「予備のチャイルドが着任するんですか?」 ちょうどその報告があったときに、ミサトさんが加持さんを伴って訪問してきたのだ。 「ええ。前回に弐号機が出撃しなかったことを、ゼーレが問題視してきたの」 もちろん、態のいい口実に過ぎないだろう。 「渚カヲル。…いわば、セカンドチルドレンと言ったところですか」 名前と生年月日以外なにも記されていないプロフィールから目を上げて、加持さん。 「委員会が直で送ってきた子供よ。必ず何かあるわ」 まさか使徒だとは言えず。そうでしょうね。と頷いてみせる。 プリントアウトを机において、加持さんが探るような目つきで見上げてきた。 「私が調べましょうか?」 かぶりを振る。今になって掴めるような情報はたかが知れてるし、そもそも間に合わない。 第一、冬月副司令の拉致事件を未然に防いだことで失わずに済んだのであろう加持さんの命を、いまさら粗末にさせる気もなかった。 「それには及びません」 そもそも。と指を組んだ。 「二人一緒にここに来たのは、よい報せを持って来てくれたのではないのですか?」 わざとらしく目に宿していた光を沈め、加持さんがくしゃりとにやけ面になる。 この人のこの表情が、てれ隠しでもあると判るようになったのは最近のことだ。 「ええ、スパイ稼業を辞めようと思いましてね」 かつて、自らが葛城ミサトであった時代には、彼の身の安全を確保するので手一杯だった。 それはつまり、自分が偽者に過ぎなかったからだろう。 「後学のために、どうやって口説き落としたのか教えていただける?」 嬉しくてつい微笑んでしまったのを、ミサトさんは誤解したようだ。頬を赫らめて、俯いてしまった。 アタシは何も…。と口篭もる姿を見やる、加持さんの目元が優しい。 「もう、葛城を泣かしたくないもんで」 ミサトさんが加持さんに肘鉄を喰らわせるが、効いてないご様子。 本物のミサトさんが本気で求めたから、加持さんも応えたのではないだろうか? 「それで、ご褒美は何が戴けるんで?」 一応の牽制に、睨みつける。 「それが目当てで、彼女を出汁にしてるんじゃないでしょうね?」 「やっ、心外だなぁ」 覗き込むが、加持さんの瞳からは何も読み取れなかった。 もっとも、この期におよんで秘密にすべき事柄なんて、そう多くはないのだけれど。 「すこし、話が長くなりますから、コーヒーでも淹れましょう」 … この二人に、…いや、加持さんに話してあげるなら、やはりセカンドインパクトから話すべきだろう。 それがすべての始まりと云うこともあるが、加持さんの動機もそこにあるように感じるのだ。 かつて、同じように考えていたことがあった。加持さんが執拗に真実を求めるのは、ミサトさんと同様にセカンドインパクトに端を発しているのではないかと。…だが、その時点で手に入る資料からでは、推測すら覚束なかった憶えがある。 一度はお蔵入りにしたその考えが再び陽の目を見たのは、トリプルスパイとして引き込むためにリストアップされた、加持さんの身上調書を読んだときだった。 まず気になったのは、加持という家の名だった。セカンドインパクトからの復興期に、子供を大学まで進学させるのは並の資産家では難しい。子供を食べていかせることすら難しくて、戦自少年兵に里子に出すのが珍しくないご時世だったのだ。それなりのコネやリツコさんクラスの頭脳があれば別だが、前者は少なからず資産と結びつくものだし、奨学生や推薦といった枠を狙うようなタイプでもない。 念のためゲンドウさんに確認してもらったが、葛城調査隊およびセカンドインパクトに至るような関係者に加持家と縁のある人は居なかったそうだ。 つまり、加持さんはセカンドインパクトに直接の関係を持たず、復興期に辛酸を嘗めたわけでもないだろうに、真実を求めてトリプルスパイになったということになる。ましてや、そのために命すら投げ出したのだ。…その生い立ちと人物像が、どうにも結びつかない。 次に気になったのが、戸籍の再登録の時期だった。 セカンドインパクトを生き延びた多くの人と同様に、加持さんもまたそれ以前の公的記録がない。戸籍や住民登録のほとんどは海の底で、酷いのになるとN2爆弾の餌食になっただろう。住基ネットが実現していれば、多少は保全できたのだろうか? …それはさておき。 戸籍の再整備事業そのものが遅れに遅れたというのに、再登録が始まって半年もしてから加持家の登録が行われているのだ。有力な資産家としては、かなり遅い。 これは穿ちすぎかもしれないが、セカンドインパクト以前に、加持リョウジと言う人物は存在しなかったのではないだろうか? あるいは、目の前に座っているこの人とは別人だったとか? もちろん、なんの証拠もない。私の推測に過ぎないのだ。ただ、学生時代前後の加持さんの不自然すぎる経歴が、あらかじめ仕組まれていたのではないかという思いが、拭いきれなかった。 … 「西暦2000年9月13日。南極でS2機関の実験が失敗しました」 それにより南極大陸は消滅。周囲は放射能汚染が激しいために封鎖された。 これが、知る人ぞ知るセカンドインパクトの真実だ。…ただし、表の顔の。 「実際には、第1使徒アダムを封殺するための、神殺しの儀式でした」 人類は、南極で神様を拾った。喜び勇んで目覚めさせようとした矢先、それが自分たちの神様ではないことに気付いた。 自分たちの神は、リリスだったのだ。 リリス? と首を傾げるミサトさんに、後で。と身振りで。 慌てて再び眠りにつかせようとしたが、遅かった。 そのままアダムが目覚めてしまえば、人類は抹殺されるだろう。群のリーダーになった雄ライオンが、前のリーダーの子供を殺すように。 あくまでもS2機関の臨床を採ろうとする科学者たちをスケープゴートに、アダムは暴走させられ、エネルギーを使い果たした。 無駄なエネルギーは地球の地軸をずらすことに浪費され、アダムによるインパクトはその規模を南極周辺に抑えられたのだ。今は、近づく者を原始のスープに還元する死の海へと化しているらしい。 たとえ放っておいたとしてもやがてアダムは目覚めただろうから、セカンドインパクトを人為的に起こしたことそのものは止むを得ないと云えるだろう。 いいですか? と、加持さん。 「なぜ、スケープゴートが必要だったんでしょうかね?」 その質問は、ミサトさんがしてくるものだと思っていた。だが、言いかかって口篭もったミサトさんを置き去りにするように、加持さんの言葉にはよどみがない。 やはり、加持さんは… 「言い方が悪かったですね。別に、生贄にするために葛城調査隊が組まれたわけではないのですよ」 アダムの存在に気付いたゼーレは、できれば自分たちの息がかかった人間だけで調査隊を編成したかっただろう。だが、当時のゼーレにそこまでの力はない。 主要国が牽制しあった結果、純粋に学術的見地から組織された葛城調査隊は、即物的な側面からアダムにアプローチを行なった。つまり、単なるS2機関のサンプルとしてだ。 「学術調査にまぎれてアダムの覚醒を促す手順を踏むのはなかなか骨だった。と、ゲンドウさんが言ってましたわ」 だが、事態は急変した。アダムを目覚めさせれば、人類が抹殺されるだろうことが判ったのだ。もちろんゼーレは儀式を中止した。しかし、S2機関を始動させては、遅かれ早かれアダムは目覚める。しかも、寝起きは最悪だろう。 ゼーレは委員会に圧力をかけようとしたし、ゲンドウさんも葛城教授に談判したそうだ。…とはいえ、アダムやリリス、人類の起源について話したわけではないだろう。寝言は寝て言えと、鼻で嗤われるのがオチだ。 「…ですが、欲に目のくらんだ政治屋と、好奇心を刺激された科学者を止めることは出来なかったそうです」 ミサトさんが視線を落とした。わななく口元は、きっと自分を詰る自分に精一杯の抗弁を試みているのだろう。セカンドインパクトの原因は、自分の父親にあると言われているも同然なのだ。その脳裏で、どれだけの攻防が繰り広げられているというのか。 その腰に手を回して抱きよせた加持さんは、しかし、ミサトさんを見ていなかった。すぐさま優しげな視線を向けるが、一瞬、ほんの一瞬だけ、底冷えのするような冷たい光を宿していた。 その深さと冷たさに比例するかのように、ミサトさんを見守る眼差しが暖かく優しい。その落差に感じたのは、飄々とした態度と裏腹に、この人が実はミサトさん以上の激情家なのではないか? ということだ。 もし、この2人の出会いすら仕組まれたものだったなら、本気でミサトさんを愛してしまった加持さんは、なんらかのカタチでけじめをつけたいと願ったのではないだろうか。…あるいは、贖罪を。 …最初の世界での死という選択は、あの加持さんにとって当然の帰結だったのかもしれない。なにもかも、清算するために。 「S2機関の起動を阻止できないとなって、ゼーレはそれを暴走させることを指示してきたそうです」 なんとか細工を施したゲンドウさんが、ようやく南極を離れたのはその前日だったという。 暴走させることでアダムを消し、それを止めようとする科学者たちの努力がその範囲を抑え。結果、あのインパクトの形になったのだ。 意図的に起こしたことは事実であるし、この一件をきっかけに強大な影響力を得たから、ゼーレが最初から狙っていたように見えるだろう。 それが一方的な見方に過ぎないことに、ここに来て初めて気付いた。少なくともゼーレは、セカンドインパクトを起こさざるを得なかったその時までは、狂信的な組織ではなかったのだ。 この件で苦労したキール議長は、科学者という人種に偏見を抱くようになったという。ゲンドウさんは1度ならずグチを聞かされたらしい。その偏見の対象が人類全体に及んだ結果…と云うのは勘繰りすぎか。 「ロンギヌスの槍を使いこなせるのは、ガイウス・カシウスだけ。まだ存在しなかった百卒長の代わりに用立てた群盲は、せめて人数が要った」 そう解釈するしか、ないんでしょうね。と、加持さんを見やる。だが、それで納得はしてくれなかっただろう。 「問題は、中途半端に行われたインパクトの結果、使徒が大量に発生することでした」 裏死海文書。何者がそれを書いたのか、判然としない。まことしやかに第1始祖民族という名がささやかれるが、確たる証拠があるわけではなかった。 そこに記されているのは、インパクトとその結果生まれる使徒たちについて。 正常にインパクトが行われた場合、新たなる生命のカタチは1種類しか生み出されない。 だが、暴走によって歪められたインパクトは、アダムが創造しようとしていた生命を全て開放することと同義だった。そして、無雑作に解き放たれてしまった生命は、その存在を確定させるために改めてインパクトを目論むのではないかと想定されたのだ。他を否定して、インパクトの結果を本来のカタチに修正するために。 「そして、アダムと同質の存在。リリスがここにあることでした」 え…?。と絶句したミサトさんに、ターミナルドグマで見たでしょ? と返してやる。 「あれが、…リリス」 「…」 少なくとも加持さんは、最終的には気付いていたはずだ。だからだろう、深刻そうな表情ではあるが、驚いている様子はない。 「…どうして、あれをアダムだと?」 嘘をついているか。と、いうことだろう。加持さんが、こころなしか身を乗り出して来ている。 「インパクトを起こしたモノと同質のものがあると知ったら、人々はどうなるかしら」 これは嘘ではない。少なくとも、当初は。 なるほど。と加持さん。 「では…アダムは?」 「もちろん、今はここにあります。リリスとは別の場所ですけどね」 インパクトを起こせるのは、あくまでアダムとリリスだけだ。使徒がインパクトを欲するなら、それへの接触を必要とするだろう。 そのために使徒が求めるのが、アダムでなければならないとは限らない。そのためにネルフは、第3新東京市はここに建設された。 「その使徒たちに対抗するためのネルフ、そしてエヴァンゲリオンです」 いざとなれば、エヴァを箱舟代わりに人類のゲノムだけでも脱出させることすら計画のうちだが。 「ところが、一つだけ誤算がありました」 セカンドインパクトと、その後の戦乱によるダメージが大きすぎたのだ。今の地球には、20億の人間すら多すぎた。 海水面上昇で耕作可能地の大半と、海洋生物の揺りかごたる南極圏を失い、あきらかに地球は狭くなったのだ。おそらく、数億の人口を養うので精一杯だろう。 それに、群性生物はその多様性を保つために数を必要とする。 なによりも、その数を裏付ける遺伝子的多様性を必要とする。同じ物がたくさんあっても、あまり意味はないからだ。生命は、それを時間をかけることで蓄積させてきた。 たしかに前世紀、人類は爆発的に増殖した。しかし、それはそれまでの200万年の蓄積、遺伝子レベルでの中立な突然変異の積み重ねがあってこそだった。 60億もの人口を擁していた人類は、唐突に20億にまで減らされることで遺伝子的多様性を激減させられたのだ。 仮にこれから人口が60億にまで回復しようと、何か起こるたびに従来の3倍のダメージを受けることになる。 それだけではない。 たとえば、常夏となった日本では、年々セミが増えている。セカンドインパクトで数を減らされたところに絶好の環境が訪れたものだから、反動で大繁殖しているのだ。森林を抱えた山間部だけになった日本は、セミにとっては楽園だろう。 環境のほうからセミに歩み寄った今の状況は、進化の極限と言える。 だが、進化の終着地点は自滅。死、そのものだ。実際、環境庁の【自然環境保全基礎調査】いわゆる緑の国勢調査に拠れば、セミにたかられて立ち枯れする樹木が増えているらしい。極限の進化は環境を最大限に搾取するから、いずれ環境そのものを破綻させる。まるで、無理心中のように。 地中生活の長いセミという生物は、地上の状況を省みずに大発生するきらいがある。それはまた、科学の力で護られているヒトという生物にも言えることだろう。 人類の閉塞。それは絶滅危惧種が必ず嵌り込む、ボトルネックという名の檻。そして、進化という名の出口のないトンネルだった。 「そこで提唱されたのが、人類補完計画です」 人類そのものを使徒化し、単体生物となることでボトルネックを無効化しようというのだ。環境に依存しなければ、進化の極限でも自滅にはならない。そのために使われるのが、人類の母リリスというわけだった。 俯瞰して眺めれば、セカンドインパクトを含め、なにもかもが意図的に進められたように見えるだろう。だが、こうしてその渦中に身を置いてみると、必ずしも全てがゼーレの陰謀というわけではないことに気付く。 そうでなければ、悠長に補完計画が提唱されるのを待っていたりはしないはずだ。ゼーレもまた、その場その場で出来るだけの判断をしてきたのだろう。 もちろん、ゲンドウさんはそれを乗っ取って、私の記憶を取り戻そうとしたのだが。 ただ、ゼーレの思惑がまだよく判らない。この補完計画をそのまま本気で執り行おうとしているようには思えないのだ。 人類補完計画を隠れ蓑に、ゲンドウさんとゼーレが、それぞれの思惑を遂行しようとしていた。それが従来の図式だったように思う。 …この二人に、そこまで話す必要はないだろうが。 「ネルフは、人類補完計画を阻止するつもりです」 見れば、二人ともコーヒーがちっとも減っていない。 「確かに人類は閉塞しているでしょう。だからと云って変化もなく永遠を生きても意味がありませんから」 永遠に生きることは、永遠に死んでることだと、教えてくれた友が居る。 永遠の孤独より、一夜の交歓をこそ喜んで、自らは退場した。 生きるべきだと言ってくれた。だから、生きるのだ。だから護るのだ。 ふわり。と鼻腔をくすぐったのは、スパイシーで、でも甘い。そんな香りだった。 私の知らない、嗅ぎ憶えも無い香りがミサトさんから漂ってきたなら、それは加持さんの贈り物だろう。 以前、私が貰ったPeut Regarderはフランス語で『見てもいい?』という意味で、それは隠されていたマイクロチップを示す符号に過ぎなかった。 それとは違う香り。 そのことがこの二人のこれからを保証してくれているようで、うれしい。 目の前に座っている、人類の最小単位たる二人に向かって微笑みかける。 「今日とは違う明日のために、私は戦っているのです」 さて、私のほうから話せることは、ほぼ話し終えた。いくつか、敢えてぼかした部分はあるにしても。 あとは、二人がどうするか、だけれど… コーヒーを一口すすって、唇を湿らせる。…長い一日に、なりそうだ。 **** 「エヴァ弐号機、起動!」 発令所に入った途端に、アラートが鳴り響いた。 「そんなバカな!アスカは!?」 ミサトさんの張り上げた声に、青葉さんが答えるより早く。 「アンタの後ろに居るわよ」 これからのことを相談しようと嘯いて、アスカを連れて来たところだったのだ。 へっ? と振り返るミサトさん。あまりにも無防備なまぬけ面は、未婚の女性としてはどうかと思う。まあ、そういうところも、彼女の好ましいところではあるが。 「…じゃあ、いったい誰が?」 「って、なに? ナンで弐号機が動いてんのよ!誰が乗ってんの!」 一瞬でトップスピードに達したアスカが、たちまちのうちにマヤさんのシートに襲いかかった。 「…むっ無人です、弐号機にエントリープラグは挿入されていませぇん…」 今にも噛みつきかねないアスカの剣幕に、マヤさんが怯えてる。さもありなん。 アスカの肩にかけようとしていた手をそのまま泳がせて、ミサトさんがマヤさんの席のヘッドレストを鷲掴みにした。ぎしっ…と剣呑な音を耳元で聞かされて、マヤさんが今にも泣き出しそうだ。 「…」 そのまま黙り込んだミサトさんを急き立てるように、追加のアラートが鳴る。 「セントラルドグマに、ATフィールドの発生を確認!」 「弐号機?」 「いえ、パターン青!間違いありません!使徒です!」 「何ですって!?」 状況の把握に追われる発令所を尻目に、床に刻まれたモールドを押した。跳ね上がるようにカバーが開いて、リフトの操作パネルが現れる。 「使徒…あの少年が?」 呆然と呟くミサトさんに、アスカが詰め寄った。 「誰よ、ソレ?」 「委員会が送り込んできたのよ。アスカの予備を」 「ワタシの予備って…」 リフトの起動スイッチを入れ、せりあがってきた手すりを掴んだ。 「初号機で追撃します」 駆け寄ろうと振り返ったミサトさんを身振りで押しとどめ、視線は親指の爪を噛んでいるアスカに。 「アスカちゃん。弐号機を取り返しに、行く?」 「ワタシに、初号機に乗れって言うの?」 「そんな!? シンクロ出来るわけがありません!!」 思わず振り向いて、マヤさん。それを言い出すと、ミサトさんだってシンクロ出来ないはずなのだけど。 「ただ乗ってるだけでも構わないわ。弐号機を取り返しに、行く?」 様々な逡巡を瞳に乗せたまま、それでもアスカは頷いた。 「…行くわ」 *** ≪ ATフィールド、依然健在 ≫ ≪ 目標は第4層を通過、なおも降下中 ≫ 『 だめです!リニアの電源は切れません 』 コアに人格を封入しているわけではない直接制御は、パーソナルデータの書き換えなど不要だ。 ≪ 目標は第5層を通過 ≫ 『 セントラルドグマの、全隔壁を緊急閉鎖。…少しでもいい、時間を稼げ 』 ≪ マルボルジェ全層、緊急閉鎖。総員待避、総員待避! ≫ 「…嘘よ嘘よ嘘よ。弐号機がワタシ以外で動くだなんて、そんなの嘘よ…」 プラグスーツ越しに爪を噛むようにして、アスカの呟きは小さい。けれど、アスカの心がまだまだ大きくエヴァに依存していると判って、哀しかった。 …せめて、目先を逸らしておこう。 「初号機はどう? 動かせそう?」 「…」 少し間を置いて、初号機が右手を眼前に持ってきた。結んで開いてを、2度3度と繰り返す。 「…ここ最近の弐号機の反応よりは…少しマシって感じね」 アスカが抱く微妙な嫌悪に反応して、弐号機は心を閉ざしていったのだろう。アスカ側の心の問題との相乗効果で、急速にシンクロ率が下がっていったのだと思う。 「でも、ナンでワタシまで初号機を動かせるの?」 アスカの心の温もりを感じる度合いからすると、シンクロ率にして20%といったところか。かつて、自分が弐号機にシンクロできたことを考えると、この程度のシンクロは出来てもおかしくはない。 第一、人格を封入したコアへシンクロするより、こうして生きて成長し変化する生身の人間にシンクロする方が融通が利くのは当然だ。 「…私が、アスカちゃんのことを好きだからよ」 振り向いたアスカの、頬が赫い。 「からかってるわけじゃないのよ。 直接制御というのはエヴァと一心同体になる制御方法なの。初号機は今、私の心で動いている。その初号機にシンクロするということは、私の心にシンクロするということなの」 「…アンタが、ワタシのことをこれぐらい好きってこと?」 初号機が再び手を開け閉めした。その動きの鈍さを、バロメーターにして見せたのだろう。 「アスカちゃんが、私のことをそれくらい好きってこととの兼ね合わせでもあるわ。 相思相愛だからってシンクロできるとは限らないから、大元の相性もあるのよ」 「…ちょっと待って。じゃあワタシが弐号機にシンクロできるのって」 単刀直入な言葉とは裏腹に、上目遣いの視線は手探りのごとく力ない。 「弐号機の中に囚われているアスカちゃんのお母さんの心が、アスカちゃんのことを大好きだから」 正面に向き直ったアスカが、初号機ごと下方を覗き込む。だが、弐号機はまだ見えなかった。 『 装甲隔壁は、エヴァ弐号機により突破されています 』 『 目標は、第2コキュートスを通過 』 … こうしてアスカを乗せてみて気になったのは、思ったよりシンクロ率が伸びないことだった。裏を返せば、ミサトさんのシンクロ率が高すぎたということだが。 シンクロ出来るだろうことには自信があったが、アスカを大きく越えるものではないと思っていたのだ。相手をよく知っているといった程度では、アスカ以上のシンクロ率が出る理由にはならないだろう。 案外ミサトさんは、チルドレンとしての素質があるのかもしれない。あるいは、精神汚染を受けたことがあるのか。…たとえば南極で、アダムに。 南極での出来事をほとんど思い出せないのは、2年間もの心の迷宮は、もしかすると… …… ≪ エヴァ初号機、ルート2を降下。目標を追撃中 ≫ 「どうして、こんなマネが出来るの?」 すこし落ち着いてきたらしい、アスカの声音に余裕が見えた。こころなしか、シンクロ率も上昇したような気がする。 弐号機は、カヲル君が張った重力軽減ATフィールドで、ゆっくりと降下しているのだろう。追撃する初号機も半ばその影響下にあるために比較的ゆっくりと落下するのだが、アスカは勘違いしたようだ。 「アスカちゃんだって、練習すれば出来るようになるわよ」 ヴィルクリッヒ? と視線を寄せたアスカに、頷いてみせる。実際、前回の世界では使えていたし。 「…ドイツでは、こんな使い方が出来るなんて教えてくんなかった…」 ちょっと不満そうな呟きが、なんだかアスカらしい。何が見えるわけでもないのに正面に戻した視線は、きっと睨みつけるようにして上目遣いなのだろう。 どうやら、いつものアスカに立ち戻りつつあるようだ。 … じゃあ…。と振り向こうとしたアスカの、出鼻を挫くように青葉さんの声。 『 初号機、第4層に到達、目標と接触します! 』 「見えたわ」 初号機の視覚を直接見ている私のほうが、発見が早い。カヲル君はまだ、光点にしか見えないが。 「アレねっ!」 横穴に手をかけた初号機が、掻き分けるようにして速度を上げた。 つづく2007.08.27 PUBLISHED2009.01.01 REVISED