「これはアヴィン王子! よくぞ参った。儂の息子、マイルも既に旅立ち、今頃は『勇者の泉』のはずじゃ。是非とも、マイルの後を追い、仲間にしてやって欲しい」
残念ながら、一足違いだったようだ。
『使えない男』。
思わずそんなフレーズが頭を過ぎる。
それにしても、『勇者の泉』に向かったとは。
ロトの末裔たる者は、戦いに旅立つ前に、洞窟の奥深くにある聖なる泉の水でその身を清めるのが慣わしとされているのだが。
「また、面倒なことを」
自分勝手とは分かっているが、愚痴らずにはいられない。
何しろ『勇者の泉』のある洞窟は、大陸の最北東に位置している。
サマルトリア城からだと山岳地帯と砂漠を越えて行かなければならい。しかも、目的の泉は洞窟の奥深くにあると言われている。
そして、その洞窟も今では魔物の巣窟と化しており、訪れる者は誰もいない。
「だが、仕方ないか」
溢れそうになるサマルトリアの王子への愚痴を、グッと飲み込み、頭を切り換える。
先程の王の反応からも、この国における王子の重要性が見て取れる。今は、サマルトリア王子(の装備と所持金)だけが頼りなのだ。
もはや用のなくなったサマルトリア城を後にしようとした時、後ろから声を掛けられた。
「これは、アヴィン様。お久しぶりですわ」
振り向くと腰に手を当てた少女がこちらを睨んでいた。
「おお、これはこれは。お元気そうで何より」
「あら、わたくしのことを覚えていて下さったのね。嬉しいですわ」
このこまっしゃくれたお子様こそ、サマルトリア第一王女であるシャノン姫。御年十二歳。
俺が探し求めているマイル王子の妹である。
「てっきり『婚約者』の顔も見ずにお帰りになるのかと心配していましたのよ」
色っぽくしなを作って微笑みかけているつもりなのだろうか。
俺も男だ。女性から色目を使われれば、当然悪い気はしない。相手が幼女でなければの話だが。
「はて、『婚約者』はラエルのはずでは?」
口元に笑みを貼り付けつつ、ジリジリと王女から距離をとる。
祖父、つまり先王の御代にローレシアとサマルトリアとの間で、姻戚関係を結ぶ約束が取り交わされていた。
これは別段珍しいことではなく、ローレシア、サマルトリア、ムーンブルクの間では幾度か行われていることである。
それには政治的な目的はもちろん、ロトの血の濃さを保つという目的もそこには含まれていた。
当初は先王の長子の子供が『婚約者』と目されていたが、親子共に流行病で病死。
その後、父が繰り上がりで王となり、その子である俺が『婚約者』となるはずなのだが、弟の誕生でややこしくなってしまう。
サマルトリアとしては第一王女を嫁がせるのだから、当然ローレシア『王太子』が配偶者となるべきである。
しかし、ローレシアは未だ正式な王太子が定まっておらず、シャノン姫はローレシアに嫁ぐことが決まっているものの、相手が誰か分からないという異常事態となっていた。
もっとも、王妃や宰相らの働き掛けよって、ラエルがシャノン姫の『婚約者』であるという暗黙の了解が、双方の間で合致しているはずなのだが。
「あら、まだ正式には決まっておりませんわ。ですから、アヴィン様もわたくしの『婚約者』の候補であることには変わりませんわ。安心して下さいな」
「そ、それはどうも……」
本当は兄上様がいいんですけれども。
そんなつぶやきがどこからか聞こえたような気がするが、きっと空耳だろう。
「それに、アヴィン様は魔物討伐に行かれるのでしょ? それこそがアヴィン様こそが『王太子』、わたくしの『婚約者』に相応しいと、ローレシア王が思われている証拠ですわ。心配なさらずとも、まだチャンスはありますわよ」
「いや、単純に他に行ける者がいなかったってだけで……」
「兄上様も、ハーゴン討伐へ向かいました。アヴィン様、兄上様と共に武勲を挙げられることを祈っておりますわ。それと、兄上様とお会いになったら、くれぐれも御自愛下さるようにお伝え下さい。ああ、兄上様……」
頬を染めたシャノン姫は、うっとりとした目でどこか遠くを見詰め、溜息を溢す。
「ま、前向きに努力するよう善処するよ」
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「もしやサマルトリアの王子をお探しか? おお、それでは一足違い。王子はロトの血を引く仲間を求め、ローレシアの城に向かうと言っておりましたぞ」
こんなとこまで出向いて、空振りかよ…。
いったい俺は何をしているのだろう? 怒りを通り越して泣きたくなってきた。
ああ、駄目だ。感情が負のスパイラルへと陥っている。とりあえず、今はこの泉の水で頭を冷やそう。
爺さんが何か言っているが、何も頭に入ってこなかった。
やっとの思いで洞窟から出ると、まぶしい日の光が出迎える。
目を明るさに慣らすと、地図で確認する。
ここからローレシア城との間には、険しい山脈が横たわっており、真っ直ぐ南下することは不可能。
一先ず、リリザを目指し、そこで休息を取ってからローレシアへ戻ろう。
「……だけど、俺が着くまで、マイルはローレシア城に残っているのか?」
おそらく、ローレシアで「アヴィンはサマルトリアへ向かった」と伝えられるだろう。
そうなると、奴はサマルトリアに戻る。
そこで、サマルトリア王から、「お前を追って『勇者の泉』へ向かった」と言われるはず。
そして、あの爺さんから、「王子を探して、ローレシアへ向かわれた」と……。
目眩がする。
「ええい。予測不可能なことを考えても無駄だ。とりあえず、リリザへ行こう」
まずは疲れた体を癒すのが先だ。
リリザで疲れた体を癒し、それからローレシアへ向かう。
そこでマイルと会えればそれで良し。また一足違いなら、俺はリリザで待っていると伝言を残しておこう。
ローレシア→サマルトリア→勇者の泉→ローレシア……へのループは、奴に任せるよう。
俺が一ヶ所に留まっていれば、いつかは会えるだろう。
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「一晩6Gですが、お泊まりになりますか?」
「ああ、頼む」
俺は宿屋の店主に代金を支払うと、空腹を満たすため食堂に向かった。
テーブルに案内されると、椅子に体を預け、手足を放り出す。
この座り心地の悪いはずの木の椅子も、今は心地いい。干し肉以外の食事も久しぶりだ。ここまで届いて来る料理の匂いで、涎が止まらない。
まだかまだかと厨房の方へ目をやると、一人の男が視線に入った。
年の頃は、俺とそう変わらない。そして、どこかで見たことのあるような顔をしている。
「……だけど、別人だよな」
そう、別人に決まっている。『あいつ』がここにいるはずがない。何より、『あいつ』があんな格好をしているはずがない。
そんな俺の視線に気付いたのか、『あいつ』はこちらに向かって来るではないか。
まるで念願の捜しものを見付けたかのような笑みを浮かべて……。
ああ、神よ。精霊ルビスよ。勇者ロトよ。ああ、こうなったら誰でもいいです。どうか、向かってくるあの男が『あいつ』でありませんように。
「いやー、探しましたよ。アヴィン王子。さあ、力を合わせ、共に戦いましょう!」
ああ、マイル。お前にも積もる話はあるだろうが、まずは一つ聞かせてくれ。
何故お前は『棍棒』なんてものを持っているんだ?