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No.20619の一覧
[0] 星は夢を見る必要はない(クロノトリガー)【完結】[かんたろー](2012/04/28 03:00)
[1] 星は夢を見る必要はない第二話[かんたろー](2010/12/22 00:21)
[2] 星は夢を見る必要はない第三話[かんたろー](2010/12/22 00:30)
[3] 星は夢を見る必要はない第四話[かんたろー](2010/12/22 00:35)
[4] 星は夢を見る必要はない第五話[かんたろー](2010/12/22 00:39)
[5] 星は夢を見る必要はない第六話[かんたろー](2010/12/22 00:45)
[6] 星は夢を見る必要はない第七話[かんたろー](2010/12/22 00:51)
[7] 星は夢を見る必要はない第八話[かんたろー](2010/12/22 01:01)
[8] 星は夢を見る必要はない第九話[かんたろー](2010/12/22 01:11)
[9] 星は夢を見る必要はない第十話[かんたろー](2011/08/02 16:03)
[10] 星は夢を見る必要はない第十一話[かんたろー](2011/01/13 06:26)
[11] 星は夢を見る必要はない第十二話[かんたろー](2011/01/13 06:34)
[12] 星は夢を見る必要はない第十三話[かんたろー](2011/01/13 06:46)
[13] 星は夢を見る必要はない第十四話[かんたろー](2010/08/12 03:25)
[14] 星は夢を見る必要はない第十五話[かんたろー](2010/09/04 04:26)
[15] 星は夢を見る必要はない第十六話[かんたろー](2010/09/28 02:41)
[16] 星は夢を見る必要はない第十七話[かんたろー](2010/10/21 15:56)
[17] 星は夢を見る必要はない第十八話[かんたろー](2011/08/02 16:03)
[18] 星は夢を見る必要はない第十九話[かんたろー](2011/08/02 16:04)
[19] 星は夢を見る必要はない第二十話[かんたろー](2011/08/02 16:04)
[20] 星は夢を見る必要はない第二十一話[かんたろー](2011/08/02 16:04)
[21] 星は夢を見る必要はない第二十二話[かんたろー](2011/08/02 16:05)
[22] 星は夢を見る必要はない第二十三話[かんたろー](2011/08/02 16:05)
[23] 星は夢を見る必要はない第二十四話[かんたろー](2011/08/02 16:05)
[24] 星は夢を見る必要はない第二十五話[かんたろー](2012/03/23 16:53)
[25] 星は夢を見る必要はない第二十六話[かんたろー](2012/03/23 17:18)
[26] 星は夢を見る必要はない第二十七話[かんたろー](2011/08/02 16:06)
[27] 星は夢を見る必要はない第二十八話[かんたろー](2011/08/02 16:06)
[28] 星は夢を見る必要はない第二十九話[かんたろー](2011/08/02 16:06)
[29] 星は夢を見る必要はない第三十話[かんたろー](2011/08/02 16:07)
[30] 星は夢を見る必要はない第三十一話[かんたろー](2011/08/02 16:07)
[31] 星は夢を見る必要はない第三十二話[かんたろー](2011/08/02 16:08)
[32] 星は夢を見る必要はない第三十三話[かんたろー](2011/03/15 02:07)
[33] 星は夢を見る必要はない第三十四話[かんたろー](2011/08/02 16:08)
[34] 星は夢を見る必要はない第三十五話[かんたろー](2011/08/02 16:08)
[35] 星は夢を見る必要はない第三十六話[かんたろー](2011/08/02 16:07)
[36] 星は夢を見る必要はない第三十七話[かんたろー](2011/08/02 16:08)
[37] 星は夢を見る必要はない第三十八話[かんたろー](2011/08/02 16:07)
[38] 星は夢を見る必要はない第三十九話[かんたろー](2011/08/02 16:06)
[39] 星は夢を見る必要はない第四十話[かんたろー](2011/05/21 01:00)
[40] 星は夢を見る必要はない第四十一話[かんたろー](2011/05/21 01:02)
[41] 星は夢を見る必要はない第四十二話[かんたろー](2011/06/05 00:55)
[42] 星は夢を見る必要はない第四十三話[かんたろー](2011/06/05 01:49)
[43] 星は夢を見る必要はない第四十四話[かんたろー](2011/06/16 23:53)
[44] 星は夢を見る必要はない第四十五話[かんたろー](2011/06/17 00:55)
[45] 星は夢を見る必要はない第四十六話[かんたろー](2011/07/04 14:24)
[46] 星は夢を見る必要はない第四十七話[かんたろー](2012/04/24 23:17)
[47] 星は夢を見る必要はない第四十八話[かんたろー](2012/01/11 01:33)
[48] 星は夢を見る必要はない第四十九話[かんたろー](2012/03/20 14:08)
[49] 星は夢を見る必要はない最終話[かんたろー](2012/04/18 02:09)
[50] あとがき[かんたろー](2012/04/28 03:03)
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[20619] 星は夢を見る必要はない第三十二話
Name: かんたろー◆a51f9671 ID:9726749e 前を表示する / 次を表示する
Date: 2011/08/02 16:08
 頭上から垂れる雪解け水が半ば朦朧としている意識を覚醒させる。額に付いた水滴を服の袖で拭い、もう日が昇っていることに少々驚いた。立ち上がり、近くに立っていた男に話を聞けばどうやら俺は半日以上の間寝ていたそうだ。
 心配をかけていたようなので、頭を下げ礼をする。気にすることは無いと手を振ってくれた御仁にさらなる感謝を。食事まで提供してくれたのには頭が上がらない。
 渡されたパンと温かなスープを口に運ぶ。程よく塩気の効いた味付けに俺はすぐにも平らげてしまった。
 ……人間、喉を通らないと頭で思っても空腹には勝てんようだ。俺は餓死直前の事態に何度か直面した事も関係しているのかもしれないが。


「起きたんだ、カエル」


 マールに声を掛けられて俺は顔を向けた。彼女の声はまだ暗かったが、昨日よりは幾分かマシになったようだ。腫れ上がった右頬が痛々しいが、治療はしなかったのか?


「ああ。その……昨日はすまなかった。女性に手を上げるとは、武人として失格だ」


「いいよ。あれは私が悪かったし……でも、ルッカに謝る気は無いよ。酷い事言ったのは事実だけど……ルッカだって……」


 それ以上は言うなと手で制し口を閉ざせる。どちらが悪いか議論しても水掛け論になるのは眼に見えている。
 ……俺たちが今居る場所は古代。と言っても、ジールではなく地上のアルゲティがあった場所から少し離れた場所。戦いは終わったのだ、戦場に残っている必要は無い。そもそも、今となってはジール王国は存在していないのだが。
 ──サラという女性を助けるため、またジール王国の暴走を止めるため、魔神器を破壊しラヴォスを起こさないため……俺たちの目的は全て達することは出来なかった。
 結局サラは行方不明となり姿を消し、ジール王国は復活したラヴォスの力によって撃ち落された。幸い住民は避難を終えていたので死者は出なかったのが救いか。それでも、幾分か暖かさを取り戻してもまだまだ寒く厳しい地上での生活を余儀なくされた彼らは楽観的な考えを持てないだろう。僅かながらに残っていたアルゲティの備蓄も大半が浮遊大陸が落ちてきた事により発生した大津波によって洗い流されたのだから、尚更に。
 俺たちにとって救いだったのは……シルバードが無事だった事か。頑丈な機械だ、津波の衝撃に破損箇所は無いように見えた。起動もすんなり出来たようだし……もしかしたら些細な故障部位があるかもしれないが、それを確認できる人間は今はいない。


「そういえば……マール、そのペンダントは……」


「ああ、これ?」言ってマールは首から下げたペンダントを掴み日の光に当てた。


「なんかね、村の人たちが倒れてたルッカとロボの近くに落ちてたのを見つけてくれたらしいの。不思議だよね……これ、クロノに預けてたはずなんだけどさ」


 もしかしたら、あいつが倒れている二人を守ってくれてたのかもな、と口にしようとして呑み込んだ。わざわざ口に出すまでも無い。きっと、心配性のあいつのことだ。それくらいの事はするだろう。借りた物を返さない男でも無い。
 ……ただ、約束は破るようだが……な。
 なんとなく会話が終わり、海から吹く風が体を通る。長い髪が顔に当たり、マールはさら、と耳に掛けた。


「全部、無くなっちゃったね」


 隣に座ったマールが透明な声音でぼんやりと呟く。


「……そうだな。結局、魔王も見つからん」


「一応、海底神殿にいたらしいよ? ……二人からほとんど話を聞けなかったから、その後どうなったかまでは分からないけどね」


 俺たちはラヴォスと対面していない。その場に居たロボは時の最果てに戻り誰とも話そうとしなかった。ルッカは……もう、おかしくなったようにここにはいない誰かと会話を続けていた。
 ああ、あの時は本当に困った。昨晩の事なのに、何故か数週間も前のような気がする。それだけ昨日は長い夜だった──












 ──あくまでも、これは錯乱したルッカからの情報で、正確な事は言えないが……海底神殿にてラヴォスと対峙したルッカたちは為す術無く倒れ、命を奪われる直前にその場に居たサラの手によって海底神殿を脱出したそうだ。そこから地上に降りてこれたのは、両足を貫かれたロボが放心気味のルッカを背負い運んだという。「クロノさんに頼まれたから、貴方だけは助ける」と最後の力を振り絞り……それからロボは口を開かない。
 ……彼女らを助けてくれたサラの姿は前述したとおり誰も見ていない。まだ海底神殿に残っているのか……そもそも生きているのか。残酷な想像ゆえに誰も口にはしていないが、恐らく誰もが最悪の結末を思っているだろう。
 消えたのはサラだけではない。魔王に、クロノたちを後から追ったらしいボッシュ、ジャキというサラの弟、魔神器の祭壇にはいなかったが、海底神殿内に身を置いていたボッシュ以外の二人の賢者もまた姿を消しているらしい。
 ──そして……もう戻らない人物が、一人。マールの顔の腫れと関係している、またロボとルッカが壊れた原因となる男。誰もが危なっかしい奴だと認識していて、誰もが頼りにしていて……皆が大好きだった男。
 あいつは……最後の最後に、半死半生の身でラヴォスに立ち向かい、一矢報いた後消滅した。
 男らしいか? 格好良いか? そうだな、童話や英雄譚ならば喝采ものだろう。俺とて伝え聞いたものならば、その行為を騎士らしい誇りある行動だと讃えたに違いない。己が命を投げ出して仲間の為に散るなど名誉の最たるものではないか。


「……でも、お前は俺と約束しただろう……? クロノ」


 もういないのだ。何処を探してもあいつの、人を小馬鹿にした笑い声や覚悟を決めた精悍な顔つき。若い身空で苦境に立たされそれを嘆く涙も葛藤もそれを乗り越えて立ち上がる燃えるような瞳も見れない。存在しない。
 思わず目じりに涙が浮かびそうになり、必死にそれを留める。隣に居る女性が涙を流さずいるのに、俺が泣いてどうする。年長者としても、男として生きると決意した身分としても、俺だけは耐えねば。
 ……今となってはマールも落ち着いたように見えるが、ルッカから話を聞いた時は酷い取り乱し様だった。俺がマールに遅れて古代へ召喚された時に見たのはテントの中でルッカの襟首を掴み尋問している姿。必死の形相でクロノの所在を聞いても、ルッカは何処を見ているのか分からない目で誰かに語りかけていた。


『ねえクロノ? 次は何して遊ぶ? きっと、二人ならなんでも楽しいよ──』


 いつまでも会話の成り立たない彼女に業を煮やしたマールはルッカを無理やり立たせて壁に押し付けた。「今ここにクロノはいないの!!」と叫んだ瞬間、ルッカの体は震え始め……何度も口を開け閉めした後……ぼそり、とこぼした。「クロノ……死んじゃった」と。
 ……それから、マールは形振り構わずルッカを羽交い絞めにして、どういうことなのか、どうしてそうなったのかを聞いた。ルッカは言われれば答えるただそれだけの玩具みたく説明する。時折また見えないクロノとの対話を始めながらも、その度にマールに怒鳴られて怯えたように続きを話し始める。
 全てを知ったマールは膝から崩れ落ちて……本当にあいつがいないのだと、帰ってくることはないと分かって……はらはらと涙を流した。小さくない嗚咽を漏らす彼女の後姿は見ているだけで悲しくなった。俺とて……俺とて辛く無い訳が無い。その時の俺には彼女を慰めるだけの気持ちの余裕は無く、ただただ呆然と考えを整理している事しか出来なかった。


「……あれ? 何で泣いてるのマール、クロノに虐められたの? 今度怒ってあげるわね」


 ……決定打だった。数十秒前まで確かにクロノが死んだと口にした矢先から言うそれに、マールは目を覆っていた腕を振り彼女に圧し掛かる。俺は……足に根が張ったように動けず彼女を止められない。もしかしたら、心の何処かで現実逃避という楽な道に逃げているルッカに苛立ちを感じていたのかもしれない。もっと、彼女を責め立てろと、マールを応援する気持ちすらあったのかも……しれない。


「クロノが死んだ……? ねえ何で笑ってるの!? もういないんだよ? 私たちが泣いても叫んでも届かないんだよ!?」


「え? え……? どうしたのマール、何でそんな酷い事言うの? クロノならここにいるじゃない」


 ……また同じやり取り。何度も何度もルッカの言葉を否定して、話をさせなければまともな会話が出来ない。三分に一度正常なものが帰ってくるか? というような大層面倒なものだが。
 クロノが死んだと言ったのも彼女なら、それを頑なに認めないのも彼女という矛盾。俺には、その時のルッカが狂っていると断じるに値する証拠が幾つも揃っているように思えてならなかった。


「止めてよ……クロノを作らないで、頑張った彼を消さないで!! ルッカを守るためにもクロノが死ん……消えたのに、違う彼に縋らないで!! 依存するのもいい加減にしてよ!」


 死んだという言葉を作れず、マールは新たな言葉を選び取った。意味は同じでも、死とは口にするだけで現実を突きつける。


「依存……違うわよ? 私はただクロノが好きなだけ。誰よりも好きなだけ。マールったらおかしな事言うわねえ」


「……っ!?」


 今まで隠していた気持ちをあっさりと暴露するルッカ。その後も見えないクロノに「好きよ」と熱病におかされたように繰り返した。言えなかった気持ちを、言いたかった気持ちをここで発露しているのか。
 それすらも逃げと取ったマールはぶるぶると全身を震わせて、涙混じりにルッカへと渾身の叫びをぶつけたのだ。


「……ルッカが……ルッカがクロノをいらないって言ったから消えたんじゃないの!?」


「マール!!!」


 ようやく俺の足を縛る根が解けて俺は走り出しマールの顔を思い切り殴り飛ばした。駄目だ、話を聞いているだけの俺でもその言葉は禁句だと分かる。口に出すだけで全部壊れる最低の言葉だ!
 周りにある陶器や俺たちのアイテムを巻き込んでマールはテントの柱に強くぶつかった。衝撃で息を吐く彼女の姿に少し同情を感じたが、それだけの事を彼女は言ったのだ。


「マール、それは口にするな! 何があっても俺たちは仲間だろう!? 言って良い事と悪い事がある!」


 口の中を切ったのか、口から血を流す彼女は体を起こして何も言わなかった。体中から敵意を発しながら。
 流れる沈黙。誰もが声を出す事を躊躇う時間。それを壊したのは……今まで会話にならなかったルッカだ。俺とマールを交互に見遣り、鼻水と涙で顔をぐしゃぐしゃにして、枯れた喉を揺らし悲壮な声を響かせる。


「……私は、悪くない……私は悪くない!! 悪いのはクロノじゃない!!」


「ルッカ……貴方……っ!!」拳を握り俯いたマールが敵意から殺気へと気配を変えていく。見て分かるほどのそれを感じながら、ルッカは言葉を止めない。


「だって、約束したわ!! もう泣かさないって、私と約束してくれたもの!!」


 体から話すように挙動を大きくしながら彼女は立ち上がった。俺たちから同意を得る為なのか、そうでもしないと言葉に出来ないのか。自分を圧迫する何かに対抗するべく彼女は全身を振り乱し気が触れたように両手で頭を掻き毟った。


「依存してる……? そうねそうかもねでも仕方ないじゃない! わたっ……私にはあいつしかいなかった! ずっと前からあいつだけだったの! もう何もいらない父さんも友達も仲間も未来がどうなったって知ったことじゃない! それ位に……あいつだけなんだもの……」


 誰もが……マールも彼女の独白に押されて言葉を失っていた。独占的? 馬鹿な、これでは狂信的だ。宗教に近いそれを有している。彼女はクロノを中心に廻っていた訳ではない。彼女を含めた世界がクロノだったのだ。
 床に敷いてある絨毯を握り上に置いてあった物を投げ出して、テントを支える鉄柱に何度も頭をぶつけた。痛みが無いと自分を保てないのかもしれない。それ以前に、保てていたのか怪しいものだが。


「幻覚を見てるのも分かってる! だけど話しかけてくるのよ、クロノが何度も私に笑ってくれるの! 『生きてるよ、ここにいるよ』って私に……私が作ってる妄想だなんて百も承知なのよ! じゃあ無視出来る? 出来る訳ないじゃない! 私は……クロノがいないと生きれないんだってば! 嘘でも偽りでも縋るしかないのよ!」


「落ち着けルッカ! まだ傷は癒えて無い! また開くぞ!」


「私はここにいるわ! だからクロノここに来てよ、私に触ってよ、笑ってよ怒ってよ私を好きになってよ一緒にいてよぉぉぉ!!!」


 ──その言葉を機に、糸が切れたみたく彼女は意識を失った。時の最果てに連れ戻し、ロボに看病を頼もうかと思ったがロボはルッカの面倒を見るつもりはないらしく、御老人に頼み込んだ。何をして欲しいわけでも無いのだが……あえて言うなら自害だけはさせないでくれ、と。
 ……俺は、今まで弱音を吐いた覚えは少ない。弱音を言っても誰も助けてくれない、そういった生き方をしてきたのだから。意味が無いと知りつつ弱い言葉を連ねてもしょうがないのだから。
 それでも、この時ばかりは心が折れてしまった。あまりにばらばらな仲間の心。ここにいない誰かを頼っても、どうしようものに……俺は……


「助けてくれないか……クロノ……」


 お前がいないと、誰も前を向けないんだ。











 星は夢を見る必要は無い
 第三十二話 約束を破るという事











「これから……どうする? カエル」


 昨日の事を思い返していた俺はマールへの返答が少し遅れてしまった。訝しげに見つめる彼女に何でもないと手首を揺らしすっと立ち上がる。やる事など、とうに決まっている。戦える仲間は少ないが、一晩経って出た結論は一つしかない。例え……勝てる可能性が貧しくとも、負ける道が明確に見えていても。


「ラヴォスを倒す。魔王もそうだが……俺の友を殺した奴を、生かしておける訳が無い」


 魔王の所在は分からんが、ラヴォスに会うための方法は分かっている。時の最果てにあるバケツがラヴォスへと繋がっている。
 俺の憤怒に同調して、グランドリオンを握る手に力が篭る。敵の大きさも形も強さも未知数、されど……このまま全てを忘れて生き長らえるつもりは毛頭無い。命を賭して……何も出来ず死んだとしてもあいつの無念を晴らさねば、一筋でも傷を残さねば、死んでいった友に顔向けできん!


「……それしかないよね」


「お前は元の世界に戻れ。今となっては……未来を救う気も起こらんだろう」


 ふるふると頭を振って、マールは後悔を湛えた瞳を俺に向けた。


「クロノをね……この旅に誘ったのは……未来を救おうって言ったのは、私なの。ルッカのこと責められるわけ無いのにね……クロノを殺したのが誰かって言うなら、私の方がずっと責任は重いよ……八つ当たりするような私で良ければ、カエルと一緒に戦いたいな」


 その表情から、彼女は俺よりもずっと真摯に覚悟を固めていると悟る。ここで俺が断れば彼女は一人で戦いに赴くだろう……それは見過ごせない。
 クロノ、お前は喜ばんだろうな。こんな命を捨てるような事を許さないだろうな。だが……それだけ俺たちはお前を慕っていたのだから、勘弁してくれないか? そっちに行けば……また稽古でもつけてやるから……


「なら……行くか。マール」


 頷いて歩き出した俺についてくるマール。ロボもルッカも戦える状態に無いだろう、マールも肩肘を張って強がっているが戦力には数えにくい。実質俺とラヴォスの一騎打ち……魔王にすら勝てん俺が、その魔王を子供扱いにする怪物と戦う……か。
 分は悪い、悪いが、それでも戦った馬鹿を俺は知っている。本当の勇者に俺は会っている。ならば……一度は背中を見せていた身としては退く事はできまい。


「……未練は無い。強いて言うなら、王妃様に別れを告げたかったが……な」


 これを聞けば、またクロノは茶化すだろうか? なんとなく空を見上げれば、青い空にうっすらと雲が流れていた。その中でも唯一太陽を遮る程の巨大な雲に少し縁起悪さを感じる。
 ……雲?


「……あれは!?」


 巨大な翼を広げ大空を羽ばたく大規模な鉄の塊。轟々と風を切る回転羽が迫る音は竜巻に似た風の波を地上に作っている。その煽りを食らい、地上に生えた残り少ない木々は横倒しになり微量に残る雪を吹き飛ばしていった。楕円状の船底が空から降りてくるのは圧巻であった。遠目からだが、傷一つ無いそれは整備が整っているという現実的な考えよりも強大さを強く植えつける。
 ……あれは、俺とクロノがジールで見つけた空を翔ける為の機械……確か、その名は……


「黒鳥号だー!!!」


 村人の一人が驚愕した声を出し逃げ惑う。混乱は伝染して人々は逃げ回る。逃げ込む場所も……ここには無いのに。
 まだ地上は遠い黒鳥号の甲板から数人の人影が飛び降り、地上に降り立つ。見る限りそれはジール王国にて見かけた仮面の男たち。ただ……魔物特有の嫌な気配は感じられず全員が人間だと確信した。確か……ジール王国にて避難誘導をした奴らがいたそうだが、こいつらだろうか?
 降りてきた人間の中に見知った顔が混じっている。忘れもせんあれは俺に馬鹿な事を抜かしていたダルトンとかいう男。後々にはクロノたちを助けてくれたそうだから、敵では無いのだろうが……
 今の奴の目を見る限り、俺たちを好意的には見ていないと分かる。ありありと浮かぶ敵意の目は憎しみと同義に思えた。


「……ふん、俺の本妻と愛人か。息災のようだな」


「肉体的にはな……いや、言っても詮無いか」


 前半部分の妄想は意図的に聞き流し、また弱音を吐きそうになる。何とも、思っている以上に俺は潰れているようだ。というか……よく蛙に戻った俺を見分けられるな。その事について言及すれば、「俺ほどの男ならば見た目で無く気配で感じ取れるのだ」という。凄いのか馬鹿なのか……
 まあそんなことはどうでもいいと切り捨てて、ダルトンは地上を見渡した。黒鳥号からの風で流れる長髪を鬱陶しそうに持ち上げて固定させる。目当ての物が見つからなかったからか、不機嫌に額に皺を寄せた。


「……ところで……貴様らがここに来る際乗っていたという乗り物は何処にある? ここから離れた場所に置いてあるのか?」


 ……シルバードのことだろうか? 乗り物という言葉だけでそれと断じられるが……何の用があるのか分からない俺はわざわざ教えるつもりにはなれなかった。


「あっちの海岸沿いにあると思うよ。ここからじゃ高低差があって見えないけど、そんなに遠くない」


「……いやまあ、別に教えてはならんと決まった訳ではないが……マールよ、もう少しその……」


 苦言を呈そうかと考えて、止めた。彼女の顔を見るに何も悪い事をしたつもりはないのだろうと察したから。そうか、そういえばこの娘は案外に抜けていたところがあったか。忘れていた。
 ダルトンは部下の一人に何か伝えて、仮面の男たちは黒鳥号から人数を呼びマールの指した方へと向かった。今俺たちの前にいるのはダルトン一人。さて、と気を抜いた声を出して彼は再度俺たちに向き直る。


「これで用は一つ終わった、もう一つの用事を終わらせるとしようか」


「……用事か。その前に、シルバードに何をするつもりだ貴様」


 ダルトンは軽く微笑んだ。


「あれはガッシュの設計していた物だろう? 何でも、時を越える事が出来るとか……ならば俺様自ら駆ってやろうと思ってな……元々ジール王国の所有物であるべき品、部隊長である俺が使うのは当然だろうが」


 身勝手な帰結に驚き、やはりシルバードの所在を教えるべきではなかったとマールを横目に睨む。何処吹く風という顔で俺に視線を回さないが、微かに垂れている汗が反省の色を示している。素直に謝らんところも王妃様に似ているな。
 ともあれ、奴の行為を見逃す訳にはいかん。あれはクロノたちが未来まで取りに行った代物、勝手に他人が乗り回して良い物では無いのだ。グランドリオンを抜き構える。
 ダルトンは酷く、つまらなそうに俺たちを見ている。話しに聞いた召喚呪文を唱える素振りも無い。ただ、じっと俺たちを見て……ため息をついた。


「……随分、くたびれた顔だな。いや諦めた顔か? ……たかだか男一人消えたくらいで暗くなりやがって……そんなんじゃあ、浮かばれねえなあ、誰とは言わねえがよ」


「貴様……!」


 カエルに戻りバネの強くなった足を曲げて飛び出す。馬鹿にしたのか馬鹿にしたのかあいつの事を。例え一時は味方になったといえど、斬って捨てる理由には余りある言動に俺は頭に血が上り剣振りかぶった。左方向からマールの氷槍も迫っている。ダルトンに避けられることはなく、例え防御しても俺の剣は遮れるものではない!
 しかし、ダルトンは回避も防御もせず、マールの魔法を体に当てて、俺の剣を止める事無く体に食い込ませた……切り裂いたのではない、食い込んだのだ。吹き出る血は少なくない、だが致命傷には程遠く、筋肉の鎧に受け止められていた。
 正直、俺の斬撃がその程度のダメージしか負わせられないことに驚きと失望を感じた。自惚れではなく、俺の剣は鉄すら断ってきた。サイラスを除けば俺の剣技に勝る者など見た事が無い、その俺の剣をたかが肩当てと衣服だけで守り抜いただと? ……いやそれらは大した障害には成り得ない。奴はただ鋼を超える己の体一つで伝説の剣を止めたのだ……いや、俺の腕の問題か?


「……つまらん。あまりにつまらん。何だその魔法は何だその力は!! その程度では俺の部隊兵一人にも到底勝てんぞ!!」


 僅かに刺さっている氷槍を抜き取り、俺の体を持ち上げたダルトンは大口を開けて吠えた。そのまま右手に魔力球を作りだし発光し始めたそれは強い輝きを生んで弾ける。


「……がはっ!?」


 ずぶ、と俺の体にねじ込まれた衝撃の塊は俺の体を飛ばし、まだ残っていた氷雪に頭から落下する。
 ……なんて、弱い。それでも元ガルディア騎士団の一員か、とサイラスに怒鳴られそうだ。それで俺に稽古をつけるつもりだったのか? とクロノに笑われそうだ。実に……無様。
 芋虫のように体を丸めて咳き込む俺を高みからダルトンが見下ろす。後ろには俺と同じように……いや、もう意識を失っているマールの姿。俺たちは……こんなにも弱かったか? 違うはずだ、ジール王国の魔物を容易く蹴散らしてきたのはつい昨日のことなのに……何故こうも俺たちは弱い?


「……誰かの背中を追っているからだろう、女。人の事は……言えんが、な」


 足を持ち上げて俺の腹に落とす寸前に聞いた声から、ああそうか、と納得した。
 俺もマールも、クロノの敵討ちだなんだと息巻いておきながら、実際はあいつに会いたかったのかもしれない。マールはその責任から、俺はサイラスに続きまた友を失ったという事実から目を背けたくて。ラヴォスにかこつけて散ろうとする俺たちが……強いわけないじゃないか。
 ……なあクロノ。お前がここにいれば、俺たちは勝ってたか? 俺は……強いままの俺でいれたのだろうか?












 ざっ、と砂と雪が混じった大地に降り立つ。見上げれば、見た事が無い巨大な物体が飛び去ろうとしている。何処となく、自分のいた世界にいる怪鳥に形が似ているなあと思って鳴き声を連想してみた。すぐに意味が無いと気付き頭を振れば、何か不吉な予想が頭を過ぎり、女は全力で人々の集まる方へ駆けていった。


「え? ああ……その人たちなら、ダルトン様に連れ去られちまったよ。あの人は、私たちを悪く扱わない優しい御方だったのに……何故あのような事を……」


 老人から話を聞き、自分の探し人が空に浮かぶ怪鳥モドキに乗せられていると分かった女はすでに空高くへと体を浮かせているそれにどうやって乗り込もうかと頭を巡らせる。今まで碌に頭を使っていなかった彼女は自分の相棒を思い出し、偶には自分も作戦会議なるものに参加すれば良かったと歯噛みした。十中八九役には立たなかっただろうな、と自分で暗い想像を巡らせて、独りでに落ち込む。


「……うあ?」


 そうこうしている内に更に高度を上げていくモドキに女はいよいよ慌て出した。思い切りジャンプして届く高さではないし、かといって自分は空を飛べるわけも無い。何か使えるものは無いかと辺りを見遣るが、何があれば空を飛べるのだと考え直して悲しくなる。


「……あれ……使える……か?」


 女が目を向けた先には小高い山。徐々に移動を始めるモドキは確かにその小高い山に向かって飛び立っていく。恐らく近くを通るだけだろうが、一瞬かなり肉迫した場所まで近づくだろうと女は勝手に予想し、もしそうならなければまた違う手段を考えようと切り替えて、自分も山へと走り出した。その疾駆は空を飛ぶモドキよりも速く、瞬く間に山の頂上まで辿りつく。断崖絶壁の崖すら手を使わず足だけで駆け上り傾斜などものともしない足だからこそ可能なショートカット。登山とは言えない方法で登り切る姿は人というよりも獣すら超えた何かだった。
 徐々に姿を近づけていくモドキ。どうやら、谷の真下部分に近づきそのまま方向転換するようだ。かなり危険なUターン方だと思ったが、モドキは危なげなく背中と頭を逆方向に向き変えて山から離れていく。女はタイミングを計り、谷の上からモドキ──黒鳥号へと落ちていった。
 木材や鉄の板を張った平らかな床を転がり高度からの落下による衝撃を緩和する。しばらく転がった後彼女は起き上がり様に何が起きたのか分からないという顔で甲板を見回っていた兵士二人の内一人を押し倒し、鳩尾に拳を打ち付けて気絶させる。ぽかん、と口を開けていた残る一人にも後頭部に回し蹴りを当てて昏倒。
 倒れた二人を物陰に連れ去り身を隠した。息を潜めて時間の経過を待つが、どうやら騒ぎは起こらない。自分の奇襲は誰にも悟られていないと安心し、女は男たちの襟首を掴んだ手を離して場所を移動する。今更だが、自分のいる場所が怪鳥の背中では無いと知りどんな構造なのか分からず戸惑い始める。
 とりあえず、目に入ったドアを開けて中に入り込めば妙な管が壁中を這っている薄気味悪い光景。触ってみると生き物ではないようだが、あまりに見慣れないそれに女は頭を回した。
 それでも、このままでいる訳にもいくまいと足を一歩踏み出すと天井からビーッ! ビーッ! という身を縮こまらせるような音が鳴り始め驚きの余り天井を突き破って身を隠してしまう。狭く暗い空間を縦横無尽に彷徨い這う彼女は勢い込んで乗り込んだ事をちょっとだけ後悔した。


「うう……キーノ……うう……」


 誇りっぽくて、暗くて、汚くて。そんな空間を一人這っている事に寂しさを感じたエイラは心細さから今は遠く離れている自分の想い人の名前を呟いた……












「ほら、しっかりしてよカエル。だから窓の外は見ないでって言ったでしょ?」


 部屋の隅に設置してある簡易トイレに顔を突っ込み吐いているカエルの背中を擦ってあげる。止せばいいのに、カエルったら窓から外の光景を覗いちゃって、私たちが今どこにいるのか知った瞬間からこのざまだ。
 カエルが言うには一定の高さを超えるとこうなるらしい。「クロノがいる時は同じ男として我慢していたが、すまん……」とのこと。それ、何デレって言うのかな?
 ダルトンの手によって気絶させられた私たちは目を覚ました時には小さな部屋の中に押し込まれていた。簡易ベッドが一つとプライバシー無視の剥き出しのトイレ。手を洗う所も無いここは閉じ込めるという目的の為に作られたものだと分かる。申し訳程度に花瓶に花が入れられているが、残念な事にその花は枯れている。花びらを触ればパリパリと砕けてしまった。
 扉の前には見張りが一人。彼が言うにはある程度経てば出してやるから大人しくしていろとの事。信じられる訳が無い。しかし……


「武器も防具もアイテムも、おまけにお金まで無いんだよね……」


 武器防具道具は脱走させないためという御題目として分からなくは無いが、何故お金まで奪うのか。私は追いはぎにあったような気分になり落ち込んだ。かろうじて服は残してくれているからまだ爆発しないですんでいるが。まあ、カエルは衣服が防具みたいなものだったからほとんど半裸だけど。蛙に戻っていて良かったねと言うとなんだか微妙な顔をされた。自分でもそう思ってしまうのが悲しい所なんだろうな。
 止めが、私たちの手に付けられている魔法の腕輪。装着している人間の魔力を封印するという、魔法王国ジールで開発された犯罪者専用脱走防止のアイテムらしい。確かに魔力を使えるのが一般的なあの国ならこんな魔法アイテムが開発されていても不思議は無いか。
 ぎりぎりと腕輪を外そうと力を込めても魔力がかかっているのか外れないし傷一つつかない。一応それはカエルにも付けられているが、そんなことしなくても彼女はここにいるだけで無力化されてしまうのだから無駄な事だと思うなあ。


「ま……マール。そこのティッシュを取ってくれ……」


「もう無いよ……さっき渡したので全部空」


「……そうか……うう……それなら仕方ない。ちょっとマールの服を貸してくれないか? すぐに返す」


「……絶対嫌だよ。何言ってるのカエル」


 まさか口に付いた嘔吐物を拭く為に服を貸せと言われるとは思っていなかった。「いいじゃないか、俺はほとんど服が残っていないんだから上だけでも貸してくれ」とさらに突っ込んでお願いされた時はどうしようかと思った。殴り倒して気絶させたほうがお互いにとって建設的なんじゃないかな?
 口を洗う為の水道も無ければ紙も無い。いっそ便器に顔をつけて洗い流せばいいじゃないかと思ったけれど、自分でもあんまりな考えだと思ったので言わないでおく。自分の仲間が便器から流れる水で顔を洗っている姿なんて絶対に見たくない。そこまでされるくらいなら服の一部を切り取って渡したほうがずっとマシだ。


「……使え」


 困り果てていると、扉に付いた小さな窓から見張りの人が紙を渡してくれた。ついでに臭い消しも。良かった、この酸っぱい臭いに辟易していたところでこれは助かる。ありがたく受け取りスプレーを振り撒く。カエルはごしごしと口を拭いた後なせだかちょっとだけ寂しそうだった。もしかして、これ見よがしに臭い消しを使った事で傷ついちゃったかな? それなら申し訳ないけど……


「ごめんねカエル。でも臭いでまた吐きたくなったら嫌でしょ?」


「違うマールそうじゃない。俺は臭い消しがどうとかそういうことではなく……その……」


 そう言ってカエルは私の体……というか、服を見た。
 ……まさか、私の服で口を拭きたかったとかそういう変態的な考えだったんだろうか? そういえばカエルは中世の王妃に偏執的な愛を持っていたんだっけ? 顔の似ている私に同じような愛を抱きだしたとか、そういうあれかもしれない。となると今すぐ私はカエルを滅さなくてはならない。通常時なら敵わなくても、今の弱ったカエルなら勝機はある。閉じ込められた部屋というシチュエージョンに酔ったのかな? どうしたって私の決意は変わらないが。
 私の殺意を孕んだ眼差しを受けてカエルは「勘違いするな」と断じた。


「ただ、俺だけ半裸なのにマールはちゃんと服を着ている。理不尽だから上か下か脱いでもらって対等になりたかっただけだ。勘違いするな」


 二回言っても答えは同じ、ふざけるなだ。何で私がカエルに付き合って半裸にならなくてはならないのか……まあ、私が思った展開じゃなくて本当に良かったけど。
 そもそも、今のカエルはその名の通り蛙なんだから別に裸でも構わないと思う。私は乙女なのだ。お父様と婆や、サラさん以外に晒した事が無い肌を何故ここで見せなくてはいけないのか。外には見張りの男の人もいるというのに。


「……そこの蛙に一票」


「見張りさんは黙っててくれる!?」


「……すまん」


 ちょっと素直だったので目を瞑るけど、かなりイラッと来た。男の人って皆似たようなものなんだなあと思った。
 ……ていうか、対等とかなんとか言ってるけどカエルちょっと恥ずかしいのかな? 蛙の姿になっても心は女ということか。口では「俺は男俺は男」と男男詐欺を口にするが実際のところかなり乙女チックな性格なんじゃないかと最近の私は睨んでいる。ロボの次くらいかもしれない。
 体を揺らしながら少しでも肌の露出を無くそうと頑張るカエルの姿は女性時なら大層可愛らしいものだったんだろうなと思う。いかんせん今はまんま蛙の姿なので大層気味の悪いものなんだが。両生類特有の求愛行動だと言われれば頭から納得しそうだ。 
 今はこれで我慢してね、とベッドの上にある薄いシーツを投げた。心許ないだろうが、無いよりはマシだろう。カエルはそれを体に巻きつけて「こんなものだろうか?」と聞いてくる。私は親指を立ててばっちり、と返した。頼りないお姉さんを持ったような気分がちょっとこそばゆい。それ以上に情けないなあという幻滅に近いそれが確固として存在するのだが。


「さて……これからどうしようカエル」


 黒鳥号に乗せられる前に全く同じことを聞いたが、今度は状況が違う。完全に閉じ込められているのだ。いつかは出してやると言われてもそれを鵜呑みにするほど愚かではない。脱出するべきなのは分かっているが……その方法がまるで思いつかない。先行きの不安から細い声でカエルに聞くと、今までに無いくらい頼もしい笑みを浮かべたカエルはすっ、と上に指を向けた。視線を上げるとそこには未来の工場にもあった……確かダクトと言ったか? 今は喧嘩して話も出来ないルッカから聞いた話では室内の気温を下げたり上げたり、また空気を入れ替えたりする為の空気の通路……だったかな?
 それがどうしたの? と聞き返す前にカエルは見張りの人に聞こえないよう私に顔を近づけて「あそこから部屋の外に出よう」と提案した。なるほど、換気にも使われているなら部屋の外……または他の部屋に出ることも可能なはず。流石、戦いという戦いを潜り抜けただけのことはあってカエルはこんな状況でも打開策を思いついてくれる。


「じゃあ、私が先に行くね」


 ダクトの蓋はネジが緩くなっており簡単に取り外す事ができた。閉じ込めている人間が女性ということもあり見張りが度々部屋を覗かないので、監視が甘いのも救いだ。私は焦る必要も無くすんなりとダクト内に体を滑らせた。
 それに続いてカエルは軽く跳躍して部屋を出る。気付かれないうちに部屋を出ようと私は狭いダクトを這い出した……が、何故かカエルが動かない。


「どうしたの?」


「いや……シーツがダクトの蓋に絡まって……その……」見れば確かにカエルの体を巻く長いシーツが引っかかっている。ぶっきらぼうに無理やり取ろうとしているせいでどんどん強く締まっていき一人では抜けそうに無かった。


「もう、何やってるの。私が取ってあげ……」


 と、私がシーツを外そうと動いた瞬間甘い締め付けだったダクトの蓋が盛大な音を立てて床に落ちて…………






「……何か言うことはある? カエル」


「…………マールが、上か下かの服を俺に貸してくれれば恐らくこの事態は避けられただろう。反省しろ」


「私が悪いの? え、私が悪いの?」


 当然の事に見張りの人がその音に気付き私たちは逃げる間も無くまた捕まってしまった。というのも落ちたダクトに引き寄せられたカエルがすとーん、と部屋に戻ったことで私もそれに釣られたのだ。落下の瞬間藁を掴むように私の腕を取ったカエルが実に憎らしい。私はカエルを心の中でも褒める事はしないと誓った。ゴムみたいに反動でマイナス方面にぶっちぎるんだから。
 ともあれ私たちはまた振り出しに戻る事となる。今度は天井のダクトの蓋はきつく閉め直されるどころか魔法で溶接さえされてしまい到底腕力だけで取ることは不可能。もう、カエルはずっとトイレで吐いてればいいのにな。


「…………そこの蛙に一票」


「がるるるるっっ!!!」


「……すまん。出過ぎた真似だったか」


 言葉にもならない声で吠えた私に小さく謝罪をする見張りの男。誰が何と言おうと私はカエルに服を貸す気なんか無い。最悪今この場でカエルが女性体に戻れば考えないでも無いが……止めよう、なんだかこういうかもしれない思考は本当に起こりそうで怖い。
 いよいよやる事のなくなった私たちは力無く座り込み、ぼーっと吊り下げられている電灯を見ていた。
 ……今頃、ルッカはまだ泣いてるのかな……やっぱり言い過ぎたよね、私。
 ……謝ったほうが良い、のかな。


「止めておけ、今話したところでルッカは聞いてはくれん。まともに会話すら成り立たんだろう」


「……人の心読むのって、どうかと思うよ」


「お前たちは総じて分かり易い。ロボの方が隠せているかもしれんぞ」


 それは無いよ、と言おうとして止めた。お前は考えている事が顔に出やすいとお父様にも言われたことがあるから。


「そもそも……通信機も取られた今の状態でどうやって時の最果てに行くのだ?」


「あっ、そっか……となると……本当にやることないね」


「諦めるな、必ず道はある」


 その道の一つを潰したのは誰なのかと聞けばどうせ「お前だ」と返すんだろうな……私悪くないもん、絶対。
 その後も私は積極的にカエルに様々な脱出方法を立案したが、どれもこれも現実的ではないとかたずけられて、終いには自分でも無理があるだろうと思うような突飛なアイデアを話していた。外の見張りさんに聞こえているのは間違いないだろう声量で喋っていたことに後から気付き私は意気消沈する。どの道、実現不可能な方法ばかりだったので支障は無いんだけどね。はあ……


「まあその……落ち込むなよお嬢さん」


「ありがとう……見張りの人、悪いんだけど、飲み水でもあればもらえる?」


「……悪いが我慢してくれ。水を渡すとなれば扉を開けねばならん。前例もあるお前らにそれはできん」


 だよね……と返して私は水分を欲する喉の渇きを自分の唾で潤すことにする。当然、満足感は得られない。正直脱走しようという裏心があったのでそれを見透かされたように感じ我侭を言う気にもなれなかった。
 ……いやいや、さっきは気にしなかったけど何で私は見張りの人に励まされてるんだろう? 前から思ってたけど、随分と優しい人だなぁ、ここの人は。ジールで見かけた仮面の兵士たちとは間逆よね。これなら、色々聞き出せるかもしれない。何だかこの人の優しさを利用するみたいで心苦しいけど、そんな事言ってられないもの。


「ねえ見張りの人。ダルトンさんは何で私たちをここへ運んできたの? シルバードを奪うだけなら、わざわざ私たちをここに連れてくる必要は無いじゃない?」私は出来るだけの猫撫で声を扉の外に送り込んだ。カエルが「おお……寒い寒い」と肌を擦り合わせているのは何かしらの他意があると見て間違い無い。僅かに残っている衣服を剥ぎ取ってトイレに流してやろうかと思った。


「……そもそも、奪ったという表現も正しくないよ。君たちをここに連れてきたのは……ごめん。それはダルトン様から聞いてくれ。俺の口から言って良いことじゃない」


「……そう。ありがとう」


 何故もっと聞き出さない? と言外に目で伝えてくるカエルに親指を逆さに立てて黙れのアピール。人を馬鹿にしておいて責め立てるとは中々良い度胸だよ、本当。これ以上聞いてもこの人は絶対に教えてくれない。口振りからダルトンへの尊敬が分かり易く見え隠れしてたから、情報を漏らすことはしないだろう。
 でも、何も分からなかったわけじゃない。一つはダルトンが悪意だけで私たちを連れ去ったのではなく何かしらの理由があったということ。そしてそれは必ずしも私たちを害するだけのものではないという事。これだけ分かれば私たちのするべきことは一つ。ただ時間が過ぎるのを待つのみ。


「おいマール。それはあまりに保守的じゃないか?」


「しょうがないよ、いつかは出してくれるって言葉を信じて今は休もう? カエルもまだ本調子じゃないでしょ? ……ていうか、ここにいるだけでどんどん調子が悪くなりそうだけど……大丈夫なの?」


「もう胃には何も残って無い。吐くものが無ければ吐き気は治まらずとも吐くことは無いのだ」


 悟りを開いたように清々しくやつれた顔で言い放つカエルの背後に気のせいか後光が射しているように見える。気のせいだけど。
 私はベッドに思い切り飛び込んでカエルに「私が使って良い?」と聞いた。それに答える事無くカエルはぷらぷらと手を振りそれを許可と取る。硬い枕を抱きしめて顔を埋め両足を伸ばした。良く考えればしばらく振りだ、こうしてベッドに横になるのは。中世のカエルの家が最後かもしれない。後は古代のテントで雑魚寝か、時の最果ての冷たい床で体を丸めた事しかない。カエルの家のような藁ではなく布団が敷いてある寝床はお城からここまで無かったなあ……父上は元気だろうか? 後味の悪い喧嘩別れのまま家を飛び出したことが今になって心を重くする。後悔はしてないけどね。クロノが処刑されるなんて私は許せない……


「……うーーー!!!」


 思い出すだけで胸が痛くなる事柄が頭を通過して私は緩む涙腺を抑えるべく強く顔に枕を押し付け、布を噛んだ。泣くな、今泣けばきっと彼は辛くなる。彼が言ってたじゃないか。死んだ人の為にも笑えと。笑えば亡くなった人は悲しまないと。泣いてばかりいると困らせると。まだ私はクロノを頼るつもりなのか? なんて意地汚い。
 心の中で冷静な私がしまったなあ、と頭を抱えてしまう。下らない会話でもカエルともう少し話しておくべきだった。誰かと言葉を交わしている間は少なくとも悲しみに目を向けることは無かったから。それが逃げでも、こんなところで涙を堪えるよりは精神衛生上ずっとマシだもん。
 もしかしたら、私の呻きが泣き声と取られるかもしれないと誤魔化す意味で私は足をばたばたと布団に叩きつけた。ちょっとした暴力で溜まったものを霧散させようという目論見も多分にある。さして効果は無かったけど。
 それも疲れて……私はそのまま黙り込む。大丈夫、聞かれないよ。こうして枕を噛みしめてれば外に声は漏れない。
 ……割り切ったつもりだったけど、やっぱり無理かあ。まだまだ引き摺っちゃうよ、こんなの。初めてできた友達だったんだよ? 初めて遊んだ人だったんだよ? 無理だよ……どうやってクロノは恐竜人たちの事を乗り切ったんだろ? 教えてよ……ねえ?
 もう一度カエルと馬鹿らしい話を始めようと思っても声が震えない自信が無い。カエルだって辛いんだ。そこに私が嘆きをぶつけても困るだけだろう。それだけはしちゃいけない、それをしてしまえば、私がルッカを怒った理由が棚上げしたものになってしまう。
 ──そうだよ。私がルッカを怒ったのは正にそれ。彼女は、まるで悲しんでるのは自分だけだと叫んでいるようだった。一番辛いのが彼女だというのは認める。付き合っている年数が違うし、彼女がクロノを愛していたのも知ってる。落ち込むのは当然、泣くのも仕方ない。でも逃げるのは駄目だよ、クロノはルッカたちを庇って……いや、自惚れじゃなければ彼は私たちの誰でも助けてくれただろう。彼は仲間と認めた人なら誰彼構わず助けてしまうような人だから。口ではどう言おうとも、彼が助けを拒んだことは無いから。ゼナンでも、彼は自分の考え方に逆らってまで私たちを助けに来てくれたもの。
 彼は私たちの為に散った。ルッカだけの悲しみじゃないんだ、私たちにも平等に降り注いだ悲劇を何で一身に浴びたみたいな顔をするの? 私だって辛いよ? 悲しいし泣きたいよ? クロノに会いたいよ!


「……やはりまだ辛いか」


「……?」


 カエルの声が近いなと不思議に思っていると頭の上に暖かなぬくもりが降ってきた。それは優しく私の髪を梳いて、落ち着かせてくれる。
 子供扱いしないでよね、と不満を漏らそうと思って……私は起き上がれなかった。それがあんまりにも心地よくて……安心するから。まるで母上にあやされてるみたいで……


「すまんな。もう少し話を続けるべきだった。まだまだ俺も人間が出来て無い」


「……もしかして、さっきまでのわざと?」


 引きつる声をむりやり絞り出して……まさかと思ったけど聞いてみる。カエルは「さあな」と短くはっきりと返した。嘘だあ、と茶化す力は今の私には無い。
 ……正直ダクトの一件は本気だったと思うけど……そっか、カエル私のこと気遣ってくれたんだ。


「……私、カエルのこと嫌いじゃないよ」


「そうか。俺はマールが好きだ。頑張ってるからな」


 ……同じ女性と分かっていても、今のはちょっときた。危ない危ない、私はこの年でそんな危ない道を渡る気は無いもん……
 あっさりと凄い事を言うカエルは、男の人なら女タラシになっただろうな、と彼女にとって名誉なのか不名誉なのか分からない事を思った。
 タラシは言いすぎかな、とちょっと反省して、体を起こす。いい加減に頭を撫でられている事に恥ずかしさを感じ始めたからだ。枕を持ち上げて顔を少し隠しておく。目が赤いことを悟られたくないし……意味があるのかどうか微妙だけど。
 ベッドに腰掛けているカエルと目が合うと、なんだか面白くなってきた。酷い話だけど、大きな蛙と対面して涙ぐんでいる自分がおかしくなってきた。難しく言うなら、滑稽というやつだ。笑ってしまいそうな口に力を入れて抑える。顔にまで出すと失礼にも程がある。そんな風に自分でも分かりづらい私の妙なツボと戦っていると、「騒がしくなってきたな」とカエルが扉に目を向けた。


「ふえ? 何かあったのかな?」


「さあて、もしかしたらダルトンがここに来るのかもしれんな」


 ようやく動きがあるか、と笑みを滲ませながらカエルがすっくと立ち上がる。その際に私の顔をさらりと眺めてきた辺り、もう大丈夫なのか、と言外に聞いているのだろう。私は一つ頷いて弾力の無いベッドから跳び下りた。なんだか体が軽くなったみたい。誰かに慰められたという事実だけでこんなに気持ちが軽くなるのか。
 ……私も、ルッカの事を慰めてあげれば、もっと優しい会話が出来たかもしれない。よし、ここを出た時には一度だけ彼女に謝ろう。あくまでも、一度だけ。
 目的が出来たとなれば、このままこうしているわけにもいかない。もう一度見張りの人と話がしたいと思った私は扉に近づき声を掛けた。話が出来ても出してくれる訳はないだろうけど、どんな事でもいいからここの情報を知りたい。いつまでもカエルの優しさに甘えているのはごめんだ。私は私で出来ることを始めなくては。


「あの、見張りさん?」


 扉の隔たりを越えて聞こえる様に心持ち大きな声で話しかけた。帰ってくるのは慌しい足音と何かがぶつかり合う物音。喧嘩でもしてるのか、誰かの怒声が耳に入る。何だろ? 私たちに優しく接し過ぎたから誰かに怒られてるのかな? あの人。だったら嫌だなあ……わざわざ話しかけるのも申し訳ないかな……


「後にしたほうが良いかもしれないね」


「そんな事を言ってたらタイミングを逃すぞ。そもそも喧嘩かどうかも分からん。もう少し声を掛けてみたらどうだ?」


 自分でも無意識にカエルにどうすればいいか確認を取っている自分が恨めしい。自分で出来ることを、と決めておきながらこれだ。舌の根も乾かぬうちに、とはこのことだろう。結局、私はカエルの言うことに従っちゃうんだけどさ。


「あのー!」


 今度は怒鳴るような声音を見張りの人に投げると、それに反応したのは人間ではなく無機質な扉だった。私の目の前でずん、と立ち塞がっていた扉は体感的にはゆっくりと、客観的にはとてつもないスピードで倒れてきた。勿論、反射神経には自信がある私でも避けれるものか避けられないものか。避けられるはずないじゃない。昔父上に「マールディアは綺麗な鼻立ちをしているな」と褒めてもらった事もある私の鼻がぐき、と嫌な方向に潰されていくのを感じながら私は白昼堂々扉に押し倒された。悲鳴よりも苦痛の呻きが口を出る。


「み、皆! 大丈夫か!?」


 そのたどたどしくも高く通る声には聞き覚えがある。私は自分でも驚くくらい顔をしかませてその主を睨んだ。良かった、私の魔法が封じられていなければ多分、その女性にアイスをふんだんなくぶち当てていただろう。いや、本当に。
 私が扉から這い出てきたのを目にしたその女性は目を見開いた後がたがたと震え出した。嫌だなあ、女の子の顔を見て震えるなんて失礼だぞー、大丈夫だよ怒って無いよ絶対私鼻の骨折れたけど女の子がしていい顔じゃないしだくだくと鼻血が流れ出てても全然怒ってないからちょっと顔貸して。二目と見れないものにするだけだから。


「落ち着けマール。世の中顔じゃない……ふふっ」


 ──我慢しようとしたのは認めるよカエル。でも最後の最後で噴出したら全部台無しだよね? もう本当、女性体に戻った時色んな意味で啼かせてあげるからね。


「ごめん、マール……エイラ……うあ、うう……」


 私は可哀想なくらいみるみる涙を溜めていく彼女に肩をすくませて、「もういいよ。助けに来てくれて、ありがとう」と肩を叩いた。ぎこちないながらもエイラはゆっくりと固まった顔をほぐしていく。まだ引きつってるのは私の顔が下半分血塗れだからだろう。見た目以上に痛いので、ようやく止まった涙が痛みでまた出てきた。
 このままでは痛みで本格的に泣きそうだったのでエイラに頼んで腕輪を壊してもらうことに。エイラはとんでもない怪力で鉄より硬い金属の輪を引きちぎり床に落とす。礼を言う前に私は自分の顔にケアルを連発。万一にでもおかしな形で固定してはいけないので酷く神経を使った。
 数分後、元の形に戻っているかカエルとエイラに聞いてみるとエイラは「その……血だらけで分からない」と言いながら自分の服で私の顔を拭ってくれる。汚いよ? と止めれば「エイラのせいだから」と一生懸命な顔でせっせと腕を動かした。かたやカエルは「なんというか、壮絶だな女性の鼻血とは」と見当違いのコメント。何故加害者はエイラなのに憎いのはカエルなのか。人間って不思議だなー。
 ぺちぺちとカエルの頭をはたいてから私は部屋の外に出た。左右に伸びる通路には死屍累々と兵士たちの倒れた姿。見ただけで八人の兵士が気絶している。いつ見てもエイラは強い、原始を出てから結構な時間が経ち、私も色々な戦いを経験してきたけど、彼女に勝てる気が全くしないのは戦闘経験が私の比では無いからだろう。魔力を使っても相打ちは無理っぽい。


「そういえばエイラ。キーノの怪我は良くなったの?」


「キーノ、元気! だからエイラ、来た。遅くなった、ごめん」


「気にしないで。お陰で私たち助かったんだから!」


 私が元気付けてもエイラはまだ落ち込んでいた。まだ私の鼻の事を気にしているのだろうか? ……確かに痛かったけどさ、もう治ったんだし、部屋から出してくれた時点で十分だと思う。
 もう痛くないよ、と自分の鼻を触ってみせると、そうではないと顔を振って「クロ……」と悲しげに呟いた。
 そっか……時の最果てを通った時にお爺さんから聞いたのかな? エイラは黙っていると綺麗な顔にうっすらと涙を流していた。何故だか、私は彼を思って泣いてくれる彼女を……不謹慎だけど、とても嬉しく感じてしまった。
 ねえ、見てるクロノ? 貴方の為に泣いてくれる人がこんなにいるんだよ?


「行くぞ、この騒ぎでまた兵士たちが集まられてはたまらん。早くシルバードを見つけねば」


 気分が悪いとは思えないくらい素早くカエルが駆け出した。落ちていく思考を振り払うべく、私もそれに続き足を前に出した。





 黒鳥号(カエルから名称を聞いた)の中を走り回って、武器と防具、アイテムを取り返すことに成功した。お金だけ見つからなかった事に苛々したものの、元々少なかったので諦めて私たちは様々な部屋を訪れた……が、どうしてもダルトン含めてシルバードが見つからない。鍵の掛かった扉も全てエイラが蹴り壊したので見ていない部屋は無いはず。
 もしかしたら、ダクトを通ってじゃないと辿り付けないのでは? とカエルが提案したが、あのエイラがそれだけは嫌だと駄々を捏ねた。暗くて狭い所は苦手なのだという。鼠も。大人しいエイラが断るという事はよっぽどだろうとカエルは意見を引っ込めて、他の場所を探そうという結論に。まさかそれが自分の首を絞めるとは思って無かっただろうなあ。
 ……そう。今まで私たちは大概の部屋を開けて来た。黒鳥号内で探していない場所は無い。残る場所は黒鳥号の中ではなく、外と言うにも微妙な甲板部分。デッキとも言う。遠慮なく横風が吹いて空も地上も見渡せる高所恐怖症の人には悪夢のような場所。


「じゃあ行くよカエル。ほら」


 甲板へと繋がる扉を開けて、その先の景色を見た瞬間カエルは何処から出したのか分からないような悲鳴を上げてバックステップで八メートルは後ろに跳んだ。充分な距離を稼いだ瞬間後ろを向いて全力で私たちから逃げ出していく。私は隣でほけっ、としているエイラに聞こえやすいようはっきりと「エイラ、君に決めた」と命令する。膝を曲げて獣独特の走行でカエルの前に回りこみ腕を握って私の前まで引き摺ってくる。


「駄目だよカエル。怖くたって我慢しないと先には進めないよ。ファイトだよファイト」


「マール! お前は熱いのが苦手だからといってマグマに飛び込むのか!」


「限度があるよ」


「俺にも明確な線引きがある!」


 ええい煩わしい。エイラに掴まれている手と逆の手を握り私は歯医者に行くのを嫌がる子供を連れて行くみたいにカエルを甲板に連れ出した。ちょっと、気分が良かった。
 甲板には予想が出来たが強風が顔を打ってくる。いつもよりも断然に近い空が広がっていて、恐ろしい事に手すりが無い。その事実に気が付いたカエルが泡を吹いた。無理も無い、これは私も怖い。正直戻りたいくらいに。
 溢れ出す恐怖心を押し隠して私とエイラは気絶しているカエルを連れて甲板の上を見て回る。軋んだ音を立てながら廻る歯車や油の臭いがする大きな筒。細く長い棒の先に大きな布がはためいている様は絵本で見た海賊船みたいだった。ついでに言えば、船体の色が薄緑で統率されているのは目に悪いと思う。ここで言っても詮無いけどね。


「……もう嫌だ。もう嫌だ。もう嫌だ。助けてサイラス……」


「ぐずらないのカエル。ほらもうちょっとだから、ね?」何がもう少しなのか分からないが取りあえず目覚めた瞬間蹲るカエルの背中を前から抱きしめてぽんぽんと叩いてあげる。なんていうか、縦横無尽だなあカエルって。
 小さい子がするように私の体に抱きついて離れない見た目蛙の精神年齢三十弱の女性。このままでは歩く事すらままならないと考えた私はエイラにカエルを運んでもらう事に。子持ちの気分ってこんなのかな。私が娘を産んだとして、大人になってもこんな娘だったら嫌だなあ。駄目な子ほど可愛いらしいけど、それこそ明確な線引きがあると思う。
 小さい頃は虐められっこだったというカエル。その頃の気持ちが蘇ったのかな、幼児逆行だかなんだか。どうでもいい事だけど、カエルを抱っこしてるエイラの様になること。彼女は疑う余地無く良いお母さんになると思う。それ以上に抱きかかえられているカエルの様にならないこと。女性体のカエルを返して欲しいな、そしたら見てるだけで眼福だと思うの。
 カエルのことをエイラに任せて私は一人歩き出す。怖いもの見たさ、という考えから頑張って甲板の端に進み地上を見る。そこには広大な世界が広がっていた。ジール大陸でもそうだったけど、あそこは高すぎて地上の様子が良く見えなかった。その点黒鳥号から見下ろす景色は程ほどに高く、何よりも景色が動いていくのが壮観だった。慣れてみると、この強い風も高さも気持ちが良い。四つんばいになりながら地上を見ていたけど、体を起こして立ってみる。全身に吹きつく風も不安定な位置に立つ緊張感も悪くない。未来でのバイクからしても、私は案外に怖さが麻痺しやすい人間なのかもしれないな。


「……はあー。うん、冷たい空気も美味しいかも。ちょっと、息苦しいけど……」


 酸素が薄いのかな? でもここまで高ければ苦しいより圧倒感が前に出る。ここで体操でもしたいくらいだ。
 ……ここからならアルゲティのあった場所が見える。あんまり外を歩いてないから知らなかったけど、この大陸も凄く大きいんだなあ、私たちの世界とあんまり変わらない。見回ってない分小さく感じていただけのようだ。
 ああ、海の近くで白い鳥が群れになって移動してる。豆粒みたいに小さなそれがとっても可愛い。海の渦巻きや潮が見渡せてなんだか面白いな、あのちょっと大きな銀色の鳥なんかとんでもない速さで空を駆けていて、あっ! あの凍った湖を歩いてるのってまさかペンギン!? あーん、もっと近づいてくれないかな! 近くで見たいよ。


「……いやいや、ペンギンじゃなくて」


 銀色の鳥? なにそれ、ていうか私その銀色の鳥を知ってるような……物凄く間近で見たことがある、いやそれ以前に乗った事があるような……
 もう一度その銀色の鳥を眺めてみると……それはもしかしなくても……


「シルバードが……飛んでる?」


 私は自分で見た光景が信じられず言葉にしてみた。遠目からにも光が反射しているそれは銀の胴体に金色の翼を付けて滑空している。優雅に一回転なんかして、鳥の群れと戯れている……シルバード。
 時を跳ぶだけでは飽き足らず、空まで飛ぶなんてお茶目さん……じゃなくて!!


「ちょ、ちょっと来てエイラ!」


 慌てている私を訝しげに見ながらエイラが私に走り寄ってくる。


「どうしたマール? ……トイレか?」


「あっ、そういえばちょっと行きたいかも……あー! 違うよ! あれ見てあれ!」


 言われて下を覗きこむエイラは、私と同じように空を翔けるシルバードの姿に驚き詰まった声を上げた。


「ね! どうしようあれ……何とか取り戻さないと!」


「う……うん。マール。でも……その前に、取り戻すもの、できた……」


「? お金の事? もう仕方ないよ、あれだけ探しても見つからなかったんだから、諦めよ?」


「そ、そうじゃなくて……ごめん」


 指を下の空に向けたので、私はひょい、と覗き込んだ。特に何も変わらない空。美しい曲線と体を散らばらせながら浮遊している白い雲に、遥か遠い私たちが息づいていく上で必要な力強い地上。丁度その中間に息づいている緑の……緑の……見なかったことにしよう。吐き気がするような奇怪な動きをする雲に、汚い物でも綺麗な物でも何でも吸い込む貪欲な地上。その間には弱弱しい命の灯火を絶やさんとする緑の……カエル。


「エイラ……まさか、さっき驚いた拍子に落としちゃった……?」


 彼女は、申し訳無さそうにこくりと可愛く頭を落とした。
 ……可愛くないよ。やっぱり。何とかは我が子を千尋の谷に突き落とすって言うけど……エイラは良い母にはなれないみたいだ。


「か……カエルーー!!!」


 こんな散り様ではカエルのことで涙する事もできそうにない。実行犯が仲間だなんて笑えない。私は何を考える事も出来ず空へと身を投げ出した。もしかしたら、この高さでも私のアイスで衝撃を緩和……出来るわけ無いけど、このまま見ているなんて出来ない!!
 空を泳ぐように掻き分けてカエルを追う。重力は加速せずなるがままに落ちていくのみで、下からの風がみるみると地上に消えていくカエルに追いつくことさえ許さない。
 隣には私と同じようにカエルを追って飛び降りたエイラの姿。彼女もまた必死の形相で体を動かすも効果は得られず私たちとカエルの間には一定の間隔が続いている。いっそ手から氷を作り出してカエルを引っ張り上げられないか考えて……いくらなんでも百メートル前後の氷を作るなんて芸当が出来るはずも無い。
 自分でも慌てているのは分かっている。けれど、いくら考えても良い方法は見つからず徐々に近づく地上に急かされている今、落ち着くなんて言葉すら浮かび難い。


「エイラ! こう、竜巻を出す技あったよね? あれでなんとかカエルを浮かび上げたり出来ない!?」


「足、踏み場無い! 今、出来ない……」返ってきたのは悲しげな否定の言葉だった。何度も振り出しに戻らされる現状に焦燥というよりも絶望的なそれを感じ始める。


「待って! あれって……シルバード!?」私はカエルの真下に現れた物体に驚き声を上げた。


 そこまでに切迫した状況からカエルを救ってくれたのは……金の両翼を持つ銀の鳥、シルバード。掬い上げるように機体を反転させてカエルだけでなく落ちていく私たちの体もまたシルバードの上に乗せてくれた。足に来る衝撃は並々ならないものだったけど、捻挫やくねる、ということも無く半ば以上気を失っているカエルの体を揺らす。
 いくら声を掛けても「あーあー、あー……」と壊れたオルゴールのように同じ言葉を流し続ける彼女は生気の無い瞳をふるふると揺らしていた。だらりとこぼれた長い舌がシルバードの機体に垂れている。シルバードに乗った際に怪我は無かったことが幸いだった。
 ……しかしながら、これはどうしたことか。恐らく今シルバードを操縦しているのはダルトン一味の人間に違いない。脱走している私たちを助けるとは……そもそも私たちは助けてくれた人間に感謝すべきなのだろうか? 「私たちから奪ったもので私たちを助けてくれてありがとう!」とでも言うのか? 色々順番がおかしい。


「ま、マール。とにかく、中、入ろう」


 今もまだ飛び続けているシルバードの上に立っているのは酷く足場が悪く今にも落ちそうだった。ただでさえ楕円形の丸みを帯びた形状なのに、浴びる風が強すぎて体を持っていかれそうだった。このままここにいてはカエルの精神が抱懐どころか塵芥へと変貌しそうだ。
 シルバードのコックピットに乗り込もうと私は座席を覆うカバーを拳で二回叩いた。開け方が分からなかったのか少々戸惑った雰囲気が感じられたが、ゆっくりとカバーが外されていき操縦者はその顔を私たちに見せてくれた。


「……お前ら、世を儚んで自殺するにはまだ若いだろう……」


 予想通りというか、なんというか、シルバードのコックピットに乗っていたのはダルトン一人。彼は気の毒そうな顔で私たちを諫めるような、はたまた呆れたような声を出した。
 ダルトンの顔が見えた瞬間、今まで魂が抜けたように動かなかったカエルが飛び起きて半分以上(七、八分)泣きながら強い声を上げた。


「だだだダルトン貴様よくも俺たちのシルバードを奪った挙句改造しやがったな許さんぞしかし今この瞬間に俺に求愛するならかなり悩むくらい感謝しているありがとう本当にありがとう!!」


 息継ぎ無しに長々と恨み言兼感謝を羅列してカエルは有無を言わさずコックピット内に飛び込んだ。獣の如し、と表現するに問題ない凄まじいスピードだった。最初ダルトンは嫌がって「俺の話を聞け!!」と声高に主張していたがあまりのカエルの怖がりように諦めたか渋々と助手席の位置を譲ってあげていた。なんだかんだで女性に優しい辺り、私は似てるなあ、としみじみ思ってしまった。


「何はともあれ、良かったよ。さあ私たちも入れてー」


 半ばしゃがみながらのそのそとダルトンの座る座席へと近づいていく。エイラもそれに続きコックピット内に足を入れようとしたのだが……遮るダルトンの手により叶わぬものとなる。ちょっと、寒いし怖いし危ないしで、そんな意地悪本気で鬱陶しいよ?


「何を勘違いしている貴様ら。俺は自殺を許さんだけで貴様らを助けたい気は全く無い。どの道戦うつもりだったのだ、今この場で決着をつけてやろう」


 もしかして、それは彼なりのユニーク溢れる冗談なのだろうか? 隣で蹲って吐き気を堪えているカエルの姿と相まってとても真剣には思えない。何より、戦うにしろこのように不安定かつ恐怖心を煽る舞台で戦闘なんて正気の沙汰では無い。今もシルバードのなだらかなフォルムによって、つるつると足を取られるのだから。戦いは愚か、まともに動けるかどうかも怪しい。何より、私たちと戦うというならまず隣にいるカエルの背中を擦るのは止して欲しいな。凄く仲が良さそうに見える。


「ええい! 貴様ら何を呆けている!? 戦わぬのならこちらから行くぞ! 来いマスターゴーレム!!」


 これっぽっちもやる気を見せない私たちに業腹だったか、ダルトンは構わず右手だけで印を切り始めた。左手はきっちりと操作管を握っている。大気が惑い、いつみても特殊な魔力の渦が形成される。生まれるは黒い空間、頭上に浮かぶ不明瞭な黒い球体からずるずると使い魔の体を発現させていく。
 薄桃色の長い髪を揺らし、際立つ睫毛は美しい。目は横一文字に閉じられている事で尚の事神秘性を高めそれが彼女の特徴となっていた。腰のくびれは艶かしく、陶器のようなバランス。唯一長い耳だけが彼女を人間では無いと証明する部分で、それ以外はなんら人間と違わないダルトンのゴーレム。前に見た薙刀の娘と違う……? 他にもいたんだ、あんなに可愛い子。
 私は複数の使い魔を操れるダルトンのキャパシティは勿論、それでも飽き足らず嫁候補とか言っているバイタリティにも驚いていた。可愛い女の子に美しい女性を従えてまだ満足しないなんて、彼はかなりの大物なんじゃないかとちょっとばかり感動した。


「……と、冗談言ってる場合でも無いんだよね……!」


 私たちの前に降り立ち、優雅な素振りで私たちを見回した後、彼女は軽やかに足を動かしてシルバードの後部座席に乗り込んだ。一部の迷いも見えなかった。


「……何をしているマスターゴーレム?」


 口端を揺らしながら、ダルトンは爆発直前といった様相で己が使い魔に語りかける。マスターゴーレムは至極当然といった面持ちで「御主人様こそ何を戯けた事を。私めは高い所が苦手と知った上での御命令ですか? もしそうなら、反旗を翻さざるを得ませぬ」とのたまった。震えるカエルに同士に向けるような視線を送っているのが私の立場としても苛立たしい。ダルトンからすれば押して知るべし、か。


「あの、ダルトン? 戦うにしろ、一度地上に戻ってからにしたほうが良いんじゃないかな?」


「戯けろ、俺と己らは敵だと何度言わせるのだ! 何より俺がこの場で決着をつけると発言したのだ、それに変わりは無い! ……こうなれば、俺が直々に貴様らに引導を渡してくれる!」


 どちらにせよ、そのつもりだったしな! と怒鳴って、操縦席で複雑な操作を基盤に送り込み、ダルトンは座席を立った。彼がハンドルを離してもシルバードの軌道にブレが無いことから、恐らく自動操縦のようなものに切り替えたのでは、と考える。昔大臣がドラゴン戦車にそんな機能を付けてたなあ、としみじみ思い出した。
 後部座席で飄々と座っているマスターゴーレムに舌打ちをした後、ダルトンは先程のマスターゴーレムと入れ替わるように立ち塞がる。ちょっと落ち込んでるよそこの女の人。


「マール、あいつ、強い! 気をつける!」


「そうだね……エイラは偉いね、この状況でも戦気が挫けないなんて」


 私は気が抜けてしまって、どうもいけない。私たちに敵意を向けるダルトンよりもその後ろの光景が気になって仕方ないのは、重複になるけど仕方ないと思うの。
 ……と、茶化せるのもここまでか。ダルトンは両腕から魔力球を作り私たちに向ける。避けるのは難しい、エイラならともかく、私には空を飛ぶ機体の上で動き回れるほど運動力は無い。出来るならこの場を動かず戦いたいんだけど……それは無茶かな。
 取り返した弓に矢をつがえて、詠唱も早口に済ませる。発射準備は完了、魔術の氷壁で防御後に弓で反撃! ダルトンとて、一足に私の位置まで飛ぶなんて危ない真似はしないだろう。彼だって、この高さで動き回れるほど命知らずじゃ……


「命知らずじゃないと思ったか?」


「……!」


 読まれた? 私の思考を? ……まさか。でももしかしたら……彼ならやるかもしれない。例え数千メートルの高度にいても、相手に飛び込んで肉迫し殴り飛ばす事も可能かもしれない。出会って会話も碌にして無いけど彼がイカレているのは先刻承知。クロノと決闘する為に私たちを逃したような男だ。こと戦いに至っては彼は歪な精神を持っているのだろう。
 分かった。もうここで戦うのは良い。でもやっぱり気になることがある。どう考えてもおかしいから、私は強い逆風の中口を開けた。


「……一つ聞いて良い? もう戦うことに異存は無いから」


 私が声を掛けると、ダルトンは軽く顎を引いて「聞いてやる」と返した。


「今更かもしれないけど……何で私たちと争うの? 貴方と私たちが敵同士……ちょっと無茶だよそれ。少なくとも、命を賭けて戦いあうほどの因縁は無いよね」


 私の問いに彼は「あるとも」と自信を膨らませた声で笑った。


「クロノは……約束を違えた」


「! クロノは……」私が否定を挟む前に、彼はシルバードを踏みつけその音で私を遮る。


「知っている。奴は……死んだのだろう? ここにいないのが、何よりの証拠だ」


 なら、何で笑う? ……彼の死が愉快だとでも言うのか? ……だったら話は早い。私がこいつを叩き落せば良い話だ。
 私の怒りが顔に出ていたのか、ダルトンは「侮蔑しているわけではない」と肩を落として答えた。


「自分でも不器用だと分かっている。奴は……きっとサラを助けようと尽力したのだろうさ。だが……だからとて、それは大変だったなと流せるほど俺は人間が出来ていない」


 一拍置いて、続ける。


「俺は……奴が死んだとて、許すわけにはいかん。それが約束するということだろう。本来ならば……奴にぶつけるべき罰を貴様らに擦り付けているだけのことだ」


「罰……? クロノが悪かったって言いたいの? それが侮蔑じゃなくてなんなの!?」


「悪いのは、俺だ!」


 風を切る音やシルバードの駆動音を超えた声量でダルトンは声を叩きつけた。誰の声も制止も全てを振り払う怒声に私はそれ以上言葉を続ける事ができなかった。


「……分かっているさ。自身は何もせずただ後ろで雑魚の相手をしていただけ……真の敵と相対していたクロノを罵る事など俺には出来ぬ。そうだ、これは八つ当たりだ。何も出来ずにいた、恩人を助けられなかった無様な男の喚きだ!」長い髪を振り回し、悔恨の叫びを轟かせる。私もエイラも、思わず戦闘態勢を解き、立ち尽くしてしまった。


「笑えるじゃないか? 何も出来なかった俺が! 大口を叩いて歩く俺様が! もう戻らぬ時を憂いて当り散らすなど!!」


 ……そうか。彼は、ダルトンは、もしかしたら。
 ……誰かに、慰めて欲しいのかもしれない。あの時のルッカのように、私のように、もしかしたら私を慰めてくれたカエルや、今も膝を抱えているロボと同じように。大切な人を失ったのは、私たちだけじゃない。ダルトンも自分より大切な人を失った一人なんだろうか?
 だけど、彼は不器用だから。直接的な言葉での慰めを受け取る事が出来ないのかな、誰かに頭を撫でられるような子供では無いし、諭されて頷くほど素直でも無い大人の男だから。
 誰かに……殴り飛ばして欲しいのかもしれない。もっと踏み込めば、終わらせて欲しいのかもしれない。


「……貴方も、悲しいの?」


 私の声に答える事無く、ダルトンはぐしゃぐしゃになった髪を整える事も無く顔を上げて、安定しない瞳を向けた。



「……貴様らには……悪いと思うが……付き合ってくれないか?」


「一概に、良いよとは言えないけど……請け負うよ」


 私も貴方と同じだから……いや、だったから。多分。
 ……そっか。そうだったんだ。何で私たちがあんなに簡単に負けたのか、分かった。そりゃ負けるよ、目の前のダルトンを見てれば良く分かる。


「……始めよう」


 もう、迷いは無いよ。クロノ。
 ちょっと分かっちゃったから。泣いたらちょっと理解できて、私がどんな人の為に悲しんでるか、とか、私以外の誰かが悲しんでる姿とか私よりも不器用な泣き方をしてる人とかを見て分かっちゃったから。最後のは、ちょっと優越感気取りでいやらしいよね。ごめん。
 ……ルッカは盲目的に、ロボは従順に。カエルは胸に押し殺して、私は単純に悲しかったし、寂しかった。ダルトンは誰にも分からないような傷を奥底に刻んで……
 まあ……言葉にしたって、結局私はまだクロノの影を追うと思う。だから、今この時分かっちゃってもすぐに見失うんだ。大切な事程忘れても気付かないものだから。大切なものは、無くなったらすぐに分かるのにね?
 ……でも、今だけは大丈夫。ダルトンも同じものを背負ってた。私たちが彼に負けたのは、覚悟の差。彼はこうなることを望んでた、明確な目的を持ってたんだ。例えそれが消極的な、つまらない答えだとしても。
 それに比べて私たちのなんて投げ遣り。考えなしにラヴォスに挑んで散る……か。そんなの、なんとなく死んでみようと考えるのと全く同じ。そこに至る過程迄他人によるもので、自殺にもならない。
 でも、ここからは違うよ。私は諦めない。やっぱりそうだよ、私が諦めるなんて信じられない。傲慢とか強欲とか言われても、私はマール。いつだって大事なものは諦めなかったから。現代でクロノが捕まっても、私は王女の地位よりクロノを取った。これは献身的とかそんな素晴らしいものじゃなくて、唯単にそんなつまらないお飾りの位より一人の友達の方が大切だったっていう即物的な考えに因るもの。何があっても私は『大切』を捨てない。
 そうだよ、私たちは人と違う時を越える手段がある。魔法もある。頼りになる仲間も……今座席で一人蹲ってるけど、普段は頼りになる。きっと。
 ダルトンは……よく言えば不器用ながらに男らしくて、悪く言えば自棄になっている。もう戻らないと彼は言ったんだ、終わらせて欲しいと言ったんだ。それはつまり……もうサラさんを助ける事は出来ないと言外に告げている。もう私と彼は同じ者同士ですら無い。私はとうにその場を遠のいた。
 ……何かあるはずなんだ。未来は無限なんだから、いくつも道筋は分かれてて、戻れなくてもその先が何処にあるかなんて誰にも分からない。そう、それこそ……


「運命だって、捻じ曲げてやれるんだから」


 事ここに至ったら、もう諦めた人になんて負けないよ。前回の時の私と一緒に思わないでね、ダルトン。


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