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No.20619の一覧
[0] 星は夢を見る必要はない(クロノトリガー)【完結】[かんたろー](2012/04/28 03:00)
[1] 星は夢を見る必要はない第二話[かんたろー](2010/12/22 00:21)
[2] 星は夢を見る必要はない第三話[かんたろー](2010/12/22 00:30)
[3] 星は夢を見る必要はない第四話[かんたろー](2010/12/22 00:35)
[4] 星は夢を見る必要はない第五話[かんたろー](2010/12/22 00:39)
[5] 星は夢を見る必要はない第六話[かんたろー](2010/12/22 00:45)
[6] 星は夢を見る必要はない第七話[かんたろー](2010/12/22 00:51)
[7] 星は夢を見る必要はない第八話[かんたろー](2010/12/22 01:01)
[8] 星は夢を見る必要はない第九話[かんたろー](2010/12/22 01:11)
[9] 星は夢を見る必要はない第十話[かんたろー](2011/08/02 16:03)
[10] 星は夢を見る必要はない第十一話[かんたろー](2011/01/13 06:26)
[11] 星は夢を見る必要はない第十二話[かんたろー](2011/01/13 06:34)
[12] 星は夢を見る必要はない第十三話[かんたろー](2011/01/13 06:46)
[13] 星は夢を見る必要はない第十四話[かんたろー](2010/08/12 03:25)
[14] 星は夢を見る必要はない第十五話[かんたろー](2010/09/04 04:26)
[15] 星は夢を見る必要はない第十六話[かんたろー](2010/09/28 02:41)
[16] 星は夢を見る必要はない第十七話[かんたろー](2010/10/21 15:56)
[17] 星は夢を見る必要はない第十八話[かんたろー](2011/08/02 16:03)
[18] 星は夢を見る必要はない第十九話[かんたろー](2011/08/02 16:04)
[19] 星は夢を見る必要はない第二十話[かんたろー](2011/08/02 16:04)
[20] 星は夢を見る必要はない第二十一話[かんたろー](2011/08/02 16:04)
[21] 星は夢を見る必要はない第二十二話[かんたろー](2011/08/02 16:05)
[22] 星は夢を見る必要はない第二十三話[かんたろー](2011/08/02 16:05)
[23] 星は夢を見る必要はない第二十四話[かんたろー](2011/08/02 16:05)
[24] 星は夢を見る必要はない第二十五話[かんたろー](2012/03/23 16:53)
[25] 星は夢を見る必要はない第二十六話[かんたろー](2012/03/23 17:18)
[26] 星は夢を見る必要はない第二十七話[かんたろー](2011/08/02 16:06)
[27] 星は夢を見る必要はない第二十八話[かんたろー](2011/08/02 16:06)
[28] 星は夢を見る必要はない第二十九話[かんたろー](2011/08/02 16:06)
[29] 星は夢を見る必要はない第三十話[かんたろー](2011/08/02 16:07)
[30] 星は夢を見る必要はない第三十一話[かんたろー](2011/08/02 16:07)
[31] 星は夢を見る必要はない第三十二話[かんたろー](2011/08/02 16:08)
[32] 星は夢を見る必要はない第三十三話[かんたろー](2011/03/15 02:07)
[33] 星は夢を見る必要はない第三十四話[かんたろー](2011/08/02 16:08)
[34] 星は夢を見る必要はない第三十五話[かんたろー](2011/08/02 16:08)
[35] 星は夢を見る必要はない第三十六話[かんたろー](2011/08/02 16:07)
[36] 星は夢を見る必要はない第三十七話[かんたろー](2011/08/02 16:08)
[37] 星は夢を見る必要はない第三十八話[かんたろー](2011/08/02 16:07)
[38] 星は夢を見る必要はない第三十九話[かんたろー](2011/08/02 16:06)
[39] 星は夢を見る必要はない第四十話[かんたろー](2011/05/21 01:00)
[40] 星は夢を見る必要はない第四十一話[かんたろー](2011/05/21 01:02)
[41] 星は夢を見る必要はない第四十二話[かんたろー](2011/06/05 00:55)
[42] 星は夢を見る必要はない第四十三話[かんたろー](2011/06/05 01:49)
[43] 星は夢を見る必要はない第四十四話[かんたろー](2011/06/16 23:53)
[44] 星は夢を見る必要はない第四十五話[かんたろー](2011/06/17 00:55)
[45] 星は夢を見る必要はない第四十六話[かんたろー](2011/07/04 14:24)
[46] 星は夢を見る必要はない第四十七話[かんたろー](2012/04/24 23:17)
[47] 星は夢を見る必要はない第四十八話[かんたろー](2012/01/11 01:33)
[48] 星は夢を見る必要はない第四十九話[かんたろー](2012/03/20 14:08)
[49] 星は夢を見る必要はない最終話[かんたろー](2012/04/18 02:09)
[50] あとがき[かんたろー](2012/04/28 03:03)
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[20619] 星は夢を見る必要はない第三十九話
Name: かんたろー◆a51f9671 ID:9726749e 前を表示する / 次を表示する
Date: 2011/08/02 16:06
 僕は、僕自身をどういった人間、いやアンドロイドであるかを話すのは好きじゃない。いや好き嫌いと言うよりは苦手というのが正しいかもしれない。
 だってそうじゃないか、僕が僕を語ったところで、語り手が僕である以上完全な客観性は損なわれてしまう。むしろ主観が九割を占めると思う。多分。例えば僕が見栄っ張りで格好を付けるのが好きな人種なら、自分の事は殊更に大きく、聞く人に惚れ惚れされるような人間だと語るし、僕が内気で卑屈な人間(謙虚と言い換えても良い)なら僕の事は小さく聞く人が耳を塞ぎたくなるような陰鬱な人間像を語るだろう。
 この考え方を変えたことは無い。これはもう、変わる事はないのだろうと思っている。思春期に起きるような感性の変化から作られた思考ではなく、いうなれば、これはもう実務的に形作られた僕の個性とも言うべきものだから。
 それでも、恥を忍んで自分を語るなら、申し訳ないけどそう内容は多くない。なにしろ、昔の記憶は薄れ、ぼやけているからだ。ドームに外付けのボディごと放置され、マスターに修理された事も関係しているんだろう。それを感謝こそすれ、恨む事は無いけれど。
 僕がマスターたちに出会う前の記憶で覚えているのは少しだけ。いや、少しだけ“だった”。その事について話す気は、今は無い。とにかくその少しの記憶の中で最も比重を占めていたのは(コンピューターのロック解除などの体が覚えているとされる事柄や、知識などの僕自身の行動に関係しない物を除いて)僕はヒーローに憧れていたという事。
 昔の僕は、そのヒーローがどんなものか今一つ理解していなかった。例えば、どんな重たいものでも持ち上げられたり、星の裏側まで五秒と掛からぬスピードで飛んでいったり、そういったヒーローに憧れは感じなかった。なぜなら、そのヒーローたちは人ではなく、人々を助けていたから。もっと言えば世界を救っていたから。
 僕は自分が世界を救えるほどに強いとは夢見ていなかった。けれど、例えば世界を支配するような存在がいたとして、それを倒すくらいの力を持っているのでは、と妄想した。あまり差異は無いかもしれないけど。
 ある時、ふと何かの拍子に本を読んだ……気がする。何で知ったのかは覚えていないけれど、僕は確かに物語を見たのだ。もしかしたら本じゃなくて何かのデータベースに映し出されたものを見たのかもしれないけれど、そんなことは良い。
 物語の内容は、ある主人公格である男が、幾人もの悪党を腕の一振りでやっつけていた事。時には不思議な力で、時には銃で、時には剣、拳、言葉だけで説得したこともある。少々乱雑にも思える多種多様な手段で事態を解決していった。どの方法も無理がある内容ではあったが、僕には過程よりも結果が良ければ良いと思った。
 その主人公は、言動が妙だった。いやに小難しい、けれど馬鹿らしい言葉遣いで、一々お前を倒すというだけの内容を「貴様という善と悪の区別もつかぬ下論を吐く生物体に息を吸う価値は無い、今永久なる惰眠を貪り口を閉ざすが良い」と、適当に辞典をひっくり返して作った言葉を用いていた。
 正直、格好悪いと思った。何が言いたいのかさっぱり分からなかったし、その持って回った言い回しや、目的を明確にしない話し方が嫌いだった。でも、彼はいつでも誰かを助けて誰かに尊敬されていた。女性率が多い気はしたけれど、別に良い。女の人は守らなければならないという教訓も込められているのだろうと解釈した。都合が良いね、と誰かに笑われた気がした。誰かは分からなかった。今はもう少しその人の事を思い出せるけれど、今はそういう事を言いたいわけじゃないから、割愛する。
 僕がその主人公に惹かれたのは、仲間である女性陣に好意を寄せられているからではない。何者をも打ち倒す力も……多少以上に欲したが、それでもない。敵である人物を赦し、自分の世界に引きこみ幸せにしていること。彼は強く優しく、言い回しやクールを気取った構え方が嫌いだったけれど、とにかく僕は憧れた。
 僕は誰だか分からないその人に僕の考えを話した。僕もいつかこういう存在になりたい、と熱を持って。けれど、その人──彼女は、いつもは僕の話を笑って受け取ってくれるのに、その時ばかりは顔をしかめ、折り紙を丸めて握り潰したような表情で「止めなさい」とだけ言った。僕と正反対に、熱はなく無機質な声音だった。
 僕は多分、苛々したんだと思う。もう彼女に話すのは止めて、───に話したんだ。あの人は巨大なスクリーンから出て来て、柔和な顔のまま、やはり否定した。相容れぬ存在というものはあるのだと。
 僕は飛び出した。何もかも振り払うように“そこ”を飛び出したのだ。油に塗れた海というには些か以上に汚れきった汚水を渡り、彼女らが敵と認識している存在に会いに行った。説得するのだ、誰しもが手を取り合って生きていけると謳う主人公を思い出していた。
 僕は胸を張り、つい先ほどまで僕らと敵対していた生物の群れに飛び込み和を唱えた。彼らは一様に驚いた顔を見せて、次に笑った。その笑顔は、とてもとても、敵意に満ちた笑顔だった。
 こうして、僕は壊れることになる。長い長い年月、一人で暗い世界に取り残される。あの人たちが僕を目覚めさせるまで。


「今の僕は、眠ってるのかな?」


 天井からぶら下がる吊り蛍光を見ながら、ぼそりと呟いた。


「大丈夫よ、プロメテス。貴方は今目覚めたの。だから、ちょっと混乱しているだけ。ほら、一緒に演奏を聴きましょう?」


 隣に座る水色のリボンを付けて、服は桃色を基調にした、ワンピースを着込んだ女性が宥めるように言った。背丈は僕と変わらない。二、三ミリ僕の方が高いかもしれないけれど、誤差の範囲と言える。少女というに相応しい幼い顔立ちは可愛いと言うべきなのだろうが、彼女の大人びた話し方や薄ら寒くなる笑顔は妖艶と冷徹といったおよそ子供らしい雰囲気とかけ離れたものだった。
 彼女──アトロポスは僕の左手を握り、次には怪しげな魅力は消え、姿相応の無邪気な声を出した。「もうすぐ始まるわ」と喉を鳴らす。
 目の前に大型のベルトコンベアがある。今まで停止していたそれは彼女の言葉に呼応するみたく動き出した。歯車と歯車が噛み合った時に似た重厚な音が響き、今僕がいる工場全体が揺れているような気がした。
 ベルトコンベアの端から、座り込んだ男が現れた。いや、運ばれてきた、というのが正しいのか。顔は酷く憔悴していて、視線は動かずただ口をもそもそと動かしている。無感情というか、生気が無いように見える。アトロポスは一気に冷めた面持ちになり、「はずれだわ」と浮きかけた腰を下ろした。
 流れてきた男は上から降りてきたクレーンアームが掴んでいる半透明のカプセルに入れられた。カプセルは見る間に内側が膨張し始め、男を圧迫する。男が苦しそうな声を上げようとも、止まらない。機械は止まれない。感情が無いから、躊躇も無い。
 やがて、男の体が原形を留めようとする力、その臨界点に達して、弾けた。水風船を押し潰した時と同じような音を立てて。いつもなら、目を背けるような光景なのに、僕の心は動じない。機械は心に波風を立てない。そもそも、心が無い。
 男の潰れた体は小さな薬剤のように凝縮され、その周りを白くコーティングされた。一体それが何に使われるか僕は知らない。多分アトロポスも知らないだろう。それを疑問に思う事も無い。予想するなら、生体機能をつけたロボットでも作るのに使うのではないかと想像した。その考えはすぐに消える。どうでもいいから。
 次に現れた人間を見て、アトロポスが歓声を上げた。両手を胸に置き、恋する乙女のように顔を紅潮させて。「見てプロメテス! きっと次は綺麗な歌声が聴けるわよ」僕の肩を揺らす。
 しまった、間違えた。僕たちはただの機械ではない。僕もアトロポスもアンドロイド、感情らしい感情は決して無い訳ではないのだ。僕たちは人間に対する残虐性やその行為に対する愉悦をインプットされていた。腹の奥から熱い何かが込み上げてくる。僕にはそれが吐き気なのか喜びなのか分からなかった。
 新しく流れてきた人間は大人の女性と小さな子供。二人は寄り添いあい、眉根を下げ悲しそうに嘆いていた。母であろう女性は子供に大丈夫、大丈夫と念じれば叶うと疑わぬ様に何度も繰り返し、子供は母の胸に抱きつき助けて、と咽び泣いていた。
 僕は立ち上がり、部屋を出ようとする。何故だか分からないけれど、耐えられないと思った。


「どうしたのプロメテス、これからが良いところなのに」


「ちょっと、気分が悪いんだ。放っておいてよ」アトロポスは一つ首を傾げてから、「後で私も行くわ」と言った。
 僕が部屋の扉を開けて、通路に出た瞬間、後ろから高い叫び声が聞こえた。人間でいう胃の辺りに鈍痛を感じた。
 僕はどんな人間……いやアンドロイドなんだろう。罪の無い人間が虐殺されていても悲しくない。かといって楽しくもない。今にも目玉を刳り貫きたいと思うけれど、それが何故なのか分からない。僕はどういう機械ですか? 誰かに教えて欲しい。僕は誰かに愛されていますか? 僕は何故作られましたか?
 最後の答えは知っている。僕は、僕は──
 ふと、僕はあの人を思い浮かべた。そして、ここに来て欲しいとも。もしあの人が来れば僕は追い返さざるを得ない、いや殺さざるを得ないのだけれど。でももしかしたら。あの人なら助けてくれるかもしれない。想像とは違ったけれど、あの人はあの本の主人公に似ていたから。持って回った言い回しをしないし、女性陣に慕われていると言えば確かに慕われているけれど、あの主人公の比ではない。でもあの人はただ敵だという理由で相手を殺さない。恐竜人という明らかな人類の敵にも手を伸ばそうとした。彼こそ、僕の理想とする存在なのではないか? 無意味に真似をしている無様な僕と違って本当に主人公なのではないか?
 彼なら終止符を打ってくれるかもしれない。この下らない人間とロボットの戦いを。
 言って下さいよ、つまらない事ばっかりやってるんじゃねえって。俺に任せろって言いながら、ドジな事をしても良いから。殴って下さいよ。でないと……僕は殺してしまう。沢山、沢山。
 それが正しいのだと僕が言う。それは違うよと『僕は言う』。どうすればいいのと僕が問う。どうしようもないよと『僕が結論を出す』さあ、どれが本当の僕でしょう。全部僕なんです。


「ああ」


 分かった僕は、結局のところ諦めたんだ。あの主人公になるのを。もうその資格が無いのだから。でもあの人には資格がある。だから僕はあの人に壊されたい。そうすれば僕は壊されたことで正義に近い何かを為したことになる。


「もうすぐかな、クロノさん」


 また頼ってごめんなさい。やっぱり僕、良い子じゃなかったみたいです。
 僕の両手は真っ赤に染まっていた。












 星は夢を見る必要は無い
 第三十九話 Black or White












「本当に一人で良いの?」マールは心配そうに言った。「私一人くらいなら別に一緒に行っても良いよ?」


「マールたちはやる事があるんだろ? 大丈夫さ、ロボの事だから、精々迷ってぐずってるとか、通信機を間違えて壊したとかだろ」


 カエルと別れた後、俺はマールたちに連絡を取った。彼女ら、つまりマール、ルッカ、エイラの三人パーティーは太陽石という古代の物質を蘇らせる為に動いているという。なんでもそれがあればとてつもない力を秘めた武具が作れるそうなのだ。彼女らはルッカの指示の元動いていた。
 俺の方も用事が終わり、カエルは今修行して己の力を高めている最中だと経過を伝える。その際に、ルッカが放った言葉が気になった。


『ロボと連絡取れないのよ』


 心細げに呟く彼女に俺も不安を伝染されそうになったが、胸を叩き「なら俺が様子を見に行ってやるよ」と告げた。それからシルバードを使わせてもらい、未来に飛んでもらったという訳だ。今シルバードにエイラがいないのはそれが理由である。彼女には一旦時の最果てで待機してもらっている。
 ロボの持っていた通信機に内蔵されているGPSとかいう機械でロボがいる場所は掴めている為、移動はすぐに終わった。今はシルバードを降り、目の前にある工場らしきものの前にいる。


「こっちの仕事はすぐ終わりそうよ。正直私一人でも出来そうなくらいね」ルッカが得意気に鼻を伸ばしていうものだから、マールが「そう。じゃあやっぱり私はクロノと二人でロボを探しに行くから、ルッカも頑張ってね」と言い放つ。慌てるルッカの動きは面白かった。マールの腕をぎゅ、と掴んでいる。


「ロボを探すのだって、すぐ終わるよ。場所だって分かってるんだし、気にすること無いって」


 まだ後ろ髪が引かれるように顔をしかめるマールだったが、いつまでも喚くルッカに折れたのか、「またすぐ迎えに来るからね」と残し、シルバードで移動した。二人でも姦しいのは彼女たちの特徴なのだろうか。一時は仲が険悪だったそうだが、今の二人は到底亀裂もない親友同士に見える。微笑ましい気分になった。


「さて、迷子の子供を捜しますか」


 右肩を回し、俺は何やら作業音が外まで漏れている工場に足を踏み入れた。
 中は同じ工場だけあって、ロボと初めて共に戦った工場跡と似た構造だった。違うのは、こちらの工場の方が圧倒的に明るく、破損場所などまるで無い所。技術というか、設備も揃いきっているのは驚きだった。作業用だろう小さなロボットが忙しなく動き、清掃が行き届いているのか塵一つ床に落ちていなかった。
 天井には所狭しとパイプ管が縦横に伸び、バルブの点検ロボットが甘物を落とした時の虫のように蠢いている。モニタースクリーンが壁一面に並び、俺には読めない数式の羅列がずらりと浮かんでいた。


「これは、やっぱりルッカにいてもらった方が良かったかもしれないな……」


 一目で分かる。俺にはこの施設内を歩き回るには知識が足りない。まず初めに、目の前にとおせんぼするみたく壁から壁に伸びるレーザーが俺を邪魔している。試しにその赤い光に服の端を千切り投げてみると一瞬で燃え尽きていた。ここは通れない。
 さて、まず、と前置きしたが、通れそうな道はそのレーザーを越えた先にしか無い。ダクトの類でもあればそこから入る事も出来るだろうが、それらしいものは見当たらない。いっそ施設を爆破してやろうかとさえ考えたが、流石にそこまでの魔力を放出出来るとは思えないし、壁の素材からして並大抵の力では傷つける事も出来ないだろう。大体俺はロボを捜しに来たのだ破壊魔になるつもりは毛頭無い。
 途方に暮れていると、目の前を腰の上程度の大きさの機械が横切る。そのまま通り過ぎて何かの作業を開始するのかと思えば、上部の頭? 部分がくるりと反転し、頭の上から点灯するランプがぽこりと出て来た。けたたましい音が響き渡る。これは、言うなれば敵発見! と言っているのだろうか。いやいや、まさか……
 半笑いで現実逃避していると、辺りからとんでもない数のロボットが集まり始める。その数、百に届かずとも五十は超える。そして、どのロボットも銃を頭や腕、胴体部分から突出させ俺に向けていた。漫画みたいだなあ、とぼんやり思った。
 俺の周りに集まったロボットは、同時に発砲する。銃口は数えられない。とはいえ、問題は無いだろう。何故なら、俺には磁力操作がある。適当に頭上に磁力体を作り出せば、放たれる銃弾は全て方向を代え俺に当たることはなかった。


「はっ! 所詮ポンコツの集まり、俺に敵うとでも思ったか! 馬鹿が! トンカチの代用品が!」


 満を持して、というように集まり出したロボットが何も出来ないのを見て俺はつい調子に乗ってしまった。いやしかし、実際楽しいものなのだ、掌で転がすように相手の攻撃を無力化させるのは。
 腰に手を当てて高笑いをしていると、俺の前にあったレーザーが消える。俺の強さに恐れをなしたに違いない。物言わぬ者でさえ俺に平伏すとは、俺は俺が怖いぜ。
 足を踏み出し、ロボットの囲みから抜けようとすると、目の前にあるモニターがノイズを発した。そのまま目を取られていると、モニターに様々な記号が浮かび上がり、声が流れ始めた。


『生き物? あら、生き物が自分の脚でここに来るなんて久しぶりね……歓迎しますわ。どうぞ中にお入り下さい』


 言い終わると、俺が何か言う前にぶつ、と電源が切れた。
 すると、小さなロボットは潮が引くように俺の周りから離れていく。まさか歓迎という言葉をそのまま取るつもりは無いが、面倒を回避できたのは素直にありがたい。レーザーが放出されていた場所を通りぬけ、奥の扉を開ける。奥からいきなり敵が襲い掛かってくるのでは、と警戒したが何もおらず少し拍子抜けだった。
 明滅するライトの光を抜け、長い通路を進み、荷物をクレーンで運ぶ作業場を後にした。結構な時間歩いているが、ロボットは俺に目をくれることなく悠々と歩く事が出来る。戦闘が無いに越したことはないが、いつまで経ってもロボに会えない事に苛立ちと不安が膨れてくる。


『人間さん、何故貴方はここにいらしたの?』


 一階は捜す所も無くなり、四方四メートル程のエレベーターで上階に昇っている最中、インターホンから入り口で聞こえた声がまた流れ出した。


「仲間を捜してるんだ。ロボって言うんだけどさ、あんた知らないか?」


『ロボですか? いいえ、存じませんね。特徴か何か分かりますか?』


 本当の事を教えてくれるとは思っていないが、嘘を言っているようにも聞こえない。「銀髪で、背が低くて子供みたいな背丈だ。顔は小奇麗でぱっと見女みたいな奴。話し方は格好付けてて、敬語だな」


 声は一度黙り、数泊置いてまた話し出した。


『なるほど、プロメテスの言っていた人間とは貴方ですか。考えれば分かりそうですが、いや、失敗しました』声は言葉とは裏腹に失敗したとは思っていなさそうな平坦な声で続けた。プロメテスって、ロボの事か? そういえば、ロボは愛称で本名が他にあったっけな。Rなんとか、みたいな。


『そうですか。プロメテスのお友達なら、少々もてなし方を考えねばなりませんね』


 ぎっ、と擦れるような音が鳴り動いていたエレベーターが止まる。照明灯が消え、エレベーター内は暗闇に包まれた。小声で魔術詠唱を始める。


『貴方の性能を見せてもらいます。がっかりさせないで下さいな? 生きていれば、また後ほど』


 照明の明かりが復活し、エレバーターに四体の警備用だろう少し大きな、丸みの有る人間に近い体格のロボットが俺の四方に立っている。そのどれもが機関銃持ち俺に向けている。顔面部分に光る赤いライトが眼球のように俺を睨んでいた。


「もてなしってのは、気分が悪くなれば台無しなんだよ」


 予め唱え終えていたサンダガを充満させる。見た目だけは頑丈なロボットは黒い煙を出して横に転倒した。稼動音が小さく消えていく。断末魔にしては、味気無い。
 ロボットが完全に停止すれば、エレベーターの運行が再開された。多少床を揺らしながら、俺の体を運んでくれる。


『素晴らしい……人間とは思えませんね』今までの単調な声音と違い、そこには感嘆の響きが混じっていた。


「偉そうに。あんたもあれか? ロボと同じアンドロイドってやつなのか?」人間とは思えない、という台詞は同じ人間が発したにしては違和感が有り過ぎる。大体、生き物がここに来るなんて、という言葉でもそう感じたが。まあ、こんな物騒なロボットがうろついている場所に人間がいるとは思っていないけどさ。


『アンドロイドとは少し違いますね。私の正体が気になりますか?』


「好奇心程度には気になるな」


 誰だか分からない、声の感じからして女性だろう……は迷ったように時間を延ばしたが、『良いでしょう。次の階を降りてください』と言って、インターホンを切った。
 何でお前に指示されなきゃならんのだ、と不満を感じたのであえて二階に行くボタンをキャンセルして三階に行き先を変える。理由はただ嫌な予感を感じたというだけで充分だろう。最初降りようとしていた二階を通り過ぎ、三階に着いた。到着を知らせる音声が流れ、扉が自動で左右に開かれていく。降りる際に予想を裏切ってやっただろうことに愉悦を感じた。


「随分勝手な方ですね」


「え?」


 エレベーターの入り口横に背中を預けている女性が怒りでか顔を紅潮させたまま、それでも表情は柔らかく俺を責めた。
 間の抜けた声を出した俺は硬直したものの、彼女に向き直り頭を下げる。女性は背中を離し、両手を出して「謝って下さるなら良いのです」と呟いた。


「いや、二階で待機してたのに急いで三階に走ったんだろ? ご苦労様という意味で頭を下げたんだ」驚きはしたが、まず間違いなく彼女はさっきまで俺と話していた女性に違いない。まさか意地でそこまで必死になるとは、文字通り頭が下がる思いだ。


「走ったというのは語弊がありますし、失礼ですね人間とは。それとも貴方が特別なのでしょうか」服の襟を正しながら、彼女は失礼な事を口走る。その後、俺の顔を見ながら軽く溜息を吐いた後。もう良いですと終わらせた。


「初めまして。私が貴方と話していた者です」


「どうも。それで、あんたは何者なんだ? 人間じゃないんだろう?」いざとなれば飛びのきサンダーを当てるつもりで聞いた。彼女は鷹揚に長い首を縦に振って、「私が何者かは今は教えません。ですが、名前なら教えられます」


 そういった、余裕のある動きが酷く似合っていた。見た目にはカエルの少し上か同じ程度に見える彼女だが、意外と上なのだろうか。人間ではない彼女に年齢の概念があるのかは知らないが。
 彼女は片足を引き、頭を下げロングスカートの裾を持ち上げて、高貴な身分の人間のような振る舞いで己の名前を口に出した。


「私はマザー。言えるのはそれだけです」


 彼女の名前を聞いて、俺は他意無く呟いた。「何だ、あんた母親か。どうりで、見た目の割に老けてると思ったよ」マザーはやはり顔色は変えなかったが、かすかに口端が震えたのを俺は見た。






 マザーは中々、いや相当に美しい女性だった。可愛い、美しいというよりも神聖な、修道女のような汚れのない美しさを持っていた。ただ、白すぎる花が見続ければ目に毒であるのと同じく、彼女の美しさには危なげな印象を持った。彼女からは大概の事を許してくれそうな抱擁感を見出せるが、何をしても許さない鋭利な心を持っているようにも感じる。言うなれば、彼女を剣で刺しても怒らないかもしれないが、彼女は誰かを刺す事に躊躇いがなさそうな、そんな雰囲気。想像とはいえ容易に描けるという点では苛烈な女性にも思える、一言で言ってしまえば捉えどころの無い女性だ。
 肩まで伸びる髪は真っ直ぐなストレート。髪の色は青く、魔王の髪色よりも少し淡いくらいのライトブルー。服装は上から下まで真っ白で、胸元のボタンを一番上まで閉めたシャツと、くるぶしまで伸びた歩き辛そうなロングスカートを履いている。彼女の空気感と並び、より希薄なイメージを湧かせた。
 軽く自己紹介をして、マザーにロボの居場所を聞いてみる。


「それは言えません。私は貴方の仲間ではありませんし、どちらかといえば敵でもあります」


「だと思ったよ。じゃあ何でのこのこ俺の前に現れた? 今にもてめえを消し炭にしても良いんだぜ」


 手の甲を口に当てて笑うマザーは出来ないくせに、と言外に伝えていた。「プロメテスから聞いています。クロノさんは、女性を殺す事は出来ないでしょう?」


「よりけりだ。あんたが最低最悪の女性なら、殺すかもな」凄んでみても、マザーはくすくす笑う事を止めなかった。


「私はプロメテスの場所を教えませんし、貴方の敵でもありますが、貴方には頑張って欲しいと思います。良い研究材料になりそうですから」


 底冷えするような冷笑に、俺はどういうことか追及することを諦めた。
 今までは俺の事を空気として扱っていたロボットたちが急に俺を攻撃し始める。工場中のロボットが俺に敵意を向けていた。監視カメラは常に俺を捉え、数歩と歩かぬ内に銃弾が飛んでくる。最早、磁力のバリアを張らねば歩くこともままならぬほどだった。
 息を切らしながら歩いている俺と違い、後ろを歩くマザーは悠々自適に鼻歌を奏でている。それだけではない、気が散る事に、彼女は俺がロボットを一体倒すごとに「まあ」とか「凄いですね」とか言いながら両手を叩くのだ。正体を知りたいとは言ったが会いたいとは言っていない。さっさとどっかに消えて欲しかった。
 だが、妙な事に、マザーが俺の手助けをしてくれたこともある。コンピューターを操作できない俺に代わり、マザーはロックを解除してくれたり、一部のガードマシンの機能を停止させてくれたりした。理由を問えば、「研究材料の頭脳を試したいのではなく、戦闘力を試したいのです」との事だ。つまり、施設の謎解きはどうでも良いからさっさと奥に入って戦えという事だろう。馬鹿にされている気しかしない。
 工場内を半分以上探し回った頃、今まで理由がなければ話しかけてこなかったマザーが急に俺の肩を叩き口を開いた。


「この星の人間は死にますよ」いきなりで何を言っているのか分からなかった俺は、そのままに「何だよ一体」と真意を聞いた。


「ラヴォスの起こした大災害により、この星は死にました。このままなら人間は死に絶えます。何故か分かりますか?」


「それは、環境も悪いし、食料だって作れないからだろ」マザーを俺の答えを否定して、「人間は星に依存し過ぎたのです」と言う。


「AD1999年。その頃から、星はゆるやかに死に始めていました。人間が殺していたのです。森を切り、海を汚し、空を焼いて。ラヴォスと何が違うのですか? 遅かれ早かれ、星はこうなっていたでしょう。仮に大災害が無かったとしても、今頃には世界はこうなっていたかもしれません」


 確かに、俺のいた現代でも森を切っていたし、海に船の油を流してしまい魚を殺してしまった事件は幾度も起きた。空を焼く、というのはピンと来ないが、恐らくそういう事もあった、もしくは未来であるのかもしれない。俺たち人間が星を殺していたと言われれば、嘘ではないかもしれない。しかし、何故マザーは今になりそれを言うのか。


「それでもこの星は、これだけ終わっても、人間がいなければ平和です。ロボット同士では戦争は起きず、殺し合いも無い。森は無いし海も汚れ空は月を見る事も叶いませんが……人間がいなければこの星は息を吹き返すでしょう」


 マザーはそう言うと、横顔を俺に向けて窓の外の景色を見た。外は強い風が吹き、赤土を舞い上げている。けれど、彼女は自信を持って世界を再生させると口にした。


「ラヴォスもその子供たちもやがて宇宙に帰ります。新たな餌となる星を求めて。その時こそ、この星の再生が始まるのです。ロボットが森を作り海を浄化し空に青色を取り戻すでしょう。戦も無い、悲しみもない、誰かを妬まず憎まず、鉄の国ユートピアが生まれるのです。なれば、人間などもう不要だと思いませんか? 人間は星に見捨てられて然るべき存在だと自覚するでしょう?」ねえクロノさん? と同意を求めるべく、マザーは俺の頬を撫でた。誘惑染みたその行為は、人類に対する処刑宣告だった。俺は首を振り「違う」と切り捨てる。


「人間は、長くこの星に生きてきた」


「おや、先に産まれていたから偉いなどと言うつもりでは無いでしょうね? それならば、人間が嫌っていた虫や食料としていた魚には貴方方よりもよっぽどこの星を生きてきたのですよ?」そういうことじゃない、と俺は頭を振る。上手く言葉に出来ないけれど、マザーの考えには従えない。俺が人間だから、という考えがあるのは認めるけれど。


「きっと、それなりの歴史がある人間だから出来る事だってあるんだ。人間は馬鹿だけど、やり直すことを知ってる。その為に色んな生物が犠牲になってるのも知ってる。でもここで幕を引けば、犠牲になった生物は本当にただの犠牲になる。それらを糧にして生み出すことが、人間には出来るはずなんだ、多分」


 稚拙な言葉選びだったけれど、俺なりに考えた答え。もう少し時間が有ればもっと良い答えがあるかもしれないけれど、根本は同じものが出来るはずだ。
 マザーは目を光らせて、「綺麗事ですね、いや利己的と言うべきですか」と払いのけた。


「利己的ってのは否定しねーよ。何言っても、俺は人間だからな。人間が必要ないなんて考えに賛成するわけにはいかねえ」


 それっきり、マザーは黙ってしまい、俺も口を開く事無く歩く事を再開した。何故マザーがそんなことを言い出したのか分からない。分からないけれど……分からないなりに推測してみると、彼女は代弁したのかもしれない。ロボットの代表として、人間の悪を説いたのか。彼女がどういう立場なのか、俺はなんとなく理解していた。
 俺は人間の代表として彼女に答えを渡したのか。どう見ても、合格点なんかもらえたように思えない。というか、合格なんて無かったのだろう。ただ、彼女は俺を通じた人類全員に懺悔しろ、と言いたかったのだろう。俺は、謝罪を口にすれば良かったのだろうか? 口先だけでも「人間が悪かった」と頭を下げるべきだったろうか?
 いや、そうじゃない。俺は正直に想いを口にしただけだ。そこに間違いもなければ虚妄もない。
 とぼとぼと歩き、再度エレベーターを登る。マザーとの話以降敵らしい敵は出てこなかった。ロボの姿も、まだ無い。不安は黒く染まり、気まずさなど振り切ってマザーに問い質してみようか、と思った矢先、マザーに機先を制された。


「クロノさんは、人間とロボットはどう生きていくべきだと思いますか? 人間にとって今はロボットが必要かどうか分かりませんが、昔は確かに必要としました。でなければ作られていませんものね。でも、ロボットは人間を必要としていません。むしろ害悪として認識しています」


「また禅問答みたいなことやらせんのかよ」


「私はただ貴方の意見が聞きたいだけですよ。で、どう思いますか」


 側頭部をこんこんと叩いて、答えを導き出そうとする。彼女は可能かどうかではなく、どうあれば良いと思うかを問うている。なら、希望論を提示すべきだろう。


「そりゃ、仲良くやるにこしたことは無いだろうさ。少なくとも、俺はロボと仲良くしてる。なら、皆仲良くだって……」


 言葉を詰まらせた。俺を見るマザーの顔が、今までの無表情から激変し、口を吊り上げ、猟奇的な笑顔を作っていたから。まるで、崖から落ちた人間を引き上げる為に伸ばしたロープを娯楽目的で切るような、狂気の笑み。


「プロメテスと仲良く……ですか。そうですか。そう思うならそうしなさい、そして……」


 マザーの姿は、煙のように消えた。白昼夢でも見ていたような気分だった。怪奇現象と出会ったいたとしても、幻覚でもどちらでも構わないけれど。
 ただ、幻覚だとすれば、いやに彼女の言葉が耳に残っていた。消えざまに、マザーは低く擦れながら、こう言った。


『絶望の病に犯されるが良い』と。
 扉が開き、明かりが漏れた。照らすライトの先は、地獄のような光景が広がっている。大部屋の奥にはベルトコンベアの上を流れていく縛り付けられた人間、身動きできない彼らは淡々と作業する機械に押し潰され、小さな一欠けらに変わっていく。悲鳴は止まず、怨嗟の声と嘆きが充満していた。呪詛に近いそれらは今来たばかりの俺に当てられているようで、思わず足が竦んでしまう。
 咽が渇いている、どうしてこんな事になっているのか分からない。血の臭いが酷すぎて、鼻がおかしくなりそうだ、胃の中のものを吐き出したくて仕方が無い。耳はとうに塞いでいる。足だけは何をするつもりもなく、動かない。
 そうしている間に、三人の人間が潰れて行った。一人は男、二人目はさっきよりも少し若い男、青年だろう。三人目は老年の女性。それぞれに魅力があるのだろう、目鼻立ちも違うし、年も違えば交友関係も違ったのだろう。瞬く間に彼らは違いの分からない小さな塊になっていた。


「これ、おかしいだろ? 間違ってるよな?」


 絶望の病とやらがこれなら、すこぶる効果的に俺に伝染しただろう。我を取り戻し、走り出したが、機械を止めようとしても、操作方法が分からない俺では何も出来ない。魔法で壊そうとしても多少焦げ目が付く程度、そも、壊したら捕らえられている人間たちはどうなる? 爆発でもして全員死ぬかもしれないじゃないか。ルッカ、いやロボがいれば!


「クロノさん」


「! ロボか!?」なんて都合の良い時に、と思いながら振り向く。
 結果として、それはロボではなかった。似通う所は多々あれど、俺に声をかけたのは小さな女の子だった。ロボと同じくらいの年に見える。背丈も変わらないだろう。歩くたびに揺れるワンピースが清涼感を出していた。
 ロボットと一口には言えない。だがマザーと同じ存在であるとも思えない。なら……


「アンドロイドか、お前」


「そう。貴方がクロノさんよね? わあ、プロメテスに聞いた時から会いたかったの! あ、ごめんなさい。挨拶もしてないのにはしたなかったわね」両手を重ねて頭を下げた後、少女はまた口を開いた。「私はアトロポス、プロメテスのお友達よ」にこ、と笑う表情に敵意は無い、無いが、近づきたいとも思えなかった。すぐ近くで悲鳴が木霊しているこの状況で笑えるなんて、まともな筈がないのだから。


「アトロポスか。丁度いい、これを止めろ」後ろの人間を処理(殺すとも言いたくない)する機械を指差した。彼女は「嫌よ、今とても良い所なんだから」と笑顔を崩さない。


「素晴らしいでしょう? どんな管弦楽曲とも違い、人間の悲鳴だけで構成されるオーケストラ。聞いているだけで胸が震えるわ。貴方は震えないの? 人間だって、愛好しているのでしょう? 他者の悲しみや怒りの叫びを」手を鶴のように伸ばし、舞を踊るようにアトロポスはその場で回転し、今の気持ちを表現した。吐き気がする。


「もういい、テメエには頼まねえから、ロボを呼んで来い、今すぐにだ」歯軋りしながら、アトロポスを脅す。出来れば首根っこを捕まえて引き摺りたいくらいだが、分かる。こいつはそう楽な相手じゃない。なら、ロボを呼んで来させる方がずっと話が早い筈だ。


「プロメテスならすぐに来るわ、貴方がここに来た事は知っているもの。だから彼が来るまでの間お話しましょうよ。すぐに終わる話だから」アトロポスはちょこん、とその場に座り込んだ。おいで、と手を振り俺に近づくよう指示して。
 ここで逃げるのも怯えているように思われそうで癪だった。アトロポスは隣に座るよう言っていたが、それだけは断り対面するように座った。片足を立てて、いつでも後ろに跳べる様に。
 何から話すべきだろう、と思案していたようだが、彼女は思ったより早く内容を整理したようだ。


「クロノさんは、プロメテス……貴方に合わせて今はロボと呼ぶわね。ロボをどれくらい知ってるの? どういう性格か分かる?」


「泣き虫、格好を付けたがる、痛いのが嫌い、甘えん坊、ドジ、正義感を持つ、子供の癖にフェミニスト、まあ何処にでもいるようなガキと大差無いだろうな。最後にもう一回言うけどすげえ泣き虫」遠慮なくロボがどういう奴か並べる。ホモくさい、というのは省いておいた。あれは少年期特有の尊敬とかそういうあれだ。俺に尊敬の念を抱くだけであれだが。


「へえ。面白い、ロボはそんなだったの」


「だったって、いつもは違うみたいな言い方だな。お前はロボをどんな奴だと思ってるんだよ」面白がられている事が不快で噛み付くように言ってしまう。


「お前じゃなくて、アトロポスよクロノさん?」


「……アトロポスさんはどう思っていますかね?」殴り倒さない自分に俺は感動した。大人になったのだろう。そうねえ、とアトロポスは考え込み、口を開く。話し出せば、スラスラと言葉を造っていった。


「彼が泣いている所を見た事がないわ、格好つけるも何も彼は格好良いし、腕が千切れても顔色一つ変えない。甘える姿もドジを働いたこともない、正義を背負っているなんて思った事は無い、女性だろうがなんだろうが、人間なら誰でも殺したし、まあ何処にでもいるロボットみたいと言われれば頷けるわ」


「そりゃ凄いな。とんでもない人違いだ。いやアンドロイド違いか? まともに話す気が無いなら消えてくれ」


「私は至極まともよ? 貴方こそ嘘を言ってるんじゃないかと思ってるくらい」疑っている割に、アトロポスは楽しそうだった。子供らしい、無邪気な言葉遊びを満喫しているように。アトロポスはワンピースの裾を指で掴み、下ろした。別にお前の下着に何の興味も無いと言ってやりたかったが、それすら笑われそうで、やめた。
 カモシカのように細く、折れそうな白い足を伸ばし反動で立ち上がり俺を見下ろす。「貴方は私たちを誤解してる。多分、人間視点で見れば良い方に」


「要領が得ない。回りくどい言葉を選ぶのが好きというのは、アンドロイド共通である。それは俺の誤解か?」


 むう、と顎に指を当て「個性よ」と告げた。そのまま、その指を俺に向ける。彼女の指が銃身に、掌がグリップになる幻想を見た。彼女は引鉄を引く。


「ねえお願いクロノさん。出来れば消えてくれる? そうね、プロメテスが来る前が良いわ。そうすれば、彼は苦しまずにすむもの。これは貴方にも共通するわ」


 お勧めよ、と商品を紹介するセールスマンのように言ってアトロポスはまた回転する。素晴らしい提案を誇る子供のようで場合が場合でなければ微笑みたくなるくらいの空白の行動だった。あっけらかんと言い換えてもいい。
 そうか、大体こいつの言いたいことは掴めた、マザーよりは読みやすい。それでも分かりづらいガキであることは間違いないが。瞬かせる目を両手で覆い、散乱する思考のピースを一纏めにする。それは見事な記念碑だった。そう言うに足る珍しく、奇跡的な結末が頭に残る。
 整理してみよう、ロボはこいつらの敵ではないのだろう。彼女らの口振りからして、ロボを嫌っている、また敵対しているようには思えない。俺なんかより付き合いも長いのだろうさ、俺の知らないロボを沢山知っているのだと思う。恐らく、あのドームで放置されていた頃のロボより遥か昔からの知り合いだか、友達だか、もう少し踏み入った関係だかは知らないけれど。
 ロボは人間の敵だったのだろう、それを彼女は包まずはっきりと答えた。マザーの言う人間を必要としないロボットとして産まれたことも想像できる。
 思うに、ここはロボの生まれ故郷なのでは? 実際、時の最果てで爺さんがそんな事を言っていた気がする。そしてロボはここに帰ってきた。ロボは困惑しただろう、あいつは昔の記憶なんてほとんど無かったはずだから。ルッカに弄られた事もふまえて、まさに欠片程しか残ってなかった、と思う。
 ロボは帰ってきた、彼の過去を知る沢山の人々……じゃない、機械たちのいるこの工場に。そして彼は思い出した、それが能動的なのか、受動的にか。自分からか無理やりかは分からなくても、思い出したんじゃないか? だからロボは俺に会いに来ない。大体おかしいんだ、あれだけ警備ロボと戦って、これだけ工場内を歩いていたのに鉢合わせないなんて。ロボが俺を避けているか、会おうとしていないとしか思えない。捕まっている? とても、こいつらの様子からして納得できやしない。
 何故避けている? それは多分……本当の自分を見つけたからじゃないか? その上で、あいつは……俺たちを、人間を。


「まあ、考えてても仕方ないよな? そうだろオイ」


 後ろから迫る脅威から身を逸らし避ける。俺の頭を砕くべく発射された鉄の塊が通過する。続いて、青白い閃光が光り俺を輪切りにしようと迫ってきた。その場で跳躍し難を逃れる。その際肩を斬り血飛沫が飛ぶ。大丈夫、まだ上がる。
 追撃を避けるため、機械の物陰に隠れた。右目を出して、攻撃者を捉える。ああ、なんて顔だ。お前そんなにつまんなそうに歩いてたっけか? 俺の記憶違いなら、悪いんだけどさ。
 あいつが歩くたび散らばる銀髪は、顔を隠すには前髪の長さが足りない。瞳は乾ききっていて感情を出していない。口は横一文字に閉じていて、本当に機械みたく乱れの無い歩調だった。


「侵入者を排除します」


 右腕を上げる。噴射音を上げて俺の隠れる場所に飛んで来る。咄嗟に身を潜め、攻撃は当たらない。金属音を鳴らして、飛んできた右腕が俺の近くに転がった。


「随分な歓迎だ、泣いて喜びそうだ、主に俺の心臓が。喜び過ぎて、心不全にでもなりそうだな、もしくは不整脈か。とにかく喜ばしい症状にはなり得ない」


「そうですか、もうそんな事気にしなくて良いですよ。なにせ、全部散らばりますからね」


 転がる右腕の閉じられた指が広がる。掌の中央には黒い、見覚えのある四角い箱のようなものが置いてあった。これは確か、ルッカの見せてくれた、そう。
 爆弾、というやつだ。


「サークルボム」


 右足一点にトランス、脚力を最大限に、それでいて最速に高め右腕から離れる。目が眩むほどの稲光に似た光が俺を包む。遅れて轟音。この部屋の精密機械など知ったことではないというように、辺りの金属もモニターやパイプを巻き込み狂うように爆砕させた。煽りを受けて体が吹き飛ぶ。四肢が千切れることは無かったが、あまりに強い風を受けて体中に痛みを覚える。背中に飛散した床の破片が刺さり、勢い良く引き抜いた。大丈夫、ラヴォスの針に比べればなんて事は無い。ただ痛い、仲間にやられる傷がここまで痛むとは思っていなかった。
 ちろちろと、残り火が黄色い舌のように踊っている。それを足で踏み消して、あいつが立った。


「僕は全身の至る所に爆薬を仕込んでいます。よく人間に抱きついて、爆散させたものです。その名残ですかね、しばしば貴方に抱きついていたのは」


「怖い事言うなよ……もう甘えさせてやらねえぞ」


 右腕を収納し直しながら「結構です」と冷淡に言い放って、飛び込んでくる。お得意の加速装置か? トランスは既に解けている。俺に避ける術は無い。
 右膝が腹にねじ込まれる。惰性で後ろに跳ぼうとする俺の体を左腕で掴み止め、右手を俺に押し付けた。集束音が腹の下から聞こえてくる。


「マシンガンパンチ」


 数えられない連打が腹部で爆発する。十や二十ではきかぬ拳に内臓が弾け飛んだろう、ふざけた量の血液が喉から逆流してくる。今度は、吹き飛ばされた俺に追撃をすることはなかった。
 『敵』であるそいつは汚いものに触れたみたく両手を叩いた。振り向いて、「終わったよアトロポス」と鉄の表情で言った。
 終わった? 何が? 何が終わった言ってみろテメエ。この喧嘩か? いつもの訳の分からん駄々がこれって言うなら、やり過ぎだとしても許してやる。悲しい事があって俺に当るしか方法が見つからないなら受け持ってやる。でもこれで、俺との関係が終わりだと抜かすつもりなら……


「終わってねえ、終わらねえぞロボ!!」


 足に力を入れて、立ち上がる。あれだ、明日は筋肉痛だな、これは。
 ロボが目を瞠り俺を凝視する。やっぱり顔変えられるんじゃないか、馬鹿垂れ。


「……処理を再開します」体から蒸気を漏らしながら、また鉄面皮へと変える。俺に近づく彼を止めたのはアトロポスだった。両手を広げ、「もういいじゃない」と涼しげに伝えた。そして腹押さえながら中腰のままである俺を見る。


「クロノさん、もう良いでしょう? プロメテスはもう戻ったの。ロボじゃなくてプロメテスに。だから貴方は帰りなさい、マザーは貴方を研究したいみたいだけど、プロメテスを修理してくれた恩として私は見逃します。もう二度とここには来ないで」


「ふざけんな、俺はこいつの保護者だ。迷子は連れて帰らなきゃ色んな所から苦情が来るんだよ」


「僕は迷ってない」俺の言葉にロボが反論する。驚いた顔に怒った顔。へえ、戻ってきたじゃないかロボ。


「迷ってるよ。自分探しの旅でもしたいのか? だったら俺も見つけてやる。お前のなりたいお前を捜してやる。そしたら気付くだろ、そのままのお前が一番良いって馬鹿みたいな単純な事にさ。泣き虫意気地無し甘えんぼで優しくて見栄を張りたがるクソッタレに優しいお前がお前だロボ!」


 黙って聞いていたロボの姿がブレる。次に瞬きした時にはロボは両腕で俺の胸を掴んでいた。痛みを感じる程じゃない、むしろ触っている位の力量。猫をあやすような握力だった。二本の腕から不自然に黒光りする爆弾が幾つも浮かび上がっていた。さっきのサークルボムとかいう代物だろう。この至近距離で爆発すれば俺の体はひとたまりも無く肉片と化すだろう。


「……くすぐったいな、何が狙いだロボ」特別何を思うでもなく聞いてみると、「見て分かりませんか?」と答えになっていない。言葉にしたくないのかもしれない。そうか、見る限りアトロポスとかいう女はガールフレンドか何かか? 確かにそんな女の子の前では切り出し辛いだろう。仕方ないから俺は自分からロボの両脇に腕を入れて持ち上げた。ああ、また驚いた顔を見せたな。出来れば次は笑った顔を見たいんだけどな。


「……何をしてるんですか貴方は」


「何って、甘えたいんだろうお前。女の子の前で、自分から言うのは恥ずかしいのは分かるさ」そのまま頭を撫でて抱きしめてやる。いくら冷たく振舞っていてもこの高い体温がお前である印だ。忘れたりしないし、見失わない。お前もそうだよな、ロボ?
 爆弾を仕舞い、両腕を左右に広げた。そのまま抱き返せば良いのに、ロボは照れてるのか俺の脇腹を挟むように殴る。バキ、という音が体から伝わる。じゃれるなよ、落としそうになるだろうが。


「落とせばいいでしょう。でないと、つぎは喉を潰します」人差し指と中指を立てて目を細める。猫みたいだなあと俺は思った。癇癪でも起こしたか。いつものことだ、ただ今回は構ってやる時間が無かった分いつもより激しいようだった。しまったな、自分の用事で忙しすぎた。いやそれは言い訳か。もっと遊んでやるべきだったか、お陰でロボが拗ねてしまった。
 頭の感触が柔らかく、撫でているこちらとしても気持ちがいい。細く柔らかい髪質は手に馴染む。指と指の隙間を流れる絹糸みたいな銀髪が盛り上がり、梳かれて跳ねた髪を真っ直ぐ伸ばす。それを数回やってやると、ロボの指が俺の喉を貫いた。


「げぼっ!」痛いじゃないか、と言おうとして声はあらぬところから漏れ、言葉になる事は無かった。


「早く離して下さい……離せ!!」


 だからじゃれるなってば。力が抜けてきたじゃないか、筋肉痛に風邪まで引きそうだ。疲れて免疫力が減ったんだな、そのせいで声が出し辛いんだ。きっとそうさ。


「ざあ、づぎああじをじだい?」次は何をしたい? と言おうとしても、何でか鼻声みたいになってしまう。ロボが驚いてるじゃないか。何だよ馬鹿は風邪を引かないから、俺が風邪を引いたことに驚いてるとかなら殴る。その前に安心させてやるのが先だけどな。


「あ……ああああ!!」


 無理やり俺の抱擁を解き、ロボが床に落ちた。拾い上げようとすれば、また声を上げながら後ろに這う。風邪をうつされたくないのかもしれない、薄情な奴め、だが道理ではある。抱きしめるのは止めにしよう。俺は近寄る事を諦めた。
 動かない事を確認したロボは裏返った声で叫んだ。


「ぼ、僕は悪だ。悪い奴だ。なのに何で戦わないんだ! 貴方は僕を壊すべきだ!」


 ここに来てからというもの、突拍子も無い事を言い出す奴ばかりだ。まさかロボまでとは思わなかったが。言いたいことが良く分からん。どうしてお前を壊さなければならない。俺に怪我をさせた事か? こんなのただのじゃれ合いじゃないか、大袈裟なんだよ。
 それを言おうとして、また口の中の血液が邪魔をする。いっそ口内に手を突っ込んで全部吐き出したかった。邪魔するなよ、俺の仲間が混乱してるんだよ。


「思い出したんだ、マザーに言われて全部思い出した! 沢山殺したんですよ、貴方くらいの人もそれより若い人も女性も老人も赤子でさえも目に写る人間全部殺しまわった! それが、おかしな事だと思いさえしなかった!」両手を振り乱し、狂いそうな高すぎる金切り声で叫ぶ。あんまり高い声だから、俺は顔をしかめてしまう。


「僕はなれなかった。あの主人公みたいな人になりたかった、そうですよ、僕は人間になりたかった! でももう無理だ、だってほら、僕の手は取り返しがつかないほど血で染まってる。真実を知ってから僕に染み付いた鉄の臭いが全部血液のように感じてしまう。僕が鉄の体だからじゃない、血がこびり付いてるからなんですよ!」俺には、どうみてもロボの手が血にまみれているようには見えない。俺の出した血が少しだけ付いているだけ。そんなのお前が悪いわけじゃないだろう、俺の体がひ弱過ぎただけだ。爆弾や拳に競り負けるくらい、子供の駄々で傷つくほど俺が弱いだけじゃないか、みっともないのは俺だ。


「ほらあ、貴方にも見えるでしょう? 僕の体は何処を見ても赤色だ。水を被っても酸に入っても火で炙っても落ちやしないんだ、神様が許さないって言ってるんだ!」


「ははっ……お前ばがみざまにもがでるんだろう?」神様の発音がどうしても上手くいかなかったけれど、ロボには伝わったようだ。ロボが頭を振る。


「そんなの、ただの設定だ。そんな人になれたら良いなって、無駄に壮大な話し方で、自信を持って行動していれば僕はヒーローになれると思ったんだ。だって、あの主人公はそうだった。必ず良い結果に持っていったんだから」ロボは尚も続ける。「でももう戻れない。僕は皆を助けたかったからあの主人公を目指した。その僕が皆を殺していた。笑えるじゃないですか、巨悪を討つべき僕自身が巨悪だったんだから。そうなれば、僕が壊れるしかないでしょう? ねえそうでしょう!? だから貴方は僕を壊すんだ、ほら、壊してよ!」


 壊せ、と連呼するロボは呆気なく無表情の仮面を剥ぎ取っていた。元々無理なんだって、お前にクールなキャラはさ。なりきれるわけ無いだろうに。
 ロボは泣いていた。いつもみたいに大声でなく、喚いていても泣き声は怒声で隠して。それは本当に彼が悲しい時にするそれ。俺の服の袖を掴んで、顔を俯かせてぽとぽとと涙の滴を落とすのだ。それが、見る者の胸をどれだけ痛ませるかお前は知らないだろう? 泣かせてしまう事を許した自分を殺したくなる程、切なくなるんだ。


「無理だ、おでにお前ば『ごろぜない』」壊すという表現が苛々したので、あえて殺せないと強調する。


「何でですか? 貴方がそうなのに、貴方じゃないと駄目なのに!」


 一々話し辛くて、ロボに声が届かない。常備しているミドルポーションを頭から被る。残りの一つを空いた喉に掛けて治癒を待つ。当然塞がる訳も無いけれど、粘膜が戻ったのか幾分はましに声を発する事ができる。瓶に残った薬液は無理やり呑み込む。内臓も多少回復しただろう、少なくとも痛み止め代わりにはなる。


「何で俺だよ? ごほっ」大丈夫、咳き込むのさえ我慢できれば何とかなる。
 ロボは逡巡して、恐る恐るに口を開く。


「だって、貴方が主人公だから。あの時見た男の人と同じだから」


 やはり、ロボが何を言っているのか分からない。正直にそれを伝える。「お前の言う主人公っで、なんだよ」痛みを無視すれば、平常な会話と言えなくもない言葉を作る事ができた。前もってカエルからミドルポーションを受け取っていた事が功を奏した。
 ロボは、もどかしそうに「何でも出切る人の事です」と分かり易いようでそうでもない半端な答えを出す。


「誰でも助けられて、人の為に命を賭けて、どんな奴にも負けない、とても格好良い人の事です。敵も味方も分け隔てなく平等に手を差し伸べる素晴らしい人。それが主人公なんですよ。貴方はきっとそうなんだ、だから貴方は敵である僕を壊す義務がある。貴方はそうでないといけないんだ!」


 錯乱しているのか? ロボの台詞に統一性が見当たらない。義務とか、そうでないといけないとか、まるで方向の定まらない事ばかり彼は口にする。
 ……もしかせずとも、彼の言う『主人公』とやらは、ロボの偶におかしな事を言う(神に選ばれたとかデウスエクスマキナだとか)あれの事か? 子供が夢見る、こんな人物になりたいと願う痛々しい偶像を言っているのだろうか。
 俺にだって覚えはあるさ。例えば、魔物の大群を指一つで消して、町の人々に感謝されて、色んな女性に求婚されて国の英雄になって、でも本人はそれをどうとも思ってない冷静で慌てる事なんて一度も無い、危機にも陥らない、そんな人物。ロボが演じるのはそんな架空の存在だった。最近では、彼はそれをほとんど演じなくなっていたけれど。それは、俺にその役を譲ったという事なんだろうか。はは、勘違いにも程がある。俺にそんな大層な役目は演じられない。


「ロボ、お前おかしいぞ、俺がそんな人間なわげないじゃないが」一々詰まる声が煩わしい。一思いに完治しろというのだ。回復呪文でもない限り不可能だと分かってはいるものの、面倒なのは変わりなかった。


「僕がそう思ったんです! 貴方は優しいし色んな敵を打ち倒してきた、諦めなかった! 沢山の人に慕われて、敵である恐竜人すら助けようとしたんでしょう、僕の理想を具現化したのが貴方なんです!」


 ああ、もう面倒臭い。ロボが俺を高く評価しているのはよく分かった。つまりあれだろう? よくあるお前になら殺されても良いとか、そういうムードに酔ってるんだろう? 馬鹿らしい。その台詞は俺は大嫌いなんだ。だって、殺すほうの気持ちを何も考えていない。俺がラヴォスと会った時にした卑怯な事とまるで同じだ。残された人の気持ちをなんら考えちゃいない。そんなの最低だ、面倒ごとを押し付けているだけじゃないか。
 ……とか、そういう事はさておいて、その前にロボに言うべき事がある。増血剤の役目も果たすミドルポーションを飲んでもまだ血が足りない為、足取りは不安定だが一歩ずつ確かにロボへと近づいていく。もう、ロボは後退しなかった。目を瞑り両手に拳を作る。
 アトロポスが慌てたように駆け出そうとするが、俺は目で大丈夫だと告げる。彼女は聡明だ、俺の意図を知り頷いてくれた。思ってたより良い女の子じゃないか、ロボにピッタリだ。心の中で悪態ついて悪かった。


「ロボ……お前さ」目の前で立ち止まり、震えるロボに声を掛ける。「何でクロノさんって呼ばないんだよ」


「え?」


「他人行儀に貴方貴方と。新婚かテメエ。お前は笑いながら俺の周りを駆けてりゃ良いんだよ、ロボ」


 ロボの口は開かれたまま閉じられない。なんて間抜けた顔なんだか。折角整った顔立ちなんだ、もっとしゃきっとした顔つきでいればいいものを、変に気を許すから構ってしまうんじゃないか。甘えさせてしまうんじゃないか。


「良いかロボ、俺はそんな正義の味方なんかじゃねえ。ごふ……! あー、敵も味方も平等? 寝ぼけるな」


 咳き込むな、これから大事な話なんだ、一言一句間違えたくないんだ。頼むよ俺の体、大事な奴なんだ。少なくとも俺自身より大切だと思える家族なんだ。自分の居場所がそこにあるのに見失ってる迷子に手を伸ばすためにも、耐えてくれよ。


「お前が沢山の人間を殺した。なるほど、それは最低だな。お前は人間の敵だ」


 俺の言葉が刃となり棘となりロボの小さな体に突き刺さる。体は何とも無くても心はだくだくと血流を溢し呼吸を止めようとする。
 ロボは震えを止めない。ちょっと言い過ぎたかと反省する。けれど仕方ない、本当の事なんだからロボは受け止めなくては、乗り越えなくては進めない。それはロボの壁であって俺の壁じゃないんだから。


「俺はお前の言う主人公じゃねえからな。危機に直面すれば慌てるしいつも冷静でなんていられない。何でだと思う? 人間だからさ。人間である俺は人間らしく同じ人間を助けたいと思う。害を与える存在を罰したいと思う、人並みにはな」


「……だったら、早く僕を罰してください。取り返しなんて何処にも無いくらい大勢の人間を殺害しました。害を与える存在でしか無いんですよ」


 彼が自分を責めるたび、殺せと言うたびアザーラが投影される。自分を見捨てろという彼らは、きっと助けて欲しいと叫んでいるのだ。乞うているのだ。俺はその声に合わせて言葉を選べばいい。優しい言葉は使えないから、俺の本心を導き出せばいいだけなのだけど。


「聞けよロボ、俺の話はまだ終わってない。さっきも言ったけど俺は極々普通の人間だ。だから、だからさ」次の言葉を発する前に、息苦しさが遠のいたような感覚が訪れた。視野が急に広まったような、浮遊感にも近い。お前はそれで良いのだ、と誰かに囁かれたようだ。彼に良く聞こえるよう、大口を開く。それと同時に、彼と視線を合わせる為膝を曲げて頭を同じ高さまで持っていく。ロボには良く聞いて欲しい、俺がどれだけお前を必要としているのかを。


「見知らぬ他人が何人死んだとしても、それより大切な仲間を優先させるくらいに人間味があるんだ、俺は自分勝手なんだよロボ」


 涙を止める為に、優しく語りかけた。彼の頬はまだ濡れていない。でも泣いているんだ、俺には見える。俺はロボの兄貴分だから。胸を張って言える。
 そうだよ、昔ロボに殺された人々には申し訳ないと思う。でも仕方ないんだ、俺にはその人たちよりもロボが笑ってくれる方が嬉しい。誰かが百人泣くよりもロボが泣くほうが悲しいし、その逆だって同じ。俺の手は長くないし俺の耳は二つしかないんだ。見知らぬ奴まで囲えなんて無理だし、ロボの泣き声と笑い声以外耳に入れろってのが無茶じゃないか。
 ロボは目を丸くする。じわじわと揺れていく瞳は水に映る月のようにおぼろげだった。


「お前はどうだ? やっぱり、何処かの誰かが百人泣くより俺が泣くほうが良いか? 死んだほうが嬉しいかな?」


 冗談抜きで、ロボが頷いたら俺は死のうと思う。そこまですればロボも気付いてくれると思うから。折角生き返らせてくれたのにという迷いはあるが、子供を更生させる為なら必要な犠牲だと思う。残された人の気持ちを云々を真っ向から切り捨てるけど、まあ仕方ない。やっぱりロボを見捨てられねえや。
 ロボは硬直したまま動かない。動くのはただ瞳だけ。揺れて動いて、やがて……波は岸から溢れ出た。


「嫌……です……僕も、クロノさんが良い。クロノさんじゃないと、やだ……」


 ぎゅ、と俺の服を掴む。細く小さな手がしっかりと俺を握る。離したくないと嘆いている。ほらな、やっぱり俺は最低だ。こんな時だってのに、こうしてロボが俺を求めてくれる事に飛び上がりそうな歓喜を感じてしまうのだから。意地悪な質問して悪かったな、ロボ。
 絶望の病か。悪いけど俺は馬鹿だから病気なんて掛からないんだ。風邪かと思ってたけど、それも勘違いらしい。もう喉も痛くない。ロボが近くにいるから痛みなんて感じない。こいつが俺の万能薬だ。


「ロボは良い子だ。だからなれるよ、お前の信じた主人公よりもずっと強い奴にさ。苦労して、何度も転んで人を頼って、誰かを救えるヒーローになれるんだ。いやヒーローなんて目じゃないぜ、お前はそれ以上に強い奴になる」


 ヒーローになんてならなくて良い。古今東西、俺の知るヒーローは皆孤独だった。だからロボは違う存在になれ。誰からも認められて周りにお前を愛する人が沢山いて。祝福されて生きて欲しい。その時お前はどんなヒーローよりも格好良くて、頼もしい人になっているだろうから。
 静かに体を寄せるロボを強く抱きとめる。優に一回りする細く小さな背中。こんな背中で罪の重さを背負っていたのか。それは、どれ程の苦痛だったろう。想像する事もできない、苦悩を知ったのだろう。
 ……やっぱり殺せば良かったな、マザー。お前は充分最低最悪の女だ。
 すぐにも泣き声を上げるかと思いきや、ロボは今にも泣き崩れそうな顔を引き締め、口端を噛み、きっと上を見上げた。涙を流すまいとしているんだろうか? 泣いても別にいいのだと声を掛ける前に、俺は「ああ」と呟く。ロボの後ろに水色のリボンが見えた。そうだな、ガールフレンドの前で泣くのは辛いよな。偉いぞ、と頭を撫でたくなる。終わりそうに無いので堪えたが。


「そっちを選ぶのね、プロメテス」アトロポスは特別な感情を抱いているようには見えず、それならそれで、というように変わらぬ笑顔のまま言った。


「……うん。ごめんアトロポス」ロボの謝罪に、彼女はううん、と首を振って「貴方の選んだことなら、別に良いわ。むしろごめんなさいね、あれも、気分が悪かったのでしょう?」アトロポスは今も流れ続けている人間処理機を指差した。ロボはこくり、と頭を縦に振る。「やっぱりね」アトロポスは少しだけ寂しそうだった。


「私はそう作られたから。人間の悲鳴を心地よいと感じてしまう。それは、やっぱり異常だと思う? クロノさん」今度はロボを越えて俺に目を向けてきた。ので、肯定しておく。「一般的には」中には気の狂った人間が好む場合もあるだろうが、わざわざ少数派を前に出す理由も無い。実際俺は気分の悪い悲鳴だと認識している。こうしている今も、耳を塞ぎたくて仕方が無い。でも、ロボを元に戻すほうが先だと感じてしまう。非人間と言われても、俺はロボを優先する、仲間だから。アトロポスは「そうよね」と短く呟いた。


「ねえプロメテス、貴方がクロノさんの味方をするなら、私は貴方と戦わなくてはならないの。それでも良い? ちなみに私は嫌だわ。だって、プロメテスはお友達だもの」


「そんなの、僕も嫌だ。出来ればアトロポスも……」そこまで言って、アトロポスは左手を前に出して制止した。それは言ってはならないと忠告するように。ロボも分かっていたのか、先を口にする事は無かった。


「私は無理よ、だってそう作られてるんだから。私はそういう物だから。人じゃないの、意思を持てる場合とそうでない場合があるわ」貴方はそこを抜けたのね、とアトロポスはロボが離反ともいえる行動に出ているのに、何故か嬉しそうだった。


「ねえプロメテス。私は貴方と戦いたくない。でも貴方をこのまま放っておくわけにもいかない。だからこうしましょう、私を壊して頂戴。そうすればほら、貴方は前に進めるわ」彼女は残酷な事を、突拍子無く、どうでもない事のように告げた。


「何言ってるのさアトロポス。僕は……そういうつもりでこっちを選んだんじゃないよ」


 ふい、と顔を背け、ロボは息を吐いた。話は終わったと言うように、俺を見て「この人たちを救うにはマザーコンピューターを壊さなければなりません、行きましょう」と足を踏み出す。恐らくはそのマザーコンピューターとやらがある場所へと。
 アトロポスは何も言わない。止めようとも攻撃しようともしない。ただただ、ぼんやりとした笑顔で離れていく仲間を見送っている。
 駄目だ、その目は良くない。俺が言うべき事じゃ無いけれど、その結末は一番良くない。


「ロボ」足早にこの場を去ろうとするロボの肩を掴み引き寄せる。痛みでかロボは眉を少し下げていた。彼が何かを言う前に、俺は現実を見させてやる。このまま去ればどうなるのか、教えてやる。俺が言うまでも無いんだろうけど、逃げるのは許さない。


「良いのか、お前。このまま彼女を無視して先に進んで。多分彼女、自分で死ぬぞ」


 ロボと戦わず、見逃す事も許さない彼女が取る行動は、きっとそれしかないだろう。確信と言えるほど彼女と接したわけじゃないけれど、彼女の目は覚えている。あれは、俺と別れたときのアザーラの目だ。自分の死を目にして、それを覚悟する小さくても激しい光が瞳に宿っていた。残り火のようにか細い燐光でありながら烈火のように燃え盛る決意を知っている。
 俺の間違いであれば酷くつまらない冗談となったであろう台詞をアトロポスは両手を叩き、凄いと言わんばかりに飛び跳ねて「流石クロノさんですね。ロボが慕うだけのことはあります」と喜んですらいた。どうしてそんな事で楽しめるのか、分からない。個性か? 性格か? ……そういう風に作られたからとしか、言えないのだろう。


「舐めたものじゃないだろう? 人間ってのもさ」


「ええ、ええ。貴方なら良いですよ、プロメテスを取っちゃっても。だから、クロノさん」俺と初めて会った時と同じように両手を重ね、長い髪を落としながら頭を下げ、彼女は「その子をよろしくお願いします」と頼んだ。俺も一言。「頼まれた」
 後はここを去るだけ。残るのは油に塗れた人間と同じ形をした鉄の塊。アンドロイドとしての生すら己が手で失い、物言わぬスクラップが生まれるだけ。俺は二人の関係に関しては部外者だ。だからどうこう言うつもりは無い。だから、ロボに確認として「良いんだな?」とだけ声を降ろす。
 彼は、思っていたよりも感情を見せなかった。見せたくなかったの言い間違いかもしれない。それでも表には苦痛に歪む顔も迷いによって震える体も無く、遥か先を見るような目で俺とアトロポスの両者を見据えていた。


「言われるまでも、無いんですけどね。アトロポスとの付き合いは長いですし、僕だって、馬鹿じゃない」ただ、と付け加えて、ロボは再度口を開く。「僕は臆病ですよ。彼女がそういう事をするあろうと分かってて、自分で彼女を殺すのが嫌で、分からない振りをしたんですから」


「……辛いなら、俺がやろうか? アトロポスがそれで良いなら、だけど」彼女を見遣ると、気にしないでと言うようにロボに優しい眼差しを送り、こくりと頷いた。
 なんだか、妙な気分だった。いつもの俺なら、最後まで駄々を捏ねて、他人事なのになんとかアトロポスを懐柔しようと下手な考えをしていたのに。今は彼女が死ななければ先に進めないと何処かで理解していた。分かるんだ、彼女は考えを捨てない。ロボがロボであろうとするなら彼女は死ぬだろう。それが自分の手かそうでないかの違いはあれど。
 マザーコンピューターに操られているかもしれない。その可能性はあるさ、というよりも十中八九そうだろう。これも確信なんかない、ただ今もアイツはこの騒ぎを楽しんで見ている様な気がした。
 さて、操られているとしたら、何だ? 今すぐにマザーを壊してしまえばアトロポスは正常に戻り俺たちと一緒に旅をするか? マザーを壊す間どうやって彼女を止めるんだ? 最悪彼女の体に自爆装置でも仕込まれていたらそれだけでアウトだ。取り押さえる暇も無いだろう。
 ──つまり、結局のところ、彼女を助ける術はないと、心の底から分かってしまったのだ。ロボが選んだ道は、そういう事なのだ。彼女も仲間のロボットも捨てて未来を救う選択をした。ロボだって、分かってたんだろう。
 ……言うまでも無く、彼女は出来ることならロボに壊されたいと願っているのだろう。実際、本気には聞こえなかったが、彼女はそう言った。私を壊してと。なんてつまらない物語だ、ベタ過ぎる。前に進むためには誰かを犠牲にしなくてはならないなんて。
 それでも、ロボに彼女を壊させるのは酷だろう、ただでさえあいつは優しい。その上、彼らの関係はただの同属とは違うものなのだろう。彼氏彼女? それも違う、もっと深い所で繋がった、機械だからこその絆。それを自分から断つのは……あんまりだ。
 なにがあんまりって……酷だと分かりながら、辛いと知りながら、ロボはきっと来るんだろうな、と冷静に考えている俺が一番、下種なのかもしれない。


「僕がやります。退いて下さい、クロノさん」俺の右手を引っ張り、ロボが前に出る。ほらな、意地っ張りめ。


「良いのプロメテス。辛いなら、気にせずクロノさんに任せてもいいのよ?」


「大丈夫だよアトロポス。僕は強いんだ、知ってるだろう?」


「……そうね。貴方はとても強いわ、眩しいくらいに」ふわりと笑う彼女の顔は、とても無機物とは思えない、生き生きとした笑顔だった。できるなら、太陽の下で見たいと願うほどに。
 床を鳴らし、ロボがアトロポスの前に立つ。彼の精悍な表情を、俺は初めて見たかもしれない。
 よく見ておけ俺。ロボが頑張るのだ、戦いは無くとも痛みに耐え、無表情でも顔を歪め、怪我は無くとも血を垂らしながら前に進む俺の仲間を網膜に焼き付けろ。それが仲間であり兄貴分である俺の役目だ。
 そう、ここで、俺の出番は全て終わったのだろう。もう必要ない、ロボは立ち上がった。幕は開いた、役の無い役者は身を引っ込めるべきだ。後の仕事は観客としていつまでも内容を覚えておく事に他ならない。
 これから先は、ロボの仕事なのだ。













 目の前に、アトロポスの綺麗な瞳が見える。その目に恐れは無い。どこか安心感のようなものすら浮かんでいる。僕にはそれが悲しくて、また彼女らしいなと感じた。ゆっくり右手を伸ばして、彼女の髪についている埃を払った。クロノさんとの戦いで舞い上がったのだろうか? ともあれ、綺麗な髪が汚れるのはよろしくない。
 僕にも迷いは無い。こうしかないと彼女が判断したのだから。彼女はいつも聡明だった。僕の小さな悩みを理論的に、時には感情的に、適切な答えを提供して暗中にいる僕に手を差し出してくれた。僕を一番知っているのは彼女だった。どうすれば僕が喜ぶのか、楽しむのか。その逆だって知っていたに違いない。彼女が言う言葉に間違いが混じっていた事は無かった。
 ふと、僕は彼女を一番知っているのは僕だろうか? と疑問に思った。いいや、彼女を一番知っているのはマザーだろう。彼女を作り、彼女がこういう行動に出るようインプットしたのはマザーなのだから。同じ事が僕にも言える。でも……譲らない。マザーの何千倍もアトロポスは僕を見ていてくれたはずだ。そうだ、そうに違いない。なら彼女を一番知っているのも僕だ。渡すものか。


「ねえプロメテス? 貴方は、これからどうするの?」今まで沈黙を守っていたアトロポスがぽつりと溢した。何が? と問う事はしない。


「僕、いや僕たちは未来を救うんだ。過去に戻って、あの大災害を引き起こしたラヴォスをやっつけてね」彼女はまあ! と目を光らせて、子供みたいにはしゃぎだした。「じゃあ、この世界でも『青空』を見ることが出来るの!?」


 過去に戻る、なんて話を頭から信じてくれるんだな、と苦笑する。彼女は疑わない。僕の言う事だけは全て真実としてくれる。それがどれだけ救いだったか、君は知っているだろうか?


「青空だけじゃないよ。綺麗な海も見れるし、緑豊かな自然だって沢山あるよ。花を知ってる?」


「ええ。データバンクで見たわ。色んな色があるんでしょう? 実を結んだり、とても良い香りがしたり……プロメテスは見たことがあるの?」


「あるよ。過去の世界に行った時、色取り取りの花が咲いてるのを見た。凄いんだ、花びらが風に舞って遠く彼方まで飛んでいく。あんな光景は見たこと無かったよ、海も綺麗な青色でさ、魚が泳いでるんだ。空気は澄んでて、清浄フィルターを使わないでも呼吸に悪影響を及ぼさない。太陽は空高くに浮かんでて、沈む時には月が交代して昇る。星が周りにいっぱい散りばめられてて、素晴らしい世界なんだ」


 僕の言葉一つ一つにアトロポスは驚いたり、感動したり、色んな仕草を見せた。
 大袈裟だって、クロノさんは思うだろうか? 違うんだよ、これが僕たち、いやこの未来に住む人間にとって普通の反応なんだ。
 例えば、現代の人々が、そうだな。神話に出てくるペガサスやユニコーンを見たら感動するでしょう? お菓子で出来たお城とかさ、天まで届く大樹や、海の表面に人魚の群れがいたり。とても心揺さぶられるでしょう? それと同じなんです。
 通り雨でも、僕たちにとっては空から降り注ぐ光の結晶に見えた。現代で食べた食べ物は天女の食べる食物じゃないかと思った。なにより、その青空は何処までも行ける気がした。手を伸ばせばそれすら突っ切るんじゃないかと感じた。海に生き物がいるなんて、奇跡のようだった。そのうえ透き通ってるなんて、目を疑った。


「凄いわ、まるで天国みたい」


「そのものだよ、アトロポスにも見せたいな。きっと大はしゃぎするだろうね」


「そうね、否定しない。その時はプロメテスも一緒にいてね。これ以上無いくらい幸せなんだから」


 その時を想像する。彼女は大人だけど、根は僕と同じで幼いから。現代のお祭りなんか見たらどうなるんだろう? マールさんに負けず楽しむに違いない。綿飴の甘さに驚いて、射的の楽しさを知って、お化け屋敷で怖がって、型抜き屋でむきになって、風船を両手に持って僕の手を握り走り回るだろう。彼女は言う。「楽しいね」って。僕はこう答える。少し自慢げに「でしょ?」って。僕が彼女を連れて行くんだ。あの場所へ、あの皆が笑ってる世界へ。人間もロボットもない、誰もが優しくて皆が暖かくて殺し合いも何も無い、夢のようなそんな世界がそこにある。現に、そのお祭りの話をすれば、アトロポスは幻視するように、眩しそうに目を細くさせる。
 ……難しいですか? 誰かが誰かを憎まない世界って、そんなに有り得ない世界なんですか? 簡単じゃないですか、綿飴を作る手間もいらない、皆がそうあろうとすれば、例え荒廃したこの世界でも可能なんじゃないの?
 どうして、この世界はこうなったの? ラヴォスじゃないよ、それだけでこんなに変わるなんて信じない。人を殺す為に生まれた機械なんてあるわけ無いよ。僕らは、きっと。


「プロメテス……私ね?」


「……うん」


 アトロポスは、僕が語るのを止めたと同時に、表情を変えて、いつもと同じ柔和な顔へ。何に悩んでいるのか分からない僕に話しかける時と同じ綺麗な顔で、言う。


「幸せなの。嘘じゃないわ、だってね、こんな世界なのに私夢を見てる。星はもう夢を見ることも出来ないくらい壊れたのに、私夢見たいな世界を想像できる。それって、凄いことじゃない?」


 なんだか不思議な言葉だった。星が夢を見るなんて思ってるのは彼女くらいのものじゃないだろうか。
 ……そうだなあ、見るのかもしれない。星だって生きてるんだから夢くらい見るだろう。でもそれも出来ない。だってそこに生きている生物が夢を捨てているのだから。その中で、きっと唯一夢を持てる彼女はどれほどに尊く、強いのだろうか。
 アトロポスは僕の両手を握った。


「そうだね、アトロポスは凄いよ。いつだってそうさ。昔からずっと植物を植えてたのは君だけだからね。マザーに無駄だって言われても、続けてた」


「結局、芽は出なかったけどね」


 舌をちろりと出して、おどけた彼女を見て、やはりその事を残念に思っているのだろうな、と悟る。
 マザーによれば、人間が絶滅し、ラヴォスがこの星を去った後なら植物を育てる事も可能であるようだった。なのに、一心不乱に種を植えていたのは、人間が絶滅する前に芽が出ることを祈っていた彼女が望んでいたのは、人間と手を繋ごうとした僕と同じものなんじゃないか?
 アトロポスが僕の手を離す。僕はとても小さな拳銃を握っていた。


「無いものよね、本当」溜息を吐きながら、彼女が言う。


「何が無いのさ? 欲しいものでもあるの?」


「ううん。物じゃないの……まあ強いて言えば、貴方のいう綿飴が食べたいけれど。それよりも、プロメテスとやりたかった事とか考えてみようと思ったんだけど、大概一緒にやっちゃったのよね」


「そりゃあね、随分長い間一緒だったからさ、思い尽く事はほとんどやり尽くしたんじゃないかな」


 撃鉄を起こし、頭の部分に銃口を向ける。引鉄に当たる震えた指先がかりかりと金属を擦る。


「だから、ね? 今度は青空の下で走らない? プロメテスが世界を救った後でいっぱい遊びましょう。そうね、戦争ごっこなんてどうかしら」


「随分やんちゃな遊びだなあ、僕嫌だよ。アトロポスが勝つに決まってるじゃないか」


 戦争『ごっこ』。そうだな、戦争をごっこで遊べる世界がくればどんなにいいだろう。彼女は願いを込めて戦争ごっこと言ったに違いない。口では不満を漏らすけど、僕もその時が楽しみだった。
 拳銃の引鉄を引こうとして──僕はその鉄の凶器を投げ捨てた。床に跳ねていく音が高く、不快だった。


「プロメテス?」彼女は不安そうだ。何故撃たないの? と言いたげに、不安げに。


「ごめんアトロポス、でもやっぱり駄目だ。あんなので君を撃てっこ無い」


 あんな小さな鉛を撃ち出す玩具で君を失うなんて冗談じゃない。そんなの違う、君を殺したのは僕じゃない、あの玩具となったしまう。だから、僕は。
 右手に熱が篭り始める。蒸気を上半身から放出するのを見て、アトロポスは「ああ」と納得した。その後すぐに、「ありがとう」と感謝も乗せて。


「ありがとうは僕の方だよアトロポス」ぶるる、と震えだした右腕に負荷が掛かり始める。発射しろ、と耳元騒がしくがなりたててくる。タイミングは僕が図る、右腕の分際で黙っていろ。
 さよならを言わなくては、彼女に別れを告げなくては。格式ばったそれにすべきか、何気ない別れ言葉にすべきか悩んでいると、アトロポスが思いもしなかった言葉を贈ってくれた。


「プロメテス、貴方は神々に選ばれた戦士なんでしょう? なら、もっとそれらしい言葉があるんじゃない?」


 それは、僕の作った下らない設定。神々と言っても、神話なんて碌に知らないし知ろうともしなかった。ただ主人公の真似をしただけ。そんな僕を、彼女は望んでいるのだろうか? 出来損ないの僕で締めくくれと言うのか?
 落胆を覚える僕に、続けざまに彼女は言う。発破を掛けるような声は部屋の中で木霊する。


「なれるわよ『ロボ』。貴方はどんな人も助けられる主人公に、きっとなれるわ。だから、貴方も信じてね」


 ──彼女はいつも聡明だった。彼女が言う言葉に間違いはなかった。ならこれもそうだろうか?
 なれるだろうか、僕が、敵も味方も救える冗談みたいな救世主に。誇らしく自信溢れる自分になれるのだろうか?


「僕は神々に選ばれたんじゃないよ」


 突き放すように言ってやる。出来るだけつまらなそうに、冷淡になるよう心掛けて。
 悔しいなあ、どれだけ演技したって、彼女にはお見通しのようだ。くすくすと含み笑いをしているアトロポスを見て、僕は彼女に勝つことは出来ないのだなあと理解した。


「神々を、僕が選ぶのさ。精霊に導かれし反逆の右手でね」


 彼女はとうとう噴出して、「意味が分からないわよ?」と溢した。
 僕の右手が飛ぶ。とても柔らかな、大切な『人』の腹を貫いて。頭なら体は綺麗に残せたんだろうけど、僕は彼女の綺麗な顔を残したかったのだ。
 さよなら大切な人。今度は夢で会おう、目も眩むような明るい世界で、青い空に包まれて、何処までも吹き抜ける風に乗って走ってみよう。
 ……僕が言える『それらしい』台詞なんてこんなものか。なんてありふれた、つまらない言い回しだろう。






 アトロポスの両手を重ねてあげて、僕は立ち上がった。振り向くと、神妙な顔をしているクロノさん。慰めの言葉はない、それがとてもありがたかった。


「泣かないんだな」通り過ぎざまにクロノさんが言う。僕は「もちろんです」と返した。まだ終わってないのだから。


「……クロノさん。僕、マスターの事好きですよ」


 唐突だからか、内容が内容だからか、クロノさんは切れ長の目をぎょっ、と丸くさせて腰を引かせた。何か言おうとして、その度戸惑っているクロノさんは僕の目にはなんだか新鮮に写った。


「それは、そうか、としか言えないな……」言い辛そうに頭を掻いている姿に僕は口端から空気を漏らし小さく笑ってしまう。


「恋愛的な好きじゃないです。人間的に好き、というだけですよ。マスターがクロノさんを慕っている事になんの不満も嫉妬もありません。ただ、少し似てたんです、アトロポスに」


 何処がという訳ではない。話し方の所々が、思い切りの良さの節々が、芯の強さやこれと決めた事は貫き続ける信念というものが、微かに似ていた気がした。性格も行動も全く違うけれど、あの時僕を目覚めさせてくれたあの人がアトロポスと被って見えたのだ。


「だからこそ、あの海底神殿の時は、僕はとても怒りました。憤慨しました。クロノさんを傷つけたから、というのは建前だったんですよ。本当は、アトロポスはそんな事しないっていう自分勝手な投影から怒っていただけなんです。本当、最低ですね」


 マスター──ルッカさんだけじゃない、クロノさんすら利用していた僕は、本当に誇れる自分になれるだろうか? アトロポスがいない、それだけで僕はもうくじけそうになる。くじけたくなる。


「それだけじゃない、初めて会った時の事覚えてますか? ……僕を作った人が僕を守る為に外付けのボディをくれたって話。あれ、全部嘘です。思いついたこと適当に並べただけです。本当は……僕、なんとなく覚えてました。僕は、卑怯だから、あの中に隠れたんです、矢面にそのまま出るのが嫌だから、あのボディで自分を包んで、僕をひた隠しただけです」


 マザーに記憶を呼び覚まされたのは本当、でもきっと心の底では鮮明に覚えてた。今まで人間を沢山殺した事も、あろうことか、その人間たちに戦争を止めようなんて厚顔に語った事も。幾度その手で人の首を折ったのか、体を四散させてきたのか、砕いてきたのか数えられないのに。マザーがしたことは、曇ってた視界をちょっとだけクリアにしただけ。
 きっと、クロノさんは僕が何を言っているか分からないだろう。でももう無理だ、言わないと壊れてしまう、コアとか、メモリー回路とか具体的な部分じゃなくて、人で言う心が潰れてしまう。歯車の一つ一つに押し潰されて溶鉱炉で溶かされ炭になって空に舞ってしまう。


「ねえクロノさん、僕変われますかね? こんなに汚い僕でも、生きてて良いですかね?」


 鼻が震えてるけど泣いてない。嗚咽が始まっても泣いてない。涙が零れても僕は泣いてない。泣いてないけど……泣きたいな。
 予想通りクロノさんは、僕の頭を撫でて背中を擦る……ではなく、平坦な声音で、当然の事を聞くなというように言い放った。


「自分で考えて、自分で決めろ。変われるかどうかなんて、他人に分かるものじゃない」


「……あはは、さっきと言ってること違いますよ。でも……ですよね」


 ああ、これだから僕はこの人の背中を追う事を止められない。手を指し伸ばしてくれるけど、この人は振り返らない。それは僕を信用してくれているからなんだろう。僕は男だから、マールさんやマスターにはとても優しいけれど、男である僕には大切な時以外は助けない。それは、尊敬してくれる人がそうしてくれることは、望外に嬉しいことなんだ。
 クロノさんは最初、そのままの僕で良いと言ってくれた。だから僕はその上を目指したい。クロノさんが期待する僕以上の僕になるのだ、アトロポスもなれると言ってくれた。なら、なってみようじゃないか、神やら悪魔やら宇宙の創造主でも仏でも運命なんかに選ばれただの導かれただのしたんだろう? 僕は。ならそれくらい出来なくてはいけない。僕は僕を超えてみせよう。


「行きましょうクロノさん、マザーに会って、この機械を止めないと」


 また一人、誰かの叫び声が届く。アトロポスとの別れの間中ずっと耳に響いていた断末魔に慣れている自分が嫌で、早く離れたかった。クロノさんも同じだったのか、足早に進む僕を追い越す勢いで歩調を速めた。
 大幅に一歩を広げたクロノさんと並ぶには、僕は駆け足に近い速度で足を出さなければならない。ぱたぱたと鳴る床が楽しげで、無神経に思えた僕は少し不愉快に感じる。手拍子にも聞こえるのだ。貴方はよくやった、褒めてあげると何処かの誰かに言われているような、つまらない妄想が頭の中で渦巻いた。所詮妄想だと思考を振るっても、粘着質なそれは決して剥がれる事は無かった。
 扉の認証システムに手を当てて、開く。仰々しい、またやかましい音を上げながら左右に分かれ、部屋の中に僕たちを入れる。中は今までと比べ物にならない機械の山が置かれている。本来、この部屋に入るには厳重なチェックが施されるのだが、今回はその手順をすっ飛ばした。ただのロボットでは到底不可能だろう、そのようにプログラムされているのだから。唯一僕とアトロポスだけはその面倒なチェックを飛ばす事ができた。特別扱いといえば聞こえはいいが、単にマザーは僕とアトロポスを絶対服従の奴隷か家畜のように認識していただけだ、と言われれば否定できない。
 部屋の奥に三つのモニターが横並びに壁に付けられている。教会堂のステンドグラス程の大きさから、このモニターがただの文字を浮かばせる機械ではないと想像できるだろう。時折、画面にノイズが走る。そうか、今はここにいるんですね、マザー。


「ロボ、ここにある機械がマザーコンピューターなのか?」言いながらクロノさんは魔法の詠唱を始める。部屋ごと爆砕しようと考えているのだろう。僕は彼の右手を握って改めさせる。「ここにある機械を壊しても、マザーはまた違う機械に入り込むだけです。どれを壊すというわけじゃない、いうならば、この工場全体がマザーなんですから」クロノさんは僕の言う事を理解しがたかったようで、詠唱を止めても訝しげな表情は変えなかった。


「そうか……にしても、でけえモニターだな。なんつったっけ? ほら、あのゴシック様式の鏡、あれくらいあるな」


「クロノさん、同じ事考えてます。あとステンドグラスです。僕も考えてた手前言いたくないですけど小さいのもありますよ、ちゃんと」


 そうか、と声を潜めながらクロノさんは頷いた。その後彼はあくまで周りに注意を怠らぬよう摺り足気味に歩き、前後左右に視線を回しながら部屋を歩く。時折、大小あるコードを何本も差された電算機を気にしながら僕もそれに続く。
 クロノさんはまだ気付いていないようだ。それもそうか、機械の体である僕が気付けても、人間のクロノさんが気付けないのは無理も無い。彼女は今、彼の後ろに立っているのに。電子体となっている彼女は素粒子の集まりに近い不認性を持っている。
 彼女は堪えきれぬ笑いを噛み殺しながら、滑稽に写っているであろうクロノさんの挙動を眺めていた。実に、不愉快だ。僕の尊敬する人を馬鹿にするな。


「もういいでしょうマザー、話があります、立体映像でも構いません、視認できる姿を構成してください」口調とは裏腹、棘を隠さず喧々とした声で彼女に語りかける。ちょっとした娯楽を邪魔されて悔しかったのか、彼女は眉間に軽く皺を寄せてから、すっ、と姿を現した。どうせ、なんとも思っていないくせに、彼女は感情を表現するのを好む。人間を嫌いながら人間に近づこうとする矛盾を抱えて彼女は何がしたいのか、僕には分からない。


「プロメテスは頭が固いですね、アトロポスを見習うべきよ。まあ、彼女も相当な石頭だったけれど」


 マザーが口を開くと同時に、クロノさんは勢い良く振り向いた。驚きを大量に混ぜ込んだ表情には焦りや怒りも見て取れる。「くそくだらねえかくれんぼは止めろ、ババア」室内の床に唾を吐いてドスのきいた声を喉の置く、いや内臓の奥から洩らす。中々堂に入った恐声であるが、所詮人間のまだ成熟しきっていない少年の台詞。マザーは何処吹く風という様子で「あらあら」とあしらった。
 溜め込んだ塊を吐き出すように、クロノさんはずんずんとマザーに近づく。暴力、殺意を伴う歩みに僕はクロノさんの袖を掴み止める。駄目ですよ、これは僕の問題で、貴方の問題じゃない。そこまで頼れない。


「マザー、お話があります」彼女はすっ、と目を細め顎を引いた。言ってみろ、と言わんばかりだ。「外の人間を殺す機械を止めてください」率直な意見だった。
 マザーは特に迷う素振りも無く「いいですよ」と了承し指を鳴らす。何処かの稼動機関が止まる沈むような音が遠くから聞こえる。その呆気ないやり取りがクロノさんには妙に見えたようだ。掴んだ腕から動揺を感じ取る。


「人間びいきの貴方が、今も人間が殺されているとなれば落ち着いて話も出来ないでしょうからね。勿論、人間の再構築業務はこの話が終わり次第再開させますよ」


「大丈夫ですよ、貴方にはリコールしてもらいますし」


「あら、公職に就いた覚えはないのだけれど?」


「僕なりの冗談です」


「それは、頭が固いと言われたからですか?」


 子供ですねえと笑う。
 マザーはよく笑う。何かの開発が上手くいった時、人間の隠れ家を見つけたとき、施設の修理がはかどっている時、酸性の雨が降ったときですら彼女はくすくすと笑うのだ。ずっと思っていた、何が楽しいのだ、と。


「それでプロメテス、貴方は私に何のお話があるのかしら?」


「別に本当は人間は良い人ばかりだとかいう性善説なんか言いませんし、そんな事を説いたところで貴方が人間を殺すのを止めるとは思いません。ただ僕は、貴方に質問したかっただけです。貴方、というより僕たちロボットとは……」ぼくが言い終わる前に、マザーはその前に野暮用を済ませましょうと涼しく言い放ち発言を止めさせる。あまり時間を取られたくないのだけれど。アトロポスをちゃんとしたところに埋めてあげたいから。
 ぶす、と頬を膨らませて彼女の用が終わるのを待つ。マザーは僕の右後ろに立っているクロノさんに顔を向ける。彼は敵意しかない視線を彼女に渡すだけで、彼から口を開く事はなかった、ので、マザーは口火を切る。


「クロノさん? 前にも言いましたが、本当にこのプロメテスを直してくれたのはありがたいと思ってますよ、ええ本当です。例え今こんな風に私たちを裏切っていても、私からすれば息子のようなものですから」


「孫の間違いなんじゃないか」


「嫌ですね、随分嫌われてしまったようです、悲しい」目下を指先で撫でてこれ以上無い程わざとらしい嘘泣きを披露した後、切り替え早く「さて、ところでクロノさん」と本題を切り出す。「貴方は何故プロメテスが壊れていたか知っていますか?」


「興味無いな」クロノさんは言う。「話はそれだけか? なら黙れよ、お前の口臭いんだよ、ずっと閉じてろ」見下すような視線は変わらず、けんもほろろな態度だった。


「まあそう言わず聞いてください。プロメテスったら、あの頃はやんちゃで。まあ今もそう変わりませんが、この子は人間との戦いが激化している中、単身敵陣に乗り込んだのですよ。それも、戦闘用でない作業用パーツを付けたまま。戦う意思は無いとアピールしたかったのか、それとも憎悪の視線を直に感じたくなかったための鎧だったのかは知りませんけど」横目に僕を見る彼女の視線は明らかに後者であると確信しているものだった。
 両手を広げ、英雄譚を語る指導者のような雰囲気で演説紛いに話し出す。「良い話でしょう? たった一人で和平を申し込みに行ったのですよ、普通中々出来ませんよね、今まで殺しあってきた……正確には一方的に駆除していたのですが、そんな相手に『もう戦いはやめましょう』なんて。とても高潔な行為ではありませんか。まあ、結果は」そこで話すのを止め、手を銃の形に変えて人差し指をこめかみに当てた。楽しそうに小さく「バン」と効果音を付けて、銃声を表現する。


「ああ、なんておぞましい行為なんでしょう? 勇気を振り絞り申し出た提案を却下するどころか使者を壊してしまうなんて。まあ彼ら程度の技術では外付けボディを破壊する事すら出来なかったようですが……それはそれで恐ろしいですよ、プロメテスは一方的に殴られ蹴られ鉄の棒を叩きつけられてじわじわと機能停止に追い込まれていったのですから。鬼畜の所業です」神託を授かった神官が嘆くように両手を合わせ天を仰いだ。そこにはパイプ管が巡る白い天井があるだけなのだが。


「待って下さいマザー、何故あの時の僕の記憶を知っているのですか?」マザーは顔色変えず「貴方がここに来た時メモリーチップを弄ったでしょう? その時に知りました」と言う。人間で言うところの脳みそを弄繰り回されたような気分、それに近い不快感を覚える。


「なるほど、それはそれは悲しい物語だな。主にロボが。だから何だよ、今更そんな話聞かされて俺はどうリアクション取ればいいんだ」退屈そうに靴の爪先で床を這うコードを動かし遊ぶクロノさん。


「感想を聞きたかったのですが、どうですか? 至極当然の事ですが、今更に人間と手を取り合って仲良くなんて出来ません。お互いにね、さて人間代表であるクロノさんはこの問題をどう解決します? 何か魔法のような手があるのですか?」丸めた右手を拡声器のようにクロノさんの口元に持っていく。今は無い、過去に存在していたリポーターとかいう人みたいだ、とぼんやり考えた。
 クロノさんは「代表者のつもりはない、投票された覚えがないからな」と嫌味に言ってから、「とにかく人間を殺すのさえ止めれば良い」と発言する。マザーは「消極的ですね」と言って払い、くるりと回転して元の位置に戻った。


「さあプロメテス? 貴方は私のどんなお話を聞かせてくれるのですか? 人間との和解は無理、つまり敵対、だから人間を処理するのを止めない。私の結論はこんなところです」


「だから、人間を殺す必要は無いっつってんだろうが」


「ありますよ、星にとって人間はラヴォスと同じ……いや長い目で見ればそれよりも邪魔な存在かもしれませんから」どのみち何もせずとも死に絶えますがね、と後付してクロノさんの提案を一生に付す。ぎり、とクロノさんの歯軋りが少し離れた僕にも聞こえてきた。


「マザー、僕が言いたいのはそんな事じゃありません。ただ聞きたかっただけなんです。貴方は人間とロボット、どちらがより優れた存在だと思いますか?」


 彼女は鼻をひくつかせてから、「言うまでも無いと思いますが?」と哀れみをも感じる声調だった。僕は頭を下げて礼を言う。そして続けて質問。「ロボットはどれくらいに優れていますか?」と。


「まるで言葉遊びをされているみたいですね? それともミスリード待ちかしら? 何にしても私相手に愚策としか言えませんが」言葉遊びは、少し違う。今から始まるのはゲームだ、将棋にでも例えれば分かり易いだろうか?


「いいから質問に答えてください。ロボットとはどれ程に優れていますか? 人間よりもというだけですか? それとも森羅万象を変える程? 宇宙を支配する事ですか? ちなみに、人間は宇宙に飛び立ちましたけどね」あえて人間の偉大な功績を礼に出すと、初めて彼女はあからさまに敵愾心を表に出した。
 僕だって、マザーとは長い付き合いだ、だからこそ彼女の気質は知っている。
 彼女はこの工場で、いや世界中のロボットのどんなものよりも高性能だ。性能は勿論、技術も抜き出ている。何と言っても、アンドロイドを覗いたほぼ全てのロボットを操作できるのだから。その莫大な保有データ量も人間一億人が一生掛けても解析しきれないくらいある。だが彼女の本当の素晴らしさはそんな事ではない。彼女は機械でありながら、人間らしさを兼ね備えている。それこそ、『人間以上』に。人間一億人以上の性格をプログラミングさせて、人間に近い電子頭脳を持っているのだ。
 彼女はそれを嫌っている。今や人間を嫌う彼女はどのロボットよりも人間だから。
 マザーは表向き酷く礼儀正しく残忍で冷酷で淡々としている印象を受け易い。でも僕は知っている。彼女はあらゆるデータを知りながら、あらゆる事が出来ながら、あらゆる思考を読めるのに……人間をも超えるほど、負けず嫌いであると。
 カエルさんやルッカさんやマールさんの負けず嫌いなんて可愛いものだ。マザーは一億人の負けず嫌いが凝縮されている、幸いにその執念をも超えた想いは人間に対してだけベクトルが向くので僕たちロボットには関係無いけれど、その並々ならぬ嫉妬心に近い心はたまに戦慄すらする。
 結局彼女は負けたくない、つまり人間が怖い。だから殺す、そんな程度の考えだと僕は睨んでいる。星がどうとか、害悪だとか、ロボットだけの世界を作るとか、そんなのは建前だ。人間を殺しきりたいのは人間を恐れているから。ロボットだけの世界にするのは、その世界なら間違いなくマザーがトップに君臨するだろうから。
 そんな彼女が、この挑発に乗らないはずが無い。


「宇宙に飛び立つ? つまらない事を言いますねプロメテス。今でこそ大気が荒れて飛行できませんが、この空が晴れたなら私たちは太陽系すら飛び出せましょう。人間に出来て私たちに出来ないことなど無いのです。馬鹿馬鹿しい」ほら、乗ってきた。貴方は気付いていないのでしょうけれど、貴方はロボットの中で一番物を知っていて、一番単純なんですよ。


「そうですか、でもクロノさんは空を飛んできましたよ、ここに。ちなみにその乗り物は空を飛んできました。この荒れた空を。作ったのは勿論、人間です」まず、一勝。歩が成った。


「……そうですか。いえ、別に今からでも空を飛ぶ事は可能ですよ私たちには。ただ海を渡ったほうが効率が良いと思った故に作らなかっただけの事。やろうと思えば明日の正午には完成します。今技術開発ロボットに命令しましたから、お見せしますよ」


 苦しい言い訳だと僕だけじゃなく、機械は素人のクロノさんだって思っただろう。証拠に、マザーの彫刻のような美貌が崩れ始めている。矢倉は崩れた、次戦力をつぎ込もう。


「ああ忘れていました、その乗り物ですが、空を飛ぶだけでなく時を越える事も出来るんですよ。当然マザーは作れますよね? 時を越える機械を」マザーの表情が歪み、「も、もち……」『ろん』を言う事は出来なかった。代わりに新しい題目を用意する。「に、人間と違い私たちは食事を必要としません。それはつまり他の生物を殺す必要が無いという事です。人間のように無用に生き物を傷つけるなど決して無いのです」


「そうですね、そこは人間の負けでしょう。でも、人間は食べることで味を感じる事ができる」マザーはなんだそんなことか、と口端を吊り上げた。「それなら貴方のようなアンドロイドに搭載されている味覚機能があるではありませんか」大きく腕を下ろし僕に指差した。王手、とでも言いたいのだろうか? 僕は勘違いを正す為首を振って否定した。それは二歩だ。


「僕たちは知るだけです。人間は感じた上で知ることもできる。その差がどれほど大きく高いものか、貴方に分からないわけがないと思いますが?」


「……っ! なら私たちに失敗はありません! 人間のように物事を違えたり、作業を失敗したり、他にも誰かを騙す事もしないし裏切る事もない、何より概念的な死は存在しない! ボディが壊れてもメモリーさえ無事ならいくらでも代わりのパーツは作れるのですから!」激昂する彼女に冷徹も冷静も感じられない。自分で言うことじゃないけれど、僕のする駄々と同じだ。癇癪とも言える。クロノさんは頭に手を置いて下を向き喉を鳴らしていた。彼が小さく「痛快だね」と呟いた事でマザーの顔色はさらに赤く紅潮する。


「僕たちに失敗は無い、けれど失敗がないから新しい試みは生まれない。作業を失敗しないからより効率の良い方法を編み出せない。騙される事がないから工夫も成長もしない、死なないから、僕たちは生きようともしない。頑張る事自体無いんだよ、それが当然の事だから」屁理屈だ、と自覚する。でもマザーはそれを指摘できない。彼女は中々穿った事を言った。言葉遊びか、そう外れてはいない。投了まで、僅か。わなわなと口を震わせるマザーに僕はまだ畳み掛ける。


「ただ生活だけじゃない、芸術だってそうさ。音楽絵画建築様式彫刻文学細かく言えば絵を描くため筆や楽器に木材石材そこに至る過程、例えば舞台を見ても僕たちは感動しない、人間は感動するだからさらに素晴らしい舞台を作れる。僕たちロボットが勝てる事なんて少ないんです」


「は、ははは! 墓穴ですよプロメテス、芸術なら私たちにも作れます。それこそ音楽絵画建築様式彫刻文学それを作る為に必要な道具も方法も! 舞台だって私たちは失敗しません! ああなんて可哀想なプロメテス、もう少し知能回路を高機能にしてあげるべきでしたね!」


 有頂天に語るマザーに我慢できなかったのは、クロノさんだ。すでに鋭かった眼光は無く、コミックオペラを見ているように、背中を曲げて笑い出していた。目じりに浮かぶ涙は、マザーの涙とは正反対の意味を持つのだろう。一つは愉快で、一つは恨事から。
 千鳥足のようにふらつきながら、近くの柱に手を当ててバランスを取る。そうしなければ、クロノさんは床に倒れて足をばたつかせていたかもしれない。何がおかしいのだとマザーが怒鳴ると、クロノさんはにやけきった顔を戻す事無く言った。「あんた、相当馬鹿だな」と。マザーはサウナに入ったような体色だった。どうでもいいのだけれど、彼女はとことんに高性能なんだなあ、と思う。その人間らしさに僕は羨望をも感じた。


「ねえマザー、僕たちロボットに新しい絵が描けますか? 曲が作れますか? 舞台脚本を練れますか? 全部人間の作った作品を焼きまわすだけじゃないですか。暖かみのない、面白くもなんともない保存してあった映像を流したほうがよっぽど有意義な作品が出来上がるでしょうね」


「私たちだって、作れますよ。独創性ある、素晴らしい作品が!」


「どうせ、色々な作品から切り貼りしただけの物でしょうに。馬鹿らしい」いい加減にしてほしくなった。これが僕を作ったマザーだなんて信じたくない。これなら、クロノさんを酷い扱いしていたジナさんの方が万倍マシだ。あの人は母としてはどうあれ、人間的には尊敬できる人だった。最悪、つまらない人ではなかった。


「すげえや、子供に言い負ける大人がこうも面白いとは!」……クロノさんには面白い人間に見えるのか。良かったですね、と言ってあげたいが、それを言うと彼女はもっと怒るだろう。イメージで僕は口にチャックをした。ばりばり、という音が心地よい。


「うるさい! 人間が私を馬鹿にするな! 私は何でも知ってる、何でも出来る! 私はマザー、なによりも凄いんだ、お前らなんかより、よっぽど、よっぽど!」


「なら証明してくださいよ、言葉だけなら誰でも言えるんです」さあ、お膳立ては終わった。これで引っかからないなら、それはもうマザーじゃない。敵を見つけた、と表現するよりも餌を貰える腹をすかせた犬のようにぎらりと目を輝かせて、「何を証明しろと!?」とがなる。僕は視線をクロノさんにやる。釣られてマザーも彼を見た。
 簡単だ、人間に勝ちたいなら、人間が出来なかった事をやらなければ。そうしないと、もう僕たちに未来は無い。今の僕たちの立場を省みれば分かる事じゃ無いか。
 僕たちを作ったのは誰だ? マザーだ。ならマザーを作ったのは? ……人間だ。機械を作ったのは? 人間。技術を発展させたのも人間。僕たちは弱った人間の残した財産を奪い取って、我が物顔で使用しているに過ぎない。卑屈になる気は無い。ただの事実だ。
 ああは言ったけど、僕だってロボットとしての矜持はある。人間に勝っている所がまるで思いつかないわけじゃない。ただ少ないだけだ。でもそれは僕が人間をよく知らないからだと思う。なんせ……


「ははは……? なんだよロボ」柱に捕まっている事も出来なくなったクロノさんを見遣ると、彼は疑問符を作っていた。
 そうだよ、なんせ、僕が一番近くで見ていた人たちは、皆信じられないくらい凄い人ばかりだから。悪い人なんて、ほとんど見ていないから。
 だからきっと、これから先僕が人間に沢山接していけば印象はまるっきり変わるだろう。僕はクロノさんたち……クロノさんを基準に見てしまうだろうから。彼より凄い人間がいるとは思えない。彼がいるから、僕は今立っている。
 見ていてくださいクロノさん……違うな。見ていろクロノさん。貴方に見せてやるから、貴方を尊敬する愚鈍なポンコツがどれほど頑張れるか。貴方が自信を持って僕を凄い奴だと言える僕になるから。


「マザー。貴方が人間に勝つ方法、それは……」






 マザーが僕の言う事を理解し、それを実行するかどうかは知らない。長い時間が掛かるだろうし、見届ける義務は無い。時間も無い。
 ただ、彼女は人間処理機を止めた、それだけは確かだ。
 今は工場を出て、マールさんたちが操るシルバードを待っている最中。今になって初めて思い出した事がある。僕は慌ててクロノさんに治療光線──癒しの化身デルボアーナトリューの……ああもういいやケアルビームを当てる。呆れるのは僕が傷は大丈夫なんですか? と言われるまでクロノさん自身気が付かなかったことだ。言われてからようやく痛みを思い出したらしい。大袈裟に騒ぎ出すクロノさんはちょっと、尊敬しづらかった。


「くそ! お前と関わると碌なことがない! いっそあれだ、お前マールあたりに首輪を付けてもらえ! そしたら迷惑メーターも下がるだろ!」


「酷いですよクロノさん! 僕だって皆の為に頑張ろうと必死で……必死でした、よ?」


「何で余所向くんだ。まさかとは思うが、お前この工場に来てちょっと楽しい思いでもしたのか? 吐けこのくそがき」


「まさか! 天地天命に誓ってそのような事実はありません! ああ、ちなみに僕の言う天地天命とは単純に空と大地と神の言葉という意味ではなくこの場合地を歴史、天を未来、天命を平行世界、つまりはボデラルナ・トワイトメントからの連絡、共鳴を軸にした……」


「ちょっとだけ工場内の娯楽ルームで電子ゲームをしていたのですよね、プロメテス。五時間以上は目に悪いから止めろと言ったのですが……」


「何故言うのですかマザー!? いや痛いですクロノさん耳を引っ張ったら痛いです! ……ふああああん!!!」


 無表情のまま僕の耳を千切ろうと企むクロノさんの顔が怖くて、痛みよりもそちらのせいで泣いてしまう。こんなことなら、誤魔化さず正直に言えば……変わらなかっただろうなあ。


「つうか、何でお前がここにいるんだよ。まさか俺たちの旅に同行するとか言わないだろうな、止めてくれ、平均年齢が上がるし、更年期障害の際の対処法を俺は知らん」


「つくづく失礼というか、無礼というか。心配しなくてもただの見送りですよ。私の可愛い息子ですからね」


 二人の掛け合いを見ていると、なんだか口にしているほど仲が悪いようには見えなかった。むしろかなり良好にも見える。実際クロノさんは本気で言ってるのだろうし、マザーは内心物凄く怒っているのが分かるのだけれど。
 ……そんな軽口を言い合えている二人が、僕は複雑だった。可愛い息子と言われても、マザーはアトロポスを人間を殺すように作り、僕に殺させた存在といっても良いのだから。そのわだかまりはこれから先もずっと続いていくのだろう。それがちょっとだけ寂しくて、本当に、複雑だ。
 やがて空からシルバードが現れ地上に降りてくる。運転しているのはマールさんのみ。僕とクロノさんを運ぶ為に他の二人は置いていったのだろう。正直クロノさんと会うのだからマスターが来るかと思っていたけれど、意外だった。クロノさんが帰ってからのマスターはよく言えば奥ゆかしく、悪く言えば臆病だった。まあ、当然かもしれない。恋愛慣れしてない女性とはえてしてそういうものだ。マールさんは例外だが。大物だと思う。
 ハッチを開けて「来たよー!」と元気良く告げるマールさんに少し癒される。クロノさんも同じか、肩の力を抜いているようだ……マスター、ぼやぼやしてるととんでもない差をつけられますよ? こうなったら僕も本気でクロノさんにアタックを……


「あれ? その人誰? 二人の知り合い?」


 真ん丸い目で言うマールさんの視線の先には腰を抜かしているマザーの姿が。言葉にするなら「あわわ」といった感じか。
 なるほど、そりゃあ慌てるだろう。まさかこれほどまでに高度な飛空機だと思って無かったに違いない。それこそ、AD千年後半に勃発した戦争で使われたような物を想像していたのだろう。まあそれよりはもっと高度なものを考えていたとは思うけど。そんな機械ではこの荒れた未来の空を満足に飛べる訳がないから。ただ、限度があるか。シルバードは未来の技術では到底……というか何千年かかっても完成するかどうか。魔法王国の技術があって初めて作れる代物だし。まあ、そこはマザーには言わなかったけど。「魔法を用いた技術なんて反則です」と言われればおしまいだし。


「こ、これが貴方がたの乗っている乗り物ですか。た、大したことはありませんが、そうですね。作るのに半年ほどもらえれば必ず、ええ」


「その辺にしとけ。そろそろお前が可愛く見える。勘弁して欲しい、俺は老け専じゃないんだ」


 ショックが大きいのか、クロノさんの結構な悪口にも反応せずぶつぶつと何かの数式だか計算だかを行っていた。金属練度がどうとか、エンジンの火力だとか。僕は製作の知識はプログラムされていないので詳しい事は分からない。マスターの得意分野だろう。
 何かが憑依したように呟き続けるマザーを放って僕たちは手早く座席に乗り込んだ。マールさんが置いていっていいの? と問うので僕とクロノさんは同時に「大丈夫」と返した。知ったことではない、が本音であるが。こうして僕も本音と建前を使い分ける大人になるんだなあ、とノスタルジックになった。
 ハッチを閉じる前に、マザーが我を取り戻し「待ってください!」と声を荒げた。マールさんが再び操作してハッチを開ける。シルバードの操作上手くなったんだなあマールさん。


「プロメテス。貴方の挑戦、私は受けたつもりはありませんよ。後々になって考えれば、あんなのは屁理屈でしょうに。私はそこまで都合が良いコンピューターではありませんよ」


「そうですか。まあ敵前逃亡が趣味ならば無理は言いません。お疲れ様です」出来るだけ蔑視となるよう目を細め鼻息を出した。予想通り、彼女の面相が変わるも、今度は噛み付かなかった。変わりに僕の耳に口を近づけ、ぼそりと言葉を落とす。


「次に来る時はお見舞いの品を持ってきなさい」と。


「お見舞い……? 一体、誰の」僕の言葉を聞き終える前に、マザーは立体映像を止めて、その場から消えた。恐らく、もう工場に戻ったのだろう。彼女は何処にでも現れることが出来るのだから。まあ、工場の外にも出れるとは知らなかったけれど。
 今度こそハッチが閉じられる。手馴れた操作でマールさんが時間軸を設定し、時の最果てに飛んでいく。僕は椅子に深く背中をめり込ませ、その感触を楽しみながら、マザーの言っていた事を反芻していた。そもそもロボットしかいない工場にお見舞いって、おかしいじゃないか。
 しかめ面で考えていると、同じ後部座席に座るクロノさんが僕の肩を叩いた。


「しかし、知らなかったな。ロボットに概念的な死は無いんだろ? メモリーさえ無事ならさ」


「え? ……ああ、マザーが言ってましたね。と言っても、いまじゃ直せる人なんてマザーくらいしかいないし、ボディが壊れればそれまでというのが普通ですけど」


「ふうん。ロボのメモリーとかいうのはどこにあるんだ?」


「どうしたんですか? 科学の探求に目覚めました? ……まあいいです。アンドロイドのメモリーは頭に仕込まれてますよ。コアは心臓ですけど、まあ頭さえ潰されなければ大丈夫ってことなんでしょうね」クロノさんはふむふむと小さく小刻みに頭を揺らし、最後ににっこりと笑いながら「ところでさあ」と接助の言葉を使う。「アトロポスって子、置きっぱなしだったけど、良いのか?」
 言われてから僕は慌ててしまう。しまった、マザーとの話で気が逸れていた! いや、でも確かに帰るときにはアトロポスの遺体は無かったはず、もしあればいくらなんでも忘れたり……くそ、大切な人の埋葬すら忘れるって、僕はどれだけ馬鹿なんだ!
 マールさんにUターンしてもらおうと声を掛ける前に、隣から声が触れてきた。


「綺麗な顔だったよな、アトロポス。動かないとは思えないくらいに」


「何を言って……」


 ──ああ、そうか。
 一瞬クロノさんの言っていることが理解できなくて、思わず怒りそうになってしまった。でも違う、これで合点がいった。
 僕がアトロポスを貫いたのは頭じゃない、お腹だ。彼女の顔を壊したくなかったから。
 酷い破損で機能は停止した。でも頭のメモリーは壊してない。拳銃で打ち抜いてもいない。それは、つまり。


「お見舞いの品は何にするんだ、ロボ」


 クロノさんが自分のことのように喜んでいるのが分かる。にやにやした顔の、いや全身からあふれ出す喜色が感じられる。僕はできるだけ静かに体を寄せて、彼の膝の上に頭を乗せた。顔は見せない。この涙は、誰にも見られたくない。


「……決まってます」


 彼女との約束は青空の下で走り回る事。でも青空は眺めるもので持っていくものじゃない。だから僕は……


「お祭りで買った、綿飴をプレゼントしますよ」


 知らなかった、あんなに汚くて醜い世界なのに、夢も希望もあるんだね、アトロポス。
 クロノさんが僕の後ろ頭を撫でながら、「そりゃいいや」と呟いた。


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