「ハロゥ、ミサト。元気してた?」 オーバーザレインボーの甲板の上で、サンライトイエローのワンピースが、まばゆい。 「まぁねー。あなたも、背、伸びたんじゃない?」 見たところ、アスカの様子に変わったところは見受けられない。まずは一安心といったところ。 「そ。ほかのところもちゃんと女らしくなってるわよ」 一歩前へ進み出たミサトさんが、半身を引いて姿勢を正した。 「紹介します。エヴァンゲリオン弐号機専属パイロット、ザ・チャイルド、惣流・アスカ・ラングレィです」 間接制御の適格者はこの世に一人しか居ないから、ナンバリングはされてないのだ。 「アスカ。こちらが初号機パイロット、碇ユイさんよ。こっちの彼女は技術部の伊吹マヤちゃん」 ワンピースの裾が捲れるのもお構いなしに歩み寄ってきたアスカが、胸を張って仁王立ち。 「よろしく、アスカちゃ…」「制式型の弐号機と、正式な訓練を受けたワタシが来た以上、アンタと初号機はお払い箱よ。 せいぜいベンチでも暖めてることね」 言いたいことはそれだけだ。と言わんばかりに踵を返したアスカが、立ち止まる。おざなりに振り向かせた顔の、視界の片隅でこちらを捉えて、すぐに逸らした。 「なれなれしく、ちゃん付けなんかで呼ばないでよね」 アイランドに向けて一直線に歩きだしたアスカに恐れをなしたらしく、屈強な甲板整備員さんが道を譲っている。 「ちょっとアスカっ!」 あまりの成り行きに呆然としていたミサトさんが慌てて追いすがるが、アスカはとりあわなかった。 ドモらずにちゃん付けで呼べるようになったのにな… 本部への対抗心を隠そうともしないドイツ支部は、アスカの教育もその方針で臨んだらしい。加持さんの報告に拠れば、敵愾心と呼んで差し支えないレベルで叩き込まれたようだ。 その一方で、惣流・キョウコ・ツェッペリンが直接制御に失敗したことを聞こえよがしにあげつらっていたのだという。 母親の不名誉を濯ぐために、アスカは懸命に証明しようとしているのだ。弐号機のほうが強く、自分のほうが優秀であると。 初号機を持ってこなくて良かった。このうえ初号機の姿など見たら、アスカの対抗心はとどまることを知らなかっただろう。 「あの、ユイさん?」 気付くと、マヤさんが心配そうな顔で覗き込んでいた。アスカとミサトさんはとっくの昔に艦内のようだ。 考え込んでしまっていたのを、アスカの言葉にショックを受けたと勘違いされたのかもしれない。 「私ったら、ぼんやりしてました。参りましょうか」 実際のところ、あの程度の言葉ではとても足らないのだ。 弐号機が造られたのも、アスカの母親がエヴァに囚われたのも、アスカがパイロットに選ばれたのも、すべて私の罪だった。 そうと知っていれば、あんなものでは済まなかっただろう。出会い頭になぶり殺しにされたっておかしくなかったのだ。 **** 「おやおやチャーリーズ・エンジェルスのご登場かと思っていたが、それはどうやらこちらの勘違いだったようだな」 「ご理解いただけて幸いですわ、艦隊司令」 あらかじめ釘を刺しておいたので、ミサトさんが艦隊司令を艦長と呼び間違えることはない。 「いやいや、私の方こそ、久しぶりに子供たちのお守りができて幸せだよ」 「このたびはエヴァ弐号機の輸送援助、ありがとうございます」 「こちらが非常用電源ソケットの仕様書です」 書類の束を差し出す役は、マヤさんにお願いしてあった。 「はん!だいたい、この海の上であの人形を動かす要請なんぞ聞いちゃあおらん!」 「申し訳ありません。こちらの配慮が足りませんでした」 艦隊司令との交渉については、事前に打合せをした上で一任している。この場はミサトさんに任せて、入り口を見張った。 案の定、そう経たないうちに加持さんの姿が現れる。 目敏くこちらに気づいた加持さんに、眉を顰めてみせた。艦隊司令との交渉中だ。邪魔されたくない。 察したらしい加持さんが、肩をすくめて壁にもたれかかる。 歩哨に立っている海兵隊員が、あからさまに不機嫌な顔になった。 **** 『オセローより入電。エヴァ弐号機、起動中』 「なんだと!」 予め警戒態勢を強化してもらえたため、所属不明潜行物体の発見は早かったのだろう。先ほどまで居た航海艦橋から1フロア下の戦闘艦橋に移動して、久しい。 ミサトさんが、マヤさんからヘッドセットインカムを受け取っている。 「アスカ、その場で待機」 省電力モードで。と私が付け足すと、マヤさんが携帯端末から弐号機内部電源の操作を始めた。今回はアドリブではない。 艦隊が襲われた場合の対処法も、弐号機の現状でシミュレーションを重ねてある。ここもミサトさんに一任だ。 「こんな所で使徒襲来とは、ちょっと話が違いませんか?」 「使徒相手に、そんな約束できませんもの」 邪魔にならないよう艦橋の隅で壁の花になりながら、加持さんを捕まえておく。アダムのサンプルを持ってきていることは承知の上だが、またぞろ敵前逃亡まがいに逃げ出されては堪らない。 ミサトさんの指示で、弐号機がアンビリカルケーブルを接続した。あらかじめ輸送船を伴走させてもらっていたから、ちょっと手を伸ばすだけだ。 併せて持ってきておいたN2爆弾を腰部ラックに取り付けさせ、両腕の手首ラックには電磁柵形成器を仕込ませる。 ポジトロン20Xライフル開発の過程で派生した副産物が、電磁柵形成器だ。 陽電子をコンパクトにパッケージ化することは、エヴァの火力向上を考える上で必要不可欠だった。電磁柵形成器は、そうして完成した陽電子カートリッジを用いて対消滅を起こし、発生したガンマ線を柵状に形成する。 この棹状の装備はかつて分裂使徒戦で使ったことがあるし、無防備使徒戦で使った捕獲器は電力供給によって電磁柵を維持するタイプだっただろう。 使徒を拘束できるほどの出力は期待できないが、起動時の一瞬だけプログナイフ並みの切断力を発揮する。もっとも、ATフィールドを中和していてなおかつあれほどの防御力を誇る帯刃使徒には通用しないだろうし、発動までにタイムラグがあるから憑依使徒ほども機動力があれば素直には喰らってくれないだろう。なにより、最低でも2本一組で扱わねばならず、おのずと効果範囲も狭いから運用が難しい。 だが、陸上での動きが鈍くて、ATフィールドさえ中和してしまえば通常兵器で斃せてしまう海中使徒相手なら効果が見込めるだろう。 … 海中使徒は、襲いかかった弐号機に力づくで受け止められ、輸送船の甲板上で身動きが取れなくなったところを電磁柵形成器によってその図体に盛大な切り込みを入れられた。さすがに切断にまでは至らなかったが、筋肉を大幅に分断されて、その抵抗力はかなり減衰したようだ。 それでも暴れる使徒を巧みに押さえ込んで、弐号機が左肩ウェポンラックを開く。 『コアってのはドコよ!』 いさぎよく泣き別れにしてやろうと云うのだろう。プログナイフを装備して、使徒の傷口を抉り始めた。悠長に捌いてる暇があるとも思えないが。 「…おそらく、体内と推測されます」 『「体内って…」』 マヤさんの報告に、ミサトさんまで困惑の表情を向けてきた。 自分の口元を指差し、…わ? と唇を開いて見せる。 「アスカ、使徒の口、開けてみて」 … 結果、海中使徒は口腔内にN2爆弾を放り込まれて沈黙、ナイフで止めを刺された。 コアの残骸がいくぶんか原形をとどめてしまったようだが、致し方ない。 使徒のフィールドを中和できさえすればそれでよいと考えているドイツは、その応用をあまり重要視してなかった。それを前提に弐号機で採りうる作戦は限られていたのだ。 **** 「弐号機の指揮権が本部にないって、どういうことよ!」 あまりの大声に、注目を浴びる。日本語だったから、ギャラリーには意味が通じてなさそうだけど。 新横須賀まで時間があるから、食堂でティーブレイクだったのだが。 「やっ、俺に言われてもなぁ。…ほら、委員会の勅書」 破きかねない勢いで加持さんから奪い取った書類を、ミサトさんが食い入るように見つめた。 「委員会直属で一尉待遇の上に、弐号機の作戦行動の自由を保障する。ですって~!」 横から覗き見るに、アスカが本部の命令に従わなくていいというわけではなくて、弐号機パイロットの作戦立案への発言権が大幅に強化された。と云うことらしい。とはいえ作戦部長と同格なのだから、あまり無下にもできない。作戦中に行動を掣肘できるのは初号機だけだし、委員会直属ということは処罰の類いも難しいから、実質フリーパスみたいなものだ。 実戦用の制式機体と正式な訓練課程を修了したパイロットが居るのだから、実験機は引っ込んでいろ。と、まあそういったようなことが理由としてずらずら書かれていた。 そんなお題目が建前に過ぎないことは判っている。…ゼーレの真意はなんだろう? どうにも信用できないネルフ本部に対して牽制をかけてきたのだろうが、やり口があまりにも横紙破りだ。弐号機が使徒に敗れてしまえば、元も子もないだろうに。 「今日はまあB型装備で不安だったからノってあげたけど、今後、指揮官面して指図すんじゃないわよ。ミサト」 「ぁんですってぇ~!」 大人気なくアスカに掴みかかろうとしたミサトさんを、懸命に押さえつける。見境をなくしたミサトさんを止めるのは至難の技だ。体格が違う上に、軍隊生活で鍛えられているのだから。 かかる事態を招いたのも己の自業自得なんだろうとは思うが、こみあがる徒労感を拭いきれなかった。 つづく