当作品は私の前作「シンジのシンジによるシンジのための補完」シリーズの後日譚にあたります。ネタバレ等もありますので是非、お先にそちらをお読み下さい。
さて、この作品は自サイトでひっそり公開していました。それは、この作品が娯楽作品として人様に見せるほどではないと判断したからです(もちろん、従来作品が娯楽として必要充分である。と言うわけではありません)
私の作品は往々にして思考実験から生まれますが、その結果、書いた本人しか愉しめない作品になってしまうことが多々あります。(と言いますか、そもそもこのシリーズは出オチ成分が過多であるため、続けば続くほど面白みが減っていくんですね)
そんな作品ですが、続編ということもあり、前作までを気に入って頂けた方であれば、少しは愉しめるかも知れません。
そこで、シリーズ作品のArcadia様への投稿にあたり、公開することにしました。
Dragonfly 2008年度作品
2006年7月10日に投稿を開始した【シンジのシンジによるシンジのための補完】をはじめシリーズ4巻を書籍化しました。
A4サイズで大変分厚く、お値段も凄いことになっていますが、もしお求めくださるのであれば、私のTwitterを覗いて見てくださいませ。(@dragonfly_lynce)
宜しくお願い申し上げます。m(_ _)m
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初号機の初号機による初号機のための補完 プロローグ
ストレッチャーに載せられてアンビリカルブリッジまで運ばれると、学生服を着た成長途上の男のヒトが立っていた。
このヒト知ってる。碇シンジ。この世界の、碇シンジ。
意図しないのに、勝手に口元が綻びそうになる。これは、うれしいと云う感情。
ブリッジの反対側のたもとまで運ばれて放置されたから、ストレッチャーを降りた。
この身体は、心臓の拍動にして196万5643回ほど前に行なわれた零号機機動実験の失敗で重傷を負っている。傷ついた右の角膜の回復はともかく、右尺骨と右第七肋骨から第九肋骨の開放性骨折が癒合するまでには、あと271万5439回ほどの拍動が必要だろう。
しかし、私にとって痛みを無視することなど造作もない。それがあのヒトのためならば、なおのこと。
ブリッジの真ん中でうなだれるあのヒトのもとへ踏み出そうとした途端に、ケィジがひどく揺れた。私の制御下にあるこの身体は、この程度で倒れたりはしない。肋骨の骨折があと1本少なかったら、尻餅をついたあのヒトを抱え起こしに行けたのだけど。
振り回される照明器具の過重に耐え切れず、ワイヤーが音を立てて千切れる。
「危ないっ!」
「うわぁっ!」
警告の声に上を見たあのヒトが、両腕をかかげて頭部をかばう。
落下してくる照明器具。あの勢いでぶつかれば、ヒトの肉体などひとたまりもないだろう。
LCLを断ち割って跳ね上がる、巨大な手。弾き飛ばされた照明器具がケィジの各所にぶつかって、盛大な音と破片を撒き散らす。
そうなると知っていて、なのに胸の底が冷えた。…これが、心配という情動?
…
身構えてた両腕の隙間を、少し開いて。あのヒトが様子を窺っている。
『 エヴァが動いた!どういうことだ!? 』
『 右腕の拘束具を、引きちぎっています! 』
「まさか、ありえないわ!エントリープラグも挿入していないのよ。動くはずないわ!」
ブリッジの反対側のたもとで叫んでいるのは、頭髪が金色の女のヒト。このヒト知ってる。赤木博士。ときおり、ひどく冷たい目でこの身体を見るヒト。
「インターフェースもなしに反応している。と云うより、護ったの? 彼を。 …いける」
背後で呟いたのは、きっと赤いジャケットの女のヒト。このヒト知ってる。葛城一尉。
でも、その言葉どおりにはさせたくなかったから、尻餅をついたままのあのヒトに歩み寄った。傷に障らぬよう、慎重に。
…
このヒトはうつむいて、私を見てくれない。あの優しい眼差しで見て、欲しかったのだけど。
この世界のこのヒトは、まだ弱いのだ。だから仕方ない。
「…はじめまして」
この世界に来て学んだ、初めて会ったときの言葉。邂逅の言葉。知識として記憶の中にはあったけれど、使ってくれたのは葛城一尉。使うように強要したのも、葛城一尉。
見上げてくる視線は弱々しくて、胸が締め付けられるよう。
あのヒトとの思い出が、似て非なるこのヒトの存在を楔にして分断されていく。…これが、切ないという感情だろうか? 文字通り、ココロを切られているようだ。
環境に左右されて揺らぐ精神状態の変遷はどれも新鮮で、私が今はヒトであることを教えてくれる。ココロというモノを実感させてくれる。
けれど、思いどおりにならないココロは、私を引き摺り回して放さない。…これが、不安という情動?
わななきを乗せて開かれたその口が、私を戒めから解き放つ。期待が不安を打ち払ったのだと知る。
注視する中、何度も言葉をなそうとしたその口は、しかし、何も紡がずに閉ざされてしまった。
胸郭の内側が虚無になった感覚。途端に襲いかかってきた喪失感に、私のココロがこのヒトの挙動に左右されていると悟らされる。
ならば、と思う。このヒトの笑顔は、私に何をもたらすだろうか、と。
このヒトの笑顔を見たい。だけど、自分のココロに振り回される私は、ヒトのココロを動かす術を知らない。
だから。せめて、このヒトをこの状況から引き離そうと決めた。
「…心配いらないわ。貴方は、私が守るもの」
振り返り、赤いジャケットの女のヒトに視線を移す。
「…葛城一尉。このヒトを安全なところにお願いします」
「レイ。大丈夫なの?」
「…問題ありません」
すぐに戻した視界の中ではもう、このヒトの視線が私に向いていなかった。うつむき、床を見ている。
……悲しい。
そう、悲しかった。
これが「悲しい」と云うことだと、判ってしまった。
得たいと願った思いが、叶えられずに凝って沈む。この重みが。
自身の無力さを知って、消え去りたくなる。この弱さが。
進んでいく状況に身を委ねるしかない。この切なさが。
悲しい。
護ってあげれば、代わりに戦ってあげれば、このヒトの笑顔を得られるかもしれないと思っていた。…でも、それではダメだったのだ。
けれど、今はそれしかしてあげられることがないから。
「…行きます」
…私がヒトのココロというものを理解できるようになるのは、いつのことになるのだろうか。
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