「(N2が爆発しなかったってことは、保険が上手くいったようだね)」
「…………ジ……ンジ………シンジ君!!」
「………あ、はい。 何ですか?」
「どうしたの? ボケっとして………」
「いえ、何でもないですけど」
ミサトとシンジは使徒から逃れ、今はジオフロント内部に向かう専用カートレインに乗っている。やっと状況が落ち着いたので、ミサトがあれこれ説明しているのだ。
「じゃあさぁ……コレ、読んどいて」
「えっと、特務機関NE…ネ…ネー………何て読むんです?」
「ネルフ。 特務機関NERVよ。 国連直属の非公開組織で、私はそこに所属してるの。 まあ、国際公務員ってやつね」
「へぇ~……」
改めてシンジは、ミサトから渡されたパンフレットを見る。『
ようこそ NERV江』なんて書いてあるわりには【極秘:For Your Eyes Only】の文字がやけに大きく印刷されており、たった一人に見せるために作ったにしては豪華すぎる装丁と中身だ。
非公開組織のくせに、紹介用パンフレットを作る理由は何なんだ? と改めて考えてしまう。
「で、その特務機関が何の用なんです? 僕は父さんに呼ばれて来たんですが………」
「あなたのお父さんもそこにいるわ。 お父さんのお仕事………知ってる?」
「人類を守る立派な仕事………ってやつでしょ、そう聞いてます。 本当に守るべき家族を放って置いて………」
「あら、皮肉?」
「そんなつもりはありませんがね」
「ふ~~~ん………………あ、そ~だ。 お父さんからID貰ってない?」
「ええ。………はい、どうぞ」
シンジは、カバンの中にあったパスケースからIDカードを取り出し、ミサトに渡す。
「ありがと。 これが無いと、関係者でもジオフロントには入れないからね~~」
そう言ってシンジからIDを預かったミサトだが、ふと、あることに気付いた。
「あれ? シンジ君、お父さんからの手紙は一緒じゃなかった?」
「捨てました」
「ええっ!?」
表情を崩すことなく答える少年にミサトは驚いた。10年以上の間、まともに逢っていなかった父親からの手紙。さぞ大事にしているだろうとミサトなりの予想があった。
「ど、どうして?」
「持ってくるほどの物でもないですし、それに書かれてあった文面は覚えていますから、別に捨ててもいいでしょ?」
「いいでしょ? って言われても………。 それで、手紙には何て?」
「来い 碇ゲンドウ」
「…………………………………………………………………は?」
ミサトは耳を疑った。あまりにも簡潔すぎる。
「元気か?」とか、「調子はどうだ?」とか、もっといろいろ書かれている手紙を想像していたのだ。
まあ、あのゲンドウが筆まめだとは思っていなかったが。
「それだけ?」
「ええ。 馬鹿にしてるでしょ? 10年以上、放り出していた息子に初めて手紙を寄越したかと思ったらこれですから………。 まったく、何を考えてるんだか」
「お父さんのこと………苦手?」
「逆でしょ? 父さんの方が僕のことを苦手だと思ってるんですよ」
ミサトは「そうかもね」と言い掛けて、慌てて口を噤んだ。少年の父とはいえ、自分の属する組織の最高司令官のことだ。迂闊なことは言えない。それに、彼の全てを知っているような達観した表情が気になったからだ。
……………ゴウッ!!二人の会話が途切れ、沈黙が車内を支配しかけた時、急に外の景色が変わった。下へ降りる長いトンネルを抜けたカートレインは、夕日の光を取り込んで茜色に染まった地下世界に出たのだ。
「うわー、本当にジオフロントだ」
「これが私たちの秘密基地 NERV本部。 世界再建の要………人類の砦となる所よ」
そう言いながらもミサトは、シンジのやけに棒読みっぽい台詞が気になっていた。
「そろそろシンジ君がNERV本部に入る頃かな?」
第3新東京市の一角にあるビルの上に一人の青年が立っていた。ビル風が彼の長い髪をなびかせる。
「ボルフォッグ………市民の避難は?」
青年が背中越しに、後ろの何も無い空間に向かって話しかける。すると、何か陽炎のようなものが動き、彼の質問に対する答えが返ってきた。
「避難は既に完了しております。 サキエルとの戦闘開始予定地点には人間の生命反応はありません」
「シンジ君が言っていた女の子は?」
「鈴原ナツミ嬢の避難は確認済みです」
「ということは、大丈夫だな」
「ただ、少し気になることが………」
「どうした?」
「鈴原ナツミ嬢の周辺にNERV諜報部の影が見えます」
「………彼女の怪我は最初から仕組まれていた?」
「もしくは、フォースチルドレンは最初から決まっていたのかも知れません」
「鈴原トウジ君か………」
「警戒に当たります」
「頼む」
再び陽炎が揺らぐと、そこには何の気配もしなくなった。
「………さて、来たか」
青年の視線の先には、こちらに向かって歩いてくる緑の巨人
――――― 使徒サキエルがいた。
「葛城さ~ん………まだ着かないんですか?」
シンジ達はNERV本部の通路を、もう20分以上歩いていた。いくら広い本部内とはいえ、20分というのは本部の端から端まで歩いてもお釣りが来る時間である。
シンジはいい加減イラついてきた。それは『前』と同じだったから。
「葛城さん」
「うっさいわね! あなたは黙ってついて来ればいいの!」
「黙ってついて来たからこそ、この有様なのでは?」
「うぐっ……」
的確なツッコミに、何も言えなくなるミサト。
「それで、何処に行こうとしてたんです?」
「………ケイジよ」
「ケイジ…………じゃあ、こっちですね」
そう言うとシンジは、スタスタとミサトを案内する様に前を歩き出す。
「ちょ、ちょっと………何で道 知ってんの?」
シンジはスッと左側の壁を指差した。そこにあったのは
―――――「………案内板」
「もっと周りをよく見たほうがいいですよ」
「あ…はははははははは………」
ミサトの乾いた笑い声が通路に響いた。
案内板に従ってしばらく歩くと、エレベーターの前に出た。
「そうそう、思い出した。 このエレベーターよ」
ミサトは、シンジの突き刺すような視線を背中に感じながら下の階に行くボタンを押そうとするが、その前に チン! という音と共にエレベーターのドアが開いた。
「ラッキ~~………うげっ」
入ろうとしたエレベーターの中には、金色の髪に白衣を着た女性がいた。少し呆れた顔をする女性に対し、ミサトは明らかにバツの悪そうな顔をする。
「何をやっていたの、葛城一尉? 私達には人手も無ければ時間も無いというのに………」
「リ、リツコ………いや、その………………………………ごめん。 また迷っちゃって」
リツコと呼ばれた女性は フウ……… と溜息をつくと、シンジの方に向き直った。
「彼が例の男の子ね」
「そう、マルドゥックの報告書によるサードチルドレン」
「よろしくね、碇シンジ君」
リツコは右手を差し出すが、当のシンジは彼女を見ながら何か考え事をしている。
「シンジ君?」
「どうしたの?」
その様子を怪訝に思ったミサトとリツコは首を傾げる。
「あ、ああ………すいません、碇シンジです。 よろしく、赤木さん」
「リツコでいいわ、シンジ君」
「判りました、赤木さん」
「…………(怒)」
「可愛くないでしょう? ほ~~~んと、父親そっくり」
「それって厭味ですか?」
ジトっとした目でミサトを見るシンジ。
「そんなことないわよん」
と言いながらも、ミサトは「やっと仕返しができた」と内心喜んでいた。
「時間が無いわ。 行くわよ」
付き合ってられないわ、とばかりに、リツコは二人の遣り取りを無視するように歩き出す。シンジはそんな彼女を見ながら、再び思考の海に浸る。
「(確か、前は水着だったよなぁ?)」
なに考えてんだか。
NERV本部 中央作戦室第1発令所の主モニターには、未だ侵攻を続ける使徒サキエルが映し出されていた。邪魔者がいなくなったサキエルは、先程よりもスピードを上げ、この第3新東京市に向かっている。
「司令! 使徒は強羅最終防衛線を突破しました!」
「進行ベクトルを修正、尚も進行中!」
「予想目的地、当初の予測通り、第3新東京市!!」
NERV総司令 碇ゲンドウは、その報告を聞くと椅子から立ち上がり、オペレーターに指示を出す。
「総員、第1種戦闘配置」
「了解!」
「冬月………後は頼む」
「ああ」
NERV副司令 冬月コウゾウに後を任せ、ゲンドウはリフトを操作して下に降りていく。
冬月は、そのゲンドウを見ながら一人呟く。
「10年ぶりの息子との対面か………」
ビーーーーーーッ! ビーーーーーーッ! ビーーーーーーッ!〔総員第1種戦闘配置! 繰り返す、総員第1種戦闘配置! これは訓練ではない! 繰り返す、これは訓練ではない!〕
〔対地迎撃戦用意! 初号機、起動準備に入れ!〕
警報と共に本部施設全体に指令が響く。特務機関NERVが初めて体験する実戦である。職員全体に緊張が走る中、リツコ、ミサト、シンジの三人は、小型ボートでケイジに向かっていた。何故ボートかというと、ミサトが迷って時間を無駄にした所為である。
そのミサトだが、警報と指令を聞いた途端、表情が険しくなった。
「戦闘配置って………どういうこと!? リツコ!」
「初号機は現在、B型装備で冷却中よ」
「そういうことじゃなくて………まだ一度も起動したこと無いんでしょ?」
「起動確率は0.000000001%。09(オーナイン)システムとはよく言ったものね」
「それって動かないって事じゃないの?」
「あら、失礼ね。0%ではないわよ」
「数字の上ではね。 どのみち『動きませんでした』じゃあ済まないわ」
リツコとミサトの会話を聞きながらシンジは、少しずつ興奮していく自分に気付いた。心臓の音がどんどん大きくなる。
父親に会うから?
違う。
母親に?
違う。
綾波レイ?
少し違う。
では?
もうすぐ………もうすぐだ………。
「着いたわよ」
この興奮を悟られぬよう、シンジは冷静な表情で二人についていく。
えらく広く照明の付いていない部屋に通されるシンジ。
入ってきた入口のドアが閉められ、真っ暗になる。
その暗闇の中でシンジは カッ と目を見開き、笑顔を浮かべた。
幕は開いた。 この世界を舞台とした勇者達の伝説の。
思い知らせよう。 愚かなる道化達にこの世界の現実を。
見せつけよう。 世界を蹂躙せし痴れ者に、けっして思い通りにならぬ事があるのだということを。
知らしめよう。 勇気ある者達の神話を、この世界に。
救ってみせよう。 僕らが愛する人々を。
その為に………僕は今、ここにいるのだから………。
さあ! 始めようか!!
第参話へ続く