どら焼きを一切れ、頬張った。
京都の老舗の味を写したというそのお菓子は、極太の通信ケーブルを輪切りにしたような形をしている。
背の低い円柱状のこしあんを芯にして、薄く焼いた皮を幾重にも巻いてあるのだ。
修学旅行で沖縄に行って以来、アスカは日本文化に興味を惹かれているらしい。様々な文化の混ざり具合、混ざらなさ具合が好奇心をくすぐるのだろう。
今は和菓子に目がないようで、このあいだは水に遊ぶ金魚を模したゼリーを買ってきていた。
エヴァ以外に関心が向かうのは、いい傾向だと思う。
ばさっ……と、アコーディオンカーテンが引き開けられる音がした。
おそらく綾波が、お風呂から上がったのだろう。
廊下を歩く足音。自分の部屋に直行かな。
「ねえ、ミサト」
「なあに? アスカ…ちゃん」
naaniasukachann……
あらら、思わず打ち込んでしまった。苦笑しながらバックスペースで削除する。
自分が作戦部長という要職にありながら、比較的早く帰宅できる理由。
それが、今使っているノートパソコンだった。
MAGI端末でもあるこのノートは、リツコさん謹製の通信回路と個人認証機能を備え、帯出禁止レベルのデータをある程度まで持ち出し可能にしてくれる。
おかげで、こうしてデスクワークを宿題として持ち帰ることができるのだ。
「……ワタシには無いの?」
「なにが?」
自分が座っているのは、綾波の指定席。
ダイニングで仕事をするときは、照明の具合が一番良いこの場所を借りることが多かった。
……
言いよどむ気配。
「……パジャマ」
……ああ。廊下を歩いていった綾波の寝間着姿でも見てたのかな?
「もちろん、あるわよ」
「あるの! なんで寄越さないのよ」
布地があげた抗議の悲鳴は、アスカがソファーから跳ね起きた音だろう。そのまま、ずかずかと近寄ってくる足音。
「誕生日プレゼントにしようと思って、仕舞ってあるわ」
「ケチ臭いこと言わないで寄越しなさいよ。今すぐ」
背後から、かじりつかんばかりの勢いで首元を抱えられた。
「もうすぐじゃない。我慢しなさいな」
「い~やっ!」
嘆息。
こうなるとアスカは、ATフィールドでも止められない。
まわされた腕にぱんぱんとタップして椅子から立つと、自室に使っている和室へ。
手提げの紙袋を抱えてダイニングに戻ったら、自分が使っていた椅子を胡座で占領して待ち構えていた。
袋から出して、テーブルの上に置いてやる。
……
きちんとラッピングして綺麗にリボンまでかけ終えられたプレゼントの登場に、アスカがたじろぐのが見て取れた。
ペンペン用のベビーチェアをどけて、アスカの指定席から椅子を寄せる。
テーブルの角をはさんで隣りに腰掛けて、うながすようにアスカの顔を覗き見た。
……
「……ファーストには、なんで? 誕生日?」
口で説明するより、見せたほうが早い。
アスカの前にあるノートパソコンを引き寄せて、MAGIにアクセスする。
スロットにIDカードを挿して、目的のデータを呼び出す。
差し出された画面に映る内容に、アスカの視線が釘付けになった。
「……不明。不明。不明って、何よこれ。名前以外は何ひとつ判らないじゃない」
「それが、…レイちゃんの経歴。
諜報部に拠れば、当時大量に発生した孤児か、コインロッカーベイビーの1人じゃないか。ということだけど」
ちょっとだけ、嘘。
データが抹消されているという不自然さを覆い隠す、カムフラージュだ。
……
「あのご時世に、あの容姿で生れ落ちれば、捨てられても仕方なかったかもね」
キッと睨みつけてきた視線には、目尻にかすかな潤みがブレンドされていた。
だが、言葉はない。
あのアスカが一言も発しないのは、相当に怒っているのだろう。
身寄りも経歴もない孤児だという嘘を補強するためだけの、何気ない一言だったのだが。
睨みつけられるのは辛いが、それ以上に哀しく、それ以上に嬉しかった。「親に捨てられる」その言葉をキーワードに、アスカが綾波の存在に思いを寄せた。そのことが判ったから。
「いつか、…レイちゃんに大切な日ができたとき、誕生日をプレゼントしようと思うの」
それはいつのことになるだろう。行く手の不確かさに気が遠くなりそうだった。
「本当の母親でなければ与えられないモノだけど、私でよければ、私なんかでもよければ、与えてあげたい」
視線を落とす。組んだ指先に落ちる泪滴。
……
嘆息。怒りのやり場を呼気に込めたか、アスカの吐息が熱そうだ。
「ミサトは卑屈すぎるわ。
ドイツの時ほど酷くはないけど、ワザとらしいぐらいにね。ワタシ、アンタのそういうトコ、好きじゃない」
アスカが今の自分をどう思っているのか。耳にしたのは初めてだろう。
「アスカ…ちゃんに、好かれたいわ」
「なら、堂々と誇りなさいよ。
天下のチルドレンを3人も立派に養ってるって」
ええ、そうするわ。と目尻を拭うと、アスカも同じ仕種をしていた。
「そうしたら、好きになってくれる?」
「ミサトの心懸け次第ね」
視線をそらしたアスカは、残っていたどら焼きを発見して即時殲滅する。照れ隠しだろう。
いひゅににゃるくぁ、わきゃりゃにゃいきゃりゃ……。もごもごと、食べながら話しかけてくるので、口元を睨みつけてやった。
「アスカ、お行儀悪いわよ」
慌てて口を閉じて、もぐもぐと咀嚼するさまが、とても可愛らしい。
ごっくんと飲み下したアスカが、これまた自分の残りの煎茶をすすった。
行儀には煩いくせに、音をたててすするのはOKって、日本人って解っかんないわね。などと呟いている。
「熱い飲み物が冷めないうちに飲みきってしまうための、生活の知恵なのよ」
熱いものを熱いうちにいただくのは、淹れてくれた者に対する礼儀でもあるのだが。
ふうん。と、ちょっと関心を惹かれたようだ。
それはそれとして。
それで? と促してやると、何か言いかけていたことを思い出したようだ。
「誕生日がいつになるか判らないから、プレゼントだけ先に渡したの?」
ええ。と頷いて、手を伸ばす。
今のアスカなら、さっきの涙が本物なら、受け入れてくれるかも。
「アスカ…ちゃんからも、…レイちゃんにプレゼントをあげて欲しいのだけれど」
アスカの手の上に、重ねる。
急に言われても困るわよ。と声を荒げるので、かぶりを振った。
「……モノ、じゃないから」
「なによ」
憮然とした表情。右手を抜きたがっているようだが、握りしめて許さない。
「…レイちゃんのこと、名前で呼んであげて欲しいの。
番号じゃない、彼女の名前で」
「そんなのワタシの勝手じゃない。
なんでミサトに口出しされなきゃなんないのよ」
かぶりを振った かぶりを振った かぶりを振った
お願い お願い お願い アスカ…ちゃん。
「……なんでそんなに……呼び方なんかどうでもいいじゃない」
空いていた左手も掴み取って、併せて握りしめる。
「彼女を記号で呼ばないで。
エヴァに乗せるために拾われた部品だと蔑まないで」
「そんなつもりは……」
判ってる。アスカ…ちゃんに悪気がないことは解かっているわ。とアスカをむりやり抱きしめた。
テーブルの上に身を乗り出して、覆い被さるように。
「彼女は、エヴァに乗せられるために拾われた存在。
綾波レイと名付けられる前に、番号を付けられた娘」
これは嘘。やはり不自然さを覆い隠すカムフラージュだ。
MAGI完成の前日に初めて会ったと、リツコさんは言っていた。母親であるナオコ女史も初めてのようだった。とも。
ならば、2010年の話のはずだ。
一方、アスカがセカンドチルドレンに選出されたのは2005年と記録されている。
ゲヒルンの中枢にいた赤木ナオコ博士が5年以上、知らなかった“ファースト”チルドレンの存在。
その不自然さを利用して、レイの存在をアスカに呑ませるための、ほろ苦いオブラートだった。
包んだのは劇薬だが、きっとアスカのためになる。エヴァにすがらない自己を確立する光明になる。
だから、力を込めて抱きしめた。こんな時、下手に相手の顔など見ないほうがいい。
考えて。考えて。考えてくれ、アスカ。
ヒトは、自分の姿を自分で見ることができないものだ。見たければ、鏡に映る虚像を眺めるしかない。
心に至っては、虚像すら映すものがない。自分の心は他者を観ることでしか推し量れないのだ。
人の心の形は、隣り合う他者の心との境界によって形作られるのだから。
己を知ろうとする心。そのための指標は、他者の心の中にあるのだ。
逆に、他者を見るとき、人は己の心を投影する。相手の心もやはり、見えないものだから。
他者への評価、対応、感情は、己への裏返しなのだ。
アスカ。君の綾波への隔意は、自分自身を嫌う君の心なんだよ。彼女は君の鏡なんだ。
綾波を好きになれれば、君はきっと自分を好きになれる。それが始まりの一歩だよ。
……
とんとん。と背中をタップされる。
「……わかったから放して、苦しい」
「お願い。きいてくれる?」
はぐらかそうとしても、ダメ。
……
「……苦しいんだから、とっとと放しなさいよ」
「お願いきいてくれるまではイヤ」
怒った振りして見せたって、ムダ。
…
「しょっ、しょうがないわね。そこまで言うなら考えといてあげる。
感謝しなさい、このワタシが自分のスタイル曲げようって云うんだから」
ええ、ありがとう。と、さらに力を入れる。
放せって言ってるでしょ~。と、じたばたもがくアスカの可愛らしさを、堪能し尽くすことにした。
泣いているところをこれ以上、見せたくなかったし。
「……じゃ、これ、仕舞っておいて。……誕生日まで我慢するから」
突き返された箱を受け取る。
「そう。じゃあ土曜日にね。
パーティーに誰を呼ぶか決まった? 盛大にしましょうね」
喋りながら箱を紙袋に押し込み、いま一度、自室へ。
戻ってくると、アスカの姿は再びソファーの上。
そしらぬ顔で、さもつまらなさそうにファッション雑誌をめくっていた。
椅子に腰掛け、仕事の続きを……
「……ミサト。ダンケ」
……
「ビッテシェーン。アスカ…ちゃん」
アスカの誕生日の数日前、深淵使徒が現れる前の晩の話だった。
因みにアスカのために用意したパジャマは、八汐紅を匂い染めにしたものだ。
色を赤にしてグラデーションも逆さにしてあるが、綾波とはある意味でお揃いだった。
気に入ってくれるといいけれど。
つづく
special thanks to ジョニー満さま(@johnny_michiru)
ジョニー満さん(@johnny_michiru)に、この話のイラストを描いて頂きました。ありがとうございました。
(パジャマ姿のアスカが最高に可愛いです。d(>_<))
Twitterで、dragonfly(@dragonfly_lynce)を検索してみてくださいませ。
2021.08.02 ILLUSTRATED