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No.246の一覧
[0] 見上げる空はどこまでも朱く【エヴァ】[haniwa](2009/11/30 10:37)
[1] 見上げた空はどこまでも朱く[haniwa](2006/07/23 17:23)
[2] 見上げる空はどこまでも朱く[haniwa](2006/07/23 17:15)
[3] 見上げた空はどこまでも朱く[haniwa](2006/08/12 02:52)
[4] 見上げた空はどこまでも朱く 第四話[haniwa](2006/08/12 02:56)
[5] 見上げた空はどこまでも朱く 第五話[haniwa](2006/08/12 03:05)
[6] 間幕[haniwa](2006/07/23 18:03)
[7] 見上げる空はどこまでも朱く   第六話[haniwa](2006/07/23 18:24)
[8] 世間話[haniwa](2006/07/23 03:37)
[9] 見上げる空はどこまでも朱く  第七話[haniwa](2006/07/24 19:51)
[10] 見上げる空はどこまでも朱く  第八話[haniwa](2006/08/16 15:28)
[11] 見上げる空はどこまでも朱く  第九話[haniwa](2006/08/08 16:49)
[12] 見上げる空はどこまでも朱く  第十話[haniwa](2006/08/10 17:13)
[13] 見上げる空はどこまでも朱く  第十一話 前編[haniwa](2006/09/12 00:34)
[14] 見上げる空はどこまでも朱く  第十一話 後編[haniwa](2006/09/12 00:36)
[15] あとがき[haniwa](2006/08/14 20:35)
[16] 見上げれる空はどこまでも朱く 第十二話 前編[haniwa](2006/09/12 00:27)
[17] 見上げれる空はどこまでも朱く 第十二話 後編[haniwa](2006/09/12 00:30)
[18] 後書き[haniwa](2006/09/12 00:32)
[19] 見上げる空はどこまでも朱く 第十三話[haniwa](2006/09/24 21:57)
[20] 見上げる空はどこまでも朱く 第十四話 前編[haniwa](2006/10/09 10:45)
[21] 見上げる空はどこまでも朱く 第十四話 後編[haniwa](2006/10/02 15:13)
[22] 見上げる空はどこまでも朱く 第十五話  【 Ⅰ 】[haniwa](2006/10/19 16:56)
[23] 見上げる空はどこまでも朱く 第十五話  【 Ⅱ 】[haniwa](2006/11/14 22:26)
[24] 見上げる空はどこまでも朱く 第十五話  【 Ⅲ 】[haniwa](2006/11/22 10:01)
[25] 見上げる空はどこまでも朱く 第十五話  【 The End 】[haniwa](2007/01/09 21:32)
[26] 見上げる空はどこまでも朱く 第十五話  【 For Begin 】[haniwa](2007/01/09 21:41)
[27] エピローグ《Ⅰ》[haniwa](2007/01/09 21:47)
[28] 第十六話[haniwa](2007/03/19 16:50)
[29] 第十七話[haniwa](2007/06/25 11:38)
[30] 第十八話 前編[haniwa](2008/06/01 16:46)
[31] ミソラージュ  その一[haniwa](2007/01/24 14:51)
[32] 没ネタ[haniwa](2007/07/10 13:49)
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[246] 第十七話
Name: haniwa◆5c9c4c4c 前を表示する / 次を表示する
Date: 2007/06/25 11:38
 間幕




 ―――ここは、どこだろう


 ―――何で、こんな所に


 そこは静かで
 人々の雑踏からも遠く
 辺りを照らす街灯すらなく
 時間の流れのような光の尾を引く車の行き交うこともない
 静かな、暗闇
 ただ目の前に、一本の道だけ
 まるで浮き上がっているかのように見て取れた
 グニャグニャに曲がった
 けれど、確実に先へと延びる道
 何も変化することのないその場所で
 ただ立ちつくしていた
 暗闇に飲み込まれた、その先を見据えたまま


 妙に、体が重くて
 立っているのがとても辛くて
 顔を上げていることも
 息をしていることも
 苦しいと考えていることさえ
 それでも
 ちりちりと後ろ髪を焼かれる
 心臓を握りしめられ
 今にも引きずり出される
 焼け付き、それでいてどこか冷たい何かを
 立ちふさがる暗闇に見つけようとして


 ふと気が付くと
 耳障りな音が聞こえてきた
 そちらへ、
 自分の体へ、
 本当にほんの少しだけ、目を向ける
 そこには、鎖
 周囲に融け込んでしまいそうな、黒い鎖
 腕や、足に巻きついたそれがジャラジャラと擦れ合っていた
 それは重く、厳しく、冷たく
 何もかもを投げ出して、目を閉じてしまいそうになる


 だけど、
 それは僕を決して離さない


 そして、
 僕はそれを絶対に離さない


 ―――ああ、そうだ。


 ―――そうだった。


 そのためにここにいる。
 あの日、あのときの夕闇からずっとここにいる
 それが僕の覚悟
 あの日の誓い
 決して、目を逸らしたりしない
 もう、それしかない
 この先に居るのがあなたなら
 いつかこの道からやってくるのがあなたなら、
 たった一つの、あなたとの繋がりだから


 でも


 鎖のあまりの重さ
 先の見えない暗闇
 足がすくみ、その場に倒れ、耳をふさいで、堅く目を閉じてしまいたくなる
 どうしてと、誰かに聞いた
 どうしてと、誰にも届かなかった
 だけど、僕は答えを掴んだ
 僕はもう知ってるんだ
 理由、正体、何もかも
 なのに何故、止まってくれないの?
 顔を上げろ、前を見ろ、逃げるな、……さぁ! 早く!
 僕の胸を灼く、その声は止まってくれなくて―――


「――――」


 声が、聞こえた


 さっきまでとは違う声


 一瞬で周りの景色が変わった


 たった一言
 別の場所からその声が届いただけで
 どこまでも暗闇の続く場所のはずなのに
 陽だまりみたいに暖かくて
 たった一言
 うれしさに弾んだその声が聞こえただけで
 月のない夜のような暗闇が
 目を開けられないほどの光の世界に
 だけど、その光はあまりにも眩しくて
 その人を見つけられない
 あそこから引き上げてくれた
 あの声の主を見つけられない
 暗闇にも耐えられた心が
 この暖かい、光あふれる場所では耐えられない


 ―――どこ? 


 ―――どこなの?


 もう少しで声を上げそうになったとき


 さっと、視界に影が差し


 ふわりと、額に触れる暖かい手の感触 


 ―――あぁ


 通りでいくら遠くを見渡しても見つからないはずだ
 その人は近くに
 彼女はこんなにも近くに
 顔を少し上げて
 目を開いた、そのすぐ傍にいてくれたんだから




「――――、シンジ」

「……おはようございます、ユカリさん」




 僕がそう答えると

 陽だまりのような笑顔を浮かべて

 彼女は笑った




――――――――――――――――




 しばらく、私は屋上で見つけたシンジを観察していた。
 そもそもこんなところで何をしていたんだろう。
 シンジの傍には、風に飛ばされたのか、やたら走り書きの多い紙が、そこらに散らばってる。
 元々その紙がおいてあったらしい場所をたどると、何とも不格好なキャラクターの模様がちりばめられたナップサック。そしてそこから、ヘッドホンへつながるコードも伸びてる。
 解ったことは、そんなことだけだった。

「で?」

 視線をシンジに戻して直接聞いてみることにした。
 その言い方は、目の前でポヤポヤとにやけてるシンジに、こんな風に笑う男の子に向けるにしては、少しトゲトゲしかったかもしれない。

「はい?」

 案の定、シンジは少し驚いたように、いまだに眠たげな眼を少しだけ見開き首をかしげた。
 うん、かわいい。
 サイズの大きなヘッドホンの重さに耐えきれず、少しよろめいているしぐさが何ともいえない。
 今なら少しだけ、加藤さんと分かり合えそうな気がする。
 ほんのちょっとだけ。
 でも、私はすでにこのとき、ここまでの道のりを十二分に振り返り、彼の重大な過ちに気づいてしまっていたから。 
 私のその後の行動は早かった。

「はい? じゃないでしょ!」

 ガシィ!

「ひぁ!」

 一握りの容赦もなく、右手でシンジの顔を掴み、力を込め、ギリギリとそのこめかみを締め上げる。
 シンジは手足をばたつかせ面白いように驚いていた。
 傍らにあったシンジの荷物が音を立てて散らばった。
 シンジからしてみれば、突然目の前が暗くなりこめかみに痛みが走った位しか分からないだろう。
 突然私がそんなことをした理由なんて想像もつかないはずだ。
 それでも私は手に込める力を緩めはしない。
 むしろ、未だに混乱から抜け出すことの出来ないシンジの慌てた様子に、嗜虐心さえわき上がってくる。
 だから、私は手を離さない。それに私は怒ってるんだから。
 あわてふためくシンジから、そっと片耳だけヘッドホンをはずして、露わになったその耳元にそっと顔を近づけて、怒鳴りつけそうになるのを押し殺し、むしろ穏やかな口調でシンジにささやいた。

「それでぇ、シンジ君はなぁんで私をおいて先に学校にきてんのかしらぁ? おねぇさんとっっっても不思議ィ」

 ぴたりと、シンジの抵抗が止まった。
 ほんの少しだけ、シンジのこめかみを締め上げている手にふるえが伝わってくる。
 それだけで十分に、シンジが自分がどんな間違いを犯したか気づいたことは伝わるけれど、まだ離してあげない。
 ぐりぐりと、彼のこめかみを締め上げている右手に強弱をつけて、シンジに先を促す。

「ねーシンジくーん? 不思議よねぇ、朝起きたら誰もいないんだもの。どぉしてかしらぁ」

 なるべく、普段私が出さないような猫なで声でシンジの恐怖心をくすぐってみる。
 そうしてようやく、まるでさびたブリキのおもちゃのようなぎこちない動きでシンジは口を開いた。

「そ、それはですね、……き・今日はとっても天気がいいじゃないですか?」
「えぇそうね。本当に、気持ちがいいわ」

 声をわずかに震わせて、視線を私から逸らすシンジ。
 けれど私は、それには従わずにさらにシンジの瞳を覗き込んだ
 そんなことではごまかされないと意思表示しながら。
 やがてそれに気が付いたシンジが私と目を合わせたところで、さらにその先を促す。

「で、ですから、こんな日は朝早くにチェロを弾けたら気持ちがいいだろうなぁって思いまして……」

 ふっと、指先から力が抜けそうになる
 あきれた。
 こめかみの痛みに耐えながらシンジがいったその理由は、私を脱力させるのに十分だった。
 普段からあきれるほどいじくり回してる癖に、まだ足りないのかしら?
 あぁ、でもこういう奴だった。
 意外と思いついたらそのまんま行動しちゃう、そんな奴だ。
 何より、私がそうした。
 これは喜ぶ所かな? 苦笑いを浮かべてこういうことをするようになったシンジを、私は笑って許してあげるべきかしら?

「ふぅん、それで?」
「えっと、その、……以上です。えへへ」

 私がやや力を弱めて脱力していたことに少し安心したのか、私の声色が先ほどより黒くなっていることに気が付かない。
 私の手に隠された手の裏でへらへらと笑ってる気配が伝わってくる。

  ―――あぁ、でも

「そう? よかったわねぇ」
「はい」

 ―――お仕置きは必要よね?

「で? 覚悟はいいかしら?」
「え?」
 
 私は、シンジを掴んでいた右手に、さらに左手を添えて、深く深く深呼吸した。
 そういえば、前に全力をふるったときはどうなったんだっけ?

 メシィ!!!

 何かを引き絞るような音のあと

「―――ぃひゃたたたたたあ!!!」

 そうそう、今のシンジみたいに、可愛らしい悲鳴を上げてくれたわ。
 でも、お仕置きはこれからよ、シンジ?







見上げる空はどこまでも朱く


第十七話


思い、果てなく






「うー、まだくらくらします」
「ふん! あんたが悪いんでしょ」

 こめかみを押さえて呻きながら、給水塔に寄りかかって頭を冷やしながら恨めしげに覗き込むシンジをよそに、その隣へ腰掛けながら私は言った。
 だってホントのことだもの。

「それよりも、こんなとこで何やってたのよ」

 言いながら、私は改めてシンジの周りに目をやった。
 そこには、さっきは気が付かなかった筆記用具の入った筆箱や、そこらに消しかすの山が在った。
 どうやら、ただの気分転換に音楽を聴きにここへ来た訳じゃないみたい。
 そうして私が、もう一度シンジの周りの観察をしてると、シンジは押さえてた頭から手を離し、急に慌てた様子でガサガサと紙の束をあさりだした。そしてすぐに、そのうちの一枚を探し出して私に突きつけた。

「これです」

 気のせいか、シンジが胸を張っているように見えた。こういうとき、大抵シンジのやることはろくでもないことだったりする。私は少し疑わしげにシンジのつきだした紙を受け取った。それはなにやら書き込まれた紙の中でも、一際汚い紙の一枚だった。あっちこっちに走り書きがしてあって、それもコンクリートの上で書いてあったからミミズが這ったような字になってる。
 でもよく見てみると、規則正しい五本線ががきれいにいくつか並んでて、シンジはその上に、ドレミがカタカナで所々記され、おたまじゃくしの出来損ないや、独特の記号も見て取れた。
 一人静かな場所で、お気に入りのプレイヤーに耳を傾けながら、紙に何か書く。
 そこでようやく、シンジがここで何をしていたか解った。

「また楽譜に起こしてるの?」 
「今回はちょっと大変でした」

 私は、やっぱりあきれながらシンジに言った。それでもシンジはうれしそうに、さらに胸を張って私に答えた。

「それで? 今月に入って何曲目?」
「三曲目です、……あ!」

 何気なく続けた私の言葉につられてシンジは得意げに答えるが、次の瞬間両手を押さえて、しまったという顔を作る。
 もちろん私は聞き漏らさないし、見逃さない。

「三曲目ぇ?」 
「あぅ……スミマセン」

 まだ、今月に入ってから、一週間経っていないのに。
 私がじろりとシンジをにらむと、シンジは気まずげに視線を泳がせた。それでも私からの視線がゆるまないことを悟ると、さっきまであさっていた紙を自分の後に隠した。
 しかし、その弾みで、シンジが首に引っかけていたヘッドホンが引っ張られ、落ちて転がった。そして同時に本体のスイッチが入ったようで、そこから音が聞こえてくる。その音は、ほんの少し離れた私にも十分に聞こえてくるほど。
 私はシンジがそれを慌てて拾おうとするのを素早く遮り、それを手に持ちながら膝立ちでシンジに詰め寄った。

「しかもこんな音量で聞いて! 耳、悪くなるって言ってあったでしょ! だいたいねぇ、いくら先生に許可もらったからってこんな所にまできて聞いてるのはルール違反! せめて放課後まで我慢しなさい!」

「…………ゴメンナサイ」

 私が責めるように怒ると、シンジはますますしぼんでいき、膝を抱えてしょんぼりと肩をとした。
 その姿があまりにも情けなくて、私は深くため息を吐いた。


 シンジの数少ない趣味の一つ、といえば聞こえはいいかもしれない。
 何時か手に入れたあのミュージックプレイヤーで、それこそ暇さえあれば、シンジは音楽を聴いていた時期があった。少し行き過ぎと感じたこともあったけど、その時のシンジは、幸せそうで私は何も言えなかった。きっとそれはシンジにとって、私が本の世界に没頭してるのと同じような物だろうと、その時は思った。まさか音楽聞いてるだけでまた倒れたりしないだろうって。
 でもその時私が忘れてた。シンジは、ちょっとお馬鹿だったこと。
 私がその違和感に気が付いたのは、シンジに内緒でプレーヤーをいじってみたときだった。
 一本のテープに同じ曲が、何曲も何曲も何曲も、延々と続いていた。
 その時は、少し変だなとしか感じなかった。けれど故障ではなかったし、よく見ると全曲リピートの設定になっていた。
 それでも私は、シンジが音楽を聴いてるときにテープを入れ替えているのを見たことがない。
 試しに、いつもならどこかにシンジを連れ回すところをぐっと我慢して、休みの日に一日中見張って(観察)みることにした。
 結果、ずーーーと音楽聞きっぱなし。しかもテープを交換もせず。
 その時はさすがにめまいがした。でも本当に驚いたのは、その事を聞いたときのシンジの言葉だった。
 何故、同じ曲を延々と聴いているのか、その答えは

「楽譜にするんですよ?」

 またもや小首を傾げて、何でそんな当たり前のことを聞くのかって感じで、逆に問い返された。
 気に入った曲を飽きるほど聴き、そして聴きながら大ざっぱなドレミを覚えて、楽譜に起こす。
 まぁ、まだそこまではよしとしよう。その時私はものすごく驚いたけど、シンジの特技、そう思えば本当にすごいことだなってうれしく思ったくらい。
 私がすごいねってシンジをほめて、他にどんな曲があるのって聞いていろいろ見せてもらって、音楽の話をしたのも楽しかった。知らない知識が、シンジの口からすらすら出てくるのを、今度は楽しく聞くことが出来た。
 最後に、今度はこの曲楽譜にするのってシンジが言ったから、早く見せてねって言ってその日は終わったんだっけ。
 でも、それがいけなかった。
 その数日後、またシンジが倒れた。原因は、……寝不足。
 
 あぁ! 今思い出しても恥ずかしい!
 何で倒れた後、寝言で、

「―――ユカリさーん、出来ましたよー」

 何て言うのよ!
 先生を含めたクラス全員の視線が私に集まったときどれだけ恥ずかしかったか!
 確かに早く見せてって言ったけど、何も徹夜で書き上げなくてもいいでしょうに。


 思い出した出来事に煮えるような思いを抱いて私は頭を押さえた。
 それが収まった頃にもう一度、ため息を吐いてちらりとシンジを見る。
 膝立ちになった私を、下からそっと覗き込むように見上げていたシンジと目があった。

「……えへへ」

 たったそれだけで、シンジはまた困ったような笑顔を作った。
 その笑顔が、また情けなくて、不器用で。
 でも、そに笑顔につられて、いつの間にか私まで頬がゆるんでいることに気が付いた。
 次の瞬間、そのにやけ面にチョップを食らわせる。

 ズビシ!

「あいた!……なんで?」

「何となくよ」

 そして、鼻を押さえながら聞いてくるシンジから、あさっての方向に顔を背け、赤くなった顔を隠した。




――――――――――――――――




「まったく! それで、今何聞いてるの?」

 私はシンジの隣に座りなおしながら聞いた。
 シンジは少し考えるようなそぶりを見せた後、そっと私にヘッドホンを差し出しながら言った。

「聞いてみますか?」

「うん、じゃあちょっとだけ」

 そういってシンジからヘッドホンを受け取る。
 私はこういうのにあまり詳しくないけれど、このヘッドホンはシンジにしてはとてもいい趣味だと思う。
 どこかレトロな雰囲気と、アンティークの香り。手に取ってみても、安っぽいプラスチックなどではなく、堅い金属の感触のするそれは、着けてみるとちょっと重たい。でもしっかりと私の頭を押さえた。
 これから音楽を聴こうとするんだけど、身につけただけで満足してしまいそうになる。
 私が準備をすませると、それを待っていたシンジにうなずいて見せた。
 シンジはそれを見て、いきますよと断ってから本体の電源を入れた。
 そして私は聞こえてくる音楽に耳を澄ませる。
 しかし、次の瞬間私は眉を寄せた。

 聞こえてきた音楽は、
 思わず耳を押さえたくなった。ヘッドホンが邪魔で出来なかったけど。きっとこれが街角で流れてきたらきっとそうする。
 楽器を奏でていると言うより、ただ鳴らしてる。
 歌っていると言うよりも、ただ叫んでる。
 歌詞の意味はさっぱり分からない、というよりも何を言ってるのか解らない
 よって私の評価は、

「うわ! 何これ? うるさいだけじゃない」

 最後まで聞き終わるまでもなく私はヘッドホンをはずして、私を見ていたシンジに叫んだ。
 シンジは不思議そうに私を見上げてた。

「そうなんですか?」
「そうなんですかって、あんたわかんないのに聞いてたの?」

 私があきれていると、今度は手に持っていた楽譜をなにやら難しい顔を作って見ていた。

「”ろっく”を研究中なんです」
「……この曲はやめときなさい」

 いやよ、シンジがチェロでデスメタル弾いてるとこなんて見たくない。てゆうか弾けるの?
 それにこんなに雑音が混じってるのに音なんて拾えるのかしら。
 ああ、だからあんなに紙が汚かったのか。
 そうして私が一人納得していると、シンジはいつの間にか広げていた物をナップサックの中にしまい、私を見ていた。

「でも、どうしてユカリさんはここに?」

 グッと、息を呑みかける。
 本当のことなんて、格好悪くていえるわけないじゃない。
 それでもシンジは不思議そうにこちらを見つめ続けている。
 ほんの数瞬、私だけ一方的に気まずい思いでシンジと見つめ合った。
 何とか気を逸らさないと

「な、何でもないのよ!? 強いて言うなら、探し物かしら」
「何を探してたんですか? 僕もお手伝いします」

 私が普段よりもだいぶ上ずった声で答えたのは逆効果だったらしく、シンジはさらに心配そうに聞いてくる。
 それどころか立ち上がろうとまでしていた。
 私はそれを慌てて引き留めた。

「ううん! もういいの! 見つけたって言うか、気づいたから……」
「?」

 あぁ、もう! 心配そうにこっち見ないでよ。
 さっきまでの自分の考え思い出して恥ずかしくなってくるじゃない。

「あっ! そうだテスト、シンジも帰ってきたでしょ? 何点だった?」
「え?」

 私は何とか別の話題を思い出すことが出来た。
 ずいぶんと苦し紛れだったけど、どうやらシンジの気を逸らすことが出来たみたい。

「えーと、算数は百点でした」
「ぐっ!」

 だけど、次の瞬間後悔した。
 自分が振った話題とはいえ、少し挫けそう。

「ユカリさん? どうかしましたか?」
「……なんでもないわよ」

  悔しさとも、恥ずかしさとも付かない複雑な気持ちが私にシンジから顔を逸らさせた。

「あぁ、ユカリさん算数苦手でしたっけね」

 うつむいた私の顔を少し覗き込むようにしながらシンジが言う。
 その顔はなんだか先ほどまでの情けない顔に代わり、にやにやと勝ち誇った笑いを浮かべていた。
 ちくしょう、こいつ調子に乗ってるな。

「ふん、いいのよ。私は国語百点だったもの。あんたは?」
「……」

 返事がない。
 今度は私がシンジを横から覗き込んでみると、今度はシンジがうつむき、さらに肩をふるわせていた。
 悔しさを紛らわせるために言った一言は、予想以上に効果的だったみたい。
 そう、何を隠そう、シンジは国語が苦手だった。私はそれをとてもよく知っている。
 なんせ、私が算数を苦手としている以上に、シンジは国語が苦手なのだ。

「シ・ン・ジ・くーん、国語は何点だったのかな~」

 ここぞとばかりにシンジを追いつめてみる。
 点数の優劣で喜ぶような趣味はないけど、今回は別。
 さーて、シンジ君は何点だったのかしら?
 五十点? 四十点? はたまたギリギリの三十点かしら!
 私がそうして、シンジの次の言葉を楽しく想像していたとき、シンジがぽつりと肩越しに呟いた。

「……十五点、です」

 ……聞き間違いかしら?
 なんだかとっても悲惨な数字が聞こえてきたけど。
 もちろん一番最初に疑ったのは、さっきのものすごい音楽のせいでまだ耳が本調子じゃないこと。
 でもそれも、改めてシンジを横から見たとき、その小さな肩に背負った暗い影を見て間違いじゃないことを思い知らされた。

「……え、えーと、その、そうよ! どーせこんなの他人の勝手な評価なんだから……あれよ? 母国語なのにそんな破滅的な点数とったからって気にしちゃだめよ」
「はぅ!」

 あ、シンジがまたへこんだ。どうしよう。失敗しちゃった。
 気付いたときには、肩に暗い影を背負ったシンジと、その姿にさすがに罪悪感を感じるも、その原因を作った私が、それ以上どう声をかけていいか解らなくておろおろしているという図ができあがっていた。
 もう一度慰めようとしても上手くいきそうにないし、かといっていつもみたいに、一方的にシンジが暗いと責めることもできない。
 
「シンジ?」

 そーっと、膝を抱えたままのシンジを横から覗き込んだ。

「……違うんです。文章問題ばっかりだったんです。苦手なんです。……接続詞って何ですか? 五段活用ってどんな方程式? 『その』が示している部分はどこでしょう? 解らないとダメですか? 別にそれが解らなくても明日のご飯には困りません。卵焼きに必要なのは適度な油とフライパンを熱くしすぎないことです。でも―――」

 私にはちらりとも目を合わさずに、シンジはなにやら愚痴っていた。
 それもだんだん小さくなって聞き取れなくなっていく。
 でも、その小さな愚痴の中に、意外にも私が算数をけなすときに使うようないいわけが混ざっていたことが、少し面白かった。
 だから私は、ほんの少し息を吐いて、落ち込んでいるシンジの頭に手を置いた。

「もう、しょうがないなぁー」
「ユカリさん?」

 ポンポンと気安く叩いた後、顔を上げたシンジが戸惑いながら私を見上げていることも無視して、その柔らかい髪をそっとなでた。

「お姉ちゃんが、かわいそうなシンジ君に国語の楽しさを教えてあげましょう」

 さも得意げに言わなくちゃいけない。でないとシンジは絶対に遠慮する。
 教えてあげる、じゃなく教えさせろと含ませて。これが最初の予定通りということは気づかれないように。
 もちろん、このままじゃシンジは萎縮する。私の嫌いな、申しわけなさそうな顔、自分が私に迷惑をかけているんだと悲しそうな顔をするに決まってる。
 問題はここから。私が最後の台詞を言えるかどうかに掛かってる。
 今度は目をそらしてごまかすわけにもいかない。
 シンジは今も私の言葉を待ってるんだから。
 少し動きをぎこちなくしながら、それでも私は言うことが出来た。

「だから、……算数、教えて」

 あー、私きっと顔が真っ赤だ。鏡を見なくても解る。今も柔らかく吹く風が私の頬を撫でるとき、とても冷たく感じたし、何より自分でわかるくらいに心臓がドキドキしてる。
 それでも、言わなきゃ良かったとは思わない。
 だって、私に頭を撫でられてるシンジが、今は困ったように笑ってるから。

「……はい」

 私の言葉にシンジはそう答えてくれたから。

「髪、伸びたね」

 そういってもう一度手をシンジの髪に通す。
 指の隙間から抜けていくシンジの髪の感触が楽しくて、何となく手のひらの中で弄んでみた。シンジもされるがままになってくれた。

「また切ってあげなきゃね。それとも、ちょっとのばしてみる?」
「ユカリさんがいじめるからいやです」
「えー、似合うのに。ねーシンちゃん?」
「もう!」
「あはは、ほらほら」

 逃げようとするシンジの頭をくしゃくしゃになるまでなで回して、その触感を思う存分に楽しんだ。

       キーン コーン カーン コーン

「あ、ほら予鈴ですよ」

 チィ、いいところだったのに。
 私の手から逃げ、くしゃくしゃになった頭を整えてたシンジに向き直る。

「シンジ、今日は放課後どうするの? 確か今日は、シンジがご飯作る日でしょう?」
「そうですねぇー、夕飯の買い物に行かなくちゃ。今日は音楽室も使えませんから、そのまま帰ります」
「じゃあ私も一緒に行くから、ちゃんとまってなさいよ」
「はい、判りました」

 散らばった紙を集めていたシンジがしっかりと答えるのを確認してから、私は給水塔の建物のはしごを下りた。
 私の後に続いて下りはじめたシンジが、そんなに高くないはしごを、必要以上に怖がりながら下りるのをからかったり、今度くるときは私も誘いなさいよと言ったり、そのやり取りは前に戻ったみたい。

 そう、五年生に上がる前、シンジとクラスが別になる前の。

 もちろん、家に帰ればシンジはいる。家に帰れば普通に話したりもする。
 でも、こうして学校で話す機会は極端に少なくなってしまったから、私は久々にシンジと話したような気さえした。
 そんなことをうれしく思ってる自分が少し恥ずかしくなって、私は未だはしごでもたついていたシンジを置いて、屋上の入り口へ歩く足を少しはやめた。
 うん、学校だからって、別に遠慮することはない。別のクラスになったからって、シンジに話しかけちゃいけないってこともない。
 クラスが別になったからって、別に私とシンジの距離が変わった訳じゃない
 それを今日、再確認できた。
 今度は私からシンジをここへ誘いに行こう。
 今度は何か演劇の台本でも持ってくれば楽しいかもしれない。
 そんなことを考えながら、屋上のドアをくぐった。
 さっと、空気が変わった。
 風が吹いて、涼しくてもどこか柔らかな暖かさを感じた外から、コンクリートの冷たさと、扉から強い風が今も入ってくるのに、どこか乾いた埃っぽい空気に変わった。
 まるで一枚、薄い膜を通り抜けたような感触。
 それが、楽しい時間の終わりを私に感じさせた。
 シンジは、どう感じたんだろう。
 私はすでに階段にまでたどり着いていた足を止め、今さっきくぐった屋上への扉へと振り返った。

 そこに、シンジは居ない。

 まるでそれ当たりが前みたいに、振り返った先には踊り場に散らかったがらくたと、今も扉から流れ込んでくる風、埃っぽい空気、誰もいない出入り口、ひとりぼっちの私。
 それだけ。
 風の音と、私自身の浅い呼吸の音、それ以外にはまるで耳が痛くなるような静かさ。
 ふっと、なにかが頭をよぎる。
 言いようのない空白、見つけた青、満たされてゆく心。
 あれは、全部夢だったんじゃないかって。
 本当はここに来てからずっと一人だったんじゃないの?
 私はこの後、当たり前のように階段を下りて教室に戻って、あの騒がしい二人組とふざけあったり、クラスのみんなと今度のクラス会の出し物の練習をしたりする。
 そして放課後になって、また一人で家に帰って、一人でご飯を食べて、少しだけのつもりで本を手にとって、でも結局は遅くなってから眠りにつく。
 そうしてまた、ひとりぼっちの朝がくる。
 本当はシンジなんて居なかった。私はずっとここで一人で居た。
 そう、シンジなんて人間は最初から居なかった。
 堅くて冷たいはずのコンクリートの床が、ぐらぐらと揺れはじめたような感覚がした。
 全部、嘘。
 シンジの点数を聞いたこと、勉強を教えてもらう約束、教える約束。
 シンジのすごいところを見つけられたうれしさと、シンジを心配したときの悲しさ。
 それだけじゃない。
 自分の手のひらに視線を移して思う。
 シンジの寝顔、柔らかい髪の毛の感触、そして、困ったようなあの笑顔も。
 手に入れた物すべてが私の夢? 本当に全部が嘘だったの?

 違う。

 絶対に違う。
 気が付いたときには、私は走り出していた。
 扉から吹き込む風に逆らって、再びその向こう側へ飛び出して、

「シンジ!」

 まるで悪い夢から覚めたときの叫びのように、彼の名前を呼ぶ。
 開けた屋上はさっきと変わった様子は無かった。
 ただ一人、そこに立つ人影があった。
 さっきまでの私のバカな考えを否定するように、がらくたが転々と転がる広い屋上の真ん中で、シンジはナップサックを肩に担いだまま立ちつくしていた。
 ほら、やっぱりシンジはここにいた。どこにも行ったりはしない、シンジはここにいる。
 でもシンジは私の声が聞こえていなかったように、ただぼんやりと立ち続けていた。

「シン―――」

 もう一度シンジを呼ぼうとして、声がとぎれてしまった。続けようとした言葉も、私の思い通りにならずに飲み込まれていく。
 今も、私はシンジに振り向いてほしくていろんな言葉を作ろうとしてる。
 でもそれは全部胸のところでつっかえて声になってくれない。
 直接シンジの肩を掴もうとしても、足がそれ以上進んでくれなかった。
 どうして?
 シンジの、顔を見てしまったから。
 さっきまで私が見上げていた空を、シンジが見ていたから。その横顔を見てしまったから。
 その目を、見てしまったから。

 その目が何時の日か、陽炎に揺らぐ先に見た、ひどく遠くを見つめる目だったから。

 私はあの日を忘れない。忘れられない。
 初めてシンジとけんかしたから。もちろんそれもある。
 でも、一番あの日のことを私に刻みつけたのはもっと別の物。
 まるで、自分をとても遠くに置いたような、まぶしい物を見るような、あの瞳。 
 もし、私に振り向いたシンジがあの瞳のままだったら。私はもう二度と、あんな瞳でシンジに見られたくなかった。
 だから、シンジに声をかけることが出来ない。
 恐いんじゃない。シンジの眼が恐いなんてことじゃない。ただ空を見上げてるシンジに私が怖がる部分なんて在るはずがない。
 きっと、私は怒るだろう。あんな目で私を見たシンジに、きっと怒り狂うにちがいない。怒鳴りつけて、さんざんに殴り飛ばして、むりやりにでもあの顔をやめさせたくなる。
 そして、きっとそれが出来ないから。
 私はその場を動けない。
 そして今、シンジはその瞳で、今にもつかめそうだと私が感じたあの空を見つめていた。
 シンジにとっては、それは自分からは遠い物なんだろうか。
 そうおもうと、胸を詰まらせている物の重さが増えた。
 シンジに、私ですら踏み込めない何かが在ることを意識させられた。
 駆け寄ればすぐにでも手に届く距離にいるシンジが、とても遠い。
 それでも、私は―――


 コロコロ、コロコロ……


 私の耳にその小さな音が届いたのは、そんなときだった。
 それは屋上に少し強めの風が吹くたびに聞こえてきた。
 どこか堅い物がぶつかっているような、それでいてどこかくぐもったような音。
 屋上のがらくたが出してる音ではないことはすぐにわかった。
 それでも私は辺りを見渡してその音を探した。
 何故かその音はどこか懐かしく、そして儚くて、すぐに気づいてあげないと、今にも消えてしまいそうだったから。
 でも、がらくたばかりの屋上をいくら見渡しても何も見つけてあげることが出来なかった。
 今屋上に在るのは、空と風と私と、シンジ。
 そう、シンジだ。


 コロコロ、コロコロ……


 デニム生地の短パンと、一山いくらで売ってそうな青い横縞のシャツ。クラスでも前から数えた方が早い小柄な体は、それでも少し背が伸びたほうだった。
 ナップサックは肩に背負ってた。いくらかの紙と筆記用具、ミュージックプレイヤーが入って歪にゆがんだナップサック。
 荷物がすこし重めなのか、それとも右肩だけでそれを担いでるせいか、少しだけ肩ひもが肩に食い込んでる。
 それだけじゃない。
 本当に小さな物が、そのナップサックの肩ひもを繋いでいるところで揺れていた。
 それは今も、屋上に強い風が吹くたびに小さく自己主張していた。
 私は、その時初めてシンジの全身をみた。
 空を見上げてる横顔だけじゃない。肩に食い込ませたナップサックの肩ひもと、それを支えようともしないで左肩の袖を握りしめてる右手。
 そして私からは見えない左手は、きっと震えながらズボンを握りしめてるに違いない。
 私にはわかる。だって、私は知ってるから。
 きっとそれは全部じゃない。ほんのかけら。碇シンジを形作ってるほんの一部だけど。
 それだけが、私の知ってるシンジのすべてが、それを教えてくれたから。
 足は、自然と前に出てた。
 いつの間にか、胸のつかえはきれいさっぱりなくなっちゃってた。

「シンジ」
「はい」

 やっぱり震えてたその肩を軽く引き寄せて、私は彼の名前を呼んだ。

「なぁにぼーっとしてんのよ。ほら、いくわよ」
「ああ! まってくださいよ」

 今度は振り返らない。階段を下りて、教室の前に着くまでたぶん振り返らない。
 シンジの足音は私のすぐ後を着いてきたし、何よりあの小さな音は、今度ははっきりと聞こえてきたから。
 私の足取りは軽い。
 さっきまでの不安を、今は違う物として受け止めることが出来た。
 でも、それは後々の楽しみにとっておこう。




 いつか、シンジに聞ける日が来るかな。
 シンジが見ている空は、何色?




 小さなキーホルダーが、またコロコロと鳴った。




――――――――――――――――




 その日の晩ご飯は私のリクエストでカレーだった。
 私も久しぶりに準備を手伝ってみた。材料を切って居る横で、小麦粉のようなもの物がシンジの操る鍋の中でちゃんとしたカレー粉になっていく様子は、なかなか面白かった。
 当のシンジはというと、鍋を振って居る横ですでに準備していた、少し変わった形の鍋をにこやかな顔で見ていた。
 学校の帰り道でカレーがいいと言ったときに思ったよりすんなり聞き入れた理由は、その鍋を試したかったというのが本音らしい。
 できあがったカレーは、一晩寝かせてない割には、掛かった時間に見合って、なかなか上手に出来た。
 そうして今、私たちは香ばしい香辛料の匂いをわずかにさせながら、本に囲まれた私の部屋で勉強会を開いていた。

「―――だから、かけ算と割り算は順番を変えても答えが同じになるでしょう? だったら分数もその形になる前の1割る2の形に崩して計算しても答えが同じになるはずじゃないの?」

 教科書とノートを小さなテーブルの上に開いて書き込みながらシンジに聞く私。

「んーと、そうじゃなくてですね、この場合それをすると問題が最初に聞いてることを無視しちゃってるんです」

 そこへ訂正を書き込みながら私を覗き込むシンジ。

「何?」

「たとえば、6÷2の時に答えは3じゃないですか。これは、二つ言うことができます。ひとつは2に何を掛ければ6になるか、これは掛け算表がある程度頭の中に入っていればできます」

 シンジは3×2、2×3とそれぞれ書き込んでからその答えを6と書き込む。
 そこを手に持った鉛筆で指しながらさらに続けた。

「もうひとつは、6の中に2の塊がいくつあるかって考える場合です。6をそうして2の塊に分けていくと、やっぱり答えは3になるんです」

 次に、定規みたいに五本の縦線を書き込んだ一本の線を、目盛りごと二つに囲んでいき三つの固まりにした物を書き込んでいった。

「うん。それじゃあ、さっきの割り算の場合は、6の中に二分の一がいくつあるかって聞かれてるって事?」
「はい」
「むー……」

 シンジの教え方はそこそこにわかりやすいとは思う。
 今やってることだって、三年生四年生の時に算数が苦手な私でも、それなりにやり込んだ部分でもある。
 けれど、

「なんだか気持ち悪い」

 それが分数の問題になると、なんだか飲み込みきれない部分が少し残った。
 私がノートをにらんでいると、シンジはそこへさらに何かを書き込みはじめた。

「この場合、問題が聞いていることは、数の中に隠れている塊の「個数」なんです」
「つまり?」
「例えば、6cmの中に、二分の一㎝がいくつあるか、二分の一「㎝」の「個数」を聞かれてるんです。多分ユカリさんは、知らないうちに6を1の塊の個数として考えてるんです。でも、一以下の数字で6を分けるんですから、分けたあとの個数が増えるのは当然でしょう? 答えは12【㎝】じゃなくて、12【個】なんです」
「あぁ、そっか、なるほど」
「納得できました?」
「うん、何とか」

 書き込まれたノートを見返しながら、私は自分の答案用紙を見なおしながら、間違えた問題に取り組みはじめた。






 算数の次は国語の時間、つまり私の時間になった。
 私の手元にはシンジの答案用紙がある。何というか、なかなかの威力を持った答案用紙だった。

「うわー、これは何とも。漢字以外全滅って言うのもすごいわね」

 文章問題関係が全滅。特に後半の短い文章についての問題に至っては、部分点すらなしのひどい有様だった。
 答案用紙から視線をシンジに戻してみると、拡げた国語の教科書を難しい顔つきでにらんでいるシンジが居た。
 ちょっとした単語の活用の部分を見なおしてるみたいだけど、シンジの答案を見る限りそれは焼け石に水っぽい。

「シンジってさ、けっこう物事考えてるのに、なんでこんなに国語苦手なの?」
「んー、算数って答えがひとつですから、自信を持って、答えられるんですけど……」
「国語もおんなじゃない。漢字だって覚えてたのをそのまま書くだけだし、文章問題なんて、答えが全部そこに書かれてるのよ?」
「はぁ、……解りました」

 コクコクとうなずきながら、私から答案を受け取ると改めて問題に取り組みだした。
 私はあえて何も言わずにそれを見守ってみたけど、シンジの手はうごかない。いや、動いてはいる。さっきからノートの上を行ったり着たりして、何かを書こうとしては止め、止めてはまた何かこうと動かすを繰り返してた。
 それをある程度繰り返すと、あきらめたようにため息を吐いて、まるで私に助けを求めるように上目遣いに見上げきた。
 こみ上げてきた笑いをそっと押さえ込んでから、私はもう一度シンジの答案を手に取ってシンジの答案に目を通した。

「シンジはさ、書かれてないことまで想像して、お話を勝手に創造しちゃうのよ。登場人物の気持ちとか、こうなったかもしれないとか」
「はい」
「まぁ、本を読むときはそれも楽しいんだし、自分で楽しむ分にはそれでいいと私は思うけどね」

 私は、何度も書き直された後のある文章問題をシンジに示しながら、どう答えたらいいのかを簡単に説明した。
 シンジは私の言葉一つ一つにうなずきながら、ノートに書き込む手を進めた。
 ある程度私が導かなくても答えを書きこめるようになった頃、シンジはふとその手を止めた。
 どうしたのと、私がきく前にシンジは顔を上げて私を見ていった。

「どうしたら、ちゃんと解るようになるんでしょう」
「何が?」
「えっと、その……、本に書いてあることと、自分の考えの境界線、です」

 つっかえながらシンジが聞いてきたことは、私にとってはある意味簡単ではあった。
 だけど、それを口に出して説明するということは出来ない。こればっかりは。
 その時私の目に入ったのは、私の部屋の中に無数にある本だった。

「んー、それは……はい」
「?」

 私はその中から、少し分厚く読み応えのある物を選んでシンジに手渡した。

「それを見つけたいのなら、やっぱりたくさん本を読まなくちゃ。だからそれ貸してあげる。たぶん面白いと思うんだけど」

 国語のテストでいい点を取るための才能と、本を楽しく読む才能は全然違うものだとは思うけれど、それでもやっぱり、この二つは目に通した文章の量が物を言う部分が大きい。
 これは実体験から得たものなので結構自身があった。
 けれど、思ったよりもシンジの反応が薄い。
 手渡した本、答案用紙、私の順番でくるくると視線を動かしていた。

「ちょっと、なんか言いなさいよ」

 その動きをシンジの額をぺちっと軽く叩いて止めさせた。見てるこっちが目が回りそうになるし、ほっとくと何時までもそうしていそうだったから。
 そうしてようやく、シンジは目が覚めたように一瞬目を見張ると、本の重みを確かめるように持ち直して、改めて私を見た。

「あっ、うん。……ありがとう、ユカリさん」
「うん、よろしい」

 なんか期待してた反応より態度が暗いけど、まるで新しい曲を見つけたときのようにシンジがうれしそうに笑ってたからこれで良しとしよう。

「お礼に、明日の朝はベーコンにしますね」
「カリカリよ?」
「はい、カリカリで」

 そういって、私たちはまた笑った。
 そんな小さなやり取りが何故か無性に楽しくて仕方なかった。
 その後は、勉強会なんかいつの間にか忘れて、最近あまり話をしていなかった学校のことなんかを話した。
 私は新しいクラスであの変に仲のいい二人組のこと。担任の中野先生や別のクラスになっちゃった人のその後の様子とか。
 シンジは、なんと五年生になってから副学級委員になったらしい。
 あんたに出来るの? と聞いてみれば、案の定クラスの推薦で任命されたとのこと。面倒事を見事に押しつけられた訳だ。
 それでもせっかく任された仕事だからと、シンジにしては珍しくそういったことにやる気をだしているようなのでそこはいったん退いた。
 けれど、もう一つ気になってることがあった。

「田中のアホは元気にしてる? たしかあんたと同じ一組よね?」
「? どうしたんですか」

 私が出した名前を、特に気にする風もなくシンジは聞き返した。どうやら私の不安はいい意味で無駄だったらしい。

「なんか一組で威張り散らしてる奴といっしょにバカやってるってよく聞くし、HRのときうるさいのよね」
「あー、すみません」
「あっ、ちがうのよ、別にシンジを責めてる訳じゃ―――」

 学級委員の責任感から落ち込みはじめたシンジを慰めようとようとしたとき、突然シンジの顔が上がった。
 その動きがあんまりに早かった事と、シンジが少し真剣な表情で私から目をそらしたので、私も慌ててシンジの視線を追った。
 そのさきには私の部屋の窓があった。外はもう同然のように暗いはずだった。けれど街灯の光にしてはいやに明るく光が差し込んでいた。
 けれどそれは、まるで家の前を通り過ぎるように消えていった。よく耳を澄ましてみると、小さく車のエンジンの音が聞こえてきた。そしてそれは少しずつ大きくなってる。

「パパ、帰ってきたみたいね」

 家の横にあるガレージの開く音も聞こえてきた。たぶん間違いない。

「……もうそんな時間ですか。じゃあ僕はそろそろもどります」

 シンジは自分の荷物をさっさと片づけてもう立ち上がっていた。
 私は、さっきまでも楽しい気分が終わるのが少し寂しかった。

「あら、明日は休みなんだから、泊まってってもいいのよ?」

 ドアに向かっていたシンジが不自然に止まった。奇襲は成功したみたい。振り返ったシンジの顔が赤い。

「……からかわないでください」
「あははは、照れてやんのー」
「もー! ……じゃあ、おやすみなさい」

 私の冗談をそうやってかわして、シンジはドアノブをひねった。

 ガチャリ。

 当然のように部屋に響いたその音は、とても冷たく、とても厳しく、とても重たくて

「シンジ」

 とっさに立ち上がって、シンジの腕を掴んでシンジを引き留めた。
 シンジの服を掴む手は、自分でもびっくりするくらいの力で、彼の服を握りしめていた。

「なんですか―――」
「本当に、泊まってもいいのよ?」

 戸惑うシンジにそれ以上質問させない性急さで、私はもう一度シンジに聞いた。
 私は今どんな顔をしてるんだろう。考えたくもない。
 でもシンジは、いつものように困ったような笑い顔を浮かべてて、

「……いいえ、いいんです。それに、これは僕が決めたことですから」

 自分の服を握りしめる私の手にそっと触れて、その最後の戒めをほどいた。




「お休みなさい」

「……うん、お休み」




 ガチャリ、バタン
 
 そうして彼は、ドアの向こうに消えた。




――――――――――――――――




 ユカリの部屋のドアを、細心の注意を払ってゆっくりと閉めたつもりなのに、なぜかその音は大きく聞こえた。
 ドアを閉じた後も、シンジはすぐにその場を動けなかった。
 叔父は今すぐにでも玄関を開けて二階へと登ってくる。自分はそれまでに一階に下りていなければならない。それは解っていたのに、その場を動けなかった。
 さっきまで、彼女が握り締めていた服の袖にシンジの手が伸びた。まだわずかに彼女の体温が残っていた。そしてそのわずかな温もりがはっきりと感じ取れるほど、自分の手が冷たくなっていることにも気がついた。
 そうしてようやく、シンジは彼女の部屋の前から階段へと足を向けた。
 
 階段を折りきったところで、気だるそうに玄関のドアを開けた叔父と鉢合わせた。
 そのまま靴を脱ぐ準備をする叔父のそばへシンジは近寄った。

「先生、お帰りなさい」

 パンっ

 言葉を最後まで言い切ったところで、シンジの視界が乾いた音と共にぶれた。
 数瞬の後、シンジは頬のじわじわとした痛みと共に、靴を脱ぎ終わった叔父が振り向きざまに自分の頬をたたいたのだと気がついた。

「シンジ君、今は何時かな?」

 その声は、ひどく優しげだった。
 幾ばくかの沈黙の後、目の前にたつ叔父のその声に、まるで今目が覚めたように背筋を伸ばしてシンジは立ちなおした。

「はい、先生。今はもう九時過ぎです」
「いけないなぁ。こんな遅くまで起きてちゃいけないじゃないか」
「はい、ごめんなさい」

 優しげな口調のまま言葉をかける叔父に、まるでしかられているようなきびきびとした態度で、シンジは答えた。
 叔父はシンジのそうした態度に満足したように彼から視線をそらした。

「キミエは?」
「叔母さんは、まだお帰りになっていません。御夕飯でしたら、僕が作ったカレーがあります。すぐに準備できます」
「いや、私が自分でやろう。君はもう部屋に戻って寝なさい」
「はい。お休みなさい」

 シンジは、そのまま玄関に向かった。
 もう、階段の下のあの部屋は、シンジの部屋ではない。
 玄関を出てすぐ、扉が閉じる音と共に、ガチャンと鍵の掛かる音が聞こえてきた。
 扉の脇の曇りガラスに、玄関から去ってゆく人影が見えた。それもすぐに玄関の明かりが消えて見えなくなる。
 シンジは、本当に何気なく空を見上げていた。
 今日は満月だった。
 丸い月が、何事も無かったかのようシンジを見下ろしていた。その日の月光は、まわりの星が見えなくなるほど明るい。けれどその月明かりの向こう側の空は、凝った夜に相応しい暗闇だった。
 【明る】い。けれども果ての見えない【暗】い空。
 そんな夜の空気は冷たく、シンジが口から吸い込んだ空気の冷たさが、じんわりと肺にまで伝わった。 
 シンジは昔、こんな空が嫌いだった。
 丸い月、星のきらめくことのない夜。
 何で、あそこに丸い物が浮かんでるなんて、昔の人は気が付けたんだろう。どうしてこの景色をキレイだなんて思ったんだろう。

 ぼくはこのそらがこわい
 きっと、あれはまあるいほしなんかじゃなくて、のぞきまど。そしてこのそらは、だれかがまっくろなクレヨンでかいたラクガキなんだ。
 ときどきぼくたちをのぞいて、ぼくたちをじっとみてるんだ。

 シンジがそのことを話した二人はそれぞれ違った反応を示した。
 一人は特に興味なさそうにシンジを見ただけだった。
 もう一人は、シンジが必死に話す様子を見て、シンジが寝付くまで肩をさすった。そして、すぐに先の一人もそれに加わって。
 それは遠い遠い記憶だった。シンジがまだこの町に来る前の、遠い記憶。
 月は丸いもの、夜はやがて明けるもの。
 そう解った後では、もう意味のなくなったはずの記憶だった。

 でも、今はもう違う

 さすがに体が冷えてきた。
 昼間はあんなに暑いのに、夜になると肌寒くなるほど冷える。
 シンジは、少し自分の腕をさすりながら、玄関から庭へと足を向けた。
 その先には大きめ物置のような物があった。

 シンジが【あの日】、叔父に願い出たことは、こうして果たされていた。

 普通の家の庭に置くには、少し大きめの倉庫のような小屋。
 それが、今のシンジの部屋だった。
 鍵はいつも掛かっていない。シンジはそのままドアに手を掛けた。
 そのドアを開けた瞬間に、中に詰まっていた少しよどんだ空気が漏れ出し、外の空気と交じり合い、まるで体にまとわりつくような流れを作り出す。シンジは、それを気にとめずに、引き込まれるように部屋に入った。
 パタンと、軽い音がしてドアを閉める。
 中はそれほど暗くはなかった。申し訳程度に備えられていた庭側に向いた窓から、月明かりが差し込んでいる。
 その淡い光が照らした部屋を、シンジはぼんやりと眺めた。
 六畳ほどの広さはあるだろうか。
 窓に向き合うように備え付けられた机の上に、デスクトップのパソコンが鎮座して、わずかに埃をかぶっていた。音楽編集用に使っているもので、それ以外にはほとんど使わないせいだ。
 そして、部屋の一番奥にベットがあり、その枕元にあまりこの部屋に似つかわしくないチェロ。
 それらが、シンジの部屋にあるもののすべてだった。
 シンジは手に持っていた荷物を机の上において、奥のベットに腰掛けた。ベットのスプリングがきしみ、金属がこすれ合う嫌な音。
 そこで深くため息をついた。目を閉じると、今日の出来事が鮮明に湧き上がってきた。




 大丈夫。

 僕は大丈夫。

 大丈夫。

 だってこれは罰だから。

 だから僕は逃げたりしない。

 ここから二度と、逃げたりしない。

 何時かお父さんが迎えに来てくれるまで

 いつか、お父さんに会う日まで、

 僕は絶対、目を背けたりしない。

 逃げたりしない




 だから……




 最後にまぶたの裏に浮かんだ夜は、いつか夢に見た道に似ていた。
 ゆっくりと、目を開ける。
 暗闇に目が慣れたせいか、さっきよりも部屋が明るく見えた。
 窓から見える、あの空を見上げた。

「キレイだな」

 そう、思う。そう思えた。そして思う。

 ふと、先ほどおいた本が気になった。 適当に投げ出された荷物の一番上に、ほかのものより分厚い本があった。
 それを手に取ったまま、ベットに寝転がった。ハードカバーの本で、それなりの厚みがあった。
 ぱらぱらと、ページをめくってみると、古びた紙独特の、少しかび臭いにおいがした。
 一通り目を通し終わると本を閉じ、そのまま腕の力が抜けていくように胸に抱く。
 シンジは本を抱いたまま、ゆっくりと目を閉じた。
 かび臭さの奥に、わずかに陽だまりのにおいを感じながら。




 何時か聞ける日が来るといいな
 ユカリさんが見ている空は、何色ですか?












次回予告




信じてた

信じてた、知ってた

信じてた、知ってた、解ってた

信じてた、知ってた、解ってた、待ってた

信じてた、知ってた、解ってた、待ってた、受け入れる。

ようこそ

知ってる? 僕は――――




第十八話

「 」の中でそれは嗤う












あとがき

 シンジ君が使ってるヘッドホンはRP-○TX7です。……haniwaがこれ好きなだけです。
 お久しぶりです、遅くなってすみません。本文は結構削りましたが、十八話にて補完する予定です。忙しいくて、ホントすみません。
 感想の形式がどうやら変わってしまったらしく、前回までの感想に対して返信できません。感想を書いてくださった方、本当にごめんなさい。さて、十五話にて、シンジ君が最後に救われていると感じている方が結構いらっしゃるようです。本当にそうか、その答えを次のお話でお見せできればと考えています。
 短いですが、今回はこれで失礼します。では十八話でお会いしましょう。


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