それで事が済む。というのなら、できれば参号機はどこかに埋めてしまいたかった。 実際、この世界に来たばかりの頃はそうしようかとも思っていたのだ。 だが、弐号機といいトライデントといい、様々な局面で自分の判断は裏目に出ている。参号機を封印することで憑依使徒がどんな行動に出るか読めずに、起動試験を行わざるを得なかった。 ≪ 参号機、起動実験まで、マイナス、300分です ≫ プラグの水中スピーカーから聞こえてくるのは、松代からの中継だ。 ≪ 主電源、問題なし ≫ 事前のチェックでは何の異常も発見されなかったし、本部のケィジも空いている。だけど、微細群使徒の例があるから油断はできない。 ≪ 第2アポトーシス、異常なし ≫ そのためにこうして、松代で起動試験を行っているのだ。 ≪ 各部、冷却システム、順調なり ≫ ただ、今回は特に念を入れて、参号機には誰も乗っていない。最終的にはオートパイロットを試すと嘯いて、パイロットの選出すら行っていなかった。 ≪ 左腕圧着ロック、固定終了 ≫ 試みているのは、本部棟からの遠隔起動。微細群使徒が襲来してきた時に実験していた擬似エントリーの応用、発展形と言えるだろう。模擬体のエントリープラグと初号機のコアを使い、参号機のプラグは空のままにその機体の起動を行うのだ。 もちろん、コアを覚醒させない以上、参号機は動かない。エネルギー源がないのだから。 憑依使徒対策を兼ねて異なる実験を加えてみたわけだが、名目上は機体チェック、安全対策の一環ということになっている。四号機と素性を同じくしているということが、各所に負担増となるこの手順を受け入れやすくしてくれたらしい。 これが成功して初めて、参号機コアの覚醒を促す予定だった。 『了解だ。Bチームは作業を開始したまえ』 手間が増えれば、人手が要るのが道理だ。現地入りしたリツコさんに代わって、本部棟側の指揮は冬月副司令が執っていた。オブザーバーとして、ナオコさんも立ち会ってくれている。 ≪ エヴァ初号機とのデータリンク、問題なし ≫ 危険性を考えれば、リツコさんを松代に向かわせるべきではなかっただろう。だけど、筋金入りの現場主義者を翻意させることは難しかったのだ。 ≪ パルス送信。グラフ正常位置。リスト、1350までクリア。初期コンタクト問題なし ≫ 『了解だ。作業をフェイズ2へ移行する』 これ以上、子供を戦場に立たせたくない。そのためもあって準備してきた遠隔エントリー実験は、順調に推移している。 ≪ オールナーブリンク、問題なし。リスト、2550までクリア。ハーモニクス、すべて正常位置 ≫ ≪ 絶対境界線、突破します ≫ 途端に鳴り響くアラーム。ヴァーチャルディスプレイに映したソレノイドグラフの勢いが止まらない。 そんな!? そのコアはまだ目覚めてもないと云うのに。いや、だからこそ、憑依使徒のほしいままにされたのか? 『実験中止、回路切断!』 ≪ だめです、体内に高エネルギー反応 ≫ 松代からの通信が、切れた。 **** 参号機、いやエヴァ憑依使徒が捲き起こす爆発の威力は身を以って知っていたから、松代での備えに抜かりはない。 充分に距離を取らせておいた現地指揮所との通信が回復したのが10分後、全員の安否が確認できたのがその30分後だった。 『 活動停止信号を発信。エントリープラグを強制射出 』 『 だめです。停止信号およびプラグ排出コード、認識しません 』 出撃準備を整え、夕闇迫るこの野辺山の地で、パターンオレンジの移動物体を待ち受けること小1時間。 ≪ 目標接近! ≫ 惜別に燃える太陽を背に、黙然とエヴァ参号機が姿を見せた。 『エヴァが、使徒に乗っ取られてるなんてね…』 【FROM EVA-02】の通信ウインドウのなかで、アスカの表情が苦々しい。 『アレ、ホントに誰も乗ってないんでしょうね?』 「ええ、プラグは通信用のダミー。無人よ」 ゼーレに提出してきた、でっち上げのオートパイロットの開発経過。その全てが丸っきりの嘘というわけではない。こうして実用にこぎつけた遠隔操作は、ダミーシステムの前段階と言っていいだろう。 そう、それなら…。とアスカの視線が外れたのでこちらも目標を見やった途端、参号機の姿が消えた。 『きゃあぁぁぁっ!』 初号機の動体視力でも追いつかないような速度で飛び跳ねた参号機が、前転でもするように半回転して弐号機に襲いかかったのだ。あまりの速さに、ATフィールドを張る間もない。 激突の勢いで、2体のエヴァがもつれ合いながら田畑を削っていった。 「アスカちゃんっ」 『大丈夫…よっ!』 参号機を蹴りのけた弐号機が、起き上がりざまにソニックグレイブを振るう。 横薙ぎに払われたそれをブリッジの要領で避けた参号機が、その体勢そのままにこちらに這いよってくる。 早い! 逆さになって睨め上げてくる頭部を狙って、捻じ込むようにローキック。空振りした、と思う間もなく参号機の靴底が視界を塞いだ。これはドロップキック? バック転のように身を翻し、足元から飛び込んできたらしい。 もんどりうって吹っ飛ばされた初号機に、何とか受身を取らせる。とっさに肩をそびやかして首を護ったが、さすがに厳しい。 … かぶりを振って、ダブつく視界を振り落とす。 彼方で、参号機の背後から襲いかかろうとしていた弐号機が、振り向きもせずに伸ばされた右腕に喉笛を掴み取られた。 すぐさま立ち上がり、駆け寄る。 それにしても、こんなに強い使徒だっただろうか? トリッキーな動きは相変わらずだが、トウジのときもケンスケのときも、こんなに早くはなかったはずだ。 …まさか、パイロットが居ないが故の、このスピード? 悠然と振り返った参号機が、左手をも弐号機の喉にかけた。その背後から左腕を回し、チョークスリーパーをかける。 トウジのときは何が起きてるか漠然としか判らなかったから、ケンスケのときは嫌というほど記録映像を見返した。 今になって思えば、違和感はあったのだ。ダミーシステムが仕掛けたネックハンギングツリーに、参号機が怯んでいたことに。呼吸などしないエヴァが、使徒がなぜ。…と。 それは、パイロットをも取り込んだがために使徒が抱えてしまった弱点だったのだろう。 …その証拠に、この参号機は怯まない。 『…ユイっ!』 アスカの言葉を、救援を求めてのものだと思った私は、たちまちその過ちに気付かされた。 っつ! 参号機の首に巻きつけた左腕に、熱湯でも掛けられたかのような痛みが走る。途端に、この左腕を這いずり登る葉脈。初号機をも乗っ取ろうというのか。 ならば、それが過ちだと云うことを、すぐさま教えてやろう。自我境界線を乗り越えて還ってきたこの肉体を、溶かされ取り込まれ、吐き出された体験を持つこの心を、その直接支配下にある初号機を、そう簡単には奪い取れないと云うことを。 赤とオレンジ色の水平線に意識を移す。普段はさざなみ程度の水面が、波頭を持ち上げてうねっていた。侵入者の存在に、肉体を奪おうとする無礼者の闖入に、初号機が怒っているのだろう。気をしっかり持たないと、私まで追い出されそうだ。 『 初号機、左腕に使徒侵入!神経節が侵されて行きます! 』 かすかに聞こえてきたのは、通信越しの発令所の様子か。意識を移している今、ヒトの肉体への反応は薄い。 『 左腕部切断。急げ! 』 えっ。と思う暇もなかった。 左腕を付け根から弾き飛ばした爆圧に、参号機が怯んだ。その隙を突いて、弐号機が巴投げを仕掛ける。 そんなことを冷静に見ていたのは、あまりの痛みに痛覚が麻痺してしまっていたのだと思う。ヒトが感じられる許容量というものを、一瞬でも超えていたのではないだろうか。 一拍遅れて、ずるり。と、プラグスーツの中で左腕がずり落ちた。 !!!!! 呼気に全てを託して悲鳴をあげたつもりだったのに、食い縛った歯がLCLを堰き止める。 なのに、叫んでいた。声すら出せない私に代わって、初号機が。顎部装甲を引きちぎって。 『ユイっ!』 それが誰の声だったのか、男女の別すら判らないくらいすべてが真っ白の中、視界が端から赤く染まっていく。 それが現実の視界をたなびく赤い流れだと気付いて、慌てて左腕を押さえた。 !!! 塩を擦り込まれたほうが、まだマシだっただろう。爆砕ボルトで吹き飛ばされた傷口を、重ねあわそうとすることに比べれば。 … プラグスーツはLCLを透過させるのだから、血液も素通しのようだ。などと悠長な感想が脳裏をよぎるのは、脳内麻薬が分泌されてきたに違いない。 … 胸の奥に熱を感じて、振り仰いだ。S2機関が始動している? 使徒である初号機は、痛覚を苦痛と感じることはない。だが、この身と一体化することで痛みを知り、それ故の生存本能をも覚えつつあった。 猛り狂うエネルギーで痛みを打ち消そうと、初号機が吼える。 ダメだ。初号機!痛いのは解かる。辛いのも解かる。一心同体だもの。だけど、お前が無軌道に暴れたら、ここは屍山血河の地獄絵図と化してしまう。だから… 『きゃあぁぁあぁぁぁっ!』 悲鳴に見やった通信ウィンドウには、砂の嵐。すぐさま自動でカットされた。 「…アスカちゃん?」 いつの間に離れていたのか、彼方で参号機が弐号機を叩き伏せていた。途端に興味を失ったらしく、ゆらりと振り返る。 夕陽に染まる参号機の姿を見て、初号機が目を細めたのが判った。 弾け跳ぶような初号機のダッシュに、視界が真っ黒になる。 大量の血液を失っていた私には、体内の血流の偏りに耐えられなかった。 … …… **** いい加減見飽きたこの天井には、感想を言う気にもなれない。 代わりに、溜息をついた。 どうやら、左腕は無事に縫合されたようだ。元通りに動かせるようになるには、時間がかかるだろうけれど。 麻酔でも消しきれない疼痛が、脈打つごとに苛む。…いや、肉体的な苦痛はいい。ネルフの医療レベルなら、いつか癒せるだろうから。 問題は、今回もまた私は判断ミスを犯したのではないか? ということだ。 今になって思えば、以前と比べて憑依使徒の侵蝕が妙に早かったような気がした。零号機のときは、もう少し余裕があったように思う。 唐突に思い至ったのは、参号機の起動試験だった。初号機のコアによって起動した参号機の機体は、初号機と機体特性が似る。当然、侵蝕しやすくなっただろう。 それだけではない。 生命体である以上、エヴァといえど運動神経の向上には経験が要る。神経組織そのものは最初から発達したものを用意することが出来るが、そこを伝わる情報の質は経験で磨くしかないのだ。…それを幾段階か省くためにも、コアへ人格を封入するわけだが。 参号機の機体は初号機のコアの支配下に置かれたことで、神経組織の最適化が行われてしまったのだろう。それを使いこなして見せることで、憑依使徒は格段に強くなったのではないか。 … 今となっては検証のしようもないが、おそらく間違いないだろう。 視界の端で、そっとドアが開いた。 立ち尽くす黒い影は、ゲンドウさんのようだ。 こちらの視線に気付いて、目を逸らしながら歩み寄ってくる。 「…すまん」 小さな子供が、叱られるのを怯えるような。そんな謝り方だった。 「俺の…判断ミスだ」 大きな体を小さく縮めて、このまま消え去りたいとでも言わんばかりに。 客観的に見れば、ゲンドウさんの対応はミスとは言い切れない。シンクロを補助する必要のない直接制御用のプラグスーツは、ことバイタルモニターにおいては間接制御用のそれを上回る。発令所では私の状態が手にとるように判っただろうし、初号機の状態と引き比べてみれば、それがただならない事態だと思ったことだろう。 初号機を、しかもこの私ごと、奪われるかもしれない。侵蝕が胴体に及べば、取り返しがつかないのだ。ためらっていられる時間が、どれほどあったか。 だけど、この人のことだ。当然の決断すら、自分のせいにして苛んでいるのだろう。己の傍に置いておけば傷つけるだけだなどと、考えていなければいいのだけど… あなたの…。掠れた声は、ろくに空気を振るわせられず。聞き取れなかったらしいゲンドウさんが、身を寄せてきた。 「…あなたのミスなら、私のミスです。私たち、夫婦でしょう」 「それは…、しかし…」 ゲンドウさんの頬に右手を沿わす。左手を添えてはくれたが、視線はそらされて。 「それにそもそも、使徒を殲滅できたなら、それで充分ではないですか」 「君を失っての勝利など、勝利ではない!!」 思わず声を荒げたゲンドウさんが、誤魔化すように2度3度と咳払いをする。つい口を滑らせたのは、それだけ気に病んでいるからに違いない。 「参号機の動きに惑わされて戦い方を誤った、私が悪いんです」 遠間からATフィールドで取り押さえてしまえば、侵蝕を試みることすらさせずに済んだだろう。なにより、トップ・ダイアスで見守ることしか出来ないゲンドウさんの心に気付きながら、どうすることもしてあげられなかった私が至らなかったのだ。 それでも言い募ろうとするゲンドウさんの首に手を回し、引き寄せた。…ちょっと姿勢に無理があって、傷に響く。 … たっぷり時間をかけて黙らせてから、開放する。今は、こんな風に誤魔化すことしかできない… 「司令官でしょう? しっかりしてくださいな」 苦笑ながら、ゲンドウさんがようやく笑顔を見せてくれた。 「こんな姿を見せるのは、君だけだ」 「それならよろしい」 いかめしく頷いて見せて、堪え切れずに2人でくすくすと笑った。 つづく2007.08.13 PUBLISHED2007.08.15 REVISED