武蔵ファンクラブに入ってる位なんだぜ?」
無駄口を叩きながら、後ろ手に青銅の刀に細工をする。
油断しきっている王妃は俺のやっている事に気づきはしない。
「もう、始めましょうクロノ。時間はそう残されていないようです」
王妃が大臣とカエル達の戦いを横目で伺い戦いの再開を催促する。
見れば大臣の右腕にカエルの剣が突き刺さっているところだった。暴れまわった大臣はトドメを刺されることは無かったが、倒れるのはそう遠くなさそうだった。
……モンスターとはいえ、人間時に会話をしたこともあり、その凄惨な光景に目を背ける。
視線を逸らした先に見えた王妃の手は、何かを堪えるように強く拳を握り、酷く震えていた。表情が変わらないのは、王妃としての意地だろうか?
「優しいのですね? クロノは。……敵であり、モンスターでもある大臣がやられている様を嫌がるとは」
「……これが普通の反応だろ? 敵だろうが……なんだろうが、関わった事がある奴がやられるのは、嫌なもんだ。甘いと言われても、さ」
あえてモンスターという単語は避けた。
その口振りから、きっと王妃にとって大臣がモンスターであったことはどうでもいいことで、俺たちがモンスターという理由だけで大臣を倒すのは、目を背けたい事実なのだと分かったから。
「さあクロノ、貴方の体力ではこれが最後なのでしょう? 全ての力を込めてかかって来なさい」
王妃があの縦拳の構えを取る。
俺の細工も完成した。
王妃に向けて合掌し頭を下げる。戦いに礼儀なんていらないんだろうけど、この人にはそれを見せておきたかった。
「……行くぞ、リーネ王妃」
言い終わると同時に右足を蹴りだし、俺に出せる最高の速度で距離を縮めていく。
距離、五メートル。
まだまだ、加速は乗り切ってない。残り四メートル。
……そろそろ良いか? 残り三メートル。
俺は走るスピードを乗せて左手の青銅の刀を振る。当然当たるはずもない距離で刀を振った俺に王妃は怪訝そうな顔をして、次の瞬間硬直する。
まあそうだろうさ、飛んできたのだから。青銅の刀の鞘が。
一瞬の硬直から抜け出した王妃は、それでも冷静に飛んできた鞘を叩き落す。
「少し驚きましたが、ただの子供だま……!!」
次に王妃が見えたものは、青銅の刀の刀身だった。
これが、俺の細工の意味!
あらかじめ二刀流だと宣言しておくことで、王妃の経験から作られるシュミレートにこのような使い方をするという想像を作らせない。
あくまで相手の虚を突くだけの、嘘とハッタリの作戦。俺にしては上出来だ。
「……くっ!」
鞘が飛んできたときには崩さなかった縦拳の構えを、刀身を叩き落すために右足で蹴った為、崩さざるを得なくなった。
その大きな隙に回転切りをねじ込んでやろうと残り僅かな距離を詰める……それでも。
「言ったでしょう? 私は縦拳を極めた、と。構えを再構築するのに、私は瞬きする時間すらかけません!」
王妃という壁は、なお高い。
俺の予想を遥かに上回るスピードで縦拳の構えを取る王妃。
俺は回転切りを中断して、王妃に突きを繰り出す。
「遅すぎる!」
王妃の体に届く前に拳が前に突き出され……俺の刀の切っ先に当たった。
「な!?」
はなから王妃に当てようなんて考えてはいない突き。これは王妃の縦拳を防ぐためだけの攻撃だった。
青銅の刀の鞘、刀身、それらの策は成功すればそれまで、もし防がれても次に繋がる布石として活用される。
鋼鉄の鞘は砕け、剥き出しの刀身が姿を現す。
手が痺れて、刀を投げ出したい衝動に駆られるが、歯を食いしばり、そのまま王妃の右側に左足を置いた。
「回転切り……!!」
元々、この回転切りという技は先制に使うものではなく、相手の攻撃をいなした後に使うよう作った技だ。
本当なら側面から膝裏、背中、後頭部に一撃ずつ入れていくのだが、俺にその体力は無い、だから、一撃。この一撃に全ての力を乗せて……!!
「くたばれ! リーネ王妃ぃぃぃ!!」
刀の峰を王妃の後頭部に当てた後、なんだか悪役みたいだなあ、とぼんやり思った。
星は夢を見る必要は無い
第六話 プライドとは、口にすれば容易く崩れさるだとかなんとか
「良いですか王妃様? そいつは貴方を、つまりガルディア城王妃を攫ったんですよ? 今ここで切り殺すのが道理であって」
「駄目です! 大臣は、大臣は優しい人です! コーヒーだけでなく紅茶も淹れるのが上手いのです! ですからどうか許してあげて下さい! お願いしますカエル!」
「しかしですなあ……」
厳格な人物を演出したいのかどうか知らんが、王妃様に懇願されるのが嬉しくてたまらないという顔をしているカエル。
ストーカー気質の上サドとは、救えねえ、砕けろ。
王妃を気絶させ、俺も役には立たないかもしれないが、それでも……! と足を引きずりながらカエルたちの加勢に向かおうとすると、その前にカエルたちと戦っていた大臣が「うううおおおお王妃いいいぃぃぃぃ!!」と叫びながら走りより、人間時の姿に戻って倒れた王妃を揺さぶっていた。
頭を打った人間を動かすのは止めたほうが良いですよと声を掛ける暇も無かった。
ちなみにカエルは「出遅れただと! この俺がか!? リーネたんでムハムハしたい委員会名誉会長の俺がか!?」と慟哭の叫びを放っていた。俺は言っても分かる奴なら言うが、そうでない奴には何も言わないと決めているスパルタなので、何も言わないことにした。カエルが何か叫ぶたびにルッカが火炎放射器の燃料をチェックしていた。とりあえずウェルダムでお願いしますルッカさん。
「もういいじゃないカエル。さっきの反応を見た限り大臣は王妃様を傷つけようとか、危害を加えることは絶対にしないはずよ。それに私としては大臣よりあんたを処罰したいわ腐れかえる」
「ルッカの言うとおり、自分が戦ってるのに王妃の心配をして駆けつけるなんて、中々出来ることじゃないだろ。俺としても大臣は憎めない奴だって分かってるしさ。後いつお前珍生物捕獲研究所とかに捕まるの?電話番号教えてくれたら今すぐ連絡するんだけど、この下種両生類。略してげっ歯類。」
「誰がねずみ科か!」
「おお、流石はクロノとお嬢さん! この緑の化け物ゲコロウと比べてなんと大きな心でしょう!」
「げ、ゲコロウ……」
王妃の言葉に落ち込みソファーの上で丸まってしまったカエル。妙なサドっ気を出すからだ。それはそれとして王妃様、ゲコロウって何? どこからの引用?
「わ、ワシを助けてくれるのか!?」
縄で縛られた大臣が驚きの声を出す。
だって、あんたを助けないとまた王妃様とのバトルが始まるんだもん。無理だよ。
俺と戦ったときはずっと加減してくれてたみたいだし、本気で戦ったら一発で意識消失、縦拳にいたったら確実に内臓破裂、まあ間違いなく死ぬだろうな。俺薄々感づいてたけど、生物学的に男より女のほうが強いんだね。ルッカとか母さんとか王妃とか。
その後、大臣は城から去ることになり、王妃は泣いて嫌がったが、過程はどうあれ王妃を攫ったのは事実。大臣が城に戻れば極刑は免れないというルッカの説得が通じてしゃくりあげながら王妃も納得した。
ちなみに、この作業で二時間使った。ルッカのストレスは横で萌え萌え言ってたカエルにぶつけられた。理不尽にも俺にもぶつけられた。なんでやねん。
長い長い戦いを終えて、王妃捜索に決着がついたのだった……
「心配したぞ、リーネ」
「うあっ、大臣が、大臣が何処かに行ってしまったのですー!!」
「リーネ様! わしはここにいますぞ!」
城に帰り、王と対面してもリーネ王妃は泣きっぱなしだった。森に現れるモンスターや、まだ俺たちがリーネ王妃を攫ったと勘違いして捕まえようとする兵士達を殴り倒しながらの帰還だった。凄い楽なのに凄い疲れるという矛と盾の関係。
至極どうでもいいのだが、本物の大臣はリーネ王妃が捕らえられていた(捕らえられていた?)部屋の宝箱の中に押し込まれていて、それを救出した。驚いたルッカがエアガンをぶっ放したことは可愛いお茶目である。とはルッカの言だ。大臣の服は赤く染まっている。カエルの舌も疲れている。
「しかしあれですな、あのヤクラの奴、大臣であるワシになりすましリーネ様を攫うなど、ああいう輩を厳しく罰するためにもこのガルディア王国にも裁判所や刑務所を作らねばっそい!」
腰に手を当てて偉そうなことを言っている大臣にリーネ王妃のドロップキックが炸裂した。擬音はさしずめメメタァ!! だった。
吹き飛ばされた大臣の二次災害で高そうな壺が二、三割れて、王様がしょぼくれた顔をした。マルチーズみたいな顔になるんですね。
「大臣の悪口は許しませんこの偽大臣! 大臣(仮)!」
「リーネ様!? 偽大臣はともかく大臣(仮)とはこれいかに!?」
大臣(仮)が論点の違う抗議をする。
正直あのヤクラって奴のほうが俺は好感が持てたな。帰る前に淹れてくれたコーヒーはえらく美味かった。一緒に出してくれたバームクーヘンも美味だった。リーネ王妃が言うにはお菓子の類は全部ヤクラの手作りだったそうな。お前が真の大臣だ、ヤクラ。
「リーネ様を守りきれず、面目次第もございません」
喧々囂々としている王の間にカエルの声が通る。
王妃に馬乗りになられて頬を引っ張られている大臣を羨ましそうな、殺したいようなという目で見ながら。
謝ってる時くらい真面目になろうよ、面接で落ちるよ?そういう所プロの人は見抜いちゃうんだから。
そのままカエルは王の間を立ち去り、城を出ようとする。……のだが、ちらちらこちらを見てうっとうしい。去り際に王妃様から何か言われるのを期待しているのが見え見えだ。最初から最後までうざいなこいつ。
「あっ、カエル!」
ようやく声を掛けられてパアッと花開くような明るい顔で振り向くカエル。しかし、王妃の顔は無表情で、
「恨みます」
の一言だった。花の命は短い。
俺たちは王様達に頭を下げて、カエルの後を追う。まあ、心の底から嫌いでも、一応仲間だったかもしれないような夢を見たのだから、別れの挨拶くらいしてもいいだろう。
俺たちの足音が聞こえたカエルは立ち止まり、声を掛ける前に先に話し出した。
「俺が近くにいたため王妃様を危機にさらしたのだ……俺は旅に出る」
何でやの?と聞けるムードではなかったのでここは静かに聞いておくことにする。
ていうかお前王妃様のことしか喋れないのか?
そのまま歩いて、城の扉に手を掛けた時、カエルが振り返った。
その顔は敵と戦っているときの精悍なものではなく、王妃様にデレデレしている時の顔でもない。優しく微笑んで、ほんの少し嬉しそうでもあった。
「クロノ!お前の太刀筋は中々見込みがあったぞ」
そのままカエルは城の外に姿を消した。
……一瞬、カエルの横に髪の長い人間が見えたのは、気のせいだろうか?
「……かえるも悪くないもんね」
カエルの後ろ姿を見送ったルッカは、ぽつりと俺にだけ聞こえる程の呟きを漏らした。
「……本当にそう思ってるか?」
「…………」
最後だけ決めたからって今までの失態は覆い隠せない。
どれだけ伸ばしても、風呂敷で家を包めはしないのだ。
「………そうだわ! すっかりマールディア姫の事を忘れてた!」
誤魔化し方が下手なのは御愛嬌。ここで突っ込んだらハンマーが飛んでくるので何も言わない、俺は今まで生きてきた人生で何も学ばなかったわけではないのだよ。
「ねえクロノ! マールディア様はどこで消えた? もしかしたらそこに……」
いるかもしれないと……だが、俺はそもそもマールの消えた場所を知らない。
騎士団の部屋でグータラしてたら消えたということしか知らないのだから。
が、ここでそれを暴露すれば間違いなくルッカは俺を殴る。それはもう、大きく振りかぶって殴る。
やっべ、今日一番のピンチじゃね?
……一か八かだ。
「王妃様の部屋だ。そこでマールが消えた。うん、そうに違いない」
王妃様が部屋でお待ちですと寝ている俺にしつこいくらいメイドが話しかけてきたので覚えている。
おそらく王妃様の部屋で延々俺を待っている間にマールが消えたのだろう。でなきゃ俺は滅入る。
「……? まあいいわ、急ぐわよクロノ!」
突っ立っている兵士に王妃様の部屋の場所を聞き出し、二人でそこに向かう。王妃様の部屋に行くには階段を上らなくては行けないようで、その階段が長すぎて発狂しそうだった。
あと行く道行く道に落ちている宝箱の中身を回収するルッカはこいつの子供は盗賊になるんじゃないかと心配するほどだった。
「「………」」
王妃の部屋に着いた。これは良い。
中にマールがいた。これも良い。
マールが椅子に座って机に足を投げていた。良くない良くない良くないよー。女の子のマナーは男のマナーより重視される時代だからね。
「……ああ、クロノ。何か用? すっごく待たされたけど、今更私に何か用? 私のことなんて忘れてたんじゃないの?」
おお、グレてらっしゃる。
この待たせたというのは最初に待たせた六時間前後のことなのか、王妃様を助けた後の王妃様説得にかけた二時間なのか。後者は俺の責任じゃないんだが……
しどろもどろになっている俺に小さく溜息を吐いたマールは「もういいよ」と答えて、俺に近づいてきた。
「……怖かった」
「……ごめんな、本当に悪かった」
いきなり知らない場所に飛ばされて、いきなり他人に間違えられて、いきなり城に連れてこられて、怖くないはずは無いよな……六時間はやり過ぎた……
「意識が無いのに、冷たい所にいるのが分かるの。……死ぬってあんな感じなのかしら?」
……答えづらい。そうだ! というのもおかしいし、違う、死とは完全な無なのさ! と思春期みたいなことを言う気はしない。そもそもマールの問いは答えを求めたものじゃないんだろうけど。
「マールディア王女様、ご機嫌麗しゅう……」
ルッカが跪いて、マールになにやら御大層な言葉をかける。キャラおかしくねえ? お前。
「貴方も来てくれたの! ……マールディアって……え!?」
深刻な顔をしているところ申し訳ないのだが、俺の後ろにいたルッカに今気付くってのはおかしくないだろうか? ルッカもルッカで小さく「二人の世界になんて入れないんだから……」とかブツブツ言ってるし。
「バレちゃったみたいね……」
マールは悪戯がばれたみたいにあーあ、と両腕を前に伸ばして、ベッドに座る。
「ゴメンね、クロノ。騙すつもりはなかったの」
ここからはマールの独白。
そう感づいた俺たちは、俺もルッカも口を挟むことはなかった。
「私はマールディア。父はガルディア王33世……」
悲しげに顔を伏せて、マールの右手はズボンの裾を掴んでいた。
「けど、私だってお祭りを男の子と見て回りたかったんだもん。私が王女様だって分かったら……分かったらさ……」
最後は涙声が混じり、次の言葉を紡ぐのに少しの時間を要した。
俺たちからすれば僅かな時間でも、マールにとっては酷く長い時間に感じただろう。大事なことを言う時、時間はその流れを止める。
「ク……クロノは、一緒にお祭り見てくれなかったでしょ?」
マールは顔を上げて、出来うる限りの笑顔を浮かべていた。
別にそれでいいんだよ、それが普通なんだからと、自分に言い聞かせるように。
俺が肯定を示しても、泣き出して俺を困らせないように、精一杯の笑顔を虚勢で固めて。
……俺はどうだろう?
口先だけではいというのは簡単だ。それで女の子の涙が止められるなら言うことはない。
けれど、良いのか?
そんな簡単に答えを出しても良いのか?
涙って、そんな理由で止めて良いのか?
マールは本心を俺に曝け出してくれてる。なら俺も本音で返すべきだ。
だから、俺の答えは……
「……分からない」
「ちょっと! クロノ……」
そこは嘘でも違うと言え、とルッカが俺を責める声を出す。
でも、駄目だ。それじゃあどこかで綻びが生まれる。
俺がマールを助けた理由。それははっきり言えば義務感、さらに言えばルッカの為。マールが、『マール』だから助けた訳じゃない。
勿論一緒にお祭りを回れて楽しかったし、可愛いと思ったし、深く突っ込んだら守ってあげたい女の子だとも思ったけど……
そもそもそれ以前に、お祭りを一緒に見てない初対面の時に「私はこの国の王女です、私と一緒にお祭りに行きましょう」なんて言われて了承するか、と言われればいいえとしか言えない。
だから、『分からない』は俺が最大限に譲歩できる答え。
「そっか……ありがとう、クロノ。ごめんね、急に変なこと言っちゃって」
「……いや、別にいいよ」
「………さて! 本物の王妃様も戻ったことだし、そろそろ私たちの時代に帰りましょう!」
ルッカがなんとも言えない顔で俺たちを眺めていたが、この空気に耐えられなかったのか手を叩いて大声で場を仕切った。
「うん、そうだね! 行こうクロノ!」
笑顔で俺を促すマールに悲しみの色は見えない。でも、それは奥深くに取り込んだだけで、決して消えたわけではない。
城を出て、森に入ろうとする前に俺はふと夢想した。
今まで同年代の友達も作れず、遊びらしい遊びも経験してこなかったこの少女に、嘘でもあの時王女でも関係ない、俺たちは友達だろう? と言った場合の未来を。
きっとこの天真爛漫で、無垢で、純粋な少女は思いっきり両手を上げて飛び跳ねるのだろう。そして、彼女は言うのだ。
「さっすがクロノ! 私たち友達よね!」
私たち友達よね。
この言葉を言える時を、マールはどれほど心待ちにしているのだろうか?
それを考えると、じくじくと胸が痛み出し、それを無視するように森に落ちている木の葉を強く踏みながら歩行を再開した。
「……? どこから帰るの?」
裏山に着き、俺が最初にこの世界にやってきた場所まで歩くと、先導していたルッカが立ち止まり、マールが疑問の声をあげた。ルッカよ、何か聞かれるたびにフッフッフッ、って笑うのやめてくれないか。怖いったら無いんだ。
ああ、凄い今更なんだけど、本当にマールってお姫様だったのね。この分だとこの世界が昔のガルディア王国だってのも本当なのかもしれないね。自分でも遅すぎる真実の発覚だと思うけど、無理だろ、いきなり過去に来たんですよとか言われてもさ。なんせルッカの言うことだし。
「恐れながらマールディア王女……いやさ!ここまでくればもうマールと」
「マールでいいってば!」
「………」
あ、こいつら言いたいことが被ったな。
ルッカに至ってはちょっとウケを狙ったのが裏目に出てすっごい恥ずかしそうだ。
「「………」」
二人とも何かしら気まずくなって黙り込んでしまった。
こういう場合一番気まずいのは第三者なんだから早く切り替えてくれないと困るよ。いつだってワリをくうのは無辜の民なんだ。
「……で、ではマール。これをご覧下さい。そおい!」
その掛け声は婦女子としてどうなのかねコロンボ君。
「きゃっ!」
ルッカが妙ちくりんな機械を掲げると、空中に大きな黒い穴が出現した。確か、マールが吸い込まれた時に出た穴と同じように見えるが……
「ルッカ、すごーい!」
純粋なマールはよく考えずルッカを持ち上げる。そこから叩き落してくれんかね。
いや、普通に凄いんだけどさ、なんかルッカの機械が上手くいけば大概後から嫌なことが起こるんだよ。
それから先はルッカが調子に乗って、それを恥じて、マールが気にしないでいいよ! と可愛らしい抗議を上げて……と、大変男子のいづらい空間を形成された。
先生、クロノ君が仲間外れにされてます!
「私は、この歪みをゲートって名づけたんだけど……」
ルッカが黒い穴を指差して説明を始める。
歪み? 穴でいいじゃないか、なんでちょっと難解な言葉を使うんだ、俺の学力を舐めてるのか? 俺は体育の成績以外全部がんばろうだったんだからな。
本来数字の1~5で判定するのだが、俺の成績表だけなぜか手書きでよくできましたとかがんばろうだった。いじめかな?と思う反面俺だけ特別なんだ、とちょっとした優越感を感じた。
「ゲートは違う時代の同じ場所に繋がっている門のようなものなのよ」
……あ、マールが髪を弄りだした。
「出たり消えたりするのはゲート自体が不安定だからなの。そこでテレポッドの原理を応用してこの……あれ? どこだったっけ? ……あ、あった」
ハムスターのグルーミングのように体中をまさぐるルッカ。マールや、一人○×ゲームは止めなさい。見てて痛々しいから。
「ゲートホルダーを使ってゲートを安定させてるってわけ、分かった?」
「「はーい」」
俺とマールは二人揃って返事をして、ルッカはよろしいと頷く。そういう専門的なことは貴方に一任しますよドドリアもとい、ルッカさん。
「けど何で、このゲートがあの時突然開いたの?」
あれだけ一人遊びに夢中だったのに、きっちり話を聞いていたのか?恐ろしい娘っ!
「テレポッドの影響か、あるいはもっと別の何か……」
腕を組んで思案するルッカをみて、マールがそれを真似して腕を組み、難しい顔をする。可愛いね、おじさん興奮してしまうよ。
「何だかムヅカシイんだね……とにかく帰ろうよ! 私たちの時代に!」
「うん、そうね! 帰りましょうクロノ!」
おう! という前に二人はゲートの中に入って行った。
肩落ちしながら、俺もゲートの中に入ろうとする。しかし、その前にある事実に気付いてしまった。
「俺、城からここまであいつらと一切面と向かって会話のキャッチボールしてねえ」
マールとは気まずい空気になったからしょうがないとしてもルッカさん、俺を構ってあげようよ。知ってるだろ?クロノ族は一定時間人とのコミュニケーションが無いと孤独死するんだって。そのくせ自分から話しかけられないシャイ野郎なんだって。
この世界から出るときに浮かんでいる感情は、寂しいだった。
……両生類でも、近くにいれば話し相手にはなるもんだな。
目をつぶり、思い浮かんだカエルの姿は王妃様を見て鼻血を垂らしている所だった。あいつのことは忘れよう、二度と会うこともあるまい。
ゲートが閉じて、俺たちの意識は急速に薄れていった……
「それでは被告人を連れてきます!」
俺は両手を前に縛られたまま、暗い廊下を歩く。
明かりのある部屋にでて、大勢の人間が見ている中、証言台の前に立った。
「この男をどうしましょう……火あぶり? くすぐりの刑? 逆さ吊り? ……それとも、ギロチンで首を……」
「オーディエンスを使います」
「駄目じゃ、潔く死ね」
……俺が一体、何をしたというのだ。
私クロノは、裁判にかけられ、若い命を散らすかもしれない瀬戸際に立たされています。
……あれえ?