**** - AD2007 - **** 西暦 2007年 10月 4日は、私にとって忘れられない日になるだろう。この日を大切に思うのが、私だけでなければ、うれしいのだけれど… … 痛い、痛いとさんざっぱら脅かされていたが、そんな段階はあっという間に過ぎていまや下半身の感覚がない。 おそらく、脳内麻薬が出まくっているのだろう。 グリップを握りしめすぎたのか、両手の感覚までなくなってきた。そんなことに体力を使ってはいけないのに、つい。 感覚がないからといって苦しくもないか? と云うと、そうではないところが騙されているような気分になる。痛覚は麻痺しきっていても、内臓感覚は残っているのだろう。 誤解を恐れずに言えば、この苦しみは、股間を打ちつけたときの痛みに似たところがある。言葉で説明できない。という一点に於いて、だが… 襲ってくるさしこみに、耐えようとして息を詰めてしまう。 いけない、いけない。腹式呼吸を心がけねば。 … こんな苦しみをいったいどれほど味わわされているのか、時間の感覚がなくなって久しい。 … …… 突き放されるような唐突さで、体が楽になった。 いや、まだ苦しいことに変わりはないが、先ほどまでと較べれば、天国と地獄。 道が出来てる。とはよく言われたが、確かに一旦降りてしまえば後はあっという間だったように思う。初産は、もっと大変なのだ。 …ふぇ。という泣き声に気を取られて視線を下げると、看護士さんが枕元にやってきた。 「珠のような女の子ですよ」 おとなしい子ねぇ。と、アフガンで包まれた赤子を、私の胸元に寝かせてくれる。 荒い息で弾む胸元に、心地よい重み。ほのかな温もりが布地越しに染みこんできて、なぜか胸を締めつける。この温もりが、ついさっきまでこの胎内にあったなんて嘘のようだ。 疲れきった腕を叱りつけるようにして、その頬をなでた。 ピンク色のおくるみから覗き見ることのできる顔は驚くほど赤く、赤子という言葉の由来を実感する。アルビノという訳ではなさそうだが、頭髪の色が随分と薄い。目はまだ開いてないが、もしかして赤かったりするのだろうか? すぐ傍に、立ち尽くすゲンドウさんの姿。陣痛室と分娩室が続き間になっているので、なし崩し的に立ち会わされてしまったのだ。忙しい身だというのに、いったい何時間付き添ってくれていたのだろう。…胸元で握りしめているガーゼは、脂汗を拭ってくれていたらしい。余裕がなくて気付かなかったけれど、…ありがとう。 「…お名前、決めてくださいました?」 疲れ果てていて、蚊の鳴くような声しか出せない。 「ああ、女の子だと判っていたからな」 ぐっ、とメガネを押しなおして。 「…レイ、と」 ………… ここしばらくの間、寝る前の習慣になっているのが、翌日分のコーヒーを準備することだった。 ゲンドウさんが買ってくれた水出しコーヒーメーカーは業務用で、その気になれば30人分を抽出できる。1日分とはいえ30杯も飲まないので、水タンクは片肺で使用しているけれど。 ドリッパーにガラスフィルターをセットして、今日挽いてきたばかりのコーヒー豆を取り出す。挽きたてのコーヒー豆の香りは格別だから、待ちきれない。 封を切って、コーヒーの香りを胸いっぱいに充たす。途端、むせた。 焦げくさい匂いに喉の奥を刺激され、流しに駆け寄って胃の内容物をぶちまける。 … 己の吐瀉物の匂いに誘われて、吐く物がなくなるまで戻しつづけた。 それでもまだ吐き足りないのか、胃が自らを搾り上げる。 キリキリとした痛みに、涙がにじんだ。 … …… 水を流して、口をゆすぐ。 この感覚は母さんの記憶にあったので、確かめるためにカレンダーを見た。 前回、月よりの使者が来たのが1月の中ほど。シンジを産んで以来、28日周期で安定していたこの体にしてみれば、もう3週間も遅れていることになる。 仕事などで無理をしている時など、体調の加減か1回くらいはスキップすることもあったから気にしていなかったけれど…、これは… この胎内に宿った新しい命。 この子が綾波でも、生まれ得なかった妹でもないことは百も承知している。 でも、いつか産んであげたかったから、バースコントロールなど考えたこともない。 とうぜん覚悟していたはずなのに、それでも小さからぬ衝撃があった。 ― あらゆる災難の中で、最初で、しかも、もっとも ものすごいもの ― …などと出産を皮肉ったのは稀代の冷笑家だが、果たしてこの言葉は誰を指すのだろう。生まれる者か、産む者か、はたまた産ませる者か? **** もはや意外でもなんでもなかったけれど、ゲンドウさんはこのことを喜んでくれた。 愛しい人に自分の子供を産んでもらえる。という経験は私にはないけれど、男にとってはそれこそが最大限の補完なのではないか、と思わせるほどに歓んでくれたのだ。 気持ちは解からないでもない。 記憶を失い、一度は他人同然となった相手が再び自分を受け入れてくれたのだ。それも決定的な形で。ゲンドウさんの心にも、良い変化が訪れてくれるのではないか、と思う。 私の決意が足りていれば、余計な寄り道をせずに済んだであろうことを考えると、罪悪感に心が痛んだが。 出産することに不安がない。と言えば嘘になるだろう。 だが、この体は経験者のものだし、その記憶もある。 さらには、母さんがシンジを産んだときはラマーズ法だったということが、併せて心を静めてくれた。現在主流になりつつあるソフロロジーは、ラマーズ法に較べてはるかに楽に出産できるらしいからだ。 母さんの記憶をさらってみると、ラマーズ法が耐える出産と呼ばれる所以が実感できる。 陣痛促進剤を投与されながら、長時間に渡る陣痛を堪えての出産。全力でいきむから体中筋肉痛で疲労困憊。会陰切開の縫い痕が痛くてドーナツ座布団が手放せず。歩くのも困難なのに母子別室で、産んだばかりの吾が子に会うのに必死の思いで新生児室へ歩いていっていたのだ。 記憶だけで、その時の痛みや苦しみが再現されたわけでもないのに、なぜか身震いしてしまった。 母親教室で知り合った経産婦さんたちの話によると、それでも子供が生まれればそんな苦しみは一瞬で忘れ去ってしまったそうだから、この身の特殊性ゆえのことかもしれないが。 一方ソフロロジーは、出産中にリラックスできる精神力を養うことで、その苦しみを乗り越えてしまうのだという。 ヨガや座禅を取り入れたイメージトレーニングを行ったり、事前に分娩台に乗ってみてリハーサルをしたりする。習うより慣れろ。と云うことなのか。 意外なことに、前の世界で精神汚染使徒に掘り起こされた、生まれた時の記憶が役に立った。イメージトレーニングでは、赤ちゃんがどんな状態で生まれてくるかを認識することが重要なのだ。そのことを憶えているなら、これ以上はない。 良い先生に巡り会えたのも大きいだろう。 最初の母親学級で開口一番、「お産が初めてでも、女性なら陣痛の痛みを知っているから大丈夫ですよ」と言ってのけたのだ。 「生理痛なんです」 生理痛というのは、不要になった子宮内膜をはがそうと子宮が収縮するときの痛みだ。陣痛も同じで、赤ちゃんを出そうと子宮が収縮するときの痛みなのだとか。 「妊娠中は生理がありませんから、そのぶんの10ヵ月分の痛みだと思ってください。あら久しぶり、ってなもんですよ」 飄げた口調で言い放たれて、参加者一同の雰囲気が和らいだ。 どの経験者に訊いても、お産の苦しみを説明できる人はいなかった。言葉では説明できないから、未知への恐怖で実際以上の痛みを感じてしまうのかもしれない。 言葉で説明できていないことに変わりはないのに、こうして、知っている感覚で置換されて説明されてしまうと、なんだか、なんでもないことのように思えてくるから不思議だ。 妊娠中に困ったのは、コーヒーが飲めなくなったことと、自分の感情をコントロールできなかったことだろう。 シンジの時には、悪阻が酷い代わりに精神状態は悪くなかったようだから、ひとつとして同じ出産はないという産科医の言葉を実感する。 自分でも説明できない不公平感に襲われて、何度ゲンドウさんに当り散らしたことか。 さんざん当り散らして。では気が晴れたかというと、今度はそのことを自己嫌悪して落ち込むから始末が悪い。それを慰められれば怒りだし、放っとかれれば泣きだしと手に負えなかったことだろう。 マタニティブルーを前向きに乗り越えるのもソフロロジーの一環なのだが、なぜかそちらの方では効果がなかったのだ。 そのため、7ヶ月間に渡ってゲンドウさんは生傷の絶えない生活を強いられることになった。所長の威厳まで傷つけるわけにはいかなかったので、顔を避けたのが私に残された数少ない理性だったのかもしれない。 つづく