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No.20619の一覧
[0] 星は夢を見る必要はない(クロノトリガー)【完結】[かんたろー](2012/04/28 03:00)
[1] 星は夢を見る必要はない第二話[かんたろー](2010/12/22 00:21)
[2] 星は夢を見る必要はない第三話[かんたろー](2010/12/22 00:30)
[3] 星は夢を見る必要はない第四話[かんたろー](2010/12/22 00:35)
[4] 星は夢を見る必要はない第五話[かんたろー](2010/12/22 00:39)
[5] 星は夢を見る必要はない第六話[かんたろー](2010/12/22 00:45)
[6] 星は夢を見る必要はない第七話[かんたろー](2010/12/22 00:51)
[7] 星は夢を見る必要はない第八話[かんたろー](2010/12/22 01:01)
[8] 星は夢を見る必要はない第九話[かんたろー](2010/12/22 01:11)
[9] 星は夢を見る必要はない第十話[かんたろー](2011/08/02 16:03)
[10] 星は夢を見る必要はない第十一話[かんたろー](2011/01/13 06:26)
[11] 星は夢を見る必要はない第十二話[かんたろー](2011/01/13 06:34)
[12] 星は夢を見る必要はない第十三話[かんたろー](2011/01/13 06:46)
[13] 星は夢を見る必要はない第十四話[かんたろー](2010/08/12 03:25)
[14] 星は夢を見る必要はない第十五話[かんたろー](2010/09/04 04:26)
[15] 星は夢を見る必要はない第十六話[かんたろー](2010/09/28 02:41)
[16] 星は夢を見る必要はない第十七話[かんたろー](2010/10/21 15:56)
[17] 星は夢を見る必要はない第十八話[かんたろー](2011/08/02 16:03)
[18] 星は夢を見る必要はない第十九話[かんたろー](2011/08/02 16:04)
[19] 星は夢を見る必要はない第二十話[かんたろー](2011/08/02 16:04)
[20] 星は夢を見る必要はない第二十一話[かんたろー](2011/08/02 16:04)
[21] 星は夢を見る必要はない第二十二話[かんたろー](2011/08/02 16:05)
[22] 星は夢を見る必要はない第二十三話[かんたろー](2011/08/02 16:05)
[23] 星は夢を見る必要はない第二十四話[かんたろー](2011/08/02 16:05)
[24] 星は夢を見る必要はない第二十五話[かんたろー](2012/03/23 16:53)
[25] 星は夢を見る必要はない第二十六話[かんたろー](2012/03/23 17:18)
[26] 星は夢を見る必要はない第二十七話[かんたろー](2011/08/02 16:06)
[27] 星は夢を見る必要はない第二十八話[かんたろー](2011/08/02 16:06)
[28] 星は夢を見る必要はない第二十九話[かんたろー](2011/08/02 16:06)
[29] 星は夢を見る必要はない第三十話[かんたろー](2011/08/02 16:07)
[30] 星は夢を見る必要はない第三十一話[かんたろー](2011/08/02 16:07)
[31] 星は夢を見る必要はない第三十二話[かんたろー](2011/08/02 16:08)
[32] 星は夢を見る必要はない第三十三話[かんたろー](2011/03/15 02:07)
[33] 星は夢を見る必要はない第三十四話[かんたろー](2011/08/02 16:08)
[34] 星は夢を見る必要はない第三十五話[かんたろー](2011/08/02 16:08)
[35] 星は夢を見る必要はない第三十六話[かんたろー](2011/08/02 16:07)
[36] 星は夢を見る必要はない第三十七話[かんたろー](2011/08/02 16:08)
[37] 星は夢を見る必要はない第三十八話[かんたろー](2011/08/02 16:07)
[38] 星は夢を見る必要はない第三十九話[かんたろー](2011/08/02 16:06)
[39] 星は夢を見る必要はない第四十話[かんたろー](2011/05/21 01:00)
[40] 星は夢を見る必要はない第四十一話[かんたろー](2011/05/21 01:02)
[41] 星は夢を見る必要はない第四十二話[かんたろー](2011/06/05 00:55)
[42] 星は夢を見る必要はない第四十三話[かんたろー](2011/06/05 01:49)
[43] 星は夢を見る必要はない第四十四話[かんたろー](2011/06/16 23:53)
[44] 星は夢を見る必要はない第四十五話[かんたろー](2011/06/17 00:55)
[45] 星は夢を見る必要はない第四十六話[かんたろー](2011/07/04 14:24)
[46] 星は夢を見る必要はない第四十七話[かんたろー](2012/04/24 23:17)
[47] 星は夢を見る必要はない第四十八話[かんたろー](2012/01/11 01:33)
[48] 星は夢を見る必要はない第四十九話[かんたろー](2012/03/20 14:08)
[49] 星は夢を見る必要はない最終話[かんたろー](2012/04/18 02:09)
[50] あとがき[かんたろー](2012/04/28 03:03)
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[20619] 星は夢を見る必要はない第二十五話
Name: かんたろー◆a51f9671 ID:9726749e 前を表示する / 次を表示する
Date: 2012/03/23 16:53
 理由は杳として知れないが、白目を剥いて痙攣するカエルの足を引き摺り新たな町に足を入れることとなった。まったく、胸の量だけ重いんだから勘弁していただきたい。
 町の名はカジャール。エンハーサに似た特徴を持つ、やはり今までに見たことの無い外装、外観、内装、内壁の一風どころか二風三風変わった町である。住人に頼み込んで気を失っているカエルの為にベッドを貸してもらう。柔らかい羽毛の枕に顔を叩き込んで寝かせると「ふぎゅう」と呻いたのが好印象。「おげふ」なら三倍満確定という素晴らしい戦績だったのに。
 早速町の人々にルッカを見なかったか聞いて回ることにした。皆一様に知らない、見たことが無いという意見で、流石に妙だ、と思いだす。それほど広い大陸でも無いこの国で誰一人ルッカの姿を見ていないのは不自然だ、もしかしてこの国の人間が嘘をついているかもしれない。


「……まあ、根拠が無いし、そうするメリットもないよな」


 エンハーサ同様、カジャールに住む人間の数はそう多いものではない。どう見ても人間には見えない青色のマスコット人形みたいな化け物もいるが、話しかけるには俺の勇気が足りない。『漢』にならないとコミュは発生しないようだ。多分属性は戦車か悪魔。
一人につき一言二言の会話ですませた俺はそう時間のかからない内にほとんどの住人にルッカの所在を聞くことが出来た。内容は一貫して「知らない」というものだったが。
 とはいえ、全くの無意味とも言えない。有益な情報の内一つは、何とパワーカプセルやスピードカプセル、マジックカプセルという肉体の限界値を底上げさせる希少アイテムを製造する場所がここカジャールに存在したのだ。
 工房に入りそれを確認した俺は言わずもがな何個かくすねていこうとして……案の定見つかってしまった。その上「それは試作品なので盗っても無駄だ屑男」と謂れの無い暴言まで浴びることに。俺の気分がもう少し殺伐としたものなら血の雨が降っている。
 なら完成した物は何処に? と問いただせば「そうさな……十万Gあれば分けてやらんでもない」とか言い出した。十万G? 俺は思わず笑い出してしまった。


「おいおいそんなものでいいのか? もっととんでもない額を用意してやる。今あるだけ持ってきやがれ」


 大胆な発言に驚いた工房の責任者らしき男が棚の上にある木箱を持ってきた。中にはカプセルが四つ。スピードカプセルが二つ、後はそれぞれ一つずつ。工房というにはあまりに少ないと指摘すれば「ちょうど出荷した為数が無い」とのこと。不承不承カプセルを懐に入れて、代わりに皮袋を手渡した。


「……え? これだけですか?」


「うむ。苦しゅうない持って行け」


 言い終ってからすぐに魔力を展開、電流による擬似神経を作り出し身体能力を向上させて脱兎の如く逃げ出した。50Gって、とんでもない額だよね。だって俺の持ってる全財産だもの。
 工房から狂ったような叫び声が聞こえるも、寝ぼけ眼で顔を擦るカエルを連れてカジャールを飛び出した。指名手配云々の前にルッカを探し出さなければならない、タイムリミットがあるなんて、燃える展開じゃねえか……
 というわけで、有意義だった出来事の一つ目は少ない犠牲の果てにカプセルを四つ手に入れたことだった。それらはすぐに俺の口の中に放り込み、中世で貰ったパワーカプセルだけは状況を掴めず慌てているカエルの口に押し込んだ。顔色が青紫に変わっていく様は面白いと断ずるに相違ない、まあおもろいもんでした。
 さて、もう一つ得た情報で俺の心惹かれるものとは、超巨大な飛空挺がカジャールの近くで造られているということだ。
 飛空挺というものがどんなものなのか想像できないが、言葉通り空を飛ぶ大きな機械なんだろう。ルッカの造った骨組みだけの飛行機(プラモデルを大きくしたとも言う)しか空を飛ぶ乗り物を見たことが無い俺は高揚しながら飛空挺──黒鳥号を見に行くことにした。予想通りカエルは「下らんことをしている暇は無い!」と却下したが無視。「じゃあお前だけそこらで待ってろ」という俺の言葉に項垂れて、黒鳥号観覧を了承することになった。さっさと言うこと聞けばいいんだよ馬鹿が。


 カジャールの裏手に周り、整備された道を進めば、そこには別世界が広がっていた。
 未来のように、自動で動くロボットや手作動で操作する機械がひしめき、オイルの臭いが充満する。注目すべきはその先の光景。金属の橋に繋がれている全体が深緑色の、大型艇に似た空を浮かぶ船、黒鳥号。外のデッキには砲台が並び、それらの中央に鎮座する巨大なマストの帆には威圧感のある黒い文字で大きく『ダルトン』と書かれている。胴体部分の両脇にプロペラが数十と付けられて、見ただけでもそれらが回りこの黒鳥号が飛ぶ要因になるのだろうな、と想像できた。見張り台のような場所には望遠鏡に酷似した装置を片手に視界を変えている仮面を着けた男。
 よく見れば、仮面を着けているのは彼だけではなく作業員全員が例外無く仮面を装着し、背中には紫色の刀を背負っている。服も刀と同じ紫で統一し、動きは一般人のそれではなく、軽やかに足を動かし腰を低くしている動作は、戦いに慣れている、というよりは特殊な作業に突出している印象を与える。


「……あの特殊な動き。奴らは、恐らく隠密、奇襲を専門とする特殊な部隊だろう。何故そのような奴らがここに……?」


「まあ、飛空挺を守るためだけの部隊とするにはちょっと無理な話だよな。むしろ、本隊の中で手が空いた奴らがここにいると見るべきか?」


 この国の兵士に当たる人間が全員あんな胡散臭い奴らとは思いたくないが……ただの隠密部隊ではないだろう、こんなに人目のつく場所で警固する隠密集なんて無理がありすぎる。それも、一人二人ならまだしも全員が同じ格好というのは……


「おい! 貴様ら何をやっている!」


「!?」


 黒鳥号とその周りに意識をやっていた俺たちは後ろから近づく仮面男に気づかず剣を押し付けられてしまう。一先ず両手を上げて反抗する意思は無いと示した。


「……その格好、何者だ!」


 問われながら後ろを振り返ると……五人。俺たちは、明らかに黒鳥号と作業員を見ていた。誤魔化すには少し無理があるこの状況、全員を斬り倒す事も考えたが、カエルが神をも恐れぬ足手まといである今、果たして俺一人でやれるだろうか……? どう見てもただの兵士ではない上、魔法の国というだけに、魔力も扱えるのだろう。実質五対一以下(カエルはマイナス)。ああ、ルッカがいれば随分戦法も広がるのだが……とかく、ここで戦うのは論外だ、何とか言い訳を考えねば……


「あ、あの……あれだよ。美人局しようかなあ、と」


 横にいるカエルが小さく「死ね」と呟いた。仕方ないだろう、それ以外に浮かんだ言い訳が「デートです」しか無かったんだ。丁度手も繋いでるんだし、その方が信憑性もあったのだがいかんせん、それを言うのが嫌だった。例えこの状況を乗り切る為の方便としても、絶対に嫌だったんだ。
 俺の美人局発言に仮面集団は「……そうか」とだけ言って剣を抜いた。駄目か、そりゃそうか。仮に信じてくれてもこんな所で美人局やろうとしてる奴等なんか殺しても良いってか。
 右手に電流を作り出し、一か八か反抗してみるかと心に決めて刀に手を伸ばそうとした時、仮面の兵士達が武器を収めて敬礼を始めた。一瞬、俺たちにしているのかと呆気に取られたが……彼らの行動、その理由は後ろから聞こえる声により氷解した。



「何だ、お前達? 何かあったのか?」


 茶色と金の色が混ざり合う肩まで伸びた髪を揺らし、橙のマントを風でたなびかせながら近づいてくる、一人の男。顔は整っているというよりは野性味のある、獣を思わせるもので、服の上からでも分かる鍛えられた体。それに何よりその異質な魔力。魔力量が多いとか、そういった意味ではない。見たことの無い魔力の形を作るそれは、魔王の放つ力にも似た不気味さが確かにあった。
 ……なるほど、この男がこいつらの親玉か。


「ダルトン様! いえ、怪しい奴らが……」


 ダルトンと呼ばれた男がふん、と鼻を鳴らして俺たちに近づいてくる。どうでもいいけど、鼻息荒いよこいつ。
 ダルトンは俺には一瞥もくれず「ボディーチェックだ」と称して無遠慮にカエルの体を触り始める。肝心な部分には触れていないためカエルも怒りを抑えているようだが、拳は強く握られ震えている。ぶっ飛ばす五秒前というところか。
 なんかこういうのも興奮するなあと思いながらシチュエーションを楽しんでいるとダルトンは不意に体を離してマントを翻し、両手を挙げみょうちきりんなポーズを作った。


「そうか! 貴様、俺のファンか! 俺の逞しくも優雅、それでいて知性溢るる姿を一目見たいと押しかけてきた、そうだな!?」


 謎は全て解けたと言いたげにどや顔炸裂。起承転結の無いその発言に俺は腰が砕けるかと思った。押しかけたって、あんたなあ。
 大口を開けているカエルにウインク一つ、ダルトンはすー、と上手く鳴らせていない口笛を吹いて彼女の手を取った。想像では姫の手を取るジェントルマンを意識しているんだろうなあ、なんて事を考える。吃驚するくらい様になってないけれど。


「困ったものだ、俺のファンは見る目はあるが熱狂的過ぎる……これもまた、俺の怪しい魅力が為せる技なのだが」


「流石ダルトン様! 世の女性を虜にさせるフェロモンは世界中を見渡そうと双肩を並べる者はおりますまい!」


 さぶいぼ立ちそうな台詞を絶賛する仮面集団は取り急ぎカウンセリングを受ける必要があると思う。でなきゃ、ピノキオ病にでもなって鼻を思う存分伸ばすことだな、本心から言っているなら、救えねえ。
 俺のフラストレーション増加の最たる理由は、ダルトンという男俺の存在を全く無視していることだ。演技過多な言動は見た目可憐と言えなくも無いカエルにしかアピールしていない。男は眼中に無いということか? 俺と同じじゃねえか屑め!
 冷めた目でダルトンとカエルのやり取りを見ていると、当たり前だがカエルは極限に嫌そうな顔をして俺に「こいつを殺してもいいか?」とアイコンタクトを送ってくる。気持ちは分かるがダルトンという男は見た目に反し中々の実力者であろう。その上、部下達の練度も低くは無い、俺は抑えてくれと目で返した。悲しげに俯くカエルの姿に少し心が痛んだが、俺はヒーローじゃないんだ。助けられるものか助けられんもんか。


「ふふふ、女よ、美男という言葉では表現しきれぬ俺という男を見て忌憚の無い意見を申せ。何でもいいぞ? 好きとか大好きとか愛してるではすむまいな、俺が思うに貴様が抱く想いは唯一つ。『抱いて』であろう。安心しろ、俺はいつでもカモンカモンだ」


「お前に抱いてもらうくらいなら、俺はバフンウニに愛を誓おう」


「なるほど……ツンデレという奴か。評価しよう! 俺を前にすれば古今東西のツンデレがデレデレになるというのに貴様は強がりを言えるのだからな!」


「会話が出来ぬとは、不自由な男だなお前は」


 辛辣な意見にめげるどころかさらに増長するダルトンを男らしいというべきか馬鹿というべきか。原稿用紙十枚でも書ききれない悩みを膨らませつつ、俺はどうやってここを抜け出すか考えてみた。答えは多分今俺がここを去っても誰も見咎めないんだろうなあという嬉しい結論。存在を無視されるということは嫌なことだけでは無いんだなあ。


「む? 気づけば女、お前は俺っ娘なのか! 新しいジャンルだな」


「娘とか言うな! 俺は男だ!」


 ドクターゲ○の傑作みたいな声で「ぬわにいぃぃぃぃ!!!!?」と驚いたダルトンは目を見開き動きを止めた。時が止まったように微動だにしない。リアクションが暑苦しすぎて気持ち悪い。
 数十秒経って尚も動かないダルトン。彫像化でもしたのかと期待を寄せていれば、おもむろにカエルの胸部に手を伸ばし、指を曲げた。有り体に言えば、揉んだ。


「女じゃないか」


「そうか……死にたいようだな、貴様」


 今まで聞いた事が無いような冷たい声でダルトンの首を掴み引き寄せた後、カエルは膝を顔面に叩きつけた。角度、勢い、タイミング全てが申し分無いそれは変態の奥歯を二本折ることに成功し鼻血を撒き散らす事に成功した。思わず「やったぜ!」と叫んでしまったのは仕方が無いことだと思う。後、カエルにも一応恥じらいはあるんだなあと黄昏てしまったのは内緒。
 げぶはあ! と地面に落ちたダルトンを仮面集団が慌てて起き上がらせる。口々に「大丈夫ですかダルトン様!」「やられてもカッコイイとは流石ダルトン様!」「そのままくたばれダルトン様!」と心配しているのは心温まるというか、うーん。


「き、貴様……俺の顔に傷をつけただと……この俺様に怪我を負わせただとぉ……!?」


 両手を組んで見下ろすカエルを憎憎しげに見上げるダルトンの姿は憤怒一直線、怒髪天を衝いたような表情になっている。これはいよいよぶち切れるか? と危惧してソイソー刀に手を伸ばす。このままではカエルが殺される。それを見過ごす訳にはいかねえだろ……まだ俺は揉んでないし!
 柄を握り抜き放つ……直前で俺の体は止まることとなった。怒りの顔から一転し、ダルトンは悠然と微笑んだのだ。まるで好敵手、もしくはそれに通じる者を見るような、はたまた愛しい者を眺めるような目でカエルを見つめていた。おんやあ?


「俺という至高の存在に傷をつけた……それすなわち、貴様も至高の存在であるということ! お前が女神か!」


「どうしようかクロノ、今は情けなくともお前の助けがひたすらに恋しい」


 俺に話を振るな! と強い意志を込めてカエルを睨む。
 考えたくは無いが……え? お前気に入られたの? このゲテモノ男に? なんつーか、おめでとうと言うべきかご愁傷様と言うべきか。


「全く、俺という存在が怖いぜ……美しい、強い、才能が有り余る上カリスマ性が飛び抜けている俺は女神と出会う強運すら持ち合わせているのか……!? 神は俺に何をさせたいのだ、歴史の覇者として君臨しろと命じているのか、この俺に! 不敬な! 俺に命令などと誰が許した!」


 自分の妄想に勝手に怒っている中年男性がこうも見苦しいとは知らなかった。今すぐ燃え尽きればいいのに。


「……行くぞクロノ。馬鹿と一緒にいればこっちもおかしくなる」


 ため息をつきながら俺の手を握り立ち去ろうとするカエル。ネタとして、もうちょっと付き合っても良かったがカエルの理性が崩壊するまでもう僅かもないと分かった俺に否定権は無い。一瞬この二人が付き合えば面白いんじゃないかなあと思ったことは、言わずにいるのが華だろう。冗談でもぶっ飛ばされそうだ。


「待て女! ……ぬ、なんだ貴様。俺の女と知り合いか? 手など繋いで何様のつもりだ!」


 ようやく俺に気づいたのかこのロン毛、言外に俺の影が薄いと揶揄しているつもりか? 分かったような事を! そんなこと俺が一番知ってるんだ! インなんとかさんみたいな位置にいるとか分かってても言うんじゃねえ! 俺原作知らねえけど!


「何様と言われても……まあ、仲間ですかね?」


 カエルに目を合わせると「何故疑問調なんだ!?」と噛み付くので怖い。虫の居所が悪いみたいだね、こわやこわや。それにしても会って五分と立たない相手を俺の女とは……男らしいとはこういうのかもしれない。違うだろうけど。


「仲間だと……よもや、俺の女と恋仲ではあるまいな!?」


「こ、恋仲!? クロノは俺の」「気持ち悪い設定捏造してんじゃねえ!!」


 カエルの声と被せて俺はダルトンの的外れな見解に断固とした否定を拳とともに突きつけた。ひしゃげた鼻がさらに複雑な形状に変化していくのが快感である。悪識を正した上に人を殴れるとは、俺は何て段取りの上手い男なのか。


「意味不明な妄想で人を貶めるな! レズっ気たっぷりの変態女男女に恋慕を抱くなど俺の騎士道に反するわ! ていうか人間として有り得るかそんな展開!」


「お……おのれ、貴様もまた俺にダメージを与えるのか。まさか、貴様が神か!?」


「てめえの理論ならお前が躓いた石ころは神々の手先か何かになるぞボケナス!」


 悪意たっぷりの言葉を吐き捨ててぷんすか怒りながらその場を去る。別れ際に「必ず俺の物にするぞ女ァァァァーーー!!!」と叫んでいたのは無視の無視。構ってられるかあんな変態を拗らせた大変な変態、いわゆる大変態に。
 足を踏み鳴らし、カジャールまで着いた俺たちはそのまま近くの山の上に位置しているジール宮殿まで直行することにした。ルッカがいるとすれば、恐らくそこしか無いだろう。もしも、途中の森なんかでべそをかいているならば大陸中を捜索せねばならない。いくら小さいとはいえど大陸、見つけられるとは限らないのでジール宮殿にいないのなら半分お手上げと言えるだろう。


「ジール宮殿にいないなら、ロボ辺りに探してもらうか? あいつならセンサー的なプログラムで見つけてくれるかも……どうしたカエル? 何か手を握る力が強いぞ、つーか痛い」


「別に。気持ち悪い奴と手を繋がされて悪かったな」


 面倒臭いなあ。距離が近いんだから、一方の機嫌が悪いとこっちも暗くなる。悪いと思うならそのへんのことも考えて欲しいものだ。半眼で前を見据えている顔は良く言っても楽しそうには見えない。楽しそうにされてもあれだけど。


「……ままならねえなあ」


 上を見上げれば、荘厳に建つジール宮殿が俺たちの来訪を待っていた。控えめにも、良い予感はしない。これからを思ってカエルに聞こえないよう愚痴をこぼしてみた。
 ……後、俺黒鳥号を近くで見れてない。もっと色々見て触って男の子の夢を堪能したかったのに。空を飛ぶ巨大な乗り物なんてロマンの最たるものなのに。ホワイトベ○スを初めて見た時なんか発狂するかという勢いでテンション上がったのに。これも横にいるゲテモノを誘惑する阿呆な魅力をもったカエルのせいだ。いつかバンジージャンプをさせてやろう、ガチで泣いてる顔をルッカのビデオで永遠に記録として残してやる。
 暗い笑みを浮かべていると、不機嫌ながらにカエルが冷や汗をかいていた。流石歴戦の戦士、己の尊厳の危機に勘が回るのか。






 その門構えたるや、天上の都市ジールに合う派手やかなものだった。純白の色、巨大さはカジャールやエンハーサと比較できない。妖美とも言える輝きを放ちながら訪れる者を歓迎している。大きさもまた今まで訪れた町々の比ではなく、神の住む城と言われてもなんら文句の無い神聖性を窺えた。太陽光を反射して伸びる光は天を裂きそれこそ神々の元まで届くのではないかと思うほど四方にどこまでも続いている。建造物とはここまで人の心に訴えかけるのだと俺はここに来て知った。
 ただ、そこに安堵感は生まれない。あるのは威圧、畏怖といったある種の恐怖に近い感情を蘇らせている。ディテールにもこだわられ、壁の一つ一つに文様が描かれていた。恐らく何かジールを称える言葉、または国の歴史という意味のあるものだと思うが、それすら呪いの文字であると言われたほうが納得がいく。それほどに、ジール宮殿は魔王城とはまた違った不気味さを感じさせた。


「……カエル、急いでルッカを探そうぜ」


 俺の不安感をカエルも感じ取ったか、何も言わず頷いて宮殿の中に入っていった。時が経てば、何かが手遅れになるのではないか? 根拠の無い悪寒が体を通り抜けて、宮殿の中に溶けていった……
 何がある訳でもない。魔物が国を牛耳るわけでも、国中の人間がおかしいわけでもない。立地環境を除けば極々平和な国。今までこれだけ戦いと無縁そうな世界は初めてなのに、これ以上嫌な予感がする世界もまた初めてだった。
 カエルに遅れること二分。宮殿に足を踏み入れた時、何処かから、悲しげな声が聞こえた気がした。彼、または彼女はか細く、『運命には逆らえない』と言った気がする。何処までも、遠い所から。






 端的に表現するなら、『寒々しい』に尽きる場所だった。見た目ではない。人もカジャール等に比べ一目にも数倍の人数が働いていることが分かる。研究道具だけでなく生活用品も雑多に並べられ、宮仕えと思われる人間がそこかしこを歩き回っているのは普通ならば活気に満ちているとさえ表現できる。ただ、皆揃って生気が無いのだ。会話は無い、行動にメリハリというか……自分の意思ではなく受動的に活動しているような気がする。動き方すらランダムではなく、線をなぞるように一定のものとさえ錯覚した。
 良くない、ここは良くないものだと頭の中でアラームが鳴り響いている。うるさいくらいのその警鐘は早くここを出ろと告げていた。でなければお前は……と。


「……とにかく、片っ端から話しかけてみるか」


 今まで以上に、聞き込みは難航した。誰一人まともに会話を交わしてくれないのだ。口を開けば『余所者……余所者……』と、規定のように同じことしか喋ろうとしない。これは、気味が悪いなんてものじゃないな。
 話しかける前から気づいてはいたのだが……ここの人間ときたら、俺が宮殿に入った時から皆視線を俺に向けるのだ。話しかければ外すが、離れればやはり俺の動向を目で追っている。一挙一動を見張られている今の状況は、いつ後ろから襲われるのか分かったものではない。突拍子の無い可能性だが、有り得ないとは言い切れない、そんな雰囲気を醸し出していた。
 昔聞いた怪談に同じようなシチュエーションがあったなと思い出して、猛烈に後悔する。糞どうでもいいところで記憶力発揮するんじゃねえよ俺の頭! お化けは怖くなくても、人間が関われば怖いんだ! 幽霊怪物魑魅魍魎全てをひっくるめても一番怖いのは人間なんだから。


「無い、無いよなそんな事。しかしカエルは何処を探してるんだ? しょうがないから一緒に探してやるか、あー手間が掛かる迷子カエルだぜ全くハッハッハ」


 いや、俺が怖いわけではない断じて決して天地が逆さになろうともそんな誹謗中傷を俺は許さないからそういう嘘偽りを風潮する輩は闇から闇へ消えてもらう所存なわけでとにかく無い。怖く、無い。
 あの変な所でヘタレなカエルが膝を抱えて「怖いよう」と泣いている姿が眼に浮かぶからあいつを探しているだけであり別にほら、俺ってジェントルメンだから。ジェントルクロノと一部界隈では有名だから。俺はそう思ってるから泣き虫毛虫臆病虫のカエルと手を繋いで歩くのも吝かではないと……
 誰でも納得する素晴らしい論法を展開していると、後ろから「ああ……!」と悲痛な声が聞こえてくる。今額を通過しているのは汗ではなく、漢汁というもので、成分は汗と同じ。怖がって出たものではないと認識してくれれば問題ない。
 ……確か、その怪談のオチは、主人公が後ろを振り返ったとき、耳まで避けた口からだらだらとよだれを溢す、刃こぼれした包丁を持った女がにた……と笑うシーン。そして、暗転。主人公の生死は定かではないらしいが、そこまで聞けば馬鹿でも分かる。喰われたのか、切り裂かれて放置されたのかまでは分かりようが無いが、命の有無という点では論争するまでもない。


「……はっ、まさかな」


 振り向いた俺の視界に移るのは、不純物の無いまっさらな白。
 ぶべちゃっ! という中々爽快な音を立てて、俺の顔になにやら甘い物──これは、生クリームか?──がぶち当たってきた……何これ? 訳が分からん。分かったらおかしい。
 服にボタボタとクリームを落としながら突っ立っていると、前から(視界が塞がれているので見えないが)楚楚とした声が聞こえてきた。


「凄いです! まるでクリスマスツリーみたい! ほら見て婆や、白い生クリームと赤い髪のコントラストが絶妙よ! 今期のデザイナー賞ノミネートは確実だわ!」


「流石はサラ様、今時の言葉で言えばナウくてブイシーなセンスですな」


「ブイシーって、渋いってこと? まあ嫌だわ婆やったら、私ったら○6の略かと思ってしまったわ」


「ホッホッ、婆とて流行のトレンドに取り残されるだけではありませんぞ、最近ではfacebo○kなるものを始めましてな……なんと全世界で五億人以上もの人間が参加しているという世界的コミニュケーションサイトですぞ」


「ジールの総人口は万に届かぬはずですが……まあいいでしょう。ところで婆や、コミュニケーションよ。横文字も乱用が過ぎては分かり辛いわ。もう少し抑えなさい」


「かしこまりました、サラ様」


「さあ、とにかくこの芸術的作品を私の部屋まで持っていかなくては! ああ、そこの名も知らぬ赤毛の人。私のお手製生クリームを勝手に食べた罰として私の部屋の観賞用人形となることを命じます。さあ、できるだけ顔の生クリームを落とさぬよう細心の注意を払って移動して下さいな」


 声が間近に迫り、俺の顔に牛乳を分離して造られた乳脂肪を顔面にへち当ててくれたくれやがった女が目の前にいることを知る。勝手に生クリームを食べてしまった謝罪をせねばなるまい。人として当然の事だ。


「何をしているんですか!? 顔のクリームを取ったら折角の芸術がへぶっ」


 彼女が奇天烈な声を上げた理由は至極単純なものだ。俺が彼女にやられたようにそのお美しい顔にクリームを塗りたくってやったから。間接キスだ、照れるなー。それ以上に腹が立つなあー。初対面の人間にここまで無礼を働かれたのは久しぶりだ。現代の大臣以来ではなかろうか?
 無言で顔に付いているクリームを取った女性、サラというらしい、は右手に溜まった脂肪の塊をべちゃ、と床に落として(スタッフは美味しく頂きませんでした)きっ、と俺の顔を睨んだ。
 性格や常識が破綻しているど阿呆だが、その顔は見目麗しいものだった。青く長い髪はウェーブがかって優しさや穏やかさを演出している。クリームの隙間から覗く肌はきめ細かく、荒など一つたりとして見受けられない、白すぎる肌は儚さと同じく不健康さも感じられるが、薄幸の美女と言えばまさにその通り。切れ長の髪と同じ青い瞳は涼しげな美人を地でいっており、指は長くあでやか。爪も手入れがこなされているのだろう白透明の汚れを感じさせない清純な印象。スタイルはやや細すぎる感もあるが、出るべきところは出て腰は触れれば折れるたおやかな華というべきか、抱きしめれば本当に折れそうだった。
 街中で普通の出会いがあればきっと一目惚れも有り得ただろう、余りの美貌に心を奪われ骨抜きにされたかもしれない。顔を見る前から無礼千万なアクションを起こされなければ、だが。


「……私の顔、クリーム塗れですよね」


 酷く硬質な声で、温かみの無い瞳を向ける彼女は、誰の目から見ても怒っていた。ハハハ、愉悦、愉悦。我慢しても口端が吊りあがっていくのを止められない。さっき散々可愛いとか言ったけど、やべ、やっぱクリームぶちまけられたこいつ不細工っつーかマジ笑える。


「そうだな、ぶふっ! 俺からのプレゼントだよ。嬉しいか? なあなあ嬉しいか?」


「怒ってますよね、私。普通生クリームつけられたら怒るのが普通ですよね? それと、笑わないで下さい。私人のことを笑うのは好きですけど、自分のことを笑われるの大嫌いなんです」


「一言一句同じ言葉を返すよ。ていうかやべえってあんた。その顔面白い。今時の言葉で言えばチョーウケルんですけど」


「……カッチーンときました。今時の言葉で言えば、チョームカチーです」


 言ってサラは背中を後ろに逸らし、猫のように飛んで襲い掛かってきた。見た目と行動がこうも合致しないとは、まさか国際天然記念動物か何かか!?
 今までの無機質な顔から憤怒一色鬼瓦みたいな表情になり飛んでくる女を後ろに一歩下がり回避する。受身を取らず顔から地面に着陸されたので、「へぶっ!」とまた同じような呻き声を漏らしていた。腹が捩れそうな体験は本当に久しぶりだ。ルッカの胸囲が足りなくて防具をつけられなかった時以来だ。これぞ爆笑。


「ううー……よくもやりましたね!」


「アッハッハッハッハ!!! ひー、ハ、アハハハハハハハハ!!」


 眼前に指先を突きつけて侮辱行為。みるみる顔色が真っ赤になっていくのさえ面白い。この国は無味無臭な人間ばかりだと思っていたが、いるじゃないか生粋のコメディアンが! カエルを越える面白さだ! 仲間には死んでもなって欲しくないけどこんなドジ女!
 後ろで老婆が「サラ様! なんとおいたわしい……ふふふっ!」と笑っていることも相乗してサラは顔どころか体全体が茹ったみたいに赤くなっている。鼻先からついー、と流れてくる鼻血なんか笑いの神が舞い降りたとしか思えないタイミングで流れるんだから、俺の嘲笑というか、朗らかな笑い声は止まることを知らない。


「…………ファイア」


「ハハハハハおおぅ!? 危ねぇじゃねえかテメェ! どういうつもりだ!?」


 この口裂け女ならぬ笑わせ女、魔術で火を出しやがった! ルッカと同じ魔術系統なのか? いやそんなことはどうでもいい、目先で放ったから必死で避けたものの髪の先が焦げてしまった。口争いで負けたからといって暴力に手段を変えるとは、人語を解するから人間なんだぞ! お前は獣か、もしくは楽屋の島田○○か!


「嫁入り前の女にとって鼻血を見られるのは裸を見られるよりも屈辱なのです! 見た相手は結婚するか殺すしかないのです!」


「だったらそれらしくマスクでもしてろアホが! まあある意味女にとって鼻血って裸よりも恥ずかしいけどさ! ……ふふっ」


「また笑いましたね? この強姦魔ーーーッ!!!」


 人聞き悪いこと天の如し。誰が貴様の裸など見るか! と叫ぶ前にサラが火炎を撒き散らす。周りの人間が悲鳴を上げているけど、その辺りは意に介さないようだ。流石、頭の構造が違うアホはやることが違う! ちゅーかこれ、大火事になるんじゃないか? 自分の住む国で白昼堂々放火って根性が据わっている! アホはアホでも度胸あるアホのようだ。見境の無い馬鹿とも言う。
 両手から連続エネルギー弾のように火を放つサラ。威力は恐るべきことにルッカと並びそうなものだが、戦闘に慣れていないのだろう、目測は滅茶苦茶、速度は並以下。死線を潜ってきた俺が当たるわけが無い! 多分!


「当たれ! 当たれ! 当たれええぇぇぇぇ!!!」


 いよいよ俺の姿を見る事無く無茶苦茶に腕を振り回し四方八方に火を投げ出した。柱の影に隠れている俺に当たるわけがないのだが……もしかしたら俺の姿そのものを見失ったのだろうか? その場を動いて探すという考えは出ない辺りが、優しく言えば愛しい。悪く言えば頭が悪い。普通に言っても頭が悪い。やっぱり優しく言っても頭がパー。
 老婆が「落ち着いてくださいサラ様! ネット風に言えば自重しろ!」と腕を羽交い絞めにしてようやく騒ぎが収まる。纏められた髪はバラバラ、顔も優しさなんてこれっぽっちも見受けられない修羅の面構え。誰もが戦々恐々と遠巻きに見つめている中、女は何処かから現れた男二人に両腕を掴まれて宮殿の奥に連れられていく。
 これで終わりなら別に良かったのだけれど、俺の加虐心が疼いてしまい、姿が見えなくなる前にさり気無く彼女の視界に入り、両手でピースサインを作って唇を突き出した変顔を見せた。擬音を付けるなら、「ププスー」だろう。連行されながらも「むきーーー!!!」とサルのような鳴き声を出しているサラに優越感と勝利による達成感で胸が一杯になった。もしかして、これが恋?


「……無駄な時間を過ごしたな……」


 喧嘩相手が去ると、いかに自分が低レベルな争いをしていたのか身に染みて分かってきた。小学生(並みの知能)相手に俺は何をしてたんだ。見苦しいにも程がある。さっさとルッカに会って謝るんじゃないのか俺は。
 気を取り直してまた宮殿内を歩き出す。不思議なことに、住人たちが急激に友好的に接し始めた。曰く、「サラ様を懲らしめてくれたありがとう!」との事だった。聞くところによると、あの脳内成分欠落娘、度々住人に迷惑をかけては反省することが無かったそうだ。ちなみに、最初俺に冷たくしていたのは単純に服装も違う他所から来た人間相手にどう会話をすればいいのか戸惑っていたそうな。揃いも揃って全員シャイとは、未来の人間と真反対な住民たちだこと。


「紫の髪で、帽子を被ってメガネをした女の子……? ああ、それなら」


 道具屋のおじさんにルッカという女の子を知らないかと聞いてみたところ、所在を知っているそうで、宮殿の二階にある一つの部屋を指差した。店主に礼を言って教えてくれた場所に足を向ける。よく考えれば、謝る言葉を何にも考えてないぞ俺……大丈夫か?
 不安は有り余れど、歩く足は止まらない。頭では複雑に考えていても、やっぱり俺はルッカに早く会いたいのだ。あのような別れの後では、尚更。
 彼女は怒るだろうか? それとも泣いているだろうか? もう俺のことなんてどうでも良くなっただろうか? 信頼とは、築きがたく壊れやすい。それゆえに尊いものなのだ。それを俺は積み木のように崩し、泣かせてしまった。
 ルッカがいるだろう部屋に近づくにつれて、胸が痛み、進む足が重くなる。動悸は激しくなる一方で、静まることをしない。会いたい、会いたくないという相反する想いが交差して……ついに、部屋の扉の前まで来た。
 ……開けたい、開けたくない。謝りたい、見捨てられたくない……それぞれ感情は絡み合うけれど……


「…………」


 取っ手を握るも、捻ることができない。少しの力で大切な幼馴染と会えるのに、臆病な自分が躊躇ってしまう。あの馬鹿女のせいで、決心が鈍ったようだ……いや、それは八つ当たりか。所詮俺は臆病者、自分勝手な行いで誰かを傷つけても、こうして怖がってしまう。


「……そうだよ、怖がるさ。だって……」


 逆説的に考えれば……彼女と会うのが怖いということは、それだけ彼女のことが大切だということ。臆病である自分は、大切な物を持っているということに他ならない。
 臭い台詞だな、と自分の考えに苦笑して、扉を開けた。まずは彼女に殴られてみよう。彼女との会話は、いつもそれで始まっているのだから。






「いーい? 次は私がクロノの帰宅を喜んで出迎えて『食事にする? お風呂にする?』って質問するシーンよ。真剣にやらないと火つけるからちゃんとやってね?」


「……もうどっか行ってくれないかな、アンタ……」


「………………」


 俺は、静かに扉を閉めた。
 見てはいけないものが確かにそこにあった。魔界、修羅界、獄門界。そのどれもがあの光景の凄惨さには敵うまい。成人も近い幼馴染が子供相手におままごとをしている姿がこうも胸に突き刺さるものとは思わなかった。それも、自分から率先してシチュエーションまで作っていた。憧れの清純なクラスメートが1○9をマルキューと呼んでいた時に似ている。初めて出来た彼女の愛読書が戦国バサ○のビジュアルファンブックだった時もきっとこんな衝撃を受けるのだろう。ルッカの腐りきった姿を見た後では、近くにいた子供がエンハーサで見かけた薄気味悪いガキだった事など激しくどうでもいい。さる大物女優が自分の家を訪ねてきても宇宙から未確認生物の群れが来訪してくれば感動も驚きも消え去るというものだ。ああ、上手い例えが見つからない。
 扉の前で蹲り悲しみの涙を流して、過去の自分の所業を呪った。俺だ。俺がルッカをあんな風に変えてしまったんだ。俺の心無い言葉が彼女の心を切り裂き粉々に打ち壊してしまったのだ。
 ぶつぶつと己に対する恨みつらみを溢していると、階段を上がってきたカエルが「うおっ!?」と後ろずさり危うく転げ落ちそうになっていた。そんなコメディでは俺の心が晴れることは無い。ああ、サラと過ごした時間はああ見えて有意義だったんだなあ……


「ど……どうしたクロノ? ルッカはいたのか?」


 平静を装いながらも確実に引いているカエルが肩を叩く。言葉にする力も無い俺は力無く後ろの扉を指差した。中の悲惨な状況を見れば、カエルも分かってくれるだろう。
 カエルは唾を飲んで恐る恐る扉を開き……俺と同じように、音を立てないよう扉を閉めた。その目には、大切な仲間を失った悔恨の色が濃く映っている。


「俺が、ルッカを壊したんだ……俺があんな酷いことを言わなければ、ルッカはいつもの明るく元気な女の子のままだったんだ……」


 俺の自責に、隣に座ったカエルが耐えられないという顔になり抱き寄せてくれた。
 こんな俺を……慰めてくれるのか?


「自分を責めるなクロノ……俺とて、彼女を救う幾千の機会を逃してしまったのだ……お前だけが背負うことじゃない……っ! 仕方なかったんだ……」


「でも……俺、俺………!」


「泣きたければ、泣け。いや、泣いてやれ。お前の幼馴染だろう? 昔の彼女の為にも、悼む意味で泣いてやれ……」


 泣いていいのだと言われて、俺の涙腺は崩壊した。耐えられないさ、だってルッカは俺が生まれた時から知っていて、時々怖い実験で脅したり叩いてきたりしたけれど、遊ぶ時はいつも一緒で、悪戯する時は楽しくて、怒られる時も一緒。母さんの横暴に家出したときも彼女は家に入れてくれた。暖かいスープを飲ませてくれた。何故か体が火照ってフラフラしたけれど……それはまあいい。
 そんな、行動力ある、頼れる姉貴分だった彼女があんな見るも無残な姿になったのは、俺のせいなのに……! 自分の行為に深い後悔をしている俺は吐き出したかった。何がと言われても簡単には言葉に出来ない。混ざり混ざった負の感情は体中を徘徊して……涙として集束された。
 ……さよならルッカ。もう、お前に会えないけど、もうお前は何処か遠くの世界に旅立ってしまったけど……俺は覚えてる、ルッカの怒ったかも泣き顔も……笑顔だって、ずっと忘れない。誕生日には、黄色い花を贈ってあげるよ……


「ふざけるなよ、もう僕は帰る。一人でやってな」


「待ちなさい! まだ142パート残ってるのよ!? 今更私の愛妻遊戯から逃れられるとでも思ってるのかしら!?」


 唐突に俺たちが背を向けていた扉が開かれ、渦中の人物が顔を出した。彼女は逃げ出そうとした子供の襟首を掴み部屋に引き摺り戻そうとして……俺と目が合った。その目は一度流されて、背を向けた後、暫しの間を置いて勢いをつけもう一度俺の顔を凝視する。
 耐え難い……あまりに耐え難い……! ホラードラマの山場で狙われるヒロインのようにふるふると震える俺を、ルッカは色の無い表情でじっ、と見つめ続けている。カエルは俺を抱き寄せたまま動かない。後ろを見ることでルッカを視認する事を恐れているのだろう。願いが叶うなら、数秒前までに起きた事柄が無かったことにならないか? そう訴えるような目で遠く、窓の外の景色に心を寄せていた。
 ルッカが動き出したのは、急なことだった。飛び上がるように大きく縦に振動して、乳をねだる小鹿のようにぷるぷる足が震え、唇の色は謙譲とは言えない赤と青を足した色彩へと変化していく。今自分が立たされている状況を把握できていないようだ。俺は、背後から大声で驚かせた猫を思い出した。
 喉から引き出したように「ひきっ、ひきっ……」と正常ではない音を鳴らし、彼女はカエルの頭を優しく……握り潰した。


「うぁ痛たたたたたたっ!?」


 大きくない掌でカエルを持ち上げた彼女は万力の握力(それが証拠に、少し離れた俺からもカエルのこめかみから聴こえる悲痛な破砕音が届いている)を伝わせていく。「ひ、ひ、ひひひひひひ」という笑い声なのか判断しかねる狂声を上げて壁に押し付けた。


「アハハハハ……私ね、私間違ってると思うの。分かる? 私が間違ってると思うわ、だって私自身がそう思ってるのだもの、そうでしょ?」


「何を言ってるのか要領を得ない! とにかく俺の頭を離せ! このままではトマトのように潰れてああああ!!!」


「いいのいいのカエル。ごめんね、私も今の状況がよく分かってないしそれが良い事なのか悪いことなのかもうサッパリだもの。とりあえずあんたの頭はいらないわそれだけは分かるの。もっと順序だてて言えばあんたが死ねば少しはハッピーになれるのじゃないかという論理的思考流石私ね!」


 支離滅裂過ぎて何が何やら分からない。今分かるのはカエルが人力頭蓋潰しの刑に処されていることだけだ。
 カエルも抵抗しようとルッカの腕を握るのだが、蛙状態時ならまだしも人間の女に戻ってしまった非力な細腕ではビクともしない。大きく開いた口から苦悶の声は途絶え、泡を量産し始めた。一瞬、魔王の魔力が復活して蛙に戻ったのかと思ったのだが、力なく垂れた両腕を見て危険信号の一種か、と納得する。魔王戦以上の命の危機なのかもしれない。カエルにとっては。
 傍観している俺の隣でルッカの遊び相手だった暗そうな子供が「やれやれ……」と頭を振っているも、何故だか俺の肩袖を強く握っている。ロボ体質なのかもしれないと邪推したが、一般的な子供のリアクションとして、怯えて誰かに縋るのは極普通の事なんだと改めた。


「…………る……るっかさん。多分もうすぐカエルさん死んじゃうから、その辺にしておいた方がよろしいかと……」


 俺の懇願染みた声に耳を貸す事無く、ルッカは短い間隔で痙攣するカエルに顔を近づけ敵愾心しかない想いをぶつけている。


「抱き合ってるって何抱き合ってるって何あんたらどこまでいったのえ? どこまでいったのよ石破ラブラブうんたらかんたらを二人で放出できるくらいまで進んじゃったのそれともバルス? ああ遠回しに聞くのは止めるわABCで答えなさい私があんたらと離れてた時間はおおよそ二時間から三時間、ああらCでも時間が余るわねえどうしようかしらやっぱりパーティーの風紀委員たるルッカさんとしては吊り首斬首火炙り切腹電気椅子牛裂きのどれかに値するルール違反だと思うわけでああもうアンタは四肢を切り裂いてクロノと私は二人で火に飛び込んで死のうかしらそうすれば冥土で私は文字通り燃えるようなロマンスを体現するわ勿論あっちであんたと再開した時はまた同じ目に合わせて何度でも『死』を経験してもらうのよ素敵でしょこのビッチ痴女略してビッジョ」


 僕は怖がってないぞというアピールとして鳥やハムスターは自分でグルーミングするそうな。隣の子供が気が触れたように自分の頭を撫でているのは精神安定の一種なのか。俺も真似してみるか。
 ……冗談はさておき……俺の脳内予定とは些か食い違ったが……ルッカに放った暴言を謝罪するのは今なんだろうか? もう少しムードある状況でこなしたかったが、仕方あるまい。このまま謝るのを先延ばしにしていては地球上一番悲しくない仲間との死別を迎えそうだ。カエルが白目を剥きだしてから一分が経過した。デンジャーゾーンであることは疑いようが無い。


「ルッカ! あの、今更言えた義理じゃないけど聞いてくれ! 聞くに当たって尊い生命を散らす行為を中断してくれると助かる、大いに助かる!」


「私が聞きたいのはあんたたちが粘膜を擦れ合わせたのかどうかよ!」


「ぜんっぜん隠語にもなってねえ! カエル相手にそんな事実は無い! 未来永劫!」


 俺の断言に修羅の国が印刷されていたルッカの背景に薔薇が散りばめられている幻覚を見た。


「そ……それはつまり、お前だけの特権行為だぜルッカ! そう言っているのね?」


「そんな権利欲しいか? まあ……僭越ながら、違いますと断っておくが」


「アアアアアアアアコノヨノスベテヲコロシテクレル!!!」


 カエルの頭を形成している大切な何かが壊れていくのを、俺はただ見ていることしか出来ないのか? 出来ないなうん。俺は弱いなあ。弱いとダメだなあ。


「黒い風が泣いてる……あの緑の髪のお姉ちゃん、死ぬよ」


「その風なら、俺もひしひしと感じてる」


 その後俺の真摯な説得によりMAJIで死んじゃう5秒前にカエルは解放されることとなったが、彼女はもうルッカに逆らうことも、仲間と見ることも出来ないだろう。余談だが、この日の出来事によりルッカはジール宮殿住民の間でヘッドクラッシャーと影で呼ばれ、少数ながら存在していたカルト教団に邪神として崇拝されることとなった。前世か、もしくは来世にはそうなるかもね。彼女。






 一騒動あったものの、それから落ち着きを取り戻し始めたルッカは話をするどころか、元いた部屋に飛び込み堅く扉を閉ざしてしまった。「そこは僕と姉様の部屋なのに……」と愚痴を漏らす子供と頭を再び稼動するのに不備が生じているカエルを他所に追いやり二人で会話できる空間をようやく作ることが出来た。ようやく、を強調したいところだ。
 一息ついて、扉をノックする。反応は返ってこないが、少しだけ見た部屋の構造からして外からでも普通に話しかければ俺の声が聞こえないということはないだろう。その場に膝を落として座る。
 あー、と言って何を伝えたいのか自分でも分かっていない頭を回転させる。出た考えは、謝ればいいというものでもないけれど、まず謝らねば先に進めないという馬鹿でも分かる結論だった。


「ルッカ……ごめん。俺さ、苛々してたんだ。お前の言うことは当たってた。恐竜人たちのこと引き摺りっぱなしで……お前に当り散らしてた。最低だ……本当にごめん」


「…………」


 声は聞こえない。それでも、彼女が扉に触れるか触れないか、俺と程近い場所で俺の言葉に耳を傾けているという確信がある。真剣な話をしている時は、彼女は俺の話を聞いてくれる。届けたい言葉を必ず受け取ってくれる。分かるさ、幼馴染なんだから。


「……えと、お前が俺に頼りっきりとか、全部嘘だ、デマカセだ。お前が俺に気を遣って言い返せないのを良いことになんでもかんでも言っちまっただけなんだ……許してくれないかもだけど、俺が本心からそんなことを思ってるわけじゃないって事は信じて欲しい!」


 階下にいる住民たちが俺の独白を気にして集まってきた。数十人に見守られながら謝るって、なんか……辛いな。恥ずかしいってわけじゃないんだけど……
 余計なことに気を取られてそれから先の言葉を構成できない。「ええと……」と困っている声が聞こえたのか、裏側から二回、扉を叩く音が聞こえた。


「それは……嘘でもデマカセでもないわ。私は……クロノに頼ってた。それは間違いじゃない……格好悪いわよね、本当の事言われて逃げるんだもの」


 尻すぼみになっていく力ない言葉を受けて、ルッカには見えもしないのに首を強く振る。


「違うって! ルッカはいつも凛としてた、いつも先を見据えて俺を導いてくれたじゃないか」


「……だから、それはあんたがいたからでしょ? クロノがいるから私は立っていられただけ。現に、あんたが落ち込んでるときの私なんて、オドオドして、鬱陶しかったでしょ? 自分でもそれくらい分かるわよ」


「なんでそんなに自己批判するんだよ。お前が元気無かったのは俺が悲しんでたからだろ!? 何度も言うけど、気を遣ってくれただけじゃねーか、お前が自分を悪く言う必要は無い!」


「……ありがと。あんたもしてるじゃない。これが気を遣われるってことね、確かに良い気分じゃないわ」


「礼を言うタイミングじゃないだろ……マイナス思考も大概にしろ」


 何を言おうと、ルッカは自分を責めることを止めないようだ。いっそ扉をぶち破ろうかと思ったが……それは、何か違う気がする。それでは欠けたまま戻らない。
 『考えすぎだ』『落ち込んでるからそんな風に思うだけだ』『ルッカらしくないぞ』……他にも様々な切り出し方を模索したけれど、どれ一つとって正しいものではない。そんなのは、あくまで俺の出した答えだ。ルッカの望むものとは根底から違う。


「……昔から、そうだった」


「何?」短い疑問文を口に出す。


「私が……お母さんのことで皆に虐められた時があったでしょ? 町の友達も、近所の大人たちも、お父さんさえ私を無視して、暴力を振るわれることさえ珍しくなかった……」


 ──それは、もう懐かしいくらい昔のこと。
 ルッカの、忘れることの無い最初の実験。いや、実験と言えるのかすら怪しい、一つの行動が切っ掛けでルッカはトルースの疫病神となった。
 詳細は省くが……ルッカが、己の母を……殺した、出来事。
 殺したというが、当然悪意や殺意なんてものが微塵も無い、不運としかいえぬ悲劇。詳しく聞いた事はないが、ルッカの一つの失敗が肉親を殺める事となったのだ。小さな町だ、噂は数日と経たず飛び交った。同年代の子供は「親殺し!」と罵り、大人たちは生きていく上での積もった不満を全て叩きつけるようにルッカを陰湿なやり方で追い詰めていった。仲間はいない。ルッカの父タバンさんすら最愛の妻を故意ではないとはいえ殺してしまった、娘に容赦の無い暴力を振るっていた。
 ……そんな毎日が続き、鬱々としていたルッカは、村外れの大木の下に訪れた。
 それが、俺とルッカの関係が始まるファーストコンタクトになったのだ。


「もう昔……なのよね。まだ覚えてるわ、あの日は嫌味なくらい快晴だったのよね……」


 ルッカの言葉から、過去を思い出していることを理解する。
 俺は、彼女の回想が終わるまで、じっと聴いていることにした。彼女は、どんな言葉を使ってあの頃の俺たちを思い浮かばせてくれるだろうか。









 星は夢を見る必要は無い
 第二十五話 クロノとルッカ










 天気は晴れ。お日様は私の事なんか気にせずポカポカ陽気を降らしてる。胸はぎゅーっと痛くて、いつも私に「死ね」って言うのに、お日様さえ私を助けてくれない。
 でも、それは当然の事なんだ。だって私は、あの優しいお母さんを……ダメダメ!
 その時の光景を思い出しそうになって、私はちょっと強めに自分の頭を叩く。町の子に石を投げられてできたたんこぶに当たって痛かったけど、別に良い。だって、もうすぐそんなこと気にせずにいられるんだから。
 えい、えい、ってロープを強く締め直す。試しにぶら下がってみるけど、引っ掛けた太い木の枝も、家の物置にあった荒縄も、私程度の体重じゃビクともしなかった。お前なんかそれ位の存在なんだよ、って言われてるみたいで、今まで沢山泣いたのにまた涙がこみ上げてきた。井戸のお水はいっぱい汲み取れば空になるのに、涙は無くならない事に私は『りふじん』というものを感じた。結局、泣き出すことは無かったけど。
 重かったけど、頑張って運んだ丸椅子を吊られたロープの下に置いて、準備完了。やってることを考えればおかしいのだろうけど、なんだかタッセイカンを得た気持ちになって、こんな時なのに誇らしくなった。きっと、天国のお母さんが褒めてくれているのだ。「自分から死ぬなんて、偉いね」って見えないけれど、頭を撫でてくれてるのだろう。ちょっと前までは友達とか、お隣のロジィナおばさんに「お母さんに褒められたよ!」と自慢するのだが、皆私が話しかけると目を逸らしてこそこそ内緒話を始めてしまう。その時の私を見る目がなんだか嫌な感じだったので、私はもう誰とも話したくない。
 辛いことを思い出して、悲しくなったけれど、ロープと椅子の二つを視界に入れると、自ずと良いことをしている! と思って久しぶりに楽しい気分が生まれてきた。
 私は悪い子である。皆も、お父さんもそう言うし、私だって分かってる。ミリーちゃんが言ってた、お母さんを殺した奴は生きてたらいけないんだよって。だから私は死ぬことにした。だって、悪い子だから。
 そんな私が自分から死ぬのだ、それはそれは、とても良い事に違いない。私が死んだら、ロジィナおばさんも、ミリーちゃんも、お父さんもお母さんもまた一緒に遊んでくれるだろう。その時を思い浮かべていたら、私の胸を痛くするチクチクが薄れていった。でも、完全には消えない。死んだとき初めて、イタイイタイのが飛んでいくんだろう。自分の考えに驚いた、やっぱり私はお父さんの娘だから、とっても賢いんだろう。今朝お父さんに「お前なんか娘じゃねえ」って言われたけど、娘だもん。嘘じゃないもん。
 ぎっ、と私を応援する丸椅子の声を聞いて、私は背中を押された気がした。行けっ! 飛べっ! と周りの草花も風に乗って叫んでいる。私を支えてくれるロープや木も揺れて、今か今かと私のらいほーを待ちわびている。私は自分で合図を決めて、いちにのさんで丸椅子を蹴飛ばそうとした。いちにのさんのリズムは昔友達と考えた歌のリズムと合わせてみよう、楽しいな。
 私が「にーの、」まで声に出した時、木の上からお猿さんみたいな生き物が私の近くに落ちてきた。驚いた私はバランスを崩して、丸椅子からコロリンと転げ落ちてしまった。


「ぐええっ! 痛いよー……」


 私のお尻の下から声が聞こえたので、そのまま横に飛んで逃げてしまった。お猿さんが喋ったのかと思ったのだ。ホントにホントに、心臓が飛び出してくるかと思った。
 結局、怖いの半分、期待も半分で落ちてきた生き物を見ると、それは私と同じくらいの男の子だった。ちょっと、残念だった。
 その男の子は、町の男の子と同じように膝までの短パンを履いて、青色のシャツを着た元気そうな子だった。赤い髪の毛がくるっとはねていて、やんちゃそうだなあ、とぼんやり予想した。


「うう……寝てるところだったのに、なにしてるんだよこんな所で! お陰で木の上から落っこっちゃったじゃないか!」


 これには私もムム、と頬を膨らませる。こっちだって準備もして、『そうぞうをぜっするかくご』をしたのに、それを台無しにされたのだ、怒るべきは私のほうだと思う。


「わ……わたしも…………うう……」


「何? 全然聞こえないよ! もっと大きな声で話せよ!」


 頭ではいっぱい文句を思いつくのに、最近会話をしていないし、男の子と話す機会の無かった私は、口をもごもごさせるだけでちゃんと喋る事が出来なかった。


「ううう…………うえ、うえええん………」


「な、何で泣くんだよ!? 俺、酷いことなんてまだ言ってないぞ!」


 最悪だった。さっきまで良い気分とは言えないけど、大声で泣くほど嫌な気分でもなかったのに、いきなり現れた男の子のせいで泣き出してしまったのだ。
 先に言っておくが怖がったのでは断じて無い。ちょっとびっくりしたから泣いただけで、むしろこんなの泣いた内にも入らないだろう。ジョーシキだ……そうだ、それなのにこの男の子が「泣いた」というから、気を利かして泣いてやっているに過ぎない。大人の女とはそういうものだ。でも、びっくりしたのは事実だからソンガイバイショーをセイキューしてやる。


「そ……ぐす、しょーを、せ、せいきゅー……ひっく、」


「だから、聞こえないってば! ほら、もう一回言ってみろって!」


「ひっ! う、うわああん!!」


「あーもうどうすればいいのさ!?」


 せっかく私が賢い言葉を使おうとしたのに、この男の子が顔を寄せてきたから、またびっくりしてしまった。今度も怖かったんじゃない。叩かれるのかな、と思って怯えたんじゃない。やるのかー! と思って男の子をいかくしたのだ。むしろこっちが脅かしてやろうとしたのだ。せんてひっしょうである。
 それからもずっと私に同じ事を言わせようと脅してくるので、私はあくまでちょーはつ的な、「いつでも相手になってやる」的な意味で泣き続けた。いよいよとなって男の子が「ごめん! 俺が悪かったから泣き止んでよ!」と謝ってきたので渋々ほこさきをおさめてやる。


「ひっ、ひっく……うう……」


「もう大きな声出したりしないからさ、怖がらなくていいよ?」


「こ、怖がってない……と、とーそーしんを高めてただけ……」


「とーそーしん? 何それ、変なの!」


 私の知性あふれる言葉を変で片付けられたのでまたむかっ、ときたけれど、今度は泣きたくなる気持ちにならなかったから今回は見逃してやることにする。貸しなんだから、いつか返してもらおう。
 それから、男の子が私に根掘り葉掘り質問してくるので、忙しい身の私だけれど付き合ってあげることにした。子供の相手をしてあげるのも、大人の女の仕事なんだってお母さんが見てた雑誌に載ってたもん。


「そ、それでね、お父さんが『うるせえ! お前が悪いんだ!』って言ったらね、お母さんが『うるさいじゃありません! 自分が悪いのに、人のせいにしないで!』って怒鳴ってね、ぽーんて叩いちゃって、お父さん泣きながら頭を下げたんだよ!」


「へえ、やっぱ何処の家でも女の人の方が強いんだなあ……」


「うん! 女は強いんだよー、女の子も勿論強いけどね! お母さんが言ってた! 私のお母さんは何でも知ってるんだよ!」


「あはは、凄いお母さんなんだな」


「そうなの! この前なんかね、町のお菓子作り大会で優勝したんだよ! お母さんの作ったお菓子は世界で一番美味しいの。それにとっても綺麗だから、おひげを生やしたおじさんが『目でも味わえる』って言ってたよ!」


 ……この部分だけ見れば私ばかり喋っているように見えるが、あくまで私は男の子の話を聞いてあげているのだ。嘘じゃないもん。たまたまだもん。
 でも、楽しかったのは……認めてあげなくも無い。あんまり賢そうじゃないけど、悪い子ではなさそうだ。話していて面白いし、真剣にお話を聞いてくれているのが分かる。ほんのちょっとだけ、私の話に熱が入ったのは認めなくもない気がする。うん。
 男の子の名前はクロノというらしい。私ほどじゃないけど、良い名前だと思う。聞けば私の家からちょっと離れた家のジナさんの息子らしい。ジナさんとは気風が良くて、昔ちょっと話しただけだけど面白くて綺麗で優しい女の人だった。お母さんほどじゃないけど。
 そうして話をしている内に結構な時間が経っているようだった。気づけばお日様は遠くに沈んでいて、影が差している。ホーホーとフクロウが鳴いて夜が近いことを教えてくれた。クロノもそれに気が付いて「あっ! 洗濯物取り入れなきゃ!」と慌てていた。
 立ち上がって走り去ろうとするクロノの腕を、私は無意識に掴んでいた。なんでか、自分でも分からないけど。
 私に掴まれた腕を見て、クロノは「え、ええーと……」と困ったような顔を浮かべている。そこで私は自分が彼の帰路を邪魔している事に驚いて「あっ!」と手を離した。びみょーな時間が流れて、クロノはやっとの思いで、という顔で口を開いた。


「あ、あのさ。ルッカはこんな所でなにやってたんだ?」


 会話になれば何でも良かったんだろう、クロノは今思いついたというように言葉をねじ込んだ。


「私? ……私は……」


 ふと、木の近くに横たわってる丸椅子と、ロープに視線をやり自信満々に答えた。


「き、木の実を取ろうとしたの!」


「木の実? ああ、そういえばこの木にも生ってるな。でも渋くて食えたもんじゃねえぜ」


「そ、そうなの。じゃあ止めとく」


 言って、私たちは手を繋いで家に帰った。別に、かくごを捨てたわけじゃない。ただ、クロノに女の子は強いと言った手前すぐに死ぬのはなんだか嫌だった。もちろん、明日になれば死ぬつもりだ。だから、私はロープと丸椅子はそのままに置いて帰った。一々家に持って帰ってまた持ってくるのは二度手間だから。
 明日になれば、私はまたここに来る。そして、死ぬ。間違いない。
 ……だけど、もしクロノがまた木の近くにいたのなら、その時はおしゃべりしてあげなくも、無いかな。




 クロノは木の近くで待ってるどころか、私が家を出てすぐのところで待っていた。片手を上げて「おはよ!」と明るく笑いかけてきた時は呆れて、思わずしかめ面になってしまった。れでぃーの家の前で待ち伏せするなんて、全くなってない。


「なんだよルッカ、なんか随分嬉しそうじゃん! 良いことでもあったのか?」


 ……笑ってないもん、だ。


 この日は私の自殺決定場所である町外れの木に行く事無く、ガルディアの森に冒険しに行くことになった。
 森の中は魔物が少ないながらに存在しているため、大人たちに子供だけで近づいちゃ駄目! と強く言われている場所だった。私がクロノに「やめようよ……」と断然と物申せば、「俺がルッカを守るから大丈夫!」と力一杯否定した。言うことを聞かない人は大きくなったら駄目な人になるというのに、クロノはやっぱりお子様だ。


「ルッカ? 熱でもあるのか、顔赤いぞ。まっかっかだ」


「う、うー……」


 熱気にやられてのぼせたのを勘違いしてクロノが近づくから、私は着ているシャツを上に押し上げて顔を隠した。別に、隠す必要も無いんだけど!
 森の中には面白そうなものがいっぱいあった。ちゃんと食べられる、渋くない木の実や果実。綺麗な石とか、水がとても透明な川。りすさんの家族をクロノが見つけてくれた時はとしがいも無くはしゃいでしまった。もう私は子供じゃないのに。
 かくれんぼの場所にも困りそうに無い。秘密基地みたいな穴ぼこもあって、二人で仲良く遊んだ。鬼ごっこをするときは、クロノがハンデをくれて、ちょっと嬉しかった。でも、鬼の時間はどっちも同じくらいだったから、ちょっと悔しい。
 そんな風に、私たちは沢山遊んだ。めいっぱい遊んだ。こんなに楽しかったのは久しぶりだった。何で、こんなに楽しいのか分からないくらい。
 答えは、ふとした拍子に見つかった。私が森の中で木の根っこに躓いて、転んで膝を擦り剥いてしまった時のこと。血がたっぷり出て(言いすぎ、かもしれないけど)私が泣いてしまった時である。誰かにやられた訳でも、酷いことを言われた訳でも無いのに、私は大声で泣いてしまった。ただ痛いだけなら、友達だった子達に蹴られたり棒で殴りまわされたりした時の方がずーっと痛いのに、その時は泣かなかったのに、今は泣いてしまった。何でだろう? と泣きながら考えていたら、それが答えだった。
 私が座り込んで涙を流していたら、クロノがびゅーんと風みたいに飛んできて「大丈夫!?」と心配してくれたのだ。そう、それが答え。今までは泣いても誰も心配してくれなかった。慰めてくれなかった。でも、今は違う。クロノが心配してくれる。私の為に。クロノが慰めてくれる。私の為に。クロノがいるから、私は私でいられる、我慢しないでいられる。だから……いつも楽しい。
 いつのまにか、私は誰かと話すのが嫌じゃなくなった。クロノとずっと一緒に喋っていたかった。
 ──私は、そんな毎日がずっと続くのなら、生きていてもいいかなあとほのかに思った。
 





 なんで、私は気付かなかったんだろう。
 クロノが、私と遊んでくれる訳を。クロノが私を虐めない理由を。
 ……彼は、知らなかっただけなのに……
 私が、母親殺しであることを。






 クロノと出会って、ちょうど一週間が過ぎた日のお昼と夕方の間。その日はクロノに用事があるから、遊ぶのがちょっと遅くなると聞かされていたので、私はクロノと会う時間まで自分の部屋に閉じこもっていた。
 ベッドの布団を被り、息を潜めて時が過ぎるのを待つ。これが私の家での過ごし方。お父さんが部屋に戻った時だけご飯を食べて、トイレに行って、シャワーを浴びる。お風呂は時間がかかるから駄目。出てきたときにお父さんが部屋から出てくればお腹をぼーん、とされてしまうからだ。そうなってはクロノと楽しく遊べない。三日前にぼーんとされてからクロノと遊んでいると、彼に隠れて見えないところで何度か吐いてしまった。なんとかばれなかったけれど、次は隠しきれるか分からない。私は自分の存在を出来るだけ消すことにした。
 大丈夫、もう慣れた。食事は最悪森の木の実で空腹を誤魔化せばいいから食べなくてもいいし、トイレで水音を立てない方法を編み出したし、シャワー中に浴室の窓から外に出ることも出来るようになった。その度に肘とかわき腹とかを壁に擦ってしまうから、かいりょうのよちがありそうだ。
 ……以前は、こんな毎日を嫌だと思わなかった。それが当然だし、外は外で怖いことや痛いことでいっぱいだったから。
 でも、クロノと出会ってから、私はこの家にいる時間が苦痛で仕方なかった。早くクロノが来てくれないかと、十秒ごとに時計を確認してしまう。もう一時間経ったんじゃないか? と思って時計を見ると短い針はまるで動かず、一番長い針が申し訳程度に首を捻らせただけなんてことはざらだった。私に意地悪をしているのかと小さく文句を言うこともしばしばあった。壊れてるんじゃないかと思って調べたことは一日で両手の指だけでは数えられないくらい。
 窓の外を見ると、日が暮れる時間までまだまだあるのに、外は薄暗くなっていた。雨が降るのだろうか? 別に良い。この前ちょっと雨が降った時も、私とクロノは関係無しに野原を走り回った。天候がどうであれ、私たちの遊びは止められないのだ。


(……約束の時間まで後十分だ)


 知らず顔が緩んでしまう。もう少しで、クロノに会える。早く時間よ過ぎて! でないと私は生きられない。クロノがいないと、私は息を吸うことさえままならない。
 そんな興奮が始まって……私は、とんでもないことをしでかした。人生最悪の、失敗だ。
 時計を手に持とうと、サイドベッドの上に置いてある時計に手を伸ばして……床に落としてしまったのだ。それだけでは飽き足らず、時計は雷鳴のような音を立ててしまう。落としたことでアラームのボタンが入ったんだろう。その音は耳をつんざくようにじりりりりと鳴って私という存在を浮き彫りにしてしまう。慌てて時計を拾いアラームを止めたけれど……もう、遅かった。
 さっきの時計の音なんか比べ物にならないくらい響くお父さんの怒声と足音が階段を上がり、私の部屋を開けた。


「うるせえんだよクソガキ! 死にてえのか!? 本当に殺してやろうか!」


 お父さんは私の髪の毛を掴んで持ち上げ、階段から投げ落とした。階段の角に当たって跳ね返りながら私は一階まで落ちていく。ようやく体が回転しなくなったのも束の間。そのまま追いかけてきたお父さんに足首を掴まれて宙吊りのお腹をサッカーボールみたいにぼーんと蹴られた。ボールの私はどん! どん! と床を跳ねて玄関まで飛んでいく。ドアが開いてないからゴールにはならないなあ、と現実逃避。どのみち、この傷だらけの体ではクロノには会えない。最低、三日は会わないほうが良いだろう。私ではない、死んでいる私が冷静に告げる。
 ……そっか、三日もクロノに会えないんだ。三日も私は息を吸えないんだ。じゃあ、死んじゃったほうがいいなあ。決めた、お父さんのお仕置きが終われば、あの木まで走ろう。全部終わりにしよう。いやいや、もう今から玄関を開けて走り出せばもう蹴られないですむのかな? だったら、今すぐ死にに行こう。
 痛む体を起こして、私は玄関のドアに手を当てる。どれだけ痛んでも、私は泣きたいと思わない。今ここで泣いても、誰も私を助けてくれないのだから。外は、急に土砂降りになって空を隠していた。これじゃあ、どの道クロノと遊ぶのは無理だったよね。


「おい、何逃げようとしてるんだよテメェ! まだお仕置きは終わってないだろうが!」


 怒りの収まらないお父さんが私を追いかけてくる声が聞こえる。急いで走り出さないと、雨の中でも距離が稼げなければ追って捕まえてくるだろう。早く逃げないと駄目なのに、私の体は凍りついたように動かない。だって、


「……ルッカ? 何でそんなに怪我してるの?」


 目の前に、誰よりも会いたくて、誰よりも今会いたくない人がいたんだから。
 雨で濡れた癖っ毛は額に流れ、服は絞れそうなほどびしゃびしゃになっている。わざわざ今日は遊べないね、と報告しに来てくれたのかもしれない。何て……残酷な優しさなんだろう。彼がもう少し優しくない人間なら、私の一番見られたくない所を見られずにすんだのに。


「おら、捕まえたぞこの!」


「! る、ルッカを離せ!」


「ああ? なんだお前!」


 後ろから抱きかかえられて、私は体の力を抜く。もう、何をどうしても叩かれるのは一緒なら、抵抗しないほうが痛くされないかもしれないと思ったのだ。クロノが勇敢にもお父さんに命令するけど、お父さんはつまらなそうにクロノを見下す。


「俺はクロノ、ルッカの友達だ! 嫌がってるだろ、ルッカを離せよ!」


「友達ぃ? ふざけるな! 俺はルッカの父親だ、他人が口出しすんじゃねえよ、俺の教育に文句でもあんのか!?」


「教育って、あんたのはただの暴力じゃないか! なんだっけ、ええと……そう、虐待だ! 子供虐待!」


 捕まっている私を助けようとお父さんに怯まず言葉で噛み付くクロノ。彼は私の近くまで走りより、ぴょんぴょんと私を取り戻そうと躍起になっている。
 お父さんは虫を払うみたいに飛んで縋りつくクロノを平手で振り払った。軽い力とは言え、体の大きいお父さんに叩かれて小さいクロノは地面に倒れてしまった。


「ク、クロノ……」


「い、痛い……」


 水溜りに倒れて泥水を服に吸い込ませながらクロノは唸る。
 私はお父さんに、「クロノには手を出さないで! 友達なの!」とお願いした。


「……お前に友達、ねえ……おい、クソガキ。お前さては知らねえんじゃねえか? ルッカがどんな奴か」


 面白い余興が始まるとばかりに、お父さんはさも愉快そうにクロノに話しかける。その口振りからするに……もしか、しなくても……


「や、止めてよお父さん……お願い、友達なの、私の大事な友達なの! お願いだから、クロノを消さないで、クロノを取らないでーーッ!!」


 私の言うことなど聞き入れてくれるわけが無いお父さんはうるさそうに私の口を押さえて、「そうかそうか、お前があのジナの息子のクロノか。あいつはこういう話は嫌いだろうからな、息子のお前に教えてないんだろう。だから知らねえのも無理は無い、か」とニヤニヤしながら倒れているクロノに近づき始める。どれだけ叫ぼうと、どれだけ暴れようと、私の体が自由になることは無く、私の意志が届くことも無い。


「な、何だよ……」


 お父さんの雰囲気に押されて力の無い声を出すクロノの頭をがしっ、と押さえてお父さんが口を歪ませた。


「こいつはな……殺人者なのさ。こいつの母であり、俺の妻であるララを殺した最低最悪のな!」


「むうーーーーーーっっっ!!!」


(止めて、止めて止めて止めて止めてヤメテヤメテヤメテ止めてーーー!!!!)


「綺麗で優しい妻だった……愛してた! 近所でも有名な、誰にも好かれる女だった! あいつと一緒なら何でもできると疑わなかった! なのにコイツは殺した……あの歯車の中で……ララは、小さくなっちまってた……わざとじゃない? だからなんだ! ガキだからってそんなんで許されるかよ! しかも……」


 今も腕の中でもがく私を睨み、次にお父さんはクロノにも憎悪の視線を向けた。
 今にも、彼の喉を噛み千切りそうな、どうもうな笑みを貼り付けつつ、次の言葉を吐き出す。


「このルッカの野郎、お前と友達になったそうじゃねえか? 母親を殺した罪も忘れて新しい友達との生活が楽しみで仕方ねえようだな? ああ、そういやこの前服をドロドロに汚して帰ってきやがったな……はっ、所詮こいつにとってララはその程度の存在だったわけだ! 友達とやらで全部置き換えられるような、ちんけな愛情しか感じてなかったんだ!」


 クロノはお父さんに無理やり下を向かされながら、黙って話を聞いている。表情は見えないけれど……分かる。彼は今失望しているか、自分を騙していたと怒っているか……どの道、彼もまた私を嫌う町の子供たちと同じ、私を『殺す』人間へと変貌していく。メッキが剥がれ落ちるように、油絵をこそぎ落とすように、本当の彼が姿を現していく。
 分かっていた。彼が私を嫌わないのは、遊んでくれるのは、どこにでもいるくらいの陰気な女の子だと勘違いしていたからに過ぎない。本当の私を知れば、本当のクロノが出てくるのは当たり前なのだ。偽っていたのは私。それを受け入れるしか、ないじゃないか。


「目が覚めたか? クロノ。こいつは悪魔だ。誰からも好かれること無く愛されること無く生きるクソガキだ。当然の報いだ。町の人間でこいつと関わろうなんて奴はいねえ、お前もルッカなんかの相手なんかしねえで、その辺の子供と遊びな……まあ、他のガキと同じように拳でぶん殴る関係なら文句は言わねえがな」


 言ってごーかいに笑う。お父さんの言うことは正論だ、私の不注意でお母さんを殺したのは、紛れも無い事実なんだから。
 だから、早く死んでいれば良かったんだ。そうしたら、その分生きていた時に味わう苦しみとか、辛いとか、悲しいとか、全部無かったことになるのに。なったのに。
 私はもう、もがくことをやめた。どうでもいいんだから、逆らっても、叫んでも変わらないんだから。私を囲う世界は私の想いと裏腹にぐるぐる回り続ける。私という人間が止まっていても、何ら変わらず。


「……ルッカ、お前虐められてたのか」


 クロノが、お父さんの手が離れた後でも下を向いて、私にとって聞きたくない今更な事実を確認してくる。
 話しかけないでよ、もうクロノと話していてもワクワクしない。楽しい気持ちがぶわっと広がったりしない。顔も見たくないのだ。見て欲しく……ないから。
 お父さんが私の口を塞ぐことを止めた。自分で言えということだろうか? 私の口で「虐められた。誰も私を好きになってくれない。だって人殺しだから」と言えと、そういうことなのか? お父さんが無言で命令しても、それだけは従えない。私は固く口を閉ざし、クロノと同じように顔を下向けた。
 いつまでたっても何も言わない私に、それを肯定と受け取ったクロノは「そうか」と何でもないように言った。「俺、知らなかったなあ」とぼんやり空の泣き顔を見上げていた。


「なのにお前、笑ってたのか。皆お前を嫌ってるのに、家の中でも虐められるのに、笑ってたのか。すぐ泣いて、すぐ笑って、時々怒って……色んなお前を俺に見せてくれたのか……」


 ぽつぽつと、小さく区切って言うものだから、クロノの言葉は大半雨音に混じってしまった。頭上で雷鳴が響いている。しぜんげんしょーでさえ、私を責めているようだ。分かりづらい言葉なんていらない。クロノも早く私を「この人殺し! わざと黙ってたな!」と責めてくれれば良い。反論なんてしないから、私が黙っていたのは、きっと本心では彼を騙そうとしていた、知って欲しくないから。私の嫌なところを知ったら彼は私を嫌うから……うん、わざと言わなかった。
 どうせ嫌われるなら、そう言われるなら早いほうがいい。クロノとの思い出ごと全部切り捨てて欲しい、でないと、こんな時でも私は楽しかった思い出に縋ってしまう。
 静かにクロノは私に近づいてきた。水溜りに足をつけて、ばしゃばしゃ音を立てながら。そして彼の手が私の頬に……当たった。でもそれは悪意のない、大切な物を触るような手つきで。今まで与えられた虐めとか暴力とかと真逆な……幸せすら感じる温もりを乗せて。


「ほらルッカ、平手だぞ。痛いだろ?」


「……え?」


「だから、お前の顔を叩いたんだって。痛いだろ? 泣けよ、痛かったら泣いてみろよ」


「い……痛くない、よ」


 クロノが何をしたいのか、私に何を言っているのか分からなくて私は喋らないと決めていたのに会話をしてしまう。クロノは「嘘だ」と私の意志を決め付けて、


「だって、顔が腫れてるよ。見えないけど、足も痛いんだろ。立ってるの辛そうだ。体中痛いのかな、とにかく泣けよ。ほら早く」


 そこまで言われて、私は新しい虐めだと理解した。無理やり泣けとは、確かに厳しい虐めだ。クロノは頭が良いから、他の子とは違いこうりつの良い楽しみ方を見つけたようだ。私には、何が楽しいのか分からないけど、人を虐めることが楽しい人にとっては、面白いんだろう。
 そこまで考えが至り、本当に泣きそうになってしまったけど、涙はこぼれない。泣きたいのに、私の体が拒否している。止めろ! と涙を無理やり押しとどめようとしている。そんな私に「はあ……」とため息をついて、クロノは私の肩を掴み、無理やり目を合わせてきた。何をされても、私は泣かないのに。次は本当に痛いことをされるのかなあ。


「泣けってルッカ」


「……やだ」何をされてもいいけど、それだけは嫌だ。理由は分からないけど、泣けと言われて泣くのは嫌だ。私の意志まで勝手にされるのは嫌だ。


「泣け!」


「やだ! 私だもん! 泣くのも笑うのも、私の自由だもん! 私に残った最後の自由だもん!」雨音にもゴロゴロ言う雷にも負けないくらいの大声でクロノの体を振り払おうとした。彼は私の力なんてものともしなかったけど。クロノは私の声よりもずっと大きな声で怒鳴った。


「そうだよお前の自由だよ……だから泣けって言ってるんだ!!」


 自由なら、泣く必要なんかないじゃないか。
 私の声を聞く前に、クロノが触れそうなくらい顔を近づけてきたから、驚いて飲み込んでしまう。


「ルッカが泣いたら、俺が慰める。頭を撫でて、泣き止ませようとしてやる! だから泣いて良いんだ、お前が泣けば俺が助ける。誰も助けないなんてこと、絶対無いから!」


「……私、を助ける?」


 ──クロノがいれば、私は私でいられる。それは、数日前に発見した私の大発明。私を心配してくれる、慰めてくれる人がいれば泣くことができるという、嘘みたいな理論──


「う、嘘だ! 私みたいなのを助けてくれる人なんかいない! クロノは嘘言ってる! 騙そうとしてる!」


「嘘じゃないよ! ルッカが痛かったら俺も痛い! ルッカが泣けば俺も悲しい! ルッカが笑えば俺も楽しい! 嘘だったらはりせんぼん飲んでやる!」


 ──泣くことに理由なんか無い。昔そんな言葉を聞いた気がする。それは正しいと思う。だって、悲しいとか、辛いとかは人によって『まちまち』だから。でも、泣く為に必要なものはあるのだ。一人では、人は泣くことなんてできない。自分にとってとても大切で、とても自分を大切にしてくれる誰かがいなければ──


「じゃ、じゃあ……かみさまに誓える? 嘘だったらこれからずっとお菓子食べないって言える?」


「ああ、それどころかかくれんぼも一生しないし、鬼ごっこも秘密基地を作ることもしない!」


「ず、ずーっとだよ!? もうずーっと甘いものを食べられないし、楽しい遊びとかもしたらいけないんだよ!」


「しつこいな、俺はルッカが大好きだ。それは絶対の絶対だ!」


 ──つまり、今私が泣く為に必要なピースは揃ったことになる。なら……もう、無理に我慢することは無い、ということだ──


「…………っ!」


 クロノの肩に顔を当てて、私は声にならない声を上げた。言いたいことは山ほどある。でも、それは言葉にしない。したらとんでもないことを口走りそうだから。きっと、後になって思い出せばそれこそ死にたくなりそうな恥ずかしい言葉をつらつらと並べそうだから、口を開かない。クロノも何も言わず、優しく、でもしっかりと手の温かみが分かる力加減で私を撫でてくれる。
 彼の存在が私を認めてくれる。彼がいるだけで、私に触れているだけで、「生きていいのだ」と言われてるみたいで……親に甘えるねこさんみたく、クロノにぎゅーってした。クロノも左手を背中に回してぎゅーってしてくれた。それが嬉しくて、嬉しくて、涙が止まらない。このまま死んじゃうんじゃないかなって思うくらいの幸福感。決めた、私が死ぬときはクロノに抱きしめられて死ぬことにする。幸せすぎて死ぬのだ。望ましいなんてもんじゃない。首を吊るなんてつまらない死に方はやだ!


「……おいおいクロノ、俺言ったよな? うちの娘に関わるなってよお。お前、いきなり話聞いてなかったのか?」


 お父さんが青筋を浮かべて、小さくとも暴力的な声を出した。
 今までの私なら、すぐに謝っていただろう。でも、今は怖くない。全然怖くない! 今度は、本当だ。隣に私の友達がいるんだから。本当の友達がいるのだから。
 クロノは私の背中をぽんぽんと叩いて、お父さんの顔も見る事無く「うるさいはげおやじ」と暴言。顔を真っ赤にさせた。


「お前どういうことか分かってねえな? そいつは悪魔だって言ってるんだよ……いや、本当の悪魔と違って見た目が普通のガキだからそれ以下だな!」


 胸をえぐる様な声も、私の耳には届かない。だって今の私に聞こえるのはクロノの心音だけだから。リーネ広場にやってくる楽団の演奏も、どんなにきれいで美しいピアノの曲も、この音には劣る。世界で一番落ち着けて、安心できる音だ。


「普通のガキ? 何言ってんのあんた。ルッカは見た目普通じゃなくて、すっごく可愛いだろ!」


「────っっ!!!」


 急にそんなことを言わないで欲しい。流れていた涙が一瞬で止まり、また一瞬で体が熱くなってしまう。やっぱり、私を殺すのは私じゃない、クロノだ。彼が私に触れているそれだけで天に昇りそうだった。
 何度か口を開け閉めしてから、お父さんは痛烈な舌打ちをした。それを見てクロノが新しい言葉を作った。


「あんた、何もかも間違ってるよ」


「ああ……? 間違ってるのはテメエだろうが!!」


「いいや、あんただ。ルッカが母親を忘れた? 友達に置き換えられるような、ちんけな愛情しか感じてなかった? ぜんっぶ的外れだ! あんたルッカの何を見てたんだよ!」お父さんのいあつかんを押しのけてクロノが堂々と否定した。


「ルッカはいつもお母さんの話をしてくれた。優しいとか、料理が美味しいとか、編み物が上手で私に毛糸の帽子をくれたとか、夜子守唄を歌ってくれて嬉しかったとか、分からない問題があれば丁寧に分かりやすく教えてくれたとか、一緒にお風呂に入れば悪戯でこそばかしてきて、それがとっても楽しいとか! お母さんの話だけじゃない、あんたの話も沢山してくれたぞ!」


「お、俺の話も?」お父さんが戸惑った後、クロノは頷いた。


「悪口とか、怖いお父さんだなんて一言も言わなかった! 発明が好きで、いつも研究室に閉じこもってるけど時々面白いものを発明して楽しませてくれるんだって、昔ねじ巻き式の動くロボットを作ってくれたって、嬉しそうに話してた! 大好きなお父さんなんだって、世界一のお父さんお母さんなんだって胸を張って自慢してたんだ! あんたはずっとルッカを嫌って、叩いたりしてるけどルッカはあんたを慕ってた! あんた……それでもこいつを悪魔だって言い張るのかよ! ルッカが悪魔なら、あんたは何だ? ただの最低な人間か? だったら俺は死んで悪魔に生まれたいな、俺はルッカと同じが良いよ!」


「……うるせえ……」


「父親なんだろ? あんたの愛した人と一緒に育ててきた娘を何で守らないんだよ!? 町で虐められてるのに、何で庇おうとしないんだ! それどころか、自分も一緒に虐めてるなんて何考えてるのさ!」


「うるせえよ! こいつが……ルッカが何もかも悪いんじゃねえか!!」


 お父さんが今度は手加減無しに思い切り拳を振りかぶり、私たちに放った。当たる直前にクロノが私を横に押したから、結果として殴られたのはクロノだけ。盛大な音に私は目をつむった。彼は……殴り倒されても、すぐに起き上がり「痛……くない!」と誰の目にも明らかな強がりを口にした。鼻血は出てるし膝もずるずるに擦り剥けてる、奥歯が折れたようで、口からぼとぼと血が垂れている。私でも、あんな勢いで殴られたことは無い。当たり所が悪ければ死んでもおかしくないような勢いで飛ばされたのに、クロノは怯えを一切見せない。


「うるさいじゃないよ! あんたが悪いのに、ルッカのせいにしてるんじゃねえ!!!」


「……あ」


 私とお父さんは同時に思い出した。お母さんがよく言っていた、私がよく言われた言葉。悪いことをしたとき、言い訳を嫌うお母さんの言葉。お父さんがよく言われた言葉。悪いことをしたとき、言い訳をするお父さんに向けた言葉。お母さんは、優しい人だけど、自分の非を誰かに擦り付ける事が大嫌いだった。せきにんてんかというものらしい。とにかく、お母さんはそのせきにんてんかをお話の中の魔女にそうするみたく、とてもとても憎んでいた。嫌っていた。
 それを誰よりも知っていたのは、私じゃなくて……きっと、私の何倍もお母さんを好きだった、お父さんだ。


「……嘘だ。お前、何で? ララの、ララの言葉だそれ。何でお前が言うんだ? 何でそれを俺が言われるんだ? なあ、何で……何で!!!」


 何で、どうしてとお父さんは何度も繰り返した。いつのまにか思い悩む顔が、私と同じ泣き顔になるまで時間はかからなかった。
 お父さんは、泣くことがない人だった。泣いたら、何もかも終わってしまうと疑わないように、必死に堪える人だった。お母さんが亡くなった時も、どれだけ苦しそうにしていても、泣くことだけはしなかった。
 ……そうか、お父さんもまた、慰める人がいなかったんだ。その役目を請け負う人が、お母さんだったから。私はそう成り得なかったのか……そうだよね、私、泣いてばっかりでお父さんがどれだけ辛いか、考えてなかったもんね。お父さんがどれだけ悲しいか、どれだけ泣きたいかが分かった時は……もう遅かったんだ。


「俺があんたに言ったのも、あんたが俺に言われたのも、あんたが分からない訳無いだろ? ……けど、あんたがそれを言われて泣いてる理由は子供の俺でも分かるよ」


 二倍近く身長が違うのに、なんだか泣いてるお父さんが子供で、それを見ているクロノが大人のように見えた。その感想は、今に限れば間違いじゃないんだと思う。
 間を置いて、クロノがたんたんとお父さんに答えを教えてあげた。


「あんたが、ララさんを好きだったから。それから……あんたはルッカだって、大好きなんだ」


 お父さんは、小さく「ごめん」と呟いていた。それが誰に向けられたものなのか、この場にいる私たちなのか、それともここにはいない人に向けたものか、まだ幼い私には分からなかったけれど……クロノがその誰かに代わって「まだ、遅くないよ」と語りかけていたのが印象的だった。






 その日、お父さんは自分の部屋にこもって私たちに顔を見せることは無かった。クロノには外はまだ雨も降っているし、家がちょっと遠いことから泊まってもらうことにした。殴られた時の怪我の治療もあるし、何より今日はクロノと離れたくなかった。
 ジナさんに何も言わずおとまりなんて良いのかな? と(帰らないでと言った私が言うのも勝手だけど)クロノに聞けば「母さんは俺が一週間くらい帰らなくても心配しないよ」と私にとっては信じられないことを言った。凄いなあ、うちのお母さんは私が三十分姿を見せなくても大騒ぎしてたのに。うちが特別なのかな? 普通の子は一週間くらいいなくても家族は心配しないのかもしれない。私はお家を一週間も出たくないな、どれだけ怖くても、私はお父さんと離れたくないもん。
 クロノのお泊りが決まって私はちょっとだけはしゃいだ。大はしゃぎではない。家にいる間中くっついたりなんかしない。トイレの時はクロノと離れていたから。お風呂は一緒だったけど。
 夜寝るときに一緒のベッドで寝ていいか提案した時「いいよ」と言われてもそりゃあ冷静なものだった。いつも一緒に寝ているくまのぬいぐるみより、ほんのちょっっっとだけ抱きついてたら安心できた。ちょっとだけ、あくまでもちょっとだけ。いやむしろ寝心地が悪かったくらいだ。その証拠に中々寝ることが出来なかった。もうクロノと一緒に寝るのはこりごりだ。仮にこれからクロノと一緒に寝ることがあっても、それは一年に十……二十……三……びゃく、日くらいが限度だ。百以下の日数は切り捨てよう。うん、三百日くらいがちょうど良い。六十五なんて一々言う必要も無いだろう。
 その夜、私は久しく見ることの無かった夢を見ることが出来た。人は、夢を見るのだと思い出した。





 朝起きて、私は隣でまだ寝入っているクロノを起こさないようにベッドから出た。気持ち良さそうに寝ているのだから起こしてあげなくても良いだろう、朝ごはんを用意してあげてからで充分だ。


「…………」


 今までクロノの手を握っていた手をぐーぱーして、何も無いことを確認する。なんだか、すーすーして落ち着かない。これもクロノが私の手を握ってきたのが悪い。いや、正確には握ったのは私だけど、クロノが寝言で「ふすー……」と言ったから仕方なく私が握ってあげたんだ。甘えん坊だなあ、クロノは。
 ……手が寂しいけど、それはどうということじゃない。早くクロノを部屋に残して下に行こう。私はお気に入りのくしで軽く髪の毛を梳いてから部屋を出た。


「……なんだよルッカ重いよ、もう朝?」


「うん、朝だよクロノ。早くおきよーよ!」


 階段を下りる前によくよく考えれば、朝ごはんの支度をクロノにも手伝ってもらえば早いことに気付いて私は部屋の中に戻りベッドの上に飛び乗りクロノを起こした。「むぎゅ」という声が可愛くて、それを聞けた今日の私はきっと良い事があると確信した。私以外の体温を右手に感じながら、私は今度こそ一階に下りた。


「朝ごはんは何食べよっかクロノ?」


「んー……睡眠」


「……食べ物じゃないよう」


 まだ寝ぼけた頭が起きていないクロノがだるまさんみたいに体を揺らしながら返事する。もっとちゃんと話を聞いて欲しいけど、リアクションしてくれるのが嬉しかった私は何度もクロノに質問をした。「卵焼きは半熟?」とか「パンは何枚? 何を塗る?」とか「歯磨きは私と一緒ので良い?」とか。最後のは却下されたけど。ちょっと、悲しかった。
 お料理も楽しかった。料理と言える様なものではなかったけど。
 冷蔵庫の野菜室からレタスとか、きゅうりを取り出したりドレッシングを机に並べたり、パンをトースターに入れたりクロノが作ったサラダやスクランブルエッグの乗ったお皿を持っていくのが私の仕事だった。ちゃんとご飯を作れるクロノを見て私はお料理の勉強をしようと固く誓った。確かお家の書斎にお料理の本があったから今日から早速練習しようと思う。


「ごちそうさま」


 私よりも量が多いのにあっという間に食事を平らげてしまったクロノは立ち上がって「顔洗ってくる」と洗面所に歩いていった。


「く、クロノ食べるの早いね。私も行く!」


「え? ルッカまだ食べ終わってないよ?」


「お、お腹いっぱいなの!」


 まだ食べたり無かったけど、一人になりたくない私は椅子を立ってちょこちょこクロノの後ろについていこうとした。でも、クロノは私を見て小さく笑い、元の席に戻ってしまう。「ルッカが食べ終わるの待つから、ゆっくり食べなよ」と言われて私は顔を赤くした。何で分かるんだろう、クロノは魔法使いなのかもしれない。魔女とかそういう悪い魔法使いじゃなくて、王子様みたいな魔法使い。お料理の本と一緒に王子様が魔法使いなんていう話の本が無いか後で探してみよう。
 ゆったりとした時間が流れた。クロノは微笑みながら私がパンを齧る姿を見ている今は、とても幸せなんだろうとしみじみ実感した。こんな毎日を私は絶対に続かせてみせる。これ以上の幸せなんて世の中にありっこないのだから。
 口をモグモグ動かしていると、クロノの顔が少しだけ歪み、また元に戻った。何か見つけたのかな? と思って私が後ろを振り返ると……扉を開けてリビングに顔を出したお父さんの姿。顔は少しやつれて、おめめが腫れあがっている。昨日、ずっと泣き続けていたんだろうな、見ただけで分かった。
 お父さんが床をスリッパで鳴らして机に近づいてくる。私はまた大きな声で怒られるのかと思いびくびくしていると、予想に反してお父さんは私じゃなく、私の前に座るクロノに話しかけた。


「おいクロノ。昨日はよくもやってくれやがったな。絶対許さねえぞ」


 言葉遣いは乱暴だけど、お父さんの声は優しいものだった。いつもの……昔の、荒っぽくても世界一頼もしくて楽しいお父さんの声だった。
 もう一度顔を見てみると、目は腫れてて元気そうには見えないけど、つきものが落ちたみたいな、さっぱりした顔つきだった。


「俺? 昨日は色んなことをしたけど、何が気に障ったのあんた」


 よく聞いてくれたな、と言いたげににや、と笑ってお父さんは自信満々にクロノを左手で指差して、右手を私の頭にぽん、と乗せた。私を怖がらせるようなものでない手つきは、本当に昔に戻ったみたいで、びくびくが消えた。


「忘れたのか? お前、昨日俺の娘に平手喰らわせやがったろーが。責任取りやがれ!」


「……おとう、さん?」


 喉から、掠れた声が出てしまう。だって、冗談交じりに言っているけれど、その言葉はどう考えても私を案じてくれているものだったから。悪意無く『俺の娘』と言ってくれたから。
 お父さんの言葉を聞いて、クロノはけらけらと笑った。「良いよ!」と元気良く返事をしたことで、お父さんも笑い出した。この場についていけてないのは当事者の私だけだ。


「じゃあお前はルッカの友達だ。何があってもずっと友達だ! いつでも家に来い、大歓迎してやるさ!」


「へへへ、分かった。よろしくねおじさん!」


「ようやくあんたからおじさんか。ったく礼儀のなってないガキだぜ!」


 お父さんがクロノの頭をもみくちゃに撫でる。髪型がおかしくなるだろー、と文句を言いながら、クロノは楽しそうだった。お父さんもまた、それに輪をかけて楽しそうだった。
 ──夢じゃないんだよね、これ。本当の話なんだよね?
 お父さんが笑ってて、私に大切な友達が出来て、私を大切に思ってくれる。普通の人なら平凡なことだと笑うかもしれない。でも私にとっては天上のような幸せ。ちょっと前に汗だくになって、町外れの木の下まで歩いていたのが嘘みたい。私は二人に釣られて笑った。あんまりにも笑い続けているから、おかしすぎて涙が出てきた。この一週間で、私はどれだけ泣いているのだろう。涙が枯れないのは、やっぱりりふじんだ。でも……悪くない。だって、私を慰めてくれる人が今ここに二人もいるのだから。


「ああ……生きてるって、楽しいな」


 涙を拭き取りながら、慌てふためいているお父さんとクロノに当たり前のことを言った。
 その後、クロノが自分の家に帰った後で、お父さんが私に約束した。もう私を泣かさない、暴力も振るわない。ずっとお前だけの味方でいてやると言ってくれた。その約束を、お父さんはその日の内に二度も破ってしまった。一度目はその言葉を聞いて私は飽きずにまた泣いてしまったこと。二つ目は私が料理を作ろうと思っていたのにお父さんが先にごーせーな晩ごはんを作ってしまったこと。でも私より悲しそうな顔でおろおろするお父さんは可愛かった。
 その日、お父さんは頼りないなあ、とぽろっとこぼしてしまいお父さんがしゅん、と俯いてしまった時なんかお腹をかかえて笑ってしまった。
 夜になって、クロノがいないベッドで寝るのが寂しかった私はふと、クロノと出会った日を思い出していた。何で私は、出会って間もないクロノの前で泣いてしまったのか?
 泣く為には私の為の誰かがいなければ泣けないはずなのに。その時の私とクロノはまだ友達じゃなかったと思う。だって、まだちゃんとお話もしてなかったのに。考えれば考えるほど分からなくなって、私は使い勝手の良い理由を思いついた。


「……きっと、うんめいってやつだよね」


 ロマンチックな解答に、気分が良くなって私はすやすやと寝息を立てることに成功した。
 王国暦988年。私は誰よりも幸福な女の子だった。




















 『ルッカ、現在の性格に至る切っ掛け』




 お父さんと和解してからさらに一週間が経ったある日のこと。近くの海辺で魚を釣りながら私はクロノにふとした疑問を投げかけた。


「ねえクロノ? クロノって、好きな女の子のタイプってあるの?」


 なんの考えも無いほんとーにちょっとした疑問。別に答えられないなら答えないで一向に構わない意味なんか全然これっぽっちもありはしないつまらない質問。興味なんかないけど、暇だから聞いてあげようかな? くらいのすっごくどーでもいい疑問であって……もういいから早く答えて欲しい。


「俺の好きなタイプ? ……うーん」


 クロノはむむむ、と考え込んでしまった。まだ私よりも年下の彼にそんなものがあるのかどうか分からないが……普通に考えればそんなことを悩むような年齢じゃないか。変な事聞いてごめん、と言う前にクロノは閃いたように指を鳴らした。


「俺、結構ゆーじゅーふだんなんだって。母さんが言ってた。だから、俺を動かしてくれる強い女の子が良いな!」


 母親の言葉を真に受けるとは、やっぱりクロノはお子様なんだなあと餌の取替えをしながら思った。強い女の子かー。関係ないけど、私はきっと強い女の子なんだと思う。もうお家の中でクモさんを見ても三回に一回は泣かないようになったのだから。未だにその一回が来ないのはお父さんが言うところのかくりつのもんだいなんだろう。


「……ねえクロノ。私は強い女の子だと思う?」不安になったわけじゃないが、私はちょっとドキドキしながら聞いてみることにした。クロノは一度不思議そうに首を倒した後、笑いながら答えた。


「ルッカはか弱い女の子だろ? 可愛いじゃん」


 か弱いとか、可愛いとか、いつもなら喜んだかもだけど、私は全く嬉しくなかった。泣きたくなるくらいに悲しい気持ちがぶわっと溢れてきた。それらが目から流れ出す前に、私は思いっきりクロノの顔を叩いて家に走って帰った。顔をはたかれた時のクロノはぼ-ぜんとしていたけど、今の私の顔はクロノにだけは見られたくないから振り返る事無く走り去った。
 家に帰った後、夜になり、私は研究室にいるお父さんに「強い女の子ってどんなの!?」と詰め寄った。お父さんは何故か腰を引きながら「ど、どうしたんだルッカ?」と怯えている。まどろっこしくなった私は近くにあったスパナで机を叩きながら「どんなのーー!!!?」と喚きたおした。そうして、ようやく答えを得た。肉食系の女の子なんじゃないか? とのことだ。私は明日クロノと会うに辺り準備をすることにした。


「おはよールッカ!」


 昨日意味不明な別れをしたのに、クロノは気にする事無く私の家のチャイムを鳴らし遊びに誘ってきた。玄関のドアを開けて、私はおもむろに鞄に手を突っ込み恐竜の帽子を取り出してかぶり「がおーっ!」と両手を上げた。お肉を食べる生き物で一番強いのは恐竜だからだ。これで世界で一番強い女に私はなったというわけだ。偶然にも今の私はクロノの好みにストライクな女の子なのだ。別に部屋から取り出してきた訳なんかじゃ無くて、たまたまかぶりたかっただけなのだ。


「恐竜なの? 可愛いねルッカ!」


 肉食系でとっても怖い恐竜の私を可愛いだと? これはてんちゅうを下さねばなるまい。私は思いっきり、もう百キロくらい突き飛ばすような気持ちでクロノに体当たりをした。私の強さを思い知ったに違いない。クロノは怯えながら「よしよしー」と私の頭と背中を撫でている。降伏するといういしひょーじだろう。その後私たちは手を繋いで新しい遊びを見つけに歩き出した。今日のところは私の強さを見せるのはやめてやろう。でも、これからも私は強い女を目指して生きていく! 十年くらいすれば、私はもっともっと強くて魅力的なれでぃーになることだろう。










 かくて、弛まぬ努力を続けた結果ルッカは自分が思い描いた男よりも強い女になることができた。
 強いのベクトルが明後日に向いていたのは、言うまでも無い。
 だが、彼女が理不尽でクロノに虐待に近いような暴力を振るい出した要因はクロノ本人の考え無しの発言であるのは間違いが無かった。
 物事をよく考えて口に出せという教訓である。ちなみに、幼少期のクロノがこのか弱くて可愛らしい女友達と大きくなれば結婚して一生守ってあげようとか考えていたのは、今の大きくなったルッカが知るにはあまりに酷な真実であろう。


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