麦藁帽にジーンズ、赤のロンTに白のポロシャツと完全にサルベージ専用服に着替えた僕は、上の計測室に向けて声を掛けた。
「んじゃ、さるべーじいきまーす」
僕の軽やかな美声でサルベージ実験はスタート、あ、はい、全然普通の声でしたね、ごめんなさい。
「サルベージ実験、開始します」
マヤさんのアナウンスが流れる中、僕は徐に剥き出しにされたコアへと手を伸ばす。
触れた瞬間、エレクトラと母さんの意識が流れ込んできて僕を誘導し始めた。
そのまま手をズブズブとコアの中へと突っ込んで行く。
その瞬間計測室でその光景を眺めていた一同がどよめいた。
まあこんな硬そうな物にずぶずぶ手突っ込んでたらそりゃ驚くよね。
一同の中にはもちろん父さんや冬月先生も含まれていて、きっと母さんが本当に帰ってくるのかってどきどきしている事だろう。
でも母さん父さんにかなり怒り心頭みたいだから、会わない方がいいと思うけどなぁ…
そして計測室ではマヤたんとミサトさんによるこんな会話も繰り広げられていたりした。
「何…あの服装…」
「分かりません…映画化するし、必要なものって言われたから用意したんですけど…」
「え!あれ経費なの!?」
はい、経費です。
肩まで手を突っ込んだ所で、エレクトラが声を上げる。
「これかな?え?違うの?もっと手前?」
言われた通りに探っていくと、何かに手がぶつかったのでそれを掴んで引っ張り出す。
「そいやっ!…何だ、違うじゃん」
長靴だった、外れ。
上でミサトさんが疑問の声を上げる。
「長靴…何で?」
それに対してリツコさんは眉を顰めてこう言った。
「これも不法投棄に入るのかしら」
「え?いや、ちょ…そう言う問題…何でもないわ…」
何かを諦めて口を噤むミサトさん。
ポイ捨てとかエコじゃないよね。
そのまま1分ほど言われた通りに探っていたら、僕の手が柔らかい何かを掴んだ。
「おぉ!?」
エレクトラの声の色が変わる。
これは…
「フィーッシュ!」
大当たりだ!
僕の一言に上がざわめく。
「かかったの!?」
「こいつは大物だぜ!」
リツコさんまで興奮して声を上げる中、ミサトさんだけは反応が違った。
「…釣り?」
やだな、サルベージですよ。
出来る限りの力で母さんを引っ張り上げる。
でもなんか凄く重い。
「おがぁっ!おっ…重い、でもジェントルな僕はあえてここで軽いと言っておく!」
僕肉体派じゃないからこういう重労働はちょっと…
そんな事を考えてたら、とうとうコアから母さんの手が出てきた。
正直もう放り出したい位疲れてたんだけど、これで顔が出た時に全然知らないおっさんとかだったら面白いよねって考えたら何だか和んだのでもうちょっと頑張る事にした。
やがて肘が出て、茶色がかった黒髪が見えて…
とうとう顔が出てきた。
間違いない、母さんだ。
「アパーム!網持ってこーい!」
「釣り?」
サルベージです。
ふと振り返れば、上の計測室に父さんや冬月先生の姿はなかった。
こっちへ走ってきてるんだろう。
僕は最後の力を振り絞って母さんを引っ張り上げる。
そして、とうとうコアの中から母さんを引っ張り出す事に成功した。
母さんは意識がないみたいだけど、ちゃんと息はしてるみたいだ。
思わずガッツポーズと共に声を上げる。
「デカルチャアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!」
計測室からも歓声が聞こえた。
そして、実験室の入り口からも。
「ユイ!」
よかったじゃん、父さん。
第三話 ハハキタク、スグカエレ その2
Side-リツコ
実験室に降りると、そこでは医療班がユイさんの状態を確認しており、司令と副司令はそれを黙って見ている。
周囲を見渡すと、私が心配していた当の本人は少し離れた所で暢気に床に体育座りをし、光景を眺めながらジュースを飲んでいた。
何となく傍によると、彼がこう呟く。
「160センチってとこか…大物だな」
「大物って、シンジ君…もっと何か無いの?」
10年ぶりに会う自分の母親なのだ。
いくらこの少年でも少し位ナーバスになるかもしれない、そう思っていたのだが余計な心配だったらしい。
そもそもあんなサルベージ方法…
前日に、どうやってサルベージするのかと聞いて「引っこ抜きます、手で」と言われた時は卒倒しそうになったのだが…
こちらの心境を他所に、シンジ君は暢気に言う。
「魚拓でも取りますか?女拓?」
「そういうプレイも有るらしいわね…と言うか自分の母親でしょう?感動とか無いのかしら?」
「特に無いですね、元々嫌いじゃないけど好きでもないって言うか…」
そしてシンジ君はぽりぽりと頭を掻くと、彼の人生を表しているかのような言葉を言った。
「居なかった人ってこんなもんですよ」
そう言ってシンジ君はハハハと笑っていた。
何故だか知らないが、この言葉を私は生涯忘れる事が出来なかった。
ユイさんが病室に移動して、暫くして目を覚ました。
それを聞いた私は、普通に帰宅しようとしていたシンジ君を捕まえると病室へ連行した。
シンジ君は「明日で良くないですか?」と本当に不思議そうな顔をしていたが、それはさすがにダメだ。
これを本気で言っているのだから笑える。
この少年は自分がどれだけ不幸なのか1ミリどころか1フェムトたりとも理解していないのだ。
病室に着くと、一足先に連絡をくれたマヤとミサトが待っていた。
ドアを開けると、シンジ君を放り込む。
そして、部屋を出…いや、この子は何を言い出すか分からない。
という訳で、折角の親子の対面に水を挿すようでアレだが、同席する事にした。
気になるのか、ちゃっかりマヤも同席していたりする。
ドタバタと入室した三人にポカンとしていたユイさんだったが、やがてシンジ君を見ると柔らかな笑顔を浮かべて言った。
「シンジ?」
その笑顔を見た瞬間、やはりシンジ君はユイさん似なのだと確信した。
父方に似なくて良かったわね…ゴホン。
そして、10年ぶりの親子対面で感動的な場面が生まれるものと一瞬だけ期待したのだが、シンジ君は格が違った。
「お久し振り~いぇ~い」
そう言ってシンジ君はユイさんに手を伸ばす。
イェーイはねえよ…
しかし、ユイさんは更に斜め上をいった。
「いぇ~い、ほんと久しぶりね~大きくなって…」
パチッといつ音が鳴り響いて、100点満点をあげてもいいハイタッチが完成する。
ただしそれは10年ぶりの再会という状況でなければの話だ。
全く状況についていけない…
マヤとミサトを見ると、既に悟りを開いたような顔でこの光景を眺めていた。
そう言えばこの二人はシンジ君の被害者ランキングぶっちぎりの一位二位なんだった…
私とは経験値が違う…
「そりゃそうだよ、母さんがエヴァに入ってからもう十年以上経ってるんだから、僕がクマだったら下手したら3メートルクラスだよ、大物だね!魚拓は取らないでね!」
「熊も魚拓っていうのかしらねえ?」
心底不思議そうな顔のユイさん。
…何だ?この会話。
この後もカオスな親子会話は続いた。
勉強とか頑張ってる?と聞けば、富国強兵をモットーに頑張ってる、と答え。
エヴァの中ってどうなの?と聞けば、岩盤浴かしら~?と答える。
私が想像していた修羅場なんて全く無かった。
と言うよりも、やはり母親が居なかったという事実を本人が全く問題としていないのだからそうなる筈も無いのだ。
少しイライラした。
そして話は続き、やがて面会時間の終わりが近づいてきた事に気付いた私はシンジ君に声を掛けた。
「時間もあるし、そろそろ帰りましょうか?」
「あ、はーい、じゃあね母さん」
シンジ君は席を立つと、荷物を纏めてそのまま帰ろうとする。
その時だった。
「あっ、シンちゃん…」
「ん?何?」
ユイさんが、その一言を発した。
「良かったら…一緒に暮らさない?」
心臓が止まるかと思った。
シンジ君のは何と答えるのだろうか。
本人の顔を見ようにも体が硬直して動かない。
しまった。
自覚してしまった。
まだ一月も経っていないのに、ここまで仮初めの家族という枠組みに私は囚われてしまっていたのだ。
視界がグルグルと回る。
何も考えられない。
過ぎ去る時間はまるで無限のようだった。
そして、唐突にシンジ君が口を開く。
「やだ」
硬直が解けた。
振り向いてシンジ君の顔を見ると、さも当然という感じの顔をしていた。
「大体今僕リツコさんちの子だし」
ったく…
思わず軽口が飛び出す。
「あら、私は構わないけど?」
「酷い…」
「ウソよ、ウソ」
嘘に決まっている。
こんな優良物件、まだまだ家に居てもらわないと困るのだ。
気分が良かった。
しかし。
少し残念そうな顔をしているユイさんを見て。
私が抱いていた苛立ちは限度を超えた。
「シンジ君…先に行っておいて?」
そう言ってシンジ君に車のキーを放り投げる。
シンジ君は暫し疑問符を浮かべて私を見ていたが、やがて荷物を掴むと言った。
「んじゃ車回しときま~す」
シンジ君が病室を出て行く。
その光景を黙って見ていたミサトがマヤに呟いた。
「ねえ、マヤちゃん…今の発言に何で誰もつっこまないのかしら?」
「え?葛城さんの仕事じゃなかったんですか?」
「…ネルフ辞めようかな」
少し同情した。
ユイさんが溜息混じりに口を開く。
「私シンジに嫌われてるのかしら…やっぱりそうよね、十年以上経ってるんだから…」
「そんな事はないと思いますが」
「本当に?」
「シンジ君は…そもそも誰かを嫌いになる事すら一生ないと思いますわ、自分を捨てた父親ですら凄く分かり易い悪役面で好きって言ってましたから」
確かにそう言っていた。
シンジがゲンドウにプレゼントを作る為に、整備班に頭を下げに行ったという事をリツコは知っている。
そのプレゼントの題名が『失敗した者には死を』だった事から、詳しい事を聞くのは止めておいたが。
整備班の部屋の中から落とし穴について熱弁するシンジの声が聞こえた事は忘れられない。
どうやら未だに父親の職業を少し勘違いしているようだ。
「捨てた?」
そうか、その辺りの事情はこの人は知らないんだった。
「その辺りは後でマヤに聞いて下さい」
そしてシンジ君がわざわざユイさんに言う訳もない。
「ただ…」
今までの会話で理解した事がある。
「どうでもいいとは思っているかもしれませんが」
シンジ君は母親が消えた事、父親に捨てられた事を気にしていないのではない。
彼の中では、全ては【過ぎた事】なのだ。
彼はヒーローやアニメに憧れを抱く少年ではない。
徹底的なリアリストという側面を持っている。
父が居ない、母が居ない。
だが盤面から零れ落ちた駒に悲しみを抱いていても生きてはいけない。
彼の中では持ち駒による戦闘スタイルが確立されている。
例え過去の駒が急に戻ってきたとしても、彼の10年間で確立された戦術にそう簡単に割り入ることは出来ないのだ。
「嫌い以下ね…それって」
またユイさんが悲しそうな顔を浮かべる。
苛立ちがつのる。
この人は分かっているのだろうか?
自分にそんな顔をする権利が無い事を。
いや、待て、落ち着け赤木リツコ。
この人だってエヴァの被害者なのだ。
10年間という空白の意味を突然理解できるわけが無い。
分かっている。
私はあまり自分に愛情を注いでくれなかった母と、今のシンジ君の状況を勝手に重ねているだけだ。
本人が望まないのに怒っている、完全なお節介。
分かっている。
でも。
「シンジ君が全く気にしていませんし、私も言える立場じゃないんですが…」
それでも。
「ちょっと、リツコ…」
空気を察したのか、ミサトが眉間に皺を寄せて口を挟む。
だが、止まらない。
女の口というものは、理性だけでは動いてくれないのだ。
「事情がどうであれ、十年放ったらかしにしておいて今更母親面なんて、反吐が出るわ」
言ってしまった。
ユイさんは呆気にとられたような顔をしている。
そんな事は考えもしなかったのだろう。
ミサトは手で顔を覆って「言っちゃった…」とでも言わんばかりの表情だ。
マヤは私と似たような事を考えていたのかもしれない、少しスッキリしたような顔をしていた。
それにしても、少し感情的になり過ぎた。
「言い過ぎました」
でも、絶対に謝らない。
ユイさんは悪くない。
でも私は納得する事は出来なかった。
病室を出て、思わず壁に背を預ける。
後から出てきたミサトが、溜息をつきながら私の肩を叩いて口を開く。
「ばーか」
少し笑った。
ミサトも少し笑って、背中越しに手を振りながら歩いていく。
病室の中から聞こえるマヤの声を聞きながら、私は無性にタバコが吸いたくなった。
あぁ…
今日はもう、仕事はいい。
早く家に帰ろう。
Side-冬月
とうとう…
とうとう来てしまった…
あぁああああああああああああああああああああああああああああああああああ!
入りたくねええええええええええええええええええええええええ!
目の前にはユイ君の病室のドアがあり、ノブに手をかけたゲンドウが深呼吸をしている。
おい、ゲンドウ。
お前…本当に分かっているのか?
確かにユイ君が帰ってきた事はめでたい。
おめでとう、私も嬉しいよ。
しかしな。
浮気の事は何故か知っているみたいだし、お前のシンジ君に対する仕打ちまでバレたらどうなるか分かっているのか?
あぁ、そうだ。
ユイ君の事だ、外に出たがるだろう。
戸籍も偽造しなければならないし、ユイ君の為に出来る事は沢山あるじゃないか。
そうだ、私は忙しい。
せめてそういった所でポイントを稼いでから面会を…
「よし」
そう言ってゲンドウがドアを開ける。
ちょ、ま…おい、まだ心の準備が…
人の気配に気付いたユイ君がこちらを向く。
変わっていない。
10年の時を閉ざされていた彼女の肉体は、あの頃のまま老化していない。
相変わらずの美人だ。
「ユイ…」
感極まったのか、ゲンドウが涙声で彼女を呼ぶ。
ユイ君は暫し呆然とゲンドウを見つめていたが、自分の夫だと気付いたらしい。
「あら」
仕方ない、こちらは10年の時を経て老化してしまっているのだから。
そして彼女は天使のような笑顔で微笑み、夫の名を…
「六分儀さんじゃありませんか」
呼ん…あれ?
六…分儀?
冷静に見てみると。
天使のような笑顔は、美しすぎて恐ろしささえ感じた。
「え…ちょ…」
狼狽したゲンドウが挙動不審になる。
それでもユイ君は微笑を絶やさずにゲンドウを見つめていた。
そしてゆっくりとベッドから立ち上がると、その笑顔を張り付かせたままゲンドウに近づいている。
私は驚愕した。
あ…ありのまま今起こった事を話そう。
『私は彼女の前で病室に入ったと思っていたら、いつの間にか出ていた』
な…何を言っているのか分からないと思うが、私も何が起こったのか分からなかった…
頭がどうにかなりそうだった…催眠術だとか超スピードだとか、そんなチャチなものでは断じてない。
もっと恐ろしいものの片鱗を味わった…
私の後退に気付いたゲンドウがこちらを振り向き、必死の形相で声を掛ける。
「せ、先生っ!」
そのゲンドウの襟を、ユイ君の手が掴んだ。
私は自然とノブに手を掛け…
「この年になると…」
こちらに手を伸ばすゲンドウを尻目に。
「トイレが近くていかんな」
その扉を、閉めた。
私は静かに歩き出す。
さて、仕事だ。
頑張るかな。
「ふユツきいいぃィィいイいぃっイィぃぃイいいィぃいイ!」
幻聴だ。
翌日、朝礼が行われた。
朝礼と言っても簡単なものだ。
発令所の司令席に立つと、全員が見つめる中、私は口を開く。
「えー六分儀ゲンドウ司令は事故による大怪我により、一週間ほど入院する事になった」
時が止まった。
葛城君が唖然とした表情で呟く。
「は?六分儀?碇じゃなくて?」
「碇?シンジ君の事かね?」
「は?いえ、だから碇司令の…」
「司令は六分儀だろう、何を言っているのかね?」
何を言ってるんだ葛城君は?
ちょっと分からないな…
「あ、はい」
空気を察したのか、葛城君は悟りを開いたような顔で答える。
さて、今日も仕事を始めるとしようか。
仕事最高だな。
Side-ゲンドウ
風が心地よい。
病室の窓から眺める景色。
ジオフロント内のものだが、なかなか良いものじゃないか。
そっと窓枠に手を掛けると、そのまま身を乗り出し、大空に体を…
「六分儀さん!やめてください!自殺なんてしても何も解決しませんよ!」
看護婦に阻まれた。
「違う!俺は碇ゲンドウだ!碇だぞおおおおおおおおおおおおおおお!」
やがて人が集まってきて、窓から引き剥がされると、そのままベッドに固定される。
「少し錯乱しているようですね、よっぽど恐ろしい目にあったんでしょう…」
うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!
「殺せよー!俺の事が嫌いなんだろー!神様よぉー!俺もお前が大っ嫌いだー!」
あとがき
ワーアノヒトッテユイノコトダッタノネー!
何かユイが不遇な扱いを受けてますが、全然アンチとかじゃないのでお気になさらず。
そしてこの更新ペース…
ユスケさん頑張ればできるんですね!
('A`)