「ワシに何か用かい? クロノさん」ハッシュは何かを窺うように俺を見た。試すようなその視線は少々居心地が悪い。纏わりつくような幻覚すら覚えた俺は多少身震いしてから口を開く。
「ああ、あんたに聞きたい事があるんだ」そう言って、緩やかに指を伸ばす。指し示すのは、小さく、それでいて薄気味の悪い発光を続けるバケツ。1999年、世界終焉の日に繋がる悪夢への行路。でも、それだけじゃないはずだ。だって、間違いなくそこから聞こえる。あいつの声が。
すう、と息を吸い込み、確かめる。
「あそこは、何処へ繋がっている?」俺の言葉に、一つ目を丸くさせた後(出来の悪い演技だ)、「前にも言っただろう?」とだけ返す。答えになっていねえだろうが。
「もう一度聞くぜハッシュ。今あそこに入れば、“誰に”会える?」
「……ラヴォスに決まっているだろう」もうそろそろあくびが出そうだ。三文芝居に興じる暇はない。こうしている今も、仲間たちが運命に逆らうべく、また各々を鍛えるべく奔走しているのだから。
「なあハッシュ……俺は誰に、と言ったんだぜ。何に、じゃない。俺は人間を指したつもりだったんだけどな」
「──誤魔化す気は、無かったんじゃがな……いつ知った?」目深に帽子をかぶり直し鋭く目を尖らせるハッシュ。なるほど、これは機密事項なわけだ。誰にも知らせる気は無かった訳だ、この爺さんは。
「いつ、か。そうだな、ついさっきだ。どうも生き返ってからこっち、随分感覚が澄んでる。どんな遠くからでも声を聞き分けられるし、感じられる。あいつのやかましい声なら、尚更だ」
「そこまで分かっているなら、ワシの答えは必要無いだろう?」
「いや、確信が欲しい。頼むよ、あんたの言葉なら信用できる。三賢者のあんたなら」
俺の声に何かを感じ取ってくれたか、諦めたように溜息を吐く。次いで、背中を伸ばし、この暗く深い時の最果ての空を仰ぎ見た。そして、開口。
「お主の想像通り。その中にはラヴォスではないラヴォス……そして、」一泊の時間を置いて、ハッシュは愛しさと哀願の意を込めて一つの名前を創った。
「サラが、あんたを待っている」
これは、クロノの仲間たちが、ハッシュの助言を理解し、飛び立っていった直後の話である。
星は夢を見る必要はない
第四十九話 夢は終わりを迎えて、星は夢を見る。されど、
──過去──
無限に広がる空間で、爆音が響き渡る。
それは一方的な蹂躙であった。各々の思いは違えど、眼に見える違いは無い。針ほどでもない攻撃を、児戯に等しいとあしらい反撃にしては酷く割に合わぬ猛撃を払う。
言わずとも、前者は未来を救わんとするマール一同。後者は星の破壊者ラヴォスであった。
前者──マールたちはこれを戦いと疑ってやまないだろう。だが、客観的に見れば子蝿が集るのと同じ。意味が無いという一点では同じなのだ。
精神力では、迷うことなく随一たる彼女らだが、微量な絶望感が場を支配し始めた。決して顔には出さずとも。
「マール! エイラが怪我を負ったわ、治療を急いで! その間ロボとグレンはマールの援護をお願い! 魔王はそのまま攻撃に集中して!!」
切り裂くような声で指示を出すルッカに、反論を出す者はいない。あの魔王さえもそのままに従っている。
特に、彼女の指揮能力を認めてのことではない、ただそれ以外に無いのだ。己が為す事が、他には。
それでも、魔王は実に良くやっている。前回の戦いと違い、身を守る術を使う事さえなく倒れ伏す事は無い。懸命に攻撃を繰り返し、時には身を翻し、相殺には至らぬまでもラヴォスの攻撃の軌道を逸らし幾度も仲間の窮地を救っている。それもまた、彼の優しさとは無関係である。彼自身分かっているのだろう、自分一人では刹那の間も凌ぐことはできまい、と。歯噛みし、無力感に際悩まされても認めざるを得ない状況であった。
(ならば、尚更……!!)
鎌を大仰に構え、踏み込み浅く飛び込む。ラヴォスに触れた途端に火花を放つ鎌は悲鳴をあげているようだった。
魔王軍最高峰の技術、術式を結集させて作り上げた絶望の鎌でさえラヴォスに傷を負わせるのは至難の業であった。辛うじて、魔王の魔力を上乗せさせて、暫しの時間をかければ巨大な棘を切り裂き微かにダメージを与える事は可能となる。幾千幾万の中の一つの棘を落とすだけでしかないが。
だが、その一つ一つを落とす事に、魔王は意義を覚える。
(私が倒す。私が切り裂かねばなるまい。私の後ろには、もっと偉大で、もっと大勢の家族がいるのだ、支えてくれているのだから!!)
思考に走り、すぐさまに魔王は笑った。激情にも似た感情を憎悪以外で覚える事があろうとは、と笑う。今までに無かったな、とも。
ダークマターを練る時間は無い。詠唱に身を置き回避を疎かにすればその瞬間に串刺しになるだろう。さらには仲間の身を守る事にも気を回さねばならない。彼は今、マールたち未来を救う者の要であった。
と、秒間二百以上発射されていたラヴォスの破壊の針、雨のいくつかが軌道を変えた。今まで無造作に振り続けていたそれは意思を持ち、今最もわずらわしい存在である魔王目掛け回転し、滑空した。
目端に捉えた時には、魔王も流石に防御魔法を唱えようとして……止める。放つのはダークボム。重力操作にてルッカに直撃していたであろう針を圧し潰した。
スゥ、という空気が吸い込まれる音を背後で聞き、魔王は不思議に感じる。針ではない。あの城を支える鉄柱よりも巨大な針が迫る音はそんなものではないはずだからだ。
疑問を抱いている間に彼を狙っていた数本の針は地面(そう呼ぶべきか定かではないが)に吸い込まれていった。煌く銀光を背負う一人の女性が彼に犬歯を晒し、鋭く睨んでいた。
「落ちたな魔王。己が身を守れず他者を庇うとは。いや、それはまだまともになったと褒めるべきか? ……気が緩んでいる証拠だ、馬鹿が!!」
体中に傷を負いながら、荒い息を吐くグレンがそこにいた。
未だ、治療したばかりの右手は震え、正常に振るう事は叶わないだろう。それでも彼女は、まだ走り続けている。やがて来るだろう未来へ。
軽く眼を瞬かせて、魔王もまた、彼女に似た威嚇染みた笑みを刻む。
「愚物め……貴様がそこにいるのは計算の内だ」
「ほう、俺が貴様を庇うと信じていたのか。縋ったのか。いやに甘え上手な奴だ」
「……また蛙に戻してやろうか」
「その前に貴様の首を刎ねてくれる」
「よく舌の回る事だ。蛙にしたのは正しい選択だったようだな……だが」嫌味とも恨み言とも取れる言葉を中止して、一拍置き、無表情に変わる。言葉に感情が乗らないようにと考えたのかもしれない。
「助かったぞ、グレン」
「……え?」
彼女が聞き返す前に、魔王はまた飛び立ち攻撃という攻撃が四方に迫る空へ向かった。
後に残るのは、今起こった出来事を信じられないと呆け、危うく串刺しになるところだったグレンただ一人だった。
「……ええい、これでは俺が馬鹿みたいだろうに……」
不満を漏らしつつも、彼女の顔には少しだけ余裕が生まれていた。
剣を握る。まだ持てる、まだ振れると肌で感じながら、前に出る。それしかないだろうと、それしか考えられない頭で。
火柱がそこかしこで上がる。ラヴォスの魔法か、と錯覚するほどの猛る炎はルッカのファイガであった。うねりながら猛進する炎を浴びてもラヴォスは怯まない。
だが怯まないと効いていないは別であると言い聞かせて、またも詠唱を始める。倒すという目的には達せずとも、それは仲間に勇気を伝染させる効果があった。
魔力を過剰に消費した代償として襲ってくる倦怠感をねじ伏せて喉を震わせる。眼は充血し、頭蓋の奥が悲鳴を上げる。
けれど止まらない。止まっては己が仲間を失うだろう、想い人と会う事は無いだろう。何故自分がクロノを愛しているかすらよく分からぬままにルッカは叫ぶ。最早黒の夢が消えた今、彼女の記憶は消えつつあった。
(……なんて、ありがたいのかしら)
怒りでも恐怖でもなく、場違いな感想を彼女は抱いた。
彼女の大切な記憶が欠けていく事で、人間にとって最も恐ろしい感情を上書きする事が出来るのだ。今この場においてだけはそれを感謝した。仮にこの場を乗り切れば、間反対の感想が浮かぶのだろうが。
「ルッカ! 一度下がる! 頑張りすぎ、駄目!!」限界を超えようとしている彼女に、エイラが制止の声をかける。眼を逸らすわけにはいかないので、視線を寄越すことは無かったが、ルッカの雨のように降り注ぐ魔法の量を知れば様子を見ずとも考えが至ったのだろう。
「下がれって……何処によ?」
突拍子も無い事を、とルッカは笑う。安全な場所など何処にも無いのだ。千里離れようが万里離れようがラヴォスは世界を砕く力を持っている。奴がその気になれば、何処にいようとも結果は変わらない。ましてや、ラヴォスが作り出すこの空間の中では後衛も前衛もない。防御に徹することさえ無駄なのだから。
諦める気は毛頭無い。意味が無いからだ。今でも勝利を掴もうと躍起に放っている。だからこそ、ルッカには一つの答えが分かっていた。
あまりに単純、力が足りないである。彼女らは、今もラヴォスに攻撃を通せずにいる。魔王のダークマターもマールの氷河もエイラの豪腕もロボのレーザーもカエルの剣もルッカのフレアでさえラヴォスの甲殻を破ることは出来ない。
決定打が無いのだ。それではジリ貧は確定、徐々に体力が(徐々にというには厳し過ぎるが)削られるばかり。ともすれば一撃で死に至るこの状況は心すらも砕いてしまう。
一筋でも先が見えない今はただ声を振り絞るより他に無いと、解決案ではない妥協にもならない誤魔化しを続けている。
「マスター……」冷静を失いつつあるルッカに、ロボがのったりと、しかして力強い声をかけた。それが、じりじりと追いやられている空気の中では異質で、少々苛立ちながら「何!?」と鋭く返してしまう。
「もう、終わりにします」
ロボの声は、金属的な冷ややかさを持っていた。
──現在──
額から大げさに血が流れているせいだろう、右目に侵食してきた赤は俺に視界を与えない。いくつか爪が割れた右手はナメクジのようにじとじととしか動かない。もう刀は握れない。喉が潰れたのだろうか、焼けたのだろうか、声も出ない。反して、俺は以外にも平静であった。振り切れたのかもしれない。もしくは壊れたのかもしれない。
『苦しいか』
ラヴォスの声が木霊する。無駄にだだっ広いせいだ、おかげで虫唾が走るような声が俺の体を震わせる。辺り一面奴の声で支配されている。右も左も上も下も前も後も。
今じゃ炎の高鳴りも氷の澄んだ破砕音も雷鳴の轟きも聞こえない。なんて事の無いように理不尽な魔力を放出しているラヴォスの、その声しか聞こえやしない。それが大層腹が立つ。お前の声なんか聞きたくないんだ。早く黙ってくれないか、でないと気が狂ってしまうんだ、色んな声が俺を呼んでいるんだ。
『悲しいか』
左手だけで振るっているのに、虹は恐ろしい切れ味を見せてくれる。ラヴォスの気味の悪いチューブ型の触手も、魔法の類も霧散させる程に。念じてもいない魔法は勝手に俺の体から吐き出されて大蛇のようにラヴォスに噛み付いていく。数十とある雷の首はサンダガを優に超える力を持っているだろう。大気をも震撼させているのが肌で分かる、鋭敏になった俺の触覚が直にそれを知らせてくれる。そのおかげだろうか、俺の放つ電流一つ一つに備わる意思さえも分かってしまう。
曰く、『噛み殺してくれる』と。
ラヴォスの魔法に半身を消滅させられてもすぐさまに形を取り戻し執念のままに奴に迫っていく。首元に牙を残し、腕を引きちぎろうと眼光を光らせて猛攻を続ける。そのどれもに俺自身を守ろうとする気配は無い。
当然か、それどころではないのだろう、『彼らも』。自分たちを作り出す為の魔力を放出している俺を守るより大事なことがあるのだから。
それでいいのだ、俺を守ってはいけない。俺を守る暇があるなら少しでも奴に肉薄してその命を食い尽くせ、咀嚼しろ、出来ないなら魔法なんかいらない。お前たちなんか必要ない。
『辛いのか』
……もう、何がなんだか分からない。
「だから……もう、終わりにしてくれよ」喉が潰れようが、鳴けるんだな、と思った。
ラヴォスの触手を切り飛ばすと、筒状になっていたそれから緑色の液体がこぼれだした。血管のようなものなのか、その量は勢いを止めない。あっという間に俺を染めていく。髪も、服も。だから多分俺の涙も緑色に変わるのだろう。
『二度と仲間に会えないのは、そんなに辛いか』
「お前に分かるかあああぁぁぁぁぁ!!!!!!」
ああ、俺に付着している液体が蒸発してしまった。もう涙を誤魔化せない。喉が潰れても吼えれるし、鳴けるし……泣いてしまうのだ。
泣いてしまうと自覚すれば、声を思い出してしまう。もう会えないと知ってしまう。だから泣きたくなかったのに。
俺の雷を砕こうと飛来した氷の飛礫、その流れ弾が迫ってくる。もう使えない右手を前に出して前進、掌が砕けたが歩行に問題は無い。指先から毀れた白い骨がぽと、と床に落ちた。軽い音だった。
『分からんな、人間というものは。幾万年と対話を繰り返しても貴様らだけは分からん……分かりようが無い』
「何様気取りなんだよ、何をどうすりゃてめえみたいな化け物が出来るんだよ……!」
『他の生物はもっと簡単だった。植物も魚も動物も。お前たちだけが分からない』
「気持ち悪い、二度と喋るな、化け物!!」
『心外だな、そう化け物化け物と呼ぶものじゃあない。私はもっと分かりやすい存在だよ』
これは会話じゃない。ただただ自分の気持ちをぶつけているだけの俺と、意図の分からないラヴォスの呟きがぶつかっているだけ。そもそもぶつかっているのかも分からない。
大体会話なんて必要ないんだ。俺は前に進むだけでいいのだから。次第に奴の攻撃手段である触手は蒸発し、または俺に切り裂かれ減っていく。奴の魔法は俺には届かない、いくら体を壊されよようが俺は止まったりしないんだから。
代わりに俺の作る雷は底が無い。何十何百と数を増やし食らいついていく。ほうらまた一本、次は三本と無限に増殖していくのだ。
『私は、宇宙からの来訪者であり、この星の破壊者であり……代行者でもある』
「…………」代行者という言葉に、少しだけ足が止まりかけたが、呼吸を整えてからまた歩き出す。
『私には長い時間があった。それこそ、この星に生きる全ての種と対話を交わせる程度にはね』
俺が相槌を打つ気がないと分かり、数瞬の間を置いてから、また口を開く。
『知っているかな? 君たち人間──ああ、魔族も含むが、今はあえて人間と呼称しよう。君らは酷く毛嫌いされている。いや、嫌悪ではなく憎悪かな。その理由は聡明でもない君にも分かるだろう? 植物も動物も昆虫、魚ありとあらゆる生き物に忌み嫌われているのだ』
耳を貸すな、奴は俺に何をしようとしているのか、その意図を探ることさえ無駄なことなんだから。
『その怒りは凄まじく……そうだ、A.D.1800年頃か、怒りは激化した。そう、自分たちを巻き添えにしてでも滅ぼしたいと思える程に』
「……何が言いたいんだよ」真面目に聞く気は無い。ただ……なんとなくだ。なんとなく奴の話に乗った振りをしようとしただけなんだから。なのに、ラヴォスがいやに眼を細めたのが見えた。
『分からないか? 私は別に自分の意思でも……ましてやジールとかいう女の為でもない。人間以外の生物……いわば、この星の代わりにこの世界を滅ぼそうとしているのだ』
「馬鹿言うな、それじゃあべこべだ。星を守るために星を壊すなんて、矛盾してるじゃねえか!!」
『ふむ、言い方が悪かったな。世界を滅ぼすのではなく、君たち人間を滅ぼそうとしたのだ』
「そんなもの、同じことだろうが!!」
『同じではないよ。君は未来で聞いただろう? 人間がいなくなればこの星は蘇ると、マザーから聞いたじゃないか。彼女は賢しい、この私が彼女を壊さず残しておいたのがその証拠だ。きっと、彼女は荒廃した世界を立て直す為に必要不可欠な存在となるだろう』自分の考えに悦に浸っているような口調で断定した。『そして、世界はもっと素晴らしいものとなる。星が蘇るのだ、より強く、より美しい世界へ。その為には……君たちは必要ない。これは私の意志ではないよ、星の総意だ』
もう、足は動かなかった。
『勿論、私は馬鹿ではない。私という存在がそうなった世界に必要かそうでないかくらい分かる。君たち人間が完全に滅びたときには……私も消えようじゃないか』
「お前も、消える?」ぼそりとこぼした言葉に、ラヴォスは丁寧に反応し、『ああ』と答えた。
『どうかな。星の全てに嫌われている君たちを倒した後、自分から去っていく私は悪か? それとも、星の悲鳴を聞いてなお生きようとする君たちは正義か? ……化け物はどっちだろうね、化け物』
膝が震えだした。嘘だ、星は俺たちの味方だ、最悪そうでなくともお前を正義とは認めない。そう言えたらどんなに心強いだろう。でも根拠が無い。だったら条件は同じじゃないかと叫べたらどんなに良いだろう。でも納得してしまった。そして想像してしまった。人間がいない世界がどれだけ美しいのか。思うままに生を謳歌している生物がどれだけ……か。
おいおい、あれだけ王妃に自分のプライドの為に戦うと豪語しておいて、星の意志とやらを聞けば足が止まるのかよ?
止まるさ。
止まらない訳がない。誰だって、声援が欲しいんだ、誰かのためだと言うお題目が欲しいんだ。
となれば、これは最たるものではないか。一頻り往来で刃物を振り回し「俺の為したいことを為したんだ」と叫びまわる狂人と同意。
それでも……これだけは否定したい、でなければ立てはしない。
「お、俺は……化け物じゃない」
『そう、君だけが化け物なんじゃない。君も化け物なんだ。お前の仲間も、お前を育ててきた全てが化け物なんだよ……運命は、お前を殺す為に動いている。何故それが分からない?』
「じゃあ! じゃああいつはどうなんだよ、あいつは良い奴だった! 人間じゃないし、森を作り出した! お前の言う美しい世界には必要な存在なんじゃないのか!?」
そうだ、こいつがどれだけ綺麗事を抜かしても、あいつを消したことに変わりは無い。だったら俺がやるべきことは一つのはずだ……!!
「だから、俺はお前を……」
『詫びよう』
「……あ?」
暗闇に隠れていたラヴォスの体が、光に照らされ露になる。脳が透けて見えるおぞましい頭部をゆっくりと垂らしていた。その体から伸びる触手はほとんどが噛み千切られ、または切り捨てられて酷く無残なものとなっていた。それはとても惨めで、悲壮なもので……眼を見張るには十分なものだった。
──詫びる? 詫びるって何だ? 頭を下げるってどんな意味があったっけ?
「……やめろよ、おかしいだろ? お前が謝るなよ、お前が謝ったら……終わりじゃないか。全部おかしなことになるだろ? 謝るなぁ!!」半狂乱と言われようが、半ば以上その通りだと自覚できる俺は無意味に頭を振り回し掻き乱した。右手の割れた爪が痛かった。でも、特に気になるほどのものじゃなかった。
『結果的に私が彼を──プロメテスを殺したのは間違いだったと認めているのだ。彼は、確かに必要な存在だった。お前たちの中で唯一、歴史上にもそう類を見ないほどに』
「お前が認めるなよ、あいつを褒めるなよ勝手なことしてんじゃねえよ!! あ、あいつは俺の仲間で、弟分で、大事な……そうだ、お前が消しやがった!! もう二度と会えない!!」自分の話している言葉が理解できない。文法だとかまどろっこしいものが作れない。それがおかしいとも思えないけれど。
『だから謝っている。彼は素晴らしい生き物……例え機械だとしても、だ。私は彼だけは、殺す気は無かった。お前たちや、私の代わりに美しい世界を生きて欲しかった。あの片割れのアンドロイドと共に』
「あ、あ、あ、ああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!!!!!」
斬れ焼け焦がせ消滅させろ。奴の言葉は戯言だ、全部嘘っぱちだ、俺を騙そうとしてるだけだ、何が星の総意だ、誤魔化そうったってそうはいかない。だってそんなのおかしい、俺たちが守ろうとしていたのは星そのものだ、色んな人を助けて助けられてここまで来たんだ。そう、『人間に』
砕け潰せ地獄に送れ。奴は嘘をついたのだから。いや、仮に嘘でなくても、本当に真摯に謝っていたとしても奴は殺した俺の仲間を殺したんだ。例え直接的でなくてもこいつのせいで死んだのは間違いない許せない許すべきじゃない俺が俺であるならば許してはいけない。
──でも、こいつが一番あいつを認めていたのかもしれない。ラヴォス程の存在がああまで言うなら、あいつは本当に凄い奴だったんだろう。そう思えてしまうなら、それが真実ならば。
『──満足か』
そう呟くラヴォスの体は頭蓋を残し炭と変わらぬものになっていた。頭部すらも中身がずるりとこぼれ出ていて、薄桃色の臓器が顔を出している。目だけが厳しく冷徹に俺を見据えていた。
『ここでお前が勝てば、人間……いや、人間を含む人間と友好的な存在はお前を祝福するだろう。だが世界は違う星は違う。ありとあらゆる生き物はお前を恨むだろう。森も海も空もあらゆる時に生きる人間以外の生物は怨嗟の声を向けるだろう。その力は凄まじく、時空を歪め本来の理を無視してお前の運命を変える。断言する……お前は時に殺される、すでに銃口はお前に向けられ引き金に指は掛かっているのだ、私だけでなく、星すらも貴様に向けて』
……じゃあ、俺たちが戦ってきた意味は何だ?
命を賭けた理由は? 痛い思いしてさ、怖い目にもいっぱいあってさ、死んだり恨まれたり恨んだり。仲間を泣かせたこともあった。仲間が消えたこともあった。良い事もあったけど辛いことも吐くほどあった。
いつ間違えた? 俺はどこから違えたのだろう。ラヴォスと出会った時? ラヴォスの存在を知った時? 歴史を変えた時? ……いや、そもそもの始まりは。
多分、時を越えた時だ。
そうだよ、なんだかんだ言ってさ、いい気になってたんだよ俺は。
時間を越えられるなんて非日常に酔ってたんだ。世界を支配した気分にでもなってたのさ。もしくはヒーローか? 星を救うスーパーマンにでもなれたつもりかよ? その実救おうとしている星に嫌われてたなんて、コメディに過ぎる。出来が悪すぎる。物を投げられても仕方ないくらいだ、馬鹿臭え。
『もう一度言おう……お前が化け物だったんだよ、クロノ』
「馬鹿、クロノはクロノで、化け物はあんたよ、化け物」
急に投げ飛ばされた声は無機質で、でも青い炎みたいに熱が内包されているように感じた。
続いて、轟音。間近で鳴らされた為か、少し耳が痛かった。
──過去──
「へ? 何言ってるの? 急にどうしたのよロボ?」
ふ、とこぼされた言葉に驚き、ルッカは頓狂な声を上げた。場違いな言葉は場違いな反応を引き出すものらしい。
けれども、ロボに戯けた様子は無く、どちらかといえば淡々と、業務染みた物言いで話し始める。
「終わりにしましょうよマスター。大丈夫、全部僕に任せてください。あいつは僕が倒します」
「あのね……あんたの好きな設定だの大言壮語だのを聞いてる暇は無いの。とにかく、ロボはヒールビームで全員の……」「僕は僕ですよ。世界に選ばれもしてないし天啓を得た訳でもないただの僕です」ルッカの言を遮って、ロボは一歩踏み出した。
「大丈夫です、僕なら奴を倒せる。むしろ僕に倒せないなら誰にもあいつは止められない。だから行かせてくださいマスター」
握った拳を突きつけて、自分の意志の固さと自信を表すロボ。彼の迷いの無い素振りを見ても、ルッカはため息を吐くのみだった。
「寝言は寝て言いなさい。今はラヴォスの弱点を探る時よ。変な自信に溢れてるみたいだけど、結果から言えば却下よ、以上」
「マスター、お願いだから僕の話を……」
ルッカの肩に手を置いたとき、ロボの手に衝撃が走った。叩かれたのだ。敵愾心すら垣間見える程の表情をしたルッカに。
いつもならば息を呑んだだろう、おろおろと視線を逸らしただろうロボは彼女の目から視線を離すことは無く、堂々とした様子だった。
「その右腕で何とかするの?」
「──気づいてましたか」
「馬鹿にしないで。大方、マザーコンピューター辺りから譲ってもらったのかしら。なるほど、調べなくても凄い出力が隠されてるのは分かるわ」
「分かりますか、普通のロボットでは扱えない、アトロポスのような本来園芸、愛玩用でも不可。戦闘用アンドロイドのみが使用できる特殊装備なんだそうです」
言うと、ロボは自分の右腕を差し出し二の腕部分の装甲を開いた。人口骨の周りにびっしりと敷き詰められたコード、それらを避けるように内蔵された赤く発光するパーツ。ルッカはそのパーツの持つ力、またそれを作り出す科学力の高さに一瞬状況を忘れ感嘆のため息を吐く。秒とかからず我を戻したが。
「『クライシスアーム』という名があるらしいです。まあアームとは名ばかりに実際は腕に内蔵させるだけのチップのようなものなんですけどね」
「まあ、そのパーツ本来の力を出し切るならダメージは通るかもね。で、それを使えばあんたはどうなるの? 右腕が消し飛ぶくらいで済むのかしら? なら止めないわよ、相当痛いでしょうけどあんたが決めたことだし、すぐに私が修理すれば良い話だし」
「……痛いのは嫌ですけどね」
「なら馬鹿な考えは……っ!」
話が長くなりすぎたか、ルッカたちにラヴォスの針が飛来する。直前で気づき、魔法で対抗しようと掌を翳す。幸いか、針は一本しか無い。ファイガ程度なら撃墜出切るだろうと考え魔力を練る。
しかしその必要は無いとロボが前に出て、腕を振るう。その際彼の右腕が赤く光ったのがルッカには分かった。そしてそれがクライシスアームの力なのだとも。
腕を振るう、それだけで針は遠く彼方に方向を変えあらぬ所に吹き飛ばされる。風圧だけで世界を殺す魔物の攻撃を防いだと、明晰な彼女にも理解し難かった。理解したときには、したくもない真実すら垣間見えてしまう。
「痛いのは嫌ですけど、クロノさんに会えないのはもっと嫌です。クロノさんと皆さんが笑ってる姿が見たい。昨日みたいに、笑ってるのが僕は好きです」
「……その力をフルに使って、壊れるのは右腕だけ?」彼女から許可が得られそうだと分かり、ロボは微かに微笑んだ。
「ええ。安心してくださいマスター」
「そう……そうなの」
焦燥したような顔を見せて、ルッカは静かに俯いた。人差し指を前に向けて、行きなさいと言外に告げる。ロボは普段どおりの笑みを見せて歩き出した。
何やら、遠く見える背中にルッカは通常でもなく、荒げるでもない声量で呼び止める。爆砕音が彼女らのすぐ隣で響いた。
「ねえロボ、貴方はクロノに『良い子になるって、そう言ったのよね?』」
「はい、言いました」
「そっか……分かった。じゃあ行ってらっしゃい」
「……ねえマスター」ロボの呼びかけに、ルッカは下を見るばかりで言葉を返そうとしなかった。それに痺れを切らした様子は無いが、そのままロボの声が続く。「僕は良い子になりたいと思いました。そうしたら、クロノさんや皆さんと一緒に旅が出来ると思ったから。あの人の後ろにいても許されると思ったから」
「……はは、別にそんなに大げさに考えることないじゃない、ロボったら」
「ですよね。でも、残念だけど僕の性格がそうさせるんだと思います」
口調とは違い、無邪気な照れ笑いを浮かべて頬を掻く。無意識にルッカはロボに手を伸ばし、意識的に彼に触れることを止めた。留めたと言うべきだろうか。
ぎこちなく、それこそ年代物のカラクリ染みた動きで手を引っ込める。視線は逸らさぬままに行ったその行為は本当に、歪だった。
「僕ね、マスター」
「なによ」
「良い子よりも、なりたいものができたんです」『もの』と表現するものなのか、と疑問が湧いたが、それ以外にらしい表現も見当たらない。ルッカは静かに彼の言葉に耳を貸していた。
「僕は、良い男になりたくなったんです。あの人の後ろじゃなく、皆さんに守られるものじゃなく、胸を張って隣にいられるように。今まで口にした夢物語にいる僕に近づけるよう、そうなれるように」
「あの、運命の神とか、選ばれたとか存在とかいう自分に?」ルッカの言葉に、昔の自分の発言を思い出したか、少しだけ気まずそうに視線を逸らし、耳を赤くしたまま「そうです」と短く答えた。
「でも、神様だとか、そんな物に選ばれなくても、僕はもっと凄い人たちに選ばれてたんですよね。原始の世界に住む酋長や、現代の王女に中世の勇者、果ては魔王なんて存在にまで一緒に戦える……勿論、稀代の天才科学者にもね」
「気に入らないわね、稀代の美少女天才科学者で手を打つわよ」
「じゃあ、それで」苦笑と微笑が混じったような笑顔だった。
右手を軽く回し、見上げる程の巨体であるラヴォスを視界に入れる。彼の見ている景色は自分と同じでは無いのではないか、と不思議な想像を飛ばして見た。特に形として得られるものは無くとも、少しだけ得心がいったような満足感を手に入れた。
こういうのも、良いんじゃないか、とルッカは思ってもいない綺麗な嘘を飲み込んだ。次いで、口にはしないが、「クロノは貴方にとってどんな存在?」と聞いてみる。言葉にしていないのに、その答えは呆気なく返された。
「クロノさんは、クロノさんです。それ以下にはならなくても、実はそれ以上にも成り得る人なんですよ」
ぎゅる、と踏み込む音にしては摩擦音の強すぎる踏み出しを経て彼は真っ直ぐに走り出した。きっと彼はどのような形であれ自分たちに道を示してくれるだろうと確信して、ルッカはそのまま右手に持つ銃を己のこめかみに持っていった。
いつもは安全性を重視して重くしてある引き金が、触れれば銃弾が飛ぶフェザータッチに感じられる。引け! と体が命じているのかもしれない。流されるのも良いかもしれない。けれどもそれでは彼の信じたルッカでは無いだろう。結局そのまま引き金を引くことなく腕は落ちていった。
「……そっか。そうなんだ」
ルッカはもはや朧に消えていく記憶の中、閃光のように一つの過去を思い出した。それは中世より動き続けて一つの森を作り上げたロボを現代で回収した時の事。その日の夜、こうして記憶が消えていく原因にはなったが、最愛の母を取り戻すことが出来た。
あの時生まれたゲートが誰の力で、もしくはどんな理由で作られたのかは分からない。けれどもルッカはロボが作ってくれた奇跡なんだと理解した。砂漠でしかなかったあの場所を緑に変えてくれたロボが与えてくれた夢だったのではないか、と。
緑の夢を、ロボがくれたのだ。
「私がロボを直したんじゃない」
自分が人間として、女として壊れた切っ掛けをロボが無かったことにしてくれたのなら。機械に対しての怒り、憎悪を癒してくれたのが彼ならば。
「ロボが、私を治してくれたんだ」
こうしてルッカは、科学者であり、普通の女の子でもあれたのだ。
──現在──
響く銃声は重く猛るようにラヴォスへと吸い込まれた。咄嗟に右腕で受け止めるも、奴の中指が弾け飛び苦悶の声が漏れる。
『ぐう……』
「はあ、情けないわね……」
呆としている俺の胸倉を掴み、ルッカは目の前のラヴォスの事などどうでもいいと言うように顔を近づけてきた。
「お疲れ様。一人でよく頑張ったわね。それで? もう帰る? 正直やる気の無いあんたなんか反吐が出るほど必要無いんだけど」
「う、うるせえ……」
「うるさくて結構。悲劇真っ最中のあんたに同情しないでもないけど、そういう場合じゃないの。皆必死なのよ。そう、ロボだってね」
「!! うるさいってんだろ! あいつの名前を出すなよ! あいつは……あいつ、もういないんだぞ? おまえ、お前たちが止めろよ! あんな特攻認めるなんてお前頭おかしいのかよ、お前らだってそうだよ、魔王もマールもグレンもエイラだって! 止めろって一声かけるだけで良いんだろ! 何で出来ないんだよ、勝てれば仲間が死んでもいいのかよ!!」
ルッカの後ろに立つ仲間たちを糾弾する。身勝手な意見だろうと関係ない、ロボは仲間だった。弟みたいに……いやそのもののように思ってた。それがいないなんて信じられない。今この場に揃ってないことが耐えられない。俺の名前を呼びながら泣きじゃくるあいつの幻影が終わらない。
……飛び込んで来いよ、俺が怪我しようがどうだっていいからさ、あいつを叱りながら頭を撫でるのが、今じゃ習慣なんだよ、辛い時でもさ、もう勝てないんじゃないかって時でもあいつが俺を見てくれるから、信じきった目を俺に向けるから背筋を伸ばせたんだ。それが無いなら……俺は何を頼りにすれば良い?
「知らない。私はあんたじゃないし。他の皆も一緒でしょ」
「だから、なんでそんな風に言えるんだって聞いてるんだよ!!」
「──凄いね、クロノ」
ふ、とマールが俺にささやいた。小さく、消え入りそうな声だった。
「本当に凄いね。こんな状況でも仲間を思いやれるなんて、尊敬する。嘘じゃないよ? 皮肉でもない。けど……そんなクロノなら私は貴方を好きにはならなかった」マールは微笑みながら、言い切った。何かを切り捨てるような表情だった。それが無性に切なかった。
「今あんたが悩んでるのはさ、ロボの事で? それとも、星が私たちの負けを望んでますとかいう話の事で?」ルッカが俺の反応を待たず次の言葉を放つ。
「……どっちも、だよ」
「へえ。忙しいのね、じゃあ聞くけど」
と、そこで彼女は俺の体を横に投げ捨てる。次に早口で詠唱を終わらせて目の前に炎の壁……白く光る壁は炎というか、擬似的な太陽を思わせるが、を作り出しラヴォスが放ったらしい爪の弾丸を消滅させた。相当な力技であり、魔力を消耗したのも間違いないだろうに、彼女は涼しい顔のまま続けた。「ロボの言葉は聞いてなかったのかしら」
「聞いてたさ、聞いてたからなんだよ? それだけで立ち上がれってのか? 無理言うなよ、死ぬってそういうことじゃないだろ!!」
旅が始まった頃に比べ、少し伸びた髪を揺らしながら、ルッカは冷徹に言った。
「ロボは、どの道消えたわよ」
「……は?」
「今更知ったみたいな顔は止めてよね。あんただって気づいてたんでしょ? そう──」それから彼女が言葉にするのは、確かに俺だって分かってた事実。
「ロボはラヴォスがいる未来だからこそ生まれたアンドロイド。ラヴォスのいない未来では、彼は産まれない。その必要性がないから。つまり──私たちが勝っても負けてもロボは消える運命だったのよ」
「よく、言えるよな。そんな事」自分でも驚くほど声が震えていた。体はそれ以上に。
そんな事分かってた。未来を変えれば全てが変わる。199×年に現れたラヴォスを倒せば、それから先の未来にいる全ての生き物が消えて、新たな未来となる。俺たちの行うことは未来を救うことでもあり、殺す事でもあるのだと。そして、その殺す未来の中には俺の大切な仲間がいることも知ってた。
……でも言わなかったんだ。あいつは。分かってたはずなのに、それに気づかないほど馬鹿じゃないって知ってたのに。でも言わなかった、皆が動揺すると思ったから、気を遣われるのを嫌ったから。自分が消えるのに必死で道を作ったんじゃないか。
お前はこう言いたいのか? 「どの道消えるんだから今消えても一緒だろ」と。
「ふざっ……!!」俺の怒声が産まれる中、それを邪魔するように俺の後ろ頭が叩かれた。邪魔をされた怒りと、どうにもならないと突きつけられた現実に対する怒りが混ざり殺気すら込めた目で後ろを見遣る。そこには、いつものおとなしい顔つきではない、ひょっとすると俺よりも怒気の強い顔で睨むエイラが立っていた。
「クロ、ルッカ言うこと、聞いてたか?」
「聞いてたって。だからこうしてキレてんだろうが!!」
「それ、嘘。嘘じゃないなら、クロ、大馬鹿。救いよう、無い」
「な、なんだよそれ……」少し怯んだ俺の髪を掴み、エイラが立たせる。乱暴で粗雑なそれは、エイラとは思えない行動だった。
「ロボ、どっちも分かってた。負けても勝っても消える、分かってた! その上で、選んだ!」
「何を選んだってんだ!!」
「新しい、未来を!!」
新しい未来?
「所詮、誰しも死ぬときを知れば、他はどうでも良くなるものだ。仕方ないさ、例え英雄と言われて死のうが卑怯者と言われて朽ちようが、本人からすれば大差は無い。むしろ、微々たる差もありはしない」良く通るグレンの声が響いた。こんな時でも、心地のいい声なのだな、と不思議に感じた。
「それでも奴は掴み取ったのだ。勿論俺たちには生きていて欲しいと願ったためかもしれない。むしろそれがほとんどかもしれない。けれど奴は……見たかったのではないか? 例えそこに自分がいなくても、永久に消えて、存在しないとしても。新しい未来を、な」
──そこには、あるだろうか。
あいつがアトロポスと見たいと望んだ、盛大なお祭りと、綺麗な青い空が──
「あいつは子供だ。何百年と稼動し、様々な困難と向き合おうが、所詮は幼子でしかない。それが奴の本当の姿だからだ」フォン、と澄んだ音を鳴らす鎌を片手に、優しさを含ませない台詞。このような事態でも魔王らしい言葉だった。
「甘える、煩い、分を弁えない。子供というより他に無い……だが、馬鹿ではない。勇気が無いでもない。奴が憧れ慕い続けてきたのは、己が為すべきを忘れ呆けているだけの愚図か? 一層哀れだな、お前も、奴も」
無茶な言い分だ。冷たい物言いだ。突き放すとはこの事だ。
……でも、なんでだろうか。言わせておけないと、下腹に力が入っていくのは。
「……本当言うとね、私……なんか信じられないんだ」薄い笑みを貼り付けたまま、目線だけを下げてマールが語りだす。
「いつもいつもクロノにくっついて、私がそれを可愛いなって笑って。気が利いてその癖近寄りすぎると恥ずかしがる、あのロボがもういないなんて、自分の目で見たのに信じてないの。馬鹿みたいだよね?」
「……そんなの、当たり前だろ。どれだけ一緒にいたんだよ、俺たちは」そう言うと、だよね? とほんの少しだけ寂しそうに唇を歪めた。
「だから私はこう思う。こう思い続けるの。ロボはいないんじゃない。『いた』んだって。同じことじゃないよ、全然違うんだよ。分かるよね?」分かるよ。マール。
「お願いだからロボを忘れないで。ロボはいたの。ロボは今いないけど、彼がどんな気持ちで戦いに出たかを思い出して。答えはきっとクロノのすぐ近くにあるよ」
ああ、あるよ、見えてるよ。もう手に掴んであるよ。引き寄せられるよ。
内心思ったんだ。俺が死んだ時、あいつはこんな思いだったのかなって。取り残される気持ちに浸ってたんだ。こんなに辛いのかって、泣き出したかった。
でもさあ、マールの言うとおりだ。全然違う、似ても似つかない。あいつは、先を促したんじゃないか。俺のときとは違う、もう勝てないって、自棄になってヒーロー気取りに皆を助けただけだ。いや助けたって思い込んだだけだ。
今なら言い返せる、ラヴォスが人間がいなければ美しい世界になるとか、そんな馬鹿げた事を言い出しても、はっきりと答えられる。「お前が未来を語るな、未来を作ったのはお前じゃない、ロボなんだ」と。今では、あいつの姿は見えないけど、あいつの手が見える。こっちですよ、と無邪気に前で手を振っている。その姿は、ラヴォスの後ろにあるのだ。
「大体何よ、星が望んでるからどうとかって、そんな話で悩んでたの? くだらないったらありゃしないわ」トリガーに指をかけて、くるくると銃を回しながらルッカは疲れたため息を吐く。
「あんた、いつのまにそんな大看板背負ってるの? なんか、逆に笑えるわ、元々私たちはどうして星の未来を救おうとか言い出したんだっけ?」
元々? ああ、そういえば、未来の世界でこの星が荒廃したのはラヴォスが原因だと知った時が、ある意味始まりなのかもしれない。その時の事を思い出そうと頭を捻る前に、ルッカが答えを示してしまう。
「マールが言い出したの。未来を変えちゃおうって。その時あんた何て言った? 未来の星なんか関係ないから別に良い、よ。そんなもんでしょ、星の行く末とか、考えとか無視しちゃったってさ。人間以外の生物の事なんか考えてどうするの? 聖人にでもなるの? ……いつからそんな大人物になったのよ、あんた」言ってる事が悲しすぎるぞおい、とは言わない。事実だしなあ。
「まずは、眼の前の事に集中しなさいよ。私たち、仲間でしょ? 私もマールもグレンもエイラも魔王も……ロボだって、これから先ずっとあんたの仲間でしょうが!!」
「でも……でもさあ………」
こうまで皆に言われても、まだ俺は甘えようとする。汚いよなあ、でもどうしても認めたくないんだ。いなかろうがいたんであろうが、結局は同じだと思ってしまう。だって……あいつは、きっと生きたかったはずだから。例え未来が待っていなくても。
眉を歪ませ俯く俺の肩を叩き、ルッカは中腰になり、目線を合わせた。
その眼には、侮蔑も嘲笑も、また立ち上がれ! と鼓舞するような輝きもない。ただ見くびるな、と目が語っていた。
「まあ、さっきはロボは消えるって言ったけど……別に決まった話じゃないわ。いやあり得ない話よね、うん……ラヴォスがいないからなんなのよ。ロボは産まれない? 決めつけないでくれる?」そう言って、ルッカは強く胸を叩いた。
「私は天才科学者ルッカ様よ? 例え幾世代先になろうと、私の血は脈々と継がれていき、必ずロボを作り出す!! この私の血よ? 数えられない程薄れていこうが、私の子供なら出来ない訳がないわ!! だから……あの子は、未来で待ってるの」
願望染みた言葉のくせに、確約を得たと言わんばかりの自信。なんらその未来を疑っちゃいない瞳。疑う訳ないか、他人の俺でさえその映像が浮かんでしまうのだ、彼女なら殊更鮮明に想像できるのだろう。
言いきった後、彼女はふっ、と笑った後俺の頭を上からぐりぐりと押し付けるように撫でた。
「だから、あんたは作りなさい。未来への道を。あの子に繋がる確かな世界を」
「……作れる……のか?」夢見るように、俺は微かに言った。
「勿論よ。だってあんたは、凄く頑張ったでしょ?」
──ああ、そっか。俺忘れてたけど。こいつらに褒めて欲しかったんだよな。夢、叶っちまった。
『……茶番だ!!』
地の底から這い上がるような、うめき声に酷似した叫びをラヴォスが上げた。と同時に、奴の背後からこの空間を全て埋め尽くそうと思える火球、氷弾、雷、魔力球が産まれる。さらには、確かに俺がかき消した筈の自由自在、されど強靭な触手がうごめいている。
俺と一対一であった時は加減していたのか? 遊んでいたのだろうか。
『お前たちの言葉など、全て理屈になっていない。こうであればいい、という願いで凝り固められた妄想だ。未来で待っている? 馬鹿げたことを、未来はお前たちを望んでいない、未来が望んでいるのは人間以外の動物、虫、魚、植物、機械にアンドロイドたちだけ。星を真に愛し、守ろうとする意志がある者だけだ! 何故分からぬ? いや、分からぬだけならまだしも、分かろうとしている者を何故引き込むのか!? その亡者が如き行動、流石に度し難い! 星の夢を砕く愚か者どもが、今すぐに消えて無くなれ!!』
「……ククク、怒ったか。星の代行者たろうとする貴様が怒りを覚えたか。大言を吐くものだな、ラヴォス!!」
「魔王、貴様と意見が合うとは遺憾だが……否定はできんな。少々見苦しいか」
「見苦しい……うん。エイラもそう思う。それに、お前頭悪いな」
「えー、私は可愛いと思うよ? 動物たちがお星様を愛してて、お星様が私たちを嫌ってる……凄くロマンチックだよね。私もそういう風にお星様も考え事をするんだって信じてたもん。まあ、十歳になる頃にはそんな馬鹿な、って思い直したけどね」
「妄想はどっちよ? 星に意志? 夢? 馬鹿みたい。三文小説か、子供用の絵本でしかそんな事書いてないわよ。良いかしら? 星は夢を見る必要はないのよ。だって、」
予め決められていたみたいに、皆が声を合わせる。格好良い言葉じゃない。真理とか哲学に則ったものじゃない。だから学があろうと無かろうと理解できる、誰に言っても「まあそうだろうな」と返されるだろう単純な事実を。
「星に生きる人間だけが、夢を見ていくのだから」
──ロボ──
「これ、皆さんに渡してくれますか?」
左手に包んである物を、マールさんに手渡した。彼女は眼を丸くした後、何かを言おうとして、やっぱり口を閉じた。そのまま、何も聞かずこっくりと頷く。
良かった、聞きだそうとされれば、少し困ってしまうところだった。何より、今も敵の攻撃は続いている。出来るだけ時間はかけたくないのだ。
そのまま立ち上がり去ろうとする僕の手を、マールさんが強く引っ張った。一瞬振り払おうかと悩んだけれど、僕を引っ張る手が震えていたからそのまま身を委ねる。そうすると、僕の大きいとは言えない身体がすっぽりと彼女に包みこまれてしまう。とても、暖かいなあと思った。
「……終わりじゃない、よね?」
「ええ、終わりじゃない。始まってる最中です」
「……ロボも?」
僕のやろうとしている事に察しがついたのか、硬い声だった。僕は出来るだけ優しく彼女の掌に手を置き、安心させるように強く言葉を放つ。
「勿論。ただ、0と1の境に行くだけ。始まりを待ちに行くんです。終わりなんか、ずうっと先なんですよ」
「……すぐに、追いついちゃうもんね、私、足速いから。そしたら、いきなり抱きついちゃうかも」いきなり抱きつかれるのは困るなあ、と苦笑いを零してしまう。でもまあ、ちょっとの間お別れなんだから、約束するのも良いだろう。
「良いですよ。でも、あんまりやり過ぎるとクロノさんに嫉妬されるかもしれませんね」
「えへへ……それも、いいなあ。でもきっとそんな事無いよ。まず最初にロボに抱きつくのは私じゃなくて、クロノだもん」
「……想像したら、凄く良いですね、それ」
今度は、引き止められる事無くするりと前に出る事が出来た。
胸が痛まない自分が、とても誇らしかった。もしも引き留めてほしいと願う自分が少しでもいるのなら、僕は背負いきれない後悔を背負って未来に向かう事だろうから。
カエル……いや、グレンさんがひどい剣幕で僕に声を荒げている。地に突き刺さる棘と、それが巻き起こす爆音で何を言っているのか聞き取れないけれど、おそらく「危ない」に近い事を発しているのだと思う。大丈夫ですよ、と声を掛けに行きたいが、再三言うようにもう時間は無い。
だって、今もクロノさんは一人なんだ。今何処にいるのか分からない、きっとこのラヴォスを倒せば分かるのだろうが……ともあれ、彼は今僕たちと一緒にいない。ならば、誰といようが彼は一人なのだ。
クロノさんは一人じゃダメなんだ。僕もそうだから、分かる。あの人は誰かといなければ駄目になってしまう。一人でも、思いもよらない力を発揮するのだろうけど、自分を顧みない戦いしかしない。それは戦いじゃない。戦いは皆でするから戦いなんだ、誰かが見てくれているから戦えるんだ。特に、あの人はそれが顕著だ。
近くにいる事は、もう出来ないのだけれど。
「……迷うな」
自分に言い聞かせるはずの言葉は、呆気なく霧散して空に消える。
消えるのは怖くない。存在しなかった事になっても泣いたりしない。これから先生まれる事が無いとしても悔やまない。ただ……あの人たちと一緒にいられないのがもどかしい。もっと、皆に甘えてみたかった。甘えて欲しかった。あの人からの「よくやった」をもっと聞きたかった。
僕がこれからする事に、あの人は言ってくれるだろうか? どうだろうな、あの人は照れ屋だから、言ってくれないかもしれない。
そうしたら、うんと泣きついてやろう。駄々を捏ねてやろう。「どうしてですかあ!? 僕、凄く頑張ったんですよ!」って。そしたらあの人は嫌々でも頭を撫でてくれるだろう。ぎゅうと腕に抱きついても許してくれるだろう。
「……もっと、遊びたかった」
今度は、皆で。アトロポスやマザーも一緒に。何もないけれど、汚い世界だけど。どこまでも広大で地平線の先すら伺えない広すぎる大地の上で駆け回りたかった。空気が悪くても油と鉄の匂いが充満する決して居心地の良いとは言えない所、でも僕の生まれた未来で、へとへとになる位に遊んでみたかった、誘いたかった。
結局、何年生きても動いても、僕は子供のままなのだ。運命に選ばれやしない、馬鹿みたいに幼いガキなのだ。
でも、それもまあ、誇らしいじゃないか。ただの子供でも、十分格好良いじゃないか。選ばれし戦士なんてあやふやなものよりずっと胸を張れるじゃないか。
だって僕は友達がいるんだ、仲間がいるんだ、好きな人がいるんだ。なんて特別な存在なのか。
「クライシスアーム、発動」
右手が赤く染まる。赤の光は僕の体まで浸食していく。センサーが熱暴走を起こし始めた。警告が網膜の上に張り付きアラームがけたたましく僕の耳に振動する。もう限界だと動力部が告げている。
少し黙ってほしい、僕だって分かっているのだから。
僕の心に反応したのか、音は鳴り止みいつもの視界が戻ってきた。不釣り合いなくらい穏やかな心でいられる。心臓なんて無いのだけれど、鼓動が聞こえる。幻聴だろうけど、正確なリズムを発するそれは時間をゆったりと感じさせるには十分だった。
「さあ、行こうぜ僕。痛いのは苦手だけど、格好良いのは好きだろう?」
限界を超える熱を得たボディが、機体を焦がす程の移動を可能にする。微量にだが、体が溶け始めているのが分かる。
でも良いさ、我慢するのはそう多くない。
ラヴォスの頭に、拳をぶつける。その際すれ違った魔王さんとエイラさんが声にならない叫びを上げていた。驚かせてしまったかな、ちょっと強く飛び出しすぎたかもしれない。まず音速は超えていただろうから。
僕の拳がラヴォスに触れた瞬間、キロメートルはありそうな奴の巨体がぶれて持ち上がる。ごぱ、と水面に大きな物を落としたような音が鳴り、初めて奴が苦悶の声を流した。それはつまり、絶命には至っていないということ。ひしゃげ潰れてはいたが、奴の顔面はまだ確かにそこに存在していた。
もう一撃加えようと腕を持ち上げるが、自分の手首から先が消滅している事に気付き三歩距離を取る。
左手の拳を取り外して、ドロドロに溶解した右手に無理やり装着させる。その後、神経回路が焼き切れて握れない拳を歯で押し込み握り拳にする。クライシスアームが発する熱で顔のコーティングが溶け、皮膚が崩れ落ちていく。見るに堪えない顔になっている事だろう。それでも、彼らは僕の顔を覚えてくれているだろうから、寂しさは無い。
「ああ……何が怖かったのかな」
目の前が弾けるような痛みが断続的に続く。でも怖くない、泣きたくもない。こんなものが怖かったのだろうか僕は。膝を抱えていたのだろうか。全然、なんてことないじゃないか、それよりも僕はずっとワクワクしてて、でも切なくて、そんなものが溢れている。言葉にするには惜しい感情が僕の頭に敷き詰められている。
「……ぎッ!!」
噛みしめた歯の奥から悲鳴が漏れる。力を込めすぎたからかもしれない。二度目の拳は綺麗にラヴォスの首を飛ばしていた。遥か後方に落ちていくあいつの頭は大量の水をぶちまけたみたいな音を放ち地面に落ちた。
でも、まだ駄目だった。ラヴォスはまだ生きている。首のあった部位、その奥に蠢く何かが生きていた。ぐぼ、と泥濘から手を出した時みたいな音と共に新たな首になろうというのか、這い出してくる。グズグズと赤黒い液体を落としながら再生を始めている。
しかし、そのスピードは実に遅い。弱っているのは明確である。それと同じくらい僕の腕が動かない事も、分かり切っていた。肘から先が無いのだから、動く動かないの問題じゃないんだろうけれど。
だから僕は、もう外れかかっているクライシスアームのコアを取り出して口に放ったのだ。その際に、もうぐらぐらと折れそうな歯で噛み砕く。そこに溜めこまれた熱は凄まじく、口から嘔吐するように火花を吐き出した。吐きだしたものの中には視界センサーも含まれていただろう、ブラックアウトは速かった。その甲斐あって、クライシスアームのエネルギーは驚くほど素早く僕の体に吸い込まれていった。
(でも、流石にきついなあ……)
立ち上がろうとしているのに、僕の意志を無視して膝が落ちてしまう。力は十全に溜まっているのに、後はぶつけるだけなのに身体が逆らう。
ふざけるな、僕の体なんだぞ。僕の言う事を聞かないなんてふざけるなよ。動けるだろ、だって僕はアンドロイドだ、ロボットなんだ。普通よりも頑丈であるはずだ!
あの人は、もっと重体だった。なのに立ち上がったじゃないか、皆を助けたじゃないか。僕に出来ない筈がないだろうが。
──………
なんだなんだ、本当に立てないのか僕。なんて奴だ僕め。神経回路だろうが心臓部だろうがどうでも良いじゃないか、そういう問題じゃないだろうが、僕だ、僕が立てと言っているのだ。膝から下が融解したからなんだ、立てよほら、無茶なんか一つも言ってないじゃないか!!
「……ロボ!!」
ああほら、皆僕を見てる。情けないぞと叱咤しているじゃないか。
だから……早く立てって!!
「おのれ……近づくことさえ出来ぬのか!?」魔王さんが僕に駆け寄ろうとしてる。危ないですよ、何してるんですか。千℃とか二千℃の話じゃないんですよ、今の僕の体。
「マール! グレン! 回復出来ないか!?」エイラさんは魔法を使ってくれと二人に頼んでる。魔法? 何の?
「くそっ! 俺のウォーターではロボに届く前に蒸発してしまう! マール!」
「……分かってる! 何度もアイスガを唱えてるけど、私の魔力でも無理だよ! 回復魔法なんて、届くわけないじゃない!!」グレンさんとマールさんまで血相を変えている。何の為に?
……とぼけるのは止めよう。僕だよ、僕を助けようとしてるんだ。情けないなんて思ってない、頼りないなんて思ってない、殺人機械でしかない僕を心から助けようとしてくれている。
もう中身のない眼孔から涙が零れている。あるわけないんだけど、きっと流れていると思う。
全世界に伝えよう、見たか! と。これが僕だと。人を殺すための機械じゃない、人に嫌われる存在じゃない。僕は好きだよ人が好きだ。そして、人も僕を好きになってくれるんだ! 思い知ったか!!
誰に言った訳でもない、心の中で誰でもない誰かに啖呵をきって、見たか、見たかと高らかに笑う。
ふっと、熱源を探知して、首の向きを変える。それだけで各々の関節部位が崩れたが、それだけの価値はあるはずだ。僕にはもう眼は無いけれどあの人の目を視て声を聞きたい。
僕はアンドロイドだから。やっぱり機械でもあるから。こういう時はマスターの声で決めたいのだ。
「ロボォォォォーーーー!!!!!」
助けようとするではなく、守ろうとするでもない言葉を僕は待っていた。これ以上優しくされたら、戻ってしまうから。もう怖いから、何かに怯えて縋りつく自分はとても怖いものだから。
あの人は、きっと進めと言ってくれる。心中はどうあれ、きっと叫んでくれる。
彼女がどういった顔で叫んでいるのか知らない。出来れば誇らしそうな顔であってほしい。でもそれは無いのだろう。
あの人の声は、酷く震えていたから。
「はっしーーーーん!!!!」
ギアが、入った。
「ウアアアアアアアアアアアァァァァァァァァァァ!!!!!!!!!!!!!!!」
かろうじて形を保つ頭を地面にぶつけた。その反動で宙返りに前に飛ぶ。足が無くても手が無くてもこれなら進める。発進出来るさ。
ぐるぐると前方に回転しながら、僕の体はまっすぐにラヴォスに向かう。顔面だけを破壊すればいいと思っていたけれど、いっそのこと壊してやろう、盛大にかましてやろうじゃないか。背中を丸めて爆弾みたいに落ちていく僕。例えとしてはこれ以上無いだろう。今の僕に衝撃が加われば、間違いなくそのものになるのだから。
声は出せるだろうか? 出来るならば……いや絶対にこれだけは伝えたいのだ。あの人の真似みたいになるのは悔しいけれど、あの人のあの言葉はこの時に使うべきだから。弧を描き落ちていく中、僕は喉を振り絞って叫び散らした。
届くと良い。あの人の所にも。できるなら、彼女らの所にも。マザーやアトロポスが聞いてくれるように、クロノさんが悲しまないように。
それでは皆さん、今まで本当に、僕と仲良くしてくれて、
「ありがとうございましたあああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!!!!!!!!!」
本当に、そう思っています。
暫くお別れだけど、きっとまた会えますから。
やがて、光が溢れ、闇が訪れた。
いつかは明けるさ、手を伸ばせば届く距離に未来はあるのだ。
──現在──
山が崩れるような轟音激しく、ラヴォスが動きを見せる。嫌に滑りのある二本の巨大な腕を振りかざし、風を切りつつ突き出した。誰しもが、受ければ吹き飛び四散するであろう凶悪な一撃を前に、エイラだけが前に出た。他は、顔すら向けない。
「エイラ、先に出る。後、任せた」
端的な言葉を残して、彼女は高々に空へ飛び上がった。前方へ三度回転、そのスピードは遅くもなく早くもない。勢いを付けるというよりは機を図る為の行為に見えた。一種の、リズム取り染みた跳躍は、ラヴォスの攻撃の的になるのは自明の理である。
一つは先端の尖った中世の突撃槍が如く、もう片方は城すら切り崩すだろう大型船級の刃と化しエイラに向かう。
彼女に殺意の塊が触れる、その寸前にラヴォスの両腕は……砕けた。俺達が立つ遥か後方に、ラヴォスの腕が飛び行き暗闇へ消える。
未だ空中に残る刃の残骸を足場に、エイラは直線的に飛ぶ。その方向は、ラヴォス。奴はまさか己の攻撃をあっさりと潰されるとは思わなかったか、微かの間無防備にこちらを見ているだけだった。
「キエアアアァァァ!!!」
エイラの獣の様な気合いの声、同じくして先ほどラヴォスの腕を砕いたように、上段回し蹴りを叩きこむ。ぐらり、と大仰にラヴォスは揺らめいた。
とはいえ、それだけでは終わるまいと赤い目を開き、喉奥からちりちりとマグマのような熱源を吐き出すラヴォス。しかしその動きはエイラという戦女神からすれば余りに鈍重なもの。避ける事は目を瞑っていても可能だろう。
──が、エイラはそれを良しとしなかった。彼女は眼の中に光を収めたまま上を向き、炎の中に自ら入りこむように上へ跳躍した。体躯に差のある二人、必然見下ろす形で炎を吐いたラヴォス、飛び上がるエイラ。見る間もなく彼女の体は炎の中に消えていく。心配はない、必要がないからだ。彼女に炎なんて吹けば消えるようなものは障害になりはしない。俺は原始でとうに知っている。ラヴォスも馬鹿なやつだ、俺以外の人間ももっと調べておくべきだったな。
炎の檻とでも表現できそうな濃密された火炎をエイラは体を回転させて巻き起こす突風にて、難なく突っ切った……いや、体中に火傷を負い、皮膚が所々盛り上がり血を滲ませているが、彼女はなんという事はないと感じているだろう。故に難は無い。
もうエイラを遮るものが無くなり、彼女は目を閉じて空中で体を横たわせた。落ちる、飛ぶの違いはあれど天女が下りてくる一つの場面に似ている気がした。それは、盲目が過ぎるか。
上へと進む力が消え、重力に縛られようとするその瞬間、目を開き、エイラは小さく、呟いた。
「奥儀、三段蹴り」
ブン、と耳を押さえたくなる音が広がる。振動が視認できるほど空気が震えている。こんな事が起こりうるのか、とルッカを伺い見るが、彼女は両手を上げて「あの子は規格外よ。出会った時からね」と溜息を吐いた。
途中までは、見えていた。トランスを重ね掛けした上、それで得られる恩恵の力を動体視力一点に集結させたというのに、途中までしか見えなかったのだ。
エイラは、左足を鞭の様に撓らせながら極々のんびりと足を持ち上げていた。その悠々たる動きは余裕、というよりもあるべき力を発揮するための予備動作に思えた。足が頂点に達した後……ラヴォスの巨体は沈み、肩を上下させながらふらつくエイラの姿。口元に小さく笑みを乗せて、拳を突き上げ後ろに倒れていく。流石に炎の中に飛び込むのは無茶が過ぎたか、気を失ったのだろう。顔にも火傷が少なくないが、やはりエイラは美しかった。
『……舐めるな、人間!!!』
頭蓋が窪み、両腕が半ばから崩れようともラヴォスは止まらない。すぐさまに体を起こし頭上に無数の魔力体を出現させる。その一つ一つが小さな村程度なら消滅させよう威力を孕んでると、俺の目には見えた。小粒のシャイニングとでも言おうか、数から言って俺の魔力の比ではないが。星の代行者たる所以か。
見るだけで屈服させよう光景を前に、魔王は手袋を強くはめ直し、倒れ伏すエイラを見て鼻を鳴らした。
「良い活躍と言ってやろう。魔力も知らぬ人間が奴に三撃入れたのだ、誇れ原始の女王」
ふとそこで、彼は掌を開く。魔王が手に握るのは……ロボが散り際マールに託した──ロボのパーツ。ネジ、だろうか。遠目からでは灰色の小さな塊にしか見えないが恐らくそうだろう。しばしそれを見詰めた後、また強く握りしめる。ぎゅう、と革を擦る音が此方にも聞こえてきた。
「さて、未来で待つも良いが、些か遊び足りぬのだろう? 短い付き合いだがその程度を図るくらいには貴様を知っているつもりだ……さあ──」
「一緒に行くわよ! 魔王、ロボ!!」
突然、魔王の持つロボのネジと、ルッカも持っていた掌大の鉄板(ロボの外装だろうか)が青い光を放つ。二人はそれを掲げて、力ある言葉を紡いだ。放たれる魔力が光を包みこみ、か細い青は力強い意志を発揮する。魔王の冥力とルッカの炎が周囲を包み、お互いに掌をラヴォスに向けて押し出した。
「オメガ、フレア!!!」
魔王の力が青い光を極大のレーザー砲へと変化させて、その周りを炎の大蛇が包み込む。青き光を邪魔するものは赤の炎が喰らい、討つべき敵を穿つ必殺の光線。派手な爆発がそこかしこと舞い上がるのに、景色に赤は無い。火柱も爆炎も青で統一されていた。さらには、音も無い。何もかもを吸いこむように青が全てを包むように、静寂は終わらない。下半身を消し去られたラヴォスの悲鳴すら掻き消してしまう。
残ったのは、青い夜霧の様な寂寞めいた空間だけ。藍の夕靄がほろほろと浮かんでいた。
「初コンビ呪文にしては、上手くいったんじゃない?」
「馬鹿め、言葉が違うぞ天才科学者とやら」魔王の皮肉めいた言葉を聞いてもルッカは怒る事無く、「そうね」と納得した。
「三人の呪文なんだから、トリオよね」
そうして、二人はとさ、と力無く倒れこむ。エイラと同じように力尽きたのだろう。魔王という規格外の力の持ち主でも限界なのだろう、人知を超えた力を吐き出したのだ、無理からぬことなのかもしれない。
倒れている二人は、隣を通り過ぎる二人に視線を送る。言葉にならずとも、“言葉”が聞こえた。「後は任せた」と。
「貴様に言われるまでもない……!!」
そうして勇者は剣を握る。
英雄譚のように、隣に王女を連れて人類の敵を切り伏せる為に。
「御託はいらん。俺はただ斬るだけで良い……そうだろうサイラス。ロボ!!」
グレンが猛ると、マールは厳かに、神への祈りを行うように両手を空へ、何事かを呟いた。彼女から光溢れ、青の空間を壊し白光を生み出す。燦燦とした光は妙に優しく傍で見ている俺をも心地良くさせる。
それを横目に、グレンが胸元から銀色の髪の束を取り出した。言わずもがな、ロボの髪だろう。一房分を握りしめて、緩やかに目を閉じる。すると、髪はマールと同じように光を作り二人の姿が覆われていく。
『馬鹿な……なんだそれは? とうにあのアンドロイドは死んでいる。なれば、何故そのような遺品程度が力を持つのだ!?』
解せぬ、と頭を揺らし、背中から無数の触手を作り出す。千、万、もしくはそれ以上の殺意は皆同じく俺たちを狙う。最早驚異は感じない。
勇者と王女の組み合わせだぜ、なんとかならねえ道理がないんだから。
「いつでも良いよ、グレン、ロボ!!」
「……グランドリーム」
マールの掛け声に、グレンはぼそりと零した。
その時、視界が変わる。今まで目を背けたい程の眩しさは唐突に終わり、ただ一筋の剣光が空を衝いていた。
ゆらゆらと揺れるグランドリオン、やがて動きは止まり、両手に構えたグレンの姿。腰を落とし背中に届くほどに振り上げた構えは一撃必殺のものである。
そう、一撃なんだ。返す刀も存在しない生き物というよりは無機物を力任せに叩き斬るような構えなんだ。とても千以上の触手を相手取るのに適した構えじゃないんだ。それが分からない人間はここにはいない。誰でも分かる理屈。
だからこそ、それをグレンが為しているのならば、不安を覚える必要はない。彼女が戦いにおいてミスを犯すはずがないのだから。
前方を埋め尽くすほど暴力的な数の触手。何物をも穿ち二、三十の魔法を受けようと目測を誤らぬ必中の攻撃が彼女らを襲う。それに対し、グレンは右足を踏み出し渾身の力で剣を振り下ろした。
『…………何?』
随分と間抜けな声を発するんだな、とラヴォスに僅かながらの呆れを覚えてしまう。
何という事は無い。ただ斬られただけだ、星を壊すと豪語する馬鹿の御自慢の触手だろうと、それ以上の力で斬られれば無為と為す。当然の事であろう。
もしくは、グランドリオンの放つ光に驚いたのだろうか、確かに視覚を潰すほどの発光だった。
それとも……万前後の触手を一振りで斬り飛ばされた事か? 人間如きに?
『グアアアァァ!!!!?』
グレンの剣にマールと“ロボ”の力が働き生まれた奇跡の一閃はラヴォスの攻撃を無効化するだけでなく、奴の顔面に巨大な傷跡を残す事にも成功した。濁流のように吹き出る血流に俺は溜飲が下がるのを自覚する。
……まだ十分の一も借りは返せてないがなあ!!
「終わらせろ!! クロノォ!!!」
皆と同じようにマールも床に倒れている中、グレンだけは剣を支えに叫ぶ。その声を聞いたのは俺だけではない、痛みに身悶えるラヴォスも同じこと。眼球らしき部位に血が並々と塗りつけられている中、奴は間違いなく驚いていた。
いや、怯えていたのか。自分の方へ走り込み、飛び立っている俺の姿に。
悪いなあ、ここまで来て引きこもって喚いて文句ばっかり言ってる糞野郎に見せ場を譲ってくれてありがとうなあ。
でもさ、何度も言うけど俺、頑張ったと思うんだ。辛い目にもあってきた。悲しい事を沢山知った。だから……
「俺がけりをつけたって、許してくれよなあラヴォス!!!」
『ガアアアアアアアアアアアアァァァァァァァァァ!!!!!!!!!!』
ラヴォスの胸部が開き、肋骨らしい鋭利な塊が伸びてくる。全てがうねり予想のつかない動きで俺を串刺しにしようと迫ってきた。
鞘に入れておいた虹を解き放ち袈裟切り、続き腰に手を当てて、左に切り払う。多少目標がずれたか、それでも俺の肩や太腿を削り取るが意味はない。俺はまだ生きているし刀を落としてもいない。命を狩るのに申し分ない状態なのだから。
体が痛い、全身が重い、頭が痛くて蹲りたい。鞘に刀を戻す。
もう会えない人を思い出す。また会える人を想う。いつか出会うだろうあいつを想像する。敵を睨みつける。
旅を振り返る。自分の変化を自賛する。自分の弱さを自嘲する。手に力を込める。
──俺は、頑張ったぜ。だから、こんなにも幸せだ。でも、お前は幸せだったか?
「でなきゃ、こんな旅続けてませんよ。クロノさん」
──だよな。
幻聴は終わり、終焉を告げる。残るのは立ち尽くすだけの俺と、首が離れて落ちているだけのラヴォス。仲間は倒れ満身創痍。今にも誰かが息を引き取るのではないか、と思える肉体疲労と精神困憊。
……俺は、まだ大丈夫。皆と違って最後にちょっとだけ動いただけ。それまでの俺はただ休んでいただけに過ぎない。あいつの決心と想いに唾を吐いただけだ。まだまだ、あいつに背中を見せるならもっと前に行かなくては。
「……終わった……のか」
「まだ終わってねえよグレン」力を抜こうとしたグレンに俺は無慈悲な言葉を渡す。当たり前か、尖り気味の彼女の瞳が丸くなる。可愛いな、とでも言えばあいつは顔を赤くするだろうか。
「終わらないよな。だって、まだ」空気が変わっていない。
しばし、空虚な時間が過ぎていく。秒にして二十程だろうか、言葉にすれば短い物だが、今さっきまで濃密な時を生きていた身としては、随分と長く感じてしまう。
と、目を覚ましたらしいエイラが「うあー!!」と叫ぶ。肘を伸ばし髪をかきあげる様は勝利の喜びに満ち満ちていた。ぶんぶんと腕を振り回す度に血が舞っているので、次第貧血となりまた横たわったのは、こういう状況であれ微笑ましい。
「勝った!! エイラたち、勝てた、終わった!!」
倒れながらも、背中を弓なりに反らし声だけは威勢良く勝鬨を響かせる。それに呼応して、同じく目を覚ましていたルッカが花火のつもりか、祝砲そのままに銃弾を空に放ち、珍しくも魔王が皆に聞こえる程度の声量で笑い声を上げた。目端に涙が浮かんで見えたのは俺だけか。いや、マールも気付いてたか。起き上がったマールに指摘された魔王が真赤になって……それでも小さく笑っている。
ただ、呆然としているのは俺の「終わってない」という言葉を聞いたグレンのみ。彼女と俺だけは仲間の和気とした空気に馴染めず暗闇を見ていた。
闇は動かない。じっとりとした生臭さを思わせる偽的な平穏を見せるのみ。何かが息づくような薄い気配を晒せど、何もない。
「ク……ロノ! どうしたの、もしかして、まだ訳の分かんない事で悩んでるんじゃないでしょうね?」
「ルッカ。そこは駄目だ。もう少し下がれ、グレンの隣か、その後ろまで」
「? やっぱりあんたおかしいわよ。もっと喜んで……」
「下がれ!!!」
「ッ!!」
強い語気に押されるかと思えば、ルッカは少し身を縮こまらせただけだった。なんてこった、折角俺を立ち直らせてくれた大切な女の子を怖がらせてしまった。駄目だな、ルッカにならどれだけ言っても怯えたり、怖がったりされないと思ってしまった。
……そんな訳ないのに。彼女がどれだけ脆いか俺は知ってるくせに。
そもそも、今のこの構図が最悪だ。意気地のない俺を叱り飛ばしたルッカを怒鳴る俺。逆ギレにしか見えん。うわあ最低だ俺。万一そういう勘違いをされては困るので、違うぞ、と訂正の意味も込めて手を左右に振りつつ、「ごめん」と謝罪する。
「悪い、怒ってるんじゃないんだ。むしろルッカには凄い感謝してる。ごめんな、格好悪い所見せて、腹が立っただろ? でも、これからはもう少ししゃんとするからさ……ごめん、今はちょっと離れててくれ」
「わ、分かったわ。こっちこそ、変に怖がったりしてごめん」
「いやそれは俺が悪いんだ、ごめ……いや、終わらねえなこれじゃ」
延々と続きそうな謝罪に、罰が悪そうに頭を掻いて困っていると、ルッカがくすりと笑ってくれた。うん、それだけで随分救われる。
本当は、もう少し話してても良いのだと分かっている。すぐにでも始まると思っていたそれは、今この場にあってもまだ始まらない。であれば、多分あいつは待っている。俺だけを引きずりこめるそのタイミングを虎視眈々に。だから、望みどおりにしてやろう。このまま終わっては、良い所が無さ過ぎる。俺だけがロボを待てない。情けないままの俺ではあいつの抱擁を受ける資格がない。
ルッカが離れていく寸前、彼女の頭を一撫でしてみる。汗だらけなのに、指はさらりと髪の間をすり抜けた。きょと、とするルッカを見てもっと撫でまわしたいと思ったが……その前に顔を赤くしたルッカに手を払われた。
「な、な、何!?」
「いや、なんとなく」
「なんとなくって何!? ……もう!!」
小走りに俺から離れていく。ぶつぶつと何やらを呟きながら、何度も自分の頭に手をやり、その度目を細めるのは……自分の行為が原因だとしても少々恥ずかしいな、これは。いや結構嬉しいけど。
と、グレンの立つ場所と、俺の立つ場所の中間点程に離れた時、電流を浴びたようにぴた、と歩行を止める。すぐさまに俺の方へ振り向き顔を強張らせていた。ああ、気付かれたか? 凄いな、魔王でさえまだ気付いてないのに。あいつは、それだけ限界ってことなんだろう。
「……クロノ」不安そうに、寂しそうに俺の名前を呼ぶ。出来れば、そのまますぐに行きたかったんだけどな。無理か、そりゃあ、そうか。
「大丈夫だ、ルッカ」
何が大丈夫なんだか、分かりゃしないけどとにかく口に出す。もしもここでルッカが気付いた、感づいたかな? 事を皆に話せば多分、皆がまた立ち上がるだろう。もう立つだけで精一杯の癖に。馬鹿ばっかりだ。だからこそ、俺は大好きなんだろう。
マールが好きだ、ルッカが好きだ、エイラが好きだ、グレンが好きだ、魔王が好きだ、ロボが好きだ。これはもう、絶対の絶対だ。この言葉だけは覆したりしない。皆もそうであると、確信できる。でなきゃ、最終決戦で膝を抱えた馬鹿を立ち上がらせてなんてくれないだろうから。
「そう。ああそうなの、最後の最後でそういう事するんだ」次第、目が細く冷たくなるルッカ。その視線はちいと痛いなあ。俺も同じことされれば、と考えれば無理はないが。
「頼むよ。これが終われば実験だろうと付き合うから」
「そんなの……ああもう、分かったわよ。良く分かったわ、あんたの勝手な行動にはうんざりよ」
うんざりされるのはちょっと嫌だなあ、と肩を落とす。
「……あのさ。あんたに言ってもしょうがないんだけどさ」
「あの、出来ればこれ以上呆れられると腹が痛むというか……勘弁してくれないか?」許しを乞うと、彼女は違うわよと首を振る。
「良くも悪くも、旅はここで終わりなんでしょ? なら、言っておきたいのよ」
「……何を」
「記憶、消えるのよね。黒の夢が無くなったし、ラヴォスもいなくなるんだから、そうなるのよ……意味分からないでしょ」
「ああ、分かんねえ」
ならば良し、と何が良いのかも分からない俺を無視してルッカは腕を組み、偉そうに続けた。
「私が私じゃなくなるって事。まあ、それも私ではあるんだけど……」
「大丈夫か? 今のお前頭悪いぞ」
「あんたよりマシよ」どうやら頭の悪いルッカはいつもの俺より頭が良いらしい。不平等だ。
「……今の私と、次にあんたが会う私は別物。それだけ理解して」
「難しいが……まあ、ニュアンスは掴める」
「十分。だから……ええと……」
ぐしぐしと、今度は手が頭を貪るように荒々しく頭を掻くルッカ。視線はそこらを飛び交い、「ええと、ええと」と同じ言葉を繰り返す。分からない問題の解を問われたみたいだ。彼女の子供っぽい行動に、俺は急かすみたく咳払いを一つ。意図を察したか、ルッカは肩を怒らせて口を開いた。
「わっ、私はあんたの事を好きと思わなくなる!!」言ってやったぞ! と鼻息を強く吐き出しつつ、ふんぞる。何が言いたいのか我が幼馴染は。
「……ああ、そうか。え?」
「だっ、だからあ……」
今しがた飽きるほど見た「ええと」タイムが再開される。はきはきしようぜ、いい加減身体が冷えちまうだろうが。
「あのさあルッカ、その話はまた今度……ぶっ」
落ち着かせる兼切り上げさせようとした俺の言葉は勢い良く投げられたルッカのゴムハンマー(呆れるほどに痛い)に遮られた。鉄じゃない事に俺は驚けばいいのか喜べばいいのか。怒ればいいのだ。
しかして、怒鳴る前に叩き倒す前に、ルッカは更に次々に物を投げる。ハンカチであったりメガネケースであったり……武器ではないのが救いか。鬱陶しいのは間違いないが。
「おまっ、いい加減にしろよ! 何が言いたいんだかさっぱり……!」
「話聞いてないじゃない!!」俺の怒りを上回る激怒の形相でルッカが叫ぶ。もう本当になにがしたいのかさっぱりだこいつは。
「だから何が!?」
「今の私はすぐいなくなるの!! だから、この話は今度するとか、出来ないの!!」
ああ、そういえばそうだった、と反省する間もなく「ええと」タイムは「うー」タイムへ移行。顎を引いて上目にこちらを睨む幼馴染。嫌に可愛らしいな、なんだその芸風。
近くに来て殴り倒したいのだろうが、ルッカは俺の言葉通りに俺から離れた距離を保っている。素直なのかそうでないのか判別をし難い。
こんな事してる場合じゃないのに……と大きなため息をついて、仕方なく俺から彼女に近づく。ぴく、と体を震わせる彼女は頼りないファイティングポーズを取る。殴りかかる気が全くしない構えもあったものだ。
ぎゃあぎゃあと不平を洩らす彼女を無視。とりあえず、小さな頃と同じように彼女の体を引き寄せて抱きしめた。すると、やはり昔と同じように押し黙ってくれる。
「落ち着いたか? 悪かったよ。今度はちゃんと聞くから……何が言いたいんだ?」
「……急なのは、ずるいわ」弱々しい声もずるいんだぞ、とは言わないでおく。
「いつものことだろうに」
しばし、静かな空間が……いや、マールが後ろで「ひゅうひゅう」と慣れない口笛を吹いているのでそうでもないが……まあそういう雰囲気が流れる。何をとは言わんが読まねえな現代の王女。
「そうか、終わってないというのはそういう睦言を吐くのが、という事か。戦士の風上にもおけんな、屑め」
「お前もか勇者!!」
「下らん」
「何だお前何拗ねてんだお前」
ふん、と剣を手放し座りこむグレン。盛大に剣が地面に倒れる。その得物をぞんざいに扱うのは立派な剣士のすることなのか?
頭が痛くなり、ルッカの背中に回していた手を離して頭を押さえると、それを待っていたようにルッカが俺を両手で押しのけた。右手が鳩尾を捉えていたので呼吸が止まるかと思った。知ってるのか、お前たちほどでは無いにしても俺はかなりの重傷を負っている。
「……ああそう。これよ、これが不安だったの。いつだってそうよね、あんたは一緒に過ごせば過ごす程人を惹きつけちゃうんだもんね」
「どうしたルッカ。お前怖いぞ、いつもより凄く怖い」
「黙ってなさい。それと、これ初めてじゃないから、あんたとするの」
「何を……!?」
突然だった。目の前が暗くなり、体が重くなって後ろに倒れてしまう。目の前が真っ白だ。強く背中を打ったのにまるで痛みを感じない。息苦しさを感じるが、それは痛みが要因ではなかった。恐らく、驚きと……恥ずかしさから。
耳から、ひゅうひゅうと口で言っていたマールの「ひゅあああああ!!!?」という暗殺拳の発声みたいな叫びが入ってくる。見たくもないが、両手で顔を覆うグレンの姿も。
いらぬ所に気を遣っているのに気付かれたか、顔を離したルッカが深刻な熱を出したような顔色で、俺の額を叩く。
「私が、またあんたを好きになるまで他の女の子と付き合っちゃ駄目だからね!! 絶対の絶対!!」
言うが早いが、ルッカはさっと身を翻し俺から離れていく。皆の下に着くや早々マールに肩を揺さぶられエイラから応援のメッセージ、魔王から肩を叩かれグレンは赤い顔が戻らない。狙ってるのか貴様。
「……ったく。緊張感に欠けるねえ、どうも」
一人ごちた後、足もとから嫌な気配が充満する。奥の方から這いずってくる闇が、とうとう俺を掴んだようだ。待たせてしまったか、気にしねえけどさ。
喧々としている彼らに一言残すべく、皆に「おーい」と声を掛ける。暫しの時間を置いて、全員の視線がこちらに集まった。大した事を言う訳でもないので、少しばかり気恥ずかしい。
何事か、と訝しがる彼らの目が徐々に見開かれていく。疲れきっていても流石に分かったか、これだけ濃密に集まればなあ。
でも、もう間に合わない。計ったようなタイミングだ。事実、見計らったのだろうが。だからこそ、慌てるでもなく朴訥に告げる。
「ありがとう。俺も、もう一回頑張って来るから、」
後でな、の言葉を言い切る前に世界が変わる。俺と皆の間を境界線に時空が歪んでいく。皆は恐らく元の世界……時の最果てに。俺は……奴の下へと。
分かるさ、声が呼んでるんだ。奴だけじゃない、あの馬鹿の声も聞こえる。そうだと教えている。
皆が慌てているのが見える。空間が混在しつつある今でも分かる。
まだ声は届くかもしれない、だから、一言だけ残してみよう。皆に当てる言葉は伝えた。だから、言われっぱなしは癪に障るから、ルッカに一言告げてみよう。彼女の目を見て、そう思った。
「告白、二度目だな」
あの花の芽吹く丘の上での出来事を思い出して、口に出してみた。忘れようにも忘れられない記憶。一度忘れてしまいそうになったけど、結局俺の中に強く根付いているあの出来事。
ルッカは弾かれたように顔を上げて……涙を流していた。声は聞こえなくても、分かったさ、口の動きで。
あいつは確かに、「覚えててくれたんだ」と零していた。
世界が変わる。ゆったりと、大仰に。なにもかもを巻き込んで。
コーヒーにミルクを入れたような、螺旋の中に身を飛びこませた感覚。うねるのは周りか己自身か。曖昧な気分と曖昧な触覚が相反して、不思議に清廉な心地になる。
やがて、景色は開ける。夢遊とした落下感が終わり地に足がついた、と分かった途端辺りを見る事が出来た。今の今まで暗澹とした空間だったのに、今は明るい。というよりも暗闇、影がない。それはつまり光もないのだが。ただただ白の世界だった。
円柱状の建物(おそらくそういった概念ではないのだろうが)、その中にいるようだった。大きさは魔王城よりも小さい。直径にして二百とあるか無いかだろう面積である。全てが白いので、奥行きに確信が持てないがまあ大凡正解だと踏む。
天井は、あるのかもしれないが前述したとおり区切りも分からぬ白一色なので、高さに見当がつかない。俺程度の脚力では、魔力強化したところで届きはしないだろう。エイラでもまず無理か。魔王なら浮遊して届くかもしれないが。
かつかつと靴を床に打ちつける。踏み心地としては石床に似ている気がする。レンガ程軟くは無く鉄というには頼りない、気味が悪いと言えば気味の悪い感触だった。
白色の世界の中心に、唯一混ざり物が立っている。二足歩行なのだ、立つという言葉に間違いはない。フォルムだけを見れば人間と言えなくもない造詣の、生き物。両手は鋏……鉄製のそれではなく、どちらかといえば蟹に近い形状である。首から上は、紫の頭頂部。顔の前面の半分に眼球だろうか黒い点がべたりと付いている。体はバネを合わせたような不安定な肉体。四肢は肌色、脈々と血管が太く蠢いている。全身の脈動は凄まじく、形はまるで違えど大きな一つの心臓を直接見ているような心持になった。
「……うえ」
想像であるのに、気分が悪くなり舌を出す。グロテスクというか、俺にカニバルな趣味はまるっきり存在しないと証明された。臓器に愛着が湧くなんて正気とは思えん。
半眼になり、不可思議な生命体を見ていると、腕をぎちぎちと鳴らしながら動かした。右腕を俺の方へ伸ばし、挟みの様な二又の手をこちらに差し出す様は握手を求めているように見えた。当然、応じはしないが。代わりに、刀を抜き剣先を向ける。これでもまだ握手をしようというなら躊躇う事無く腕を根っこから落としてやろう。
『──意外だな。君は、戦いの前の礼儀を重んじると思っていた』先ほどのラヴォスの会話と同じように、頭の中に声が響く。今までになく、荘厳でも暴力的でもない少し幼い声だった。
「やっぱり、お前も話せるのか。なら一つ聞きたい、お前はラヴォスなのか? 随分イメージが変わったけど」
『そうかな。そうかもしれない、僕はそれぞれに異なる性格を要しているから』
その言葉から、やはり目の前の生き物がラヴォスであると知る。再度、まじまじと相手を見つめると大きさは俺よりは大きいが二メートルあるかないかの身長。ダルトンと同じくらいか、横幅を見ればダルトンよりも細い。ラヴォスなんて化け物に体格なんてどうでも良い事だろうが、生っちろい印象を受ける。
ラヴォスは腕を下げて、左手を自分の胸に置いた。
『外殻……世界を滅ぼす為の“僕”は老獪な自分を、内部の“僕”……君が首を切った僕だね、は敵を諭す冷静さと弾圧する暴力性を持っていた。そして中核……今の“僕”は全てを知ろうとする好奇心を備えているんだ……ああそうだ、安心してね。僕を倒したらまた新たな僕、なんて事は無いから。正真正銘僕が消えればラヴォスは死ぬよ』
「てめえの自己紹介なんか毛ほども興味無かったが……そうか、最後の情報はありがたい。いい加減お前と付き合うのもうんざりなんだ」
『そう? 僕は嬉しいよ。久しぶりにこの身体で他の生命体に会えたんだ。久しぶり、じゃないか。初めて会えたんだから、初めまして僕の最初の人かな』
そのおっとりした話し方に、調子が狂ってしまう。見た目との差が激しすぎる。とはいえ、どういう話し方なら違和感が無いのか、と考えるがこの奇妙な物体に似合う会話が思い付かない。冗談ではなく「ワレワレハウチュウジンダ」以外に浮かばない。
クスクスと笑う姿は(見た目に変化はないが)正しく幼かった。
『君は僕と戦おうとしてるね? でもちょっと待ってよ。お話したいんだ。出来れば、僕が飽きるまで』
「ふざけんな、うんざりだって言ったろ? お前の首を落として此処を出る。お前とのくそつまらねえ会話なんかもう御免だ」
『そんな事言わないで……だって、でないと君、死んじゃうよ?』
「……平坦に言うな、くそったれ」
こうも殺気の無い殺害予告もあるのか、と気押される。少ないとか隠しているとかじゃなくて、無かった。多少なりとも鉄火場には慣れたつもりでもこれには驚かされた。針の先ほどにも感じない敵意は初めてだったから。
右足を引き、警戒を露わにすると……またも意外。肩を震わせる事も顔を動かす事もなくラヴォスは声だけで笑った。けたけたと、無邪気に。
『違うよ違う……クスクス。僕が君を殺すんじゃない。此処を出たら、君は殺されるって言ったのさ。内部の僕が言ったでしょ? ──君は、時に殺される』何でこんな事も分からないのだろうと不思議がるように、抑揚をつけて楽しげに語り出した。
『自業自得でしょ? そりゃあ殺される。だって君は、沢山の生物を殺したんだから。数で言えば、僕と大差無いよ? いや後々を考えれば君の方が殺したかもしれない』
「……それは、未来を変えたからか?」
『うん。分かってたんだ? 例えば君は原始にて恐竜人を生かした。直接的に生かした訳じゃないけど、君が彼らと関わり交流を得た事で起きえた奇跡だ、君が助けたとしても問題無いだろう。その結果、恐竜人と人間との諍いは絶えず起こり、食糧面や地位の問題で戦争がまた始める。その際に潰えた命は百程度では済まない。例えば君たちが為した人間と魔物の共存でも、“そうならなかった未来で生まれるはずだった命が無かった”事になった。その数は千や万では終わらない。仮に僕を倒せば、僕がいたことで生まれた命が全て清算される……それは、君の仲間のアンドロイドなんかがそうだね。その数はこれから続く無限に等しい未来にも関わり……間接的に君が殺した命は億か兆か……それどころじゃないね、想像も出来ない単位になるはずさ。分かるかい? 君は歴史上最大最悪の凶悪人だ、凶人だ……殺されない訳がない』
「分からねえな、言いたいことも勿論だが、それで俺が誰に殺されるんだよ」その疑問を発した時、ラヴォスの声が不思議がる、から少々不満げな口調に変わる。何故ここまで言って分からないのか、と責めているようにすら聞こえた。
『何度も言わせないでよ。時にさ。もっと言えば君に殺された世界に、だ。恐竜人がいなければ平和に生き残れた人々から、魔物と共存しなければ生まれた初々しい命から。未来で強く逞しく生き抜いていく機械から、それらが生む怨念に君は殺される。怨嗟は力を生み運命を動かす。そうして君は殺される……教えてあげようか? 仮に君が生きてここから出られたら、どういう死に方をするか』
言いたくてたまらないという声音に呆れて、俺は何も言えなくなる。馬鹿馬鹿しい、くだらない。世迷言だ。そんなものがこいつに分かってたまるか、と。
……そう、俺が黙ったのはそういう理由だ。決して……ではない。
だというのに、ラヴォスはそれを肯定と取ったか、喜々として語り出す。
『君は……そうだ。ガルディアの王になるよ、君のお仲間のマールと結婚してね。その後同盟が為ったメディーナと共に盛大に祝福される。世界の王だ、救世主だ!! でも、それも長くは続かない。すぐに他国からガルディアは攻め込まれる。夜には包囲網が完成し、町と城は切り離される。するとどうだい? 修羅の住まう国と呼ばれたガルディアは抵抗を封じられる。そこで敵国は言うんだ、前国王と現国王、その両名を差し出せば民の命を助けてやるとね。ああ、ちなみに君の仲間、ルッカは当時外海に飛び出していて行方を掴めない。大失恋の末国を出るシナリオらしいね。後にガルディアに帰るけれど……その時はもうガルディアじゃない。おっと、それは今は良いか』コホン、と必要もないくせに咳払いを挟むのが、人間らしくて気持ち悪い。
『君は勇敢にも健気にも、前国王と共に敵国の兵士に身を差し出し処刑される。普通、民の為に命を差し出すんだから皆嘆き悲しむよね? でも君の場合は違う。皆言うよ、「無能君主め、お前みたいな平民上がりが国を治めるからこんなことになったんだ」ってさ。当然、その妻であるマールにも怒りは向けられる。君が首を刎ねられ川に晒された後、国を追われ、やがて自決する。見た目が良い彼女を狙う暴漢が彼女を襲った時、体を遊ばれる前に舌を噛んだのさ』
「やめろ、もう」
『ルッカはね、君もマールもいなくなった後一つの孤児院を立てる。まあ、深く言うのは止められてるから言わないけど、その孤児院が放火され、彼女は殺される。無残だね、体中串刺しだよ。ああ、最後の瞬間君の名前を呼んでる。でも助けられないよ、君はとうの昔に朽ちているんだからね』
「やめろっつってんだ」
『エイラは恐竜人との諍いの際責を問われ、最愛の人と共に生きたまま石棺に詰められて埋められる。中世に帰ったグレンは旅の途中子供に化けた、今だ人間を恨む魔物に腱を絶たれて犯され、殺される。死ぬ時には目に光は無いね。可愛そうに……ジャキはもっと滑稽だね。自分の姉に会えないと悟った彼は自分の記憶を消して名前をアル』
「やめろーーーーーッッッ!!!!!」
遮二無二魔力を放出して落雷を起こす。聞きたくねえどころじゃない。なんでそんな夢妄想を聞かされなければならないのか、ふざけるな化け物!!
『妄想? 事実だよ。僕は時を知ることが出来る。こんな事が出来るのは君が世界を壊してくれたからなんだけど。ゲートを知ってるだろ? あれは僕の力の副産物なんだ……って、これは君の仲間のルッカは知ってただろうけどね。あの子だけは、世界の仕組みに気付いてたみたいだから。時が狂い悲鳴を上げて、僕のゲートに逃げ込んでしまった。手当たり次第に鞄に詰め込むようなものさ。違いは、時に飽和は無い事。僕のゲートの中には、今や無限が内包されている』
「何度も言わせるな興味無いんだ今お前を殺すのにその妄想虚言に何の意味がある!!」一息に言いきって睨む俺を、尚も奴は不思議そうに見ていた。
『妄想じゃないよ……そう思いたいのも分かるけどさ。大体、何で君が怒るのさ? 君のお仲間を殺したから? それは外殻の僕であって、ここにいる僕じゃない。お門違いってやつだよ。そうだ、怒ると言うなら、僕が君に怒るべきだ』
「いまっ……!! 今更そんな戯言吐くな、外殻だかなんだか知らねえが、お前である事に違いは……待てよ、お前が俺に怒る?」
鋏状の手を擦り合わせて、ラヴォスは『そうだよ』と言う。その動作は、人間でいう指を鳴らすに近い行動だったんだろうか。
『僕はさ、知る事が好きなんだ。それだけなんだよ。なのに、君のせいだ、君のせいで全てを……未来さえも分かるようになってしまった』
妙な事を言う。信じちゃいないが、仮に……仮にこいつが未来を知る事が出来たとして、それが俺の行動が生んだ産物だとすれば、俺はむしろ感謝されるべきじゃないのか? ありとあらゆる事を知りたいと願うなら、俺はそれに手を貸した形になるのだから。
あくまでも、勝手な妄想に過ぎないが。
『不思議そうだね? しょうがないか。君はあんまり学が無さそうだから……失礼、そうじゃないね。君は何かを知る喜びを深く理解はしていないんだね』
「言い方を変えたって、同じだ」それもそうか、とラヴォスは笑う。
『良いかい? 本当に知識欲の深い人間は、奇妙な事に知ることじゃなく、知っていくことが好きなんだ。結果より過程を重視するものなんだよ。“これはこういうことなんじゃないか、こうなっていくんじゃないか”と想像していく、それが楽しいんだ。想像は知恵のある生き物全てにとって思考の快楽なんだから。だから、君の言う妄想はとても素晴らしい娯楽だと思うよ……でも、君は』
突如、がつんと頭に衝撃が走った。そのままに俺は後ろに倒れ後頭部を強かに打つ。痛みよりも、何をされたのか分からない驚きが先に立ち、反射的に上半身を起こし奴を見遣った。顔形は変わらずとも、先ほどとは違う怒気がラヴォスを包んでいた。
『僕に全てを与えてしまった。あらゆる未来と可能性を僕に教えてしまったんだ。つまらないよ、つまらない。僕は経験より先に結果を教えられた。染み込まされた。知る喜びを奪い取られた。これでは、僕は何を糧に生きていけばいいんだい? 侮辱だ、僕という生き物を根底から否定するような酷い行為だよ、鬼畜生、それ以下だ君は』
僕に限ってだけは、だけどねと最後に少しおどけた態度で締めくくるが、その怒りはあからさまに消えていないと分かる。ひたすらに両手をすり合わせて不協和音を奏でる様は、こいつ限定の不快である印なのだろう。
耳を塞ぎたくなる音を作りつつ、ぎしり、と足を一歩前に出してきた。歩行はのんびりとしているが、俺は動けない。当たり前に奴は俺のすぐ側まで近づいてきた。
『だから、君は僕と話すべきだ。沢山の事柄を僕に教えるべきだ。会話をして、僕を楽しませて、知る喜びを思い出させるべきだ。でないと不条理だろう、君が奪ったんだから。盗ったものは返すべきだ、返せないなら、等価値の物を渡すべきだ。つまり、君は永遠に僕と一緒に生きて、話相手になるべきなんだ』
「……気持ち悪いんだよ!!」
筒状の、電力を凝縮したサンダーを直線に放ちラヴォスに当てる。奴が下らねえ話を続けていた時から練っていた魔力は、下級の魔術にしても十分な威力を有していた筈だ。恐らく、相打ちにはならずとも魔王のサンダガを貫く程だと自賛出来る。
稲妻は一条の槍の如く、鋭く空気を裂きながら突き進む。火花を散らして手を伸ばす!!
──パス、という音が鳴った。
目を閉じる。愚行だ、眼の前だと言ったじゃないか。すぐそばに敵がいる、その上攻撃したのは俺だ。魔法を唱えたのだ、次弾はそう早く装填出来ない。であるのに俺は呆けてしまった。
だって、嘘みたいだ。仰け反る事も、守る事もせずただ俺の魔力は霧散したのだから。魔力壁は無い、そんなものがあればそれ相応の音が弾けてもおかしくない。体表が硬すぎて、というなら同じく痕や音が鳴る筈だ。眠る赤子を起こす事も無いだろう小さくみすぼらしい音は、そういうことじゃない。
『あはは、何それ。魔法かい? 人間が生んだ奇跡かあ。効かないよ、当たり前でしょ? だって僕は』
「ゼイッ!!!」
腹筋を使い前に転ぶような構えで飛び込み、ラヴォスの横を通り過ぎる形で剣を払う。瞬間に魔力を練って、出来そこないに筋力を強化。体の中を流れる電流は荒く、節々に悲鳴を上げたくなるような痛みが走ったが、それでもいい。確かめなければならない。否定しなければならない。
だって、俺の考えが正しいなら。
『……全ての生き物の遺伝子を持っている。歴史上全生命体の優れたモノを内包している。いや、この星に在るモノ全部の性質を持っているんだ。それって、どういう事か分かる?』
俺の目の前には、無数の煌びやかな破片が舞っていた。一つ一つが視認できる理由は、各々が眩い光を反射しているからだろう、その彩は美しく七色に見える。鮮やかな光景だと想う。必要以上に砕けたそれらは、見紛う事無く俺の刀。魔法王国の頭脳であり三賢者であり世界最高の鍛冶屋であろうボッシュが鍛えた名刀虹の無残な姿だった。
声が、出なかった。嗄れているのだろう、掠れた呼吸が聴こえる。
いや、もうつまらない言い回しは止めよう。砕けたのだ、俺の持つ全てを切り裂けると信じきっていた虹が。俺の刀が。魔法が効かない奴に対抗する唯一の攻撃手段が。
『つまりさ……無駄なんだよ。この星に生きた生物が生み出した魔法も、この星から削り出した鉱石で鍛えられた武器も。単純な事だよ、この星に存在する全ての攻撃方法は僕には通じない。僕を倒したければ、宇宙から飛来する隕石でもないと不可能さ。まあこの星ごと爆砕するようなサイズの隕石でなきゃ傷一つ付かないだろうけどね』
「……どんな魔法でも、効かないのか」聞いて答える訳がない、弱点の有無を敵に問うという愚行を犯す俺。されど、ラヴォスは間を置かず口を開いた。
『そうさ。君の持つ魔法、シャイニングでも、またルッカのフレア、ジャキのダークマター、グレンのグランドリオン、マールの氷塊、エイラの豪力……今はもういないけれど、プロメテスのレーザー。そのどれも僕には無意味だ。魔力量とか、威力とかじゃない。僕には効かない、理屈じゃなくて“そういうもの”なんだよ』
そういうもので片付けられてしまう、それがラヴォスなのか。
……内部の僕とやらが自慢げに話していた事を思い出す。自分は星の代行者であると。それをそのまま鵜呑みにする気はないが、なるほどラヴォスの力は星そのものであると言えるだろう。この星に生きている限り、この星を出ない限り奴に傷を負わせる事は出来ないのだから。ありとあらゆる性質を持っている為、魔法は愚か、武器や打撃すらも無効化してしまう……ああくそ、理屈じゃないと諭されても意味が分からない。こういうのはルッカや魔王の得意分野か。
そうか、そういうことか。だからこそのラヴォスか、この旅の最終目標か。出鱈目なんてものじゃない。卑怯とか圧倒的とかでもない、そんな次元を超えちまってる。どうあっても倒せないんじゃ、知恵を働かせても根性を出しても無意味なんだから。
『──その割に、目が死んでないね』
……だから、人の心を読むなよ。お前みたいな存在には簡単な事なのかもしれないけどさ。
「冗談言うなよ。正直参ってるさ、嘘じゃない」
『だよね。僕もそう思うよ、だって君が勝つ方法なんか一切無いんだから。でも……君、笑ってるよ? 気付いてない?』
「馬鹿言え、自覚してるさ」
そりゃあ、笑う。笑わない訳がない。こうまであいつの思い通りになるなんて思ってない。とことん馬鹿な癖に、呆れるほど無知な癖に、こういう先読みは出来るんだなあの馬鹿は。
右手を宙に翳す。その際、半端に破れている服を破り取る。上半身裸の状態ってのは思いの外解放感があるね。何でもできそうだ、と勘違いしてしまう。
「変な性癖とかじゃねえぞ?」
『……何も言ってないのに、変わってるんだね』
「言わなきゃ良かったか、くそ」
改めて、右手を翳す。そこには当然何もない空虚があるだけ。掴んでも掴んでもあるのは生暖かい空気のみ。それを幾度も繰り返す。幾度も幾度も飽きる位に。
すかすかと空を切る五指は滑稽に映るだろうか。暫くそれを見ていたラヴォスは俺の目の前に腕を差し出した。『それは、何かの遊びなのかい?』と言う。
遊びとは聞き捨てならない。こちらは目一杯に真剣なのだから、甘く見てもらっては困る。
「もうすぐさ、形が成るまで、な」
『形? 君には召喚呪文は使えない筈だよ? それとも言葉通り形成呪文? どちらにせよ、君に扱える魔法にそんなものはない』
「当たり前だ、俺はそんなに器用じゃねえ。今から俺がやることはただ借りるだけだ」
『借りる?』
「はっ、当ててみろよ。何でも知ってるんだろ?」侮辱の類と受け取ったか、微かにむっとした気配を乗せてラヴォスが言葉を吐いた。
『気でも狂ったかな。もういいよ、お話ししよう? 君とは話したい事が沢山あるんだから。例えば──』
それから、ラヴォスは延々と話し始めた。やれ星が生まれた理由、魔族とはいかなるものか、グランドリオンとはどういう剣で、実は魔剣にも成り得る、さっきの妄想の続きかこれからのガルディア、猫がどうとか。酷くつまらない話だった。
奇妙な空間だ。この広く何もない場所でふざけた化け物と人間である俺が向かい合って立っている。片方は熱心に(言葉だけで判断するなら)語りかけ、もう片方は同じ動作を繰り返すだけ、相槌も挟まない。それでもラヴォスは満足らしいが。
籠った声は絶え間無く、俺の動きもまた止まない。各々が違う行動を起こし、その実各々互いに何らかのアクションをするべく行動している。俺は奴を倒すため、奴は俺と会話をするため。ちぐはぐながら、お互いを必要としているのだ。俺のそれと奴のそれとではまるでベクトルが違うが。
さあ、そろそろ良いだろう。『これ』を出すのは魔王との模擬戦以来だが、その時と全く同じ。魔王にはこれが何かを説明していない。すれば、あいつは必ず言及し最悪奪い取ったかもしれない。それは、少し困るし何より手渡す方法も分からない。これは俺だけが使える代物なのだから。
──ふと、過去を思い返す。といっても昔の話じゃあない。俺の仲間たちがハッシュの助言を理解し、飛び立っていった直後の話だ。
あの時、いや俺が生き返って死の山に降り立った瞬間から……聴こえたんだ。声が。酷くせわしい、なのに耳障りじゃない優しく朗らかな声。少し、寂しそうな声を。
ああ聴こえたさ。だから俺は跳んだ、あのバケツの中に。本当なら1999年に跳ぶべき所に。
多分、そのまま身を任せれば世界崩壊の瞬間に立ち会えたのだろう。けれどあの時空を超えていく中……違う道が見えた。か細い糸が伸びていたのだ、手を伸ばす事に躊躇いは無かった。
そこからどう移動したのか分からない。記憶が曖昧なのだ、バケツの中に入ってからの記憶が靄がかかったみたいなんだ。何一つ鮮明に思い出せやしない。でも、会話をしたのは覚えてる。なんとなく、会話の内容も掴み取れる。
その内容はなんてことのないもの。多分、元気だったか? とか辛くないか? とか当たり障りのないつまらない会話。そのどれもをあいつは喜んでくれた。手を叩いて俺との再会を祝ってくれた。それが……たまらなく嬉しかった。
“握る右手が、何かを掴んだ”
また会えるかなって、何度も聞いた気がする。その度あいつは頷いてくれた気がする。
それはいつかなって、幾度も問うた気がする。その度あいつは首を傾げていた気がする。
じゃあ、俺から会いに行くぞって、何度も言った気がする。その度あいつは…………
“掴んだものを引きずりだす。抵抗は無い。するすると俺の手に馴染む。最初から、生まれた時から握っていたみたいに”
──あまり待たせないで下さいね、赤い人──
笑って、いた。
「あああああああああああああああああああ!!!!!!!!!!!!!!!」
俺の放った斬撃は、いとも容易くラヴォスの右腕を断ち切った。
『……え?』
──刮目して見るが良い。是、刀にして刀に非ず。形にして形を取らず。存在を成して存在を許されぬ物也。何物をも切らず何一つ断つ事が出来ぬ──
──其れは斬るのでは無い、ただ散らすのだ。殺すのではない、戻すのだ。不条理も平等に、在らざる物を在らぬ物に。唯一つの空虚へと──
──されば、散らされる物は消えてゆく。その様は正しく夢か幻の様に消えてゆく。是に銘は無い。だがもし仮に名があるとすれば、付けるとすれば──
「──夢幻。この世界に存在する筈が無い、唯一の刀だ。これなら……」
未だ右腕を失った事に愕然としているラヴォスへ、俺は切っ先を向けた。その刀身は白く、柄は無色透明。鍔は無い、柄色を除けば凡庸も凡庸、不完全とさえ言える刀、夢幻。
そうだ、この刀はこの時この場所この敵の為に存在を許されたのだ。あいつの許可を得て顕在している。
「テメエを殺せるな? 高みから見下ろしやがって……」
魔法は効かずこちらの体力は底が見えている。でも零じゃないのだ、勝ち目はすぐそこに。
さあお互いスタート地点だ決着だ。相手ばかりが有利な戦いには飽き飽きなんだ、もう良いだろうそろそろさあ。どちらも同じ土台で、一方的に強いとか死なないとか面白みのない設定も小細工も無しだ。最期の闘いってのはそうあるべきだ。
「引きずり下ろしたぞ、星を統べる代行者さんよ? ただの人間の小僧に、なにも知らねえただの阿呆と同じ土台に立たせたぞ? これも、知ってたのか」
『……あ? え。何で……? それ、何なの?』
「だから、夢幻だ。呆けてる所悪いが……待ってはやらねえぞ」
そして、俺は夢幻を前に突き出す。何も無かったように刀はラヴォスの腹に入り込み、右に払う。血も何も出ないが、確実に奴の気配が薄れた。それはそうだ、効いていない訳がない。これはお前だけの為に存在する刀なんだから。
「終わろうぜラヴォス。長い旅路だった、俺にはこれから皆と話したい事も、これからの事も考えたい。旅を振り返る一時があれば最上だ。でもな……そこにお前はいらねえ。俺の旅はここで終わる!!!」
一度距離を取り、後ろ脚を踏み出して大きく切りかかる。大上段に構えた一閃は奴を別つ為には十分なものだった。
『……あはは、なんだ。これって凄く…………面白いじゃないか』
時を越え、歴史を変えて運命に逆らい誰かと出会い誰かと別れる。
旅は終わる。終息は近い。手を伸ばさずとも触れるほどに、密接に、間近に。
思い出すだろう、夢を見たことを。彼らはそう、夢を見ていたのだ。