一瞬足を止め、奥歯を噛み締める。「日本語か英語ドイツ語、話せる?」「申シ訳アリマセン。少シ時間ヲ頂イテ散歩ヲシテイマシタ」先ではアスカが司祭の外人と何とかコミュニケーションを取ろうと頑張るが、相手は日本語で返してきた。「…申し訳無いが、貴方はどこから入って来たんだ?」「私ハ、碇シンジニ用事アッテヤッテ参リマシタ。遠野家ノ使イデス」「……遠野家? 俺は聞いていないが」加持さんは流石に相手を不審に思い、アスカと綾波を背中に隠すようにして距離を取る。だが司祭は、袖から一枚のカードを取り出してそれを見せつけた。「コレハ、遠野家ノ方カラ預カリマシタ。ココニ入ルニハコレガ必要ダト言ワレテ」「……知得留=エレイシア。確かに遠野家の関係者だな」「ワカッテイタダケマシタカ?」司祭はさも安心したかのように胸を撫で下ろす。加持さん達も緊張が解けたかのように、脱力していた。そこへ、ザクザクと浜を歩いて僕が四人に近づく。―――位置的に、アイツが僕から一番近い。僕はポケットの中の物を確認しながら四人に歩み寄った。「あっ、シンジっ!」「………碇君」僕に気付いたアスカと綾波が僕に声をかけ、加持さんが顔をあげる。そして、司祭も僕に気付き、笑顔を向けて話し掛けてきた。「Apres un long temps la jambe, le fou meurtrier(お久しぶりですね、殺人鬼)」「あぁ…。本当に久し振りですね、王冠。いや、FourDemon・The・GreatBeast、ですか?」瞬間。周囲を殺気と、醜悪な魔獣の臭いが取り巻いた。「彼らはマイクロマシン、細菌サイズの使徒と考えられます。その個体が集まって群を作り、この短時間で知能回路の形成に至るまで爆発的な進化を遂げています。」「………進化、か」リツコの説明を受け、冬月が苦々しく呟く。「はい。彼らは常に自分自身を変化させ、いかなる状況にも対処するシステムを模索しています。」「まさに、生物の生きる為のシステムそのものだな。」二人のやり取りを聞き、ミサトが顔を上げ口を開いた。「自己の弱点を克服。進化を続ける目標に対して有効な手段は…?」「……使徒が常に進化を続けるなら、勝算はあるわ」ミサトからの問いかけに、リツコが少し考えてから答える。それに、ゲンドウが相槌を打つように口を開いた。「………進化の促進、か」ゲンドウからの答えにリツコは瞬間だけ眉を顰めるがすぐに元の調子に戻り答えた。「……はい」「進化の終着地点は自滅。死そのものだ」「ならば、進化をこちらで促進させてやれば良い訳だな」ゲンドウの言葉に、冬月が相槌を打つように答えるも、その顔は苦々しい。それに気付いてはいるが、無視するようにリツコは話した。「使徒が死の効率的な回避を考えれば、MAGIとの共生を選択するかも知れません」「でも、どうやって?」「目標がコンピュータそのものなら、カスパーを使徒に直結、逆ハックをしかけて、自滅促進プログラムを送り込むことが出来ます。ただ…」「同時に、使徒に対しても防壁を解放することにもなります。」マコトからの質問に、リツコが答えるも少し言い淀み、その後をマヤが引き継ぐ形で説明した。二人の説明を受け、冬月が確認するように問い掛ける。「カスパーが早いか、使徒が早いか。勝負という事か」「はい」「そのプログラム、間に合うんでしょうね。カスパーまで侵されたら終りよ」使徒との勝負と言い切ったリツコに、ミサトが確認する。それに、リツコは臆面も無く返事を返した。「約束は守るわ」「間に合いそうも無い場合、MAGIシステムの物理的消去を提案します」「作戦部の手は煩わせないわ。これは技術部が解決すべき問題よ」リツコの返事を聞くと同時にミサトがゲンドウへと進言する。それに対して、リツコが拒否の姿勢を取った。ミサトがリツコの言葉を聞き、眉を寄せ睨み付ける。「なぁに意地張ってんのよ!」睨み付けるミサトの言葉に、リツコは目を逸らせて返事をする。「……私のミスから始まった事なのよ」リツコの返事を聞き、ミサトは表情を和らげる。「貴女は昔っからそう…。一人で全部抱え込んで…。他人をあてにしないのね」「……貴女にも手伝って貰う事はあるわ」ミサトの言葉を受け、リツコはそれだけ返事を返すと会議をしていた部屋から去っていった。寒い。否、凍えそうなほどの冷気が、目の前を漂っている。その中心、空間が歪みそうなほどの殺気をぶつけ合う二人から離れ、加持はようやく背筋に纏わりついた、拭い切れない冷や汗に気がついた。「―――随分、らしくない事をなさっているようで」先ほどまでとは大違いの、流暢な日本語を喋る司祭。彼が一言、言葉を喋る度に、場の重力が重くなっていくような錯覚を覚えた。「君もね…。こんな所まで、僕に何の用だ? メレム・ソロモン」彼の放つ重力にも負けず、碇シンジは司祭を睨みつけた。シンジの右手は、ズボンのポケットに。何故か喉がカラカラで、加持は生唾をゴクリと飲み込んだ。尋常じゃない空気。それに理性が悲鳴を上げ、加持は背後に居た二人を担ぎ、なりふり構わず目の前の空気を発する二人から離れた。離れた、とは言うが。距離にしてみれば先ほどの位置から十mほど。それ以上は、震える身体に鞭を打つ事は出来なかった。触れただけで殺される。『死』というものに姿があるなら、加持にとって目の前の二人が今はそうであると断言出来る。――――獣の目が、加持を見やる。瞳孔が縦に裂けた、血よりも黒い、紅い目。離れているのに細部まで見えてしまう不思議な瞳に貫かれ、加持は呼吸というものを忘れた。「お友達が、脅えてしまってますよ」「……君の所為だろう。いいから要件を言ってください。これでも忙しいんです」加持から目を逸らし、シンジを見て笑顔を浮べたメレムに、不愉快そうに返事を返す。メレムの眼が自分から離れた途端、加持は身体中から厭な汗が噴出すのを感じた。「――――ぅっ」「―――っ」すぐ傍から聞こえた音に、目を向ける。自分が運んできた少女達が、自分と同じように地面に座り込み、荒い呼吸をしている。それだけ確認して、再び対峙する二人に視線を戻す。―――見ていなければ、いつ自分が殺されるか分らないから。「教会の仕事でね。君達が首を突っ込んでくれたNervの件を調べに来させられたんだよ」「だからシエルさんの非常勤IDなんて持ってるんですか」「別にこんなもの必要ないんだが。調べるのに必要だと彼女に言われてね」メレムはそう言うと、手にしていたカードを文字通り掻き消した。「それで…? 仕事はもう終わったんでしょ? なんでこんな所に居るんですか?」「いや、ここに居るのはプライベートでね。構わないだろう? シエルだってプライベート殺人貴の傍に居座っているんだから」そう言って、厭らしさを感じさせる笑みを浮かべる。「……それで、僕への用事は?」シンジはそう言いながら、ポケットの中にあるナイフを握り締め、身構える。メレムはその姿を見ながら笑顔をシンジに向けた。「何、大した用じゃないです。すぐ終わりますよ。ただ――」刹那「―――――君を処断しようと思っただけです」―――――黒い風によって、シンジの姿が消え去った。