「あ、あっちから新手のマンドリルが来ます! ひっ! こっちからはリザードフライの群れが!」
「くそっお! マイル、逃げるぞ!」
「ウオオォォォォッ! こんなところで死ねるかよっ!!」
「こ、こっちに来るなあ!」
「そう何度もやられるかよ。人間様をなめるなっ!」
「吹き飛べえっ!」
「マイル、そっちは任せた。俺はあのマンドリルをやる!」
「分かりました。油断しないで下さいよ」
「逃がすなよ、マイル」
「分かっていますって。これでトドメです!」
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頬を撫でる心地よいそよ吹く風。穏やかに流れる時間。
「こんなにのんびりと味わいながら食事をするのって、いつ以来でしょうね」
マイルがふと漏らした言葉に、思わず指折り数える。
「三ヶ月、か」
「ムーンブルクが陥ちて、もうそんなになるんですね」
全ての始まりであるムーンブルク滅亡から、早三月。
未だにムーンブルク王女の所在はようとして知れない。
「やはり、ムーンブルク陥落の際に……」
そもそも王女生存説の根拠など、あってないようなものなのだったのだ。
サマルトリアにムーンブルク陥落を告げた兵士が、いまわの際に遺した言葉だが、要するに「王が討たれのは見たが、王女が討たれたのは確認していない」というものだ。
ムーンペタに居座っている生き残りにしても、「王女が死んだなんてとても考えられない」という希望的観測にすぎない。
無事でいてほしいという思いは当然俺にもある。
だが、生存を伝える情報が一切ない以上、やはり敵の手に掛かったと判断せざるをえない。
「それに、生きていたとしても、おそらくは捕らわれの身に。それならば、いっそのこと……」
沈痛な面持ちでマイルが呟く。
ムーンブルクが滅んでしまった今、人質をとる意味も価値もない。そして、生かされたとしても、その理由は限られてくる。
「洗脳か生贄……」
ロトの血を引く王女。邪教にとっては恰好の餌食と言えるだろう。
死かそれよりも苦しい破滅が待っているのならば、マイルの言葉に頷くしかない。
一度だけ、子供の頃に会った王女。太陽のような笑顔をしていた、記憶の片隅にある少女を朧げに思い出す。
どこかに無事でいてくれ。神様にそう願うことしか、今の俺達にはできなかった。
支払いを済ませ、給仕から小包を受け取る。
「何ですか、それ?」
それを目敏く見付けたマイルに声を掛けられる。
「お裾分けだ」
「またですか」
やれやれと肩をすくめるマイルを背に、教会のある街の片隅へと足を向けた。
俺の接近に気付いたのか、裏路地に蹲っていた白い子犬が駆け寄ってくる。
「よっ、元気にしていたか? 今日のはご馳走だぞ」
子犬の傍に腰を下ろし、先程の料理屋で仕入れた上等の肉を包みから取り出す。
「いつもの安い鳥肉じゃなくて、上等の牛肉だぞ。味わって食べろ」
子犬は俺の顔をじっと見詰めると、やがてヒクヒクと鼻を鳴らし、肉に齧り付く。
そんな子犬を見る俺にマイルが後ろから呆れたように声を掛ける。
「本当に物好きですね。そんな野良犬に」
マイルの言う通りだ。教会の裏路地でこの子犬を見掛けて以来、何かにつけて餌をあげているのだから。
なぜそんなことをするのかと、マイルから何度か尋ねられたが、特にこれといった理由はない。強いて挙げるとすれば、この子犬が俺を恐れなかったことだろうか。
王宮にいた頃から、どういうわけか犬や猫とはどうも相性が悪く、吠えられこそすれ懐かれるということがなかったのだ。
「そう言いますけど、懐いていますか?」
確かに、今ここで無心に肉を頬張っているこの子犬は、餌もこうやって手渡しでなければ食べようとしない。芸もしないどころか、覚えようともしない。
以前にマイルが色々試していたが、「チンチン」をさせようとしたところで、手を酷く噛まれて以来、芸を仕込むことは諦めた。
そんなわがままな犬だが、俺達を見付けると、そのまま後ろについてくるのだ。まるで、自分も仲間だと言わんばかりに。
「可愛いところだってあるだろ、こいつ」
食事を終え、何か言いたげな瞳で俺達をジッと見詰める子犬の頭を撫でた。
いつもの俺達なら、これから魔物退治に出掛けるのだが、今日は違う。
「よお! 兄ちゃん達、久しぶりだな」
商品を磨いていた店主が、カウンター越しに身を乗り出す。
「兄ちゃん達、いろんなところで評判になってるぞ。いやあ、俺っちの目も捨てたもんじゃねえな」
そう笑みを浮かべ、武具屋の店主は煙草に火を点す。
「評判?」
「ああ、兄ちゃん達がここら辺のモンスターを退治してくれたお陰で、どれだけの商人が助かったことか。評議会の方でも、兄ちゃん達に感謝状を出すんじゃないかって噂だ。それにしても、街の有力者や大商人が、大金積んででも雇いたいって話がいくつもあるのによお。それを断って、無給で戦い続ける兄ちゃん達は、まるお伽話に出てくる『勇者』様だな」
腕を磨くため、金を稼ぐためにモンスターを片っ端から倒してきただけなのだが、まさかそんなことになっているとは夢にも思わなかった。
「で、今日は俺っちに何の用だ? 武器でも買いに来てくれたのか?」
「ああ、その通りだ」
金はあると言わんばかりに、ゴールドの詰まった革袋を取り出し、カウンターに置く。
この時のために、俺達は血反吐を吐き、泥に塗れ、モンスターとの戦いに明け暮れた。先程の食事は、その前祝いに過ぎない。
ゴンという重く響く音に、店主の口先が上がる。
「そうこなくっちゃ! さて、何がご所望かね、勇者様」
熟練工の手によって作られた装備は今まで身に付けていた貧弱な装備と違い、これならモンスターの牙や爪から身を守れるだろう。
鏡に映る自分の姿にそんな笑みを溢していると、新しい装備の使い心地を試していたマイルがポツリと乾いた笑いを漏らす。
「……これで、ようやく城の兵士と同じ程度ですね」
それを言ったらお終いだろ。
「さて、残るは俺の武器だけか」
壁には直剣、湾刀、大小様々な刀剣が飾られている。どれも、俺の腰にあるなまくらとは違い、モンスターの堅い鱗や厚い皮膚をも切り裂けそうだ。
だが、やはり以前に見た剣はそんな中でも群を抜いているように思えた。
そう店主に声を掛けようとしたところ、店主の声に遮られる。
「おっと、お前さんの武器はそこにはねえよ」
そう言って店主は店の奥から一振りの剣を持ってくると、訝しむ俺に手渡した。
「まあ、見てみな」
笑みを浮かべる店主から手渡された剣を鞘から抜き放つと、思わず言葉を失う。
「ヘヘッ、凄えだろ。そいつは名匠ブリューナクが鍛え上げた業物だ。魔法こそ掛かっていないが、そんじょそこらの魔法剣に切れ味じゃあ負けねえ。うちの店、秘蔵の品だ」
店主が言う通り、刀身は美しいまでに冴え渡り、潤いを湛えている。
「……確かに凄い名剣だ。だが、その分、値段も凄いんだろ。悪いが、俺達はこれを買えるほどの金を持っていない」
名残を惜しみながら鞘へと戻す。
「何、値段はそこにある鋼の剣と同じでいいさ。名匠ブリューナクの作と言っても、鋼の剣に変わりねえ」
「バカな! ブリューナクが打った剣なら、どんなに安くてもあの剣の倍の値段はするはず」
「いいってことよ。言っただろ。あんたらのお陰で商人や旅人がどれだけ助かったことか。その助かった商人の一人に俺っちの弟もいてね。値引きは対価だと思ってくれや。貸しを作ったままにしておくってのは苦手でね」
店主は旨そうに煙草をくゆらせる。
「それに、どんな名剣でも人に使われてこそってもんだ。兄ちゃんみてえな凄腕に使ってもらえるのなら、その剣だって本望だろうよ」