警告音が鳴って、カウンターの表示が減り始めた。電源供給が途絶えたらしい。 活動限界まで、あと4分53秒。 そのタイミングは良く知っていたので、テストと称して予め初号機に乗り込んでおいたのだ。 バーチャルコンソールを呼び出し、こちらの電力で通信回線を確保する。MAGIにアクセスしてみると、生き残っている電力供給ラインは研究所時代からの旧回線。割合にしてたったの1.2パーセントらしい。 『発令所、青葉です』 現状で連絡が取れるのは、MAGI経由で発令所だけだろう。 「初号機のユイです。何事ですか」 もちろん何が起きたかは知っている。白々しさが出てなければ良いけれど。 『判りません。突然、給電が途絶えました』 「了解しました。本部棟の電源モードを臨時に切り替えて、制御ルーチンPSFE-01をロード、供給元パラメータを第1ケィジにして下さい」 『はっ? はい。本部棟の電源モードを臨時に切り替え…、制御ルーチンPSFE-01をロード…、供給元パラメータを第1ケィジに…、実行しました』 具体的な指示が出るとは思っていなかったのだろう。一瞬戸惑ったものの、青葉さんの反応は早い。 「ご苦労様でした。後はこちらで行いますから、とりあえずMAGIとセントラルドグマの維持に努めてください」 と言うより、古いこの回線で無理なく電力が供給できるのはその辺りだけなのだが。 『全館の生命維持に支障が生じますが…』 『構わん!最優先だ!』 おや、冬月副司令もいらっしゃったのか。ならば、向こうは任せておいて大丈夫だろう。 『頼んだよ、ユイ君』 「はい」 こうなることを知っていて特に予防策を講じなかったのは、そうすることで相手の出方が読めなくなることを恐れたからだ。それに、復旧ルートごときで推測できるほど、今の本部棟の構造は単純ではない。さらには第7次建設の終了を目処に、棟内の改装を行う予定もある。縮小された侵入者邀撃の予算を、密かに他から補填して。 だから、やりたいというのなら、やらせておけばいいのだ。 初号機の内部電源が、残り1分を切った。 あっいや、つい癖で確認してしまったけど、活動限界なんかどうでもいい。 まぶたを閉じて、心を静めていく。意図的に稼動させるのは初めてなので、さすがにちょっと緊張する。 心の裡に見えるのは、オレンジ色の水面と赤い空。不自然なまでにまっすぐな、水平線。 だが、もうここに虚無はない。幼いながらもはっきりとした、初号機の意思があった。オレンジ色の水面に立つさざなみが、初号機の息吹。心の動きなのだ。 それでは 始めようか 「S2機関、始動」 コアに発生した膨大なエネルギーを熱として感じて、胸の奥が熱い。煮えたぎる奔流が出口を求めて荒れ狂っている。 エネルギーの迸るままに、思うさま力を振るいたい。 溢れ出る力のかぎりを、目に映る全ての物にぶつけたい。 … 狂おしさに身悶えしそうになる体を、初号機ともども叱りつけた。 ここで初号機が吼えでもしたら、それだけで大騒ぎになってしまう。ATフィールド実験の名目で人払いはしてあるが、隔壁の1枚や2枚では障子紙ほどの役にも立つまい。 … …… イグニッション直後の過剰稼動が治まって、ようやく息をつく。初号機もS2機関も、何とか暴走させずに済んだらしい。 コアを充たすエネルギーを徐々に全身に浸透させていき、初号機の筋肉を使って電気に変換する。S2機関から発生したエネルギーは電気ではないから、そのままでは初号機の駆動以外には使えない。そこで、電気モーターを手回しして発電機にするような感覚で、電流を発生させたのだ。 なぜ、こんな真似が出来るか。と云えばカラクリがある。 というのも、そもそもエヴァは電気で動いているわけではないからだ。そうでなければ、ゲイン利用とはいえ搭載バッテリ程度の電力で5分間もの長時間、エヴァのような巨体を動かせるわけがない。第一、もし電気で動いているのなら、運動量に係わらず時間制限なんてありえないではないか。 エヴァが何で動いているかはよく判っていない。おそらく、コアから発生するエネルギーだろう。それはきっと、ATフィールドを構築しているものと同源の、人類にとってはいまだ不可知のエネルギー。 それに、どう動かしているかもよく判らない。ただ、人体とほぼ同じ構造をしているエヴァを、無理やり動かす方法ならあった。その神経組織を、電気パルスで刺激してやればいいのだ。原理は低周波治療器、いわゆる電気マッサージ器と変わらない。 さらには、どう刺激していいかもよく判らない。だからこそのコアへの人格の封入。だからこそのチルドレンだった。これが私たちの科学の限界ってわけ。 そして、ゲインシステムの出番だ。エヴァは人体とほぼ同じ構造だから、収縮させた筋肉の反対側に弛緩する筋肉がある。その運動と神経組織を利用した、いわば回生ブレーキ式の発電システムをエヴァは備えているのだ。 筋肉の弛緩すら能動的に行なう高機動モードでは使えなくなるし、戦闘中の限られた状況では発電効率も悪い。だが、こうしてエヴァを動かさずにS2機関を稼動させれば、筋肉の振動でかなりの電力を発生させられるだろう。 つまり、エヴァは発電所になる。 その電流を、そのままアンビリカルケーブルへ流し込んだ。 こういうこともあろうかと、本部棟内の電力供給ラインは改善済だった。初号機から逆流していく電力は、ルーチンを目安にMAGIが棟内に配分してくれる。 問題は、ヒトの制御下ではどうにもS2機関の出力が安定しないことだ。こればかりは仕方がない。心臓の鼓動をコントロールしようとするようなものなのだから。 インバーターやサージプロテクタも兼ねてUPSを設置してはあるが、それとて限界がある。その範囲で収まるように、努力するしかないだろう。 **** 本部棟の機能を確保できたので、電源の復旧までにさほどの時間はかからなかった。 その間に襲ってきた溶解液使徒も、弐号機によってあっさり撃退されたらしい。 らしい。というのは、人伝てに聞いただけだからだ。 使徒ならぬヒトの身でS2機関を制御したこの体は、その負荷に耐え切れずに倒れた。一時は過呼吸の発作まで起こし、今も熱が退ききらない。 見覚えのある天井に、溜息をつく。 「なんだ。目、覚めてるじゃない」 ドアを薄く開けて様子を窺っていたらしいアスカが、景気よくドアを開け放して入ってきた。 「停電でプラグに閉じ込められて熱出したって、ホント?」 頷く。アスカを含め、事情を教えられない職員には、そう説明してある。 「アンタが呑気に閉じ込められている間に、ワタシが華麗に使徒を殲滅しといたわ。 ロートルパイロットとテストタイプなんて、居るだけムダなのよ。さっさと引退しなさい」 ! アスカに、何があったというのだろう。 確かに、高い自負をもってエヴァパイロットたらんとするアスカは、それゆえに他者に厳しいところがある。だが、だからと云って、こんな憎まれ口まで叩いて辞めさせようなんてことをするような娘ではなかったはずだ。 そもそも、なぜ私を辞めさせたいのだろう。エヴァパイロットというステイタスを独り占めしたいのだろうか? いや、それは無い。アスカは常にナンバーワンであろうとしていたが、オンリーワンになろうとしたことはなかった。ナンバーワンになるための努力を放棄して安易に己を確立した気になるほど、アスカは傲慢ではない。そう断言できる程度には、アスカのことを知っているつもりだ。 言葉もなく見上げると、居心地悪げにアスカが身じろぎした。 よく観れば、アスカの視線がせわしない。瞳の色に力がないのは、内心の不安を映してか。この状況で素直に勝ち誇れないのは、何かわだかまりを抱えているのだろう。 尊大そうな態度と裏腹に、その体がとても小さく見えて、居ても立ってもいられなかった。 力の入らない筋肉に鞭打って、体を起こそうとする。 「ちょっ!無理すんじゃないわよ!」 慌てて押しとどめようとしたアスカの体を、抱きしめた。 … 「なっ!なに勝手に抱きついてんのよ!」 荒げる声とは裏腹に、むりやり振りほどこうとはしない。 何がアスカを追い込んだというのか。判らぬままに、ただ、ただ哀しくて。 「…アスカちゃん」 「気安くちゃん付けにすんじゃないって、何度言わせたら気が済むのよ!」 怒り任せに突き放されて、ベッドに沈む。私のあまりの弱々しさに怯んだのか、突き放した格好のままでアスカが固まった。 のたのたと上半身を起こし、引き寄せるようにして再び抱きしめる。 … …… 「…なに抱きついてんのよ」 ぼそり。と紡がれた言葉に、しかし険は少ない。 「ごめんなさい」 … 「なに、なれなれしくちゃん付けしてんのよ」 「ごめんなさい」 … 「そうやってすぐ謝って!ほんとに悪いと思ってんの?」 だって、今の自分には… 「…謝ることしか、できないもの」 … 「条件反射で謝ってるようで、不愉快なのよ」 「ご…」 今、なんだか物凄く睨まれたような気がする。 … そういえばアスカには、謝ってばかりだとよく怒られたものだ。自分に非があるかどうか考える前に謝罪していたのだから、却って誠意が見受けられなかったことだろう。 今は…、明らかに非があって、釈明することすら叶わないのだが。 … でも、誠意を見せることは出来るかもしれない。たとえ偽りでも、傍に居てやることが大切だと結論付けたではないか。 「仲良くなりたいから、アスカちゃんって呼びたいの。ダメ?」 「なぜ、仲良くなりたいのよ」 少し、間を置いて。 「制御方法の違いはあれ、私たちは世界に2人しか居ないエヴァのパイロットなのよ。 誰よりもお互いを理解しあえる可能性があるわ。 友達に、なれるかもしれない 」 「…友達なんか要らない。私は一人で生きるの」 … アスカが壊れたことを、忘れることができない。 今ならそれが、エヴァに全てをかけていたアスカの脆さだったと判る。正反対の存在でありながら、自分とアスカは、エヴァという一点を挟んで対称的な、精神的な双子だったのだ。 エヴァなんかを、心の拠りどころにさせてはおけない。 「どうして、そんな寂しい道を選ぶの?」 「!っ…、そんなことアンタに関係ないじゃない!」 アスカの脇の下に両腕を差し入れて、腕の自由度を奪う。 放しなさいよ!と突き放そうとする手を、差し込めないように体を密着させた。 「私は欲しいわ。エヴァで戦うことのつらさを、解かってくれる人が、解かってあげられる人が」 「そんなのっ!アンタが弱いだけじゃない」 「そうよ、弱いわ。ヒトは誰しも、独りでは弱いモノだもの」 「ワタシは違う!」 抗うアスカの、力をいなす。…いや、アスカはまだ本気を出していないのだろう。いくら葛城ミサト時代に身につけた技術があっても、今の私ではアスカを押さえこみ続けられるはずがない。 「自分の弱さを認められないのは、毅さなんかじゃないわ」 「ワタシが弱いって言うのっ!」 「そうよ。他人の弱さを赦せないのは、自分の弱さを認められないからだもの」 「!っ…」 アスカの体から力が抜けて、内心で安堵する。もう少しで振りほどかれるところだったのだ。 「…だから、心配なのよ」 「アンタに、ワタシのナニが解かるって言うのよ」 「解からないわ。ヒトは永遠に解かりあえないもの。…でも、解かりあおうと努力はできる」 この世界で、アスカは孤独なのだ。私が孤独にした。 チルドレンという存在を生み出さずに済んだはずの世界の、たった一人のチルドレン、ザ・チャイルドとして。 アスカの孤独を、誰も理解できないだろう。葛城ミサトだった時代の自分を、誰も理解できなかっただろうことと同じく。 「アスカちゃんを解かろうとワタシが努力していることを、アスカちゃんは判っているでしょう?」 … 応えを促す、間。 アスカの身じろぎは、頷いてくれたように感じたのに… 「同情なんか、まっぴらよ」 紡がれたのは憎まれ口だった。 「解かりあえないヒト同士にとって、他者を理解する唯一の手段が同情なのよ。 相手の気持ちを慮ることは、つまり己の心の中にその人を住まわせるということ。 ヒトがヒトにしてあげられる、唯一で、最高の手段なの」 確かめるように、その背をなでる。 「それは虚像に過ぎないかもしれないけれど、あなたのことを心の中に刻もうとしているの」 居心地悪そうに、再びアスカの身じろぎ。 「…そんなことして欲しいなんて、頼んでないわ」 「本当に? 誰からも顧みられず、誰からも褒められず、誰からも理解してもらえず。 ただ使徒を斃すために使われる道具として、いいように操られて、アスカちゃんは生きていけるの?」 「ワタシは道具じゃないっ!」 … ! 眼窩に引っ掛けようとしてきた親指を、慌てて避ける。こんな剣呑極まりない手段で引き剥がそうだなんて、何がアスカを本気で怒らせたというのか。 「ワタシは道具じゃ…、」 一歩、こちらの手の届かない距離まで後退したアスカは、てっきり睨みつけてくるものと思ったのに… 「…いいように操…」 あや、アヤ…。と、うわごとを繰り返しだした。徐々に広がる瞳孔は、底なし沼のように何もかも呑みこんで、その秘めるものを見せない。 「アスカちゃん…?」 ぴくり。と体を震わせたアスカが、目の焦点の合わないままにこちらを見た。 私の姿になにを見出したというのか、口元に貼り付いた微笑みが薄ら寒い。にじり寄ってくる足取りは夢遊病患者のようにおぼつかないのに、差し出してくる両手は力の篭めすぎで震えてる。 アスカの身から迸る殺気を全身に浴びて、…なのに恐怖は湧かなかった。それでもいい。と、思ってしまった。 だから、避けない。だから、目を逸らさない。 … …… のろのろと差し伸ばされてきたアスカの両手は、しかし私の首ではなく、この胸先で見えない何かを掴み取った。 何かが切り替わったかのような唐突さで跳びすさるや、振り上げたソレを床に叩きつける。 「こんなのっ!ワタシじゃない!」 見えない何かを踏みつけて、顔を上げた時には、アスカの瞳に感情が戻っていた。狂おしいまでの光を乗せて、睨みつけてくる。その瞳に映るのは、紛うことなき私の姿。なのに、見られている実感が湧かない。 「ワタシはっ、人形じゃないっ!」 アスカの母親は、人形と心中したという。 アスカは、その人形を憎んでいた? 「ワタシはワタシ!誰のモノでもない!」 いや、むしろ羨んでいたのではないか。 自分と母親を天秤にかけて、自らの矜持を選んだアスカは、何も考えずに母親についていったその人形が羨ましかったのではないだろうか。 「…いいように使徒退治に使われていたら、人形も同然よ」 夢から覚めたようにまばたきを繰り返したアスカが、すすり上げた。泣くまいとして懸命に気を張り詰めている気配が、とても痛々しい。 「じゃあ、アンタが顧みてくれるって云うの?」 「今こうして、アスカちゃんを見ているわ」 その左の頬に、 「じゃあ、アンタが褒めてくれるって云うの?」 「ええ、アスカちゃんはとても頑張っているもの」 その右の頬に、 「じゃあ、アンタが理解してくれるって云うの?」 「努力してるわ」 流れる涙に、気付いている様子はなく。 「なんで、アンタなんかにっ!」 こうも激しく、しかし無自覚に。 「私だからよ。同じエヴァのパイロットである私だから、最も近しい位置に居るの」 こんな泣き方をする娘だったとは。 … いや、違うか。この世界のアスカは、かつてのアスカに較べて、はるかに孤独なのだ。反発するしかなかったとはいえ、境遇を共有し得るチルドレンすら居らず。さんざんに対抗心を植え付けられたその本部に、たった一人で放りこまれたのだから。 アスカを使い捨てにするつもりのゼーレは、その心を脆いままに保っておく気だろう。あるいは、もはや初号機は使い物にならないとして、いざというときの予備にアスカと弐号機を使う気でいるのかもしれない。 だが、あまりに孤独すぎたアスカの臨界点は、予想以上に早かった。…ということではないだろうか? そして、早すぎたからこそ条件が揃わず、崩壊には至らなかった? … ぽとぽたと、したたる泪滴が床を叩く。 自分が涙を流していることに驚いて、アスカがようやく泣き顔になった。 「ワタシ、…弱いの?」 かぶりを振る。 「弱いというより、脆いわ」 「脆い?」 「純粋で美しい、ガラスのナイフのようだわ。切れ味は鋭いけれど、罅が入ったが最期…」 … とどめようのない涙を懸命に拭いながら、その視線は私から外さず。 「毅く、なれる?」 頷いた。 「折れず、曲がらず、良く斬れる日本刀はね、不純物だらけの砂鉄から作るの。手間と時間をかけてね」 両手を開いて、アスカを促す。 「毅くなりたければ、不純物を取り入れることから始めるのよ」 ためらいつつも踏み寄ってきたアスカの手を取って、優しく引き寄せた。揺れるアスカの心を、招き入れようと。 「そのためには、泣きたい時には泣くの。思いっきり」 抱きしめるまでもなく、アスカは飛び込んできて。 おそらくは10年分の、涙を流した。 つづく2007.07.27 PUBLISHED2007.08.24 REVISED