デナトロ山を下山してルッカに半死半生の身にされながらも、とりあえずグランドリオンを手に入れることが出来た。腕とか足とか顔とか頭とか全身が満遍なく痛いけど。
時間はすでに深夜。デナトロ山に入る頃はまだ夕刻だったというのに、トルース町の裏山に比べて随分と大きい山だったから仕方は無いが。消費した時間の十分の一はルッカの制裁だったのは公然の秘密。
マールの気乗りしない治療を受けて立ち上がれるようになった俺は開口一番、
「あのどっひゃー勇者を殴りに行こうぜ」
と、殺気を露に口に出した。
時の最果てに帰ったルッカを除き、ロボ、マールは深く頷いた。戦闘はともあれお化けの恐怖は忘れられるものではない。あのくそったれ勇者が真面目に勇者してればわざわざ俺たちが災難に巻き込まれることは無かったのだと考えると、肛門に火付け棒を突っ込むくらいでは許せない程の怒りを感じる。「らめえ!」とか言わせてやるからな。
「ルッカの私刑中にらめえ! って言ってたのはクロノだけどね」
「忘れろマール。後冗談でも女の子がらめえとか言うな。それも感情込めて」
チームワークに定評無しの俺たちは心持ち早歩きでデナトロ山を離れ、パレポリ村へと歩き出した。
未明にパレポリ村に着いた俺たちは真っ直ぐ勇者の家に向かい鍵のかかったドアを蹴倒して中に進入した。
家主のじじいが驚きながらフライパンを片手に現れたがマールのハイキックで沈む。俺たちの行動にロボはおろおろしていたが、お前も俺たちのパーティーの一員なんだからこういうことにも慣れてくれ。
「お、親父!?」
「じいちゃん!?」
じいさんが壺やら机やらを巻き込みながら倒れた音で二階から勇者とその父親らしき男がばたばたと降りてきた。ナイトキャップを付けている辺りがとても気に入らない。
「あれ? 兄ちゃんたちは山で見かけた……」
「おう、オフザケ勇者。貴様はここで朽ちろ」
迷わずサンダーの詠唱を始める俺の頭にロボのパンチが飛ぶ。だから、いつ俺が「ご自由にお殴りください」と言った。
「落ち着いてくださいクロノさん。そりゃあ最初は僕も怒りという名の記号に惑わされましたが、まずは彼がどのような境遇にしてかの行動に出たか、そしてその信念を聞き出さねば僕たちの取る道に光明というコンパスは舞い降りはしないんで」
「ごめんねロボ、大事な話の時はちょっと静かにしててね」
ロボの体を反転させて部屋の奥に追いやるマール。流石、俺なんかミドルキックを入れようと構えていたところなのに。
「ねえ勇者さん、貴方は魔王軍を倒すためにグランドリオンを取りに行ったんだよね? ならなんで逃げたの? モンスターが怖いのは分かるけど、貴方は勇者なんでしょ、皆に希望を挙げるんでしょ?」
勇者の小さな肩に手を置いてこんこんと語るマール。ここだけ切り取れば優しい少女キャラに見えるが、彼女は今さっき老人を蹴り倒し昏倒させている。俺に彼女を理解出来るときは来るのだろうか。
マールの一言一言に肩を震わせて、下を向いている勇者。思うことがあるのか、それとも自分の祖父を気絶させた不審者に怯えているのか。後者臭いなあ。
「おいタータ! こいつら何言ってるんだ? お前が逃げ出したって……嘘だろ、こいつらがデマカセ抜かしてるだけなんだよな!?」
そのまま根気強く語りかけるマールに無反応のまま黙っている子供に痺れを切らしたのか、父親がマールの手を振り払って勇者……タータに脅すように話しかける。
その声から、そうであろうがなかろうが、勇者であることを強要させるような、脅しめいたものを感じた。
父親の言葉に一層強く体を震わせたタータは、暗い目で俺たちを見て、小さく呟いた。
「そうだよ、この兄ちゃんたちが嘘ついてるんだ。グランドリオンは明日取りに行くんだよ」
「てめえ、ガキだからって俺たちは優しくねえぞ!」
「クロノ!」
言うに事欠いて俺たちを嘘つき呼ばわりするタータに腹を立てた俺をマールが体で止める。
「何で止めるんだよ! 何発か入れねえとこういう奴は反省しねえんだよ!」
俺の言葉を無視して、マールは尚もタータに口を開く。
「勇者……いえ、タータ君。君は勇者なの? それとも、そうでありたいの? もしくは……そうでなければいけないの?」
「!?」
「なんだあ小娘! お前何が言いてえんだよ!」
ずっと俯いていたタータががば、とマールを見る。するとタータとマールの間に割り込んで父親が焦った様に怒鳴り始めた。彼の目を見てマールは、一つため息をつき、父親をいないもののように後ろのタータを見た。
「タータ君、周りが勇者であれと願ったのかな。勇者じゃないと……許されなかったのかな」
「お、オイラは……」
「もしそうだったんなら……」
一呼吸分会話に空白を混ぜて、父親の罵声をBGMに、マールの哀れむような、悲しむような、澄んだ声が生まれた。
「……辛かったね」
「……あ」
もうだめだ、と零して、タータの目から涙がつう、と落ちた。きっとそれには、悔恨と後悔を含まれていて。
その姿を見た父親が戸惑いながら「認めるなタータ!」と叱るが、今まで黙っていたロボが父親の腕を取って外に連れ出した。騒ぐ父親に数発文字通りの鉄拳を加えて。
それから、タータは一頻り泣いた後、勇者になった経緯とその後を話し出した。
タータの持つ勇者バッジは酒場で酔いつぶれていたカエルが落としていたのを見て、高く売れるかと思って町に出れば、町の皆が勇者様だとチヤホヤしてくれるから引っ込みがつかなくなった、という子供らしい理由だった。
町の住人も子供ではあるが並外れた怪力を持つタータならば……と考えたのだろう。実際俺だって最初にあの石や木を拳で割るタータを見ていれば勇者だと納得していただろう。
しかし、事が大きくなり怖くなったタータは正直に成り行きを父親に話してみたのだという。が、
「馬鹿が! それが本当だってばれりゃあこんな裕福な生活は出来なくなるんだ、いいかタータ! 誰にもその事は言うなよ、お前は勇者なんだ、俺の為に勇者じゃなきゃいけねえんだ!」
父親の毎日聞かされる言葉に、後ろめたさを隠しながらタータは勇者『ごっこ』を続けなければならなくなった。それは父親だけでなく祖父も同じだったようで、父祖父共にタータを勇者として担ぎ上げた。
結果、今まで遊んでいた友達は勇者であるという理由で離れていき、ほのかに恋心を抱いていた女の子と話すことさえ出来なくなったという。
今まで辛かった、と泣きながらマールに自分に起こった出来事を伝えるタータに、マールは優しく抱きしめてあげた。
それはとても綺麗な光景なんだろうし、世間一般では落とし所というやつなんだろうが……
「……気にくわねえ」
「え?」
「何でもないよマール。そいつが落ち着いたらその勇者バッチとやらを貰っておいてくれ」
二人に背中を向けて家を出ようとする俺をマールが慌てて引き止める。
止まる気はなかったが、タータの「何でオイラがこんな目にあうんだ!?」という叫びが俺の臨界点を越えさせた。
俺はずかずかとタータに近づき、マールから引き離して思い切り殴りつけた。小さな体は勢い良く飛んで台所の壁に叩きつけられた。強く体を打ったタータは悶絶しながら地べたを這いずるが、俺はその背中を踏みつける。マールの制止も、今はうっとうしい。
「……俺が言える義理じゃねえよ」
「ぐええ……」
「そうだよ、俺が今から言うことは全部自分のことを棚に上げた下種の意見だ。でもな、俺とアイツは……多分友達だったから、友達になれたから、言わせて貰うわ」
「クロノ! 何してるの、タータ君は……」
「被害者、とか言うならマール。お前も殴る」
無機質な声でマールを牽制する。彼女は手を胸に当て一歩、俺から離れた。視線はタータに、心配そうな目を向ける。見れば背中を強く打ちすぎて呼吸がままならないようなので、俺はタータから少し離れて、マールに治療を促す。
「確かにお前が全部悪いわけじゃない。まだ子供のお前に親の強制を振り切れってのも酷かもしれない……でも、お前が、自分は勇者じゃないと言わなかったせいで、何人死んだと思う? その上自分は悪くないみたいな言い方しやがって……」
「し、死んだ?」
マールのケアルを受けて、立ち上がれはせずとも話すだけの力が戻ったタータが呆然とした声を出す。
「ゼナン橋の事だ。お前が正直に打ち明けてれば誰も死ななかった……そうは言わない。どっちにしろ魔王軍は侵攻してきただろうからな。けれど騎士団長から聞いたぜ、お前に橋を渡らせるために多くの兵士が失われたって」
ひっ、と区切られた悲鳴。まだ小さいタータでも、戦場を歩いたんだ、不幸にも人が死ぬってのはどういうことか分かっているはず。自分のために人が死んだという事実に正面から向き合ってはいなかったのだろう、今俺に言われてやっとタータはその事に気づかされた。
マールもゼナン橋で死んだ兵士たちを思い出したのか、沈んだ表情を見せる。
「お前が真実を言っていれば、死なないですんだ人間が何人いたか……」
こと戦いでは味方の人数で大きく変わる。タータの為に散った兵士たちが何人いたかは知らないが、数人ということはないだろう、壊滅的なダメージとまで言っていたのだから。
その兵士たちが突破ではなく防衛に徹していれば、死傷者はかなり変わっていただろう。ジャンクドラガーさえ出なければ、俺たちが戦線に加わらずとも退けることは出来たかもしれない。……何よりも。
「ヤクラが……死ななかったかも知れねえんだ!」
「止めてよクロノ!」
話しているうちにまた我慢が出来なくなった俺がタータを殴る前にマールが抑える。
……ヤクラが死んで一番辛いのは、庇われたマールだったはずなのに……
「……悪い、もう俺、外に出てるよ」
今度は、マールも止めない。俺は早足で荒れた室内を歩きドアを開ける。
その時、タータが小さな声で「オイラは……どうすればいい?」と聞いてきたので、半開きのままドアを開ける手を止める。
「さあな、無理やりでも、偽者でも、勇者だったんだろ? 自分の道は自分で切り開けよ」
それが勇者だ、と心の中で締めて外に体を出した。
後ろ手にドアを閉めて、家の壁に体を預け座ると、視線の先にひたすら殴られて気絶したタータの父親と、その近くに立っているロボが見えた。
中の会話を聞いていたのだろう、ロボはなんと言っていいか分からないという顔で俺に近づいてきた。
「……あの、クロノさん。大丈夫ですか?」
「……大丈夫だ、ただ腹が立って仕方ねえだけさ」
「やっぱり、タータ君を許せませんか?」
ロボのか細い、オドオドした言葉に俺は笑って、手で顔を覆う。
「最初は逃げ出してた癖に子供に八つ当たる、卑怯者にだよ」
自己嫌悪から流れる涙は、弟分のロボには見せたくないから。
今が夜で良かった、指から漏れるものに気づく人はいない。
頭上の月が生む光が、無言で俺を責めるのが、とてもとても辛かった。
星は夢を見る必要は無い
第十五話 勇者≠勇気ある者
パレポリ村を出て俺たちはお化けガエルの森に入り、カエルの住処に向かうことにした。
タータの話で出た酔いつぶれたカエルというのは俺たちの仲間だったカエルで間違いないだろう。あいつの剣の腕前は確かに俺や騎士たちとは比べようも無いほどのものだった、勇者と言われてもまあしっくりこないでもない。王妃マニアの駄目野郎だけど。
が、ここでまたしても問題浮上。これにはクールダウンしてきた俺が再びボルケノン! となってしまった。
「あの両生類の根本的存在屑ガエル……いつ家に帰ってるんだよ!」
勇者バッチをタータから貰い、グランドリオンも折れてはいるが柄の部分を手に入れてさあ魔王との御対面ももうすぐだぜえ! とテンションゲージが上がってきた所でこのパターン。ぐちゃぐちゃにした室内が整えられているところを見るにあの後一度は帰ってきたようだが……
とりあえず苛立ちが募った俺たちはまた家を荒らすことにした。前回は破壊というほどの破壊はしていなかったからな、今度は応用を利かせて殺傷性の高い罠を仕掛けるというのはどうだろう? フォールアウトみたいに。
「むしろ爆発物とかを設置して……よし、ルッカを呼んでここをベトナム地帯に改造してもら……あれ?」
「どうしたのクロノ? 何かあった?」
タンスを氷付けにする作業に埋没していたマールが俺の声に反応して振り返る。ていうかあれだね、顔を合わせたこともない人の家でよくそこまで好き勝手できるねマール。尊敬するわ。
「いや、写真があったからさ、ちょっと見てただけ。カエルの若い頃かな……?」
「へえ……ねえ、私にも見せてよ!」
「僕も見たいです、僕に勝るとも劣らぬというフォウスを宿しているのですから、魔の根源たる者に姿を変幻させられる前の姿を見ておきたいです」
「まあ待てよ、まず俺が先だ。あとロボは勝手に設定を作るな、何だよフォウスって」
一々突っ込みを必要とする会話をするなあロボは。ある意味介護が必要だと思うぞ。
気を取り直して写真を見る。ガルディア騎士団のごつごつとした甲冑を装備して、兜を外したえらくハンサムな男が写っている、これがカエル? ……ちっ、勇者って奴はわざわざ顔が良いんだな、古今東西不細工な勇者ってのは見たことが無いからそうじゃないかとは思ってたが……
「よし、燃やそうかこれ」
「いやいや意味分かんないよクロノ。大丈夫? 結婚する? の流れくらい分かんない」
「理由はカエルが無駄にイケメンだからだ」
「なるほど、そうなるとカエルさんがパーティーに入れば実質男で顔が良くないのはクロノさんだけになりますもんね。そりゃあ不機嫌にもなりますか」
今小さな命が星に還ろうとしている最中、俺が落とした写真を見てマールが「違うよ、クロノ」とマウントポジションの俺に話しかける。何だよ、今こいつの顔をホンコンみたいにぶくぶくにさせるところなのに。
渋々ロボの上から退く。「うわああ、本当のことなのにぃぃ!」と泣き出すロボに俺は告げる。来世では幸せになれ、と。
雷鳴剣を抜き黄忠が夏侯淵にしたように真っ二つにしようと大上段に構えるが、マールの次の発言に俺の動きが止まった。
「この鎧を着た人、カエルさんじゃないよ。下にサイラスって書かれてるもん」
「……そうか。良かったなロボ、カエルがイケメンでない限り、お前の命は保障してやらんでもない」
剣を収めた俺に安心したロボはどういう原理かそれともパブロフの犬なのか、また俺の腰に抱きつく。だからお前おかしくない? ジャ○アンに苛められたのび○がジャイ○ンに泣きつくようなもんだぜ?「ジャイアー○! また○ャイアンに苛められたよー!」って。弱すぎる、頭が。
ロボの頭を撫でて宥め、「え、じゃあこの人が?」と戦慄したような声を出すマールを一時無視して藁葺きのベッドに倒れこむ。腰の刀はサイドテーブルに乱暴に立てかけて、一緒に布団に入ろうとするロボは床に蹴落とした。デナトロ山に入って今まで徹夜だったんだ、そろそろ睡眠を取らないと倒れる、とまでは言わないが、十全に戦闘をこなせるとは思えない。
藁に包まる俺に尚も「ねえクロノ……」とマールが話しかけるので俺は隣のベッドを指差しお前も寝ろ、と示す。汗をかいたので水浴びをしたいところだが、そう贅沢は言えない。
一向に話を聞く気がない俺に根負けしてマールは静かにベッドに潜り込んだ。ベッドは二つしかないのでロボは床で静かに泣いている。機械の癖に床では不満なのか、生意気な。
結局、十分後に俺はロボにベッドを譲ってやったのだが。せつせつと泣くし、ロボの奴本当に悲しそうに嗚咽を漏らすもんだから俺の少ない罪悪感がいびられてたまらなかった。
ロボの体をベッドに置いて床に寝そべると、ロボが驚いた後「クロノさん、一緒に寝ませんか?」と聞いてきたのには発狂するかと思った。色々言いたいことはあるが、とりあえずはにかむな! 終いにゃ襲うぞテメエ!
ここ最近の願望というか、俺は実はロボが女だった、という展開を心待ちにしているのだが……止めよう、あまりに虚しい。
寝つきの良い二人と違い、下らない妄想をしていた俺は部屋に日の光が降ってくるまで意識を失うことはなかった。
「……おい、…ロノ、クロノ! 起きろ!」
ああ、母さん、朝飯? どうせその前にトイレ掃除でもしろって言うんだろ? 分かってるんだ、でも今日という今日ばかりは断固朝食優先の構えを取らせてもらう……
「トイレ掃除は良いとして、今はもう昼過ぎだ、朝食なんか用意してない」
朝飯も無いのに働けだって? はっ、面白くない冗談だなうんこババア。
「おいおい母親に向かって酷い言い草じゃないか、もう少し労わってやれ」
んん、世の中には尊敬すべき母と唾棄すべき母がいることを貴方で知ったよ、いいからカロリーを摂取させろ。
「自分で金を稼いだことも無い奴が大きな口を叩くな、母は大層悲しいぞ」
うるさいなあ、大体お前は母親じゃないだろう、水辺に生息する卵産型の分際で偉そうに……
「起きてるんじゃないか!」
右手を払って布団代わりの藁を飛ばすカエル。中途半端に乗ってもらって悪いが、俺の母さんはお前みたいに枯れた声じゃない。母さんはトルース町美声大会で優勝したことがあるんだ、間違えるわけが無い。母さんの歌う椎名○檎の曲なんか鳥肌ものなんだぜ?
目を擦りながら腹の減り具合で、七時間前後は寝ていたのだろうと予想する。時計という概念が無い中世では正確な時間は分からないので、あくまでおおよその見当だが。
「起きたなクロノ、じゃあ早速こっちに来い」
大きなあくびをしている中、カエルは万力のような握力で俺の手首を掴み部屋の中央に連れて行く。なんだよ、そういう強引なアプローチは嫌われるぜ?
もみくちゃに丸められた絨毯の近くまで移動させられて、カエルは俺の手を離す。顎で指した方向を見ると、まあ、部屋の中が荒れに荒れていた。
まず生活用具という生活用具はマールの手によって氷付けにされているか、ロボのロケットパンチによって拳大の穴が無数に空いている。壺や額縁のガラスといった割れ物は床で無残に粉々となっている。壁や天井は俺のサンダーによって大きな焼け跡が残り、食料は俺たちが食べ散らかした後そこらに投げ捨てていたので蟻がたかりだし悲惨なものとなっている。しまった、起きた後俺たちが食べる分は残しておくべきだった。
「さて、これはどういうことなんだ、まさかと思うが……お前たちがやったのか?」
「いや知らないな、王妃様が来たんじゃないか?」
「やっぱりそうか! いや、前にも似たように荒らされたことがあったんだが……いやな、置きメモに王妃様は自由に使ってくれていいと書いておいたんだ、そうかそうか、いやはや王妃様はお茶目だな! しかし短い間にこうも訪れてくるとは……くそ、なんで俺がいない時に限って……いや、これはある種の焦らし効果になるか、次に会う時はきっと飛び掛ってくるだろう!」
飛び蹴り的な意味でな、とは言わないでおく。
しかし、こいつは王妃様が実は世界の創造主だ、と言われてもやっぱりそうか! と言うんじゃなかろうか。久しぶりに会うのだが、こいつの変態性はなんら変わってはいないんだな。
今度王妃様と会う時のシミュレーションを俺という第三者がいる前で恥ずかしげも無く披露しているカエルの後ろ頭をはたいてこちらを向かせる。
「いつ俺がご自由にお殴りくださいと言った」
「黙れゲテモノ、理科室のカビたタワシみたいな肌色しやがって気持ち悪い。後俺と思考回路が似ているところがむかつくんだよ」
一悶着起こってから、人のベッドでよだれを滝の如く垂らしながら寝ているマールと、指を猫のように曲げて枕にしがみついているロボを起こしてカエルと対面させる。
奇天烈な生き物が好きなマールは好奇心を前に、カエルを見てきゃあきゃあと喜んだ。ロボはロボで人という種が別個の生物に変わることでアルクサスの定理を覆す……とか良く分からんことを寝起きながらに呟いていた。どっちも頭が悪い。
「ほお、あんたがリーネ王妃様に間違えられたという……確かに似ているな、素人なら区別ができんとしてもおかしくはない」
値踏みするようにマールの全身を観察するカエル。おいそこの性犯罪者予備軍、マールさんの口端がひくついてますよ? 折角さっきまで好印象だったのに。それから素人とか玄人とかあるのか? ああ、そういやリーネ王妃をムハムハしたいだかなんだかの会長なんだっけ、こいつ。
「ロボ……からくりらしいが、信じられんな……随分と技術の進んだものだというのは分かるが。それと、失礼だが性別を伺っても構わないか?」
「僕は当然の如く男ですよ! 未来では第二のシュワちゃんと言われていたんですよ!? その僕になんて失礼な質問を!」
いや、お前はネバーエンディングストーリーの主人公だ。もしくはターミネーター2の主人公。パッと見男とは思えない、見た目というか、オーラが。
挨拶を終えて軽く互いに今までどうしていたのか、という話をする。カエルは城を出た後何度かサンドリアやパレポリに出向き時々モンスターを狩ったりして剣の腕を鍛えていたそうだ。もしかしたら何度かニアミスしたかもしれないな。
俺たちが時空を超えて旅をしているという話を半信半疑ながら頷いてくれた。そこまではカエルも口を挟んだり時々笑顔になったりしていたのだが、ガルディアに魔王軍が侵攻してきたと話し出した辺りから暗い顔になっていった。
特に、勇者バッチとグランドリオンを見せてから一つも俺たちの話に口を出すことはなくなり、次第に無言の間が生まれることとなった。
「そうか……あのチビに会ったのか……しかし、もう魔王には手も足も出ない。魔王と戦うのに必要なグランドリオンはもう……それに、それを持つ資格は俺には無い」
空白の時間を動かしたのはカエルだった。なにやら事情のあるような事を呟くが、こっちとしてはそんな急にシリアスな顔をされても……と俺たち三人が顔を見合わせる。すると、カエルが凍った棚の一つを指差した。なんだ、解凍しろってのか?
魔法で作られた氷は日の光程度では中々解けず、時間の経過と共に少しは凍らされた面積が無くなってはいるが、人力で暖めるのは面倒だとロボと二人掛かりで棚ごと派手に壊す。後ろでカエルが「ちょっ!?」と叫んでいるが今の今まで真剣な顔をしていたのにコメディな事を口走るな、と思いながら無視した。
「これは……折れた剣、グランドリオンの一部か!」
壊れた棚から出てきたのは太く美しい剣先、今持っているグランドリオンの一部と合わせれば確かな剣として蘇るだろう形状。
ロボが拾い上げて、その切っ先から何までじっくりと凝視する。
「古代文字で何か書いてありますね、解析します!」
ビビイ、と機械の駆動音が鳴りロボの両目が赤く光り、剣先を照らしていく。こういう時になって初めてロボがアンドロイドだって気づけるんだよなあ……カエル、後ろで「目が、目がぁ!」と一々驚くなようるさいなあ、人型のロボットなんか見たこと無いんだろうから無理ないんだろうけど。
「ボ……ッ……シ……ュ。ボッシュと書かれています」
「ボッシュ? それってメディーナ村の? ど、どーゆー事クロノ?」
「いや、ただ単に同じ名前ってだけの話だろ」
俺の至極当然の発言に二人が空気読めてねえなあという呆れ顔を向ける。俺がおかしいのか、俺が悪いのか?
「グランドリオンを直せる者は、もうこの世にはいないのだ……」
カエルの独白は誰も聞いておらず、俺たち三人は「いや、空気読めとかそういうこと言い出す奴が一番読めてねえんだって!」と延々と言い争いをして、結果メディーナのボッシュに会えば分かるだろうという結論が出るまでカエルを存在ごと忘れていたという。
蛇足だが、気づけば無視されていたカエルがベッドの上で体育座りをしていたのはかなりキモかった。
結果から言えばおかしいのは俺だったようで、現代に戻ってボッシュに会いに行けば、ボッシュは俺たちの持つグランドリオンを見るなり驚いた顔で近づき「この剣はグランドリオン!? どこでこれを!」とむさい顔を近づけてきた。なんつーか、都合良いよなあ世の中。
マールがどうしてこの剣に貴方の名前が彫ってあるの? と疑問を口に出せば、「話せば長くなるから言わん。何より、お主らが聞きたいことはそんなことではなかろ?」と腹の立つ顔で問うてきたのでまあイライラした。何でちょっと上から目線なんだよ。
「これを復元することは可能なんですか?」
ロボの問いかけにボッシュは修復の仕方を教えてくれた。かいつまんで言うなら、遥か昔に存在した赤い石、ドリストーンというグランドリオンの原料があれば可能だという。万一入手することが出来れば自分がなおしてやろうとも。
どうせ手に入れることはできないだろうが、まあそれまで剣はお前たちが持っておけと余計な一言のせいでプッツンしたマールがもし持ってきたら無料で修復してもらうわよ! と啖呵を切った、というのはどうでもいいことかもしれない。
ただ、問題はその後。
「それは別にええが、もし持って来れなければどうするのじゃ?」
「そうね、もし一週間、いいえ、三日以内に持って来れなければクロノを好きにしていいわ!」
この会話がよろしくない。王家では民を勝手に約束の報酬として扱っていいと教育されているのだろうか? ルッカにテロ用の道具を借りる時が来たのだろうか。
「マール、お前の意思だけで俺を賞品にするな、あまりの身勝手さに興奮するわ」
「ええー?」
不満たらたらの表情で俺を見るマールは実に不細工だった。心の醜さが表に出ているかのように。
咄嗟の暴力衝動を抑えつつ、俺は右にいたロボを捕まえてボッシュに渡す。何々? とキョロキョロしているロボに笑いかけて、清々しく一言。
「じいさん、賞品はこいつで決まり。期限内にドリストーンを持ってこなければロボを好きにしていい」
「ほえええええ!? ななななんで僕がこのお爺さんに渡されるんですか!?」
当たり前だが驚いて言葉を噛みまくるロボに俺は満面の笑みで頭を撫でてやる。大丈夫、今時そういう倒錯した世界を経験しておくのは悪いことじゃないから。
マールが「ロボは駄目だよー!」と悲しげに訴えてくるが、ロボはってなんだよこんちくしょー。俺のヒエラルキーは限りなく底辺だと再認識出来た瞬間だった。
まあ、人間の男よりアンドロイドを好き勝手に弄れる方がええしのお、というボッシュの言葉により賭けは成立した。マールは膨れるしロボは泣き喚くがこれがきっと正しい選択だったと俺は理解する。理解させろ。
グロノざぁーん!! というロボの悲鳴をバックに俺とマールは時の最果てに向かうべくボッシュの家を離れた。ドナドナが聞こえてきそうな気分だな、悪くない。ロボの俺への懐き具合が尋常ではなかったのでこれは良い機会だったのかもな。ていうか、マールの奴ロボのことをあれだけ気に入ってたくせに自分が賞品になるとは全く言い出さなかったな、俺としてはロボよりもマールが離れるほうが良かったといえば良かったのだが。このアクージョめ。
もう慣れたと言いたげなゲートのある家の家主が冷たい視線を送るが、見ない振りをして時の最果てに旅立つ。さよならロボ、三日以内とか多分無理だけど、強く生きろよ……!
「それでロボを置いてきたの? マールもトンデモなことを言い出したものね……」
「違うよ、最初はクロノを置いていこうとしたの!」
「マール、いつから俺のことが嫌いになったのか聞いていい?」
時の最果てでルッカと再会した俺たちはグランドリオンの修復方法と馬鹿のせいでロボがパーティーを一時離脱することをルッカに告げた。それから後で聞いた話だが、マールが俺を置いていこうとしたのは自分やロボがあのお爺さんと二人きりになるのは可哀想でしょう? とのことだった。超ど級外道だった。
「しかし、遥か昔ねぇ……ねえお爺さん、光の柱から古代に行くことは可能なの?」
時の最果てに住む(住む?)爺さんは帽子のつばを指先でつまみ深く被りなおした後、数秒考え込んだ後、小さく口を開いた。
「ああ、確か行けた筈だよ……ドリストーン……そういえば、光の柱から行ける時代で取れた気もするな……」
ビンゴ! と指を鳴らして早速行きましょう! と急かすルッカ。俺とマールも頷き、立ち上がって光の柱まで駆けていく。正直ここから行けないのならロボとは永久にさようならとなってしまうので、九死に一生ってやつだ。
幾筋も立つ光の柱に手をかざしていき、その中でB.C.65000000年、原始、不思議山という場所に向かう柱を見つけた。……これだ!
「二人とも、この柱で間違いなさそうだ、行こうぜ!」
「ナイスよクロノ。早く行きましょ」
「遥か昔の世界かぁ、なんだかワクワクするね!」
想像も出来ない、まだ見ぬ世界に興奮して俺たちは勢い良く光の中に飛び込んだ。
ゲートに入ると、息苦しいほどのスピードで次元を越えているのが分かる。暗い空間に投げ込まれた俺たちは少し不安になり何も言わず三人とも手を繋ぎ離れることがないように強く力を込めた。
「……長いわね、遥か昔とは言ったけれど、どれくらい過去のことなのかしら? 中世よりも前の時代ってのは分かるんだけど……」
「光の柱から流れ込んだ知識では、B.C.65000000年って出たよな? 分かるかルッカ?」
「え? 碌に調べずに飛び込んだから分からなかったわ。ていうかB.C.65000000年!? 原始の世界ってこと!?」
「ああ、そういや原始とも出たな、場所は確か……不思議山だったか」
「何でもいいよ、それより早く着かないかな……こうもゲートの中に長くいると怖くなってきちゃったよ」
驚いているルッカを尻目にマールが肩を震わせていると、遠く先に光が見えて、俺たちの体が投げ出された。時空移動もこれで終わりか、今までとは比べ物にならない程の移動時間だったな。
「さあ、ここがっ!?」
俺が驚いたのも無理はないだろう。なんせ、ゲートから出た俺たちがいる場所は空中。これは空に浮かぶ島とかそんなラピュ○みたいな場所にいたという比喩ではなく、ほんとうに宙に投げ出されたのだ。
下を向いても地面が無い。つまり、重力の法則にしたがって、俺たちは、落ちていった。
「くくくクロノ! とにかく私の下敷きになりなさい!」
「ふざけろルッカ! 女は男に敷かれる側だ! というわけでお前が俺の下になれ!」
「うわ、クロノってば大胆……」
「エロい意味で言ったんじゃねえ! それなら俺は寧ろ上にいって頂きたい……とか行ってる場合じゃねえ!」
急な展開に慌てふためきながら、ルッカが下にファイアを放ち、それによって生まれた上昇気流で落下速度を落とすことに成功した。マールは近くの岸壁にアイスを使って落下を止めて難を避ける。問題は俺だ。サンダーをどう活用すれば助かるのか? 本気で役にたたねえな俺の能力!
「うわあああファイトォォォー! いっぱああつ!」
地面に激突する前にかろうじて岸壁から生えた木の枝を掴み落下を止める。掴んだ右手に落下と体重の付加がかかりびきっ、といやな音を立てるが脱臼は免れたようだ。後でマールに治療してもらえば治るだろう……
「クロノ! どかないでそこにいて!」
「え?」
比較的緩やかに落ちてきたルッカが俺に当たってそのままぽてくり落ちる。まあ、お約束だよね、俺がルッカの下敷きになるのは世界の理なんだろうね。
「良かった、私が怪我をせずにすんで」
「ねえねえルッカ、俺の右足に刺さった石が見えますか? お前が俺に向かって落ちてこなきゃ無傷だったかもしれない俺の足、真っ赤だよね」
俺の嫌味を無視して「マール、降りれるー?」と指を丸めて手を拡声器代わりに使いマールに呼びかけるルッカの行動は俺の殺害動機になるには申し分なかった。
マールは時間をかければ降りれるよ、と答えたので、俺の治療にはしばらくかかることが決定した。仕方なくルッカからポーションを貰い足の怪我と肩を癒す。そろそろパーティー全員の回復薬も底を尽いてきたな……
足の痛みが治まってきたので立ち上がり今自分がいる場所を確認する。
辺りは木々が無造作に生い茂り舗装などとは程遠い野道が広がっていた。遠くの太陽が森の緑と赤のグラデーションを作りモザイク模様を照らし出す。後ろの崖は二十メートル程の高さで、ゲートは頂上付近に作られていた。もう少し考えた場所に設置してくれないかね、全く。
道の至る所に子供くらいの大きさの石が転がり人間が近くにはいないことが分かる。緑の中から聞いたことが無い動物の鳴き声や、山を下る道からも人間ではない何かが走り回る音が聞こえる。
空を見ると大きな翼をもつモンスターが優雅に旋回していた。その大きさは鷲よりも二まわりは大きく、人が乗ることも出来そうな巨体だった。
「ここが原始か、現代や中世、未来とは全く違うな。今までとは全く勝手の違う冒険になりそうだ」
「まあ、未来はともかく中世はそう大きく現代と違った点は無かったからね、そもそもこの世界に人間がいるのかどうかすら怪しいわ」
ルッカもこの景色を見て似たような結論に達したようだ。現代との時代が千年単位の差ではないのだから、当然か。
しかし、人の手が全く掛かっていない場所というのは中々見えるものではないと、俺たちはマールが降りてくるまでぼー、と座り込んでいた。鳴き声がうるさいが、自然に囲まれた場所で落ち着くというのは悪くない。
目の前を緑のウロコを付けた黒い斑点を体に浮かばせている化け物が右往左往していても、落ち着いているのは悪いことじゃない。
「……クロノ、団体さんのお出ましみたいよ」
「言うなよルッカ。さっきのイベントで大分疲れたから気づかずにいたかったのに……」
現実逃避を推奨していたのだが、まあ大げさに足音を立ててモンスターが現れては仕方が無い。のたのたと立ち上がり剣を抜き払う……が、その数は計八匹。今まで俺たちのパーティーだけで向かい合う敵の数では一番の大人数だった。
「……多くね?」
「……多いわね、マールも今は戦闘に参加できないし」
「おおーいマール! そんな崖とっとと降りて来い! 戦闘なんだよ、二人じゃ厳しいんだよ!」
「も、もうちょっと待ってー!」
待てるものなら待っとるわい、と毒づいて、太陽に反射して白光を放つ剣を敵に向ける。崖を背にして挟み撃ちになることは避けられるが、単純計算で俺が四匹ルッカが四匹。分が悪すぎる。俺にしても一人に切りかかったところを側面から攻撃されれば終わり、ルッカも魔法詠唱の最中に攻撃されれば終わり、俺一人でルッカの詠唱時間を稼ぐのは厳しすぎる。
「八対二は酷いだろ……マールの野郎、さっさと戦闘に加われっつの!」
「……クロノ、どうでもいいことなんだけど、ちょっといいかしら?」
「なんだよルッカ、つまらんことならどつき倒すぞ」
「……あいつら、リーネ祭りに出てるうっちゃれダイナに似てない?」
「テンパッてるのは分かるが、もう少し建設的な発言を頼む」
焦ってるときでも冷静な顔でいられるのはルッカの長所でもあり短所でもある。一言で言うなら紛らわしい。
意味の無さ過ぎる会話をしていると、俺の近くにいたモンスター二匹が予備動作も無く飛び掛ってくる。剣を横薙ぎに払って遠ざけるが、追ってさらに一匹が後ろから突撃してくる。切った反動そのままに回し蹴りを放つが、俺の蹴りにビクともせず俺の腹に飛び込みの頭突きを当ててきた。
「ぐえ!」
「クロノ!?」
ルッカの方にも三体のモンスターが飛び掛っており、声を掛けるも援護は到底、といった様相だった。
追撃をさせないように後転して距離を空け、すぐさま右足を蹴りだして振り下ろし。油断していたモンスターの一体を両断すべく脳天に切りかかったのだが……
「か、硬え!」
両断どころか剣の刃が通ることすらなく、モンスターの頭に弾かれてしまった。デナトロ山のモンスターの比じゃねえぞ、何食ったらそんな頭になるんだよ!
よろついた体では反撃も出来ず、左右からの攻撃に俺は吹き飛ばされる。その後すぐにルッカが俺の近くに飛ばされて呻き声を出した。
……勝てない、か?
「ゲギャギャギャギャ!!」
モンスターたちの揃った笑い声を聞いて、もう一度立ち上がろうとした時、金色の風が俺たちの前を通り過ぎていった。
一つ風が吹く度に一体のモンスターがきりもみしながら飛ばされる。二つ風が通り過ぎれば二体のモンスターが地に伏せて、三度通り過ぎれば三体のモンスターの首があらぬ方向に曲がって絶命した。
自分の目がおかしくなったのかと目をごしごしと擦って再度目を凝らすと、俺とルッカを守るように一人の女が立っていた。
彼女はカールした長い金髪を膝裏まで伸ばし、腰巻のような服で下半身を隠し、豊満な胸を動物の毛皮で纏った、太陽に照らされたその姿は戦女神と呼称すべきものだった。
ちらりとこちらを伺った横顔は彫りの深い美しい造詣で、目は野生を秘めたままぎらぎらと輝き、すらりと伸びた睫毛は自信に溢れたもののように見えた。
「ウウウ……」
狼のように低く唸りながらモンスターを威嚇する。突然現れた女性に戸惑いながらも、残ったモンスター二匹は左右から同時に飛び掛り、爪を伸ばして彼女の喉と心臓目掛けて右手を突き出す。その速さは俺たちを相手取った時とは違い、風の如くと形容できるスピードだった。
ただ、彼女は戦女神。その速さは音を超えて後ろに位置取る。
相手の姿を視認出来なかったモンスターは一瞬呆けた後、彼女に頭を掴まれて互いの頭を叩きつけられた。俺の攻撃では傷もつかなかったモンスターたちの頭が割れて、派手に血を散らしながら沈む。
「凄い……」
戦いが終わり、ルッカの感嘆の呟きが俺に届く。凄いというしかない、彼女の動きはそんな陳腐なもので終わらせていいのか分からないが、それ以外に言葉が出ないのだ。
モンスターたちの屍の集まりに佇む光景は凄惨であるはずなのに、一枚の絵画を眺めているような、現実感の無い美しさを醸し出していた。
「ア……」
「「っ!」」
ようやく俺たちを見た彼女が、ゆっくりと口を開いて何かを言おうとしている。ただそれだけのことなのに、何故か俺もルッカも緊張して体が固まってしまった。
その様子を見た彼女は少し躊躇った素振りを見せた後、小さな声で話しかけた。
「あ、あたい、エ、エイラ……言う。お前たち……あの……」
「……ああ、俺はクロノ。で、こっちはルッカ、上の崖にへばりついてるのはマール」
俺が話しかけると可哀想になるくらい驚いて背筋を伸ばした後、手で顔を隠しながらもじもじと会話を続ける。
「その……クロたち、どっから来た?」
「あーっと、何て言えばいいんだろうな……」
「明日の明日の、ずーっと明日から来たのよ」
ルッカの言葉を咀嚼するようにじっくりと考えるが、目の前の女性……エイラというらしい、は悲しげに眉をひそめて申し訳なさそうな声をあげる。
「エイラ……あまり賢い、違う。ごめん……」
「いやいや! ちゃんと説明できないこっちが悪いから! 気にしなくていいから!」
「……うん……」
さっきの勇猛な戦いぶりと一転したおどおどした態度にこちらもしどろもどろになってしまう。どう接するべきか計りかねていると、エイラがパッと顔をあげた後、やっぱり顔を隠して聞き取りづらい声でボソボソと何かを伝えてくる。
「新しい人間、仲間なると良い、キーノなら、そう言う。だから、村、案内する……」
途切れ途切れに喋るため要領を得辛いが、恐らく自分の村に来ないか? という誘いだと思う。
村の場所を教えてくれるのは有難いのだが、その前に一つ聞いておくべきことがあるので先にその確認をしようと俺が口を開く。
「あのさ、ドリストーンって石を探してるんだけど、エイラ……さんの村にあるのかな?」
またもや驚いて縮こまるエイラに戸惑うが、辛抱強く質問に答えてくれるのを待つ。若干面倒くさいなあとは思うけれど、そこは恩人だからと我慢する。
「石、イオカの村にたくさんある……キーノ聞けば、分かるかもしれない……」
「あのさ、キーノって誰?」
今度は質問に答えることなく山道を降りていくエイラ。思わず「ええっ!?」と叫ぶとびゅんびゅん走るエイラが硬直して前のめりに転んでしまった。コントみたいだな。
「エ、エイラ……先、行く!」
脱兎のように走り出したエイラに呆然としながら俺とルッカは急いで追いかけることにする。ここにきてようやくマールも地面に降り立つことができたので、「待ってよー!」と言いながら走り出した。
ルッカと並行しながら走る俺は、ルッカに確認として質問を投げた。
「なあルッカ?」
「何よ、口を動かすより足を動かしなさい。エイラって人もう見えなくなっちゃったわよ?」
「エイラってさ……かなりの恥ずかしがりって事でいいのか?」
「……の割りには戦闘はワイルドだったけどね、そういう解釈で間違いじゃないと思うわ」
「そうか……パネエな、原始」
ある程度のドタバタは覚悟していたが、これは予想外だったな……
太陽の沈む方角に向けて走り続けながら、戦女神のようだと思っていたエイラの事を思い出す。
常人とは一線を画す動きと腕力を兼ね備えながら、対人の会話は満足に行えない気の弱い女性……アンバランスとはこのことだ、と体現するかのような在り方は、その、なんというか……
「うん、可愛いな、エイラ」
「……ああ? なんか言ったクロノ?」
「いや別に。……怖い顔するなよ、般若みたいになってるぞルッカ」
エイラとは短く無い付き合いになりそうだな、と独り言を呟いて、俺は蹴りだす足の力を上げた。太陽の光が目にしみるが、悪くない気分だ。