エヴァが使う増設バッテリは、当然のことに常に充電されている。万が一の事態に備えて枚数も多いから、全て合わせるとその電力量は莫迦にならない。 改善済の電力供給ラインを利用して、初号機を仲介にケィジ内から電力を供給した。と報告書に書き記す。 ゼーレに、こちらの手の内を明かしてやることはない。 結局、今回の停電騒ぎがどこの差し金だったのか、それは判らなかった。心当たりが多すぎて、特定に至らないのだ。その代わりと云うわけではないが、当初の目論見どおり不審者は山のように見つかっている。 充分な電力を確保したMAGIに対し、ナオコさんは対人監視システムだけを復旧させたそうだ。人力で弐号機を起動させているゲンドウさんたちを尻目に、不審な行動を起こす者たちが後を絶たなかったらしい。もっとも、そうやって弐号機が注目を浴びた結果、ブラックリスト筆頭のはずのドイツ移籍組技術者の動きが封じられたのは皮肉というしかないが。 迅速な復旧によって不審者を絞り込めたので、内通者やスパイなどの炙りだしにかかる。と報告書を締めくくった。暗に、白状するか引き上げさせるか決めておけと匂わせておいたわけだが、素直に聴いてはくれないだろう。 **** 軍に出向していたのはずいぶんと昔のことなのに、今でもつい購買部をPXと呼んでしまう。さすがに口に出すような真似はしないが。 お茶請けを切らしていたことに気付いて、お菓子を買いに来たのだ。 あっ。と声がしたので振り向いてみると、ミサトさんが立っていた。慌てて手にしたアルミ缶を隠そうとしている。 嘆息。それを買おうとしていたことにではなくて、その量と隠し立てしようとしたことに対してだったけれど、ミサトさんは勘違いしたらしい。 「ちっ違います。これは残業時に飲もうと思って…」 缶ビールの6本パックが、しかも3つ…。いや、うち2つはエビチュじゃなくてBOAビールだから、その他の雑酒というヤツか。 セカンドインパクト直後の混乱期に出回ったのが、カストリ焼酎とその他の雑酒だった。復興に伴って、法に抵触するカストリ焼酎は鳴りを潜めたが、その他の雑酒の方は第3、第4のビールとして定着したようだ。 主に税金対策として誕生した発泡酒と違い、純粋に原料不足から産み出されたその他の雑酒は、特定の作物の作柄に影響を受けずに済む。供給が安定していて価格も安いので、よく売れているらしい。 最近、酒量が増えてるようだと、聞いてはいた。だが、あのミサトさんが、よりによって大好きなビールを、質より量のその他の雑酒に切り替えなければならないほどとは思っていなかったのだ。 いや、思い起こしてみれば、かつてのミサトさんも途中からBOAビールに切り替わっていっていた。やはり、酒量が増えていたのだろう。一時は葛城ミサトでありながら、それが葛藤の現れだったと気付いてあげられなかったなんて… 自分がお酒を飲まないと云うことなど、何の言い訳にもならない。 やはり、自分は… … 沈みこむ一方の気持ちを、きらめきが引き止めた。居心地悪げに身動ぎしたミサトさんの、その胸のロザリオが光を反射したらしい。 その胸の裡は知っているが、敢えて心を鬼にする。 「葛城一尉、一つ減らしてきなさい」 しょんなぁ~。と怨み目がましく、しかし案外素直にミサトさんが引き返していった。 飲みすぎていると、自覚があるのだろう。 酒量が増えている。と云えば、気になるのがゲンドウさんだった。 ゲンドウさんは案外わかりやすい人で、気鬱がたまると眠れなくなる。あのサングラスは隈隠しに居眠りにと大車輪の活躍らしいが、それにも限度があろう。そこで仕方なく、酒でむりやり寝ているのだ。最近、それに拍車がかかってきてるように見受けられる。 南極に行くための荷造りが終わったあと、気付くとサイドボードから3本もブランデーが消えていた。行程から考えると、あきらかに飲みすぎだろう。 酒に溺れるような人でないのは解かっている。酔って喧嘩したから懲りた。とは本人の弁だ。 だが、そもそも酒を手放せなくなりだした時期が問題だった。 光槍使徒戦、つまり私が戦いだしてからだと、判っているのだから。 時期。と云うことで思い至ったが、ミサトさんの酒量が増えだした時期が若干遅いような気がする。かつては、無防備使徒戦の頃にはすでに、その他の雑酒に切り替わっていたように思うのだ。 ほんの些細な違いに過ぎないが、わずかなりと心を慰められるかもしれない。 私が清算を済ませたところで、ミサトさんが戻ってきた。 諸手に抱えた缶ビールの上に、三佐の階級章を載せてやる。昇進時には、新しい階級章を自分で買うのが慣わしなのだ。正式な辞令はこれからだけど、内示ということで構わないだろう。 「明日、それのお祝いで飲ませてあげますから、今晩は控えなさい」 へっ? と、まぬけ面をさらすミサトさんを残して、PXを後にする。 かつて葛城ミサトだったことがあるから、ミサトさんの鬱屈はよく解かるつもりだ。問題は、それをどうやって晴らさせてあげればいいかと云うことなのだが… **** それは、被害を押さえるためだけの作戦だった。 セカンドインパクトによる海水面上昇で、平野部が水没した日本の海岸線は複雑で遠浅になっている。 落下使徒が行う試射。それによって引き起こされる津波は、今の日本の地形では無視し得ない被害を捲き起こすのだ。 そこで、これを迎撃することにした。 かつて精神汚染使徒のときに使った下水管の迫撃砲を用意して、N2爆雷で使徒の試射弾を撃ち落としたのだ。 正確には、大気圏突入の瞬間を狙って爆圧を当て、弾き飛ばしたのだが。 反跳爆撃よろしく水切り現象を起こした試射弾は、どれも宇宙の彼方へ飛び去っていった。 ここまではいい。シナリオどおりだ。問題ない。 『こんな作戦。だ~れが考えついたのかしら』 20回目の迎撃を終えて、アスカの嫌味も疲労で力ない。 インダクションモードが使える分、間接制御の弐号機のほうが射撃において命中率が高い。そこでアスカには、射撃手として出撃してもらったのだが。 「ごめんなさい。私もまさか、こんなことになるとは思わなかったの」 試射を妨害された落下使徒は、延々と試射を繰り返したのだ。 『文句言うのも疲れたわ。ワタシ、このまま休むからシンクロ切ってくれる?』 『 …判ったわ 』 ほぼ不眠不休で指揮に当たっているミサトさんも、疲れきっている。 弐号機が下水管製の砲身を下ろすと、その四ツ目が輝きを失った。それに合わせて、下水管を保持していた初号機のATフィールドを解消する。 『ユイさんもお休みください』 「葛城三佐も、休んだ方がいいわ」 『…そういうわけには』 軌道上の使徒への有効な攻撃方法が思いつかないミサトさんは、そのことを気にかけているらしい。戦自から自走式陽電子砲を徴発するのと、初号機が直接迎撃に行くのを禁じ手としているから、仕方ないのだが。 将来を見越して初号機の実力を隠しておきたい私としては、あまり早い時期に手の内を晒したくなかった。策はあったが、それらATフィールドの応用を使うまでもない。と踏んでいる。 「発令所のみんなに押さえつけさせて、赤木博士謹製トランキライザーを注射させますよ?」 ミサトさんが左を向くと、日向さんと青葉さんが、右を向くとマヤさんが頷いた。発令所の面々は随時休憩を取らせていたが、ミサトさんは頑として聞き入れなかったのだ。 思わせぶりに内懐に右手を差し込むリツコさんにたじろいだミサトさんが、短く呻く。 『…わかりました』 諦めた様子で日向さんに持ち場の申し送りを始めたので、通信を切った。 初号機ごと寝転がって、私も仮眠を取ることにしよう。寝返りを打たないようにして眠るのは、レイが産まれたときに慣れている。 **** 『強力な電波撹乱で、目標をロストしました』 それは、私たちが休んだ直後のことらしい。少しでも休ませたくて、報告は差し控えたのだとか。 気持ちは嬉しいが、後できっちりお灸を据えなくてはなるまい。 『来るわね、多分』 『次はここに、本体ごとね』 ミサトさんとリツコさんの会話は淡々としている。疲労で、感情が麻痺しているのではないだろうか。 『どうするの?』 【FROM EVA-02】の通信ウインドウが開いた。そこそこ休めたのか、アスカの血色は悪くなさそうだ。 「私がATフィールドで受け止めて、アスカちゃんが殲滅。これでどう?」 『いいけど、大丈夫?』 「20回も試射をして、あの使徒の質量は出現時の3分の2もないわ。大丈夫よ」 自らの身体を削って試射を続けていた使徒は、当然のように痩せ細っていった。 このまま試射を続けて磨り減っていくよりはと、乾坤一擲の賭けに出たのだろう。時間をかけて回復するという選択肢は、知らないのか、採らなかったのか。…出来ないわけではない、と思うのだけど。 『判った。無理すんじゃないわよ』 「ええ、ありがとう」 溶解液使徒戦のあとから、アスカの人当たりが優しくなってきた。徐々にではあるが、その心を開きつつあるように思う。 南西の空から落ちてきた使徒を、重力軽減・遠隔展開ATフィールドで受け止める。 試射を邪魔されたのが祟ったのか、第3新東京市への直撃コースではなかった。それでも外輪山の内側に落ちてきたのは、落下に特化したこの使徒の面目躍如といったところだろう。 「目標まで、ATフィールドをスロープ状に展開中」 『了解!』 目に見えぬATフィールドの坂道を、ケーブルを切り離した弐号機が駆けていく。構えたソニックグレイブを片羽の翼のように伸ばして、飛び立ちかねない勢いだ。 陸に上がった魚も同然の落下使徒に、弐号機に抗する術などなかった。 **** 前回といい、今回といい。この使徒とは相性でも悪いのだろうか? うずたかく積まれた書類の山に、溜息を漏らす。 結局、40時間以上に渡って発令されつづけた特別宣言D-17。それは日本の経済活動を局所的に麻痺させ、ちょっとした恐慌を引き起こしてしまったのだ。 たかだか半径50kmと高を括っていたが、莫大な予算が投入されている第3新東京市の経済規模というものを失念していた。銀行決済が遅れて利息差損が発生したり、急落する相場を手をこまねいて見ているしかない企業が続出したらしい。 自由主義経済とは泳ぎつづけないと溺れてしまうマグロのようなものだそうで、2日もの時間的空白がいかに致命的か、広報部に説教されるハメになった。 将来を見越した外交対策の一環で、ネルフは寄せられたクレームを無下にしない。ただでさえ広報部の負担が大きいところへもってきて今回のこの騒ぎでは、広報部の面々が殺気立つのも当然だろう。 今回の作戦は私の発案だったから責任をとることにしたのだけど、ちょっと安請け合いだったかもしれない。 「関係各省からの抗議文と被害報告書。で、これが周辺企業からの損害賠償請求。広報部からの苦情も正式な書類がきたわよ」 なぜかこの執務室に出向いてきて、ナオコさんが書類を追加する。ほんの五分前、そこに立っていたのはリツコさんだった。 「ちゃんと目、通しといてね」 似たもの親子だなぁ。という感想が、書類の重さに押しつぶされそうだ。 「…MAGIを貸してください」 「私の目の黒いうちは、そんな下らないことには使わせないわよ」 …やはり、この使徒は鬼門のようだ。 つづく2007.07.30 PUBLISHED2007.08.01 REVISED