物語は、ほんの少しだけ舞台を移す。
日本
―――― 第3新東京市がある極東から離れること遥か向こう。そこは、雄大なアルプス山脈を望み、古き情緒が未だ残る西洋の地。EU・ヨーロッパがドイツ連邦共和国、その南部に位置するバイエルン州の州都ミュンヘン。
ドイツの中で一番面積の広い州であるバイエルンの
都のミュンヘン市は、ドイツ南部に輝いたドイツ宮廷文化の中心地であった。12世紀以来、バイエルン王国のヴィッテルスバッハ家800年に連なる王城の地だ。この王家は、学芸を愛した王や人物を多く排出しており、市の様々な場所には彼らが建設した豪華な宮殿群や膨大とも言える数の美術品が残されている。
ここは第二次世界大戦時、66回にも及ぶ空爆を受けた。これにより壊滅的な打撃を被ったミュンヘン市だったが、この
都市(に住む人々は逞しかった。戦後、弛まぬ努力を続け、見事なまでに再建、復興を遂げた。
しかし、20世紀末の西暦2000年、世に言う『セカンドインパクト』が起こる。発生地である南極からは距離が離れていた為、直接的な被害は微々たるものだったが、その後に起こった気象変動による天変地異や政治的・経済的混乱が引き鉄となった飢餓、恐慌、暴動、テロなどにより、この都市は、またもや地獄に叩き落されたのだった。
それから15年。人々は、あの大災厄からようやく立ち直り、僅かずつながら幸せな時を甘受していた。
ミュンヘン市から少しばかり南の郊外へ下ったところにシュタルンベルク湖がある。この湖は南北に長く伸びた形をしており、湖畔には多くの洒落た館に加え、ベルク城という名の古城が残っていて、訪れる観光客は後を絶たない。また、余談ではあるが、作家の森鴎外がここの湖畔で起こった事件を元に『うたかたの記』という短編小説を書き上げている。
そのシュタルンベルク湖を中心としてベルク城から見て対岸側にある小さな街の端に、人々の憩いの場となっている教会と墓地があった。西洋の墓地というのは日本と違って公共性が高い。宗教的な考え方や認識の違いだろうが、まさに公の園と言ってもよく、歓声を上げて広場でサッカーを楽しむ子供たち、ベンチで本を読む女性、芝生にシートを広げて赤ん坊と日光浴をする母親たちなど、様々な人々が余暇の一日を過ごしていた。
しかし、それも終わりが近付いているようだ。太陽は傾き、美しい夕日となった。鮮やかな橙の光が空を茜色に染めていき、昼間とはまた違った景色を見せてくれる。空を映す湖の色も変わる。同じように森や林、大地に街、そして遠くに見えるアルプスの山々も夕暮れに彩られ、それは一枚の素晴らしい絵画のように見る者全てを感嘆の吐息に誘う姿を現していた。
そうして、規則正しく立ち並ぶ石造りの墓碑や教会の建物から伸びる影が時の歩みを告げるかのように少しずつ己の身長を伸ばしていく中、人々は一人、また一人と、それぞれの家路につき始めた。
「神父さま、さよ~なら~~」
「さよなら~」
「はい、さようなら。 気をつけて帰るんですよ」
サッカーボールを脇に抱えて家へ帰る子供たちに老いた神父は笑顔を向け、教会の扉の前から手を振って見送った。こうして、今日一日の人々の安全に対する感謝と明日の幸せを祈ることが、彼、リヒャルト・ケーニッヒ神父の日課だった。それは、街の人間なら皆が知っている事柄で、教会広場に遊びに来た者は、必ずと言っていいほど挨拶を交わしてから帰宅する。中には仕事帰りにわざわざ教会に寄ってから自宅へ帰る者もいる。老神父は、それほど慕われていた。
「さて、もう皆さん帰られましたかな……?」
リ~~ン…ゴ~~ン……、と教会の鐘楼から聞こえる荘厳な音色が、夕焼けの茜から日没の藍に変わりつつある空に溶けていく。老神父は広場や墓地に誰もいないことを確認した後、教会内に戻ろうと扉に手を掛けた。
その時
――――「失礼します、神父さま……」
「……ッ!?」
突然の声。あまりの驚愕に老神父は言葉を発することができなかった。確かめたはずだった、もう誰もいないことを。にも拘らず、不意に声を掛けられた。驚かない方がおかしい。しかし、それでも何とか心を落ち着かせた老神父は、「はい、何ですか?」とゆっくり振り向いた。
そこには、一人の少女の姿があった。黒を基調とした、シンプルながらゴスチックな服装で身を包み、同じく黒のベールで表情を隠している彼女は、腕に大きな花束を抱えていた。歳の頃は13~15歳くらいだろうか、どことなく幼い容姿に見えるのは東洋系の顔立ちが影響しているのか、と老神父は見た。
そして、それ以上に老神父の目を引いたのは、黒い服が一層際立たせているその白い肌と蒼銀の髪。さらにベールの奥に見え隠れする
紅玉(のような瞳。
まさに神の造形。そう思うほどに少女の姿は美しかった。
「……神父さま、どうしました?」
固まったように動かない老神父に少女が声を掛ける。それを聞き、彼は漸く立ち直った。
「あ……っ、いえ、申し訳ありません。 少し呆っとしていたようですね。 歳は取りたくないものです」
老神父は苦笑いを浮かべた。この裏には、聖職者にあるまじく少女に対して劣情を抱きそうになった自分への誤魔化しがあるのだが、それに気付く者はここにはいない。
「それで、何の御用でしょうか?」
気を取り直して訊ねた老神父は、改めて少女を見た。格好からすると墓参りであろうとは容易に推察できる。だが、もう日は落ちかけている。こんな時間にたった一人でというのは妙な話だ。それならば、こうしてわざわざ教会を訪ねたというのは、何か別の用事があるのかもしれない。
そう内心で考え、老神父は少女の返事を待った。
「夕方遅くに済みません。 友人のお母様のお墓に参ったのですが、なにぶん初めて来たもので、何処にお墓があるのか判らないのです。 ここの墓地に葬られたというのは聞いていたのですが……」
なるほど、と老神父は納得した。確かに辻褄は合う。おそらく彼女は外国人だ。遠い道のりを一人でここまで来て、しかも初めての土地、右も左も分からず苦労して、こんな時間になったのだろう。それに墓碑の並びはチェス盤の目のように整然としている。知っている者の案内無しには探し辛い。
「そうですか……その方のお名前は分かりますか?」
「はい、惣流・キョウコ・ツェペリンさんです」
「ソウリュウ…………ああ」
この国では珍しい名前なので、老神父はすぐに思い出した。あれは、もう10年も前のこと。葬儀には政府の要人も何人か参列していたので驚いたものだ。そして、あの幼い少女。歯を食いしばり、眉間に皺を寄せて、懸命に泣くことを拒否していた娘。母親が亡くなったこともそうだが、子供であることを見せようともしなかった仕草が逆に哀れだった。彼女は今、どうしているのか。
そんなことを振り返りながら、老神父は頷いた。
「分かりますよ。 案内しましょう」
と、言った後で気付き、絶句した。本当は「分かりますよ。 ですが今日のところは」と断るつもりだったのだ。しかし、いつの間にか了承していた。断りきれない
―――― 神に仕える者として、何とも抗いがたい感覚に囚われている自分がいた。
「お手数をお掛けします」
頭を下げる少女。ぞくり、と老神父の背筋が震えた。それは歓喜なのか、はたまた恐怖なのか。
「こ、こちらです」
動揺を悟られぬよう努めて隠し、老神父は少女を目的の墓碑まで案内する。
後をついて歩く少女は、妖しく微笑んでいた。彼は知らなくて良かったのかもしれない。何故なら、その笑みはまさに旧約聖書に記された『夜魔の女王』そのものだったのだ。
翌日、タブロイド紙を含む新聞各紙の夕刊一面に『怪奇!! 暴かれた墓! 神父、法衣だけ残して失踪』との記事が載った。当然のことながら街は大騒ぎである。誰もが敬う老神父が忽然と姿を消したのだから。
しかし数日もすれば、その街以外では話題に上ることもなくなった。報道も違うネタを追いかけるようになった。ドイツ国内でもそうなのだから、ヨーロッパ、また世界全体では何も無かったも同然の出来事となった。
だが、この話には裏があった。関係者によると、現場では老神父の法衣の他に成分不明のオレンジ色の液体が残されていたという。荒らされた墓の埋葬者『SORYU-KYOKO-ZEPPLIN』との関連性も含めて手掛かりとして捜査が行われたが、それは突如として打ち切られ、各方面へ緘口令が布かれたそうだ。国連直属の特務機関が干渉してきたという噂があるが、事実は確認されていない。
人間とは忘れ易い生き物である。これが単なる失踪事件でなかったと気付くのは、発生から数ヶ月も後のことになるのだった。
◇ ■ ◇ ■ ◇ ■ ◇ ■ ◇ ■ ◇
―――― 舞台は戻る。
「以上が作戦の概要です」
地球衛星軌道上に定位するGGGオービットベース、その作戦司令室であるメインオーダールームでは、綾波シンが緊急召集した主要スタッフ全員を前に作戦提案を行っていた。また、その説明に必要な各種データ類が映し出される正面の大型メインスクリーンのサブウインドウには氷竜や炎竜、風龍に雷龍、ゴルディーマーグ、ボルフォッグ、マイク・サウンダース13世といった勇者ロボ達の姿もあり、再戦に向けて修理ならびにメンテナンスを受けている彼らもディビジョンⅨ・極輝覚醒複胴艦ヒルメ内からこの会議に参加していた。
「
Indeed.( 四重奏(……やはり、その方向からのアプローチこそがイスラフェル攻略の
鍵(となるのかのう」
研究開発部主任でありGGGの
頭脳(でもある獅子王ライガ博士は、ピンとV字型に左右へ伸びた口髭を弄りながら、提示された作戦案に感心するよう「ふ~む……」と唸った
実際、粗さはあるものの、それは良く出来ていた。
そもそも、このアイデア自体はイスラフェルとの初戦撤退後に行われた昨日の作戦会議でも出ており、ライガ達もその観点から考えなかったわけではない。だが、分裂したイスラフェルの個体数やその後の動きが『前の世界』とは違っていたが為に、それは敢えて頭の中から外していた。
しかし、その全てを覆したのがシンの立てた作戦だった。これは、データの裏付けによって確認されたイスラフェルのコンビネーションパターンに沿って構成されており、最大のネックだった『4つのコアの同時回収』にも対応できているものであった。
イスラフェルの動きは、客観性を含んだ大局的な視点でようやく見極めることができた。そのヒントとなったのは、作戦のコンセプトでもある『四重奏』だという。
それによると、行動パターンは4種類に分けられた。『
攻撃(』・『
防御(』・『
虚動(』・『
補助(』である。これらを戦闘状況に応じて使い分けることで、イスラフェルは勇者王を、そしてGGGを撤退させたのだった。
説明を聞いてGGGスタッフの面々は瞠目した。確かにその通りだったからだ。似て非なる4つの旋律を4つの楽器が奏で紡ぐことで雄大に広がる四重奏曲のように、イスラフェル4体の動きもそれぞれは異なるものであったが、もっと大きな視野で見た時、それらは常に連係して統制・調和が取れており、微塵の隙も遊びも無い戦術の一端であることが分かった。
強い
―――― 本当に強敵だ。部隊としての戦力を整えつつあるGGGに真正面からチームワークで対抗し、時間稼ぎをせざるを得ない戦い方をさせたのだから。
だが、恐れることはない。臨機応変にコンビネーションパターンを入れ替えられるのは確かに厄介だが、それは元々GGGの十八番でもある。自分たちとて強大な力を持つゾンダー、機界31原種、ソール11遊星主などをチームワークで撃破してきたのだ。向こうに出来てこちらに出来ない事はない。今こそ『最強勇者ロボ軍団』の底力を見せる時だ。
「よし! シン君の作戦案を承認する。 火麻君、作戦の細かい部分を詰めてくれ」
「おう、了解だ!」
司令長官・大河コウタロウの指示に参謀の火麻ゲキが頷いた。
作戦の骨子が決まり、昨日は停滞した会議が今日は一転して前へ進んだ。立案者のシンを中心に火麻やガイ、ミコト、他の機動部隊の面々といった現場レベルの人間たちが次々とあれやこれやの意見を出し合う。
「四身一体とも言えるこのイスラフェルのコンビネーションに対応できる機体は、氷竜と炎竜、風龍に雷龍
―――― 」
「イスラフェルのA.T.フィールド中和は絶対条件ですね。 なら、またNERVと共同作戦を執る必要が
―――― 」
「それに合わせた攻撃パターンを習得してもらいます。 可能な限り、1秒でも早く」
<ちょ、ちょっと待ってくれ! 僕は音楽ってやつは>
<オレもだ>
「勇者が泣き言いってどうすんだ!!」
こうなると開発や整備畑の者たちは半ば蚊帳の外である。餅は餅屋と言うように、自然とミコト以外のオペレーター達はデータ検証の手伝いに専念し、ライガとマイの両博士は作戦成功に必要な技術的アドバイスを出すことが主な役割となった。
と言っても、そう頻繁に意見を求められるものではない。これまでの経験から、ライガはどっしりと椅子に腰掛けて悠然と構えていたが、その隣では、マイが手持ち無沙汰な様子を見せていた。
「暇そうじゃのう、マイ君」
「あっ……! いえ、すみません……戦闘時の話ですから、私の仕事は無いような気がしまして……」
からかい混じりに笑みを向けるライガに、マイは何とも跋が悪そうに縮こまった。
これは、ある意味で仕方のない事と言えた。綾波マイ
―――― 碇ユイは本来、戦闘行為とは無縁の科学者である。使徒への対抗手段として『エヴァンゲリオン』を開発したと言っても、それを兵器としてどう運用するかを考えるのは専門外だ。『生兵法は怪我の元』という言葉がある。下手に齧った程度の知識や知恵を偉そうには喋られない。
同じ科学者としてそれが分かるライガは、「No problem.」と頭を振った。
「マイ君は、GGGに参加してまだ日が浅い……その手の経験もシャムシエル戦からじゃから惑い迷うこともあろう。 だがのう、キミが全くの役者不足かと言えば、それは違う。 既存の概念に囚われない柔軟で忌憚なき発想、これに『この世界』にとって異邦人であるボク達がどれだけ助けられたか……何も遠慮することはないぞい」
「恐縮です、ライガ博士」
頭を下げるマイの肩からスッと力が抜けたようにライガには思えた。良いことだ。変に気張ったところで結果は悪い方向にしか進まない。
「とは言え、いまマイ君が受け持っておる仕事も最優先で進めねばならん。 持ち場に戻ってもよかろう。 ここはボクちゃんが居れば大概は済むじゃろうて」
「分かりました、そうさせていただきます」
一礼してマイは席を立つ。手元の書類等を一纏めにして小脇に抱えた。
「それにしても、シン君は勉強の成果が出てきたようじゃな。 まさに『Children have the qualities of the parents』と言ったところかのう」
「ええ、自慢の息子です」
お褒めの意味での『蛙の子は蛙』の言葉にマイは胸を張った。そして「失礼します」と一歩踏み出そうとしたところ
―――― 「そのシン君が乗る機体じゃが」
柔和だったライガの目元が険しい色を見せた。
「再侵攻まで後4日……『初号機』は間に合わんな」
「はい……素体生成は完了し、現在は第一次装甲の取り付け作業中ですが、新型
機関(も含めた起動実験、連動試験、シンクロテストと、やることは山ほどあります。 それに
―――― 」
「『ロンギヌスの槍』じゃな?」
「あれを
組み込まなければ(真に完成とは言えません」
「南極はSEELEが常に目を光らせておるからのう。 隠密に、という訳にはいかんのが問題じゃな……」
コアクリスタルと同様にロンギヌスの槍も絶対に回収しなければならない物であったが、槍が沈んでいる南極の海は、セカンドインパクト発生直後から
人類補完委員会(の命を受けた国連軍や人工衛星によって監視されている。その網の目を掻い潜ってあれだけの大きさの物を引き揚げるのは今のGGGの組織規模では難しかった。
「しかし、いつでも使えるようにしておかねばな。 前線で戦う皆が後顧の憂いなく動ける態勢を完璧に整えておくのがボクちゃん達の仕事じゃ」
「はい」
ライガの言葉に力強く応えたマイの視線は、メインスクリーンに映る現在のイスラフェルに向けられた。黒焦げた身体を相互補完再生能力で癒す四つ身の使徒。彼らは何を考えていることだろう。完全再生を果たしGGGを打ち倒す……これはその為の準備期間だ、とでも思っているのか。
だが、それはこちらにしても同じこと。作戦は決定した。後はそれに向けて邁進するのみだ。
勝利の為のカウントダウン
―――― それは今、ここに刻まれた。
◇ ■ ◇ ■ ◇ ■ ◇ ■ ◇ ■ ◇
「GGGから出された案でなければ、即座に認めていた内容だな」
キール・ローレンツは苦虫を噛み潰したような顔と声色で吐き捨てた。特徴的なバイザーで隠れてはいたが、その奥の目元も忌々しいと歪んでいることだろう。
使徒イスラフェル襲来から2日後、何処とも知れぬ暗闇に包まれた室内で行われている人類補完委員会特別召集会議。そこでは、委員会議長であり独国代表でもあるキールを始めとした米国、英国、露国、仏国の代表たちが、国連事務総長を介してGGGから提出された使徒再侵攻における対抗撃滅作戦の要綱を検討、考査していた。
彼らが囲む大きな会議机の中央に映し出されているデータのホログラフィ
―――― 表紙に『極秘』・『関係者以外閲覧禁止』の朱印が押された書類束がそうである。
「……さて、君の意見を聞こう」
キールの言葉は彼の対面に向けられたものだった。委員全員の視線がそちらへ動く。
この会議には、もう一人の出席者がいた。本来の使徒殲滅機関であるNERVの総司令官、六分儀ゲンドウである。彼は、いつもと同様の格好で表情を隠し、ここに臨んでいた。
「問題ありません。 GGGが使徒を倒してくれるというのであれば、それはそれで結構。 我々はその間に目的遂行の為、力を蓄える事ができる」
ゲンドウは何ら臆することなく言い切った。使徒との戦いなど大事の前の小事に過ぎないと。
“地球防衛勇者隊ガッツィー・ギャラクシー・ガード”を名乗る武装組織の介入というイレギュラーに対処しつつ、目的である補完計画を進めなければならない為に、これまで以上の資金を調達しようと各国を回っていたゲンドウがNERV本部に戻ってきたのは昨日の午後のこと。すぐさま副司令の冬月や各部署からの報告を受けたが、例に漏れず、ゲンドウは「問題ない」の一言で終わらせた。GGGがNGO組織として国連の承認を受けた事、赤木リツコのGGGからの出向の事など、諸々も含めてだ。
キリキリと痛む胃腸と共に頭を抱える苦労性の冬月だったが、ゲンドウにしてみればそんなものなど知ったことではなかった。GGGが代わりに使徒を殲滅してくれるというのであれば、全て任せてもいいと思っている。自分にとって必要なのは、己の補完計画を発動させる
要素(を整えることである。GGGとの繋がりができることで連中が持ち去ったユイの眠る初号機コアの行方が分かれば、それは歓迎すべき事柄であった。
更には、あわよくば共倒れになってしまえ、とも考えている。使徒もGGGも、その存在は障害以外の何物でもないのだから。
「だが六分儀よ、このままでは我々としてもNERVそのものの存在意義を問わずにはおれん」
そう。キールの言うことも尤もだった。研究機関に過ぎなかったゲヒルンから特務機関NERVへ組織を移行したもの、来るべき使徒との戦いに向けてのものだ。それがあるからこそ、
人類補完委員会(は国連を隠れ蓑に各国を説き伏せ、時には脅し、多額の予算を供出させている。NERVが結果を出さないのであれば、必ず抗議の声が上がり、行動が起こされるだろう。
臍を噛む。
せめて提示された作戦案がNERVからであったなら、作戦遂行がGGGでも面目が立ったのだ。始めから終わりまで全てが向こうの主導という事実は、GGG以外にも存在する大小さまざまな敵対組織に無用な弱みを見せることに繋がる。
SEELEとNERVの組織力を利用して計画を発動させようとしているゲンドウである。それが本来とは別のシナリオである以上、駒や手足を失うのはあまりにも都合が悪かった。
「議長の仰る通りだ、六分儀」
「左様。 事は君の進退にも関わるよ」
他の委員も次々とキールに賛同し、糾弾を始めた。分かりきっている事をさも偉そうに語る彼らはゲンドウを苛つかせたが、「腰巾着が」と表情に一切出さずに内心でせせら笑うことで気持ちを落ち着かせた。
しかし、言われるまま何も返さないというのは面白くなく、加えてこの老害ども以上の無能を自ら肯定しているようにも思えた。
「……委員会の皆様の懸念は承知しております。 私としても全てを任せるつもりはありません。 善後策を講じ、準備を進めております。 今しばらくのご猶予を」
ゲンドウは格好を崩すことなく口を開き、一先ず適当な言い訳を並べた。自分でも苦しいと思ったが、それで委員の面々は「ふん……」と悪態を吐いて矛先を納めた。
「(単純な)」
虚実を確かめることすらしない連中を嘲笑う。ゆえにゲンドウはそこに突け込み、物事を誘導していくことができる。自分の目的の為に。
「
―――― 六分儀」
キールの呼びかけは場の雰囲気を瞬時に変えた。その圧力にも似た口調に委員たちは姿勢を正し、ゲンドウは組んでいる指の間に嫌な汗を滲ませた。
「(騙せんか……)」
キール・ローレンツ。彼は政治・経済界の裏表を問わず、海千山千の人物である。他とは格が違うということをゲンドウは改めて思い知らされた。
だが
―――― 「今回の使徒殲滅に関する作戦内容だが、当委員会はこれを承認する。 GGGと協力し、完遂せよ。 以上だ」
予期せぬ言葉に呆気に取られた。米代表委員の「議長っ!?」という声が無ければ、そのまま暫くは自失していたかもしれない。
「(どういうことだ? あんな苦し紛れを無条件に信じたとは思えんが……)」
油断してはならない人物とキールを評価しているゲンドウだからこそ、先程の言葉を鵜呑みにはできなかった。
何かあるのか? と、裏を考えれば考えるほど疑問は尽きないが、このくだらない会議から抜けられるというのなら、それに越したことはない。
「了解しました」
動揺を悟られる前に、ゲンドウは席を立った。
「説明をお願いします、議長」
ゲンドウが退席した後、委員たちはキールに詰め寄った。口調や表情からは納得がいっていないことがありありと分かる。
「六分儀が言った通りだ、諸君。 今はGGGと徒に対立しても我々に利はない。目の前に迫る使徒の脅威は彼らに任せ、我々は来るべき三度目の報いの時の為に力を蓄えておかなかればならない。GGGが邪魔するというのであれば、その時に叩き潰せばよい」
「しかし……!」
「タイムスケジュールの遅延は明らかだ。 量産機も、この時期の予定数の完成どころか、まだ組み立てにも入っておるまい」
「「「「…………」」」」
委員は一同に押し黙った。キールの言うように、影響は多々でている。余計なことに構わず各自の仕事を全うしなければ、いざその時に補完から取り残されるかもしれない。
それは恐怖だった。知らず知らずに背負わされた理不尽な『原罪』を償うために生かされる、こんな醜悪な世界に残されるというのは……。
「分かりました、議長。 ですが
―――― 」
露代表委員が不安を口にした。それはいつも結果を出さず、権利だけ主張して義務と責任を果たそうとしない女のことであった。
「葛城ミサトか……前々から能力に疑問があったが、アレはもう必要ないのではないか?」
「左様。 百害あって一利なしだよ」
「まあ、不幸というものはどこにでも転がっている。そういえば先日、交通事故で死んだ奴もいたな。運がないことだ」
「亡くなったのは君のところの大統領だろう? 国民なら少しは哀悼の意を示したらどうかね。 まるで他人事だ」
クックックッ……と漏れる暗い笑い声。彼らは言外に告げていた。さっさと殺してしまおう、と。
「まあ待て」
キールが止めた。信じられないという表情で委員たちが彼を見る。まさか、これも余計なことだと言うのか。
「葛城ミサトはNERV所属だ。 邪魔だというのなら六分儀が何らかの対策をするだろう。 先程も言ったように、我々には我々の仕事がある」
「ぼ
―――― 」
呆けましたか!! と言いそうになって英代表委員は慌てて口を塞いだ。言ってしまったら失言レベルでは済まない言葉だが、それが出かけるほど反射的に驚き、怒りを覚えていた
どうせ「問題ない」で済ませてしまう男が六分儀ゲンドウなのだ。そこまであの女と男を庇う価値があるのか。
だが、キールの言葉に異を唱える程の気概は委員たちにはない。「う……」、「く……」と何か言いかけて止めて、一人、また一人と退席していった。
委員たちを照らしていた淡い灯りが消え、会議室は暗闇に包まれた。キールだけがそのまま残り、何かを考えているようだった。
そんな彼の背後に、前触れもなく浮かび上がるものがあった。それは『13』の
番号(が記されたモノリス状の物体だった。
「便宜は図った。 申し出通り、葛城ミサトの件はお前に任せる、パルパレーパ」
<感謝します、議長>
―――― あの人間には大切なものを預けているからな。安易に殺されては困るのだよ。パルパレーパは、モノリスの向こう側で禍々しく笑っていた。
◇ ■ ◇ ■ ◇ ■ ◇ ■ ◇ ■ ◇
時間は刻一刻と過ぎていく。
NERVは上位組織の人類補完委員会の承認を得、GGGとの共同戦線に向けて動き始めた。約一名、それに反対する者もいたが、妨害すべき状況ではないことは流石に分かっているようで、憮然としながらも仕事を続けている。
GGGでは作戦の要となる戦闘要員、氷竜と炎竜、風龍と雷龍の訓練が大詰めに入っていた。使徒イスラフェルの戦闘パターンをありとあらゆる角度から検証し、対応するパターン・カテゴリズムを構築していく。
同様に、NERVでもGGGのサポートの為にシミュレーション訓練が行われていた。作戦を成功させる為に必要不可欠な使徒のA.T.フィールド中和の任を務めるアスカとレイは、毎日のようにエヴァのシミュレーション・プラグに乗り込み、データ上の仮想空間内ではあるがGGGと共に使徒と戦いを繰り広げていた。なお、この仮想戦闘プログラムはGGGの猿頭寺コウスケと赤木リツコの自信作である。
そして彼女たちの愛機、エヴァンゲリオン弐号機ならびに零号機だが、こちらも問題はなかった。初戦で受けた損害は、GGGの勇者たちが庇ってくれたおかげで小破だったのが幸いし、あと数時間で修復完了の見込みだ。
今日は、使徒の侵攻再開が予測された日の前日―――― つまり、明日が作戦決行の日である。なんとか間に合った、とNERV技術開発部の職員と整備班の作業員たちは胸を撫で下ろした。
しかし、ただ一人、気持ちの晴れない者がいた。
伊吹マヤだ。
何故なら、エヴァが直るということは自然と赤木リツコのGGGからの出向が終わることを意味していたからである。
様々なデータが映し出されている2台のパソコン端末のモニター。画面では数式やプログラムが滝のように上から下へ流れていく。
そのコンソール・キーボードの上では、女性二人の綺麗な指先が艶やかに、そして軽やかに舞い踊っていた。
「速くなったわね、マヤ」
「それはもう、先輩の直伝ですから」
ここNERV本部、地下深度2090mのセントラルドグマ・レベル3にある、現在はマヤの執務室となった元・赤木博士研究室では今、リツコがマヤに、前にできなかった仕事の引継ぎ作業を行っていた。
とは言っても、業務のほとんどはリツコがNERVにいた頃からマヤが片腕として補助していたために改めて教えるものはなく、専ら膨大すぎる資料や情報の有益かつ有効な使い方をレクチャーしていた。それらは以前のマヤの役職や階級では機密扱いとなっていたものであり、リツコのIDやパスワードがなければアクセスできないものが多かった。
もちろん、その中に人類補完計画に関するデータは無い。というより意図的に除外している。巻き込まないで済むのならば、当然その方が良いのだ。
教えられたことをすぐにモノにしていくマヤを見て、リツコは微笑んだ。仕事の手を一旦止めると、着ている白衣の内ポケットから一枚のROMメモリーを取り出した。
「はい、これ」
「え? 何です?」
怪訝な顔で受け取るマヤ。
「MAGIの開発者コードと裏コード。 それのパスと検索用の一覧データよ」
「ええっ!?」
驚くのも無理はない。リツコが手渡したのは、マヤならずともMAGIに関わったことがある者ならば誰でも分かる最高機密の塊だった。それを使えばMAGIシステムの全てを思い通りに操れると言っても過言ではないからだ。
同時に、マヤは理解した。それを自分に渡す意味を。
「先輩、やっぱりNERVに戻ってきてはくれないんですね……」
「……ごめんなさいね」
可愛い後輩の悲しげな表情を見たくないのか、リツコは伏し目がちに少し顔を背けた。
肯定の韻。
マヤの心を焦燥が襲った。
―――― これでお終い? こんな終わり方でいいの!?MAGIは、リツコが敬愛し「超えたい」と願う母親の遺産にも等しい物である。それをこうもあっさりと他人の自分に譲ってしまうようなこの行為は、自分たちとの完全な決別のように思えた。いや、そうとしか考えられなかった。
「な、なら! それなら、私も連れてってくださいっ!! 私も先輩の下で一緒に―――― 」
一瞬にして激情がマヤから溢れた。普段の彼女からは想像もつかないようなそれは、尊敬するリツコへの思いの大きさでもあった。
その剣幕にリツコは戸惑うも、すぐにマヤの気持ちが分かった。彼女の肩に手を置き、落ち着かせる。
「ありがとう、マヤ。 そう言ってくれるのは嬉しいわ。 でもね、私はあなたにNERV(ここ)に残って欲しいの」
「ど、どうして?」
「子供たちの為に」
「子供……レイちゃんやアスカちゃんのことですか?」
「ええ、そう。 ねえ、マヤ? 第3使徒の死体から回収した腕、まだあるわよね?」
「え? ……あ、はい。 下の保管庫に保存されているはずです。 でも、その話、どこに繋がるんですか?」
「いいから。 それじゃあ、第5使徒戦でGGGから提供されたポジトロンライフルの改造データは?」
「もちろん残してあります。 消すはずがないじゃないですか、あんな貴重なもの……」
「期待通りね。 じゃあ、プレゼントよ」
リツコは端末の横に置いていた自分のセカンドバッグをごそごそと漁り、中から、今度はDVD-ROMを一枚取り出した。「はい」とマヤに手渡されたそれは、ラベル記載も何も無いディスクだった。
「先輩、これは?」
「エヴァ弐号機、それに零号機の追加武装案とその設計図よ」
「ええっ!?」
マヤは目を丸くして驚いた。視線がリツコとディスクを行ったり来たりしている。
「NERVにいた時にも少しずつ考えていたんだけど、GGGに行ってから漸く目処が立ったのよ。 大河長官とライガ博士からは提供のお許しを頂いているから、後は任せるわね。 でも、私から貰ったなんて誰にも言っちゃ駄目よ。 特にミサトや司令にはね。 あくまで、それはNERVの技術開発部が―――― あなたが考案したことにするのよ。 GGGからなんて分かったら面倒なことになるのは目に見えるから」
「でも、どうしてこれを……? GGGで使った方が有意義に――――」
「アスカとレイを守る為よ。 NERVが使徒殲滅を目的とした機関である以上、前線で戦うのはチルドレンのあの子たちよ。 それに、GGGでも対処しきれない程の力を持った使徒が現れた時、今のままのエヴァで勝つことができるかしら?」
「あ……」
マヤは気付いた。これまでの使徒との戦いがGGGの力によって勝利し続けていた為に忘れていたのだ。考えうる最悪の可能性を。
知らぬ間に根拠の無い安心に任せて、自分たちがしなければならないことを怠っていた。
「そういうことよ。 じゃあ、これで――――」
ポン、とリツコはキーボードのEnterキーを押した。これまでリツコ用だった幾つかのプログラム、IDなどが全てマヤのものに変わり、引き継ぎ作業は終了した。
「全てOKね。 さて、と……後を頼むわ、マヤ。 機会があったら、また一緒に仕事をしましょう」
「先輩……」
マヤは勘違いに恥ずかしくなった。これは決別ではなく信頼。自分を信じてくれたからこその言葉と行為だったのだ。
「平和になったら――――ううん、これからも仕事なんて幾らでもできます。 だから先輩! 私、頑張ります! だから、だから……」
「そうね……頑張りましょう。 私はGGGで」
「私はNERVで」
少し涙目になりながらもマヤは気丈に答えた。
リツコはそんな彼女に微笑んで、軽く抱き締めた。
「……ふえ」
思わぬ不意打ちにマヤの涙腺が一気に緩んだ。
悲しくも嬉しい嗚咽が室内に響き始めた。
それを見ていた一人の女性。傍目には感動的な場面ではあったが、彼女にとっては何となく面白いものではなかった。
「……フンっだ」
ただ一言呟いて、その場を後にする。
邪魔は無粋だということくらいは分かっていた。
◇ ■ ◇ ■ ◇ ■ ◇ ■ ◇ ■ ◇
交錯し、複雑に絡み合う多くの想いと思惑。それは人もヒトも、誰も彼も関係なく、時を経て、同じ処(ところ)へ辿り着くのだった。
今、雌伏の時が終わりを告げる。
夜は明け、遂に決戦の日がその朝を迎えた。
第四拾漆話へ続く