「どうしてアタシの命令を無視したの?」
帰投後すぐに医療部に運ばれた私の、処置が一通り終わったあとだった。301病室に訪れた葛城一尉が、開口一番にそう言い放ったのは。
ベッドの上で、上半身を起こす。まだ麻酔が効いていて、痛みはない。
「…碇君より私のほうが、成功率が高いと考えました」
「それを判断するのはあなたじゃない。アタシの仕事よ」
「…申し訳ありません」
ココロの裡とは裏腹な、偽りの謝罪。
「あなたの作戦責任者はアタシでしょ」
「…はい」
ココロとカラダを別のものとして扱えることを、この身体になって知った。
使徒は、ココロとカラダが不可分だ。だから、ココロの力がそのままカラダの力になる。
コピーに過ぎないエヴァンゲリオンは、ココロの中身が空っぽだ。だから、与えられた姿のままに弄ばれる。
ヒトの姿をした使徒は、ココロをカラダに縛られる。だから息苦しくて、消滅を願う。
ヒトは、ココロとカラダがバラバラだ。だから、そのズレに悩むのだろう。
「あなたには、アタシの命令に従う義務があるの。解かるわね?」
「…はい」
そのズレの、最たるもの。ココロを偽ることができるということ。
「今後、こういうことの無いように」
「…はい」
私は、命令違反を犯したことを悪いことだとは思っていない。あれが最善だったと信じているから。
でも、葛城一尉の心証を悪くしたら、出撃そのものが難しくなるかもしれない。だから、謝罪してみせる。反省する振りをする。
「あんた、ホントに解かってんでしょうね?」
「…はい」
口を開くたびに、ココロがきしむ。この痛みに耐えられるのだから、確かにヒトは毅いのだろう。
「あんたねぇ、なんでも適当に、はいはい言ってりゃいいってもんじゃないわよ!」
そんなこと、できるわけない。言葉は、ヒトの力は、偽りを口にする私に、容赦がない。
…解かってます。と、最後まで言えなかった。急にのどが詰まったから。
「レイ…?」
…ぽと、ぽた…と
「…これが涙?」
葛城一尉が、一歩。こちらに歩み寄ってきた。
「私、泣いてるの? …なぜ、泣いてるの?」
したたり落ちる泪滴を手のひらに受け止めて、この目頭を絞る重圧の意味を探す。
「レイ、大丈夫?」
問題ありません。と言おうとしたのに、開いた口から洩れたのは、嗚咽だけ。
「レイ…」
背中の温もりに気付いて面を上げると、葛城一尉の顔が近い。いつの間にか、寄り添うようにベッドに腰かけていた。
「なにが、つらいの?」
つらい? …私が?
…いいえ、葛城一尉の言うとおり。私はつらいのだ。
なぜ葛城一尉は、私でさえ解からない私のココロが解かるのだろう。
「…葛ラぎ、ひ^チ尉」
「なぁに?」
その声音を、やさしいと表現することを、のちに知る。
「…ジっ分を^偽るの が、 …つらい です」
今の私はまがりなりにもヒトだから、そのことだけはロジック抜きに解かった。
「そう。話してごらんなさい。楽になるわよ」
…
私が、命令違反を犯したことを悪いことだとは思っていないこと。あれが最善だったと信じていること。必要なら、これからも命令違反を犯すことを辞さないこと。そのためにココロにもない言葉を口にしたこと。
たったそれだけを話すのに、1971回もの拍動を必要とした。何度もつかえて言い直し、自分のココロを表せる語彙を求めてさまよって。
話すことが尽きるのと同時に、涙も治まった。葛城一尉の言うとおり、楽になった。自分の問題を他人に知ってもらうことで、解決もしてないのに負担を軽減できる。
…これが、ヒト。
見やれば、葛城一尉の口から、洩れ出るような嘆息。
眉根をしかめて唸った葛城一尉が、爪をたてて頭を掻いた。がりがりと聞こえるその音もまた、葛城一尉の唸りなのだろうか。
…私が楽になったぶん、葛城一尉が、つらい?
私の視線に気付いた葛城一尉が、口元をほころばせる。
「あなたが心配することじゃないわ。話せって言ったの、アタシだものね」
それにしても…。と洩らした葛城一尉が天を仰ぐ。
「部下が言うこと聞いてくれないのは、作戦部長としてどうかしらねぇ…」
肺の中身を全て吐き出すような、長い嘆息。自嘲という言葉を、この時の私はまだ知らない。
「ねぇ、レイ。教えてくれる?」
首をかしげるようにして覗き込んでくる葛城一尉に、首をかしげて応える。
「あなたは何故、そうまでして戦うの?」
「…」
あのヒトのためだと、即答はできない。それがまた私のココロを軋ませるけれど、さっきとは違ってつらくはない。…なぜ?
「…」
世界を護ることがあのヒトの願いで、私に与えられた使命だった。それは動機以前の、言わば私の存在意義そのもので、口にしようがない。
「…」
私を見つめる、葛城一尉の目。
私は、このヒトのことを少しだけ憶えている。このヒトを乗せて、アラエルと対峙したことがあるから。アラエルが暴いたこのヒトのココロを、垣間見たことがあるから。泣き叫ぶこのヒトの願うままに、暴れたことがあるから。
当時の私は幼くて、そのココロをほとんど理解できなかったけれど。
ただ、とても複雑で、すごく悩んでいたことだけが印象に残っている。
「…戦えるから、戦えないヒトのために」
あの慟哭を思い出した途端、そんな言葉が口をついた。戦う機会を得ながら、それでも納得できなくて悩みつづけたこのヒトのココロが、私のココロにカタチを与えていたと知る。
それはまた、あのヒトの願いを、自分のココロで紡ぎなおしたのだと解かる。
「それは…、シンジ君も含むわけね?」
頷く。…それだけではないけれど、
「1人きりで戦って、怖くはないの?」
「…怖くは、」
この身体で目覚めたとき、ひとつだけリリスが注意してくれた。
― …綾波レイの肉体に代わりはあるけれど、あなたの代わりは無いわ ―
死んでしまえば、それまでなのだろう。それが生きることだと、あのヒトが呟いたのを憶えている。
死への恐怖というものは、まだ、よく解からない。
けれど、死ぬことで為せなくなる事があることは解かっている。…だから、
「…怖くないわけでは…ありません」
そう…。と呟いた葛城一尉が膝を支点に体を入れ替えて、向かい合うように座りなおした。感じていたぬくもりが急速に失われていくことを少し、残念に思う。
「それを聞いて安心したわ。命知らずなヤツは、味方を危険に晒すだけだもの」
肩をすくめた葛城一尉は、そのままベッドに両手を突くと、体を持ち上げるようにしてベッドから降りた。
「レイの考えはよく解かったわ。今度からは、そのへんも作戦行動に織り込んであげる。
だから、今後は命令違反なんてしないのよ」
返答に困る。必要なら、やはりするだろう。…かといって嘘はつきたくない。
「…努力します」
苦労して言葉を見つけたというのに、葛城一尉はなんだか目尻をひきつらせて詰め寄って来た。
「アンタってコは、ほんっっ!と~に可愛げが無いんだから」
伸ばされた右手が、私の頬をつまんだ。
「い・き・な・り・命令違反なんかしでかす前に!理由を言って相談しなさい!って言ってんの!」
「…いふぁい」
そうでしょうとも。と、まぶたを半ば下げた葛城一尉が、こっちは命令違反のぶん。と左手でも頬をつまむ。
「命令違反は最後の手段!解かった!?」
つままれた頬によって、強制的に面を上げさせられた。間近に、葛城一尉の目。
「…」
「解・かっ・た・か・し・ら!?」
さらに篭められた力に、頬が悲鳴を上げているよう。…とても、痛い。なのに、葛城一尉の目を見ていると、そのことを忘れそうになる。…どうして?
嘘はつきたくない。嘘はつきたくないのに、葛城一尉の目に抗えなかった。
「…ふぁい」
…覚悟していたココロの軋みが、なぜか訪れない。嘘をついたのに、なぜ?
よろしい。と手を放した葛城一尉は、なんだか少し満足げだった。
****
自分の身体のことは、自分が一番判る。
115万3628回目の拍動を数えて、退院を願い出に行った。
プラモデルじゃあるまいにポキポキポキポキと…。と不機嫌そうに呟いた整形外科の主治医は、それでも許可を出してくれる。
学校に行きたい。と希望すると、安静にするなら。という条件付きで許されたので、第3新東京市立第壱中学校に登校した。
「 いけいけいけいけーっ! 」
「 いけヒデコーっ! 」
少し残念だったのは、水泳の授業なのに見学しなければならないこと。
綾波レイの記憶にはあるけれど、私は泳いだことがない。その爽快感を身を以って味わってみたかったのだけれど。
「 させるかぁーっ! 」
「 ああー! 」
「 惜しい! 」
フェンス越しにグラウンドを見ると、男子生徒が大勢でボールを追いかけまわしている。それを取り囲むように座り込んだ男子生徒の中に、碇君の姿を見つけた。
「 次、決めてくぞーっ! 」
「 おー! 」
傍に座っていた鈴原トウジと相田ケンスケが、詰め寄っている。また殴る気だろうかと思って腰を浮かしかけたけれど、少々違うようだ。
「 綾波さん、どうしたの?」
振り返ると、水着姿の女のヒトが居た。このヒト知ってる。委員長。今朝登校してから、しばしば私のほうを見ていたヒト。
雫を滴らせた委員長は、ぺたんと音をたてて座り込むと、自分の膝を抱えた。
綾波レイの記憶に拠れば、進級したばかりの頃には何度かこうして話しかけてくれていたらしい。無視され続けて、諦めたものとばかり思っていたけれど。
「…碇君が」
委員長が、目を見開いた。
「綾波さん。初めて応えてくれたわね」
その言葉を手懸りに、このヒトの名前を探し当てる。洞木ヒカリ。最初の時に、自己紹介されていた。
「…ごめんなさい」
無視したのは私ではないけれど、そうしたいと、思った。ヒトはロジックじゃないから、それでいいはず。
「あっ!ううん。責めてるワケじゃないの。綾波さんが大変だったって知らなかったから、むしろわたしのほうが謝りたいくらいで…」
「…大変?」
あっ!うん…。と口篭もった洞木ヒカリが、視線を落とす。
「綾波さんも、あのロボットのパイロットだって、聞いたから…」
ちらりと一瞬だけ寄せられた視線は、おそらく右腕のギプス。
「…そう」
なんて応えればいいのか、判らない。ヒトと知り合うことはココロを形作ることだから、できるだけ応じたいと思うのに。
「だからね、その… お礼を言いたいって思ってて…」
「…お礼?」
うん。と呟いた洞木ヒカリが、面を上げた。
「ありがとう、綾波さん」
「…どういたしまして」
それは、かつて私が初めて口にした意味ある言葉だったから、反射的に口から滑りでた。なぜ、お礼を言われたのか、理解する間もなく。
少し呆然とした様子の洞木ヒカリは、10回ほどの拍動を経て、にっこりと微笑んだ。
その笑顔を見てると、なんだか胸の裡が温かくなってくる。嬉しい、という感情。ヒトの気持ちが、他のヒトの気持ちを作り出す。伝播する。
…これが、ヒト。
「わたしなんかで力になれるとは思わないけど、なにかあったら相談してね」
「…ありがとう」
笑顔が嬉しかったから、笑顔で返した。
「うん…」
なのに、洞木ヒカリは顔を赫らめるばかりで視線を逸らしてしまう。私の笑顔では、ヒトを笑顔に出来ないと知る。…少し、悲しい。
「あっ!そう云えば、碇君がどうこうって…どうしたの?」
洞木ヒカリの声音が、微妙に高い。私の笑顔には、そういう効果がある? …解からない。
視線をグラウンドに向けると、碇君は鈴原トウジや相田ケンスケと会話している様子。
「…ひゃ」
120万9553回前と言いかけて、口篭もる。とても単純な計時方法なのに、なぜかヒトには通じない。
「…13日前に、鈴原君が碇君を殴っていたから、また殴るのかと思って」
「えぇ!どうして!?」
「…第一次直上会戦でエヴァンゲリオンに乗っていたのが、碇君だと思っていたみたいだから」
ぎしぎしとフェンスの鳴る音に視線を戻したら、洞木ヒカリが鷲掴みにしていた。
「す~ず~は~ら~」
いつの間に体勢を入れ替えたのだろう? フェンスを押し倒しかねない勢いだ。
「わかったわ、綾波さん!」
唐突にこちらを向いた洞木ヒカリが、私の左手を取って両手で包んだ。
「鈴原にそんな真似、絶対させないから!」
「…あっありがとう」
詰め寄ってくるので、仰け反ってしまった。
なぜ、洞木ヒカリはこんなにも勢い込んでくるのだろう。…解からない。
つづく