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No.20619の一覧
[0] 星は夢を見る必要はない(クロノトリガー)【完結】[かんたろー](2012/04/28 03:00)
[1] 星は夢を見る必要はない第二話[かんたろー](2010/12/22 00:21)
[2] 星は夢を見る必要はない第三話[かんたろー](2010/12/22 00:30)
[3] 星は夢を見る必要はない第四話[かんたろー](2010/12/22 00:35)
[4] 星は夢を見る必要はない第五話[かんたろー](2010/12/22 00:39)
[5] 星は夢を見る必要はない第六話[かんたろー](2010/12/22 00:45)
[6] 星は夢を見る必要はない第七話[かんたろー](2010/12/22 00:51)
[7] 星は夢を見る必要はない第八話[かんたろー](2010/12/22 01:01)
[8] 星は夢を見る必要はない第九話[かんたろー](2010/12/22 01:11)
[9] 星は夢を見る必要はない第十話[かんたろー](2011/08/02 16:03)
[10] 星は夢を見る必要はない第十一話[かんたろー](2011/01/13 06:26)
[11] 星は夢を見る必要はない第十二話[かんたろー](2011/01/13 06:34)
[12] 星は夢を見る必要はない第十三話[かんたろー](2011/01/13 06:46)
[13] 星は夢を見る必要はない第十四話[かんたろー](2010/08/12 03:25)
[14] 星は夢を見る必要はない第十五話[かんたろー](2010/09/04 04:26)
[15] 星は夢を見る必要はない第十六話[かんたろー](2010/09/28 02:41)
[16] 星は夢を見る必要はない第十七話[かんたろー](2010/10/21 15:56)
[17] 星は夢を見る必要はない第十八話[かんたろー](2011/08/02 16:03)
[18] 星は夢を見る必要はない第十九話[かんたろー](2011/08/02 16:04)
[19] 星は夢を見る必要はない第二十話[かんたろー](2011/08/02 16:04)
[20] 星は夢を見る必要はない第二十一話[かんたろー](2011/08/02 16:04)
[21] 星は夢を見る必要はない第二十二話[かんたろー](2011/08/02 16:05)
[22] 星は夢を見る必要はない第二十三話[かんたろー](2011/08/02 16:05)
[23] 星は夢を見る必要はない第二十四話[かんたろー](2011/08/02 16:05)
[24] 星は夢を見る必要はない第二十五話[かんたろー](2012/03/23 16:53)
[25] 星は夢を見る必要はない第二十六話[かんたろー](2012/03/23 17:18)
[26] 星は夢を見る必要はない第二十七話[かんたろー](2011/08/02 16:06)
[27] 星は夢を見る必要はない第二十八話[かんたろー](2011/08/02 16:06)
[28] 星は夢を見る必要はない第二十九話[かんたろー](2011/08/02 16:06)
[29] 星は夢を見る必要はない第三十話[かんたろー](2011/08/02 16:07)
[30] 星は夢を見る必要はない第三十一話[かんたろー](2011/08/02 16:07)
[31] 星は夢を見る必要はない第三十二話[かんたろー](2011/08/02 16:08)
[32] 星は夢を見る必要はない第三十三話[かんたろー](2011/03/15 02:07)
[33] 星は夢を見る必要はない第三十四話[かんたろー](2011/08/02 16:08)
[34] 星は夢を見る必要はない第三十五話[かんたろー](2011/08/02 16:08)
[35] 星は夢を見る必要はない第三十六話[かんたろー](2011/08/02 16:07)
[36] 星は夢を見る必要はない第三十七話[かんたろー](2011/08/02 16:08)
[37] 星は夢を見る必要はない第三十八話[かんたろー](2011/08/02 16:07)
[38] 星は夢を見る必要はない第三十九話[かんたろー](2011/08/02 16:06)
[39] 星は夢を見る必要はない第四十話[かんたろー](2011/05/21 01:00)
[40] 星は夢を見る必要はない第四十一話[かんたろー](2011/05/21 01:02)
[41] 星は夢を見る必要はない第四十二話[かんたろー](2011/06/05 00:55)
[42] 星は夢を見る必要はない第四十三話[かんたろー](2011/06/05 01:49)
[43] 星は夢を見る必要はない第四十四話[かんたろー](2011/06/16 23:53)
[44] 星は夢を見る必要はない第四十五話[かんたろー](2011/06/17 00:55)
[45] 星は夢を見る必要はない第四十六話[かんたろー](2011/07/04 14:24)
[46] 星は夢を見る必要はない第四十七話[かんたろー](2012/04/24 23:17)
[47] 星は夢を見る必要はない第四十八話[かんたろー](2012/01/11 01:33)
[48] 星は夢を見る必要はない第四十九話[かんたろー](2012/03/20 14:08)
[49] 星は夢を見る必要はない最終話[かんたろー](2012/04/18 02:09)
[50] あとがき[かんたろー](2012/04/28 03:03)
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[20619] 星は夢を見る必要はない第四十四話
Name: かんたろー◆a51f9671 ID:9726749e 前を表示する / 次を表示する
Date: 2011/06/16 23:53
「今すぐに戻るべきではないのか? 俺たちが戻れば状況を変える事も可能かもしれない!」


 グレンが魔物たちによって攻め込まれているだろう世界を想い叫んだ。その顔にはありありと焦燥が滲んでおり、またその心配の対象がA.D.600年中世のガルディア王国、中でもとりわけ王妃であることは自明の理であった。
 黒の夢を訪れる前とはまるで違う狼狽した様子に、彼女がどれほど己が国を、大切な恩人を想っているのか想像に難くない。本来ならば、すぐにでもシルバードの乗り蜻蛉返りしたいのだろう。
 だが、赤髪の青年──クロノは許さない。首を振って「それは駄目だ」と切った。


「仮に入り口の扉を破壊して、俺たちが元の時代に帰っても、あいつはまた魔物を送り込むぜ? ここにいる魔物が三千と言ってたが、増やせないとは言ってない。延々魔物を撃退し続けるだけだ。なら俺たちの出来ることは元を絶つ事だろ? ……大丈夫さ、中世には魔王が向ってるし、それに……」


 クロノは後ろを振り向き、同じ時代の出身者であるルッカを見た。彼女は不安そうにしながらも、力強く頷く。その通りだ、お前は間違っていないと告げるような肯首だった。それを見て、クロノは一つ笑い、黒の夢深部に向かい走り出した。彼を追ってルッカも、まだまだ迷っている様子のグレンも走り出す。
 後ろ髪引かれるように何度も入り口を見遣るグレンへ、クロノは言った。


「安心しろ、人間は……いや、俺たちの世界はそうヤワじゃないはずだ」


 言い切って、前を見る。
 彼の目には不安がある、迷いがある。けれど、それに負けぬほどの自信も備わっていた。
 彼らの戦いは、まだ先の事となる。まだ時間がある。
 ではその前に、始めようではないか。世界の鳴き声を聞こうではないか。抗う姿を拝もうではないか。
 戦いはまだ、始まったばかりである。












 星は夢を見る必要はない
 第四十四話 中世現代間による、魔物と人間のあり方、またその過程












 時はA.D.600年中世。この魔王軍との戦いを強いられていた世界には、皮肉にも魔王本人が守護者として選ばれた。トルース裏山よりゲートを通じ現れた彼はすぐさまに黒の夢付近の海上へと向かい飛び立った。
 トルース村を襲う魔物どもを殲滅するほうが先であると、考えなかったわけではない。黒の夢より這い出てきた魔物どもによって引き裂かれる人間の叫び声を聞いた時、そうしようかと迷わなかったわけはない。彼とて人間、冷徹を気取りながらも、彼は愛情を得て育ってきたのだ。悲しみも怒りも善の心は人と同じく……いやその育ちと環境ゆえ、それは人一倍かもしれない。
 だが、聴こえたのだ。兵士たちの声が。恐らく城より派遣されたのだろう、今現在村を救おうと奮闘している彼らに自分が姿を現せば混乱の極みとなるのは間違いない。下手を打てば、黒の夢を操っているのは魔王本人であると勘違いされかねない。そこまで考えて、彼は単独に黒の夢より現れる魔物たちと相対しようと決心した。
 既に世界各地に散らばりゆく魔物たちを追うよりも、今から現れる魔物の大群を消し去ったほうが効率的であると踏んだのだ。
 地上の戦乱をなるだけに無視して、心落とさぬよう無心を心がけ、断腸の思いで魔王は飛ぶ。そして、いつしか黒の夢から数百メートル程離れた海上地点に辿りつく。目の前には蜘蛛の子を散らす勢いで溢れ出てくる魔物たち、そのどれもがラヴォスの力を得た化け物たち。少なくとも、魔王城にいた魔物どもでは手に負えんだろうな、と魔王は分析した。彼の目の前に浮遊している魔物の数は、千を超える。主戦力なのだろう、万が一……いや億が一に各地にばら撒かれた仲間の魔物が苦戦すればここから増援に向わせるつもりなのか。


「……なに、所詮はただの屑の集まり。私の敵ではない……」


 嘘だ、と魔王は自分に毒づいた。敵の質も当然、千の魔物を相手取るなど、途中で力尽きるのは眼に見えている。いかに自分が強大な力を秘めているとはいえ、戦いを研鑽し磨きぬいてきた自負があるとはいえ、想定している戦闘にこのようなものは無かった。単独対軍レベルの数など、想定するほうがはなからおかしいのだが。それは戦いではない、象が蟻を踏み潰す行為に等しい。


「ゲゲゲ……おや我らの所へ来たか、ジール様に仇なす者は。好都合だが、ゲゲゲゲ!!!」


 背丈五メートルを越す大型の魔物が近づいてきた魔王に気付き、笑う。魔王はその下卑た笑い声よりも、自分がどのような者なのか知られている事に嫌悪感を抱いた。下種が自分を見ているだけで吐き気を催すと魔王の目は鋭くなっていく。彼自身気付いているのか、彼が怒っているのは目の前の魔物が数瞬前まで黒煙を上げ悲鳴がそこかしこから響く村を見て愉悦を浮かべていたからである。内心のそれに構う事無く、魔王は容赦なく火炎を作り出し魔物の群れに放った。
 空中にて渦巻く炎の雄叫びは海を蒸気に変えていきながら、百の魔物を呑み込む。続けざまに電撃、氷雨、加えて重力球をぶち込む。凡そ、百から二百の敵に損害を与えたのでは、と魔王は計算した。ファイガ、サンダガ、アイスガ、ダークボム。それぞれ込めれるだけの魔力を込めて放ったのだ、消費した魔力は馬鹿に出来ずとも、長期戦になれば体力を削られ不利と悟り、彼なりに最大最高の連撃のつもりであった。
 しかし……海中に魔物が落ちる音は、僅か三十。魔王に話しかけた魔物は無傷で笑っている。胸の前で手を叩き、「恐ろしい、恐ろしい!」小ばかにするように目を吊り上げていた。


「それで全力か。よもや、それで我らがラヴォス神に害を為そうなどと、とんだ法螺を吹くものよ……行け貴様ら」


 リーダー格だったらしい魔物が手を振りかざすと、後ろの控えていた羽を持つ魔物たちが一斉に飛びかかる。魔王は鎌を出現させ、円に振り回した。その速度、タイミング申し分ないものだったが、それにより撃墜したのは三匹。代わりに三度の爪による引き裂きが彼を抉った。辛うじて軽傷といえるのは、偏にビネガーたちより譲り受けた絶望のマントのお陰であろう。背中からじくじくと血液が漏れ出すも、彼はそれを気遣う様子はなく悪鬼のように叫び、孤軍奮闘している。
 終わりなく続く魔法の攻撃、爪の連鎖、巨大な鉄槌を頭に落とされようとも、魔王は鎌を振り、魔法を唱えて死を呼び出していた。


(終わらぬ……!)


 囲まれる前に空を翔けその場を移動する。追いかけてきた魔物をそれぞれに撃破、また逃げるといった戦法を続けても、そうなれば近づかず狙撃される。仮に肉弾戦へ望みを賭けても数の暴力に圧倒される。魔王が己を奮い立たせ、獅子奮迅の動きを見せれば見せるほどリーダー格の魔物は喜んでいるようだった。魔物は、正しく嬲り殺される猫を観察するような目つきで傷を体中にこさえる魔王を見ていた。
 五度目のサンダガを唱えた時、魔王はちっ、と舌打ちを落として翻りもう一度距離をとった。当然狙撃の魔術が雨あられと降り注ぐが、それにはマジックバリアを張り急を凌いでいる。ばりばりと見る間に結界は剥がれ落ちていくが、微かな時間を得る事は出来た。


(どうする、連携に及び数も尋常ではないが、何よりもこやつ等の生命力が突き抜けている……)魔王の懸念、というか彼を疲労させているのは魔物たちの防御力である。三種の属性魔法を直撃させても堪えないのでは、いくら人間では考えられない魔力量の魔王でも分が悪い。中には、彼の渾身のサンダガを身に受けても突進を止めない魔物までいた。単純に雷撃に強いのか、それとも魔法そのものに耐性があるのか。どちらにしても、彼は不利以外の何者でもなかった。
 鎌で敵を薙ぐ事は出来る。一振りに二、三の魔物を殺す事も可能だった。しかし、その二、三の魔物を屠る間に彼がダメージを負うのは確定だと知れている。今結界を張りながら回復呪文を唱えている彼は、既に頭蓋と肋骨に皹が入っていた。腕も碌に上がらず出血箇所は数えるのも馬鹿らしい。群れに突っ込んでは到底もたないと、魔王自身が最も熟知していた。
 既に、勝ちの目は無い。


「……玉砕、か」


 思えば、と魔王は魔物たちの嘲笑のせいで誰にも聞こえない独り言を呟いた。「思えば、サラ以外の為に身を滅ぼそうとした事など、無かったな」
 元来、彼の生きる目的とは己が姉を救う為、その一心でしかない。その為にクロノたちと手を取りラヴォス、引いてはジールを倒そうと一度は折れた膝に力を入れて立ち上がったのだ。そしてその思いは今でも変わらない。


(では何故、今私は立っている。後ろにいるだろう人間の村の為か? ……認めよう、それも無いわけではあるまい、所詮私もか弱き人間であるか)だが、と心の中で否定の言葉を置く。決してそれだけではないと魔王はそれ以外の可能性を模索してみた。
 するとどうだろう、探すまでも無かったという答えが帰ってきただけだった。目の前の壁にボールを当てれば戻ってくるのは当然の帰結なのだ、と言われているようだった。


(私は、この世界を……この薄暗く、戦いに明け暮れて、己を強くする為だけに生きてきたこの世界を、来る時の為だけに踏み台としていたA.D.600年を……)


 ──存外に、嫌いではなかったのだ。人間も、魔物も。


(人間……そうだな、あのサイラスとかいう男、確かに人間にしては素晴らしい力を持っていた。それは私の部下ども全員が認めていた事実。奴ら、私に知られぬようひっそりと奴の遺体を安置していた所からして、間違いないだろう……そして、)彼が思い浮かべたのは、あの憎たらしく、自分に突っかかってくる女性とも言いがたい蛙女、グレンの事。彼は間違いなくグレンを嫌っていた。彼女の生き方も不器用な性格もこれと決めたら頑として変えぬ所も負けず嫌いな点も全て気に入らなかった。何より彼が気に入らなかったのは……


(奴め、私と違い早すぎるではないか、大切な者が消えてから立ち直るまで、奴は迷いながらも自分を鍛えていた。誰にも負けぬよう、己の親友は素晴らしい人物だったと証明するように)


 自分に無かったものを持っている人間を、魔王は嫌う。だからこそ、自分に出来なかった事をやろうとしたクロノを嫌う。自分には出来ない、他人を明るくさせる力を持つマールを嫌う。誰にも負けぬ情熱を抱いたルッカを嫌う。何年生きようがその純粋さを失わぬロボを嫌う。自分よりも大切な誰かを想い、守り、遠く離れてもそれは変わらぬエイラを嫌う。
 ──自分には無い強さを持つグレンを、忌み嫌い、そして……尊敬してしまうのは。彼が素直でないからか、これ以上も無く素直だからなのか。
 想ってしまった、彼は必死に否定しながらも想った。彼らに会えた事で自分は自分を確認できたと。そしてそれが為ったのは自分がこの時代で生きていたからこそなのだと。
 間違いなく、魔王がこの地で行ったのは褒められる事ではない、忌まわしいとされる行為だろう。でも頑張ったのだ。子供の身でありながら、必死に学び魔王軍を作り出した彼はこの上なく頑張ったのだ。


(そうだ……形振り構わずだった)


 振り返ってみよう。彼が作り出した魔王軍がいかな効果を齎したか。人間の土地を奪い、命までも奪った。その数は恐ろしく、魔王軍との戦いで作られた死人の数は万に迫るだろう。
 では、それまでに人間によって不当に殺された魔物の数は?
 例えばの話、それを人間に聞いてみればこう答えるだろう。「不当ではない、魔物を殺して何が悪いのだ」と。「魔物は人間を食うではないか」と。本当にそうだろうか? 魔物は人間を食うのだろうか。それは事実、魔物は人間を喰らう。だが喰らわぬ魔物もいる。現に、魔王軍に在籍する魔物たちのほとんどは人間を喰らわない。大半が森に生息し、人間と同じく木の実や魚、動物の肉を食べて暮らしていた。ひっそりと生きていた魔物たちを殺し始めたのは、なんのことはない、人間だった。魔物の毛皮は高く売れ、その臓物は一部の人間にとって美食の品として扱われたのだ。見世物小屋にて魔物の子供を売りにしたり、裏では女性型の魔物を無理やりに性解消の道具として扱っている所まであった。さらに、生きている魔物の解体劇や魔物同士の殺し合いを強制する闘技場。弾圧とは正にという現状だった。その真実を知った魔王が、心の底では慕っていたビネガーたちを想い結成したのが魔王軍である。
 魔王は、また魔物も自分たちを正義とは決して考えていない。彼らも同じ事を人間に強いたのだ。流石に人間を売り物にはしなかったが、非戦闘員である村人を殺し、不当に人間の兵士の屍を操り戦わせた事もある。外道と言うならば、己たちも外道であると理解している。勿論、恨みは消えないが。


(私は、想いの外恵まれていたのか?)


 魔王の張った結界が音を立てて崩れ去った。魔法障壁はすっ、と透明に変わり消えていく。無防備になった彼の体を射抜く数十の魔法の矢。魔王はボロキレのようにひらひらと海へ落下する。
 しかし、その落下はゆっくりとしたものから急停止する。既に虫の息と見た魔物の一人が全速で近寄り、彼の胸元を捕まえたのだ。


「これで終わりだ、虫ケラ」


 片腕で彼を捕まえている魔物は、最初に魔王を挑発したリーダーらしき魔物だった。爪を伸ばし、残った右腕を後ろに大きく振って……魔王の腹に突き刺した。彼の背中からてらてらと血で濡れて光る爪が貫通して顔を出している。否応も無く、魔王の口から大量の血液が零れ、魔物の顔に飛び散る。それを長い舌で舐め取り、魔王を刺した腕を叩きつけるように振った。
 勢いで爪が抜けた魔王の体は、大きな水しぶきを上げて海へと落ちる。最早浮かび上がろうともがく力も残されておらず、魔王の体は深く深く沈んでいった。




          ※




 中世ガルディア城は混乱の極みとなっていた。突然現れた魔物の大群の知らせを聞いて、国王はすぐさまにトルース町に軍隊を派遣した。その直後、城にも同じように魔物たちが大挙し始めたのだ。ただでさえ魔王軍との戦いで疲弊していた騎士団は城門を守りきる事さえできず、城内に多数の魔物に侵入を許してしまう。既に直属騎士団から近衛兵までに大半の死傷者が現れ士気などあって無いようなものであった。
 ただ、今この状況に置いても逃亡する兵士が誰一人いないのは、何の奇跡であろう? 兵士たちの考えはただ一つ。「国王と王妃を守れ」である。
 彼らの忠誠心は兵士の域ではない。それもそのはずであろう、この城とも呼びがたいほどに壊滅しているガルディア城に、国王王妃ともに残っているのである。それも、逃げ出す準備などもしていない。ただ王の間にて座っている。
 勿論、大臣を始め重臣たちに逃亡を進められたのだが、国王と王妃は声を揃えて発言した。「王族が逃亡するなど、冗談であろう」と。
 その言葉を聞いた兵士たちには、彼らの言葉がこう聞こえたのだ。「国を守る兵士が逃亡するなど、冗談であろう」と。
 なるほど、では逃げられぬ。国の王たる人物が玉座で我らを信じておられるのだ。この国の騎士達は一騎当千に魔物どもを蹴散らすと心の底から信じている。剣を捧げた我らがその期待を裏切っては何を為せというのか。出来ぬなれば、肩をいからせて兵士になど立候補せず、腰を曲げて畑を耕しておれば良かったのだ。
 そう、彼らに逃げ場は無い。ゼナン橋の一件と同じである。そしてそれに酷似した状況でもある。何故ならば……


「かかって来ますか下郎たち。良いでしょう、我が拳を受けてなお立つというならば、貴様らの醜い姿を覚えておいてあげないではないですよ」


 朗々と魔物たちに両の拳を向ける王妃が、兵士たちに混ざり戦っているのだから。
 王妃が前線に出て魔物と戦う。これには、先と同じく重臣と大臣が異を唱えた。「王妃様はどうか国王と一緒にいて下され」と。
 その言葉を聞いた王妃はきょとんとして言った。「我が夫が戦える者に戦うなと仰る訳がありません。例えそれが王妃であろうと。ですよね?」と。言われた国王は苦笑しながら「あまり城の物を壊すでないぞ」と言った。それを聞いた兵士たちは内心で国王に口には出来ない悪口を散々に叩いた。


「ふざけるな、王妃が前に出たら俺たちの活躍が無いではないか」「ついでに、逃げ道も無い」「これでは何か、兵士である俺たちは王妃様以上の活躍をしろと言うのか」「馬鹿な、“あの”王妃様に勝てと言うのか!? さらには王妃様に傷をつけぬよう守りながら戦えと!? 俺たちを信じるのもいい加減にしやがれ尻引かれ国王め!」口に出せば厳罰間違いない罵詈雑言を敬語など無視してぎゃんぎゃん騒いだ。あくまで心の中で。


 そして、彼らの心は一つになる。文句はあれど、不満もあれど、結論は同じだった。
 それでこそ、我らが忠誠を誓ったガルディアであると。
 一人魔物たちを相手に素手で立ち向かう王妃を横目に、兵士の一人が、隣の兵士に話しかけた。どちらも壁にもたれている。二人の間に流れる砕けた空気から、友人であることが窺えた。


「なあ、なあピエール。お前、まだ行けるか?」
「ああ大丈夫だ。王妃様が頑張ってるんだぜ、死ねるかよ、俺たちガルディア騎士団がそう簡単に死ぬわけないだろ?」ピエールと呼ばれた男はにっ、と歯を見せた事で、話しかけた兵士にも笑顔が浮かぶ。
 彼らの腹は、お互いに真横に裂かれ、内臓がこぼれ始めていた。回復呪文を用いても、生き残れるかどうか、という重症だった。されど、その痛みを顔に出さず二人は王妃の戦いを見ていた。王妃は美しいドレスの裾を破き、煌びやかな髪飾りを捨て、がむしゃらに敵陣へと突っ込んでいる。その姿は、昔話に出てくる勝利の女神と同じに見えた。細腕から繰り出される突きは巨大な魔物を吹き飛ばし、壁に叩きつけた後、後ろの壁ごと魔物を蹴りで破壊する。兵士を鼓舞しながら舞うように戦場となったこの城を走っている。


「……遅いな、ビッグスの奴。そろそろ俺、眠たくなってきちまったよ」朧な目で王妃を視線で追う兵士に、ピエールがその肩を揺らす。「安心しろ、ほら、もうビッグスが来たぞ、起きろよウェッジ」
 眠そうに目を擦りながら兵士──ウェッジはピエールの指差した方向に目を遣る。確かに、城の通路の奥から何かを抱えた兵士が息を切らしながら走ってくるのが見えた。彼、ビッグスは「悪い、遅くなった!」と声を荒げて荷物を二人の前に落とす。散らばったのは……大量の爆薬であった。「火薬庫から持ち出してきた。これ以上は持てなかったんだ……悪い」
 頭を下げるビッグスに、ピエールが「充分だよ」と顔を上げさせる。ビッグスを除く二人がその爆薬を分けて両手に持つ。その後、満面の笑みで怪我の無いビッグスの腕を叩き、「じゃあ、後頼んだ。王妃様をよろしくな」と言って魔物の密集している場所に飛び込んでいく。
 とても兵士らしい戦いではない、おそらくそのような戦いを王妃は許さないだろう。長年三人でつるんできたのに、置いていくんじゃねえ。そんな文句を飲み込んで、ビッグスは簡略化した敬礼を彼らの後姿に送り、王妃の援護へと走り出した。
 二度、城内で爆発音が響いた。









     ※現代※









 常に祭りの喧騒を誇っていたリーネ広場は轟轟と燃えていた。屋台を出していた人々や、踊り子たち、演奏者からレースに熱を上げていた者。全員が逃げ回り、悲鳴を上げては魔物たちに背中から襲い掛かられて命を消していく。
 現代を守るべく時の最果てより降り立ったマールは、この現実離れした光景に一瞬心を失った。一度、ジールでも経験したことではある。町の人々が殺され、逃げ惑う姿を見た事はあるが、これは違う。言ってしまえば、ジールの人々は他人であった。勿論リーネ広場にいる人々も他人だが、自分と同じ娯楽を共有した仲間的観念が彼女にはあった。何より、ここは彼女が生まれて初めて外に出てから遊んだ場所でもある。彼女は家族を失っていくような喪失感と、思い出を汚されたような憤怒が体中から溢れてきて、動きを止めてしまったのだ。
 よろよろと、燃え盛る道を歩いている彼女を魔物が見逃すわけは無い。マールは後ろから襲い掛かろうとしてくる魔物に気付けずにいた。


「……!」自分の体に影が覆い被さった時、初めて彼女は敵の接近に気が付いた。しかし、もう遅い。すでに下半身の無い魔物は呪文を唱え終わり、業火を彼女に吐き出そうとしていたのだから。荒れる炎の波は彼女を包もうと恐ろしい速度で迫っている。
 しかし、マールにそれを防ぐ術は無い。急いで呪文を唱えれば防御は可能だったろう、しかし、彼女は今目の前で燃えている自分の思い出に気を取られすぎていたのだ。守らなくては、でもどうやって? という逃避思考しか浮かんでいなかった。


「マールディア様!!!」
「うわっ」


 とぼけた声を出しながら、マールは横から飛び出してきた兵士に押し倒された。結果、魔物の放った火炎は空を切る事になった。苦々しそうに魔物が表情を変え、仕留め損ねた獲物を見つめている。そして人間には聞き取れない言語で新たな魔法を練りだした。


「お逃げ下さいマールディア様! 最早城も町も魔物によって焼き尽くされようとしています! どうか、急いで……ぐっ!」
「え、ええ?」


 顔を振って、何がなんだか分からないとマールは狼狽する。自分に逃げろと告げる兵士は傷だらけで呻いている。その後ろでは魔物が次の魔法を練っている。彼女には、今逃げるべきなのか兵士を治療すべきなのか魔物の攻撃に対応すべきなのか分からないほどに混乱していた。


「ヒイゲギャギャギャギャア!!!」


 掌を天に翳した魔物が、さっきと同じように火炎を作り出す。うねうねと体を揺らす炎は舌なめずりをする蛇を思いださせた。舌を出し、品定めするようにその場を動きマールたちを眺めているようだ。
 そして……ターゲットは決まる。意気揚々としたように、上から飛びかかるみたく曲線を描いて座り込んだマールへと炎が飛び出した。兵士が腕を動かし、抱きしめるようにしてマールを庇うが、その炎の勢いからして兵士ごとマールを消し炭に変えるだろう。魔物が宙返りして、自分の勝利を確信した。
 そう、その時までは確信していた。次の瞬間に何が起きたかなど、その魔物は一生理解出来ないだろう。自分の頭が吹っ飛んでいたなど。
 火炎を操っていた魔物のすぐ隣に一人の女性が頭上から舞い降りて、何の構えも無く腕を突き出したのだ。ボッと燃えるような空気の音を引き連れた拳は、だるま落としのように魔物の頭を横に飛ばしたのだった。
 女性はばらけた髪をポケットに入れてあったゴムで纏め、二度掌を叩いた。それは手に付いたゴミを払うような仕草で、たった今並の人間では敵わないとされる黒の夢の魔物を殺したとは思えないものだった。彼女は倒れ伏したマールを見て、おや? と声を上げた。


「なんだいマールちゃん。いくらなんだって、こんな状況で男と乳繰り合わんでもいいだろうに」
「……ジナさん?」
「そりゃあこういう状況でこそ燃えるなんてのは分からんではないよ? けど文字通り燃えてる所で、ねえ?」クロノの母親たる女性、ジナはマールと彼女を守るべく抱きついていた兵士に問いにもならない疑問をぶつけた。兵士は何が起きたのか理解できず目を白黒させるばかりであった。
「じっ、ジナさん何してるんですか! ま、魔物がいるんですよ!?」
「知ってるさ。今さっき頭吹っ飛ばしたのも知ってる。マールちゃんが案外ヤる子なんだってのも知ってるよ」
「え、え、ええと……じ、ジナさんは魔物を倒してるって事で良いんですか?」マールの疑問にジナはその通り! と腰に手を当てて肯定した。
「久々に暴れるチャンスだからねえ。私は魔物を成敗してるのさ。今は野外で淫蕩な行為に浸ってる少女にも説教をしてやるべきか混ざって指導すべきか迷ってる所だね」
「もうそれは良いから!!」


 彼女自身は認めたくないところであろうが、ジナのすっ呆けた会話により冷静さを取り戻しつつあった。当然彼女がそれを狙ったのかと言われれば甚だ疑問ではあるが。そして、彼女は兵士の言っていた言葉を今になって理解する。『城も町も焼き尽くされようとしている』という言葉だ。
 そして、その言葉にさらに彼女は迷う事になる。城か、町かである。このリーネ広場は、真に勝手であるがジナが守ってくれるだろうと踏んでいる。だが町は? ここに兵士がいるように、町にも兵士は派遣されているだろう。となると城には兵士がほとんどいないということである。蛻の殻ということは無かろうが、到底守りきれるとは思えない兵量しか有していないはず。
 そこまで考えて、彼女は迷っていた。城に行くべきか、町に行くべきか。当然彼女の個人的な感情としては城に向かいたいだろう、だが民を見捨てて家族を助けに行くのは王女としてどうなのだ、と他の自分が責めるのだ。


(どうしよう、父上ならきっと大丈夫だよね……でももしかしたら……!)泣きそうな顔になって俯くマールに、兵士は何事か声を掛けようとして……ジナに先を越される事になる。
「行ってきなよ。マールちゃん。お城にさ」
「……え?」それは自分に言われたのだろうか、とマールは顔を上げた。
「気付いてないと思ったかい? 馬鹿にしなさんな。あんたは王女なんだろ? 昔王女お披露目の際に見たさね。王女だったらお家を守るのが筋ってもんでしょう」からからと笑い、すぐそばの屋台に張っていたテントを押さえる為の拳大の石を持ち上げて、空に投げた。投石と言うにふさわしい速度で飛んでいく石は飛んでいた魔物の頭蓋を砕いていた。自由すぎる戦い方に、兵士は冷や汗を流し「魔人……」と呟いている。
「それにさ」ジナが言う。「町には町で、私ほどじゃないけど馬鹿強い奴がいるし、安心しな。兵士さんも来てくれてるしね」


 だから、行ってらっしゃいと微笑まれたとき、マールの考えは決まっていた。いくら友人の親だからとて、こんなに簡単に信用するなんて、とマールは自分でも不思議に思っていたが、すぐに考えを改める。彼女は母である。例え理不尽でも気ままでも、一人の子供を育てるといった偉業を成し遂げた彼女の言葉を疑う意味があるのか。何よりこれだけの強さである彼女が認める強者が町にいるならば、自分が行っても意味は無い、そう結論してからの彼女の行動は素早い。
 まず、口早にケアルを唱え倒れていた兵士を治療する。それに驚きながらも、感謝する兵士に一言「ジナさんを守ってあげて!」と頼み広場を後にした。遮る魔物には魔法をぶつけ、仕留められなかった魔物にはジナの投石スペシャルがお見舞いされた。
 憂いの無くなったマールの走る速度は、見る間に粒となり兵士たちの視界から消えていった。それを呆然と見送る兵士は、背中にぞくり、といやな感覚が昇ってくるのを自覚する。


「さあて、私を守ってくれるんだよねえ兵士さん?」
「はは、ハハハ。私は、その、一般的な兵士でして、その……」
「あらやだ。私だって一般的な主婦よ? ちょこっと元気だけどね」
「ハハハ、そうですな、ハハハハ!!」


 その乾いた笑い方が気に入らなかったのか、ジナが兵士の兜を取り上げて、片腕の握力だけでひしゃげ壊した。すると兵士は面白いほどに悲鳴を上げて倒壊寸前の屋台の中に隠れてしまう。「失礼だねえ」と唇を突き出し(年齢的に似合わぬはずが、彼女は中々様になっている)「つーん」と言葉にした(以下同文)。


「さて、と。団体さんのご到着かねえ」


 彼女がそう言ったからか、もしくは読んでいたからか、上空より六体の魔物が彼女を囲む形で地上に降りてくる。皆同じ種族なのだろう、六体とも筋骨隆々、二の腕や足が太い柱よりも大きい、見るからに格闘を得意としそうな魔物たちだった。ぎらぎらと赤い目をジナに向け、同胞を殺された事……というよりも自分たちを見て何一つ怖がらない彼女に怒りを覚えているようだった。
 じりじりと焼ける光と、辺りに蔓延する火気により流れ出た汗を一拭いしてジナは「私はねえ」と語りかけるように話し出した。魔物たちに反応は無い。


「昔、ある老人に教えを乞うていた時があってねえ。武の使い手としてちったあ名のしれた爺だった。私も最初から強かった訳じゃない、そんな爺に闘い方を教えてもらって今の私があるわけさ」大半寝て過ごしてた気もするがね、とジナは過去を思い出して自分の修行情景を思い出したか、くす、と笑った。「強くなるのは楽しかったが、『武とはどうあるべきか』なんて空想みたいな話を聞くたびに嫌気が差してた。中でもあれかね、師匠の爺が抜かしてた言葉なんだが、あきれ返っちまうようなものがあったよ」


 魔物の一人がジナに拳を振り下ろした。彼女はそれを左腕で巻き込み、体勢を崩しながら右手を魔物の胸と肺の中心、水月のあたりに置く。左腕で関節を取られている魔物は動けない。仲間意識が無いのか、他の五体は手を出す事は無かった。ジナは話を止めず、続けていた。「『二撃穿てばあらゆるモノを死に至らしめる』つってね、魔物であれ、怪物であれ、見上げる程に大きな岩であれ、二度拳を当てれば粉砕出来るんだってさ。私以外の弟子達は感激してたね、現実にする大言壮語を聞いてアホ面下げながら『僕もいつかそうなるんだ!』ってさあ。馬鹿らしい。私は思ったね、師匠の言葉を聞いてすぐさま思った」
 ジナは回想を思い浮かべながら、右手首を内側に曲げて、扉をノックするように魔物の胸中央に当てる。ぼず、と鈍い音が鳴った時には、魔物の体はそこだけ刳り貫かれたように存在していなかった。急速に死に至る自分の体を不思議に思いつつ、魔物は後ろを振り向いた。遠く道の先に転がり落ちている赤い塊を目にした時、魔物はその場に崩れ落ちた。


「ゲギャ!?」自分よりも貧相で弱いはずの人間が、自分たち魔物を容易く殺した事実に驚いたのだろう、五体の魔物は両手を組む事を止めて、腰を低く落とし、戦闘態勢に移行する。その慌て振りを見て、「おやおや」と子供の失敗を眺めるように頭に手を置き、その後また両手を前に出し、見せ付けるように掌を開いた。そして握る。
「二撃? なんて間怠っこしい事を言うのか。一撃で良いじゃんねえ? 一撃で相手を屠り一撃で砕く。自慢じゃないが、私は産まれてこの方敵を仕留めるのに追撃を要した事は無いよ。一撃必殺を胸に武を極めてきたのさ」


 彼女の言葉を理解できたかどうか、定かではない。だがその圧力に近い気迫に気圧され、魔物たちはそれぞれ一歩体を後ろに下げる。その内の一人が呪文を唱えようとした。己が肉体のみで脆弱と侮っていた人間を捻り殺してきたというに、たかだか一人の人間の女性に近づく事を避けたのだ。それを恥だと思う感情は、彼らには無かった。
 しかしその判断は既に遅い。飛び上がり逃げようと翼を開いた時、武神は距離を詰め、いつものように構えも何も無い無造作である突きを放っていたのだ。首から上と体が離れた事を知ったとき、魔物は絶命を確信した。残り四匹。ジナは口の中で確認する。
 奇声を上げて残る魔物三匹がジナに爪を、牙を、足を肉迫させる。爪は鉄を貫き牙は神話に描かれる獣であれ殺し振りかぶられる足は人間よりも大きい岩石を吹き飛ばすだろう。当たればの話ではあるが。
 爪を伸ばす魔物には体を逸らし腕を蛇のように巻き込んだ後心臓を貫いた。牙を立てようとする魔物の首を遠慮なく引きこみ捻り切った。回し蹴りを片手で受け止め手刀により下半身と上半身を分離させた。それらの動作を行う際に、それを見ている残った魔物は全てが一挙動に見えてしまう。人間が三人に分かれているような光速を超える神速。少なくとも、魔物はそう感じてしまう。


「せやあ!!」


 傍観していた魔物も、屋台から飛び出して来た兵士により剣で頭を割られ崩れる。魔物の意識が途絶える際、ゆっくりと目を閉じて安堵のような溜息をついていた。これで悪夢と対峙する事は無く終われるのだ、と。
 

「おや、私を助けてくれたんだね。いやん、何だかか弱い娘になった気分だよ」体をくねくねと身悶えるように揺らす返り血だらけの女性に兵士は「ハハハ……」と乾いた声を洩らすしか無かった。
「ねえ兵士さん。ついでに包帯か何か持ってないかね?」急に動きを止めたジナに疲れた顔を見せた後、「え!?」と悲鳴に酷似した声を放った。「まさか、何処か怪我でもなされたのですか!?」
「いやいや違うよ。その様子だと持ってないみたいだね……それならそれで別に良いさ。にしても私を体を心配してくれるなんてもうこれはあんた朝帰りだね」
 まさか「貴方が一番の戦力ですので脱落されては困る」という兵士として一般市民に願う事ではない考えを持っていたと、彼には言えなかった。乾いた声は続いていく。
「まだまだ敵は増えるよ、あんたにも頑張ってもらうからねえ!」


 再び降下してくる魔物を見て、着地点を読み取りジナは戦闘後とは思えない速さで走る。後ろから兵士が追いかけてくるのを感じ、口端が持ち上がっていった。それと同じくして、額から一筋の汗が零れ落ちる。ジナは走りながら、何度も己の拳を擦っていた。彼女の拳は、僅かに血が滲んでいる。


(骨に異常は無い。まだ戦えるだろうが……厳しいねえこれは)


 どのような状況であれ、一撃必殺を掲げている彼女の拳は些か、いや相当にダメージを追っていた。せめてバンテージ代わりの包帯があれば、と願ったが無いものねだりは意味が無い。一瞬兵士の手甲を貸してもらうことも考え、それでは技が鈍ると却下した。
 彼女は武闘家であるが兵士ではない。そうそう相手を殺す殺さないの場で、さらに大人数と拳を交える機会など数少ないのだ。つい最近に魔物の群れをどつきまわしたが、全てに敵意は無く殺す必要も無い輩であった。あの戦いは面白かったなあ、と一週間程前の組み手を思い出し、ジナは首を振る。


(昔ばかり思い出してたら、老けるのも早くなるってものよね……いや老けてないわまだまだピッチピチだもの)


 自分の若さを自分の中だけで強調させて、突如鳴り響いた爆発音に足を止める。彼女が見上げたのは町の上空。何度も派手に空を彩る爆発に「やってるねえ」と笑った。次に、空に浮かぶ今のこの状況を作り出したのであろう黒の夢を眺めた。その目は、魔物たちを送り込んできた恨みや恐怖は無く、羨望のような眼差しが込められている。


「あんた、そこにいるんだろ? ……ったく、いつまでも家の家事をやらずに何処ほっつき歩いてるんだと思ってたらさあ、まさか空にいるなんて。とんだ馬鹿だねえ」親ゆえとするにはありえない感覚で、ジナはなんとなくではあるが自分の息子の所在を予想した。何故だか、この異常事態には息子が関わっている気がして仕方が無かったようである。
「な……何がで、ありますか?」ジナが立ち止まり、暫くしてようやく兵士が追いつき、彼女の言葉の真意を得ようと声を掛ける。息は乱れ顔中に汗を浮かばせている彼の姿は少々哀れみを誘った。
「いやね、家の馬鹿息子の話さ」
「ええ! 息子さんがいらっしゃるのですか!? 到底そのようなお年には見えません……」彼の言う言葉には、若く見えるというだけでなく、その強さで!? という驚きが強いのだが、彼女はそれに気付かずむふ、と笑った。
「ねえ兵士さん……もしもだけどねえ、私が死んだら……死んだら、私の息子に言ってやってくれるかい? 放蕩息子めっ! てさ」


 彼女の言葉に、兵士は顔を顰めた。このように美しく強い母親から逃げ出すとはなんという子供だと怒りすら湧いてしまう。まさか彼女が息子に向って「あんた暫く帰ってくるな」と発言する母親だと思ってはいないだろう。彼はただ思春期というだけで母親を避ける馬鹿な子供だと信じていた。というか、今の彼はジナの事を苦笑いで対応しながら内心仕えている君主に近い信奉を感じてすらいる。
 そんな女性が、今悲しげに目を揺らしている(と思い込んでいる)彼は、何と言葉を掛ければ良いのかも分からず、ただおろおろと手をこまねくばかりであった。兵士がそんな心境であることなど露知らず、ジナは言葉を重ねる。


「それで……それから、もう一つ。よくやったって、言ってくれるかい? ああそれと最後に。ごめんって、言伝しておくれ、碌に愛せやしない、酷い母親だったねって」


(……何という方だ)兵士の心に芽生えるのは、彼女のその言葉から発芽したのは、それはもう信奉を超えて。もしかしなくても、愛だったのかもしれない。
 このような状況に置いても、何処にいるとも知れぬ息子の為に激励を遺し、さらには謝罪まで遺そうとする彼女の心はいかに大きく、慈愛に満ちていることか。酷い母親? 彼女がそうである訳が無い。彼女の教育も子供に対する接し方も知らぬ身であるが、彼女は聖母そのものではないか。強く気高く優しさが滾々と溢れ出る奇跡のような方ではないか。
 兵士がその勘違いに気づく事は、恐らくこれから先もない。妄信とはそういうものである。


「……まあ、死ぬ気は無いけどね。息子が頑張ってるっつうに、母親が野垂れるなんざ笑い話にもならない。それじゃ行くよ兵士さん!」
「ま、待って下さい!」今まで何も言えずにいた兵士は、火の中に飛び込むより、崖の上から甲冑を付けて海に飛び込むより、凶悪な魔物たちに剣を向けるよりも勇気を出し、短時間に尊敬すべきと悟った女性を抱きしめた。
「……?」ジナはそれに顔を赤らめるでもなく、ただ「何かねこの兵士さんは」と思考するだけであった。
「私が、いや僕が貴方を守ります! 必ず息子さんに会わせますから、絶対に守りますから、安心してください!!」
「……へえ。随分な覚悟だねえ、私を守るって事は、そりゃああんた私の子分になるって事かい?」
「はい! 貴方の為に尽くす覚悟は、今この瞬間に決まりました!」
「そうかね……それじゃあこの戦いが終われば、あんたには家の家事を手伝ってもらおうかい」手伝いではなく、内心全部やれ、と思っていたかどうかは彼女にしか分からない。


 そうして、周りが燃え盛るというのに、ジナファンクラブの一員がさらに増えたのだ。非公式な者を数えずとも三桁は優に超えている。非公式を数えれば四桁に迫るとか。




     ※




「やあ、中々壮観じゃねえか? ええおい」


 トルース町広場にて、一人の男が空に浮かぶ魔物たちがぼろぼろと落ちていくのを目にし、腰に手を当てた。もう片方の手で隣に置いた砲台を撫でる。砲口からはちりちりと煙が吐き出されていた。


「流石は『タバン特製空中支配用誘導弾』だぜ。このジェット噴射を作成するのに大変だったが……いやまさか使う時が来るとはな」
「……本来ならば、そのような危険な兵器を作っている事は違法なのですが、状況が状況です。見逃しましょう」


 男──タバンの喜悦染みた説明に、兵士が頭を痛そうにしていたが、彼はそれに構わずかっかっと笑い、次弾を装填するよう他の兵士に命令する。本来戦いの最中一般人が兵士に命令するなどありえぬ事ではあるが、タバンの兵器が魔物たちを効率的に撃破しているのは周知の事実であり、兵士たちも彼の命令に逆らうべきではないと理解していた。彼の言うタバン特製空中支配用誘導弾が一発発射されるごとにどれだけの数の魔物が撃ち落されているか、彼らは間近で見ているのだ。そのお陰でトルース町に近づく魔物が極端に減っている事も体感している。
 さらには、タバンの発明した兵器はそれだけではない。弾を装填して、絶え間なく発射する『タバン特製ガトリング砲』から手榴弾という爆弾を発射する個人携帯可能な『タバン特製ロケットランチャー』に水を汲み取るだけで起動可能な『タバン特製携帯式ウォーターカッター遠近両用式』など彼の協力あって、町に送られた兵士の装備は十全に黒の夢の魔物たちと闘える装備となっていた。
 だが、だからとて彼らの前に魔物が一度も接近できないという訳ではない。嵐のような銃弾の雨を潜り抜け、空中に地雷原があるのかと思うような爆撃をかわし辿りつく魔物も少なからず存在する。その時には誰が対処するのか。兵士たちも弱くは無いが、いきなり巨大な魔物が現れて対処できるかと言われれば難しい。


「タバンさん! 危ない!!」


 兵士の一人が指揮するタバンに向けて叫んだ。タバン目掛けて一匹の魔物が羽を広げ飛んできたのだ。その速さは、とても戦いを経験したことの無いタバンに避けられるものではなく、兵士に止められる速度でもない。魔物に背中を向けた状態であるタバンは気楽そうに声を上げた。


「ララ、頼んだ」


 その声と同時に、重なった発砲音が木霊する。飛来する魔物が体中に穴を開けて石畳の上に滑り家の壁にぶつかった。既に虫の息である。血を吐いて悶える魔物は腕を伸ばし、もう一度飛ぼうと羽をゆっくりと伸ばすが、その羽は根元から弾け飛んだ。痛みに叫びまわる魔物の前に現れたのは、黒いジャケットに身を包む女性。両手に拳銃を持ち顔だけはにこにこと微笑んでいる女性は舌を出して悶絶する魔物の腕や足、致命傷にはなり辛い部位を狙って撃ち込んでいる。悲鳴を聞いても肉が飛び散っても止めはしない。その姿に兵士たちですら慄いた。


「うちの亭主が隙を見せたのも悪いわ。それは確かに悪い。でもあんた何をしたの? うちの亭主にうちの亭主にうちの亭主に何しようとしたのよあんな速さで当たったら怪我どころじゃすまないわよつまりそれはうちの亭主を殺そうとしたって事よねウフフ嫌だわあそんなことするなんてありえないわよねえごめんなさい貴方はうちの亭主に隙があることを教えてくれようとしたのよね御礼に鉛をくれてやるわほらほら何十発でも苦しみなさいよ喜びなさいよほらあああ!!!」
「おいおいララ、その辺にしといてやれよ。弾がもったいないじゃねえか」
「……タバンがそう言うなら、仕方ないわね」


 一発頭に銃を撃ち、ララはその場を離れ常にタバンを守れる場所に戻る。彼女にとって最愛の娘がここにいない以上、己の夫を守る事に全てを注ぐのは至極当然の事であった。タバンが空の魔物を撃ち落し、取り逃がした魔物をララが拷問に近いやり方で殺す。魔物たちが中々飛来してこないのは彼女の行動が原因でもあった。兵士たちが町に来てから剣を抜かないのは抜くまでも無いというのが大きな理由である。
 兵士たちは「いやあ愛されてるなあタバン殿は」と夢想するようにララの行動を見ているが、正直、今すぐ城に帰りたいと願っている。彼らがこれから先菜食主義になるかどうかは神のみぞ知るである。レア肉なんぞ出された日には胃の中の物を吐き散らすかどうかはどうでも良い事であった。


「なあ、魔物を撃ち落とした時の銃声何回聞こえた? 俺、四発位しか聞き取れ無かった」兵士がぼそぼそと新しい弾を詰める作業をしながら呟いた。
「俺六発は聞き取れたぜ。隊長は?」
「俺か? 俺は八発だ。多くても十発くらいじゃないのか?」砲口の詰まり物を取り除きながら、隊長が言う。
「残念、十八発よ」それらを耳にしたララは答えを提示して、銃弾を装填する。かちゃかちゃという物音以外、誰も音を立てなかった。彼らの帰りたい衝動が底抜けになっていく。


 静寂とした空間で、タバンのみが豪快な笑い声を作り己が妻に話しかける。「流石ララだ! 昔ジナと渡り合ってただけの事はあるぜ!」自分の事のように語るタバンとは対照的に、ララは「失礼ね」と頬を膨らませる
「いくらなんでも、ジナさんと同じにしないで。あの人との勝負で私は三十二勝四十敗なの。ジナさんみたいな化け物と一緒にされたら困るわ」
「あいつに三十二回勝てるなら大したもんだろうが! ガッハッハ!!」


 尚も文句を言おうとするララをタバンが抱きしめる。するとさっきまで苦言を呈そうと眉を顰めていたララは借りてきた猫のように大人しくなり、夫の胸板に顔を擦り付けるのだった。その恍惚とした顔に、兵士一同のフラストレーションは天高く聳え立っていく。バベルもかくや、という勢いである。神の怒りは届かなかったようで、兵士一同は言語を混乱させぬまま、やはり「帰りたい」と願うのであった。


「……何でこんな時にバカップル具合を見せ付けられなきゃならねえんだよ。ああ、帰りたい……」


 兵士の一人が口にした時、その場にいる隊長含む兵士は滂沱の涙を流したという。




     ※




 現代ガルディア城も、その堂々たる姿は消え、望楼からは火が上がり、胸壁は崩れ去り、そこかしこに建てられた小塔は優に三つが落ちている。城としての外観は保っているものの、既に負け時であろうと思わせるに足る有様であった。そしてその荒れ具合は中世と然して変わらぬ……いやそれ以上であろう。何せ、兵士の数が異様に少ないのだ。魔王軍との戦いにより激減していた中世よりもなお兵の数は少ない。
 それもその筈であろう、ガルディア三十三世はトルース町だけでなく、遠く離れたパレポリにまで兵士を派遣したのだ。ガルディアを敵視しているパレポリにまで兵を送るなど! と様々批判を受けながら、国王は言った。「いざと言う時に助けずして、外交など何の意味があるのか」と。
 ならば、ガルディアを守れずして良いのか! と反対意見は勢いを増す。それらの批判を身に受けながら、国王は笑った。「千年の歴史を持つガルディアが、この程度の侵攻で破れるなど在り得ぬ」と断言した。
 屁理屈だ、と言い続ける重臣たちの気持ちは分かる。だがいつまでも言い争っているこの時間は何なのだ? と一人の老人──ヤクラは思った。今この時間は早急に考えを纏める為設けられたのだろう。この会議は手段の一つであり、肝心なのは実行である。それを考えると、ぐだぐだと話を伸ばさず即座に実行した国王にはほんの少しだけ好感を抱いた。
 そして、その好感は一挙に嫌悪へと翻る。あろうことか、国王は重臣たちを逃がし、自分は敵の的になっている城に残ると言い出したのだ。一週間前に自分に言ったとおり、「国王が逃亡するなど、冗談であろう」と同じ事を言いながら。
 さらには、城に残す兵士を極限にまで減らしている。パレポリとトルースに兵を送り込みすぎたのだ。実際、大臣であるヤクラもトルースに行くよう命令されている。城に残している兵への命令は、すぐに逃げ出せるようにしておけであった。後にトルースの加勢へ向えとも言い渡してある。これは間違いようも無く、国王は城と心中しようとしている。誰の目にも明らかな事実であった。
 ここでヤクラは「王を一人にしてはおけない!」と声高に宣言するような人間……いや魔物ではない。敵視している国王が死ぬというならば万歳三唱、マールディア様が王位に就くならばガルディアは万代不易である。ヤクラは鼻歌混じりに己が部屋で服を着替え準備を整えていた。命令どおりにトルースへ向い国王が死んだ頃に凱旋し高笑いしてやる心積もりであった。
 彼女──いや今は老人に変化しているのだ、彼というべきか。の間違いはそれからである。どうにも探していた服が見つからなかったのだ。国王より命令されて一時間、既に兵士部隊は送り込まれていた。城門が破壊された音が彼の耳にも鮮明に届いている。ヤクラの探していた服はベッドの上に畳まれて置いてあった、部屋に入ってすぐに見つかるだろう場所だ、普通ならば。


「おやおや、こんな所にあったか」


 聞く者がいれば、なんと白々しいと考えたろう。だが今この場に彼を咎める者も白い目を送る者もいない。いつものだぼだぼした服を脱ぎ捨て畳まれた服を着る。赤い彩色に二の腕が除く軽装束である。首に百を超える小さなしゃれこうべを模した装飾具を掛けて彼は部屋を出た。
 窓から魔物たちの鳴き声が聞こえて来る。「どうやって町に出向いたものか」と一人呟き、大広間へ向う。階段を下り、王の間へ続く階段が続く大広間には大勢の魔物が群れを為していた。彼は声を上げる。「おう、団長殿か。御主も出遅れたと見える」ヤクラが手を上げた先には同じようにトルースへの出撃を命じられていた兵士団長がもたもたと歩いていた。
 団長は呼び掛けに答え、「ええ。大臣殿もですか? これはまいってしまいましたね」言葉とは裏腹に、何ら困った様子は無い。二人は近寄り団欒とした会話を続けている。


「何だあ貴様ら? 見たところ人間に化けているようだが、我らと同じ魔物ではないか。ジール様の号令に答えたと見えるが、国王を食いに来たか」


 のったりした調子で話し込んでいる二人に、魔物の一人が苛立たしげに尋ねる。それに大臣が「おお!」と今気付いたように驚き、魔物たちの前に歩み出る。団長はその後ろに陣取っていた。彼は小さく「ケケケ」と兵士を束ねる団長らしからぬ、奇怪な笑い声を上げた。それを耳に入れたのは大臣のみであるが。


「のう御主等? 今のワシの服装はどうじゃ? 中々イケてると思わんか?」
「はあ? 貴様頭がおかしいのか」


 魔物は首を捻り、怪訝な顔を浮かべる。攻め込んでいる最中に自分の服装センスを聞かれては当然の反応であろう。頭を指差しくるくると回した。言葉にした通り、狂っているのではと疑いだす。
 これだから、地上の魔物は嫌だ、と声に出してから、魔物は今もまだうきうきとした様子で自分の評を待っている老人に化けた魔物、大臣に言う。「大体なんなのだその服は」
 大臣は「知らないのか」と呆れたように溜息を吐き、それがまた魔物の怒りに触れていく。いっそ、仲間であろうと縊り殺してやろうかと考えた時、大臣の体に変調が起きる。目が赤く光り、爪がずぶずぶと指を捲らせながら伸びていく。額に二つのすり鉢状の穴が産まれ、その中から針らしき輝きを見た。後ろの団長もまた同じく、兵士の鎧からこげ茶色の肉体を毀れさせていた。


「これはな、戦装束なのじゃ。代々ガルディアを守ってきた先祖より受け継がれてきた、戦の前に着る為のな。服の色が赤いのは国に仇なす者の血で染まり、首に掛けたしゃれこうべは今までに暗殺してきた要人の数を意味しておる……今日は随分としゃれこうべの数が増えそうじゃ」
「大臣殿……いや姉上。彼奴らなど数に加えるべきではない。過去殺してまいった要人たちにはそれなりの仁義があった、有象無象をその中に加えるなど冒涜の極み」団長が苦い顔をした。
「であるか。であるな。それでは魔物どもよ、今この場にて散るが良い。ガルディア千年の歴史を砕くなど、儚き夢であると知れ」今の自分の言葉が、国王の台詞とほぼ同じであることに、彼は気付いているだろうか。


 二人から不穏な空気を感じ始め、身構えようとする魔物たちの額に、長く鋭い飛針が突き立った。
 二つの暴風が、城の大広間にて展開される。己を竜巻のように変える二人は、なんとしてもこの城を守ろうとする意思が見えた。
 そして、奥の間にて待機しているだろう誰かを守ろうとも。









     ※そして中世へ※









 時は戻り、A.D.600年。場所は同じくしてガルディア城。王妃ら必死の防戦も虚しく、戦況は時が経つほどに悪化していった。王妃を守ろうと奮起する兵士の数は減り、今や動ける者は王妃を除き僅か二十数名となっている。逆に魔物の数は城内だけで百を超えている。とても守りきれる数では無かった。
 サイラスがいれば。そう考えているのは王妃だけではあるまい。一人でも良いのだ、一人でも王妃ほどに闘える者がいれば戦局は大きく変わる。
 元々、魔物たちを仕留められるほどの力を有しているのは王妃と辛うじて騎士団長のみ。他の兵士たちも奮闘しているが、一対一で敵を打ち倒す剛の者はいない。実質活躍しているのは二人だけという事態である。兵士のほとんどは自分の力に絶望し、先のように自爆特攻を試みるばかりである。
 その現実に誰より歯噛みしているのは王妃であった。何故兵を散らさねばならない、自分がもっと強ければ彼らにそのようなむごい決断をさせることもなかっただろうと。


「はあ……はあ……はあ……」


 彼女の体もまた傷だらけになり、限界が見えている。既にそれを超しているのかもしれない。特に左足の傷は深く、彼女の得意なステップもスライドも使えない。敵の攻撃を流す事さえ難しくなり始めた彼女は棒立ちのまま魔物の攻撃に対応せざるを得なかった。徐々に弱っていく彼女を嘲笑する魔物の数は多く、それに絶望し自分を叱咤するも動けない兵士の戦気は削られる。
 騎士団長が部下に激励を送ったのは三十分程前。その僅かな時間で彼の心は打ち砕かれたと言って良い。愛する自分の部下が散っていくのも、爆弾を抱え群れに突っ込むもさして効果を得られない現実を見るのも彼は嫌になっていた。いっそ先に自分が特攻しようかとさえ思っている。
 偏に彼らが自棄にならないのは王妃の存在である。彼女が今だ闘っているからこそ自分が守られねばと奮い立たせるのだ。例え僅かな力にしかなれぬとしても、魔物の突撃を凌ぎきれず王妃に傷を負わせているとしても、彼女が生きているからこそ彼らはまだ立っている。
 それに気付いた魔物の数は少なくない。敵は執拗に王妃に向かい殺そうと躍起になっていた。躍起、とは少し違うかもしれないが。彼らは一様に楽しげに王妃を襲っている。
 楽しみなのだ、魔物たちは。心の支えである王妃が鮮血に倒れた時兵士たちがどのような表情となるのかが見たくて仕方が無かった。ただそれだけの為に一人の女性を嬲り殺そうとしている。古代にてジールが言ったとおり、彼らからすればゲームに興じているような感覚であった。相手に勝ち目が無い遊びに魔物たちは夢中である。


「王妃様に近づけさせるなあ!!! ……げひっ」


 膝に力を入れて檄を飛ばした一人の兵士が上顎を吹き飛ばされて倒れる。それを見た隣の兵士が胴体を破裂させられて絶命する。それでも兵士は王妃を守る壁たらんことを止めない。腕をもがれようと足を食われようと一心不乱に彼女を守る為動く。
 彼女が一番の戦力だから。彼女が自分たちが守るべき王妃だから。そもそも女性だから。そのような道徳的、忠誠心に基づくようなもので彼女を守っているのではない。王妃が泣いていたからだ。一人の兵士の断末魔が聞こえる度に彼女は涙を流す。勇猛なる表情のまま、機械的とさえ言えるほどに淡々と涙を流すのだ。
 彼女は模範的な王妃であろうか? 兵士たちはきっと「そんな訳が無い」と答えるだろう。当たり前だ、このような状況で城を逃げず前線に出るような破天荒な女性を模範的と言えるほど彼らは嘘つきではない。お菓子を好み、毎日城の中を駆け回り遊び相手を見つけては仕事を放棄させて球遊びや追いかけっこなどを提案する彼女が素晴らしい王妃か? 魔物の企みに乗り自分から囚われの身となりなおかつそれを楽しんでいたような王妃を尊敬できるものか。
 そうだ、王妃はいつも兵士だろうと遊びに誘った。成人した者がするような事ではない幼稚で稚拙な遊びに何度も誘った。彼女の考案したとんちきな遊びに巻き込まれなかった者などいない。
 だからこそ……彼らは王妃を愛していた。
 彼らはいつまでも覚えている。城に長年仕えている騎士団長は小さい頃の王妃様が「遊ぼうよう」と寂しげに呟いて服を掴んできたのを覚えている。恐れ多くも肩に彼女を乗せたときの嬉しそうな声を心に刻み、今でもその声は一瞬で再生できる。城に仕えて長くない者でも王妃様が「遊ぶのです!」と鼻息荒く誘い、ドレスのまま少女のように球を追いかけるのを魂に刻んでいる。料理長の作った甘菓子を頬張ったときの見ているだけで頬が緩む笑顔を忘れた日など一日も無い。一緒に食べましょうと明るく誘われたのを断ると、神が死んだように落ち込む彼女の寂しそうな表情は未だに胸を締め付ける。
 愛情ではない。言葉になどできる訳が無い。ただそこにいてくれさえすれば良かった。ただそれでも言葉にするなら、彼ら兵士はただただ王妃が好きだった。
 けれど彼らは知っている。自分たちが王妃様を想うより王妃様は自分たちを想ってくれていると。一人の兵士が風邪で休めば王妃は「風邪は治りましたか?」と駆けてきて問うのだ。戦争で亡くなった者たち全員の墓を王妃は一人で作り、寝る前に全員の兵士の名前を呼ぶ事も知っている。その為か、王妃はいつも床に就くのが早かった。そのくせ寝るのは酷く遅かった。
 彼らは今死を恐れている。死ねば王妃様を守れないからと。願えるならば、今だけは死にたくなかったのだ。そうして願っていても、また新たに兵士の屍が積まれた。死ぬ直前に彼が遺したのは「王妃様を頼む」という戦友に王妃を託す言葉だった。


(どうか……どうか……)


 次々に倒れゆく兵を見て、王妃は魔物を闘いながら願った。幼子のように熱心に祈った。誰か来てくれと。この身を捧げよと言うならば捧げよう。この身を喰らわせろというなら喜び飛び降りようではないか。だからどうか自分を慕い自分が慕う愛すべき国の子供たちを助けてくれ。


(もう遊びません、我侭も言わないしお菓子も沢山食べたりしません。だからどうか、どうか……)


 彼女は涙を拭わない。拭えば死んでしまった兵士たちが本当に消えてしまうと想ったからだ。自分の涙には彼らの魂が宿っていると馬鹿のように信じ込んでいる。涙を拭う暇も無い事も確かだが。
 しかし、涙は視界を曇らせる。肉迫して戦う彼女にとってそれは致命的であろう。隙を突かれた彼女は一匹の魔物に肩を貫かれてしまった。呻き声を上げてふらついた彼女を襲うのは城の中を滑空していた空を翔ける一つ目の魔物。掌程度の大きさでありながら、手にはシャンデリア程に大きい火炎球を握っている。魔法への耐性を持たぬ彼女がその身に浴びれば跡形も無く塵と変わるだろう。


(もう、ここまでですか……?)


 目を強く閉じ、迫り来る火炎球を待った。せめてと体を縮こまらせたものの、肩を貫かれた左腕は動かない。防御も出来ないのか、と王妃は自嘲した。これでは仮に生き延びたとしても闘えない。ならもう死んでも変わりないじゃないか。そうすれば兵士たちは逃げるかもしれない、でもそれで誰かが生き残ってくれるかもしれない。あやふやな期待を残し、彼女はねばついた血液を浴びた。


「……へ?」


 閉じた目を開けると、王妃は大小様々な針に貫かれ標本のようになっている魔物の姿。操作者を失った火炎球は魔物たちに向かい落ちていった。爆発とともに、多数の魔物が絶命する。
 黒煙がもうもうと立ち上る中、両の足で王妃、引いては兵士たちに近づいてくる人間たちの姿。それは父であろう男であり、妻であろう女性であり、その子供たちであろう青年に幼さを残した双子だろうか少女と少年の五人。彼らは確かに人間だった、けれど部分的に人間らしからぬ部位が存在していた。それは額に二つのすり鉢状の穴が存在していた事。さらに、耳の後ろから前髪より長い触角が伸びていた。魔物の変化である事は明白である。
 戸惑ったのは兵士だ。魔物であるならば己の敵であるはずだが、彼らの行動は王妃を守ったようにも見える。どのような対応をすべきか迷っている中、無意識に指示を窺うべく王妃を見て……絶句した。王妃が震えていたのだ、恐怖でも悲しさでもなく、まるで歓喜に打ち震えるが如く。


「……あはは、いたんだ。いたのですね、貴方たちは、あの人の……!!」
「左様ですリーネ王妃。我ら、父の恩に報いるべく遅ればせながら馳せ参上致しました」集団の父らしき男が傅き、他の者もそれに倣う。表情無く礼を尽くす子供に違和感を感じながら、兵士は何事なのか分からず成り行きを見守るばかり。
 同じく場を掴めずいる魔物たちに、突如現れた家族は先と同じように針を飛ばし六匹の魔物を絶命にたらしめた。騒ぎ出す魔物を無視して、今度は父だけではなく、妻に青年幼子二人声を揃えて発言した。


「リーネ王妃に寵愛されたヤクラ一世の恩、我らヤクラ一族この身を賭して返させて頂きます」
「……ッ!!」


 口元に手を当て、一度は止まった涙をまた流す。悲しみは無い。ただ嬉しいだけだった。
 繋がっている、あの人はまだ死んでない、どんな時にも私を助けてくれる! いつも私を見守ってくれている! 王妃は胸が破裂するのではないかと想うような、確かな喜びと微かな切なさを抱いた。
 王妃とヤクラ一世は共にいない。これから先一生そうだろう。
 けれど、彼女らは血が繋がっておらずとも、種族が違えども、きっと自分たちが父と娘である事を疑わないだろう。少なくとも、王妃にとってヤクラはもう一人の父であった。
 ヤクラ一族の父親が前に出た。「まずは、この場の不埒者を片付けて見せましょう。どうぞ王妃様は後ろにて怪我を癒してください。兵士殿らは手を貸して頂きたい」


「……ふざけるな、魔物め」兵士の一人その呼びかけに腹の底から洩れたような、怨嗟の丈を放つ。それに同調し、兵士たちも「そうだそうだ!」と声を荒げた。その中には騎士団長も加わっている。
「我らが手を貸すだと!? 貴様らが手を貸すのだ!」「主導権を間違えるな、俺たちが王妃様を守るのだ! お前たちは応援に過ぎぬ!」「そもそも、貴様らがおらずとも勝てる戦である! ガルディア騎士団を舐めるな!」


 醜かった。いい年をした大人である兵士たちが悔しさから非難轟轟にヤクラたちを責める。
 彼らにとって、ヤクラたちが魔物であるか否かは関係無い。ヤクラ一世がいかな人物か彼らは知っている。その子供たちである彼らに不信は無い。ただ悔しかった。諦めかけていた王妃様を立ち直らせたのが自分たち騎士団では無いことが堪らなく悔しかった。自分たちの役割を横取りされたような気がしたのだ。
 彼らの考えが読めたのか、父親である男はふっ、と笑い「では貴方達の活躍がいかほどか、私に見せてください」


 言うが早いがヤクラ一族は魔物たちに突っ込み、針を乱射し蹴散らしていく。その誰もが強く、幼く見える双子でさえも巨体である魔物を翻弄している。
 その姿を見て彼らは……猛烈な嫉妬と覚え、体の底から力が噴出してくるのを感じた。「俺の方が強い」「俺の方が敵を倒せる」「俺の方が勇敢に戦える」そして……「俺の方が王妃様の為に敵を倒せる」と。騎士団の本分、本懐を思い出して、声を張り上げ自分たちの四倍以上の数を有する魔物たちに突撃した。
 その姿を見て、自爆しようと爆薬を括りつけていた兵士は爆薬を鎧ごと捨てて剣を握り走りこむ。何故か? 臆したのではない。ただ目の前にて戦う兵士ではないヤクラたちは自爆せずに敵を倒していたからだ。奴らに出来て己に出来ぬ筈は無いと、それが意地だと自覚することも無く剣を振り回している。
 今の彼らに士気は無い。命令を聞く冷静さも平静も無い。ただ一匹でも多く騎士団として敵を倒したいと、子供のような意地だけが彼らを動かしていた。
 故に、強い。
 魔物たちは一体どういう事かと慌て始める。今の今まで悲壮な顔で応戦していただけの兵士たちの動きが獣染みてきたのだ、恐れぬはずはない。魔物の腕を無理やり掴み剣を刺し、魔法を唱える魔物の腕を切り落とし発動中の腕を魔物の集まる場所に蹴り暴発させる。さらには巨体の魔物の足を振り回し投げ飛ばした者や、噛み付こうとしたところ逆に噛み付いた兵士までいた。彼らの目は魔物を見ていない。自分らと同じく魔物を倒しているヤクラたちを見ている。ヤクラたちの一人が魔物を一匹倒すと負けてられるか、俺は二匹だと予想も出来ぬ動きで剣を振り槍を投げ猛攻する。


「貴様らもっと俺に掛かって来ないかあ!!!」
「くそ、あいつらもう十匹は倒しやがった! こうなりゃ俺は三十匹だ!! 俺の王妃様への愛を知れえええぇぇぇ!!!」
「何だそりゃ火花か糞どもおぉぉ!!!」


 せわしいほどに猛る兵士たちと、上手く彼らに攻撃が当たらぬようフォローするヤクラたちの連携。全てが彼らに味方していた。落ち着けば魔物たちの優勢は揺るがなんだろうが、彼らは侮っていた。人間を、弱いものだと決め付けていた。故に急な反撃に対応出来ずにいたのだ。
 息を荒げながら、階段の手すりにもたれていた王妃はくす、と笑った。これで大丈夫だと確信して。体から失われていく血液の量は酷いが、きっと死ぬことはないだろうと当たりをつけて睡眠に溺れてみようかと目を閉じた。
 彼女が意識を落とし、大広間の魔物を撃退している間、こっそりと王の間から出てきた国王が王妃を治療しているのを彼らが見つけるのは、もう少し先の事である。


 この時を皮切りに、各地にて人間の反撃が始まった。




     ※




 例えば、パレポリとサンドリノ村の中間に位置しているフィオナたちの住む小屋付近にて戦うは、砂漠を森にしようとしている、まだ『クロノたちに合流していない』ロボは作業用パーツを脱ぎ捨て魔物たちと戦っていた。
 フィオナとマルコの二人を小屋に匿い、一人魔物たちと戦っていたのだ。数は多くないが、単独で戦うには荷が重い彼は苦戦を強いられていた。長引けば彼がやられるのは瞭然だったろう。そして長引くどころか、次々に新しい魔物が彼を狙って降りてくるのだ、ロボに勝ち目は無かった。
 けれど、今現在ロボはしっかりと立ち迫る魔物たちを睨み続けている。傷も少なくはないが、ケアルビームを使える余裕もある。いつまでも、とは大言壮語であるが、まだまだ戦闘は可能な様子である。
 彼一人では、確かに荷が重い相手だった。そう、彼一人では。
 今のロボの隣には、一人の少年が立っている。戦いなど冗談ではない、痛いのも死ぬのも御免という少年だ。ただし、力だけは何の因果か並外れて高い少年。


「きっ、来たよロボのあんちゃん!!」


 彼の名は、タータという。


「どおりゃああ!!!」タータはその人外的な腕力でロボが森を耕す際に使っていた巨石を魔物たちにぶん投げた。およそ考えがたいスピードで迫る岩石を止める術無く、一匹の魔物がひしゃげて落ちていく。
「良いよ、タータ君!」


 ターターはへへ、と鼻の下を擦り照れた顔を見せる。
 彼は最初、パレポリの自分の家で身を縮こまらせていたのだ。
 しかし、そうして布団の中に隠れている時、ある言葉が浮かんできた。それは自分を殴り倒した青年の言葉である。己の勇気が足りなかったせいで大勢の人間が死んでしまった事を責める彼の言葉は全て胸に刺さっている。
 その中でも一際大きな棘として残っているのが──


──無理やりでも、偽者でも、勇者だったんだろ? 自分の道は自分で切り開けよ──


 今なら分かる。彼は自分を責めたのではないのだ。むしろ、己自身を責めている自分にチャンスをくれた。
 まだ間に合うぞと背中を押してくれたのだ。勇者ではないと告白して、そのことを身勝手にも辛いと言った自分をまだ勇者の端くれとして見てくれた。タータがそれに気付いたのはその時から随分の時が経過した頃である。
 であればどうだ? 今のこの、何処から来たとも知れぬ魔物の襲撃は正にそれを示す時ではないか? 自分の道がまだ残っているなら、卑怯にも、卑劣にも勇者を騙った罪人である自分が為すべき事が現れたのではないか?
 確認するが、タータは少年である。子供である。勇者の名が重荷であったのは確かである。だが恐らくそれ以上に彼も“いい気”になっていたのだ。例え仄かに恋心を抱いていた幼馴染が離れようと、見ず知らずの大人たちから賞讃を浴びるのは気分の良いものだった。彼くらいの年齢であればそれは当然だろう。誰しも、英雄願望というのは存在するものだ。男であるなら、なおさら。
 それを戒める気持ちは今の彼に存在する。だが……その英雄願望は未だに根付いている。
 タータは考える。今、自分が戦いに赴けばまだそうであれるのではないか? 国を救う英雄でなくとも、村を守る勇者にはなれるじゃないか。贖罪への願望と勇者への憧れが彼を突き動かした。まだ勇者であれるという希望が恐怖を押しのけた。
 布団から飛び起きて、制止する親の言葉を無視して、あの事件以来冷たい視線を送っていた村人たちを尻目に彼は魔物たちに立ち向かう。


「こ、怖いけど、オイラ凄え怖いけど……」


 そして、彼は今ロボと共に村を、いや世界を救う英雄として勇敢に戦っていた。
 袖で汗を拭い、タータは自分を叱咤するように叫ぶ。


「お、オイラは勇者だ! 出来損ないだけど、力だけで他には何にも出来ない馬鹿だけど! 嘘つきの卑怯者だけど!! オイラはパレポリの勇者だああ!!!」


 勇気を持って立ち向かう者を、勇者と呼ぶに何の問題があろうか。
 ロボとタータの前にはまだまだ尽きる事無く魔物が襲来する。ただその迸るような戦気は途絶えはしないだろう。何故なら、彼らには守るものがある。守りたいと願う心が真実ならば、折れる事は決してないのだ。
 二人の小さな戦士は、まだ膝を折らない。




     ※




 例えば、場所はトルース村。兵士に混ざり、一人の男が咆哮を上げる。縦横無尽に鞭を振り、近づく魔物の心の臓に湾曲に反ったナイフを突き立て、誰もが心折れるような凄惨たる場にて名を名乗り続けている。
 彼こそは、夢を追い続ける大馬鹿者であり、世界一の探検家である──


「へっ! てめえら覚悟するんだな、この俺のロマンを砕こうなんざ百年早え! おらもっと掛かって来いよ、この俺、トマ・レバインはなあ、世界中の夢を見つけ出さなきゃあ倒れやしねえのさ! まあ、及第として爆乳の姉ちゃんがいりゃあ話は別だがよ」


 男、トマ・レバインは生き物のように鞭を操り敵を絡め取る。そのまま回転して、遠心力を乗せながら家の壁に叩きつけた。まるでトマトを潰したような赤が広がる。


「ほら次だ次! 夢の探求者トマ様はここにいるぜ!」


 彼の目には、殺されるかもしれないという覚悟は微塵も無い。目をキラキラと輝かせ、この事態を楽しんでいる節さえ見える。これも、ロマンの一部と考えているのだろうか。
 恐怖も無く、躊躇いも無い彼は確かに強かった。同じく村を守ろうとしている兵士たちが感嘆の息を洩らすほどに。


「ハハハハハ!! 何だよもう来ないのか? ……ちょうど良い。てめえら全員聞きやがれ、シスターのつまんねえ道徳の授業なんかより万倍は大切な事だ」


 魔物たちが自分を襲わなくなったのを良い事に、瓦礫に片足を乗せ、親指を自分に向けた。その行為に兵士のみならず、上空を浮遊している魔物ですら視線を彼に集めた。
 トマ・レバインは高らかに宣言する。朗々と、堂々と。


「トマ・レバインだ。トとマとレとバとイとン、続けてトマ・レバイン。覚えておけよ魔物ども。いや兵士たちもこの村の住人も皆だ! これから先歴史なんてもんが勉学の類に加われば、その教科書の扉絵は俺様よ! 世界一の探検家であり世界一の男前であり世界一器の大きな素晴らしい男性である事がこれから先この星がある限り語り継がれるだろうぜ! 宗教? 神話? んなもん目じゃねえ、俺が自伝を書けば飛ぶように売れ、後世まで残る。そして子供たちは俺を綴った本を見て言うのさ!『僕も探検家になって夢を追いたい』ってよ! そう、夢は終わらねえ、俺が終わらせねえ! この世界に俺様がいる限り、人間の夢を消し去ることなんて出来ねえ!!」


 啖呵を切った後も、彼は何度も自分の名前を叫んだ。俺がトマ・レバインだと誰しもに聞こえるよう、叫び続けた。激しい動きで息が切れようと止める事は無い。
 彼の叫びは支離滅裂な内容ばかりで、聞いている者も首を傾げたに違いない。
 だが、彼らの勇気を灯す事にはなった。地下室で隠れて泣いている子供たちや、彼らを抱きしめる親に、彼の名前は響いていた。何度も何度も叫び続ける彼の名乗りは、避難者に多大な力を与えてくれたのだ。
 この名乗りが聞こえるうちは、魔物たちが襲ってくる事は無い。この名乗りが聞こえるうちは絶望せずにいれる。この名乗りが聞こえるうちは泣く必要は無い。
 地下で隠れている彼らの声は、トマ・レバインには届かない。届いた所でどうという事は無いのだが。
 トマ・レバインが守るつもりは無くとも守っている人間たちは怯えながらも呟き出した。そして、呟きは叫びに変わる。怯えていた子供たちも一般人である人々も口々に叫ぶ。


「トマ・レバイン!!」家族の大黒柱として家の中で武装した男は叫ぶ。
「トマ・レバイン!!」このような事態で、支えあえる人がいないことを嘆いていた独り身の老人は叫ぶ。
「トマ・レバイン!!」いつも、トマが通っていた居酒屋にて店主を務めていたマスターが、自殺を止めて叫ぶ。
「とま・ればいん!!」身を寄せ合って震えていた幼い子供たちも、言葉の意味は良く理解していないが、拳を上げて叫ぶ。


 叫びは伝染し、魔物たちに襲われているというのに人間たちの熱気は高まっていく。同じく戦っている兵士ですら彼の名前を叫ばずにはいられない。剣を振るいながらトマ・レバインの名を呼び、槍で魔物を突き殺しながらトマ・レバインの名を上げる。
 その光景は、実に異様だった。魔物からすれば、人間たちが狂いだしたと考えるだろう。誰もが一人の人間の名を掲げ、その名前こそが力であると言わんばかりに、自分たちにぶつけるべく言葉を発しているのだから。
 トマ・レバインは恐れない。トマ・レバインは諦めない。その姿に人間は勇気を抱いた。死ぬかもしれないなどと考えるものはいない。だってトマ・レバインがいるのだから。
 トマ・レバインを英雄だなどと考えている者はいない。彼は探検家であると何度も言っている、だからこそ彼らは勇気を失くさずにいれる。何故なら彼は英雄ではないのだから。豪傑でもない彼が生きているその事実こそが彼らを支えていた。


「何だこりゃあ? 俺の名前と同じ祭りでも始まったのか?」


 ただ一人、この狂乱の意味を悟らない男が呆けた顔で呟いた。
 彼のその時の表情が、正しく彼の言ったとおり扉絵として後世まで語り継がれる事になろうとは、この時の彼に知るよしも無い。




     ※




 例えば、場所はチョラス村。本来ガルディアを攻めるとされていた魔物たちが気紛れに訪れた辺境の村。住人を守るべき兵士はおらず、傭兵の類も在籍していない、本来ならばただ魔物に滅ぼされるのを待つ村。
 だが、妙な事に住人たちの中に死傷者は出ていない。攻め込んでくる魔物は須らく切り裂かれ、死んでいるからだ。その太刀筋たるや、達人と評してもまだ甘い。全てが一瞬の内に命を奪われていた。
 残る魔物も、立ち往生したまま動きはしない。それもその筈か、魔物たちの前には文字通り不死身の人間が立っていたからだ。その上、言動も奇妙たるもので、近づく事すら危ぶまれる人物。
 その人物は、見た目には極普通の兵士に見える。それだけならば、精々ガルディアの兵士が一人でチョラスを訪れていたのか、それとも駐在所的な場所で一人警戒していた兵士に似た誰かかと考えるだろう。現に魔物はそう考えて、軽く引き裂いてやろうと飛びかかった。
 それが間違いだったと気付いたのは、魔物の死体が十を超えたあたりだろうか。何度も攻撃を当て、魔法をぶつけているのに飄々としている彼に魔物たちは同様を隠せずにいた。
 兵士らしき男は、己を兜を取り髪を払って「ふう」と息を洩らした。その後、魔物たちに視線を遣り、


「すまんな。生憎今は鞭も“それ”用の蝋燭も無いし、加工した縄も持っておらん。故に貴様らへの調教には剣しか使えんが……耐えられるか私の躾に?」


 剣を左右に振り、いやらしく笑う彼のそれを挑発と取った魔物の数匹が飛びかかる。彼は体を後ろに倒れさせて、後転しながら剣を振り一匹の魔物を断つ。次に気を取られた魔物たちに一足で近づき難なく体を両断させた。そしてまた、魔物たちと彼の間に牽制の時間が訪れる。
 いつまで経っても碌に動きの無い彼らに、兵士は溜息を洩らし、今は遠い親友を思い出した。


「全く……グレンを見習え貴様ら。奴はこの程度の調教難なくクリアしたぞ。やはりあれは天性のものだったな」


 兵士──サイラスは呆れながら魔物たちの根性の無さを嘆く。これでは私の腕を披露出来ぬではないか、と肩を落とす様は、魔物たちに「俺たちのせいかよ」と思わせるに足る行為であった。
 サイラスの戦い……もとい、調教時間はまだまだ終わらない。彼の加虐心が満たされたのか、それは杳として知れぬ所ではあった。




     ※




 そして……黒の夢付近。
 海中深くに沈んでいたはずの魔王ははっ、と目を覚まし口から海水を吐き出した。頭上からは、「目覚めましたか」という優しく、聞き覚えのある声が。


「ビネ、ガー?」
「左様です魔王様。ソイソー、マヨネー。魔王様が目覚められたぞ!」
「本当ですかビネガー殿!? いやあ、流石魔力だけならば天地魔界最強を謳うだけはありますな! 回復魔法も御得意とは!」
「今回だけは褒めてあげて良いのネー。まあ魔王様を抱っこしてるのには殺意を抱くけど……けっ」
「貴様ら……! 敵は何処だ!?」


 魔王は自分の良く知る人物たちが揃っている事に一瞬の安堵を浮かべたが、すぐに自分が戦っていた魔物の群れを思い出し顔を上げた。
 すると、手を組み思案している魔物たちが変わらず空中に浮いている。何故攻撃を仕掛けないのか疑問を抱くと、それはあっさりと氷解した。


「おい、貴様らは我らと同じ魔物であろう? 何ゆえそのような虫ケラを守る? 場合によっては貴様らごと消滅させてやるが」


 黒の夢の魔物たちは、自分たちと同じ魔物……いや魔族をどう扱えば良いのか図りかねているのだった。いや、牙を鳴らしそれぞれに魔法を唱え出している所からすれば、凡そ答えは見えていたが。
 ビネガーたちは虫ケラという言葉に眉を一瞬上げたが、見た目には冷静に答えを返す。「我らは魔王様に就き従う僕じゃ。このビネガー含め、ソイソー、マヨネーも同じ気持ちであろう」
 ビネガーの言葉に、魔物たちは堪えられぬと笑い出す。人間風情に忠誠を誓うなど、彼らからすれば異常者か、ただの笑い話としか思えなかったのだろう。実際彼らとて元は人間であるジールに従っているのだが、ラヴォスによる力を与えてもらった彼女は別格のようだ。
 主格である魔物がぐったりとしている魔王を指差し、「脆弱な人間に誇り高き魔族が頭を垂れるか! 貴様らもこいつと同じ虫ケラ、いやそれ以下か! ガハハハハハ!!!」
 自分と部下たちが笑われている最中、魔王は他の事に目がいった。目、というか感覚というべきか。
 妙なのだ、目の前にいる魔物たち以外にも魔物の気配が濃厚に感じ取れる。それは海から、空から、大陸から、また山から。あらゆる場所から気配が集まっている。魔王はきょろきょろと辺りを見回した。しかし、何の姿も目視できない。


「ふむ……それはあれか? 我らと戦うと、そう捉えて良いのか? ……久々に武人たる本領を発揮する時が来たか……」ソイソーが組んでいた両手を解き、ぶらりと両手を下ろす。
「言うまでも無いのネー。魔王様一人にそれだけの数で襲い掛かる卑怯者に情けなんかかける必要は無いし……つうか、ドタマかち割って脳みそ引きずり出してやらあ」魔道士たるマヨネーが拳を鳴らし険悪な顔つきとなる。
「面白い、我ら千の魔物を相手に貴様ら四人で対抗する気か? ……頭が悪いのは虫ケラゆえか。もう良い、テメエらやっちまえ!!」


 主格の号令を合図に、様々な魔法が降ってくる。氷の矢、炎の槍、電撃の舌、闇の球体。それらがビネガーたちに集束し……砕け散った。


「あ、ああん?」
「安い力であるな。我が結界に傷一つ付けられぬとは」


 ビネガーの全員を囲う程の巨大障壁が魔法の悉くを消し去っている。まさか、百数十を超える魔法を受け止められるとは思っていなかった魔物たちは目を擦り、今起きたことが本当なのか考え込んでいた。


(……おかしい。私の感覚が狂ったのか? これではまるで……世界中の魔物が……)
「良いだろう! 魔王様に害為すと言うならばそうするが良い! だがその前にこのワシ魔王軍総司令ビネガー!」魔王の思考を中断させて、ビネガーが朗々と声を張り上げる。
「外法剣士ソイソー!」ビネガーに名を呼ばれた剣士はあらぬ空間から剣を取り出し正眼に構える。
「空魔士マヨネー!」同じく、魔道士である彼女……? は纏めていた髪を解き、高笑いを始めた。
「そして……!!」
(やはり……この魔物の数は、まさか!?)


 ビネガーが『そして』と宣言した時、海から大渦が産まれた。空の雲は割れ、黒い塊が意思を持ったように下降し始める。大陸から雄雄しい声と共に何かが飛来する。山は揺れ、大地揺れ、聞くだけで耳が割れそうな鳴き声が魔物たちを威嚇する。
 その冗談のような気配に慄いている主格へ、ビネガーが顎を上げて言った。


「この世界に存在する全魔王軍、一万七千六百三十五全ての魔物を倒せたならばな!!」
『ギギギギギャアガガガガアアアアアアアアアアアアア!!!!!!!!!!』


 海は昇り立ち、中から数えられぬ海棲のモンスターが牙を剥き、空ごと落ちてくるのではと想う羽を生やした魔物が落雷の如く落下する。大陸の魔物たちは海の上を走り武器を振るい、山に住む高山棲のモンスターは鼓膜を潰すような鳴き声を発した。
 是、全て魔王軍なり。魔王唯一人に忠誠を誓い、戦いを厭わず死を厭わず、前進を続ける雑兵たちの集まり。彼らの信念は人間を滅ぼす事に非ず、魔物の世界を作る為でも無い。孤高な主君に仕え、己が命を矛に変え盾として命を散らすことのみ。そして、その状況は今この時に為った。
 主君に仇なし無礼な口を聞き、尊敬すべき魔王三大将軍を貶す不届き者に世界各地から総集合したのだ。
 世界を覆うほどの敵意の目に晒された魔物たちは、一言呟いた。


「冗談だろ?」


 彼らの断末魔は、決して魔王の元に届く事は無かった。






 戦いは終わり、全身を返り血に染めたソイソーが魔王の元に戻った時魔王が口を開いた。「何故奴らは私を助ける?」
 魔王が見る方向には海の彼方まで届こうかと思えるほど集まった魔物たち。到底、魔王を辞めると決意した自分を慕う理由が彼には分からなかった。もう彼には人間を滅ぼそうとする意思は無いというのに。
 その言葉に三大将軍は顔を見合わせてから、ビネガーが代表として不思議そうに問い返した。「魔王様を助けずして、何が魔王軍なのですか?」
 理屈ではないのだ、彼ら魔物たちが魔王を敬い仕えるのは。人間でありながら魔物を従え、常に自分を鍛え魔物にはない知恵を振り絞り守ってくれた存在に忠誠を誓うのは当然であった。
 魔物であるだけで弾圧され、親兄弟を狩られ行く所を失った魔物を魔王は誰であれ受け入れた。優しい言葉など掛けず、淡々と受け入れたのだ。それが、途方も無く彼らには嬉しかった。受け入れて当然だと言われているようで、特別な事ではないと教えられたようで。
 ただただ、生きて良いのだと思わされた彼らの心情たるや、人間では理解出来ぬものだろう。
 魔王は感慨無さげに、「そうか」と言うだけで、ビネガーの腕を離れ、飛び去ろうとした。その背中に声を掛けるのは三大将軍のビネガー。他の魔物たちは狂信とさえ言える感情を持っている為、とても声など掛けられない。ただ視線を送るだけである。


「何処へ行くのですか魔王様? まだ傷は完全に癒えてはおりませんぞ」
「……貴様らには関係の無い事だ。人間を助けに行く」
「人間をですか? ……はあ」


 気の無い返事を返すビネガーに構う事無く、魔王はもう一度飛翔速度を上げようと試みる。大半の魔物がここに集合していたとはいえ、所詮三分の一前後。人間たちの脅威はまだまだ終わらない。紛いながりにも世界を守ってくれと言われ承諾したのだ、魔王にそれを破るつもりは無い。仕方ない事とは言え、約束が果たされない痛みを彼は姉の件でよく知っている。


「待つのネー、魔王様! 何か私たちに言う事は?」
「言うことだと? ……ああ、なるほど。良くやってくれた、貴様らの事は魔王として誇りに想う」
「いやいや、そうじゃ無いのネー! まあ、嬉しいですけど……」


 顔を赤くして両手を振るマヨネーにいよいよ不信感を抱く。何をどうしてほしいのか、彼にはまるで理解が出来ずにいた。黙々としていると、焦れたようにソイソーが「ええい!」と魔王の前に出て自分の胸に手を置いた。彼の表情は悲しげであり、寂しげでもある。


「どうして我々に命令を下さぬのですか!?『人間を救う為に手伝え』と!」
「……何だと?」魔王は耳に異常があるのかと自分を疑いながら聞き返した。まさか、そのような事があるまいと驚きを持ちながら。
「ですから! 我々に命令を! 人間どもを守れと命令して下され! 武人として、主君の為す事に身を捧げられぬなど恥以外の何者でもありませぬ!」
「ば、馬鹿を言え! 貴様ら魔族は人間を忌み嫌っているだろう! それを救えなどと、誰が命ぜられるものか!」
「人間が嫌いである以上に、我々は魔王様を慕っております! それを疑うというならば、不肖、私ソイソーはここで腹を切る覚悟にございます!」
「貴様……」


 ソイソーの目に本気を見て、周りの魔物たちにも目を配る。海も空も悲しそうに歪んだ目だけが彼を捉えていた。何故悲しいのか、魔王は馬鹿ではない。
 彼らは訴えている。連れて行ってください、命令して下さいと。貴方の力になりたいのですと。
 彼らは確かに人間を恨んでいた。仲間を殺され家族を奪われ、己の命と引き換えに人間を殺し尽くしてやると願っていた。
 だが、その陰惨たる想いもある時を切っ掛けに変わる。それも一瞬で。彼らの恨み辛みは、魔王に受け入れられた時に消えていたのだ。
 人間を滅ぼす為に戦いを仕掛けるには文句は無い。むしろ望む所である、けれど魔物たちはそれ以上の気持ちを見つけたのである。命を賭ける主君を見つけた喜びを彼らは言葉に出来ない。至る所に魔王の像を立て、毎夜像の前で祈りを捧げる事は彼らの日課であった。いつしか、魔物の望みは魔王の望みへと変わっている。
 魔王は少し勘違いをしていた。魔王である自分を愛するのは幼き頃より一緒にいたビネガー、ソイソー、マヨネーの三人だけであると。
 それは違う、彼を愛しているのは三人ではない、一万七千六百三十五の魔物が彼の為に命を捨てられるのだ。


「……ああ」


 魔王は思う。想いの外恵まれていた? 実に頭が悪い、これでは馬鹿だ馬鹿だと言ってきたマールやクロノ以下である。
 最上の幸せを手にしていたのではないか。これほど多くの者に愛されて不幸を気取るなど馬鹿馬鹿しい、胸を張って言い歩こうではないか、私は歴史上最高の幸せ者だと。


「……魔王様!?」


 ビネガーが魔王に声を掛けるが、彼は答えられない。泣いているから、隠す事無く涙を流していたから。
 辛くは無い、悲しくも無い、ただ嬉しくて泣いている。人生を復讐に捧げるという自己的な理由だけを掲げ生きてきた彼は、いつしか全てを手に入れていた。それに気付かぬ愚を呪う事はしない。今の自分がすべきことを彼は良く理解していた。
 魔王が片手を上げる。


「全軍……」


 彼は理解している。今から自分はとんでもないことを命令しようとしていると。歴史上……いや物語の中でも存在しまい。魔物を統べる魔王がこのような命令をする話など聞いた事も無い。
 だが恐れない。自分を愛してくれている者がいる事も彼は理解しているから。震える喉を必死に動かして、彼は命令する。


「私と一緒に……人間を守って、いや、守れ!!」


 魔王の命令が発せられた時、世界中に鬨の声が響き渡った。









     ※そして現代へ※









 時を超え、場所はリーネ広場。
 戦いはまだ続いている。一撃に全てを賭け、一振りで魔物を屠っているものの、ジナは戦況の悪さを自覚していた。拳から滴る血は見るからに骨が砕け、白い何かが皮膚を突き破っている。それでもまだ彼女は一撃必殺を辞める事は無い。普段ならば取ることの無い構えを作り入念に気を込めて腕を突き出している。
 彼女の味方として唯一背中を守っていた兵士も満身創痍を超え立っているのがやっと、生きているのが不思議である様。戦況が悪いというのは語弊があるか、彼女らが立たされた現状は絶望的である。
 援軍は来ない、敵は減らない。言葉にすれば句点を合わせて十五文字の理由が全てである。剛毅の塊であるジナとて、これには苦笑せざるを得なかった。


(まさかねえ、この私が助けを待つなんて女々しいことを思うなんて、年ってのは残酷だわ)


 紫の肌色である見目醜い魔物の臓物を吐き出させながら、ジナは弱音に近い思考に埋もれる。その考えに驚いたのは当の本人である。まさか、武を極めたと豪語する自分が、と。家事でも子育てでも無い、唯一他人に誇れる争いごとで躓くならば自分に何が残るのかと、己の生涯を振り返る。


(はは、あんたがいなくなってから、私はこんなに弱くなっちまったよ。この期に及んで白馬の王子様なんて柄でもないしねえ……)


 今は無き良人を想い、喉奥から込み上げる熱い液体を思うままに吐き出した。今までに蓄積されたダメージが臨界を突破したようだ。心と反面し、体から力が抜けていく。


(ああ、駄目かあ……そりゃそうか。子供一人育てられない私が皆を守るため戦うなんて、戯け過ぎる。そんな名分に縋るなんて、汚すぎる)


 それでも彼女が願うのは、せめて彼女の良く知る、まともな愛情を与える事もできなかった息子の顔を見たいという、実に母親らしいものだった。
 言うに及ばず、ジナが乞うたのはクロノに会いたいというものである。例えば、顔中に鋭い棘を生やした水色の巨体を持つモンスターなどでは断じて無い。ましてや巨大な腕を持ち上げ己の顔を隠しながら同じ魔物を挑発するような生き物では絶対にありえない。
 故に、体を後ろに倒した後見える光景を、彼女は夢だと考えた。夢にしても突拍子が無いものだ、と思った。
 まるでジナを守るように魔物たちと向かい合っている魔物は、表情を腕で隠しながら呟いた。


「攻撃してみろ。そうしたら……」


 弱った敵を倒そうと意気込んでいた最中に突然現れた見知らぬ魔物の一言は、黒の夢の魔物たちを不愉快にさせるもので間違いない。攻撃してみろという言葉自体苛立たせるものだ、後に続く言葉が何であろうと、望むままに攻撃することを躊躇う事は無い。機械の体を持つ、黒の夢にて開発された自動人形は鋼鉄の腕を回転させて、ジナの前で仁王立ちしている魔物──ヘケランの顔面にねじ込んだ。
 自慢の牙が折れ、骨格が変わるほどの衝撃を受けながらも、ヘケランの愉悦とした雰囲気は変わらない。殴られて嬉しいと言わんばかりに、変形した頬を緩ませた。紡ぐのは、力のある言葉。


「……うぉーたが」
「!」


 自動人形のセンサーらしき、頭部に設置されたパーツが赤く光り始める。が、遅い。今まで水気も何も無い乾いた石畳から猛烈な勢いで水が迸り始め、うねりながら彼らを包む。そして、絡み付くように自動人形を巻き取った後離れて見ていた他の魔物たちをも襲い始める。ヘケランを除き。
 彼は地面に落ちた己の牙を拾い、折れた牙とくっつかないかせっせと試して、肩を落とした。どうやら、彼は治療呪文を使えないようである。未練を切るようにぽいと牙を捨てるヘケラン。
 彼……と呼ぶべきなのか、とりあえずヘケランに声を掛けるジナ。彼の真意を知るべくして、「何者だい?」と声を出す自分がやはり信じられない。いつもならとりあえず声を掛けるではなくとりあえずぶっ飛ばすなのに。彼女の天衣無縫とも言える生き方に文句を言う人間はいなかったのだ。


「俺は、ヘケラン。貴方はジナでよろしいか?」妙に畏まったような口調にジナは警戒したままに首を引いた。肯定された事にヘケランは喜びを見せる。
「そうか、そうか。やはり、遠目にも貴方は相当な武人と分かった。奴らの言う通りだ!」
「奴ら? 私の事を誰かから聞いたってかい?」
「ええ。奴らときたら、巣で寝ている俺にも誘いを掛けてですな、どの道暇を持て余していた所ですし、乗りかかってみたのですよ。世界最強の女というのも興味があったもんで」
「ちょ、ちょっと待ちなさい。全く話が読めない」片手を出して圧し留めるような構えを取るジナ。魔物とのうのうと話している自分にも疑問が湧くし、相手にもそれ相応の妙を感じ取っている。彼女らしからぬ、戸惑った空気が流れている。後ろに立つ兵士に至っては、口を開けたまま動きもしない。
「……──!!!」


 いつもは碌に動かしはしない頭を抱えている所、遠くから何者かの声が聞こえる。それは空から聞こえた気もするし、違う気もする。ばらばらと屋台が焼け落ちる音などに邪魔されて位置が把握できないのだ。四方に目を凝らしていると、彼女はようやくその声の正体が掴める。そして、何処からとも無く現れたヘケランと名乗る魔物が何故自分を守ったのかも繋がった。
 徐々に自分を呼ぶ声が大きくなるにつれて、ジナは笑顔を作り始めた。堪えようにも堪えられない、その気も無い純粋な笑み。火の粉が飛び交う地獄的な光景にも関わらず、彼女は今晴れ晴れとした気分であった。


「ジナさん、いや、師父ーーー!!! 言いつけ通り、世界を周ってまいりましたあああーーー!!!!」


 ジナを師父と呼ぶ声は一つではない。その数は三百を超えている。その内の五十弱は彼女の知っている顔であった。
 時は遡り一週間前、突如家を訪れて力試しと言いながら襲ってきた、黒の夢から飛んできたのではない、野生らしい魔物たち。彼らを叩きのめしたのは今では懐かしいとすら思える出来事である。
 ジナにまるで敵わなんだ魔物たちは言った。「どうか自分たちを弟子にして下さい」と。
 仁王のように見下ろしていたジナは言った。「弟子になりたいなら、世界中を周って、人助けをしながら己を磨け」と。
 記憶を掘り返した彼女は、馬鹿みたいな嘘だ、と断じる。世界を周るのに一週間で足りるものか。どうせこの騒ぎを聞きつけた弟子たち(仮)が約束を破り戻ってきたに違いない。一度は自分を心配して駆けつけた彼らに感動を覚えたが、むらむらと彼女の胸に怒りが湧いてくる。よって、


「誰が師父だ馬鹿垂れ!!」
「おげえ!?」


 とりあえず先頭を走り近づいてきた者をど突き倒し、あわゆくば抱きついてやろうとしていた魔物は悲惨な声を出した。ヘケランは顔を背けている。


「私との約束を破った上に、嘘までつきやがって!」
「で、でも師父が危ないかもしれないと思ってですね……こんな騒ぎだし、万一があったら……」
「私があんなへんてこな魔物に負けるかね!? ハ、師匠の心配なんぞしやがって、半人前どもが!!」


 あんまりと言えばあんまりなジナの物言いに「そんなあ……」と倦怠疲労を露に彼女の為に駆けつけた魔物たち。それを横目で見ながら、怒っていたはずのジナは思わず噴出してしまう。
 これが、今さっきまで自分が戦っていた凶悪な魔物と同じなのか、と。町を焼き人間を殺しその事に喜びを見出していた奴らと同じなのか。この膝を抱え、たかだか一人の女の機嫌を損ねた事で落ち込んでいるこいつらが。
 見た目には、人間的感覚で言って醜いかもしれない。魔物とは本来そういうものである。けれど、今のジナにはとてもそうは思えず、むしろ……


「師父、俺たち来ちゃ駄目でしたか?」


 しゅんとした様子で聞いてくる魔物の頭をさらに叩く。「私の事を師父と呼ぶなって言ってるだろう!」
 腰に手をやり正しく説教らしい体勢で叱る。叱咤はあっても激励は無い言葉に涙すら浮かんでいる魔物も。
 ジナは、彼らは確かになっていないと思う。弟子でありながら師に嘘をつき勝手に心配してくるのは無礼の域である。だがどうだろう、一つ考えを変えれば、彼らは実に優秀な……である。ジナは今はここにいない息子を思い、その後自分の考えを改めた。


(子供一人育てられない? ……違うねえ、やっぱり私は完璧だ。これ以上無いくらい完璧だ)


 彼女の視界には、叱られて縮こまる魔物たち。立てばジナを覆うほどの巨大でありながら、俯いて座り込んだ姿は小さな子供のようだった。


「私を呼ぶときは、師父なんてもんじゃない、勿論呼び捨てなんて以ての外だ! 私を呼ぶときはね……」


 黒煙立ち上り、火の手が上がろうと空は青空。いかようにも、多少の力では万象は変わらない。それと同じくらいに力強く、ジナは宣言した。
 彼女の顔に、怒りも悲しみも寂しさも、最早無い。笑う彼女は、少女のようにまっさらで、見る者を見惚れさせるような確かな魅力があった。


「お母さんって呼びな!!」


(こんなに沢山の子供が私を慕うんだ。最高の母親のはずだ。だからクロノ、あんたもそれに恥じない男になるんだよ……いや、もうなってるんだよ!)


 ジナの言葉を聞き、落ち込んでいた魔物たちは一瞬耳を疑い、彼女の母性を感じた瞬間立ち上がって歓声を上げた。
 魔物と人間は繋がれる。四百年の時を超えても、それは為ったのだ。




     ※




 弾薬はやがて尽きる。それは当然の事だが、その消費の速さはタバンの予想を超えていた。というよりも、敵の多さを侮っていたというべきだろう。いくら撃ち落してもいくら爆散させても一向に衰えない敵の増軍は彼の想像を上回るものであった。
 秘蔵の兵器も、飛来する火の息や魔法に壊され、残骸として散らばっている。最新装備に身を固めた兵士たちも、数の多さに押し切られ大半がやられてしまった。ララの銃弾も底を尽き、兵士の剣を借りて応戦するも銃以外の武器を得意としない彼女の戦力は激減したと言って良い。
 タバン自身はその大柄な体とは反対に戦いを得意としない。機械の操作はお手の物だが、科学者は戦えない。無様に剣を振るくらいなら彼の娘と同じようにハンマーを振り回しているほうがマシなほどだ。当然金槌程度で沈む魔物はここにはいない。
 とまあ、本来ならば絶望の内に沈むしかない戦況だったのだが……今の彼らに不安は無い。どちらかと言えば戸惑いのほうが色濃く彼らを彩っている。
 彼らからすれば何が起きているのか理解するのも難しいだろう。彼らの目には今、魔物同士が戦っているようにしか見えないのだから。


「ははははは!! ワシの名はビネガー八世!! ご先祖様に倣い、人間たちを助けに来た!!」


 黒の夢の魔物たちの攻撃を全く通さぬ結界を張る青色の魔物。


「三代目ソイソーの名を継ぐ私に切れぬ物は無い!!」


 同じく、魔物を手刀で切り裂く武人らしき男。


「群がってんじゃねえよテメエら! テメエらなんか、精々一生暗い所で自分をシコシコ慰めてんのがお似合いなのネー!」


 見た目には可愛らしい乙女だが、反面言葉遣いは荒々しいにも程がある女性。
 彼らほどではないが、勢い良く魔物たちと戦う魔物たち。自分たちを守るように戦っている魔物は、どうやらメディーナ村より飛んできたようだった。


「あ、あれか? 国王様が外交を成功させてたのか?」
「いや、私どもは存じませんが、もしやしたらそうなのかもしれません」


 疑問を呈したタバンに兵士は自身無さげに返す。
 ジナと同じく魔人衆として名を連ねているララもまた、この事態にはついていけないのか、口をぽかんと開けていた。あくまで片手でタバンの腕を掴みながらではあるが。どのような状況であれ愛した人間と離れたがらない辺り、何処かの娘を思い出さざるを得ないものである。
 魔物大戦争とでも言うべき光景は、どちらの勝ちだったのか。詳しくは言えないものの、このトンデモな争いに幕が降りた後、正式なガルディアメディーナ間での同盟が為されたのは、国民全員が知る事となる。




     ※




 ガルディア城玉座の間にて。
 そこへ繋がる大広間はヤクラ姉弟が死守していた。確かに、相当の数を彼女らは押し留めていたものの、玉座に繋がる道はそこだけではない。空を飛ぶ魔物であれば城の天守閣ともいうべき天辺から城内に侵入することも、また王族の居住区である塔から向かう事も可能である。
 何が言いたいのか、つまりは国王はただ一人玉座に座りぼう、と国の行く末を案じていることは出来ないという事だ。
 大分前より現れた魔物たちとガルディア三十三世は応対し、戦いに身を投じている。すでに重りである国王の装束は脱ぎ捨て拳を固めていた。体に傷をこさえて阿修羅のような面を表情に付けて来たる来襲者を退けている。
 そして、彼は一人ではない。魔物が飛び込んできたのと変わらぬ時間で彼と共に戦いだしたのは、彼の娘、マールである。親子で揃いお互いに背中を預けている彼らはこのような状況下でも、歌舞歓楽に興じるように楽しそうな雰囲気を見せていた。二人とも視線は人を殺すほどに剣呑としているも、体から滲み出る喜のような気迫は抑えきれずにいる。
 体で押し潰すような特攻には国王が相手取り叩き伏せ、その隙を突こうとする魔物にはマールが氷で阻み小刻みなステップで蹴りの乱打。飛び交う魔物を弓で落とし、落ちてきた魔物は国王が踏み潰す。
 国王が剛、マールが柔。お互いを補助しあい、共に伸び伸びと戦えるのは彼らが親子であるからか、共に同じ武を学んできたからか。


「まったく、パパったら無茶苦茶だよ!」氷の壁を壊し、その氷片を相手に散弾銃の如くぶつけながら、マールは言う。
「ふむ、何の話だマールディア」魔物の顔面を掴み取り、握力だけで潰しながら国王。潰れていく魔物の断末魔を耳を顰めながら聞いて、王女はズバ、と言葉で切る。「兵士のほとんどを町に送ったでしょ! トルースにはともかくパレポリにまで送るなんて! 狙われてるのはガルディアなんだよ!?」
「なるほど、その事か」傍らの燭台を掴み、三位一体に合体した首の三つある魔物の胴体に投げつけた。怯んだ様子の魔物の首を掴み投げながら国王が思い出したかのように語る。「城には私がいる。何の因果か、お前も戻ってきた。さらには、広間の音を聞く限り大臣に兵士団長までいるようだ。これ以上戦力を城に集めていかんとする」


 国王の口振りから自分が間違っているとは微塵も思っていないようだ。マールは頭が痛そうに顔を顰めつつ、敵から奪った槍の柄で敵の眉間を突く。苦痛に呻く鳴き声を耳にしながら、体を翻し背中を狙う魔物には刃先を向け投擲した。刃先は魔物の額を貫き、また一体の魔物が地に伏せる。


「まったく! まったく!」憤慨しながら魔物を打ち倒しつつ、その実怒りは共に戦う父に向けられているという、なんともおかしな戦い方を続けているマール。言葉とは裏腹に、スポーツに打ち込むような爽快とした表情はいかんともしがたい。流れる汗も正にそれである。赤とも紫とも判別できない体液を除けばであるが。
「マールディア、そう怒るな。まるで私が間違っているようではないか」


 実際、マールはガルディア国王の城に兵士を回さず、その上領地に無い村に戦力を割いた事に苛立ち間違っていると考えているのだが、どうも国王はその事に気付いている様子は無い。そもそも、自分に間違いなど過去にはともかく、今現在にあるはずがないという絶対の自信がそうさせているのだが。
 戦闘の合間を縫って蓄えた髭を伸ばし整える父親に激昂するのは時間の問題だとマールは思った。
 彼女は国王を考えなしの能天気め、と内心毒を吐いているも、油断の出来ない敵溢れる今この時に考え事をしている彼女も大概に能天気と言えた。それでも彼女らが魔物を相手に立ちまわれるのはやはり連携の巧みゆえだろう。


「国王だからってね、何でも出来るわけじゃないんだよ!」敵との距離が僅かに開いた隙に矢を三本番えて放ちながら、国王に噛み付くと、彼は大口を開けて笑い出した。
「学が足りんなマールディアよ。国王とは何でも出来るのだ」
「学が足りないのはどっちよ!」
「良いかマールディア」大切な事だぞ、と内容を強調させるように人差し指を出して、国王は言う。「国王とはな、残酷であり、卑怯であり、臆病者でもあり、また勇気を必要として、尚且つ……国民の誰よりも、強欲なのだ」


 だから私は守りたいものを守るのだ、と子供染みた理想論を翳す国王。駄目だこりゃ、と天を仰ぐマール。お互いがお互いを分かってない! と評しつつ、一般的な見地から言えば二人とも何をやっているのか、と呆れたくなる姿であった。


(でも、それでこそパパなのかもね)


 マールは呆れつつも、驚嘆に値する出来事ではないかと自分を落ちつかせた。城よりも、国王よりも大事な者を父は知っている。それが度を越えているだけの話だ。
 ならば、支える者がいればそれで良い。それは今自分たちと同じく城内で戦っているだろう大臣や兵士長であったり、また娘であったり。これは中々凄い事だぞ、と彼女は胸を知らず張った。
 自分は今年で十六になる。十六の娘が嫌がらずに……いや多少思うべき点はあるが、それでも父親を慕い守る覚悟があるというのは世間的に見てかなりの孝行娘ではないか? 一般親子がどのような関係でいるかなど彼女は知らないが、世に流れる一般小説から鑑みると希少な娘ではないか。マールの胸にちょっと誇らしい気分が生まれ、ほんのり暖かかった。
 彼女が素晴らしい娘なのかどうかは分からない。世の中には彼女よりももっと親思いで、父を大切にする気概溢るる女性もそこかしこに存在するだろう。
 だが、恐ろしい魔物が迫り来るという脅威の中二人で共に戦い合える親子は確かに希少だろう。お互いがお互いを守りつつも「ここは私に任せてお前は逃げろ!」と父親が男らしく叫ぶ事も、「パパ! 私が食い止めるから先に逃げて!」と悲壮感を露に己の身を捧げる娘の言葉も無い。魔物の牙が体に食い込もうと構う事無く敵を打ち倒し続ける親子は異様である、およそ血の繋がった者たちの動きではない。
 それを関係が希薄と取るか、信頼あってこそと考えるか、それはそれぞれだろう。
 分かるのは、彼らがこの上なく戦いを楽しんでいるという事だけだろう。国王の責務も、王女の嗜みも無い原始的な遊びに没頭する彼らは、例えようも無く親子なのだった。


──彼らが、これよりもうすぐに現れるメディーナの住民による加勢を喜びつつも、少し惜しそうな顔をしていた事により『ガルディアは修羅の統べる国』として有名になる理由の一つになる。





     ※己の時代を追い出された男の話※





 兵士たちがガルディアを出発し、ゼナン橋を越え、魔物たちの襲撃に受けているはずのパレポリへ向った時の話である。
 隊を率いていた二番隊隊長である兵士は、村に入るなり大勢に襲われた。
 襲ってきたのは魔物ではなく、村人である。いや正確には襲って来たのではない。そのように感じるほどに、熱気ある対応を受けたのだ。いやいやそれも正しくない、それでは歓迎を受けたかのように受け取ってしまうだろう。そうではない、パレポリの村人は一様に焦った顔で兵士たちに懇願したのだ。
 しかしどの人間も口から泡を飛ばすばかりで碌に聞き取れはしない。何が言いたいのか分からず、兵士たちは困惑した。魔物が何処に潜んでいるのかも分からない今、兵士たちとて冷静ではいられないのだから。


(……だが、何処に魔物がいるというのだ?)


 隊長は疑問を浮かべ、村の様子を見る。襲撃にあった様子は見受けられど、魔物たちの姿も声も聞こえない。戦いが終わった後のような印象を受け、ありえぬ話だが、村人が退治てしまったのかと馬鹿らしい考えが過ぎる。


「落ち着いてください皆さん! 私たちは黒の夢より降りてきた魔物たちを倒すべく派遣された……」
「それはもうええんじゃ!! それよりも、早く、早く助けてくだされ!!」
「も、もういいって……それに、た、助けるですか?」隊長の声を遮り掴みかかってきた老人の言葉は何ら意図のつかめぬ、意味不明な台詞だった。魔物を倒すのはもういい、しかし助けてくれ。まるでとんちのような内容に困惑は深まる。


 隊長の困惑は部下に広がり、各々仲間内で小さく会話を広げる。ざわざわと浮き足立つ彼らを見て、子供たちが前に出る。皆十を越えるか否かという幼子である。顔に墨がついているが、目だった外傷は無いようだ。
 どうやら友達の集まりらしい彼らの内、頭一つ背の大きな、お姉さん役だろうか? の少女が拳を震わせて、涙を堪えながら兵士に向って声を出す。


「怪我をした人がいるんです……その人が、村を守ってくれたの!」


 兵士の疑問は一つが解消され、代わりにまた新たな疑問が浮上する。
 彼らの助けてくれというのは、その怪我人を治療してくれという事だろう。見た限り道具屋も焼け落ちたのだろう、ポーションの類も無いらしい。幸い兵士たちには携帯のポーションをいくつか常備させてある。最低限の応急処置は可能だろう。
 もう一つの疑問は、魔物の群れを一人で退ける人物の事である。そのような偉業をどのような人物が可能とするのか、果たしてそれは人間なのか。
 何がなにやら分からぬ隊長が言葉にならぬ声を洩らしている間にも、少女は泣き出し、眉を垂らしている。


「お願い……助けて……」


 縋るような声にはっ、と我を取り戻した兵士たちは、急ぎその怪我人のいる場所まで案内してくれるよう村人の一人に頼み込み、各々懐から全てのポーションを取り出しつつ村人の後を追った。
 兵士たちが村の奥に走り去っていくのを目にしつつ、少女とその友達の子供たちは声を揃えて、自分たちの村を守ってくれた男の名を叫んだ。


「お願い、あの人を、ダルトンさんを助けて!!!」


 子供たちの声は木霊した。



















『とある男の一ヶ月』


 古代にて、マールに破れゲートに飲まれた男──ダルトンは何の因果か、現代の辺鄙な村、パレポリに飛ばされていた。
 時間移動を経験したのは初めてであるが、彼はすぐさまに己が古代ではない違う何処かへ消えたのだと理解する。空気も村人の和やかな会話も己が住んだ時代にはあり得なかったものだからだ。
 誰かに弾圧されるでもない、伸びやかに健やかに自由に生きている人々の笑顔を見て、悟る。


(そういやあ、ラヴォス神とやらの力の一つにそんなものがあったかもしれんなあ……つまり俺はジール女王に狙われたわけか。反旗を翻したのは確かだが、よくもまあ勝手な事をしやがる)


 ダルトンは自分がゲートに呑み込まれた理由を大体に決め付けた。実際はただの不幸な事故でしかなかったのだが……(ダルトンの無理やりとも言える時空を歪め使い魔を召喚する魔法が時空を歪めたのも関係する。自業自得でもあった)彼にそれを知る方法は無い。
 それから彼は……何もしなかった。新しい土地で権力者となるべく動き出す事も、新天地を開拓しようという好奇心も疼かず毎日ぼんやり村の片隅で寝ているだけの毎日を過ごしている。
 元々死ぬつもりであったのだ、見知らぬ時代に飛ばされるのも悪くは無い。けれど一々命を絶つのも面倒。結局ダルトンは自分を動かす理由を見つけられずにいた。
 村人たちは、そんな見目珍しい奇妙な来訪者に冷たかった。見たことも無い服を着込む巨大な男が、誰と喋るわけでもなく村の中で寝泊りしているとなれば当然か。とはいえ、気の弱い森の民が面と向って出て行けと言える訳も無く、奇異の視線を浴びせる事以外に何もしなかった。
 毎日、毎日、腹が減れば木の実を食し、森の中で見つけた湖で喉を潤し。戦いとは無縁の生活を続けていた。そして、ダルトンは気付く、案外に、戦わずにいる自分も悪くは無いと。
 忘我のまま己を鍛え戦い続ける修羅の道しか残されていないと信じていた彼からすれば、慮外千万、青天の霹靂たる事実である。と同時に、湧き上がる羞恥心と確かな安心感が湧き出した。
 数え切れぬ命を奪った俺が平穏を愛するだと!? ありえぬ! と断じたくもあり、誰かを傷つける事も、傷つけられることも無いのだと歓喜から騒ぎたくもある。複雑と、一口には言い切れぬ猥雑な思いが圧し掛かった。
 とはいえ、それは彼の内心の話。彼は見た目には怠惰に毎日を生きているだけだった。何かを産み出すでも消し去るでもない凡庸な日々。それが変化するのは、彼が現代に流されて二週間と経った日の事だった。
 いつもの通り、村の中にある四辻の道を見渡せる森の一帯にて寝転んでいた時、彼の耳に切り裂くような悲鳴が届いたのだ。
 心では、どうせ俺には関係無いと無関心を決め込みながらダルトンは反射的に身を起こしその現場に走ってしまう。林の中をすり抜け、小さな川を一足に飛び越え渡り、極端な坂を服が枝に引っかかる事を気にせず一心不乱に走った。
 伐採した木を保管する森小屋に着いた時、ダルトンは悲鳴の発生源を目にした。村の子供たちが魔物に囲まれていたのだ。いかに弱い魔物であっても、戦いなど経験も見たことも無い子供には恐怖でしかないだろう。
 ダルトンは追い払うような気持ちで魔法を唱え……一瞬硬直した後気にせず走り、魔物たちをその屈強な肉体で蹴散らした。鍛錬を怠っていたにも関わらず、長年酷使していた体は訓練の中断よりも休息を喜んでいたようで、思い通りに動いた。
 一息つき、肩を払う彼に尊敬の目を向けていたのは、説明するまでも無く子供たちである。きらきらとした瞳を作り、まるで正義の味方でも見るようにしているのを、ダルトンは煩わしく感じ、言葉を掛ける事無く立ち去ろうとした。
 それを許さないのは、子供たちを率いていた女の子である。見るからに最年長らしき彼女は離れ行くダルトンを見て、慌ててその背中を追いマントを掴んだのだ。しかし、その後に続く言葉を見つけられずにいた。対して一部も優しさを見せる事無く手を振り払うダルトン。そのまま森の奥へ消え行くも、彼は背中に当たる視線をいつまでも感じていた。
 翌日、ダルトンが目を覚ますと形の悪い握り飯が傍らに置かれているのを見て、少し目を見開く。辺りを窺うと樹木の陰に隠れる子供の姿を捉え、溜息をついた。
 そのまま握り飯を手に取らずにいると、期待の篭った眼差しを感じられ、背中がむず痒くなってくる。諦めるような心持ちでそれを頬張ると、隠れるつもりがあるのか? と問い質したくなるような歓声が聞こえ、盛大な、盛大な溜息を吐き出した。
 それからは、ある意味とんとん拍子である。無愛想ながらも面倒見の良いダルトンはあっという間に子供たちに懐かれ、好かれだしたのだ。
 毎日毎日子供たちに「ダルトンのおじさん!」と呼ばれ、おじさんと言われるたびに頬が引くついたが子供たちにその辺りの機微を感じ取れというのは無理があった。
 唯一最年長らしき少女にだけは「ダルトンさん」と頬を染められながら呼ばれたが、彼が少女の淡い初恋に気づく事はあるのか。


「ダルトンのおじさんは、どうしてそんなに強いの?」


 ある日、子供の一人がどうして空は青いの? と聞くように問うてきた事があった。ダルトンは特に迷う事も無く答える。


「俺様は俺様だからだ。この俺、ダルトン様が強いのは当然の事だからだ」


 我思う、ゆえに我ありというような、哲学にも似た台詞を子供は理解出来なかったようだ。ううんううん、と考え込んだ後、難しい考えを放棄して、勝手に要約した言葉を並べた。


「じゃあ、おじさんは世界一強いんだね!」
「ふん、まあ間違いではない」
『おおおー!!』やっぱりそうなんだ! と声を同じくして子供たちが手を叩きあう。彼を尊敬する目に一点の曇りも無かった。


 大言壮語だ。虚言だ。ダルトンの心の中で自分を責める槍が続々に投げ込まれた。負けに負けて島流しのように時代を越えた自分が強い訳が無い。むしろ自分よりも弱い存在があるのかと本気で悩んだほどである。
 けれど、子供たちには自分が強い存在であると認められた。慕われて、尊敬されて、ヒーローのように思われている。それがどうしようもなく、彼を救った。だから、嘘をついてしまった。たかだか子供の尊敬を崩さないために嘘を重ねる。


「俺様に勝てぬ者は無い。神でも悪魔でも同じ事よ」


 何度も何度も嘘をついた。
 何度も何度も「凄い」と賞讃の声を浴びた。それがまた、彼を喜ばせて、それ以上に後悔させた。
 その日の夜、ダルトンは久方振りに訓練をしようと魔法を唱える。鉄球も、光線も問題なく発現させることは出来た。ただ……唯一、彼の最も得意とする召喚呪文だけは何の反応も返ってこなかった。


(もう、見捨てられたか……)


 自分の不甲斐なさに呆れられて、使い魔としての約束を放棄されたのだ。
 平和なこの国で戦いなど無いと分かっていても、彼女らと会えない事は彼にとって酷く寂しいものであった。
 それを思い至ったときには、彼はすぐに訓練を止める。戦いが無いと分かっていて、何故自分を鍛えねばならんのか。平和を謳歌し、好きなように生きれば良い。なんなら、このまま子供たちの英雄として村で暮らすのも悪くない。土を耕し魚を釣り裕福でなくとも不自由があっても緩やかな時間を生きるのも良い。
 日和った考えだと、過去の己なら笑ったろう。それでも過去は過去。ダルトンは新しい自分を見出し始めたのだ。
 ──日がな一日、のんびりと暮らし、子供たちと戯れ、毎日を踏みしめて生きていた。小さな幸せを堪能していた。
 それも、長くは続かない。ある日、いつも通りに森の中で転寝していた時、村から巨大な火柱が持ち上がったのだ。遅れて聞こえてくる悲鳴の数々。森を飛び出し、村を見ると、村人を裂き燃やす魔物の群れ。何処かで見たような魔物だという考えは、おぼろげなものから確かな確信に変わる。


(あれは……あれは、海底神殿の!!)


 海底神殿改め、黒の夢がこの時代にあるのは彼も知っている。探すまでも無く、空を見上げれば黒の夢が存在しているのだから当然か。いつものように黒の夢を見上げれば、そこから続々と現れている魔物たち。


「そうか……あのヒステリー女、世界を滅ぼすつもりか」


 最初、気付いたときには慌てたが、すぐにも落ち着きを取り戻す。
 良いじゃないか、元々死ぬつもりだったのだ。最後に良い夢を見た。ならば流れに任せて死ぬのも悪くない。
 村が焼かれようと知ったことか。自分には関係無い、生きた時代も違う他人の事に気を使うのは馬鹿げている。何者かを嘲笑するように笑い、いつものように森の中で寝る事にする。次に起きたときには死んでいるだろう。死地に自ら赴く事すら彼には億劫だった。


「助けて、誰か助けてー!!!」


 どこぞの村人が悲鳴を上げている。もう沢山だ、勝手に死んでくれ。もうあの時のような思いをするのは御免なのだ。


「ティナ!? 誰か、女房が倒れた家に巻き込まれたんだ! 手を貸してくれ!!」


 誰かの夫が、家の下敷きになったらしい妻を助ける為、誰かの手を借りようと叫んでいる。ダルトンは耳に入れず、背中を向けている。


「ガルディアだけじゃ物足りねえ! お前ら全員皆殺しにしちまえ!!」


 魔物らしい、下卑た号令が響いている。皆殺しか、ジール女王の部下らしい考え方だ。全てに耳を閉ざし聞こえぬ振りをして遠ざかる。


「──おじさん──」


 ふと、糸が弱かったのか首に掛けていた首飾りが落ちてしまい、それを拾うためにしゃがむ。それは古代にて受け取った由緒ある代物ではなく、価値のある装飾品でもない。子供たちから受け取った、貝を繋げて作った玩具のようなアクセサリーである。巨体の男である彼に似合う物では無い。可愛らしいと言えば聞こえは良いが、みすぼらしいとも出来が悪いとも言える価値の無い首飾り。
 けれど、子供たちがせっせと作り、彼の為に作ってくれたという事実は、とても……


「ダルトンのおじさん!!」


 とても、嬉しかったのだ。子供たちと別れた後、一人で泣いてしまうほどに。


「助けて! ダルトンのおじさーーん!!!!」


 彼は、嬉しかったのだ。


「ゴーレムども!!!!!!」


 ダルトンの呼び声に、時空を越えて使い魔が召喚される。薙刀を駆り、鋭い眼光を備えたゴーレムに、法衣を纏ったシスター。そして、彼の親友であり、最も信頼できる相棒、マスターゴーレム。彼女らがすっ、とダルトンの後ろに控えた。ダルトンは背中を向けているため、彼女らがどのような顔で彼を見ているのかは分からない。
 睨んでいるかもしれない、何を今更、と恥知らずを見下す目つきで見ているかもしれない。だからこそ怖かった、けれど彼女らを頼らねば魔物を倒す事はできないとも分かっていた。


「……今更かもしれぬ。今の今まで呼びかけに応えなかったのは、俺に呆れていたからだろう? 戦いを避け、卑屈に生きていた俺を蔑んだだろう。だが……頼む。俺にはこの光景は我慢できぬ……ッ!!」


 断腸の思いで語る彼の言葉を聞き終わる前に、ゴーレムたちはダルトンの横を通り過ぎ、村の中に入っていく。俯いていたダルトンは、彼女らの表情を確認する事は出来なかった。
 三人は彼から一定の距離が生まれた所で立ち止まる。その場で僅かの間沈黙が続き、次に声を発したのはマスターゴーレムだった。


「……呼びかけに応えなかったのは、私たちではありません。御主人様が、私たちを呼んでくれなかったのです。心を閉じて、私たちとの対話を試みてくれなかったから……」
「俺が、心を閉じて?」
「けれど、その事は良いのです。今は私たちを真に望み、御呼び下さったのですから……さて」戸惑った様子のダルトンに構わず、マスターゴーレムが言葉を切り、
「主人」「ダルトン様」「御主人様」
『御命令を』


 三姉妹は声を合わせ、薙刀を振り、拳を揃え、魔力を迸らせる。
 蹂躙を楽しんでいた魔物も、悲鳴を上げ続けていた人間も、誰しもが彼女らの気迫に誘われ動きを止める。
 手放しかけていた。戦いも、自分に着いてきてくれる者も。彼女らに感謝を告げる必要は無い。だからこそ、ダルトンが言うべき言葉は一つ。


「……蹴散らせ。俺様の、最大の忠臣たちよ!!」


 突風のように、彼女らは戦地に突っ込んでいく。分割し、噛み砕き、消滅させて。彼女ら三人が一つの生き物のように敵を散らしていく。まだまだ敵の数は多い。どれだけに彼女らが強かろうと敵は黒の夢の精鋭部隊。海底神殿の魔物たちよりもさらに強化されているようだとダルトンは分析した。その考えは間違っていない。ラヴォス神より力を貰った黒の夢の魔物は、黒の夢が海底神殿だった頃の警備モンスターとは格が違う。
 つまりは、決して楽に勝てる相手でも、勝てると確信できる相手でも無い。一瞬の油断で殺されるような一撃を全員が有している化け物集団である。
 考えてみれば、勝てる道理は無い。ダルトンを入れても四人で倒しきれる数でもないのだ。“普通ならば”。


(……そうだ。俺は弱い、俺様に出来ることなんか、子供を虐める奴に拳骨を当てて、そうだな、後は缶蹴りが得意なくらいか)


──じゃあ、おじさんは世界一強いんだね!
──ふん、まあ間違いではない
──おおおー!!


(だからこそ、あのような嘘をついたのかもしれんな。憧れを口に出しただけ……ただそれだけだ)


──俺様に勝てぬ者は無い。神でも悪魔でも同じ事よ


(ただの嘘だ。だから、だからこそ……)


 一歩足を前に出す。家の陰からこちらを見る視線を感じる。不安や、恐怖や、期待、そして尊敬の混ざったそれは、望外に彼の気分を高揚させた。
 今まで自分を鍛えていたのは、きっとこの時の為だと、疑いなく彼は確信した。血を吐き熱を出し骨が折れてもひたすらに己を高みに掲げたのは、地位の為でも、そして恐らく両親の為でも無かった。
 自分が守りたいと思ったものを守れるように、自分の為だけに自分を鍛えたのだ。
 なんと傲慢か。なんと自分本位の生き方か。本来ならば責めているような表現が、ダルトンには心地良い。


(そうだ、俺は傲慢だ、俺様だからな、俺様が傲慢でないなど笑えない……何を迷っていたのだ俺は。簡単なことなのだ)


『俺様に勝てぬ者は無い。神でも悪魔でも同じ事よ』


 胸の内に澱んでいた迷いが晴れ渡ったとき、ダルトンは口端を上げて、自分だけに聞こえる声量で、これから自分が行う事柄を確認した。


──さあ、嘘を本当に変えようか。


 とてもとても、簡単なことなのだ。それは。


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