DQD 18話
目を開いた時視界に入ってきたのはトールの良く見知った司祭だった。
迷宮の入り口付近にある教会の司祭。
迷宮に行く前には必ず『お祈り』をしているため顔見知りだった。
周りを見渡せば見知らぬ部屋の簡易ベッドで寝ているのが分かったが、雰囲気から教会の奥の部屋だと想像できた。
「気づいたようですね。お身体は大丈夫ですか?」
そう言われてトールは自分の体を確認する。
初めに目がいったのは右手。そこには失ったはずの右手があった。
握ったり開いたりを繰り返し、そこに自分の右手があるのを何度も確認した。
上半身を起こし身体中を確認したが、傷は塞がり健康体の時と変わらなかった。
(助かったんだ)
トールは安堵のため息をついた。
外にさえ出れば何とか助かるとは思っていたが、まるで不安がなかったわけではない。入り口の門番も常にいるとは限らないだろうし、世の中何が起こるか分からない。
一抹の不安はあったが、実際は何事もなく予想通りに助けられたようだ。
「すいません。助かりました」
「かまいませんよ。これが私どもの使命でもあります。それで今回の治療代のことですが……」
司祭は言いにくそうに言葉を濁す。
聖職者として金銭の事を持ち出すのに抵抗があるのだろう。分からないでもない。
「あっ、はい、いくらぐらいですか」
トールとしても助けてもらってどうこう文句を言うつもりはない。
「そうですか、では1000Gになります」
「へっ?」
金額を聞いてトールも呆けた声を出してしまう。予想より随分と金額が多かったからだ。
「えーっと、確か『ベホマ』は一律20Gだと記憶してるんですが……」
「ああ、そういうことですか。今回は『ベホマ』ではなく『ザオラル』を使いましたから」
司祭の説明では『ベホマ』は確かにあらゆる傷を治すが、それはその場に部分がなくてはならず、例えば手を切られたなら切られた手がその場になければいけない。
では、ない場合はどうするか。
それが『ザオラル』や『ザオリク』といった再生系呪文となる。
例えばドラゴンなどの灼熱の息で身体の四肢が炭化しなくなってしまった場合などは、再生系呪文で文字通り腕や足などを再生することになる。
ただいつまででも再生できるわけではない。
使い手によって違うが、失ってから一週間前後を越えると再生呪文でも復元が難しいと思ったほうが良い。一年以上たってからでも再生したと言う事例はあるが、それは使い手が伝説に残るような人物であったからで参考にはしないほうがいいだろう。
ただどのような使い手でも死んでしまってはどうする事もできない。あくまでも魂が肉体に留まっていなければ効果がないのだ。
『ザオラル』と『ザオリク』の違いは失った部分の程度によって違ってくる。手や足の一本程度までなら『ザオラル』とそれ以上なら『ザオリク』となる。
これは使い手によって違ってくるため絶対とは言えない。あくまで目安だ。
それに再生呪文はあくまで失った部分を再生させるためのものであるから、大抵は『ホイミ』系の回復呪文と併用して体力の回復もする事になる。
つまり『ザオラル』、『ザオリク』はゲームのような蘇生呪文ではない。というより死人を蘇えさせるような呪文はこの世界にはないのだ。
とは言え、生と死を分ける境目は非常に曖昧だ。
例えば一刀で首を断ち切られたとしても、その瞬間に『ベホマ』や『ザオリク』等の再生系呪文を使えば治る場合もある。
『メガンテ』で身体が粉みじんになっても、その瞬間に『ザオリク』を使えばその場で肉片から再生していき、遂には元の姿にまで戻ったという事例もある。
だがこれは稀な例であることは言うまでもない。
ただこれらの例のように、どの状態までなら『ザオリク』で再生されるかはしっかりと分かってはいないのだ。
結局のところ死人を蘇えさせるのは、神の奇跡か『世界樹の葉』と言われるアイテムしかないのだ。
それでも再生系呪文の使い手は少なく、貴重である事に間違いはない。
この街の教会の司祭だからこそ回復呪文・再生呪文が常に使える者がいるのであって、地方の村の教会では他の街では再生系の呪文どころか『べホマ』の使い手がいない場合もある。
確かに『ベホマ』の20Gに比べると、『ザオラル』の1000Gは高すぎると思えるが、失った手が甦った事を考えるとこのぐらいの出費は安いと思える。
もし元の世界なら失った手が甦るなんて事はありえないはずだ。
義手をつけるぐらいだろう。
この事を考えると改めて魔法の凄さを思い知った。
「もし、手持ちがないようでしたら分割でもかまいませんよ。教会の仕事で補填する事もできますし……」
黙ったままのトールを支払いの事を悩んでいるとでも思ったのか、司祭はそんな事を言ってきた。
「あっ、いえ、ちゃんと払います」
そのくらいのGは十分にある。
『大きな小袋』の中の財布から1000Gを取り出して払う。
迷宮で探索を続ける限り、今回のような事がこれっきりと言うこともないだろう。
勿論なければないほうが良いが、それはあまりに楽観的すぎるだろう。
それならば印象は良くしておくべきだ。
金払いは良いと思わせていた方が良い。
こういう言い方はよくないかもしれないが、もし金のある者とない者が、同時に怪我をしたなら、助かるのは金のある者だろう。
これは決して間違っているとは、トールは思っていなかった。
「ありがとうございます。後、一応忠告しておきますが、何日か休まれた方が良いと思います。失った部分の再生と言うのは本来ありえない事を魔法の力で行ったものです。何処かに無理が出ていないか分かりません。まずは養生する事が一番だと思います。勿論どうするかはあなたの自由ですが治療した者として言わせていただきました。それでは神の加護があなたにありますように」
一礼をすると司祭はトールの元を離れて教会に戻っていった。
その司祭の背にトールはもう一度頭を下げた。
****
あの後トールは数日休んだ。
倦怠感があったからということもあるが、身体に異常を感じたのだ。再生したはずの右手に微かな違和感があった。
まるで痺れたような感覚。日常生活なら何の問題もないだろうが、迷宮探索、はっきり言えば戦闘行為には支障をきたすように思えた。
これが一時のものなのか、それともずっと続くものなのか、それを見極めるためにも休む事にしたのだ。
結果を言えばニ、三日後には右手の違和感はなくなっていた。このまま違和感が残ったらどうしようかと不安だったが、何事もなく良かった。
休みは基本的にゴロゴロしていた。
部屋に篭りきって以前のようにビアンカに心配をかけるのは本意ではないから、食事時には下の食堂にいったが、他の時は部屋で寝ているのが殆どだった。
ただ寝転びながらも考える事はたくさんあった。
このまま一人でやっていけるのかどうか。
あの時仲間がいればもう少し違った展開になったはずだ。
僧侶が一人いれば傷を気にせずに戦えただろうし、魔法使いがいれば全体攻撃をしてくれたかもしれない。戦士や武闘家でも共に戦えば背後などの死角をお互いに庇いながら戦えるだろう。
回復手段はもう少し何とかならないか。
トールの自身の回復は『ホイミ』か『やくそう』だが、近頃回復量が少なくなり始めてきた。『べホイミ』でも覚えられれば良いのだが、スキルアップでどの呪文がどのように覚えられるのかは本人には分からない。
後は覚える方法としては教会に所属すれば教えてもらえるかもしれないが、それは教会に縛られる事も意味している。そんな事はできないし、第一自力で習得する場合は才能も必要になってくる。自分に才能があるかどうかなんて賭けに等しいだろう。そんな無謀な事は出来ない。
アイテムでの回復手段でゲームでは『上やくそう』や『特やくそう』といった回復量が上がったアイテムがあるが、この世界の道具屋では売っていない。
いや、元のゲームからして錬金釜で調合するか、宝箱からでなければ入手出来なかったはずだ。
だがこの世界で錬金釜自体があるのかは分からない。とりあえずは保留にしておくべきだろう。
色々な事を考えたが、結局どうすれば良いのか答えは出なかった。
ただ考え込んでいる内に寝てしまっていた。
自分でもよくこれほど寝たと感心するほど眠った。
この数日は久しぶりに身体を休めた気がした。
****
身体をある程度休息させた後も、すぐには迷宮探索には戻らなかった。
まずは準備するものがあったからだ。
何といっても装備を再度整えなおさないといけない。剣は右手と共に失くしたし、防具も随分と壊れてしまった。
ただモンスターが強かった代わりに落とすお金も多くなったためGも貯まった。
瀕死に追い込まれたモンスターハウスもどきは、倒したモンスターの分の経験値は得たがGまで拾う余裕はなかったためそのままだ。
もったいない事をしたとも思うが、あの時Gに気を取られていたら死んでいただろう。もっともあの時点でGにまで気が回る余裕があれば死ぬ様な目にはあわないだろう。
とりあえずそれまでの分だけでも前回買った品よりは良いものが買えるだろう。
トールは街の武器屋に出かけた。
一口に武器屋といってもいろいろな店がある。
品物の値段は多少の誤差はあるが同じだと思っていい。ただ置く品物についてはその店々で特色を出してくる。
初心者を相手にしている店や、剣や槍の専門や、防具でも鎧や服の専門店がある。
今までトールは初心者相手の店で買い物をしていた。
初心者相手の店だけあって使いやすい物が置いてあったし、尚且つ値段も手ごろな物ばかりだった。
それにとりあえず装備を揃えるには十分な店だった。
だがある程度Gも貯まり、一端の冒険者を名乗っても恥ずかしくないレベルになった今、武器にもある程度のこだわりを持っても良い頃だと思ったのだ。
だがそう思っても買えない品物もある。
お金があるないの問題ではなく、この迷宮でどの程度探索を進めているかで売ってもらえる物が変わるのだ。
この街では迷宮の奥深くに潜る者こそ優遇される。
より深く潜り、より強いモンスターを倒す。それこそがこの街の冒険者の存在意義だ。
そして強力な武器防具はやはり数が少ない。魔法の付与がしてある武器防具は特に少ない。
そうだとすればより貢献している者にこそ売ろうというわけだ。
そうはいっても強い武器を手に入れる方法がないわけではない。
これはこの街だけの決まりで、他の場所では関係ないことだ。
だから例え浅い階層を探索する者でも他の街でなら強い武具を買うことは出来るだろうし、知り合いに深い階層を探索する者がいるのならその者に頼んで買ってもらう事も出来る。
このように抜け道はいくらでもあるが、一応の決まりがあるということだ。
もっとも強い武具は当然値段も高いため、余程の伝手がないかぎり結局初心者には手が出ないのだ。
だから以前までのトールにはあまり関係のあることではなかったが、今はもう違っていた。
とりあえずは剣の専門店に訪れる事にした。メインで扱う武器が剣である以上当然とも言える選択であった。
入った店でまずは冒険者カードの提示を求められた。
まずはこの店で買う資格があるかの検査のためだった。
店の中には様々な剣があったがそれらは全てカウンターの内側に飾られていた。
「初めての顔だね、剣を買いに来たのだろうけど全部は見せられないよ。いいかい?」
「はい、かまいません」
トールはある程度強くなった自覚はあるが、全てのものを見せてもらえるほどの強さを持っているとは思っていなかったため、店主の言葉は気にならなかった。
「どの程度の剣をご入用で、予算は?」
「出来れば1000以上3000以下で」
「分かりました。少しお待ちを」
それだけ言うと店主はカウンターの上に3本の剣を並べた。
「右から鉄のつるぎ、のこぎりがたな、鋼のつるぎですね」
鉄のつるぎ(攻+27)【1000G】、のこぎりがたな(攻+30)【1300G】、鋼のつるぎ(攻+35)【2100G】。
以前使っていた『鉄のつるぎ』はともかく、後の二本の剣はどういうものか見てみたかった。
まずは『のこぎりがたな』を手に取り鞘から剣を抜いて刃を見た瞬間だった。
ドクンッと大きく心臓が跳ね上がった気がした。
鼓動が早くなり、呼吸が荒くなり、眩暈もし、気持ちが悪くなった。ついには手に持った剣を床に落としてしまった。
「ちょっとお客さん、確かに剣だから乱暴に扱うのが前提だとしても、売り物なんだからもう少し大事に……」
文句を言おうとした店主だったがトールの顔色を見て言葉を止めた。あまりにも顔色が悪かった。血の気が引いて真っ青になっているのが一目で分かったからだ。
「……お客さん大丈夫かい。調子が悪いなら早めに休んだ方が良いですよ」
店主の深刻そうな声がトールの耳にも届く。それで自分が如何にひどい状態なのかトールにも理解できた。
「……そうですね。じゃあ今日は帰ります。すいません」
トールは心臓の辺りを押さえながらも何とかそう言うと、フラフラしながらも店から出た。
****
店を出て少したった今では、先ほどの体調不良が嘘のようになくなっていた。
何が起こったのか、トールには良く分からなかった。
ただ事実だけを述べるなら剣を持った瞬間、気分が悪くなったということだ。
嫌な考えがトールの脳裏を霞めた。
当たって欲しくないが、確かめずにいるわけにもいかなかった。
トールは人通りのない路地裏に入ると『大きな小袋』から銅のつるぎを取り出し、鞘から抜いてみる。流石に人の目があるところで剣を抜くわけにはいかなかったからだ。
抜いた瞬間、頭がグラグラし視界も歪む。身体の震えが止まらない。反射的に銅のつるぎを手放していた。
剣を持った手を見た瞬間、強烈な死の印象を受けたのだ。
PTSD、心的外傷後ストレス精神障害。トラウマといってもいいのかもしれない。
死ぬような目ならヒュンケルとの修練で何度も感じたが、あの時は死ぬとは欠片も思わなかった。ヒュンケルは怪我をさせるような攻撃ははするが、死なせるようなヘマはしないだろうと言う信頼もあった。
だが剣を持った右手ごと斬られたあの時は死を身近に感じた。
死を覚悟した。
幸い逃げる方法を思いついたため、何とか事なきを得たが、もし一歩でも間違っていれば今頃ここにはいなかったのだ。
身体の傷は治った。だが精神の、心の傷は未だ治っていなかったのだ。
震える身体を無理やり押さえつけて地面に落ちた銅のつるぎを拾い鞘の収めると、すぐに『大きな小袋』にしまう。
たったこれだけのことにひどく気を使った。
これでは剣を使った戦闘など無理だろう。いや、トラウマが剣に対してだけならまだ良い。
トールにしてみれば戦う事自体出来るかどうか怪しいと思った。
この世界に確固たる基盤のないトールにとって、金銭を得るには冒険者としてモンスターを倒す事で得るしかない。
今のトールにとって戦えないと言う事は、生活する事が出来なくなるということだ。
頭の痛くなる問題だった。
そもそも心の傷を治す方法などトールは知らない。
時間が解決してくれるのだろうか。それとも何らかの治す方法があるのだろうか。少なくともトールは知らない。
深くため息をつくしかなかった。
自分の身に起こった不運に愕然としながら、トールは街を歩いた。
命があっただけ儲けもの状態だったのだから、ここで運が良かったと思えれば良かったのだが、この時のトールにはそう思えなかった。
(何で自分がこんな目にあわなきゃいけないんだ)
何の目的もなく街をふらついているといつの間にか日も沈み、煌びやかな建物が見えていた。
いつの間にか見知らぬ場所にトールはいた。周りには酒場が建ち並んでいる。多分歓楽街に迷い込んでしまったのだろう。
特に何か深く考えたわけでもなく、まるで虫が焚き火に飛び込むかのようにトールはフラフラとその建物に向かった。
『CASINO』
建物に掲げられていた看板にはそう書かれていた。
(この世界にもカジノがあったのか)
トールは変なところに感心していた。
特に思うところがあったわけではない。ただこのまま落ち込んだままではどうしようもなくなる。ならば気晴らしの一つでもしようと思ったのだ。
トールはカジノの中へ入っていった。
――― ステータス ―――
トール おとこ
レベル:17
職:盗賊
HP:115
MP:50
ちから:45
すばやさ:41+10(+10%)
みのまもり:20
きようさ:50+20(+10%)
みりょく:30
こうげき魔力:21
かいふく魔力:26+5
うん:31
こうげき力:45
しゅび力:39
言語スキル:2(会話、読解、筆記)【熟練度:69】
盗賊スキル:3(索敵能力UP、常時すばやさ+10、ぬすむ、器用さ+20、リレミト)【熟練度:87】
剣スキル:5(剣装備時攻撃力+5、ドラゴン斬り、メタル斬り、剣装備時攻撃力+10、ミラクルソード)【熟練度:48】
ゆうきスキル:3(自動レベルアップ、ホイミ、デイン、トヘロス)【熟練度:41】
特殊技能:闘気法(オーラブレード、ためる)
経験値:19264
所持金:6748G
持ち物:やくそう(39個)、毒けし草(21個)、おもいでのすず(4個)、スライムゼリー(1個)、まんげつそう(2個)、せいすい(2個)
――― あとがき ―――
一般人が死にそうな目にあったらトラウマの一つにでもなると思う。
今回はそういうお話でした。
それでは、また会いましょう