これまで『見上げる空はどこまでも朱く』の雰囲気が面白いといってくださった皆様、申し訳ありません。今回の話は少しこれまでと違った雰囲気になっています。あんまり暗くありません。どういった話になっているかはいえませんが、haniwaはつらいシンジ君を書くのにちょっと疲れたとだけ言っておきます。最後にもう一度すみません。こういう話も書いてみたかったんです。
では、第八話をお楽しみください。
「おい、聞いたか。今日転校生が来るってよ。」
「えー、男?それとも女?」
「あー其処まで調べてないや。」
「なんだよ肝心なことがぬけてんな。」
「そうだなー。今男子が来てくれれば女子より男子の人数が多くなるんだけどな。」
「そうだな。いい加減女子にでかい顔させてられねえもんな。」
「いや一番手強いのは山川だからな。相当強そうな奴が来てくんねぇと話になんねえよ。」
「最悪、女子でないことを祈ろう。」
「レクリエーションでドッジボールが出来るようになるかなー。」
「転校生次第だな。」
「でさ、今日のあれどうする。」
「まだやんのかよ。いい加減先生もひっかからねえって。」
「いや、今回は転校生が来てるから油断してるかも。」
「なるほど。」
「で、今回はさー・・・・」
「ねえ聞いた?今日転校生が来るんだって。」
「へー、女子?男子?」
「あっ聞き忘れてた。」
「あんたまたなのー?いっつもそんなじゃなーい。」
「しょうがないじゃん。聞いたときびっくりしたんだから。」
「女子だといいですね。いい加減クラス会で、女子対男子の言い合いなんて疲れますから。」
「まあ均衡は崩れるねー。」
「あれ?ゆかりちゃんは?こういう話一番好きそうなのに。」
「なに?」
「転校生のこと気にならない?」
「別にどうだっていいわよ。そんなことよりあいつ等、まだあんなことしてるわよ。」
「あー今週もやるんだ。いい加減先生も賭のことなんて忘れてるのにね。」
「もう手段が目的になってるって感じかしら?」
「どういうこと?」
「あいつ等がバカだってことよ。」
それはシンジが教室に着くまでに、二年二組でされた会話のほんの一部である。
第八話
初めての夕焼け 日ノ出編
シンジと中野教師は普段の喧噪を取り戻した学校の廊下を、中野教師が先導するように進んでいた。その道すがら、今日の予定について中野教師はシンジに説明していた。今、廊下にはシンジ達の他に誰もいないが、まだ教師が着いていない教室から生徒達の雑談の声やふざけ合う雰囲気などが廊下にまで届き、休日の廊下とは比べものにならないほど賑やかだ。
階段を上がってすぐ、二人は目的地の二年二組の教室にたどり着いた。もう他の教室では朝のホームルームが始まっているのだろう。先ほどまでの生徒達の騒ぐような声は聞こえない。目の前の教室はまだ先生が着いていないのにも関わらず聞こえてくる声は静かだ。
教室の前で二人は立ち止まり、最後の確認をするために中野教師はシンジの方へ振り返った。
「じゃあシンジ君、まず僕は先に入って後から君のことを呼ぶから、そのときに入って来てくれるかな?」
「ハイ、解リマシタ。」
「あはは。そんなに緊張しなくていいんだよ?教室には行ったら自己紹介をして、その後、教える席に着いてね?。」
「ハイ、解リマシタ。」
「・・・・・」
「・・・・・」
感情のこもっていない声でシンジは答えてた。振り返り見る中野教師ともさりげなく視線をそらし、目を合わせようとはしない。
それだけではない。
二人の間には、妙な緊張感が漂っていた。其処にある違和感にわざと眼をそれしているようなよそよそしさがある。
二人は教室に着くまでの間、事務的なこと以外はほとんど話をせず、目も合わせることもなく廊下を歩いていた。中野教師はなるべくシンジの方を見ないようにしていたし、シンジは人目に付かないように体を小さくし、前を歩く中野教師の後ろに隠れるように歩いていた。そして一度話しかけられればすぐに返事を返して会話を終わらせる。自分に向けられる意識をすぐにでも断ち切るためだ。
そのため二人に会話はなく、その崩し難い均衡を保ったまま職員室から二年生の教室を歩いていた。
「・・・・・シンジ君、二つほど質問してもいいかな?」
「・・・・・なん・・・・でしょうか。」
その疑問は今日の朝、シンジが中野教師の前に立ったときから彼の中で生まれていたものだった。それをずっとため込んでいたのは、中野教師自身シンジにこの質問をすることが躊躇われたからだ。
シンジはなるべく顔を上げないように、上目遣いで辛うじて中野教師の顔を見た。もちろん中野教師とは目を合わせないように。
「いや、たいしたことじゃないんだけどね。?」
「・・・・・・・・・・・・・・」
シンジの雰囲気はなにやら必死だったため、中野教師は少々たじろぎながらも言葉を続ける。
「・・・・・・・・・シンジ君、今日はなんだかずいぶんと・・・・いや男の子に言うことではないと解っているんだけど・・・・」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
言っていいものか、暗い雰囲気をますます濃くしていくシンジに戸惑いながら、二年二組担任教師生活七年目、中野はその最後の言葉を口にした。
「・・・・・・・・・・・・・・・・ずいぶんと、可愛らしいね?。」
「!!!」
その一言で、シンジの時間は止められた。
堅さものはあるものの、昨日より中野教師と普通に接していたシンジの動きが一瞬にして固まってしまった。みるみるその顔が羞恥によって赤くなっていく。
今のシンジ格好は、少しだけ長めな前髪を左右にヘアピンで留め、服装がオーバーオールにティーシャツという普段のシンジは着ないような、なかなか活動的な服だった。問題はヘアピンも服も、かわいらしい花柄の模様がワンポイントで入って入りことだ。左右のヘアピンにはそれぞれ色の違う花の飾りが、オーバーオールにはその胸元に派手すぎないが、ひっそりと自己主張する花の模様が一つ二つ、刺繍されている。
はっきり言うと、その服装は中性的なシンジの雰囲気をさらに性別の判断が難しいものにしていた。
これ以上赤くならないだろうと思わせるほど顔を赤くしたシンジは、しゃべるのも恥ずかしいといった様子で、目の前の中野教師に呟くように話した。
「・・・お願い、です先生。・・・・・・そのことについては、・・・・・・・・・そっとしておいてください。」
シンジは追いつめられたような、もしくはすでに諦めが入り始めているような様子で中野教師にそう伝えた。なにやらただごとではない雰囲気を感じ取った中野教師は最後にもう一つだけ、目の前の少年の核心をついてしまう言葉を着いてしまった。
「じゃあ二つめだけど、・・・・・・・・・・・・・・・・・・山川君かい?」
「!!!」
そして、再びシンジの時は止められた。
シンジが明らかな動揺を見せ、赤かった顔から今度は血の気が引いていく。中野教師から視線をそらし挙動不審になっていき、答えを言うか言うまいかいかという彼の中の葛藤が聞こえてくるようだ。どうやら堅く、口止めされているらしい。
そのとき目の前の教室から少しだけささやくような会話が聞こえてきた。
ざわざわ・・・
「・・・・なんだよ山川、転校生のこと気にならないのかよ」
「べつにー。そう言う訳じゃないけど?」
「じゃあ何で?なにか知ってるの?」
「・・・・・・・・・・楽しみに、してなさい。」
くっくっくっ・・・・・・・・
ざわっ
しーーーん
廊下に、少々の賑やかさを伴った平穏が、何ともいえない重圧感と共に戻ってきた。
「「・・・・・・・・・・・・・・・」」
眉を困ったように歪め、再びその顔を赤くし、堅く無言を貫くシンジ。その様子をどうしていいか戸惑うように見つめる中野教師。
しかし、教師生活七年目の中野教師はそんなシンジの心の動きを見事にとらえ、シンジの置かれている状況を正しく理解してしまった。そして今、自分が出来る最大のアドバイスをこの目の前にいる、迷える己の生徒に与えることにした。
「シンジ君。」
「はい?」
優しく自分の名前を呼ばれ、シンジはもう一度上目遣いで、すがるような気持ちで中野教師の次の言葉を待った。
「・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・」
しばらく、そのまま見つめ合う二人。一方はこの先の打開策を目の前の男が与えてくれると信じて、然しもう一方は、改めて目の前の少年を見つめ、考えを改める。
(・・・・・・・・・かわいいねぇ。・・・・・・・・・似合ってるから、まぁいいかな?)
この状況を甘んじて受け入れ始めていた。そうしてそのしばしの逡巡の後に、その口から放たれた言葉は
「・・・・・・・がんばってくれ。」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・はい。」
力強くも、現在のシンジの状況を打破してくれるものではなかった。
残念なことに自分ではこの子の悩みを解決出来ることは出来なかったようだ。そう中野教師は悟り、教師としての自らの腕をこれからも鍛え続けることを目の前の少年に心の中で誓った後、
それまでのことを無かったことにした。
これが、今の自分に出来る男の、否、漢の情けであると信じて。
例え目の前の少年が落胆に顔を伏せているとしても。
誰もいない廊下で行われたこの水面下でのやり取りは、このような形で終わった。中野教師は気持ちの中で仕切り直し、改めて自分の担当するクラスの教室に入ろうと、その手を扉に向けた。
しかしふと、その手は扉に届くことなく空中で止められた。中野教師はなにやら思案顔で目の前の扉を見つめている。
落胆に顔を伏せていたシンジは中野教師が教室にはいることなくその動きを止めたことを不思議に思い、様子を見守っている。中野教師はその事にはしずく様子もなくすっと自分の体を扉の右側にずらした。どうしたんだろうという思いを強くしたシンジはその背中に声を書けようとするが、中野教師は改めてその扉に手を掛け、一気に引き戸を引いた。
バァン!!
鋭く、はじけるような音と共に、先ほどまで中野教師が体をおいていたところにそこそこの勢いの付いた掃除用の箒がバネ仕掛けのように起きあがりそして廊下側に倒れてきた。中野教師が普通に教室の扉を開けていれば、その箒は中野教師の顔があった場所を通り過ぎていき、廊下に転がった。
「あぁーーー・・・・・・・」
企みが失敗したことによる落胆の声が教室から聞こえてくる。もはや中野教師が標的だったことは明らかとなった。
「ふぅ、全くあの子等も懲りないな。」
自分に対して仕掛けられたであろうそのトラップを何事もなく目の前で見送り、中野教師はそう感想を漏らした。
「よし、みんな残念だったね。じゃあ今日もしっかり席について。僕の話を聞いてください。日直の人、号令をお願いします。」
驚いて目を見開いてるシンジをよそに、中野教師は箒を回収しながらそのまま教室に入っていった。
その一連の流れをシンジはただ見送っていた。
中野教師が出席をとり、ホームルームもある程度進んだあと、一人の生徒の声が流れを断ち切った。
「せんせー、そんなことよりさー転校生が来てるってホントですかー?」
教室はその話題をなかなか切り出さない担任にいらいらし、その不満が高まっていた。その一言は、不満を一気に解放し、教室にあったなけなしの秩序をあっさり崩壊させた。
「えー!!、そうなの?わたし聞いてなーい。」
「先生!!それ男!?男ー!!?」
「どんな奴かなー?」
「どんな子だろうねー」
「わははーー、早くでてこーい。」
「はやくはやく!!」
あふれ出す声は様々で、それぞれの主張を思い思い荷口にする。止まる気配を見せないそれらの言葉の中に一人の声が響いた
「みんなっ!!静かにしなさい!!」
「・・・・・・・・・」
あっと言う間もないほど、大きいわけでもない声はけれど確実に皆の耳に響き、教室は静けさを取り戻す。
「どっどうしたの?ゆかりちゃん?」
「おまえだって楽しみにしてたじゃん。」
ゆかりは先ほどの騒ぎの中一人だけ静かに担任の言葉を待っていた。それは静かに獲物を待つ肉食獣のような気配だったかもしれない。然しいつまで経っても獲物はこない。ゆかりは教室にいるどの生徒よりも待ちこがれ、そして苛立っていた。だからつい彼女らしくも無く口を滑らせてしまった。
「だからっていつまでも騒いでたらあの子いつまで経っても入ってこないじゃない。」
「??あの子って、やっぱり何か知って・・・・・」
そしてその苛立ちは、少し声を出しただけでは治まるはずもなく、不用意に声を掛けてしまった一人の少年に牙を剥いた。
「あら、田中君。私静かにしてねって言わなかったかしら?」
「うっ・・・・・・・」
(あー、田中もいちいち山川につっこむから・・・・・)
哀れな田中君はぴたりと動きすら止めてしまう。ゆかりは、そのきれいな顔立ちを苛立ちで歪めることはない。いつもクラスで振りまいている笑顔を浮かべ、その相手の方を見た。直接その笑みを向けられたもの以外にはその微笑みは可愛らしいものだったかもしれない。然し、それなりに彼女との面識があるものにはその笑みは背筋の凍るような思いのする笑みだった。
教室の生徒には先ほどの言葉が別の意味に聞こえた。もし先ほどの言葉に副音声をつけるとするならこういった意味になったことだろう。
(だまらねぇと、・・・・・解ってるわよね?田中ぁぁぁあl!!!)
もうそれ以上ゆかりに意見をしようとする気概のあるものはいなかった。
「ふん!」
一人の生徒を凍らせ、周りの現状に満足したように一息つくとゆかりは担任の方を向き、その場を仕切り直した。
「では先生、後はお願いします。」
「ん、山川君いつもすまないね。」
「いいえ、気にしないでください。」
そのやり取りはいつも道理の優等生なゆかりに戻っていた。中野教師も何も言わない。ただこれ以上、場があれなくなれば特に気にはならないようだ。
「じゃあ碇くーん。入ってきなさい」
中野教師が廊下に向かい声を掛けた。少し間が空いたあと、ゆっくりとその問いビラは開かれ覗き込むように廊下にいたシンジは顔を出してた。
がらがら・・・・・
ひょい、
「あーーー・・・・・・」
シンジを見た瞬間、一方の集団が残念そうな声を上げ、、
「やったーーーー!!」
もう片方は、まるで勝利の雄叫びのような声を上げた。
シンジはその声に驚き、思わず首を引っ込めてしまった。
「あー、みんな静かに。碇君、恥ずかしがらずにちゃんと入ってきなさい。」
中野教師はもう一度、廊下に戻ってしまったシンジを呼ぶ。シンジは先ほどよりも時間を掛けて扉を開き、今度は勢いをつけて一気にその体を教室の中にいれ、扉を閉めた。勢いが付きすぎて扉が大きな音を立てる。その音に自分で驚きながらもシンジはさっと教壇の真ん中辺りまで歩き教室にいる生徒達の正面に立った。一連の行動はすべてシンジ自身が己の逃げ道をふさぐためだ。
そして意を決して、自己紹介をしようとしたところ、
「みっ。みみっ、皆さんはじめましたっ。あっ」
見事に空回りしてしまった。そのまま頭が真っ白になってしまったシンジは辛うじて上げていた顔を伏せ、耳まで真っ赤になりながら黙りこくってしまった。
「・・・・・・・ぷっ」
「あははははははは・・・・・・・・・・・・」
そんな様子のシンジを見てクラスの一人が吹き出した。そのあとはもうシンジ一人で形作っていた緊張した空気はあっという間に崩れ去り教室にどっと笑いが起きた。
「はーいみんな静かに。碇君、続けて。」
「・・・・はい、すみません。」
蚊の泣くような声まま、シンジは答えた。其処からなかなか言葉を続けろことが出来ないシンジを教室の生徒全員が待った。自分を急かすでもなくそっと待ってくれる雰囲気も今のシンジには緊張を悪化させるものにしかならなかったが、ふと別の意志がこもった視線を感じ取りすこしだけ顔を上げた。
其処にはたいそう機嫌を損ねた顔をしたゆかりがシンジを見つめていた。
(ひぅっ)
もう少しで悲鳴を上げてしまいそうなほどその瞳は力強くシンジを見つめていた。シンジはさっと顔を下げてしまった。其処にどんな葛藤があったかは伏せられた顔からは察することは出来ないが、シンジはそのままゆっくりと自己紹介を再会させた。
「はっ初めまして、・・・・碇シンジです。今日から皆さんと一緒に勉強することになりましたっ。よろしく・・・・・・・お願いします。」
シンジは紹介を進めながらゆっくりと顔を上げていき最後にはぎこちないがにっこりと笑ってそれを終えた。
「よし、じゃあシンジ君あの席が空いてるからそこに・・・・・」
手はず道理に、シンジの席を示し誘導しようとする中野教師に一人の生徒から提案の声が上がった。
「せんせー、碇『さん』に質問タイムはないんですかー?」
「ん?そうだな・・・・」
「!!」
自分にとっては大仕事を終えたシンジはほっと息をついていたが、安心したのも束の間、とんでもない提案がなされた。誰がそんな提案をと再び顔を動かすと、
其処には、手をまっすぐに挙げ、にっこり微笑まれているゆかり嬢がいた。
シンジは焦り、提案を受けた担任ががどう返事をするのかとそちらの方に視線を動かした。なにやら悩んでいるようだ。
「んーーーーーーーーーー」
(先生やめてくださいお願いです。)
シンジはじっとそんな様子の担任を見つめ、通じないテレパシーに己の命運を賭けた。
「まぁいいか。じゃあ算数の時間を使って碇君の歓迎もかねた質問タイムとしよう。」
「「「やったー!!!」」」
(そっそんな!!)
そして見事にシンジのテレパシーは弾かれ、届くことの無かった心の声は生徒達の歓声によってかき消された。
「じゃあ質問のある人ー」
「・・・・・・・・・」
そんなシンジの様子を悟るでもなく、むしろ嬉々として質問を受け付け始めた担任に、シンジは届かないと判っている恨みの念をその胸に抱いた。しかし次の瞬間シンジの思考は、連続して投げかけられ始めた質問によって支配された。
「はーい。碇さんはどこから転校してきたのー?」
これは目の前にいた女子から、
「あっ、えっと神奈川の方からです・・・」
「今どこに住んでるの?」
次に教室の廊下側の前から三列目に座っていた女子から
「ええ!!・・・○×町です。」
「得意な科目は?」
次に正反対に座っていた窓際の男子から
「あわわ・算数・・・が得意です。あっ後音楽が好きです。」
「体育は?」
その後ろに座っていた同じく男子から
「運動はあんまり・・・・」
「兄弟っている?」
次に廊下側の女子、
「一人っ子です・・・」
「趣味ってなーにー?」
また反対側の男子、
「ええええと楽器ができますからそれです。」
「なんて楽器?」
教室の真ん中に座っていた女子、
「ええっと、チェっ、チェロが引けます。」
「ねえ、チェロってどんなの?」
「あーー、わたし知ってるバイオリンのデッカイやつだよね!!。もってるの?」
次に後ろのほうの別々の女子二人から
「うわ、あわわ、はっはい。」
次々と発せられる質問に顔をいちいち向けながら混乱しながらも答えを返していった。あちらこちらから掛けられる質問にシンジの頭は忙しく動かされた。
「「「おーーーー」」」
「あわわわ!!」
そして帰ってくる反応一つひとつに混乱していた。
「すごいねー。」
「今年の音楽会はもらったな!!」
「おぅ、うちのクラスには山川もいるしな。」
「去年は歌はよかったけど、楽器の方はどっかの誰かさんが途中でくしゃみなんかしたからねー」
「なんだよ!!、お前だって間違えたくせに!!!。」
「そんなことより、好きなアイドルは?」
「あいどる?・・・・スミマセンあんまりテレビとか見ないから・・・」
「えーそうなの?K○T-T○Nとかかっこいーのに。」
「そりゃあんたが好きなだけでしょうが!!」
「えへへ、ばれた??」
「それにしても、シンジって変わった名前だね?」
「え?そっそうかな・・・・・」
自分の名前にそういった評価をされたことがなかったシンジは困惑の色を隠せない。自分の名前は、男の子としてはそう珍しいものではないと考えていたからだ。
「そうそう、それにテレビ見ないってのも。」
「・・・・そう?」
「そうだよー。やっぱり流行には敏感でなくっちゃ。おくれちゃうよー?」
「・・・・・?」
そこで、引きずっていた疑問の形が微妙な変化を始めた。シンジ自身はそのことにはまだ気がついていない。
「今日の服は可愛いけどさー、やっぱり・・の子なんだし・・・・」
「あれ?」
その言葉にシンジは耳を疑った。彼女は今なんと言っただろう。視線を動かし質問に答えることに精一杯で、質問以外の言葉がうまく耳に残らなかった。
「そうだ、碇『さん』の歌のパート決めとかないと。」
「やっぱ、ソプラノかな?」
「そりゃそうでしょうー、碇さん声高そうだしー。」
「あっ、あのぅ、ちょっと・・・・・」
「あっあとで学校案内してあげるねー。この学校ね、なんか他のとこと違ってトイレの位置が男子と女子逆なんだって。」
「間違えて男子の方にはいっちゃだめよ。」
シンジは先ほど自分がなんと呼ばれたか悟りだした。先ほどの彼女はこういったのだ。
『今日の服は可愛いけどさー、やっぱり【女】の子なんだし・・・・』
シンジは愕然と、己に掛けられた言葉に見つめなおした。違和感の正体とは、つまり・・・・・クラス全員の自分の性別に対する認識の間違いからきていた物だった。その事に思い至ったシンジはただ呆然とし、続ける言葉を見いだせないでいた。ただただ自分の性別が女と間違えられているにも関わらず、事態はスムーズに進行していくことを自分にはもう止められないと悟りながら。
「・・・・・ぷっ」
シンジが事実にショックを受けているところに、場違いな笑い声が上がった。
「あっははははは、ひっく、ひひっ。あははははははははは」
「「「「「???」」」」」
その様子に、クラス全員は会話を中断し、窓際の一番後ろの席で一人笑い続けるその生徒に視線を向けた。ゆかりは視線にかまわず、いつもの自分のキャラクターも忘れ一人だけツボに入ったような笑い声を上げていた。ゆかりの様子に恨みがましい視線を向けシンジは呟く。
「・・・・・ひどいよ、山川さん・・・・・」
「あはは、ごめんごめん。でも・・・・」
「「「「「?」」」」」
「似合ってるわよ【碇ちゃん】。・・・・くく。あーはははははは」
「うぅーー」
釈明もろくに行えないほど、ゆかりは自らの企みの成功にその他のものを気遣う様子も見せずに笑い続けた。教室のその他の生徒達はここに来てやっと笑い続ける同級生を観察することを中断し先ほどのやり取りについての糾弾をはじめた。
「ちょっとゆかりちゃんどうゆうこと?」
「なんだよ山川、やっぱ碇さんのこと知ってたんじゃないかよ。」
「ええ、知らないわ。『碇さん』、なんて。」
質問に対してもゆかりは笑いをこらえきれないせいか、それともただ焦らしているせいなのかはっきりした答えを出さないままゆかりは諭すような答えを、未だ混乱からぬけきらない生徒達に返した。笑い続けたい衝動をこらえつつ、ゆかりはこの答えによって皆が真実に気づき驚くことを予想しながら皆の反応を待った。然し返ってくる反応は未だ混乱したままの生徒達の気配だけだった。
「「「「「??」」」」」
「えっ!!」
さすがにこの反応は予想外だったのかゆかりは少し焦った声を出し、皆を見渡す。その行動も皆の混乱を煽るだけに終わった。教師をのぞく生徒全員の頭の上に大量の疑問符が浮かぶ。
「ちょっ、ちょっとみんな?ホントに分かんないの?」
「「「「「???」」」」」
「・・・・・碇、気をしっかりね。ぷふっ、くくくくっ」
「ううぅっ・・・・・・・」
ここまでくるとこらえてきた衝動も抑えきれなくなった。まさか自力で気づくものが出てこないほど己の策略が完璧だったことにゆかりは笑みが止まらない。少しもったいない気がするがシンジの瞳に本格的な涙が浮かびはじめているのを確認したためこの騒動をお開きにするべくゆかりは言葉を紡いだ。
「だから!!いったいどういいうこと?」
「あはは・・・・・碇はねぇ・・・・、」
男よ!!
じゃぁーーーん。そんな言葉が聞こえそうなほどゆかりは教室のみなに手を広げ高らかな宣言と共に種明かしをした。驚愕に目をむくであろうみなの表情をその脳裏に浮かべて。
「「「「「・・・・・・・・・はっ?」」」」」
然しその反応は鈍いものしか返ってこなかった。それどころかゆかりのことを未だに疑問の目で皆は見ていた。これまた予想外の反応にゆかりは本格的に焦りだした。さらに言葉を重ねてみるが・・・・
「だから!!、碇はお・と・こ・の・こ。男の子なのよ!!!」
「ゆかりちゃん。」
「山川。」
クラスメイトは冷静に、そしてゆかりを責めるような目で女子男子ともに、ゆかりに対して諭すように話しかけた。
「なによ!!!」
「それはやりすぎじゃない?」
「そうだぞ。まさか転校してそうそうにいじめるなんて。」
「そっそれは・・・・」
一向に自らの思い通りの反応を返さないクラスメイトに苛立ちを覚えはじめていたゆかりはその言葉にのどを詰まらせた。実際にしんじに意地悪をしたことは確かだったためその後ろめたさを見事に射抜かれた気がしたが、クラスメイト達は、まだ何も解っていなかった。
「「いくら、碇『さん』が可愛いからって・・・」」
「は?」
それがどうやら男子女子の共通の意見だったらしい。クラスの気持ちは一つになっていた。とんでもない誤解を含んだまま。事態は暴走しはじめようとしていた。
「そうそう、ゆかりちゃんは、また違ったかわいさがあるんだから。いきなり目をつけちゃかわいそうよ。」
「なかよくしなきゃなー。」
「・・・・あんた達・・・・・・まだ解ってなかったのね。」
「・・・・だから、やめましょうって、ぅっく、言ったのに、ひっぐ・・・・・」
種明かしをした時点でやっと誤解が解けると安堵していたシンジは、一向に溶ける気配を見せないこの現状と、それを引き起こしているのが己の容姿のせいだという自己嫌悪が相まって、再び泣きが入ろうとしている。なけなしのの思いでゆかりに抗議した。
「えーと、・・・・・・マジでごめん。」
さすがにこの展開では罪悪感が勝ってしまったゆかりはひねくれながらもシンジに詫びた。まさかここまで皆の勘違いが暴走するとは思いも付かなかった。
「え?碇さん・・・・」
クラスメイトは目の前で行われたやり取りに事態の見直しを迫られていた。然しそれも真実に至るものではない。シンジは自分で視線の先に座る同居人が引き起こし、そして自らが実行犯となってしまったこの一連の騒動に自らの手で決着をつける必要を迫られていた。
そしてゆっくり、シンジは破滅の呪文を口にした。
「皆さん・・・・・僕、本当に・・・・本当に男です。」
「「「「「は?」」」」」
会心の一撃!!
「「「「「はーーーーーーーーーーーーーー!!!!!」」」」」
こうかはバツグンだ!!!
そして再び教室は混乱を取り戻し、事態はようやく終演に向かっていた。
「ウソだーー」
ホントです・・・・
「こんなに可愛いのに??」
うれしくないです・・・
「こんなに女の子っぽいのに??」
うれしくないです!!
「「「「「こんなに小さいのにーーーーー!!!!!」」」」」
うれ・・・・・
「うっ、うわーーーーーーーーん。」
そうして、一人の少年の心に今日もまた、苦い思い出が刻まれていくのを、窓際の少女は哀れみのこもった目で見ていた。
日ノ入編に続く。弁明という名の後書きもそちらに。