思えば、昔はこうではなかった。
昔は今と違って自分に自信があった。どんな苦境にも負けない、負けるはずが無いという自負があった。
まだ自分が狩りに出たての頃、自分は経験も無しに初めての狩りで最強の戦士として認められた。勿論少なからず批判ややっかみもあったし、中には酋長の娘だから選ばれただけの能無しとさえ言われた。毎夜毎夜村の人間に「デテイケ! デテイケ!」とテントの前で叫ばれた。
父さんが病気で死に、母さんが恐竜人の襲撃で亡くなっていた自分を守ってくれたのはキーノだったと、気づいたのはもっと後のことだった。
村の人間にほとんど村八分のような扱いを受けていた私はキーノの支えもあり(その頃はそんな風に考えてはいなかったが)実力で自分の存在を周りの人間に認めさせた。
……告白しよう、私は天狗になっていた。村の娘から得られる尊敬を、男達の目に写る畏怖の感情を、快感に変換させていたのだ。
表向きは気さくな酋長として振舞っていたが、本音は自分以外の人間を役立たずとしか思っていなかった。正直、戦の際も自分の盾になるなら良いか、程度の、到底仲間に向けるものではない『信頼』しか感じていなかった。
特にそれが表れていたのは男。女勢は非力であり狩り等の戦闘は不向きであることは分かっていた。しかし男はどうだ? 本来女である自分よりも強くたくましくあるべきではないか?
今となってはそれが自分の傲慢の押し付けである意見だと分かっている。しかし、当時の自分には女である自分より非力な男たちが情けなくて、嫌悪の念さえ抱いていた。
その負の感情をぶつけていたのは、キーノだった。
もとより幼馴染という遠慮の要らない関係だったことも相乗して、自分は村の人間がいないところでキーノを怒鳴りつけ、殴り倒して、自分に溜まっていた理不尽なストレスを発散させていた。時には鼻を潰したり、奥歯を折ったことも度々だった。
言い訳をするつもりは無いが、本当はそこまでするつもりはなかった。ただ……キーノは笑うのだ。私がどれだけ罵倒しようと、殴ろうと。私を宥めるように笑うのだ。その度に私の胸の奥にある黒い塊が大きく膨れ上がり拳を止める機会をことごとく消し去った。
苛立たしかった。これではまるで、自分が駄々をこねているようではないか、と。癇癪を起こした娘に対する父親のつもりか、と。それにしては、被害が度を越えているが。
……男達は弱いと言ったが、その中でもキーノは強かった。戦でも狩りでもキーノは私の補助を勤めていた為目立ちさえしなかったが、その動き、判断力、指揮の正確さ、それら全てが自分を上回っていると知ったのは恐竜人との最初の戦いから二つほど季節が回った頃だった。
恐ろしかった。もし村人達が私よりもキーノの方が強くたくましいのだと気づけばどうなるか、それは火を見るより明らかだったからだ。
私が心の底では村の人間を見下していると感づかれるのにそう時間は必要ではなかった。生死を共にしているのだ、いつまでも騙しきれるものではない。
それに比べてキーノはどんな人間にも優しく朗らかに勇気付ける言葉を送っていた。村の人間が私に疑心を抱く頃には村の士気を高めるのはキーノの役目と化していた。
……もし。もしも、自分が酋長で無くなってしまえばどうなるのだろう? その肩書きごと私も無くなってしまうのではないか?
――エイラという人間は、消えてしまうのではないか?
そんな、強迫観念に酷似したものが、ムクムクと膨れ上がってきたのだ。
だって、自分は力だけで村を従えて来た。それが大地の掟だと疑わなかったから。強い者が勝ち、強い者が奪い、強い者が従わせる。強い者だけが全てを手に入れる。……けれど……
もし、自分が酋長で無くなれば? 強い者で無くなれば? 私は何を奪われるのか。
答えは……無かった。見つからないのではない。文字通り無かったのだ。
私には大切な人間も大切な物も何一つ手に入れていない。持っているのは私自身がハリボテにした仲間だけ。私が消えても誰も悲しまないナカマだけ。
夜中にそんなことを一人で考えていた私は気が狂いそうになった。自分が何処に立っているのか分からない。地面が柔らかく沈んで平衡感覚が掴めない。空は暗いのか赤いのか透明なのか、色彩感覚も狂ってきた。私の体に詰め込められるだけの不安を捻じ込まれた。
クラクラする頭を抑えながら私はテントを出ておぼつかない足取りで村の中を歩き回った。
気づけば私は村の広場にやってきた。パチパチと爆ぜるたき火を数人の男達が囲み談笑をしていた。
男達は私に後ろを向ける格好で座り込んでいたので私の姿には気づかない。私は混乱した頭で(私も話に入れてもらおう、皆と仲良くしよう、だって、キーノにだってできるんだから、自分が出来ない訳はない)と考えて、少しづつ男達に近づいていった。
後は話しかけるだけ、と声を出そうとした瞬間、私の体は凍りついた。なぜなら、彼らは言った、確かに言った。
――そろそろ、酋長を変えるべきではないか、と。
私は気配を隠して近くの暗がりに身を潜めて盗み聞きを開始した。……会話の内容は私の想像通り。
エイラは情が無い。だが、キーノには情がある。
エイラは鼓舞能力が無い、だがキーノには鼓舞能力がある。
エイラは冷静さが無い、だがキーノには冷静さがある。
――エイラは男ではない、だがキーノは男である。
悔しかった。今まで見下げていた男たちにこうも好き勝手言われる現状に。自分の力が足りないせいで追い込まれた事に。……キーノの存在自体に。
沸騰した頭で私は単身恐竜人のアジトに向かった。先日の恐竜人との戦いで敵首領、アザーラが今拠点を離れ村の近くに出向いているという情報を掴んだのだ。
一人で戦うことに恐怖は無い、あるのは自分の酋長としての座が脅かされていること。自分の存在価値が消えようとしていること。だって、自分には力しか無いのだ、その自分が力の象徴たる酋長という立場を奪われれば、そこに何が残るというのだ?
息を荒くして、暴風のように恐竜人たちを薙ぎ倒して私はアザーラと対面した、そして……そして……
「……ごめん、キーノ……キーノ……」
私は今日、二度目の過ちを犯したことになった。
星は夢を見る必要は無い
第十七話 KINGDOM COME
「いやあ、晴天だ、まさしく晴天だよ、これは晴天と言わざるを得ない。なあそうだろ?」
「クロノってさ、前から思ってたけど語彙量少ないよね? 今度勉強机買ってあげようか? もしくは広辞苑」
「マールは王女様の癖に悪口の幅が広いよな、やっぱり育ちが良くても中身が決まるわけじゃないんだなぁ」
互いにアハハと笑いながら鋭く目を尖らせて睨み付ける俺とマール。いやいや仕方ないんだって、熱気は人の怒気を募らせるものだから。マールとは今朝からかれこれ三回くらい喧嘩してるけどまだ怒りが収まらない。何がむかつくって、喧嘩のたびに俺の怪我は畜産されていくけどマールは回復魔法を自分だけに掛けて快適に歩行してるのがたまらない。擦り傷とか凄いのよ、今の俺。
「あんたらねえ、暑くて苛立つのは私も同意見だけど、近くで暴れられたらこっちまで腹が立つのよ、息を止めるか死ぬかしてちょうだい」
究極過ぎるだろその二択。理不尽な選択を強いられるのは慣れっこだけどさ。
「そんなこと言うルッカもさ、その頭の帽子取ってくれない? 見てるこっちまで熱くなっちゃう。趣味も悪いしさー」
「だよなあ、帽子のセンスも悪ければ服のセンスも悪い。いっそ全部脱いじまえ」
「……熱いなら見なければいいじゃない? まあ、マールのその服は涼しそうよねえ、露出が多くて。王女様なのにそういう趣味があるのかと勘繰っちゃうわぁ」
ルッカの言葉に一つきょとんと瞬きをした後マールは外気の為だけでは無く、羞恥から顔を赤く染めた。
「わ、私は変態じゃないもん!」
「いや、ルッカの言う事も一理あるな……確かにマールの服は露出が多い。良し、いっそ全部脱いじまえ」
「ああら、ごめんあそばせ。でも変態さんじゃないとしたらその肌の見せっぷりは……なるほど男を魅惑してるのね? なら露出狂じゃなくて痴女って言うべきかしら? オーッホッホッホ!」
口に手を当てて高笑いをするルッカは絵になっている。流石はトルース村女王様決定戦で準グランプリを獲得しただけのことはある。グランプリはうちのおかん。
「むうう……ていうかさ、私がクロノに告白紛いな事されたからって八つ当たりしないでよね! ヤキモチ焼くだけの女ってサイテー!」
「わ、私はヤキモチなんて……告白? ……そうか、昨夜私の殺人ターゲットに選ばれたのはあんたかぁ……選びなさいマール? 炎に悶えて焼死か、私の秘密道具による拷問で恥死するか」
恥死!? なんかわからんがそこはかとなく卑猥な匂いがする……折角だから俺は後者を選ぶぜ!
「恥ー死っ! 恥ー死っ! つかもうお前らまずは裸になろうぜ! アダルティーなキャットファイトの始まりだ! ヒャッハー!」
「ああそう、そういう脅し使っちゃうんだ? だったら私もルッカの運動神経を冷凍して裸にして広場に置いて行くってのも良いよね? 動けないけど意識だけは残してあげるよ?」
それイタダキッ! アリアリアリーデ○ェルチ! 決まったね今日のハイライト決まっちゃったね! もう序盤にしてサヨナラホームランだね!
「怖いわぁ、王女様ったらそんな過激なこと思いつくんだー? 本当、どんな淫蕩な生活してたらそんなアイデアが浮かぶのかしらね?」
「あーもうあれだよ、お前ら四の五の言わずに抱かせ」
「お前ら、うるさい! ここまよいの森! 怪物うようよ! 静かにする!」
俺が殺し文句をバッチリ決めようとしたところでキーノが俺たちを怒鳴りつける。それを聞いてマールとルッカがしゅんとなり「「はぁい……」」と返事を返す。くそ、もうちょっとで俺主体によるお色気シーン勃発だったのになあ……
分かれば良いとキーノは二人に笑いかけたが、俺を見るときに何処までも冷たい目をしていたのは何故だろう? ……ああそうか、キーノも俺の企画するムフフイベントに加えてほしかったんだな? 言い出せなかったのか、初心な奴め。
俺たちは今キーノに案内され、まよいの森の中を右往左往しているところであった。本当はモンスターのいる場所の案内はエイラに任せるつもりだったようだが、朝から姿が見えないので戦闘の出来ないキーノがついてきてくれている、という訳だ。
しかし、やはり線の細いキーノに戦闘は無理か、と納得していればなんのその。キーノは確かに敵を倒しこそしないが、エイラ並の俊足で敵を翻弄させたりルッカ以上の頭の回転で的確な指示を出したりとここでも俺が活躍することは無かった。時々キーノが気を使ってくれたように俺に止めを任せたりするが、そういうのが逆に辛い。
実際の所、モンスターの質が低いのもあり、(体格や力は並外れているが知能が少ない)まよいの森を抜けるまでそう時間が掛かるとも思えなかった。
ふと会話が途切れたので、俺はキーノの攻撃力だけがすっぽり抜け落ちた状態について考えてみた。
キーノの判断や度胸、戦闘を知り尽くしている行動などを見てエイラ程ではないにしろかなりの修羅場を潜っていると思うのだが……もしかしたら狩りや恐竜人との戦いで乱波の役でもやってたのだろうか? 軍師的な役割かとも思ったが、前線に出ていても全く違和感が無いことからそれも違う気がする。まあそもそも原始の時代に軍師やら混乱陽動部隊なんて概念があったかどうかははなはだ疑問だが。
まじまじとキーノを見ていると、先程の戦闘で少し乱れた服の下に肩から背中にかけて大きな傷跡が見えた。今はある程度治っているようだが、その傷は周りの肉が盛り上がり骨が露出していてもおかしくないほどの溝が作られていた。……単純に言えばグロい。
俺が見ていることに気づいたキーノは自分の傷を一度見たあと「ああ」と納得してから俺に向き直る。
「この傷、深い。俺、両腕、あまり上がらない。だから、戦闘、ムリ」
「そうなのか? でも昨日は石の杯を持ち上げてたじゃないか」
キーノは少し顔を崩して、
「俺の杯、木で出来てる。クロ、石。俺、木」
なるほど、日常生活に支障は無いが戦闘に耐えられるほどではない、と。ヒ○ンケルみたいなもんだな。とは口に出さないでおこう。絶対分からないだろうし。
マールのケアルで治せないか聞いてみた所、怪我をした直後なら分からなかったが、不完全に肉が覆った今では効果が無いだろうとのこと。謝るマールにキーノは「仕方ない。マール気にする、無い」と笑って返す。
「やっぱり、マール良い奴。ありがとう!」
純粋な善意と真っ白な笑顔で言われたマールは仄かに顔を赤らめて、どういたしましてとボソボソ言う。他人から見る青春ってこんな感じなのかな? なんかムカムカする。キャベ○ーン!
それからも数回戦闘をこなしふと思ったのだが、キーノは腕が使えずとも脚力は並々ならぬものがあるので足技主体で戦ってはどうか? と提案する。それに返ってきた答えは「出来なくはない、けど、腕、イタイイタイ! 動けない……」だった。蹴りという全身を激しく使う動きをすると腕に負担がかかり激痛が走る。結果、行動不能になる為その案は使えない、そう介錯した。
ちら、とルッカを見るとキーノの腕を痛ましそうな目で見ている。体の部位に障害を持っている事に自分の母とダブらせているのだろうか? そう思いついてから注意して戦闘中のルッカを見ていると分かりづらい範囲でキーノを庇っているのが分かる。
「……なんか、俺浮いてね?」
気のせいだと何度も頭を振るがどうもルッカ、マール共々俺との会話はおざなりに、積極的にキーノと絡んでいる気がする。もし今セーブするとセーブ画面タイトルは『ヤキモキ』だ。『ヤキモチ』でも可だな……何を言ってるんだ俺は。
なんとも言えない胸のモヤモヤは解消されず、気づけば俺たちはキーノの案内の元まよいの森を出ることに成功した。
「………」
「どうしたのキーノ? 何かあった?」
鬱蒼とした森を抜けからからした空気を吸い込み体をほぐしているとルッカがなにやら難しい顔をしたキーノを案じる声を出していた。
思い悩んだ表情のキーノを慮ってマールも近づき怪我をしたのか? と聞いている。マール、それがお前の優しさであることは分かっているがそれは小さい子供に「お腹痛いの?」と聞くのと同義だ。
「違う、エイラ、何処にもいない。ここにいるかと思った。でも、いない……」
「んー、俺達が寝てた間に狩りにでも出たんじゃないか?」
「違う! エイラ、キーノに何も言わず狩り、行かない。心配……」
「心配って……エイラの事だから心配なんて必要ないんじゃない? 彼女、えらく強いわよ。正直私たちが束になっても勝てるかどうか……」
ルッカが怪訝そうに顔を歪めてキーノを見るが、キーノは顔を横に振るばかり。
「エイラ……そんなに、強くない」
風のように駆け火のように敵を打ちのめすエイラが強くないというキーノの言葉は、その真意を得る前にキーノ本人が話を断ち切るように早足で先頭を切る。戸惑いながらも俺たちはキーノに近づいて後続を進む。もうすぐ恐竜人のアジトに着くというのに、何処か漂う不安が背中を通り過ぎた。
父は言った。私に強くなれと。
私は答えた。分かったと。
キーノは首を傾げて答えた。強いとは何だと。
父は驚いた顔をしていた。私は当然だと思った。強くなるという意味も分からないキーノに呆れているのだと。
キーノは、ただただ不思議そうに、子供の頃は丸みがかっていた瞳をさらに真ん丸くして父の言葉を待っていた。私は瞳を細くして軽い軽蔑を含ませて隣に座っているキーノを見ていた。
父はすぐに驚いた顔を引き締め、しかしそれは数秒と持たず破顔して、焼いた魚を丸呑みしていた大きな口を顎が外れんばかりに大きく開けて、笑い出した。
今度は私とキーノが驚き、それを見た父は愉快そうに、でも悲しそうに、「ワシにも、分からんのだ」と呟いた。
私は少し怒りながらより多く、より強い敵を倒すことが出来れば、それが強いことなんじゃないかと叫んだ。父はそれも一つだ、と長い立派な髭を撫でながら答えた。
キーノはそれが答えなのか? と問う。到底納得している様には見えなかったのが、さらに私を苛立たせた。
それが、今から十年以上前のこと。私はあの頃に戻って、今一度キーノに問いたい。そして父を糾弾したい。
キーノには『強いとはどういうことか、キーノはどう思っているか』を問いたい。
父には『何故そんな間違った答えをあたかも正解の一つであると答えたのか』と責め立てたい。もしそこで私の間違いを正してくれたのなら、私はこうも間違えはしなかっただろうに。
……例え、責任の転嫁であると分かっていても、そう考えずにはいられないのだ。
暗く湿った部屋で、私は膝を抱えて涙を流す作業に戻る。それが何の意味も持たないと知っていようとも。
森が囲う形で一つの洞穴を見つけたキーノは恐らくここに恐竜人が、ひいてはゲートホルダーがあるはずだと当たりを付けた。まよいの森の中に恐竜人らしきモンスターはいなかったのでもしここが外れていればふりだしに戻るという緊張と期待を持ち合わせながら中に入るとああらどっこい、四方三十メートルはある大部屋に恐竜人たちがわさわさわさわさ三十体以上の大人数でぎゃんぎゃんと人間には喚き声にしか聞こえない会話を広げていた。
「……帰るわよ」
「ああ、帰るべきだ」
「そうだよね、帰るしかないもんね」
「……何しに来た? クロ達」
一人冷静そうに俺たちに突っ込みを入れるキーノだがあえて言おう。今この場においてトチ狂っているのはお前だ、と。
何しに来た? という問いからキーノはつまり「この恐竜人たちを倒してゲートホルダーを取り戻さないで良いのか?」と聞いているに違いない。そして俺はこうも考える! キーノは俺たち四人でこれだけの大人数相手の戦闘をこなすことが可能であると疑っていない! 実質的に自分が撹乱の役割しか果たせず戦闘主体の動きが無理だと理解しているにも関わらず、だ。
結論を急ごうか……キーノはアホだ。どれだけ俺達が強いと勘違いしているか知らんが、俺、ルッカ、マールの三人では前回の戦闘を思い出す限りでは恐竜人相手に一度に五体がぎりぎり、キーノを入れても六人が良い所である。七人になれば誰かが怪我をするのは必須。脱落すら有り得る。ロボと交代が出来るならまだしも、悲しい理由でロボは途中参戦が不可能。もう逃げの一手しかないのだ。
「キーノ、若いうちは無茶をしたがるものだが、お前のそれは勇気ではない。蛮勇だ」
優しく諭す俺の顔を見る前にキーノは俺達が隠れている岩陰から身を乗り出そうとするので現代パーティー三人が必死で止める。こういうことを言ったら駄目なんだろうけど、キーノの腕が使えなくて良かった。本当に良かった。
体を押さえつけても大声を出そうとするキーノにちょっとばかり堪忍袋の緒が緩んだマールが下半身を氷付けにしてルッカが口に布を巻きつけて黙らせる。うん、このスピードなら誘拐も可能かもしれない。
「しかしどうする? 特攻するのは論外だとしてもいずれはあの中を突っ切らねえと俺たち現代に帰れないぜ?」
俺の意見にマールとルッカは胡坐をかいて腕を組みうーんと考え込む。
「よし、とにかく作戦を練ろう。という訳で作戦その1」
「早いわね、あんた適当に思いついただけでしょ?」
「否定はしないが数撃ちゃ当たる戦法だ。アイデアはあればあるほど良い」
ルッカは道理ね、と頷いて俺の話を聞こうと軽く前のめりになる。
「では気を取り直して、作戦その1、ルッカの秘密兵器である手投げ爆弾通称『リトルボーイ』で中にいる恐竜人達を滅殺。この作戦名はガジェット、またはマンハッ○ン計画とする」
「私はイーゴリ・クルチャ○フ博士じゃないの。今それ関係で色々ごたついてるんだから冗談でもそういうこと言わないの」
俺の素敵アイデアは一蹴されてしまった。正直一番期待していた案だけあって結構へこんだ。
「じゃあ作戦その2、マールが奇天烈な動きとBGMで恐竜人たちに姿を現す。恐竜人たちが呆気に取られている隙にお得意の演説でチャップリン張りの感動を生む。その間に俺たちはゲートホルダーを奪取。作戦名またはタイトルを独裁者とする」
「言葉も通じないのに演説してどうやって感動が生まれるの? ギャングが世界を廻す本で似たような方法使われてたし。後今の言葉なんか悪意を感じたんだけどなー」
俺の名案は採用されるどころかマールの怒りが高まっただけのようだ。いっそその怒りゲージをマックスにさせてから爆発。ロック○ンのボディパーツ機能みたいに敵を一掃してもらえんだろうか。
「……作戦その3、キーノを放り込んで恐竜人たちが捕食している隙に」
「むー! むー!」
今度はキーノが却下か。ふむ、どれもこれも珠玉のアイデアだったと思うんだが……我侭な奴らだ。
「……私も作戦を立案するわ。クロノが『ここは俺に任せて先に行け!』とか人気取りに走って奮闘している間に私たちが」
「深夜になるのを待とう。そうすれば中にいる恐竜人の数も減るかもしれない」
ルッカの不吉なアイデアを聞き終わる前に俺が妥協案を提示してその場を終える。こいつはやるといったらやるんだ。そしてマールも俺を犠牲にする策は嬉々として乗りやがるからな。
ルッカもマールもそれしかないか、と項垂れて地面に横たわる。やることがないとなれば余った時間を体力温存に使うとは、中々サバイバーな女の子たちだこと。
キーノは消極的な案に不満を見せていたが、何とか説得して不承不承ながらも夜が深まるのを待つことにした。
「さて、増えたわけだが」
正確な時間は分からないが日が落ちてから随分な時間が経ち、そろそろ頃合かと大部屋を覗き込んだ俺の感想である。シンプル過ぎて説明はいらないだろう。言葉のとおり恐竜人の数が増えたのである。おおよそ7~10匹ほど。
「だからキーノ言った! はやく進もう! 言った!」
「キーノよぉ、だからあの時言っただろうとか人の過去の失敗を穿り返す奴は嫌われるんだぜ? 今回は見逃してやるけどよぉ」
コミュニケーションの基本を弁えてないキーノに一つ説教をかまして、これからどうするかを相談する。気のせいかキーノが睨んでいるような顔だが、常識を教えるという役割は辛いね、相手の為を思ってのことなのに恨まれるんだからさ。まあ後々キーノは俺に感謝するだろうさ、あの時俺に正されて良かったって。
「ていうか本当にどうするのクロノ? 私たちこれじゃあゲートホルダーを取り返せないよ? もう帰れないのかなあ」
この状況に慌てているのがキーノの他にもう一人、マールだ。彼女もいよいよ危機感を覚えたらしい。気持ちは分かるが。例えるなら船に乗って何処か遠くの大陸に来たのは良いが帰りの船賃が無かったような状態だからな、今の俺たちは。
「さて、ルッカ。これからどうするべきか……お前に何か考えはあるか?」
「…………」
我がパーティーの参謀役(勝手に決めた)である彼女は難しい顔で唸っている。かく言う俺はこれからすべきことは大体見えている。根本的な解決に繋がるかどうかはともかくとして、確実にやらねばならないことが。
ここで一つ言っておくことがあるだろう。今の今まで俺たちは何も寝転がって時間を潰していただけではない。恐竜人の群れに見つからないように外に出て食料や水を補給していたのだ。
つまり今は腹も膨れ喉も潤っている。そして今の時刻は深夜、俺たちがやるべきことは既に決まっている。
ルッカは億劫そうに目を開いて、口も目と同じようにゆっくりと開き、それでも口調ははっきりと。
「眠いわ」
「だよな、寝るか」
夜になれば眠い。眠いのなら寝る。これは自然の摂理、人体の常識、当然のことなのだから悩むことなど無いのだ。
体を横たえて睡眠を取ろうとする俺たちをマールとキーノが騒いで止めようとしてきたのでルッカが荷物の中から催眠を促す波長を出す催眠音波装置を取り出し強制的に眠りに尽かせる。静かになった空間で俺とルッカは顔を見合わせてから頷くとゆったりとしたまどろみに堕ちていった……
時は前後する。クロノたちが寝息を立て始める数十分前のことである。
彼らが尻ごんでいる恐竜人たちが大勢集まる大部屋を越えた先の細長い通路。そこに、一人の女性が座り込んでいた。
美しく太陽の光を帯びていた金の髪は土ぼこりで黒く汚れ、早朝から開いていた目は疲れ瞬きの数は増える。それでも後ろめたさと罪悪感から眠りにつくことは出来ず、昨晩洗ったばかりの服は汗と近くを徘徊する恐竜人特有の体臭ですえた臭いがこびりついていた。
彼女の名前はエイラ。つい先程まで昔のことを思い出しながらぽつぽつと独り言を呟きながら自分の行った行為を懺悔していたのだが、流石にほぼ丸一日飲まず食わずでいたのでその体力も無くなってきたのだ。
重複するが、彼女はさっきまで懺悔していた。……反省と後悔がひしめき合っていた。ただ、それだけが全てではなかったのだ。
中には打算とも言えない、可愛らしいといえば可愛らしい計算が働いていた。自分の中にシナリオを組み立てていたのだ。
そのシナリオはこうだ。自分が悪事、今の場合クロノたちの持ち物を盗み出すこと、そしてそれがキーノにばれる。勿論キーノは自分を叱るだろう、何故こんなことをしたのか問いただすだろう。その時自分はこう言うのだ。「エイラ、キーノ好き! でもキーノ、マール好き言う。エイラ、それ嫌……」と。全ては嫉妬、ヤキモチから生まれた行為だったのだと告白するのだ。
エイラは考える。……最高のムードが完成するのではないか? と。男の心理は良く分からないがこれでキーノが自分を嫌うだろうか? 表向きは怒りを露にするだろうが、必ずどこかで愛らしいという感情が生まれるのではないか?
……この計画を始めるにあたって無関係であるクロノたちに迷惑をかけてしまう事に葛藤はあった。しかし乙女の恋心はグングニル、どんな障害も穿ち貫くのだ。理性や常識といった道徳観念など煩悩の最たる感情の前には遮るという概念すら存在しなくなる。迷いは光の速さで霧散した。
早速行動に移そうとしたエイラだったが、ここで自分の計画にさらに一捻り加えてみようという欲が浮上した。もう少しドラマティックにしても良いのではないか? と。
筋書きはこうだ。恐竜人たちにクロノたちの持ち物を盗ませる。これでキーノたちは恐竜人が盗んだと考える。恐竜人たちのアジトに向かい奪還しようとするがここでエイラ登場、真相を話す。キーノ驚きとショックに打ちひしがれる。まさか恐竜人たちの仕業かと思えば仲間のエイラが犯人だったなんて……!? (キバヤシタイム)エイラ尋問。そして涙と淡い恋心暴露。盛り上がらない筈がない。二人の絆が深まる。ハッピーエンド。エピローグにて男ならエイノ、女ならキーラと名づけようじゃないかとかそういう幸せなシーンが流れてスタッフロール。
その光景を想像した後、エイラの行動は早かった。森をうろつく恐竜人を締め上げて「エイラの言う事聞く。嫌か? ならお前の手足、別れる」と説得、成功。恐竜人と人間が一時とはいえ手を取り合った世紀の瞬間だった。方法はどうあれ。
そこからも順調に事は進んだ。気づかれないようにクロノたちの持ち物を盗ませてこの恐竜人のアジトまで運ばせたのも全て計画通り。後はこのアジト内でキーノ達が来るのを待つだけだった。
恋心が暴走してクロノたちの持ち物を盗んだが、やはり後悔の念に駆られて取り返そうとしていた、という設定にすれば健気さが強調される。何もかも上手く行く筈だった。……しかし。
「……遅い……ぐす」
待ち人が一向に現れず、かといって外に出て様子を伺うわけにも行かず(鉢合わせになるのを避ける為)、エイラは悶々とした時間を無為に過ごすしかなかったのだ。
暇つぶしに乙女心満載で過去の出来事に浸り悲劇のヒロインを演出しようと独り言を呟いていたもののもう思い出せる出来事は限られて気づけばキーノのノロケというか自慢を延々垂れ流している痛々しい女になっていた。
その姿を見たエイラに脅されていない恐竜人は侵入者を捕まえようと飛びかかりかけたが『こいつこわいわ』の考えの下存在をスルーすることに決めた。恐竜人は頭の良い種族である。
「ごめんなさい……うえっ、ごめんなさい……悪いことした、エイラ、悪い子……ごめんなさい……」
予想以上に過ぎた時間のお陰か熱しきっていた恋心も少しは収まり自分がいかに悪いことをしたのかを再認識することが出来た。そう、ここにきて彼女は本当の意味で懺悔をすることが出来たのだ。
今ここで自分がひたすら待ちぼうけをくらっているのも天罰の類であると考え、とはいえど何が出来るわけでもなくただ涙を流すことしか出来なかった。
またも重複するが、これは、クロノたちが就寝する前のことである。
「減らないなあ」
「一向に減らないわね」
朝、今日も元気に勤労勤労と太陽が昇り鮮やかな緑を映えさせて、流れる川の水しぶきを強調させる。その優しくも力強い光は鳥のはばたきを優雅に、地を這う動物に自信と安心を。纏めるならばすばらしい朝だった。ただ恐竜人のアジトには恐竜人が朝でも夜でも大量に蠢いている。もう虫扱いで良いと思えるくらいの数がわさわさと。
そもそも恐竜人に睡眠はいらないのだろうか? どういう生態機構なのかさっぱり見当がつかないので断言は出来ないが、もしそうだとしたら時間を見計らって襲撃という考えが全くの無駄となる。
「クロノ、ルッカ。果物採ってきたよ。朝ごはんにしよう」
食料調達に出ていたマールが両手にバナナやら木の実やらを抱えて戻ってきた。隣になんかどうでもいいと吹っ切れたキーノを連れて。キーノもマールも強引に進んだとて何にもならないと気づいたようだ。キーノに関しては一番焦らなくてはいけない当事者の俺たちがのったりしているので感化されたのかもしれない。
果物の皮を器用に剥きながらキーノが口を開いた。
「今日、どうする? これ食べたら、戦うか?」
もぐもぐと豪快にバナナを口に放り込んで問うキーノに俺もルッカも首を振る。まだ機ではないと。
やっぱりか、という顔で然程気にした様子もなく食事を続けるキーノ。手早く食事を終わらせた俺たちは持て余した時間をどう活用すべきか考えていた。
すると、マールが唐突に手を上げて元気良く「はいっ!」と声を上げる。この子は俺たちが隠れていると自覚しているのだろうか?
「暇だから、お昼過ぎまでかくれんぼしよう!」
「良いわね、昨日みたいにだらだら過ごすのはごめんだし」
「トルース町の麒麟児クロノ様にこと遊びで勝てるかな……?」
「キーノ、どんな勝負でも、負けない!」
まあ、この時点で全員頭は悪くなっていた。手詰まりに過ぎるこの状況に飽き飽きしていたとも言える。そして常識人だったキーノも色々吹っ切れた今ではこの通りである。後からルッカに聞けば昨晩の催眠音波の効果が残っているかもしれないとのことだ。面白いので追求はしないでおいた。
キーノにじゃんけんを教えて鬼を決め、散会する。最初の鬼はマールだった。地の利のあるキーノに分があるように思えたが、俺とルッカの裏切りにより最初に脱落。制限時間まで逃げ切った俺とルッカが勝利を飾った。
しかし続く鬼ごっこでキーノ覚醒、その俊足で見る間に俺たちを捕まえて開始二十分というスピードタイムで王者に返り咲いた。
それから高鬼、遠投(女子ハンデ有り)、財宝探し、ドロケイと様々な遊びを楽しんだ結果、全員のスコアが横並びになるという結果になった。ちなみに、この時点で太陽は赤く染まり地の果てに沈もうとしていた。
「……疲れた。もう何もしたくない」
「非労働者みたいなこと言わないでよ、あー気づいたら恐竜人の数全然見てなかったわね。遊びすぎたわ」
「私お腹ペコペコだよ……クロノ、何か採ってきて」
「俺さっき何もしたくないって言ったばかりだろーが」
「キーノ……採ってくる……」
どうやら催眠音波が切れたらしいキーノは敵前でありながらはっちゃけたことに絶望し消沈しているようだ。面倒だからもう一度催眠音波を当ててやろうとルッカと相談しているのは内緒。キーノだけに。
それから夕食を食べて腹も満ち、マールが舟をこいでキーノもひとつあくびをしたところで今日は就寝するかというルッカの発言が通る。今日は十年前に戻った気分だった。明日も遊ぼうぜ、と皆に声を掛けてから俺は深い眠りの中に……
「あかんあかんあかん!!」
「なな何よクロノ!? 夜に大きな声を出したら泥棒さんが来るのよ!?」
「それは口笛だ!」
すやすやタイムに入ろうとした瞬間俺はとんでもない事実を思い出した。良かった、もし今思い出さなければ確実に間に合わなくなる所だった。
さっき脱いだ靴を履き傍らに置いた剣を腰に付けて戦闘の準備をする。これにはルッカもマールも戦いたがっていたキーノまでもが驚いていた。いや、お前は驚くなよ。喜べよ。
「どうしたのよクロノ、もう寝るってことで全員一致だったのに……」
眠たい目を擦りながらルッカはメガネを付けて不満そうに声を出す。キーノはトイレか? とデリカシーのない事を言い出しマールは大きいほう? と最っ低なことを言う。それら全てを否定して俺は汗をかき出した顔を皆に近づけてぼそ、と呟いた。
「……今日で三日目なんだ」
これだけでキーノ以外の人間は全て分かるに違いない。そう、ロボをボッシュのじいさんに預けてから今日で三日目。明日の朝までにボッシュのじじいにドリストーンを持っていかなければロボがあのじじいのモノになり禁断の道を歩むこととなってしまうのだ。詳しい描写は冬に出るだろう薄い本とかで。
予想通りルッカは忘れてた……と顔を青色に、マールはやっべえと顔の前に手をやり汗を流す。キーノは首を傾げて俺たちの動向を見守っている。
「……行くしか……ないわね」
悲痛な決心そのままな声でルッカが覚悟を促す。なんだかんだでロボは俺たちの仲間だ。忘れたまま期限を過ぎたのなら「ま、しゃーないか」ですむが一度気づいてしまえば行動を起こさざるを得ない。さっきまでの行楽気分は何処へやら、今は姫を助けるアーサーの気持ちである。まあ、それは言いすぎか。
全員がもう一度岩陰から大部屋の様子を探る。湿気でコケの生えた岩を少しどけて見えた光景はやはり恐竜人の群れ。無意識にため息がこぼれるのは仕方が無いというものだ。
それからもう一度身を隠し皆で作戦会議。マールやルッカは堅実的に、キーノは強攻策を提案して俺は生贄方式を発案するが全て現実的ではない。俺の案に至っては頭をはたかれて終わった。
やはり戦力が足りない、というのが全員の見解だ。たかだか四人では一か八かの特攻という賭けに出ることも出来ない。もしここでエイラという恐竜人相手に慣れた前衛がいれば話は違うのだが……
同じことをキーノも考えていたようで、キーノは一度村に戻るべきではないか? と切り出す。もしかしたらエイラが村に戻っているかもしれないと言うのだ。
だが、俺たちは首を縦に振るわけにはいかなかった。もし村に戻ってエイラがいなければタイムアップは確定。仮にエイラを連れてくることが出来ても時間があるか怪しい物となる。今から村に戻りゲートのある山に戻るだけで結構な時間を使うのだ。無駄足を踏んでいる暇は無い。
八方塞がりな現状に俺とルッカは頭を抱える。マールとキーノは突撃しかないと鼻息を荒くさせていた。無茶無謀でもそれしか方法は無いのだろうか……
「……仕方ないか、お前ら、合図と同時に飛び出すぜ。 キーノは今までどおり撹乱。マールは俺の援護、俺は敵を直接撃破、ルッカはここからでかい魔法を乱発して火の雨を降らせてやれ」
作戦とは言えない行き当たりばったりな戦闘形式。それでもこれが最上だと信じて身構える。後はどのタイミングで飛び出すか……
「クロノ、ねえクロノ……」
「なんだよマール、今機を計ってるんだから話しかけるな」
「そうじゃなくて……聞こえない?」
しつこく話しかけてくるマールに俺は不機嫌を滲ませて少し乱暴に「なにが」と答える。すると彼女は耳をすませて真剣な面持ちで言う。
「……恐竜人の、悲鳴」
そんなもんがなんで聞こえるのだ、とあしらおうとするが……たった今、確かに聞こえた。ギギャア! という人間では発生できない悲鳴が、俺の耳に届いた。
その声の発生源は、大部屋の奥。ぽっかりと作られた縦穴の先から低く通る化け物の鳴き声が。その声は少しずつ、それでも確かに俺たちの方に近づきつつあった。
それがどういう事態なのか、すぐに知ることとなったが。
「ああああああ!!!」
「ギギッ!? ギャ、ギギャアアア!!」
どちらが人間でどちらが恐竜人の叫びなのか。その判別もつかない怒号が狭い縦穴にぶつかり反響して洞穴全体に響いていく。人間が振るう腕は恐竜人の鉄のごとき表皮をたやすく貫き、破り、体を土の壁に叩きつけて緑の血をばら撒いた。
彼ら恐竜人に悪魔という言葉は生まれていなかったが、もしも悪魔という意味を知っていたならば間違いなくその人間に形容していただろう。だからこそ恐竜人たちは自分たちの同胞を屠っていくその人間の女をこう呼んだ。狂戦士と。
戦いの手順や駆け引きなど無く、ただその手に掴んだ生き物を吹き飛ばし、噛み付き、バラバラに引きちぎるその様はなるほど、それそのものだった。
人間の女……エイラは怒り狂っていた。
その怒りは理不尽である。発端は自分が他人の持ち物を盗ませたのが原因なのだから。それでもエイラは怒っていた。理性など粉々になるまでに。
ただ、理由はある。遅すぎたのだ、キーノが自分の所に来るのが。遅くなった理由は恐竜人たちの数が多すぎたのとクロノたちが無邪気に遊んでいたせい。前者はともかく後者の理由は納得できない。
そう、エイラは太陽が真上に昇った辺りの時間に意を決して恐竜人のアジトを出て、キーノたちが近くに来ていないか確かめていたのだ。洞穴を出たそこで見た光景は、自分が昨日の朝から何処にもおらず行方が知れないというのに遊びまわっているキーノたちの姿。その顔には笑顔が貼り付けられて人生謳歌してますよ、な雰囲気で。有り体に言えば楽しそうだった。
茫然自失としたエイラはまたアジトに戻り姿を隠しながら移動するなんて小器用な真似をすることもなく堂々と大部屋を抜けて元の場所に座り込んだ。恐竜人たちはエイラに気づいても声を掛けることなどしなかった。出来るわけがなかった。誰が好き好んで虎の尾を踏みたがろうか?
それから数時間、ぐるぐると頭の中で多種多様な思考がエイラの脳内を渦巻いた。それはもうどえらいスピードで。そして出た結論がこうだ。あいつらなにやっとるんじゃい、と。
エイラは激怒した。必ずやあの馬鹿者どもに怒りの鉄拳を振り下ろし場合によってはその命を散らしてやると誓った。それは自分の思い人であるキーノですら例外ではない。
つまり、彼女は今恐竜人たちを倒そうとしているわけではない。ただ目に付いた動くものがうざったいのでクロノたちを潰すついでに恐竜人たちを片付けているのに過ぎないのだ。
今エイラは動く台風と化してクロノパーティーの撲滅またはぶっ殺を目標に死を撒き散らしていた……
クロノ勝利条件、ゲートホルダー奪取。それに兼ねてエイラとの接触回避。
「……エイラ!? エイラここいた! 助ける!」
縦穴の先から憤怒という言葉では生易しい形相で出てきたエイラを見てキーノはすぐに飛び出そうとする。ただ俺は、何故か悪寒が体を越えて魂すら凍りつくような嫌な予感を感じキーノを思いとどまらせようと躍起になった。
俺の行動にキーノは当然、ルッカやマールですら驚き俺をなじり始めた。まさか、エイラを見捨てるつもりなのか、と。
「クロ、見損なった! もうお前、仲間、違う!」
「キーノの言う通りね。女のエイラに全部任せてあんたは一人楽しようっての? どこまで腐ってんのよ!」
「……クロノ……」
キーノとルッカは怒り出し、軽蔑を表に晒してマールは悲しそうに俺を見つめる。いや、これ多分シリアスする雰囲気じゃない。むしろバイオレンスな展開だと思うんだ、だから真面目な顔で俺を責めるのやめて。
「いや……多分、俺たちが出て行けば何かが終わるというか……追跡者的なモノに追われるような気がするというか……」
「うるさい! ルッカ、マール、行く!」
俺のぼんやりした説得を無視してキーノはその場を飛び出して行く。それに続いてルッカとマールも走り出してエイラの援護をする為に呪文詠唱を始めるが……
「……ミ、ツ、ケ、タ」
エイラの鳥肌がたつような声を聞くと韋駄天もかくや、という速さで三人は俺の下に戻ってきた。知らなかった、本当に怖いと人間って泣きそうな顔になると思ってたけど、凄い真顔になるんだね。面接会場にいる新卒の人間みたいな顔になってやがるこいつら。
「……ほらキーノ。お前の仲間であるエイラが待ってるぞ、早く行ってやれよ」
キーノは心外だ、とでも言いたげに首を振り俺の目を見て「僕の仲間に化け物はいません。クロは僕の仲間です、これは偽りの無い事実なのです」と今までのキャラを根底から覆すように流暢に喋りだした。
同じくルッカも「確かに、化け物同士が戦ってるからって私たちが手を貸す必要は無いわね。私ったらどうかしてたわ」と頭を掻いている。マールは本当に怖かったのだろう、表情は変えないまま静かに涙を流している。
「デ、テ、コ、イ。コロシテヤルゾ……」
先程よりも近くからエイラらしき物体が多分俺たちに向けて何か恐ろしいことを言っている。いやもう、本当誰だよアレ。どんなクラスチェンジしたらああなるんだよ。
「おい誰かあのゾー○様を止めてこいよ」
「あんた、可愛い可愛い言ってた女の子に偉い言い様ね」
「ゾ○マで悪けりゃクリーチャーだ。俺は人間以外の者に愛情を感じるほど落ちぶれてねえ」
結構、というかかなり酷いことを口走っているのは自覚しているが俺の言葉に突っ込みやエイラのフォローをするものは誰もいない。正鵠を乱す必要は無いからだ。
「……どうするの? 幸い恐竜人の数はかなり減ったけど、このままじゃ次は私たちがターゲットになりそうだよ?」
マールがしゃっくりを我慢しながら出来るだけ平静を装って現在の状況を説明及びこれからの展開予測をしてくれる。大分確定的な。
「よし、キーノ。お前はシーダ役だ。ナバール役のエイラを説得しろ」
男女逆転しているのは皮肉なのか笑いどころなのか。
「無理。僕には、出来ることと出来ない事があります。それは全人類共通の、真実なのです」
「その喋り方うっとうしいな、もう分かったから黙れ」
キーノを除いた三人で話し合った結果、とにかくバラバラに分かれてエイラに近づかないように大部屋を抜けようということになった。恐竜人は恐慌状態なのでただ走り抜けるだけのはずだが、何でだろう? さっきまでの恐竜人と戦うほうが楽に思えるのは。
俺の合図と共に今度こそ俺たち全員が飛び出しエイラが出てきた縦穴目指して走り出す。俺たちの姿を視認した瞬間エイラが甲高い笑い声を上げたが気力で無視、ただ足を前に向けることだけに全力を尽くした。
結果は俺の予想通り。エイラはキーノ目掛けて走り出したので犠牲は一人で済んだ。少なくともキーノが捕食されるまでの間俺たちが襲われることは無いだろう。エイラがあそこまでぷっつんするのはキーノが原因だろうと思っていたが、その考えは的中したようだ。言葉にならない叫び声を上げて逃げ出したキーノはなんだか、コメディチックで面白かった。
マールとルッカもキーノを心配していたが、俺の「じゃあお前らあのエイラと立ち向かう勇気があるか?」と聞いてみた所原始に住む気の良い男友達の冥福を祈りその場を後にすることとした。
さて、それからの道中だが、特に記すことは無い。一度行き止まりに当たったこともあったが、その時は地面に空いた人間大の穴を見つけて、そこに飛び込むことで先の道が見つかり、順調すぎる程に先に進むことが出来た。理由? 戦闘が無いからだ。
アジト内のモンスターはエイラが倒してくれたようで道の先々で魔物の死体が見つかった。正直、黙祷くらいはしてやろうかとさえ思った。挽肉状態の魔物の姿が散乱しているのを見て、道中でマールが二回吐いた。旅が始まって一番マールの体調を気遣ってやった。それから俺がマールを背負っての移動。マールの気分が少し晴れてきたところで俺の体調悪化。モンスターの死臭に加えて、言いたくないがマールの口から漏れゆく酸っぱい臭いが気分をどんぞこに変えていく。一度、吐いた。このダンジョン最大の敵はモンスターではない。
洞穴内部は一本道。曲がり角は無くただ延々と穴を潜り途中にあった宝箱を開けて血の臭いで鼻を押さえる。今ほど嗅覚がいらないと思った事は無い。
ただ、その辛いだけでは包めない酷なゲートホルダー奪取も終わりが見えてきた。何度も穴の中に飛び込んでいるうちに、最初の大部屋ほどではないがかなり広めの部屋を見つけることが出来た。慎重に中を覗いてみれば、奥に赤い豪華なマントと凶悪な棘のついたショルダーガードをつけている白い髪が生えた恐竜人が、ゲートホルダーを手で握り、動かしながら色んな角度で眺めていた。
「あった! ゲートホルダーよ」
すぐにも飛び出そうとするルッカを俺は抑えて時間が無いのは分かるが、少し様子を見ないか? と言ってみる。
「多分、今までと雰囲気の違うあいつがアザーラだ。キーノが言ってただろ? 恐竜人のリーダーがいるって。考え無しに出て行けばどうなるか分かったもんじゃねえぞ」
「でもクロノ? もう時間が無いよ? ロボがあのおじいさんのおもちゃになって四六時中恍惚した顔をするようになっちゃうよ」
恍惚とか言うな。
「これは一体……本当に、あのサル共がこんな高度な物を……?」
俺たちがどうするかを相談していると一人でいるくせに(恐らくは)アザーラは比較的大きな声で何かを喋りだした。友達いない子だな? あいつ。
「ふむ……ふむ……高度だ。これはきっと高度なものだ……高度って何だ?」
「恐竜人はアホなのか」
ちょっと賢そうな雰囲気でゲートホルダーを眺めていたくせにそれら全てが振りだと分かり思わず突っ込みを入れてしまった。アザーラは一度こちらを見て視線を戻し、今度はがばっと俺たちを凝視した。二度見スキルがあるとは驚きだ。
「きききき、来たなサルが……ほう、お前達、エイラ達とは少しばかりデキが違うようだな……フフ、ちょうど良い。この装置は何に使うものだ……? 教えてもらえるかな?」
今更取り繕われても威厳など感じない。それでも頑張ろうと背伸びする様はむしろ微笑ましいといえよう……微笑ましいといえば。
「ちみっこいな、お前」
「小さくない! もう十六だ! 明後日で!」
「十六でその身長か、コロボックルさんか」
(恐らくは)恐竜人のリーダーであるアザーラは俺のへそより少し高い位の背丈しかなく、威圧的な空気を発出しながらも声は高く小学生のように甘ったるい声だった。顔も今までであった恐竜人と違い人間よりのものとなっている。もしかしたら恐竜人はオスメスで造形が変わるのかもしれない。肌の色さえ違えば人間の女の子で充分通じるのではなかろうか? 現にマールなんかちょっと萌えている。ルッカは鞄を探り飴玉まだあったかしらと餌付けの準備。久しぶりの戦闘かと思えばこんなものか。最初から最後まで抜けてたな、原始の旅は。
……回想を巡っている最中にふと、思いついたことがあった。声と顔で勝手にアザーラをメスだと認識してしまったが、本当にそうだろうか? ロボという例外もあるので油断は出来ない。
「コロボックルとかうるさいわ! とにかく、この装置は何か教えるのか!? どうなんだ!」
「……教えても良いけど、お前オスメスどっち? 胸囲で判断できないので口頭で教えて欲しい」
「女で悪かったな、無くて悪かったな!!」
地団駄を踏んでいる姿はさっきまでの悪の親玉オーラは無く「このおもちゃ買ってよ! 隣のみいちゃんだって持ってるんだよ!」と騒いでる子供にしか見えない。マールがどこかしらから取り出した麻縄を手に持って帰って良いよね、と自分に言い聞かせている。こら、落ちてる恐竜人は持って行っちゃいけません。メッ!
「ふ、フン! どうせ、そう簡単に話してもらえるとは私も思ってはおらなんだ……変に誤魔化しおって……」
「いや、良ければ、私が教えてあげてもいいけどさ。あなた理解できるの?」
「馬鹿にするな! 私は仲間内で行うしりとりで負けたことが無い!」
「……そうなの」
ちょっと疲れた顔でルッカがアザーラに近づき時空間移動の際に放出されるエネルギーを……とかその場合カオス理論、ああ、カオス理論っていうのはタイムパラドックスに少し似た現象で……とか専門的なことを話し、アザーラはほへーという顔で何度か頷いていた。絶対分かってるわけない。俺、下手すれば今まで生きてきた中で一番頭が悪い十六歳(近日)を見たかもしれない。年上なら結構いるんだけどね、大臣とか両生類とか。
「……という訳、ここまでは基礎だからまだ知りたいなら応用と原理の段階に入るけど……どうする?」
「いやもういい。私には全て分かった。恐竜人のリーダーたる私は一を聞いて十を知るのだ」
どうせ無駄なものだ、とか、私に必要なものではないとか言って誤魔化すのだろう。知らずため息が出る。
「つまり、これは食べ物だな」
「どういう理論か!」「どういう理論よ!」「可愛いなぁ……」
俺、ルッカ、マールの順番でほぼ同時に発言。若干一名病んでいるがそのあたりは忘れることとする。
アザーラは真剣な顔で「何味だ? 今流行のマンゴーか?」と少し時期の遅れたことを抜かす。目だけは輝いているのが腹が立つ。
「食べられるわけ無いでしょ!? あんただって装置だって言ってたじゃない! 機械なの、き、か、い!」
「むう……どうやら本当のことを話す気がないようだな……」
目上の人間の話を聞かないから子供だっていうんだ。年上の人の言うことは大概間違いないんだから。人生経験が物を言うんだから。こいつと俺と少ししか年変わらないけど。
「では、しかたない……。話したくなるようにしてやろう! 出でよ ニズベール!」
アザーラが小さな手を上に上げて誰かしらの、きっと部下だろう名前を呼ぶ。幼い声は部屋中に響いて数回木霊する。ルッカとマールに背中合わせでくっつき敵襲を待ち構える。奇襲になることだけは避けるように、だ。
左右は土の壁しかないが恐竜人たちのパワーを考えれば突き破ることも考えられる。それを言うなら上から天井を壊して来ることも。床下を突き抜けて登場なんてされれば対処の仕様が無い。くそ、敵のアジトというのがここまで来訪者に辛く当たるとは……
緊張漂う空間が作られて……数分。背中を流れる冷や汗が止まり、開いていた瞳孔も収まって眼は細く、おのずと呆れた目でポーズを決めたアザーラを見ることになる。
「…………ニズベール?」
不安げに瞳が揺れながら、アザーラは辺りを見回してよたよたと歩き回る。ああ、やっぱりそのくそ長いマント邪魔だったんだ。歩き辛そうだなあ。
「なあ、ニズベールってお前の部下だよな? ザムディンみたいな架空の魔法とかじゃないよな?」
「違う! ニズベールは私の護衛というか、部下というか……友達だ!」
喉が揺れた不安定な声でアザーラはニズベールとかいう友達を探している。敵である俺たちを置いて、部屋から出て探すわけにも行かないので同じ所をぐるぐる回るだけなのだが。
「……お姉ちゃんが、一緒に探してあげようか?」
見かねたマールが出しちゃいけない助け舟を出して、アザーラと一緒にニズベールを探す。なんだか暇なので俺とルッカも部屋を出てニズベールの名前を呼んだ。敵の親玉と一緒に敵の増援を探すとはシュールな気分というか……あほくさ。
それから十分程度探した後で、ニズベールがいないよう、と泣き出したアザーラをマールの「可哀想だから、外まで一緒に連れて行ってあげよう」という言葉の下、俺たちはアザーラを背負ってアジトを出ることにした。ゲートホルダーはきっちり返してもらった。
またあの死体だらけの道を通るのかと沈んでいると、アザーラが抜け道を知っていたのでそこを使わせてもらう。少し坂になっている一本道を進み、しばらくも歩かないうちに外に出ることが出来た。背中で俺の服に涙と鼻水と涎を染み込ませているアザーラにほんの少し感謝だ。
「カカカ、流石は太陽の申し子エイラ、そしてその相棒先見のキーノ! たかだか二人でここまで俺と戦りあえるとはな……少々見くびっていた……」
「はあはあはあ……エイラ、まだいける、違うか!」
「大丈夫! キーノこそ、疲れたか!?」
「まだまだ! 来る! 気をつけろ!」
外に出て最初に目に入ったものは爛々と輝いている月でも仄かに空を彩る星でもなく、二足歩行の喋るトリケラトプス相手にいつのまにか怒りが消えているエイラとキーノが暑苦しい戦いを繰り広げている場面だった。
「おいアザーラ、あのモンスターって、お前が呼んでたニズベールって奴じゃないのか……」
「知らん。あんな馬鹿者、見たことも無い」
拗ねてしまった。まあ自分の危機に侵入者を撃退するという名目があっても、あれだけ楽しそうに戦ってれば腹も立つか。バトルジャンキーとは怖いものだ。
しばらくキーノたちの戦いを観戦していると、いつまでたってもニズベールがこちらに気づかないことに悲しくなったアザーラがまたべそをかき出した。仕方ないので俺の膝の上に乗せてあやしてやるとすうすうと寝息を立てて夜空の下深い睡眠に入り込んだ。どうして俺はロボといいこいつといい小さな子供に好かれるのだろう。それも人間じゃない奴ら。
アザーラが寝入ってすぐに決着がつき、勝負は引き分けとなった。いつまでたってもアザーラの保護者である(多分)ニズベールが遊んで(戦って)いるのでマールが怒って「やめなさーい!!」と大音量のシャウトを叩き込んだのだ。ニズベールは人間の腕の中で眠っている自分の主に気づいて戦闘を中断。マールにくどくどと説教をされて小さくなっていた。きっと、種族の差を越えて、皆仲良くなれるんだ、と分かった。
それから、ニズベールは眠っているアザーラをだっこしながら俺たちに一つ頭を下げた後、キーノたちに「良い勝負だった……またいつか、戦おう。命を賭けて」とカッコ良い台詞を残して森の奥に消えて行った。
「……よく分からない終わり方だったな。俺、原始に来てからあんまり戦った思い出が無いんだが」
「終始貫徹してグダグダしてたわね……まあ、結構楽しかったけど」
俺とルッカは眠たくてぼーっとしている目をこじ開けながら感想を言う。いいのかなあ。
「クロ、盗られたもの、取り返したか?」
「ああ。最後はあれだったけど、サンキューなキーノ。エイラも恐竜人の群れを蹴散らしてくれて助かったよ」
キーノとエイラに礼を言うと、キーノは笑ってくれたが、エイラはどこか顔が暗い。何があったのか聞こうとすると、キーノがそれを止めた。どういうことなのか知らないが、キーノの様子を見る限りあまり詮索して欲しくないことなのだろう。俺は頷いて村に戻るために歩き出した。
「クロ……マール、ルッカ……ごめん」
まよいの森に入る前に、何故かエイラが謝り出したので、俺たちは何のことか分からず一瞬動きが止まるが、俺は深く聞かないと決めたので一言返して終わりにした。
「上手くいくと良いな、エイラ」
その時初めて、花開くような、明るい笑顔をエイラが見せてくれた。
本当に、キーノが羨ましいね。
「クロ、行くか……。キーノ、つまらない」
「ありがと、キーノ。そしてエイラ。あんたには色々教えられたわ。そりゃあもうたくさんね」
皮肉も込められたルッカの言葉にエイラは落ち込みかけたが、隣に立つキーノを見て、胸を張り「ルッカも頑張る!」と元気な声を出した。驚いた顔のルッカもすぐに笑って「勿論よ!」と威勢良く返した。
ボッシュとの約束を守るために急ぎイオカの村に戻り、キーノから赤い石を貰って、それがめでたくドリストーンだと判明した後すぐさまゲートまで戻ることとした。
エイラもキーノも寂しそうな顔をしていたが、仲間が待っているのだと聞いて快く送り出すことにしてくれた。
「また来い、クロ! 宴やる。飲む。食べる。踊る。楽しい!」
キーノの声を聞いて手を振り、俺たちはイオカの村を後にした。
……キーノ。今度は嫉妬心抜きにお前と話すよ。そしてまた来るまでに酒に強くなっとくから、また勝負しようぜ。
心の中で再戦を誓い、ちょっとだけ清々しい気分になった。
それから、ダッシュで現代に戻りボッシュの家に行きドアを開けると半泣きでメイド服を着せられていたロボが時速八十キロオーバー!! な体当たりを俺にぶち込み肋骨を三本折られるという事態になった。マールが治療しようにもメカパワー全開で俺を抱きしめるロボが邪魔でケアルをかけることすら出来なかったのだ。なんでこんなデストロイマシンの為に急がなくてはならんかったのか。このまま爺の愛玩品として生きていけばよかったのに。
……まあ、メイド服は確かに似合ってたけれども。でもそれこそエイラに着て欲しかったけれども。
口から血の泡を吐きながら空を見上げると、原始の空は綺麗だったんだ、と思った。現代も未来に比べれば星が見えるが、原始の空は両手を突き出せば握り取れるのではないかと思うほど、空が近かったから。
「……また、会えると良いな、あいつら……に……」
「クロノー!!」
俺の旅は……ここで……おわ……………
俺の屍というかまあそういうニュアンスなアレを越えてゆけ 完
おまけ
長すぎるし意味分からんしつまらないので没になった場面。
後半のクロノ、マール、ルッカ、キーノ達が時間つぶしに遊んでいた所から派生する。
読み飛ばし推奨。
「暇だから、お昼過ぎまでかくれんぼしよう!」
「良いわね、昨日みたいにだらだら過ごすのはごめんだし」
「トルース町の麒麟児クロノ様にこと遊びで勝てるかな……?」
「キーノ、どんな勝負でも、負けない!」
まあ、この時点で全員頭は悪くなっていた。手詰まりに過ぎるこの状況に飽き飽きしていたとも言える。そして常識人だったキーノも色々吹っ切れた今ではこの通りである。後からルッカに聞けば昨晩の催眠音波の効果が残っているかもしれないとのことだ。面白いので追求はしないでおいた。
キーノにじゃんけんを教えて鬼を決め、散会する。最初の鬼はマールだった。地の利のあるキーノに分があるように思えたが、俺とルッカの裏切りにより最初に脱落。制限時間まで逃げ切った俺とルッカが勝利を飾った。
しかし続く鬼ごっこでキーノ覚醒、その俊足で見る間に俺たちを捕まえて開始二十分というスピードタイムで王者に返り咲いた。
それから高鬼、遠投(女子ハンデ有り)、財宝探し、ドロケイと様々な遊びを楽しんだ結果、全員のスコアが横並びになるという結果になった。ちなみに、この時点で太陽は赤く染まり地の果てに沈もうとしていた。
「そろそろ日も沈む……次がラストゲームにしようじゃないか」
「賛成ね、そろそろ足が痛いし、疲れたわ」
三人とも俺の提案に意義は無い様で、俺は次のゲーム内容を説明しようとする。が、ここでキーノが口を開いた。
「次、勝者決まる。だから、キーノ、馴染みある勝負、したい」
今までキーノの知らない遊びで勝負をしていたので、確かにキーノには不利だったかもしれない。それではフェアではないので今回は原始らしい勝負方法にしようと言う訳か。このタイミングでそれを切り出すとは……こいつ、勝負というものを理解している。それも、骨の髄まで……!!
「…………ならばこうしよう、制限時間までにどれだけのまよいの森の魔物を狩れるか、という勝負はどうだ? それならキーノに馴染みがあるし、分かりやすい」
「でも、狩った魔物の数はどうやって確認するの?」
マールは挙手の後当然の疑問を挟む。
「まさか自己申告じゃないでしょうね?」
「そんな訳ないだろう? 狩った魔物は自分の作った場所に運ぶ、結果発表のときに全員で見回れば誤魔化しは出来ないだろう?」
それを聞いてルッカもマールも納得した様子で頷く。俺はそのまま説明を続けた。
「質問は後から受け付ける。一気に説明するぞ。制限時間は一時間、各プレイヤーにはルッカの鞄に入っているタイマーを持ってもらう。十五分ごとに鳴るようにしてもらえば分かりやすいだろう。各々の狩った獲物を置く場所……名称はポジションとしよう。はスタートと同時に自分で好きな所に作ってくれ。まよいの森の中なら何処でも良い。ああ、ポジションには自分の名前を書いた立て札を刺してくれ。それが自分のポジションである証拠になるからな。最後に、ポジションは一つしか作成できないからな。それ以上作っても二つ目のポジションにある獲物は換算されない……で、質問は?」
逸早くルッカが手を上げたので指を向けて質問に応ずる。
「大きい魔物小さい魔物でポイントの加算はされるの?」
「それは無しだ。一々計算が面倒だしな、あくまで単純なゲームにしよう」
答え終わると今度はキーノが手を上げる。なんだか質問の際には手を上げるという現代の常識を覚えている原始人って、どうなんだろう?
「獲物置く場所、変える、良いか?」
「………良いだろう、魔物の群れが近くにいる。そんな所に作成するのがベストだしな。コロコロ場所を変えていくのもいいさ。……でも狩った獲物と立て札を一緒に移動するのは無しだ。それと、ポジションに持っていく時に持ち運ぶ獲物の数は一体にしてくれ」
この野郎、もうこのゲームの内容に気づきやがったか。まあ、どの道すぐに分かることだろうから、別に良いんだが……
「えっと、この勝負に勝った人は何が貰えるの?」
マールがほけっとした、疲れた顔で聞く。
「そうだな……負けたプレイヤー全員に何でも一つだけ言うことを聞かせるとかどうだ? 勿論その人の一生を変えるようなそんな酷いのは無しで、だ。あくまでもゲームだからな」
その言葉を聞いてマールもよし、頑張る! と聞いている側は気合の入らない気合の入れ方をこなして、拳を握った。
「じゃあ、ちょいと疲れたことだし少しの休憩を入れてからスタートしようか。狩ろうとした魔物にやられるなんてのは冗談にもならんしな」
これにも異議はなく、俺たちは各々スタートの間までばらけて疲れた体を休ませることにした。
少しの時間を置いて、俺は全員がばらばらになったことを確認した後キーノのいる所に歩き始めた。……もうゲームは始まってるんだ。
「なあ、キーノ? ちょっといいか?」
「どうした、クロ」
「あのさあ………手を組まないか?」
全員が持つタイマーがゲームスタートを知らせる。その音が響いた瞬間、俺たちは四散した。近くにいて魔物の取り合いになるのもつまらないから……というのが表向きの理由だ。本当の理由は簡単、自分のポジションの位置を知らせたくないから。
このゲームで最初にやらなければならないのがポジション作成、この場所は決して誰にも知られてはならない。何故なら、奪われるからだ。自分の狩った獲物を。
これは単純に魔物を多く倒した人間が勝つのではない。より多く他人から獲物を奪えるか、という勝負なのだ。奪ってはいけない、というルールは組み込まれていない。
ルールの穴を突いたとは言えない、誰でも気づく事だ。だからこそ俺はさっきキーノに交渉を持ちかけた。共同戦線を張る、というのだ。
このゲームはいかに相手のポジションを知るかが重要になる。だがそれが全てではない。仮に相手のポジションを知ったとて一回で運べる数は一体。獲物を取られた人間は数が一匹減った時点ですぐにポジションを変えるだろう。
……ちなみに一度に一匹しか運んではいけないというルールもばれなければ違反にはならない。勿論一度に数匹運んでも良いのだが、運搬の最中に他プレイヤーに見つかればその時点で失格。終盤に点差が開いているなら賭けに出ても良いが余りにリスキーな方法だろう。
話を戻そう。何故キーノと手を結んだか? これは実は表向きは余り意味を成さないのだ。この同盟の条件は1、マール、ルッカのポジションを二人で探し見つければ教えあう。そうすれば二人の獲物を一度に二匹持っていけるので俺とキーノが有利になる。勿論、見つけた所で教えるわけがない。いずれは敵対するのだから。
そして条件2、これが重要。片方が狩りに出ている間はもう片方が自分達のポジションを見張る。これが真骨頂。
このゲームは奪う、守るが最も重要な要素になる。狩りに出ている最中、またはポジションを探している間に獲物を取られるのは最悪の事態なのだ。
しかし二人ならこの奪うと狩るに加え守るまで可能になるのだ。これは同盟を組む理由として最適……表向きは。
本当は互いのポジションを知ることが最重要。キーノと俺はお互いのポジションをすぐ近くに置くことで裏切りが容易になる。相手の獲物を奪ってポジションを変えれば良いのだから。問題は裏切るタイミング。
序盤は裏切るには早い、だが終盤では遅すぎる。半ばで裏切るのがベストだろうがそれでは相手に先を越されるかもしれない。これはキーノにも分かっているはずだ。だからこそ俺はこう提案した。
「アラームが二回鳴るまでは俺が狩りに出るよ。キーノはその間ポジションの守りに入っててくれ。後半からは俺がポジションの守り役になるから」
これでキーノは二回目のアラームが鳴る前に俺を裏切れば良い。守りに入っているのは自分なんだから、クロノの獲物を横取るのは簡単だ、と考える。それどころか俺に裏切る意思が無いのかとすら考えるかもしれない。これは運がよければ、だが。
ちなみに最初の約束では俺たちは三回目のアラームが鳴れば同盟を解消するという約束をしている。口約束なので信用などかけらも無いが。
俺自身の裏切るべきタイミングを完全に逃す俺の提案。キーノは二も無く乗った。この時点でキーノが裏切るのは確定。再認識のような作業だが、確信出来て良かったと考えるべきだろう。
しかし、これではキーノを裏切ることは出来ないんじゃないか? いや、そんなことは無い。この提案を俺自身がしたということが後半になり生きてくるのだ。
「さて、ここにポジションを作る、それで良いかキーノ?」
「分かったクロ、立て札立てる!」
最初の休憩時間にあらかじめ作っておいた小さな立て札を刺してルッカに借りたペンで名前を書き、それを中心に円形に線を描く。これでポジション作成は終わり。後は俺が狩りに行くだけだ。
キーノは俺に激励を託して二つのポジションの間に座り手を振ってくれた。腹の中ではケタケタ笑い声を上げているに違いないが。
スタートからアラームが一度鳴り、キーノと俺のポジションに獲物を連れて帰った時の事だった。(今までに計三匹の小さな獲物を狩り、俺のペースが遅いことからキーノのポジションに二匹、俺のポジションに一匹という形となった)
「クロ、ペース遅い! 負ける、負ける!」
「だから言ったろ? ルッカとマールが組んで邪魔して来るんだよ。あいつら一人が俺の妨害、もう一人が狩るって戦法を取ってやがるんだから……でもまあ、俺たちに勝機が見えたぜ?」
「? ショウキ?」
俺は少し間を置いてからキーノににたりと笑いかける。
「見つけたぜ、マールのポジションを!」
「!? 本当か! クロ、スゴイ!」
機嫌の悪そうなキーノの顔が輝いて飛び上がる。今から案内する、だから一時守りは中断と告げてからその場を離れる。
……まず第一段階は成功。後は流れに乗るだけだ……!
最初は地形が分からず右往左往していたまよいの森だが、午前から思い切り遊んだ為地形はおおよそ頭に入っている。俺たちは迷わずマールのポジションまで進むことが出来た。マールのポジション内には獲物が四匹。まあ、そこまでは良かったのだが……
「……ちっ、マールの野郎、ポジションから動きやがらねえ……」
そう、マールは何を思っているのか、自分のポジションから一切動こうとせずじっと座ったままなのだ。狩りにでようとする気配すらない。キーノも悔しそうに犬歯を見せている。
「どうする? クロ。いっそ二人掛かりで突っ込むか?」
「……いや、待て。……あそこ、見えるか?」
俺がマールを挟んで対角線になる草むらを指差し、そこには体を伏せたルッカの姿が見えた。俺たちと同じようにマールがポジションを離れる瞬間を狙っているのだろう。
「あいつら、仲間、違うか? なんでルッカ、マール狙う?」
「ルッカが裏切るつもりなんだろ? あいつらは俺たちと違って二人とも攻めの姿勢だったはずだから、マールが自分のポジションを動かないってことはマールもルッカの裏切りに気づいてるのかもしれないな。それこそ今この瞬間も狙ってるのでは? ってさ。かといってポジションを移動すればその場に置いた獲物が取られるかもしれない……だからマールはその場を動けないんだ」
しかしこれでは俺たちも動けない。キーノがマールを抑えていても俺は獲物を奪う前にルッカと戦わなくてはならない。リスクの伴う判断になってしまうのだ。
どうしたものかと喉を鳴らすキーノをよそに俺は至極冷静にこの状況を見ていた。
「……チャンスかもしれないな」
「? クロ、何か考え、あるか」
大きく体を動かせないので頭だけを動かし、不思議そうに顔を覗き込んでくるキーノに名案を思いついたという風に答える。
「よく見ろよ、今この場にはルッカ、マール、俺にキーノがいるんだ。これがどういうことか分かるか? 誰も獲物の数を増やせないんだ。しかし俺たちは二人、キーノがマールを監視しているうちに俺が獲物を狩れば良い。あいつらの妨害も無く、楽して勝てるんだよ俺たちは」
「そうか! ……でも、ならキーノも狩り、参加したほうが良い、違うか?」
キーノの判断は正しい。どの道マールもルッカもここで釘付けになるのなら二人で思う存分狩りを楽しめば勝てるのだから。……ただ、それはもう遅い。
「駄目だ、ルッカが俺たちの存在に気づいてる。恐らく組んでることもな。今ここで俺たち二人が動けばルッカもマールのポジションを狙うのを諦めてしまう。それどころか最悪もう一度マールと同盟を組んでしまうかもしれない」
キーノがばっとルッカを伺うと、確かに二人の視線が交差した。コンマ一秒にも満たない時間とはいえ、互いの目的が同じであることは疑うまでも無いだろう。
「……な。ここで俺だけが消えてもいつかはルッカもマールのポジションを諦めるだろうが、キーノがここに留まる事でルッカに躊躇いが生まれる。今自分も狩りに戻ってしまえば、キーノにマールのポジションの獲物が奪われるかもしれないってな。少しの間だけでもあいつらをここに引き付けておければ上出来なんだ」
俺の考えを聞いてキーノは少し考え込んだ後、訝しげな顔で俺を見る。
「……キーノ、どれくらいここにいれば良い?」
「ルッカが動き出すか、まあそこまで留められるとは思わないが、三回目のアラームが鳴れば自分のポジションに戻ってくれ。そこで獲物の分配をしよう。そういう約束だったろう?」
俺は肩をすくめてキーノにそう答える。今、キーノは今日一番に頭を使っているはずだ、どちらが得か? と。
もしこの提案を呑めば俺を裏切ることは出来ないが、有利に勝負を進める。果たして俺を裏切るのとマールとルッカを沈めるのとどちらがいいか? キーノはしばらく苦い顔をしていたが、結局俺の考えに同意した。
……ここでキーノの間違いは俺の言うことに従ったからではない。そもそもどちらの方が得なのか? という葛藤が間違いなのだ。
疑うべきは、俺が裏切らないのか? ということ。キーノのはその疑惑が一切浮かんでいなかった。この状況ほど俺が裏切りやすい状況は無いのに!
何故俺の裏切りを思いつけないのか? それは前半の俺の提案。キーノが裏切りやすい環境を俺が作ったことがそもそもの始まり。これで俺に裏切る意思は無いのだろうか? と思い始め、そして止めはこれ、マールのポジションを教えること。
終盤には敵同士になる関係なのに、他プレイヤーのポジション位置という重要な情報を教えることでキーノは俺を『裏切らない』仲間だと思ってしまった。
勿論これがもっと重要なゲーム、よくある負ければ一億の負債を得るとかそんなハイリスクなゲームならそう簡単には信じたりしないだろう。だがこれはあくまでもただのゲーム。そこまで相手の心理を探らずとも良いだろうと、何よりも俺という人格を信用してしまった。キーノの人柄が成せる業、だな。人が良いと言えば聞こえは良いが……馬鹿だ。
だがまあ、俺の罪悪感はなんら反応はしない。恐らくだが、キーノはルッカが帰らずとも三度目のアラームが鳴る少し前には自分のポジョンに戻るはずだから。理由は俺を裏切る為。俺はただ騙し返すだけ、正当防衛だ。
それじゃあ狩ってくるぜ、楽しみにしてな、という台詞にキーノは笑って頑張る、クロ! と背中を押してくれる。俺は後ろを向きながら大笑いしたい衝動を抑えてなんとかキーノ、マール、ルッカの三人が集まる場所を離れた。
「……悪く思うなよキーノ? なんせ俺は常識を教える役割だからさ」
同じ人間に騙されるってことも知っておいたほうが良いんだよ、多分ね。
……おかしい。いくらなんでも時間が掛かりすぎる。
そもそもプレイヤーはクロノを除き全員ここにいるのだから、一度に一匹ずつ運ばなくてはならないなんてルールは無視できる。それなら十分弱で仕事はこなせるはずだ。
そう、キーノのポジションから獲物を奪う作業が。
私は二回目のアラームが鳴り三回目のアラームまでもう少しという時間までマール、引いてはキーノを見張っていたが肝心のクロノが作業終了を伝えに来ない。
……私はまさか、という思いが膨らみ、冷静になろうと勤める。
……その時間僅か五秒。自分の目の前が真っ暗になるのを感じた。……何故、感づかなかった? 何故、信じたのだ私は?
私は立ち上がって草むらを飛び出しマールとキーノを呼び出した。……もしかしなくても、詰みの状態だろうが。
「あいつら、そろそろ気づいたかなあ?」
近くの木からもぎりとったりんごをまる齧りしながら俺は自分のポジション内に座り込んでいた。
……種明かしをするが、俺はキーノと形だけの同盟を結んでいた。そしてそれはキーノだけに限ったことではない。最初の休憩時間で俺は他の二人とも、つまり全員と手を組んでいたのだ。
その同盟内容はベースは同じ。ただ所々で与えていた情報量が違う。役割も違う。
最初に俺が狩りをする、と言い出すのは同じ。狩った獲物を共有するのも同じ。……ここからが各グループで違う所。
キーノに与えた情報は前述していたのでいう必要は無いだろう。省略させてもらう。
ルッカと組んでいたときに、彼女には俺がキーノとも組んでいることを教える。勿論キーノのポジションの場所も教えた。
さらにこのゲームではポジションを複数作成することが可能であること、そのことから他プレイヤーを騙すことができることも教えた。
複数のポジションを持っていても一つしか結果に含まれないが、グループごとに自分の作ったポジションの場所を提示することで最低限の信頼を得ることが出来るからだ。
この方法を使って俺はキーノ、マール、ルッカに教えたポジションと今俺が座っている最終結果で使うポジションの四つのポジションを作成していたことになる。
さて、ついでに前半で俺が狩りを担当、もう一人に守りを担当させたのは何も信頼を得る為だけに提案したのではない。他のプレイヤー同士の情報交換を防ぐ為だ。途中で俺が全員のプレイヤーと組んでいることがばれては計画がおじゃんになる。一粒で二度美味しい作戦なんだなあ。後半に繋がる策というのはこのことである。
そしてルッカにキーノと手を組んでいることを教えたのにも意味がある。偽の同盟をしていることをルッカに教えて信頼を得る、というのもあるが、三竦み状態を作る必要があったからだ。
まず、ゲーム中盤に差し掛かる頃、俺はキーノと同じようにマールのポジションの場所を教えた。偶然見つけたように装って。
マールのポジションに着いて、マールが自分のポジションを離れないようにしているのを見た後俺はこう言った。チャンスだ、と。
「俺が今からキーノをここに呼んでくる。そしてあいつをこの場に留まらせれば二人を無力化できるぜ? なんせ俺たちは二人一組なんだから」
この言葉を聞いてもルッカはそう簡単に頷かない。キーノと違って疑りやすいからな。
ただ、ルッカは正論に弱い。
「キーノは俺と組んでる、そう信じてるからルッカがここに留まらなくてはならない。俺が引き止め役になっても何の効果も無いからな。敵対勢力であるルッカがこの場にいることによって効果が生まれるんだ」
この言葉を聞いて不承不承ルッカは了承して俺の思うままに動き出した。
そしてマール。彼女に与えた情報量が一番多い。まあ、要だからな。
まず俺がキーノとルッカ二人と別々に手を組んでいることを話した。
さらにポジション複数作成の方法も教える。
後はキーノやルッカと同じように前半に俺が狩りをすることに立候補して、獲物は共有。
最後に三竦みを作る為に彼女にはこう話す。
「俺がキーノとルッカをこのポジションに縫い付ける。マールはただこのポジションを見張ってくれるだけで良い」
まあ、もう少し交渉はしたが骨組みはこんなものだ。当然ながらマールにはこの捨てポジションの他に別の場所に本当のポジションを作らせている。俺の仮ポジションもそのすぐ近くに。ルッカとキーノから奪った獲物はそこに置いて分配しようと約束して。
そうそう、俺の狩りのペースが遅かったのは三グループそれぞれに獲物を置きに行ったからだ。全員に「他の二人が結託して妨害してくるからペースが遅い」と言い訳して。
纏めるが、三竦みの状況を作ろうと提案した順番はマール、ルッカ、キーノの順になっている。この順番が狂えば全てが台無しになるのだから、単純ながら最重要な事柄。そもそも、単純というならこの計画や一連の流れ全てが単純なのだ。
「……まあ、全部成功したから、もうどうでもいいんだけどな」
今俺のポジションにはキーノとルッカのポジション全ての獲物を奪い更に途中何度か獲物を狩ったので計十七匹。これで、俺の勝ちは揺らがない。
「三度目のアラームが鳴って結構経ったな……残り時間五分前後か?」
ふあ、とりんごをまるごと入れれそうな大きなあくびをしたところで木陰から人の姿が現れた。……どうやら、怒り心頭といった御様子のルッカのようだ。顔を真っ赤にしてよくも裏切ったわね! と切れていた。
「おいおい、お前だって虎視眈々と俺を裏切ろうと狙ってたじゃねえか。分かりやすいくらい目がぎらついてたぜ? そんなんじゃ俺を責めれねえよ」
「っ!!」
歯をぎりぎり鳴らして俺を睨み付ける。その視線は言葉にするなら「コノウラミハラサデオクベキカ……ツーカハラス、ゼッタイコロス」としておこう。内容は一緒だ。
「ああ、ルッカの罰ゲームは俺に危害を加えない、怒らない、だな」
俺の言葉にルッカは目を丸くして「ちょ、ちょっと!?」と取り乱した。あああ、敗者の足掻こうとする姿はなんて面白く感動するんだろうな……
「あんた、一生を変えるようなことはしないって言ったじゃない!」
「別に俺に危害を加えたり怒ったりしなくても人生は変わらないだろう? それに一生じゃないよ、俺が良いと言うまでだからさ? まあ、何十年先か知らないけど」
ゴゴゴ……と擬音が出そうなくらい赤い顔に変わっていくルッカを俺は愉快な気持ちで見ている。いやいや、こうしてみるとルッカも可愛いものじゃあないか。もう少し懐けば優しい扱いをしてやるのにさ。
優越感を満たしてくれるルッカの顔を眺めていると、今度はキーノが身軽な動きで木の枝から飛び降りてきた。ルッカと同じように怒気を纏いながら。
「クロ! キーノ、裏切るか!?」
「やあやあ人の好いキーノ君。そんな簡単に人を信じちゃ駄目だぜぇ? こうやって根元からすっ転ばされるんだから」
「ク……クロ……!」
「うーん……正直お前にもむかついてたんだよなあ……クロクロクロクロ、って。ノ、位言えるだろうが。罰としてあれだ、お前への罰ゲームは毛を剃る事な。上も下も」
ニンマリと自分でもいやらしいと自覚できる笑い方でキーノに死刑宣告にも似た言葉を放つ。キーノは「し、下も……」と呟きながら膝から崩れ落ちていく。その目に生気は、無い。
「……で、マールはそこでなにやってるんだ?」
俺の後ろの木に姿を隠していたのは、マール。えらくすました顔だが、もしかしたら自分は酷いことを命令されないかもしれないとたかをくくっているのだろうか? だとすれば……甘い。
どうせ今まで様付けされて敬われていたのだろう。ならここは俺の名前を呼ぶときは様付け、話すときは敬語、間違えたら折檻。語尾には愛してますご主人様とでも言わせようか……ハッハッ、バラ色の生活だな!
「言っておくがお前ら全員がこのポジションから獲物を持っていっても無駄だぜ? 一応獲物の残っているマールの所に持って行ったとしても一度に三匹しか奪えねえ。一度に一匹ずつしか獲物は持っちゃあいけねえんだから!」
ルッカとキーノの顔が悔しさでさらに歪む。はりぼてと化したルールでも決まりは決まり。俺という監視人がいる限り一匹以上の獲物を運んではいけない。ただ適当に思いついたルールじゃねえんだ。運よくお前らが最終局面で俺の真ポジションを見つけたときの保険も掛けてるんだよ!
他二人と違いあくまでにっこりと笑い続けるマールを見て高笑いを響かせる。それに少し遅れて響くアラーム音。これは終結の鐘。俺を苦しめようとする運命の神、その嘆き、断末魔。これから俺はあらゆるヒエラルキーのトップに君臨するのだ!
「俺の……この俺、クロノの勝ち「私の勝ちだー!!」だ……ぁ?」
俺の勝ち鬨をぶっ飛ばしてマールが思い切り上下運動。うわお、これだけならなんかやらしいね。
「……いや、俺の勝ちだろ? 何言ってんのマール?」
マールは満面の笑みで(ごっつ腹立つ笑顔で)地面を指差した。そこには俺のポジションであることを示す立て札が……立て札が……あるのだが……
「……ま。……まーる? あれ? 俺の名前じゃないぞー?」
ぷるぷると震える俺の体とその言葉に反応して固まっていたルッカとキーノが俺を蹴飛ばして立て札の名前を見やる。そこには確かに『マール』の名前が、黒いペンでしっかりと書かれていた。
こんなものトリックや計画なんてものでは無い。単純で愚直である意味純粋で……つまり……
「入れ替えたの。私の名前が書いてある立て札とクロノの立て札を。ゲーム終了前に入れ替えたんだから有効だよね」
……なるほど。今まで駄目と言われてないことはいくらでも行った俺だ。文句を言うのは筋違いだ。筋違い。うん、それは分かる分かるけど……
「そんなの無えだろーーーー!!!!」
まあ馬鹿なりに色々考えたり、騙し騙されて進行したこのゲーム。結局最後は力技のごり押しなんだなあ、と痛感しました。ライアー○ームの椅子取りみたいな。
ゲーム終了から半刻。ルッカとキーノの逆襲により腫れてない部位? あるわけ無いじゃんな俺にマールが近づいてきた。心なしか満足した……ああ心なしじゃねえや、完全に満足しきった顔ですわ。腹立つ。
体を起こすことも出来ない俺を上からニコニコと笑顔で見下ろして、マールは俺の目を見つめている。なんだ? 唾でも吐きかけますか? いいよ別に、今ならゲロ吹きかけられても納得してやる。どうせ俺は一生最下層の人間なんだ。
「惜しかったね、最後に私たちに見つからなかったらクロノの優勝だったんだから」
「……ああ、やっぱり最後に俺のポジションを見つけたのは運かよ。まあ、そこまで広い森じゃねえし、地形が分かれば有り得ることだとは思ってたけどさ」
痛む顔を我慢して会話をする。口を開くたびに腫れた頬と切れた口内がじんじんと響く。下手すれば明日には歯が二、三本取れるんでは無かろうか? なんてため息が出る予想が頭をよぎる。
マールは唾液を飛ばすわけでもなくただすんなりと倒れている俺の隣に腰を下ろす。月明かりとたき火の光に挟まれてなお彼女は際立っていた。
……なんだか、彼女に負けたなら、まあしょうがないというか、道理かもしれないな、と落ち着いてくるから不思議だ。
「ねえクロノ、私が負けたらさ、私にはどんな罰ゲームをさせる気だったの?」
まだ、マールは俺に罰ゲームを告げていない。ここで「肩を叩いてほしかったのよさ!」とか軽い内容を言えば彼女も簡単な罰にしてくれるのだろうか?
「……様付けさせて、俺と話すときは敬語にさせて、愛してますご主人様を語尾に付けさせようと思ってた」
まさか。俺の嘘を彼女が見抜けないわけが無い。さっきのゲームでも、マールだけは俺の企みに気づいていたんじゃないだろうか? 確証は無くても、確信があった。だったら、保身の嘘をつくよりも、最低の真実を告げたほうが体裁がたつさ。あれば、だけど。
「……愛してます、ご主人様ねえ……男の子って、そういうの好きなの?」
「……一括りにするのはどうかと思うけど、結構当てはまるんじゃないかな」
ふーん、と興味なさげにマールは遠く星の空を見上げて腕枕を作り横になる。近くが森の為か、瑞々しい風が通り抜けて行く。痛む体も疲れた心もどこか遠くまで運んでくれそうな、そんな風。
その風が途切れる前に、マールは風に紛れるように、でも紛れきれないような声で呟いた。
「私は、クロノにそう言われたいよ」
さあ、と風は遠く彼方へ。五メートルも離れていないルッカとキーノの声がぽつぽつと消えていく。マールの声以外の音をパズルに例えるなら、そのパズルはボロボロとゆるやかに、確実に崩れ落ちて、零に変わる。
俺が今ここで何を言えば言いか。
洒落た言葉は似合わない。きっと彼女には煌びやかな宝石なんて似合わないのと同じ理屈。
誤魔化すべきじゃないし、その必要もない。きっと彼女には化粧で誰かを騙す必要がないのと同じ帰結。
だから俺は単純に、こう言うべきなんだ。
「……ご主人様は男相手だ。女のマールをなんて呼べば良い?」
――なんて呼んで欲しい?
「そうだなあ、じゃあ……」
――王女様じゃなくて……
「……分かった。必ず呼ぶよ」
いつのまにか痛んだ体は軽く、飛べば空にも届きそうな気分。もしかしたら、これが幸せなのかもしれない。
原始の夜は暗く、少し先も見えない闇の中。伸ばした手は除けねど、響く声は遥か、遥か。
いつ呼ぼう? 明日だろうか一年後? 死んでからでは勿体無いし契約不履行は寝覚めが悪い。末期の時では遅すぎる。何より我慢が出来そうもない。だって今この瞬間にも叫びだしたいのだから。
小さく息を吸って、準備が整う。大声である必要はない。過剰に彼女の顔を赤く染めるのは、面白そうだけどそのままの彼女が一番美しいのだから。
さあほら、彼女の顔を見て、瞳を除いてそこに自分がいるのなら、臆すことはない。魔法の言葉が降り注ぐ。
――愛してるよ、マール…………
反省点・キャラも違うし荒が目立つしテンポはぐだぐだなによりしょうもない。つまりは全部。
予め言っておきますが、こんなサブイボたつような展開は本編では書きません。途中から没だな、と確信したので調子こいてラブストーリーを添えてみました。薄っぺらいったらありゃしない。