- AD2014 - 「レイ。箸の持ち方、正しくないよ」 珍しく4人揃った朝食の席。 食事の手を止めたシンジが、レイに寄り添って箸の持ち方を正そうとしている。 確かにレイの箸の持ち方、使い方は正しくない。 箸のヒントになったという渉禽類に喩えるなら、上のくちばしを動かすのが正しい使い方だが、レイは下のくちばしを動かしている。 渉禽類にとってみれば、下のくちばしを動かすのが正しいだろうけれど。 それはそれとして、正しく箸を使うにはそれなりの手の大きさ、箸の長さを必要とする。人差し指と親指が垂直になるように開いたとき、それぞれの指先を結んだ斜辺の長さを疋と呼ぶ。その1.5倍が箸の理想的な長さなのだそうだ。ただ、自在に使いこなすには、必要最低限な長さというものが存在するらしい。 レイの手はまだ小さすぎて、無理がある。 「シンジ。レイの手はまだ小さいから、難しいわ」 そう?と、悪戦苦闘していたシンジが顔を上げた。 「お母さんと初めて一緒に箸を選びにいったのがいつか、憶えてる?お母さんが、箸の持ち方を注意するようになったのは?」 首をひねったシンジの、視線の先は自分の箸。それは、一緒に箸を選ぶようになってからなら3代目だ。 「小学校の…2年生のとき…?」 そうね。と頷いた。 「レイはシンジより手が小さいみたいだから、もうすこしかかるかも知れないわね」 自分の手とレイの手を見比べて、なにやら得心したように頷いている。 「ごめん、レイ。僕が悪かった」 …いい。と、かぶりを振って見せたレイは、しかし、無理に正しい持ち方をしようとし、あまつさえそれでサトイモの煮っ転がしを摘もうとした。 … 無謀な挑戦は当然の帰結として失敗し、レイの箸を逃れたサトイモは跳ねるように器の外へ逃亡。 そのままテーブル外までの高飛びを成功させようとしたサトイモを水際で逮捕したのは、広げた新聞紙の向こうから伸びてきたゲンドウさんの手だった。 そのまま、何ごともなかったかのようにサトイモを口に。 汚れた指先を持て余しているらしいゲンドウさんに、とりあえず台拭きを渡した。 新聞紙を少し下げ、レイを見やる視線がやさしい。 「レイ…、物事には段階がある」 「…はい」 頷いたレイが素直に箸を持ち直すのを見届けて、また新聞紙を持ち上げている。 さきほどより高いように見えるのは、照れ隠しなのだろう。らしくもなく父親ぶってしまった。などと思っているのかもしれない。 箸の持ち方。と云えば、思い出すのはシンジを身ごもった頃の母さんの記憶だ。 箸の持ち方を教えてくれるような人を持たなかったらしいゲンドウさんは、やはり箸の持ち方が間違っていた。 はっきりと思い出せるわけではないが、レイの持ち方と同じだったような気がする。 それはさておき。 当時、子供ができたことを知ったゲンドウさんは、母さんに教わって箸の持ち方を矯正したのだ。 子供が真似をしたら困る。と言って。 そのことを思い出しているのではないだろうかと見やった視線が、ゲンドウさんの視線と出会う。 途端に新聞紙の向こうへと隠れてしまったが。 綻びそうになる口元を引き締めるのに苦労した。 終劇 2008.1.2 DISTRIBUTEDボツ事由 タイミング的に、イジメ篇直後のエピソード。雰囲気が軽すぎてなんだかそぐわないので、ゲンドウとの夫婦生活の割愛も含めて不採用。