ジオフロント内、NERV本部。総司令官公務室。
時刻は、通常の就業時間がとっくに過ぎた真夜中。しかし、この部屋の主である『髭男』こと六分儀ゲンドウはここにいた。いつも傍らに控えている『電柱爺』もオヤスミの時間なのに。
「また君に借りができたな」
受話器を左耳に当てて口を開くゲンドウ。どうやら電話中のようだ。
向こうからは、若い男の声が返ってくる。
〔返すつもりもないんでしょ? 彼等が情報公開法をタテに迫っていた資料ですが、ダミーも混ぜてあしらっておきました。 政府は裏で法的整備を進めていますが、近日中に頓挫の予定です。 ………で、どうです? 例の計画の方もこっちで手を打ちましょうか?〕
そう訊かれ、ゲンドウは改めて手元の資料に視線を落とす。
「いや、君の資料を見る限り問題はなかろう」
〔では、シナリオ通りに………〕
相手は電話を切ろうとしたが、ゲンドウが呼び止める。
「時に……GGGの調査はどうなっている?」
〔いや……まあ………情けない話なんですが、足取りがまったく掴めません。 先日、共同作戦を行われたのでしょう? そちらの方がお詳しいんじゃないですか?〕
「………………」
情報規制を掛けていたはずだ。それなのに、この男は何処で仕入れてきたのだ? 肝心の情報は何も掴めていないくせに………。
苦々しく思うゲンドウ。
「………役立たずに用はない」
〔心しておきます〕
プツッ! と電話が切れた。
受話器を置き、ゲンドウはいつものポーズをとる。
「GGGめ………」
ギリッッ!耳が痛くなる程の静寂に包まれた部屋に、髭の歯軋りが響いた。
午前7時。
綾波シン、起床。目覚まし時計のベルが鳴り響く前に目を覚ます。昔からの癖だ。
まずトイレ。その後、顔を洗い、歯を磨く。
スッキリした表情でダイニングに行くと、鼻歌まじりに朝食の準備をする母親がいた。
「おはよう、母さん」
「あら、シン。 おはよう」
「何か手伝おうか?」
「なら、いつものようにね」
「はいはい」
シンは、ダイニングを出てレイの部屋に向かう。
いつものように
―――――― それはレイを起こすことである。一緒に暮らし始めてから判ったことだが、彼女は、重度の低血圧であった。
コンコン…………………………………………………………………。
返事がない。もう一度ノックするが同じ。寝ているようだ
――――― って、終わってどうする。
いつものことなので、シンは遠慮することなくレイの部屋に入った。
バシャッ! とカーテンを開け、朝陽の光を部屋に採り込む。
いきなり明るくなったので、眩しさに反応し、ムズがるレイ。布団の中に潜り込もうとする。
その様子が何とも言えず、 可愛いなぁ~……… と顔がニヤけてしまうシン。しかし、いかんいかん、と頭を振り、我に返る。これもいつものことだ。
「レイ、朝だよ。 起きて」
身体を揺さぶる。
薄っすらとレイの目が開いた。
「おはよう、レイ。 朝だよ」
シンの挨拶に反応するように、ゆっくりと起き上がるレイ。
「………おはよう……おにいちゃん………」
ちゃんと挨拶はしたものの、まだ目がトロンとしているレイ。
「おはよう。 もうすぐ朝御飯だから、早くシャワーを浴びてきて」
「………うん」
そう返事すると、レイは ボフッ と布団に倒れ、再び夢の世界の住民となる。
これもいつものことなので、シンは嘆息してレイの手を取り、無理やり起こした。半分寝惚けたままのレイを洗面所 兼 脱衣所に連れて行く。
――――― と、その途中でペンギンとすれ違った。
「あ……おはよう、ペンペン」
「
クワァァッ 」
右手(羽?)を上げ、挨拶するペンペン。湯上りなのか、肩から手拭いを掛けている
――――― って、何故ペンペンが??
話は、数日前に遡る。
ある日の早朝、マイがゴミを出しにゴミ捨て場に行くと、生ゴミを漁っているペンペンを発見した。シンの記憶を見ていたので、すぐに『あのペンギンだ』と気付いたマイは、笑顔でペンペンに近付き
―――――「そんなにお腹が空いているなら、うちに来る?」
と、話し掛けた。
滝のように涙を流してマイの胸に飛び込んできたペンペンを家へ連れて上がると、彼女はまず、汚れたペンペンの身体をお風呂で綺麗にして、それから腹いっぱい御飯を食べさせた。
久しぶりに食べるマトモな御飯を、貪るように食べるペンペン。
お腹がふくれて満足したペンペンは、見事なジェスチャーでマイにお礼を言う(表す)と共に、先日まで自分の置かれていた状況を説明し出した。
自分が今まで住んでいた所は、既に『夢の島』となっており、生物が住める状況ではなくなったと言う。ここ二週間、何も食べていなかった彼は、意を決し、あの人外魔境から脱出してきたというのだ。
マイはシンとレイに事情を話し、ペンペンを引き取りたいと相談した。二人とも快く承諾したので、晴れて彼は綾波家の一員となったのである。
因みに元の飼い主は、最後の最後まで、ペンペンがいなくなったことに気付かなかった。
「いただきます」
「………いただきます」
「
クワワッ 」
「はい、召し上がれ」
シンと、シャワーを浴びてスッキリ目が覚めたレイ、そしてマイとペンペンが揃って朝食を取る。食事は、余程のことがない限り、家族一緒に取る。それが『碇家』の家訓らしい。
ごく普通の家族の朝。傍でペンギンが魚を頬張っていることを除けば。
「今日、本当にいいの? 忙しいんじゃない?」
シンがマイに話し掛けた。
「なに言ってるの? 大事な進路相談じゃない。 私が行かなかったらお父様が来るわよ。 いいの?」
「お祖父さんが? あのテンションで来られるのは……ちょっと………」
ソウイチロウがシン達に会う時は、いつも異常なくらいハイテンションだった。まあ、十数年逢えなかった娘と孫達だ。仕方がないだろう。
「そういうこと。 それにね、子供の進路相談に親が行くのは当然のことよ。 親にとっても楽しみなんだから。 こういうのはね」
「そ……そういうものなの?」
『親の楽しみ』というところが今一つ判らなかったが、無理やり納得して食事を続けるシン。
レイは何も言わなかったが、母が来てくれるということで内心嬉しいレイであった。
和やかな雰囲気で食事が進んだ。
ピンポ~~~ン!朝食も終わり、マイは洗い物、シンとレイが学校へ行く準備をしていると、玄関のチャイムが鳴った。
「はい」
マイがインターホンに出る。
「あら、おはよう。 ………ええ、ちょっと待っててね」
二言三言応対すると、シンとレイを呼ぶ。
「ほらほら、お迎えよ」
「は~い。 行こうか、レイ」
「うん」
シンとレイが玄関を開けると、そこには二人の少年がいた。
「「おはよう、シン君! 綾波さん!」」
鈴原トウジと相田ケンスケだ。いつものことだが、変にユニゾンしてるのが気持ち悪い。
「う、うん。 おはよう………」
「………おはよう」
挨拶されたので挨拶を返すシンとレイ。しかし、少年二人はそれを無視して、家の中に声を掛ける。
「「では、マイさん! いってきます!」」
「は~い、いってらっしゃい」
「
クワァッ 」
エプロンで手を拭きながら、マイとペンペンが見送りに出てきた。
マイの笑顔に感動し、涙を流すトウジとケンスケ。毎度のことながら気持ち悪い。
「
――――― ったく……いってきます」
「………いってきます」
バカやってる少年二人を無視し、シンとレイは学校へ向かう。
「いってらっしゃい」
マイの笑顔を隠すように、玄関の扉が閉まった。
これが綾波家の毎朝の風景。
何故、トウジとケンスケがシンやマイのことを名前で呼ぶかというと、第5使徒殲滅戦の後、綾波家を訪ねてきたトウジとケンスケに謝罪を受けたのがきっかけであった。ケンスケはシェルターを抜け出そうとしたこと、トウジはそれを止められなかったことを謝った。
シンもケンスケを殴ったことを謝ろうとしたが、彼は逆に感謝した。『戦場』を
――――― 『戦い』というものを改めて考えるきっかけを与えてくれた、と感謝した。
それでは気が済まないとシンは謝ろうとしたが、『必要ない』とケンスケは頑なに拒否した。
「謝る」
「いや、いい」
「謝る!」
「いいって!」
と、徐々に言い合いになり、妙に険悪な雰囲気となったところでトウジが間に入った。
「喧嘩しに来たんとちゃうやろ?」
と言うトウジの言葉に、シンとケンスケは顔を見合わせ、
プッ……! と、どちらからともなく吹き出した。
あっはっはっはっ! と笑い声が響く。これが三人の新たな友情の始まりだった。
「なあに、玄関先で………あら、シンのお友達?」
何事かと玄関に出てきたマイを見て、トウジとケンスケは固まった。母親と思うには、あまりに若かったからである。
彼女
――――― 碇ユイがエヴァに取り込まれたのは27歳の時。その間、彼女の肉体年齢は止まったままだった。そして、サルベージされたのは、ついこの間。若く見えて当たり前なのである。
「「初めまして、お姉さん!!」」
姿勢を
ピン! と正し、頭を下げて挨拶する二人。思春期の中学生は美人のお姉さんに弱い。
「あらあら、お姉さんだなんて♪」
ご機嫌になるマイ。
それを見て、シンは呆れる。
「何やってんだか………二人とも、紹介するよ。 僕の母で綾波マイ」
「母です。 これからもシンとレイをよろしくね」
「「ええええええええええっ!!??」」この世の終わりか? と思うくらい驚くトウジとケンスケ。 『いや~んな感じ』のポーズで。
その後、さすがに『おばさん』とは呼べず、どう呼んだらいいか迷っていると、「名前で呼んでいいわよ」とお許しをいただいたので、こうして呼んでいるというわけである。
後日シンは、学校でマイの写真が飛ぶように売れていると風の噂を聞いた。ケンスケに訊ねてみると、「誤報だ。 探知機のミスだ」と訳の判らないことを言ってはぐらかすので、とりあえず殲滅しておいた。前の世界の例もあるから。
シン達は、レイの歩くペースに合わせて学校へ向かう。途中、洞木ヒカリ、佐藤イツキ、雪島エリ、夏目ショウコらと合流し、姦しい女の会話を聞きながら登校する。
これが、綾波シン、そしてレイの日常の風景。
一方、葛城ミサトの場合。
午前7時。爆睡中。
午前7時30分。
ジリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリッ!!目覚まし時計がけたたましく鳴る。
それに反応し、布団の中から手を出して辺りを探る。
目覚ましを掴んだ。
バキャァッ!!………破壊した、握力で………。 これで通算、38個目の破壊を確認。
再び、爆睡。
午前8時30分、やっと起床。
のそのそと起き出し、襖を開ける。
ガラガラガラガラガラ!襖の向こう
――――― リビングから崩れてきたゴミの山に埋もれるミサト。
出るのが面倒になり、そのまま二度寝。因みに、NERVの基本的な就労開始時刻は午前8時50分である。
午前9時40分。ようやく目が覚める。
ゴミの山から這い出て、冷蔵庫へ向かう。
プシュッ!!缶ビールを開けるミサト。そのまま一気飲み。
「ング、ング、ング、ング、ング、ング………プッッハァ~~~~~~~~ッ……くぅ~~~~~~~っ!! やっぱ人生、この時の為に生きてるようなものよね♪」
二本目を開ける。また一気飲み。
それを三回ほど繰り返した後、やっと仕事に行く準備を始める。
「さってと、朝シャン、朝シャン♪ ブラとパンツはどこかいな~~♪」
ゴミの山をひっくり返し、着替えを探して風呂に向かうミサト。現在10時10分。
風呂から上がり、またビール。風呂上りは格別らしい。
イヤミがない程度に化粧をし、着替えて準備完了。
「ペンペ~~ン、いってくるわね~~」
同居人? のペンギンに声を掛けるミサト。最近、姿を見てないなぁと、一人思いに浸る。因みに、そのペンペンは今、綾波家のソファーで朝食後のまどろみ中である。
玄関を出ようとして、チラッ と時計が目に入った。
ゴシゴシと目を擦る。何か嫌なものを見た。
もう一度確認する。
午前10時38分。
「遅刻よ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~っ!!!」綾波マイは、第壱中学校で行われる息子と娘の進路相談に向かっていた。容赦なく照り付ける真夏の太陽光線を避ける為、清楚なデザインの日傘を差している。
「確か、予定時間は11時10分と20分。 このペースなら、楽に間に合うわね」
腕時計で時間を確認するマイ。すると、後方から爆音が響いてきた。
ブオオォォォォォォォォォォォォォォォッ!!疾走してくる青いスポーツカー。制限速度など完全に無視している。あ、信号無視だ。
ファンファン ファンファン ファンファン ファンファン !!スポーツカーの後ろから、十数台のパトカーがサイレンを鳴らして追いかけてきた。当然だろう。
マイの横を、もの凄いスピードで駆け抜けるスポーツカー。その窓から見えた運転手は、彼女の予想通りの人間だった。
「まったく………相変わらずなのね、葛城さん。 あなたのお父様は、もっと聡明な方だったわよ」
父ソウイチロウ、そして国連事務総長ショウ・グランハムと親友の間柄だった 故 葛城マサトシ博士は、ユイとも懇意であった。
研究のことでアドバイスを貰うこともあったし、プライベートでもいろいろ助けてもらうこともあった。普段は娘の自慢ばかりする典型的な父親。そして、ユイが本当に尊敬できる、数少ない人間の一人だった。
ミサトの言う葛城博士は、研究のことばかりで家族を省みない最低の父親ということになっている。だが、真実は違う。
彼は脅迫され、家族を人質に取られていた。妻と、娘であるミサトを、SEELEに。
妻と娘を助ける為に、彼はS2理論を完成させなければならなかった。だからこそ、一心不乱に研究に没頭した。そのことが、ミサトには家族を無視した最低の父に見えたのだろう。
皮肉なものである。家族を助ける為の行為が、家族との軋轢を生むきっかけになってしまったのだ。
そして、セカンドインパクト。理解し合えずに別れてしまった父娘。
真実を知った時、彼女は何を思うのだろうか。
ファンファンファンファンファンファンファンファンファン………!!思いに耽っていたマイの横をパトカーの集団が駆け抜けた。ドップラー効果で辺りにサイレンがこだましている。
「葛城の小父様………彼女を守ってくださいね」
マイは、そう空に向かって呟くと、再び中学校に向かって歩み始めた。
何とかパトカーを振り切ってNERVに着いたミサトだが、ゲンドウと冬月からは説教を喰らい、リツコからは嫌味を言われ、一日中ブルーな気持ちで仕事をすることになった。
第弐拾伍話へ続く