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No.20619の一覧
[0] 星は夢を見る必要はない(クロノトリガー)【完結】[かんたろー](2012/04/28 03:00)
[1] 星は夢を見る必要はない第二話[かんたろー](2010/12/22 00:21)
[2] 星は夢を見る必要はない第三話[かんたろー](2010/12/22 00:30)
[3] 星は夢を見る必要はない第四話[かんたろー](2010/12/22 00:35)
[4] 星は夢を見る必要はない第五話[かんたろー](2010/12/22 00:39)
[5] 星は夢を見る必要はない第六話[かんたろー](2010/12/22 00:45)
[6] 星は夢を見る必要はない第七話[かんたろー](2010/12/22 00:51)
[7] 星は夢を見る必要はない第八話[かんたろー](2010/12/22 01:01)
[8] 星は夢を見る必要はない第九話[かんたろー](2010/12/22 01:11)
[9] 星は夢を見る必要はない第十話[かんたろー](2011/08/02 16:03)
[10] 星は夢を見る必要はない第十一話[かんたろー](2011/01/13 06:26)
[11] 星は夢を見る必要はない第十二話[かんたろー](2011/01/13 06:34)
[12] 星は夢を見る必要はない第十三話[かんたろー](2011/01/13 06:46)
[13] 星は夢を見る必要はない第十四話[かんたろー](2010/08/12 03:25)
[14] 星は夢を見る必要はない第十五話[かんたろー](2010/09/04 04:26)
[15] 星は夢を見る必要はない第十六話[かんたろー](2010/09/28 02:41)
[16] 星は夢を見る必要はない第十七話[かんたろー](2010/10/21 15:56)
[17] 星は夢を見る必要はない第十八話[かんたろー](2011/08/02 16:03)
[18] 星は夢を見る必要はない第十九話[かんたろー](2011/08/02 16:04)
[19] 星は夢を見る必要はない第二十話[かんたろー](2011/08/02 16:04)
[20] 星は夢を見る必要はない第二十一話[かんたろー](2011/08/02 16:04)
[21] 星は夢を見る必要はない第二十二話[かんたろー](2011/08/02 16:05)
[22] 星は夢を見る必要はない第二十三話[かんたろー](2011/08/02 16:05)
[23] 星は夢を見る必要はない第二十四話[かんたろー](2011/08/02 16:05)
[24] 星は夢を見る必要はない第二十五話[かんたろー](2012/03/23 16:53)
[25] 星は夢を見る必要はない第二十六話[かんたろー](2012/03/23 17:18)
[26] 星は夢を見る必要はない第二十七話[かんたろー](2011/08/02 16:06)
[27] 星は夢を見る必要はない第二十八話[かんたろー](2011/08/02 16:06)
[28] 星は夢を見る必要はない第二十九話[かんたろー](2011/08/02 16:06)
[29] 星は夢を見る必要はない第三十話[かんたろー](2011/08/02 16:07)
[30] 星は夢を見る必要はない第三十一話[かんたろー](2011/08/02 16:07)
[31] 星は夢を見る必要はない第三十二話[かんたろー](2011/08/02 16:08)
[32] 星は夢を見る必要はない第三十三話[かんたろー](2011/03/15 02:07)
[33] 星は夢を見る必要はない第三十四話[かんたろー](2011/08/02 16:08)
[34] 星は夢を見る必要はない第三十五話[かんたろー](2011/08/02 16:08)
[35] 星は夢を見る必要はない第三十六話[かんたろー](2011/08/02 16:07)
[36] 星は夢を見る必要はない第三十七話[かんたろー](2011/08/02 16:08)
[37] 星は夢を見る必要はない第三十八話[かんたろー](2011/08/02 16:07)
[38] 星は夢を見る必要はない第三十九話[かんたろー](2011/08/02 16:06)
[39] 星は夢を見る必要はない第四十話[かんたろー](2011/05/21 01:00)
[40] 星は夢を見る必要はない第四十一話[かんたろー](2011/05/21 01:02)
[41] 星は夢を見る必要はない第四十二話[かんたろー](2011/06/05 00:55)
[42] 星は夢を見る必要はない第四十三話[かんたろー](2011/06/05 01:49)
[43] 星は夢を見る必要はない第四十四話[かんたろー](2011/06/16 23:53)
[44] 星は夢を見る必要はない第四十五話[かんたろー](2011/06/17 00:55)
[45] 星は夢を見る必要はない第四十六話[かんたろー](2011/07/04 14:24)
[46] 星は夢を見る必要はない第四十七話[かんたろー](2012/04/24 23:17)
[47] 星は夢を見る必要はない第四十八話[かんたろー](2012/01/11 01:33)
[48] 星は夢を見る必要はない第四十九話[かんたろー](2012/03/20 14:08)
[49] 星は夢を見る必要はない最終話[かんたろー](2012/04/18 02:09)
[50] あとがき[かんたろー](2012/04/28 03:03)
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[20619] 星は夢を見る必要はない第三十八話
Name: かんたろー◆a51f9671 ID:9726749e 前を表示する / 次を表示する
Date: 2011/08/02 16:07
「十年位になるかしらね? あの廃墟に魔物たちが何か運んできたのは。最初は、凄い宝物でも隠されてるんじゃないかって、冒険者たちがこぞって入ったもんよ。まあ、皆帰ってこなかったけどね」


 民家より出て来た女性に礼を言い、その場を離れた。
 クロノたちより別れた俺は、時の最果ての老人の言葉──中世で魔王に破れ、現代に至るまで彷徨う騎士の魂──を手がかりに、俺は中世へと訪れた。
 その言葉を聞いてふと、思い出したのだ。昔訪れたチョラス村という村にて、不可解な噂を聞いたことを。自分の記憶違いでないか確かめる為に聞いて回ると、やはり間違いなかった。その村より北の廃墟に魔物たちが何かを運んでいた、という事。
 その噂は広がり、遠くガルディア城まで届いていた。人々はその『何か』がなんなのか、という点で様々な推測を立てていた。
 魔王すら倒せる可能性がある武具が保管されている、世界を買えるだけの金塊、とんでもない魔物が封印されている等、その噂は幾つにも種類があり、中でも一番気になったものが、勇者の遺体が運ばれていた、というものだった。
 勿論、信じきれる証拠もなく、信憑性も確かかと問われれば頭を捻る。だが、それくらいしか思い当たる節が無いのも確かだった。
 それから、俺は真っ直ぐに北の廃墟とやらを訪れるため歩き出した。距離はこの村からそう離れた場所ではないらしい。
 最初それを聞いた時、魔物が巣食うような場所が村の近くにあって、不安ではないのか? と問うてみれば、理由は分からぬがその廃墟に入った魔物は侵入者を喰らいはするが、自分から外に出ることはないそうな。不可思議な力が働いているのでは? とそれを教えてくれた男は笑っていた。
 村を出て、街道を逸れ始めた時、鈴虫の鳴き声が聞こえ始めた。それを耳にした途端、強い立ち眩みに襲われた。手を額に当てて、座り込みそうになるのを我慢する。情けない、この程度の運動で疲労を訴えるのか。
 ……いや、違うか。多分、会いたくないのだろう俺は。
 仮にその廃墟にサイラスの遺体が運ばれていたとして、仮にそこにサイラスの魂が漂っていたとして、仮にその魂が俺に語りかけることが出来たとして、その仮にが三つとも奇跡的に揃ったとして、俺はそれが恐ろしくてたまらないのだ。
 何を言われるだろう? 罵倒されるだろうか? 「よくも俺の足を引っ張ってくれたな」と蔑むだろうか? それとも「ありがとう、俺と共に戦ってくれて」と過去を振り返り、俺を称えてくれるだろうか? そのどちらも恐い。彼が俺を嫌っていては俺はもう立ち上がれない。彼が俺を認めてくれていたのならば、もう立ち上がる理由も無い。彼が俺をどう思っていたのか、それを知るのがこれほどに恐いとは。


「ともあれ、進まねばならん」


 独り言、と認識するには寂しさが伴うので、俺は草むらで鳴いている虫に聞かせる気分で呟いた。隣に誰かがいないことがこうも肌寒いとは。クロノの到着を待ち遠しく感じた。
 小一時間とかからぬ間に目的の場所を見つけた。半円月状に広がる地面に、崩れ落ちながらも体裁を整えている建物。入り口の扉は黒ずみ取っ手の部分が床に落ちているものの、元は豪華で重厚な扉だったのだろうと思う。左右に付けられたランプは外側のガラスが割れ、中の灯心が無くなっている。いざとなれば、それを取り外し廃墟の中を照らそうと考えていたので、知らず舌打ちが零れた。


「う……」


 扉を開けると、立ち込める埃と木材の腐った臭気が襲う。酸味のある臭いは鼻腔を狂わせる、吐き気を催す程ではないが、長居したいと思える環境ではなかった。
 一歩前に踏み出すと、嫌な予感が巡り、すぐに足を引く。僅かの差で、先ほどまで足を乗せていた床が抜け落ちてしまった。全体重を掛ける前に壊れるとは、予想外だ。満足に進むどころか、まず中に入る事すら困難とは。
 剣を鞘ごと抜き、杖のように床を叩いて、体重を乗せて良いかどうか判別する。そうして、ひどくゆったりと中を散策し始めるが、それも長くは続かない。魔物を見つければ、引き返さねばならぬからだ。少々戦闘力の落ちた上、この足場の悪過ぎるこの場所で戦おうと思うほど、俺は考えなしではない。
 そうやって、魔物を避けつつ先に進める通路を探した結果、到底奥に辿りつく等不可能だ、という事だけ分かった。
 サイラスの遺体が安置されている場所がどこかは分からないが、恐らくこの廃墟の最も深部の部屋にあるだろう。元より、安置場とはそういうものだろう。今この時までそのしきたりのようなものにけちをつけるつもりは無かったが、入り口に近い場所でいいではないか、と誰とも知らぬ魔物に物申したい気分だった。
 このまま先に進むことが出来ぬままぼう、と突っ立っているわけにもいかず、俺はとぼとぼと村に戻る事とした。なんとか、方法を見つける為に。
 これが、今から三時間前の話。






「さあて、始めようかね! ここの修理をよ!!」


 存在感のある巨体が号令をかけると、屈強な男衆が「おう!!」と右手を一斉に上げた。その光景は頼もしいとも、汗臭いとも言えた。


「ほれそこの姉ちゃん! 何だそのへっぴり腰は! もっとしっかり金槌を振らねえか!!」


「わ、分かっている」


 怒鳴られて、今までよりも力を込めて金槌を振り落とす。目標の釘には当たらず、木製の板に当たり半ばから割れてしまう。それを見て、大工の棟梁──親方は「ああもう、糞の役にも立たねえな!」と唾を飛ばしながら呆れた。
 ……チョラス村に戻り、俺が考えた方法はぼろぼろの廃墟を修理しながら先に進むのは? というごり押しの方法。時間がかかるだろう、という事がネックではあったが、立ち尽くしているよりは有意義だろうと、その村の大工の家を訪ねた。
 それから大工の親方が魔物に大工道具を奪われただのなんだのと問題はあったが、所持金を全てはたいて新しい大工道具を調達し渡したところ、俄然やる気になった親方は仲間を集め鼻息荒く北の廃墟に身を乗り出したのだ。
 そこまでは良かった。大工たちの腕は確かなもので、見る見るうちに歩くだけで危険な廃墟は生まれ変わっていった。驚いたのはそれだけではなく、途中に徘徊している魔物たちに対しても彼らは頼れる存在だった。特に、大工を纏める親方は大工道具を奪われた恨みもあり、どっちが魔物か分からない動きで誰より速く魔物に襲い掛かりのこぎり片手に分断していった。ガハハハ!! と力強く笑いながら解体していく様は戦い慣れしている俺でも戦慄する姿だった。その光景に、親方の部下である大工衆が目を輝かせながら「カッケエっす親方!!」と応援しているのはもう言葉にならなかった。
 そう、全て順調だったのだ。彼らの仕事ぶりを見ながら頷いていた俺に、親方が「人手が足りねえっ!! あんたも手伝え!」と腕を取られるまでは。
 何が何やら分からぬ俺に無理やり金槌と釘を手渡し、長方形に切り取られた木材を置かれ指定の場所に釘を打てと命令する親方は、職人の顔をしていたと思う。
 渋々不器用ながらに釘を打つ俺に、周りの大工は「こいつはヒデェ!! ゲロ以下の腕前だぜぇぇぇ!!!」と貶してくる。馬鹿にしているのかもしれない。多分、その両方だろう。こういう体を動かす仕事に新人いびりはつきものなのだろうか。


「す、すまん。こういった仕事は初めてなのだ」


「それにしたってよお! あんたさっきから板を割ってばかりじゃねえか! もう釘打ちは良い! この木材をこの板と同じ大きさに切れ!」大工の一人が太く大きな木材と、さっきまで釘を打っていた長方形の板の二つを持ってくる。金槌を取り上げられ、代わりにのこぎりを押し付けられた。


「斬るのは得意だ。任せてくれ!」胸を叩き、挽回を誓う。
 縁のぎざぎざの歯を板に押し付け、魔物を斬る要領で強く押す。撓る刃は右に曲がり、ぱき、と軽い音を立てて折れた。


「何やってんだ新入りぃぃぃ!!!」


「すすす、すまん!! これは、何かの間違いで……」いつのまに新入り扱いされているのか、という疑問や不満よりも申し訳なさが前に出てしまい、謝罪しか口にする事は出来なかった。


「のこは引くんだ! 腕の力だけで切ろうったって上手くいくか馬鹿! 腰だよ腰! 男の上に跨った時を思い出せ!!」


「ま、跨る?」


 狼狽する俺の手を取り、こうだ! と指導されながら、不器用ながらに初めて木材を切り分ける事が出来た。満身創痍に息を吐いていると、すっと親方が現れ、俺が切り分けた板を一瞥し「使えん」と一蹴する。
 自分でも拙い出来だと分かっていたが、こうも簡単に切り捨てられると落ち込んでしまう。項垂れて、恥ずかしながら目蓋に涙が浮かび始めると、背中を向けている親方がぽつりと呟いた。「次は一人でやってみな」
 親方は、右手人差し指を積まれた木材に向けていた。
 ……まだ、ここにいていいのか? 俺はまだ役に立てるのか?
 肩に手を置かれ、振り返るとさっきまで俺の指導をしてくれた大工の男が白い歯を見せながら「あんた、認められたんだよ」と笑っていた。その後ろには作業をしながら俺を暖かく見守る男たち。
 ……やってやる。碌に役に立たずとも、誰かに必要としてもらえるなら、頑張る理由が確固として作られる!
 俺はもう一度のこぎりを強く握り締め、新しい板を取りに行った。
 これが、二時間前の話。






 歪な、板の集まり。使い物にならないような、ただの無駄な板が次々に作られる。その度に、厳しくも暖かい激励が背中に当たる。歯が真っ直ぐに入り込まない。力任せではのこぎりが折れてしまう。何より俺の力だけでなんとかなるようなものではない。感じろ、板の切れ目に沿うのは勿論、その木の本質を、息吹を感じるのだ。さすれば必ず応えてくれる。俺の意思を汲み取り木材の方から刃を動かしてくれる。


 ──今だ。


 一際強く歯を滑らせる。すると、今までどれほど力を込めようと微動だにしなかったのこぎりが嘘のように軽く流れる。切り取られた板の切れ目は美しく、光すら反射するのではと思えた。


「……出来た。出来たっっ!!!」


 俺が両手を掲げると、周りの大工たちが「おおおおお!!!」と歓喜の雄たけびを上げた。皆、良くやった! もう一人前だな! と我が事のように喜んでくれる。親方は何も言わないが、服の袖で己の目を拭っていた。俺の為に泣いてくれるなんて、思いもしなかった。


「……さあ、これで終わりじゃねえぞ新入り!! 次はカンナの扱い方を覚えろ! こっちに来い! 俺が直々に教えてやらぁ!!」


「はい! お願いします!」


 見つけたのかもしれない。俺にとっての天職を。
 新しい技術を身に付けられる喜びと好奇心に、俺は胸を躍らせた。天下の大工になり、世界を修理し、世界を作り出してやる!


「…………何やってんだ、カエル」


 力が抜けた顔で、真に不思議そうに問うクロノの声が聞こえたのが、一時間前の事である。
 その声を耳にして、ようやく俺は自分が何をしに来たのかを思い出した。
 ……俺を見るなクロノ……






 クロノに事情を説明すると、ようやく彼の俺を見る目がやわらいだ気がする。それまでは「皆頑張ってる時に何してんのコイツ?」と誰の目にも明らかな失望の色が存在していた。
 そういう事なら、俺も手伝うぜ、とクロノの修理メンバー加入が決まった。男手が増えるのは歓迎するぜ、と親方は了承した。
 ……クロノの成長は素晴らしかった。あっという間に俺の隣に肩を並べ、既にのこぎりを扱えるようになりカンナの削りも、親方曰く「筋がある」と言わしめた。
 負けたくない。いつのまにか、また大工魂が燃えた俺は今まで以上に作業に力を入れた。来たばかりの新人に大きい顔をさせてなるものか、と肩をいからせた。負けるわけにはいかん、クロノにだけは絶対に!!


「カエル? そこのハンマー取ってくれ。後釘も」少し離れた場所で作業しているクロノが俺に雑用を頼んでくる。馬鹿め、その手には乗らん。


「そうして、俺の作業時間を縮めさせる魂胆だろう。貴様の底の浅い手に引っかかると思ったか」


「……いや、何言ってるのか分からねえ」


「ともかく、自分の事は自分でやる事だ。今貴様と俺はライバルなのだということを肝に銘じろ」


 ぶつくさ言いながら、クロノが自分で釘とハンマーを取りに作業を中断する。くくく、これで貴様の作業時間は九秒止まった。この九秒は大きいぞ、なんせ俺はその間にカンナを五回かけたのだからな! 経験知的に言えば六十ポイントは先を行った事となる!
 それから先も延々クロノに突っかかっていると、周りの人間も面白がってか逐一俺たちの様子を見るようになった。親方ですら、賭け事の胴元を務めていた。賭けの内容は俺とクロノどちらがより成長するか。その存在を知ったとき俺は隣にいたねじり鉢巻の男に借金して、自分に賭けた。さあ、これで後には引けんぞグレン……
 俺とクロノとの戦いは熾烈を極めた。俺が新たに油を塗るという繊細技法を学んでいる最中に、奴は卑怯にも新しいのこぎりを受け取っていたり、俺がトイレに立った時にも奴は卑劣にも天井の修復の為に作られる乗り場の組み立て方を聞いていたり、俺とクロノが仲間たちの食料を買出しに行く時も奴は外道にも俺の持つ分の荷物を代わりに持ち腕力強化に勤しんでいた。とにかく、クロノはズルかった。いくら勝負とはいえそこまでするのか、と開いた口が戻らぬ程だった。


「なあカエル……お前何か怒ってねえか? あの日か?」


「生理ではない。無駄口を叩く暇があれば俺を陥れる作戦を考えていればどうだ? この卑怯者め」


「なんで俺が隠語でお前が直接言うんだよ……そして陥れるって何だよ」


 極悪人クロノはすごすごと退散した。少々その背中に哀愁を感じたが、情けは無用と心を鬼にする。奴はこの瞬間にも俺の先を行こうと切磋琢磨に前を走る敵なのだ。気を許せば最後、俺を落とし穴に落とし上から砂を入れて土木・建築用材であるセメントと砂を砂利に適度に水をかき混ぜ練りこんだコンクリートを流し込むに違いないのだ。


「勝負に負けるわけにはいかん……負けるなど絶対に認めんぞ!!」気合一心、俺は釘を板に押さえつけ、吼えた。既に観客と化した男衆が「良いぞー!」と合いの手を入れる。


「勝負ねえ……お前、そういう事になると本当頭おかしくなるよな」


 俺との差が縮まらず遠吠えるかクロノめ。精々喚くが良いわ、その内に俺と貴様との壁が果てしないものになっていると気付き絶望に打ち震えるのだから!
 贔屓目に見ても、この時の俺は狂っていたのだろう。そうと思わねば、自分を絞め殺したくて仕方が無い。
 この時が、今から十五分前の事だろう。






 そして、現在に至る。廃墟の修理が終わり、親方たちは色々と必要ない事柄を話して帰った。
 その必要ない事柄とは俺とクロノの勝負結果である。どちらがより大工として素晴らしいものをもっているか、という判定だった。
 結果から言えば、接戦ながら俺の勝利で終わった。それは良い、それは良いのだが……採点の内容が少々どころかかなり不満であり……
 まずのこぎりの扱い方はクロノの勝利に終わった。カンナもクロノの勝利、油を塗る作業も釘打ちも組み立てから荷物運びその手際に至るまで全てクロノが上回っていたというのだ。聞けば、クロノは実家で日曜大工の類は全て経験済みだったのだという。
 さて、そこまでクロノの圧勝であったというのに何故俺が勝利を得たのか。それはあまりに納得できない点に置いて俺が勝利したからに過ぎない。
 俺がクロノに勝ったのは『健気さ』『マスコット度』『可愛い』の三点がブッチギリだったのだ。最悪前二点に置いては良いとしても、最後の可愛いとは何だ? 馬鹿にしているとしか思えない。俺が勝利したのは実力ではなく健気だのマスコットだのと大工という職業になんら必要無さそうな能力によるものだったのだ。
 愕然としている俺に、親方たちが残した言葉は「旦那には素直になりな新入り!」という色々と教えてくれた恩を考慮しても斬っていいだろうか? と思うような発言だけだった。
 これ以上無い程真剣に取り組んでいた俺が落ち込んでいるときに、クロノが肩に手を置いてくる。奴は上唇だけをふるふると上げて、前歯を見せるという嫌らし過ぎる笑顔だった。


「健気だってねカエルちゃん? マスコットっぽいってねカエルちゃん? 可愛いもんねカエルちゃん? 素直になっちゃえよカエルちゃん?」一々ポーズを変えながらおどけるのが、効率的に俺の心を抉ってくれる。


「……もう、いっそ殺してくれ……」


 この事でこいつにからかわれ続けるくらいならその方がずっと良い。ここで死ねばサイラスに会えるかなあ……


「死ぬなんて言うなよ健気でマスコット的で可愛くて素直になれないカエルちゃん」


「貴様を殺して俺も死ぬぅぅぅ!!!」


 首を絞めてもハハハハと乾いた笑い声を再生するクロノが憎くて堪らない。何処がサイラスに似ているのか。サイラスはそんな事を言わないし俺の嫌がる事もしなかった! 今過去に戻れるとしたら、一瞬でもそのような勘違いをした俺をグランドリオンの錆びにしてくれる!
 しばらくクロノと格闘して、廃墟の探索を開始したのだった。












 星は夢を見る必要は無い
 第三十八話 「ほらな?」と彼は言う。「大丈夫だったろ?」とも












「思ったより中は広いんだな……って、修復作業してから言う事じゃないか」廃墟というには立派に修理された建物内を歩きながら、響かせるみたく、音吐朗々にクロノが言う。
 彼が言ったように、元廃墟である中の構造は大概に頭に入っていた。幾つか明かりとして壁つきのランプや燭台を置いたにしてもなお薄暗い廊下を淀みなく進める程度に。地下有りの二階建ての構造になっており、二階と一階はほとんど見回った。怪しい物はなく、また魔物も既に蹴散らした。残るは地下の階段のみ。
 親方たちはそこも修理する、と言って聞かなかったが、上二階とは比べられない魔物の気配がすると脅し、これ以上助けてもらっては申し訳ない、それに自分たちの腕も上がるに上がらないと頼み込んだ末ようやく引き下がってもらった。魔物を怖がった、というよりは俺たちの向上心に折れた、という気配だったが。


「廃墟になってたけどさ、これだけ立派な屋敷をサイラスさんの遺体を置く場所に選ぶなんて、案外魔物たちも敬意を払ってたのかもな」誰に? と問えばクロノは「そりゃあサイラスさんにだよ」と答えた。俺は喉を鳴らし笑う。


「まさか。知らぬから無理は無いだろうが、サイラスは人間にとって魔物との戦いで希望そのもの。逆に言えば、魔物にとっては天敵以外の何者でもなかったのだぞ」


「一口に敬意って言ってもな、色々あるんだよ……っと、あったぜ」


 瓦礫の山になっている場所を目にして、クロノが指を鳴らした。目を凝らせば、瓦礫の下に階段が見える。これが俺たちの探していた地下への道なのだろう。
 山になっている、と表現したとおり、埋もれた地下への道の上には天井に届くほどの瓦礫が積まれている。丁寧に一つずつ退かしていたのでは朝になろうとも進めない気がした。魔法で壊してみようと詠唱を始めるが、俺よりもずっと早く口を動かしていたクロノが両手に魔力を集め、捨てるようにレンガや鉄の集合体に落とした。
 短く鋭い破裂音と集束音が弾け、一瞬眩むほどの光が襲う。しかめる様に目を閉じると、後には瓦礫は大半姿を消し、遮る物の無い階段が姿を現していた。


「……随分魔力の腕を上げたな。さては、貴様の言う用事とは修練の類だったか?」正直、大工の時のような……というには情けないが、先を越された思いから棘のある声音でクロノにぶつけた。奴は頭を掻いて誤魔化すではないが、少し言いづらそうに「でもねえよ」とだけ残し先に階段を下りていく。
 それについていく際に崩れた瓦礫を見遣る。焦げ目も切れた後も砕いた痕跡も無い事から、奴の放った魔法がいかなるものなのか分からなかった。電気で吹き飛ばしたにしては荒っぽさも音も無い。


「クロノ、今のはどうやって瓦礫を壊した?」壊した、というのが正しいのかも曖昧だが、それ以外に言葉が見つからなかった。


「難しい理屈は俺だって理解できてねえよ。ただまあ、ドーム型の電流域を作って……ああこれも微妙か。一言で言っちまえば電気分解したのさ。溶液が無いから、厳密には全く違うのかもしれねえけど……つかお前に言って理解できるのか?」


「いや、俺には分からん。すまんな、俺は学が少ない。まあ、つまりは分解した、という解釈で相違ないか?」


「そんなところさ。ただ分解するだけでもないんだが……自分の魔法を説明するなんて、自慢するみたいで気分が良くねえし、それで納得してくれ」


 片手をふらふらと揺らしリズム良く靴音を鳴らし暗闇に染まっていった。


「それよりも」前を行きながらクロノは思い出したように振り返った。「何で俺を呼んだんだ? お前一人じゃ魔物と戦えないなんて、素直に言う奴じゃないだろ、カエルは」


「当然だ。俺一人でも魔物程度駆逐するのは容易い……が、そうだな。会ってほしかったのだと思う」


「誰に?」今度はクロノが俺に聞いてくる。


「サイラスにだ」


 まだ会えると決まったわけではない。死んだ人間に会うという夢物語を、俺はずっと嫌っていたはずだ。ありえないから奇跡なのだと。
 ただ、こうしてクロノは俺と会話している。一度彼を見捨てようとした手前勝手な話だが、死んだ人間と会うことが出来るという事象を彼が体現している。ならば、もしかすると……と俺はみっともなく思ってしまうのだ。
 しかし、不思議な事は、死の山では追われるようにサイラスとの再会を渇望していた自分が、酷く冷静である事。浮き足立つでもなく淡々と歩ける自分が少し異質にも感じられた。同時に、これでこそ俺だとも。
 また、信じ難いと理性は告げているのに、もう一つの俺の心とでもいうのか、が彼との再会を信じている。むしろ確信している。一の次は二であるというように。会えるではなく会うのだと、決まっている事であると。
 俺が今落ち着いていられるのは、俺が成長したからだろうか? いや、死の山から今までで俺が成長できる機会などあっただろうか? 思案しながら、目の前で左右に揺れる赤い髪の毛の主を思う。


「……やはり、お前がいれば俺たちは進めるのかもしれんな」


 クロノには聞こえないように囁く。悪戯好きで格好を付けたがらないこいつは、メンバーの、ひいては俺の動力源と変わり始めているのかもしれない。こいつに負けたくないという思いから、必要な程度に気を張り、適度に前を見続けられる。天性の、とまではいかぬが、自然な形で己を見失わずにいれるのは、多分クロノの力、素質なんだろう。
 感謝はしても、言葉に乗せる事はあるまいが。


「どうしたカエル? もしかして暗い所怖いのか? 手でも繋いでやろうかカエルちゃん」


 ……永遠に口にすることはあるまいな、うむ。
 伸ばされた手をはたき返して、追い越す。やれやれ、と苦笑いをする彼に一つ拳を当ててみようかと思案するが、結局は思いとどまった。それどころではなくなった、とも言える。
 剣を抜き、階段の下に向ける。牽制の意味もあれば、隣にいるクロノに戦闘を促すという意味もある。言葉にする事無く、クロノは腰を落とし稲妻を生成し始めた。闇を裂いて飛び出してくる骸骨の魔物に剣を振りぬく、が、手に持ったさび付いている槍で受け止められ、そのままクロノに向かい走り出していく。俺は眼中に無いといわんばかりの態度に苛立つが、これも一つの作戦と自分を戒めて次の相手を待つ。異様に腹部が盛り上がった筋骨隆々の人型モンスターが顔を出し、今度こそ俺に狙いを定めて突進する。荒々しい走りに、老朽化した階段が踏み抜かれるが、魔物はそれを気にする事も無く走る速度は落ちない。
 骸骨は既にクロノのサンダーにより命を散らしていた。残る魔物は目の前の巨大なモンスターのみ。交叉するようにグランドリオンと敵の腕が交わるも、僅かな差で俺の剣速が遅い。このままでは、先に俺の頭蓋が砕かれるだろう。
 それも、杞憂と終わる。クロノが逆手に持ち投げた、今しがた敵から奪った槍が魔物の眼球を貫いた為、魔物の攻撃は中断され、その隙にグランドリオンが首を薙いだ。


「まあ、こんなもんか」飄々とクロノが告げる。
 一応、俺も魔物を倒したとはいえ、少し気が重い。全てにおいて今の戦闘は、俺はクロノにフォローされている。今俺が蛙状態であった頃よりも弱くなっている、その事実を差し引いても、クロノの強さは今までの俺と同じ……いや、恐らくそれを超えている。魔力は言うに及ばず、判断力、機転共に凌駕しているだろう。まだ、戦いの日々に潜り間もない青年が。
 ……今まで俺は何をしていたのだ? 数多い魔物と戦い、生死を賭けてきた。魔王といつか対峙できるよう、様々なものを削ってきたのに、いとも易々とクロノは飛び越えてしまう。
 恨みはない。仲間が強くなる事を妬むほど、自分が青いとは思わん。だが……不甲斐なさは消えない。いつのまにか、力の差は逆転してしまったのだろうか?


「……行こうクロノ。さっきは助かった」


「カエルが先に魔物の気配を感じ取ったくれたからだろ、こっちこそありがとな」


 何の気無しに言ってくれた彼の言葉にも、俺は同情が含まれていると邪推する。「お前にしてはよくやったんじゃないか?」という含みを思ってしまう。そうじゃないのに、俺が言いたいことはそれでは無いのに。


「……本心か?」ぼそっ、と転げ落ちた言葉をクロノが拾い「何が?」と優しく(蔑むように)答える。丁寧に聞き返すその仕草でさえ癇に障る思いだ。


「いや、何でもない」


 そこで終わらせて、階段を降りきった。
 地下は小さな、幅も天井も狭い一本道の廊下があった。突き当たりに扉があり、そこまでに二、三部屋があったものの、中を覗きこむとただの空室、家具も何も無い寂しいものだった。一つ宝箱を見つけ、クロノが嬉しそうに近寄り開けるも、舞い上がった埃に咳き込み、中には何も無かった。悔しさと恥ずかしさからか、彼が宝箱を蹴ると、その音を聞きつけた魔物が大挙するという一幕があったものの、自分の責任は自分で拭うといわんばかりに彼が一人で追い払った。
 ……内心、考えたくは無いものの、考えてしまう。クロノは既に魔王すら超えているのではないか? と。
 流石にそれは無いとは思う。だが、見た限りクロノは今刀を持っていない、徒手空拳の状態……いや、魔法を使ってはいるのだが。とにかく万全では無い筈。それでも、ここまでに力を発揮し魔物たちを片付けられるというのは、正に魔王と同じ力量を有しているとしか思えない。誇らしくもあり、ある種目標としていた魔王に軽々と近づいていくこの男が憎らしくもあった。
 皮肉交じりの、ニヒリズムに浸ってしまう。彼がいることで、俺は俺であれる。それでも、彼がいるせいで俺が醜くもなる。相反する感情、逆説的な、矛盾を多分に……と表し方は多岐に渡るが、言ってしまえば俺の我侭である。


「墓を訪れるって……見舞い……じゃないか。あれ、なんて言うんだっけ、こういうの。ほら、亡くなった人の墓前に立つ事。喪に服す……じゃねえし」鬱々とした気分に際悩まされている時に、クロノが頓狂な事を口にする。もしかしたら、俺の気を紛らわそうとしてくれたのか。


「……くっ」


 不覚にも漏れるように笑ってしまった俺を見て、クロノはほんのりと笑った。やはり、気を遣われたか。年下の男子にそのような事をされるのは、些か心外だったが、これはこれで悪くない。
 止めよう、無駄な事に悩むのは。小さな事でも彼は見つけてしまう。それだけの男になったのか、といらぬやっかみを持つ事無くただ頼もしいと感じていれば良いではないか。


「大きくなったな、クロノ」


 本心そのままに言葉にすると、彼は訝しく表情を変え、「去年から測ってないからなあ」と自分の頭に手を置いた。






 扉を開ける。床下に擦れながら、金具が取れそうなほど嫌な音を立てて左右に開かれる扉は泣いているようにも、歓喜に叫んでいるようにも思えた。
 中は、意外にも埃や木の腐った臭いは漂っておらず、今までに無い澄んだ空気が流れている。死の山には及ばぬものの、清涼感に溢れていた。
 中央に石の十字架が刺さっている。正方形方の石版に近づくと、無理やりに削られた文字が刻まれていた。
『魔王に戦いを挑んだ愚かな男サイラス、ここに眠る』と。
 自分でも驚く事に、怒りは無かった。尊敬するサイラスを貶されているというのに。悲しみも無い。ただ、胸中を奪われたような寂寞感が押し寄せてくる。そうか、もう彼はいないのだ、と。
 膝を折り、大した汚れも無い石版の表面を手で払う。さらさらとこぼれる微細な砂が寂しそうだった。


「……それが、サイラスさんの?」後ろで見守るクロノが言葉を選ぶように話しかけた。


「ああ。間違いない」


 迷い無く、頷く。これといった証拠がある訳じゃない。けれど、ここには彼が集まっている。言うなれば、彼の匂いが充満している。彼は、ここにいる。
 そうか、とだけ言って、クロノは扉まで後退した。俺から距離を置いて、彼との時間に集中させようという心遣いが嬉しかった。少し離れるだけで、部屋を出ることはない彼の優しさが心地良かった。完全に俺がクロノの気配を感じさせないほどに離れれば、俺は泣いてしまうかもしれないから。後ろに誰かがいるというだけで、俺は少し強くなれる。


「……帰ってきたぞサイラス。俺は、お前との約束を果たす為に……」


 帰ってきた、とは言えなかった。
 彼との約束……? 何だそれは。俺は彼と何を約束した? 魔物を殺しつくす? 魔王を倒す? 国を守る? ……そのどれも、彼と約束した覚えは無い。彼との約束とは何だ? 俺は彼に何をすると誓った?
 忘れたはずは無い。彼と共有した時間を消し去るなんて事は無い。きっと覆ったのだろう、それ以外の恨みや悲しみが、彼との約束も、記憶も。掘り返せ、きっとあるはずだ。捨てたなんて認めない。


「……でも、思い出せない……」


 片手を顔に当てる。頭痛が酷い、平静でいられた思考が乱れていく。涙すら浮かぶ今の姿は、誰にも見られたくない。何より、サイラスには。
 ……彼が、俺に言ったのは。彼が俺に語りかけてくれた言葉は。


──………なるな。グレンは強いけど、弱いから。


──無理に決まってるだろう。俺には荷が重い。


──そうか? 俺よりも、グレンの方が出来ると思うぞ。まあ大丈夫さ、グレンは強いから。


──どっちなんだ? 一体。


 肝心の内容を思い出せない。彼は何になるなと言ったのだ。どうあれと頼んだのだ。難しい事じゃなかったはずだ。多分、普通に生きていれば誰だって達成できる事。あの頃の俺には難しいだけの、万人が可能だろう事柄。
 何故、思い出せない──?


──グレン──


 声が、聞こえた。涙混じりに歪む視界に、誰かが映る。その姿は目の前の石版から現れているようで、両足が石と同化しているようだった。体は半透明に透けて、蒸気やガスといった気体に似ているように思う。後ろ首から垂れているマントが風もないのになびいている、面倒そうに兜を脱いだその顔は、自分の良く知る人だった。


「……サイラス」


 後ろで立つクロノが不思議そうな声を出した。それはそうだろう、今俺は夢を見ている。白昼夢という奴だろうか? であるなら、これは夢ですらなく幻想ということになるな。
 誰もいない空間に話しかける今の俺は滑稽というか、頭が狂った狂人に見えるのだろう。心配されるかもしれんが、止まれない。例え俺の頭が作り出した幻想でも、彼がそこにいるなら話さずにはいられない。


「サイラス、俺の事を恨んでいる……か?」縋るように、訊ねた。


──まさか。お前は、立派だったよ──


 褒められたというのに、俺は肩を落としてしまう。ああ、やはり、彼は俺の作り出した想像の産物なのだと分かってしまったから。俺にとって都合の良い言葉を選択し彼の声で再生するだけの、出来の悪い蓄音機のようなものなのだろう。


──私は、弱い。魔王に焼かれて、体は愚か、私の心までも散り散りに果て、残された人を想ったよ……ガルディア王、魔王に、親友であるお前を──


「……やはり、俺の妄想よな」


──何がだ?──


 俺は立ち上がり、幻想のサイラスに指を向けた。唾棄捨てるように、睨みつけながら口を開く。


「もしも、貴様が本当にサイラスならば、王や魔王、俺に王妃様の名を挙げる筈。それを、名すら出さぬなど在り得ぬ。俺の知るサイラスは、誰よりも王妃様を敬愛していた筈だ!!」


 ぐらり、と彼の体が歪んだ気がする。確信を突かれ、存在が揺らいだのだろうか。影のように薄い色素は段々と消え始め、彼は顔を伏せた。
 偽者を作り出すとは、俺もとうとうおかしくなったのだな……
 クロノをわざわざ呼び出してまで得た結果が、自分の頭が狂った事を知っただけとは。面白くて、涙が止まらない。なあクロノ、今すぐ罵声を浴びせてくれないか? 今辛辣な言葉を聞けば、本当に壊れそうだから、お前の手で壊してくれ。
 そのままの事を伝えようと、クロノに視線を向けて両手を広げる。なんなら、雷撃で俺を消し炭にしても構わない。
 諦観した想いで彼を窺うと……何故だか、彼はぽかん、と口を開けたまま動かなかった。不思議に想い、近づこうと一歩足を踏み出すと、それで我を取り戻したか、クロノが恐怖すら混じった声でぽつり、と落とした。


「何で、その人靴下握ってんだ?」


「靴下?」


 放心気味だった俺は、クロノがサイラスの事を見えているのか、という疑問を浮かべる間も無く、また自分が作り出した妄想へ目を向ける。
 ……おかしい。今目の前にいるサイラスは俺が作った都合の良いサイラスであるはずなのに、彼の右手には装飾過多な、純白の長い靴下が握られていた。良く見ると、その手はわなわなと震えて、怒りを堪えているようにも見えた。
 ふっ、と視線を右手から顔に変えると、そこには憤怒の形相に染まっているサイラスの顔。怒って……いるのか?
 何がなにやら分からない俺は、とりあえず、不毛と知りながらも口を開いた。何を言えば良いのかすら分からない体であったが。


「おい、何を震えているのだきさ……」


──王妃様を王や魔王やお前と同じランクに置けるものかぁぁぁーーー!!!──


 怒声に違いない咆哮を耳にしながら、俺の体は後方に飛んでいた。ていうか、蹴られた、間違いなく。容赦なく。顔を。


「おふぅぅ!!」


 ずべしゃあ、と床を滑りながら呆気顔のクロノに助け起こされた。不義理であるが、礼を言う平常心を取り戻せない。蹴られた? 何故? いやそもそもどうやって? 妄想でしかないサイラスに蹴られたとはどういう事だ? 目まぐるしく交錯する疑問の波に攫われ、頭を抱える事もできず蹴られた頬を擦った。


「恥を知れグレンッッ!!!」


 己が墓の石碑を蹴り倒し、添えられていた錆びた剣を手に取りながら切っ先を俺に向けるサイラス。朗々とした声は、生前彼が兵士を鼓舞していた時と全く同じ味方に勇気を与え、敵を萎縮させるものだった。どうしてか、彼の親友である今の俺は萎縮しているが。


「あの気高く美しく神聖でありながらお茶目で可愛らしく天使と聖母が裸足で逃げ出すであろう王妃様に肩を並べようとした愚行! 最早貴様は私の友ではないわぁぁぁ!!!」


 いつの間にか、遠くから聞こえるようだった声は明白に耳に届くようになり、明瞭快活とした猛りが部屋に木霊していた。あんぐりと口を開けたまま動き出せない俺とクロノを尻目にサイラスは部屋の中を闊歩しながら饒舌に語り出す。


「まず貴様は分かっていない! 王妃様がいかな存在であるか! ……奇跡なのだよ、あの御方は」


 一転して至福の面持ちと化したサイラスは口にするだけで喜ばしいと言わんばかりに口元を緩め、目じりを垂らしていた。


「まずはその御姿……いや、万物は神の創造物と言うならば造形と言おうか。王妃様の顔は言うに及ばずあの細くしなやかな指! そして首から流れるように華奢な肩! 俗物どもは胸やら尻やらに注目するようだが全くもって分かっておらん! 肌の白さ? うなじ? それは所詮色気という色欲から産まれ出でた、所謂セックスアピールでしかないのだ! 王妃様はそのような些事、とうに凌駕しておる!」


「やべえ、マジ気持ち悪い中世の勇者」クロノが生ゴミを糧に生きる節足動物を見るような目つきで鼻息荒く力説するサイラスを眺めていた。


「当然見た目など王妃様の素晴らしさの中のほんの一部でしかない! 大切なのは内面である! 世の若造どもは『結局見た目なのだ』と諦観しているような、自分は真理を理解していますよというようなしたり顔で垂れるが、まるで間違い! 見当違い! 彼女に触れればそのような低俗かつ愚劣な考えは露と消えよう!」


 それから、サイラスの話は優に一時間を超えた。王妃様の美しさ、王妃様の優しさ、王妃様は昼時になれば庭に立ち花々に水を与えると同じく花の蜜を吸ってお菓子代わりにしていた事、全ての花を吸い終わると少し物足りなさそうに憂鬱な表情を浮かべる事、月の初めには時々短めのスカートを履いて歩く事、王妃様が使ったスプーンを七十八個保管しているという自慢話まで事細かに語った。
 その余りに狂信的に王妃様を語るサイラスが、嬉しそうで、楽しそうで……折角現れた親友の俺を蹴り飛ばしてまで話を続ける彼の姿を見て俺は、いよいよ本当に泣き出してしまった。


「う……うああ、ああ……」


「その……何言えば言いか分かんないけどさ。本当、元気出せよカエル、俺は王妃様よりお前の方がほれ、可愛いと思うぜ、うん」丸まる俺の背中を撫でるクロノに、俺は何も言えない。


「そこの小僧ッッッ!! 貴様言うに事欠いてなんという事をッッ!! 万死に値する!!」


「っせえ! 消えろ豚野郎!!」


「私は豚野郎でも一向に構わん! だが取り消せ、王妃様よりもお美しい生き物が実在するわけが無いのだ! そのような幻想を抱くとはさては貴様、サンタクロースを信じておる口だな!? あれは未成年に淫らな行為を働く変質者だ!」


「変質者はてめえだ!! 大体、何であんた靴下なんか握ってるんだ!? サンタクロースにちなんでるとか言わねえよな!?」


 クロノに言われて、サイラスは思い出したように「ああ、これか」と右手に握った靴下を顔の前に持ってきた。まるで、靴下を握っているのは常であると言わんばかりの自然な動きだった。


「王妃様の靴下に決まっておるだろうが。魔王に身を焼かれこうして命を落とそうとも決して離す事は無かったのだ」命を賭けて守った靴下には、幸いというべきか、焦げ後一つついていなかった。
 いよいよとなり、クロノは彼と対話することを諦めた。それを降伏と見たサイラスは高らかに笑い、「所詮人生の何たるかも知らん小僧よな」と喜ぶ。
 その、一回りも年が違う少年に自分がどれだけ王妃様を愛しているか語る彼は……間違いなく。


「サイラスだ、サイラスなんだあ!!!」


 俺は、嬉し涙を拭い、彼に駆け寄る。後ろからクロノが「嘘だぁ!?」と頭を抱えるような声が聞こえるも、今はどうでも良い! サイラスが今ここに帰って来ているのだ、彼に抱きつかぬわけが無い! 今ここに彼がいる、サイラスに触れ合える、それ以外の全ての事象が冗長な出来事に思えた。
 時間が緩やかに流れていく。コマ送り、とも思えるような時間の流れ。手を伸ばし、サイラスの背中に手を回そうとする。サイラスはそれに応えようと、にこやかに笑いながら左右に腕を広げた。ごめんなさいサイラス、疑ってしまった俺が恥ずかしい。彼にはいっぱい謝ろう、謝って謝って……そうしたら。


『誤って彼の持つ靴下を奪っても許してくれるだろう』


「……させぬぞグレン!!!」


 俺の考えを読んだか、それとも予測していたか、サイラスは王妃様の靴下を懐に隠し俺に剣を抜いて向けた。計画が失敗した事に、俺は心ならずも舌打ちをしてしまう。


「おのれサイラス……俺との友情を疑うのか!?」悲観が過ぎ、俺は喉を震わせながら糾弾する。


「謳うなグレン。貴様の魂胆は分かっている。私の持つこの靴下……神の芳情とでも呼ぼうか? を奪うつもりだったのだろう? フフフ……貴様との付き合いも長いのだ、その程度読めずして勇者にはなれぬ!!」


「ちっ! 姑息な男め……だが、それでこそ我が親友!!」


 彼の熱意に押されてか、俺もまたグランドリオンを抜き放つ。その輝きは冴え、俺に語りかけているような気がする。「あの靴下を奪い、我が物とせよ」と。


「いやあ、勘違いだと思うぜ変態ガエル」


 第三者の声など聞く耳持たぬ。呼んでおいて何だが、今この場にクロノは邪魔でしかない。正直今すぐにでも帰って欲しい、これは男と男の……いや、人間として重大な戦争なのだから。
 ……いや、待て。クロノに加勢を頼んではどうだろうか? 俺だけではサイラスから靴下を奪うのは難しい、だがクロノと二人ならば可能やもしれん。単独で挑むには、少々敵が大き過ぎる。


「クロノよ、俺と共に戦ってはくれんか? 俺だけでは……勝てそうもないのだ……」出来うるだけ悲壮感を漂わせながら、彼に懇願する。どうか、彼に俺の願いが届くよう祈りを込めて。
 するとクロノは、自分の鼻を弄りながら「死ね」とだけ言う。よもや、ここに来て裏切られるとは思わなかったぞクロノ……!!


「クククク……欲しいかグレン、これが、この天上よりの贈り物が!!」


 天高く掲げられた王妃様の靴下から、後光が感じられた。その温もりは万物の生命に息吹を与え、『生きる』という単純にして難解な目標を思い出させてくれる。それは正に、希望そのものなのだ!
 体が勝手に動き、俺はいつのまにやら合掌していた。敬うべき存在なのだと脳が認識しているのだ。忠誠を誓う騎士の儀式をいつのまにか取っていた。剣を縦に構え、頭を垂れる。目が血走り始めているのが分かる。もう婉曲な表現など不要、俺はただ、あの靴下が欲しい! グレンを作る全ての細胞がそう叫んでいる!!


「良いだろう、くれてやろうグレン」サイラスに言葉に嘘は感じられず、下げていた頭を上げる。今俺の瞳には、きっと星が浮かんでいる事だろう。


「俺にはもう不要だ、何故ならば、俺にはこれがある。そう、これこそが……!」サイラスは脱いで床に落としていた兜を拾い、その中から純白の細い布を取り出していた。その形状は二つの盛り上がった部分に紐がつき、垂れ下がっている、死ぬまでには何処かで目にしているだろう物。
 そ……それは、俺の記憶が確かならば、確かに……そしてこのタイミングで『それ』を出すという事は、つまり……つまり!!


──王妃様の、ブラである。


 いやに、その言葉は俺の鼓膜を刺激した。




 ブラ・ブラジャー〔brassiere〕名詞 乳房を保護し、胸の形を整える為の女性用下着を示す。近年ではカップ数を誤魔化す為に用いられる事もある巨乳派にとっては恐るべき宝具。スポーツ用なども開発され、そのバラエティ作成の勢いは留まる事を知らない。




 ドクン、と心臓の鼓動が強くなる。もう一度、鼓動。その大きさは肋骨を突き破り外に出てくるのではと思うほどに、強く、強く。
 サイラスが何か、偉そうに講釈を流している。それを手に入れた経緯やその苦労、自分の決断とこれは犯罪ではないという自己弁護。それらの入手情報を全て切断。今俺が必要なのは何故それがここにあるかではない。どうやってそれを手に入れるか、だ。
 どうやって手に入れる……? 簡単な事だ。勝てば良い。
 勝たねば何も手に入らない。勝たねば手は伸ばせない。勝たねば……勝てない。戦え、己を剣として。己を槍として。斧として、弓として、弾として、ありとあらゆる武具を自分と同化させて、一陣の風となれ。


「……何故俺がここに来たのか、その意味が分かった気がする」


 長靴を前に出し、体を揺らす。足は蛙のときに比べどうだ? 瞬発力はがくんと落ちただろう。だが、その分柔軟性が上がったはずだ。腕は? 剣速が落ちたのは人間に戻ったから、などというのは言い訳だ。ただ慣れていないだけだろう? ならば慣れろ、今この時に慣れろ。でないと、もう俺は何も掴めない。手に入れられない!
 体も、バネも、全ては元通り。いや、蛙時よりも強くならねば嘘だ。俺が最も戦ってきたのは蛙に姿を変えられた時ではない。俺は人間の時に強くなったのだ、ならば、力が増さねば道理に合わぬ。


「サイラス、お前の大切な物を手に入れて、お前の意思を継ぐ! それこそが、俺がお前に出来る手向けだ!!」


 剣が唸る、風を切る。ずっしりと重みを増したように感じられる。それは、グランドリオンが真に己を委ねてくれたということ。俺を認めてくれた証に他ならない。


「ようやく、自分を取り戻したかグレン……さあ来い、これが最後の、俺とお前の訓練だ!!」胸を叩き、掛かって来いと合図する。昔、俺の剣の修行に付き合ってくれたサイラスとまるで同じ動きに、俺は懐かしさよりも興奮が強くなる。まだ剣に振り回されていた時の、剣を振るう事が楽しくて仕方なかった頃の高揚感が蘇ってきた。


「ちょっと待てよ、お前ら……おかしいだろ!? どう考えてもさぁ!!」


 対峙する俺とサイラスの間にクロノが割り込んでくる。歯痒い、今すぐにでも俺はサイラスと剣を交わらせたいのに……
 俺の思いを知ってか知らずか、クロノは尚も抗議を続けていた。


「こんなんで、お前らの想いとか禍根とかさ、終わらせていいのか!? いや、そもそも王妃様に申し訳無いとか思わないのかよ!? 勝手に下着盗られて勝手にてめえらの都合で賞品にされて! そんなのって無いだろ!!」


「クロノ、言いたいことは分からんではない。だがな、世の中そう綺麗事だけでは渡っていけんのだ」


「グレンの言うとおり。まだ若い身故理解出来ぬのは仕方ない。だがな、これは私とグレンの勝負。邪魔は感心出来ないな」


 俺とサイラスに諭されても、クロノは顔を振り、「そんなの分かんねえよ! 分かりたくもないしさ!!」と駄々を捏ねる。そうか……まだ、奴には早すぎるのかもしれんな、男の戦いとは、いかなるものなのか、と。
 両手を握り、震え出したクロノは小さく「そうかよ……そんなに言うなら」と覚悟を決めた眼差しを俺たち二人に向けた。両手を重ね、生まれるのは電流の集まり。


「俺がお前らを倒して、そのブラを責任もって王妃様に返す! それが筋だ!!」


「なん……だと……!?」


 俺は、あまりの衝撃に声を詰まらせてしまう。筋? 何処が筋なのだ。俺とサイラスとの神聖なる決闘に混じるというのかクロノは!? 度し難い、それはあまりに度し難い……! 参加者が増えれば、俺があのブラを奪える機会が減るという事、それは避けなくてはならぬ事態だというのに……!!


「さ、さては小僧、貴様王妃様のブラが欲しい為だけに名乗りを上げよったな!?」


「お前らと一緒にするな! 俺はあくまで紳士的に王妃様の下着を取ろうと思っているだけでふ」


 だけでふ、てお前。


「うぬぅ……予定とは違うが、良いだろう、かかってくるが良いグレン、名も知らぬ小僧! 俺を倒さねばこの下着は俺が彼岸の先に持って行くこととしよう!」


 今、俺の生涯において、魔王との戦いに次ぐ、グレンとして最大の戦いが幕を開けた……気がしないでもない。






 目測、凡そ三メートル。攻撃の間合いと言えば間合い、違うと言えば違う微妙な距離にサイラスは立っている。踏み込みを合わせれば掠らぬでは無いが、致命傷には程遠く、それほどまでに近づかねば俺の剣がサイラスに当たる訳もない。では何歩? 一足に踏み込むのは愚。足先を払われるか、はたまた不用意な距離の縮め方によって空いた隙に脳天を斬られるか。所詮、遊戯に近い理由で始まった勝負とて、気を抜く事はない。騎士である我等が剣を抜いたのだ、切っ掛けがなんであれ斬り殺されようと文句は言えぬ。
 いつもの歩幅より半歩分小さく足を出し、サイラスに体を向ける。彼の眼光が著しく尖った。そこが、限界だと言わんばかりに。
 俺とサイラスの距離、二メートル半。踏み込めば当たる。避けられる確立は半々。とはいえ、それはあくまで俺の場合。サイラスが踏み込み俺に斬りかかれば、俺は回避できるかどうか、甚だ怪しい所である。
 グランドリオンの刃渡りは一メートル十から二十センチ、サイラスのロングソードは一メートル四十センチ。グランドリオンの代わりに持っていただけの、鈍らではないが名剣とも言い難い平均よりも長いだけの凡剣。探せば、町の武具屋でも購入できそうな有り触れた刃物が、彼が持つことにより何者をも断つ刃と化す。
 加えて、腕の長さ。俺と比べて、サイラスは三、四寸は違う。合わせて十寸以上リーチ差があるだろう。剣を振るう速度もまた、俺とサイラスでは分が悪い。俺は鉄の板を斬る事も出来たが、彼は鉄の塊を両断したこともあるのだ。仮に鍔迫り合いになれば、圧し負けるのは自明の理だった。
 ……どうする? いや、そもそも幽体であろうサイラスに俺の剣が効くのか? 俺の顔面に蹴りを入れたことから直接攻撃の類は可能だと思うのだが。魔力はどうだ? ウォーターなら、彼を倒すまではいかぬまでも気を逸らす程度には使えるのでは……これはあまりに無作法か。剣で彼は挑んできた。なら俺も剣で返さねばなるまい。
 剣を返し、サイラスの動きを見誤らぬよう目を凝らす。かすかにぶれるだけで、彼の動作を知らなければ勝つことは叶わない。信じろグレン、お前の瞬発力は、元々サイラスよりも高かったではないか。
 互いに剣気を交え、動向を探り合っていると、やけに背中がぞわぞわと総毛立つ。危険な事だとは知りつつも、俺は背中を窺った。そこには、何の迷いも見せず俺とサイラスの直線状に並び、電撃を放とうとしているクロノの姿。
 ……よもや、俺ごと撃つ気では無かろうな? まさか。クロノは仲間だ、仲間とはええと、どういうものか確たるものは知らぬが、決して仲間に害を与えないというのが世間一般の風評であって。


「サンダガッッ!!」短く叫び、クロノが両手から円柱状の、貫くような形状に雷を変えてぶっ放したことで、風説はなんの信頼も置けぬという証明になった。


「うわ、うわ!!」


 咄嗟に横に飛ぼうとして、床に落ちていた瓦礫の破片に足を取られ転んでしまう。床に伏せた俺の上を布を裂くような音を立てながら雷撃が通過する。頭頂の髪がかすかに焦げ、黒くうねっていた。


「ク、クロノ!? 貴様加減を知らんのか!!」思わず声を大にして、サイラスから目を離し彼に剣先を向けてしまう。


「ハッ! 正々堂々戦って欲しけりゃな、それ相応のお願いでもしてくれなきゃ嫌だね。例えば……悪い、思いつかん」


 何だそれ? と口にする前に、クロノがいつの間にか握っていた鋭く尖った掌大の石の欠片を投げてくる。飛来する凶器を肘で下から弾き、呪文の詠唱を始める。
 が、クロノのチッ、と俺の後ろを見ながら鳴らした舌打ちに気を取られ、俺はまた戦いにあるまじき、視線を後ろに置くという愚行を行ったのだ。結果として、それが失敗だったのかは分からない。
 クロノの作り出したサンダガは俺を通り過ぎ、サイラスに直撃していた。当たってはいたのだ、ただ……サイラスは右手に帯電させ、それが何だという表情でこちらを見下ろしていた。
 さっきのサンダガは決して甘く見られる威力ではなかったはずだ。恐らく、魔王城にて魔王が放った電力の渦に近しい力を持っていたはず。それを……彼は腕の一振りで無力化したというのか。
 サイラスは強かった。国中の人々に賞讃の目で見られるほどに、俺が生涯の目標としているほどに。だが、これは度が過ぎてはいないか? 鉄を両断するどころか、鉄を溶かしきる威力の熱電を振り払うなど、人間業ではない。それはもう、魔の領域か、神の為す奇跡だろう。


「何を驚いているグレン。騎士たる者、この程度の火花で倒れる訳がなかろうが」サイラスは俺、というよりもクロノを挑発するように、彼を見据えていた。「やせ我慢もそこまでにしとけよおっさん」と、こちらも視線をぶつかり合わせる。サイラスとクロノが、互いに考えている事は同じだろう。憶測だが……面白そうだ、と。
 サイラスからすれば、初めてかもしれない。同じ人間で同じ男で、彼と手合わせできる力量を持っている者は。クロノを挑発したのも、本気で戦ってみたいという心の現われなのかもしれない。いつも、俺を含め格下の人間としか訓練できなかった、彼の隠れた鬱憤は知っていた。それを思えば、サイラスが楽しんでしまうのもおかしくはないのだが。


「何時の間に、俺は度外視されているのだ?」


 見れば、クロノもサイラスも間に立つ俺に目をくれもしない。二人の世界が構築されている。そこに俺という異物は映らない。またか、また俺を置いていくのか二人とも。元はと言えば、これは俺とサイラスの戦いだろうに、何故クロノが割ってはいるのか。それを言えば、サイラスも何故クロノを見るのか。胃がキリキリする。俺を見ろと叫びたくなる。


「貴様ら、俺がいることを忘れてはいないか!?」想いは形となり声に変わり、喉から溢れ出た。寂しさではなく、無視されているように感じられ、それが怒りとなって溢れたのだ。
 彼らは一瞬俺を見て、また視線を戻し、さらに俺を見た。二度見、という奴だ。二人は声を揃えて、一言一句違わず口を開いた。


「ああ、いたのか」と。


「そうか……もう良い。クロノもサイラスも俺が斬る!!」元よりそんなつもりだった気がしないでもないが、忘れる。今は親友でも仲間でもない、ただ憎しみしか残っておらん!
 吼える俺に、クロノは肩を竦めて「今更かよ」と嘆くように言った。
 狙いを定める。サイラスは剣で斬りかかるには手間だ。まずクロノから御すべきだろう。幸いというには情けないが、今のクロノは丸腰、魔法でしか攻撃手段は無く、奴の魔力属性はマールと違い防御には優れていない、今すぐに斬りかかれば、もう一度魔法を唱える暇無く斬り倒す事ができる!
 ──と、奴は思っているだろう。その証拠に、クロノは両手を腰に当て、悠々と俺の接近を待っている。つまりそれは、俺に反撃を与える手段を持っているという事。勿論ブラフの可能性も有るが、わざわざクロノの策略に乗る可能性に賭けるつもりはない。となれば……


「まずはサイラス、貴様から倒す!!」


 一足に、サイラスを見る事無く彼のいる方向に飛ぶ。振り返りざまに剣を斜めに払うと、剣と剣がぶつかり、金属音が鳴り響いた。すぐ側には、歯をむき出しにして力を込めるサイラスの顔がある。それからの、彼の剣技は、『技』とも言えない力任せの攻撃だった。切り結ぶ度に、彼は剣をすぐ離し、振り下ろす。がんがんとぶつけてくる刃の使い方は、木こりが薪を割る動作に、またはつい今まで自分がこなしていた、下手糞な釘の打ち方にも似ていた。剣を持ち上げ、振り下ろす、のみの攻撃。隙は十全にあるものの、俺は反撃に転じる事が出来なかった。
 不可能なのだ、手が痺れるどころではない、伝説の剣であるグランドリオンが悲鳴を上げるほどの腕力で落とされる剣は、剣というより鉄塊に近いものがある。迫力といい、言い得て妙だろう。乱暴かつ粗雑な攻撃に俺は防御しか出来なかった。力だけの剣に俺は負けるのか? と状況を忘れて跪きたくなった。


「くっ!」


 堪らず横に転がり、上段からの振り下ろしを避ける。風圧だけで肩が少し裂けたが、動かせ無い程ではない。まずは体勢を立て直し、もう一度攻撃を、と思ったのだ。
 だが、それも遅かった。何処までも伸びるように感じられるサイラスの長く太い腕が俺の頭を掴み、紙人形のように投げ飛ばしたのだ。そのもののように、俺は天井の梁にぶつかり、落ちる。受身を取れたことは僥倖だった。でなければ、骨の一つは折れていたかもしれない。
 痛みを堪え、立ち上がる。追撃を恐れていたが、予想に反しサイラスは俺を投げ飛ばした姿のまま動いていなかった。


「遅い。グレン、お前私が死んでから何をやっていたのだ? 遊び呆けていたか」侮蔑するように目を吊り上げるサイラスに、俺は間髪いれず否定した。


「そんな訳がないだろう! 今はまだ、この体に慣れていないだけだ! その……俺は、魔王に蛙に姿を変えられていて、だから!!」
 

 そのような事は言い訳にならないと、自分で確信しておいた矢先でこれとは、自分を殴り倒したくなる。それでも、彼に失望されるのは避けたかった。


「何を言っているのか分からんが……それは言い訳だな?」


 そのものずばりに、サイラスは言い当てる。違う、と言いたくても、彼の眼光と威圧がそれをさせなかった。
 ただ、体を震わせるしか出来ない俺の醜態を見て、サイラスは肺の中にある空気を吐きつくす程に長いため息をつくと、酷くさっぱりとした表情で宣言した。


「グレン。消えろ。貴様は騎士ではない、なればこそ、私の親友でもない」


 せめて、吐き捨てるように言ってくれたなら、反論も出来たのに。サイラスの態度は、俺が何を喚こうと聞く耳持たない、冷徹というよりも無関心で。今まで培ってきた剣の修行も剣を握っていた時間も否定されたみたいで。自分がここにいることすら間違いだと断じられたようで、俺は今度こそ跪いた。本当は後ろに倒れて、目を瞑りたかったけれど、それだけは出来ぬと小さすぎる意地が邪魔をした。
 臓物ごと喉から溢れ出るような吐き気がする。極度の緊張に晒された時に酷似している症状だ。鼓膜の奥からキリキリと耳障りな音が鳴っている、指先の震えは徐々に身体まで侵食していた。


「うあ……」本当に嘔吐しそうになって、口元を押さえる。指の隙間から、胃液混じりの胃液が漏れ始めた。咳き込みたいけれど、音を立てること事態に危機感に似た何かを感じる。今、彼に俺の存在を殊更に認識して欲しくない。今だけ、俺はいないものでありたかった。
 弱くなったと言われるのは辛い、けれどそれだけなら、まだ立ち上がり奮起を見せる事も出来た。言い訳だと断じられても、取り繕った嘘を重ね塗りする事が出来た。消えろと言われるのも我慢しよう。ただ、騎士ではないのなら、俺は彼の親友である事は出来ないのだろうか? 俺が戦えないのなら、戦えなくなったなら、もう俺は必要ないのか? 戦う事でしか、存在意義は無いのか。それではまるで……魔物ではないか。化け物蛙に姿を変えられた時の俺こそが、本性であるような気がした。


「よくまあ、勝手な言い分を連ねたてられるもんだ」


 今俺の座る床が抜け落ちるような感覚。そんな浮遊感と落下の幻覚から手を取ってくれたのは、いつも俺を馬鹿にして、俺が負けまじと気を張っていた、赤毛の少年。


「ちょっとしたご褒美の為にやってやるか、位の気持ちだったけどさ、ムカついてきたな、あんたの言動に」右手に電力の球体を生成したまま、クロノは歩み寄る。左手を広げて、一瞬だけ俺の頭に手を置いた後、何も無かったように背中を見せる彼は、とても頼もしく見えたのだ。
 でも駄目だ、ここで俺が彼を頼っては駄目だ、それでは焼きまわしになってしまう。サイラスとクロノを置き換えただけの、過去の焼きまわし。あの頃の弱すぎる俺が顔を出す。白々しく、今更に女性的な心を動かしてどうする恥知らずめ。頬を染めて、彼の雄姿を見学する気か? 俺の為に怒ってくれているクロノに縋るのか。忌まわしい。


「ま……待てクロノ、俺がやる、俺がやるんだ」


 ふらふらと立ち上がり、剣をもう一度構える。もう、サイラスはこちらに目を向ける事さえない。油断しやがって、という怒りはとうに消え、寂しさだけが残っていた。
 それでも、立てた。それだけで自分を許したくなる。意地を見せたじゃないか、という甘い幻想を享受したくなる。自分勝手な奴め、まだ剣を交わらせてもいないではないか。
 俺の制止を聞いて、一応クロノは立ち止まる。数秒サイラスを眼光鋭くねめつけた後、忌々しそうに唾を吐き、背中を見せる事無く後ろずさっていく。俺の隣にまで移動した後、代わりに前に出る俺へ、クロノが激励を寄越してくれた。


「言わせとくなよ、あんな戯言」


 その声に含まれている悔しさが、今は心地よかった。そうか、お前は俺の為に悔しいと思ってくれるか。ならまだ戦える、心は折れていない、きっと。だからといって、決してサイラスと俺との実力差が縮まった訳ではないのだが。
 正眼に剣を構え、サイラスを見据える。意味は無い、あえて作るなら、この構えの最中は気が静まる気がする、ただそれだけの為の構え。真剣勝負において、構えが相応の役に立った覚えは無い。ようやく、という風に彼も俺の目線に合わせるが、そこに覇気は無い。遊び飽きた児戯を繰り返すような気だるさが見て取れた。
 作戦は無い。俺は元来より頭が回る性質ではないのだ、戦って、斬りあって、避けて伏せて突いて薙いで勝つ。それ以外の勝ち方を俺は知らないし、教えてもらったことも無い。土壇場に置いて、小賢しい策を弄すよりも自分らしい戦い方で挑んだほうが良い……筈だ。
 不覚にも一度竦み、固まってしまった足を解す為にもその場で跳躍する。動ける、これなら足に力を入れることも出来る。本来の俺なら、もっと高く、もっと速く跳べるはずなんだから。
 一際高く上に跳び、地に足がついたその時に、膝を曲げ、剣を前に突き出しながら、前に走る。一度蹴った床が砕けるように爆ぜた音が聞こえたが、体勢が崩れる事は無かった。このまま進め、突き刺せ! 所詮俺は愚直に前に進む事しか出来ない単細胞だ、それで良いと思って、幾十年の月日が流れている。余所見をしていた時期があったのは認めよう、サイラスが亡くなって、嘆き、放蕩に近い生き方をしていたこともあったさ。
 でも、一度目を逸らしたからって終わるものか? 人生とは。俺は賢しくない、だから失敗もあるだろう。でも、その度に俺は馬鹿だから元の目的を思い出していたはずだ。俺はただ、彼のような強い男に……ただ、強くなりたかったのだから。
 むん、と力の入っていない掛け声と共に、サイラスは腕を振り下ろした。グランドリオンと小手の肘を守る部位、肘金物が当たり火花が散る。振り払うようにグランドリオンを逸らし、膝蹴りが飛んで来る。剣に動かされて、俺は避ける事も出来ず、直撃する。無機質な灰色の床を跳ねながら遠ざかる俺に、サイラスは追撃をしようともしない。ただ大層つまらなさそうに嘆息するだけ。
 まだまだ、負けるわけにはいかんさ。強くなったんだ、俺は強くなったはずなんだから。
 砕けた腹当てを脱ぎ去り、床に落とす。砕けた破片が体に刺さっていたが、ヒールを使うまでも無い、何より、これ位の痛みが無ければ気を失ってしまいそうだった。口の中に溜まった唾液を吐けば、血が混じっている。胸当てが無い今、またあの蹴りを喰らえば骨が折れるではすまないかもしれない。ならばどうすればいいのか? 避けるか受けるかすればいいのだ。


「ずぇああ!!」


 八双の構えから、斜め上からの浴びせ斬りはさっきと同じように小手で防がれる。流れ作業のようにまた何かを燃やした時の音に似た風きり音を乗せた蹴りが放たれるも、今度は受け止められた剣を支点に縦に回転し背後に避ける。背後に降り立てた俺は振り向きながら胴を斬ろうとして……視界が歪む。
 僅かだが、意識が飛んでいたようだ。気が付くと、俺の体はさっきと同じように床に倒れていた。口の中に違和感を感じる。吐き出してみると、奥歯が二つほど取れていたようだ。白い塊が床に落ちた。
 かすかに見えたサイラスの動きから、後ろ回し蹴りを喰らったのだと想定する。あそこまで綺麗に決まるとは、自分がやられたとはいえ驚きだ。見えていない相手に的確に狙いを定め躊躇無く、素早く攻撃に出られるとはな。そういえば、サイラスは俺と違い剣だけでなく格闘も一流だったか。それが、王妃様に影響されて格闘を覚えていたというのは情けないものがあるが。


「あ、れ?」立ち上がろうと足に力を込めても、今度は立てない。無様に顔から床にぶつかるだけに終わった。脳が揺らされて、脳震盪を起こしたようだ。仰向けになってから、そう分析した。そんな事はどうでもいいから、立てよ、と命令することさえ忘れて。


「は、ははは……」


 ああ、やっぱり駄目だ。何だそれ何なのだその理論は。馬鹿馬鹿しい。俺は賢しくないから単純な攻撃で挑む? 強くなりたくて頑張ってきた俺がサイラスに勝つ? 何処の三文芝居だそれは。頑張れば勝てるなんて、夢でも口にするのは恥だろうに。一つの目標に突き進んでいればいつか必ず報われるなんて、幻想でしかない。いや、それ以下であろう。もう、子供じゃなかろうに。
 魔法は効かない、剣では敵わない、それどころか剣で勝負する事も出来ない。近づけば例によって蹴り飛ばされて勝負にもなっていない。
 好きに侮蔑しろ、サイラス。どうせ無理なんだから。元々才能なんて無い俺が、女の俺が勇者や魔王なんてものに挑もうという事が間違いで、勘違いだったんだ。グランドリオンもいらない。勇者になんてなりたくなかったんだから。グランドリオンは、そうだな、クロノにでも使ってもらおう。どうせあいつの方が強いんだ。体も心も強いんだ。だって、あいつは頭も良いし、力もあるし、男なんだから。俺はマールやルッカやエイラみたいにはなれない。ただのひ弱で頭が悪いボンクラなんだから。
 グランドリオンだって──そう望んでいる。そうだろう?
 薄ぼやけてて、良く見えないけれど、剣の輝きが俺の言葉に頷いているような気がした。


──んな。


 揺れ動かすような、怒声に近い声に少し、驚いた。この状況が見えないのか? 俺は負けてるじゃないか。足掻きたくもないんだ。これ以上彼に失望されたくない。例え路傍の石のような存在に見られていても、石という存在として認めてもらえるなら、それで良い。


──けんな。


 彼の憤激しているとすら思える佇まいは変わらない。憎憎しげに、悔しげに歪む眉根は見ているだけ申し訳ないとは思う。思うけれど……すまん、もう立ちたくもないのだ。


──負けんな。


 無理を言うなというに。不可能なんだから、サイラスは俺の師であるぞ? 弟子が師に勝てる訳が無いのだ。それに、俺はまだサイラスから全てを教えてもらったわけではない。精々剣の握り方と幾つかの型を教えてもらっただけだ。まだまだ俺は彼に追いついていない。その土台も出来ていない。
 だから、もう諦めてくれ、クロノ。俺みたいな半端者に期待を寄せないでくれ。元々間違いだったんだ、王妃様に対抗するべく剣を握るなんて所から。不純すぎるじゃないか、異性の気を惹く為に始めた戦いなんて。強くなれる訳ないんだ。
 もう……疲れた。


「負けんなカエル! てめえ、俺の師匠なんじゃねえのかよ!? お前が負けたら、俺も負けたってことになるだろうが! だから負けるな、立てってカエル! いや、グレン!」


「……え?」


 いや、そうなのか? そんな単純な構造になっているのか?
 悔しいが、笑ってしまう。そんな利己的な理由で俺に立てと言うのかクロノは。俺が言うのは勝手だが、女だぞ、これでも。顔から血を流して腹部から垂れる血が服を染めているんだぞ? 奥歯が取れて、頬が腫れた今では、とんでもない醜女となっているだろう。元来、造りが良いとは口が裂けても言わんが。
 足は震えているし、呼吸は定まらない。皮肉なものだ、このような状況になっても、俺の味方は愚か、応援する者もおらんとはな。昔の親友は俺を冷たく見下し、今の仲間は俺の尻を蹴り上げてくる。まるで心を休める所が無い。
 でも、据わった。そうだなクロノ、俺はお前の師なんだよな。なら、この戦いは俺だけのものではなくなるよな。俺が負ければお前も負けになる、それは悔しいなあ、戦ってもいないのに負けるのは悔しいよなあ。
 昔を思い出す。サイラスが目を輝かせて王妃様に対する想いを話している時の事。これだけ俺が彼を想っているのに、慕っているのに目の前の彼は俺を見てくれない。対象としてさえ見ない。
 結局、彼にとって俺は親友か、妹のような存在だったのだろう。友愛はあっても愛は無い。サイラスに一番近い人間は俺でも、恋愛感情からは一番遠い。彼が、王妃様に向けるような気持ちを俺に向ける事は無いから。それこそ、一欠けらも。
 悔しいよなあ、俺だって女を磨いて、王妃様に対抗して、サイラスに振り向いて欲しかったさ。でもスタートラインを用意してもらってないんだ。何処を競って走ればいいのかも分からないんだ。あれは、悔しいなあ。
 悔しいから……今度は負けたくないなあ。王妃様にも、サイラスにも。
 ははは、これじゃあ、嫉妬した乙女のようではないか。相手にしてもらえない哀れな女役が俺か。それはそれは、実に勇者らしくないみすぼらしい焼餅だな。
 こうなれば、とことんまで行こうか、俺がサイラスに勝たねばならぬ理由は二つだ。一つは俺の可愛い一番弟子の為。もう一つは──


「俺を見なかった事を……後悔させてやるぞ、サイラスッ!!」


 俺が立ち上がり叫んだ時、サイラスは俺を見て笑った気がする。気が、した。これは、自尊心と、嫉妬のみで構成される醜い戦い。
 そんなつまらない戦いに巻き込んでいいか? とグランドリオンに内心で問うてみる。頷いている気がした。何でも肯定するんだな、と聞けば、やはり頷いている気もする。俺の全部を肯定してくれるのか。やはり、俺の一番の友は剣であるのか。なんと頼もしく誇らしい事だろう。
 そうだ、声援はいらぬ。クロノのように唾を飛ばして檄を投げてもらえるだけで良い。いくら心が砕けようと涙を流そうと、『戦え』の一言で戦えなければならない。勇者は要らない、けれど、グレンはそうあらねばならない。でなければ今までの俺の一生を否定する事になる。戦うためだけに半生を費やしたのだ。恋を捨てても欲しい物があったんだ。俺に勝てない者がいても良い道理が無い。自己暗示や慰めよりも崇高で、気高くて、ちっぽけな意地の塊だとしても、それを疑うな。これは誓いにも似た決心なのだから。
 そうだ、今からサイラスを斬れ、俺。剣を振るい相手を打ち倒す。これが俺の愛情表現だ。
 右手に持った剣を右斜め下後方……所謂『車の構え』を取り、相手の出方を窺う。本来、刀、とりわけ太刀にて用いられる構えであるが、一太刀目を大きく振るうにはこの構えが最も適している。膝の高さを水平にするまで腰を落とし、敵側に出した左足の爪先をサイラス側に固定させる。左手の拳は己が水月の前に待機させておいた。初太刀に全霊を賭ける為、避けられれば反撃は必至。けれど、サイラスはきっと避けない。そんな気がした。
 丹田に力を込め、床を踏み抜きながら、前に出る。後ろに控えさせていた剣を払うと、サイラスは予想通りに小手で受け止めようとする。下段受けの要領で下手に腕を払うような動きだった。
 そこで剣の進行方向を変える。剣の腹を出すように持ち替えて、蛇のように絡みつくイメージを心掛けた。片手で這うような剣筋を作るのは今の俺の細腕では難しかったが、こなしてみせる。防御を潜りぬけられたというのに、サイラスは幾分も焦った様子無く、左手で自分の剣を逆手に抜き俺の剣を受け止めた。
 もう一度後方に置いてある右足を蹴り出し距離を詰める。残る攻撃手段は残しておいた左手の拳のみ、元よりこの拳を当てるのが目的だったのだ。剣の役割は終えている。奴の両手の防御を奪えたのだ、最高の働きをしてくれた。
 内心で感謝を告げた後グランドリオンを手放し、空いた右手でサイラスの腕を取る。それを引っ張ると同時に左手で目打ち。多少怯んだ隙に再度左手で相手の腹に突きを入れる。間髪いれずサイラスの膝内側を蹴り体勢を崩す。


「貰ったぞサイラス!」足元に落ちたグランドリオンを蹴り上げて、予め掲げておいた右手で掴み、振り下ろす。膝を突いたままのサイラスに、避ける事は出来まい!


「幾許かマシにはなったが……まだ遠い」


 今正に斬りかかる、というタイミングで、サイラスは足を前に出し俺の股を持ち上げて、そのまま回転した。当然、俺は跳ばされるが……せめてもの、という気持ちで受身よりも攻撃を優先させる。不恰好な振り下ろしとなったが、サイラスの顔に一筋の傷をつけることに成功した。背中から落ちて悶絶する羽目になったが。それでも良い、してやったのだから。


「……見事だ、グレン」


 荒く呼吸する俺を見て、サイラスは感嘆とした声と共に名前を呼んでくれた。俺を見たんだな、サイラス。
 この『見た』が、恋愛的なそれで無くても良いさ。彼にとって、俺がそういう存在でありたかったのはもうずっと前のことなんだから。正確には、やはり諦めきれてはいないのだが……もう良い。あの時王妃様と出会ったときに、決着はつけたんだから。そう、信じ込んだのだから。
 俺を見ろサイラス、綺麗でも可愛くも美しくも無い顔立ちだし、指だって細くもしなやかでもない。内面も人に誇れるほど尊くは無い。でも、強くなろうとしたんだ。そしてその想いは今も続いている。剣に生き剣に逝く。その考えだけは曲げない。


「ああ、深い愛じゃないか。自分でもそう思う」


 独語を漏らし、剣を構える。それこそ、何度でも何度でも。それが俺の生き方で、全てだから。






「……気絶したか」


 サイラスの言葉に、違う、と口にしたかった。でも喋れない。肉体的に限界だったのだ。
 結局俺はサイラスには勝てなかった。勘を取り戻し、剣の冴えも鋭くなっている自信はある。だが、気持ちとは裏腹に体はもう動けないと叫んでいた。


「まだまだだなグレン」


 サイラスは不合格の旨を伝えるような言葉を放ったが、その顔は柔らかく、俺を褒めてくれる時特有の表情だった。碌に開かない視界でそれが視認出来た自分を讃えたかった。


「まあ、そう上手くはいかないか……でもさ、強いだろ? カエ……グレンは」


 クロノも俺に立てとは言わず、むしろ誇らしげに俺の戦いぶりを語ってくれる。サイラスは少々不機嫌な顔をして、「当たり前だろう」と告げた。


「グレンは強いよ。発奮させる為ああは言ったが、グレンは私よりもずっと強い。今はまだ、本当に体が慣れていないように思えた。十年前の時点で私を超える強さだったのだから、当然だろう。グレンは優しいから、想うように剣を振れなかっただけだ」


 止めてくれ、今そんな事を言われても恥ずかしい。憧れの人に持ち上げられて、むず痒い感覚が押し寄せてきた。呑み込まれるまで時間が無い。


「ところで、この勝負は一応サイラスさんの勝ちなのか?」クロノが今更のようにサイラスをさん付けで呼んだ。


「形だけの勝負と言われればそうなのだが……まあ私の勝ちだろうな」


「そうか。なら、その王妃のブラはあんたのものなのか。疲れてるところ悪いが俺と今から戦ってくれ。でないとこの煮えたぎる色欲が治まらないんだ。それがないと今夜の俺の予定が狂ってしまう」


 何故この場でそれを言うのだ貴様。ちょっと冗談抜きでもう一度死の山に戻してやろうかと想った。ていうか今倒れている俺の心配は終わりか?
 サイラスもまた、今それを言われるとは露にも思っていなかったようで、少々面食らった様子になり、「ああこれね」と砕けて返す。


「これが王妃様のブラと信じたのか? まさか。そんな事をすれば私とて死刑になるさ。ガルディア城の警備は意外と厳重だから。勿論靴下も別物だ」ひらひらと女物の下着をぶらつかせながら飄々と答える。多少どころか正直ずんどこ俺の気持ちが落ちていく。なんだかんだで、サイラスから王妃様の下着を貰えると信じていたのに……
 俺が気落ちした瞬間鳴り響いた怒声により意識がそちらに向く。クロノが渾身の猛りを上げたのだ。「ふざけるなああ!!!」と。


「テメエッ! 純情な青少年の心を玩びやがったな!? よくっ……!! よくもやりやがったな貴様! 俺が、俺がどんな気持ちでテメエらの戦いを見守ってたと思ってやがる! 全てはその為、その下着をくんくんする為だけにここに突っ立てたっつーのに! 柄でもねえ応援とかに徹したというのに! 貴様ァァァーー!!!」


 文字通り血涙を流し床を両手で叩くクロノは何処から見ても駄目人間で最低の屑だった。お前って、最低の屑だな。
 両拳の皮が捲れ、血が流れ出ても床を叩き続けるクロノにサイラスは申し訳無さそうに、そして何処か気持ち悪いものを見るようにして、口を開く。


「いやあ、すまないな。クロノ……だったか? 代わりといっては何だが、もし私に勝てばこれを進呈しよう。王妃様ではないが、一応女性が一度使用した下着ではある」


 おおサイラス、お前も最低の屑だったか。親友という名の幻想は今崩れ去った。まさか中世の勇者が下着泥棒をしていたなんて悲報が国に流れれば、ガルディアは終わる。砂上の楼閣が如く。


「女性が着用?」クロノは蜂蜜を見つけた熊のように目を一瞬輝かせ、すぐに元の淀んだ瞳に戻った。ぬか喜びだけはごめんだと、実は目の前の蜂蜜は着色料を入れた糊なのではないか、と疑うように。「それは、年齢五十過ぎのおばさんが付けたとか、そういうオチじゃなかろうな? 着用者の容姿年齢を答えろ」


「誰と言われても……」


 サイラス、何故俺を見る? そして何故申し訳無さそうに、「悪い。俺パクッた」みたいな顔なのだ。説明を要求する。
 もう動かないと思っていた右手が少しづつすぐ側に落ちているグランドリオンを欲して床を這う。
 俺が沸々と怒りを湧き上げている事も知らず、クロノは逡巡した素振りを見せた後「それも有りだ」と抜けぬけと答える。


「そうか。何かあった時の為に昔グレンが着用した下着を保管しておいて正解だった。ではまいろうかクロノ。やはり強者と戦うは楽しいものだな」


「まさかカエルの奴が女物の下着を付けていた頃があったとは驚きだが……それも今とのギャップで俺のリビドーを高める燃焼材料と化す。今宵は俺の一人遊び回数記録を更新出来るやもしれん」


 顔つきだけは一人前に、話している内容は地の底の餓鬼界よりも低い質。もしもまだ俺に勇者の資格があるのなら、彼奴らを切り伏せる為だけに力を貸してくれ。
 俺が二人に斬りかかるのはこれから十秒と経たない未来のことだった。






「カエルはここに残るのか?」頭にこぶ、体中に切り傷を付けたクロノが聞いてくる。俺はそれに頷き肯定した。
 二人に然るべき制裁後不要な過去の残骸を切り刻んだ後俺はサイラスと共に己を鍛え上げる修行を積む事にした。時が来れば必ず駆けつける事を約束して。


「まだ満足がいく力を手に入れていない。今の俺ではラヴォスと戦う際に足手纏いになってしまうだろうからな、もう少し自分を高めてみるさ」


「私もそう長く現界出来る訳ではないが……出来るだけグレンに付き合ってみたいと思う。よろしいか、クロノ殿」顔を紫色に腫らしたサイラスも続く。同じ変態として仲間意識が芽生えたか、サイラスはクロノ殿と呼ぶようになっていた。こういうコミュニティが人を駄目にするのではないか、と俺は無い頭で考えた。


「そうか。何かあれば通信機で呼びかけてくれ。こっちも全員の準備が整い次第連絡するからさ」


「我侭を言ってすまんな。次会う時には、もう少し頼れる師匠になってみせるさ」まだクロノになんの剣の修行もつけていない事を思い出して、名ばかりだな、と苦笑した。
 反転して、部屋を出て行こうとするクロノに、やはり言葉にせず「ありがとう」と呟いた。色々と厄介な事態を起こしてくれたが、それでも大事な時には俺を助けてくれたのは事実。最後が締まらなかったのは、まあ愛嬌とでもしておこうか。実にあいつらしい。
 ぼう、と離れていく背中を見送っていると、サイラスが何か感づいたように目を開き、「クロノ殿!」と呼びかけた後走り寄っていった。


「クロノ殿。ああ見えてグレンは私の妹分。よって、クロノ殿に頼みがある」妙に畏まった言い方にクロノは少し肩を怯ませた後「何ですか?」と敬語になる。サイラスはえらくはっきりと告げた。


「想像なので申し訳ないが、恐らくグレンの奴マグロです。来る時には男であるクロノ殿がリードしてあげて下され」


「俺は海洋生物ではないのだが」意味の分からない悪口なのかどうかも不明瞭な、魚と評されて俺は怒っていいのかどうか分からずとりあえず否定しておいた。


「……任せてくださいサイラスさん。必ずや俺好みに仕立て上げて見せます」


 いよいよ不穏な空気になっている事を感じる。というか、かなり良くない会話であると直感する。そしてその考えは間違っていなかった事が、サイラスの「ハードなものは避けて下さい。見た目どおり奥手ですので、いざとなれば腰が引ける可能性も大きいので。後避妊は完全に」という言葉、取り分け『避妊』の単語で確信に変わる。二人の鼻を潰すのにそう時間は必要なかった。


「サイラス! お前死んでから性格が変わってはいまいか!? 意地が悪いというか、普通に性格が悪いぞ!!」


「何を言うグレン。いつもの私ではないか」


「信じぬ! 例え誰がなんと言おうと昔のお前は優しくて気が利いて頼りになってその……そういった下の話はしなんだ筈だ!」


「誰が何と言おうと私が言っているのだから認めよグレン」


 嫌過ぎて頭を抱えてしまう。昔とは違う、サイラスは昔はちゃんと優しくて格好良くて俺をいつも守ってくれて……
 ……待て。本当にそうか? いやいや何を疑う俺。サイラスは子供の頃虐められていた俺を助けてくれたではないか。うん、それは間違いない。いつも俺と遊んでくれていたではないか。これも間違って……ないよな? 意味も無く池に落とされたり昼寝している俺の顔に『ひょうきん族一号』と書いたり覗きをした時必ず俺一人に罪を被せたりかくれんぼをした時必ず手の込んだ仕掛けで俺に幽霊の存在を信じ込ませたり嫌がる俺にバンジージャンプを何度もやらせたり……これが俺の高所恐怖症に繋がったのだろうか?
 もしかしなくても、サイラスは俺と遊んでいたと言うよりは、俺で遊んでいたのだろうか?
 ハッ、と気付きクロノを見る。? と疑問符を上げる彼は、どんな人物だろうか。
 いざという時は頼りになる。意地悪。というより弄る。泣くまで弄る。泣いても弄る。人の尊厳を踏みにじる。でも時折優しい。でもド助平。長所よりも短所の方が目立つ彼の性格は、図らずともよく似ていたのかもしれない。
 昔、王妃様に言われた事を思い出した。「グレンは被虐体質ですねえ」と。サイラスとの思い出を嬉々として語る俺に言った言葉だ。流石の俺も、王妃様の言葉とはいえ否定したが……まさか。


「な、なあ二人とも。万が一なのだが、いや兆が一なのだが、俺はその、被虐体質的なものを持ち合わせているだろうか? ああ、いやすまない。妙な事を聞いただから何も言うな頼むから」


 おずおずと顔を上げて聞いてみたところ、二人の顔は口に出さずともその答えを語っていた。間違いなく、「何を今更」という呆れすら含んだ表情だった。死にたい。


「いや違うんだよカエル。お前がさ、変に肩肘張って男みたいな言葉使いしてるから虐めたくなるんだって。ちゃんとした女言葉にしてみな? そしたらほら、毅然とした女になって一部の隙も無いまさに女傑、って雰囲気になるからさ」


「であるぞグレン。クロノ殿の言うとおりに女性らしい話し方を心掛けてみろ。さすれば、お前の悩みも解決しよう」


 二人が親身になって言ってくれた事で、沈みかけていた気分が浮上していく。そうか、今まで同じ騎士団に舐められぬよう男のような言葉を用いていたが、それが逆にいけなかったのかもしれない。今の俺は蛙ではなく一応女性体なのだ。見た目にそぐわぬ話し方では良くないだろうな。気付かなかった。


「分かった二人とも。これからは俺……私は女性らしい言動で生きていくことにするわ!」


 自分なりに精一杯女らしい話し方、つまりマールやルッカを真似した結果、腹の奥から吐き出された呼吸音を聞いて私は視線をぎゅる、と巡らせた。クロノが何故か手に口を当てて余所を向いている。何故だか苛立ちと恥ずかしさが舞い上がってくるが、我慢しよう。ここで暴れては元の木阿弥となってしまう。
 落ち着け、と念じクロノに話しかける。


「どうしたのクロノ? 調子でも悪いのかしら」


 ぼふん、と両頬に溜め込んだ空気が外に噴出すような妙な音が響き、また私は首を動かした。何故だかもう一度脱ぎ捨てた仮面を付けて肩を震わせているサイラスの姿。理由は知らぬが、海底火山が噴火するようなイメージが頭に浮かぶゆく。巨大な泡と熱を海上に作り出す様は猛り狂う感情に良く似ていた。


「……あはは。どうしたのよ二人とも。もしかして、疲れちゃった? しょうがないなあもう」


 それからは、大合唱ならぬ大合笑。体の底から笑いが止まらぬというように、クロノは己の体を抱きしめて笑い転げ、サイラスは左手で腹を押さえ右手で壁を叩いている。助けてくれ、と看守に叫ぶ囚人のようだった。うむ、まさにその通りだろう。囚人は刑の執行を待つものだから。今から罰してやろう、二人とも。
 自分でもなりきっていないことを自覚しつつ、似合わない事などとうに知っていながら賢明に努力した自分を笑われている事がここまで悔しいとは思わなかった。俺の顔が赤い? 口が震えている? 涙が浮かんでいる? どうでもいい。いかな重罪を貴様らが犯したのか思い知らせてくれるわ……!!


「クロノもサイラスも、大っっ嫌いだ!!!!」


 剣光煌くグランドリオンが、やれやれ、と呟いた気がした。こんな勇者もいいさ、と認めてくれた気も、かすかに感じた。そうだろう、これが俺の勇者道で、騎士道なんだから。
 俺たちの馬鹿騒ぎにも似た大喧嘩は、結局朝まで続いたのだった。
 徹夜して、倒れるように眠る直前、サイラスが嬉しそうに囁いた。さも、自分が言ったとおりだろう、と自慢するように、一度クロノを見遣ってから「もう一人じゃないな、グレン」と。
 続けて、「ほらな?」と彼は言う。「大丈夫だったろ?」とも。
 それを聞いて、俺は朦朧とする意識の中、微笑みながらぽつりと溢したのだ。大っ嫌いだ、と。












 おまけ


 日差し明るく、太陽がキンキンに道を照らしている午前。幼き日のグレンとサイラスが草むらでかくれんぼをしていた時のことである。
 グレンはその小さな身を有利に使うべく、ただひたすらに身を潜め鬼であるサイラスから隠れていた。時間切れまでもう残り僅かという時、グレンが自分の勝利をひしひしと感じ始めた。しかし、相手もそこまで馬鹿ではない。グレンはさっきよりも身を深く沈め息を殺す。前方僅か五メートルという少し開けた場所にサイラスが現れたのだ。


(残り時間は……多分、もう残り僅か。大丈夫、隠れきれるよ)


 自分で自分を鼓舞して、グレンは知らず拳を握りガッツポーズを取る。それもその筈、この勝負に勝てば、サイラスから一日中膝枕をしてもらえるのだ。代わりに自分が負ければガルディアの森を抜けた先にある崖から海に飛び込むという命知らずのパフォーマンスをせねばならないのだが、グレンはその勝負を受けて立った。どう考えても彼女の罰とサイラスの罰では割りに合わないのだが、単純かつ純情な彼女ではその辺りの差異に気づく事は無かった。
 今日はどんな話をしてもらおうか、と胸を躍らせていると、サイラスの妙な動きに気付く。少しだけ頭を上げて、彼の全身を見ると、彼はその両腕にこれでもかというほどの蛇を抱え込んでいた。うねうねと奇怪に動くそれはまだ幼いグレンには悪魔の使いか何かに見えた。その悪魔の使いを使役しているのは今のところ彼女の親友兼想い人であるサイラスというのが痛手。
 何をしているのか、サイラスは蛇に噛まれないのだろうか、などと思案していると、あろうことかサイラスは蛇をその辺り一帯にばら撒いた。当然、グレンの側にも何匹か落ちて、彼女は小さく悲鳴を上げた。そんな事は知ったことではないというように、サイラスは「あーあ、全部毒蛇なのにやっちゃったかー」と事も無げに言い放つ。「一回噛まれたら全身が腐っちゃうんだよなあ」とも。実際全身が腐る毒など持った蛇は存在しないのだが。ともあれ、彼のその一言は少女であるグレンに最適な効果を与えた。


「っっ! きゃあああ!!!」


 すぐさま立ち上がり、地団駄を踏むように足を交互に上げる。決して地面を這いずっている蛇に噛まれないよう必死の形相だった。実際彼女からすれば生きるか死ぬかの瀬戸際なのだから、当然かもしれないが。
 見つけたー、と緊張感の無いサイラスの声など耳に入らず、グレンはすぐに彼の胸元に飛び込み泣き喚く。彼女が泣いている原因は彼にあるという事実は関係無いようだ。サイラスはよしよしと頭を撫でてグレンを宥めた。草むらから移動し、街道に出た辺りで立ち止まった。


「よし、グレンの負けだな。女たる者約束を破ってはいかん」


 通常、男たる者という使用法が正しいと思われるが、サイラスには関係なかった。今グレンが泣き止んで落ち着き始めた頃だとしても関係なかった。
 その日のグレンの日記。
 かくれんぼをした。蛇を投げられた。サイラスに助けられた。格好良かった。
 森を抜けて崖に行った。サイラスに落とされた。怖かったし死ぬかと思った。溺れるかと思ったけど、サイラスに助けてもらった。とっても嬉しかった。
 アホ丸出しの記録だった。


 次の日の事。グレンはサイラスから怖い話を聞いた。何でも、夜な夜な斧を振り回し子供を喰らうという男の話。あまりに子供が好き過ぎて己が体内に取り込みたいという危なすぎる思考に至ったという狂人の話。聞いているだけでグレンは泣きそうになった。けれど、他でもないサイラスが話しているのでちゃんと耳に入れていた。純情もここまでくれば病気である。
 そして、その日の夜。家族のいないグレンは小さな民家で一人床についた。当然、サイラスから聞かせられた話が蘇り、小さな物音一つで脊髄反射のように布団から飛び出した。それが四回ほど続いた時だろうか? 流石に怖いという感情よりも睡眠欲が勝り、多少の物音に心を震わせながら、徐々に目蓋が落ちていく。いよいよ眠れるやもしれぬ、という所で事件は起きた。公になれば、社会的に問題となる人為的な行為が事件というならば、それが正しい表記だろう。
 グレンの眠る家の扉から割れるような音が聞こえた。浅からぬ眠りについていたグレンはそれが物音と認識していたが、実際は扉の大部分が割れ落ちた、轟音と言っても差し支えない大きな音だった。扉の内側についていた取っ手が落ちた金属音で、ようやくグレンは覚醒する。同時にとてつもない危機感と恐怖が布団の代わりに覆い被さってきた。
 狭い家だ、寝床から上体を起こすだけで扉の様子が見える。確かに、木製の扉に鼠色の、輝きの鈍い逆三角形の分厚い刃物──斧だろう、がめり込んでいた。それが、数回に渡り叩きつけられている。その斧の執拗な攻めには狂気すら感じられた。
 グレンは布団を剥がし、微妙に覚束無い足取りで窓に寄る。窓の枠に足を掛け施錠を解こうとする。小さな棒を抜くだけの作業が上手く出来ない。掌から滲み出る汗で滑り、滑った事で焦り出し、単純な事も出来なくなる。荒事などしたことも無いグレンに窓を突き破り飛び出すなど考えも浮かばなかった。
 後ろから何か大きな物が倒れる音が聞こえる。振り向くと、物々しい、頭の天辺に棘の付けられた、赤黒い錆を蓄える鉄仮面を付けた男が扉を完全に叩き壊している様が見えた。走れば、自分の場所まで数秒と掛からぬだろう。形振り構わず窓を割ろうという思考が今閃くが、震える両手を振りかざしても、ガラスを割るどころか皹すら作れなかった。
 今、グレンの脳裏に浮かぶのは顔も覚えていない両親ではなく、いつも自分を虐める同年の子供でもなく、遠くの世界にいるような気さえする城の兵士でもなかった。ただ、自分を可愛がってくれる優しい年上の男の顔。彼女は荒々しく家に入り込み自分に近づいてくる男を目にしながら、喉を嗄らす勢いで大好きな男の名を叫ぶ。


「サイラスーーーッッ!!!」


「ああ、今来たぞグレン!」


 今正にグレンの安眠を妨害し尚且つ家の扉を斧で粉々に叩き壊し土足で家に入り込んだ鉄仮面の男は、その仮面を取り白い歯を見せながら清々しくも白々しい素顔を晒した。サイラスその人である。


「さっ、サイラス! 来てくれたの! あ、ありがとうーー!!!」


 今泣きそうになっていた事もなんのその。グレンはとびっきりの笑顔で、今まで自分の恐怖の象徴であった斧男に飛びついた。サイラスは「当然じゃないか、グレンの危機は俺は助けるぞ」と笑いながら彼女の頭を撫でる。互いにアホである。だがグレンはその先を行っていた。
 彼女はサイラスが自分を怖がらせていた事も自分の家の扉を壊した事も忘れ、ただ自分を助けてくれたと信じていた。何故か? 頭が良くないからだろう。子供だからですませられる問題ではない。
 その日のグレンの日記。
 サイラスにお話をして貰った。怖いお話だった。話が終われば「今夜グレンの家に来るかもしれないな」と言われた。その時は助けに来てね? とお願いしたら「勿論だ」と言われた。やっぱりサイラスは頼りになる。
 夜になって、サイラスが斧で私の家のドアを壊して入ってきたからびっくりした。でも、その斧の人はサイラスだった。きっと私を心配して来てくれたんだと思う。お陰で私は斧男食べられずにすんだ……あれ? なんかおかしい気がする……まあいいや。サイラスはやっぱり格好良い。
 酢だこのような内容だった。
 次の日のグレンの日記。
 サイラスに手を握られた。男の人と手を握ると子供が出来るらしい。驚いた、これで私もいちじの母という訳だ。立派な子に育てなくてはならない。お父さん似なら立派な人になるだろう。
 町の野菜屋さんに言えば、それは嘘だった。なんて嘘をつくのだろうサイラスは。とても嬉しかったのに。でもきっと私に夢を見せたかったのだろう。サイラスはロマンチックで格好良い。
 その次の日のグレンの日記。
 サイラスと新しい遊びをした。サイラスが投げたゴムの風船を私が口で咥えてサイラスの所まで持っていくという遊びだ。とても楽しかった。持ってくるたびサイラスが大笑いしていたので私も嬉しかった。何故だか興奮した。次はどんな遊びを考えてくれるだろう、楽しみだ。
 さらに次の日のグレンの日記。
 今日はサイラスと町を歩いた。その時の私の格好は首に長い皮のベルトを






「……もう見るの止めとく。流石中世の勇者、半端無えぜ……師匠って呼んでいいか? いや、良いですか?」ぱたり、と昔のグレンの日記を閉じクロノは尊敬の視線を横に立つ、今は青年となっているサイラスに向けた。


「なあにまだこれは序の口だ。クロノ殿も中々素養がありそうだ。今度私の真骨頂、技法を記したサイラスの書を贈ろう」


「是非頂きます! よし、これで俺も三ランク上の男になってやるぜ!」


 舞い上がるクロノとサイラスの様子を見て、少し離れた場所で指立てをする、もう少女ではない大人の女性となったグレンは「仲良くなったのだなあ、良い事だ」と汗の流れる顔を綻ばせた。
 これは、とても優しい話なのだ。きっと。


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