周りは泥濘のように暗く、また正しくヘドロの臭いが充満する不衛生極まりない光景、這いずるような音が水滴と混ざり合い背中をくすぐっていく。半ばから折れたポンプから黒い重油がこぼれて床に落ち、俺はそれを避けるため大股で足を出す。天井からどたばたと騒音。冗談みたいに大きな鼠か、冗談にもならない巨大な虫が遊んでいるんだろう、なんてファンシーでない表現。
隣を歩くマールは延々「うわぁ……」と顔をしかめて極力壁に触れぬよう通路の中央を歩いている。王女という身分にありながら、このような場所を歩いているとは、現代の国王が知れば俺は縛り首間違いないだろう、それがなくても歓迎には程遠いだろうが。
水路に目を向ければ、大量のごみ、生き物の死骸に遮られて水の流れは悪く、腐った汚水と化していた。管理など誰もしていないので、何処かに流れ出すこともなく流水することもない。それは当然の帰結とはいえ……刺激臭が鼻をつくのは止めて欲しい。胃どころか、肺までひっくり返りそうだ。
……今俺たちがいる場所、それは地下水道跡という未来の荒廃した施設である。何故俺たちがこんな汚い臭い見たくも無いの三拍子揃った所に足を運んでいるのか? それを説明するには少々時を戻す必要がある。
──ダルトンに倒された俺たちが目を覚ました後の事。俺とルッカ、マールは原始のティラン城跡に倒れていた。どうやらジール宮殿から放っぽり出された上、ゲートに入れられたらしい。何故か、俺の心にしてやったり! な感情がショイフルしているのだが、それは置いておこう。
やべえやべえ俺たちこれからどうすべか? と悩んで……結局何も出来ないという結論に達した。ルッカでさえどうしようもないわねと匙を投げたのだから、俺が妙案を出せるわけが無い。
不貞腐れた俺は久しぶりにロボと絡んでみようと思い立ち、時の最果てに帰ったのだ。そもそもそれが間違い。
「クロノさあぁぁぁぁん!!!」
「ふぁるこんっ!!!?」
久しぶりのロボ加速装置稼動時体当たり『ロボタックル』を全力で喰らい肋骨がもっちゃーした。くそっ、一番と二番を持っていかれた……っ!!
定例通りマールに回復魔法をかけてもらい、ソイソー刀を片手にロボと戯れようとした結果、時の最果ての爺がストップを宣言。切断するだけの間くらい待ってくれてもいいじゃないか。
爺さんの話を嫌々渋々ロボの首を掴みながら聞いてみると、「確か、未来で時を越える機械なんぞを作っておった奴がおったのお……」とのこと。嘘付けの一言で切って、クロノの解体ショーを再開。今なら右太もも百グラム二百円!
例によって例の如く、ルッカとマールにエルボーとミドルキックコンボで止められる。お前ら何の気なしに俺を責めるけど、骨折させられてるんだぜ俺。世の中の常識が今ここで覆されようとしている。それにしても久しぶりだなあ、この俺が泣かせたのにロボが俺に抱きつく流れ。一分の狂いも無い。とりあえず撫でておくけれども。
結局その後他に手がかりも無いんだし、半分ボケた爺の戯言を信じて未来に行ってみようと決まった。ノリで行動する、悪い事、違う。
その際のパーティーメンバーは変わらず、今だ本調子にならない役立たずの緑女とバイオレンスクソガキを時の最果てに残し出発。二度目のロボタックル発動の引き金となったが、かかと落としで阻止。「ああ、今日は三本しか骨折してない。ラッキー!」とか言うような人生を送るつもりは無いので当分、というかできれば一生ロボと接したくは無いのだ。
しかし、いざ未来に来たとてやることなんかまるで無い。手がかりを掴むついでにアリスドームのドンたちに会いに行く。微妙にルッカとマールが嫌そうな顔をしたが……? ああ、そういえばこの二人は嫌われてたっけ。俺のファミリー(アリスドーム住人)に。知ったことか。
「おお……おお! ドン国王、クロノ将軍が帰還されました!」
「何ぃ!? 今すぐここに呼べ、皆の衆宴じゃ!」
「おおおおお!!!」
少し顔を見せるだけだったのにこの騒ぎ。正直、ちょい引いた。そして何故俺が将軍なのか? 何故ドンが国王の座に至ったのか? 何となく理由は分かるけど、鼠捕獲作戦の時に目立った活躍をした奴はそういう立場を約束されたのか……?
彼らの活気は、俺が帰ってきたということだけでは無かった。どうやら、食料庫から持って帰ってきた種から芽が出たのだそうだ。実がなるような段階ではないにしろ、間違いなくここで生きる人々に希望を与えたに違いない。昼夜問わず豊作ダンスを踊っていた甲斐があったわい、とはドンの言。その場に立ち合わせないで良かった。彼らがいい年こいて奇妙な踊りを見せている所を俺が目撃すれば彼らとの楽しかった思い出ごと存在を忘れなくてはならない。
早速時を越える機械の所在を聞いてみたが、当然なのか、皆知らなかった。よって発明家らしき人物がいないか、またそんな人物がいる所を知っていないか? という質問に変えてドンに問うた。
「……ふむ、機械を作る、発明家のような人物か……だれぞ、心当たりは無いか?」
ドンの口から町の全員に聞いてみると、一人、もしかしたら……という信憑性の薄いものではあるが、研究者を知っているそうな。
「アリスドームの外に、地下につながる梯子があります。そこを下れば地下水道跡へ行けます。そこを抜けて地上に出れば死の山という恐ろしい雪山があり……その麓に監視者のドームという偏屈な爺さんがいるドームがありますよ。もしかしたら、その人かもしれません」
地下水道跡? と聞けば昔浄水所という水を濾過する大規模な施設があったらしい。その名残とのこと。今は汚水と油が流れる化け物の巣窟となっているとか。酷く面倒臭い。モンスターの存在は仕方ないとしても、臭いとか汚いは避けようが無いじゃないか。
ルッカとマールに相談して、マールは「正直、カエル辺りとクロノの二人で行ってくれませんか?」という素敵アイデアを提案。あまりにも素敵なので永遠のヒール、ブッ○ャーの地獄突き発射。マールは世にも辛そうな顔で喉を押さえている。効果はばつぐんだ!
「未来に来た時と違って、私たちは魔力を使えるのよ? この辺の魔物なんて敵じゃないわ。何より、時を越える機械なんて、科学者たる私の好奇心が疼くわ……早く行きましょう!」
ルッカの乗り気に過ぎる発言にマールは「あーあ、嫌だなぁ……」と本心暴露。大変素直でよろしいが、俺お前嫌いだ。
名残惜しいが、俺を(俺だけを)引き止めてくれるドンたちに別れを告げて地下水道跡へ足を運んだ。言われた通り、ドームを出て壁に沿って右に進んでいくと、ぽっかりと地面に穴が空いている。覗き込めばぼろぼろの梯子が一つ。三人一気に使えば折れるかもしれないと指摘したルッカが先頭を切って梯子を下っていく。
ルッカの姿が暗い闇に溶けていくのを見送って、マールはふう、とため息をついた。
「ルッカって、本当勇気あるよね。私にはちょっと無理かな、こんな暗い穴の中に一人で入るなんて」
「まあな。文字通り怖いもの知らずを地で行ってるし。ちょっとだけ、幼馴染として誇らしい時があるよ」
言うと、マールが口角を上げて「やっぱり、クロノもルッカのこと尊敬してるんだ?」とちゃかすように笑いかけてくる。
「どうだろ? まああいつの肝っ玉に関しては、尊敬しても」
「もう無理ぃぃぃぃぃいいいいいぃぃぃぃ!!!」
「……良いかと思うときが、あったかもしれないな」
ドップラー効果のように上がり下がりの激しい悲鳴を上げた幼馴染の様子が気になるので、若干だれながら梯子を降りる。マールが「何か……話振ってごめん……」と申し訳なさそうに謝罪してきたのが辛い。この娘の悪いと思ったらすぐに謝る所は美点かもしれないが、謝られる方の気持ちを汲めるようになればもっと良いのに。
錆びとカビで滑る梯子をゆっくり降りていくと、壁にはりついているルッカの姿。お前のせいでマールに同情されたじゃないか、と文句を言う前にルッカが絶望に歪んだような顔で「殺して! 殺してよぉ!」と叫ぶので心臓が口から出るかと思った。
「おおお、落ち着けよルッカ。確かにちょっと文句もあったがお前、死ぬのはおかしいだろ!? ほら俺怒ってないぞ? 嘘つかないぞー?」
「嫌ぁ! 殺してってば、今すぐ殺して!」
「何だよ何の本読んだんだお前!? ドフトエフスキ○か!?」
確かにこいつが今まで俺にかましてきた罪を思えば罰として死にたくなる気持ちは良く分かる。でも今そんなん言う!?
「クロノが殺さないなら、私がぁぁぁ!!!!」
「止めろぉ! 自殺は最も重い罪として地獄で裁かれるんだぞ!?」
すってんばったん揉み合って、ようやく降りてきたマールが目の前にいる今まで見た事が無いようなゴキブリを弓で打ち抜き、ルッカの半狂乱状態は治まった。話を聞けば単に大きな虫が怖かっただけのようだ。こいつはまだ虫嫌いが治ってないのか。そういや、昔から蜘蛛を見るたびに絶叫してたなあ、家庭に生息する蜘蛛は害虫じゃないんだぞ。むしろ害虫を食べてくれる良虫と言って良い。
それから、一つ歩くたびに「無理ぃぃぃぃ!!!」を連呼するルッカを哀れに思い、マールが「ロボと交代させてあげようよ……」と言い出した。正直、「大丈夫かルッカ!?」とか言いながら内心(俺にミドルキックをかました罰だ)とへらへら笑っていた俺としては頷きがたいが……確かにこの状態のルッカに戦闘が出来るとは思えない。仕方なく泣きじゃくるルッカを時の最果てに戻しロボを呼ぶ。カエル? 役に立ちそうにないルッカを戻して何で役に立つはずが無い奴を呼ばなきゃならんのか。
──そして、現在に至る。
突然変異したのか、人間の足くらいありそうなムカデがそこらを這ってるんだ。何気に、どっちかというとビビリーだったルッカではこの場所を探索するのはキツイとしても……なんだかなあ、である。見直した瞬間にやってくれるもんだから、しこりは残ってしまうだろう。
ただまあ、ルッカの代わりにロボが入った事で戦力ダウン、ということにはならないだろう。体術、技共にロボはルッカを超えている。魔法が使えない分を差し引いても遜色ないはずだ。俺のトランスも、ロボの加速装置を意識して作り出した技だ、こいつのスピードはエイラと同レベルだろう。
ただ気になるのは、ロボがうざったいくらい俺に纏わりついている点だろうか。
「ク、クロノさん! 今目の前を大きな蛇が! 蛇が!」
「そりゃあ蛇もいるだろう。なんせ蛇だからな」
「そ、そうですか……クロノさん! 今何かの呼吸音が!?」
「そりゃあ聞こえるだろう。俺も呼吸をするからな」
「ああ、クロノさんの……ああ!? 今首がぽきって鳴りましたぁぁ!!」
「うるせぇ! ロンドンの裏路地に放置するぞ!!!」
これなら同じくっつくでも女のルッカをメンバーにしておく方が良かったか? なんて疑問が掠めるも、泣きっぱなしの女の子が隣にいる方が辛いと考え直し歩行再開。ビクビクワーワー騒がしいが、かろうじてロボは泣いていない。その分まだマシと思おうじゃないか。うん。
何より、普段は飛びっきりうるさいが、こと戦闘になればロボはおっかなびっくりながらも戦ってくれた。いきなり汚ない水路からザバアっ! と半魚人の魔物飛び出してきたときは四方八方にレーザーを放出したので危うく俺の頭が消し飛ぶ所だったが。マールは至極冷静に魔物にアイスを放ち撃退していた。凄いな、俺だって腰が抜けるかと思ったのに。
賞讃の言葉をかけようとマールの肩を叩くと、マールがぶつぶつと小さく呟いていた。
「……クロノ」
「何だよマール。つーか、勇気があるってのはお前の事だな。よくもまああんな奇襲に驚かず対処できるもんだぜ」
「うん、ありがとう。ところで私一回現代に戻って良い?」
「? 何でだよ、回復アイテムなら未来に来る前に買っておいたぞ」
俺の言葉にマールはふるふると頭を振り、俺の目を見ず俯いたまま酷く聞こえ辛い声で答えた。
「……下着を、買ってくるの」
「…………そうか」
進行を一時中断。俺とロボはその場で待機して、マールの帰還を待った。この出来事に対して俺はノーコメントを貫く。ただ一言、帰ってきたマールに言えるとすれば、怖がりやの女の子って可愛いと思うぞマール。だからいつまでも落ち込んだ顔をするな。何て声をかければいいのか俺にもロボにも分からないんだから。
何となく……というか完全に気まずい状態の俺たちだったが、閃いた! という顔でロボがマールの肩を叩き、朗らかに話しかけた。
「大丈夫ですマールさん! チャイルズク○ストだったら日常茶飯事です! なんなら、今すぐ僕買ってきましょうか? 紙おむ」
なるほど、マールでもロボを殴る事があるのか。知らなくて良いことを知った。弧を描いて飛んで行くロボを見ながら、俺は一つ賢くなった。そういえばあれだな、マールの羞恥によるガチ赤面見たの初めてかもしんねえ。最っ低のハジメテだからマールには言わないけど。言えるか!
それからの戦闘は何かが吹っ切れたようにマール大活躍。玩具みたいな空飛ぶ目玉のモンスターも後述した半魚人もレミーボンヤスキー張りの跳び膝蹴りが炸裂。フライングマンの名に相応しい勢いであらゆる化け物が地に伏していった。今思ったんだけど、絶対彼女に弓矢いらねぇよ。ステゴロの方が数倍強い。もしかして、パワーバンド的な意味で弓矢を持ち続けているのかもしれない。最終的に強敵に会ったら「やっぱ、これ持ったままじゃ無理か……」とか言って数十キロの弓矢を捨てて闘いだすとか……やめよう。あほらしい。
途中、細長い水路に囲まれた通路にて、物音を立てれば即座に魔物が飛び出してくる妙なトラップ染みた場所があったものの、驚く間も無くマールが撃退。鬼人化した今のマールに敵などいない。第三使途位なら時間稼ぎは出来るのではないかと思えるほど怖かった。ロボは決して俺の左腕を離さない。こいつが女で、シチュエーションがお化け屋敷ならこれほど嬉しい展開も無いだろうに、怖いと感じる対象こそ女とはこれいかに。
黙々と前を歩く女性が本当に王女なのか、いやその前に女性なのか疑いを持ち始めた時、ようやくロボの「ふわああ……」と怯える以外の声が聞こえた。正直、お前こそ紙おむつが必要なのでは? と問いたかったが、まずは物陰に潜み、耳を澄ませる。先に見える曲がり角の奥からきりきりという耳障りな音と共に低いだみ声がこちらに響いてきた。
「ほう……? 侵入者どもめ、もうここまで辿り着いたか」
……ばれ……てるのか?
もしもこちらの存在に気付いているのならば今の体勢は不味いと、すぐさま立ち上がり剣の柄に手を滑らせる。ロボは右手を光らせレーザーの準備、マールも早口で魔術詠唱を開始した。
「カカカ……来るがいい。貴様らのいる場所では碌に戦えまいが。戦場は広ければ広いほど良い。でなければ、つまらんだろうが」
随分と高飛車な物言いだが……受けて立たないわけにもいくまい。二人に目線を送り、飛び出して声の主まで走り出す。黒々とした空間を裂き、角を曲がれば、そこには異形の体を揺らしながらこちらを見るモンスターの姿。
大きさはヤクラのモンスター時と同程度。芋虫のような外見で、顔の部分には人間とよく似た表情が。にやにやと笑いながらこちらを見下す様は余裕と愉悦が浮かんでいた。人間程度に負けるはずは無いという自信が見て取れるそれは、確実な力量を自負しているという表れだろう。動くたびにニキニキとゴムを擦る音が聞こえる。打撃の類は効果が薄いだろうと予想できた、有効手段が浮かばないので知って良かったとも思えない情報だが。
魔物は大きく口を開き、傍らにいる目玉の魔物に「引っ込んでいろ」と伝え、もう一度俺たちに向き直る。
「ふむ……人間よ、褒めてやろう。ここに来るまで、警備役の俺の精鋭たちを屠ってきたことを……だが……」
自分の顔ほどもある巨大な手を鳴らし、爆音を地下水道全域に響かせる。その音、震える空気の大きさに奴の手に挟まれば、鋼鉄の塊ですらひしゃげるだろうと確信する。
「我が名はクロウリー! 我に出会った不運を呪うが良いわ! 我の力、知能、全てを超越した肉体に恐れ、ここで朽ちろ!」
「負けないもん、あなたなんかどう見ても中ボスって感じだし!」
マールの挑発に「何ぃ!?」と顔を歪ませて、そのまま怒り狂うかと思えばクロウリーとやらは一度鼻を震わせて、マールを蔑んだ。
「分かっておらんな? 貴様らがこの地下水道に入ってからここまで、戦った際の情報を全て我は知っている! 逐一部下に報告させたのでな……分かるか? つまり、貴様らの戦闘パターンは知り尽くしておる!」
俺、ここに来るまで全く戦ってないけど、その辺は無視ですか。どうして俺は初対面で無視されることが多いのか、自分で言うのもあれだが、赤毛の男って大分目立つと思うよ? ロッド使いがタークスで一番人気がある理由は言動だけが理由じゃないはず。
クロウリーは高笑いの後、うねうねと蠢く指を向けて、口を開いた。
「故に、貴様らの勝率など皆無! 分かったかお漏らし女ぁぁぁ!!!」
ああ、全部報告されてるならその禁止場面の瞬間も知ってるんだよな。誰も口にはしなかったその言葉を吐いたという事は……多分、俺が手を出す必要は無いかもしれない。
気持ち動きづらい首を回してマールさんを窺うと……彼女は片目を大きく見開き指を鳴らしていた。紙を縛るヘアゴムは外れ、だらりと前髪が顔にかかっている。顔色も、どんな顔をしているのかも分からない。ただ、薄暗い空間でもしっかり視認できる目玉が光り、それは爬虫類を思わせた。
「獣の国が闇に覆われる。激しい苦痛」
第五の鉢!? と突っ込む前に、マールは四速歩行の構えを取り、自分の何倍もある化け物に飛び掛った。クロウリーもよもやそんな攻撃を取るとは思って無かったようで、萎縮したようにその場を動かず押し倒される。マウントを取ったマールは両腕をがむしゃらに振り下ろし血飛沫を舞わせる。赤い煙がその場に立ち上り、耳を塞ぎたくなるような絶叫が。来た! マール乱心来た! これで勝つる!
ゴフゴフ言いながら「喰わせろぉぉぉ!!!」とか雄叫ぶマールさんマジアモルファス。下水に近い場所で生きるモンスターを歯で噛み千切りだしたときなんかエレクトもんですわ。世界の根源が今顔を出す……!
「……クロノさん」
半眼で目の前に広がる虐殺とも儀式に近い何かとも言える光景を目にしていたロボが、デジャヴな声音で話しかけてくる。俺は、視線だけを向けて、内容を促した。
「後で、僕一回現代に戻っていいですか? ああ、アリスドームでも良いんですが、現代の方が良質なものが売ってると思うんです」
「…………そうだな、吸水性とかに優れてるものを選ぶといいぞ」
ありがとうございます、と頭を下げて、ロボは静かになった。人間でもアンドロイドでも、真実の恐怖を知った時、震える事すらできないんだな、と共感性というか、親近感のようなものが萌芽した。
マールの狂気は収まらず、爪の間に血と肉が挟まり、白い服が真っ赤に染まり口端から臓物のような赤黒いものが垂れていても気にする事無く解体を続けている。
忘れよう……今日、俺はマールとなんて会わなかった。話さなかったんだ。つまり、彼女が今日何をしたかなんて知らない。
「そんなに頻繁じゃない……私は三年前から一回も粗相をしたことが無かったんだ……っ!!」
俺はマールと今日会ってないので、彼女の言葉に突っ込む事もしない。ハ○ンケアがお勧めだよとかそんなことを言う事も出来ない。何て……歯痒い。
ふと、俺は出会ったばかりのマールを思い出して涙した。あの頃の俺は、ルッカという凶暴な女の子と比べて、何て心優しい、そして可愛い女の子なんだろうとか思ってた。思ってたんだ……! なんて……なんて勘違い。彼女は優しいかもしれない。彼女は可愛いかもしれない。ただ、彼女は魔物を内に飼っていたのだ。その事実が、あまりに重く、腹を痛めつける。
地下水道の主、クロウリー。どのような戦い方するのか全く知る事無く俺たちの前から姿を消した。ただ、散乱する肉体の一部から見える背骨が以外に太いんだなあ、ということしか印象に残らず、俺たちは地下水道を後にした。今だけは、ロボが手を握ってくることを拒まない。むしろ、離すな。
元々未来の空気は汚い。それでも下水塗れの地下と比べれば幾分マシなんだと外に出て知った。マールも俺も深呼吸を一つ。
視界はアリスドーム付近に比べて見通せるものとなっている。砂と錆びは舞ってはいるが、遮るほどではない。その理由はアリスドームの住人から聞いた死の山があるからだろうか? 根拠は無いが、それ以外に思いつかない。理屈は分からないが、何故かその山だけは白く雪が降り注いでいる。天頂だけでなく、山の色を全て白に変えている在り方は神々しいとも言えた。神秘的というのが一番近いだろうか? 麓にあるドームに近づけばその聖気は痛いほど、肌が総毛立つようで深く息を吐いた。幻想染みた光景、空にはオーロラのようなものすら微かに浮かんでいる。それでも、何の理由も無しに近づこうなんて気持ちは欠片も生まれない。こういったものを好むマールですら僅かに体を震わせていた。頂点を極めた美しさは恐怖すら演出するのだ。
「……行こうぜマール。早く監視者のドームとやらに入らねえと……マール?」
すぐに彼女は俺に背を向けて歩き出したが、確かに頬を塗らして、はらはらと泣いていた。死の山の雄大さに当てられたのか、はたまたそれ以外の理由なのか。見当はつかないものの、とても、嫌な気分になった。
監視者のドームに入ると、中はアリスドームやトランドーム(未来に来た俺たちが一番初めに入ったドーム)に近い構造。篭った空気は肺を痛めて、歩くたびに舞い上がる埃の山。人が住んでいるとは思えない薄汚れた場所。ただ、研究者、科学者の類がいたのは疑わない。ルッカが見れば飛びつきそうな研究機材が所狭しと並んでおり、ルッカに次ぐだろう科学知識のロボですら何をどうするものなのか全く分からなかった。
この場にモンスターがいないという確証も無く、俺たちは気を張り詰めながら中を探索する。じっくりと調べてみれば、中にある機械はそのほとんどが活動を停止しており、修理は困難を極めるように思えた。壁に張り付いている配電盤はカバーが外れ、中にあるコードは長い年月外に晒されて風化しており、半分以上千切れている。電気はかろうじて明かりが点っている事から流れてはいるのだろうが、最低限を超える事は無さそうだ。逆に、いつ途絶えたとて不思議は無い。ロボが体を発光させて見通しを良くしてくれているが……無駄足になりそうだな、これは。
「……?」
ふと、足元に落ちているロケットをしゃがみこんで拾う。楕円形の金属の横にある出っ張りを強く押すと、外蓋が開かれて中にある写真が現れた。写っているのは、小さな男の子と女の子……多分、兄妹だろう。子供たちは真ん中にいる優しそうな女性に抱きつき満面の笑顔を浮かべている。多分母親である女性はしがみついている子供たちを少し困ったように、それ以上に愛おしそうに抱きかかえてカメラに目線を向けていた。両脇に老人が三人。皆、蓄えた髭を撫でながら親子の触れ合いを優しく見守っていた。そのグループから少し離れて口を尖らせている、長い金の髪に、がたいの良い男が一人。それでも口角を僅かに上げていることから、彼も楽しんでいるということが透けて見えた。黄ばんで汚れていてもそれは心の温まる、綺麗な写真だった。
理由無く、そのロケットを懐にしまって歩き出した。きっと、これは大事なものだから。
立ち上がり、もう戻ろうかと思っていると、マールとロボが俺を呼んでいる声が聞こえて軽く走り出した。彼女たちが手を招いている所に着くと、そこには何処かで見たような扉。確か、ジール宮殿にあった不思議扉か?
ジール宮殿と同じようにマールがペンダントを掲げると、幻のように扉は消えて、新しい部屋への入り口が現れた。と同時に、扉の奥からノイズ交じりの声が漏れてきた。
「扉を開けた者達へ……私は、理の賢者、ガッシュ。魔法王国ジールの、ガッシュ。私はジールの大災害の折、この時代へ、飛ばされた……」
「ク、クロノ? この声何を言ってるの? 理の賢者って……」
突然の事にマールは勿論、ロボも慌て始めた。
……でもマール。一番重要な所はそこじゃない。今コイツが言った事で重要なのは、ジールの『大災害』という部分だ。後ろのこの時代に『飛ばされた』も怪しいが……後でルッカに報告すべき、だな。
声の主──ガッシュはそれから俺たちに伝えたかっただろう内容を全て俺たちに託し始めた……
「驚く事にラヴォスが現れるのは私の時代だけではなかった……遥か太古の時代に、空より落下し、ジールに出現し、地中深く潜みながら、この地球のエネルギーを吸いながら成長を続けた……」
遥か太古……原始のことだろう。そうか、ジールのある時代は中世と原始の間、中間に位置する過去の時代だったようだ。
「時は、ガルディア王国暦六百年、魔王が呼び出し、一時その姿を現わす。王国暦千九百九十九年ついに地表をもそのテリトリーにする。そして、まるで卵を生むかのように私が死の山と名付けた場所から自らの分身を次々と誕生させるのだ。ラヴォスとは、星全体に巣くう巨大な寄生虫である」
魔王が呼び出し姿を現す……? 俺たちが魔王と戦う事すら歴史の一部として決まっていたような口ぶり。さらには、俺たちの星をここまで破壊しておきながら尚も喰らおうとする貪欲な化け物、ラヴォス。俺はまるで今までの旅が全て誰かに操られていたような気分になり、マリオネットを思い出した。
糸で縛られ、何をするでもなく自分の意思を曲げられて生きてきたというのか? ……いや、ただの妄想だ。今はガッシュの話を聞いていろ、俺。
「私は、ここでラヴォスの監視と研究を続けて来た。だが、すでに限界。こんな時代に正常な精神を保つのは不可能なのかもしれぬ……私の精神が死を迎える前にこの記憶を残しておく事にする。私の生涯最後の発明と共に……」
ガッシュがそこまで言った瞬間、今まで何も見えなかった部屋に眩しいほどの明かりが点いて──非常灯か何かだろうか?──部屋の中央に置かれている巨大な機械が姿を現した。アーモンド形の、凹凸の無い銀色の機械。上部には人が乗れそうな空間が透明のカバー越しに付けられていた。未来の汚れた空気に触れながらその光沢は光を失わず爛々と輝いていた。
「私は自分の時代になんとか帰ろうと研究を続けた。しかし、この研究が完成する頃には私自身、寿命を感じていた。だから、託すのだ。ここを開く者に。時代を行き来出来れば……時代を超えて人間が、この星そのものの為に一つになれば……あのラヴォスをどうにか出来るかも知れぬ……」
天井から火花が落ちてきた。同時にシュウウ……と何かが消えていく音が聞こえる。それに倣ったように、ガッシュの声が小さくなっていく。
「可能性は零に等しい……。しかし零でない限り、賭けてみる。この扉を開く者に、この地球の全てを賭けて……さあ、開けるがいい、最後の扉を。そして手に入れるのだ。私の最後の発明……時を渡る翼、シルバードを……」
一度に様々なことを教えられて、俺たちはその場でしばし動かなかった。
……結局、ラヴォスを止めるには、未来を救うには、俺たちの手でやらなければならないのか? ラヴォスを。地球を壊した化け物を? ……可能、なのか?
何より、ジールの大災害。これが起こるのが確定だとすれば……俺たちがジールに行って、どうなるのか。様々な予想を立てていると、マールが「とりあえず、あの機械を見てみない?」と意見。今ここで考えても仕方が無い、か。
「凄いね……これが、シルバード……あれ、でもこれどうやって乗るの?」
きょときょと機械を見回しながらマールが不思議そうな声を出す。確かに、乗り込み方は一目には分からない。カバーは閉じられているし、それを力で開けるのは違う気がする。間違って壊してしまえば最悪だ、精密機械だろうものを無駄に弄くるのは避けたいが……
三人とも頭を捻り考え出すが、答えが出ない。未来の機械関連で、ロボが分からないなら、ルッカでも難しいかな……? くそ、ガッシュとかいう男もう少し情報をくれれば……
「お困りのようだな……?」
「…………っっ!!!」
突如後ろから聞こえた声に俺たちはすぐさまミドルレンジ攻撃発射。俺はサンダー、マールのアイス、ロボのレーザー。それらは混合し、闇に佇む物体に直撃した。謎の生き物は後ろにずうん、と倒れて叫び声すら上げず目を閉じた。
「……もう、思い残す事は無い」
……もしかしたら、やっちゃったのかもしれない。でも、後ろに立つ奴は攻撃しても良いって偉いスナイパーさんが言ってたような……
とりあえずマールが青い化け物(そういやジールにも似た奴がいたかもしれない)を治療すると、化け物は開口一番「わしはガッシュじゃ」と自己紹介。もう攻撃されたくは無いという保身ゆえの行動だろう。
それから話を聞けば、ガッシュという人物は己の寿命が消える前に自分の頭脳をこの謎の化け物、ヌゥにコピーしたらしい。そんな気持ち悪いことが可能なのかと驚いたが、そこは割愛しよう。ガッシュはテキパキと動きシルバードの下部にジャッキのような機械を置きその上に座席を準備した。透明カバーのある中央空間に設置するらしい。そこでようやくシルバードが稼動するとのこと。
作業しながら、ガッシュは俺たちにシルバードの操作方法を教えてくれた。所々「Yボタンを押して……」とか訳の分からないことを言ってたが、シルバードはその機能と反比例して単純な操作だったので機械に疎い俺たちでも理解が出来た。タイムゲージに作られた針をセットして、決定ボタンを押せばそのセットされた時代に飛ぶ事ができるとのことだ。
なんだかゲームみたいな操作だなとは思っても口に出さない。凄い発明であることは疑いようの無い事なのだから。早速俺たちはシルバードに乗り込み、タイムゲージをジール王国……古代とでも言おうか、にセットした。
「……女王を」
「? ガッシュ?」
シルバードが発進する直前、ガッシュの残した言葉を聞きなおそうとマールが声を出した瞬間、世界が変わった。
周りの光景が全て通り過ぎて、やがてシルバードの外の視界には何も映らなくなる。タイムゲージを見れば、恐ろしい速さで時を翔けていた。ゲートの数倍の速さで世界を渡っているのか……?
「とんでもない早さですね……どれだけのエネルギーが使われているのか皆目分かりませんよ……僕のフルパワーが京とすればシルバードは万に届くかもしれません」
「ロボ、お前今更格好つけても無駄だ。新しいパンツは履き心地良いか?」
むがー、と運転中の俺の首を絞めようとするロボをいなしながら、俺はガッシュの言葉を思い出していた。あいつは……確かにこう言ったんだ。
『女王を……許してくれ』
星は夢を見る必要は無い
第二十七話 正直番外編扱いでも支障は無い
振動が止み、頭上のカバーが真ん中から割れるように側面へと引っ込んでいく。時空空間から抜けた先、そこは半日ぶりの銀世界だった。
シルバードからロボとマールに手を貸して降り立ち、己の体を擦る。そういえば、ルッカがいなければ炎で暖を取ることもできない……その上、シルバードは時を移動できても着地点、出現ポイントまでは選べないようで、今俺たちが何処にいるのか分からなかった。これでは、ジールに向かう為の洞窟が何処にあるのか……一面雪しか見えないここでは見覚えのある場所なんてものは無い。勘を頼りに歩くのは自殺行為だ。
冷たいを超えて痛い氷の粒を受けながら、シルバードを離れて歩き出す。といっても、シルバードを視認できる位置以上は離れない。俺は迷っても時の最果てに戻れば良いのだが、他の二人は時の最果てと連絡を取る手段が無い。誰か一人でも迷えば死んでしまう可能性も充分あるのだ。
そうして、出来うるだけ体をくっつけて体温の低下を防ぎつつ、辺りを徘徊してみると、幸いにも半刻と経たずに洞窟と思わしき場所が見つけることが出来た。奇跡というか、幸運というか。
急いで洞窟に走り出して体の雪を払う。見た限りこの洞窟はジールに繋がる移動装置のあった所では無いようだが……風を防げる場所に来れただけ良かったというものだ。俺はカエルに分けてもらった乾いた木片を床に積み、適当な紙を持っていないかポケットをまさぐった。運の良い事は連続するもので、底から酒場の領収書を見つけたので軽く電気を作り燃やして木片に置いた。瞬く間に火は拡がって体を暖めてくれる。
マールとロボはため息を一つつき、手ごろな石に座った。座っているよりも本当は立っていた方が体が冷えないんだが……まあいいか。短い距離でも、雪道を歩いたので足が疲れたのだろう。
……しかし、こうして体を暖めていても濡れきった服では効果は期待できそうに無いか。ここはルッカを呼んで一気に乾かしてもらうべきかな? そう度々メンバーを代えると最果ての爺さん嫌な顔するから避けたいんだが……風邪を引くよりはマシか。
爺さんにルッカを呼び出してもらおうと通信機を取り出した時……気配が一つ。闇の深い洞窟の奥から砂利を踏む音が聞こえた。
ソイソー刀に手を伸ばして鞘を滑らしながら振り向く。伸縮は使えそうも無い、小さな空間では壁や天井につっかえてしまう。俺の突然の動作に驚きながらも、マールとロボも立ち上がり暗がりに目を細くする。ロボに照らしてもらうか……? いや、それでは俺たちの正確な位置が掴まれてしまう。相手の出方を知らなければ逆効果になるかもしれない。
流れ出した冷や汗が、こめかみを伝っていく。モンスターか? もしくは俺たちの行動を予見したジールの兵隊たちかもしれない。どちらにせよ、油断のできるものでは……
「ああっ!? 貴方はあの……ほら、赤い人! くっくっく、よくも私の前に現れましたね! 積もり積もって幾半日! 今こそ恨みを晴らしてあげます!」
「…………モンスターの方が良かったなあ」
何故に世の中俺の思う方向に進まないのか進みたがらないのか。論文を提出したいくらいだ。
「──という訳で、私とこの赤い人は宿命のライバルなのです」
「へえ、何だか分からないけど、モテモテだねクロノ」
「流石はクロノさんです。行く時代行く時代で必ず誰かを落としてしまう。僕も弟分として鼻が高いですよ、ケッ!」
いつ俺が行く時代行く時代でモテモテになったというのか。もしかして原始のアザーラの事を指しているのか? それを言うなら俺は同じ原始で軽く失恋している。そもそも俺とアザーラは兄弟愛であって、モテてた訳じゃない。いやよく分からん恐竜人のメスに告白されたような気がしないでもないが……ていうか俺とサラとでラブコメは無い。絶対に。そこの女が俺にひたすら嫌がらせにもならん馬鹿な行為はツンじゃないんだ。
「ロボ。お前の顔なら何処でもハーレム万歳だろうに。俺の女性関係に嫉妬してどうする。そもそも俺の女性関係は悲惨の一言だぞ。自慢じゃないが、俺は誰かと付き合ったことなど無い」
「え、本当ですかクロノさん」
力強く頷いて、ロボを見やるとまん丸の目を輝かせて嬉しそうに抱きついてきた。大層気分が悪い、何でこいつに俺の恋愛経験の少なさを喜ばれなきゃならんのだ。『ま、僕の方がモテモテなんですけどね? 悔しい?』的なことを言いたいのか。
「へへへ……そうですか。でも大丈夫ですよ、クロノさんの相手が見つからなかったら僕が」
「ウィィィィ!!!!」
小指と親指を立てて残りの指を曲げ、全力のアックスボンバー。ぼえ、という汚い声を上げてロボは凍りついた壁に叩きつけられて沈黙した。危ない所だった。ロボが何を言おうとしていたのか皆目全くこれっぽっちも数式の偉題くらい分からなかったが、とにかく危ない所だった。例えるなら、十年前後の付き合いである友達以上恋人未満の腐れ縁の女の子に顔が見えないよう空を眺めながら言われたい言葉を言われそうな気がした。自分でも何を言ってるのか分からない。
その後、ぎゃあぎゃあ泣きながら俺の背中に乗りかかるロボをあやしていると前を歩くサラとマールに遊んでないで早く来なさいと窘められてしまった。何故あいつらが仲良くなっているのかとか、何でサラがここにいるのかとかさっぱり分からないけれど、とりあえず歩く速度を速めた。
洞窟の中は、外から見ただけでは分からなかったものの、中は広い居住空間になっていた。山の中身を丸ごと刳り貫いたように天井は高く、洞窟内でありながら梯子を使わなければ入れない家まである。各々の家は藁葺きの屋根に茶色がかった布が扉の役割を果たしている。原始のテントに似た構造だろう。床には藁が敷き詰められて、何処か家庭的と言うか、ジール王国の町に比べて質素なものだった。こういうのを穴蔵生活というのだろうか? それでも地下に作られているため風は通らず、心なしか床が暖かい気すらする。地熱が違うという程深く掘られた所ではないので気のせいだとは思うが……
人々の反応もまた暖かく、見た事が無いはずの俺たちにも気軽に声を掛けてくれる。サラに至っては大人から小さな子供まで「サラ様サラ様ー!」と歓迎されていた。子供たちには雪玉を投げられておちょくられてたけども。馬鹿にされていたともいう。それに一々サラは「なふっ! ま、負けませんよー!」と走って追いかけるので子供はとても楽しそうにサラに悪戯を仕掛けるのだ。
あれが一国の王女かよ……とかなり冷めた目で見ていると、マールが俺の手を取り首を振った。
「……凄いよ、サラさんは」
「何だ、俺の考えを読んだのか?」
分かりやすいからね、と簡単に返されて俺はちょっと沈んだ。ポーカーフェイスを学ぶべきだと分かってはいるんだが……
「どんな人たちにも平等に接する……これが本当の王族なのかなって、私は思うよ」
「どうかと思うぜ? 国民に舐められっぱなしの王族ってのは」
「嫌われたり、恐れられたりするよりずっと良いもん。私も……サラさんみたいな王女に」
「ならんほうが良い。見ろよあいつ、子供にアルゼンチンバックブリーカー喰らってるぞ」
あはは……と乾いた笑いの後にマールは機嫌良くその場で一回転して、よたよた歩くサラの後についていった。
……嫌われたり、恐れられたり……まあ、確かにマールがそんな王女やってる姿は想像できねえなあ。プロレス技掛けられてる姿も同じだけ想像出来ないけどさ。
にしても、一つ気になる点が。人々の服装がジールに住む人々のそれと同じなのだ。埃一つ無いジールの服と違い全て薄汚れた、土気色のものとなってはいるものの、材質作り共に同じものだろう。同じジールの人間でも地上で生きる者と浮遊大陸で生きる者とで区分されているのか?
考え事をしたまましばらくサラについていき、比較的他の民家(家とは言いがたいが)よりも高い場所に位置する家に入った。中には腰を丸めた老人が一人、サラの姿を見て驚き、次に頬を綻ばせた。
「お久しぶりですサラ様……しかし、何故このような場所に?」
一つ頷いて、サラは親指を自分に向けて右足を前に置き啖呵を切るように声を高く上げた。
「救世主に、私はなる! その為にここに舞い降りてきたのです!」
舞い降りたとは大きく出たな。今さっきまでガキ相手に許しを乞うてたくせに。「許してくだひゃい!」と叫んでいた時はちょっと背徳的な気分になってもぞもぞしてしまった。
老人は一瞬硬直して、開いた左手に右拳を置いて「ああ」と納得したような声を出した。
「新しいごっこ遊びですかな?」
「違います! ていうか、違います!」
二段否定とは中々高等な技術を扱うな、サラ。
なおも食い下がり続けるサラを老人は笑いながら子ども扱いしている。その姿にさっきまで「私もサラさんみたいに」とか呟いていたマールが「あっれー?」と何を間違えたのか分からないと頭を抱えている。修正箇所は君の頭でもある。憧れる対象を今すぐ変えなさい。俺とかに。
「だから……私は命の賢者を助けに来たのです! 敬いなさい!」
「おお! なるほど貴方たちが! ありがとうございます旅の御方!」
「ええー!? 村長私! 私が助けに来たのです、その人たちは関係ないのです! 聞いていますか!?」
……駄目だ。ここジールに来てから全く自分たちのペースというものを掴めない。勝手にお礼を言われて勝手に否定されて、ロボもマールも疑問符を浮かべている。流れが……来ないっ!
「本当に、見ず知らずの方々にそのようなことをしてもらうとは……この村を、いえジールを代表して礼を言わせて貰います。ありがとうございます!」老人は朗らかに笑った。
「村長? 私を無視するのですか? さては二年前に貴方の髪を悪戯に燃やした事をまだ根に持ってますね!? あれは事故です! 他愛も無い悪戯に腹を立てずとも良いではないですか! 村長! 村長無視しないで下さい! 私は笑われるのと無視されるのと川魚が大嫌いなのです! ちょっと!? …………赤い人、私を助けなさい!」
困った時に親しくも無い俺を頼るなよ。げんなり王女。
それからの話を総括しよう。げんなりサラ通称ゲラハはジール女王に逆らって幽閉されている命の賢者を助ける為に地上に降りてきたそうだ。単身王女直々に来るとは勇気があるのか馬鹿なのかオッズは九・一。
何故今なのか? それを説明するにはまずジールの狙いを言わねばなるまい。
サラ曰く、ジールの本願はラヴォスの力を得て不老不死になること。その為にラヴォスを起こすというのだ。つまり……ラヴォスを使い未来を壊したのは魔王ではなく……ジール女王ということになる。魔王が張本人という説は薄れてはいたものの……流石に俺たちも衝撃を受けた。
次に、ラヴォスを起こす為の方法、それは海底に魔神器──ジール宮殿に保管されていたものを置いて起動させる事らしい。今までは、魔神器は作られたもののそれを海底に運ぶ方法が見つからなかった。しかし、ついさっき海底に建設された海底神殿が完成したのだという。
このままでは、魔神器を用いてラヴォスが目覚めてしまう。その前にサラは何とかして命の賢者を助けその知恵を預かろうとしたのだ。そして、その命の賢者がいる場所がこの村、アルゲティからドロクイの巣を抜けた先にある常識的でない巨大な鎖に繋がれた宙を浮く山、嘆きの山に囚われているのだとか。
……詰まる所、村長はサラみたいな小娘では無理なので俺たちにやってくれんかとそう言いたい訳だな。却下だ。
「そ、そんな……このままでは世界が滅びてしまいます!」
「いや……流れ的に行かなきゃいけないんだろうけどさ、なんだろうなあ、流されるままに物事が進むのはちょっと……分かりやすく言えば形でお礼が欲しいというか……」
俺の言いたいことが分かった村長は一頻り自分の部屋を見回して価値のあるものを探す。箪笥には机の上には古びた本、箪笥を開けてみればよれよれの服。引き出しを開けて出てきたのは先の潰れた万年筆。到底俺の満足できる品物ではない。
……まあ期待はしてなかったし、どの道ラヴォスを止める為には命の賢者を助けなければいけないのなら、何も無くても仕方ないか。横でマールが助けてあげようと腕を握り揺らすので仕方なく村長にもういいよと声を掛けようとした。……その直前に、村長が見ていたもの、それは……未だに騒いでいるサラという女性だった。
村長は首が折れるんじゃないかというスピードで俺を見て、ぼそっ、と耳打ちをする。人差し指を、サラに向けたまま。
「……A、いや、Bまでなら許します」
──クロノアイ、発動。対象人物の胸囲を測定、開始。
…………だぼついたローブの下からでも存在を強調するそれは、どれほど少なく見積もってもBではありえない。ではCか? ……いや違う。確かに奴が子供と戯れていた時、その兵器は『揺れていた』。それも、はっきりと。
続けてマールの上半身を凝視。マールは「ほえ?」と戸惑っているが、今は無視。見比べれば見比べるほどその存在感の差たるや圧倒的。決して平均を下回らないマールを軽々と超えるサラはCという枠組みに収まるはずも無い。
……D? そう、Dという可能性もある。だがそれはあまりに低い。例えるならば、チャーハンを不味く作る可能性くらい低い。強火で炒めて適当に具材を入れて塩コショウ好みにより醤油またはソースをかければ食えなくはないチャーハンを失敗するなどまずありえない。京ア○が喧嘩商○をアニメ化するくらいありえない。
何故ならば、サラの揺れ方、揺れ幅はメロンを袋に入れて揺らすが如く。床に押し倒されていた時に潰れていた胸はまるでキングスラ○ム。その上弾力性まで存在していた。奴は倒れた時確かに体が浮いたのだから。
……確信は無い。確信は無いが……およそE~F。だ、だが……だがしかし! 奴があのスキルを秘めていたならば、奴がまだ己の爪を隠す為の能力『着やせ』を持っていたならばっ!?
──戦闘力G……も、もしくは恐ろしい事に、男の夢。え……Hに達している事さえ……有り得るっっっっ!!!!!!
人には、夢がある。
その人という言葉にはさらに二つの意味が内包されている。
男と、女。
女の夢というのは実に現実的だ。顔、将来性、経済力。この三つを兼ね備えている男と結婚するということ。今時白馬の王子を信じている者などいない。仮にいたとして、仮にそれを口にするものがいたとして、それはただのキャラ付けに過ぎない。「子猫ー、こっちおいでー」とか言ってる女の子だってバイトの休憩時間にパーラメントぱかすか吸ってんだよ、「店長の顔っつーか存在がセクハラ」とか言ってるんだよ!
対して、男の夢。
俺たちは……希望を捨てないのだ。
勿論顔、将来性、経済力を重視する男もいるだろう……だがそれは男ではない! 真の男には三つの夢があるはず!
一つ! 「今迄で一番良い……」と言われる事!
二つ! 「別にアンタのこと異性と思ってないし」と言ってるくせに二人で遊びに行ったら女の子が顔を赤くして白いワンピースを着てくる事! 「今日の服、どう思う?」と聞かれて可愛いよと言えば「昨日安かったから買っただけだからね。いや、今日の為に買ったとかじゃないからね!」と怒りながらもずっとニヤニヤしていたらなお良し!
三つ! それが、それこそが、胸に関することである……まずは貧乳派の夢を、勝手ながら言わせて貰おう。様々な意見はあれど……貧乳っ娘の良い所は、羞恥にある。
いつもは元気に振舞っているが、その実自分の胸が小さい事にコンプレックスを抱いている……これだ。「小さくないよ、普通だよ!」と言い張るB以下の娘たち……毎晩毎晩バストアップマッサージを行うも効果が出ず項垂れている姿なんか想像してみろ、世界が変わると思わないか?
とまあ、貧乳の良さを言った所で俺は巨乳派、所詮付け焼刃の理論でしかないだろう。では……いよいよ巨乳派の夢を語るとする。
巨乳派の、夢。それは……埋もれる事。
胸という至福の楽園、エデンにその存在を掻き消される事。「ああ! 手が見えないよ俺の手が見えないよ!?」というラインに立てば……景色が消えて再構築。ヘヴンがその姿を現すのだ。
も……もしも、もしもだぞ? その夢の楽園に顔を埋めればどうなる? 視界が肌色の柔らかい甘美な楽園に染まれば、どうなるというのか……? そして、その楽園に入る為の鍵が……そう、GもしくはHカップ。
……理想のカップの娘は見つけた。つまり、左の鍵は手に入れたのだ。それを己が物とするための権利、右の鍵が今俺に差し出されている。
俺の答えなど……とうに決まっている。
俺は村長に頭を下げ、剣を抜き両手で頭上に構えて右膝を床に落とす。騎士が忠誠を誓うような、出来うるだけ荘厳な構えとなるよう心がけて。今、俺は口を開いた。
「──ここに、契約は完了した」
今からあんたがマスターだ。村長。
「……なんだろ。良く分からないけど今私すっごい不愉快な気分」
黙れ駄乳。俺の道は誰にも阻ませない。口にはしないけども!
ニタァ、といやらしそうに笑い、すぐに顔を戻して人の良さそうな表情で村長は手を叩いた。
「決まりですな。しかし皆様吹雪の道を歩いてさぞ体が冷えておる事でしょう。この村には地下に温泉がございます。どうぞそこで体を暖めて一休みして下さい。嘆きの山は気温も低くモンスターも大勢おります。アリクイの巣とて凶暴な魔物が闊歩しておりますし……万全の体調で挑むべきかと。皆様の濡れた服はこちらで乾かしておきますので」
おおお温泉だとぉぉ!!!? あのボーナスシーンとしてお馴染みの温泉だとぉぉぉ!? 落ち着け俺、ロックの主張を思い出してルソーの持論を一言一句頭の中で朗読しろ!
「ねえロボ、温泉って何?」
「自然に湧き出る温水のことですよ。人工的に作り出された湯と違って効能もあり、言ってしまえば普通のお風呂よりも心地良いものと思っていただければ良いです」
「へえー。楽しみだね! サラさん一緒に入ろうよ!」
良いぜマールさん良いぜ! 今日最高のプレイだ! 見れるぞ、湯船に浮かぶ二隻のノアの箱舟がこの目で見る事ができるぞ! 十八歳未満……いや二十一歳未満は立ち入り禁止さホッホーイ!
鼻息が荒くなるのが止められない。闘牛のようにふがふが言いながらこの先の展開を予想する。混浴だろ? この時代裸の禁忌なんてものは無いはずだ、つまり混浴だろ? 混浴ってアレだろふとした事故でバスタオルを剥ぎ取っても文句を言われないアレだろ? 俺の旅は……今この時の為にあったのか!
「温泉にはしきりがありますので、男女同時に入る事が出来ます。脱衣所も分かれておりますので御安心下さい」
──善意だ。村長は善意で言っている。
男女の湯を分けるのは、己の裸を異性の目に触れさせたくないという女性の羞恥心を考慮しての事。それは脱衣所も同じ。男女時間帯を変える必要が無いしきりというのは、善意での思いつきであることは疑いようが無い。いかに男性が女人の裸体を見たくとも……女性を思う気持ちは善意なのだ。
……だからこそ、差別は無くし難い。
悪気など無い、故に間違いに気付かない。何故誰もそれを叫ばない? ここの住人はどうして村長の理不尽な男卑に反対しない? 誰か一人でも勇気ある男が反旗を翻し意見を物申したならば今日の悲劇は起きなかっただろう。
俺は忘れない。今この時の悔しさを、屈辱を。儚く散るからこそ夢だとでものたまうつもりか? ふざけるな! 俺は認めないぞ、例え万人が反対しようとも、世界中の女性を敵に回そうとも絶対に諦めない! 混浴という理想郷を忘れない……。俺はこの痛みを抱えて、明日を生きる。非業の展開に伏せる事無く、世間の間違いを正してやる。俺が世界を変えてやる!
「あああああああぁぁぁぁぁ!!! 女の全裸見てえよおぉぉぉぉ!!!」
「うわ、マジキモイクロノ死んで」
貴様には分かるまい。お前みたいな奴が事故現場をバックにピースサインで写真を撮ったりするんだクソッタレ。
天井には鍾乳石のように丸く尖った石が並び垂下している。湯から浮き上がる湯気が付着してぽつぽつと温泉に落ちていく音は温泉の醍醐味ではなかろうか。湯の底には石筍とは言わないがそこそこに飛び出た石が敷き詰められているので少し痛いが……ツボを刺激してくれるという説明を受けてそんなものかと納得した。
温度は少し熱いくらいだが、温いよりは良い。湯船に潜り体全体を暖めて浮かび上がる。今ここには俺とロボしかいない、マナーなど気にしなくても良いだろう。ロボに至っては普通にはしゃいで泳いでるし。別に良いんだけど、ロボって温泉に入る必要あるのか? アンドロイドなのに。
深いため息を疲れと共に吐き出して、下半身だけ湯船に入れる。疲れがどんどん吸い込まれていくようでこのまま眠りたい気持ちになる。流れ出る汗の一つ一つが酷く心地よい。良い汗を掻くというが、正にこの事だな。
少しの間ぼーっと天井を眺めていると、泳ぎ飽きたのかロボが隣に座り込んできた。ところでどうしてお前タオルで乳首まで隠すの? 似合いすぎてて怖い。
「良いものですねクロノさん。僕温泉なんか初めて入りました!」
「まあそうだろうな。あの未来で普通に入れる温泉なんか存在しないだろうし……そもそも風呂なんかあったのか?」
「僕の体を洗ってくれる洗浄装置はありましたけど……こういう形で体を洗ったことは無いですね。データとして知ってはいましたが……クロノさんはここ以外で温泉に入った事ありますか?」
言われて、昔の記憶を思い出す。初めてではないな、ガルディアの森の奥に温水の湧き出る源泉があったので小さい頃ルッカと入った思い出がある。流石に大きくなってからは俺一人ルッカ一人と別々に入りに行ったが。
「一応あるぜ。ここみたいに洞窟の中じゃ無かったけどさ。森の中にあって、雪が降ったときなんか最高だったな、景色が綺麗で外が寒いから湯に浸かった時なんか格別なんだ。出るのが辛いってのはあるけどな」
ほんとうに冬の露天は一度入ったら出られない。それは炬燵の比では無く、アリジゴクに近いようなものだった。一度体を拭く為のタオルを忘れた時なんか最悪だったな、帰ってから風邪を引いてしまった。
「へえ……僕も入ってみたいですその温泉!」目にかかる濡れた髪を払いながら、ロボは羨ましそうに目を輝かせた。
「残念だけどさ、その温泉前に兵隊たちに壊されたんだよな。魔物が集まるからって理由でさ。その温泉に集まるモンスターは人を襲わなかったんだけど……というか、俺とルッカは襲われなかった。悲しかったなあれは……思い出のある大切な場所が大人たちの都合で壊されていくのは、本当に悲しかった。そこそこ大きくなったルッカもわんわん泣いてさ、子供ながらに反政府なんて言葉を覚えたよ、大げさだけどな」
その頃の自分を思い出して恥ずかしくなる。妙に斜に構えて大人たちを見下してたな、大人は皆自分のことしか考えてないんだ、子供の方が正しい考えを持てるんだ! っと息巻いていた。今思えば、大人は自分のことしか考える事ができないんだ。それが悪いとかじゃなくて、そうならなければ心が壊れてしまう。今の俺だって自分のこと以外に目を向けろなんて言われても戸惑うし……大体にして、子供の頃の自分なんかもっと自分のことしか考えてなかったじゃないか。
湯を手ですくって顔に掛ける。下らないことを考えてしまった。人間論なんて今この年齢でするもんじゃない、熟成して様々な考え方ができるようになって初めて楽しめるものなんだから。
「……さあて、そろそろ始めようか」
「? 何を始めるんですか」
ロボの疑問に俺は答えず、ただ男湯女湯を分ける藁の壁を指差した。俺の意図に気付いたロボは「ええー……」と気乗りしない声を出す。お前、この状況に否定的とは本当に女なんじゃないか? 怖いから確認しないけども。
壁は竹に藁を被せた物で隙間から覗くという古典的方法が使えない、変な所でセキュリティ上げてるんじゃねえよ。壁は天井まで伸びており登って覗く方法も却下。まあ、そもそもそんなありきたりな方法に甘んじる気も無い。
「良いかロボ、今から俺があの壁にドロップキックをかましてぶっ壊すから、夢の光景を目に焼き付けるんだぞ」
「え!? そんなの絶対バレますよ!」
ロボの奴分かってないな? 古今東西女湯を覗こうとしてバレずに成功した者など数えるほどしかいない。果敢に挑戦していった猛者共の数を考えれば不可能に近い可能性と言える。
ちまちま針の穴から覗こうとする小さな試みですら相手にバレてお仕置きをされるくらいなら、堂々と見てお仕置きを受けるほうが良いじゃないか。俺はマールに両腕を折られようと両足を粉砕されようと、見たいものは見たいのだ。
……それに、お仕置きが確定というわけでもない。まさか俺たち男陣がそんな大胆不敵に裸を眺めようとするとはマールたちも思っていないだろう。覗きを警戒していようが、その予想を遥かに上回る登場を果たせばタイムラグは必ず発生する。その隙を突いて逃走、眼福の極みを味わった所で命の賢者のいる嘆きの山までハリハリー! 頃合を見計らってマールに会えばもしかしたら怒りが薄れている……かもね。
はっ、やってしまった後の事など考えなくてもいいか。まずは、このヘヴンズゲートを破壊して極楽を目にする事以外道は無い……っ!
湯船を出て、まずは屈伸運動。満遍なく筋を伸ばし最良の行動を起こせるよう準備を怠らない。上手くいけば三秒……いや十秒は網膜に裸体を貼り付ける事ができる!
「パーティーの始まりだぜ……?」
「あ、僕もう出ますね」
空気を読まず脱衣所に行こうとするロボを羽交い絞め。暴れるのを無視して無理やり連れ戻した。
「逃げるなロボ。お前がいなくなったら罰を受けるのが俺だけになるじゃないか。ソンナノサミシイ、オレイヤ」
「片言じゃないですか! 僕は嫌ですよ、女性の裸を無理やり見るなんて紳士じゃありません!」
「うるせえ! なんなら全部お前の責任にすれば許してもらえるかな? とか思ってるんだから付き合えよ! なあにこの程度のトラブるっ! 誰も気にしないさ!」
「最低だ! 今日のクロノさんは最低だ! 後僕は海賊漫画と死神漫画と忍者漫画しか見てません!」
最近クロノ節が炸裂してなくて鬱屈としてたんだ、今くらいはっちゃけても良いじゃないか。男の子がエロイのは健康的な証拠です! 悪い事なんか全く無いのです! ……最近の目安箱漫画、俺結構好きだぜ? 絵柄変わったけど内容は好きですよPCP!
もういっそロボを振り回して壁にぶん投げようと遠心力を作り出すとロボの暴れ具合が増す。何をしようとしてるのか理解したのだろう、だがもう遅い! 今この瞬間にレーザーなり加速装置なりを起動させても俺が投げる方が二秒は早い。結果現れたロボが女子二人にフクロにされている間俺は逃亡するという訳だ。理想を手にしてリスクを負わない、何という策士! 俺という人材が戦乱の世に生まれていれば臥龍として名を轟かせただろう……
己の敗北を悟り絶望の海に落ちているロボをしきりに投げようと力を込めて解き放った。ゆけ、ロンギヌス!
スローモーションのように時間がゆっくりと流れていく。ベ○のサイコアタックのように頭を前にして飛来するロボは綺羅星のように美しく飛んでいた……自分の行った善行に思わず目を瞑り爆砕の瞬間を待つ。
……遅れて、壁の破砕音……? え? まだ着弾まで時間があるはずなんだが……?
目を開ければばっくり壊れている壁の奥に仁王立ちしている誰かの姿。
「はっはっはまさか入浴中に襲われるとは思っていないでしょう赤い人! 今こそ決着をふぶぅ!?」
「……………………」
説明しよう。俺の投げたロボミサイルは壁に向かい直進していた。ターゲット地点には竹と藁の壁。だがロボの衝突の瞬間、今ロボタックル改めロボスピアーの餌食となった人が壁を突き破り何らかの鬨の声を上げたというわけだ。意味が分からん。
「あ、クロノーやっほー」
「やっほーマール。分かってたけど湯船で体は隠すんだな」
「うん。言っとくけど、万一見たら二つの物が一つになるからね」
……まさか骨折の類ではなく紛失の類で攻めてくるとは。流石の俺も二人の息子の内片方を失うのはしのびない。いやそうじゃなくて状況を教えて欲しい。何故サラがしきりを破壊してこちらに現れたのか全く分からない。メリットが全く無いじゃないか。
「あのね、サラさんがいきなり立ち上がって『今ならあの赤い人をかきゅん! と言わせられるかもしれません!』って男湯への壁をぶち抜いたの。結構力あるんだねサラさん」
……まさか、女側のサラが男湯を覗こうとしたとは思いもよらなかった。需要あるのか。
「ふぬぃ……や、やりますね赤い人……私の出現を見越して先制攻撃とは恐れ入ります……」
胸に埋め込まれたロボを引き剥がしてサラは不敵に笑う。格好付けてるつもりか知らないが、バスタオル一枚であまり動かんほうが良いと思うぞ。こちらは大歓迎だが……なんだろう、こうも恥ずかしげなく半裸を見せられたらロマンが消えて気分が台無しになってきた。やはり女たるもの恥ずかしがるという感情が必須だと思うのだよ。
勢い良く指を振り下ろし、俺に指を突きつけてサラは朗々とした声を張り上げた。
「覗きなんてどうせバレるのだから堂々と覗くという私の心理を先読み! 流石私のライバルです! それでこそ私と並び立つにふさわしい!」
……もしかしたら俺とコイツは仲良くなれるかもしれない。断固拒否するが。
腰に手を当てて訳の分からん戯言を延々漏らしているサラは放っておいて俺は脱衣所に歩いていった。「ええ!? 名乗りの最中に逃げるなんて私のシナリオにありません!」と叫んでいる奇怪な生き物には足元にあった盥をプレゼント。すかーんと良い音を鳴らして湯船に落ちていった。
脱衣所にて村の住人が乾かしてくれた服を着ながら、俺は温泉でのことに考えを巡らせることにした。色々と俺の素敵イベントが崩れたが、得た物が無かったわけではない。確かに性格は酷いが、サラは確かにFを超えている。ロマンティック溢るるGないしHであることが確信できた。いかん、笑いが止まらない……あのロマンの塊が俺の自由になると考えれば仕方が無い事とは言え……
「……クックックッ……ハァーーハッハッハ!!!」
俺の笑い声は温泉は勿論、村中に響いただろう。だが抑えられなかったんだ、魂の歓喜を止めるなど誰に出来よう? 俺は俺の本能に従っただけだ。
……ただ一つ腑に落ちない点は、サラの豊満な胸に飛び込めたロボと、あの後マールに背中を流してもらったというロボ。何それ? どんなルート辿ればそんな事できるの? ロボ本人は恥ずかしすぎてガッチガチに固まってたらしいけど……完全に俺よりも良い目にあってるじゃないか。そうと分かってれば俺がロボにぶん投げられてれば良かった。
必ずや後で八つ当たりしてやろうと心に決めて、風呂から上がった俺たちはようやっと命の賢者を助けに向かうのだった。
おまけ
時の最果てにて、カエルはいまだ慣れない体を満足に動かす為、剣を振るい戦闘力を戻そうとしていた。ちょうど良いことに、獣の神スペッキオはあらゆる武術に精通しているそうで、今までに無い修練法などを伝授してもらい、訓練が終わった後の彼女は少々機嫌が良かった。
昔親友に上手いなと褒めてもらった口笛を吹きながら、自分の仲間であるルッカに少しは剣の腕が戻ったか実際に見てもらった後感想を聞こうと探している時、カエルの背中に電撃のようなものが走ることになる。
(何だ? 何故か、今ルッカに会いに行くべきではないと俺の勘が告げている……)
ルッカのいる場所は分かっている。老人の位置からは見えない光の柱の並ぶ部屋、そこの壁の隅に座り込んでいる。というよりも、今まさにカエルからルッカの後姿が見えている。後は近寄って声を掛けるだけ。なんとも単純な動作である。基本的コミュニケーション、しかしそれを取ることが出来ない。
(臆するな……色々ととんでもない目に合わされたが、ルッカは俺の仲間だ。何より、まだ戦いに出て日の浅い娘に俺が臆するなどプライドが許さぬ!)
意を決したようにカエルはわざと足音を立てて近づき、心持ち大きいボリュームでルッカに声を掛けた。そこでカエルは気づくべきだったのだ、足音を聞いたルッカが過剰に反応を見せて敵意を向けたことに。今の自分に近づくなと明確なオーラを放ったというのに、戦士としての誇り、長い年月を戦い抜いてきたという自負がそれに気づく事を邪魔した。
「ルッカ。俺の剣の冴えがどこまで戻ったか確かめてくれんか? なに、時間は取らせん…………ルッカ、お前何をしている?」
ルッカは幽鬼のようにゆっくりと振り向いて、にこ、と笑った。笑顔とは敵意の証であると親友に教わっていたカエルは慌てながら剣に手を掛けた。いかに信頼すべき仲間でも、その空気に圧倒されて反射的に防衛行動を取ったのだ。
ルッカは、己の胸に手を置いていた。いや、性格には腹から上に押し上げるように胸を持ち上げていたのだ。そんな彼女の傍らには、雑誌が一つ。
ルッカの目を見ていることに限界を感じたカエルはその落ちていた雑誌のタイトルに目を向ける。そこに書かれていた雑誌名は、『取り戻せ! 女の自身! 必見、バストアップ運動!』だった。
「……見たわね? カエル」
「……待てルッカ。話し合おう。お前のしていることは恥ずかしい事じゃない。むしろ向上心があるということで誇るべき事だ」
説得しながら、カエルは剣から手を離せない。もし隙を見せれば目の前の怪物はすぐに飛び掛ってくるという想像が頭から離れないのだ。その先の自分の末路も。
「良いわよねカエルは。平均、いえそれ以上あるもの。多分ね。私なんか……私なんか……」
自己の深遠に隠れていた己が悩みを見つけられ、ルッカは独語を続けた。カエルに聞かせる気の無いそれは確かに独り言だった。
誰かに助けを求めるようにカエルが後ろを振り向くと、そこには老人の姿が消えていた。外灯の下には誰もいない、影一つ残っていない。
「……くっ!」
脱兎の如く、カエルは走り出しスペッキオの部屋の扉に近づき取ってを捻った。いつも軽く回るそれは時が止まったように固く動かず、誰かの来訪を拒否している。開かぬならば叩き壊すまでと剣を必死に振り斬りつけるが、ドアには傷一つ残らない。注意してみれば扉は薄い膜に覆われている。魔力によるバリアーだとカエルは直感した。これらの要因から答えが導き出される。恐らく、中にいるスペッキオが老人を匿い、なおかつ固く扉を閉ざしているのだ、と。
今の今まで訓練に付き合ってくれた戦友の裏切りに絶望しながら、カエルはまだ諦めなかった。光の柱に飛び込めば逃げる事ができるかもしれないと思ったのだ。
……されど、現実は甘くない。そも、逃げるべき敵は光の柱がある部屋で待っているのだ。光の柱にたどり着くには阿修羅を越えて行かねばならぬ。さしもの歴戦の勇者とて、この事実に気付いたときは足に力が入らず膝を突きそうになった。
(まだだ……まだ大丈夫!)
再びカエルの目に光が宿る。手段は単純。理由ははっきりしないが、恐らく胸の事で怒り狂っているルッカを鎮めるということ。
(冷静に話し合えば、必ずルッカも自分が怒っている矛盾に気付いてくれるだろう。何ということは無い)
生きる屍のように両手を垂らしのったりと近づいてくるルッカに息を呑みながら、カエルは無意識に退路を確認する。しかし、今彼女がいる場所は正方形の部屋、その隅。両手の方向すぐに壁がそそり立ち行く手を阻んでいる。残る道は前のみ、何とかルッカの手を逃れて振り切ることが出来れば……とシュミレートして、諦めた。どのタイミングで横に逸れようといかに緩急をつけて走り出そうと、ルッカに捕まるイメージしか浮かばなかったのだ。
震える喉を堪えながら、カエルは決定的な一言を放った。
「……む、胸など無いほうが良いぞ。俺は胸の無いルッカが羨ましい」
「…………チギル」
後日談となるが、何故かルッカが近くにいる時カエルが必ず胸を押さえている様をクロノたちが目撃している。その時のカエルは怯えているようで、怪物から身を守るように弱弱しく震えていたという。
さらに余談、原因は杳として知れぬが、カエルのカップ数が一つ増えた事を記しておこう。それをルッカが怨敵を見るような目で睨んでいた事も。
貧乳による悩みは大なり小なりあれど、真の無乳は限りないコンプレックスを担っている。これは誰しもが心しておくべきことなのかもしれない。