車椅子を押して、発令所のドアをくぐる。
左腕のギプスはまだまだ取れそうにないが、車椅子を押すくらいなら問題なさそうだ。
チルドレン就任後、じかに松代に向かったケンスケは、医療施設以外のジオフロント施設を見たことがない。
二度と立ち入ることがないと思えるだけに、一度くらいはネルフの中を見せてやりたかったのだ。
礼装に身を包んだケンスケは、手には自分が贈ったネルフ仕様の双眼鏡カメラを握りしめている――もちろん撮影は禁じて、メモリーは抜かせてあるが――。
「ここが発令所。ネルフとエヴァを統括する、いわばHQね」
あまり騒がないようにと釘を刺しておいたためおとなしいが、興奮は隠し切れないようだ。
「ネルフ発令所へ、ようこそ大尉殿」
気付いた日向さんが近寄ってきて敬礼。ケンスケの答礼は案外サマになっている。
日向さんがケンスケを大尉扱いしたのは、襟にUN海軍の階級章をつけているからだ。
加持さんに渡し損なっていたのをプレゼントしたのだが、自分がついていることだし今回限りということで着用させた。
もし、ケンスケが死んでいれば二階級特進ということで、つけていてもおかしくないと言えないこともない。
……もっとも、あまりに痛烈な皮肉になっていたことに気付いて、あとで反省することしきりだったのだが。
詰めていたスタッフに、ケンスケを紹介して回る。
あんなことのあった後だけに気まずさもあるだろうが、だからこそケンスケの現状を見て欲しいのだ。
大人たちよりよほど強かで毅い、子供たちの姿を。
****
発令所を後にして、ケィジを見下ろすキャットウォークを通る。
「お~い! シンジ~」
初号機の首元に居た彼が、ケンスケの呼びかけに気付いて手を振り返した。
ベンチコート姿である。
以前、ハンカチを探した彼の姿を見て思ったのが、プラグスーツにポケットくらいつけられないか? ということだった。
無理。との簡潔なお言葉に、代替案としてスポーツ選手などが着用するベンチコートを買い与えてみたのだ。
それが好評を博したのは、ひとつにはプラグスーツ姿では寒いことがある。ということだった。
体温調節機能はあるが、内蔵バッテリは単独ではさほど長持ちはせず、プラグからでるとLCLの気化熱で体温を奪われる。
空調の効いた本部棟内では特に、薄地のプラグスーツでは体温の保持に問題があろう。
そういえば前回、自分はどうしていたのか? と思い返してみると、パイロット控え室に閉じ篭って室温を上げていた憶えがあった。
独りきりのことが多かったから、それでよかったのだろうが。
もうひとつは、やはり恥ずかしい。ということだ。
綾波は気にしないし、アスカは割り切っているが、彼はそうはいかなかった。
自分にも憶えがあるが、自身の姿が恥ずかしいということ以上に、彼女たちの格好が気になって、またそのことに気付かれないかと怖れていたのだろう。
そういうこともあって、ベンチコートをもっとも歓んだのは彼だった。
今日の予定からするとこの時間はATフィールド実験の最中のはずだが、休憩中なのか傍らにやってきてケンスケと話し込んでいる。
特にわだかまりもない様子に、つい顔がほころんでしまう。
今も、ケンスケがつけている階級章の話で盛り上がっていた。
――チルドレンというのは結構ぞんざいに扱われていて、階級も無ければ福利厚生も整ってない。雀の涙ほどの報酬すらも、子供だからという理由で直接本人には渡らないありさま。
彼らの生活費やお小遣いは、扶養手当という名目で分捕った中から賄ってるし、艦隊司令から階級章を授与された時も、パイロットなのだから少なくとも、ということで少尉待遇にしてもらったのだ――
ケンスケに対して、しゃちほこばって敬礼して見せる姿がほほえましい。
むろん、チルドレンの待遇については改善を要求中である。
そういえば結局、あの篭城騒ぎに対してそれらしいお咎めはなかった。
自分に戒告、彼が自宅謹慎だ。
これは、エヴァの初めての被害らしい被害に、委員会が肝を冷やした結果らしい。
司令部がその指揮能力、組織の運営能力を疑われた陰で、作戦部がそれまでの功績を再評価されることにもなった。
相対的に発言力の増した自分が弁護したため、彼の行為もほぼ不問に付されたといってよい。
では、なぜ自宅謹慎のはずの彼がここに居るのか? というとカラクリがある。
いざという時のために、本部棟内にはチルドレン用の宿泊施設が確保されているのだが、これも自宅だと強弁したのだ。
アスカがトランクルーム代わりに使っているのを思い出しての発案だったが、これが上手くいった。
お役所仕事的に手続きを踏んでいるうちに、謹慎そのものがうやむやになるだろう。
というわけで、少なくとも自宅と本部棟の往復に問題がなくなり、棟内に来ているのなら引き篭もるだけ無駄だとリツコさんに呼びだされて、こうして実験にいそしんでいる次第だった。
さて、そのリツコさんはというと今、彼を呼びにきて、そのままケンスケと義足のスケジュールについて話し込んでしまっている。
下準備もあって、クローン技術で培養した左脚が用意できるのは半年後になるらしい。
「促成培養なので色白になるけど勘弁してね」とのことだが。
続いて、武道場で剣道の指南を受けているアスカを見学する。
日本文化に興味を惹かれだしたアスカは、それ以来、薙刀や弓道などの本部特有のカリキュラムに熱意を見せるようになった。
もともと素質はあるので、成長著しいと師範のお墨付きだ。
「他にも体験してみたい」と言うので、合気道や杖術などの道場と渡りをつけている。
折角だから日舞や座禅もやってみない? と奨めてみたのだが、冗談だと思ったようで、実用性のないのはそのうちね。とすげない。
面をつけるのを嫌がったアスカのために特製のヘッドギアを用意した話などでケンスケと盛り上がっていたら、当の本人に睨みつけられて早々に退散するハメになった。
最後に、シューティングレンジで射撃訓練中の綾波を見学する。
銃器を見て眼を輝かせるケンスケに、実弾射撃を体験させてみた。
病み上がりということで、22口径だが。
ことのほか喜んでくれたので、完治して歩けるようになったら大口径の拳銃を撃たせてあげると約束した。
45口径くらいまでなら、ちょっとしたレクチャーで撃てるようになる。
予備役の権利として、定期的な射撃訓練が組み込めないか検討してみよう。
使い終わったターゲットと空薬莢を回収してくれた綾波が、持って帰る? と言葉少なにそれをケンスケに差し出したのが意外だった。
おおげさに感謝するケンスケに照れたらしい綾波が、頬を赫らめるさまが実に可愛らしい。
ジオフロントにアラートが鳴り響いたのは、そのあと、加持さんから強奪したスイカを戦利品に、本部棟に帰ってきた直後だった。
****
「駒ケ岳防衛線、突破されました!」
ここからなら自力で帰れます。と請合ったケンスケをエントランスに置いて、発令所に駆けつける。
吊ったギプスが邪魔で、実に走りづらい。
「18もある特殊装甲を一瞬に」
いつ来るか判っていたから警戒は怠っていなかったのに、使徒は駒ケ岳防衛線上に降って涌いたように出現した。
こんな唐突に現れるヤツだったとは。
「地上迎撃は間に合わないわね。
エヴァ3機をジオフロント内に配置。侵入と同時に攻撃」
また待ち伏せ? ホント好きねぇミサトは。との無駄口は聞かなかったことにする。
「サードチルドレンの謹慎を解くわけにはいかん。
レイは初号機で出せ。ダミープラグをバックアップとして用意」
発令所トップ・ダイアスから頭ごなしに指示が飛ぶ。
「司令!」
「……却下だ」
だめだ、抗弁する時間も惜しい。
「……弐号機には、第5使徒戦で使った盾と……、スマッシュホークを用意」
モニターに目を走らせて、状況を確認。
「赤木博士。使徒のあの攻撃は荷電粒子砲?」
「第5使徒みたいに、円周加速を行っている様子はないわ。
光学観測できないところを見ると、ガンマ線レーザーの類かしら」
こちらもなにやらモニターを見つめていたリツコさんが、顔を上げずに応えた。
ディスプレイに表示されている怪光線を放つ使徒の姿。
附けられた注釈の最上段に【GLASER?】との表記が足される。
「だめです。
あと一撃で、すべての装甲は突破されます」
効き目があるかどうか判らないが、できることはやっておくか。
「ジオフロント内の湿度、最大限に上げて。
続いて、最下層の吸熱槽から耐熱緩衝溶液の散布用意」
空気中の分子密度が充分なら、レーザーは自らの熱量のせいで収束率、命中精度が甘くなる。結果として威力、射程も落ちる。
どんなに出力が高くとも逃れられないレーザーの宿命、熱ブルーミング現象だ。
地上での運用が前提のエヴァが、レーザー兵器を正式採用してないのは伊達ではない。
『違う。まず気温を上げるんだ。そうすれば湿度を上げやすい』
日向さんが下層フロア、副発令所のオペレーターに指示している。
ヘッドセットインカムのマイクを掴んだ。
「アスカ…ちゃん」
『解かってるわ。
威力偵察、能力を暴きながら時間稼ぎ。これでどう?』
「ええ、申し分なしよ。
使徒が撃つ怪光線の映像、届いてる? そうそれ。一応湿度を上げて対策してみたけど気をつけて。
あの体型で腕がないのが気になるわ。
第3使徒みたいに近接格闘兵器を隠し持ってるか、第4使徒のように展開するかもしれないから、それにもね」
これが、自分にできる精一杯の助言。
『わかったわ』
「弐号機出撃、急いで。
零号機の出撃準備も進めて、ポジトロンライフル用意」
かつては結局、自分が初号機に乗った。
つまり、綾波もダミーシステムも起動できなかったはずだ。
零号機はATフィールド中和地点に配置中だが、使わざるを得まい。
前面ホリゾントスクリーンは、身構える弐号機越しにジオフロントを映し出している。
「頼んだわよ、アスカ…ちゃん」
スプリンクラーから撒かれる耐熱緩衝溶液がどしゃ降りの雨のようだが、MAGIが画像補正してくれるので視程に問題はない。
その焦点の先、天井部が爆発して装甲板が崩落してきた。
『来たわね』
ヤッコ凧をふくらませたような姿。できそこなった骸骨のような顔。
忘れもしない、帯刃使徒だ。
慎重に距離をとる弐号機。
盾を掲げ、摺り足で間合いを計っている。
スマッシュホークの柄は短めに握り、大振りを避ける態勢。
ぱらぱらと解けるように展開された使徒の両腕が、地面をなでる。
途端に鞭のごとくうねって、流れるように弐号機に襲いかかった。
モニターの中で、初号機のプラグが格納される。
『 エントリースタート 』
「LCL電荷」
「A10神経接続開始」
『っ……ダメなのね、もう』
プラグの様子を映すウインドウの中で、綾波が口元を押さえていた。
『 パルス逆流 』
「初号機、神経接続を拒絶しています」
「まさか、そんな……」
「起動中止。
レイは零号機で出撃させろ。初号機はダミープラグで再起動」
綾波を拒絶したのは、母さんの意思なんだろうか?
「…レイちゃん、お願いね。アスカ…ちゃんを助けてあげて」
『…私にしかできない、役割があるのね……』
映像越しに頷いてやった。
『…行きます』
≪ 耐熱緩衝溶液の消尽まで、あと3分 ≫
スプリンクラーから散布可能な耐熱緩衝溶液には限りがある。
ジオフロントでの火災対策用として物理的に回せるのが、最下層の吸熱槽からだけなのだ。
油田火災でも100回は消せる量だが、こんな使い方ではそうは保たない。
『こんっ! ちくしょお!』
アスカの気合に視線を上げると、左腕の攻撃を避けた弐号機が、回転した勢いそのままに盾を使徒の後頭部に叩き込んだところだった。
たたらを踏んだ使徒に、追い討ちをかけようとスマッシュホークを振り上げる。その動作の慣性を使って巧みに変える柄の握り。
『…ダメ。避けて』
動作を力任せにキャンセルしてダッキングした弐号機の上を、不可視の光線が駆け抜けた。のだろう、円筒状に蒸発する耐熱緩衝溶液の雨と、はるか後方に十字の爆炎。
『レイ? ダンケっ』
『…どういたしまし! 手が来る』
横っ飛びに跳ねた弐号機を追った右腕は陽電子に弾かれた。
このタイミングだと、綾波は暖機もプリチェックもなしで撃ったな。あとで整備部から苦情が……、まあ、そのための作戦部。そのための作戦課長、みたいなものか。
パイロットたちの背中を護る。と考えれば、いい。
『…中和は私が。防御に回して』
『わかったわ。
レイ、無理すんじゃないわよ』
零号機の左手のことだろう。
エヴァ憑依使徒戦で切断された左腕は、まだ修復されていない。機体のバランスを欠いた状態でも正確な射撃をしてみせるところが綾波の凄いところだが。
『…アスカ……も』
綾波更生の道のりも、ずいぶんと踏み越えたようだ。
≪ 耐熱緩衝溶液の消尽まで、あと29秒 ≫
「タイミングを合わせて、兵装ビルから天井部破口に向けてチャフ弾発射! 継続的に行って。
ジオフロント内の空調で、アルミ箔の拡散、滞空時間を伸ばせる?」
「やってみます」
断続的にロケット弾が打ち込まれ、銀の短冊がジオフロントに降りしむ。
耐熱緩衝溶液の雨に代わって、アルミ箔の雪だ。
しろがねの風花。
ホワイトクリスマスには、ちょっと早かろう。彼女の記憶以外では、雪なんか見たこともないけど。
「初号機の状況は?」
!
ちょっと待て。
いま初号機に打ち込まれた、赤いエントリープラグは何だ?
モニターを覗きこむが、手懸りになるものはなにもない。
『 ダミープラグ搭載完了 』
あれがダミープラグなのか。
なぜ、あのような専用の筐体で運用しているのだろう? 可用性から考えても、普通のエントリープラグのほうが都合がいいだろうに。
『 探査針打ち込み終了 』
かつて、ダミーシステムを起動させられた時。自分は、背後のディスクドライブが駆動するのを確認した。
だからダミーシステムとは、データやプログラムのようなものだと思っていたのだが……、
「コンタクト、スタート」
「了解」
たちまちパネルを塗りつぶした警告表示に、発令所が赤く染まる。
「なに!?」
「パルス消失。ダミーを拒絶。ダメです、エヴァ初号機起動しません」
綾波もダミープラグも拒絶した。
もう騙されない。ということなのだろうか?
「ダミーを、レイを、…… 」
その呟きに、かつてのリツコさんの言葉が思い起こされる。
― ダミーシステムのコアとなるもの ―
そして、プラグスーツの補助なしに直接肉体からハーモニクスを行ったシンクロ実験。あれもオートパイロットの実験だった。
もしかして、あのプラグには、綾波のデータなどではなく……
中にあるものを想像して、ロザリオを握りしめた。
……ダミーシステム。もっと本格的に妨害しておくべきだったか。
……あの地下施設も、早めに何とかした方が良いかもしれない。
トップ・ダイアスから、不意にリフトの作動音。
そういえば前回、父さんはケィジのコントロールルームに居た。いま、向かったのだろう。
ちらりと、スクリーンを見上げる。
画面端でスクロールしていく戦況ログを、流し読み。
零号機が加わったことで余裕ができたらしく、弐号機の攻撃オプションに幅が出ていた。
いつの間に撃ち込んだのか、使徒の右目に突き立つニードルショット。右肩ウェポンラックのインジケーターがエンプティと表示されている。
念のため、弾倉を手配しておこう。
『みえみえっ……、なのよ!』
これ見よがしな怪光線を、弐号機がらくらくとよけた。
ステップ先で待ち構えていた左腕も、スウェイでかわす。
だが、弐号機視点の映像と零号機視点の映像を俯瞰していて気付く、使徒の意図。
「零号機狙いよ!」
弐号機に視界をふさがれていた綾波に、その攻撃はかわせなかっただろう。
『こんっ!のぉ!』
強引に盾でカチ上げられて、使徒の左腕がその軌跡をねじまげる。
結果、無防備に体をさらした弐号機を、残る使徒の右腕が狙う。
『…させない』
左腕の攻撃を回避するそぶりも見せなかった零号機が、陽電子を浴びせた。
体表面で起こされた対消滅の衝撃に、のけぞる使徒。
?
ポジトロンライフルの威力があまり落ちてないように感じる。チャフがさほど役に立ってないのだろうか?
一見、意味のなさそうな機動で立ち位置を変えた零号機が、さらに陽電子を放つ。
いや、違う。
綾波は、使徒が怪光線を撃った直後の空間を利用して射撃を行っているのだ。
トンネリング現象。
高出力のエネルギーが通過した道筋は、周囲がプラズマ化されていて、指向性エネルギー兵器にとって恰好の花道になる。
もちろん、綾波がそこまで狙っているとは思えない。
単に、チャフが一掃された瞬間に目をつけただけだろう。とは云え、その一瞬を遺憾なく利用できることの非凡さが否定されるわけではないが。
かつて、射撃はセンスだと教わったものだ。綾波が今、その実物を見せてくれていた。
≪ チャフ弾、残弾僅少。現在のペースで、あと2分38秒 ≫
使徒相手にチャフ弾などが役に立つとは思われていなかったから、その数は少ない。
「ペース落として」
2機だけでしのいでいる今、すこしでも長く支援しなければ。
「葛城三佐っ」
日向さんだ。コンソールにかけたまま、なにやら猛烈な勢いで調べ物をしていた。
「第7次建設の資材の中に、電磁波高吸収繊維があります」
使徒に対してN2爆雷やポジトロンライフルの使用を想定している第3新東京市とジオフロントは、電磁パルス対策が充実している。
電磁波高吸収繊維も、そうしたEMP対策用の資材だった。
「航空機からでも撒こうっていうの? 危険すぎるわ、却下よ。許可できません」
おそらく、VTOLやヘリから人力でばら撒くことになる。使徒とエヴァが取っ組みあってる、その上空でだ。
「しかし!」
「却下よ!」
埒があかないとみた日向さんが、コンソール備え付けのインターフォンを差し出した。
怪訝に思いながらも受け取る。
『やらせてくれないか、嬢ちゃん』
ネルフ航空隊の隊長だ。まがりなりにも作戦課長を嬢ちゃん呼ばわりするのは、この人ぐらいだった。
『あんな危険で未知数なものに、俺たちは14歳の少年少女を押し込んでいるんだよな?』
しかし、と反論しようとした口をつぐむ。
言い出したら聞かない人だ。深淵使徒戦での航空機での威力偵察も、この人がごり押した。
噛みしめた奥歯が、悲鳴をあげる。
『そう言ったのは嬢ちゃんなんだろ?
ネルフの大人たちに出来ることをやらせてくれよ』
見れば、日向さんはおろか、青葉さんやマヤさんまでもが真剣な表情でこちらを見つめていた。
前回、ちょっとお灸がきつすぎたのだろうか?
だが、考えている暇などない。戦場で逡巡は許されないのだ。こわばった顎を、力づくでこじ開ける。
「わかりました。準備だけ進めておいてください」
思わずインターフォンを投げ返して、トップ・ダイアスを振り仰いだ。
「副司令」
第3新東京市、ジオフロントの建設資材なら冬月副司令が責任者だ。
『 反対する理由はない。やりたまえ、葛城三佐 』
応えたのは父さんだった。
発令所の会話をモニターしていたらしく、ケィジからわざわざ。
「まったく、恥をかかせおって」
たとえ最高司令官であろうと、むやみに部下の権限の範疇に踏み込んでいいというわけではない。なんのために部下が居るのだ。上官に一々しゃしゃり出られると現場の士気が下がる。
だから、父さんには敢えて返答せずに、そのまま待った。
諦念に取り付かれたような表情でいた副司令が、こちらに気付いて口元をほころばせる。
「任せる。朗報を期待しとるよ」
敬礼。
発令所に向き直るが、命令を下すまでもなく手配が進められていた。
いいだろう。大人同士なのだから割り切って、人類のために死んで来いって命令しよう。
それにしても、日向さんもやるようになったものだ。抗命罪容疑でまた、査問してあげるべきだろうか。
「使徒、右眼復元!」
流れ弾が本部棟周辺に着弾したらしい、揺れ。
「若干ながら、威力の増強が認められます!」
「ほぅ、たいしたものだ。戦いながら機能増幅まで可能なのか」
感心している場合ではないと思います。副司令。
ちらりと見上げたスクリーンの中に、2機の勇姿。あの使徒を相手に、見事に足止めしている。
それどころか、巧みに本部棟から引き離しているようだ。
「初号機はまだなの?」
リツコさんの言葉に、自分もモニターのひとつにケィジのコントロールルームの様子を映してみる。
『 ダミープラグ拒絶。ダメです、反応ありません 』
その胎に迎えたのが忌むべき取り替え子であることに、母さんも気付いたのだろうか。
執拗な【REFUSED】の表示に、なんだか頑なさを感じさせる。
『 続けろ、もう一度108からやり直せ 』
何度やっても無駄だろう。
戦っている二人の限界も近い、処罰を覚悟してでも彼を乗せねば。
青葉さんのコンソールからインターフォンを取り上げる。
日向さんのコンソールのやつを使うのがスジなのだけど、さっき投げ返してしまったし、青葉さんのなら4個も有るし……
パイロット控え室へ繋ぐと、モニターに加持さんが現れた。
ぃよっ。と片手を挙げて、あいも変わらぬ軽~い応答。
「加持……君?」
ぽたぽたと、なにやらずぶ濡れのご様子。……耐熱緩衝溶液か。水もしたたる佳い男になっちゃってまあ……
「……シンジ君は?」
加持さんの後ろで敬礼しているのはケンスケのようだ。
第一種戦闘配置中にこんなところまで入れるはずがないから、加持さんの差し金だろう。
『 ああ、彼ならそろそろ頃合かな…… 』
『乗せてください!』
答えは、別のモニターからもたらされた。
彼を映せる位置にこちらから使えるカメラがないが、ケィジに居るようだ。おそらくは、あのブリッジの上に。
『僕を、僕を…… この…… 初号機に乗せてください!』
『 ……何故ここにいる 』
何故もなにも、さっきまでATフィールド実験をしていたのだ。加持さんの口ぶりからして、控え室に居たのは間違いない。
もっとも、自らケィジまで赴くとは思わなかったが。
まさか、加持さん。控え室で水撒いてたりはしないよね?
その想像がさして的外れでなかったことは、のちに知った。
雨宿りがてらに本部棟に駆け込んだ加持さんは、そこでケンスケに出会ったらしい。
館内放送で事のあらましを把握していたケンスケは、加持さんに頼んで控え室に連れていって貰ったそうだ。
二人の入室にも気付かずモニターに釘付けになっていた彼は、加持さんがシャツの裾を絞って落とした雫の音で振り返ったのだとか。
加持さんの顔を見、ケンスケの顔を見、その左脚を見て。なにも言わず、ただ頷いて飛び出していったらしい。
そうして、今。彼は自ら戦うことを選んで、あの場所に……
『僕は、僕はエヴァンゲリオン初号機のパイロット、碇シンジです!』
チャフ弾によるアルミ箔の雪が止む寸前に、電磁波高吸収繊維の黒い雪が降り始めた。
ズームするモニターの中、天井部破口でホバリングするVTOL機やヘリたち。
カーゴベイやハッチを開いて、人力で黒い繊維を撒いている。
破口部周辺にトラックや作業車で乗りつけた保安部や工作部の面々が、持ち出してきた工場扇やブロアーを据えつけ終えた。
すみやかに資材コンテナを開いて、こちらも黒い繊維を吹き散らす。
それらのモニター映像の横に、新たに加わったウインドウ。
激しく揺れる視点の映像の中で、使徒が横からの狙撃に怪光線の射線をずらされていた。
画面の端にちらちらと見える棒状のものはソニックグレイブか。
そう云えば、ダミープラグでの起動に人手を取られて装備の用意ができてなかった。きっと手近にあったものを適当に持ち出したのだろう。
いい判断だ。褒めてあげられるところが増えて、それが嬉しい。
右腕の攻撃を、弐号機が盾の傾斜でしのぐ。その盾の一角は熔け落ちたのか、すでにない。
使徒が、残った左腕を弐号機に向けた。
どうやっても相手のほうが手数が多い。避け続けるのにも限界がある。弐号機はATフィールドを防御に回せているが、使徒の攻撃はそれをも貫いてくるのだ。
『フィールド全っ開!』
奔流の如き攻撃は、傾斜を持ったATフィールドを3枚破って力なく上空へそれた。
いや、“枚”という数え方は適切ではないだろう。ヒトの心の壁は一つきりなのだから。
それは、アコーディオンカーテンのごとく折りたたまれたATフィールド。
質でも量でもなく、技で強度の増強を図った析複化ATフィールドだった。
もちろん、元が一枚のATフィールドに過ぎない以上、一角でも破られれば全体が無効化する。
しかし、加えられる攻撃の速さ次第では、充分な効果が見込めるのだ。
スケジュールからすれば、さっき実験したばかりのはずなのに、彼はもうモノにしたらしい。
『…碇君』
『ようやく揃ったわね。ミサト! 号令かけなさいよ』
「私が何も言わなくても、貴女たちなら大丈夫よ。
第一、近接戦闘中にできる指示なんてないわ」
今だフック。などと悠長にボクサーに指示するセコンドは居ない。
『そうじゃなくて、アンタの号令で始まんないと気合が入らないのよ』
『ミサトさん』
『…葛城三佐』
そういうことなら、ここは一つケレン味たっぷりに行こう。
「その観察力で戦局の機微を見据える、エヴァ部隊の眼。
零号機、綾波レイ」
『…はい』
零号機の放った陽電子が、怪光線を撃とうとした使徒の機先を制す。
「ATフィールドを使いこなして、バトルフィールドを己が掌中とするフィールドマスター。
初号機、碇シンジ」
『はい』
神速で伸ばされた腕は、折り重なったATフィールドに捩じ伏せられて地面を打ちつける。
「最も華麗にエヴァを操るエースストライカー。
弐号機、惣流・アスカ・ラングレィ」
『ヤー』
盾でカチ上げた使徒に踵落とし、流れのままに追い討ちでスマッシュホークを一撃。
「相手は力押ししか知らない莫迦よ。三人揃ったあなたたちの敵ではないわ」
一息。
「命令します。使徒を殲滅せよ!」
『『『 イエス、マァム! 』』』
……
モニターの中に、アスカのウインク。どうやら仕込んでいたらしい。
スマッシュホークの連打を平然とその身に受けながら、使徒がゆらりと身を起こす。
『……』
するすると移動した零号機が、地面を縫い付けていた使徒の右腕を踏みつけた。
『レイ、ナイス!』
先ほどの例があるので、アスカは後方監視画像もチェックしていたのだろう。綾波の行動の意味を即座に悟る。
『シンジ! アンタもお願い!』
弐号機が攻撃の手を一切緩めないので、使徒はその光球を覆う甲殻を開くことを許されない。
『わかってる!』
アスカ渾身の一撃が、ついに甲殻のかけらを砕き飛ばした。
しかし、限界を超えたらしいスマッシュホークも柄の半ばからへし折れる。
『アスカっ!これ』
駆けながらに投げつけられたソニックグレイブを、振り返りもせずに弐号機が掴み取った。
『ダンケっ』
…なぜ、碇君はどういたしましてと言わないの。との綾波の呟きを無視しているわけではないようだが。
初号機に左腕を踏みつけられた使徒が、その両眼に光を蓄える。
『フィールド全開!』
放たれた怪光線は、プリズムに曲げられる光のようにあさっての方角を爆砕した。
析複化ATフィールドを目隠しに使ったらしい。
目隠しか……
ずいぶん先に予定しているATフィールド実験の項目だが、今の彼なら……あるいは、
「シンジ君。ATフィールドで光を遮断。できる?」
『……光。ですか?』
『ダメモトでやってみなさいよ。アンタならできそうだわ』
アスカは弐号機を一瞬たりとも休ませることなく、光球を覆う甲殻に斬撃をくりだしている。
『…そう、碇君なら……』
零号機は、踏みつけた位置から先で暴れる使徒の腕を焼き切ろうと、ポジトロンライフルを撃っていた。
左腕がないので、プログナイフは装備されてない。
『うん、やってみる』
モニターの中、クローズアップした使徒の眼前の空間が、霞がかって見えるようになった。
再び放たれる怪光線。ジオフロント周縁部に上がった十字架が、小さい。
「シンジ君。使徒の視線を拒絶するつもりで」
『はい。……フィールド、全っ開!』
その途端、使徒の顔が見えなくなった。
幾重にも折りたたまれた黒いアコーディオンカーテンが、視界を遮ったのだ。
即座に別のカメラの映像を回す。
光を完全に遮断したために、闇色になったATフィールド。
その濃さはまるで深淵使徒の姿、リツコさんが言うところのディラックの海を彷彿とさせた。
さらに放たれた怪光線は、ATフィールドを貫くことができず。その闇の中に消える。
『グート! シンジ、やるじゃない』
嬉々として盾を投げ捨てた弐号機が、左手にプログナイフを装備した。
刃を繰り出すや使徒の甲殻の合わせ目に沿わせ、その背にソニックグレイブの柄をたたきつける。
楔のごとく打ち込んだ刃に、くるり。一回転してソバット。
甲殻と相討つようにナイフの刃が砕け散ると、隠されていた光球が垣間見えた。
『さんざん、いたぶってくれたじゃない……』
にやり。モニターの中に夜叉が居る。
ふわりと宙に舞った弐号機が、地面に突き立てたソニックグレイブを支えにしてドロップキックを叩き込んだ。
両腕を引き千切って吹き飛ぶ使徒を追いかけて、ケーブルを切り離した弐号機が駆ける。
『じゅぅ~倍にしてっ!……』
結果として析複化ATフィールドから開放された使徒が両眼を輝かせるが、それを許す綾波ではない。
顔面を陽電子にはたかれ、使徒がのけぞった。
『……返してやるわよ!!』
たただん。と弐号機がステップを踏んだかと思うや、手にしたソニックグレイブを投擲する。
投げられることなど考慮されてないというのに、ソニックグレイブは甲殻の僅かな隙間に突き刺さった。
あとで解かった話だが、ATフィールドをガイドレールにして誘導したらしい。
銀の短冊と黒い繊維をまぶしたぬかるみを蹴立てて、弐号機が再び駆け出す。
『どおりゃぁ~』
使徒の光球に突き立った棹状兵器。その石突きを、弐号機が疾走の勢いそのままに蹴りつける。たちまち光球はおろか、体ごと貫いてソニックグレイブが飛び出した。
最後の力を振り絞るように放った怪光線は析複化ATフィールドの闇に消え、弐号機は華麗にトンボを切って着地。
使徒に背を向けるような無防備な真似はせず、油断のない身構え。残心。剣道や薙刀を格闘訓練に組み入れたのは正解だったようだ。
膝を折るようにして地に落ちた使徒が、ついに十字の爆炎を上げた。
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耐熱緩衝溶液でスイカ畑がダメになったことを聞いたのは数日後、おやつの差し入れを手渡された時のことだ。
作物はとうぶん育つまい。と加持さんから愚痴を聞かされたが、さすがにそこまでは責任もてません。
つづく
2006.10.10 PUBLISHED
2006.10.13 REVISED 注意:「析複化」は私の造語です。おそらく日本語にはありません。
special thanks to オヤッサンさま シンジが搭乗するまでの描写不足についてご示唆いただきました。
また、その際にケンスケが居合わせるアイデアをご提供いただきました。