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No.20619の一覧
[0] 星は夢を見る必要はない(クロノトリガー)【完結】[かんたろー](2012/04/28 03:00)
[1] 星は夢を見る必要はない第二話[かんたろー](2010/12/22 00:21)
[2] 星は夢を見る必要はない第三話[かんたろー](2010/12/22 00:30)
[3] 星は夢を見る必要はない第四話[かんたろー](2010/12/22 00:35)
[4] 星は夢を見る必要はない第五話[かんたろー](2010/12/22 00:39)
[5] 星は夢を見る必要はない第六話[かんたろー](2010/12/22 00:45)
[6] 星は夢を見る必要はない第七話[かんたろー](2010/12/22 00:51)
[7] 星は夢を見る必要はない第八話[かんたろー](2010/12/22 01:01)
[8] 星は夢を見る必要はない第九話[かんたろー](2010/12/22 01:11)
[9] 星は夢を見る必要はない第十話[かんたろー](2011/08/02 16:03)
[10] 星は夢を見る必要はない第十一話[かんたろー](2011/01/13 06:26)
[11] 星は夢を見る必要はない第十二話[かんたろー](2011/01/13 06:34)
[12] 星は夢を見る必要はない第十三話[かんたろー](2011/01/13 06:46)
[13] 星は夢を見る必要はない第十四話[かんたろー](2010/08/12 03:25)
[14] 星は夢を見る必要はない第十五話[かんたろー](2010/09/04 04:26)
[15] 星は夢を見る必要はない第十六話[かんたろー](2010/09/28 02:41)
[16] 星は夢を見る必要はない第十七話[かんたろー](2010/10/21 15:56)
[17] 星は夢を見る必要はない第十八話[かんたろー](2011/08/02 16:03)
[18] 星は夢を見る必要はない第十九話[かんたろー](2011/08/02 16:04)
[19] 星は夢を見る必要はない第二十話[かんたろー](2011/08/02 16:04)
[20] 星は夢を見る必要はない第二十一話[かんたろー](2011/08/02 16:04)
[21] 星は夢を見る必要はない第二十二話[かんたろー](2011/08/02 16:05)
[22] 星は夢を見る必要はない第二十三話[かんたろー](2011/08/02 16:05)
[23] 星は夢を見る必要はない第二十四話[かんたろー](2011/08/02 16:05)
[24] 星は夢を見る必要はない第二十五話[かんたろー](2012/03/23 16:53)
[25] 星は夢を見る必要はない第二十六話[かんたろー](2012/03/23 17:18)
[26] 星は夢を見る必要はない第二十七話[かんたろー](2011/08/02 16:06)
[27] 星は夢を見る必要はない第二十八話[かんたろー](2011/08/02 16:06)
[28] 星は夢を見る必要はない第二十九話[かんたろー](2011/08/02 16:06)
[29] 星は夢を見る必要はない第三十話[かんたろー](2011/08/02 16:07)
[30] 星は夢を見る必要はない第三十一話[かんたろー](2011/08/02 16:07)
[31] 星は夢を見る必要はない第三十二話[かんたろー](2011/08/02 16:08)
[32] 星は夢を見る必要はない第三十三話[かんたろー](2011/03/15 02:07)
[33] 星は夢を見る必要はない第三十四話[かんたろー](2011/08/02 16:08)
[34] 星は夢を見る必要はない第三十五話[かんたろー](2011/08/02 16:08)
[35] 星は夢を見る必要はない第三十六話[かんたろー](2011/08/02 16:07)
[36] 星は夢を見る必要はない第三十七話[かんたろー](2011/08/02 16:08)
[37] 星は夢を見る必要はない第三十八話[かんたろー](2011/08/02 16:07)
[38] 星は夢を見る必要はない第三十九話[かんたろー](2011/08/02 16:06)
[39] 星は夢を見る必要はない第四十話[かんたろー](2011/05/21 01:00)
[40] 星は夢を見る必要はない第四十一話[かんたろー](2011/05/21 01:02)
[41] 星は夢を見る必要はない第四十二話[かんたろー](2011/06/05 00:55)
[42] 星は夢を見る必要はない第四十三話[かんたろー](2011/06/05 01:49)
[43] 星は夢を見る必要はない第四十四話[かんたろー](2011/06/16 23:53)
[44] 星は夢を見る必要はない第四十五話[かんたろー](2011/06/17 00:55)
[45] 星は夢を見る必要はない第四十六話[かんたろー](2011/07/04 14:24)
[46] 星は夢を見る必要はない第四十七話[かんたろー](2012/04/24 23:17)
[47] 星は夢を見る必要はない第四十八話[かんたろー](2012/01/11 01:33)
[48] 星は夢を見る必要はない第四十九話[かんたろー](2012/03/20 14:08)
[49] 星は夢を見る必要はない最終話[かんたろー](2012/04/18 02:09)
[50] あとがき[かんたろー](2012/04/28 03:03)
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[20619] 星は夢を見る必要はない最終話
Name: かんたろー◆a51f9671 ID:a89cf8f0 前を表示する / 次を表示する
Date: 2012/04/18 02:09
 止まっている、と確として意識できたのは初めての事だった。余りに驚いたので、今や自分が何処にいるのかすら分からなかった。分かった時のその驚きは今まで生きてきたどのような出来事よりも大きかった。母様の豹変すら些事であると思えるほどに。
 私は、薄皮のような円型の膜に閉じ込められていた。手で触れると、ふよふよとした柔らかい感触が手に伝わる。ただ、閉じ込められたという表現通り、私はそれを破ることは出来なかった。さらりとした表面には頑強である、強固であるという概念を忘れただ壊れないという事実だけを持っていた。それを理解できるのに要した時間は少ない。単に私が半ば以上諦めていたという点もある。
 円型の膜は私の座る場所から伸びていた。地面ではない、そもそも場所という表現も的確ではない。座るというのも妙な話だ。私は“乗っている”のだ。この奇妙な化け物に。
 姿は……妙な事にラヴォスに似ていた。酷似と言っていい。けれど、それは違うものなのだと私は知っている。こうして触れるほどに近づいた私は分かっている。これは、きっと私でもあるのだ。この醜くて厭らしい、掌で生物を弄びかつ現象すらも操る化け物は。いや、いずれそうなるとでも言おうか。
 それと同時に、私は理解した。きっと私は助からない。助ける者もいない。いや、いたとしてもその人は私を助ける事は叶わない。永劫、こうして下を向いて私が私でなくなる時を待つのみ。
 それも、良いのかもしれない。だって私は……沢山の人を殺した。母様の言うとおりに従ってあの悪魔を呼び起こしたのだから。


「……あはは」


 従っただって。今更になっても私は誰かのせいにしようとするのか。私だ、私がやったんだ。人質とか、肉親から頼みごととか。突っぱねる事も出来た。突っぱねたら誰かが死んだ? 理不尽な二択なんか生きてれば誰だって経験するでしょうに。それを恨むなんて生きている資格は無いのだ。
 体を掻き毟りたくなった。もやもやとする気持ちが溢れて体表から漏れだそうとしているのか。掻いても掻いても霧散することはないその気持ちは徐々に私を浸食していく。狂ったように体中を掻いた。爪は皮膚を破り血が滲み肉を削り出した。
 血は、流れない。
 そうか、私はもう死んでいるのか。なら考える事は無意味なんだ。でも、ならばなんで痛いのだろう。痛いという感覚だけは正常に私を際悩ませる。
 痛みから気を逸らす為、私は昔を思い出す。楽しかった事を。
 昔は、母様は優しかったなあ。厳格であれなんであれ優しかった。弟が出来てより一層私を構えなくなった時、私が泣いて抗議したら、その日の夜は家族三人川の字で寝たものだ。次の日から、母様は溜まった仕事を片付ける為に眼の下にクマが出来ていた。私と一緒の時間に寝る為に仕事を後回しにしたからだと、今の私は分かる。
 ジャキは、可愛かったなあ。いつも口を尖らせて何にも興味がないと言わんばかりだった癖に、アルファドを拾った時は眼をキラキラさせていたものだ。何をするにもアルファドと一緒だった。ちょっと、寂しかった。それに気付いたのかどうか、あの子は「姉様も一緒に遊ぼう」と提案し、私とジャキとアルファドで宮殿中走り回ったものだ。婆やまで混ざって(今考えれば必死に止めていた気もするが)とても楽しかった。日食だったか、ジールが珍しくも朝から暗かった日は、あの子は私の手を離さなかった。姉様が怖くない様にって、強がりじゃなく、自分も怖いくせに私を守ろうとしてくれたのだ。そして、それは今もですか。
 ──ダルトンは意地っ張りでしたね。寂しいのに寂しいと言わない分からない鈍い人。優しいくせに優しいと認めない頑固者。母様が忙しい時、嫌がりながらも私と付き合ってくれた人。嫌なら私の部屋を訪れなければ良かったのに。私の教育係なんて名目だけだって分かってた癖に。うるさいうるさいと言いながらも私の相手をしなかった時はなかった。ずっと一緒にいてくれた。
 私はそれが……悔しかった。求めているのは私だけじゃないか、と気付いた時とても悔しかったのだ。だって私は王女なんだから、そっちが私を求めるべきだと思った。
 歳を取り、一人で外出を認められた時私はあまりダルトンと遊ばなくなった。ジールの民と関わり沢山笑い沢山関わった。皆優しかった……と思う。たまに悪戯したり私の事をパーだのアホだの言っていたのも知ってたけど優しかった……私は馬鹿じゃないです。
 知らないでしょうね、全部、貴方を悔しがらせたかったからなんですよ? 俺以外の者と笑い合うなんて……と寂しがらせてやりたかったから。なのに、貴方はまるで違う事で思い悩んでいた。私は凄く、悲しかった。
 だから貴方の家に行ったのだ、いい加減私に構え!! と叫び散らしたかった。なのに……
 貴女の家の前に立つと、悲しそうな呻き声が聞こえた。泣いていたのだと分かったら、怒りの気持ちは消えていた。
 そうですよ、両親が死んだら泣きますよ落ち込みますよ、私の相手をしてる場合じゃないですよ。なんで私はこんなことも分からないのか。
 帰ろうと思った。私みたいな奴は宮殿に引きこもっていればいいのだから。でも出来なかった。思い至ったからだ。
 私が寂しくて悲しい時は貴方がいた。でも貴方には誰がいるのか。貴方は頑固者だから、誰かに悩みを打ち明けたりしない。誰も貴方を嫌ってないのに、とても大切に思っているのに。貴方は馬鹿だから、とてつもなく馬鹿だからそれに気付かない。
 そこまで考えたら、私は大きな声で貴方を呼んでいた。言葉にしたのは、下らない遊びの誘い。でも私が貴方を意識してから初めてのお誘い。
 貴女はびっくりしてた。何を考えているのかと怒ってた。でも怒るのは私だ。なんで自分だけで悩むのか。私は貴方の力足り得ないのか。怒っている相手は貴方じゃなく……私は私に怒っていた。
 今の今まで私は何故、幼いころより私を助けてくれたこの恩人に礼を返さなかったのか。笑いながらも、自分を貶し続けていた。そして、それらの考えを一蹴するため、私は言葉を紡ぐ。


『格好悪いですね、ダルトンは』(格好悪いですね、私は)


 それから、励ましにもならない生ぬるい言葉を彼にぶつけていった。それらは全部、自分に向けた言葉なのだけれど。
 頑張った事は無意味じゃない、母様に構ってもらえるよう勉強をしたのも魔術の訓練に励んだのも、ジャキやアルファドしか話し相手がいない自分に嫌気がさし人と関わりをもとうと思い行動したのも貴方を……になったのも、そのために努力したのも全て無駄じゃない。
 頑張ったからこそ、私は貴方に会えたのだから。
 貴方は、そんなものかと軽く納得した素振りを見せた。なんだか、たまらなくなった。


 うん。私は貴方が嫌いじゃなかった。これほど貴方の事を思えるのだから、きっとそうなんでしょう。……好きとは、こういうことでしょうか。
 それから…………そうだ。不思議な感情と言うなら、あの人が最たるものだろう。恋愛? ……多分違う。とても嫌いな言葉ですが、敢えて使わせてもらいましょう。これは、運命だった。あの人も似たようなものを私に感じていたはずだ。
 彼は、とても気に食わない人だった。とても無礼だった。嫌な人なんだと思った。それは、妙な話だった。
 私は自分を良く見せたい、構ってほしいという至極利己的な理由で他人を嫌う事は無かった。馬鹿な振る舞いの結果怒られても嫌う事は無かった。それが私だった。でも私はあの人が気に入らなかった。間違いなくそれは特別な人である証。
 いつも下らない喧嘩ばかり、あの人と話していると私は私のままだった。演技なんかなく、とぼけた自分が顔を出していた。いつもは笑いながらにも冷静に相手を分析し自分を貶すことで相手を立てていた私が……躍起になって彼に勝とうとしていた。結局、馬鹿にされましたが!
 ──でも、私が本気である時は、彼は笑わなかった。一緒にいる時は笑ってくれて、頑張っている時は笑わない、真摯に私を見てくれる。本当の友達って、こんなのかな、とアルゲティを出る時に考えた。
 そして、彼は消えてしまう。ラヴォスと出会った時に消えてしまう。それは仲間を守るため。でもその中に私も含まれていた。だってあの人は私を見ていたのだから。もう身体が動く事が奇跡である状態で私を見ていた。真剣に逸らす事無く短い時間でも雄弁に語っていた。生きろって。
 胸の内に甦るのは、業深くも歓喜。私を想い私の為に歩んでくれた、命すら賭けて。ラヴォスなんて破壊神を敬うくらいならば、私は彼を神だと断じよう。その心は気高く美しい。荘厳に堂々と歩むではない、震えながら怖がりながら泣きながら悔みながら敵と対峙する彼のなんと人間らしいことか。死んでもいいと思っていないむしろその場にいる誰よりも死ぬ事を恐れていた。私が見てきた誰よりも怖がりだった。でも立ったのだあの人は。なんと勇敢な事か!
 ……故に。私は彼に興味を持った。幸いか、私と同位体と化しているこの化け物は私に様々な力を与えてくれた。その恩恵(こう呼ぶには些か以上に不満があるが)の一つにゲートを覗くという力があった。それを使い、私は彼らの軌跡を追った。
 彼が出会った仲間たちは、マールさん、ロボさん、カエルさん、ルッカさん以外にも存在した。例えば原始に生きる人間たち。彼らは魔法王国にあるような裕福な生活などしていない。毎日が死の危険と隣り合わせ、それでも笑う事をやめない剛健な人々だった。灼熱の如き大地に根を張り野獣を狩り、喰らい果実を集め魚を得る。雨が降り落雷に怯えようと立ち止まらず明日の糧を求め槍を握る。それは、泥臭く野蛮ながらに憧れるほどの力強さを有していた。
 だから、だろうか。私は彼ら……いや彼らと同じく己の手で未来を切り開こうと足掻いていた種族、彼らの敵であり彼らの理解者でもある恐竜人に手を貸してしまう。
 といって、何も全てを救いあげた訳ではない。人間たちを滅し彼らの時代を作り上げたでもない。ただ、生かしたのだ。今の私の体は万能と言っても過言ではない力をもっている。空より振り出でるラヴォスの脅威から身を守っただけだ。それだけで、彼らは燃え盛りマグマに落ちる城から抜け出す事が出来た。数多の恐竜人は死んでしまったが……流石にそれら全てを拾い上げる事は出来ない。元々決まっていた事象に介入して、その上それだけの力を寄こすのは無理があった。その日、といっても今の私に時の概念があるのか定かではないが。ともあれ彼らを助けた後しばらくは並でない脱力感と頭痛に考え事も出来ない程疲労してしまった。次第にそれは薄れ、またあの人たちの旅を追っていくのだが。


「……はあ一息に思いついた言葉を並べていくのは、少々疲れるものですね。けれども、それ以外に為すべき事柄が無いのだから、仕方がない。まだ長くなりますが、ついてきてくれますか?」


 空を見上げて、目には見えない誰かたちに呟いた。今までに、好き勝手と時を遡ったりまた進んだりと、その光景を目にしていた私はこの場所がなんなのか、なぜこのような事が出来るのか、なんとはなく理解しだした。それは言葉にし辛いが……そう、ここは時が集まるのだ。そして、私と同化している薄気味の悪い化け物は……いや、それは私もか。私とこいつは夢と時を喰らい生きている。それ故に、時に逆らい恐竜人たちを救った時の反動は筆舌に尽くし難い。体間時間なので、断言はできませんが年単位に痛みを堪えていた気がします。もしかしたら、数時間なのかもしれないけれど。それくらいにあやふやな世界なのだ、ここは。
 話を戻します。原始の世界を見て、次に彼らが訪れたのは私が元いた世界、魔法王国ジールでの話。ここからは、多少私が体験した内容が含まれているため見る必要はない。気になるのは、彼が消えた後だ。赤い人が死んだ後マールさんたちは何をしたのか。


 ──そうか、そうですか。諦めませんか。彼の事を。
 幾節とあり、カエルさんが裏切りに近い行動を取り、それでもマールさんは下を向かない。魔王──我が弟ジャキに背中を叩かれてまた己の足で進んでいく。それは、私にはないものだ。あると騙し続けていたものだ。
 なんだか、とても悔しくなった。私は持っていない、そんな綺麗なものを。貴方だけずるい、私にも分けて下さいよ。私の声はマールさんには届かない。それはそうか、私に出来るのはただ見るだけなのだから。彼女らが死の山を闊歩していくのを指をくわえて見ているだけだ。魅入られていた、とも言う。
 されど、時は残酷だ。時の賢者より託されたクロノ・トリガーはまだ十全に力を得ていない。もし仮に彼を蘇らせてもすぐに死んでしまうだろう。想いが足りないんじゃない。本来ならクロノ・トリガーは張り裂けんばかりの力を得ているはず。それを阻害しているのは……怨嗟の声。彼を逃しはしないと、彼に殺された未来が、時が束になり呪いとなっている。
 と、大げさにのたまうが、それは然したる障害ではありません。何故ならば、我が身は夢と時を喰う者。彼を恨む時をさらい、消し去った。メインディッシュのお礼に、一言マールさんに添えて。


『いいですよ、その代わり……』


 そこから先は、声にはならなかった。馬鹿げている。もう一度会いに来てくださいなど、不可能じゃないか。そして、会えたとしてどうするのですか。この醜い姿を晒せと? どう見ても私と彼らは相容れない。そういう存在と化した私が、どうしたいのか。
 それでも……私は手を伸ばしてしまった。彼らが再会を喜び、涙を流し、祝う姿に向けて。そこに私を入れて下さいと呻きながら。
 ええ、ええ、慣れませんよ。幾ら一人でいる時間が長いからとて、現世に戻れる事は無いと理解したとて、化け物になったとて慣れたりしませんよ。だって見ているのだから。動き泣き笑い合う人々を見ているのだから憧憬は絶えません。
 いいなあ、あの人たちは触りあえて。話しかけられて。お互いを認識し合えて。私も見てますよ、仲間なんて呼べるくらいに貴方たちと一緒じゃなかったけど、仲間と呼べるくらいに私は貴方たちを見てきた。沢山知ってます、マールさんがどんな人が好きで嫌いな勉強は何か、ルッカさんが一日にどれだけ無意識に赤い人の名前を呼ぶか、ロボさんが初めて泣いた日から今まで泣いた回数、カエル……グレンさんが実は甘いお菓子が好きだとかジャキの家族の方も全員生まれた時から知ってます。エイラさんのお父様もお母様もキーノさんの事も事細かに知ってます! 赤い人が、どれだけ……どれだけ。


「もう、いいですよー、だ」


 口を尖らせてきっぱりと彼らの事を放っておく、そう決心した。もういいですもん、欲しいと願っても届かない。そう分かってしまえば不思議と欲は消える。それに、案外楽しいかもしれませんこの生活。色んな事が知れるんです。他人の秘密を覗いたり、本当の歴史を洗いざらい知ったり覚えたり。これだけ知ってる事が増えれば、あの人に馬鹿にされません。今度は私が馬鹿にしてやりましょう。ああ、もう会えないのか、でも想像の中で彼を貶し尽くして……それで。


「いい、ですよー……」


 よくなんか、ないけれど。
 ひとっつも、良くないけど。


「いいんです! いいったらいいんですよ!! だって……ひっ、うう……もういいもういい! もういい!!!」


 だって、もういいって思わないとどうしようもないじゃないですか。でないと壊れてしまう。これだけ耐えたのに、分からないけれど凄まじい時間を一人で、この夢喰いと過ごしたのに。けれどその何万倍ではきかないほど一人でいなければならない、そう考えるとどうしようもない。
 いっそ死ねたらと思う。死ねば一人とかそうじゃないとか考えないですむから。それはとても甘美なものに思えました。羨ましい響きでした。
 どうして私だけこんな目にあわなければならないのか。こんな思いをするくらいなら、世界なんて消えてしまえば良い。あの人たちだって、どうせ私を助けてくれない、なら丸ごと消えてなくなれば……もう寂しいなんて思わないだろう。
 だから、そう。だから。







「もう……いいよー…………」












「じゃあ、次はお前の鬼だな。みょうちきりんな所に隠れやがって」












 今度会えば馬鹿にして笑ってやろうと思っていた人が、私の泣き顔を見て笑っていた。
 他人に笑われるのが大嫌いな私だったけど……なんだか、悪くないなあと思ってしまったのだ。












 彼は、特に何も言わなかった。私が夢喰いと同化している事についても、泣いている理由を問いただす事も無かった。ただ、おどけた態度を崩す事無く「久しぶり」と片手を上げた。つられて、私も手を上げる。手を伸ばせば届きそうだった。
 一言二言挨拶を交わし、彼は平然と魔力を練り始めた。私は目を見張らせる。


「何を、しているのですか?」
「そりゃあお前。動きにくいだろそれ」指先を夢喰いへ向けて呟いた。
「まさか。倒すつもりですか? これを?」
「うん。え、その魔物を倒したら、お前も死ぬ感じ?」
「さ、さあ……分かりませんけど」
「分からないのか。じゃあ、止めとくか」


 そうして下さいとぼんやり言うと、彼はまた魔力を霧散させて溜息を吐く。残念がる風でもなく、事務的な行いに思えた。それならしょうがないと空気がそう伝えてくる。
 なんだか、おかしいです。その強大さに恐れ諦めていた存在を、彼はあまりに軽々しく扱う。勝てるわけも無いのに。
 まいったな、という声に私は喉で笑う事を止めて顔を上げる。彼は頬を指で掻きながら悩んでいるようだった。


「それじゃあ、俺はどうやってお前を連れて帰ればいい? お前を思いっきり引っ張れば良いのか?」
「カブみたいな扱いはやめて下さい。訴えますよ、痴漢で」
「せめて暴行罪に当たるんじゃないかなあ」


 この人は、まさか私を引っこ抜こうとしているのか。というか本気だったんでしょうか? 知らず背中から冷汗が流れた。身体がちぎれる以前にこの場所が壊れてしまいそうだ。その影響は恐らく外の世界……通常に時の流れる世界の崩壊も考えうる。やはり赤い人は馬鹿なようです。私の方が賢いのですね、当然ですが。


「こう……Tボーンチキンみたく上手い事体を切り取ればなんとかなりそうじゃないか?」彼はナイフを握り肉を切り取るような動きを見せた。どれだけ凄惨な事を言っているのか理解しての事でしょうか。貴方は私をどうしたいのか。
「変態ですね」
「まあ待て。安心していいぞ、何があろうとその乳だけは傷付けん。俺の誇りに賭けて」
「変態ですね」
「さっきも思ったが、お前の変態のニュアンスがおかしいのはお前の語彙力の問題か? それとも単純にお前の頭の問題か?」
「なっ! 気持ち悪い救出方法しか提案しない貴方に言われたくありません!」
「そうか。ところでお前微妙に服が破れてるな。ちらちら見たい物が俺に見えてるぞ。変態め、またの名を露出狂め」初めてラヴォスに出会い、その際爆風に巻き込まれたのでしょう。今更に服が破れている事を知る私。悲鳴を上げて顔を赤らめるのもわざとらしい。そもそも、羞恥心など遠い昔に忘れているのですから。胸を張り私は鼻息を吐いた。
「ふふん、下賤の者にひけらかしているだけの事ですよ」
「ひけらかしてるのか。重症だな」
「…………べー、です!!!」とりあえず、手で服が破れている部分を隠しておく。


 ああ、楽しい。人と話すというのはこれほどに楽しい物だったのですね。涙まで溢れてくる。舌を出しながらぽろぽろと零れるそれを、彼は指摘する事は無かった。不満があるとすれば、その優しい瞳。あやされているように感じて、それが嬉しくて悔しくて、楽しくて。此処に来てから空虚でしかなかった私の時間はすでに塗り替えられてしまった。


「……なあ、戻ってこないのか? あっちに」赤い人は、変わらず平坦に言う。急だったので、出したままの舌を引っ込ませる時危うく噛んでしまいそうだった。口にしたらドジだと言われそうなので、わざわざ言いませんが。
「あっちには、ちょっと難しいかもです」
「帰りたくないのか?」
「帰りたいですよ」
「じゃあ帰ろうぜ。ここ、何も無くてつまんねーだろ」
「無理ですってば。少なくとも、今は」今、どころではないのでしょうけれど。


 私の言葉を聞いて、彼は難しい顔で唸り出した。こめかみを幾度か指で叩き、面倒だなあと呟く。


「じゃあさ。また会えるか? ここじゃなくて、あっちで」
「あ……会えますよ。当たり前です」


 嘘だ。こうして彼がここにいる事事態信じられない。そもそも、私の妄想かもしれない。だって、ラヴォスの力を持つ母様ですら私を元の世界に戻す事が出来なかったのだから。あくまでも普通の人間である彼がここに来れる訳がないのだ。兆が一奇跡が起こり彼がここにいるとしても、また来れるなんて……そんな可能性確率にすらならない。
 けれど、それを言葉にしてしまうと、私はもう無理だ。またさっきの私が起きてしまう。何もかも消えてしまえと心底願う私が来てしまう。それは、彼の前では嫌だ。彼にそんな私を見られるのは嫌だ。人間の頃のサラを覚えていてほしいのだ。


「ふうん。じゃあ、それはいつだ?」
「ええと、それは……ちょっと、分からないです」


 止めて。
 もう聞かないで。言わせないで。一生このままだなんて認めさせないで。このままでは言ってしまうじゃないですか。そうなったら、私は殺しますよ、貴方を殺します。それだけじゃない、貴方のいる世界もいない世界もこれから先の未来まで全部全部!!
 不平等だもの、貴方はとても優しい、そんな貴方はきっと優しい世界を生きてきたんでしょう? それは私にとってあまりに妬ましい。嫉妬だけで人を殺せる私には、それは十分すぎる殺す理由と化す。
 口を開くな、開けばもう……だから、もう聞かないで。楽しくお喋りして、そして……元の世界に帰って下さい。その後私がどうなるか、分からないけれど。


「じゃあさ、」


 ……ああ、もう。キカナイデッテ、イッタノニ。
 イママデウゴカナカッタヒトクイガ、クチヲヒラキ、アカイヒトヲクラオウトスル。ワタシノメイレイデ、カレヲコロソウト……


「俺から会いに行くな。皆を連れて」


 ──夢喰いが、止まった。私の命令で、彼を殺さないよう。






「あまり待たせないで下さいね、赤い人」
「ん。了解だ」


 目の前に、真紅の牙が迫る中彼はやはり平静を崩さぬまま答えた。私がおかしくなっている……いやなりそうだったことすら見抜いていたのか。
 また馬鹿にされる要因が増えたなあと、私は落ち込む。そしてそれ以上に嬉しかった。
 貴方は、頼まれもしないのに私の弱い部分を分かってくれるんですね。
 ダルトンとはまた違う、私の好きな男の人。恋愛は無くても、きっと私は貴方が好きでしょう。いつまでも一緒にいる、そうなったとてきっと恨みはしない。
 なるほど、魅力的な女性であるマールさんやルッカさん、他に思い人がいるけれどカエルさん……じゃなくて、グレンさんが貴方を好きになるはずです。私? 私の場合は違う。これは恋じゃない。けれど、そうですね。お互いに違う相手と結婚して、刺激がほしくなれば走ってみてもいいかもしれない。そんな関係でしょうか。
 妙な恋愛構造を考えてから、私は噴き出した。いつのまにか私は、将来の予測を立てている。それがどんな事なのか、少し前の私ではあり得ない事。でもそれは誇らしい変化です。そうですね、これが私なんです。


 ──了解と声を出した後、赤い人はすぐに消えた。夢か幻か。まるで蜃気楼を相手にしていたような寂寞とした空気が流れる。いいんです別に。だって私は確固として覚えている。あの人との会話も、あの人がどんな言葉を私にくれたのかも。けれど、そうですね。ここは酷く歪な空間、私はともかくあの人は私と交わした会話をほとんど覚えてはいられないでしょう。夢の中の出来事程度の記憶しか残りはしないのだから。それは、やはり悔しいし不平等ですよね……この短い間に私は幾度『悔しい』と『不平等』という言葉を念じたでしょう。


「まあいいです。悔しいも不平等も、今の現状を変えたいと願わなければ、考えはしないのですから」


 そのまま腐るよりよっぽど有意義な感情だ、と自分を納得させる。
 そして、さっき思いついた案を行動に起こしてみる。作業は単純で、創って渡すだけ。創るのは貴方には似つかわしくない特殊な物。けれど、私にとっては貴方そのものの様な一振り。この世に存在しない、する筈のない刀。
 刀である理由は、彼が刀を使っていたから。存在する筈のない刀なのは、私にとって彼がそうだったから。この刀では何も斬れないようにしたのは、あくまでもプレゼント代わりだから。この刀が決して折れないようにしたのは、いつまでも持っていて欲しいから。
 名前……刀の場合は銘と言うのでしょうか? 私が勝手に作り生み出したのだから、そんな高尚な物は必要ありませんね。無銘で結構です。
 けれど……もしも、この刀を呼ぶ時は、こう呼んでほしい。それは貴方を表す言葉。何処にでもいるし、けれど何処にもいない一人の男の子、私にとってそれは……


「夢幻。現ではあり得ない夢と幻を凝固したような存在。貴方は私にとって、信じられないくらいの救いでした」


 私が生み出した柄が透き通っている刀は、泡の様に消えて無くなった。恐ろしい程の倦怠感と頭痛が襲ってくるが、今度は笑顔を保っていられた。体の不調以上に気分が良かったから。あの人は、どう思うだろうか、私からの贈り物を。思えば男性への初めての贈り物ですか。刀とは色気のない事ですね。しかも碌に使える物ですらないという。
 ──上を見上げてから、でもね? と呟く。今の私はどんな顔でしょう。きっと悪い顔でしょうね、昔母様の寝室にコオロギを持ちよりベッドに忍ばせた時みたいな表情ですかね? まあ、鏡なんて洒落た物はないから確認はできませんが。大きく口を横に裂き、私は此処にいない星の破壊者へ言葉を放つ。


「貴方だけは別ですよラヴォス。こんなつまらない所に私を閉じ込めたのですから、びっくりさせてあげます。赤い人……いえ、」一度目を閉じてから、今度は腕を突き上げた。この閉鎖された空間を突き破る気持ちで強く、強く。
「クロノさんは、貴方みたいな半端者に負けたりしませんよ?」


 クロノさんは私の救いなんだ。なら、知識だけのあたまでっかちに負けるはずありませんよね。
 喉が鳴る。実に楽しみです、こんな風に思うのは私の性格が悪いからですか。いやいや無いです無いです。
 けれど言わせてほしい。彼の言葉を借りて、高らかに、後悔しろと言うような声音を演じて。






「目にモノ見せてやりますよ、ラヴォス!!」











 星は夢を見る必要はない 最終話
 星は夢を見る必要はない












 跳ねるよう大きく飛び上がり切りこんだ俺の刀はラヴォスの体に深々と入り込んだ。両断まであと僅か。けれど断つには至らず、股関節と腰の間で切り裂く事を止めた。
 ラヴォスを斬る、それだけの為に作られたこの刀に問題は無い。なれば、問題は俺の方か。斬りこむ構えも力の入れ具合も、完璧とは言い難い出来そこないな一撃だった。高揚が過ぎたか、と自分を戒める。
 そのまま追撃としても良いが、反撃の恐れありと判断し、俺はまた後ろに跳んだ。刀には血の一滴も付着していない。ただ透明な液体が滴っていた。
 朝露みたいだ、とボケた考えを巡らせた後もう一度刀を正眼に構える。こいつに攻撃時以外に構えなんて意味があるのか分からないが、まがいなりにも剣士として闘ってきたのだ、隙のあるまま立っている事は出来ない。


『痛いなあ。これが痛いなんだ。凄いよ君、こんな短時間で僕の生きてきた何十億年の歴史、その中で知り得なかった事を教えてくれた。やっぱり君は素敵だ、ねえ僕と一緒にいようよ、そんな物捨ててさ』
「懐柔のつもりか? つまんねえよもっと上手くやれよ」
『あはは、そういう風にも取れちゃうか。うん、また新しい事を知れた』
「会話が出来ないならそう言え。一々返答するのも億劫なんだから」


 踏み込み、振り下ろしの動作を流れるようにと意識して放つ。重心を変える事無く繰り出された斬撃は剣道に近いそれ。基礎であるが故に最も攻撃に適した一撃である。
 流石にまた呆として受けるラヴォスではなく横に体を流し、燃えるような音と共に右の腕を俺に突き出した。構えは崩れていない、下ろした刀を持ち上げて刀の横腹で滑らせる。並の刀では容易く折れそうな無茶な防御でも夢幻はそれを良しとしてくれる。決して折れないこの刀は俺の無謀に応えてくれるのだ。
 火花を散らせて、左足をラヴォスの斜め前に置く。ありとあらゆる事柄を知る、そう豪語する割りに奴は体裁きも反撃の想定もしていない陳腐な打突だ。欠伸が出るくらい簡単に胴を頂ける。
 夢幻を走らせて奴の胴体に切れ目をやると、後ろ脚での回し蹴りが飛んでくる。こちらも刀を横薙ぎに払った勢いで、そのまま体を回しながら体制を低く変える。


「ドンピシャだな、回転斬り!!」


 旅が始まる前から俺を支えてきた得意技。最初の胴を斬った時を含め、左足と首の三分の一を別つ事に成功する。片足で体重を支える事が出来ず、ラヴォスはゆっくりと体を倒していった。
 立ち上がるのを待つ馬鹿はしない。得物を下手に構えて、飛びかかる。頭蓋を貫かれれば、死なずとも相応のダメージを負うだろう。


『……へへへ。天泣』
「!?」


 何事かを紡いだラヴォスの眼前から、白い空間にいてまだ白い、形は雷を意識したような糸をぶちまけた様な、形容しがたい何かが生み出された。思考するまでも無く攻撃の類であろう。スピードは緩く、それだけに策も無く飛び込んでしまった自分の愚を呪う。
 ああ、避けれないんだなと分かった瞬間、鳥肌が全身を覆う。攻撃に使えないと知って温存していた魔力を前へ楯を意識しながら放出。体を小さく丸めて夢幻を前に。出来る限りの防御体制を整えた……と、一握りもできない安心を得た時に衝撃は来る。俺の体は感じた衝撃とは裏腹に、後方へ少しばかり飛ばされただけ。体格の良い男に肩をぶつけられた程度の距離だった。尻餅をついたと言えば分かりやすいか。それだけなのに……この痛み。
 体中を何かが這いまわる。血管にムカデを何千匹と送り込まれたみたいだ、激痛が止まない。普段意識していない所作の一つ一つがウンザリするほど困難だ。呼吸も、目を開く事も、刀を握るだけなのに万力を要している感覚。
 三度体を地べたに擦りつけて尚、頭を支点に上半身を僅かに持ち上げるしか出来ない。


『痛々しいなあ。自分の視覚で誰かが痛がるのを見るのは初めてだからね……でもまあ、』


 言葉だけなら、自分が行った暴力(そう呼ぶのが正しいのかどうか、あやふやであるが)に後悔していそうな空気ではある。
 でも、くそっ。コイツ……


『分かるなあ。君たち人間が他者をいたぶる事に愉悦を感じるのを』


 笑い、やがった。


『巨岩』


 無の空間から現るのは小さな城なら一息に押しつぶせそうな岩。捻りも何もない技名だな、と思った時には痛みも忘れて腕に力を入れて体を左に飛ばした。
 俺が回避を行ったと同時に岩が躊躇なく落ちてくる。ただの力技、故に避け難く弾圧的な力を秘めている。
 落下の衝撃に伴い粉塵が舞う。ここに砂など落ちていないので、粉々に砕けた岩が煙状に変わったのだろう。視界はすぐに晴れる。


『避けれたね、“体は”』
「あたり……まえだッ!!」


 岩に潰される事は避けたが、避けきれはしなかった。蛇口を捻ったみたいに血がぼとぼとと零れていく。
 俺の左肘から、だ。そこから先は無い。岩に挟まれた時、無理やりに引きちぎったので皮膚が無様に垂れている。白い骨が僅かに突き出ている腕は見ただけで気分が悪くなる。自分の腕なのだから、尚更。


『次はどうかな……巨岩』
「シャイニング!!」


 奴の呼び出した岩に目をくれず刀を握りながら上に魔法を放つ。奴自身に魔法が効かずとも、奴の呼び出したものには通用するはず! どれだけデカかろうと岩は岩だ、シャイニングで消えない物質は無い、いくらなんでも魔神器よりも硬い岩なんてありえないだろう!
 急速に魔力が消費される感覚。いつもなら座り込みたい程の虚脱感が今は無い。次こそ仕留める為再度距離を詰めていく。大丈夫、いかに強力な魔法を使おうと奴自身はそう強くない、何より攻撃は通るのだ、勝てる!!
 刀を引き狙いを定め、目標は頭。貫けば勝てるのだと念じて腕を前に突き出した。
 風を切り夢幻が吼える。俺と共に同じように叫んでくれる。


「オラアアアァァァァァアァァ!!!!!」


 目測、凡そ五センチ。刀身とラヴォスとの距離である。今まで特に俊敏な動きを見せなかったラヴォスの身体がぶれた。音の鳴き声が聞こえる程の、音の衝撃が産まれる程の速さで。
 巨岩が落ちても傷すら付かなかった床が陥没している。それだけの踏み出しで俺の右側に体を落としていた。当然俺の突きは避けられている。当然俺はこれから来るであろう反撃に対して為す術を持たない。
 肩を回し、ラヴォスの右腕が俺の腹部に届く。そのままにぶっ飛ばされるかと思ったが、予想に反し痛みは無い。奴はただ俺の体に手を触れただけだった。
 ふざけているのか、戦いだぞこれは! という相手への怒りと、それを上から覆いかぶさって余りある安堵が体を占めた。
 そして、甘いのは俺だと知らされる。


『天泣』口の無いラヴォスが、笑ったのが見えた。


 奴の右手から発されたエネルギーの塊は、所詮人間である俺のどてっ腹に風穴を空ける事は容易だったろう。胴体の三分の二を消滅させられた俺はぐにゃりと体を落とす。背骨も吹き飛んだ為、上半身はあらぬ方向へ伏せている。屈伸運動をしている時の様な体勢だろうか……? いや……考えが……まとまらな


『じゃあ、ばいばい』


 慈悲も無く躊躇いも無くラヴォスは両拳を合わせて振り下ろした。卵の殻を割るように俺の頭蓋は砕け散る。












 これが後、二十六回繰り返された。
 いや、それは正確ではないか。繰り返すと言うが俺の死に方は多様である。
 あるいは炎に焼かれ炭と化した俺。あるいはラヴォスの水呪文で作られた水の檻で溺死した俺。あるいは不快な音波で脳が溶けだした俺。あるいは生きながら臓器を取り出された俺。あるいは全身を粉々に砕かれた俺。あるいは頭から股まで貫かれた俺。あるいは極度の苦痛でショック死した俺。あるいは────


『これで、二十七回目だね』


 今度の俺は、四肢を岩で潰されながら死ぬらしい。意識も薄い、痛みももう無い。感じ取れるだけの機能が体に残っていないのだ。


『じゃあ、ばいばい。またすぐに生き返らせるからね』


 とどめを刺すのも面倒なのか、ラヴォスは足を持ち上げて乱暴に俺を踏みつけた。残るのは俺だったモノのミンチと血だまり。











『──そろそろ、僕の話し相手になる決心はついたかな?』
「……くどいぞ、何回目だその誘い」
『君こそ諦めたら? 何回僕に殺されたと思ってるの? 諦めなよ、本当ならとっくに君は負けてるんだよ。人間とはいえ、蘇らせるのは僕でもちょっと疲れるんだからさ』


 今しがた死んだはずの俺は確かに意識を持って今ここにいる。ひしゃげた体も元通り。奴曰く、意識、魂と呼ぶべきもののみに干渉して時を戻し、体は回復呪文で再生するそうだ。魔王でも右腕の再生くらいやってのけたのだから、体を修復するのはこいつにとって造作もないのだろう。


『厳密には、そうじゃないけどね。いくら僕でもゲートを使わず時間を戻すなんてできっこないよ。もし出来るなら君が生まれた瞬間まで時を戻して殺せば僕の楽しみは増えるし。それができるのは……いや、これもどうでもいいか。とにかく、僕は時を取りこむ事は出来ても時を操作する事はできない。君を蘇らせているのは、単純に他の在り得た可能性から別の君の一部を拝借して今の君に分けてるだけ……分からないか。悪いけど、他人に説明するなんて今までなかったからさ、上手い教え方を知らないんだ』
「別に良い、興味無いし」


 幾度俺が砕けようと夢幻はそのままの姿を保っていた。どんな重質量に押しつぶされても曲がる事も無い。唯一の武器は酷く頼もしいものだった。
 俺の相棒を構えて、もう一度走り出す為姿勢を低く。愚直だろうか? そうじゃない、どのような方法でもこいつに突破口らしい突破口は無いのだ。
 距離を置いても岩に潰される。魔法は目くらましにもならない。間合いを計りながら近づいても天泣で吹き飛ばされる。なら走って近づけば? ……いなされて天泣、または的確に俺の首の骨を折る。体術もお手の物ってことか。流石、歴史という歴史を網羅しているだけある。毎度毎度俺の知らない体捌きで翻弄されてしまう。
 俺の戦意が途絶えていない事を知り、ラヴォスが肩を落とす。見る間に人間らしい動きを知りつつあるのは、模倣されている俺としてはあまりに不快だった。


『ねえ、もう良いでしょ? 死んでは生き返り死んでは生き返り……最初はさ、僕も自分の目で人間の死体や死に方を見れて面白かったけど、そろそろ飽きたよ。君だってそうでしょ? いくら生き返る事が前提だって、痛いのが好きなわけじゃない……よね?』
「当たり前だ、不安そうに聞くな!」実に、不快だ!
『じゃあ何で? いつかは僕に勝てるかもって思ってる? まさかねえ、明らかだもんね、僕と君とじゃあ実力に差があり過ぎる。君の仲間のジャキ、彼と子供位の差だよ。その夢幻とやらを持っていて尚、ね』
「じゃあ安心だ、あいつは子供は殴らねえ、俺の勝ちだっ!!」


 足を伸ばし前へ。今度は勝てる絶対勝てる。何度負けても最後は必ず勝つ、死んだ? でもまた戦える、敵のお情け喰らおうが嘲り浴びようがそれでも良い、俺自身負けたなんて微塵も思っていないから。勝てると信じて疑わないから。
 勝ち負けは多数決だとか、魔王が言っていたらしい。マールから聞いただけの話だけれど。ならこの場合勝つのは俺だ、星がどうやら人間以外の生き物がどうやらと奴は言っていた。でもそんなの関係ない、だって俺はそんな声を聞いていない。
 俺が聞いたのは、俺と同じ人間達の声。俺とは違うけど、違う俺を仲間と呼んでくれた、家族として見てくれた恐竜人の声。何度も戦い何度も恨み大切な仲間を殺されたけど最後には俺たちと一緒に戦ってくれた魔族の声。忌み嫌いあい、星の覇権を賭けて戦っていた、でも一人の子供が変えてくれた機械たちの声。
 そいつら皆が俺を応援してくれているわけじゃあないさ、そりゃそうだ。だって殺し合ったんだから。俺が殺した魔物や恐竜人や壊した機械、人間だってそうさ破滅願望を持つ人間だっているだろう、全員に歓迎なんてされるわけがない。
 でもそりゃあ少数だ、何で分かるかって、俺の耳は二つしかないんだ。その二つの耳には応援と歓声しか聞こえない。抗議の声は届かない。なら俺が決めた、俺の勝利を願う声が圧倒的多数であると俺自身がそう決めた!!


「負ける? 冗談だろ? アウェーはテメェだラヴォス!!!」


 今度は突きではなく直前で止まり袈裟切り。体を倒して反撃なんてさせやしない。ななめから迫る長物は避けにくい、あくまで人間の常識だけれど、それでも積み重ね続けた人間の知恵だ、信じるに足るものがある。
 力任せに振るった刀は空を切り、ラヴォスは僅かに宙に浮いていた。魔法じゃない、跳んだのだ。
 体を横回転させながら俺の刀を避け、右回し蹴りが俺の頬に炸裂、ソバットのようなものか。頭蓋が揺れ、眼の前が暗くなる。床に擦れながら大げさに転がった。上に何も着ていないから、摩擦熱で背中と肩の皮がずる剥けてしまう。でも今更こんな痛みどうってことはない。首を飛ばされたでも無いんだ、死んでないなら戦える。


「……ぐっ!!」


 頭でそう念じても、体は動かない。顎が揺らされたからだろうか、力が入らず目眩が激しい。これは脳に強く衝撃が加わったからか。意識を保つ時間には限りがあるように思えた。


『…………ねえ、どうして諦めないの? もう良いじゃない、勝てっこないって分かったじゃない。誰も見てないし、誰も君を貶さないよ? 君は頑張った。僕が言うんだ、間違い無いよ。歴史上君くらい頑張った人間は少ない。ただの人間が僕に会えたんだ、奇跡的な幸運もあれど努力は本物だ。なのに……なんで諦めないの?』
「がっ……頑張った? ……ああ、そうだなあ」


 奴が会話を始めたからじゃないけれど、少しだけ力を抜く。妙に冷たい床が体に当たり、火照った体を癒してくれる。それが、いやに俺を冷静にさせた。有難い、僅かでもこうしていれば意識を保つことができそうだ。


「うん、俺頑張ったよな。いやいやでも刀を振って、気付けば未来を救うなんて事になって、魔王と戦うなんて話にまでなった。太古の時代に飛んだりかと思えば空中に浮いた国なんて所にも行った。その間にも死にかけたり、仲間に罵倒されたりもした。逆に罵倒したりもした、これは俺が悪いんだけどさ」


 さて、もう良いだろうか。
 立てるな俺? 立てるぜ俺。
 行けるな俺? 行けるぜ俺。
 勝てるか俺? んなもん──


「でも違う。この戦いは頑張ってるには頑張ってるが、質が違う、まるで違う。簡単な事だ、目標を立てただけだ」
『目標?』
「ああ、目標。これをこなすまではやってみようってものだ。目指すところがあるんだ、それを離さなければいいんだ。頑張るったって、難しいことじゃない」拳を握り、腹に力を込めて起き上がる。


 ──確認してんじゃねえよ、ばあか。


「絶対折れない。怪我しても死んでも絶対に負けない。俺がそう決めた。ならそれに向かって走るだけだ、長距離走と同じだよ、ゴールがあるなら走れるだろ? お前と俺とで何万キロの差があっても走れば追いつく、なら諦める必要あるか?」
『──そっか。なら、趣向を変えようか。うんそうしよう』


 ぽつり、と呟いてラヴォスは自分の頭蓋を……砕き始めた。両手で殴り、じわじわと己の頭を落としていく。
 その様は精神疾患に近い何かを感じた。過去療養所にて似たような症状を起こしていた老婆を思い出す。狂気の度合いは違うものがあるが。
 予兆がないのだ、驚きは隠せない。砕かれていくラヴォスの皮膚は床に落ちるたび蒸気を発し消えていく。蒸気は量を増やしもうもうと上がり続けていく。今や奴の全身は見えない。煙幕の類か、と勘繰ってみてもそのような手間を必要とせず俺を殺してきたこいつがそんな小手先の技術を用いるとは思い難い。単純に吹っ飛ばして踏みつけるだけで俺を絶命させるのだから。故に、この行為の意味を掴めない。


『──君はゴールがあるから進むんだろう? 先が見えるから頑張れるんだよね? じゃあこうしよう』


 訝しむ俺に奴の声。とてもじゃないが構えと警戒を怠れない。いつのまにか、頭の痛みも消えていた。あまりの驚きに痛覚が麻痺したのか。驚きも度を過ぎれば熱を冷ますらしいが、痛みすら消すのか。
 やがて煙は晴れる。そこに奴の姿は無かった。あるのは…………見慣れ過ぎた顔。


『僕はね──別に無敵って訳じゃないんだ。君の夢幻が良い例だよ。誰だって殺されれば死ぬ、僕も同じ。当然だよね? けど一対一ならその限りじゃない。僕は無敵になれるんだ。どういう事か分かる?』


 赤い髪、ツンツンと評された事もある、鶏頭と馬鹿にされたこともある特質的な髪形。
 目は吊りあがり初対面では良い印象を持たれないとルッカに囃された。
 身長は高くも無く低くも無い。足も長くないが、唯一筋肉質であることが自慢と言えば自慢。
 額に鉢巻を巻いて腰には刀をぶら下げて、自分でも悪癖と分かっているが止められないあくどい笑み。
 それは、毎朝いつも鏡で見ている人間。俺と生涯を共にした体。
 見間違いじゃない、それは誰が見るまでも無く“俺”だった。


『俺はな、自分を変えられるんだ。あらゆる遺伝子が混ざっているからこそ可能なんだけどな? ──そう。これはお前だよクロノ』奴の声は、もう脳内に届くではなく、直接俺の鼓膜を震わせていた。
「俺に、姿を変えたのか? ……何で?」俺の問いを聞いて、“俺”へと姿を変えたラヴォスはハッ、と笑いねめつける様にこちらを見た。
『だから、お前が言ったんじゃねえか。ゴールがあるなら走れるってよ。だからこうしてお前に化けた……この言い方は正しくねえな。お前になったんだ』
「意味分かんねえ……言いたくねえが、さっきのお前の方が強かったぞ? どう考えても弱体化しただけだ!!」
『あっそう。そう思うならかかって来いよ? 怖がってんじゃねえぞトサカ野郎!!』


 チンピラみたいな台詞吐いてんじゃねえよ……ッ!!!
 掌を揺らし挑発する姿があまりに俺で、理解を求めるままに切り込む。
 俺と化したラヴォスは空中から産み出した……いや俺と同じに呼び出したのか? 二つの刀を両手に携え迎える。
 動きは見た目通り遅くなっている。あの風なんかよりもよっぽど速かった体の動きは成りを潜め、あくまで人間的な動きに変わっていた。カエルよりも遅くマールよりは早い。魔王程の威圧感は無くてもロボよりは眼圧鋭くエイラ程の力は無くてもルッカには負けない。打ち合ってみた感想は酷く凡庸に聞こえた。
 ただ……一手届かない。好機なのは違いない、奴の思惑はどうあれ疑いよう無く奴は弱くなったのだから。なのに、どうしても俺の刀はラヴォスに近づかない。惜しい時はあった、瞬く程の時間があれば奴を切り裂けた瞬間は何度もあった。けれど……どうしてか傷付けられない。
 代わりに俺への攻撃は微かに届いてくる。斬られた、というよりは掠ったくらいの傷が俺の体に刻まれていく。
 二刀流だから、は言い訳にはならない。その分奴の一つの攻撃が遅くなっているのは事実だろうから。それを踏まえても……何故か俺の攻撃だけが当たらない!!
 焦燥は形となり太刀筋を鈍らせる。ラヴォスの交差した二刀に俺の夢幻が挟まれ、その隙に俺の下腹に強烈な蹴りが放たれた。


「うぐっ!!」


 この戦いになって何度目か数える事も忘れたが、背中から床に落ちる。痛いのは確かだが、さっきまでの攻撃とは格が違う。落ちる、という意味でだが。体は動くし骨がいかれたでもない。ただ、普通の男の蹴りが入った程度でしかない。それが、不気味でしょうがない。
 尻餅をついたままでいる俺に高笑いが降って来た。ラヴォスは片手を顔に当てて口を大きく開けていた。


『ハーッハッハ!!! 何びびってんの? さっきまで御大層な口きいてたじゃねえか!? ゴールがどうとかさあ! 寒いってあれ! アハハハハハ!!!』


 刀を落としそうな勢いで笑うラヴォス。侮辱されているのに、怒りが湧かないのは混乱があまりに大きいからだろう。


『ハハハ……種明かししてやろうか? このまま死ぬんじゃつまらねえだろ? ──簡単な事さ。俺は、お前の、常に一歩先を行く、俺だってこと』
「はあ?」
『ああ? 分からねえのかよ。だからさ、お前腕立てした事ある?』唐突過ぎる質問で、また頭が混乱する。混ざって乱れるとは、上手く言うものだ……ああほらまたおかしくなってきた。
「何の話だってんだよ!!」
『良いから。腕立てすれば、お前の筋肉強くなるよな』
「まあ……そういう事になるけど……」不承不承答えると、奴は指を鳴らした。
『つまりそういう事。今の俺は全部お前よりも一歩だけ優れてるんだよ。お前よりも一度だけ戦闘をこなした。死に直面するような戦いを経験した。効率の良い戦闘の方法を思案した。剣術を磨いた。魔法の鍛錬を重ねた……まあお前を生き返らせるためにも魔力量だけはラヴォスのままだけどな。心を強靭に技を練って体を鍛えたそれが俺だ。そしてそれはこの戦いの最中でも変わらない』
「それは、要するにこの戦いで俺が成長しても同じって事か?」
『話が早いな、そうそう! 空の月みたいなもんさ! 付かず離れず一定の距離を保ちながらお前より優れた俺を維持する。な? これなら例えどんな相手でも一対一なら負けねえのさ。さあもうゴールは無いぜ? お前が走れば走った分だけ遠ざかるゴールだ!! そろそろ、諦めついたか? なあ?』
「うるせえ……似てねえんだよ、俺はもっと好青年だっての!!」


 弧を描きながら、半回転の一閃『手首のしなりが鈍いんだよな、今の頃のお前は』はラヴォスの右の刀で払われた。
 体を横に倒し、倒れるくらいに背中を逸らしながら打突『そうそう、無茶な動きはお手の物なんだよな、それくらいしか戦える要素も無いから』もステップで避けられた。
 倒れざまに後転、続いて『下手だねえ、距離の取り方がさ』起き上がる直前顔面にひざ蹴りを叩きこまれる。
 鼻血を出しながらも、刀を振り上げて『がむしゃらだなあ、当たる訳ないだろ。今のお前なら分からねえけどさ!』肩を押さえられる。それだけで、もう振るえない。


『もう壊れろ! 劣ってる俺!!』


 押さえられた肩に力を込められれば、流れるように肩を外される。脱臼の痛みよりも、悔しさや怒りが勝り過ぎていて……舌が震えた。涙も出てしまった。膝を、ついてしまったのだ。
 無様だなあ、と笑うあいつの顔が耐えられない。何がさっきより弱いだ、これなら勝てるかもしれないだ、甘ったれやがって……!!
 余裕ぶっているつもりか、呆れたのか。ぼろぼろと泣きだした俺を相手にする事無く背中を見せて離れていく。確かに隙はあるのに、俺ではそれを優位に持ち込んでいく技術がない。グレンならできただろう、魔王でもできただろう。いや俺以外ならこいつに勝てることは容易いだろう。優れていると言っても、あくまで俺なのだから。
 それが……なんて屈辱か。またか、また俺だけ勝てないのか。いつだってそうだ、俺だけ負けてしまうんだ。中世の魔王相手でも心が折れたのは俺だけだった、恐竜人の時もアザーラの想いを受け取り切れなかったのは俺だけだ、初めてのラヴォスでも一番早く諦めやがった。庇った? 違うねただもう勝てないと誰より早く決めつけたからあんな事したんだよああそうだよ!! ロボが消えた時も我儘に駄々をこねてそれが通ると思い込んでたさ、皆が「そうだな俺たちがもっとしっかりしてればロボは生きていたな」「私たちのせいだからクロノは悪くないよ一番ロボを大事に思ってたよ」と言ってくれれば、そう願ったんだ。
 “お前のせいじゃない”と、言って欲しかっただけだ。


『まだ立つのか? 馬鹿なだけに、痛みには鈍感なんだな』


 馬鹿だよ。うん間違ってない。
 結局そうだ、独りよがりが好きなんだ、それなのに誰かに褒めて欲しいんだ。ゼナン橋の頃と変わってない。
 ──それが、誇らしい。


『その刀のせいかな。それがあるからお前勝てるかもなんて夢見てるんだろ。本当、馬鹿だなあ』


 死にたくないさ、認められたいさ、自分は悪くないって喚きたいさ。人間だから。
 自分より他人が大事? 嘘だよそんなの、ありえねえって。
 だって俺だろ? 大切な奴ができたって、その大切な奴に会ったのも大切に思えるようになったのも俺だったからだろ? 俺じゃなきゃそんな奴に会えたか分かんねえし、大事に思えたかなんて怪しいもんだ。そうだ、後者が大事なんだよ。
 よくある詩にあるじゃないか、何十億人から君と出会えた奇跡とか、陳腐な台詞が。そこじゃねえんだ、出会えたのはどうでもいい。だって会っただけじゃ他人と変わらねえ、そんな事言い出したら毎日奇跡の嵐じゃないか。奇跡って言うんなら、俺だから仲良くなれたって一点だ。
 俺だから好きになれた、俺だから夢が叶った、俺だから誰かを助けられた、俺だから……星を守ろうとしてるんだ。
 もっと上手くやれた奴もいるだろうさ。ルッカに辛い思い出を作らせずもっと早くからマールと国王を和解させてヤクラも死なせずグレンがサイラスさんの記憶に縛らせないようにロボを出会った時から理解してすぐさま機械を諭しエイラの恋を素晴らしい方法で成就させてアザーラたちに怖い思いをさせず人間と仲良くさせて魔族たちと手を結び魔王をジャキのままにサラを助けてジール王国をそのままに差別を失くし三賢者を不幸にさせることもなくそもそもラヴォスを蘇らせる事も無い……
 そんな、夢みたいな奴がいたかもしれない。もしかしたら俺だからこんなに沢山の人間が不幸になったのかもしれない。
 でも、俺だから。現代で魔族と手を取り合って中世で戦争は消えて恐竜人は死滅しない。未来でも機械は人間を殺さない。三賢者たちはまた集い紛いなりにまたサラに会えたし笑顔も見れた。
 ──ルッカがお母さんを取り戻した、マールも国王と和解した、ロボは……きっと笑っていた。エイラも長として強くなれた、グレンも悲しみを乗り越え勇者になり、魔王も大切な誰かがいることを知り優しい魔王になったんだ。
 全部が全部“俺だから”って訳じゃない。あいつらは凄いからほっといてもそうなったかも。でも幾許かの貢献が、俺の手が混じっているはず。仲間だからな。


「卑怯で…………」
『ああ?』ラヴォスが煩わしそうに眉を潜めた。諦めますの言葉以外、あいつは聞きたくないんだろう。
「臆病で、すぐ泣いて、誰かに八つ当たって、弱いし根性も無いよ。すぐ誰かを頼るよ、寂しいのは嫌だし、我儘だし他人より自分を優先する。命乞いも気にしない、そのくせ命を大切にもしない、礼儀も無いわ頭も悪いわそれを直そうともしないわ、良い所なんてほっとんどねえよ!!」
『今更自傷されてもな。気持ち悪いだけだぜ?』頭を掻き毟りながら喚く俺を、奴は錯乱者を見るように一歩退いた。
「顔も平凡性格悪い!! 刀の練習してたのも、小さい頃ルッカを悪漢から助けられなかったから? 違うね、強ければ格好良いと思ってたんだ。いやもうはっきり言うわ、その頃のルッカを俺は好きだったからな、強くないとルッカと付き合えないかも、なんて不安だったんだ。不純な理由だ、そんなもんまともに鍛練する訳無いだろ! 全っ然続かなかった!!」
『同じ姿取ってる俺に、何を言ってんだ? 知ってるよ馬鹿。ついでに、強くなりたかった理由は母親をぶん殴りたかったってのもあるんだよな』
「母さんが辛いのも知ってた。俺がおかしくなってるのを気付いて遠ざけてるのも知ってた! でも恨んだ! 皆嫌いだった、どっかで自分と比較して自分が上の部分を探した!! ルッカが好きな理由も俺より劣ってたからだ優劣感が欲しかったからだ!! ほらな、だから大きくなって俺はあいつに恋愛感情なんか持たなくなった。だってあいつ頭良いんだもんなあ、俺なんかよりよっぽど出来た人間になったんだもんなあ!!」
『…………ルッカが俺を好きなのも知ってたさ。でも無視したし知らない振りをしてきた。それが唯一あいつに勝ってる所だったから。あいつは俺の事が好きだけど、俺はあいつの事が好きじゃない。気分良かったなあ、実験が嫌とか虐めてくるとか、口ではそう言っていても気付けば足はあいつの所に行くんだよ。ていうか分かりやす過ぎるんだよなルッカは。いつでも俺の顔を見てにやけるし……』
「流石にあいつの部屋は引いたけどな……」
『ああ、引いた……あいつの部屋の窓から俺の写真が満遍なく散らばってるのを見てどん引きした……カーテンの柄まで俺だったからな、己の目が良い事を恨んだぜ』
「…………それが、俺だ。皆俺の良い所ばっかり見過ぎなんだよ。最低な奴は言い過ぎだと思うけど、決して出来た人間じゃない」
『エロいしな』
「そりゃ欠点じゃない。美点だ」


 そこで、俺もラヴォス……いや、“俺”も笑った。げらげらと、友達とするみたいに。どっちも今は俺だからな、俺の話をすれば盛り上がるのは当然だ。


「──でも、頑張った」
『ああ、頑張った』


 いつのまにか、涙は止まっていた。涙の跡も、乾き始めていた。


「でも正直さ、一番最初、覚えてるか俺?」
『覚えてるぜ俺。マールがゲートに飲まれた時だろ?』
「そうそう! ハハハハ!! マールを追うって決めた時! あれさ、ルッカの為とか言ってたけど……いやまあそれもあるにはあったけど」
『ぶっちゃけ煩悩だよな! あんな可愛い子とお近づきになれたんだ、そりゃ危険も犯すって!』
「ルッカ以外ではほとんど女の子と遊んだ事が無い俺だ、当然だよな。つうか、そういう時だけ俺度胸あるんじゃね?」
『ああ、思い出したくねえけど、ペンダント持って逃げた理由、まだマールに言ってねえぞ俺……』
「思い出させんなよ俺……」


 お互い同じ記憶を共有している者同士、思い出したくない事柄は同じなんだ。言うなよ本当に。二度と掘り返したくないっていうかマール忘れてないかなあ……忘れてないんだろうなあ……
 同時に溜息をついて、それを振り切るようにもう一人の俺は声を大きく張り上げた。


『中世の王妃! あれは確かに頑張った! 今でも思うけどよ、あれおかしいだろ。刀と魔法無けりゃ、お前よりも成長した俺ですら勝てねえぞ』
「マジかよ、聞きたくなかった……そうだ中世では、嫌々だけどゼナン橋で命賭けたよな」
『あったなあ! 死体がそこらに落ちてて……あの状況に今なっても絶対行かねえ自信ある』
「あの時も半分以上ヤケクソだしな……ああ、ロボはうざかった!!」
『すぐに可愛い奴と思えたけどな。あのさ、性別の壁越えそうだったこと一度や二度じゃねえだろ』
「数えるのも忘れたよ……なんなんだろうなあいつのケアルビーム、推淫作用でも垂れ流してるんじゃねえだろうな?」
『残念だな、単純にあいつの色香だ。関係ないが、あいつが女でもう少し成長した姿だったら、俺たち絶対にあいつに惚れるらしいぞ。並行世界の俺を含めても確実に、だ』
「あああ、知りたくねえ知りたくねえ!!」


 床を叩いて恐ろしい想像を振り払う。床を叩く力は想像が容易であるほど増していく。ちなみに拳から血が出ているのは記述すべきかどうなのか。
 見れば、目の前の俺も遠い目で上に顔をやっている。哀愁が濃いぜ。


『魔王との戦いも、恐竜人との出来事も……』
「頑張ったよな……今思っても、俺がいなくても良かった気がするけど」
『言うなって。魔王なんて奴と戦うのに、ついていっただけ表彰もんだろうが。恐竜人の時もまさか恐竜人側につく人間なんてさ、中々いないぞ』
「良い事なのか悪い事なのか……わかんね」
『ああそうだ。聞きたい事あったんだよ俺。俺にだから話せる事なんだけどな、こういう機会でも無けりゃ聞けねえし』
「なんだよ、今の言葉絶対おかしいぞ。俺だから分かるけどさ」
『いや、あのさ……』ついさっき俺を蹴とばして鼻で笑っていたとは思えないくらい顔を赤らめて、頬を掻いていた。『お前、今一番好きな奴誰なんだよ』
「はあ!?」その言葉に、当然俺も熱が上がる。湯気が出そうと言ってもおかしくないだろう。


 何言ってやがる、という思いを込めて睨みつけるとやおら慌てた様子で両手を振り乱す“俺”。あちらこちらに手をやり『違うんだよ!』と何やら否定している。そう言う俺だって何言ってやがる、しか言えてない訳で。もてない男なんてこんなものだ。
 お互い頭がヒートアップしている為、必要無い時間が刻々と過ぎる。やがて、気まずい空気が流れ始めた。なんで同じ顔同じ姿同じ記憶を共有している奴とこんな空気を味合わなければならないのか。別れて三年経ったカップルが偶然街中で出会ったみたいな雰囲気だ、と例えを思いついた時苦虫を噛んだような気分だった。まだロボとの方が健全である。


『いや……自分で言うのもなんだけど、今俺モテてるだろ。マールにルッカ、どっちからも好かれてる訳で……どっちが良いとか選べるかお前?』
「選べたらとっくに答え出してるわ! 出せねえから後回しにしてるんだろ!!」
『うわ、最低だなお前。女の子の告白を無碍に扱う感じ、何様だよ』
「お前が言うな、お前が!!」
『それもそうか……で、どっちな訳? せーので口に出さないか?』
「なんだよ、俺もお前も同じ名前を口に出せば迷いなくどちらかを選べるってか?」
『流石俺。察しが良い』
「いやいや……まあ良いけどさ。お前の言うとおりこんな機会でもなければ出来ないし」
『言ったな? よしやるぜ、せーのっ!!』


 そして、同時に大切な女の子の名前を口に出した。どう考えてもアホな展開だが、俺もあいつも至って真剣。それだけ二人とも大切な女の子なんだから。

「ルッカ!!!」
『マール!!!』
「えっ」
『えっ』
「嘘だろ!?」
『何でだよ!?』
「いやルッカだろ! いやまあまだ恋愛対象とは見れないけどさ! やっぱりここは幼馴染が強いって!!」
『いやマールだろ普通に! 確かに所々抜けてるし酷いこともするけどさ! ていうか玉の輿だぜおい!!』
「でたよそういう金が絡む考え! まあリアルな所だよな金銭問題も将来性も! でもな、そういう汚い考えを持って恋をするのは二十代後半からで良いと思う!!」
『はいはい初体験も済んでない奴はこれだから! 幼馴染と主人公は付き合うべき、みたいなつまんねえ妄想でたでた! 俺そういうの大っ嫌い!!』
「引くわー! 小さい頃からえげつない理由でルッカと会ってた面から見てもルッカしかないだろ! あいつ可愛いぞ!? いや暴力的な所あるけどさ、最近のあいつ半端じゃないぞ!? 記憶戻ってからのあいつ凄いぞ!? さっきの別れの時なんかずっと弱々しい力で服の裾掴んできてさ! ギャップっつうの? もう抱きしめてから撫でまわしたかったもん! なんだかんだ言ってあいつ絶対照れ笑いするもん! ものっそい幸せそうな顔で!!」
『無いわー! お前二回もマールの事裏切ってんだぞ!? 中世で助けた後王女だから云々の時と裁判の時! その後ゼナンでもひでえ事言ったし! まだ覚えてるよあの後夜一人で泣いてた時の事! あれもうちょい俺に勇気があれば押し倒してからな! 原始の飲み比べの時だって、あれ意地じゃないだろ仲間だからとか絶対嘘だ! 今にして言うけどな、もうあの時点で俺かなり好きだったもん! 最近あいつと話してると楽しくて仕方ないもん!』
「うわあ……止めろよ、そんな事言われると俺マールも良いなあって思ってくるじゃないか。揺れに揺れてるんだけど」
『いや、それ俺の台詞だから。ルッカもなあ、可愛いんだよなあ。いっそ二人とも幸せにする話で良いと思う』
「あのさあ、ここまで来たから暴露するけど、サラも良くない? あいつ絶対俺以外に好きな奴いるけど」
『あ、それ言うなら俺グレンありかも。あいつも絶対サイラスさんの事まだ好きだけど』
「えっ、そこ言っちゃうかお前!! 重たいって! 決して嫌いじゃない……いや好きだけどな? ジール王国に行く前慰められた時本命かな、とか思ったけど!」
『な! な! ……いやあ、俺ロボも全然ありなん「気持ち悪……」……』
「ま、まあお前には関係無いけどな。俺しか現実には帰れない訳だし」
『うわ。今更そういう事言うかね。きったねー、さっきまで盛り上がってた相手にそれ言うかね?』
「ほざいてろ、俺は誰が何と言おうとマールを幸せにする」
『いやお前ルッカ派だったろーが!!』
「えっ」
『えっ』


 珍妙な空気。優しくも無いけどジャキが言ったような黒い風でもない、正しく碌でもない風が吹き抜ける。この閉鎖空間で風とは一体どういう原理か。解明する気はないし興味もさらさら無いのだが。
 腰に手をやり、“俺”はゆっくりとした動作で周りを見回した。特に何があるでもないあるのは白い壁と白い天井、俺が垂れ流した赤い血が散見している。そろそろ渇きつつあるのではなかろうか。びっくりするくらいに俺とあいつは話をしていたから。
 しょうがないだろうさ、ここまで腹を割って話せる人間なんているわけが無いのだから。俺も、あいつも。


『はあ……おかしいな。こんなはずじゃなかったのに。そもそも、俺は記憶があるだけで経験した訳でもないのにな、随分お前に引き込まれちまった』
「同じだろ、記憶があって行った自信があるなら……それもお前だ」
『分かってたんだよ。こんな感じになるのはさ、だからわざわざらしくない俺を演じたのに……お前のせいでパーだ。まさか泣きだすなんて』
「泣いてねえし」
『いや、認めろよ。明らかだったよ』


 泣いてねえもん。馬鹿にするな。
 一頻り泣いた泣いてないの問答を繰り返し、やがて折れたのは相手の俺だった。嫌に面倒くさそうな口調だったのが癪に障ったが、掘り返してまた虚言妄言で貶されるのは敵わない。渋々ここらでこちらも矛先を収めてやろう。
 しかし……随分と喋ったものだ。それも下らない自分の醜い部分を晒すだけでここまで会話が続くとは。それも含めて嫌になる、自分の汚い所がここまで残っていたなんて。
 でも、さっきも言ったけどそれが俺なんだ。俺だから為せた事もきっと腐るほどあるはずなんだ。“クロノ”だから出来た事は沢山ある。
 ほとんど実のある話なんかしなかったけど、そもそもこいつに言う必要はない。だって、どれだけ俺が頑張ったかなんて、言うまでも無いだろう、俺の経験を知ってくれているのだから。
 うん、知識欲か。分かるな、今なら。こいつが色んな事を知りたがる理由が分かる。知っているのは武器になる、誰かの支えになる。単純に勉学でも俗世の事情でも他人の人生でも。知っているのは選択肢を増やす結果を生む、出来る事が増えるのはそれだけ強い証なんだから。あいつはそういう意味で知りたがったんじゃないだろうけど、わざわざそれを否定する意味はない。それを言うなら俺だってそうなんだから。


『……で、どうする?』
「どうするって?」俺は首を傾げた。意識したわけではないが、あいつにはそれが嫌味か、とぼけた仕草に映ったようだ。うげ、と舌を垂らし馬鹿にしたように指先を頭に向けた。
『だから、もう一回殺しあうかって話』
「殺し合い」堪らず噴き出した。「殺すったって、お前俺を生き返らせるじゃないか。殺し合いじゃない、俺が一方的にお前を殺そうとしてるんだ」


 それだけ聞くと、何故か俺が不平等な重罪人に聞こえる。いや、生き返らせるなんてトンデモを行うこいつもこいつなんだけれど。
 それもそうか、と手を叩き、俺の顔を睨みつけてくる。睨む、というよりは不機嫌になっただけか。似ているようだが、こいつのそれはどこか寝不足なのに叩き起こされた時のような、少し子供っぽい表情だった。


『それ、理不尽だよな。俺だけ不利じゃんよ』
「知らねえよ、お前が決めたルールだろ」
『じゃあそれ、撤回しても良いか? やっぱ俺もお前を殺したい』行く先を変えるような、軽快な言葉だった。『お前が嫌いになったとか、もう話したくないとかじゃなくてさ。俺はラヴォスだけど、クロノでもあるから。なんかお前に対してそういう事するの、嫌だ。奇特だよな、まるで方針が変わっちまう』
「ふうん。色々厄介なんだな、お前の変化。変化っていうのかどうか知らんけどさ」
『別に、外殻が最初にやったことと変わらないよ。誰かを作りだすんじゃなくて、誰かに成り変わるんだ。お前にとっちゃあドッペルゲンガーみたいな感じ?』
「いや、聞かれてもなあ」


 のろのろと、“俺”は両手に持つ刀を持ち上げた。今更に、どちらも長さが違うんだな、と気付く。刃渡り数センチ位しか変わらないけれど、模様も柄の修飾もまるで違う各々別の刀だった。
 刀身はもっと顕著に差が表れている。色が違うのだ、片方は薄く青がかり、もう一刀は微かに赤が混じっている。斬られた為ではない、むしろ血糊は全て払われていた。その刀の特性に関係しているのか……


『ああ、これか?』赤い方の刀を持ち上げて、あいつはふん、と鼻息を吐きだしにやりと口端を釣り上げた。『朱雀ってんだ。お前の夢幻みたいに硬くないし、俺……ラヴォスを殺す事も出来ない。極々普通にお前の世界にある刀だよ。勿論相当な業物だけどな』
「そうか、そういう事も出来る訳だ。まあそんな刀の事なんかどうでもいい、やる気になったんだよな?」
『別にやる気が無かった訳じゃないぜ? ただ今までは殺しても生き返らせたってだけ。それが無くなったってことは、リベンジが無くなったんだよ。逃げる事なんて出来ないしな、俺を倒さないとさ』
「それで良い。そうでないとな……むかついてたんだよ」
『生き返らせることに? 理不尽だろ、折角何回もチャンスをやったのにさ』
「それがむかつくってんだよ。見下しやがって、そういうのが一番嫌いだって知ってるだろ、俺なんだから」
『知ってるよ。思い出したってのが正解だけど、だからもう良いよな? 殺すぜ、俺はお前を。勿論再機会なんか無い。殺して……終わりだ。まだまだ話し足りないけど……でも充分だ。感謝するよ』


 感謝と言われて、胸の奥にもやもやと何かが渦巻いた。
 言いたくないけど、自分と同じ顔をしてるんだから、そんな事思いたくないんだけど、その時のあいつは儚げで、少しだけ呆けてしまった。
 それを見抜かれたか、“俺”……いや、もういいだろう。ラヴォスは悪戯な顔になっていた。


『ナルシストめ』
「しゃあねえだろ、世界一の色男なんだから、俺は」
『思ってない癖に。平均の面しやがって』
「うるさいな……来いよ、ほら」
『分かってるよ……でもさ、ちょっと試したい事があるんだよ。お前、その夢幻が折れたらどうする?』その眼は俺が持つ最後の武器へと向けられていた。
「はあ? 折れないんだよこれは。そういう風に出来てるから」
『そうだよな、折れないんだよ。それは知ってる。でも……折れたらお前はどうするんだろうな? やっぱり諦めるのか、それともまだ立つのか。今の俺でも分からない、だから……実験してみようか』


 言うと、奴は蹴り出し俺に両刀を振り下ろしてきた。同じ軌道の斬撃を両手で受け止めるのは容易い、振り上げる要領で敵の刀を弾き円を描いて切り上げた。


『……外れ』


 俺の攻撃は背中を逸らすだけで避けられる。奴が何事かを呟いていたが、気にしている暇も無く、もう一度振り下ろし。青い刀で受け止められ、赤い刀、朱雀による突きの連打。前髪のある距離を鋭く突かれ、冷汗がどっと溢れてきた。やはり、どうしてもこいつの方が上だ。技術も思い切りまでも!
 情けない、根性まで引けを取っていては追い付くどころか成長も儘ならない。奇跡を求めるしかないのか? 奇跡は求めるんじゃないだろ、結果が出て、その結果が信じられない意気地無しが出す答えだ!


『外れ、外れ、外れ……ッ!?』


 急にラヴォスが目を見開き驚愕の形相と変わる。俺は何もしていない。ただ必死に奴の猛攻を受け止めているだけだ。時折反撃を試みるも奴の青い刀に遮られ掠りもしない。到底奴を出し抜くような剣筋を見せつけたとは思えない。
 俺の何処に奴にとって脅威となり得るものがあったのかを回想するが……間違いだった。
 思い出す事がじゃない。間違いですら無いか、それを言うなら勘違いだ。奴が怯えて驚いたという認識が。奴はただ、待ち望んでいた時が来ただけだった。


『大当たりだッッ!!』


 唐突に、防御に回していた青い刀を放り投げて、朱雀を大上段に構え俺に斬りかかる。隙は存分に存在する。その気なら奴の左腕一本くらいなら斬り落とせそうな無茶のある大振りだった。勿論、そうしようとした。でも出来なかった。
 その余りある気迫と奴の歓喜の顔。ただの振り下ろしが、まるで自分の最大技だと言わんばかりの迫力だった。
 俺にはその斬撃が巨岩や天泣程の力を有しているとはとても考えられない。魔力も籠っていない、普通の斬りかかりなんだ。なのになんだこの自信は?
 結局、この期に及んで怯えてしまった俺の行動とは、横に剣を構えて頭上に置く、つまりは防御の姿勢だった。
 俺の夢幻と奴の朱雀、お互いが触れ合った瞬間……奴の刀が燃え上がった。朱雀という名の通り、火の化身であるように夢幻に絡みつき、啄んでいくように炎が牙を剥く。


『朱雀……刀としても超一流、とはいえ虹には及ばす硬度も夢幻には遠く及ばない。だが……時折こいつは暴走する。己が刃に込められた力が爆発しちまう。それは意図的なものでさ、わざと暴走を引き起こすよう作られた。暴走の際に起こる斬撃の力は持主の筋力ではなく魔力に比例する。暴走の力は……通常の凡そ万倍。それを俺が使う、運動能力も頭の回転もお前より少々増しただけの俺だが……魔力だけは、ラヴォスのままの俺が使うんだ。どうなると思う? ラヴォスの万倍の力が込められた斬撃は、どんな結果を産む? 答えは、これだ』


 光っていた。あいつの目を見れば反射して映っていた。絶対に折れないと思っていた、元にそうであるはずの夢幻が、その欠片が。虹と同じようにばらばらに砕け散っていたんだ。
 あいつから貰ったのに、貸してもらったのに。返さなきゃいけないのに、砕けてしまった。砕けたのは刀と、多分俺。


『確かに、それは砕けない刀だったよ。ラヴォスのままじゃ、例えどんな魔法を使っても傷一つつかなかっただろうさ。でもな……俺は、お前だから。あいつの言う頭でっかちの半端者じゃねえから。だから砕けた。哀れだと思うし、皮肉だよ。お前の為に作られた刀がお前と同一存在の俺に砕かれるんだから』


 刀身の砕けた朱雀を後ろに投げて、ラヴォスは言葉通り哀れんだ目で俺を見ていた。空いた手にはまた新たに朱雀が生成されていた。そうか、暴走すれば朱雀も壊れるのか、そして壊れればまた作りだせば良い。
 それじゃ……夢幻があっても勝てるわけないじゃないか。同じ土台に立った? 何処がだ、圧倒的に不利じゃないかよ!!


「うそ……だ…………」
『そう願いたいよな? 俺も何度もそう思った。例え借り物の記憶でもお前と同じ体験をしたつもりだから。でも、無駄だぜ。ここに助けは来ない。お前も俺なら、都合の良い奇跡なんか起きないって知ってるよな?』
「うそだああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!!!!!!!」
『気の毒だな。でも駄目だ、俺だってわざわざお前に殺されたくないんだから……』


──私マールって言うの。あなたは?


 声が聞こえた。


『……クロノだ。よろしくなマール』
「……え?」


 確かに俺は聞いた。目を閉じて耳を塞いで膝に頭を埋めているのに、叫んでいるのに聞いた。でも、それは。
 お前もか? ラヴォス。
 呆としている俺を見て、はっと顔色を変えるラヴォス。何かを払うように頭を振って、もう一度俺を見やる。その眼に浮かぶのはさっきのような同情じゃなくて、迷いだった。


『お前……じゃないよな』
「ああ、俺は何も言ってない」
『ああそうだ、お前じゃない。お前の声とあいつの声を聞き分けられない訳がない』


──ああ、ちょっと待って! ……ありがとね、クロノ。


『じゃあよ、』


──最後まで気を抜くな、勝利に酔いしれた時こそ隙が生じる。


『今頭に響くこれはよ、』


──……僕は、できれば皆さんと一緒に行きたいです。皆さんのやることが人間、この星の生命を何処に導いていくのか見届けたい……後一人でいるのはつまらないし、寂しいです……


『誰の声だよ!?』


──あ、あたい、エ、エイラ……言う。お前たち……あの……


『いや、言われなくたって分かってる!! 誰でもない俺が知ってる!!』ラヴォスの叫びに共感する。そうだ、知らない訳がないんだ。この言葉も、その声も。


──姉上ともう一度会わせて……


『うるせえ!! 俺のせいか? 違う!! ジールだろうが、お前があいつに会えなかったのはジールのせいだろ! 俺の気に当てられたなんて知るか!! 俺は……俺は!!』


──まだ嫌だ。折角お兄ちゃんが出来たのだ。ニズベールと三人で……いや、恐竜人皆も合わせていっぱい遊びたいのだ。


『関係無い!! 俺が降って来たのは俺の意思じゃない!! それに、お前ら生きてるじゃん、死んだ奴もいるけど、俺が降ってきたから氷河期になったけど……でもそんなん俺知らねえよ、やりたくてやったんじゃねえよ!!!』


──クロノが死んだ……? ねえ何で笑ってるの!? もういないんだよ? 私たちが泣いても叫んでも届かないんだよ!?
──私はここにいるわ! だからクロノここに来てよ、私に触ってよ、笑ってよ怒ってよ私を好きになってよ一緒にいてよぉぉぉ!!!
──……なあクロノ、清算してくれ。俺はお前を守っただろう? お前が泣いてるときに涙を止めてやったじゃないか。だから今度はお前の番だ、俺を助けてくれよ。
──だから……うるさいんですよ貴方は! クロノクロノって……もういないんですよ、いつまでも延々同じ言葉を聞かされて、思い返される身になってくれませんか!?
──クロ……
──約束を守れないのなら……出来ぬ事を言うくらいなら……最初から、希望など見せなければ良かったのだ!!


『違う違う違う!!! 俺はラヴォスじゃない! ラヴォスだけど、殺したけど……俺の意志じゃない、星がっ、星がそう言ったんだ! あいつらずるいんだ、自分じゃ何も出来ないから、俺に任せてきたんだ! 関係無いのに、僕は関係無いのに!! 僕もクロノだ、僕だって今はクロノなんだから、僕も愛してよ、僕の為に泣いてよおおおぉぉぉぉぉ!!!!』
「お前……」


 俺の話し方じゃない。一人称も違うし、ラヴォスのままでもない。奴はこんな風に取り乱さなかった。今のあいつは、誰でもなかった。
 下手に俺になり過ぎたのだろうか? だから俺を殺した、いやそれを思い出したあいつは、もうラヴォスにも戻れない。今のあいつは……誰だ? 俺が戦うべき相手で、俺が諦めかけた敵は何処に居る? この、さっきの俺よりもずっと苦しそうに喚いているこいつが俺の敵なのか? 星を破壊し未来を変えて人類を滅亡に追い込んだ?


『喋るなよジール!! お前が弱いのがいけないんだ、子供と一緒にいたかったなんて知った事か!! お前が望んだんだお前が! だからそこに取り入っただけだ、他の魔物も勝手にお前が改造したんだ!! 賢者なんて知らない、サラも知らない! 黒の夢もゲートも俺はクロノだ、トルース町で育ってお祭りでマールとルッカに会って中世でカエルに会って原始で魔王に会って未来でサラにあってロボヲコロシテジールトキョウリュウジンヲナカヨクサセテラヴォスヲナカマデワカレテコロシテイイイイマクロノヲコロシタ、タ、タ』


 何でだ? 何で泣いてしまうんだろうか俺は。きっとあいつが泣いてるからだろう。
 さっきまであんなに得意気にしてたじゃないか。お前は俺より凄い、優れてるって偉そうに話してたじゃないか。俺と一緒に昔を思い出してたじゃないか。なんでその時はおかしくならなかったのに、今は壊れてしまうんだ? 声が聞こえたからか? だとしたら、何で聴こえたんだ?


「……え?」


 いつの間にか、眼の前に夢幻が置かれていた。砕けたままじゃなく、完全に復元されている形で。俺に握れと命じている。殺せと伝えてくる。
 俺は、誘われる様に刀を取った。その途端、ぐるりと目玉を動かしてラヴォスが斬りかかってくる。


『そそ、そうだお前がラヴォスだ!! お前を殺せば未来が救われる、お前が死ねば俺は皆の所に帰るんだ!! 皆俺は仲間だから認めてくれて沢山の人が俺に話しかけてくるさ、星の命令も知った事か! ラヴォスは悪だ最悪だお前がいなければ皆幸せだったんだだからお前は死ぬべきだそうだあああぁぁぁ!!!』
「止めろよ……ッ!! お前が言うなよ!!」
『オオオオマエが悪いんだ生まれてこなきゃ良かったんだなんでずっと宇宙にいなかったんだお前なんか落ちてくるなずっと一人でいろずぅぅぅぅうっと永遠に悠久に一人で勝手に死ねば良かったんだああああぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!』


 どんな想いだったろう。
 ずっと宇宙にいたんだ。知恵もあったし、考える事も沢山あった。きっと言語なんてものも理解していたんだろう。
 でも、一人だった。こいつはずっと一人で生きていた、そしてようやく話しあえる生物がいる星を見つけた。
 初めてこいつがこの星に来た時、原始の空で見つけた時、俺は何を思った? きっと恨んだはずだ。こんな物が落ちてこなければアザーラたちは死ななかったのにって。星は終わりを告げる事無く豊かなまま原始の生物は生を謳歌し、未来が無くなることもないのにって。
 こいつは何を思ってた? きっと喜んだ筈だ。ずっと迷子のままで、ようやく生物に会えた喜びで一杯だったんだろう。まるで子供の様に幼子そのままに飛びついて行くような気持ちだったんだ。その生き物たちが自分の体で押しつぶされて悲鳴を上げるのを、こいつはどう感じたんだろうか。
 そして、意志の疎通が可能になり、その相手は星であり植物であり魚であり動物であり虫であり。そいつらは揃ってこう頼んだんだろ?「この星を焼き尽くして下さい」って何千年……いや何千万年も延々と言われてきたんだろ?
 仲良く、したかったんじゃないか? だからこの星に来たんじゃないのか? 友達が、家族が、仲間が。なのにずっと言われる訳だ、殺して下さいって。僕たちごと人間を。
 何が知識欲だ、格好つけやがって。そうじゃないだろ知りたいのはそんな大層なもんじゃないだろ? 誰かと話す喜びを、誰かと交わる楽しさを、誰かと生きる充実感を知りたかったんだろ? でも、教えてくれたのは憎悪。
 でも染まらなかった。こいつくらいの力があればもっと早く人間を殺し切れたはずなんだ。でも……こいつは抗った、話す事も出来ない人間の為に何千万年耐え続けたあの世界終焉の時、AD1999年まで!!
 普通染まるよな、無垢なガキがあっさり犯罪に手を染めるみたいに殺してくれなんて言われ続けたらすぐに黒くなるよな。でも頑張ったんだな、お前。


──そう? 僕は嬉しいよ。久しぶりにこの身体で他の生命体に会えたんだ。久しぶり、じゃないか。初めて会えたんだから、初めまして僕の最初の人かな──


 万感の想いだったんだろ? 本当に嬉しかったんだろ? あの無表情な、俺が化け物と評した姿で飛び上がりたいくらい喜んだんだろ? 外殻や内部のお前と違って嬉しかったんだよな?


──君は僕と戦おうとしてるね? でもちょっと待ってよ。お話したいんだ。出来れば、僕が飽きるまで──


 勇気がいったんだろうなあ、告白とか、そんなの目じゃないくらいにさ。初めてだったんだもんな。何億年だかそれ以上か知らないけどさ、ずっと一人でいて、初めて会話が出来るんだから、そりゃあ楽しみだったんだろうさ。断られたらどうしようって凄い緊張したんだろうな。
 でも、俺が吐いた言葉は。


──ふざけんな、うんざりだって言ったろ? お前の首を落として此処を出る。お前とのくそつまらねえ会話なんかもう御免だ──


 鍔迫り合いの最中に後ろに飛び跳ねてから、自分の頭を拳で殴りつける。頭皮が破れ、血が流れ出た。それに構う事無くラヴォスはまた斬りかかる。
 いっそのこと斬られちまえ。そう思っていても臆病な俺は受け止める。それが身を斬られるよりもずっと痛かった。
 あいつに表情が無いから、俺は何も気にしていないんだと思ってた。気にしても、関係無いと思っていた。勝手にあいつを悪者だと決めつけていた。
 辛かったに違いない。ふざけんな、もうんざりも首を落として此処を出るもまあ良いさ。きっとあいつを傷付けたけど、でも良いさ。その後に比べればずっとマシだ。
 「くそつまらねえ会話なんか、もう御免だ」。これは駄目だ断罪級だ。嘘だろ、よくもまあそんな事を言える、そこまで相手を陥れられる。手を伸ばしてきたガキを殴り飛ばして、唾を吐いて、それでもまだ足りず「お前なんか話していたくない」ときたものだ。素晴らしいな、完全無欠に最低じゃないか。
 悪いのは誰だ? 星か? 人間以外の生物か? それとも俺たち人間か? 分からない。分からないけど……


「お前じゃ……ないよなあ……? ラヴォス」
『ッッ!?』


 荒く息を吐いて、瞳孔を見開いたままラヴォスが俺から離れた。後ろに飛び下がるじゃない、慌てて背中を向けて逃げるように俺から距離を取った。子供みたいな仕草が、より一層俺の心を痛めつける。震えた手で刀を握り、近づかないでと言外に伝えてくる。
 涙が止まらない、粘着質な唾がどぷどぷと溢れて、口の外へ流れる。汚い顔だろう、でも近付いて行く。


「ごめん……俺、勝手に思い込んでた。お前が悪いって、ずっと思ってた。アザーラを殺されたと勘違いして、ジール王国を滅ぼして、未来を壊して、ロボを殺して……恨んでないって言えば嘘になる。でもだからってこの星が、そこに生きている生物がお前にしたことを忘れてた。最低だ、やっぱり俺、屑だ」
『クルナ、クルナヨ……』
「言いたくなかっただろ? 自分で認めるの嫌だったよな? ずっと一人でいれば良かったなんて……それがお前の本音か? だから、この星が再生したら自分から死ぬなんて言ったのか?」
『クルナッテバァ!!』刀を遮二無二振るって俺が近づくのをやめさせようとする。両手を振り回して、誰も来てほしくないとアピールするみたいだ。そして、そうさせたのは俺“たち”だ。
「でもそんなのおかしいって!! お前仲良くなりたかったんだろ? この星につけば楽しい事一杯だって思ったんだよな? 楽園みたいな、夢みたいな所を想像してたんだ。でも……ごめん、そんな所じゃない。人間同士で殺し合うし星の仲間たちは他人が嫌いだ、嫌われても気にしない奴ばっかりだ!! お前がおかしくなる理由なんか全然無いんだ!!」
『ヒッ!!』


 ラヴォスの刀は、振り方が無茶苦茶すぎて俺の腕に当たっても刃が食い込むだけだった。それでも、三分の一は切断されたと思うけど。おかしくなったのは俺もか、まるで痛くない。
 だからそのまま、俺はラヴォスの両腕を握った。俺と同じ腕のはずなのに、随分細く感じた。
 そして、どちらも涙に塗れた顔を見つめる。呼吸が定まらないラヴォスは俺の形を取る事を止めて、元の形に戻った。とはいえ、大きさは変わらず俺と同じ背丈だったけれど。そこまで魔力を回す余裕が無かったのだろうか。
 口も無いし鼻も無い、目も何処にあるのか分からないけれど、初めて見た時と違って、それは恐ろしい物でも不気味な顔でもなく、真っ白で純粋な赤子にさえ見えた。


『テ、天泣!!!』
「……グッ!!」


 俺に掴まれたラヴォスの両手、そこから放たれたエネルギーは、俺の頭を微かに逸れて右耳と一緒に左足と背中を削り取った。内臓がはみ出てるかもしれないな、もう一生立てないかもな、それがどうした!!
 そのままもたれるみたく、ラヴォスに抱きつく。もしかしたら離した両手で吹き飛ばされるかもと思ったが、それならそれで良い。でも、ラヴォスはそんな事も思いつかないくらい怯えているのだろう、為すがままに俺に抱きつかれた。
 両手を背中に回して子供をあやすように撫でてやる。いつまでこうしてやれるだろう、きっと短いに違いない、でも頑張れ俺。今までの努力なんか水泡に帰して良い。でも今だけ、本当に頑張れ。じゃないと俺が許さない。


「大丈夫、だから。お前ここにいて良いから。ずっとお話してやるから。だから……泣くな。俺がここにいるんだから」
『天……』
「俺、お前の事好きになる。皆怒るかもしれないし、お前の事を嫌う奴もいる。でも、俺はお前の事好きになるから……」
『…………本当に?』
「ああ、本当だ…………」
『……うん』頭を俺の頬に擦りよせて、こいつも俺の背中に手を回してくれる。皮膚が無いから、回すだけで触りはしない。ほら、こいつはこんなにも優しい。


 こういうのも、俺らしいだろう。
 こんな終わり方も、俺だから出来た答えだ。未来は救えないけど、仲間に会えないけど、運命を変えるなんてできなかったけど、こいつを救えた。俺だから救えた、そしてこいつが救われて、俺はもっと救われた。


『じゃあ、いっぱいお話しよう? 僕ね、君の……えっと、その……』
「? ……どうした?」もう、耳が遠い。でもこいつが嬉しそうなんだ、ちゃんと聞く。
『あのね、あの……クロノって呼んでも良いかな?』


 あんまりにも重大そうに言うから、思わず笑ってしまう。力無い、笑顔だったけれど。
 こいつ無表情じゃねえよ、明らかじゃないか。顔赤くしてやがる、照れてるんだ。可愛いので、右腕を上げて頭を撫でる。ほうら、気持ち良さそうにしてる。


「良いよ。俺も、お前の事ラヴォスって呼んでるし」言うと、ぱあっ、と笑う。お前愛されるよ。俺じゃなくてもお前なら絶対大丈夫だよ。
『じゃあね、クロノ! ……僕、クロノの話が知りたい……じゃなくて、聞きたい!』
「お……れ、の?」
『うん。僕も、クロノの事好きだから!』
「そう、か。ハハハ……照れるな……うん……話す、よ」
『うん……でも、そうだな。その前に、もう一つ聞きたい事があるの』こつん、と額を俺の頭に当てて、少し浮かれた調子でラヴォスは聞いてきた。
『僕の事、好き?』


 俺は、ちゃんと答えたよ。好きになるって言っといて、すぐさま好きになったから。もう、とても斬り合うなんて出来なくなったから。
 ごめんな皆、また約束破っちまうみたいだ。でも許してくれるよな? こいつ一人なんだ、側に誰もいないとかじゃなくて、ずっと一人なんだ。一人が辛いのは知ってるから、だからごめん。やっぱり俺は誰かが泣くのは嫌なんだ。俺が嫌だから、失くしたい。
 ……でも、ああ。もっとこいつと話したいのにな、もう声が出ないや。こいつまた一人になっちまうな。
 ……………………………あ、でもこいつ…………






 わらっ、てる………………



















 良かった。




















 鐘の、音?
 そうだ、鐘の音だ。もう支度をしなければ、遅刻してしまう。
 急ぎ寝間着を脱いでタンスから服を取り出す。いつも通りの白いシャツに水色の、少しだぼっとしたズボンを履いて、額に鉢巻を巻く。


「よし、隠れたな」


 額を擦りながら鏡を見る。原因は分からないが俺の額には妙な痣が出来ていた。いつまでも治らないので、医者は不思議そうにしていたのを思い出す。
 腰に木刀を差して、頬を叩き階段を下りた。


「母さん、おはよ」
「おはよう。何あんた、今日はあっさり起きたわね」
「まあ、たまにはね」
「ふうん。まだ千年祭の気持ちを忘れられないんじゃないかい? もう二か月も経つってのにさ」


 母さんはふわあ、と欠伸をして肩を鳴らしながら外に出て行く。いつものように、魔物たちに訓練を行うのだろう。その光景は今じゃトルース町の名物になっている。噂を聞きつけた魔物たちが続々と母さんの下に集まり教えを乞うているらしい。総勢千を越えたと前に町長が話していた。誇らしいと言えば良いのか、寂しいと思えば良いのか。
 俺以外の人間では決して悩まない悩みを抱えつつリビングに向かう。
 今日の朝食は、目玉焼きとサラダ、バターを塗ったパンだった。サラダを口に運ぶとレモンの香りが漂い、もう一度口に頬張る。飲み込んだ後、カップに入った熱々のコーンスープを流し込みパンを齧った。
 焼きたて、だった。


「それじゃ、俺出かけてくるよ」
「そうかい。今日だったかね、お城に呼ばれてるのは」
「まあね。覚えといてよ、息子の大切な日なんだから」
「ふん。世界を救っただかなんだか知らないけど、そんな事どうでもいいわよ。あんたが息子なら、それで全部さね」
「……ん。行ってくる」


 砂利道を終えて、石の道路に出る。左に続く稲穂の広場が風に煽られさわさわと鳴いている。日差しを目一杯浴びて気持ち良さそうに身を倒している、俺も同じように寝ころびたいなあと羨ましそうに見ていた。
 途中、果実畑の隣で果実酒を販売していた。もぎたて一番の香りは堪らないよ! と道行く人々に声をかけているお姉さんは、きらきらと輝いて見えた。
 懐から十ゴールド出して一つ頂く。小さな木のコップに入った酒は飲みやすく、もう一杯貰う事に。今度は赤みがかったもので、こちらもまた味わい深い。
 飲みっぷりが気に入った、とお姉さんは顔を綻ばせて、おつまみ代わりだと林檎を手渡してきた。あまり聞いた事がないつまみだが、その好意が嬉しい、有難く受け取った。
 林檎を食べ終わる頃には、大通りに出てくる。騒がしく人々が行き交い店の営業が始まり出した。そこには人間も、魔物も、恐竜人──アザーラ族と言うそうだが、皆が仲良く笑い合っている。ハーフの種族もまちまち存在しているが、誰もが彼らを受け入れている。
 ふと、賑わう喫茶店を見つけた。何の気なしに近づいて看板を見ると何でも四百年前から存在している喫茶店だそうで、夜になるとバーに早変わりするらしい。店内には歴史上最高の冒険家の絵画が飾られているそうな。
 折角だ、ここでモーニングコーヒータイムとしようか……


「おい」
「おいと言われても俺の事か分からんしな。お洒落な空気を纏うためにも俺は断固この店に……」
「俺を無視するとはいい度胸だ、愚民が」


 たった一度聞こえないふりをしただけで随分怒りの形相へ早変わりしている男が俺の肩を掴む。力任せに引き寄せられたので、少々痛い。でかいだけの体格ではなく筋肉も並ではないのか。まったく度し難い、ただでさえ巨体と筋肉と俺より三段は劣るがそこそこイケメンという理由で町の女から黄色い声を投げられているというのに、尚且つ俺の午前の楽しみを奪うのか。この店に入るの初めてだけど。


「なんだよダルトン。パレポリにいるんじゃないのか?」
「今日は俺もガルディアに用事があるのだ。俺様を呼びつけるとは無礼であるが、器の大きい俺様は仕方なく訪れて来てやったのよ、叩頭しろ」
「なんで頭を下げにゃならんのか暇人め。しかもお前馬車で来たのか? 流石、小さいとは言え国の王は違うね」ダルトンの後ろを見ると、王族が使うような屋根つきの馬車が待っていた。屋根は赤く車輪は金色。馬を操る人はマスターゴーレムだった。服装は貴族が着るような礼装だったので、気付くのが遅れた。
「今は小さいがな、俺が率いるのだ、パレポリはやがて世界最大の国へと変貌するだろう」
「そりゃあ……無理と言えないのがお前である性だな、ダルトン」ちゅうか、そこのマスターゴーレムだけでちんけな国三つ分くらいの力を持ってるんじゃないか?


 話もそこそこに、ダルトンは俺の首根っこを捕まえて馬車に詰め込んだ。きゃー誘拐犯!! と叫んだら俺の頭の半分はありそうなどでかい拳で頭を殴られる。目の前が真っ白になるとは思わなかった。馬鹿力め! ていうか乱暴してからさらうってまんま悪人じゃんか、こいつが善人とは思っていなかったが。


「お前も城に招待されているのだろうが。連れて行ってやるだけのことよ」
「なんだろうな、この職場で出来る先輩みたいな空気。お前らしいけど」


 馬車の中は存外広く四人は座れる空間だった。左右に二人分の席があり、ダルトンの向かいに腰を落とす。とてもあいつの隣には座れない。心情的にもそうだし、隙間的にも無理。絵的はもっと駄目。
 はあ、と溜息をつくとダルトンは俺の顔の前で鼻を鳴らしていた。いやいやだから駄目だって気持ち悪い。窓の外から見ている女の子がきゃあきゃあ騒いでるじゃないか。楽しそうなのは無視だ、無視!!


「お前、仮にも王城に招待されているというのに酒を飲んできたのか。豪気よな、お前らしいわ!!」
「二杯だけだよ。それも弱い奴を、こんなに小さいコップで」頭を撫でくり回されながら指を立てて『小さい』を表現する。それにしても頭撫ですぎだろーが、あのな? もう俺マールで慣れてるからいいけどさ、外の女の子狂喜乱舞してるから。止めてくんないマジで。
「うむ、ならばこの会合が終われば俺と酒を飲むか。この俺が誘っているのだ、よもや断るまいな?」
「わーったよ。けどな、パレポリには行かねえぞ、ガルディアの酒場ならいいぜ」
「構わんが、俺のパレポリも美味い酒は腐るほどにあるぞ?」
「良いんだよ。パレポリでお前と飲むのは絶対に嫌だ」


 一月半程前の話だが、こいつと一緒にパレポリに行った時。男も女も眼の中にハートを浮かべてこいつを見てやがった。中でも十四かそれ位の女の子はこいつの腕から離れなかった。ダルトンさんダルトンさんと連呼して、たまあに「あっ、なんだか知らないですけど、英雄さんなんですよね、凄いです」と取って付けたように話していた。あからさまに『でもダルトンさんのほうが凄いですけどね』と目が語っていた。死にたくなった。滅ぼしたくなった、パレポリごとダルトンを。
 そこからこいつの従者のゴーレムとその女の子がダルトンの取り合いを始めて……あああ心臓の辺りからムカムカがっ!! ムカムカが這いずってきやがる!!


「ふん、貴様も相応に女人から好意を持たれているだろうが」
「違う、お前への好意と俺への好意はまるで違う。俺の場合はちょっと良いかも、くらいだ。お前の場合は抱いて下さいなんだよ」
「当然であろう。貴様と俺では格が違うのだからな」
「……そういう奴だよ、お前は」


 力が抜けて、背もたれに左手を置く。普通ありえないんだろうな、国王が目の前にいるのに崩した格好になるのは。それを言えば今までの言動なんか斬首であるべき無礼なんだろうが。
 ──そう。俺が戦いを終えた帰った後、元の現代には驚くべき事にダルトンがいた。それだけでも目玉が飛び出そうな出来事なのに、こいつはあろうことかガルディアと冷戦状態だったパレポリの主導者になっていた。国王とはこいつが名乗るだけで、実際はそんなものだろう、村長と言っても過言じゃない。それを言うとこいつは決まって「この俺がそんな田舎臭い地位で満足すると思うのか!?」と怒るので口にはしないが。どう見たらあの小さな村を国として取れるのか。こいつがいるだけで軍事力は国に相当するんだろうけど。
 聞いた話、ダルトンがこの時代に来た理由は曖昧らしい。こいつ自身はジールがゲートの力で古代から現代に飛ばしたと思っているのだが……それも考え難い。あのジールならそんな面倒を犯さずさっさとダルトンを殺してしまっただろうから。
 でも、それを言葉には出来なかった。誰からも好かれず悪として死んだジールが、出来心だとしてもダルトンを平和な世界に飛ばしたと思うのは悪くない。ま、結局この世界にも黒の夢の魔物を飛ばしたのだからどうとも言えないけれど。
 だが、皮肉にもダルトンは黒の夢の魔物からこの村を守り狂信的とさえ言える求心力を手に入れたのだ。最近ではガルディアでの人気も上々とか。シンジマエ。
 ……もし、ジールがそれすら見通していたのなら? いやまさか。それこそ考え過ぎだろう。何しろ、世界を崩壊させるには十分な力を持つ魔物の大軍を送り込んだのだから、ダルトンの為なんて言い訳にもならない。大体その戦いでダルトンは死の淵を彷徨ったらしいし。
 でもそうだな。少しは思う所があったかもしれない。出来の悪い娘の教育係として、自分の娘を支えてきた一人の男に、何かを感じていたのかもしれないな。


「でもさ、良いのかダルトン」
「何がだ。言葉が少なすぎるぞクロノ」
「ここに残ってて、だよ。お前のいた世界は古代だぞ? いや、帰ってほしいって事じゃないんだけど」内心その気持ちが零でも無いんだけど。
「ふん、良いのだ……あそこに俺は必要ない。俺の部隊の人間も、きっとそこに残る住民を守るだろう。そう……必要無い」


 そうだろうか。俺にはダルトン部隊の人間は皆こいつの事を多かれ少なかれ慕っていたように思える。国を操る女王と、魔物たちに逆らってまでこいつの命令に従うくらいには。
 それは、全く言う必要の無い事。だからこそ俺は思い浮かんだ言葉を飲み込んだ。


「それにだ、パレポリの人間は俺を求めている。力などという一時の幻想も含めてな。だが、力など見せつけずとも俺様の威圧、カリスマ、美貌を持ってして治めきってやるわ!!」
「あっそ……」
「それに、」一瞬、こいつの何物をもなぎ倒す眼光が消え、宮殿で見た悲しい色に変わる。「それに、あいつのいないあの世界は寒すぎる」
「……あっそ」


 がたがたと車体が揺れる。舗装が完璧ではないのか、少々揺れが酷くなる。ありがたいな、今の無言の時は揺れのせいで起こったものだと誤魔化す事が出来るから。
 しばらくして、前の車窓から外の景色を見ると森が遠くにあった。ガルディアの森か、流石馬車は歩くのと違って随分早い。


「うわっ」
「そも、貴様はシルバードを壊したのだろうが! 今更そのような話を持ち出すな!!」
「ご、ごめんって! 悪い悪い!!」


 首に腕をまわされぶんぶんと揺さぶられる。良かった、町の中でこんなんされたら次の日の朝刊は決まりだった。どこかに怪しい関係という一文があるのは間違いないだろう、そして俺がその記述の担当者を闇討ちするのは確定だろう。


「良かったのか?」首を絞める力が弱まり、ダルトンは神妙な声で呟いた。
「? 何が」
「シルバードを壊して、だ。もうゲートは無いのだろう? 仲間たちに会えなくなったのだぞ」
「ああ。それならもう──」


 それならもう……



















「……ロノ! クロノ!!」


 身体を揺さぶられている感覚。掴んでいる腕の力は強く、痣になるんじゃないかと心配になるくらい。そして俺を呼ぶ声はあまりに悲壮で、悲しくて。
 気が付いたと言うのに、何故だか目を開けるのが憚られた。
 視界を開けぬまま手を弄ると、小さな粒が指先を掠める……砂か…………砂!?


「ッ!?」


 すぐさまに体を起こし辺りを見回す。あるのは白い空間ではなく、緑の木々に石畳、上には満天の星空と満月がぽつり。少し視線を遠くにやれば、未だに置きっぱなしのルッカのテレポート装置。そして、装置と森の間には丸いゲート空間が蠢いていた。
 間違いない、ここはリーネ広場の、初めて時を渡った始まりの場所。


「クロノ! 良かった、目を覚ま」
「マール!! ラヴォスは? あいつは何処にいる!?」
「え、ええ?」


 隣にいたマールの肩を持ち質問を飛ばす。戸惑っているのは分かる、でも聞かないと。もうこれ以上約束を破りたくないんだ。側にいてやろうって決めたんだから、好きになったのだから。
 それから、俺の近くで驚いたままの他の仲間にも聞いてみる。混乱しているかもしれない、いきなり起きた俺が何の説明も無しにラヴォスの所在を聞いてくるのだから。そんな当たり前の事を知るのに、俺は多少の時間を要した。
 やがて、グレンが「落ち付け!!」と宥めてくれるまで俺は矢継ぎ早に質問を繰り返すだけだった。


「ラヴォスは、お前が倒したのだろう? 証拠にほら、ゲートが閉じようとしている」
「……え? そんな……」
「凄いクロ! やっぱりクロ強い!!」


 エイラが嬉しそうに跳ねる。でも待ってくれ、俺はあいつを倒してない、倒そうともしてないのに……
 喜ぶな、勝手に決めるな。そう怒鳴ろうとして……口を閉ざした。それにどんな意味がある? もう分からない事があったって、理解できなくたって、誰かに当たり散らすのは止めるって決めたじゃないか。ロボの件で俺はまだ懲りないか。
 急に喋らなくなった俺に、意外にも俺の容体を気にしたのは魔王だった。


「怪我はないのか? 表面上は無傷に見えるが、見えぬ所に負っているのかもしれん。おいグレンにマール、こいつに回復呪文を唱えてやれ」
「……あ、う」
「どうした? やはり傷があるのか、痛むのならばエリクサーもある、使え」
「あ、いやそうじゃなくて……ははは」
「何を笑う?」
「……優しいな、魔王は」
「ッ!!」


 見知らぬ人間に撫でられた猫みたく俺から飛びのいた魔王はそっぽを向いて「いらぬ心配だったようだな!」とむくれた。
 こういう風に、仲間に心配してもらうのが、辛い。それを嬉しいと思っている俺は、ラヴォスを裏切っている気がしたから。
 そうか、あいつ……そういう道を選んだのか。ふざけるな。
 ゲートが消えかかってるという事は、あいつが消えたという事。それ以前に俺がここにいるという事は、あいつが死んだという事。考えてみれば単純な帰結だ。でも俺はあいつを殺してない。そんな気は無かったし、そんな事が出来る身体じゃなかったから。今俺が無傷なのは、あいつが治療してくれたからだろう。そして……こういう結末をあいつ自身が選んだのだ。


「……まだ、俺達は滅亡してないぞ。自分から死ぬのは、もっと後だろうが……!!」
「ど、どうしたのクロノ? やっぱり魔王の言うとおりどこか怪我してるの? だったら」
「いや、大丈夫。大丈夫なんだ、俺は」


 俺の手に置かれたマールの指を押し戻す。そう、俺は大丈夫なんだ。優しくしてもらうべきは……優しくしてほしかったのはあいつの方だ。俺は、そうしてやれなかったから。
 涙が溢れそうだ、でも出してはいけない。こいつらに心配をかけるべきじゃない、ラヴォスとの約束も邂逅もこいつらには関係ないんだから。俺が一人で見つけて一人で交わしたものなんだから。
 ぎこちなく笑って、「ごめんな」と伝える。出来そこないの笑顔だ、無理してると解釈されたかもしてないけれど渋々マールは身を引いた。


「やったわね!! これで、未来を救えたのよ!!」
「いてっ」


 肩をぺしんと叩くルッカの顔は喜色満面、眼尻には涙まで浮かんでいた。きっと心配してくれたのだろう、無意識に頭を下げてしまう。
 すると、彼女はきょとんとした顔になり、やれやれと言わんばかりに指で眼鏡を上げた。


「お礼を言うなら、マールとグレンにしなさい。この二人の慌てようったら見てられなかったわよ?」
「お、俺は別に慌てていない! 嘘をつくな、ルッカ!」
「へえ、二人して気絶したクロノに抱きついてた癖に、良く言うわ」
「言うなあ!! 剣士の誇りをなんと心得るか!!!」


 今まで少し離れたベンチで見ていたグレンが飛びこむようにルッカに迫り牙を見せている。そんな中でもちらちらとこちらを見ているのは、当然俺を心配している証拠。
 幸せだな、俺は。あいつは幸せじゃなかったのに。
 ……やめろ。あいつは返してくれたんだぞ此処に。皆のいる所に、俺が望んでやまない場所に。それがどういう事か分からないのか、馬鹿がッ!!
 それに──残された時間も、僅かなんだぞ。


「クロ、本当に痛い、無いか?」
「大丈夫だってエイラ。痛かったら、ちゃんと言う。今度は皆に隠したりしないよ」
「……そう。思い出した。クロ、黙って行った、エイラたちに何も言わずに、黙って」


 そう言うとエイラは拳を丸めてぽこ、と俺の頭に当てる。全然痛くないけど、きっとお仕置きのつもりなんだろうな。これは効果的だ、だって叩いた本人のエイラが泣きそうな顔で俺を見ているんだから。とても、とても悲しそうに、目を震わせて。


「もう、もうクロ、無理しない。約束、する!」
「うん、約束する。エイラに嘘はつかないよ。ついた事無いだろ、俺」
「えと……うん。した事無い! クロ正直!」


 手を伸ばして、ふわふわの髪を撫でる。カールした髪は触っているだけで俺の指を癒してくれた。ふむぅ……と息を漏らすエイラを愛しく感じる。
 けれどそういう意味じゃないよ、守ってあげたい気持ちは沢山あるけど、エイラは俺が守れるような女性じゃない。エイラを守ってあげられるのはたった一人だけだから。
 でも、心配掛けたり、笑わせたりできるくらいにまでなったんだな。失恋した頃の俺に教えてやりたい、お前はいつかこの子の笑顔を引き出せる男になるぜって。


「……時間だぞ、貴様ら」


 む。さっきまで名前で呼んでたのに貴様らに逆戻りか。少々照れさせ過ぎたか。しょうがないじゃないか、嬉しかったんだから。魔王に心配されたのがさ。
 魔王の言葉通り、ゲートの歪みが不規則になっていく。それに、外幅が徐々に狭まっている気がした。
 そうか、もう時間なんだ。もっと話していたかったな。
 誰も、その後言葉を出さない。皆同じ気持ちだったんだろう、疑う必要もないくらい、ここにいる俺たちは生涯最高の仲間なんだから。
 そうして、短い時間が過ぎた後、何も発する事無く魔王がゲートへと歩いて行った。このまま何も言わずに帰るつもりなんだろうか? そう不安になった俺は思わず声を上げていた。


「こ、古代に帰るのか!?」


 慌てたため、声が裏返ってしまう。恥ずかしいな、そこを指摘されたらどうしようか。
 それでも良い。もう少しだけでも魔王といたい。グレンとは違うけど、こいつもまた俺が憧れた男の一人なのだから。


「……いや、まずは中世に帰る。私には家族がいるからな、何をするにせよ奴等に話をせねばならぬ」
「そ、そうか……寂しいな」


 寂しいなって、それだけかよ俺は。くそっ、何も言葉が浮かばない。もっと言いたい事はあるんだ、ありがとうを喉が枯れるくらい伝えたいのに、この喉は詰まってしまって何も出ない。
 そのまま俯いてしまう俺の女々しさは、この旅を終えた今も俺を縛るのだろう。
 そんな自己嫌悪に陥っていると、魔王がふっ、と笑うのを聞いた。そして、マントを翻し俺を見る。そこに、昔の様な暗い空気は無い。あるのは清廉された瞳と、細く柔らかい瞳。とても優しい笑顔だった。


「知っているか、クロノ。貴様は……私の目標だった。貴様を超える為に私は強くなったのだ。故に、胸を張れ。魔王に目標とされたのだ、誇り、そして高くあれ。でなければ、あっさりと貴様を超えてしまうぞ?」


 ……なんだよ。お前もか、お前もそうだったのか。
 魔王の言葉はいつも優しくなかった。でも立ち上がる強さを俺にくれた、こいつにならどんな無茶でも叶えてくれそうな頼りがいのある背中を俺に見せてくれた。そんなお前が……そんなに嬉しい言葉をくれるなんて、予想外だよ。そんで……すっげえ嬉しいよ、畜生。


「俺も……お前が目標だった。いつかお前を倒して、誇りを返してもらおうと思ってた。結局叶わなかったな、俺の願いは」
「馬鹿を言え……私はとうの昔に、子供の頃より貴様を目指していたのだ。年季が違う……そうだ、あの時言わねばならんかった言葉があったな」そう言って、魔王は小さく息を吸った。あいつの後ろに、小さな男の子の幻影を見る。
「あの時、私(僕)を庇ってくれて、ありがとう」


 そして、魔王はゲートの中に消えた。
 風が通り過ぎて行く。もうあいつは、黒い風なんか感じなくて済むのだろう。あいつの周りには、きっと沢山の家族が集まり優しい世界があるのだろう。そう願うよ。


「じゃあクロ。エイラも帰る、元気でな」
「そうか……キーノと幸せにな」
「うん!! エイラ、幸せ!」


 てっきり顔を赤くするかと思ったが、あっさりと肯定されてしまった。そうか、叶ったんだな恋心。どこか寂しいけれど、それ以上に嬉しい俺がいた。
 そして、言伝を思い出す。大事な事だ、そして申し訳ない事だ。


「アザーラたちに謝っておいてくれるか? 会えなくてごめんって。そして、生きててくれて、ありがとうってさ」
「分かった、伝える。エイラもクロに言いたい事、ある」
「何だ?」
「クロの事、好き! キーノの次に好き!」


 エイラは顔を近づけて、俺の頬に唇を押し当ててからゲートに飛び込んだ。
 ……ははは、これがあのエイラかよ。別人みたいだ、あのおっかなびっくり俺と話してた、あのエイラなのか。
 やっぱり、俺は見る目がある。あんなに素敵な女の子を好きになったんだから。いや、そもそも俺の周りにはそういう女の子しかいないのかな。
 ……ありがとう、エイラ。君のおかげで俺は、とても強くなれた。臆病な君が戦うのなら、俺も逃げちゃいけないと前を向けた。


「ええと……だな、クロノ。俺も帰るよ」
「……カエルだけにか?」
「死の山の事は忘れろ!!」
「ごめんごめん。なんかさ、やっぱりグレンはこうだよな」
「それは、苛めがいがある、という事か?」
「違うって。気を使わないですむっていうか、信頼してるって話だよ」
「便利だな、その言葉は」


 首を傾け、細目に俺を見る。信じてないというのが丸分かりだ。まあ、それがこいつと俺の関係だろうさ、今更否定はしない。
 別れの為、ゲートに近づくのかと思えば、もじもじと手を合わせるグレン。まだ何か言い足りない事があるのだろうか? 急かす事はせず、彼女の言葉を待った。
 やがて、しゃらしゃらと葉が擦りあう音と共にグレンが口を開く。


「あの、な! あの……俺も、だ」
「?」何を指しているのか分からず疑問符を上げる。そんな俺に痺れを切らしたのか、グレンはうがあ! と口を開けて叫んだ。
「だから!! 俺もクロノが好きだ!!!!!」


 好きだ、という言葉が辺りに木霊する。響いてくる反響に、みるみる赤くなるグレンは卒倒するのではないか、と心配になった。
 目を固く閉じている様は、とても剣士とは見えず一人の女の子らしい姿で。俺は素直な気持ちを告げた。


「ありがとう、グレン。嬉しいぜ……けど、」
「……ああ。分かってくれているだろうな……お前の知ってる通り、私はサイラスも好きだ。このままここにいれば、いつかはお前の方が好きになるかもしれない、でも……やっぱり今はサイラスが好きだから。でも伝えたかった。迷惑だったか? ……んっ」
「だから、嬉しいって言ってるだろ」


 立ち上がって、片手でグレンを抱き寄せる。小さい体は俺にすっぽりと収まってしまう。きゅ、と服を掴まれると離したくないな、なんて思ってしまう。
 けれど、別れはあるのだ。やがてグレンが俺の胸板を押して、遠ざかる……寸前に、俺の唇に柔らかい感触。


「……じゃあな、愛弟子」
「ああ、師匠」
「ずっと……忘れない」


 一足にグレンはゲートへと消えていく。その目にもう、迷いは無く。彼女は勇者であり、最強の剣士であり……愛おしい女の子であった。
 しばし、彼らの消えたゲートを見ていると、音も無く時空空間は閉じてしまった。リリリリ、と虫の音だけがこの場を支配している。


「行っちゃったね……」
「そうだな。二人はお別れの言葉を言わなかったけど、良かったのか?」
「うん。私もルッカも、先に済ませちゃったから」
「あんたがいつ目覚めるか分からなかったからね、最悪ゲートが閉じた後かもしれないし。早めにね」
「そうか……良かったよ。ぎりぎり間に合って」


 ゲートが消えた後も、俺たちは長い間そこから離れる事無く、また話す事も無く立ち尽くしていた。彼らの残照を、微かにでも記憶に刻みつけるよう、強く、強く。
 もう会えないんだと、今でも信じられない。けれどそれが自然なんだ、意味も無く時間の行き来なんてして良い訳がない。それは自然の摂理に反している。それを言うなら、未来を救うのもおかしいのだろうけれど、あれもまた摂理に反しているのだ。正すべきことなんだと納得できた。でも……もう時を越える理由は無い。必要も、無い。
 呆、としていると隣に立つマールがふあ、と欠伸をした。もう疲れたのだろう、考える事もあるしまだ整理できない事も山ほどある。今夜はそろそろ各々の家に帰るべきだ。
 でもその前にやるべき事がある。誰に言うでもなく、俺たちは揃って一つの場所に向かう事とした。
 実験場を抜けてリーネ広場に出る。千年祭最後のパレードという事で祭りは最高潮に盛り上がっていた。踊り子は楽しげに舞い、屋台の人々は盛況に人々を誘う。ここもまた黒の夢にやられたのだろうが、タイムパラドックスというやつか、襲われた傷痕は消えていた。


「……なあ。思ったんだけどさ」疑問が浮かんだのでルッカに話しかける。彼女は何? と俺を見た。「黒の夢の襲撃は無い事になったんだよな? なら、魔物と仲良くできてるのは何でだ?」祭りに交わっている魔物たちを指差して言う。誰も彼もが人間も魔物も無く騒いでいた。彼らが仲良くなる理由は黒の夢の襲撃を共に凌いだからのはずだ。今でも友好関係があるのは妙だ。同じ様に恐竜人がいるのは納得できる、黒の夢は古代で消えた。それより前に存在していた原始には黒の夢の襲撃があった事それ自体は消えないのだから。何よりエイラたちがアザーラたちを殺す訳がない……って、あ。
「自分で気付いた? そうよ、魔王が原因でしょ。彼が中世で人間と魔物とのかけ橋になったんでしょうね。魔王である彼が行うのは、並大抵の努力ではなかったんでしょうけど……彼が人間と魔物との戦いを許すわけはないし、きっとグレンも手伝ったんじゃない?」エイラたち、という事で俺も理解した。共に戦った仲間、という関係で魔王を思い出せば事は一目瞭然だ。
「そうか。なるほどね、あいつらなんだかんだで仲良いからな」
「どっちもツンデレだし、グレンも結局は魔王を仲間として認めてたしね」


 歴史が変わったという事は何処かで軋轢を生む。ラヴォスの言葉通りなら俺もあいつらも惨い死に様を晒すのだろうか……?
 不吉な予想を消すように首を振る。そんな訳がないと思っても疑惑は消えないものだな。嫌に纏わりついてくる。
 落ち込みかけた気分を払拭するため、軽く祭りの喧噪を楽しんだ。ルッカは射撃屋でいかんなく自分の腕を発揮し、マールは珍しい屋台を見つけては走っていった。俺は型抜き屋で無駄な手先の器用さを使い商品を得る。とても楽しかった。これでまずマールの約束の一つはクリアだ。


「むうう……ルッカ、私の応援してくれるんじゃなかったの?」
「わ、分かってるわよ。でもなんか……今はクロノと貴方を一緒にするのは違うかなって……」
「むうー……まあでも、今日は良いよね。ルッカとクロノとで回るお祭りも楽しいし!!」
「で、でしょ! 大丈夫、次はちゃんとロマンチックにするから!!」
「いや、別にクロノと二人きりになれるなら変なことしないでいいよ」
「だ、ダメよ。うん、まだ二人とも若いんだからちゃんと保護者の私がついててあげないと……」
「いつ私の保護者になったのルッカ?」
「と、とにかくまだ付き合うとかそういうのはダメなの! なんでか分からないけどダメなのよー!!」
「理屈になってないよう……」


 なんとなく、二人の会話に入るのは危険だと考えて離れる。待ち合わせ場所は指定してあるしはぐれても構わないだろう。その方が良い、多分なんかしら絶対に。
 歩いて行くのは、祭りの中心から離れた芝生。辺りには数人しか人はおらず、人ごみに酔った人々が座り込んでいた。中にはカップルもいるようだが、マナーを守り静かに空を見上げていた。
 こうして、ライトの光が敷き詰められた中でも星空は見えるんだな、と一人呆けてみる。


「未来でも、この空があるのか? ロボ」


 思い出すのはあいつのきゃっきゃとはしゃぐ声。今頃お前はアトロポスやマザーと一緒に野原を駆け回っているのかな。そっちの世界には青空があるか? 花もあるよな、きっとここと同じようなお祭りも。
 見に行きたい、それはもう心から。けれど……あいつは待っていると言った。ならズルは駄目だ、ちゃんと自分の足で会いに行かないと。
 だから…………俺たちは。






 祭りを堪能した俺たちは、広場を出て街の外に向かう。今日は誰しもが祭りに参加しているのだろう、人とすれ違う事は無かった。畦道を歩き目的の場所へ近道すると、水の音が聞こえる。心地の良いそれは、疲れた俺たちを慰めるような、優しいファンファーレとなった。
 二人も同じ気持ちか、話声は消えて目を瞑りたくなるような沈黙が訪れる。
 こんな風に、落ち着いた気持ちになるのは久しぶりだ。なんだかんだで駆け抜けてきたんだな、俺たちは。
 暫くして畦道を抜け少し幅広い道筋に出る。途端、左手から暖かい温もりを感じた。マールが駆けて来て握ったのだろう。少しだけ俺も握り返した。
 ルッカはと言うと、俺たちの後方で俯いている。一人だけ仲間外れとでも感じているのか? そんな奴だったかこいつ──
 いや、多分そういう奴なんだろう。俺が思ってるよりルッカは強い女の子じゃないのかもしれない。何より悲しげに地面を見る彼女が見ていられなくて、俺は空いている右手で彼女を呼び手を差し出した。一瞬だけためらった後、おずおずと手を握る、左からため息が聞こえたが……まっいいやという明るい声が聞こえたので気にしないでおく。
 なだらかな丘を越えると遠くに山々が映る。その手前には細く長い川の筋、左には花畑があり、そこから少し行くと村はずれの大木が立っている。花畑と川の間には、この自然には不釣り合いなシルバードの姿。銀色の体が月明かりに照らされ、幻想的な姿だった。
 近づくと、二人は俺の手を離しシルバードに触れる。


「えへへ……シルバードにはお世話になったよね」マールの言葉にルッカは深く頷いた。
「そうね、私たち二人は特にシルバードを運転したからね、思い入れも深いわ」


 確か二人はガッシュの助言をこなす際に皆の送り向かいをしてくれたはず。なるほど、ある意味一番付き合いが長い訳だ。


「私は太陽石を取る時だけだけどね。まあその時にあっちこっちに運転したから、他のメンバーよりも長くこの中に座ってたわよ」
「ルッカが降りた後は私が皆を集めたし、ほとんど二人でシルバードを運転してたよねー」


 楕円形の車体を撫でながら、愛おしそうに、その活躍を称えるように二人は会話する。お世話になった礼を伝えようと、何度も何度も撫でていた。
 そうだな、こいつが無ければ俺たちはこの戦いに勝てなかった。シルバードも俺たちの大切な仲間なんだ。
 けれど、それでも。


「……やっぱり、壊すんだよね」


 俺がシルバードに近づいて行くと、マールが強張った声を出した。たとえ物でも愛情を捧げられるマールには辛いのかもしれない。彼女は誰にでも愛情を与えられる人だから。
 しゅんとなるマールにルッカが歩み寄り肩に手を置いた。「仕方ないわ」と首を振って。


「旅の目的を終えた今、シルバードはあってはいけない物よ。私たちにその気は無くても、これは簡単に時を変えられる危険な物。心無い人が悪用すればたちまち世界はまた危機に陥るわ……例え私たちが守ろうとしても、存在する以上可能性は否定できないの」
「そう……だよね。でも、これを壊したら、もう皆とは……」
「それで良いんだマール」
「クロノ……」


 それで良いんだよ。もう会えないけど、一緒に笑ったり話したり恋をしたりなんて出来ないけど、それが当たり前で、当たり前だから尊いんだ。心の奥底で宝物みたいに思えるんだよ。
 それに……俺たちは忘れない。エイラもキーノもアザーラもニズベールも。グレンも魔王もトマもサイラスさんも王妃もヤクラも。ロボやアトロポス、ドンにマザーやジョニーだって、古代の三賢者に……サラ。それだけじゃなくて、出会った人々皆、皆との出会いは絶対に忘れないんだ。だから、それで良い。
 もう会えなくても、会えたことは消えたりしない。皆にとっても俺たちは消えない。それは……もしかしなくても、運命を変える事よりよっぽど凄い事だから。


「生きようマール。あいつらに笑われないように、そしてあいつらを忘れないように。何度も思い出そうぜ、何度も話をしようぜ、あいつらの事を、あいつらとどんな話をしてどんな事をしたのかをさ」
「……うん。分かったよ、私忘れない。一生、一生忘れない……!!」
「よし……じゃあ、やるぞ。二人とも離れててくれ」


 俺の言葉を聞いて二人はシルバードから離れていく。
 唱える呪文は俺の最大の魔法、シャイニング。大津波でも傷一つつかないシルバードだけれど、今ならあっさりと消滅しそうな気がした。こいつ自身望んでいるんじゃないかって思うから。
 詠唱を終えて、解き放つ。両手から膨れ上がる力はゆっくりとシルバードを飲み込んでいき…………


──ありがとな、クロノさん──


 …………残ったのは、揺れる芝生だけだった…………



















「それならもう、良いんだ。別れは済ませたから」
「そう……か。潔い奴だな、褒めてやろう」
「ありがとよ、たくっ」


 吹っ切れたかっていうと、本音は吹っ切れてない。まだあいつらと笑いたかったし一緒に戦いたかった。でもそれは世界が崩壊するかもって状況にならないといけない。また色々な人が泣かないといけない。それは望まないさ、俺もあいつらもさ。
 だから、良かったんだと思おう。つうか良かったじゃないか、万々歳だ。目標を終える事が出来た、これ以上無い事なんだ。でも寂しいのは嘘じゃない。
 今もこうして、窓の外を見ながらあいつらの姿を思い出してしまう。そんな事を二か月も繰り返して、よく飽きないなと自分で感心する。人生で一番濃い時間だったんだ、無理もないだろう。あれだけ悲しむ事も、あれだけ楽しむ事も心躍る事も、誰かを好きになる事もその瞬間も。だから俺は……きっと幸せ者だ。


「ふん。寂しいか若造め」
「え? ……ああ、寂しいな。別れってのは寂しいもんだ。でも落ち込んでないぜ?」
「ほう」
「あいつらは死んだ訳じゃない。きっとそれぞれの時代で逞しく生きてるんだ、それを悲しむのは妙な話だろ?」
「だな。それになクロノ、この世界には俺もいるだろう。多少ならば貴様の寂しさを癒す事も出来るぞ? なんせ俺様だからな!!」


 アッハッハ!! と狭い馬車の中で笑うこいつはやはり大物だった。古代で会った時からそうじゃないかとは思ってたよ。外れて欲しい予感だったけどな。


「まあさ、俺もお前と友達になりたいと思ってたよ、ダルトン」
「ようやく本音を見せたかクロノ」
「本音?」
「お前……ここ最近嘘くさかったぞ」
「嘘くさい? 俺が?」俺の疑問にダルトンは迷う事無く頷いた。
「ああ。何やら急に大人びたのでな、少し気になっていた。誰にとは言わん、俺には話せ。お前の迷いも寂しいも、俺様ならば笑い飛ばしてやろう……だから、もう少し甘えろ。お前はお前が思うより慕われている」
「……えっ!?」


 馬鹿かこいつ馬鹿かこいつ!! いきなり恥ずかしい事抜かしてるんじゃねえよ!! 別に大人ぶったつもりもねえし、言葉にはしたけどそんなに寂しくねえし!! 甘えるとか気持ち悪いんだよこいつは! 俺様とか一人称も気持ち悪いし、甘える事も一生ねえ! 絶対ねえ!!


「きっ、気持ち悪いんだよお前!! 俺が好かれてる事なんて周知の事実だっつの!!」
「はっ、お前さては甘えられる事は慣れていても逆はそうではないか。良いぞ、兄と呼ぶ事を許さんではない!! これほどの名誉、現世にて他にないだろう!!」
「うっせえバーカ!! 黙ってろバーカ!!」
「ハハハ、赤い顔を隠してから悪言をつくのだな」
「ぐうう……」


 こいつと話していると気分が悪い。もう一度窓の外に視線を移す……にやにやするなぶっ殺すぞロン毛!!
 ……平和だな。こいつと馬鹿な話をしている今も、これから先もきっと平和なんだろう。人々は畑を耕し魔物と協力して町を発展させて恐竜人の知恵を借りて国を大きくしていく。そこに敵はいない、この周辺で戦争なんて馬鹿をしよう国は一つも……一つも……


「ッ!!?」
「どうしたクロノ。今度は顔色が青いぞ?」
「ダルトン! 聞きたい事がある!」
「まずは落ち付け慌て者。何を言いたいのだ? 畏まって話してみろ、この俺様にな!!」


 無駄にポーズを決める事を無視して、俺はラヴォスから聞いた話をする。
 ガルディアが他国に侵略されて、町は切り離され王族は公開処刑。これは有り得ることなのか、起きた時にどういう対応をすれば皆を救えるのか。
 俺は焦りながら答えを乞う。馬鹿は俺だ、何故今までのうのうと暮らしていた!! ラヴォスを倒してから二か月、確かに俺はまだマールと結婚し王族にはなっていないが、それが安心できる保障が何処にある!?


「いや、無いだろうな。阿呆か貴様」
「……え?」
「何処の国がガルディアを滅ぼせるのだ? パレポリか? メディーナか? どちらも友好関係にあるのはトルースを見れば明らかであろうに。そもそもその二つの国が攻め入ったとてガルディアの軍事力に叶う訳なかろうが。いやまあ俺様の力ならば容易いが……お前は俺がガルディアを裏切ると思うか?」
「いや……お前はそんな事絶対にしない。それは知ってる」
「ほう、お前が女ならば抱いてやらんではなかったな、ツンデレめ」
「黙ってろ!! ……じゃ、じゃあ外海からの侵略とか。確かまだ外の海には俺たちの知らない国が沢山あるんだろ!?」


 俺の言葉にダルトンはふむ、と顎に手をやり考えた後、さっきと同じように「無いな」と答えた。


「いや、確かにお前の知っているように外海には多種多様な国が存在する。短いとは言え、俺も国を束ねる者であるしな。どれくらいの国があるかも把握済みだ……が、どこをどう探してもガルディアに勝る軍事国家は存在しない。というか、メディーナに劣る国々ばかりよ」
「そ、そんな小さな国ばっかりなのか?」
「うむ。そもそもだな、お前の言う通りなら確か……町と城を分断されて民を人質に取られるのだな?」
「ああ、ラヴォスはそう言ってた」
「阿呆か。ガルディアはとんちきな事に城の人間よりも強い者が町に潜んでいるではないか。まずはお前だろう? ルッカという小娘にその母親ララ、お前の母親など論外だ、あいつの力だけで城を落とせる。あいつの弟子を含めれば世界を取れる。どこの国がそんな町を侵略出来るのだ? 海から軍船を引き連れてきてもルッカの父タバンが作る兵器で上陸前に沈没せしめるだろう」
「いや、あのそれは」


 面白い位にその状況が想像できる。万が一敵兵の上陸を許してもララさんとルッカが敵兵を全滅させるのが目に浮かぶし、仮に陸路を使っても母さんやその弟子の魔物がむざむざとやられる訳がない。正直内部のラヴォスならあの人たちで倒せるんじゃないかな?


「さらにはガルディアは修羅の国、城の人間はヤクラ一族である兵士長に大臣、クロノの仲間マールに軍神ガルディア三十三世。こいつら四人で人間の軍隊が幾つ潰せると思う? さっきはああ言ったが、真面目な話流石の俺様も世界征服に乗り出したとしても、ガルディアとだけは争わぬな。いくら俺様とて勝率が零であると言わざるを得ん」
「……だよなあ」
「言うなれば、黒の夢が十も現れたというなら納得も出来ようが……それこそ有り得ぬだろうよ」


 普通ならばおかしい、けれどこの国では極々普通の話をされて力が抜ける。だよな、ガルディアが……いやガルディアだけじゃなくメディーナも魔王三魔の子孫がいるし、パレポリには元古代王国隊長のダルトンがいる。並の国が攻めてきても負ける訳がない。さらにはその三国は強固な絆で結ばれてるんだ、そのどれもが戦いになれば協力しあう、それは黒の夢の一件で確認済みだ。


「ん? そう言えばダルトンは記憶が消えないんだな。黒の夢の事を覚えてるなんて」
「当然だろう、俺は元々この時代にいるはずがないイレギュラーだ。黒の夢に関しては記憶を改竄される事は無い。あれが現世に現れる前で、黒の夢と直接関係無い事柄ならば改竄されたろうがな」
「へえ」
「さらには、黒の夢は時の流れが狂った異物だ。勘の良い者なら丸ごととは言わんが、微かに黒の夢の一件を覚えているはずだ、例えばお前の母親とかな」
「だから最近母さんが俺に優しいのかな? ……関係があるとは思えにくいけど」
「どうかな? 案外黒の夢の魔物と戦い、その中でお前との関係を改めようと思った……そんな事があったかもしれんぞ」
「想像つかないな……まあ、昔みたいに仲良くやれるのは嬉しいんだけどさ」
「ふむふむ、しかし魔物の弟子とばかりいるのでお前は面白くないと。マザコンめ」
「だからそういう事言うなよ!!」


 喉を鳴らすダルトンが憎らしくて、図星を指されたみたいな反応をした自分が悔しくて。震える手はどこに叩きつければいいのか分からず、立ち上がってしまった事を恥じてまた座った。どすん、と乱暴に腰を落としたので多少振動が馬車に伝わった。
 多少軋んだ音が鳴る。急造で作られたのか、道理でパレポリの代表になって日が浅いのに豪華な馬車に乗ってるもんだと思ったよ。良く見れば内装もこいつにしては地味で、椅子の座り心地も良くない。どこもかしこも、不景気って事か。今まで他国との交流が無かったパレポリなら尚のことだろう。


「窓開けて良いか?」
「好きにしろ、俺様は寛大だからな」


 これで寛大とは大きく出たな、と思ったが口にするのは馬鹿らしい。何も言わず車窓に手を掛けて持ち上げる。がらがらと音を上げながら開き、外の風が舞いこんだ。草花の香りが鼻に入る。悪い気分じゃない。多少青臭いが、これこそが俺の世界だ。争いは無く、緑豊かなガルディア。俺が死ぬのなら、やはり此処が良い。
 景色は変わり、森に入る。鳥の鳴き声とさんさんと笑う木々の群れ。緑の空気は川と混ざり潤っている。馬車の軋みは収まり揺れは微量のものとなる、時折車輪が轢く枝の音はからからと、程よく気持ちを覚ましてくれる。


「これからどうするのだ?」
「これから、か」ダルトンの言葉はいかようにも取れる。無限なんだ、これからの俺の選択肢は。今までもそうだったし、これからもそうなんだ。「あんまり、考えてないや」
「どうせなら、俺の国に来ないか? お前なら大臣に任命しても良い」
「政治なんて、俺には出来ないよ。ちょっとばかり刀が使えるだけだ」
「いや……お前は人を惹きつける。頭だけの政策よりも必要な才だ、俺様が言うのなら間違いないだろう」
「へっ……考えとくよ」
「心にもない事を。まあ良い、クロノ、お前は自由に生きるのが最も正しいのかもしれんな」


 自由ときたか。それはまた難解な言葉だ、実行するのは愚か、理解するのにも時がいる。
 空は晴れ晴れ風が歌う。緑は息吹き海は清く山々は並ぶ。鳥も魚も動物も虫たちも月に吠えて人々は笑う。
 素晴らしい理想郷、けれどそれはここに限った事ではない。今はもう垣間見ることすら叶わない遥か昔、遥か未来でも同じことなんだろう。


「そうだな。どうしようかまだ考えてない……もしかしたら何もしないで生きていくのかもしれない」


 良い事ばかりでは無いだろう。この世界でも泣いている人はいる。世界を恨む人は大地を埋め尽くす程に、けれど喜ぶ人は空を覆う程に。
 俺が為した事で生きるべき生命は消え、世界は混沌に包まれるかもしれない。ラヴォスの言うとおり俺たちを待つのは絶望かもしれない。だけど……それは未来の話。


「でも、なんとかやってみるよ。俺は俺だから、俺でしか出来ない事も山ほどあるさ、きっとな」


 知ってるかラヴォス。未来って、未だ来てないから未来って言うんだぜ。誰にも明日は分からないんだ、だから……俺たちは強いんだ。運命とかさ、誰かが作り出した弱音を指すのだろう。それが悪いなんて言えるほど俺は人生を味わってないけれど。
 別れもあるさ、出会いもあるさ。まだ別れていない人の中には今まで感じた事がない別離を知るかもしれない。まだ出会ってない人の中には聞いた事がないような人がいるかもしれない。
 故に、俺は夢を見る。


「だから、生きてみるさ。俺たちには、無限じゃ足りないくらいの明日があるんだ」


 ダルトンはただ一言そうか、とだけ呟き目を閉じた。
 俺はあいつらを忘れない。旅の事も忘れないでいよう、でもきっといつかは薄れていくのだ、膨大な明日と、濁流のような日々に。
 それを楽しいと思えれば、これから先何があっても無敵じゃないか。隣に誰かがいるのなら歩みを止める事は無い。足早に進むなかれ、歩く事を止めるなかれ。今まで会った人々が支えてくれる。時には道を示し時には道を示してあげよう。
 一瞬、木々の群れが消えて窓から太陽が見えた。空高く俺たちを見ているそこにも誰かがいるのだろうか? なら、そうだな。今度はお前を見つけてみよう。届く事は無い、だからこそ追ってみる価値がある。夢か幻のような思いつきで、荒唐無稽な発想。それもまた俺だ。
 窓から手を伸ばし、掌に太陽を閉じ込めた。
 大切に包んだそこには、俺たちが──今まで出会った人が、魔物が、恐竜人が……一人寂しく泣いていた星の被害者がいた。
 もう、一人じゃないよ。
 俺の声は届いたろうか。馬車は止まる事無く走り続けていく。


















 ある時、星は夢を見た。
 己を壊す化け物から身を守る誰かを思い描いた。あるいは己を壊す人間を滅する為、空より来訪した化け物に縋った。あるいは運命に身を委ね己の命運を託した。そのどれもが正しく、奇妙な程に曖昧なのだ。
 されど、星は夢を見る必要はない。
 人が、人こそが明日を夢見て、歩きだそうと歯を食いしばり、やがて未来を掴むのだ。

















END


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