………………………気が付くと、アタシは弐号機の中にいた。
あいつらにグチャグチャにされた弐号機じゃなくて、ちゃんと元通りの弐号機にだ。
何でここにいるんだろう?
アタシが最後に見たのは、泣きながらアタシの首を絞めるシンジ。
苦しいし、起きたばっかりで頭がクラクラしてたから、思わず
――――― 「…………気持ち悪い」
――――― って言ったら、急に意識が遠くなって
――――― 「
君は何を望むんだい? 」
――――― そんな声が聞こえたような気がしたけど、気が付いたらここにいた。 プラグスーツ姿でエントリープラグの中に。
何で?
どうして?
そう自問していると、通信が入った。
怒ってる?
日本語じゃない。 久しぶりに聞く言葉、ドイツ語だ。
集中しろ! って言ってる。
うるさいわね………って思ったら、それはドイツ支部の支部司令だった。
本部に転勤? それとも出張?
――――― って、よく見ると、管制室にいるのは、みんなドイツ支部の人間だった。
ちょっと………出張にしては人数 多くない?
ますます混乱したわ。
戦闘は?
本部はどうなったの?
エヴァシリーズは?
ミサトは?
シンジは?
思考の海に沈んでしまったアタシに、支部司令は呆れた声で
――――― 「もういい、セカンド………上がれ」
――――― と、命令した。
アタシは混乱したままだったから「誰か、状況を説明して」と訊こうとした。 でも、管制室はみんなが忙しく動き回っていて、とてもじゃないけど訊ける雰囲気じゃなかった。
結局、アタシはそのままエントリープラグから出た。
L.C.Lを洗い落とす為にシャワー室に向かう。 その途中、気付いた。 ここが日本本部じゃなくドイツ支部だってことに。
戻ってきた?
戻された?
いつの間に?
手の込んだイタズラとも考えた。 でも、これは度が過ぎてるわ。 一人、こういう事を計画しそうな女を知ってるけど、実行できるほど権力はないし、馬鹿でもない………………………………………………はず。 自信ないわね………。
う~~~~~~~ん…………………………………………………あ~~~~~、もう!
何の情報も無く考えても埒が明かない。 とりあえず、アタシはシャワーを浴びて着替えた。
あれ?
ロッカーの中に入っていたのは見慣れない服だった。
中学の制服は…………………無い。 けど、持っている私服とも違う。
こんな服、買ったかな? と思った。 でも、袖を通すとサイズがピッタリだったし、ここはチルドレン専用の更衣室なので、これは自分のなのだろうと結論付けた。
その時、不意に更衣室の壁に掛けてあるカレンダーが目に入った。
【 2 0 1 4 】瞬時に理解した。 自分の身に起きたことを。
それがちょうど一年前のこと。
そして今、アタシは日本に向かっている。
前と同じ、国連軍の空母『オーヴァー・ザ・レインボウ』で。
赤木リツコのNERV離反から数週間後。
技術開発部は、彼女の抜けた穴を必死で埋めようとしていた。
後任に抜擢された伊吹マヤ二尉だったが、リツコがNERVを離れたと聞いた時、彼女はショックのあまり 臥せってしまった。
その後、同僚の日向や青葉が「亡くなったわけじゃないし、またGGGと共同作戦をとることになったら逢えるかもしれないよ」と励ましてくれたのが大きかったのか、一週間ほど休んだ後、彼女は職場に復帰した。
そんな彼女が何とか頑張っているものの、やはり赤木リツコという存在は非常に大きかったようで、かつてはリツコ一人で捌いていた仕事を、現在はマヤを含めた技術部員の精鋭四名で請け負っているという按配だ。さすがに通常の業務にも支障が出始めている。
これには副司令 冬月コウゾウも頭を抱え、リツコに代わる人材を探す為、四苦八苦の毎日である。
だが、肝心のNERVのTOP 六分儀ゲンドウ総司令は、そんなことなど気にも留めず、己の計画を進める為に大忙しだった。
「そうだ。 その問題は、既に委員会へ話を付けている。 『荷物』は昨日、佐世保を出航し、今は太平洋上だ」
初号機コアの行方を一向に掴めない諜報部を怒鳴り散らす傍ら、何処かへ電話を掛けるゲンドウ。
荷物
――――― そう呼ばれる、自分の補完計画を進める上で最も必要なモノの一つが今、日本に向かっていた。
紅の巨人と共に。
きらめく太陽に、澄み切った青空。見渡せば360度水平線が広がる素晴らしき風景。
そんな美しい景色の中を、無粋な軍用ヘリが突き進んでいる。NERV所属の輸送ヘリコプターだ。
ヘリには、NERV戦術作戦部 作戦局 第一課の長である葛城ミサト一尉が乗り込んでいた。彼女の目的は、海上輸送されているNERVの新たな戦力『エヴァンゲリオン弐号機』と、そのパイロット『セカンドチルドレン』の引き取りである。
その乗機が陸上から海上へ出て約2時間後、何も変わることの無かった景色に変化があった。大型艦の一団が視界に入ったのだ。
「見えましたよ、葛城一尉」
コクピットの助手席に座っていたコ・パイロットが目的地への到着を知らせる。
ミサトは覗き込むように窓から下を見た。
「へぇ~~、空母が五隻に戦艦が四隻ね………大艦隊じゃない」
「さすがは国連軍が誇る正規空母『オーヴァー・ザ・レインボウ』といったところですか」
「よくこんな老朽艦が浮いていられるものね」
「セカンドインパクト前のビンテージ物でしょう? 多分ですけど」
こいつ、軍事オタクか。
コ・パイロットをそう決め付けたミサトは、無視を決め込み、何も応えなかった。
そんなことなど気にもしないコ・パイロットは、淡々と着艦準備を始める。
「太平洋艦隊旗艦オーヴァー・ザ・レインボウ、応答願います。 こちら、特務機関NERV所属の輸送ヘリMil-55d。 着艦許可願います」
「こちらオーヴァー・ザ・レインボウ、許可いたします。 ようこそ、我が艦へ」
問題無く許可が下り、ヘリは降下体勢に入った。
「フン! いい気なもんだ。 オモチャの電源ソケットを運んで来おったぞ。 ガキの使いが………」
ヘリが降りようとする空母の艦橋で、艦長らしき男が忌々しそうに呟く。その後ろでは、副官と思われる男が無言でヘリを見ていた。
オーヴァー・ザ・レインボウの甲板に着艦しようとするヘリの爆音が響く。
それを、艦橋の張り出しに立って見下ろしている少女がいた。紅茶色の長い髪が良く似合っている。
「やっと逢えるわね、シンジ。 今度は叩いたりしないからね」
笑顔がとても綺麗な少女だった。
そして、そこから少し離れたところでは、少女と同じくヘリを見詰めるロングコートの女性の姿があった。
本土からは、まだかなりの距離があるが、ここはもう日本の領海である。容赦ない真夏の気候に、直射日光。格好が格好だけに、暑くはないのだろうか?
そんな彼女の桃色の髪を、涼やかな海風が靡かせる。掛けている小さな丸眼鏡のズレを直しつつ、女性は呟いた。
「ようやく来たか………ってことは、もうすぐなんだね」
女性はヘリから降りてきたミサトを一瞥すると、視線を大海原に移す。
「さあ………いつでも来な、ガギエル」
ヘリのローターが巻き起こす風を嫌がり、舞い上がる髪の毛を押さえつつ、ミサトは空母の甲板に降り立った。
「せっかく気合を入れてセットしたのに
――――― 」
――――― と、ぼやくものの、ミサトは任務の為、艦橋を目指して歩き始める。
そんな彼女の前に、一人の少女が姿を現す。先程ヘリを見詰めていた少女だ。
「Hello、ミサト! 元気そうじゃない」
「まあね~~。 あなたも背ぇ伸びたんじゃない、アスカ?」
少女の名は、惣流・アスカ・ラングレー。
エヴァンゲリオン弐号機の専属操縦者にしてセカンドチルドレン。自他共に認める天才少女である。
「他の所も、ちゃ~んと成長してるわよ。 どう?」
アスカは、その成長を見せ付けるように胸を張った。
「そいつはけっこう」
ウンウン と笑顔で頷くミサト。
「で、連れて来てるんでしょ?」
「は?」
ミサトは一瞬呆けた。彼女の言った言葉が判らなかったのだ。
まだ、日本語が不自由なのか?
そう思ってしまった。
一方のアスカは、訊き返してきたミサトに不機嫌さを表し、言葉が荒くなる。
「は? じゃないわよ。 サードよ! サードチルドレン!」
「サードって………え~と、碇シンジ君?」
「そうよ! ………まさか……ファーストを連れて来たんじゃないでしょうね?」
アスカはキョロキョロと辺りを見回す。
「いいえ、レイは第3新東京市で待機よ。 もし使徒が侵攻してきたら危ないでしょ?」
「だったら
――――― 」
「いない人間は連れて来れないわ」
「………え?」
明るさが取り柄であるミサト。 だが、その表情の暗さに、アスカは嫌な予感がした。
「これはまだ、本部の人間しか知らないことだけど…………………サードチルドレンは死亡したわ」
ミサトの言葉にアスカは震えた。恐怖が背筋を走った。
「な!? 何でよ!? どう言うことよ!? アイツが………シンジが死ぬはずないじゃない!!」
ミサトの腕を掴み、取り乱すアスカ。彼女には、ミサトの言うことが信じられなかった。
「ねえっ!!」
「ちょ……ちょっと落ち着きなさい、アスカ!!」
ミサトは、自分を掴んでいたアスカの手を振り解くと、逆にアスカの肩を掴んで彼女を叱咤する。
「あ………」
ミサトの大声に、ハッとなるアスカ。
「ねえ、アスカ? あなた、どうしてシンジ君のこと知ってるの? サードの情報は、本部で止めてるはずなのよ。 誰に聞いたの?」
「誰でもいいじゃない。 それより教えなさいよ。 本部で何があったの?」
「それは………あっ」
言いかけて、ミサトは周りを見た。すると、甲板上にいる全ての人間がこちらを見ていたのだ。
無理もない。ヘリから降りてきた美女(容姿だけなら)と美少女が言い争っているのである。
ミサトは慌てて小声で話し出す。
「ここじゃ場所が悪いわ。 どっか良い所ある?」
アスカも気付いた。ミサトが話そうとしたことは機密に属することを。
「士官食堂は? 下士官は誰も入ってこれないし、今の時間、士官は全員職務中だから誰もいないはずよ」
「そうね、案内して」
ミサトは、アスカの先導で艦内に入っていく。
その様子を艦橋近くの外通路で見ていたロングコートの女性は、軽く目を瞑りながら溜息を漏らす。
「やれやれ………このままじゃ、あの娘を泣かせてしまうよ、シンジ」
彼女には、二人の会話が聞こえていた。強化された彼女の聴覚にかかれば容易いことだ。
コートを翻し、彼女も艦内へ入った。噂の作戦課長サマにご挨拶する為に。
士官食堂では、ミサトがアスカに事の成り行きを説明していた。
しかし、その話は一部が誇張・歪曲されていた。NERVに
――――― いや、ミサトに都合が良いように。
「その『GGG』って奴らがサードを………シンジを殺したのね!」
「ええ、そうよ! シンジ君は素人なりに頑張ったわ。 でもね、奴らはそんなシンジ君を初号機ごと消滅させたの」
「………シンジ」
俯いて小さく呟くアスカ。
そんな彼女の肩に手を添えるミサト。
「アスカ、私に力を貸して。 使徒を倒す為………そして、シンジ君の仇であるGGGを倒す為に!」
「判ったわ、ミサト。 GGG………絶対に許さない」
そのアスカの様子に満足するミサト。彼女に見えないよう、ニヤリと笑った。自分に忠実な『駒』の誕生に………。
だが
――――― 「仇だの、許さないだの、何やら物騒な話だね」
突然、後ろから発せられた声に、ミサトは勢いよく振り向く。椅子を倒さんばかりに。
「………!!(聞かれた!?)」
ミサトは、その声の主を睨んだ。食堂の入り口に立つ、白いロングコートに身を包んだ女性を。
女性は、そんなミサトの視線を臆せず見詰め返した。
「ルネさん」
アスカにルネと呼ばれた女性は、左手を挙げて応える。
「誰よ、あんた?」
あからさまにミサトは怪しんだ。自分がドイツ支部を離れる時には、こんな人間はいなかった。それにアスカとも親しいようだ。彼女が『さん』付けで呼ぶ人間など、片手で数えるくらいだからだ。
「私はルネ・カーディフ。 アスカの護衛さ」
ルネ・カーディフ
――――― 彼女の正体は、GGG所属の情報員。そして、Gストーンのサイボーグである。コードネームは『獅子の女王(リオン・レーヌ)』。
彼女の本名には、さらに『獅子王』という名が入る。しかし、それは意図的に外している。GGGとの関係を匂わせない為だ。
第5使徒戦時の共同作戦で、GGGに獅子王という名の人間がいることがNERVに判ってしまった。だが、念の為にファミリーネームを隠したことが功を奏した。
特に、NERVドイツ支部はSEELEのお膝元。
潜入捜査を行うルネにとって、正体がバレる出来事は何としても避けなければならない。その為、Gストーンが嵌め込まれている右腕のサイボーグ部分には包帯を巻き、なるべく人目に晒さないようにしている。まあ、万が一SEELEにバレたとしても、一人で全滅させられるかもしれないが。
「ねえ、ルネさん………加持さんは?」
「げぇ!? あいつもいるの!?」
アスカの言葉に、嫌な名前を聞いたミサト。はっきりとした嫌悪を示した。
「あのバカなら
――――― 」
ルネは振り向くことなく、親指で自分の後ろを指し示す。
「「??」」
アスカとミサトは、そのルネの後ろ、指差された通路を覗き込んだ。
すると、そこには股間を両手で押さえながら小刻みに痙攣する男が倒れていた。
「あ………また?」
「性懲りも無く、私の肩に手を回そうとしたからね」
アスカが「また」と言うように、これが初めてではない。最初は、アスカの護衛を加持からルネに引き継ぐ際の挨拶の時だった。それ以来、あまりにしつこいので、一度 本気で殴ってやろうかと思っている。
そんな加持を無視して、ルネはミサトに問う。
「いいのかい? こんな所で休んでてさ。 任務があるんだろ?」
「あ………」
顔を青くするミサト。本気で忘れていた。
「ア、ア、アスカ、また後でね」
ダッシュで食堂を出て行き、艦橋へ向かうミサト。しかし、例の如く迷子になり、艦橋に着いたら着いたで、艦隊司令と副官の嫌味と皮肉に何も言い返せなかった。
「アスカ」
ルネは、俯いて座っているアスカに近付く。
さっきまでミサトが座っていた向かいの席に着こうとするが、それを遮るようにアスカが立ち上がった。
「アスカ?」
「ごめん、ルネさん。 しばらく一人にして………」
力無くそう呟くと、アスカは士官食堂を出て行った。
「ふう………」
アスカの様子に嘆息したルネも食堂を出た。
「シンジ………やっぱり、お仕置きだね」
出会ってから期間は短いが、ルネはアスカを妹のように思っている。あんな彼女の姿は見ていられなかった。
その頃
――――― 空母『オーヴァー・ザ・レインボウ』艦底部に近い人気の無い通路。
突如、その床に黒い穴が開いたかと思うと、そこから一人の少年が姿を現した。
「へっくし! ズズ………風邪かな?」
鼻を啜る少年。
彼こそ、先程の話に出てきた少年
――――― 死んだはずの『碇 シンジ』であり、現『綾波 シン』その人である。
「さて、ガギエルが来ない内にアダムを回収するか」
上の階に波動を感じる。
シンは、アダムを運んでいるであろう加持リョウジの部屋に向かった。
士官食堂を出たアスカは、何処に行くというわけでもなく、艦内を彷徨っていた。その姿は、まるで夢遊病者だ。
シンジがいない。
そのことは、アスカの心を深く抉っていた。
ミサトの言うサードチルドレン・碇シンジが『自分が知っている碇シンジ』『自分を知っている碇シンジ』ではないことくらい、最初から理解していた。しかし、だからと言って、彼が死んだという事実
――――― もうこの世にはいないという事実は、アスカに希望を失わせた。
もう、シンジに逢えない。
もう、あの笑顔は見れない。
もう、アタシを見てくれない。
もう、あの優しさに触れることができない。
アスカは気付いていた。自分の心に。
彼だからこそ怒った。
彼だからこそ憎んだ。
彼だからこそ嫌った。
彼だからこそ蔑んだ。
けれど、それは全てにおいて裏返しの感情。
彼だからこそ、ここまで心を曝け出すことができたのだ。
しかし、その想いを伝えることのできないまま、彼は逝った。
この持って行き場のない気持ちは如何したらいいのだろう。
そんな思いに囚われながら、アスカは通路を歩いていた。前方に見える角の奥から聞こえてくる足音にも気付かずに。
一方、その足音の主である少年・綾波シンだが、彼も、角の奥から聞こえてくる少女の足音に全く気付いていなかった。彼の頭には今、アダム回収後の算段が巡っていたからだ。
それぞれ違う思いに浸り、互いに気付かず、近付いていく両者。前の世界でのユニゾン特訓の成果か、二人は同じ歩幅、同じスピードで歩いており、同じタイミングで角を曲がった。
そして当然の如く、二人は出会い頭にぶつかった。ご丁寧に、俯いていた少女の額が、少年の顎にヒットする形で。
ゴン!!「きゃあっ!!」
「ぐあっ!!」
しりもちを着き、額を押さえる少女。そして、顎を押さえながらしゃがみ込む少年。
「痛ぁ~~い! ちょっとアンタねぇ………どこ見て歩いてんのよ!!」
自分自身のことは棚に上げた少女は、この激痛の原因たる少年を キッ! と睨みつけると、胸倉を掴んで怒声を浴びせた。
その声に、少年は半ば条件反射的に謝ってしまった。
「あ……ご、ごめん、アスカ」
「何だ、バカシンジか………ったく、ホントに気を付けてよね」
「うん……ほんと、ごめんね」
「もういいわよ。 アタシも考え事してたし………」
「どうしたの? 元気ないみたいだけど」
「………ミサトがね」
「うん」
「シンジのやつが死んじゃったって言って………」
「そうなんだ………僕、死んじゃったんだ」
「それでね、ちょっとブルー入っちゃって」
「アスカ………」
「あ~~あ、アタシもヤキが回ったわね。 バカシンジなんかに弱音を吐いちゃうなんて」
「なんかは酷いな。 でもさ、僕で良かったら、いつでも相談に乗るし、愚痴も聞くからさ」
「………うん。 ありがと、シンジ。 何か、楽になった」
「そう? よかった」
「じゃ、アタシ、部屋に戻るね」
「うん。 じゃあね」
少女は軽く手を振り、その場を離れる。
さっきよりも少し表情が明るくなった彼女を、少年は心配そうに見詰めるが、済まさねばならない用事があるので、彼も先へ進んだ。
しかし、角を曲がり、お互いの姿が見えなくなった所で、二人は ピタッ と歩みを止めた。
「「んん!?」」
何かがおかしいと気付いたのだ。
先ほど交わされた言葉が呼び水となって、二人は思考の渦に攫われる。
あまりに………あまりに自然な会話。だからこそ、この世界では『不自然な会話』だったのだ。
「(え? ちょっと待って………今の、アスカだよねぇ? 何でアスカが僕の名前を? この世界でも僕達はまだ出会ってないし、面識もないはず……何で、あんな自然に……え? 嘘だ 嘘だ 嘘だ 嘘だ 嘘だ 嘘だ! そんなはずない!! でも、まさか……まさか………)」
「(アタシ………いま何て言った? バカシンジ? そう、バカシンジだ! アイツがいた! でも、アイツ………アタシのこと名前で呼んだ……嘘……もしかして……もしかして……アイツはアタシが知ってる………!!)」
いち早く思考の渦から脱出できたのはアスカの方だった。あの少年が『シンジ』だと確信した彼女は、身を翻し、彼を追いかけた。
「シンジィィィッ!!」
通路に響いたアスカの声で、少年・綾波シンは我に返った。いま逢うのはさすがに不味いと判断し、スキル=レリエルでディラックの海を展開する。確認がてら、そっと通路を覗くと、アスカは神速の如きスピードでこちらに向かってきていた。
「うわっ!」
すぐさま、虚数空間に潜り込む。
まさに間一髪。どうにかシンは逃げ切れた。
「待ちなさい、シンジ!!」
少年が曲がったであろう角にアスカが辿り着く。しかし、一歩遅かった。そこにはもう、誰もいなかった。
夢だったのか?
アスカの表情は、再び暗くなる。けれども、よくよく思い出してみる。先ほどの声を、先ほどの笑顔を。
夢じゃない!
彼は確かにいたのだ。
そう、彼はいるはずだ。この艦の何処かに。
何故そう思ったのかは判らない。だが、そんな気がする。そうあって欲しい。
「シンジ………生きてるの?」
その呟きに応える者はいない。しかし、アスカは構わず走り出した。
彼を見付ける為に。
彼に逢う為に。
第参拾壱話へ続く