「こんちまた、ご機嫌斜めだねぇ」
ぎりぎり間に合うようにドアを閉めるのは、なかなか難しい。
「水兵は、臆病者を一番嫌うのよ」
疑っている。とは言えないので、表向きの理由を出した。
「葛城は、海軍じゃなかっただろう?」
「あら、艦隊司令直々に敬礼を仕込まれた私を愚弄する気?」
加持さん本人に含むところはないのだが、一度採ったスタンスを軽々しくは覆せないし。
「勘弁してくれぇ」
加持さんが大袈裟に振り仰いだ瞬間、がくんとエレベーターが停止した。
「あら?」
「停電か?」
「まさか、ありえないわ」
一瞬の暗転。切り替わった非常灯は頼りなげだ。
「変ね。事故かしら」
「赤木が実験でもミスったのかな?」
「でもまあ、すぐに予備電源に切り替わるわ。……ほら」
灯かりが点いて、エレベーターも動き出す。
「正・副・予備・臨時の四系統が同時に落ちるなんて考えられないもの」
「りっ、臨時?」
目が点。というのはこういうのを指すのだろう。イタズラが成功した時みたいで、愉しい。
「ええ、リツコ…におねだりして、ジュリアちゃんに来てもらったのよ」
「……ジュリアちゃんって誰だい?」
「日重のジェットアローンを買い取ったの。
JAだからジュリエット=アルファ。愛称はジュリアちゃん。どお? 役に立つでしょう」
失敗作と見做されたJAの買収は、あっけないほど簡単だった。
一部とはいえ資金の回収とJAの厄介払いができると踏んだ日本重化学工業共同体は、渡りに船とばかりに二つ返事で応じたのだ。
ただし、原子炉の設置は【核原料物質、核燃料物質及び原子炉の規制に関する法律】で厳しく規制されているので、超法規的組織であるネルフといえどもないがしろにはできない。
【非核兵器ならびに沖縄米軍基地縮小に関する決議】いわゆる非核三原則もまだ有効だそうだから、一応は兵器であるJAはこちらにも抵触する。
それに、下手に公にするとIAEAの査察を受け入れなければならない。
恥の上塗りを嫌った日重側の意向もある。
そこで、ダミー会社を通して使徒解体用の特殊工作作業機械群ということで購入した。
使徒撤去予算をそのまま流用できることにもなったので、上層部を説得しやすくなったのは嬉しい誤算だったが。
もちろん、その名目も単なる口実ではない。
ある意味エヴァよりも極秘扱いのジュリアちゃんは、要塞使徒の撤去に大活躍だったのだ。
「……そうだな」
なにやら考え込んだ加持さんを見ていてはいけないような気がして、すぐに降りるべく発令所フロアーのボタンを押す。
押し黙って口を開かない加持さん。というのは、自分の知らない存在だった。
呑みこみ隠した疑念の氷塊が大きくなったように感じて、息が詰まりそうになる。
もしや、この停電騒ぎにも加持さんが関わっているのだろうか?
…………
加持リョウジという人物に疑いを抱いたのは、海中使徒戦のさなかだった。
だらしなく、いいかげんな人だが、友人を捨てて逃げるような人物ではないと思っていたのだ。
なにやら重要な任務らしいが、作戦部長である自分にも話せないのだとか。
監査部の活動が秘匿されるという、その部署の存在意義を否定しかねない異常な応対に、疑念を喚起されたといってよい。
それがなんにせよ、ネルフの秘密に関わっているのなら諜報部に訊くだけ無駄だろうとあきらめていたところ、意外なところからヒントが転がり込んできた。
アスカである。
あのあと、なし崩し的に同居に持ち込んだ彼女とは会話の機会が増えた。
食後のティータイム。水着を買いに行くというアスカに付き合おうかと提案したところ、まずは加持さんに頼んでみるという。
即断速攻とばかりに受話器を握りしめたアスカが、佐世保寄港中にエスコートしてくれなかった埋め合わせをしろと電話口で迫っていたのを聞きつけたのだ。
チルドレンの随伴者が、よりにもよって寄港中に護衛対象のそばから離れたらしい。
使徒襲来中にさっさと逃げ出したことと併せて、随伴任務そのものが口実だったのではないだろうか。
太平洋艦隊に問い合わせて裏を取った日程の間に、JA事件があるのが気にかかった。
あの仕組まれたと思しき奇跡。
かつて彼女が不機嫌になった理由を自ら体験したあの事件にも、加持さんが関わっているのではないか?
いや、たとえそうだとしても、それらだけならネルフの諜報活動としては特に問題があるわけではない。
つまらない縄張り意識や利権争いで大事な予算を横取りされるわけには行かないし、飢える子供たちを見殺しにして搾り取った国連の資金を、政治的駆け引きのために浪費されたくなかった。
自分がそういう立場だったとしても、同じようにJA計画を潰しにかかっただろう。
ただ、それらの活動が部長クラスに秘匿されていることに、ネルフの秘密を。彼の所属が諜報部ではなく監査部であることに、ネルフの枠を超えた何かがある。と自分に感じさせるのだった。
****
「よく辿り着いたわね」
電力が確保されているのはネルフ本部棟のみだ。
以前より早かったとはいえ苦労はしただろう。
さすがにダクトから落ちてくることはなかったようだが、3人とも疲れが見える。
「あったりまえでしょ。うかうかしてたら前回の二の舞よ」
「あれは特別よ。
ATフィールドを張ってなかったんですもの」
浅間山火口内を無警戒に漂っていた繭状の使徒は、N2爆雷3発で充分だった。
戦闘力皆無のD型装備や、あまり意味のない耐熱仕様プラグスーツなどを使わなくても済むように、彼には分裂使徒戦で使ったATフィールドの発展形を特訓させていたのに。
あの使徒がATフィールドすら張ってないと知っていたら、あれらの装備の開発自体を妨害しておいたものを。
「わかったもんじゃないわ。
使徒に復讐したいって、言ってたじゃない」
ビシっと、音がしそうな勢いで人差し指を突きつけてくる。
「ヒトを修学旅行に追いやっておいて、こっそり使徒殲滅なんて卑怯な真似しでかしてくれちゃって。
ワタシ、ミサトのことは金輪際信用しないわよ」
「さんざん謝ったじゃない。
それにあの程度の使徒、アスカには役不足よ?」
「おだてたって無駄よ」
無防備使徒についてグチりだしたらアスカは長い。まだエヴァへのこだわりが強いのだ。
「誰よりもはしゃいでたのに……」
「…エヴァを使わないですむなら、それにこしたことはないわ」
「ナニよ、優等生!」
攻撃の矛先がそれたことを喜んでいいものか、子供たちが盛大に口ゲンカを始める。
まだまだ、この子たちには愛が足りないのだろう。
それでも、アスカと対等に言い合いしているところに、彼と綾波の成長が見て取れた。
1対2で、ようやく五分五分ではあるが。
「はいはい、そこまで。
搭乗準備が整ったわ」
ぱんぱんと手を叩くリツコさん。
技術部長の介入で、長期化は回避されたようだ。
「パレットライフルを用意しているから持っていってね」
パレットガン・パレットライフルは、ポジトロンライフルが実用化されるまでのつなぎとして開発された運動エネルギー兵器だった。
エヴァサイズの弾丸では火薬による加速など高が知れているので、火薬と磁気を併用した磁気火薬複合加速方式の電磁加速砲である。
大型のパレットライフルが電磁レールガン。小型のパレットガンが電磁コイルガンで、それぞれ別方式なのは開発段階の比較実験のためだろう。
だが、レールガンは弾体を非伝導体にする必要があり、レールによる摩擦の問題もあって弾丸質量が小さく加速も伸びない。
一方、コイルガンは弾体は伝導体で非接触式だが、加速コイルの電気的な抵抗が大きいために初速が制限される。
いずれにせよエヴァサイズで実用化するには、電磁加速部の長さが絶対的に足りなくて充分な速度が出ているとは言いがたかった。
それでもポジトロンライフルよりは省電力なので、こういうときには役に立つ。
「電力不足で、ほとんどサポートできないの。
アスカ…ちゃんに任せるから、現場の判断で使徒殲滅。お願いね」
「判ったわ、ワタシに任せておきなさい」
思ったとおり溶解液使徒は弱く、あっけなく殲滅された。
****
「「「「「 おめでとうございまーす! 」」」」」
…おめでとうございます。一拍遅れて、ぼそりと。綾波更生の道は遠く、険しい。
「ありがとう、みんな。ありがとう、…相田君」
【祝3佐昇進】のたすきがなんだか気恥ずかしい。【祝賀会場】の張り紙もちょっと遠慮したかった。
「いぇ、礼を言われるほどのことは何も。トーゼンのことですよ!」
「せやけど、なんで委員チョがここにおるねんや?」
「ワタシが誘ったのよ」
「「ねー!」」
アスカはやはり、洞木さんと仲良くなったようだ。
面倒見のいい洞木さんとの交友は、アスカにとって必ずプラスとなるだろう。
「まだ駄目なのかしら? こういうの」
ちらり。と隣りに腰をおろしている彼へ。
仏頂面をしているかと思えば、あにはからんや。
「いえ、最近はなんだか慣れてきちゃって」
毎日が合宿みたいですから。と苦笑い。
「加持さん遅いわねぇ」
「そんなに格好いいの、加持さんって?」
「そりゃあもう!
ここにいるイモの塊とは月とスッポン、比べるだけ加持さんに申し訳ないわ」
「なんやてぇ? もう一遍ゆうてみぃや!」
立ち上がったアスカにトウジ、口論を始めた皆を見る視線もやさしい。
かつて彼女の昇進を祝わされた時、自分は大騒ぎする皆を疎ましく感じたものだ。
いま思えば、彼女の昇進を心から祝ったかどうかすら怪しい。
他人から、ことに父親から認められたかった自分は、それを得たように見える彼女に嫉妬し、それを歓ばない彼女を侮蔑したのではなかったか。
「昇進ですか……、それってミサトさんが人に認められたって事ですよね」
かつての自分と違って、人の顔色を窺うような声音じゃない。
「……なのに嬉しくなさそうですね」
「私に功績があるとすれば、あなたたちを効率よく戦場に送り込んでる。ってことぐらいだもの」
もちろん、少しでも楽に苦痛なく戦えるように努力はしている。だが、大人が子供を戦場に駆り立てている事実に違いはなかった。
あの時ははぐらかされたが、彼女もそう苦悩していただろう。
今度は自分の番なのだ。だからこそ受け継いだ十字架。
……
!
いや、待て。
わからぬから想像するしかなかった彼女の苦悩がいかほどのものだったのか、自分は本当に理解できているのだろうか?
エヴァに乗ることの恐怖、孤独、苦痛を体験した自分は、その程度を推し量ることができる。
これぐらいなら耐えられるだろうと、見当をつけられるのだ。
だから光鞭使徒戦で「片手で鞭を押さえ込め」などと平気で命令できてしまう。できるだろうと決め付けてしまえる。
自分は、自ら戦った経験があるだけに、却って彼らの苦痛をないがしろにしかねなかった。
知っているからこそ、この程度の苦痛なら。と割り切ってしまいそうになる。
それが……、怖い。
……
さらには、自分に向けられる彼の笑顔。
自分とは違い、今この場で屈託なく笑い、人の輪に溶け込み、真剣に他者を思いやれる彼に、その笑顔に、自分は嫉妬している。
彼女は苦悩ゆえに嬉しくなかったのだろう。
自分も同じだと思っていた。
だが自分は、自分が手に入れられなかったものを手に入れつつある彼を妬んでいる。
そのことに気付かされたから素直に喜べないのだ。
「……莫迦にしないで下さい」
気付くと、彼に睨みつけられていた。
「ワタシをみくびるんじゃないわよ」
「…実際に戦う私たちより、よほど辛そうな顔をしているわ」
「ミサトさんがそのためにどれだけ心を砕いてるか、僕たちが気付かないとでも思ったんですか?」
違う。違うのだ。
それは彼女の苦悩で、理解されるべきは彼女で、慰められるべきは彼女なのだ。
子供に押し付けた苦痛を想像するしかなかった彼女にこそ、与えられるべき言葉だった。
想像とは、際限のないものなのだから。
自分は、自身がやりたくてこんなことをしていながら、その成果に嫉妬するような輩なのだ。
慮ってもらう資格など、あるわけがない。
「ミサトさんが僕たちを戦いの駒だから大切にしていると、そう思っていると、思ったんですか?」
「ミサトならあり得るわね」
「…どうしてそう云うこと考えるの?」
ダメだ。
ダメだ。ダメだ。ダメだ。優しくされたいくせに、いま優しくされると自分が嫌いになる。
自己嫌悪に溺れてしまう。
でも、逃げちゃダメだ。逃げちゃダメだ。
いま自分が彼女である以上、この優しさを受け入れて見せないと。
逃げちゃダメだ。逃げちゃダメだ。逃げちゃダメだ。
そうだ、これは罰だ。身勝手な自分への罰だ。そう思って受け入れるしかない。
逃げちゃダメだ。逃げちゃダメだ。逃げちゃダメだ。逃げちゃダメだ。
心に殻を張って、懸命に浮かぶ。
逃げちゃダメだ。逃げちゃダメだ。逃げちゃダメだ。逃げちゃダメだ。逃げちゃダメだ。
……
「私、責められてるの? 私の昇進祝いなのに?」
「自業自得だと思います」
「ミサトが悪い」
「…泣きべそかいてもダメ」
ああもう、早速使い道ができちゃって。…そう、よかったわね。さすがアスカ。って何のこと?
ファンシーな柄の紙袋をびりびりと破りながら、アスカがのしのしと近づいてくる。
「うぅ、誰か私にやさしくしてよぅ」
「ぬわぁ、君達には人を思いやる気持ちはないのだろうか。この若さで中学生3人を預かるなんて大変なことだぞ」
「ワシらだけやなぁ人の心持っとるのは」
トウジとケンスケの的外れな援護も、だからこそ今はちょっと嬉しかった。
****
『『『フィールド全開!』』』
「第3新東京市周辺に強烈な暴風が発生!」
「なんですってぇ!」
3体のエヴァを映し出していた前面ホリゾントスクリーンが、真っ赤な警告表示に埋め尽くされていく。
****
それは時間稼ぎの作戦だった。
衛星軌道上を2時間で1周する。いわば12周回/日の回帰軌道衛星のような使徒を、一時的に追い払ってやろうとしたのだ。
稼いだ時間で戦略自衛隊と交渉するつもりで。
使徒はインド洋上空に忽然と現れてから、地球を1周する度に試射を行った。
初弾は太平洋に大外れ、次弾も日本にかすりもしなかった。
大気圏突入というのは綿密な計算を必要とする繊細な作業なのだ。使徒といえども、物理法則にとらわれているうちは容易に成功するものではない。
かつて、この使徒と対峙したときは、最初の警報から出撃まで10時間近くあった。おそらく4回ぐらい試射をしたのだろう。
それに、前回あったはずの使徒による電波撹乱は、今回まだ始まっていない。
使徒らしからぬ慎重さ。使徒らしい迂闊さ。そこに付け込む隙があった。
3回目の試射を終え、使徒が第3新東京市上空に到達した瞬間。初号機による重力遮断ATフィールド、弐号機・零号機による重力軽減ATフィールドを展開したのだ。
重力は無限に届く。裏を返せば、衛星軌道だろうが影響を及ぼせる。
不意を突かれた使徒は、自らを引きつけていた地球の重力を失って衛星軌道を飛び出した。己の保有している軌道速度によって。
ここまではいい。シナリオどおりだ。問題ない。
失念していたのは、大気の存在だった。
使徒同様に重力のくびきを逃れた第3新東京市上空の大気は、ジェット気流もかくやという速度で宇宙空間へ噴出し、使徒の衛星軌道離脱を後押ししたという。
問題は、大量の空気を失った第3新東京市上空に、当然のように周囲の大気が雪崩れ込んできたことだった。
セカンドインパクトによる海水面上昇で台風は凶悪になったと聞くが、その台風ですら可愛く思えるような暴風、急激な大気流動による発雷、気圧の低下による気温低下と大雨。
場所によっては、15年ぶりの積雪を記録した地域もあるという。
とっさに通常のATフィールドを広げさせたので第3新東京市近郊の被害はそれほどでもないが、周辺地域は深刻な災害に見舞われた。
念のために発令しておいた特別宣言D-17。
使徒の試射による津波対策もあって広範囲に行っていた避難勧告のおかげで、人的被害が軽微であったのが不幸中の幸いであったが。
ATフィールドという常識外のものだけに、使徒にだけ効く。というような思い込みがあったのかもしれない。
「申し訳ありません。
私の判断ミスで周辺地域に甚大な被害を発生させてしまいました。
責任はすべて私にあります」
『構わん、使徒殲滅は最優先事項だ。
その程度の被害はむしろ幸運と言える』
ディスプレイに“SOUND ONLY”の表示。南極に派遣されているUN艦隊との通信だ。
『……ああ、よくやってくれた葛城三佐』
「追い払っただけで使徒殲滅は確認されていませんわ、司令」
これはリツコさんだ。自分の口からは報告しづらいだけにありがたい。
『……そうか、では使徒殲滅確認までこの件は保留だ。
ところで初号機のパイロットは居るか?』
「はっはい」
『話は聞いた。よくやったな、シンジ』
「えっ? ……はい」
あまり嬉しそうではなかった。
自分はエヴァに乗る理由にするほど、その言葉にすがったのに。
『では、葛城三佐。あとの処理は任せる』
「はい」
あとで、彼と話す時間を作ろう。
「シンジ君、…レイちゃん、アスカ…ちゃん。3人ともお疲れさま。よくやってくれたわ。
今晩はご馳走よ。何か食べたい物、ある?」
「ブーレッテンとカルトッフェルザラト」
「…ほうれん草の白和え、 …蓮根餅」
二人の少女にはためらいがない。自分の気持ちに素直で結構なことだ。
先を越されて呆気に取られた彼は、このうえ自分の希望を口にしていいものか悩んでいるのだろう。
「シンジ君は?」
精一杯の笑顔を、彼に。
「……チンジャオロースが食べたいです」
照れたような微笑みは、彼の最高の笑顔だ。
「見事にバラバラねぇ。
いいわ、腕によりをかけて作るから楽しみにしておいてね」
あらたまって話をする必要はないかもしれない。食事中の他愛のない会話で充分のような気がした。
****
結局、3日たっても使徒殲滅は確認できていない。
衛星軌道から弾き飛ばされた使徒はなぜか態勢を立て直そうともせずに漂流し、そのまま長大な楕円軌道を持つ彗星と化したそうだ。
大量に氷着した大気の質量と速度を処理し切れなかったのではないか? と云うのがE計画責任者のコメントだった。
落下することに特化しすぎたのでは? という自分の推測は使徒に酷だろうか?
地球の重力より太陽の重力の影響を強く受ける今の状態では、下手な行動は太陽へのダイビングを意味しかねないのだそうだ。だから動かないのだろう。
いかに使徒といえども、サンダイバーにはなりたくあるまい。
いずれかの惑星を使った重力ターンで、地球軌道に帰ってくる可能性がなきにしもあらず。だそうだが、いったい何年後の話になるのだろう。
そういえば、衛星軌道から攻撃してくる使徒が、もう1人いたか。
重力遮断ATフィールドをモノにした以上、衛星軌道だろうがエヴァは到達可能になった。
ATフィールドを使った移動手段の腹案もある。
ただ、やはり活動限界の短さはいかんともしがたかった。
それさえなければ、単独での恒星間航行すら不可能ではないのに。
それはともかく。
落下使徒がいつ帰ってくるかも判らないし、ここは地道に地上からの迎撃方法を模索しておくべきだろう。
まずは順当なところから、戦自研が開発している自走式陽電子砲の進捗を確認しておくべきかもしれない。
いや、いっそのことエヴァ専用ポジトロンライフルのデータをリークしてはどうだろう?
要塞使徒の荷電粒子砲のデータも付ければ、結構な貸しになるんじゃないだろうか?
やりかた次第では、後々の交渉に役立つかもしれない。
さて、そういう益体もない事をつらつらと考えてるのは、現実逃避しているからである。
うずたかく積まれた書類の山を見たくないのだ。
「関係各省からの抗議文と被害報告書。で、これが周辺自治体からの請求書。広報部からの苦情もあるわよ」
わざわざこの執務室に出向いてきて、リツコさんが書類を追加する。
「ちゃんと目、通しといてね」
ざっと見渡した書類の中には、国際天文学連合からの通知まであった。落下使徒に対し国際標識番号を交付した旨の。
……なにかの嫌味なんだろうか?
そう云えば、スペースコマンドへの使徒監視引継ぎの正式書類も書かなくては。
こころよく従事してもらうために、幾ばくかの資金提供を考えるべきかも。宇宙屋は貧乏だから効き目はありそうだ。
「リツコ…あなた、ああなることが解かってたんじゃないの?」
「私が? まさか」
心外だ。と言わんばかりの表情をしておきながら、なぜ視線を逸らすのですか、リツコさん。
「高名な赤木リツコ博士が、本当に予測できなかったの?」
「ATフィールドはまだ解からないことだらけですもの」
眼が泳いでる。リツコさん、眼が泳いでるよ。
「……で、この書類を殲滅する起死回生の手段。持って来てくれたんでしょ?」
あえて不問にして、追求しないのが吉か。
「一つだけね」
「さすが赤木博士。持つべきものは心優しき旧友ね」
差し出されたメモリデバイスを受け取ろうとして、すかされる。
「残念ながら、旧友のピンチを救うのは私じゃないわ。
このアイデアは加持君よ」
見てみると「怖~いお姉さんへ♪」と書いてあった。
「ご機嫌取りしたいんだか怒らせたいんだか、よく判らないわね」
撃墜しようとしたことを、まだ根に持っているのだろうか?
いや、そういう人じゃないよなぁ。と思いつつメモリデバイスを受け取る。
その飄げた字体を見るにつけ、単にからかわれているだけのような気がしてきた。
つづく
2006.09.04 PUBLISHED
.2006.11.10 REVISED