「遠隔操作の人型ロボット。…ですか?」 連日、深夜遅くの帰宅。遅すぎる夕食を摂ったあとで、こうして打ち明け話をされることが多い。 できれば、一緒に食べてあげたいと思う。ゲンドウさんはそれほど気にしてないようだが。 「ああ、日本重化学工業共同体が主体となって計画が進んでいるそうだ」 つまり、ジェットアローンのことか。 「一応は使徒対策、ということらしいが」 「エヴァがありますのに…」 「エヴァがあるからだろう…」 空いたご飯茶碗に、番茶を注ぐ。 「エヴァ関連の利権にあぶれた企業。リベートを欲しがる政治屋。税金を使い切りたがる官僚。理屈倒れの科学者。腕を持ち腐らせていた技術者。兵器としてのエヴァに危惧を覚えた軍人 様々な思惑が絡み合って、このくだらん玩具の計画が陽の目を見たのだ」 「…なんとか、潰せませんか?」 食器を片付けていた手を止めて、ゲンドウさんの目を覗き込む。 かつて、ジェットアローンを買い取ったのは、完成していたそれを無駄にしたくなかったからだ。 作業機械としてはそこそこ使えるが、費用対効果は悪いし、放射線被害や炉心融解の危険性に見合うはずもない。造らずに済めばそれにこしたことはなかった。 「一研究所の権限では、難しいな」 きっちり残されていたミニトマトを頬張る。ちょっと酸っぱい。 … 「エヴァのスペックを漏洩してはどうでしょう?」 「要求仕様を見たが、比べ物にもならん。…荒唐無稽すぎて、捏造だととられるだけだ」 何も手を止める必要はないと思い至り、食器を片付けながら、考える。 「やらせておけばいい。どうせ使い物にはならん」 「そのために無駄になるモノが、多すぎます」 軽く睨みつけてやった。 JAには確か、下手な国なら数年分の国家予算に匹敵するほどの資金が投入されたはずだ。それだけあれば、どれだけの子供が飢えずに済むか。JAの開発中止がそのまま人道支援に繋がるわけはないだろうが、無駄遣いするよりはいい。 ふむ。とゲンドウさんがいつものポーズ。心を閉ざしたわけではなくて、考え事をしだしたのが、瞳の動きで判る。 本気で対策を検討してくれているのだろう。その間に食器を下げ、布巾を持ってきてテーブルを拭く。 「…初号機の、デモンストレーションを行う」 なるほど。実物を見せれば諦めるかもしれない。しかし…、 「ゼーレが許しますか?」 「この件は、そもそもゼーレ内部の不協和音によって招来された疑いがある。 派閥争いの余波、エヴァの抑止、ゲヒルンへの牽制、技術力の偏りへの懸念、資金源の争奪。そういったものが折り重なった結果。と言ったところか。 その出鼻を挫く。となれば、老人どもはそれを好きなように利用するだろう。それぞれの思惑でな。 表向きは国連への中間報告・成果発表とすれば、エヴァ関連の予算獲得にも使える。問題ない」 言い切ったゲンドウさんが何を思いついたのか、にやり。と嗤う。 「内容の検討と、エヴァの準備は君の仕事だ。やって貰うぞ」 嘆息 「当然ですね」 根回しや開催までの手続き、運営の統括はやってくれるつもりなのだろう。その間、所内でも会う機会が増える。それが嬉しいのかますます、にやりと。 「そっちは承りましたけれど、子供の前でその笑い方するの、止めてくださいね。嫌われますよ」 途端にゲンドウさんがひきつった。 **** - AD2008 - **** 勝手知ったる構内を、突っ切る。 近所の主婦が近道のために横切るような開放的なキャンパスだが、さすがに赤子連れは珍しいらしい。ちょっと注目を集めてしまったようだ。 心当たりがあったから、目当ての人物を見つけるのに苦労はなかった。 「赤木リツコさんですね」 染められた金髪を揺らして、リツコさんが振り向く。 「…はい。そうですけど」 「ゲヒルン人工進化研究所の碇ユイと申します。はじめまして」 **** 「…E計画部門責任者…でいらっしゃる?」 渡した名刺を読み上げて、リツコさんが確かめるように。 隣りに座ったミサトさんが覗き込んでくるのを、押し戻しながら。 ええ。と頷いたところで、ウェイターがオーダーを取りに来た。この食堂は職員向けで、食券制ではないしホール係も居る。 それぞれ、コーヒーを注文した。 「ゲヒルンへの入所なら、お断りしたはずですが」 慌てて第二東京大学まで来た理由。それは、本年度の入所内定者のリストに、リツコさんの名がなかったからだ。 「そこをまげていただきたくて、参ったんです」 リツコさんがゲヒルンに入所しない。なんて事態は想定してなかったから、人事部による通り一辺倒のスカウトに任せっきりにしていた。 医学部の一学生に過ぎないからか、赤木ナオコの名前が良くない方向に輝いたのか、人事部はリツコさんを重要視しなかったらしい。入所を断られた旨の報告すらなかったのだ。 再対応を依頼すれば大事になる可能性があったし、リツコさんにこだわる理由を説明できるわけもない。 だからこうして、自ら出向くことにした。 「たかが学生をスカウトに来たかと思えば、今度は責任者直々にですか」 「それだけ、あなたに期待しているんですよ」 「信じられません。ゲヒルンの研究職に採用されるには、博士の学位取得が必須のはずです」 徐々に険のこもりだした口調に反応してか、ベビースリングで抱いていたレイが目を覚ます。それに気付いたらしいミサトさんが、なんだか嬉しそう。 「例外があるんですよ。プロジェクトマネージャーが推薦すれば、特例として…」「ゲヒルンには入ります!でもそれは、大学院を修了して採用基準を満たしてからです!」 とうとう声を荒げたリツコさんに驚いたわけでもあるまいに、ふぇ。とレイが泣いた。 いや、むしろ驚いたのは私のほうだ。ミルクとオムツ以外でレイが泣いたのは、生まれてこのかた、初めてだろう。 よしよしとあやすと、嘘のようにぴたりと泣き止んだ。 … 「…配慮が足りませんでした。申し訳ありません」 らしくないわよぉ。などと空気を読まずに肘鉄を食らわすミサトさんを無視して、リツコさんの視線はレイに向けられている。 「こちらこそ、子連れで来たりして、真剣味が足りませんよね」 「いえ、」 …。なにやら呟いた言葉は口中に消えて聞き取れなかったが、その瞳に非難の色は見えない。 それにしても、リツコさんは何故こうまで入所を拒むのだろう。採用基準に拘っていたようだが、プライドだろうか? … いやいや、待て待て。 人の気持ちや考えを、自分勝手に推測してしまうのは私の悪い癖だ。 相手との間に一線を画して距離をおくならまだしも、そうでないならすべきでない。 コーヒーを運んできたウェイターが下がるのを待って、切り出す。 「なぜ入所を拒まれるのか、理由をお訊きしても?」 カップを持ち上げていたリツコさんは一旦手を止めて迷ったあと、一口だけすすった。 「…親の七光りは不本意です」 なるほど。入所資格を充たしてないのに招かれたことを、ナオコさんの計らいだと考えたのか。 母親と自分を比較しつづけていたリツコさんにとって、ナオコさんの手助けで特別扱いされるのは我慢がならないだろう。 がちっ。と鳴ったカップはソーサーに噛み付いたかのようで、リツコさんの心の裡が見えるようだ。 興味深げにリツコさんを眺めていたミサトさんが、思い出したようにコーヒーをすする。 誤解に過ぎないのだから、対処は簡単だ。 「リツコさんを推薦したのは、わたくしですよ」 えっ? と向けられた視線を受け止めて、微笑む。 「人造人間エヴァンゲリオン。ゲヒルンは、サードインパクトを防ぐための汎用人型決戦兵器を開発中です」 ご存知でした? との問いかけに、いいえ。と2人とも。だけど、リツコさんの視線がそれたのを確かに見た。…ナオコさんが話すとは、思えないのだけれど。 粉ミルクや紙オムツを掻き分けて、デイパックの中から綴じたレポート紙の束を取り出す。 表紙に銘打たれた【 A10神経の励起にみる他者との交感の定量化 】とのタイトル。記された名は、もちろん赤木リツコ。 「拝読させていただきました。素晴らしい論文ですね」 いえ。とリツコさんが謙遜。 「ドイツで開発中の先行量産型は、脳波操縦による制御法がまだ確立していません」 ナオコさんとの共同研究の結果、弐号機自身による肉体の制御は目処がついた。 だが、それをパイロットの意志の下に行わせるには、まだまだ同調誤差が大きすぎるのだ。 レポート紙の束を、これ見よがしにリツコさんの方に差し出す。 「あなたの仮説を、エヴァという人造人間で臨床実験してみたくはありませんか?」 スカートを絞るような力強さで、リツコさんが両手を握り締めた。 科学者に対しては、最高の殺し文句だと思うけれど。 … 「…時間を、下さいますか?」 「構いません。じっくり考えてください」 それにしても、こんな苦労をすることになろうとは。 碇ユイとして生き、ゲンドウさんを味方に引き入れたことで生じた反作用が、いたるところから跳ね返ってきているような、…そんな感じがする。 それが、覚悟の足らなかった私への罰だというのなら、甘んじて受けるしかないが。 … あのぅ…。とミサトさんが小さく挙手。 「ちょっち、質問いいですか?」 えぇと、葛城さんだったかしら。と、ちょっとわざとらしかっただろうか。 小首をかしげたのを了承の合図と受け取ってか、ミサトさんが身を乗り出してきた。 「サードインパクトを防ぐというのは…、セカンドインパクトを起こしたモノと戦う…というコトでしょうか?」 … 少し、悩む。だが、この人なら情報の有無や過多など乗り越えて辿り着くことだろう。 周囲に人影がないことを、これ見よがしに確認してみせて、頷く。 「それは、アタシでも使えるモノでしょうか?」 一応は察したらしいミサトさんが、小声で。 「起動確率は0.000000001%、オーナインシステムと呼ばれています。おそらく…」「可能性はあるんですよねっ!」 首を振って見せたのに、ミサトさんは諦めきれないようだ。気持ちは解かるが。 「可能性があるなら…アタシ…」 こうなると、適格性検査ぐらい受けさせないと納得してくれないかもしれない。と考えて、自らが葛城ミサトであった時代に思い当たる。 もしかして、こうして諦めさせるために形ばかりの検査を受けさせて、実際の適合性など調べもしなかったのではないだろうか? 当時のリツコさんは。 そうして考えた先で、恐ろしい推測に行き当たって、…身震いする。 それを勘違いしたらしく、困ってらっしゃるじゃない。とリツコさんがミサトさんに肘鉄を食らわした。 ゴメン、余裕ないのねアタシ。と謝るミサトさんに、私に謝っても仕方ないでしょ。とリツコさん。 こちらに頭を下げようとしたミサトさんを身振りで押し止めて、伝票を手に立ち上がる。 私は、よほど酷い顔をしているらしい。見上げるリツコさんが随分と心配げだ。 「それでは、よい返事をお待ちしてますね」 むりやり笑顔を作って、その場を辞した。 もし、適格性検査が形だけのものであった場合。私は、あの世界で母さんの魂を見殺しにしてしまったことになるのではないだろうか? すぐ近くのお手洗いに駆け込んで、水道の蛇口をひねった。 水の冷たさを手に受けて、なんとか最後の一線を守りきる。こんなところで泣き叫ぶわけにはいかない。 …あゔ。とレイが声を上げた。 普通この時期の乳幼児はのべつ幕なしに喃語を発してるものだが、レイには当て嵌まらない。サイレントベビーではないかと疑うほど静かなのだ。 だけど、だからこそ…レイが口を開いた時は、… 「心配…してくれるの?」 大丈夫よ。と見上げた鏡の中に、自分が殺したかもしれない人の、顔があった。 つづく