第3新東京市 ジオフロント地下、NERV本部 第2実験場。
技術開発部 部長の赤木リツコ博士は、いつもの白衣にヘルメットという姿でそこにいた。
現在ここでは、先日の使徒戦『第一次直上会戦』にて、ガオガイガーによって倒された第3使徒サキエルの調査が行われており、実験場中央には、生物の腕らしき形をした緑色の物体が左右一対、運ばれてきている。
本来は、全身を運び込む予定だったのだが、実験場に入りきらなかった為、やむなく一番機構が複雑であろうと仮定した腕の部分だけを運び込み、他は全て焼却処理をした。
腕だけと言っても、それは結構大きいもので、周りにはビルの工事現場でよく見られる足場が組まれ、リツコたち研究員は、それを使っての調査となった。ゆえに安全の為、場内全ての人間にヘルメット着用が義務付けられている。
そんな状況の中、作戦局 第一課 課長の葛城ミサト一尉も、皆と同じようにヘルメットを被った姿でそこにいた。厳しい目で使徒のサンプルを見詰めている。
「ふう………。 コアが無いのは残念だけど、左腕は原型を留めているし、右腕もある程度は形が残ってる。 理想的
――――― とはいかないけど、いいサンプルだわ。 残していったGGGに感謝しないとね」
リツコの「GGGに感謝」というところでミサトの頬が引きつる。
「……で、何か判った?」
普段とは違う低い口調のミサト。彼女の憤りは痛いほど判るが、ここは無視する。
「ついてきて」
リツコとミサトは、実験場の脇に設置されたコンピュータールームに移動する。
カタカタカタカタ………とリツコはコンピューターを操作し、調べた使徒のデータを呼び出していく。
ディスプレイが次々とデータを表示していくと、最後に ピーーーッ! と音を発し、『601』という数字を表示した。
「何これ?」
ミサトの疑問も尤もだ。今までの複雑怪奇なデータの嵐は何だったのか。
リツコはディスプレイからミサトに向き直り
――――― 「解析不能を表すコードナンバー」
「つまり、訳判んないってこと?」
それなら最初からそう言え、という表情のミサト。
「使徒は『粒子』と『波』、両方の性質を備える『光』のようなモノで構成されてるのよ」
「動力源は?」
「おそらく………GGGが持っていったコア、あの赤い球体ね」
「あいつら、まさかそれを知ってたんじゃ………」
「その可能性はあるわ、推測の域を出ないけど………。 にしても、彼らがいつ、何処でそれを知ったのかが疑問ね」
「どこまでも邪魔をするわね、あいつら!」
「兎角、この世は謎だらけということよ。 例えば………この使徒独自の固有波形パターン」
「どれどれ?」
ミサトが覗き込む。ディスプレイの表示が変わり、新たなデータが映し出された。遺伝子データのようだ。
「これって!?」
ミサトも気付いた。
「そう。 構成素材の違いはあっても、信号の配置と座標は人間の遺伝子と酷似しているわ。 99.89%ね」
「99.89って………」
「そう、エヴァと同じ。 改めて、私たちの知恵の浅はかさが思い知らされるわ」
リツコは一息入れようと、備え付けのポットからコーヒーを注ぐ。
「そうそう、言わなくても判ってるとは思うけど………明後日、レイと零号機の起動実験と連動実験を行うわよ」
「へっ?」
ミサトは単純に驚いた。寝耳に水だったのだ。
リツコは、ミサトのぽかんとした表情に嫌な予感を感じた。
「ミサト………まさか、知らなかったってことはないわよね?」
「零号機、いつ調整終わったの?」
予想以上に的外れな質問返しに、リツコは怒りのあまり、机を力いっぱい叩いた。
バンッ!!「ヒィッ……!」
「あなた! 今頃になって何言ってるのよ!! 昨日付けの書類で知らせておいたでしょ!!」
リツコの激昂に身を竦ませるミサト。
「その様子だと、まだレイにも知らせてないみたいね………」
「いや、その………他の仕事が忙しくて……そういうことは日向君に………」
この言い訳にリツコがキレた。
「忙しい? なに馬鹿なこと言ってんの!! 毎日毎日、定時で帰る人間が!! 私なんて、今日でもう一週間も家に帰ってないのよ!! 暇が有り余ってるくせに書類すら読んでいないなんて…………この場でクビにしてあげましょうか!?」
「リ、リツコ……それは………」
あまりの怖さに半泣きで懇願するミサト。
「だったら!! さっさと仕事してきなさい!! 明後日の実験までに全部終わらなかったら、降格・減棒だけじゃ済まないわよ!!」
「は、はい~~~~~~!!」
逃げ出すように駆け出し、実験場を出て行くミサト。
「はあぁぁぁぁぁぁぁっ」
リツコは、盛大な溜息と共に目頭を押さえながら、倒れるように椅子に座る。
「………辞めようかな」
それが今のリツコの正直な気持ち。
ゲンドウの、見苦しいまでの初号機コアへの執着を見た時、あの男に対する気持ちは薄れ、今では何とも思っていない。既にNERVにいる理由すら無いのだ。
それに、彼女
――――― 葛城ミサトが作戦指揮官である限り、NERVは使徒にもGGGにも勝てない。そう思う自分もいた。
「………もう、いいよね……母さん………」
リツコはそっと呟くと、冷めてしまったコーヒーに口をつけた。
それから明後日の零号機起動実験。
それは難なく成功した。シンクロ率70%オーバーを記録して。
この結果にミサトは喜び、リツコは「また謎が増えた」と顔を渋くした。最初の起動実験で暴走を引き起こした人間のシンクロ率とは思えなかったからだ。報告にあったドイツの『セカンドチルドレン』に迫るシンクロ率なのである。
この実験にはミサト、リツコの他に副司令の冬月とレイの母、マイが立ち会った。総司令のゲンドウは既に興味が無いのか、立ち会うことはなかった。今や、あの男にとって一番重要な事柄は、初号機コアの行方のみなのだ。
一般人であるはずのマイが、なぜ実験に? というと、それがチルドレンを続ける条件の一つだからである。
その条件とは
――――― ①チルドレンとしての契約料として1億円。 月々の給料、使徒戦における危険手当等の支払い。
②実験や訓練は、保護者の許可無く行わない。 及び、保護者が立会いを申請した場合、拒否しない。
③使徒戦 及び エヴァを使った作戦行動における作戦拒否権を認める。
④NERVは碇家 及び 綾波家、またはそれに連なる関係者に盗撮・盗聴などの諜報活動をしない。 平たく言えば、手を出さない。
⑤以上の条件を一つでも破った場合、レイはチルドレンを辞し、NERVは違約金として5000億アメリカドルを碇家 又は 綾波家へ支払う。(2015年現在のレート、1ドル=154円)
⑥追加の条件は、その都度 通告する。
大まかなもので、この通りである。
給料などは当然だろう。生命を懸けた仕事が無給では話にならない。
保護者の許可と立会いに関しては、単純にレイを守る為である。ゲンドウがレイに負わせるはずだった役目を考えると、これは外せなかった。今日はマイが立ち会っているが、本来はシンが立ち会う予定になっている。
作戦拒否権に関しては、指揮官であるミサトが猛烈に抗議した。しかし、未だNERVが何も実績を上げてないこと、先の使徒戦において作戦ミスによりシンジが死亡したこと等を挙げ、ミサトの反論を封じ込めた。
4番目の条件に関してミサトは怪訝な顔をしたが、冬月は狼狽した。既に碇家や綾波家、碇財閥などに諜報部の調査が入っている。うろたえる冬月に、マイはにこやかに「すぐ止めて下さいね」とお願いした。そのマイを見て、在りし日のユイの笑顔を思い出した冬月が顔を赤らめ、それをミサトやリツコが気味悪がったのはご愛嬌。
違約金に関しては完全に嫌がらせである。払えないことは先刻承知であるが、条件を破った上、もし踏み倒したら、MAGIを使ってNERVの恥部を全世界にバラ撒く予定である。
最後の条件は、NERVがどういう手を打ってくるか判らない為の用心である。シンも認める通り、ゲンドウは策略家として油断できないレベルである。自分たちの予想もしない手を打ってくるかもしれない。今は初号機コアの行方で他に気が回らないだろうが、用心に越したことはないのである。
以上の条件がすんなり認められたわけではないが、現在 日本でただ一人のチルドレンという事実が、渋々ながらNERVに条件を認めさせた。
ちなみに、ミサトは仕事を無事終わらせた。作戦部員全員を、無理やり手伝わせて………。
零号機起動実験から二週間。何事もなく、平和な日々が過ぎた。
シンとクラスメートとの関係も良好だった。前の世界の時とは違い、何にでも積極性を見せる明るい性格のシンは、すぐクラスに解け込めた。トウジ、ケンスケとも、まだ名前を呼び捨てにすることはないが、友人としての関係を築くことができた。
レイもシンと同じように、徐々にではあるがクラスに解け込んできた。兄の協力もあってか、何人かの友人もできたようだ。
今日も普段通り授業が始まった。数学の授業だったが、担任でもある老教師はいつものように、授業とは全然関係ないセカンドインパクトの思い出を語り始めた。
ピピッ!シンが眠気を我慢しきれず欠伸していると、端末にメール着信の表示が出る。
んん? とシンは不思議に思ったが、前の世界の出来事を思い出した。 まさか、今頃………? という思いもあったが、とりあえず開いてみた。
>
シンくんがロボットのパイロットってホント? Y/N
予想通りの内容に、思わず苦笑してしまう。周りを見ると、後ろで手を振る二人組みの女子がいた。雪島エリと佐藤イツキだ。
ピピッ!再びメール。
>
ホントなんでしょ? Y/N
今回は本当に自分ではないので NO を打ち込み、返信する。と、またメールが送られてきた。
>
ウソ。 すごいウワサになってるよ。 シンくんがロボットのパイロットだって。>
僕もその噂を聞いたけど、残念ながら違うんだ。そう返信すると、しばらくは静かだったが、またメールが来た。
>
パパが言ってたもん。 シンくんがパイロットでしょ。 誰にも言わないから……ね。このメールをシンは疑問に思った。確か佐藤と雪島の二人の親は、NERVの職員でもD級ランクのはずだ。パイロットの情報など知るはずがない。
不思議に思ったシンは、このメールが本当に彼女たちのものか調べることにした。
「(スキル=イロウル、発動)」
シンは誰にも気付かれないよう能力を発動させた。端末に入り込み、ログを調べる。
「(………あった)」
最初の3通は彼女達だったが、最後の1通は違う人間だった。
「(………ケンスケ)」
ケンスケは端末をハッキングして、シンと彼女たちのメールのやりとりを覗いていたらしい………というより、よくよく調べてみると、メールの内容がクラスメート全員にオープンになっていた。
「(そういえば、前も全員にバレたんだっけ………)」
改めてケンスケの技術に驚く。
「(もっとマシなことに使えよ………)」
まったくもって、その通り。
しかし、このまま黙っていても埒が明かないので警告することにした。
>
佐藤さんと雪島さんじゃないね。 誰?送信すると、レイを除く全員が息を呑んだ。
>
僕は正直に答えてる。 それにね、この噂には続きがあって、NERVはそのロボットのことに関して情報管理を徹底してるらしい。 下手に調べ回ると捕まるよ。 それと、教室の端末もそうだけど、第3新東京市の公的な情報端末はNERVのコンピューターMAGIに繋がってる。 このメールのやりとりも向こうに筒抜けなんじゃないの、相田君?ピッ と送信すると、レイと僕を除く全員がケンスケの方を向く。
ケンスケはというと、顔が青ざめ、膝が震えていた。
からかいすぎたかと思ったが、これで噂も止むだろうと結論付けた。
授業が終り、休憩時間になった。ケンスケは、まだ青い顔をしていた。「まあ、いい薬だね」と思い、次の授業の準備をしているとトウジが近付いてきた。
「綾波」
「鈴原君?」
まさか? と思った。
「ちょっと、ええか?」
シンは覚悟を決めた。
「いいよ。 どっか行く?」
「へ? あ、ああ、いや、ここでええ」
トウジはちょっとどもってしまった。「場所 変える?」なんて聞かれるとは思っていなかった。
シンはシンで「あれ? 違うのかな?」なんて思っていた。
「綾波、NERVの関係者なんか?」
「え? 何で?」
「いや……えろう詳しいし………」
「そういう訳じゃないけど………どうしたの?」
シンはトウジの言わんとすることが判らなかった。
「NERVの関係者やったら知っとるかと思うてな………」
「ロボットのパイロットのこと? それは
――――― 」
「ああ、違うんや。 妹のことなんや」
「妹さん?」
確か無事だったよなぁ とシンは記憶を巡らす。
「こないだのドンパチの時にな、妹の奴がおらんようなったんや」
「………………」
「一緒に避難したはずなんやけど、途中でな、どっか行きよったねん」
シンは口を挟まず、聞き手に回っている。
「ドンパチが終わっていろんなとこ探して、やっと見つけた思うたら、どっかの公園のベンチで寝とったんや」
「………それで?」
「妹のやつが言うとったんや。 喋るパトカーに助けてもろうたってな」
「(ボルフォッグか……)」
「でな、もしかしたらNERVの秘密兵器かもしれんと思うてな」
「で、関係者かもしれない僕に?」
「ああ」
「(巻き込むわけにはいかないからな………) ごめん、知らないんだ」
「ほんまか?」
「うん」
「………………」
「………………」
しばし見詰め合う二人。やがてトウジが口を開く。
「ほうか。 すまんかったな、時間とらせて」
「ううん、構わないよ」
シンの答えに満足したかどうかは判らないが、トウジはすっきりした顔で席に戻った。
「(まだ話すわけにはいかないんだ。ごめん、トウジ)」
それから数日後。あの日が来た。
ピピピピピピピピピピ!レイの携帯が鳴った。液晶画面には『非常召集』の文字が出ている。
ちょうど授業と授業の間の休憩時間であった為、教師に咎められることはなかったが、レイが携帯を使うという滅多に見られない光景であったので、クラスメートの視線がレイに集中した。
「お兄ちゃん」
「判ってる。 気を付けて」
「うん」
レイは鞄を持ち、走って教室を出て行く。
突然のことに呆気にとられるクラスメート一同。その中で委員長の洞木ヒカリがいち早く自分を取り戻す。
「レ……レイさん?」
ヒカリはレイのことを名前で呼んでいた。兄であるシンと区別する為であるが、それ以外にも、彼女がレイにとって初めての同年代の友達で、レイ自身が名前で呼ばれることを望んだのが理由である。
「洞木さん、レイはちょっと用事があって早退するんだ。 先生にはもう言ってあるから」
「そ……そうなの? ちょっとビックリしちゃった。 でも、綾波君はいいの?」
ヒカリは、シンのことは苗字で呼ぶ。流石に男子を名前で呼ぶのは恥ずかしいらしい。
「うん、僕はいいんだ」
「ふ~ん………」
教室がようやくいつもの喧騒を取り戻すと、街中にサイレンとアナウンスが響き渡った。
「ただ今、東海地方を中心とした関東・中部の全域に、特別非常事態宣言が発令されました。 住民の皆さんは、速やかに指定のシェルターに避難して下さい。 繰り返しお伝えします。 ただ今
――――― 」
第4使徒シャムシエル、襲来。
第拾漆話へ続く