第三話
「」の先に見えたもの
前編
それは多少、奇異な光景だったかも知れない。
その場のみをたとえていうならば、
閑静な住宅街
それ以外の言葉を見つけることが難しいほど、普通の町並みだった。夕方の遅くなっており陽も沈みかけている。街灯もとうの昔に灯されて、周りの家もそれに習うかのように明るかった。そこから読み取れるものは、夕飯の準備にいそしむ主婦の忙しい気配や、その夕飯の香り、またはテレビを見ている音など、騒がしいがおだやかなものだった。
その外を歩いているものといったら、部活で遅くなった学生が走って帰る様子や、今晩の夕飯は?、なんてなんでもないことを考えながら家路につくサラリーマンなどが、時々見て取れる程度のもので、おおむね閑散としていた。
そこに、自分の体より少し大きすぎるくらいのケースを抱えた小さな少年、碇シンジはいた。
あれから時間がたっていたのに彼がまだ目的地にたどり着けないでいたのは、道に少々迷ったからだ。これまで、かなりの距離を移動してきたために、その雰囲気全体に疲労の色が見て取れた。
しかし、その顔は、さっきまで道に迷っていた不安の陰はなく、足取りもしっかりしている。どうやら目的地が見て取れるところまできているようだ。
しばらくしてその足を止めた。
その家は普通の家にしては少し大きめで、広い庭もあった。普通の家にくらべるとやや門も大きく、小さな来訪者を威圧した。しかしそれすらも、今のシンジの目には、別のものに写った。
「やっと・・・・ついた・・・・・。」
今までの道のりを一言で表した。単純な独り言だったが、本人にはとても感慨深い一言に感じていた。後は自分がついたことを中の人に気づいてもらうだけ。そうして、インターホンに手を伸ばした。
ピンポーン
緊張しながら、そして温かく迎えてくれることをほんの少し期待しながら、インターホンから声がするのを待った。
ガチャっ!!
「・・・どちらさまですか?」
しかし、受話器が少々荒々しくとられた音の後に聞こえてきた声は、予想とは裏腹に幼く少し険を含んだ声だった。期待を裏切られ、投げかかけられた声の、その言葉の淡白さに、シンジは固まってしまった。
「・・・・・あっ、あの・・・・、その、・・・・・」
声もろくに出せないほど、シンジは頭の中が真っ白になってしまった。
「・・・・?。ちょっと聞こえないわよ!!。」
シンジが何も言わないため、その声はますます苛立ったものになった。まずい、そう思ったシンジは慌てて返事を返そうとした。
「!!あのっ、・・・・・・」
「・・・・まったく、いたずらかしら。」
ブツ!!
そう思ったときはすでに遅く、受話器は先ほどよりも荒々しく切られ、シンジは少し途方にくれてしまった。
(いけない、早くもう一度・・・、今度はちゃんと挨拶をしよう。中に入れてもらわないと。)
そう思い直しもう一度呼び鈴に手を伸ばそうとする。
(そうしよう、早くしよう。でないと、でないと僕は、)
はたと、 その手が止まってしまった。
気づいてはいけないことに気がつこうとしていた。これは何だろう?
(もう、どこにも・・・・・・・)
それは、考えないように考えの隅でふたをしていたものだった。
だめだ考えるな、
(どこにも、)
気づいたらだめだったら、
(・・・・・どこにも、行く・・・場所が・・・・・・「ない。」
最後の言葉を思わずつぶやいてしまった。その自分の声に体が、思考が、そして心が、一瞬とまってしまった。
そして改めてゆっくりと、その家の門を見る。
門の放つ威圧感は、だんだんとシンジを締め付けていく。
バス停からここまで、道に迷いはしたものの、あの二人とのやり取りと出来事はシンジを不安から包み込むように守っていた。そのおかげでここまでの道も涙を流すことなくここまでこれた。これまでの自分を振り返ると、珍しいことだった。
しかしその守りが薄れ、ここである懸念が、シンジの脳裏を掠めた。
僕は、受け入れてもらえるだろうか?
そして蓋はとうとう開いてしまった。シンジの頭はそのことでいっぱいになった。そして、ふと顔を上げた、その目にうつったものは、
そこには「あの日」と似た、
暗くなった朱い空
そうして、思い出される、父のあの背中
膨れ上がる不安がシンジの体いっぱいに広がり、この場から逃げてしまいたい気持ちが膨らんだとき、あの二人組みの見知らぬ男の一言が思い返された。
『ああもうそんなくらい顔すんなって、そんなんじゃおまえの親父さんも叔父さんも心配するだろう?。』
そういったあの顔は、自分のことを本当に心配してくれている顔だった。不思議と、その一言を思うだけで、不安が和らぎ、脳裏に浮かんだあの日の父の背中も消え去った。
(大丈夫、きっと大丈夫だから。)
何とかそう思えるようになった。
(ここに来るのもずいぶんと遅くなってしまった。きっとそのせいだ。自分を心配してくれているかもしれない。)
「よし!!、」
そう、自分に言い聞かた。しっかりと前を向いて、今度はどんな声がかかってもちゃんと挨拶をすると、覚悟を決めながらもう一度、呼び鈴を鳴らした。
ピンポーン
ガチャっ
「はーい!!どちらさまですか。」
呼び鈴を押した瞬間、ぐっと体を硬くしてかけられる声をまっていた。しかしインターホンから聞こえてきた声は、先ほどとは違う女性の声だった。シンジは肩の力が抜けかけたが、先ほどの二の舞にならないように、すぐに言葉を返した。
「ぼく!!、碇シンジです!!。今日からこちらにお世話になることになった・・・・、その・・・あの・・・」
自分のことを一気にしゃべった後最後のほうはまたぼそぼそした声になってしまったが
「あらっ!!ちょっとまっててね!!」
そういうとインターホンは切れた。そうしてすぐにシンジを威圧し続けていた門があっさりと開かれた。
「ごめんなさい!!、ちょっと料理で手が話せなくて。さっ、どうぞあがって頂戴。」
出迎えてくれたのはシンジの叔母だった。望んでいたとうり暖かく、笑顔で迎えられた。先ほどまでのことを忘れてしまうくらい、シンジはうれしかった。あまりにうれしくて少しなきかけたがそれを見られたくなくて、少し下を向く。
「はい!!、しつれいします。」
それでも迎えてくれた叔母にはしっかりと返事をして、シンジは家の中に迎えられた。
「大変だったでしょう?少し座って待ててくれる?もうすぐご飯にするし、あの人も返ってくると思うから。」
荷物はそこにおいてね。
そういって叔母はシンジを家の中へと案内した。
「はい、では失礼します。」
シンジはまだうつむいたまま、目に見えるほど緊張しながら婦人についていった。
「ふふ、そんなに緊張しなくてもいいのよ?。これからはあなたもこの家に住むんだから。」
「・・・・はい・・・」
居間に着き、シンジが落ちついたことを確認した叔母は台所に向かおうと足を向けたが、思いついたように止まると振り返ってシンジに声をかけた。
「まだすこし時間があるから、さきにおふろに入ってもらえるかしら?場所はわかる?そこから出て左の突き当たりだから」
「はい、それじゃあ先に入らせてもらいます。・・・ありがとうございます。その、・・・・おばさん。」
玄関でのことやここまで案内してくれたことのお礼のつもりだったが、叔母のことをどう読んでいいか戸惑いながらやっとのことでシンジはいった。婦人は礼の意図までは理解できなかったが、シンジの心の内を察してか、
「・・・・むりはしなくてもいいのよ。おばさんでいいから。さぁ、早く入ってきなさい。」
と返した。
「・・・はい」
シンジはその言葉にほっと息をつき、お風呂に向かった。
居間を出てお風呂場に向かう途中、奥からシンジと同い年ぐらいの女の子がこちらに歩いてきた。髪の毛は黒く、セミロングの髪を後ろでくくっている。なにやら周囲に明るい印象を与えることのできるきれいな容姿だった。シンジは驚いて少女に見とれてしまった。向こうもこちらに気がついたようだ。驚きから、落ち着いていないながらも挨拶をしようとすると彼女は、すっとシンジに詰め寄り、じーとシンジのことを眺めた。
「あっあの?」
「ふーん。」
年から考えると、シンジは小柄なほうだったので、少女からは見下ろされる形になった。困っているシンジをよそに、少女はあっさりとはなれ、シンジが声をかけるまもなく横を通りすぎ玄関にある階段をのっぼって二階に行ってしまった。
シンジがポカーンとしていると、居間からおばがやってきた。廊下で階段を見ながら突っ立ているシンジに不思議そうに声をかけた。
「どうかしたの?」
「いえ、その、・・・・・かわいい、女の子がいたんですけど・・・・」
事情を説明しようにも、あっという間の出来事だったので動揺したままのシンジは、少女に関する印象をそのまま口にしてしまった。
「あら、それはありがとう。かえってたのねあの子。シンジくん、あの子がうちのユカリなの。仲良くしてあげてね?」
「はぁ・・・」
叔母の言葉も幾分しか耳に入らず、いまだ驚きの抜けきらないシンジは、自分の少し恥ずかしい言葉にも気づかず、しばらく立ち尽くした。 その後ボーっとしたまま、再び風呂に入るべく奥へと歩いていった。